河北新報社

特集/被災漁民の奮闘続く/多様な協業化を本格導入

 東日本大震災の大津波に襲われた浜で、被災した漁民たちの奮闘が続く。宮城県では、水産業再生の方向性をめぐる論争が漁民たちを翻弄(ほんろう)。それでも、協業化の進展が確かな成果を挙げつつある。手を携えて試練に立ち向かう三陸の沿岸漁業を紹介する。

◎対話欠く特区構想 生産・行政・消費、連携密に/松島湾漁師・赤間広志さんに聞く

20131003_01.jpg 震災から2年半余り、宮城県と宮城県漁協の対立がくすぶり続ける。発端となったのは、水産業の再生策として県が打ち出した「水産業復興特区」だ。無益な争いに異を唱え、独り被災漁民の支援に乗り出した「反骨の漁師」赤間広志さんに聞いた。

 -民間企業が出資する合同会社に9月、漁業権が付与されました。

<復興策後回し>
 「企業の参入を否定するつもりはないし、特区構想が沿岸漁業の将来に一石を投じたのも事実。それでも被災した漁民の心中を思えば、漁業権の開放には反対だ」  「被災漁民の意思を反映している提案とは言い難い。震災最大の被災者は沿岸漁民だ。県には、対話を通じて復興を考えるという最も大事な姿勢が欠けている」

 -特区構想が浜にもたらした影響は。
 「震災直後というタイミングでの提案は不適切だった。当時、浜は混乱の渦中にあった。動揺が重なれば反対の声が大きくなるのも当然だ」  
 「この2年半の間、特区の是非に明け暮れ、本当の意味での復興策の検討が後回しになってしまった。岩手に比べて宮城の浜は再生が遅れている。県も県漁協ももっと連携を密にすべきだ」

 -そういう思いを募らせた末の判断が、宮城海区漁業調整委員への立候補ですか。
 「漁民代表の公選委員は9人だが、長年、漁協による事前調整で無投票が続いていた。沿岸漁業の将来を真剣に話し合わなければならない大切な時期に、なれ合いで委員を決めるべきではない」
 「塩釜神社で出陣式を行い、近くのホテルで第一声もした。だが、ほかの立候補予定者が出馬を取りやめ、結局、無投票になった。漁業者同士で意見を述べ合う機会が失われてしまった」

 -委員になった海区委員会にも注文を付けています。
<県の自作自演>
 「漁業権の付与は知事の権限だが、その根幹を成す漁場計画案は海区委員会に諮問される。沿岸漁業の将来を見据えた話し合いを望んだが、実態はそうではなかった。漁場に詳しい漁民委員の意見が答申に反映されることは最後までなかった」
 「海区委員会は県行政から独立した機関であるはず。それにもかかわらず諮問と答申の両方を事務局の県水産振興課が作成している。事務局の自作自演に委員会が振り回されている」

 -被災漁民は自力で再生するしかない?
 「なりわいを立て直すには早期に収入を得るのが一番だ。ワカメなら秋に種苗を差し込み、翌春には収穫できる。被災した浜の依頼で技術指導に乗り出し、販路もあっせんした」
 「震災の年はノリ養殖に従事していた東松島市大曲浜の漁業者とワカメを生産。ことしは名取市閖上でも始める。アカガイ漁でにぎわっていた浜が資源を回復させるためにも海藻養殖は有効だ」

 -三陸の浜の将来をどう構想していますか。
 「浜で復興を手伝っているボランティアには漁業に関心を示す人も少なくない。こうした若者にこそ漁業権を開放したらどうか。意欲を持ち、成果を挙げている漁業者に学び、協業化を進めるべきだ」
 「燃油高騰、高齢化、後継者不足など漁業を取り巻く環境は震災前から厳しかった。震災後も福島第1原発事故の風評被害に苦しんでいる。県には漁協、流通業者、消費者が一緒に三陸漁業の未来図を語り合う場をつくってほしい」

<あかま・ひろし>1948年、塩釜市生まれ。宮城水産高卒。ワカメ、コンブ、アカモクなど海藻養殖業に従事。89年に水産物加工の「シーフーズあかま」を創業。昨年8月から宮城海区漁業調整委員。

[水産業復興特区]地元漁協にだけ認めてきた養殖業を営む権利(漁業権)を民間企業にも開放する仕組み。漁業権免許は従来、漁協に優先して付与してきたが、特区では「地元漁業者を7割以上含む法人」または「地元漁業者を7人以上含む法人」にも同等に付与できる。特区認定を受け、石巻市桃浦地区の漁業者と水産卸の仙台水産(仙台市)が「桃浦かき生産者合同会社」を設立し、9月に漁業権を獲得。宮城県漁協は「浜の分断を招く」と一貫して反対している。

◎チームで6次化/ネット通販に活路、大消費地から反響

 被災した浜で「新たな協業化」が始まっている。合言葉は「チームで6次化」。インターネット検索大手ヤフー(東京)の支援を受けた三陸ブランドの水産物が、首都圏などの大消費地に攻勢をかける。

20131003_02.jpg ヤフーは昨年7月、石巻市に復興ベースを開設。食品関連産業の復興を支援する一般社団法人「東の食の会」(東京)と共同で三陸フィッシャーマンズ・プロジェクトを始動させた。
 ネット通販「復興デパートメント」を運営するヤフーが、被災地の産品を消費者に売り込む。取扱商品は1200点以上。うち三陸フィッシャーマンズ・プロジェクト関連は60点に上る。
 復興ベースで商品開発や宣伝を担当する長谷川琢也さん(36)を驚かせたのは、事務所開設の直後から漁業者自身による売り込みが相次いだことだった。長谷川さんは「震災で販路を失った被災漁民がネット通販に活路を見いだそうとしている」と実感した。
20131003_03.jpg 漁業の場合、よほど大規模に協業化しないと生産、加工、流通を一手に担う6次産業化の達成は難しい。長谷川さんは「夜明け前から漁船を繰り出し、水揚げや出荷、さらには営業や市場調査を少人数でこなすのは困難」と話す。
 こうした実情を踏まえて発想したのが「チームで6次化」だ。漁業者と支援チームが分業で6次化を目指す。さらにITを活用すればマンパワーの不足も補えるという。
 ネット通販は大都市の消費者にも意識の変化をもたらした。例えば三陸特産のホヤ。新鮮なホヤを初めて食べた消費者の反響は大きかった。
 カキも、首都圏では12月に消費のピークを迎えるが、本当においしいのは春先だ。こうした情報をネット動画などで宣伝し、シーズンを通じて継続的な受注を実現した。
 ネット情報にトレーサビリティー(生産履歴)を付せば消費者の信頼も高まる。長谷川さんは「将来的には生産者と消費者が直接やりとりし、双方が納得して適正な価格を決める仕組みを構築したい」と語った。

<メモ>中小の漁業者が生産や加工、販売を共同で行う協業化の形態は(1)グループ化(2)生産組合(3)会社化-の3種に大別できる。国内における協業化は、震災まで西高東低の状態が続いていた。
 被災3県では震災後、津波で流失した漁具や漁船を共同で購入、使用する漁業者グループが多数誕生。国などの補助金を効率的に活用するため、漁協がグループ化を主導してきた。
 これに対し、漁業者主導で設立した生産組合は表の通り。さらに宮城では、合同会社1社、株式会社4社が発足している。
 宮城で協業化が加速している理由を県は「もともと宮城の沿岸部には自前施設を所有する漁業者が相当数いた。こうした人々が再起する上で協業化を選択したのではないか」と分析する。

写真:ヤフーのネット通販「復興デパートメント」のトップページ。旬の海産物が、生産者情報と一緒に紹介されている

◎漁場の状況/消失した藻場、復元の兆し

 大津波で三陸沿岸の漁場は、藻場や干潟が消失するなど甚大な被害に遭った。震災から2年半以上を経て魚介類の成育環境はどの程度回復したのか。独立行政法人水産総合研究センターが最新の調査結果を発表した。

 被災3県の水産資源と漁場の復元状況は地図の通り。
  多くの研究者が一様に懸念しているのが、海草の一種であるアマモの消失だ。アマモが群生する藻場は、葉に付着する微小な藻や甲殻類が稚魚の餌になり、小魚の産卵場やすみかになる。水質の浄化機能もあり、漁場再生の鍵を握る。
  各種調査によると、岩手の大槌湾奥では藻場が全滅。その影響でウニやアワビも減少している。宮城の松島湾も1300ヘクタールあったアマモ群生地の8割が消失した。
 三陸沿岸の全域が同様の傾向にあり、水産総合研究センターは「復元には相当な時間を要するだろう」と分析する。
 津波は生息する魚種にも不可解な変化をもたらした。岩手沿岸では昨夏、大型魚が好んで捕食するカタクチイワシの個体数が急増。一方、海底に生息する毛ガニの収穫量は大幅に減った。
 松島湾では昨年以降、ワタリガニの大量生息が確認された。地元漁師は「1980年代に放流したが、その後の水揚げは限りなくゼロに近かった。一体何が起きているのか」と突然の豊漁に首をかしげる。
 エゾアワビは岩手、宮城で稚貝が大量に死滅し、将来的に漁獲量の減少が避けられない見通しだ。採卵、ふ化施設が被災したサケも今後の不漁が懸念される。
 水産総合研究センター東北区水産研究所(塩釜市)の山崎誠専門員は「地盤沈下などで海底の地形や地質が変化した海域も多い。漁業再開には新たな漁具や漁獲方法の開発も求められる」と助言する。

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 東日本大震災を踏まえて河北新報社は2012年1月、「おこす」「むすぶ」「ひらく」を基本理念に3分野11項目から成る「東北再生への提言」を発表しました。復旧期から復興期へと差し掛かった被災地の現状と提言実現に向けた課題を掘り下げた特集を随時掲載します。

 

(2013/10/03)