河北新報社

第3部=提言・新たな「共助」の仕組みづくり

0324_01.jpg<仲間40人失う>
 「あの日」を境にうまく泣けなくなった。再び巡ってきた3月11日、岩手県大槌町の総務部長兼総務課長平野公三さん(55)は、東日本大震災の巨大津波に直撃された旧町役場前で黙とうをささげていた。
 震災後に就任した碇川豊町長が、当時の加藤宏暉町長ら死亡・行方不明となった職員40人の名前を一人一人読み上げ、哀悼の意を表した。
 平野さんは「目の前で大勢の同僚が波にのまれた。それなのに涙が一滴も出なかった」と打ち明ける。人間の感情で対処できる範囲を超えていた。この日も涙は出なかった。普通の感情はもう戻らない、とも思う。

(2012/03/24)


saisei0325_01.jpg<河村流の覚悟>
 東日本大震災では、自治体間で支援相手を固定するカウンターパートを組み、継続して被災地を支える「自治体相互支援(ペアリング)」の有効性が実証された。河北新報社の提言「新たな『共助』の仕組みづくり」では、各自治体はこの仕組みを制度化し、被災地支援力を高めて、災害への備えとしなければならないと訴える。

(2012/03/26)


0326_01.jpg<九州の端の町>
 被災地の行政機能をカバーするため集結したのは、名古屋市や関西広域連合のような大きな自治体の職員だけではなかった。小さな自治体の職員たちが自発的に駆け付け、即戦力となった例は枚挙にいとまがない。
 姉妹都市、友好都市など、震災前からの関係を足掛かりに、職員を送り込んだ自治体は多い。

(2012/03/26)


0327_01.jpg<14分後の決断>
 東北の太平洋沿岸が壊滅的被害を受けた東日本大震災では、登米市、山形市、郡山市など内陸部の自治体が被災地支援の拠点を担った。
 遠野市は、釜石など沿岸6市町が半径50キロ圏内にある地理的条件を生かし、後方支援のモデルとなった。
 「尋常ではない揺れから『津波が来る』と直感した。日没までが最初の勝負だと思った」

(2012/03/27)


0328_01.jpg<全国から電話>
 昨年4月、東松島市社会福祉協議会が開設した災害ボランティアセンターで、社協職員の千葉貴弘さん(41)は葛藤の毎日を送っていた。
 大型連休を前に、がれきの撤去や泥かきを志願するボランティアが急増。センターは一時、全国からの問い合わせ電話が鳴りやまなかった。

(2012/03/28)


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