河北新報社

(4)域内の「自助」/後方支援体制、深化が不可欠

0327_01.jpg<14分後の決断>
 東北の太平洋沿岸が壊滅的被害を受けた東日本大震災では、登米市、山形市、郡山市など内陸部の自治体が被災地支援の拠点を担った。
 遠野市は、釜石など沿岸6市町が半径50キロ圏内にある地理的条件を生かし、後方支援のモデルとなった。
 「尋常ではない揺れから『津波が来る』と直感した。日没までが最初の勝負だと思った」
 遠野市の本田敏秋市長は地震発生から14分後の3月11日午後3時、沿岸部の後方支援拠点として市総合運動公園の開放を決定。照明設備や発電機を設置し、自衛隊や警察、消防、医療チームなどの到着に備えた。
 夜までに自衛隊約1800人が集結。岩手、秋田両県警も到着し、沿岸部に向かった。初動時に運動公園に集結した人数は20日時点で3500人に達した。
 12日から市民総出で炊き出しをし、震災から50日間で被災地に送ったおにぎりは支援物資も含め14万個に上る。ペットボトルの水は10万6000本(2リットル入り)、食料11万箱、燃料3500缶(18リットル入り)、コメ3.8トンを届けた。
 市内に拠点を構えた被災地支援の団体・企業は266に上る。
 本田市長は元岩手県職員で、県消防防災課長の時、阪神大震災が起きた。兵庫県での現地調査を踏まえ、すぐに4000ページに及ぶ県防災計画の全面見直しに着手した。
 過去の文献から「岩手で起きる最悪の災害は津波だ」と、その破壊力を再認識。同時に地理的・歴史的関係から郷里の遠野市が、沿岸部に対し「扇の要」の役割を果たせることに気付いた。
 「地の利を県全体の防災に生かさない手はない」。市長就任後の2007年と08年、津波を想定した大規模訓練を市民総出で行った。2度の訓練が「迅速な初期対応に生かされた」という。

<物資続々集結>
 山形県は、全域が宮城県を後方支援する拠点と化した。
 震災当日には、職員2人を宮城県庁に派遣。全国から駆け付けた自治体職員の取りまとめ役を担った。天童市の県総合運動公園メーンアリーナを開放、国内外から続々と集まる支援物資の集積拠点となった。
 昨年7月、全国に先駆け宮城県のがれきを受け入れた。岩手、宮城両県のがれきを受け入れているのは他に青森、東京の2都県にとどまる。山形県の吉村美栄子知事は「宮城は山形にとって親戚同然。がれきの山を見て、動かないわけにはいかない」と、進まぬ広域処理に心を痛める。
 がれきの他にもバキュームカー約5000台分のし尿を処理。遺体の火葬は約1100体と、被災地以外で唯一1000体を超した。
 宮城県の村井嘉浩知事は「復旧・復興に必要不可欠な支援に初動から率先して取り組んでくれた。山形で万が一、災害が起きた時は宮城が一番汗をかく」と感謝する。

0327_02.jpg<協定見直しも>
 山形県の支援は東北と北海道、新潟の8道県が結ぶ「大規模災害時の8道県相互応援に関する協定」が基本だが、課題も見えてきた。
 吉村、村井両知事は、協定が想定する大規模災害を「(15人が死亡した)新潟県中越沖地震クラス」とみなし、より広域の災害に備えた協定の見直し作業が今後必要になるとの認識で一致する。
 河北新報社の提言は「東北各県は隣接県と結んでいる防災協定をより深化させ、まずは『自助』で対応する力を備える」ことの必要性を指摘している。「東北域内自助」に万全を期すことは自治体相互支援(ペアリング)の前提でもある。

写真:がれきを分別した木くずが気仙沼市から山形県内に運ばれた。放射線量を測定し、安全を確かめた上で搬入している=15日、村山市のやまがたグリーンリサイクル

(2012/03/27)