河北新報社

(1)極限の自治体/役場機能不全、救いの手/応援職員次々現地に

0324_01.jpg<仲間40人失う>
 「あの日」を境にうまく泣けなくなった。再び巡ってきた3月11日、岩手県大槌町の総務部長兼総務課長平野公三さん(55)は、東日本大震災の巨大津波に直撃された旧町役場前で黙とうをささげていた。
 震災後に就任した碇川豊町長が、当時の加藤宏暉町長ら死亡・行方不明となった職員40人の名前を一人一人読み上げ、哀悼の意を表した。
 平野さんは「目の前で大勢の同僚が波にのまれた。それなのに涙が一滴も出なかった」と打ち明ける。人間の感情で対処できる範囲を超えていた。この日も涙は出なかった。普通の感情はもう戻らない、とも思う。

 人口約1万5000人の大槌町では803人が死亡、479人が依然行方不明となっている。町役場も津波にのみ込まれ、全職員140人のうち約3割を失った。
 課長は11人のうち7人が犠牲となり、残った4人のうち3人が定年退職。幹部を一度に失い、総務課ナンバー2の主幹だった平野さんが総務課長を経て6月、町長職務代理者に抜てきされた。
 8月に碇川町長が就任して職務代理者兼務を解かれ、機構改革で昨年11月から総務部長を兼務している。平野さんの肩書の変遷は町役場の機能不全、混乱、再起の道のりと重なる。
 死亡届の受け付け、火葬の手配、救援物資受け入れ、避難所の運営...。生き残った職員の多くは親や子どもを亡くし、極度のストレスを抱えながら大槌小校庭の仮設役場で業務に当たった。
 災害義援金と被災者生活再建支援金の支給申請受け付けは当初、受付人数を1日100人に限定せざるを得なかった。事務処理能力は限界に達していた。

<感謝し切れぬ>
 「何でも言ってください。何でもやります」。大槌町には、全国の自治体から支援の申し出が殺到した。
 「役場として頑張れる限度を超えていた。応援職員がいなければ、町は死に体のままだった」と平野さん。応援に駆け付けてくれた自治体職員の500人分を超す名刺の束を「命をつないでくれた。感謝してもし切れない」と大事そうに抱えた。
 大阪府箕面市から応援に来た林直子さん(40)は町民課で働き、直接住民に接している。関西弁の女性に気付いた住民から「遠くからありがとう」と声を掛けられる場面も増えた。3月末で3カ月の任期を終えるが、町の再起を気に掛ける日々が続きそうだという。

<「足向けるな」>
 575人が死亡、340人が行方不明となった宮城県女川町も、町役場が津波で水没した。震災後、総務課長の阿部一正さん(59)が若手職員に繰り返してきた口癖が「群馬に足を向けて寝るな」だった。
 罹災(りさい)証明や被災証明を求める町民で仮設役場の窓口は4月に入っても殺気立っていた。いら立つ町民の矢面に立ってくれたのが群馬県の自治体職員だった。
 群馬県は4月から8月まで、20陣に分け12市14町7村の計264人の職員を派遣。阿部さんは「同じ被災者でもある町職員だけで窓口業務に当たっていたら、冷静な対応ができなかったかもしれない。この恩は一生忘れない」と話す。
 阿部さんの机の引き出しにはいま、8都県の自治体職員427人の名刺が束ねられている。阿部さんの口癖は最近「全国に足を向けるな」に変わった。

0324_02.jpg 東日本大震災から1年が過ぎた。その間、復旧・復興の最前線に立つ被災地の自治体職員は、悪戦苦闘の連続だった。救いの手を差し伸べたのは、全国の自治体から駆け付けた職員だ。総務省のまとめでは、被災地に派遣された職員数は1月時点で1300を超す自治体の約7万9100人。かつてないスケールで地域間連携が広がった。
 河北新報社の提言「新たな『共助』の仕組みづくり」は、各自治体が支援を担当する被災市町村を特定して職員派遣などに取り組む自治体相互支援(ペアリング)の制度化や、東北域内での後方支援拠点の整備を打ち出した。大きな注目を浴びた災害ボランティア活動を機動的、効果的に進めるためのボランティアコーディネートの重要性も指摘している。
 大震災を機に生まれた「助け合いの力」をどう深化させていけばいいのか。自治体相互支援と災害ボランティアの現場で考えた。
(東北再生取材班)
=第3部は8回続き

写真:津波で全壊した大槌町の旧役場前で手を合わせる箕面市職員。月命日のほかにも、黙とうに訪れる応援職員の姿が見られる=6日

 

(2012/03/24)