河北新報社

(4)東北大名誉教授・首藤伸夫氏/住民同意 移住の大前提

20120106.jpg ―津波工学の専門家として、東日本大震災で最も印象に残っていることは何か。
 「大津波で驚いたことが二つある。鉄筋コンクリートの建物が倒壊したことと、仙台平野を襲った津波が真っ黒なヘドロだったことだ」

 「鉄筋コンクリートの建物倒壊は宮城県女川町で6件、宮古市で2件。女川町では建物の全てのくいが引っこ抜かれた例もあった。政府は津波避難ビルの指定や新規建設を推進するが、倒壊の恐れがある津波避難ビルに人が逃げ込むという悲劇が起こりかねない」

 ―構造物頼みの防災ではなく、河北新報社の提言では高台移住を提案している。
<近隣と一緒に>
 「高台移住が一番いい。もちろん移住する住民が納得することが大前提になる。その際、命、生計、コミュニティーを守ることが鍵を握る。インドネシアの大津波で高台移住した住民は5~6年で低地に下りてきた。生計が成り立たなかったためだ。移住は向こう三軒両隣、一緒がいい。阪神大震災で問題となった孤独死も防止できる」


 ―津波がヘドロまみれだった原因は何か。
 「戦後、エネルギー資源は石油に大きくシフトした。木炭は必要なくなり山が荒れ、松食い虫がはびこった。農作業も効率化が進んだ。殺虫剤や除草剤などの農薬が大量に使われ、川を通じて海に流れ込んだ。水洗便所の普及も海を汚した。人間が便利さを追求した結果が大量のヘドロだ」

 ―提言では自然に優しい再生可能エネルギーの活用を訴えている。
 「砂が運ばれ砂丘ができた例はあるが、津波がヘドロを運んできた例はない。便利さや経済合理性だけを追求してきたこれまでのライフスタイルを改めていきたい」

 ―防災教育の重要性にも提言では触れている。
<目で見て行動>
 「小中学生が助かった『釜石の奇跡』はなぜ起きたのか。想定にとらわれず、自分の目を信じる防災教育を徹底したからだ。釜石市で最多の死傷者を出した鵜住居地区は、成人の犠牲者のほとんどが危険地域の外側に住んでいた。自分の目で見て行動することが大事だ。提言を基に永続的に津波防災キャンペーンを展開してほしい」

 ―大災害を経験し、何が分かったのか。
 「地球のことをよく分かっていないということが分かった。地球誕生からの約50億年を人生50年に置き換えると、地震計での観測が可能になった25年間はわずか10秒。10秒で人間は診断できない。われわれが憤る『3分診療』ですら500年の観測が必要だ」

 「ただ、地震予知に役立たなかったと観測を止めるのは間違いだ。天文学も17世紀初頭のガリレオから400年かけ、徐々に宇宙のことが分かってきた。地球のことは10秒しか分かっていない。この謙虚さを失ってはいけない」

 <しゅとう・のぶお>1934年、大分市生まれ。東大卒。旧建設省土木研究所研究員、中央大教授などを経て77年から98年まで東北大工学部教授。専門は津波工学。

 <釜石の奇跡>死者・行方不明者が1000人を超す釜石市で、小中学生は2921人が津波から逃れた。学校にいなかった5人が犠牲になったが、小中学生の生存率99.8%は「釜石の奇跡」と呼ばれる。下校していた子どもも多くが自分の判断で高台に避難した。2004年から市の防災・危機管理アドバイザーを務める群馬大の片田敏孝教授(災害社会工学)が(1)想定にとらわれるな(2)最善を尽くせ(3)率先避難者たれ―という「津波避難3原則」を繰り返し訴えた成果とされる。

(2012/01/06)