河北新報社

特集/つながり、次への備え/自治体相互支援の制度化

 東日本大震災を乗り越え、「共助」の仕組みづくりや自治体による相互支援が、各地で始まっている。被災した浜で、若者たちとともに集落再生に挑むボランティア組織。日々の交流を災害支援に生かそうと手を携える市町村。災後の東北に芽生えた人と人、地域と地域の新たな結び付きを紹介する。

◎集落の存続目指す/外からの風、復興の力に/ピースボート災害ボランティアセンター・山元崇央さんに聞く

20130802_t01.jpg 量から質へ、被災地の支援ニーズは時々刻々と変化している。最大の被災地・石巻市では、支援する側とされる側が対等な関係を築く試みが始まった。「ピースボート災害ボランティアセンター」スタッフの山元崇央さんに聞いた。

 -震災発生から2年5カ月。ボランティアの数が減っています。
<減らぬニーズ>
 「確かに、がれきの撤去が一段落して表明的に街はきれいになったし、被災者は落ち着きを取り戻しつつある。だが、ボランティアの役割が終わったわけではない」
 「地元ニーズとマンパワーがかみ合わず、コーディネートする組織が新しい取り組みを提示できないでいるのが原因ではないか。被災した土地や人々への関心が薄れてきたことも大きい」

20130802_zu01.jpg -被災地の現状をどう捉えていますか。
 「漁業集落が抱える人口流出、高齢化、後継者不足などの問題は、震災前からあった。それが震災で加速している」
 「漁業者の多くは一日も早く自立したいと願っているが、流失した資材を一からそろえる作業と、日々の生計を立てる作業を同時に進めなければならない。二重の労働が求められている」

 -そこで打ち出したのが「イマ、ココ プロジェクト」ですね。
<双方責任負う>
 「漁民が食事と宿泊場所を提供するのと引き換えに、ボランティアは労働力を提供する。プロジェクト事務局は、支援する側、される側の双方から事務経費をいただき、両者をマッチングする。3者がそれぞれに責任を負う仕組みだ」
 「無償の労働力を無制限に提供するスタイルのボランティアは、いつか役割を終える。そのとき、被災した地域は存続していけるのか、もう一度ボランティアを被災地に呼び戻せないか、と考える中からプロジェクトが生まれた」

 -プロジェクトが目指すものとは何ですか。
 「被災した浜には、海と向き合って黙々と働く漁民の姿や、コミュニティーの強い結束がある。誤解を恐れずに言えば、外から来た若者が都会では経験できない仕事に打ち込むことは、震災支援以上に大切なことなのではないか」
 「参加者の中から、ここに移り住みたいという人が現れたり、被災地の人と一緒に新しい事業を興せたりしたら楽しい。地元で生きてきた人たちと、外から入り込む風が交ざり合うことで、元に戻すだけの復興ではなく、新しい地域をつくる復興を目指したい」

 -ピースボートは災害ボランティアの養成にも取り組んでいます。
 「全国各地で入門講座を開き、災害ボランティア検定やリーダー養成トレーニングを実施している。今後もどこかで起こり得る災害に備えるには、理論と実践を身に付けた人が全国各地にいることが大切だ」
 「2015年には、非政府組織(NGO)も参加して仙台で国連防災世界会議が開かれる。震災を教訓として災害に備えたボランティアのネットワーク化を、被災地から世界に提言したい」

<やまもと・たかお>1975年、札幌市生まれ。札幌学院大卒。NGO「ピースボート」で寄港先プログラムのコーディネートを担当。2012年6月、「ピースボートセンターいしのまき」の開設とともに現地スタッフに就任。

◎進む地域連携/短所補い、平時も交流

 震災でいち早く被災地に駆け付け、手厚い支援を展開したのは、平時に姉妹・友好都市の結び付きを構築していた市町村だった。国も自治体同士による「共助」の有効性に着目。モデル事業化に乗り出した。

 国土交通省が本年度、初めて実施した「広域的地域間共助推進事業」には、全国から22件の応募があり、うち11件が採択された(図表参照)。
 「黒潮ネットワーク」には、被災地から全国有数のカツオ水揚げ基地の気仙沼市が参加。カツオを共通の地域資源とする全国15自治体、南北2200キロを結ぶ超広域の地域間連携に取り組む。
 伊達市と新潟県見附市、福島県富岡町・川内村と埼玉県杉戸町の連携は、ともに被災地支援で培った交流が端緒だ。
 モデル事業は「県境をまたいだ連携」が採択の条件。参加地域が同時に被災するリスクを低く抑えるとともに、都市と農村といった相互の地域特性を生かして短所を補完し合う関係を目指す。
 災害支援と交流を「車の両輪」としている点も特徴の一つだ。震災後に急増している自治体間の災害時応援協定の締結について国交省は「協定だけで緊密な連携を持続するのは容易でない。平時の交流があってこそ、息の合った支援ができる」と説明する。
 来年3月にはモデル事業地域による報告会を開く予定だ。国交省広域制度企画室は「モデル事業への反響は大きかった。地域間共助の取り組みは今後も拡大していくだろう」と話す。

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◎問われる「受援力」/マニュアル策定急務/自助の限界、災前に確認

 震災直後の被災市町村では、行政が機能不全に陥り、支援自治体との連携に課題を残した。こうした事態を繰り返さないよう、災害発生時、円滑な支援受け入れを目的とした「受援計画」の早期策定が求められている。

20130802_t02.jpg 「各市町村で決定権を握る部署がばらばら」「支援受け入れの窓口が不明確」「具体的な指示がなく、自分たちで手薄な業務を探すことから始めざるを得なかった」
 阪神大震災(1995年)で培ったノウハウを提供しようと神戸市は、震災発生から半年間で職員約1800人を現地に派遣。送り込まれた職員の活動報告書は、混乱を極める被災自治体の実態を克明に記録していた。
 状況認識は支援を受けた側も同じだ。
 宮城県南三陸町の佐藤仁町長は「災害対応に追われる役場が、応援職員に業務を割り振るのは難しかった」と述懐。震災時の初動対応を検証した宮城県も「今後、受援システムの構築が求められる」と総括している。
 東日本大震災を教訓に政府の中央防災会議は2012年7月、受援計画を地域防災計画の中に位置付けるよう提言した。
 これに素早く反応したのは、やはり神戸市だった。二つの大震災で蓄積した支援する側とされる側双方の経験を踏まえ市は13年3月、全国に先駆けて受援計画を策定した。
 具体的には、災害緊急業務を建物被災確認、避難所運営、廃棄物収集など118に分類。それぞれの支援受け入れ手順をマニュアル化した。
 だが、受援計画を「策定済み」の市区は全国で13市にとどまっているのが現状だ。「策定作業中」(24市区)「策定予定」(12市)を含めても全国810市区の1割に満たない。
 神戸市受援計画策定委員会オブザーバーの桜井誠一さん(63)は「地域防災計画には災害時に成すべきことは書いてあるが、本当にできるのかという検証がなかった。受援計画を策定する過程で、自助の限界を確認できる」と指摘する。
 加えて「計画を公表しておけば、災害時に支援を求める側が何を欲しているのか、瞬時に把握できるメリットもある」と強調している。

写真:大型バスで駆け付けた神戸市の応援職員=2011年3月15日、仙台市青葉区

◎コーディネート組織/窓口一本化、配慮が裏目に

 今回の震災では、泥のかき出しなど多様な支援ニーズがあるにもかかわらず、ボランティアのマンパワーを十分に生かし切ることができなかった。どうしてこんなことになってしまったのか-。

20130802_t03.jpg 被災市町村は震災直後、地元の社会福祉協議会(社協)に「災害ボランティアセンター」を開設。支援の受け入れ窓口を一本化した。全国から集まったボランティアをコーディネートする組織がなかったために現場が混乱した阪神大震災を教訓にして講じた措置だ。
 この判断が、東日本大震災では裏目に出た。
 ボランティア志願の最初のピークは、震災から2カ月しかたっていない5月の大型連休だった。各地のセンターは、二次災害の危険性や現場の混乱を最小限にとどめようとするあまり、ボランティア受け入れを過剰に制限してしまった。
 これをきっかけに「受け入れ態勢が整うまで現地に入らない方がいい」という受け止め方が拡散、定着する。
 低調なボランティア活動は、統計上も明らかだ。全国社協によると、震災発生から1年間に被災3県が受け入れたボランティアは95万人。阪神大震災の138万人を大きく下回っている。

写真:泥をかき出すボランティア。被災地では支援ニーズとマンパワーのミスマッチが起きていた=2011年3月29日、石巻市

 東日本大震災を踏まえて河北新報社は2012年1月、「おこす」「むすぶ」「ひらく」を基本理念に3分野11項目から成る「東北再生への提言」を発表しました。復旧期から復興期へと差し掛かった被災地の現状と提言実現に向けた課題を掘り下げた特集を随時掲載します。

 

(2013/08/02)