河北新報社

(1)震災の語り部/体験者の言葉、重く響く/ツアー殺到、対応急務

20120916_01.jpg<思い胸に活動>
 「震災の記憶が急速に風化していないか」
 「支援してくれた全国の人たちに謝意と震災の教訓を伝えたい」
 さまざまな感情を胸に、被災体験を伝えるガイド役「語り部」の活動が被災地で芽生えている。
 津波被害が大きかった東松島市宮戸の門馬満江さん(62)もその一人。観光ボランティアガイドの経験を生かし今年4月、ツアーバスに同乗して被災地を案内する語り部を始めた。
 8月末には復興応援ツアーの事前研修に訪れた神奈川県小田原市のバスガイド8人を案内した。津波に直撃され、いまも一部不通になっているJR仙石線の野蒜駅をバスでスタートし、壊滅的被害を受けた東松島市野蒜や宮戸島周辺を巡った。

 ベテランのバスガイド鈴木ヨシ子さん(57)は「震災を実体験した人の言葉は重い。胸が締め付けられる思いで一言一言メモした」と言う。
 門馬さんは、夫婦で経営していた宮戸島の民宿を津波が襲い、夫と無我夢中で高台に逃げ延びた。不自由な避難所暮らしは3カ月に及んだ。
 約1時間の事前研修を、門馬さんは「一瞬にして何もかも失った。でも命さえあればやり直せる。命の大切さを伝えてほしい」と締めくくった。

<連日フル稼働>
 奥松島観光ボランティアガイドの会(会員13人)で、語り部を務めているのは4人だけだ。「涙、涙の1年だった」と振り返る門馬さんも、震災のつらい体験を人前で話せるようになるまで1年かかったという。
 全国各地から殺到する被災地ガイドの要請を断り続けるのは心苦しいと、近く2人が語り部の仲間入りをする予定。それでも11月中旬まで予約は満杯だ。
 自治体や企業の危機管理担当者による視察、研修旅行などが増える中、宮城県は語り部養成講座を7月に開講した。ただ、語り部の人数は限られており、現状では県が案内窓口を通じて語り部を紹介できるのは団体客向けだけで「個人のツアー客までは手が回らない」(観光課)という。
 宮城県内で最も多い25人の語り部が登録されている石巻観光ボランティア協会でも「議員、消防団、町内会など視察ニーズが多様化しており、語り部は連日、フル稼働だ」と話す。
 同協会長の斎藤敏子さん(70)は「被災地ツアーを物見遊山に終わらせないためにも語り部の養成が急務だ。被災地ごとにばらばらな語り部たちが情報交換できる場があればガイドの質も高まる」と訴える。
 語り部養成に力を入れる宮城県観光課の樋口保課長補佐(41)は「月日がたつと震災を体験した人も少なくなってしまう。そのときどうしていくか」と先を見据えた取り組みも必要と説く。

20120916_02.jpg<次世代を育成>
 原爆が投下されてから67年が経過した広島市では本年度、被爆体験を伝承する次世代の語り部養成事業に着手した。市内に住む被爆者の平均年齢は76.9歳で、被爆体験を今後どう伝えていくかが課題になっている。
 松井一実広島市長は「被爆者の手記や映像も大事だが、口伝えで被爆の実相を語り継ぐ意義は大きい。東北の被災地でも正確な状況を知らせ、被災者の思いを共有してもらうため、語り部の活動は重要だ」と語る。
 1000年に1度の大震災を生き抜いた私たちには、次世代に震災を語り継ぐ責務がある。親から子へ、子から孫へ-。「命のバトン」を確実に引き継ぐためにも...。

   ◇
 東日本大震災から1年半が経過した。復興は思うに任せないが、被災地を訪れる人は後を絶たず、研修ツアーや教育旅行など多様なニーズが生まれている。震災で急拡大した交流人口を震災復興のエネルギーに転換できないか。
 河北新報社は提言「地域再生ビジターズ産業の創出」で、来訪者と被災地を結び付ける「東北再生ビジターズセンター」の創設を提案した。
 センターの役割は観光情報の集約のほかに、語り部養成、被災地に芽生えたコミュニティービジネス支援、学術データなどを集積するアーカイブ機能などが期待される。
 被災経験を世界へ発信するツールとして、地質遺産を公園として活用する「三陸ジオパーク構想」が実現すれば、地域再生ビジターズ産業の厚みはさらに増すはずだ。
 三陸復興を支えるビジターズ産業の可能性と展開に向けた課題を被災地で考えた。(東北再生取材班)=第8部は7回続き

写真:つらい記憶と闘いながら被害の様子を語る門馬さん(左端)。震災の記憶の風化防止と支援への感謝の気持ちが原動力になっている=8月28日、東松島市野蒜

(2012/09/16)