あるもの探しの旅

  •  美味しいものって、私たちを幸せな気持ちにしてくれますよね。
  • ふだん私たちが何気なく口にしているもの。
  • それはどんな人が、いかなる風土のもとで、どんな思いで作っているのか。
  • そんなことを考えてみたことってありますか。
  •  自分の体に取り込むものだからこそ、もっと知りたい。
  • 大量生産品が持ち得ないモノたちが秘めた飛びっきりなストーリー。
  • どうやら東北に暮らす私の足元と、ハンドメイドな職人王国のイタリアには
  • そんな物語がたくさんあるようです。
  •  ご一緒に「あるもん探しの旅」にちょっと出てみませんか
  • 読んで美味しい知ってうれしいお話を、どうぞ召し上がれ。Buon appetito!

2019/02/11

4Kで蘇った絢爛たる歴史絵巻 〈前編〉

Il Gattopardo 山猫 4K修復版」上映によせて
ミラノ公国の礎を築いたヴィスコンティ家


 首都ローマに次ぐ国内では2番目にあたる130万の人口を擁する北イタリア最大の都市ミラノ。市内各所で新作の展示会やショーが行われる「ミラノファッションウィーク」、世界最大級の国際家具見本市「ミラノサローネ」など世界を牽引するデザイン分野をはじめ、商工業や金融の中心でもあります。

 (蛇足ながら)相互に商工業が栄え、長い歴史を有し、独自の文化を築いた都市同士という共通点から、大阪市とミラノ市は1981年に姉妹都市となっています。

donna_roiya-g.lombardi.jpg【Photo】゛G. Lombardi 1957〟のサインが入ったミラノのドゥオーモの尖塔群を描いた絵画。イタリア商船や進駐軍キャンプのコックから身を転じ、旧外国人居留地で1952年に創業した神戸で最も歴史あるイタリア料理店「ドンナロイヤ」創業者のジュゼッペ・ドンナロイヤが購入。阪神淡路大震災で被災し加納町に店舗を移転した現在も壁を飾る。伝統の味を伝える厨房を預かる渡辺シェフと接客担当のマダムと共に、時流に流されない店の変遷を見守ってきた

 インパクト重視な大阪のおばちゃんのヒョウ柄ファッションは、世界をリードするモード発信地の街を行き交うミラネーゼとは大きく違います。同じヒョウ柄使いでも神戸元町旧居留地近辺で目にするそれとは雲泥の差。...ま、姉妹都市の縁に免じ、細かいことは不問に付しましょう。

 その発祥は紀元前600年頃。アルプス以北からロンバルディア平原へと移住したケルト人によって築かれた居留地で〝平原の真ん中〟を意味するMediolanumという呼称が簡略化、Milanoとなったようです。

Milano_castello_sforzesco_natale.jpg【Photo】電飾がダンテ通りを彩るクリスマスシーズンのミラノ。14世紀半ばにミラノ僭主ガレアッツォ2世・ヴィスコンティが居城として着工し、ヴィスコンティ家の傭兵だったスフォルツァ家に権力の座が移って後に要塞化された「Castello Sforzesco スフォルツェスコ城」前のロータリーに建つ祖国統一を成し遂げた英雄ガリバルディ像

 第二次ポエニ戦争(BC219~BC201)直前に共和制ローマの支配下となってからは、アルプス越えの通商拠点として発展。フン族による破壊と再興を経て13世紀後半から15世紀中葉にかけて公国となった自治都市ミラノを統治する僭主を14代に渡って輩出した貴族がヴィスコンティ(Visconti)家です。

biscione-castello-sforza&alfaromeo.jpg【Photo】スフォルツェスコ城中庭壁面に残るヴィスコンティ家の紋章であるサラセン人を飲み込む大蛇「Biscioneビショーネ」とミラノ公国のシンボル聖ゲオルギウス赤十字が組み合わされた意匠はミラノ発祥の自動車メーカー「アルファロメオ」に受け継がれている

 家名は12世紀半ばに授かった副伯(vis-conte)に由来し、ラテン語でvice comitisは伯爵の代理人を意味するので、代官的な地位にあったことが推測されます。僭主(Signore シニョーレ)とは、王族の出ではなくとも行政権や裁判権を行使する座に就いた者を指し、覇権を競うコムーネ(都市国家)との闘いや他国との婚姻政策により権力を確固たるものとしました。

 580年の時を要して1965年に完成したミラノのシンボルといえる世界最大のゴシック建築ドゥオーモ下画像の建造に1386年に着手したのが、ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ(1351-1402)。

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 当時、ボヘミア・ドイツ・オーストリア・スイス・フランドル・イタリア北部・フランス東部までの広大な地域に領土を広げた神聖ローマ帝国皇帝から1395年にミラノ公の爵位を授かります。

 親兄弟間ですら骨肉相食み、ボルジア家の例を挙げるまでもなく権謀術数渦巻くこの時代。ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティは他の都市国家との戦いに明け暮れ、急速に領地を拡大。自らを〝カエサルの再来〟と称したほど権勢の絶頂期を迎えます。

Massima_espansione_Viscontea.jpg【Photo】ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティが版図を広げたミラノ公国最盛期の領地(1402年・グリーン)。現在はスイス領のクール司教領と神聖ローマ帝国邦領のトレント司教領(薄黄)、ヴェネツィア共和国(水色)、ジェノヴァ共和国(薄緑)、サヴォイア王国(青)やモンフェラート侯国(グレー)と境を接し、南はローマ法王領(黄)近くに及んだ。侵攻したピサ・シエナ・ボローニャを手中に収め、寡頭政下のフィレンツェ共和国を脅かしたが、ジャン・ガレアッツォがペストで没した後は縮小した

 ジャン・ガレアッツォの次男フィリッポ・マリーア・ヴィスコンティは直系の嫡子を残さずに没し、直系のミラノ公はそこで途絶えます。フィリッポ・マリーア庶出の娘ビアンカの夫として傭兵隊長フランチェスコ・スフォルツァが代わってミラノ公となって以降、フランス、スペイン、オーストリア、ナポレオン支配の時代を経てもミラノ屈指の名家の血筋は絶えることがありませんでした。

 ミラノ領主マッテオ1世(1250-1322)の弟ウベルトを始祖とする分家筋にあたる一族は、18世紀にミラノ郊外のVimodorone ヴィモドローネを侯爵領として獲得。イタリアに侵攻した皇帝ナポレオン・ボナパルト軍に兵站を提供した功績から1813年にモドローネ侯爵の爵位を与えられています。

guido visconti di modrone.jpg【Photo】1910年頃に撮影されたヴィスコンティ伯爵一家。(左から)長男グイード、父ジュゼッペ、長女アンナ、母カルラ、四男エドアルド、三男ルキーノ、次男ルイージ。当時の貴族は6歳ごろまで男児も女児のような恰好をしていた

 1898年、地方の歌劇場でのキャリアしかなかった弱冠31歳のトスカニーニをスカラ座の芸術監督に抜擢、20世紀前半を代表する世界的指揮者となるきっかけを作ったのは、繊維業で成功して財を成し、上院議員から身を転じて1898年からスカラ座の運営を任されたグイード・ヴィスコンティ・ディ・モドローネ伯爵(1838-1902)。

 その息子ジュゼッペ・ヴィスコンティ・ディ・モドローネ(1879-1941)は、ミラノを本拠地とする名門クラブ「F.C.インテルナツィオナーレ・ミラノ」の旗揚げを後押し、後に会長に就任するなどした起業家・慈善事業家で、超高級ホテルVilla d'Esteがあるコモ湖畔の街チェルノッビオで製薬会社を営むエルバ家の令嬢カルラと1900年に結ばれます。

 その三男として生まれたのが、映画監督、演劇・オペラなどの舞台芸術家として輝かしい足跡を残し、庄イタが畏敬の念を抱く巨匠ルキーノ・ヴィスコンティ・ディ・モドローネ(1906-1976)です。

Palazzo-Visconti-Milano.jpg【Photo】ルキーノ・ヴィスコンティの生家であるPalazzoBolagnosVisconti di Modroneは、ミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァの依頼により「最後の晩餐」を残したレオナルド・ダ・ヴィンチ像が立つスカラ座広場から徒歩10分。Cino del Duca 通りに面した正面入口からエレガントな曲線を描くリバティ様式の鉄製ゲートを入った中庭。1959年にルキーノの弟である四男エドアルドが不動産管理会社に売却したが、内部はヴィスコンティ家の人々が暮らした当時そのままに保たれている

 日曜日の午後、子供たちを伴って出かけたヴィスコンティ家専用の桟敷席(オーケストラボックス左側4番)があったスカラ座からほど近いCino del Duca通りに面して建つのが、PalazzoBolagnosVisconti di Modrone。17世紀初頭にジュゼッペ・ボラニョス伯爵の邸宅として建造され、幾度か所有者が変わった後、1840年からヴィスコンティ一族が暮らしました。

 モドローネ公ジュゼッペ・ヴィスコンティ伯爵は1907年から名家にふさわしい間取りと内外装の増改築に取り掛かります。

Palazzo-Visconti_modrone.jpg【Photo】現在は人手に渡ったPalazzoBolagnosVisconti di Modroneの床にモザイクが残るヴィスコンティ家の紋章Biscioneビショーネ。広くイスラム教徒を指すサラセン人を飲み込む大蛇を図柄としたことから、遠い祖先は十字軍に参加した騎士であったことが推測される

 中庭を有する三層の邸宅で最も印象的なのがバロック様式の凝った装飾が施されたボールルーム下画像。そこでは毎週のように映画「山猫」を地で行くような舞踏会や、演劇好きの伯爵が主宰する演劇鑑賞会、さらにはチェロの練習を登校前2時間の日課にしていたルキーノを含め、ヴィスコンティ家の子どもたちの楽器演奏会が催されていたのだといいます。

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 家族一人ごと専属で食事の世話をするメイドやウエイター、お抱えの料理人・服飾係・庭師ほか、広大な屋敷の窓の開閉専門の従僕など、常時20人は下らない使用人に囲まれた屋敷と夏と冬に過ごすコモ湖畔やイスキア島などに所有する別荘とを行き来する環境でルキーノは育ちしました。

ballo-bolagnos-1901.jpg【Photo】ルキーノが3歳になった1909年、PalazzoBolagnosVisconti di Modroneのボールルームで催された舞踏会の様子を収めた貴重な写真。映画の撮影当時、50代半ばに差し掛かっていたルキーノ・ヴィスコンティが、自己を作中の登場人物(サリーナ侯爵)に投影した唯一の映画といわれる「山猫」を見直すと、映画のクライマックスとなる舞踏会の華やかな雰囲気そのものであることに改めて気づかされる

 10代半ばを過ぎ、青年期に差し掛かると反骨精神が目覚めたのか、一度ならず家出を経験。この頃から芝居好きの父が旗揚げした劇団の手伝いで舞台に興味を持つ一方、1926年から兵役に就き、ピエモンテ州Scuola di Cavalleria di Pinerolo ピネローロ乗馬学校で騎兵訓練を受けた経験から情熱を注いだのが、ミラノ郊外サン・シーロに所有する厩舎「Scuderia Luchino Visconti」所属の合計20頭の競走馬の飼育。1942年に厩舎を手放すまで幾多のレースで勝利を重ねました。

luchino-cavallo.jpg【Photo】サンシーロ競馬場で開催されるイタリア春競馬の総決算Gran Premio di Milano(ミラノ大賞典)優勝馬となったSanzioサンツィオほか、1932年に出走した81レース中28勝の強さを誇ったのが、ルキーノ・ヴィスコンティ厩舎。サンツィオと若き日のルキーノ・ヴィスコンティ(写真右

 1936年、旅行先のパリで出入りしたサロンで詩人ジャン・コクトーやココ・シャネルらと知己を得ます。シャネルの紹介で映画監督ジャン・ルノワールの「トニ」を端緒に「ピクニック(原題:Une Partie de Campagne )」(1936)で助監督として参画したのが、天職となる映画人としての出発点となります。

 詩的な映像が秀逸なこの映画は、モーパッサンの短編小説「野遊び」を原作に、思想家ジョルジュ・バタイユの妻シルヴィア・バタイユ演じるヒロインが、婚約中に家族で出かけたピクニックで出逢った青年に感情の赴くまま惹かれてゆくというストーリー。

 道徳や理性では制御がきかない人間性の謳歌とでもいうべきルノアール作品から少なからず影響を受けたことは、後年ヴィスコンティが語っています。

 ルノアールから仏語訳版を託されたジェームズ・M・ケインの同名小説に着想を得た抗(あらが)いがたい男女の業(ごう)を描いた初監督作「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(1942)、搾取される貧しいシチリア漁民の悲哀への共感を滲ませた「揺れる大地」(1948)、南イタリアからミラノに移住した家族の崩壊を通して南北格差を浮き彫りにした「若者のすべて」(1960)までのネオレアリズモ的な作風からの転機となったのが、シチリア貴族の末裔ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサ晩年の著作を映画化した「Il Gattopardo 山猫」(1963)です。

 山猫は、ヴィスコンティ映画の中でも、庄イタが偏愛する作品のひとつゆえ「Principe di Salina サリーナ侯爵 ~ 山猫の世界を体感するピュアカシミアコート(2015.12拙稿参照)の中で詳しく取り上げています。

【Movie】ヴィスコンティとの共同作業を30年以上も携わったフランコ・マンニーノ(1924-2005)作曲の遺作「イノセント」のテーマ曲に乗せ、ヴィスコンティ本人、兄ルイジの息子ジャンマリア、姉アンナの娘メラルダといった血縁者に加え、助監督を務めた映画監督のフランコ・ゼフィレッリらが登場。名家に生まれ育った生い立ちが紹介されるほか、ミラノのドゥオーモ屋上でのシーンが印象的な「若者のすべて」ほか、「地獄に堕ちた勇者ども」「ベニスに死す」「ルートヴィヒ」などの映像を織り交ぜ、英語かつ約60分の長尺ながら興味深い内容

 生前から語り尽くされた感がある巨匠ヴィスコンティ、そして第16回カンヌ国際映画祭でパルム・ドール賞に輝いた山猫ではありますが、新たな発見が必ずや得られるはずの鮮明で精細な4K修復版が3月から日本国内では最後となる上映が行われることになりました。

 本稿〈後編〉のアップ前にアーカイブ・Dicembre 2015「Principe di Salina サリーナ侯爵 ~ 山猫の世界を体感するピュアカシミアコート」を再読され、バート・ランカスターの名演が光る山猫について予習・復習を怠りなきよう願います。

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投稿者 vam : 06:43 | カテゴリー : Libro e Cinema, Arti ,Musica 書籍と映画, 芸術, 音楽

2019/01/23

未体験食感チョコレート 

カカオ豆のルーツ・古代アステカ伝承
チョコラート・ディ・モディカ


 つい先日、NHK土曜朝の番組「チコちゃんに叱られる!」で衝撃的な再放送がありました。

Surprised_Monkey.jpg それは〝大人が年齢を重ねるにつれ、時間の流れを早く感じる理由は、生活にトキメキがなくなるから〟という内容。

 例えば、発見や驚きの連続だった幼児期から10代半ばを過ぎ、人生経験が増す19歳を過ぎる頃から、食事をするにしても、子どもの頃のような新鮮な喜びや感動を感じなくなり、時間の密度感が希薄になってゆくのだといいます。

 確かにその通りかも...。

 しかも昨年7月のオンエアということは、この半年間、生活態度を改めることなく無為に過ごしてきたということ。オー・マイ・ガーっ!!!!

zoolozy-gorilla.jpg【Photo】マウンテンゴリラチョコ(税込972円)。贈る相手が似ている場合は避けた方が賢明

 こと命と健康を支える食に関しては、食の都・庄内でキラ星のごとき匠たちとの得がたいご縁を頂いた2003年(平成15)以降、皿の中だけではなく、360°のパノラマビューの視野を持つよう心掛けてきたつもり。

 とはいえ時の流れが加速度的に早まっているのは紛れもない事実。胸に手を当てて思い起こせば、昨年12月12日、一昨年に続いて足を運んだ「神戸ルミナリエ」はつい先日のことのよう。

 クリスマス商戦で華やいでいた街は、一夜にしてお正月モードへと舞台転換。早いもので松の内が明けた現在はクリアランス & バレンタイン商戦に突入しています。

 この季節、百貨店で催されるチョコレートイベントに殺到する女性たちの熱気と迫力には圧倒されるものがあります。庄イタの場合、たまたま迷い込んでしまったランジェリー売り場の次に肩身が狭い思いをするかもしれません(笑)。

catalogi_st.valentino-departmentstore.jpg【Photo】バレンタイン商戦に向け、在阪の百貨店は趣向を凝らした取り扱い商品カタログを作成。大阪万博開催決定にあやかったか「チョコレート博覧会」と銘打つのが阪急百貨店梅田本店。300近いブランドを取り揃え、カタログというよりは、もはや分厚い読み物画像左下。各店ごと個性を打ち出してしのぎを削る

 昨年、女性を対象に実施されたアンケートでは、3/4近くがバレンタインデーにチョコレートを購入すると回答。うち自分用に購入するマイチョコが最多。以下義理チョコ、本命チョコと続きます。同性の友人に贈る友チョコ、男性が女性に贈る逆チョコも含め、平成最後のバレンタインデーは、ますます多様化しているようです。

 いずれにせよ、バレンタインデーにトキめいた思春期の甘酸っぱくもほろ苦い記憶を手繰り寄せ、初々しい10代の感受性を取り戻せるかは甚だ心もとない限り。「ボーッと生きてんじゃねーよ!」とチコちゃんに叱られないよう、自戒の念を新たにした庄イタなのでした。

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 ここからはチョコレートにまつわるお話にしばしお付き合いください。

 時はコンスタンティヌス1世が313年に発布した「ミラノ勅令」により、信教の自由が保障される以前の軍人治世による帝政ローマ時代。

 キリスト教徒の娘セラピアと恋に落ちたローマ軍の百人隊長サビーノとの婚礼に立ち会ったのが、西暦197年から現在のウンブリア州最南端Terni テルニで初代司教となったValentinoヴァレンティノでした。

San-Valentino-staind-glass-basilica-terni.jpg【Photo】ウンブリア州テルニの聖バレンティノ聖堂内陣のファサード側に設けられたステンドグラス。殉教後テルニの守護聖人となった司教バレンティノが、セラピアとサビーノの婚礼を執り行う様子が表現される

 反旗を翻したガリアやパルミラを平定し、最強を誇ったローマ軍は、士気低下を避けるため、兵士の服務中の結婚は許されていませんでした。多神教を奉じるローマ皇帝アウレリアヌスは、異教であるキリスト教徒を迫害しており、禁制を破ったヴァレンティノを捕らえローマに連行、273年2月14日に処刑します。

 没後列聖されたヴァレンティノは、恋人たちの守護聖人St.Varentino da Terniとして崇められるようになります。聖人の故郷テルニには、4世紀まで起源が遡り、1618年にバロック様式で再建された「Basilica di San Valentino 聖ヴァレンティノ聖堂」(下画像)が建ち、聖人はそこで永遠の眠りについています。

 聖ヴァレンティノが殉教した2月14日は、本家イタリアでは聖人ゆかりの赤いバラを男性から女性に贈る日で、レストランはカップルで賑わいます。

 隣人愛を根本倫理とするキリストの教えに殉じた受難の日2/14が、たとえ義理チョコであっても人間関係の潤滑油の役割を果たしていることは、聖ヴァレンティノとてあながちまんざらでもないのでは、と思いますが、いかがでしょうか。

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 悠久の時は流れ、話の舞台は激動の20世紀に移ります。1917年のロシア革命による君主制崩壊と内線勃発により、ロマノフ王朝の宮廷菓子職人だったマカロフ・ゴンチャロフは韓国を経由し日本に亡命。1923年(大正12)に神戸・北野で菓子店「ゴンチャロフ」を開店します。

 その翌年、同じく貿易商と雑貨店を営むフョードル・ドミトリエヴィチ・モロゾフもロシア革命を主導したレーニンの出身地であることから没後はレーニンの姓にちなんだウリヤーノフスクと改名した故郷シンビルスク郊外の家を追われます。

 一家は白系ロシア人が築いた中国黒竜江省の都市ハルビンに逃れて6年を過ごし、苦難続きだったシアトルでの数カ月を経て神戸に移住。試行錯誤を経て神戸・北野異人館通りと旧居留地とを結ぶ通称トアロードで洋菓子店「Confectionery F. MOROZOFF モロゾフ」を開店したのが1926年(大正15)。 

varentine_morozoff.jpg 開店当初は、片言の日本語しか話さぬ母ダーリヤが接客を担当。ロシアとは事情が異なる神戸の夏の暑さのもとで、雇ったロシア人職人もチョコレート作りに悪戦苦闘。

 ハイカラ好みの神戸でエキゾチックなチョコレートは徐々に受け入れられ、明治屋神戸店ほか三越や大丸にも販路を拡大。事業拡大のため神戸の経済人の出資により「神戸モロゾフ製菓株式会社」として1935年6月に再出発。

 その翌年、2/14聖ヴァレンタインの日にチョコレートを贈る提案をしたのが、日本におけるバレンタインデーの端緒とされます。

 開店当初よりフョードルの長男ワレンティン・フョードロヴィチ・モロゾフも菓子職人として働く中、日本人共同経営者と訴訟沙汰となった結果、モロゾフ父子はモロゾフの商号使用を禁じられ、チョコレートの製造販売権を剥奪されます。

casa-morozoff.jpg【Photo】ワレンティンが神戸で暮らすようになってから、ハルビン時代に出逢った女性と十数年ぶりにハルビンで再会。家庭を築いてからもモロゾフ一家が暮らした神戸市中央区北野町の増田家住宅(旧モロゾフ邸)。白壁にピンクの鎧窓が菓子職人一家らしい優しい印象を与える。登録有形文化財

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 父が菓子製造の第一線からを退き、2代目ワレンティンの名を英語読みした「バレンタイン製菓店」と改称した1941年、日中戦争の長期化と太平洋戦争の開戦による製菓材料の枯渇で店を休業。神戸郊外の大池での不自由な疎開生活を強いられる中、母を亡くします。

 戦況が悪化した1945年の神戸空襲により店舗は灰燼に帰します。戦後の物不足の中「コスモポリタン製菓」として三宮の高架下仮設店舗で再出発。1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災で三宮本店が被災。震災を乗り越えた2000年以降は高級チョコレート市場の競争激化により業績が悪化してゆきます。

 ロシア革命で故国を失う苦難の道を歩んだ亡命者の父子、日本人に本格的なチョコレートを初めて紹介したフョードル・ドミトリエヴィチ・モロゾフは1971年に、息子ワレンティン・フョードロヴィチ・モロゾフは1999年に神戸で亡くなります。初代フョードルの孫ワレンティン・ワレンティノヴィチ・モロゾフは、2006年に自主廃業を決断しました。

 祖国を亡くした亡命者という不自由な立場ゆえの偏見や裏切りに等しい仕打ちを受けながら、永住の地と定めた神戸で波乱に満ちた生涯を終えた父と子。実直な生き方を貫き〝地の塩〟たらんと欲したモロゾフ親子は、神戸市立外国人墓地で日本の土に還ったのです。

cipresso-morozoff.jpg【Photo】旧モロゾフ邸の庭には糸杉が二本。神戸ポートアイランドにあったコスモポリタン製菓本社屋前にも糸杉があった。ヨーロッパ世界で糸杉は亡者の象徴として墓地に植えられる一方、永遠の生命を宿す樹として尊ばれる。寄り添うような2本の糸杉がフョードルとワレンティン親子の姿と重なって見えた

 バレンタインデーを日本に根付かせた功労者が、聖ヴァレンティノのロシア語読みであるワレンティンだったというのは偶然にせよ、何やら運命的なものを感じてしまいます。

 数奇な運命をたどったモロゾフ一族のビタースイートな物語は、川又一秀氏の著作「大正十五年の聖バレンタイン~日本でチョコレートをつくったV・F・モロゾフ物語」(1984年 PHP研究所刊)に詳しいので、ご一読をお勧めします。

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 みんなを笑顔にするチョコレートやココアの主原料となるカカオ豆は中米から南米大陸にかけての地域が原産。

 中米でマヤ王朝が繁栄した15~16世紀。アステカでは、当時貴重品だったカカオ豆を原料とする飲料で、紀元前までその起源が遡る「ショコラトル」を口にすることができたのは王侯貴族や戦士といった一部の階層に限られていたといいます。

aztec_cacao_warrier.jpg【Photo】焙煎したカカオ豆を臼で砕き、アステカの主食トウモロコシ粉や唐辛子などの香辛料を加えて加水した「xocolatl ショラトル」。チョコレートは野戦食として高カロリーであるばかりでなく、主成分のカカオには覚醒作用や血管拡張効果がある成分が含まれるため、16世紀アステカのみならず20世紀に入ってからも米軍兵士に軍需品として支給された

 ヨーロッパでは紀元前からユーラシアとして地続きの西アジアからインド、地中海を挟んだアフリカ大陸の存在は知られていました。

 15世紀にイベリア半島北東部のみならず、中部イタリア以南のナポリ王国からシチリア・サルデーニャ・コルシカ島まで版図を拡げたのが、アラゴン王国とカスティーリャ王国との連合体として成立するスペイン王国です。

 海洋国家ヴェネツィア共和国にとって交易上のライバルだったジェノヴァ共和国出身とされるクリストフォロ・コロンボ(英語名:クリストファー・コロンブス)は、1492年から1502年まで4回に及んだ航海において、勘違いから「西インド諸島」と名付けたバハマやキューバ、ジャマイカ、ヴェネズエラ、ニカラグアといった中南米大陸の一部に到達。

Cantino_planisphere_1502.jpg【Photo】西暦1500年4月、リスボンから海路インドを目指したポルトガルの探検家ペドロ・アルヴァレス・カブラルはブラジルに漂着。その一部を含む大航海時代初期にヨーロッパ人が認識していた世界が描き込まれた海図(部分)。イタリア・フェッラーラ公エルコレ1世・デステの配下だったアルベルト・カンティーノが1502年にリスボンで入手。現存する最も初期に製作された地図のひとつ。イタリア・モデナ「エステンセ大学図書館」所蔵

 ヴェネツィアが富を独占していた地中海交易に対抗すべく、西回りのインド航路を開拓するよう命を受けた副産物として、大西洋の西方に陸地があることが初めてあまねく知られます。

 本来の目的であったアフリカ大陸最南端の喜望峰を迂回するインド航路の発見は、1497年にリスボンを出帆したポルトガル人のヴァスコ・ダ・ガマにより成し遂げられます。

 このように大航海時代を迎えていたヨーロッパ社会の西端に位置するスペインやポルトガル王国からは、黄金や奴隷狩りを目的にエルナン・コルテスやフランシスコ・ピサロら、数々の蛮行を働いた悪名高きConquistador(コンンキスタドール=征服者)たちが中米や南米大陸を目指しました。

Pietro_Longhi_La_cioccolata_del_mattino_1775-1780.jpg【Photo】東地中海を舞台とする交易で栄えたヴェネツィア共和国。〝アドリア海の女王〟と称された共和国が終焉を迎えたのが18世紀末。覇権を拡大するオーストリア帝国やナポレオンの足音が迫り、凋落の予兆が忍び寄る爛熟時代のヴェネツィア風俗を描いたピエトロ・ロンギ「朝のチョコラータ」(部分・1775~1780 / Ca' Rezzonico カ・レッツォーニコ「18世紀ヴェネツィア美術館」所蔵)

 そんな中でチョコレートの原型となる飲み物がヨーロッパにもたらされます。スペインやポルトガルの王族に続いてその恩恵に浴したのがカトリックの総本山バチカンを擁するイタリアでした。

 17世紀末から18世紀にかけてサヴォイア王国の首都で、1861年のイタリア王国統一後も1865年まで首都だったのがトリノです。現在はピエモンテ州の州都であるトリノで花開き、スイス・ベルギー・フランスの大衆へと広がったチョコレート文化に関しては、トリノ訪問翌年の2007年8月にまとめた拙稿「チョコレートの街 トリノ」を参照願います。

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 地中海の中心に位置し〝文明の交差点〟と称されるシチリア島は15世紀にはスペイン領でした。18世紀の幕開けまで続いたスペイン統治時代、シチリアにもたらされたのが「Cioccolato di Modica チョコラート・ディ・モディカ」。アステカで珍重されたカカオ豆の伝来当時のレシピで作られ、私たちが口にするチョコレートの原型を今に伝えます。

 チョコラート・ディ・モディカは、カカオバターを取り除いて発酵後に焙煎したカカオマスとブラウンシュガーだけで作ります。カカオ豆由来の脂肪分は融点に達するも、粗糖が溶け切らない42℃~45℃以下の低温で混ぜ合わせ、型に流し込んで成形したもの。

bonajuto-cioccolato-modica.jpg【Photo】現存するシチリア最古のチョコラート・ディ・モディカの作り手である「Bonajuto ボナイユート」のカカオ豆70%「Cioccolato Settanta %」のザラザラした断面には、溶け切らない粗糖の粒子が見て取れる

 その〝ガリッ、ジャリッ〟とした食感は、馴染み深い一般的なチョコレートや、トリノで発明されたジャンドゥーヤのより滑らかな口当たりとは印象が大きく異なります。

 19世紀になって産業革命の中心地だったイギリスで抽出法が編み出されたカカオバター成分を練り込んで固形化に成功したことで、チョコレートは滑らかな口どけを獲得。大きな転換点を迎えて今日に至ります。

 後述する理由から、昨秋から冬にかけて購入したのが、共にシチリア州南部ラグーザ県のチョコレートの街として知られるモディカにあるチョコレート工房「Bonajuto ボナイユート」製「チョコラート・セッタンタ%」下画像左と「Luchino ルキーノ」製「ピスタッキオ・ディ・シチリア・ビオ」下画像右の2種。

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 パッケージのサイズは異なりますが、どちらも50g容量。地元モディカでは€2.9(約362円)~€3.2(約400円)ほどで入手できます。

 1880年創業でシチリア最古参だというボナイユート店頭では、一説では300種類の味がするというカカオ豆の苦味しかほぼ感じない(笑)100%ほか、90%・80%や唐辛子入り・レモン風味など、シチリア伝統のモディカチョコの試食ができるので、好みの味を見つけることができるはず。

 庄イタは程よいカカオ感を味わえる70%がお気に入り。

 ボナイユートの製品は、神戸市東灘区岡本の輸入食材店「PORCO BACIO ポルコ・バッチョ」で取り扱います。(税込864円)
 
luchino-modica-pistacchio.jpg【Photo】JASやICEAの有機認証を得ている「Luchino ルキーノ」の「Cioccolato di Modica Biologico」シリーズのピスタッキオ風味(税込918円)

 ペルー産のオーガニックカカオと相性が良い有機ピスタッキオ(=ピスタチオ)風味のチョコラート・ディ・モディカを見つけたのが、白トリュフオイルの項でもご紹介したJR大阪駅構内の大型商業モール「ルクア大阪」B2F「キッチン&マーケット ルクア大阪店」と京都市中京区東洞院通「京都八百一本館」2F「Pantry」。

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 過去に一度だけ食べたことがあったチョコラート・ディ・モディカを、何故に急に思い立って立て続けに購入したのか。種明かしをしましょう。

 転勤に伴う住まい探しのため、2泊3日の日程で大阪市内に宿泊した2017年3月某日の夜。訪れたのがホテルから徒歩圏の西区京町堀にあるシチリア料理店「Cuccagna クッカーニャ」でした。

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 実は、同じビルのワンフロア上には転勤前にも訪れたことがあるマルケ料理店「Osteria la Ciccerchia オステリア・ラ・チチェルキア」があります。その日は予約できず、いわばマルケ州からシチリアに行き先を変更した格好。

 ところがどっこい。そこは魚介系を中心にシチリアらしい味付けを肩肘張らず楽しめ、気持ちの良い接客ぶりを含めて好感が持てるお店だったのです。良い店を嗅ぎ当てる庄イタの動物的な嗅覚は、前項で述べたように前々世はトリュフ犬だったかもしれないと妄想を巡らす根拠の一つなのです。

 思わぬ怪我の功名で出合ったクッカーニャでしたが、昨年10月、大阪府豊中市の緑地公園駅近くに移転。
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 新天地でご活躍中の今木宏彰シェフの片腕だった谷後斉シェフが、移転前のクッカーニャを引き継ぐ形で「Torattoria Aria トラットリア・アリア」を昨年9月にオープンしました上画像

【Photo】パレルモの星付きリストランテ「Bye bye Blues」でも料理の腕を磨いただけでなく、ソムリエとイタリア政府公認バリスタの資格も有する谷後斉シェフ。昼は食後にラ・マルゾッコで淹れるエスプレッソをお願いするのが常の庄イタが、気まぐれからシェケラートを所望すると、鮮やかな手つきでシェーカーを振りだした

 ある日のランチコースで前菜3品に続いて登場したのが、シチリア島東部カターニャ県ブロンテ産ピスタッキオソース & モディカチョコ風味のパスタ料理でした。

 パウダー状にしたモディカチョコが、相性の良いピスタッキオと絡み合い味に深みを添えるこの一皿。もともとは今木シェフのスペチャリテだったのだそう。夜に伺った際はマッケローニタイプのショートパスタで、粒状のピスタッキオもトッピングされてきました下画像

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 チョコとピスタチオは鉄板の組み合わせ。これはハマってしまいました。その衝動を抑えるため、チョコラート・ディ・モディカを調達したのです。

 ピスタチオ風味といえば日本ではジェラートやスイーツでおなじみかと思います。産地のカターニャ周辺ではバリエーション豊富なシチリア風Crochetta クロケッタ(=コロッケ)「Aranchino アランチーノ」の具としてや、ペースト状にしてパスタソースとしても活用されます。

 エトナ火山の西方に広がる火山性土壌で育つブロンテ産ピスタッキオの生産量は年間3,500~2,500トンほど。これは全世界の1%にも満たない数字にすぎません。

※ 再生時音楽が流れます

 それでも日本円換算で25億円もの経済効果を人口2万人足らずのブロンテ村にもたらし、色合いから「Oro Verde (=Golden Green)」とも呼ばれるブロンテ産ピスタッキオが、品質において世界の頂点にあることは、事情通の間では周知の事実。

 熟すると白っぽくなる殻で外側を覆われ、ピーナッツのように赤味がかった薄皮に包まれた淡く鮮やかなグリーンの実は目にも鮮やか。 

 9月に入ると一斉に始まる収穫は2年に一度。今年2019年は収穫年に当たっています。

 あぁ、行きたいなぁ...シチリア。

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Trattoria Ariaトラットリア・アリア

Trattoria ARIA.jpg・住:大阪市西区京町堀2丁目3-4 サンヤマトビル2F
・Phone:06-6131-5440
・営:12:00~14:30 18:00~23:00 水曜定休・月一回不定休あり
・URL: https://www.facebook.com/Trattoria.ARIA.osaka/

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投稿者 vam : 07:49 | カテゴリー : Cuccina Italiana

2019/01/01

普段使い版 白いダイヤモンド

 Felice anno nuovo a tutti!
 皆さま新年おめでとうございます。
 
 2007年(平成19)に始動した「Viaggio al Mondo~あるもん探しの旅」。
早いもので12年目を迎え、平成最後の年となる2019年で干支も一巡。イノシシの如く今年も駆け巡ります。ご愛顧のほどよろしくお願いします。

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お手軽な朝のプチ贅沢


 〝白いダイヤモンド〟ことイタリア・ピエモンテ州産の白トリュフは、昨シーズン当初不作で100g当たりの取引き相場は€300(37,500円)でしたが、今季は€150~€170(18,750円~21,250円)で推移。昨季の半値ほどといっても、気軽に口にできる代物ではない高級食材に変わりはありません。

giuliano_tartufi-ring.jpg 前回・前々回と2回続きでそれなりの出費を伴う白トリュフまみれ & 銘酒オンパレードの内容となりました。〝白トリュフなど自分には縁遠い話だ〟と、鼻白んだ方がおいでかもしれません。

 そこで今回は庄イタが普段使いしており、1,000円+αで家庭料理に白トリュフのリッチな香りを添えるお手頃な食材をご紹介しましょう。

 毎朝のシンプルなスクランンブルエッグや半熟目玉焼きが一変、プチゴージャスな気分が味わえる一品に変身するはずです。

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Cane-Lagotto-Romagno.jpg 毎年9月21日の白トリュフ収穫解禁から、最盛期の10月から11月にかけては気もそぞろ。巷(ちまた)から届く白トリュフシーズン到来を告げるお誘いに「パブロフの犬」状態になる庄イタ。

 かくも庄イタが白トリュフの香りに敏感なのは、前世ではピエモンテの森でポプラ・ナラ・オークなど照葉樹の周辺を嗅ぎまわるトリュフ犬だったからなのかも。

【Photo】黒い瞳がキュートなトイプードルにはルックスで一歩引けを取るも、性格は社交的で主人に忠実。穴掘りが好きで鼻が利くイタリア原産の「ラゴット・ロマニョーロ」はトリュフハントにピッタリな犬種のひとつ。庄イタの前世はこんな感じ?

 地中深くに潜む白トリュフの香りを探知するや、高ぶる感情そのままに尻尾を激しく振り、前足で〝ココ掘れワンワン〟。収穫の手柄はご主人様に譲り、芳香を漂わせる白いダイヤモンドを地中から見つける度、褒めちぎられ、ご褒美のビスケットにありつけた遠い過去の習性がDNAに深く刻まれているのでしょう。

 日本ではトリュフハントはブタが行うという俗説がまかり通っていますが、それは遥か遠い中世・ルネッサンス期から第二次大戦前のイタリア、ないしはフランスのごく一部に限った話。現在は図体が大きく気性が荒いブタよりもずっと飼いやすく、主人に従順な賢い犬がトリュフ探しに欠くことができない存在の首座に就いています。

Perigord-cochon-truffe.jpg【Photo】フランス中西部ペリゴール地方で19世紀に行われていた黒トリュフハントを撮影したアンティーク・ポストカード。庄イタにとっては言葉すら聞き取れずシンパシーを感じない縁遠い国ゆえ、前世がトリュフ豚だった(!!)などという悪夢のような話は2000%ない。Comment allez-vous? désolé mais.

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 霊長目ヒト科へと転生した現世はさておき(ワンコだったかもしれない)前世では職務に忠実だったためか、獲物の香りは定期的に嗅いでおかないと、どうも落ち着きません。

 さりとて欲求の赴くまま、シーズンを通して本物の白トリュフを常食しようものなら、あっという間に破産してしまいます。

 現実的な解決策としては、代用品にお出まし願うしかありません。〝芸能人は歯が命by Apagard〟ならば〝白トリュフは香りが命〟。
 
tuber-magnatium-pico-pescerosso2018.jpg 北部ピエモンテ州クーネオ県アルバで1928年から開催され、今季で88回目を迎えた白トリュフ見本市ほど歴史が長く、また大規模ではありませんが、マルケ州、トスカーナ州、エミリア・ロマーニャ州などの中部から、ラツィオ州、モリーゼ州などの南部まで白トリュフ祭りが催されており、その産地はイタリア各地に及びます。

 乾燥を防ぐドーム型ガラス容器を開け放つや否や、擦り下ろす前から部屋中に香りが拡散するのがアルバを頂点とする白トリュフの凄さ。

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 アルバのトリュフ専門店「Tartufi Ponzio タルトゥフィ・ポンツィオ」で購入した10月中旬の最も出来が良い時季のアルバ産白トリュフを99%使用したという瓶入りのペースト上画像は、ごく少量でも十分な香りの密度といい、開封後4ヵ月ほどで使い切るまで衰えない持続性といい、実に素晴らしい品質でした。

 強いて欠点を探せば、希少価値の高さゆえ、30g容量で€85(≒ 10,625円)と値が張ること。そして日本では入手困難であることでしょう。

※ 再生時に音声が流れます

 多彩なイタリア製品を取り揃え、阪急百貨店梅田本店で秋に催された「イタリアフェア2018」は、北イタリアがテーマでした。イートインの呼び物は1日限定100食の「アルバ産白トリュフ風味のタヤリン」。一皿6,480円という値付けに尻込みされた方も少なくなかったのでは?

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 Viaggio al Mondo~あるもん探しの旅「プロフィール」をご覧いただければ明らかなように、ライフスタイル自体がイタリアナイズされている庄イタ。たとえ毎年アルバには行けずとも、あるいは年に1回の百貨店催事ではなくとも、常備品の調達ルートは確保してあります。

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 幸いなことに現代のテクノロジーをもってすれば、白トリュフに限りなく近い香りを化学的に再現することは可能です。高嶺の花をぐっと身近に引き寄せる〝リーズナブル版白いダイヤモンド作戦〟で使用するツールこそが、香り付けされたオイル、塩、ペースト、バターなど。

ori-di-langha-sale.jpg 日本でいう〝香りマツタケ、味シメジ〟をイタリアに置き換えれば〝香り白トリュフ、味ポルチーニ〟となります。

 そう、いわく言い難い圧倒的で濃密な香りこそが、多くの人を魅了してやまない白トリュフ最大の魅力。

 そこで用立てたのが、白トリュフ塩「Sale con Tartufo Bianco サーレ・コン・タルトゥフォ・ビアンコ」。

 勤務先近くのモンテ物産アンテナショップ「Pico ピーコ」半期に一度のセールでお安く購入しましたが、通常は1,500円前後の実勢価格で入手可能です。

 地中海に面したフランス・ブルターニュ地方ゲランド産の海塩に、フリーズドライ加工したアルバ産白トリュフ(Tuber magnatum Pico)1.5%相当を混ぜ込み、白トリュフ特有の香気成分である2,4-ジチアペンタンなどの香料を加えた製品です。

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 製造元の「Ori di Langa オーリ・ディ・ランガ」は、アルバ市街地からタナロ川を越えて北西へ5kmほどのピオベジ・ダルバで1980年に創業したトリュフ専門の食品加工業者。

ori-di-langa-sale3.jpg フリーズドライを施しているため、白トリュフは0.3%の重量しかありませんが、素材の持ち味を増幅させる香料の恩恵もあり、瓶の蓋をきつく締めていても漏れ出てくる強烈な白トリュフの香気は、香り付けという目的を達するには充分。

 塩ゆえ摂取量には気を使いますが、スクランブルエッグなら一つまみから二つまみ程度振りかければOK。30g容量とコンパクトなため〝マイ塩〟的に外食する時にも活躍してくれます。

 パッケージには開封から1カ月以内で食べきるよう指示がありますが、実際には数カ月間は香りが飛ぶことなく使えます。 

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 かたや拙宅の最寄りである阪急電鉄神戸線夙川(しゅくがわ)駅構内の食料品店「成城石井」で購入したのが「Sale al Tartufo サーレ・アル・タルトゥフォ」(50g/税込1,500円)。

 こちらは地中海の真ん中に浮かぶサルデーニャ島産の天日海塩を220℃で高温焼成。マグネシウム由来のえぐみが無い塩味にイタリア中部マルケ州ペーザロ・エ・ウルビーノ県Acqalagnaアクアラーニャ産のトリュフ風味が重なります。

sale-al-tartufo2.jpg 四方を海に囲まれたサルデーニャ州は、トラパニを擁するシチリア州と並んで製塩業が盛ん。

 そしてアペニン山脈の山懐に抱かれたアクアラーニャは、中部イタリア地域においてはアルバに引けを取らぬ白トリュフの一大集積地です。

 採取量の減少傾向も手伝って高値を呼ぶアルバ産白トリュフ。秋を迎える頃になると深い霧に包まれるランゲの森で採取されるはずが、5m先すら見通せない霧の先はアクアラーニャの森に繋がっているケースもあるというまことしやかな噂も。

 製造元のイタリア食品輸入業者「アーバ・アンド・イデア」によれば、香料は使用しているものの、開封後は長期保存せず使い切ってほしいとのこと。

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 白トリュフのお手頃な代用品として庄イタお薦めの筆頭格が、エキストラヴァージンオリーブオイル+乾燥白トリュフ+香料の三位一体が生み出す高貴な香りが長く持続する実用性の高い白トリュフフレーバーオイルです。

giuliano-tartufi-olio.jpg コチラは靭(うつぼ)公園近くのイタリア食材専門店「Officina del Gusto オフィチーナ・デル・グスト」でお勧め頂きました。

 昨年4月、JR大阪駅構内北側の大型商業モール「ルクア大阪」B2Fに出現したイタリア食材やドルチェ、飲食コーナーが豊富に揃う「キッチン&マーケット ルクア大阪店」でも取り扱いがあります。

 イタリア中部ウンブリア州ペルージャ県ピエトラルンガで1991年に創業した「Giuliano Tartufi ジュリアーノ・タルトゥフィ」製で、100mℓ容量の1本がオフィチーナ・デル・グストでは1,300円台とお手頃プライス。

※ 再生時に音声が流れます

Cuore verde d'Italia(イタリアの緑の心臓)〟と呼ばれるウンブリア州は良質なオリーブオイルの産地。黒だけでなく白トリュフも採れるピエトラルンガでは、毎年10月にジュリアーノ・タルトゥフィもブース出展する「Mostra Mercato del Tartufo e della Patata Bianca(=トリュフとジャガイモ見本市)」が催されます。

 使い勝手の良いこの白トリュフフレーバーオイル。オイルにしろ、バターにしろ、さまざまな商品を試してきた中では最後まで香りが飛ばないため、目的に適った商品といえます。

 このオイルと白トリュフ塩さえあれば、盛り付けの最後にさっとひと掛けするだけで効果絶大なのです。

 実証実験のため〝みんなでトリュフ放題〟なる企画を実施中の芦屋市にある某ファミレスチェーンGに初潜入を試みました。

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 白トリュフオイルを使用しているというトリュフクリームスープを注文しましたが、〝放題〟と呼ぶには、白トリュフの香りが物足りなさすぎ(笑)。

 税抜299円というお手頃価格から予想はしていましたが、読み通りの展開でした。そこで懐から取り出したのが、念のため持参した必殺ジュリアーノ・タルトゥフィ製の白トリュフオイル。上左画像 さっと一振りするだけで、触れ込み通り芳醇な白トリュフが香るキノコスープに劇的に変身!上右画像

2006_alba-fiera-tartufo.jpg アルバの白トリュフ見本市会場で食べたこのフレッシュ白トリュフたっぷりな目玉焼き上画像そのままのイメージに毎朝の一皿を変身させることだって簡単にできちゃうのですよ。

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投稿者 vam : 00:30 | カテゴリー : Cuccina Italiana

2018/12/22

祝・解禁!白いダイヤモンド 【後編】

Shine on you crazy White Diamond [ part.2 ]
 

 白いダイヤモンドことアルバ産白トリュフに相応しい2本、バローロに本拠を置くViettiD.O.C.G.バルバレスコ'89、バルバレスコに本拠を置くGaja の表記上はD.O.C.でも実体はD.O.C.G.バローロ'96という極上の変化球を仕込んで臨んだ東心斎橋「Pesce Rosso」での一夜を振り返りましょう。

 事前にK氏と庄イタが持ち込んだワインの素性をソムリエの小田浩司マネージャーから聞き出していたH氏は「二人が思いっきりハードルを上げたので」と苦笑い。そりゃそうです。世界で最も高価な食材に釣り合うそれなりのワインを用意したのですから。

Bollinger.R.D.jpg

 遥か高みへと昇り詰めるであろう2本目・3本目に至る流れを考え、H氏がスターターに選んだシャンパーニュは「Bollinger ボランジェ」。「Krug クリュッグ」などと共に英国王室御用達の栄に浴する6軒の造り手の一角を占めます。その特級銘柄にあたる「R.D. 2002 Extra Brut エール・デ '02 エクストラ・ブリュット」で乾杯。

 H氏がお好きな映画「007」の原作者イアン・フレミングが1956年に発表した「Diamonds are Forever(ダイヤモンドは永遠に)」にボランジェの名が初めて登場しています。映画化8作目の「Live and Let Die(死ぬのは奴らだ)」('73年公開)では脇役的な扱いでしたが、シリーズ11作目「Moonraker(ムーンレイカー)」('79年公開)においてボランジェとのプロモーションタイアップ契約が成立。映画冒頭からブランド名入りワインクーラーが映し出されました。
 Moonraker-bollinger.jpg 10作目「The Spy Who Loved Me(私を愛したスパイ)」('77年公開)まではタイアップ先だったドン・ペリニョンばかりを飲んでいたジェームス・ボンド。流した浮名は数知れぬボンドですが、ことシャンパーニュに関してはボランジェ一筋へと宗旨替えしています。

 新作が公開されるごと話題に事欠かない007MI6(英国秘密情報部)秘密兵器開発主任Qがスパイ仕様の特装を施したアストンマーティンDB5などの歴代ボンドカーをはじめ、今や日本円換算で10億円を超すといわれるタイアップ契約と引き換えにボランジェは作中での寡占状況を維持しています。
 007bollinger.jpg【Photo】映画007とボランジェのタイアップ商品例。拳銃のサイレンサーをかたどった専用ケース入りタイアップボトルの「ボランジェ2002BRUT」。ダイヤル式のロックを開錠する番号は「007」。バレバレである(上画像) 現時点でのシリーズ最新作「スペクター」で6代目ボンド、ダニエル・クレイグが着用したオメガ・シーマスター300(下画像
OMEGA_Seamaster_Bond.jpg

 007最新作「Spector スペクター」でジェームス・ボンドが着用したオメガ・シーマスター300 &ストラップを愛用しておいでで、実はMI6の諜報部員かもしれないH氏も購入したという007パッケージのシャンパーニュをリリースするなど、前々回サンドバッグ状態にしたボージョレ・ヌーボーほどではありませんが、商魂たくましい一面もボランジェは持ち合わせているようです。

 話はさらに本筋から脱線しますが、10作目でも殺し屋として登場、公開済みの全24作を通して敵役としては唯一の連続出演を果たしたのが鋼鉄の歯を持つ大男ジョーズです。これ見よがしにラベルを撮影カメラに向けたボランジェR.D.を自慢の光り輝く前歯で抜栓、本来は無重力ゆえ空間に液体が漂うはずの宇宙船内で地球上と何ら変わらぬさまで恋人ドリーとグラスを交わします。

 ジェームス・ボンドのお気に入りという設定はまだしも、ジョーズまでもというオチがブランドイメージ向上に寄与したかどうかは微妙なところかと。

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 2002年はシャンパーニュ地方の当たり年。ピノ・ノワールをベースに出来が良かったシャルドネを例年より多めの比率で混醸、R.D.は瓶内二次発酵によって生じる澱を取り除く作業を11年もの長きに渡って行わず、出荷直前の2013年9月に澱抜きが行われています。

 R.D.とは、Récemment Dégorgé(=「最近澱抜きした」の意)の略で、良作年'02vinは、イタドリや栗のハチミツ、ドライフルーツのような芳醇な複雑味が特徴。それでいて、オールドヴィンテージシャンパーニュにしてはフレッシュさも持ち合わせています。「うーむ、コレは美味しい。」

 英国生まれで駐日英国大使館発行のパスポートを所持するH氏。フィッシュ&チップスからローストビーフまでドライな泡もので通す英国紳士と相通じるアルコールの嗜好から察するに、ロンドンで授かった産湯はご自宅に常備しておいでだというMoët & Chandonに加え、締めの定番The Macallanと「007カジノ・ロワイヤル」でボンドが注文するカクテル「ヴェスパー・マティーニ」のベースとなるGordon'sというシャンパーニュ&スコッチウイスキー&ジンの3種混合だったはず。

 そんな妄想を巡らしながら、2皿目まではR.D.'02vinで通しました。

prosciutto-cavallo.jpg・1皿目:ピエモンテ産馬肉の生ハム パルミジャーノチーズ
     with ボランジェR.D.2002上画像

 店に預けておいたバルバレスコ'89と実質的にバローロなランゲ・スペルス'96が開くよう、1皿目の登場時点で珠玉のネッビオーロ2本をアイドリング状態に移し、白トリュフの饗宴は幕を開けたのです。
 

hariica-akakabu-beats.jpg・2皿目:紀州産ハリイカと赤カブ ビーツのピューレ上画像

☞ 暑く乾燥した夏から収穫期まで理想的な条件下で傑出したワインが造られてから29年。一口目から血統の良さを示し、本領発揮のVietti Barbaresco Masseria '89が登場下画像

vietti-barbaresco89.jpg「まさにエレガント!! グラスのエッジがレンガ色からオレンジ色に変化していることから察することができる熟成が進んだネッビオーロの上品な深みが素晴らしい。」


gamberorosso&celeriac.jpg・3皿目:赤海老とセロリアック 秋トリュフの香り上画像


pesce_rosso2018.11.13.jpg 白トリュフ教の敬虔な信者である迷える子羊・庄イタに秘蹟を授けるべく、聖地アルバ産の聖体白トリュフと典礼聖具スライサーを手に厳かな聖体拝受の儀式を執り行う司祭役の小田マネージャーがカウンター席へと降臨上画像

luce-nord-tartufi3.jpg・4皿目:1年熟成のキタアカリ 半熟卵のせ + アルバ産白トリュフ
     with ヴィエッティ バルバレスコ・マッセリア'89上画像


Tagliolini-porcini-freschi.jpg・5皿目:フレッシュポルチーニのタリオリーニ上画像


 瞑目してVietti Barbaresco '89の余韻に浸っているところに6皿目のリゾットが運ばれてくると、聖体白トリュフと聖具スライサーを携えて小田マネージャーが再降臨下画像

Oda-mng-risotto-tartufi.jpg 
☞ 若々しいガーネットの色合い、グラスの中に幾筋も現れる通称「ワインの涙」がピークを過ぎた枯れたワインでは低下する粘性が今なお高く、ポテンシャルの目安となるアルコール度数の高さも示すGaja Langhe Sperss '96(下右側)。遥か高みの頂は遠い先にある熟成途上にある千両役者がここで加勢。

 「ガヤらしい高い完成度。均整がとれた瑕疵のない異次元のハーモニー。
  す... 素晴らしい!!

 最後の晩餐で十二使徒に対してキリストが発した〝これを受けて飲みなさい。これはわたしの血の杯...〟という有名な一節を小田神父様マネージャー様がここで囁けば、庄イタは6皿目で被昇天したかもしれません。

risotto-tartufissimi.jpg・6皿目:白トリュフが覆いつくすリゾット
      with ヴィエッティ バルバレスコ・マッセリア'89(左)
        ガヤ ランゲ・スペルス'96(右)上画像


 二枚重ねのパスタ生地の間に肉などの詰め物をし、セージバターソースで食するラヴィオリ風のピエモンテ料理「アニョロッティ・ダル・プリン」。ライブ感いっぱいのカウンター席から撮影したオープンキッチンで山中シェフが手で成形する様子をどうぞご覧ください。


 
 またしても白トリュフまみれとなったアニョロッティ。ナイフを入れると、トローリと溢れ出てくる卵黄が白トリュフと鉄板の組み合わせを演出する仕掛け下右画像

agnorottiPesceRosso2018.11.13.jpg agnorottiPesceRossoⅡ2018.11.13.jpg

・7皿目:卵黄のアニョロッティ+ 白トリュフ
     with ヴィエッティ バルバレスコ・マッセリア'89上左画像


Wagyu-borritoBarbaresco.jpg・8皿目:バルバレスコで煮込んだ和牛とタルティーヴォ
     with ガヤ ランゲ・スペルス'96上画像

 ☞「...なんも言えね。」(北島康介風に)


 時が過ぎるのを忘れて満ち足りた時間に身を委ねるとは、まさにこういうひと時を指すのでしょうか。

 庄イタはデザートのモンテビアンコ(モンブラン)に移行する局面でしたが、ドルチェ抜きで〆にグラッパを所望したK氏。

BertaAnniversario70Riserva.jpg ほどなく木箱入りで静々と登場したのが、イタリア国内で初めてバリック熟成を導入した至高のグラッパを造る「Berta ベルタ」が創立70周年を記念し、ファーストヴィンテージの'82年を含む10のヴィンテージを特別ブレンドで仕上げた限定バージョンの「Riserva 70 anni リセルヴァ・セッタンタ・アンニ」。

 存在自体は知っていたこのグラッパ。4名で飲み干したボトル5本の画像を【前編】でご紹介した10月半ばにほぼ同じ顔ぶれで催した豪華ラインナップを取り揃えたワイン会当日、初めて実物を拝ませてもらっていました。その会場となった四天王寺前夕日ヶ丘にあるレストラン併設のワインショップに鎮座していたものの、5万円を超す価格にワナワナとたじろぎ、ため息とともにその前を立ち去ったのでした。

Berta70anni-tartufo-bianco.jpg

 Bertaは、この夜の2本目として開けたヴィエッティを含むAsti アスティ県の造り手が、自社畑で栽培するブドウ品種「Barberaバルベーラ」を互いに持ち寄り、その究極の姿を示そうと取り組んだ「Hastaeハスタエ」の参加メンバー。浪花食い道楽三人衆が集った初回のワイン会における主役は、共同プロジェクトの成果として世に出た「Quorum '99」でしたし、前回「Ai Suma '00」を開けた「Braida ブライダ」もプロジェクトに名を連ねていました。

 そんな縁を感じつつ、庄イタもグラス1杯だけ所望。

montebianco&berta.jpg

・9皿目:モンテビアンコ
     with ベルタ グラッパ・リセルヴァ・セッタンタ・アンニ
       特製白トリュフ風味上画像

 ☞「...(TT)」(前言を絞り出した後、感極まった北島康介風に)

 日本に数本しか入荷しなかったというずっしりと重い1,500mℓ容量マグナムボトルから大ぶりなグラスに注がれた琥珀色の液体には、なんとピエモンテ式に惜しげもなくアルバ産白トリュフがスライスされてゆきます。それは豪奢な白トリュフの饗宴を締めくくるにふさわしい1杯となりました。

wine-bottles.jpg 郷里ピエモンテの秋の恵みに存分に浸った帰路。ピエモンテで言えば、D.O.C.G.ドリアーニで使われるドルチェット種のような濃厚なワインカラーの阪急電車に揺られながらAirpodsで聞いていたのが、白トリュフのWhiteを挟み込んで今回の副題とした英国の偉大なロックバンド「ピンク・フロイド」が1977年に発表したアルバム「Wish You Were Here(邦題:炎~あなたがここにいてほしい)」のオープニングと最後を飾る大曲「Shine on you crazy diamond」。

Pompei-anfiteatro.png 紀元前1世紀前半に造営され、最大2万人を収容したというイタリア・ポンペイ遺跡「Anfiteatro 円形闘技場」上画像で1971年10月に行われた伝説的な無観客ライブ演奏から45年を経た2016年7月、バンドでギタリストだったデイヴ・ギルモアが再びポンペイ遺跡でこの曲を演奏しています。

 庄イタが恋い焦がれる白トリュフ。そのクレイジーなまでのファナティックさは、前世がピエモンテ人ではなく、ピエモンテのトリュフ犬だったからなのかもしれません。

 女性にとって永遠の憧れは光輝くダイヤモンドといわれますが、庄イタにとっての憧れの筆頭格であるアルバ産白トリュフにShine on you crazy diamondを捧げます。 

 思考や記憶を司る大脳皮質と海馬に深く刻まれた白いダイヤモンドの妙なる香りは、庄イタの中で決して色褪せることはありません。

 なぜなら〝ダイヤモンドは永遠の輝き (by "De Beers")〟ですから。

*****************************************************************
PESCE ROSSO ペッシェロッソ

・住:大阪市中央区東心斎橋1丁目3-18
・Phone:06-6241-0030
・営:17:00~00:30(22時以降はワインバーとしての利用も可)
・URL: http://pesce-rosso.com/
・アルバ産白トリュフ祭り2018
  15,000円(トリュフ料理2品)18,000円(同3品)20,000円(同4品)
  通常コースに+5,000円で白トリュフ使用の一皿に変更可
 
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投稿者 vam : 01:42 | カテゴリー : Cuccina Italiana/| カテゴリー : Vino ヴィーノ/| カテゴリー : ・Fuori Tohoku 圏外遠征

2018/12/15

祝・解禁!白いダイヤモンド 【前編】

Shine on you crazy White Diamond [ part.1 ]


 重量あたりの単価が最も高価な食べ物であることから「白いダイヤモンド」とも称されるイタリア・ピエモンテ州クーネオ県アルバ産白トリュフ。妙なる忘れがたい香りが記憶中枢に刻まれた者は、その甘美な誘惑から逃れることなど到底できません。

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 1920年代、未踏峰であったエベレストに挑む理由をニューヨークタイムズ紙の記者に問われた英国の登山家ジョージ・マロリーが〝Because it's there.(そこにエベレストがあるから)〟と答えた逸話はあまりに有名です。

 白トリュフに執着する理由を問われたならば、即座に〝そこに白トリュフがあるから〟と前世ピエモンテ人の庄イタは答えるはず。

tajarin_agnrotti@sammarco.canelli.jpg【Photo】庄イタ史上最も贅沢なランチコース@ピエモンテより。「アルバ産白トリュフまみれのタヤリン(左)とアニョロッティ・ダル・プリン(右)」

 世界各国から美食家が集う「Fiera Internazionale Tartufo Bianco d'Alba(アルバ国際白トリュフ見本市)」が開催される10月初旬から11月末にかけては、トスカーナ州やエミリア・ロマーニャ州などイタリア北部から中部にかけての産地でトリュフ祭りが開催されます。

fiera-tartufo-bianco@alba.jpg【Photo】一部の黒トリュフのように人工栽培法が確立されていない白トリュフは、収穫の多寡や時季などによって相場が変化。昨年は100gあたり€700の値付けがなされ、収穫期に雨が多かった今シーズンは€290で入手できたという。毎年秋にアルバで開催される白トリュフ見本市の会場では、素性が明らかな白トリュフ一個ごと強弱が異なる香りを確認でき、買い手と売り手側のトリュフハンターは丁々発止のやり取りを繰り広げる

 アルバ産白トリュフ(Tuber magnatium pico)は、あらゆるトリュフの頂点に君臨するトップブランド。それなりの出費は伴うのは覚悟の上で、むせ返るような白トリュフの濃密なる洗礼をアルバ近郊で受けられんことを確信をもってお勧めします。

〝こんな驚天動地の物体がこの世には存在していたのか...〟フランス料理で珍重されるペリゴール地方産黒トリュフ(ごとき)を有難がっていた方でも、それまでの価値観がガラガラと音を立てて瓦解。驚愕されること請け合いです。

※ 再生時に音楽が流れます

 白トリュフは訓練された優秀なトリュフ犬が鋭敏な嗅覚で地中深くから掘り出した瞬間から、水分と共に香りが徐々に失われる運命にあります。希少性は言わずもがな、その儚さゆえ、尊さはいやが応にも増すというもの。

 深い霧のヴェールにランゲの森が包まれる季節を迎える頃。具体的には毎年9月21日の解禁日から翌年1月31日までの白トリュフを採取できる期間に「Trifulau(トリュフラウ)」と称されるハンターが人目を忍んで採取したばかりの上物を現地で食するのが理想。なれど、それは自由になる時間と懐具合に余裕がある方に限られます。

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 悲しいかな、どちらをとっても余裕がない大人の事情から、ピエモンテから飛来するコウノトリが運んでくる白トリュフで留飲を下げているここ数年。

 並み居る黒トリュフでは到底太刀打ちできない濃密な魅惑の香りを今年も堪能することができました。

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 昨年に引き続き、その舞台となったのは、東アジアを中心とするインバウンドで活況を呈する大阪ミナミの喧騒を離れた一角にあるスタイリッシュなイタリアン「Pesche Rosso ペッシェ・ロッソ」。

PesceRosso.jpg【Photo】契約満了で退社するアルバイト社員の慰労会をPesche Rossoで行った某日。店名が意味する金魚が泳ぐ水槽がエントランスに設けられた店の前で同僚に撮影してもらったツーショット

 現地で食するには及ばないまでも入荷したての白トリュフを狙ったため、ペッシェロッソに予約を入れたのは今年のアルバ産白トリュフ祭りの初日である11月13日(火)の宵でした。

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 2度に及んだ訪店でアルドとジャコモのコンテルノ兄弟頂上バローロ対決を演出した昨年と同様、浪花食い道楽三人衆でエントリーした今年も飲み頃を迎えているであろうヴィーノ・ロッソをセラーから物色。コンディションを整えるため、抜栓する10日以上前に店に預けることにしました。

 ご一緒したH氏は泡もの専科で、もうお一人のK氏は庄イタと同じ筋金入りのイタリアワインラヴァー。白トリュフがお題の今回とほぼ同じ顔ぶれで、過剰在庫を減らすためのワイン会を催してきました。

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 大阪情緒溢れる〝粉もん&焼きそばとイタリアワインの相性を知る会@新福島〟では、庄イタが醸造所を訪れた年の「Percarlo ペルカルロ'03」とレア物「Quorumクオラム'99」、K氏はトスカーナ版バタールモンラッシェこと「Batàr バタール'12」、H氏は「BollingerボランジェN.V.」を持ち込み。

 バルベーラの逸品「Ai Sumaアイ・スーマ'00」を持参したK氏のアジトで催した〝ワインショップ直営フレンチとイタリアワイン会@四天王寺前夕日ヶ丘〟。H氏セレクトの「Taittinger Nocturneテタンジェ・ノクターン」でスタート。オーナーソムリエール秘蔵のカリフォルニア・サンタバーバラ地区の造り手オーボンクリマ「Hildegardヒルデガルド'03」を挟んでイタリア全土が空前のグレートヴィンテージに沸いた'97年vin庄イタコレクションから、カベルネ・ソーヴィニョン主体だった「Paleoパレオ'97」と珠玉のデザートワイン「Recinaioレチナイオ'97」の2本をチョイス。

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 かように料理の傾向は定まらずとも〝泡もの+イタリアワインの多様性を味わう〟という軸はいささかもブレません。

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 今回、K氏からはBaroloに醸造所があり、1961年からクリュの概念を取り入れた造り手「Vietti ヴィエッティ」が唯一バローロ域外のネイヴェに所有する畑の収穫時点で樹齢30年ほどだったネッビオーロを仕込んだ「Barbaresco Masseria バルバレスコ・マッセリア'89下左を事前に持ち込む旨のメールを頂いていました。

 1989年は80年代を代表するグレートヴィンテージ。一般にバルバレスコはバローロほどではないにせよ、若いうちは渋味と感じるタンニンが強い傾向にあります。収穫から30年近く熟成を重ねてタンニンが和らぎ、飲み頃に差し掛かっているはず。まさに白トリュフ料理にふさわしい正鵠を射た選択です。定石を踏んだ先手を見極めた上で、後手の庄イタはタイプが異なる1本を供出することにしました。

 数本の候補の中から白羽の矢を立てた造り手は、イタリアワイン界に偉大な足跡を残してきた「Angelo Gaja アンジェロ・ガヤ」。選んだのはピエモンテでは長期熟成型のワインが造られた優良年の「Langhe Sperss ランゲ・スペルス'96下中央

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 呼称こそイタリアワイン法では2番目の「D.O.C.Langhe ランゲ」ですが、その中身は最上位「D.O.C.G.Barolo バローロ」エリアでも最も傑出したバローロを産出する「Serrarunga d'Alba セッラルンガ・ダルバ」地区で1988年に購入した自社畑Sperssで1996年に収穫された長熟型の高貴品種「Nebbioloネッビオーロ」をバローロの規定に沿って仕込んだ紛れもない偉大なバローロです。

 ネッビオーロから造られる銘酒「Barolo バローロ」と「Barbaresco バルバレスコ」は、ピエモンテが誇る両雄。なかでもガヤは、ピエモンテのみならず、イタリア屈指の壮麗で完成度が高いワイン群を造り続けてきました。

 大きな白抜き文字でGAJAと記されたエチケッタで知られ、凡庸であることが許されないこの名門醸造所は、アルバにほど近いバルバレスコ村の中心部にあります。

cantina_GAJA_2006_10.jpg【Photo】バルバレスコ村にある「Azienda Agricola GAJA」。醸造所ゲート脇の壁面には家名が浮き彫りされたプレートが架かる。畏敬の念を抱く偉大な造り手に対し、手放しで称賛の意を表する庄イタ

 '96年は品質向上のために一切の妥協を排除してきたガヤにとっての一大転機となった年。当時、個性が明確な単一畑(クリュ)がもてはやされ、畑の個性を組み合わせて一つの味に仕上げるD.O.C.G.バルバレスコをともすると軽視する風潮がありました。そこに反旗を翻したのがアンジェロ・ガヤでした。

 高値で取引される「Sori San Lorenzoソリ・サンロレンツォ」や「Sori Tildin ソリ・ティルディン」など、ブルゴーニュのグランクリュに相当するバルバレスコ、そしてD.O.C.G.バローロのエリアに所有するピエモンテ方言でノスタルジーを意味するのだという「Sperss」と「Conteisa コンテイーサ」については「D.O.C.Langhe ランゲ」にすべて格下げ。唯一のD.O.C.G.をバルバレスコ一本としたのです。

Barbaresco- Masseria89sperss96.jpg【Photo】バルバレスコ・マッセリア'89(左)とランゲ・スペルス'96(右)の色合い比較。いずれも高貴品種ネッビオーロでありながら、熟成するに従ってレンガ色へと変化する度合いの違いが見て取れる通りの味わい。綺麗に熟成したバルバレスコのエレガントさが際立つヴィエッティ'89。一方のガヤ'96はタンニンの収斂性は影を潜めるも、まだまだ力強さが漲る。綻びなど微塵も見せずに高い次元でさまざまなニュアンスが調和する

 17世紀にスペイン・カタルーニャ地方から移住した一族で、醸造家としては4代目となる当主アンジェロ・ガヤは、1960年にアルバ国立醸造学校を卒業。翌'61年から父ジョヴァンニのもとで醸造家としての道を歩み始めます。

 近郊の生産者からの買いブドウの併用を止め、全面的な自家栽培への切り替えを断行。質より量の考え方が蔓延していた当時のピエモンテにあって、収量を大幅に抑制します。若いうちは渋味と感じる強靭なタンニンが特徴のネッビオーロのため、イタリアにおける導入の先駆けとなったバリック樽を使用するなど、1960年代に数々の改革を実践してゆきます。

 ブドウの選別や樽材、ボルドー一級シャトーのそれよりも長いコルクに至るまで徹底した品質向上を図る一方、グランクリュにあたる「Costa Russi コスタ・ルッシ」ほか、プルミエクリュ的な「Fasetファセット」を含むD.O.C.G.バルバレスコの一等地14か所の畑を徐々に買い増し。1970年代後半には数々の改革が結果を生み、イタリアのみならず押しも押されぬワイン造りの第一人者となります。

※ 再生時に音声が流れます


 5代目として主に国外市場を担当する長女ガイア、国内を受け持つ次女ロザーナ、そして'16年に大学を卒業した長男ジョヴァンニが稼業を受け継いだ今も、1940年生まれで今年78歳となったアンジェロは第一線で精力的に活動しています。

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 こうしてバローロに本拠を置くVietti のバルバレスコ、バルバレスコに本拠を置くGaja のバローロという変化球を仕込んで臨んだ白トリュフの饗宴で供された料理の数々を【後編】では振り返ります。空腹時の閲覧は刺激が強いですが、(前回同様に)乞うご期待 ❣❣


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投稿者 vam : 02:09 | カテゴリー : Cuccina Italiana/| カテゴリー : Vino ヴィーノ

2018/11/30

祝・解禁!(なーんちゃって)

孤独な闘い2018
vs.仇敵ボージョレ・ヌーボー


 Booooo...q(`ε´q)

 2012年以来の大ブーイングと共に、仇敵との戦闘開始を告げるゴングが鳴りました。

 久方ぶりに相まみえる相手は、2004年がピークとなった輸入量104万ケースから昨年は半分以下の49万ケースまで落ち込んだのだというフランス・ブルゴーニュ地方南西部ボージョレ地区で栽培されるガメイ種を仕込んだ新酒ボージョレ・ヌーボー。

BeaujolaisNouveaux1981.jpg【Photo】域内消費型からの脱却を狙ったボージョレ生産組合では、長年にわたって新酒のPRポスターを制作してきた。救世主キリスト誕生の場面をもじった1981年バージョンは、まだ国内向けの感が強い

 1976年(昭和51)にヌーボーの輸入を開始したのが、宣伝上手で知られる某大手洋酒メーカー。大手広告会社と手を組んで繰り広げたイメージ戦略が奏功し、本来のワインの味を知っている自国や周辺国では広範な需要が見込めない1970年代末に作られ始めた粗製乱造品は、日本で市民権を得てゆきます。

 〝日付変更線に近く、ヌーボーを世界で一番早く飲める〟とか〝初物好きだから〟とか〝「旬」に敏感な繊細な感性の持ち主〟などとブチ上げ、ワインに馴染みが薄かった日本マーケットでのプロモーション活動に特に力を入れてきたのが、酒販業界とヌーボーをドル箱(☞統一通貨ユーロ導入前はフラン箱?)にしてきた生産者組合です。

 その背後に控えるのが、フランス政府直轄で1969年から駐日仏大使館に事務所を設置し、国費を投じた巧みな販促活動で自国食品の輸出促進業務を行ってきた「フランス食品振興会(SOPEXA)」。

Beaujolais Nouveaux2011.jpg【Photo】女性を意識し、国外での受けを狙ったデザインにシフトしている2011年バージョンのポスター

 ここ数年2,500万本前後で推移する全産出量のおよそ半数の1,300万本ほどが輸出に回されるボージョレ・ヌーボーの50%以上にあたる670万本(2015年実績)を日本が輸入しています。これは170万本を輸入する2位のアメリカ合衆国以下を大きく引き離し、ブッチギリの独走状態。

 日本の総人口が1.2億人で、アメリカ合衆国が日本の倍以上の3.2億人ですから、アメリカの4倍ものヌーボーを輸入している日本の尋常ではない突出ぶりが目立ちます。

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 14世紀末、ブルゴーニュ公国の豪胆公フィリップ2世が、世界で最も高価なワインを産出するVosne-Romanée ヴォーヌ・ロマネ村を頂点にLa Tâcheラ・ターシュなど、金満家向けの銘醸畑が存在するCôte-d'Or コート・ドール地域で栽培する赤ワイン用ブドウ品種を高貴品種のピノ・ノワールに限定する法令を発布。

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 その結果、多産ながら品質では劣る地ブドウのガメイはブルゴーニュ公国から駆逐され、コート・ドールとは異なる花崗岩土壌が広がる南部のボジョレー地区で地元の日常消費用に栽培されるようになります。

moulin-a-vent.jpg ボジョレー地区でも土壌が幾分か異なる北部の「Moulin a Ventムーラン・ナ・ヴァン」左画像Morgon モルゴン」右下画像Fleurie フルリ」「Chénas シェナス」など10箇所の単一畑(Cru クリュ)では、わずか2~3日という短期間のステンレスタンク密閉促成発酵で仕上げるマセラシオン・カルボニック製法ではない通常の造りで数年の熟成が可能なワインを産出します。


morgon.jpg ボージョレ地域のこうしたクリュワインのエチケット(ラベル)には、産地名である「Beaujolais ボージョレ」の記載が一切見られません。これは、ワインを常飲する消費者がボージョレ産ワインに抱くマイナスイメージを考慮している事情があると庄イタは考えています。

 よほどのガメイ好きでもなければ、敢えてクリュ・ボージュレを極めてボージョレ通を目指す必然性は見当たらないというのが、フツーの飲み手の本音かと。

 一般のワインが出回る前に稼ごうと狙ったマーケティングの産物であるヌーボーの売り手は、その味を〝フレッシュ&フルーティー〟と称します。聞こえこそ悪くありませんが、独特なバナナフレーバーが漂う薄っぺらでお寒い中身とはおよそ不釣り合いな価格が日本で横行するには理由があります。

Beaujolais Nouveaux.lyon.jpg【Photo】ボージョレ地区から15kimほどと、最も近い都市であるLyon リヨンの街頭で新酒の仕込みには使用しない使い古しの樽を転がす新酒解禁のデモンストレーションを繰り広げる生産者団体のメンバー

 ニュージーランド、フィジー共和国、バヌアツ共和国、マーシャル諸島など、日付変更線により近い国がある事実を曲げてまで、売らんかな魂胆むき出しの売り手側は、原価に航空運賃・倉庫料・中間マージン+αを上乗せし、現地価格では2€~6€ほどの安酒を2,500円前後で売るのですから、さぞオイシイ商売なのでしょう。

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 世界のワインマーケット事情に明るい米国のワイン評論家ロバート・パーカーjr.は、南北54km東西13kmのボージョレ地区にひしめくブドウ生産者2,700軒が産出する莫大な量のボージョレ・ヌーボーを〝フランスで最も成功した輸出品〟と評しています。

 その最右翼であろうルイ・ヴィトンは、ブランドを象徴するモノグラム柄さながら判で押したように人と同じモノを持つ右に倣え方式への抵抗感がゼロな日本市場の売り上げが全世界の4割を占めます。近年の拡大路線による品質低下を指摘されながらも2018年の売り上げがバブル期を上回る過去最高を記録。LVブランド崇拝者が存在する限り、高止まりする価格に見合った品質を今もなお保持しているのか、ボージョレ・ヌーボーと比べれば〝●っても鯛〟の部類に入るのでしょうか?

 パーカー氏が〝The Nouveau hysteria(ヌーボー・ヒステリー)〟という表現を自著「Parker's Wine Buyer's Guide」の中で使っているヌーボー商戦から遠く距離を置いている庄イタの目には、11月第3木曜日の深夜零時を挟んで繰り広げられる一連のヌーボー商戦が「ボージョレ騒動」としか映りません。

【Movie】新酒解禁に合わせて、劣勢にある国内市場に向けたPR活動も怠らないのが、日本におけるサクセストーリーを盾に生産者を動員するボージョレ・ワイン委員会。オープンバスや2CVで隊列を組み、パリの目抜き通りでの派手な街宣活動を繰り広げる

 ちゃんとしたワインを愛飲する庄イタ。複数の取引先から職場に舞い込むボージョレ・ヌーボーの斡旋で、数本をお付き合いで購入した分を持て余すからと同僚から貰ったことが2度あります。

 寝かせても意味がないので、2本ともすぐに開けたものの、全て飲み切るのが苦痛だった上、フラストレーションがたまる悪循環に陥りました。いずれも料理酒としての末路をたどった経験から、自身はお付き合い購入には頑ななまでに応じてきませんでした。

 大阪支社でご縁が深まった取引先から昨年購入したのはボージョレ・ヌーボーではなく、我が郷里ピエモンテが誇る銘酒「Barolo バローロ」(笑)。

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【Photo】取引先の支店長からお薦め頂いたのが、最も偉大なバローロを生むSerrralunga d'Alba セッラルンガ・ダルバ地区で1956年に創業。現在はレストランを併設し、伝統に培われた丁寧な造りを貫き、年を追うごとに評価を上げている造り手「Schiavenza スキアヴェンツァ」の単一畑「Prapò プラポー」2012ヴィンテージ

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 そんな庄イタが目に余る商業主義と繰り広げてきた孤独な闘いの戦歴を振り返ると...。

 2008年「今年も当たり年? ボジョレー・ソードーは日本固有のお祭り
    「ボジョレー後日談&自然派ワインよもやま話
 2011年「ボジョレー騒動はさておき...
     地球上で唯一オフヴィンテージが存在しない奇跡のブドウ産地・ボジョレー
       vs.解禁日に飲んだ今年のヴィーノ

 2012年「どうせなら真っ当な新酒を

 たっぷりと皮肉を込めて毒を吐き続けた地道な啓発が浸透したのか、国産ワインの市場拡大とあいまってニッポンのボージョレ・ヌーボー消費は年を追うごとに冒頭に述べた通り縮小傾向にあります。

 「ようやく良識ある日本のワイン市場が醸成されてきたぞ...。」と安堵し、怒りの矛を収めたのが2013年以降。

 ところがどっこい。〝夢よ再び〟と衰退の一途をたどるヌーボー市場をテコ入れせんとする悪の枢軸(どこかで聞いたような...)による(イラクでは存在が確認されなかった)大量破壊兵器ならぬ大量生産品を売り込まんとする美辞麗句がゾンビのごとく今年も市場に出回りました。

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 いかなる天候でもネガティブな情報を決して発信しない生産者団体「Inter Beaujolais(ボージョレ・ワイン委員会)」の9月27日付プレスリリースには、「フルボディでリッチ、滑らかで複雑味がある」という今年のヌーボーの出来に関する見出しが躍ります。

 その本文にいわく「2018年は歴史に残る作柄」。理想的な天候に恵まれ、健全で凝縮したブドウが収穫され「2017・2015・2009と肩を並べる歴史的なヴィンテージ」とあります。さらに作り手によっては「偉大なフィネスを備えている」とまで吹聴しています。

 「またかよ...」いささかウンザリしつつ、出遅れた感はありつつも、一つ覚えのように繰り返されるあこぎなヌーボー商法に妨害電波を発しておきましょう。

george-dubueuf2018.jpg 過去のネガティブキャンペーンで繰り返し述べたように、ヌーボー商戦には誇大な表現がついて回るのが常。まともなワインを常飲する立場からすると、噴飯物の表現が満載のプレスリリースは、トランプ米大統領が槍玉に挙げるフェイクニュースそのものです。

 2018年ヴィンテージが優良年だとしても、それは通常の仕込みを行うワインに当てはまる話。マセラシオン・カルボニックという特殊な促成醸造を行い、リリースから3~4か月で飲み切るべきヌーボーは、天候に恵まれたにしても奥深い複雑味や風味の劇的な向上が見込めるわけではありません。

Maseration-Beaujolais Nouveaux.jpg【Photo】通常の赤ワインの仕込みでは、除梗したブドウを破砕し、2週間から2カ月ほどを要してマセラシオン(=発酵)を行う間に果皮から果汁に浸潤する要素でワインの複雑味が増す。ボージョレ・ヌーボーは除梗後のブドウをそのままステンレスタンクに投入。密閉した環境でアルコール発酵が始まると炭酸ガス(=カルボニック)が発生し、酸欠状態が生まれる。わずか2~3日で一次熟成が停止。平板で薄っぺらくシンプルなお味のヌーボーが出来上がる

 ましてや適切な保管状況で20年以上の歳月を経ることで、妖艶で味わい深い熟成をする一部の偉大なワインだけが備える〝Finesseフィネス〟という言葉を軽々に用いては、土づくりや冬場の剪定、顆粒を傷めないための手摘みによる収穫、一粒ごとの厳格な選別など、量より質を求めるブドウ栽培から醸造に至るまでの膨大な手間と労力を惜しまない良心的な作り手に対して失礼極まりない話です。

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 大統領選をめぐるロシア疑惑や他国との軋轢を顧みない自国第一主義に基づく政策が、どれだけ綻(ほころ)びが出ようと、あるいは繰り返し〝謙虚に丁寧に〟と口先で言っておきながら、真相について説明責任を果たそうとはせず、選任した閣僚の一部が大臣としての資質を問われる体たらくだったとしても、'80年代には40%台だった法人税率が、2013年度に37%、消費増税を決定した2018年度に27%台まで引き下げた恩恵に浴する経団連を筆頭に、時の政権には一定の固定支持層が存在します。

beaujolais2018_newspaper.jpg それと同様にどれだけ庄イタが警鐘を鳴らそうと、ボージョレ・ヌーボーへの出費を惜しまぬ人々は存在します。いい加減にもう片棒担ぎをやめればいいのに、旬の風物詩的な扱いで新聞やテレビもボージョレ・ヌーボー解禁をニュースとして取り上げる状況に変化の兆しはありません。

 新聞倫理綱領にある通り、メディアは正確かつ公正でなければなりません。良識ある報道機関の皆さん、行き過ぎた商業主義の片棒担ぎはいい加減やめませんか。

 そしてヌーボーに群がる皆さん、そんなに初物がお好きなら、(庄イタは絶対に手を出しませんが)ボージョレ・ヌーボーと同じ製法で10月30日に市場に出回り始めるイタリアの新酒「Novello ノヴェッロ」はいかがでしょう。ボージョレより半月早く出し抜ける快感も味わえますよ。

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【Photo】米国籍の兄弟が1978年にトスカーナ州モンタルチーノで設立した「Banfi バンフィ」は国際品種シラーにガメイ!!)を混醸するのはレアケース。コスパが高いCORVOコルヴォで知られるシチリア州「Duca di Salaparuta ドゥーカ・ディ・サラパルータ」、シュワシュワで甘酸っぱいランブルスコの造り手「Donelli ドネリ」といった大規模な作り手が、サンジョヴェーゼやネロ・ダヴォラなど主にイタリア品種のブドウを使用し、(ほぼ日本向け限定で)余技として生産するノヴェッロ

 さらには季節が半年先行し、今年の3月から4月に収穫されたブドウを6か月間セラーで熟成させた南半球の2018年産ワインも既に市場に流通しています。

 例えばボージョレ・ヌーボーの1/4以下のお手頃プライスでありながら、間違いなくヌーボーよりも上質であろうチリの首都サンティアゴに醸造所を構える作り手「Santa Carolina サンタ・カロリーナ」が、中部セントラルヴァレー地区で栽培するブドウから作る「カベルネ ソーヴィニヨン/シラー2018」は、500円前後の良心的な値付けがされています。

 チリ最大手の醸造所「Concha y Toro コンチャイトロ」傘下の「Viña Maipo ヴィニャ・マイポ」の「カベルネ・ソーヴィニヨン&メルロー 2018」も実勢価格が700円以下で賢明な選択といえます。

 どちらも堅苦しいウンチクやワインスノッブとは無縁なお値段。ボージョレ・ヌーボーの現地価格と同価格帯でも、コストパフォーマンスは遥かに上をゆきます。

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【Photo】解禁日の11月15日(木)には呼び込みの売り子を立てていた西宮市内の食品スーパー。ヌーボーよりも上質との触れ込みのヴィラージュ・ヌーボーですら、解禁日から半月を経た11月末には哀れ在庫処分セール品と化していた

 皮肉にもこうして2011年「ボジョレー騒動はさておき...」で槍玉に挙げた〝ボージョレの帝王〟ことジョルジュ・デュブッフを日本に紹介したS社の取り扱い商品2種類をボージョレ・ヌーボーに代わる賢明な選択肢として挙げたのは、幾分バッシングをやりすぎた感がある戦歴の贖罪だと受け止めていただいても結構です。

 久方ぶりにボコボコにしばきまくったボージョレ・ヌーボー掃討作戦2018。積もり積もった鬱憤が晴れたところで、今年のところはこのぐらいにしといたるわ、ワレ。

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 次回はヌーボー解禁前夜、庄イタが白トリュフ解禁を祝して大阪ミナミで空けたワインについて語ります。乞うご期待❣

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投稿者 vam : 15:05 | カテゴリー : Vino ヴィーノ

2018/11/11

香り立つデニム〈後編〉

専用フレグランス付きテーラード・ジーンズ
JACOB COHËN ヤコブ・コーエン


 その香りは、濃密にしてエキゾチックかつノーブル。

 嗅覚中枢を心地よくくすぐる馥郁たる芳香は、ウオッシュの濃淡が異なる2本のインディゴブルーのジーンズから漂ってきます。

 魅惑的な香りの主は、比類なき着心地の良さを生み出すイタリア伝統の立体裁断の技術を駆使したハンドメードによる〝テーラード・ジーンズ〟を標榜する「JACOB COHËN ヤコブ・コーエン」。

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 仕立ての良いテーラードジャケットとの組み合わせを前提にデザインされており、スリムなスキニータイプは別にして、ルーズなフォルムが一般的な作業着ベースの粗野なイメージのアメリカンジーンズとは全くの別物。

 レディース・メンズを問わず、JACOB COHËN のジーンズには全て製造段階で同じ香りづけがなされます。

 それは東南アジア原産でシソ科の花木「Patchouli パチョリ」の葉から抽出した精油ほかを独自に調合した〝INDIAN WOOD〟という香り。パチョリは古代ギリシャ・ローマ時代から香料や媚薬としても知られてきたといいます。

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 フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ教会に所属するドミニコ会修道士が13世紀に行った救済事業が母体の現存する世界最古の薬局「Officina Profumo Farmaceutica di Santa Maria Novella サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局」にもパチョリという名のオーデコロンがあります下左側

 和装にも似合いそうなそのハーバルでオリエンタルな落ち着いた香りのトップノートで連想したのは墨汁や太田胃散(笑)。

patchouli_SMN.jpgPatchouli Patch Eau de toilette.jpgPatchouli Patch-box.jpg

 庄イタがよりINDIAN WOOD との相似を感じるのは、パリで1976年に誕生した「L'Artisan Parfumeur ラルチザン・パフューム」が1978年に発表したオード・トワレ「パチュリパッチ」です上右側。フローラルでウッディな香りと植物由来のホワイトムスクやコケの香りが複雑に絡み合います。

indianwood-jacob.jpg プロフェッショナルな調香師、あるいは映画「羊たちの沈黙」に登場する絶対嗅覚の持ち主レクター博士でもなければ、JACOB COHËNから立ち上る個性的なINDIAN WOODの重層的な香りとサンタ・マリア・ノヴェッラのパチョリやラルチザン・パフュームとの共通点を直ちに見いだすことは難しいかもしれません。

 デニム地から力強く立ち上がるINDIAN WOODは、あくまで甘美ながら爽快さも感じられます。奥底にパチョリのニュアンスを嗅ぎ当てた庄イタなのでした。

 〈後編〉では個性際立つ香りを纏(まと)ったMade in ITALY ならではのジーンズ JACOB COHËN について語ります。

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 日本ではEDWIN系列のAmericanino アメリカニーノ、Outsider アウトサイダーなどのカジュアルなブランドをイタリア北東部ヴェネト州パドヴァ県の人口3,500人ほどのポンテロンゴという街で立ち上げた実業家でTato タトの愛称で呼ばれたAdolfo Bardelle アドルフォ・バルデッレは、1985年に新たなボトムスのブランドを立ち上げます。

 JACOB COHËN ヤコブ・コーエンという新ブランド名は〈前編〉で回顧した国籍を問わず広く愛されるジーンズ生みの親である二人のアメリカ移民、ヤコブ・デービスとリーバイ・ストラウスの成功譚に敬意を込めたもの。

 〝JACOB〟はヤコブ・デービスのファーストネームであり、〝COHËN〟はリーバイ・ストラウスの出自であるユダヤでは一般的な姓であり、元来は司祭を指すヘブライ語です。

nicola bardelle.jpg JACOB COHËNが世界へと飛躍する立役者となったのが、父が立ち上げたブランド再興に2003年から着手し、従前とは比較にならないほど価値を高めた息子のNicola Bardelle 二コラ バルデッレでした上画像

 ニコラが初めて手がけたストレートモデル「610」下画像は、ローマから世界24か国に展開し、セレブな顧客に愛されるメンズプレタポルテの名門「Brioni ブリオーニ」で取り扱われるも、ほぼ無名のブランドへの発注は、わずか700本に留まります。

 順風満帆なブランド再出発とはいかなかったものの、細部に至るまでの並外れた品質とデザイン性の高さから、目の肥えた顧客の心を捉えて離さなくなるまでに要した時間は長くはなかったのです。

jacob-cohen610.jpg 才気に恵まれ、新たなデニムの価値を創造したニコラ。一躍時代の寵児となりましたが、2012年8月、家族と共に滞在していた南フランスの保養地サントロペで交通事故のため急逝します。享年45。

 不慮の死を遂げたニコラ亡きあと未亡人となった妻ジェニファーがクリエーティブディレクターに就任。一流ブランドが軒を連ねるモンテナポレオーネ通りと同様、ファッショナブルなショップが集中するミラノ・スピーガ通りにルームフレグランスや子ども服・シューズなどの新展開を含む旗艦店を今年5月に出店するなど、JACOB COHËNの勢いは止まりません。

 他にはない個性を磨き、品質を徹底して高めることで独自の地位を確立したニコラの開拓者精神は、色褪せることのない魅力と共に一着の中で生き続けています。

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Jacob Cohen-2016.jpg イタリアン・プレミアムジーンズといえば、1979年の初コレクションからジーンズに注力し、若年層に支持されるDIESEL ディーゼル、1981年からジーンズを手掛けたGIORGIO ARMANI ジョルジョ・アルマーニが代表的な老舗どころでしょうか。

 JACOB COHËNが再始動した2003年以降、Pantaroni Torino(☞「トリノのスラックス」の意)の略語をブランド名にしたボトムス専業のPT01ピーティーゼロウーノから派生したPT05ピーティーゼロチンクエ、JACOB COHËNの路線を狙ったRICHARD J. BROWN リチャード・J.ブラウンtramarossaトラマロッサSIVIGLIA シヴィリアなど、あまたのフォロワーが登場した後にあっても、JACOB COHËNは際立った存在であり続けています。

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 その理由のいくつかを挙げてみましょう。

 染色・織り・縫製の全てにおいて高い技術を持つ職人技が世界に認められた岡山県児島のジーンズは、遺伝子の複数形 Genes【dʒíːnz ☞ ジーンズ】と組み合わされ〝Kojima Genes〟の名を世界に馳せています。

 現在、JACOB COHËNの製造を一手に引き受ける「Giada SpA ジャーダ社」は、ヴェネト州アドリアとシチリア州ブロンテに工房を構えます。岡山製やイタリア製デニム生地を厳選。ジーンズの顔となるステッチ入りバックポケットの工程では、効率的に裁断から刺繍までを一貫して行える信頼性が高い日本製の多頭式電子刺しゅう機を導入しています。

 このような日本との縁が浅からぬハード面のこだわりのみならず、手先が器用な女性たちが活躍する熟練の縫い子の技術を併用する縫製には番手の細い糸をモデルごと色を変えて使用します。イタリア伝統の立体裁断でカッティングされた一点ごと手作業によるアイロン成形でクセ取り仕立てを行い、股下に無駄なシワが寄らない無類の履き心地と膝下を絞ったテーパードなシルエットの美しさを両立させているのです。

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 手仕上げされる立体的なシルバーメタルのロゴが浮かび上がるなど、実にバリエーション豊富なパッチには、時にシリアルナンバーが刻印されます。希少素材ヘアハイド(ハラコ)を色違いで使用するほか、シュリンクレザーや型押し、さらには良質のレザーにハンドペイントを施すなど、モデルごとの表情は多種多彩。

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 タックボタン上画像や前編で経緯に触れたヤコブ・デービスがリーバイス社との連名で1873年に特許を得たリベット下画像は、ジュエリーを手掛ける工房にモデルごとに風合いやデザインを発注します。

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 ベルトのバックルが上にずれ上がらぬよう、ピンを通すループがフロントトップのタックボタンホールの下に縫い込まれるのは、テーラドなスラックスと同じ仕様下画像

 バックポケット用のブランド名入りの質感が高いバンダナもモデルによって色柄の組み合わせを変えるなど、死角のないディテールへの目配りにはつくづく感心します。

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 着用すれば外見上は見えない箇所における主張も怠りません。

 多くのモデルで採用されるのが、ジッパーではなくクラシックなボタンフロントです。一点づつメッキ加工が施され、風合いが変わるモデル名の刺繍の裏にはブランドポリシーが縫い込まれています。

 Go to bed with a dream Wake up with a purpose
 (☞ 夢を抱いて眠り、目的をもって目覚めよ)

 フロントポケット内側の袋状になった左右のスレーキもモデルごとに柄や色が異なり、JACOB COHËNのモノづくり哲学を記した履く人に向けたメッセージと取り扱いについての指示を超細番手の糸でスレーキにタグを縫いこむ念の入れようです。

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 そこにいわく〝Understand yourself. Think of yourself. And then go your own way. Whatever ties to the circumstance you have, and whatever conditions you are in keep your way and remember to smile. The JACOB COHËN product philosophy.
(☞〝自分を理解せよ。自身について考えよ。そして自ら歩め。どんな事情があったにせよ、どんな体調であっても、自分の生き方を貫き笑顔を忘れるな〟)

 モデルによって開きはありますが、定番の「J622」や「J688」は並行輸入ものでも3.5万円以上、正規代理店を介するショップにおける限定モデルに至っては7万円前後~の価格帯となります。

 そんな実勢価格も相まって、酸いも甘いも知り尽くした世代こそが似合うのであって、その価値を見いだす眼力が問われる逸品を青二才が着こなすには、どうやらハードルが高いようです。

 JACOB COHËNの愛用者ならばお馴染みであろうブランドのアイコンとなる香りINDIAN WOODは、ギリシャ産などを試行錯誤の末に理想の仕上がりを得たエジプト産の軽石でブリーチをかけた後の水洗い工程で生地に付けられます。

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 こうして完成する微妙な風合いを損なわぬよう、洗う頻度を極力減らすよう指示。洗濯にあたっては、裏返してネットに入れ、色移り防止のため単独で洗い、直射日光を避けることが必須となります。

 洗濯によって失われる香りを蘇らせるため、通常モデルにも付属する補修用の糸と共に、リミテッドエディションとプレミアムエディションにはシルバーメタリックのアトマイザー入り専用フレグランスが小袋に入ってきます。

 フレグランスだけを手に入れたいJACOB COHËN 愛好者は少なからず存在するようで、ほぼ常時ネットオークションで10mℓ容量のINDIAN WOODが売買されています。

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 テーラードジーンズを標榜するJACOB COHËNゆえ、直営ショップで購入したジーンズは専用BOXに収まって購入者へと手渡されます。

 どうです?JACOB COHËNの魔法にかかったことがないと仰るアナタも興味が湧いてきたでしょ?

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 今年の初夏、セレクトショップ「Strasburgo 京都LAQUE 四条烏丸店」で購入したJ622セカンドプレミアムエディション「FLORENCE」は、関西では〝着倒れの街〟の異名を持つ京都と姉妹都市である芸術の都フィレンツェをイメージしたモデル。ハンドペイントによるデフォルメされたフィレンツェの市章ユリがイタリアンカラーで描かれている1点ものです。

 パッチと共柄のバンダナやタックボタンが白で統一されて季節感を演出した夏場は、セリエAの強豪SSCナポリのレプリカユニフォームや赤穂さくらぐみで購入したスタッフTシャツをタックアウトで、秋口はナポリ伝統のハンドメード技術を受け継ぐシャツ専業メーカー「Finamore フィナモレ」をタックインで着る機会が多かった季節も変わり目に差し掛かっています。

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 本国イタリアでは、上着を含めたトータルな商品展開を図っており、2016年3月にオープンした関西における旗艦店である大阪梅田の「JACOB COHËN ハービスPLAZA」上画像には、ボトムスだけでなく、上着からTシャツ、バッグやベルトといった小物に至るアイテムが揃います。

 アイテム数が最も多いのはジーンズゆえ、ショップの入り口付近にはINDIAN WOODのかぐわしい香りが立ち込めており、思わず足を踏み入れたくなる仕掛け。

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 そうしてチェックした今シーズンは、J688やJ622シリーズで1960年前後にイギリスから世界の若者に伝播したムーブメント「モッズ」をテーマに英国空軍の青白赤トリコロールカラーのラウンデルやタータンチェックなど、ブリティッシュテイストを取り入れたコレクションを展開しています。

 付属品がなく装飾がシンプルなPWシリーズよりは値が張りますが、せっかくならディテールに凝るJシリーズ、それもリミテッドエディションクラスを手に入れたいもの。

 立冬を過ぎ、コートを羽織るまではジャケット+パンツスタイルで外出する機会が増えます。そこでハービスPLAZA店で物色したのが、J622よりも股上が1.5cm深く上着との相性が良いJ688モデル 。

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 ツイード素材のテーラードジャケットとの相性を考慮し、探したのはワンウオッシュ程度のやや濃いめのインディゴブルーデニムで、膝下からテーパードがかかった日本人にも着こなしやすいシルエットの688が第一候補です。

 いくつか比較した中で、赤いステッチとコインポケットやモスグリーンのハラコパッチに配されたロイヤルタータンが効いたJ622モデル、そしてポケットとウエスト外側部分に入った破線状の極太ステッチが目を引き、JACOB COHËNとしては珍しく内側に2本のループステッチが入った「J688 HEAVY STITCH COMFORT」の二者択一となりました。

 先述したJACOB COHËNのブランド哲学ではありませんが、庄内系イタリア人として自我が覚醒する遥か以前、ブリテッシュ系プログレ少年だった庄イタ。'70年代にティーンだった女子に人気があった英国エジンバラ出身のアイドルポップグループで、(脳天気なアメリカ的楽曲ともども、どう贔屓目に見ても趣味が劣悪に思えた)タータンチェックのステージ衣装に身を包んだ「ベイ・シティ・ローラーズ」に対して抱いていた悪い印象と重なりパス(笑)。

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 そうしてJ688 HEAVY STITCH COMFORTに白羽の矢を立てた次第。

 良質なクロコダイル型押しで、渋い光沢を放つ皮パッチには、通常リミテッドエディション以上のモデルに使用されるシルバーメタリックのロゴが輝きを放ちます。

 さらにJ688 HEAVY STITCH COMFORTはリミテッドでもプレミアムでもありませんが、シーズン毎に特に力を入れたモデルを示すこのセカンドプレミアムエディションには、補修用の糸巻と共にINDIAN WOODのフレグランスボトルが袋に忍んでいるのです。

 これは買いでしょう。

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 裾上げにあたっては、吉田育次店長のサジェスチョンもあり、付属の金茶色の糸ではなくコインポケットに施されたJの刺繍と同系の赤い糸を指定。差し色を強調するダブルチェーンステッチ処理を施した仕上がりにも納得です。

 こうして庄イタを魅了するJACOB COHËNとの運命の赤い糸は、ますます強固なものとなりました。

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投稿者 vam : 02:31 | カテゴリー : Prodotto Italiano

2018/10/28

香り立つデニム〈前編〉

専用フレグランス付きテーラード・ジーンズ
JACOB COHËN ヤコブ・コーエン


(財)日本ジーンズ協議会主催による恒例のベストジーニスト2018が10月15日に発表され、一般選出部門には女優の菜々緒さんとタレントの中島裕翔さんが選出されました。

 中島さんが所属するアイドルグループHey! Say! JUMPを今年度の観光キャンペーンで起用するのが宮城県。

 10月16日(火)に宮城県仙台市で開催された第71回新聞大会がらみで前日朝から仙台入りしました。'90年代に5年連続ベストジーニストに選出された木村拓哉さんの次女Kōkiさんが全面広告に登場したその日の河北新報朝刊には、もう一つ見逃せない広告が掲載されました下画像

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 それは16日にパンフレットの配布が始まる冬旅キャンペーン「ふ湯タビ宮城」の見開き広告。果たせるかな翌日はパンフレットを入手しようと宮城県庁1階の観光情報コーナーに群がる女性たちの姿がありました。

 臆することなく列に加わり入手したパンフレットを見る限り、右から2番目の中島さんはジーンズのみならず浴衣姿も板についたもの。半纏(はんてん)がインディゴブルーである点がポイントだと思いますが、いかがでしょう。 

 与太話はこの辺で切り上げ、本題へと移ります。

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Jacob_W._Davis.jpg 多くの人が一度は履いたことがあるであろうジーンズが誕生したのは、1848年に金鉱脈が発見され、ゴールドラッシュに沸く19世紀中庸のアメリカ・ウエストコーストです。

 ラトビア共和国の首都でバルト海の真珠と称される世界遺産の街リガから家族と共に23歳で新大陸アメリカに移住したヤコブ・デービス(Jacob W. Davis,1831-1908)右画像は、サンフランシスコの北東220kmほどにあるネバダ州リノという小さな町で1968年から仕立て屋を営んでいました。

 耐久性を重視する顧客の求めに応じ、帆船の帆に使われる番手の太い綿糸で織り上げた丈夫なキャンバス生地を用いて銅製のリベット(鋲)でポケットを補強した作業ズボンを1871年に売り出します。それは金鉱山や港湾で働く労働者の仕事着として好評を博します。

Levi_Strauss.jpg デービスが布地を仕入れていたのが、ユダヤ系ドイツ移民リーバイ・ストラウス(Levi Strauss,1829-1902)左画像が1865年に設立した繊維製品卸会社Levi Strauss & Co.リーバイ・ストラウス社です。人口増が著しく、新たなマーケットとして有望だったサンフランシスコは、当時ゴールドラッシュによる活況を呈していました。

 1873年5月20日、特許申請に要する$68の費用援助を申し出たデービスと同社との共同名義で特許を認められたのが「ポケットの開口部を補強する方法」。

 同年、オレンジ色の糸を縫い込んだV字型の二重バックステッチを商標登録。生地を防虫効果があるインディゴ染料で染めた9オンスのデニム生地へと変更し、ここにジーンズの原型が出来上がります脚注1参照

jeans_Patent.jpg【Photo】ツルハシを手にした男性のイラストを添えてヤコブ・デービスとリーバイ・ストラウス社が特許申請したのが、リベットでポケットの開口部を補強したキャンバス地の作業ズボン。1873年5月20日付でアメリカ合衆国特許第139,121号として認可された

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 そもそもデニム生地は、海洋交易国家としてヴェネツィアと覇を競ったジェノヴァ共和国から遅くとも17世紀に地中海世界や英国へと伝わり、さらには新大陸へも上陸していました。

 南仏ニーム地方の織物という意味のフランス語〝Serge de Nîmes〟が簡略化してデニムとなったという説がある一方、トリノ近郊にあり、繊維産業で栄えたChieri キエーリで生産され、15世紀には一大貿易港となったイタリア最大の海運都市Genova ジェノヴァから輸出されたデニム地〝blue de Gênes〟がブルージーンズの語源とされます。フランス語でジェノヴァはGênes(ジーンズ)と表記することから、その発祥については互いに譲らぬところ。

donna_cucce_due-bambini.jpg【Photo】ヴェネツィア周辺の出身とされ、ロンバルディア地域で風俗画を残した名もなき画家「Maestro della tela jeans マエストロ・デッラ・テラ・ジーンズ」の「Donna che cuce e due bambini 針仕事をする女性と2人の子ども」〈17世紀・油絵(一部インディゴ)102×193cm〉©Fondazione Cariplo, Milano

 パリ市内だけで9店舗を展開するGUCCIと同様、フランス国内にも少なからず顧客が存在するPRADA、FENDI、そして前回取り上げたDOLCE & GABBANAといったイタリアン・スーパーブランドに関して、インターネット百科事典Wikipedia にはフランス語版が存在しません脚注2参照
 
 そんな一面からも窺える本家中国に劣らぬ尊大な中華思想の持ち主である(と、かねがね庄イタは思っている)フランス人にとって看過できない発見が近年なされました 。

 ベラスケスやルーベンスらを庇護したスペインハプスブルグ家の統治下にあった現在の北イタリア・ロンバルディア州にあたる17世紀後期のミラノ公国領に一人の名もなき画家がいました。

Jean_Femme_Mendiant.jpg【Photo】マエストロ・デッラ・テラ・ジーンズ「Madre mendicante con due bambini 2人の子どもを連れた物乞いの女性」〈17世紀・油絵(一部インディゴ)152×117cm〉©Galerie Canesso, Paris

 その画家は作品上にサインを残さなかったため、2006年にウィーン美術史美術館の美術史家ゲルリンデ・グルーバー博士が便宜上〝Meister der Blue Jeans (独語), Maestro della tela jeans(伊語 ☞ ブルージーンズのマエストロ)〟と名付けます。画家が残したとされる絵画の中の数点には、デニム地の服を身に着けた下層社会の人々が描かれていました。

 2010年、グルーバー博士らによってマエストロ・デッラ・テラ・ジーンズが残した絵画の鑑定が行われました。同時代のオランダの画家フェルメールは、青の表現に高価なラピスラズリの顔料を使いましたが、17世紀は藍銅鉱を原料とするアズライトが青絵具として使われるのが通例です。

 ところがマエストロ・デッラ・テラ・ジーンズが丹念に細部まで描いた青の布地には、デニムの染色に用いられる顔料であるインディゴが使用されていたのです。

Maestro_della_jeans_piccolo_mendicante.jpg【Photo】マエストロ・デッラ・テラ・ジーンズ「Piccolo mendicante con focaccia ripiena 詰め物をしたフォカッチャを手にする子どもの物乞い 」〈17世紀・油絵(一部インディゴ)86×71cm〉©Galerie Canesso, Paris

 フランスの新聞「Le Mondo ル・モンド」Web版でアートコラムを担当するLunettes Rouges(☞「赤メガネ」の意)氏は、この鑑定結果を受け、2010年9月19日付でその信憑性に疑問を投げかけます。

 予想通りの〝お山の大将オレ一人〟的なフランスらしいリアクションですが、オーストリアの専門家の鑑定結果にケチをつけたLunettes Rouges氏、インディゴブルーが赤に見える色眼鏡で物事が歪曲して見えたのでしょうか。

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 初期のジーンズは、ベルトループではなく背中側にサイズ調整用シンチバックがあり、サスペンダー留めのボタンが前後2か所にある仕様でした。後ろ右ポケットの赤いタブと共にリーバイスのアイコンとなっているのが、後ろポケットのアーキュエットステッチ。

 1873年に登場したリーバイ・ストラウス社の型番「501」は、スタンダードモデルとして根強い人気があります。1960年代前半に生産された501は、ヴィンテージコレクター垂涎のアイテムとなっています。
vintage-jeans.jpg【Photo】これはファッションとしてのダメージ加工ではなく、作業服として扱われた時代のジーンズ。初期のジーンズは労働現場で履きつぶされたため、後世に伝わることは珍しいのだそう。リーバイス社が所有する最古のジーンズ「XXc.1879」は1879年頃の製造とされ、価値評価の算定基準が謎ながら、時価15万ドル(約1,650万円)!!

 今や全世界110か国に2,900店舗の販売網を広げ、2017年の売上高が49億米ドルに達するグローバル企業となったリーバイス社。その飛躍のカギとなったのが、フォード社デトロイト工場の流れ作業によるオートメーション方式を応用し、大量生産を可能としたことにありました。

 パッチに描かれた二頭の馬が引いても破れない堅牢さの象徴であるリベットとオートメーションによる品質の平準化がもたらしたリーバイス社のサクセスストーリーは、いわば20世紀型の成長神話。

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 ジーンズがファッションアイテムとしてスタンダード化した21世紀。サヴィル・ロウの英国製と双璧をなす紳士服の頂点、イタリア伝統のサルトリア(仕立て屋)技法を取り入れた履き心地とデザイン性・品質を兼ね備え、ファッショニスタに支持されるのがJACOB COHËN ヤコブ・コーエンです。 

 次回は耐久性を重視する作業着として生まれたアメリカン・ジーンズをルーツとしつつも、知れば知るほど洒落っ気たっぷりなイタリアンテイストのジーンズにまつわるストーリーをお届けします。

*注釈1】ヤコブ・デービスが仕立て屋を営んでいたネバダ州リノの繁華街、North Virginia Street 211番地にリノ市歴史資源委員会によって顕彰碑が設置され、2006年5月20日に除幕式が執り行われた
  
*注釈2】GUCCIに関するWikipediaコチラ)、PRADAに関するWikipediaコチラ)、DOLCE & GABBANA に関するWikipedia コチラ)にはフランス語版が存在しない。その反面、人と同じバッグや財布を所有することに抵抗がなく、右倣え大好きな日本で全世界の4割の売り上げシェアを持つLouis Vuittonに関するWikipediaコチラ)や、CHANELについてのWikipediaコチラ)など、フランス資本のブランドにはイタリア語版Wikipediaが存在する。庄イタにとっては鼻持ちならないフランス人の鼻っ柱の強さとは対照的に、細かい事にはこだわらない(「いい加減な」とも言いうる)イタリア人の心の広さの現れかと(笑)

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投稿者 vam : 23:47 | カテゴリー : Libro e Cinema, Arti ,Musica 書籍と映画, 芸術, 音楽/| カテゴリー : Prodotto Italiano

2018/09/30

I choose to get DOLCE & GABBANA.

ドルチェ&ガッバーナをポ~ンとお買い上げ。
ただしパスタですが、何か?


 インターネット通販サイトZOZO TOWNを運営するスタートゥデイ社の前澤友作社長が、一部報道では総額1,000億円の巨費を要すると推定される月旅行へと旅立つのだそう。しかもお気に入りのアーティスト6~8名を招待するというので、その太っ腹ぶりにぶっ飛んだ方も多いのでは?

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 今回のタイトル〝I choose to get ●●●〟(●●●を入手することにした〟)は、民間向けに初の月旅行を企画した宇宙ベンチャー企業「スペースX」を立ち上げたテスラ社CEOのイーロン・マスク氏と共に臨んだ記者会見における前澤氏のスピーチ〝I choose to go to the moon, with artistsアーティストと一緒に月に行くことにした)〟の一部を借用しました。

 手付金をポ~ンとポケットマネーで支払ったという前澤氏とは月とスッポン、庄イタのささやかな消費行動の一端に関連する話題をお届けします。

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 ともにマドンナ御用達のイタリアンブランドで、ジャンニ・ベルサーチェにも通じるゴージャスかつ官能的なブランドイメージがあるのが「DOLCE & GABBANA ドルチェ&ガッバーナ」です。

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【photo】ローマ出身で母イングリッド・バーグマンの面影を宿し、LANCÔME のモデルから女優に転じた往年のスター、イザベラ・ロッセリーニ、女優モニカ・ベルッチ上画像中央、サルコジ元仏大統領夫人カーラ・ブルーニ下画像右上らをゲストに迎え、9月23日、ミラノで発表されたドルチェ&ガッバーナ2019春夏コレクションより

 アパレルのみならず、バッグ・シューズなど革製品・フレグランス・時計・メガネなど幅広く展開するドルチェ&ガッバーナのような例は、GUCCIやARMANIなどモード界では珍しい事ではありません。いかなる場合においてもブランドイメージを損なわないことがファッション業界の鉄則といえます。

 毎シーズン、ミラノコレクションの開幕前に会場に流れる曲は、ミラノで生まれ育ったステファノ・ガッバーナ氏と共にブランドを立ち上げたドメニコ・ドルチェ氏の出身地、シチリアが舞台となるピエトロ・マスカーニ作曲のオペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲

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 レディース・コレクションのアイコンとなるのが、シチリア女性が伝統を紡いできた「Tomboloトンボロ」と呼ばれる繊細なボビンレースです下画像。フランドル諸国や独仏など欧州各国がその起源を主張しますが、確かなことはボビンレースの技巧について書かれた15世紀まで遡る複数の資料は全てイタリア語であるということ。

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 ドルチェ&ガッバーナのコスメラインでは、今年6月のミラノ・メンズコレクション発表会でもナオミ・キャンベルとともにマニッシュなスーツ姿でランウェイに登場したイタリアの宝石とも至宝とも称えられるモニカ・ベルッチを起用。

 モデル出身で女優としてはデビュー後間もないモニカ・ベルッチを映画監督のジュゼッペ・トルナトーレが撮影、イタリア国内で1994年にオンエアされたフレグランスのCMは、シュールな展開を見せます下動画

 海で捕えたばかりの生ダコの頭を何故か丸かじりする謎のイケメンは、実は下着ドロボー。そのストーカーまがいの行動は日本女性にドン引きされるのが関の山。イメージダウンは免れず、到底放送できないでしょう。

 2003年秋、トスカーナ州モンタルチーノでブルネッロ・ディ・モンタルチーノ1本を空け、ほろ酔い気分で戻った宿のTVでオンエアしていた新作CMは、2000年に公開されたモニカ・ベルッチの出世作となった戦時中のシチリアを舞台とする映画「マレーナ」を彷彿とさせる葬儀の場面で始まります下動画

 夫を亡くし、喪服姿で悲しみに暮れる美貌の未亡人をめぐる男どものフェチな振る舞いは、前作から一段とエスカレート。映画冒頭からマレーナに好奇の視線を送る自転車少年たちが、そのまま成長し、葬儀のさなかというのに不埒なハレンチ行為に及ぶかのよう。

 男女間の感情表現がダイレクトなお国柄とはいえ、下着ドロボーと連座する葬列に潜り込んだ共犯者たちの無軌道ぶりには苦笑してしまいました。

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 今シーズン、ACミランに移籍したクリスティアーノ・ロナウドも熱烈なメンズコレクション愛用者の一人です。英国王室キャサリン妃、ベッカム夫妻、ブラッド・ピットなどセレブな顧客は枚挙に暇がありません。

 営々と築き上げられたブランドイメージを損なわぬよう、ビジネスパートナーとしてタッグを組む相手も一流。

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 ステファノ・ガッバーナ氏の郷里、インテルと共にミラノを本拠地とするACミランへの移籍に際し、大胆にも自ら望んだ背番号10を背に本田圭佑が在籍した2014年、名門クラブの公式スリーピーススーツのデザインを手掛けたのもドルチェ&ガッバーナです。

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 感度の高いファッション・フリークの方なら、先刻ご承知かもしれませんが、ドルチェ&ガッバーナが昨年秋、フードビジネスに進出しました。

 パスタの聖地と称される南イタリア・カンパーニャ州ナポリ県グラニャーノで1912年に創業した老舗「Di Martino ディ・マルティーノ」社とコラボし、パッケージをアレンジした製品やアソートセットを売り出したのです。

 同年春、レトロな1950年代調のキッチン家電を展開するイタリアの家電メーカーSMEGとのコラボによる〝Sicily is my Love〟シリーズも発表しています。
 
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 年間一人当たりのパスタ消費量が約25kgとダントツ世界一のイタリア。意外かもしれませんがパンの消費はその倍以上。パスタはアンティパスト(前菜)とセコンドピアット(メインディッシュ)の間をつなぐプリモピアット(☞つまりは「おかず」)の位置付け。

 よって、お好み焼き+白米、焼きそば+白米という大阪における炭水化物の複合摂取と同様、パスタ+パンの組み合わせはイタリアにも存在します。

 そんなイタリア国内における小麦の一大産地であるプーリア州やシチリア州からの陸送ルートにあたり、ラッターリ山の伏流水と豊かな自然に恵まれ、パスタ製造に理想的な条件が揃ったグラニャーノでは、高品質のパスタが生産されてきました。

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【photo】エプロンやパッケージをデザインしたドルチェ&ガッバーナとディ・マルティーノとのコラボレーションセット

 9社で発足し、現在では14社が加盟する業界団体「Consorzio di Gragnano Città della Pasta (≒ グラニャーノ・パスタの街組合)」がCittà della Pasta(=パスタの街)を標榜するグラニャーノについては、これまでも幾度か触れているので、読み応えたっぷりなアーカイブをぜひ参照願います。《2010.7拙稿「珠玉のパスタ、Gragnano グラニャーノ」参照》

DiMartino_Latta_RGB.jpg セットの内容は、特製ブリキ缶上画像入りのスペシャルパッケージ包装のスパゲッティ2パック+同ペンネ・リガーテ2パック+同パッケリ1パック+ドルチェ&ガッバーナデザインのエプロン1枚で、総額€110(約1万4,500円) 
 
 価格を含めてハイエンドなドルチェ&ガッバーナとしては、まだ手が届く値段かと。昨年11月、全世界5,000個限定と鳴り物入りで売り出されましたが、まだ在庫は抱えているよう。

 ドルチェ&ガッバーナの世界観がたまらなく好き!と仰る方なら必見&必食のセットは、ディ・マルティーノ社のwebサイトから購入可能。

 2012年シーズンまで存在したドルチェ&ガッバーナのセカンドライン、D&GのパーカーとTシャツにしかこれまで手が出なかった庄イタですが、ドルチェ&ガッバーナがデザインしたパッケージのパスタ単品が今年8月、モンテ物産から数量限定で発売されています。

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【photo】ディ・マルティーノのリングイーネ。通常パッケージ()とドルチェ&ガッバーナとのコラボパッケージ(

 本国におけるパスタの合計額€14.5を差し引けば、1万2500円ほどに該当する缶とエプロンに投資する気は毛頭ないため、家飲みをしながらTaverna Carloで食事をする際の日常使い用のパスタとして購入しました。

 ディ・マルティーノのパスタは、全てイタリア国内で生産される硬質小麦のみを厳選。数あるパスタメーカーの中でこれは少数派で、デュラム・セモリナでもグルテン含有量が異なる安価なカナダ産をブレンドするケースが圧倒的多数派となります。

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 中身は通常パッケージの商品と変わりませんが、表面の右側には家族が楽しげにテーブルを囲むイラストが描かれ、左側にはla Famiglia, la Pasta, l'Italia! Dolce & Gabbana 家族、パスタ、イタリア!というメッセージも。

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 パスタのパッケージやブリキ製の容器にあしらわれた文様は、シチリア陶器のタイルやプレートなどに見られるアラブ統治(9世紀~11世紀)の影響を感じさせるシチリアの伝統柄です。

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 ドメニコ・ドルチェ氏のルーツであるシチリアの伝統に根ざしたコレクションと同様、ドルチェ&ガッバーナらしさはこのパスタにもしっかりと表現されています。

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 早いもので、今年も3/4が過ぎようとしています。新聞紙上では、おせち料理の早期割引予約の告知広告が載るようになりました。

 歩みを止めることのないドルチェ&ガッバーナのコラボレーションの新展開が、早くも同社のWebサイト上でリリースされています。

 1953年にシチリア・パレルモ県カステルブォーノで創業した「Fiasconaro フィアスコナーロ」との協業によるパネットーネ《2007.12拙稿「クリスマスところ変われば」参照》の予約を開始しています。

panettoneD&G.jpg ドルチェ&ガッバーナデザインの容器やトレーがセットされた1kgサイズのパネットーネが€87~€99、容器入り1kgサイズで€37。

 シチリア特産のピスタチオ風味、柑橘系のいずれもパネットーネの配送は10月20日以降。しか~し、入手可能なのはEU域内に限られるとのこと(TT。

 Mamma mia !!
 
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投稿者 vam : 23:43 | カテゴリー : Cuccina Italiana/| カテゴリー : Prodotto Italiano

2018/09/18

エオリアの花蕾 Capperi

お試しあれ、エオリア風パスタ
カンタン、オイシイ、Pasta all'eoliana


 南米チリ出身の詩人パブロ・ネルーダ(1904-1973)【下画像】は、30代の半ばまではビルマ・インドネシア・アルゼンチンなどの領事を歴任。マドリッド領事に着任した2年後の1937年、反ファシズムを掲げソ連が後押しする人民戦線政府と右派フランコ将軍率いる軍が衝突してスペイン内線が勃発します。

 3年に及んだ内戦で、ネルーダは迫りくるファシズムの横暴と権力の座に就いたフランコ独裁政権の圧政に苦しむ民衆の姿を目の当たりにします。

neruda-portrait.jpg 任期途中での召還命令による帰国後の1945年、共産主義の拡大に懸念を抱く米国の影響下にあった当時のチリで共産党所属の上院議員として初当選を果たします。1945年の第二次世界大戦終結後、米ソを対立軸とする東西冷戦の余波は、キューバほか中南米諸国にも及びます。

 1948年、チリ共産党が非合法化され、親米的な政策を進めるビデラ政権に批判的だったネルーダに政治犯として逮捕令状が出ます。そのため、ネルーダは妻デリア・デル・カリルと共に祖国からの逃避行を余儀なくされました。

Photo from the Nobel Foundation archive

 追手を逃れつつ、アンデス山脈を越えて陸路アルゼンチンに入国。国外脱出に成功するも、チリ政府が手を回したため、フランスやイタリアでは入国を拒否されます。苦境にある詩人に救いの手を差し伸べたのが、ナチスによる無差別爆撃を糾弾したゲルニカを1937年に発表後、故国スペインから主たる創作の場をパリに移し、フランス共産党員でもあった画家パブロ・ピカソでした。

 地下活動を通じてソ連・チェコスロバキア・ポーランド・ハンガリーといった東欧諸国ほかインド・中国などへの亡命生活を続けます。

【Movie】1976年チリ生まれのパブロ・ラライン監督作品「Naruda(邦題:ネルーダ~大いなる愛の逃亡者)」。チリ政府から追われる身となったネルーダの謎多き脱出劇が初めて映画化された。2016年カンヌ国際映画祭では登竜門的な監督週間に出品され、2017年ゴールデングローブ賞外国語映画賞にノミネートされた

 1952年、ネルーダ夫妻をイタリアで受け入れたのが、楽園カプリ島出身の文筆家であり郷土史研究家であったエドウィン・チェリオの別邸です。チリの政治状況が変わり、1958年に共産党が合法化されて祖国に戻った後の1971年、ネルーダはノーベル文学賞を受賞します。
 
for a poetry that with the action of an elemental force brings alive a continent's destiny and dreams.(=南米大陸の運命と人々の希望に生命を吹き込んだ根源的で力強い詩業に対して)〟

 このようにスウェーデンアカデミーが示した受賞理由は、弾圧に屈することなく苦難に立ち向かう生き方と作品を通し、言語芸術の力を示して余りある詩人への賛辞でした。

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 20世紀最大の詩人と評され、今もなおチリの国民的な文学者であり、政治家や外交官としての顔も持ち合わせていたネルーダ。

 詩人のイタリアにおける隠遁生活を、島の純朴な郵便配達の青年マリオとの心の交流を通して描き、静かな感動を呼んだのが、1994年公開の映画「Il Postino イル・ポスティーノ」です。

 詩情あふれる映画の世界観を見事に表現し、オスカーを受賞したテーマ曲を作曲したのがルイス・バカロフ(1933~2017)。アルゼンチン生まれでイタリアに帰化後、1960年代マカロニ・ウエスタン全盛のイタリア映画界でコンポーザーとして頭角を現します。巨匠エンニオ・モリコーネの代役で引き受けたこの仕事が代表作と言ってよいでしょう。

Trosi_Il_postino.jpg つましい漁師の家庭に生まれ、長じて父からは跡を継ぐことを望まれ、寡黙で口下手だったマリオ。巧みな比喩表現を用いた詩が特徴であったネルーダとの交流を通して、美しい言葉を紡ぎ出す詩作の醍醐味に目覚めてゆきます。

 ニュー・シネマ・パラダイスでは映画技師アルフレードを演じたネルーダ役の名優フィリップ・ノワレを向こうに回し、マイケル・ラドフォードとともに監督も務めたナポリ出身でマリオ役のマッシモ・トロイージ【右画像】は、クランクアップの12時間後、心筋梗塞のため41歳で早逝しました。

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 重い心臓病をおして撮影に臨んだトロイージのスワンソングとなったイル・ポスティーノの撮影が行われたのは、パブロ・ネルーダが実際に滞在したイスキア島や高級リゾート地化されたカプリではなく、住民の暮らしぶりが垣間見えるナポリ沖のプロチダ島とシチリア北方のIsole Eolie エオリア諸島の一つ、自然豊かなサリーナ島です。

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 オーストリアから南フランスまで東西1,000kmに及ぶアルプス山脈やイタリア半島の南北を貫くアペニン山脈が形成されたアフリカ大陸とヨーロッパ大陸のプレート衝突による造山活動で、イタリア半島がおおよそ現在の長靴型の姿となったのは、1千万年前頃といわれます。

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【Photo】ローマ神話に登場するVulcanusウルカヌスは火の神。その妻、Aitnē アイトネがシチリアの活火山エトナの語源。ウルカヌスの英語読みVolcanoボルケーノのもととなったのが、イタリア語のVulcano ヴルカノ。エオリア諸島の最南端に位置し、水着着用の露天泥風呂がある火山島ヴルカーノから眺めた(左から)二つの頂きを有するサリーナ島、ホテルや飲食店が多く、エオリア観光の起点となるリーパリ島、エオリア諸島では最も小さなパナレア島

 7つの島で最大のリーパリ島にちなむリーパリ諸島の異名を持つエオリア諸島は、現在から258万8000年前~1万1700年前までを指す第四期更新世の火山活動で島々が誕生しています。よって、地球46億年の歴史においては新しい陸地です。

 その一つであるストロンボリ島は、小規模なマグマ噴火を間欠泉のごとく繰り返えす「ストロンボリ式噴火」の由来となった火山島。火口から真っ赤な溶岩を絶え間なく噴出するさまから〝地中海の灯台〟と称されています。

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【Photo】〝isola verde 緑の島〟と形容されるサリーナ島では、エオリア諸島最高峰のMonte Fossa delle Felciフェルチ山(962m)とMonte dei Porriポッリ山(860m)との間の低地や海沿いに2,500人ほどの住民が暮らす。収穫後に太陽のもとで乾燥させたブドウで作るデザートワイン「Malvasia delle Lipari マルヴァジア・デッレ・リーパリ」が特産

 シチリア島は紀元前6000年頃にヨーロッパ大陸から渡ってきたシカニ人など、3つの異なる先住民族が暮らす地でした。紀元前8世紀、シチリア島を含む南イタリア地域に移民が奨励されたギリシャ人が入植を開始します。

 エオリアとは、ギリシャ神話に登場する風神Aeolus アイオロスにちなむ名。エアコンのCMソングにもなった「風のエオリアby 徳永英明って曲もありました。

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【Photo】サリーナ島でイル・ポスティーノの撮影が行われたのが、断崖の上にあるPollara ポッラーラ地区。ラストシーンで亡きマリオを思って詩人が歩いた海辺には撮影当時と変わらぬさざ波が寄せては返す

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 年間を通してティレニア海の潮風が吹き抜けてゆくサリーナ島で最も多く栽培されるブドウ、マルヴァジア・ビアンカから作られるワインの中でも特に名高いのが「Malvasia delle Lipari passito D.O.C. マルヴァジア・デッレ・リーパリ・パッシートD.O.C.」。

 強烈な天日のもとで日干しして作られるこのデザートワインと並ぶ島のもう一つ特産物が「Cappero カッペロ」(複数形:Capperi カッペリ / 英語:Caper / 日本語:ケッパーないしはケイパー)です。

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 瓶詰めを目にする機会が多いケッパーは、地中海沿岸の乾燥した地域に自生する多年生のフウチョウボク科ツル性植物の花芽です。花弁をつける5月末~7月末、40℃に迫る暑さを避けるため早朝と夕刻に手摘みで開花前の閉じた蕾を収穫。3カ月ほど塩蔵する間、撹拌しながら苦味を抜き、食用とするものです。

 紫色のネムノキに似た長いおしべを持つ淡いピンクが入り混じった白いケッパー花は、たった1日でしぼんでしまいます。花の命は短くて...。その実である「Cucunci ククンチ」もサリーナ島の特産。長細いグリーンオリーブのような形状をしており、こちらも塩蔵して食用となります。

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 ナポリ発祥のパスタ料理「プッタネスカ」では黒オリーブと共に具材となるほか、イル・ポスティーノの公開翌年に訪れたカプリ島のテラス席で食べたカジキマグロのソテーでも添え物的に使われていました。

 小粒でも独特の風味があるケッパーは、スモークサーモンの添え物となるのように、アクセントとして料理の引き立て役に回ることがほとんど。主役というよりは脇役の印象があるかもしれません。

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 そんな価値観を打ち破ったのが、昨年秋に梅田阪急百貨店本店で開催されたイタリアフェア会場にいらっしゃったイタリア料理研究家の長本和子さんに教えて頂いた直径2cm前後もある大粒のケッパー【上画像】を使う〝Pesto all'eoliana ペスト・アッレオリアーナ〟です。

 手間いらずで美味しいエオリア風ペーストには、それぞれ家庭の味があります。基本はケッパー+アーモンド+フレッシュバジル+トマト(+お好みでミントの葉少量)の組み合わせ。オリーブオイル少量を加えて適度な粘性になるまでミキサーにかけ、仕上げに粉チーズとオイルで味を調えます。

 ここで使用するのが、酸味で本来の味が失われている酢漬けではない塩蔵ケッパーで、水で30分ほど塩抜きし、塩味が残った状態のものを使います。用途はロングパスタのラグーソースとして使うことが多いとのこと。

 冷製に用いるカッペリーニは論外として、細目のスパゲッティーニより太い1.7~1.8mm(茹で時間8~10分)程度で、表面が白っぽく見えるブロンズダイスで成形してソースが良く絡むスパゲッティまたはリングイーネとの相性が良いと思います。

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【Photo】夏のある日のTaverna Carlo タヴェルナ・カルロ。スパゲッティは聖地グラニャーノ産をアルデンテで。茹で上がり時間を考慮してラグーを準備。サリーナ島特産のデザートワイン「マルヴァジア・デッレ・リーパリ」では日干しブドウを用い、最も多く栽培されるマルヴァジア・ビアンカは、6世紀~10世紀にかけてビザンツ文化圏となったサルデーニャ島経由でサリーナ島に伝わった。紀元前12世紀頃、フェニキア人によってもたらされた白ブドウ「Nuragusヌラーグス」を使い、エチケッタにサルデーニャ特有種の花Aqilegia Nuragicaが描かれた「Pala パーラ」という作り手によるコストパフォーマンスが非常に高い南の島のワインNuragus di Cagliari D.O.C.ヌラーグス・ディ・カリアリD.O.C.と南の島の料理との組み合わせ

 ケッパーは、エオリア諸島には野生であるほか庭木としても珍しくない花です。多年生で10年以上を経過すると茎が木質化してきます。流れ出した溶岩が海岸線で固まったことを物語る黒い火成岩の岩肌が切り立った海岸線を形作るサリーナ島の北側にアマルフィから12世紀に移住した人々が住みついたという太古は溶岩の噴出口だったMalfaマルファ地区の土壌で育つものは一回り花弁が大きく味も格別。

maurizia-de-lorenzo.jpg インポーターである「EeT 株式会社」のブースにいらしたのが、お顔を拝見してすぐに分かった長本さん。

 その隣にはサリーナ島でケッパーを栽培する「Sapori Eoliani サポーリ・エオリアーニ」のマンマ、マウリツィア・デ・ロレンツォさん【左画像】もおいででした。
 
 笑顔が素敵なマウリッツィアさんは、3年前の11月、エオリアの海のような透き通った青い瞳の持ち主だった息子ロベルトをバイク事故のため35歳の若さで失う悲運に見舞われています。

saporieolianisalina.jpg マウリッツィアさんの父ピーノから受け継いだサリーナ島のケッパーを世に広めようとした矢先、志半ばにして不慮の事故で逝った息子の意志を継ぎ、サポーリ・エオリアーニ代表の座に就いたのがマウリツィアさんでした。同社のWebサイト〈 www.saporieolianisalina.it 〉では、ケッパーの花に囲まれたロベルトが笑顔を浮かべています。【右画像】

fiori_capperi_0M.jpg 
 塩蔵ケッパー、アーモンド、フレッシュバジル、トマトさえあればカンタンに出来、嬉しいことにしかもオイシイSpaghetti all'eoliana スパゲッティ・アッレオリアーナ。

 拙宅併設のTaverna Carlo タヴェルナ・カルロでは、適度に冷えたヴィーノ・ビアンコを相伴にエオリア諸島に思いを馳せる定番メニューと化しています。

 パブロ・ネルーダは、サリーナ島のような素朴なたたずまいが当時は残っていたであろう1950年代の初めに過ごしたカプリ島についての詩を残しています。最後にその一節をご紹介しておきましょう。

  カプリ島の恋人たち (翻訳:大島博光)

  島はそのたたずまいのなかに
  時間と風に磨かれた金貨のような魂をもち
  手つかずのアーモンドのように
  野生のアーモンドのように
  生(き)のままだ
  そこでわたしたちの愛は眼に見えぬ塔だった
  煙りのなかで顫(ふる)えていた

*****************************************************************

spaghetti_eoriani.jpg

Richetta
 エオリア風パスタ レシピ(4人分)

《材料》
 パスタ320g 塩蔵ケッパー60g アーモンド(生orロースト)20粒
 フレッシュバジル25枚 トマト2個 EXVオリーブオイル100~150cc
 粉チーズ(パルミジャーノまたはペコリーノ)40g
《手順》
1:塩蔵ケッパーを水に浸して30分ほど塩抜きしておく(適度な塩分を残す)
2:乾燥パスタをアルデンテに茹でる
3:粗く刻んだアーモンド、種を除いて刻んだトマト、ケッパー、バジル、
 オリーブオイルをミキサーでペースト状にする(アーモンドの粒が残る程度)
4:ミキサーからボウルに移し、粉チーズを混ぜ込み、オリーブオイルを加え、
 馴染ませてから、茹で上がったパスタに和える

サポーリ・エオリアーニ輸入元「EeT ~ da Roma
2018年秋の百貨店イタリアフェア出展スケジュール

 9/19〜30 新宿伊勢丹 イタリア展(※9/25は休み)
 9/26〜10/2 日本橋三越 地下プロモーション
 10/3〜8 札幌丸井今井 イタリア展
 10/4〜10 大分トキハ イタリア展
 10/17〜22 新潟伊勢丹 イタリア展
 10/17〜23 鹿児島山形屋 イタリア展
 10/24〜30 日本橋三越 地下プロモーション
 10/31〜11/6 阪急梅田本店 イタリア展
 11/14〜19 静岡伊勢丹 イタリア展
 11/14〜20 新宿伊勢丹 プラドエピスリー

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投稿者 vam : 01:54 | カテゴリー : Cuccina Italiana/| カテゴリー : Libro e Cinema, Arti ,Musica 書籍と映画, 芸術, 音楽/| カテゴリー : @Taverna Carlo

2018/08/26

魚舞う魚醤ジェラート Gelato Cetarese con alici secchi

トッピングはチンアナゴさながらの煮干し3匹 (笑)


 大阪の街全体が、スチームオーブンレンジで加熱されているかのような平成最後の夏。ギラつく日差しで目の前が白っぽくなり、ボーッとする意識の中で白日夢の妄想バカンス@ナポリを満喫しました(トホホ...)。

 熱帯夜が明けた本日の大阪。予想最高気温は35℃の猛暑日。かたや向こう1週間のナポリの天気予報を見る限り、最低気温は20~22℃。意外なことに日中でも30℃超えの日はありません。

 リアル避暑バカンス@ナポリ。う~む魅惑的な響きだ・・・。

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 2回シリーズでお届けした播州赤穂ネタで今回も引っ張りますが、既にメインディッシュはご紹介済み。最後に赤穂で出合ったナポリとその近郊の町ゆかりのデザートを召し上がって頂きましょう。ボナペティート~♪

 ナポリにおいては、ピッツァは〝Piatto unicoピアット・ウニコ〟(☞ 一品完結型の料理)だと考えられています。先付や前菜から始まる改まったコース料理ではなく、一皿で栄養バランスが取れる食事として庶民に受け入れらてきた歴史があります。

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【photo】この8月にリニューアルオープン5周年を迎えた仙台「Pizzeria Padrino del Shozan ピッツェリア・パドリーノ・デル・ショーザン」は、アマルフィ海岸での優雅なリゾート気分に浸れる。リニューアルオープン直後に食したナポリ菓子「Coda di Aragosta コーダ・ディ・アラゴスタ」

 イタリアの権威ある料理評価本「Gambero Rosso ガンベロ・ロッソ」誌が、Web版で2016年から実施している「Top Italian Resutaurant」の大阪編において、2年連続で選出されたのが、ザ・リッツ・カールトン大阪のイタリア料理「スプレンディード」。その立役者となったのが、2014年12月末に料理長として就任したイタリア中部マルケ州出身のオリアナ・ティラバッシさん。

 スプレンディードがこの夏実施している90分間50種以上のスイーツ食べ放題の「ピーチアフタヌーンブッフェ」に挑む強靭な別腹を備えた乙女ほどのツワモノではないため、前回・前々回のレポートでご紹介したナポリとほぼ同等の30cmサイズのピッツァを平らげた締めくくりは、サックリめの分量で仕上げたいと思います。

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 まず1品目は6月24日(日)のドルチェから。「Mio & Tempurina ミオ・エ・テンプリーナ」前稿参照で昼食を済ませた足で向かったのが、1年牡蠣の産地である赤穂市坂越(さこし)

 前もって訪れた「さくらぐみ」で、西川明男オーナーシェフがプロデュースしたナポリ菓子専門店「坂利太サリータ」が市内坂越にあるとの情報を得ていたのです。

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salita(サリータ)〟とはイタリア語で上り坂のこと。坂越の地名にちなんだ店名ですね。

 そんな洒落っ気がある西川シェフが、岡山県倉敷市の美観地区に触発され、築70年の民家を改装。ナポリ菓子「コーダ・ディ・アラゴスタ」をメインとするパステッチェリア坂利太としてオープンさせたのが2015年7月。

 モデルとなった倉敷の黒瓦を頂く切妻屋根と白塗りのなまこ壁や貼り瓦に木組みの格子窓が特徴の二層からなる蔵造りの町並みそのものは、確かに趣あるものです。

 坂越に赴く前日に訪れた倉敷美観地区の目抜き通りには、あろうことか趣味の悪い立て看板や無粋なのぼり旗が乱立。あまりのアイデンティティの無さに幻滅した湯布院「湯の坪街道」ほど地に落ちてはいませんが、せっかくの美観を損なっている印象を抱きました。

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 8世紀の中庸まで歴史を遡ることができる赤穂の製塩は、入浜式塩田開発が進んだ江戸期に規模が拡大。商都大坂のみならず、江戸へ向けて塩を荷積みする廻船や西回り航路の北前船が寄港した坂越には、文化庁が日本遺産に認定した景観保存地区の街並みが残っています。

 チュニジアンブルーの暖簾 & サインボードと小さな立て看板に留めた坂利多の外観は、歴史ある坂越地区の景観に溶け込むものでした。

 頻繁にナポリへと足を運び、自他ともに認める〝ナポリばか〟こと西川明男氏だけに、(落書きだらけである点を除けば)歴史ある街並みの景観を大切にするイタリア人に見習ったのでしょう。

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 笠が閉じた寸足らずの松茸のような形状のスポンジ生地にラム酒のシロップをたっぷり含んだ素朴な「Baba バッバ」、二枚貝状の焼き菓子「Sfogliatella スフォリアテッラ」と同じナポリっ子に愛される伝統菓子のひとつに「Coda di Aragosta コーダ・ディ・アラゴスタ」があります。

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【photo】坂利太で購入したマロンクリーム風味コーダ・ディ・アラゴスタ(540円)。チョココロネほどでなくとも、成獣になる前のモスラ幼虫と似ていなくもないかも。福島が生んだ昭和の名作曲家、古関裕而が作曲し、今は亡きザ・ピーナッツの二人が劇中歌として歌った有名なこのフレーズが浮かぶ。♫ Mothra ya Mothra, Dengan kesaktian hidupmu(♫モスラヤ モスラ ドゥンガン カサクヤン インドゥムゥ)☞ れっきとしたインドネシア語なのだそう

 前々日、さくらぐみでデザートとして出されたナポリ菓子のスフォリアテッラは、ラード溶液を塗ったセモリナ粉の生地を極薄に伸ばして幾層にも重ねたタッピと呼ばれる生地を二枚貝のような形に仕上げています。

angela_salita.jpg【photo】見本用にカットされたスフォリアテッラ(左上 税別450円)、坂利太オリジナルのマシュマロを中に仕込んだ「アンジェラ」(右3点 税別480円)、同じくホワイトチョコと生クリームを詰めて表面をブルーベリーで覆った「季節フルーツのブーケ」(左下 税別480円)

 リコッタチーズとセモリナ粉をメインにレモンやオレンジの香りを添えた中身を詰めてから焼成するスフォリアテッラと同じ焼き菓子でも、クリームを後詰めするコーダ・ディ・アラゴスタは、生地の層の間隔が広く、ざっくりしたその形状は、名前が意味する通りにまさに伊勢エビの尾。

 こよなくナポリを愛する西川シェフプロデュースの坂利太では、カスタードクリームベースのコーダ・ディ・アラゴスタと、オーブンで温めて食べるマシュマロベースのクリームを詰めたオリジナル商品「アンジェラ」をメインに置いていました。

aragosti_salita.jpg【photo】こちらはコーダ・ディ・アラゴスタ。アンジェラと同様、坂利太では常時5種類の味を用意(税別450~500円)

 成人女性の握り拳ほどの大きさのスフォリアテッラに対し、坂利太のコーダ・ディ・アラゴスタは15cm近くもあります。ゆえに店頭では食さず、マロンクリーム風味を持ち帰りました。

 夏場は坂越浦で養殖される真牡蠣はオフシーズン。坂越浦の牡蠣エキス入りのソフトクリーム「海のミルク」はありませんでしたが、体感気温が40度近い気温の中を駐車場から移動したカラダが欲したのが、地元の丸尾牧場のミルクを使用した「生乳ソフトクリーム」(税別518円)。

 カップやコーンではなく、ご覧の通りアラゴスタのコーンがソフトクリームの器となるのが坂利太流下画像

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 冷房が利いた店内から外に持ち出すと、あっという間に溶け出すのは必至。混雑する店内の隅っこであらかた食べてしまいました。

 ソフトクリームは、素材の良さを物語るコクと滑らかさが際立つプレミアムな食感。アラゴスタと同様、ソフトクリームと生地とを一緒に食べると、ラードを含んだアラゴスタの存在感が勝ってしまいます。当然、クリームを食べ尽くした最後に残るのはアラゴスタ。それが一層その印象を強くします。

 私が知る限りにおいて、ナポリにもアラゴスタの生地を使ったジェラテリアが存在しないのは、そんな理由なのでしょう。

b_ornament_11_0L.jpg  

 2品目は8月5日(日)のドルチェ。Mio & Tempurina ミオ・エ・テンプリーナから海辺の御崎へと向かった目的は、さくらぐみに隣接する手作りジェラートの店「Sciò Sciòショーショー」。

 さくらぐみのスタッフTシャツが目的だった前回とは異なり、2度目の今回はジェラートが目当てです。 

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 冷蔵ケースの中には、ピスタチオ(+100円)・スイカ・温州ミカン・キウイバナナ・イチジクなどのジェラートと、ピーチ・スモモ・マンダリンオレンジのソルベ(=シャーベット)など、色とりどりな18種類のフレーバーが用意されていました。

 その中で、おやっ?と庄イタが思ったのが「チェターラ風」。その言葉にピンと来るアナタは、以前よりViaggio al Mondo の熱心な読者であるはず。

colatura_alici-cetara.jpg 西暦79年に発生したヴェスヴィオ火山の噴火で命を落とした博物学者プリニウスが著した「博物誌」に記載がある通り、塩蔵したイワシを主原料に発酵させた魚醤「Garum ガルム」は、古代ローマ人の食卓に欠かせない調味料でした。

 ローマ帝国の滅亡により忘れ去られたガルムは、13世紀に「Colatura コラトゥーラ」という新たな名前で復活左画像。30年ほど前に一度は途絶えた魚醤を官民挙げた取り組みで再復活させたカンパーニャ州サレルノ県Cetara チェターラ下画像の関係者が、2009年11月に開催された「男鹿・イタリア 魚醤フォーラム2009」で、しょっつるの本場・秋田県男鹿市に集いました。

 千載一遇の機会を逃してはならじと仙台から男鹿までの往復560kmを日帰りで爆走。フォーラムに参加した読み応えたっぷりな詳報を9年前にまとめています《2009.12拙稿io sono shozzurista ショッツリスト宣言」参照》

Cetaramare.jpg 「チェターラ風って、魚醤を使ったジェラート?」

 日本の生活では、ほぼ役に立たないニッチかつディープな庄イタの知識の泉から発した質問に女性スタッフは驚いた様子で問いかけを肯定。その上で、こう尋ねたのでした。

 「頻繁にイタリアに行ってらっしゃるんですか?」

 ひきつった笑いを浮かべながら問いかけを否定しつつも、心の声は、こうつぶやいていました。「Si, tutte le sere. Ma nei miei sogni . (=Yes, every night. But in my dreams.=ハイ、夜な夜な。夢の中でですけどね。)」

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 そんな〝イタリアばか〟丸出しな庄イタが注文したのは、探求心をくすぐってやまないチェターラ風とマロングラッセのダブル(上画像 税込480円)。ご覧の通り、トッピングは3匹の煮干し。

 チェターラで作られる魚醤コラトゥーラ(正確にはColatura di Alici コラトゥーラ・ディ・アリーチ)の主材料となるのがカタクチイワシです。

 果たしてどれだけの人が、庄イタのように西川シェフの遊び心を自ずから理解するかは不明ですが、昨今もてはやされるインスタ映えするビジュアル上のインパクトを狙っているのでしょう。

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 ジェラート自体は、ミルクの甘さにコラトゥーラに由来する潮の風味がいい感じのアクセントになっています。
 
 飾りじゃないのよ煮干しは。ということで3匹とも頭から食べましたが、予想通り、ジェラートとの組み合わせをうんぬんする次元ではないのでした。

 ジェラートから立ち泳ぎで海に還ろうといわんばかりの煮干しの姿から思い起こしたのが、耐えきれない暑さから逃れようと駆け込んだ京都水族館にいたコレ(笑)。

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 サワークリームやジェラートとの相性が良く、粉糖をかけて食するプレーンな「パンドーロ」と並び、イタリアでは主にクリスマスシーズンに少しづつ時間をかけて食べられるドライフルーツが入った菓子が「パネットーネ」《2007.12拙稿「クリスマスところ変われば」参照》

 先月レシピを変更したばかりで、しっとり感がアップしたのだというパネットーネも+300円で追加できます。

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 異常な暑さが続いた大阪でも、先々週の後半は猛暑が一段落。秋の気配を感じるようになりましたが、先週月曜からは再び蒸し暑さがぶり返しています。7月初旬の梅雨明けから続く酷暑を気力で乗り切っていますが、ネイティブ関西人ですら「もうエエ加減、勘弁してほしいわ」と弱音を吐いています。

 そんなさなか、イタリア・トリノ発祥のジェラテリア「GROM グロム大阪店」が9月2日(日)をもって閉店。大阪店の閉店により、GROMは日本市場から撤退することになります。

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 2003年、北イタリアにおけるスイーツの聖地トリノで1号店がオープンするや、素材を厳選したジェラートは、たちまちにして人気を博しました。2009年には新宿を皮切りに日本進出。関東圏と大阪に店舗を展開し、本場の味を届けてくれた店がなくなるのは寂しい限り。
 
 そういえば、昨年以上に鬱陶しく感じられたクマゼミたちがメスに求愛する鳴き声が、いつの間にか減ってきたように思います。

 枝先に残されたクマゼミの抜け殻に、空蝉(うつせみ)の儚さを思い、ゆく夏を惜しむ8月の最終週なのです。

*****************************************************************

坂利太(サリータ)
・住:兵庫県赤穂市兵庫県赤穂市坂越2083
・Phone:0791-48-8658
・営:10:00~17:00
   毎週火曜・第1水曜・第3月曜定休(祝日の場合は翌日休)
・URL: https://www.facebook.com/salitaaragosta
・Pあり(海沿いのまちなみ保存地区無料駐車場を利用 )
・禁煙 ・カード不可

Sciò Sciò(ショーショー)
・住:兵庫県赤穂市兵庫県赤穂市御崎2-1
・Phone:0791-45-3030
・営:10:00~18:00
   毎週火曜・第1水曜・第3月曜定休(祝日の場合は翌日休)
・URL:https://www.facebook.com/scioscio2018/
・Pあり(伊和都比売神社近く、向かい側の御崎温泉無料駐車場を利用)
・禁煙 ・カード不可

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投稿者 vam : 11:31 | カテゴリー : Cuccina Italiana/| カテゴリー : ・Fuori Tohoku 圏外遠征

2018/08/12

Mio & Tempurina ミオ・エ・テンプリーナ@赤穂

そこにもナポリの風は吹いていた。


 四方を海に囲まれた温帯モンスーン気候の日本とは様相が異なる中国大陸の気候を基にした二十四節気では立秋を過ぎました。そう言われてみれば、夜の帳が下りた夙川河川敷公園からは、少し気が早い秋の虫の鳴き声が聞こえてきます。

 さりとて太陽が高い時間帯は、拙宅からクルマで12分ほどの距離にある甲子園球場からの高校球児が繰り広げる熱戦を伝えるTV中継でご覧の通り、うだるような暑さが関西では続いています。

 この時季、大阪発祥のパインアメとしょっぱい飴ちゃんをバッグに忍ばせている大阪のおばちゃんにうっかり「食欲の秋到来」などと言おうものなら、「えっ、もう秋やて?何アホなこと言うとんねん!」と突っ込まれそう。

 残暑厳しき列島各地では8月いっぱい夏祭りや花火大会が行われています。

【Movie】毎年8月12日から8月15日の4日間開催される徳島阿波おどりに先立ち、昨年8月11日に徳島市で催された選抜阿波おどり大会前夜祭より。女性の健康美が躍動する法被踊り、たおやかで息が合った妖艶な女踊り、ダイナミックな男踊りからなる各有名連の精鋭によるショーアップされたステージプログラムは見応え十分。courtesy of Tokushima Simbun

 昨年、特に見応えがあったのが、徳島市のアスティとくしま(県立産業観光交流センター)を会場に徳島阿波おどり開幕前日に行われた「選抜阿波おどり大会前夜祭」。各有名連の精鋭が揃った踊り子による演舞は、Bravissimi!!男女問わず最上級賛辞ブラボーの複数形)の一言。

 見る阿呆となった翌日は、市役所前演舞場で初日を観覧。にわか連の一員としても踊る阿呆に。2泊3日の日程で滞在した徳島で、姉妹都市である仙台の夏を彩る仙台七夕でエッセンスに触れた阿波おどりの魅力と、露地ものが旬を迎えた特産のすだちを絞った徳島の美味にどっぷりと漬かりました。

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 日盛りに日なたを歩こうものなら、命の危険を感じるほどだった今年の京都。前祭・後祭とも山鉾巡行ではなく宵山を巡った雅(みやび)やかな京都祇園祭とは対照的に、全速力で辻を曲る勇壮果敢な「やりまわし」で知られる岸和田だんじり祭を、ピエモンテ州クーネオ前世県人会の代わりに庄イタが所属している関西宮城県人会の伝手(つて)で来月訪れる予定です。

 阿波おどりの話題で始まった今回。3年前の2月、出張で訪れた高知で発見したペスト・ジェノヴェーゼ的な万能調味料、葉ニンニクの「ぬた」をViaggio al Mondoで取り上げて以来の四国ネタではありません。《2016.3拙稿「おまさん まっこと上等な「ぬた」を知っちゅうが?」参照》

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 蝉時雨と呼ぶには、ただ鬱陶しいだけで全くもって情緒に欠ける 仮に松尾芭蕉が山寺で耳にしても〝閑さや岩にしみ入る...〟の句は浮かばなかったはず)クマゼミが発するNon è bel canto(ノン・エ・ベルカント →「美しい歌」を意味するイタリアオペラ伝統の歌唱法ベルカントとは真逆)な雄叫びをBGMに、ジリジリと焼けつく夏真っ盛りの季節にお届けするナポリ第二弾。

 本来であれば、南イタリア・カンパーニャ州からのバカンス便り!!と申し上げたいところ。

 諸般の事情により(庄イタ的には甚だ不本意ながら)、ナポリまで往復する旅費と時間をかけずとも、十分に納得できるピッツァ・ナポレターナと出合うことができる兵庫県赤穂市が話の舞台です(TT)。

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 気を取り直して、庄イタの太鼓判とともに皆さまに今回ご紹介するのは、前回レポートした「さくらぐみ」から巣立った女性コンビが活躍するナポリ郷土料理の店「Mio & Tempurina ミオ・エ・テンプリーナ上画像

 さくらぐみを取り上げた前回、ナポリの道化・プルチネッラが描かれた「真のナポリピッツア協会」と「ナポリピッツァ職人協会」の看板を真っ当なピッツェリアを見分ける一つの目安として挙げました。その例外として、自薦の上で審査を受ける協会に未加盟であっても、本場の伝統に則(のっと)った製法と確かな腕を持つ店の具体例として名前のみご紹介したのをご記憶でしょうか。

 2007年に真のナポリピッツア協会日本支部が旭屋出版から発行した「真のナポリピッツァ技術教本」で紹介されている移転前のさくらぐみメンバーとして、身内からマスターと呼ばれる西川明男氏を挟んで、当時ピッツァイヨーラとして活躍していた滋賀出身の松岡佳代子さん下左画像と厨房に入っていた広島出身の柴田美緒さん下右画像のお顔を見ることができます。お二人は都合14年の長きに渡って、さくらぐみでキャリアを重ねました。

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 その間、松村さんは2度にわたって渡伊。名匠エンツォ・コッツィアのもと、ナポリ「La Notizia ラ・ノティツィア」や、2004年にスローフード協会が設立した「Università degli Studi di Scienze Gastronomiche 食科学大学」で、19世紀まで庶民は手づかみで食べていたロングパスタ下画像や揚げピッツアなどの〝Cibo di strada チーボ・ディ・ストラーダ(ストリートフード)〟やナポリの伝統食に関する講師を務め、師と慕うマエストロ、アントニオ・トゥベッリ氏上画像がナポリで営む「Timpani & Tempura ティンパニ・エ・テンプラ」、そして海の幸に恵まれた赤穂と地理的条件が似ているジェノヴァ近郊のピエヴェ・リグーレ「La Cucina di Gian Paolo Belloni ラ・クチーナ・ディ・ジャン・パオロ・べローニ」でも腕を磨きます。

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 かたやミオ・エ・テンプリーナではピッツァ以外を受け持つ柴田さんは、ヴェスビオ山の麓にあるオッタヴィアーノに6カ月滞在。イタリアを代表するグルメ評価本Gambero Rosso ガンベロ・ロッソで最高ランクの三ツ星評価を受けるパスティッチェリア「Pasquale Marigliano パシュクアーレ・マリリアーノ」で本場の技と心に触れます。

 穏やかな時間が流れ、美味しい食材と良い水があり、心地よい風が吹き抜ける赤穂の風土を気に入ったお二人は、2013年6月、柴田さんのお名前であり、イタリア語で〝私の〟という意味のMio、そして敬愛するアントニオ・トッヴェッリさんから頂いた〝可愛い天ぷらちゃん〟とでも訳せば良いニックネーム、Tempurinaをドッキングさせた名前の店をオープン。現在に至ります。 

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【photo】ロードサイドに立つミオ・エ・テンプリーナのサインボード。ロングパスタを手づかみするナポリ伝統の食べ方のシルエット、PIZZE, DOLCI, VINI,( 全て複数形でピッツァ・デザート・ワイン)に加え、気になるのが「TIMBALLI ティンバッリ」。シチリアを含め、南イタリアに異なる呼び名で同様の料理が存在するが、パスタや米とラグーソースやトマトソースなどの具を円柱状に固めたナポリの伝統料理が「TIMBALLO ティンバッロ(単数形)」。〝I PIATTI TIPICI NAPOLETANI〟 (ナポリ料理専門店)と謳っている店の性格を物語る看板に偽りはない

 ちなみに1981年に開店した日本におけるナポリピッツァの草分け的存在、さくらぐみから巣立ったピッツァイオーロ(男性)・ピッツァイヨーラ(女性)の数は、同店の西川オーナーシェフでもすぐには思い浮かばないのだそう。

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【photo】焼きあがったオーバー30cmサイズのピッツァを乗せたプレートを手にしたカメリエーレ(フロア係)が、所狭しと配置されたテーブルの間を行き交うナポリ下町のピッツェリアというよりは、つい長居をしたくなるようなゆったりとした時が流れるミオ・エ・テンプリーナ

 果せるかな、店内に足を踏み入れると同時に警察犬並みに働く庄イタの〝いい店探知嗅覚〟がビビッドに反応するホンモノだけが持つ雰囲気がMio & Tempurinaには漂っていました。

 感覚的な話なので説明しがたいのですが、良い店には吟味した食材を使用した料理から立ち上る心地よい〝香り〟が漂っていることが少なくありません。時には談笑する先客の表情から、居心地の良さをお裾分けしてもらったりもします。

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【photo】グリーンのタイルで覆われた薪窯は、西川明男師匠の門下生ゆえナポリの「Gianni Acunto ジャンニ・アクント」製。薪火の暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモツ松岡さんが選んだ小麦粉は、本場ナポリでトップシェアを誇り、さくらぐみ時代から扱いに慣れた「CAPUTO カプート社」の看板商品で、コシの強い生地に仕上がるサッコロッソをメインに使用。天候や気温によって発酵時間が短いサッコブルなどとの配合割合や水分や塩などの分量を微調整する

Lete-MioTem.jpg ピッツェリアに関しては、店の顔と言える窯の熱源が電気ではなく、食欲をそそる香りを生地につける薪火であるかどうか。そしてそれがハンドメードや国産窯より性能が高く、ピッツァの出来栄えを左右するナポリ製か。生地に使っている小麦粉の袋があれば、その銘柄も気になるところ。

【photo】ミオ・エ・テンプリーナのミネラルウォーターは、セリエA2017シーズンで強豪ユベントスと優勝争いをしたSSCナポリのユニフォームスポンサー「Leteレテ」。採水地はアペニン山脈南部のカゼルタ県プラテッラ村。硬度900以上。同じカンパーニャ州産「Ferrarelleフェラレッレ」と比べて発泡は弱め

 ミオ・エ・テンプリーナでは、イタリアのように家族が揃って和気あいあいと食事ができる空間づくりを心掛けているとのこと。事実、そこではゆったりした時間が流れていました。

 そんな空気感を醸し出す店内のインテリアや調度品からはナポリへの深い愛情、そして伝統への敬意が感じ取れるのでした。            

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 前回詳報した6月末にさくらぐみを訪れた翌々日、そして8月初旬にも再訪。味にブレがないことを確認の上で、ミルキーなモッツァレラ・ディ・ブッファラ作りに欠かせない水牛ちゃんが反芻するように胃袋の記憶を呼び戻してみます。

《6/24 アンティパスト》・・・フリット・ディ・ガンベッリ 

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赤穂産 小太海老(サルエビ)のフリット。小麦粉でカラッっと素揚げした小太海老の食感が絶妙。殻が柔らかく頭から丸かじりすると、後を引く味噌の旨味が口いっぱいに広がる。お好みでレモンを軽く絞って(860円)

《8/5 アンティパスト 》・・・インサラータ・ディ・マーレ

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 赤穂の新鮮な海の宝石サラダ ナポリ風。(ウニやアワビをエサにしているグルメな南三陸町志津川湾産の旨味の塊のようなタコの食味にはかなわないが)赤穂からほど近い明石海峡は流れが速く、歯応えのあるマダコの漁場として名高い。エビ、イカ、ひよこ豆と野菜のシンプルなサラダ(1~2人前990円/2~4人前1,510円)

《6/24 & 8/5 プリモピアット》・・・ピッツァ・マリナーラ・コン・ポモドリーニ

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 名店の誉れ高い「さくらぐみ」で、西川師匠や兵庫県明石市で「Ciroチーロ」を2004年に開いた先輩の小谷紀三子さんに鍛えられ、さくらぐみの窯を任されたピッツァイヨーラ松村さんの腕前を物語るジューシー&モチモチ&パリパリサクサクな食感が楽しめるマリナーラ。庄イタ的には前々日に古巣で食したピッツァを上回る出来栄え。Brava!!(1,510円)

《8/5 プリモピアット》・・・ピッツァ・クアットロ・スタジオーニ

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 四季を意味する名のピッツァ。新鮮な牛乳を使用するフィオル・ディ・ラッテとトマトソースをベースに、手前右から時計回りにパルミジャーノ・レッジャーノ,黒オリーブ,マッシュルーム,ハムをトッピング。バジルの香りと共に4つの味が楽しめる欲張りピッツァ(1,940円)

《6/24 プリモピアット》・・・スパゲッティ・アル・リモーネ

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 赤穂産エビのシチリアレモンクリームソース。ほのかなレモンの酸味が爽やかなクリームソースと相性の良い太めのスパゲッティに絡む(1,570円)

《6/24 セコンドピアット》・・・アル・フォルノ・デル・ジョルノ

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 赤穂産マダイのピッツァ窯ハーブ & レモン蒸し焼き。真鯛の旨味を活かし、味つけはあっさり目の仕上がり(1,990円)

《6/24 & 8/5 カッフェ》・・・エスプレッソ

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 ナポリ発祥のロースター「Izzo イッツォ」創業者が設立したエスプレッソマシンメーカー「My Way」製レバー式マシンでエスプレッソを抽出する松村さん。豆はIzzoほどストロングスタイルではなく、マシンの脇に袋があるナポリのロースター「Passalaqua パッサラックア」の「Mehari メハリ」。スプーンで砂糖を入れてもなかなか沈み込まないキメ細やかで分厚いクレマが香り高いカッフェの美味しさを物語る

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 こうしてミオ・エ・テンプリーナで登場した料理を改めて思い起こしているうち、リラックスした状況下で行うのだというエサの反芻をしている牛さんのように、タラ~リとヨダレが垂れてきました(º﹃º )。


【photo】京都市上京区の菅原院天満宮神社は、学問の神様である菅原道真が生誕した地に建つ。道真公の産湯となった「初湯の井戸」は、受験や病気平癒にご利益があるとされ、名水の誉れ高い。一般的には龍が多い手水口(ちょうずぐち)だが、牛とご縁が深かった道真公にちなんでそこでは牛。見ようによってはヨダレにも...?。(前稿でダァー!! の雄叫びと共に登場したアントニオ猪木氏と同様、本筋とは無関係です)

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 季節ごとに入れ替わるグランドメニューのセコンドピアットには、アクアパッツァ(1,990円)もオンリストしてあります。総じて魚介系の料理は素材の味を削がないよう、シンプルな味つけです。

 赤穂という土地柄を考え、これまでに訪れた2度ともピッツァ以外には魚介系の料理を食べました。肉食系の方には、阿蘇天然ミネラル豚香心ポークのロースト(1,890円)や、北海道池田町産の褐毛和種いけだ牛のビステッカ(2,910円)といった選択肢も。

 海の幸に恵まれ、自然豊かな赤穂は、大阪市内の喧騒を離れてリフレッシュするにはピッタリなロケーションといえます。

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【photo】清流千種川(ちくさがわ)が播磨灘に注ぐ赤穂市街地から川沿いに遡り、坂越(さこし)方面へ。茶臼山からは生島が防波堤となり波静かな天然の良港で、かつて北前船が寄港した坂越湾が一望のもと。坂越浦に浮かぶ生島は天然記念物に指定される常緑樹林帯で覆われ、緑豊かな坂越湾の地形から植物プランクトンが豊富なため、養殖される牡蠣は1年出荷できるほどに成長する

 先日、赤穂を訪れた折は、アルコール発酵した液体に関しては今更申し上げるまでもなく、生食するのも庄イタは大好きなブドウ、安芸クイーンやシャインマスカットなどの高級品種や、珍しい桃など、近隣で生産されるフルーツ類も豊富に出回っていました。
 
 作る人が心豊かで健やかでなければ、心に響く料理は作れないと、松村さん・柴田さんは仰います。まさにその通り。

 アントニオさん仕込みのTimballo Napoletanoも機会があれば食したみたいものです。(アントニオさんの苗字は「猪木」ではなく「トゥベッリ」です。念のため)

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Mio & Tempurina ミオ・エ・テンプリーナ

・住:兵庫県赤穂市城西町129
・Phone:0791-46-5787
・営:昼 11:30~14:00
   夜 17:30~21:00
   月曜定休
  ※木曜・金曜のみランチセット(1,620円)あり
    サラダ+ドリンク+3種類から選ぶパスタorピッツァ
   その他の日はアラカルトメニューから
・URL: https://www.facebook.com/Mio.e.Tempurina/
・Pあり・禁煙・カード不可

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投稿者 vam : 23:36 | カテゴリー : Cuccina Italiana/| カテゴリー : ・Fuori Tohoku 圏外遠征


「庄内系イタリア人」こと
木村 浩人

外見と所持するパスポートの国籍は日本人。なれど脳細胞はイタリア人。≫詳細

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