河北新報社

(1)崩壊の現場/医師不足、被災地で加速/復旧長期化、続く難局

0425_01.jpg<混み合う仮設>
 看護師が擦れ違うのがやっとの狭い廊下のベンチで、お年寄り約20人が静かに診察の順番を待っていた。平日の午前10時すぎ、岩手県立大槌病院の仮設診療所が、外来患者で最も混み合う時間帯を迎えた。
 1年を経て、落ち着きを取り戻した大槌病院だが、「3.11」のあの日、津波が押し寄せた大槌川河口に近い建物は3階建ての2階までが浸水した。
 いったん屋上に避難し、3階で一夜を明かした入院患者53人は翌日、高台の大槌高に設けられた救護所に一時避難。「町外の安全な病院に振り分けるのに、さらに3日間かかった」と岩田千尋院長(65)は振り返る。
 仮設診療所は、浸水を免れた集会所を経て、昨年6月下旬にようやく河口から3キロ上流の民有地にたどり着いた。コンテナをつなげたタイプの簡易施設で、内科医4人が常勤し、外科などは応援医師が診療している。1日約90人の患者が訪れる。
 大槌病院は2009年度まで121の病床を擁していたが、外科医がいなくなったことから10年に61床を休止した。
60床を当時は3人で受け持ち「過重労働で全員が逃げ出してもおかしくない状況」(岩田院長)だったが、震災で一気に病床を失った。医療環境のあまりの激変に地域の住民は声を失う。

<常勤医が離職>
 震災で地域の基幹病院の役割はますます大きくなっている。釜石医療圏(釜石市、大槌町)では、大槌病院をはじめ多くの病院や民間診療所が被災した。
 医療圏で最多の272床を有する県立釜石病院は11年度、それまで多くても1500件程度だった救急搬送受け入れが1800件を超した。
 ただ、常勤医は19人しかいない。内陸部の同規模病院ならその2~3倍が当たり前だ。これまで、専門の診療科以外の急患にも適切に対応できる病院総合医の育成に力を入れてきたおかげで、難局を乗り越えられたという。
 遠藤秀彦院長(59)は「少ない医師でやりくりできたのは、病院総合医を育ててきたから。地域医療の最前線に立つ総合医の養成が急務だと確信している」と話す。
 浸水で機能停止した石巻市立病院。旧北上川河口にそびえ立つタイル張りの威容が、津波で全てを失った被災地にあって違和感さえ覚えさせる。解体が決まり、3年後の15年度にJR石巻駅前に再建される。
 市中心部のビルに間借りした事務所で、伊勢秀雄院長(62)は「仮設住宅暮らしの長期化が住民の健康に及ぼす影響は計り知れない。被災地では、検診の受診率も低下している」と危惧する。
 再建後は206床から180床に減ることが決まっている。新病院には常勤医が約20人は必要とされるが、現在は伊勢院長と、5月に開設される仮診療所の所長の2人しかいない。
 震災前26人いた常勤医はこの1年間で一人また一人と市内外の他の病院へ去っていった。地方には、医師を求める病院がいくらでもある。

<原発事故に拍車>
 福島県浜通り地方では原発事故が医師不足に拍車を掛けた。
 福島第1原発から23キロ離れ、避難指示解除準備区域の外側にある南相馬市立総合病院(230床)はことし2月、常勤医30人の公募に踏み切り、全国の医療関係者を驚かせた。地方病院が一度に30人も大量公募するのは異例だ。
 震災後、4人にまで減った常勤医は現在、14人にまで回復した。しかし、金沢幸夫院長(58)は「同規模病院であれば、全国平均で40~50人常勤している。地方でもそれぐらい医師の負担を軽減していかなければならないとのメッセージを込めた」と打ち明ける。
   ◇
0425_02.jpg 東日本大震災は、東北の医療現場の崩壊をあらためて浮き彫りにした。とりわけ岩手、宮城、福島の被災3県の医師不足は深刻で「震災によって医療崩壊が10~20年早まった」とも言われる。
 河北新報社の提言「地域の医療を担う人材育成」は、仙台に臨床重視の大学医学部を新設し、医師の地域偏在や診療科偏在を解消するアイデアを提示した。併せて地域医療のモデルとなる地域包括ケア体制の確立や、医療関連産業の集積の必要性も指摘している。
 医学部新設の是非をめぐる対立の構図をつぶさに検証しながら、その実現と地域医療再生に向けた処方箋を模索した。(東北再生取材班)=第4部は8回続き

写真:被災したお年寄りで混み合う仮設診療所。医師不足の解消なしに地域医療の再生はあり得ない=17日、岩手県大槌町

(2012/04/25)