河北新報社

特集/再生への道筋 3人に聞く/進む風化、進まぬ復興

 東日本大震災からの復興と東北の新たな発展を目指し、河北新報社が「東北再生への提言」をまとめてから1年が経過した。復興の歩みは遅く、被災地には「風化」と「風評」、二つの風が渦を巻く。東北の未来図を描いた提言は、どこまで実現できたのか。河北新報社が設置した東北再生委員会委員の増田寛也元総務相(前岩手県知事)、政府の復興構想会議で検討部会長を務めた飯尾潤政策研究大学院大教授、村井嘉浩宮城県知事の3人に、提言の意義と再生を加速させるための手だてを語ってもらった。併せて、11項目の提言をめぐる被災地の動き、進行状況を検証した。


◎東北再生委員・元総務相 増田寛也さん/地域が連携、構想力発揮を

20130103_1.jpg 2012年は「復興元年」と言われたが、内心は「忘却元年」になりはしないかと心配していた。実際、東北以外では、大震災が過去の出来事になりつつある。河北新報社が提言を世に問う意義は、ここにあった。
 被災者の意識は多種多様で、徐々に意見の食い違いも表れている。多様な意見はあって当然だが、復興の大きな方向性は共有したい。3分野11項目の提言は、被災者の意識を共同化させる意味を持つ。
 国が復興政策を打ち出す上で不可欠な視点を網羅しているのも提言の特徴だろう。
 被災地の今を概観すると「人災」と表現せざるを得ないようなことが起きている。復興予算の流用問題は、その典型だ。この非常時に平時のルールを適用して復興のスピードを遅らせている。
 土地区画整理事業が始まった被災地では、関係者全員に立ち会いを求めて境界を画定させる作業が行われている。行政職員も不足しているときに、本当に現地立ち会いが必要だろうか。もっと簡便な方法を考え、一刻も早く次の事業へ進むようにすべきだ。
 震災から1年間は緊張感もあったが、今は、被災者を置き去りにしたまま空気ががらりと変わったように感じられる。言い換えれば、震災復興という大事業が内向きになり、東北、あるいは被災3県の問題に矮小(わいしょう)化されている。
 提言は「世界に開かれた復興」を提唱したが、現状はそうなっていない。あらためて世界スケールで復興を捉え直し、世界に復興の過程を示す努力が必要だ。
 被災地にも、あえて苦言を呈したい。もはや国が全部面倒を見てくれる時代ではない。東北が一体となって復興のビジョンを描き、内発的に目指すべき復興を推し進め、世界へとアピールしてほしい。
 例えば再生可能エネルギー戦略。電気の固定価格買い取り制度の導入などで盛り上がっているが、東北には、行政、事業者、地域住民が強固に連携して大きな渦を形づくるような力強さ、構想力が欠けている。
 福島第1原発の事故を抱える福島県は、岩手、宮城両県と被災の質も復興のプロセスも異なる。
 福島県で復興庁が十分な役割を果たせていないのは、能力ややる気の問題ではなく、役割分担を間違っているためだ。民主党政権では、復興担当と原発事故担当の2人の大臣が張り付いていた。窓口が一本化されず、現場は混乱した。
 県内を区分し、地域ごとにきめ細かい支援策を取ることを提案したい。被災者は、憲法で保障された居住選択の自由さえ侵害されている。現実に即して被災者ニーズを長期にわたってすくい上げる仕組みづくりを提示しなければならない。

<ますだ・ひろや>1951年、東京都生まれ。東大卒。旧建設省を経て95年から岩手県知事を3期12年。2007年8月から08年9月まで総務相。現在、野村総合研究所顧問。12年11月からは国の社会保障制度改革国民会議委員も務める。


◎政策研究大学院大教授 飯尾潤さん/最先端の産業、確立が必要

20130103_2.jpg 政府が2011年4月に設置した東日本大震災復興構想会議の検討部会長を務め、議長の五百旗頭真氏(熊本県立大理事長)、議長代理の御厨貴氏(放送大教授)と連絡を取りながら復興に向けての議論を進めた。
 当時、政府中枢部は福島第1原発の事故処理に掛かりっきりで、被災地復興は構想会議に丸投げだった。結果として、それは良いことだったのではないか。復興が政争の具にされずに済み、検討部会のメンバーや関係省庁と現実的な可能性を追求することができた。
 議論に当たり、大原則を立てた。震災は既に起きてしまっている。理想論ばかりで時間がかかっては駄目だ。津波被災地の高台移転など、確実にできるところから始めようと決めた。
 このため、構想会議が「復興への提言」をまとめた6月までに、議論を詰め切れなかったテーマもあった。
 新産業の育成、福祉社会の実現など、被災地の将来を見据えた課題がそれに当たる。提言では課題として項目を出すだけにとどめたが、その後取り組みが進んでいない。
 復興政策は被災地からの要望がベースとなるため、どうしても現状維持型の政策が中心。例えば補助金によって水産加工場を高度化できるが、そこでどんな商売をするのか見えてこない。
 被災地は、人口減で活力が低下した将来の日本の縮図だ。だからこそ、現在の日本の平均を超える水準になってもらいたい。逆境をばねに、日本の最先端を行く産業の確立が求められる。
 地域包括ケア体制の整備など、福祉社会構築の取り組みもまだまだ。被災地には、少数だが最先端の事例も見られる。しかし、それをシステムにする力が弱い。被災自治体が事務に忙殺され、将来像を描けていない。
 河北新報社の提言にもあるように、1次産業や福祉はビジネスチャンスでもある。知恵は常に現場から出てくる。支援する側と支援される側が、共に学ぶ。そんな意識がもっと高まるといい。
 復興には幾つも山が連なる。先行地域が壁にぶつかることもあれば、その解決の鍵が後進地域から見つかる可能性もある。粘り強い取り組みなしに、本当の復興はない。
 民主党政権に欠けていたのは、苦しい時も頑張れる、あるいは勇気を出せるような分かりやすい言葉で復興を語るリーダーシップだった。
 被災地は、必死になってぎりぎりのところで復興に取り組んでいる。政権奪還した自民党に求められるのは、被災地主導の復興を後押しし、黒子となって支える姿勢だ。
 次々に生じる問題を一つ一つ順番に、丁寧に解く。その際に、政治的なメッセージを発して被災者を安心させる。そういう新政権であってほしいと願う。

<いいお・じゅん>1962年、神戸市生まれ。東大大学院博士課程修了。埼玉大助教授などを経て2000年から政策研究大学院大教授。専門は現代日本政治論。東日本大震災復興構想会議検討部会長を務めた後、復興庁復興推進委員会委員。


◎宮城県知事 村井嘉浩さん/「共同体」実現、次への備えに

20130103_3.jpg 東日本大震災の風化が進んでいる。衆院選でその思いを強くした。どの政党も「復興が重要だ」と異口同音に叫んだが、「何をすべきか」への言及は少なかった。
 被災地を一歩離れると「宮城県は復興が進んでいるでしょう」と言われる。空港や港湾などインフラ関係は震災前の水準に戻ったが、復興に欠かせないマンパワーや資機材は依然不足している。
 「県外から建設業者を連れてくればいい」と思われがちだが、被災地では宿泊先も資機材を置く場所も足りない。人件費や資材費が高騰し、復興の足かせになっている。
 県外メディアの関心が薄まってきており、被災地の正確な情報が全国に伝わらないジレンマを抱えている。情報発信の重要性を痛感している。
 こうした中、河北新報社が打ち出した提言はとても時宜を得ていた。県の復興計画と重なる部分が多く、被災者に寄り添う地元メディアの応援は心強い。
 水産業では「多様な協業化」、農業では「地域営農の推進」をうたった。県が提案した「水産業復興特区」も協業化の一形態だ。ポイントは民間資本の活用にある。特区がゴールではなく、単なる復旧にとどまらない復興を目指す点で方向性は一致している。
 連載「東北再生 あすへの針路」で「東北の連帯感が見られない」という指摘があった。東北6県知事が震災があった2011年、一堂に会したのは記事の通り定例会の1度だけだ。しかし、連帯感は公式会合の数だけで決まるものではない。
 課題を挙げれば、今は6県知事の信頼関係が築かれているが、仮に別の知事が誕生し、そうでなくなった場合どうするかだろう。提言の「東北再生共同体」的な仕組みが必要になる。東北が連帯するシステムがあれば「次の災害」への備えにもなる。
 「永田町には魔物がすむ」と言われる。大震災という国難にあって、政治家は政局に明け暮れていた。それは国会議員が悪いからなのか。むしろ国会議員が国防や外交、通貨など大きな仕事に集中できる仕組みがないからではないか。新政権には、道州制を強力に推進することを願う。
 大震災では地球規模で支援を受けた。県の復興計画で強調したように「安全なまちづくり」「主役は県民」「単なる復旧ではなく再構築」「現代社会の課題を解決する新たなモデル」を確立し、素晴らしい宮城、東北をつくることで恩返しをしたい。
 前例のない取り組みには批判がつきものだ。ただ、批判を恐れていては何もできない。果敢にチャレンジし、他の地域で大規模災害が起きた際に「大震災から短期間で大きな飛躍を遂げた宮城に学べ」と参考にされる復興を必ず成し遂げる。

<むらい・よしひろ>1960年、大阪府生まれ。防衛大卒。陸上自衛隊を経て松下政経塾に入塾。宮城県議3期目の2005年、宮城県知事選に出馬し初当選。現在2期目。政府の東日本大震災復興構想会議委員を務めた。

(2013/01/04)