河北新報社

(8完)最終防御ライン/即避難こそ 真の"防潮堤"

saisei_0229_M.jpg<訓練が功奏す>
 防潮堤のない三陸の小さな浜で、津波の専門家をうならせる住民の避難行動があった。
 宮古市の角力浜(すもうはま)地区は、町内会が毎年実施する避難訓練が功を奏し、漁船の沖出し中に津波にのみ込まれた1人を除いて住民110人が無事避難した。
 「岩手県で最も津波に弱い無防備地帯と言われていたが...」。角力浜町内会長の鳥居清蔵さん(72)は感慨深げに振り返る。

 津波は高さ8メートル、内陸300メートルにまで達した。43世帯の8割が浸水し、大半が全半壊。住民の約4割は65歳以上の高齢者だが、2006年に裏山へ続く130メートルの避難路を整備したおかげで、地震発生から10分で住民のほとんどが避難できた。
 角力浜町内会の津波対策に協力してきた岩手大工学部長の堺茂樹教授(海岸工学)は「一番心配していた浜だったが、本当によく避難してくれた。多重防御の最終ラインは個々人の素早い避難だ。今後の津波に備え、角力浜の教訓を生かしてほしい」と話す。

<奇跡ではない>
 「よく逃げていてくれた。奇跡だ」。3月13日午後3時12分、釜石市の釜石小で児童の安否確認が終わった。184人全員の無事が確認された瞬間だ。職員室は歓喜に包まれ「防災教育の成果だ」と叫ぶ先生もいた。
 地震発生時、校内にいた6年生10人を除き、児童174人が既に下校。それぞれが自らの判断で高台に避難していた。
 釜石小は高台にあり安全だ。「問題は登下校時、津波からどう逃げるか」(加藤孔子校長)だった。児童たちは08年から学区内を歩き回り、災害時の避難場所を書き込んだオリジナルの地図を作ってきた。
 「子どもたちは『地図を思い出し避難しただけ。奇跡でも何でもない』と口をそろえる」。加藤校長が目を細める。
 釜石小だけが例外だったわけではない。釜石市内は最大20メートル近い津波に襲われたが、早退や欠席の5人を除き小中学生2921人が助かった。99.8%の生存率は「釜石の奇跡」と呼ばれる。
 釜石市では「地震即避難」をモットーに、津波避難3原則「想定を信じるな」「状況を見て最善を尽くせ」「率先避難者たれ」を目標に掲げてきた。
 04年から市の防災・危機管理アドバイザーを務める群馬大の片田敏孝教授(災害社会工学)の指導に基づく。片田教授は「地震と違い津波は逃げれば必ず助かる。ハザードマップも信じるな」と訴え続けてきた。

saisei_0229_zu.jpg<体験を伝えて>
 大槌湾に面した釜石市鵜住居地区にある釜石東中は、欠席した1人を除き生徒216人が無事だった。生徒たちは隣の鵜住居小の子どもたちの手を引いて、近くの老人福祉施設に避難。その場所も危険と判断し、さらに高台に逃げた。
 片田教授の教え通り、自ら率先して避難する「率先避難者」となり、その行動が周囲の大人の避難も促し、大勢の命を救った。
 昨年8月、東京都内で開かれた「東日本大震災から学ぶ-防災フェア2011」(内閣府など主催)で、釜石東中3年の川崎杏樹さん(15)はこう体験談を締めくくった。「私たちの経験を誰かに話してください。それが別な誰かの命を救うかもしれないから」
 災害大国ニッポンでは、自然の猛威を封じ込めるのではなく、被害を最小限にする「減災」が基本思想だ。河北新報社の提言は「高台移住や多重防御でも、命を守るためには教育と訓練が大前提となる」と指摘している。
(東北再生取材班)=第3部は3月下旬に掲載

写真:津波に備え、住民が整備した避難路が「命の道」となり、角力浜地区の大勢の命を救った=14日、宮古市

(2012/02/29)