あるもの探しの旅

  •  美味しいものって、私たちを幸せな気持ちにしてくれますよね。
  • ふだん私たちが何気なく口にしているもの。
  • それはどんな人が、いかなる風土のもとで、どんな思いで作っているのか。
  • そんなことを考えてみたことってありますか。
  •  自分の体に取り込むものだからこそ、もっと知りたい。
  • 大量生産品が持ち得ないモノたちが秘めた飛びっきりなストーリー。
  • どうやら東北に暮らす私の足元と、ハンドメイドな職人王国のイタリアには
  • そんな物語がたくさんあるようです。
  •  ご一緒に「あるもん探しの旅」にちょっと出てみませんか
  • 読んで美味しい知ってうれしいお話を、どうぞ召し上がれ。Buon appetito!

2018/01/12

伝統そして血統に耽溺するの巻 <後編>

またも白トリュフにむせぶ夜@ミナミ


 1月6日はベツレヘムで誕生したイエスのもとに東方より三賢者が祝福に訪れた日とされ、公現祭を祝うカトリック国イタリアではEpifania(エピファニア)ないしはBefana(ベファーナ)と呼ばれる祝日となります。〈2007.12拙稿「クリスマス ところ変われば」参照〉

 イタリアではこの日まで「Natare ナターレ(伊語:クリスマス)」扱いで休暇を取るため、年明け第一弾のネタもナターレの余韻を残しつつ、そろそろとスタートです。

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【Photo】難波橋から栴檀木橋までの中之島通は車両通行止めとなり、街路樹にシャンパングラスに泡が立ち上がる様子をかたどったイルミネーションが灯る ©大阪・光の饗宴実行委員会

 歳末の大阪・中之島周辺を光のアートで彩った「OSAKA 光のルネサンス2017」。職場のすぐ目の前を流れる土佐堀川の対岸、中之島にあるレンガ造りの大阪市中央公会堂では、ウォールタペストリーと称するプロジェクションマッピングが実施されました (下合成画像)

 仕事帰りに8分間の映像プログラムMovie con suonoを15分間の休憩を挟んで2回連続で鑑賞。

 阪急梅田駅へ歩いて移動する道すがら、西天満「Rosticceria da Babbo ロスティッチェリア・ダ・バッボ」で、冷え切ったカラダが欲したトスカーナ料理「Ribollita リッボリータ」を織り交ぜるコースアレンジを高島知之シェフにリクエストしたのでした。

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 そこまではよかったものの、中央公会堂前の人ごみでインフルエンザA型ウイルスを拾ったようで、翌々日の朝に39.6°まで発熱。大阪に出先がある新聞社の仲間内では発症第一号だったようで、15世紀イタリアで〝influenzaインフルエンツァ〟という病名が初めて用いられただけに、イタリアかぶれの庄イタに親近感を抱いてウイルスも寄ってきたのでしょう。

 冗談はさておき、特効薬イナビルでインフルエンザウイルスを封じ込めた蟄居を挟んだ年末は、不健康なノンアルコール生活を強いられました。

 年が明けても体調万全とはいかず、病み上がりの正月三が日は、ワインはおろか屠蘇すら口にしていません。そのため順調に過剰在庫を減らしてきた拙宅のワイン消費ペースがスローダウン。Orz

 多くの参詣客で賑わう西宮戎神社で迎えたCapodannno(=元旦)の瞬間もマスク姿。ちなみにMaschera(伊語:マスク)といえばカーニバルや道化の仮面しか思い浮かべないイタリア人は、即時入院を要する重篤な伝染病にでもならない限り、インフルエンザ(ごとき)では絶対にマスクをしません。〈2013.3拙稿「Le Maschere Veneziane ヴェネツィアの仮面」参照〉

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【Photo】白インゲンやレンズ豆ほか自家農園産カーボロネロなどの野菜に自家製トスカーナパンを加えて煮込んだRibollitaリッボリータは、トスカーナ人が愛してやまないマンマの味。カーゼ・バッセやモンテヴェルティーネを世に送り出した巨匠ジュリオ・ガンベッリが品質を一段と高めたキアンティ・クラシコ地域最南部の醸造所 Tenuta di Bibbiano テヌータ・ディ・ビッビアーノChianti Classico Riserva Montornello キアンティ・クラシコ・リゼルヴァ・モントルネッロ2013で、庄イタ好みのドンピシャ鉄板カップリング(左画像) 宮城栗原産漢方牛のタリアータ。相伴は高島シェフから店最後の1本を是非にとお薦め頂いた La Porta di Vertine ラ・ポルタ・ディ・ヴェルティーネのChianti Classico キアンティ・クラシコ2011。創業した2006年から2年間、エチケッタに直筆で造り手の名を記したジュリオ・ガンベッリが醸造コンサルタントを務めるも、米国人オーナーの破産により、創業から10年で終焉を迎えた。抜栓直後の40分ほどは、自然派の気難しさ炸裂でハズレと思いきや、半分ほどを残して持ち帰り、インフルを発症する前日に味わった3日目の晩には、つゆだくな旨味の塊へと大化けした (右画像)

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 蛭子神と福の神の総本山で厄を落とした2018年第一弾の投稿は、昨年末からお届けしている白トリュフまみれの3部作最終章となります。どうぞ今年もお付き合いのほどよろしくお願いします。

 大阪ミナミ東心斎橋の「PESCE ROSSO ペッシェ・ロッソ」恒例の催し「アルバ産白トリュフ祭り」。

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 アルバ直送の白トリュフ第二便が届く予定日である11月25日に予約を入れたのが、今季初の白トリュフが到着したての第一便で白トリュフまみれとなった14日夜。

 前々稿「アルド'95 vs ジャコモ'93 名門兄弟頂上対決」でご紹介したような非日常の愉しみを仕込んだ庄イタを、山中伸彦シェフは11日前とは一皿たりとも被ることのないお任せコース料理で楽しませてくれました。

 前回と同じくカウンター席に着いた庄イタに「今日の持ち込みワインは偉大過ぎます」と厨房の山中シェフは開口一番。(下画像)

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「アルバ産白トリュフへの敬意、そして今宵に対する期待感の表れだと思ってください」と返す庄イタ。

 今回のトリュフ祭りでは、'60年代~'90年までの熟成バローロ & 熟成バルバレスコを30%オフで提供したPESCE ROSSO。ガラス張りのオープンセラーには、庄イタが抱える膨大な在庫と共通アイテムが多いイタリアワインを中心とする壮麗なストックを抱えています。庄イタと山中シェフには、ワインに関する嗜好だけでなく共通する接点があるのでした。

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 それは超大型の台風21号が関西を直撃した昨年10月22日(日)のこと。

 イタリアワインの普及啓発を目的とするインポーター・小売店・飲食店らで構成される「Amici Vini Italiani アミーチ・ヴィニ・イタリアーニ(略称:AVI アヴィ)」の主催により、イタリアワインの祭典「Avinofesta アヴィノフェスタ」会場となった大阪市中央公会堂で、庄イタは山中シェフと遭遇していました。

 会場には南森町のシチリア料理店「Trattoria nico」塩田シェフ、靭公園近くのマルケ料理店「Osteria la Cicerchia オステリア ラ チチェルキア」連(むらじ)シェフ、シチリア発祥の帽子コポレッタとワインバーのハイブリッドバー「Coppoletta コッポレッタ」中村オーナー、モンテ物産のアンテナショップPiccoの面々など、知った顔ぶれが運営スタッフとしておいででした。

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〝イタリアワインと旅に出よう〟をテーマに、ここ最近では(旧)ヴェネツィア共和国・トスカーナ・シチリア&サルデーニャ・ピエモンテ・(旧)ナポリ王国と毎回旅先を変えて開催されるアヴィノフェスタ最新のお題は、ウンブリア・マルケ・アブルッツオ・モリーゼ各州。

 イタリアの緑の心臓ことウンブリア州とアドリア海に面した中南部3州から選りすぐったワインをチケット制のグラス売りで3時間の2部制で(浴びるほど)飲めるという趣向。2,800円の入場フィーには、持ち帰りOKのSPIEGEAU製ワイングラスSalute1脚と1,000円分の飲食チケット(追加購入可)が含まれます。

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【Photo】アヴィノフェスタでは撮影はせず、Vino Hayashi相模屋本店などインポーターとの情報交換と試飲に徹した。その戦利品がコレ。(左から)ドイツSPIEGEAU製ワイングラスSalute。サンジョヴェーゼを醸した赤ワインにサワーチェリーを漬け込んだデザートワインVino di Visciole ヴィーノ・ディ・ヴィショレは、マルケ州アンコーナ県アルチェヴィアのリストランテPinoccioで町長らとの会食の折に出されて以来14年ぶりの再会。ウフィッツィ美術館所蔵の肖像画で知られるウルビーノ公フェデリコ・モンテフェルトロも愛飲した。造り手のサイン入りボトルは、ペーザロ・エ・ウルビーノ県にあるTerracruda テッラクルーダの「 Visciola ヴィショーラ」。ヴェネト州で最も有名な D.O.C.G. ヴィーノ・ビアンコ Soave ソアーヴェの優れた作り手Inama イナマ当主のステファーノが、アブルッツオ州ペスカーラ近郊で1994年に旗揚げした醸造所La Valentina ラ・ヴァレンティーナのサバティーノと意気投合。1998年に共同プロジェクト「BINOMIO ビノミーオ」を始動。マジェッラ山北麓の海抜400mの南向き斜面に開墾した畑下画像で樹齢50年近いモンテプルチアーノ種のクローン「アフリカーノ」からD.O.C.モンテプルチアーノ・ダブルッツオを造る。成熟したタンニンでリリース直後からアプローチ可能なスタイルは各方面から高い評価を受けている

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 インポーターとして出店していたアルトリヴェッロのブースには、奥様のジョヴァンナさんが私にイタリア名Carloを授けて下さったローマカトリックで言うところの〝Madrina(=名付け親)〟である闘うワイン商こと川頭義之さんがいらっしゃいました。〈2007.11拙稿「一匹狼のイタリアワイン商」参照〉

 川頭さんとは仙台国分町の「ヴァン・エ・ボヌール」で実施された試飲会以来、2年ぶりの再会です。そこに見慣れたコックコートではない私服姿で奥様を伴って来場されたのが山中シェフでした。

 聞けば川頭さんが山中シェフにとってのワインの師匠なのだそう。素性が明らかな素材を使って手をかけた料理が、さまざまな人の縁を繋ぐことは体験上信じて疑わない庄イタですが、ワインに関してもこの定義は当てはまるようです。

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 そして話はいよいよ核心へ。シーズン2度目となる白トリュフまみれの晩餐の幕開けにワインリストからグラスで注文したのは、マルケ州産のD.O.C.G.白ワイン「Castelli di Jesi Verdicchio Classico Riserva カステッリ・ディ・イエージ・ヴェルディッキオ・クラシコ・リゼルヴァ」(下画像)

 このヴィーノ・ビアンコをご存じない方、長ったらしい名前を一度で覚えることができますか ?^0^

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 マルケ州の伝統品種ヴェルディッキオ・ビアンコから造られる後味にほのかな苦みが残る辛口の白ワインは、知っておいて損はありません。州都 Ancona アンコーナの西側に広がる丘陵地の街 Jesi イエージからアペニン山脈寄りの標高が高い内陸部Matelicaマテリカ周辺では同じブドウから、特徴的な柑橘系の香りよりはシャープな酸味が主調となる白ワインが産出されます。

 食事と合わせるなら、指名した Serra Fiorese セッラ・フィオレーゼ2013の造り手Galofoli ガロフォーリ以外にもFratelli Bucci フラテッリ・ブッチ、Fattoria Coroncino ファットリア・コロンチーノ、Marotti Campi マロッティ・カンピなど、Jesi 周辺地域のヴェルディッキオ(特にRiserva)は、探す価値ありです。

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「これは庄イタ様専用です」と、山中シェフが目の前に置いたのが、ガラスケースに入った白トリュフ(上画像)。そのマーモセットそっくりな〝人面トリュフ〟に気を取られ、1皿目のロンバルディア州産馬の生ハムなど3品がワンプレートで出たアンティパスティ・ミスティは不覚にも画像を押さえ忘れ。Orz
 
 2皿目 非加熱(⇒伊語:crudo)の牛肉のスライスが定番となるピエモンテ料理カルネクルードと卵黄抜きのタルタル風「リンゴと馬肉のカルパッチョ」には、今回も厨房から出てきたシェフが白トリュフをスライス、スライス、スライス・・・。

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 その結果が原形を留めないまでに白トリュフまみれとなったコチラ「リンゴと馬肉のカルパッチョ 白トリュフ大盤振る舞い」(下画像)

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 3皿目「レンコンをフリットでトッピングしたアナゴのスモーク カブのピューレと葉のグリーンンソース  パプリカのパウダー添え」(下画像)

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 4皿目「オマール海老のバター風味ロースト ジャガイモのピューレ」には再び白トリュフの洗礼が授けられ・・・(下画像)

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「オマール海老のバター風味ロースト ジャガイモのピューレ 白トリュフ版ノアの洪水風(⇒勝手に命名)」の完成。ここから持ち込んだ Giacomo Contero ジャコモ・コンテルノ「Barolo riserva Monfortino バローロ・リゼルヴァ・モンフォルティーノ'93」にお出まし願いました。(下画像)

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 5皿目「イノシシのラグーのパッパルデッレ」(下画像)

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 そしてクライマックスの6皿目「卵黄とチーズが入ったタヤリンの生地で作ったラビオリ 白トリュフてんこ盛り」(下画像)

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 ラビオリにナイフを入れ御開帳。中にはミルキーなチーズの上に卵黄が忍ばせてあり、急所と思しき卵黄にとどめのナイフをもう一太刀...。(下画像)

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 「卵黄とチーズが入ったタヤリンの生地で作ったラビオリ 白トリュフてんこ盛り アックア・アルタ風 (⇒勝手に命名)*注」の出来上がり(下画像)。その相伴はバローロの最高峰。なんともゴージャスなカップリングではありませんか。

 こうして聖夜の1ヵ月前、めでたく庄イタは昇天を遂げたのでした。アーメン。

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 白トリュフの余韻に浸りつつ、恍惚の面持ちで食した7皿目「茨城産アオクビとポルチーニのソテー 葉玉ねぎのローストとリンゴのピューレ添え」(下画像)

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 今シーズンのアルバ産白トリュフ祭り初日に参上した11月14日、コースの最後に出てきた白トリュフ入りチーズを再度リクエスト。選択制のドルチェは、連れが前回庄イタが食したトリュフフレーバー漂う蜂蜜で作ったプリンとリンゴのコンポートを、私は大きな栗がトッピングされたモンテビアンコを所望。(下画像)

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 締めのカッフェまで一気呵成に駆け抜け、我が郷里・晩秋の深い霧と白トリュフの香りに包まれるピエモンテの森から届いた恵みを満喫。トリュフシーズンはかくも豪勢に幕を閉じたのでした。

*注釈】アックア・アルタ(acqua alta):ヴェネツィア島対岸の工業地区における地下水くみ上げによる地盤沈下や季節風の影響により、沈みゆく水の都ヴェネツィアのサンマルコ広場など海抜が低いエリアで冬に頻発する高潮のこと〈参考リンク〉。対策として期待されたモーゼプロジェクトで浮沈式の防潮堤を潟の開口部3か所に設置したが、高潮を完全に防止するには至っていない。

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PESCE ROSSO ペッシェロッソ

・住:大阪市中央区東心斎橋1丁目3-18
・Phone:06-6241-0030
・営:17:00~00:30(22時以降はワインバーとしての利用も可)
・URL: http://pesce-rosso.com/
・アルバ産白トリュフ祭りメニュー
  15,000円(トリュフ料理2品)18,000円(同3品)20,000円(同4品) 

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投稿者 vam : 06:16 | カテゴリー : Cuccina Italiana

2017/12/23

伝統そして血統に耽溺するの巻 <中編>

白トリュフにむせぶ夜@ミナミ

 大阪ミナミ東心斎橋の「PESCE ROSSO ペッシェ・ロッソ」恒例の催し「アルバ産白トリュフ祭り」。

 その初日に伺った庄イタは、持ち込んだバローロ・リゼルヴァ・グランブッシア'95のみならず、気合いの入れ方が違っていました。その証がコレ

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【Photo】ドレスシャツに関しては、ブルー系とホワイトを7:3ぐらいの割合で着用する庄イタ。白トリュフ祭りにあわせて着用したのは、もちろん白いシャツ。襟元に選んだのは、白トリュフの故郷ピエモンテ州のビエッラ県トリヴェーロで創業したこのErmenegildo Zegnaのネクタイ。そのココロは〝白トリュフの色だから〟

 そんな小ネタを仕込んで出向いたPESCE ROSSO カウンター席。最初の一杯は、白トリュフシーズン到来を祝い、ドロミテアルプスの岩山が間近に迫るトレンティーノで高品質なスプマンテを造る「Ferrariフェッラーリ」の真珠を意味する「Perlé Millesime ペルレ・ミレジム'08」で乾杯です。

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【Photo】瓶内二次発酵による細やかな泡が持続するペルレ'08は、標高400~800mにある自社畑のミクロクリマを感じさせるシャルドネ100%から造られる。エレガントでシルキーな口当たり(左上) ボッタルガが香る白魚のブルスケッタ(右上) 剣先イカとカリフラワーのマリネ イカスミとオイルの香り(左下) 自家製バッカラ(タラの干物)と白子・ポレンタ紅玉のピューレ風味。秋獲れ黒トリュフをさっくり(右下)

 この3皿目まではプロローグ。4皿目の「バルバリー鴨のコルペットローネとフォアグラ」が登場するや、握り拳ほどの大きさの白トリュフとスライサーを手に山中信彦シェフが席に来てくれました(下画像)。

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 その結果がコレ(下画像)。運ばれてきた当初の原形をとどめないまでに白トリュフまみれとなった次第。産地ピエモンテで食べる朝採り白トリュフには及ばないものの、大阪に居ながらにして濃密なこの香りと再会できたことは得がたいこと。あー、幸せ~♪

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 食道楽3人で伺ったこの日の5皿目「北海道産生ウニとアサリ 小松菜の全粒粉タリオリーニ ボッタルガ風味」(下左画像)を挟んで、6皿目「ロビオラチーズの古代米リゾット卵黄載せ」にスライサーで白トリュフをこんもりとスリスリした時点でこんな感じに(下右画像)。

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 ピエモンテでもシンプルな卵料理と白トリュフは鉄板の組み合わせです。そのセオリーに沿った6皿目がコチラ(下画像2点)

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 この夜のメインとなるセコンドピアット、玉ねぎと共に牛肉がホロホロととろけるようになるまでコトコト煮込んだ「ストラコットとポルチーニ」が運ばれる頃には、持ち込んだバローロ・リゼルヴァ・グランブッシア'95が全開となり絶好調に(下画像)。

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 澱がほとんんど無かったボトルに残っていたグランブッシア'95は店に寄贈。締めにチーズを頂くことにして、山中シェフご推奨のAmarone della valpolicella アマローネ・デッラ・ヴァリポリッチェラを合わせてみました。アマローネはヴェネト州ヴェローナの北部地域原産のコルヴィーナなどの地ブドウ数種を100日以上陰干しして作る凝縮した味わいのワインです。

 造り手の「Corte Figaretto コルテ・フィガレット」は、D.O.C.G. アマローネ・デッラ・ヴァルポリチェッラ地域のパンテーナ渓谷で高品質のアマローネ2種類を造っており、このBrolo del Figarettoブローロ・デル・フィガレットは、力強く個性的ながら柔らかさも持ち合わせていました。

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 ウオッシュチーズと共に出てきたトリュフ入りチーズは、濃厚な白トリュフの風味そのもの。3名それぞれに違ったドルチェやカッフェ(下画像)の前に悶絶ものの締めで白トリュフを満喫したのでした。

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 こうして味をしめた庄イタは、アルバから二度目の白トリュフの入荷がある11日後にもカウンター席を予約。次回も白トリュフまみれの内容となります。

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PESCE ROSSO ペッシェロッソ

・住:大阪市中央区東心斎橋1丁目3-18
・Phone:06-6241-0030
・営:17:00~00:30(22時以降はワインバーとしての利用も可)
・URL: http://pesce-rosso.com/
・アルバ産白トリュフ祭りメニュー
  15,000円(トリュフ料理2品)18,000円(同3品)20,000円(同4品) 

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投稿者 vam : 00:00 | カテゴリー : Cuccina Italiana

2017/12/14

伝統そして血統に耽溺するの巻 <前編>

アルド'95 vs ジャコモ'93  名門兄弟頂上対決


 前稿を8月末にアップして以降、長らくご無沙汰しておりました。

 ムシムシした熱帯夜明けの早朝から、神経を逆なでするフォルテシモで合唱を始めるクマゼミの鳴き声にゲンナリしつつ、ひと夏を過ごした大阪。東北や関東では体感したことのない猛暑による夏バテを口実に、Viaggio al Mondo の更新をすっかり怠ってしまいました(猛省)。

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 4月からラテン気質な大阪での勤務となり、前世から受け継いだイタリアのDNAが覚醒。日々新鮮な新任地での仕事は別にして、ことブログ更新については、ジャポネーゼならではの勤勉さがすっかり影を潜めていたようです。

 気が付けば、御堂筋を黄色に彩るイチョウの葉をハラハラと舞わせる木枯らしが冷たさを増し、イルミネーションに輝く街路樹はもうすっかり冬の装い。遠く離れたココロの故郷・ピエモンテの山あいや庄内地方からは雪の便りが届く師走を迎えました。

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 そんな季節に疼(うず)き始めるのが、郷里ピエモンテ州ランゲ丘陵の晩秋から初冬には欠かせない「Tartufo Bianco(白トリュフ) 」の妙なる香りを求めてやまない庄イタの鼻なのです。

 およそ黒トリュフとは比較にならないクラクラするような芳香を四方八方に漂わせる白トリュフへの崇拝ぶりからして、前世は北イタリア人で、そのまた前世はトリュフ犬として幸福な一生を送ったに違いない庄イタ。

 重さあたりの単価が地球上で最も高価な食べ物といわれるアルバ産白トリュフ。毎年秋にピエモンテ州クーネオ県アルバで開催され、今年で87回目を数えた「Fiera Internazionale Tartufo Bianco d'Alba(トリュフ祭り) 」会場では、入場料€3.5ユーロを支払った上で、年によって差はありますが1gあたり€7ほどで近隣のトリュフハンターが持ち寄った白トリュフが直売されます。

【Movie】北イタリア・ピエモンテ州ランゲ地方。犬を従えたトリュフハンターたちは、人目を避けるように早朝からポプラなどの照葉樹が生い茂る森へと向かう。優秀なトリュフ犬が嗅ぎまわった木の根元から掘り出された白トリュフは、水分と共に香気成分が刻一刻と失なわれるため、鮮度が命。トリュフが一堂に会する「Fiera Internazionale del Tartufo Bianco d'Alba(アルバの白トリュフ祭)」10月7日から11月26日までの会期中、世界中から愛好家が訪れた

 昨シーズンは、同州アスティ県カネッリから白トリュフを携えて日本にやってきたアグリツーリズモ「Rupestr」オーナーのジョルジョ・チリオ氏主宰により、鎌倉と銀座で行われたトリュフの夕べに2回にわたって参加することができました。〈2017.1拙稿「Compagna di Piemonte = ピエモンテ同窓会 = 旧交を温め、白トリュフに耽溺す」、2017.2拙稿「聖ダンデロの被昇天(2)Assunzione di San-Dan-Deloseguito妙なる芳香で天にも昇る心持ち」参照〉

 昨年、幾度か庄イタの枕元に立った白トリュフの精ことジョルジョ。今シーズンも白トリュフを携えて日本に降臨するという情報は把握しているのですが、今年は関西で迎える初めての冬。

 深い霧に包まれた晩秋のピエモンテ州ランゲ地方の森でトリュフ犬の鋭敏な嗅覚が探り出したかぐわしい白いダイヤモンドを、今年は大阪に居ながらにして立て続けに口にする機会に恵まれたのです。留飲を下げた今年は、もはやジョルジョが枕元に立つことはないでしょう。

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 その舞台となったのは、東心斎橋のイタリアン「PESCE ROSSO ペッシェ・ロッソ」。ジャンルを問わず大阪の飲食店事情に詳しいH氏ご推奨のミナミらしからぬエレガントなリストランテです。

 職場にほど近い北浜「PONTE VECCHIO(ポンテヴェッキオ)」、南本町「GIOVANOTTO(ジョヴァノット)」といった大阪を代表するリストランテで腕を磨き、独立して7周年を迎えたオーナーシェフの山中伸彦さん(下画像)

 名店で鍛えた料理は、氏のがっしりとした体躯からは想像もつかない繊細なもの。目配り・気配りが行き届いた山中シェフの味付けの確かさは、過去2度の訪店で認識済みです。

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 活気溢れるオープンキッチンに面したカウンター席を予約したのは、鮮度が生命線を握る白トリュフがアルバから入荷した11月14日と第二便が届く25日。

 今シーズンは白トリュフが不作である上、観光の目玉にしたい地元の思惑と中国マネーの流入により、ただでさえ高値の白トリュフ価格が一段と高騰しているとのこと。

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 前々回の引っ越しレポートで披瀝した通り、仙台から西宮への引っ越しで大変な思いをしたワインの過剰在庫削減は最優先課題。

 大阪に赴任して以降、春と秋に開催された梅田・阪神百貨店の名物催事、およそ800本の試飲ができるワイン即売会ですら、購入した赤ワインはそれぞれ1本ずつに留め、強靭な意志を示したところです(笑)。

 暑い盛りにもかかわらず、セラーに収まりきらず、やむなく収納していた段ボール箱から、せっせと取り出しては下記にその一部をお目にかけるフルボディのヴィーノ・ロッソを空け続けたのでした。

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【Photo】中部イタリア・ウンブリア州ペルージャ在住のTomasから貰った〝悪魔祓い〟を意味する1884年創業のScacciadiavoli スカッチャディアヴォリの秀逸なD.O.C.G.Montefalco Sagrantino モンテファルコ・サグランティーノ'04」は、心地よいタンニンの陰に深みのあるベリー系の酸味や湿った土と落ち葉など表情豊かな味わいが長く持続する(右) カンパーニャ州アッヴェリーノ県で1983年に創業、'88年が初ヴィンテージの「Salvatore Molettieri サルヴァトーレ・モレッティエーリ」による銘醸地ピエモンテやトスカーナに引けを取らないD.O.C.G.Taurasi タウラージ」の素晴らしさを余すところなく表現した1本。寒暖差を生む標高500mにある南向きで5本のオークの樹があるブドウ畑に名前が由来する「Taurasi vigna Cinque Querce タウラージ・ヴィーニャ・チンクエ・クエルチェ'01」(左)

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【Photo】「Montevetrano モンテヴェトラーノ'00」。カンパーニャ州サレルノ県サン・チプリアーノ・ピチェンティーノでワイン醸造に挑戦、有能な醸造家リッカルド・コタレッラの助力を得て大きな成功を収めたのが、ワイン好きが高じた女性フォトグラファー、シルヴィア・インパラート。カベルネソーヴィニヨン90%に古代ローマ時代から続くギリシャ原産の土着品種アリアニコを混醸、'91年に初リリース。'93vinを著名なワイン評論家が〝南イタリアのサッシカイア〟と激賞。内省的なボルドー品種が南イタリアの風土で社交的に変化。独自の個性を備える(右) 良質なオリーブオイル産地として知られるトスカーナ州西部の古都Luccaルッカから彗星のごとく登場するや、センセーショナルを巻き起こした初ヴィンテージ「Tenuta di Valgiano テヌータ・ディ・ヴァルジャーノ'99」は、トスカーナ原産とされるブドウ品種サンジョヴェーゼにシラーとメルロを3割ほど混醸。絶妙のバランスを生む(左)

 壇蜜さんが「夏でも涼しいですよ~❤」と囁くまでもなく、今年は雨続きで肌寒かったという宮城・仙台ですら、昨年までは夏に手を出さなかったおよそ夏向きではない赤ワインを今夏は何本空けたことでしょう。

 かつてのように〝補給>消費〟という図式ではなく、最近は〝補給<消費〟なのですが、自制心を働かせつつも、お買い得な掘り出し物は確保してしまう習性が時おり頭をもたげてきます。

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【Photo】関西に居を移して9カ月。勤務先から徒歩圏にあるモンテ物産のアンテナショップ「Picco」やサントリー直営「Cave de Vin」、自宅からロードバイクで10分ほどの芦屋「Wine House CENTURY」など、特定のカテゴリー(●然派)に偏らない良質なイタリアワインを扱う生活圏にあるショップで、つい出来心で調達してしまったセラーストックアイテムの一例

 その歩みは、障がいの有無を問わず誰もがスポーツと文化を楽しもうという「スポーツ・オブ・ハート」の応援ソングで、昭和歌謡史を彩った自身最大のヒット曲をセルフカバーした水前寺清子さんの「365歩のマーチ2017」のよう。そう、ワインの在庫削減ペースは、♪1日1本 3日で3本。3本進んで2本さがる。(☚ アカンやろ!!)

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 そうして今年も訪れた白トリュフシーズン。PESCE ROSSOで濃密な白トリュフの芳香に溺れるにあたり、それぞれ料理に合わせたい気合いの入ったバローロ2種を拙宅のセラーから取り出し、事前に持ち込んだのです。

 高級食材白トリュフの相伴にふさわしいのは、偉大なバローロ。それも年産8,000本程度しか造られず、稀少性が高いものです。その日のために庄イタが設定した選択テーマは゛兄弟対決〟。

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 14日は Aldo Conterno アルド・コンテルノBarolo riserva Granbussia バローロ・リゼルヴァ・グランブッシア'95」(上)、25日には偉大なイタリアワインの筆頭格、Giacomo Contero ジャコモ・コンテルノBarolo riserva Monfortino バローロ・リゼルヴァ・モンフォルティーノ'93」(下)。

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 いずれもワインの品質管理に定評あるミラノの食品専門店「PECKペック」で手に入れたものの、長らく抜栓する機会がなかった名門の手になる2本です。下世話な話、購入時点ではグランブッシア€112、モンフォルティーノ€181でしたが、現在は地元のEnotecaエノテーカ(ワインショップの伊語)で前者€286、後者に至っては€901という高値で取引されています。

 コンテルノ家は、東京ドーム403個分にあたる1,886haもの広大なD.O.C.G.バローロのブドウ畑でも長期熟成に適した骨格がしっかりした男性的なバローロとなるネッビオーロを産するゾーンとして知られるSerralunga d'Albaセッラルンガ・ダルバで1700年代からワイン造りを続けてきた由緒正しい家柄。ジャコモは本家筋で、アルドは分家に当たります。

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【Photo】厳格さと優美さが同居するグランブッシア'95。ワインを空気に触れさせるデカンタージュをしなかったため、固さがほぐれて妖艶なニュアンスが前面に出るまでには時間を要したが、テイスティングした一口目から血統の良さは明らか

 父ジャコモのもとでブドウ栽培とワイン醸造を習得した長男ジョバンニと次男アルドは、長じて異なる道を選びます。祖父の時代と変わらぬ手法を貫く兄と基本は相通じるものの、新たな手法に挑戦したい弟が、堅牢でも優美さを兼ね備えたブドウが育つ地区Bussiaブッシアに新たな畑を購入し、1969年に自身の醸造所を立ち上げました。

 それでも両者に共通するのは、収穫したブドウを圧搾する際に圧力をかけずに余分なタンニンを抽出せず、改革派のバローロ・ボーイズがひと頃導入した225ℓ容量のフレンチ・バリック樽には見向きもせず、伝統的な縦長の楕円形をしたスラヴォニアン・オーク大樽で熟成させる点。高貴品種ネッビオーロにバイアスをかけることなく、晩熟でも長期保存に耐える高い熟成能力を備えています。

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【Photo】シニアソムリエの資格を有するPESCE ROSSO小田浩司フロアマネージャーにご用意頂いたグランクリュグラスで味わったモンフォルティーノ'93。透明感があるレンガ色の色調でエッジには長期熟成の証であるオレンジ色が混じる。なれど、この先長い寿命を有する証左である若々しさすら覚える溌溂とした果実味がある。まさに偉大なバローロ

 ブドウの作柄が良い年のみ造られるリゼルヴァは、グランブッシアで35カ月の大樽熟成と7年以上の瓶熟成、モンフォルティーノでは7年の大樽熟成を施すなど、尊敬を集める偉大な造り手の揺るがぬ意思そのままの傑出したバローロとなります。

 世代交代の波は、コンテルノ家も例外ではありません。2004年に他界した父ジョヴァンニの跡は息子ロベルトが継ぎ、2014年に亡くなったアルドが遺したフランコ・ステファーノ・ジャコモの3兄弟が、DNAを受け継いでいます。

 今回持ち込んだ2本は、どちらも先代の手になるもの。熟成したネッビオーロが持つ深みのある味わいがじっくりと開いてくるクラシックな造りのバローロ・リゼルヴァには軽佻浮薄な賛辞など不要。特筆すべきはモンフォルティーノ'93で、ほんの一握りのワインだけが有する類い稀な高貴さを意味するフィネスを感じさせてくれました。

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 キッチンとフロアマネージャー用にそれぞれグラス一杯分をお裾分けしたモンフォルティーノ'93は、枯れ感など皆無で、生き生きとした果実味も感じられました。偉大なバローロの空き瓶は、今頃PESCE ROSSOの店内を飾るディスプレー用になっているはず。 

 肝心の山中シェフによる白トリュフまみれの料理の数々は、次回ご紹介します。 Buonissimoooo!!!! 4_( º﹃º` )_ψ 乞うご期待

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投稿者 vam : 12:53 | カテゴリー : Cuccina Italiana/| カテゴリー : Vino ヴィーノ

2017/08/28

至福のデザートワイン

祝・Wine Adovocate 誌100点獲得 !
超レア。アヴィニョネージ ヴィンサント飲み比べ


 身も心もあま~くトロける「デザートワイン」はお好きでしょうか?

 北イタリアで過ごした前世を含めずとも、数限りなくワインとの出合いを経験してきた庄イタ。フィネス(⇒「洗練された高貴さ」といった意味のワインへの賛辞)を感じるヴィーノ・ロッソに負けず劣らず、いや、それ以上に色めき立つのが、甘美な夢見心地へと誘ってくれるデザートワインなのです。

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【Photo】前稿「イタリア瓶属 大移動 」で、日本国内には一握りのストックしか残っていないであろうQuorum Barbera d'Asti'99と並べてチラ見せした「BUKKURAM Passito di Pantelleria D.O.C. ブックラム・パッシート・ディ・パンテレッリア」。作り手は「Marco de Bartoli マルコ・デ・バルトリ」。グラスから立ち上がる濃密な香りを皆さまにお届けできないのが残念!!

 日本では、赤白問わずワインを飲み慣れた筋金入りのワインラヴァーでも、極甘口と聞くと及び腰になる向きが少なくないと思います。

 かたや、蜂蜜や香草を加えて葡萄酒を嗜んだ古代ローマから脈々と続く食文化を培ってきたイタリアにおいて、甘い苦いを問わずDigestivo ディジェスティーヴォ(食後酒)は欠かせない存在。

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【Photo】シチリア島の南東沖に浮かぶ火山島パンテレッリア島で造られるBUKKURAM Passito di Pantelleria 。強烈な日差しと強風が吹きすさぶもと、エジプト原産のブドウ「Zibibbo ジビッボ」を8月初旬に収穫後、4週間天日干し。マスカット由来の贅沢な香りが凝縮した庄イタが偏愛するデザートワインのひとつ(ロケ地:青森市長島「Al Centro」)

 イタリア語で男性名詞のdigestivoは、形容詞では〝消化を助ける〟という意味。元来は消化促進を目的に食事の最後に薬草入りの比較的アルコール度数が高いリキュールを少量クイッと飲むものでした。

 イタリア各地には、さまざまなリキュールが存在し、広く愛好されています。日本でもソーダ割が食前酒としてポピュラーな「CAMPARI カンパリ」のようなビター系リキュールの最右翼は、世界で最も苦い酒といわれる「Fernet Brancaフェルネット・ブランカ」。カンパリと同様ミラノが発祥です。

 形容詞では〝苦い〟を意味する「Amaroアマーロ」と呼ばれるジャンルの苦味が主体となるリキュールは、糖分抜きの薬用養命酒+煮詰めたソルマックのイタリア版カクテルといった風情です。(☜ どんな味やねん!)

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【参考】フェルネット・ブランカほどは苦み走ってはおらず、比較的アプローチしやすいアマーロがモンテネグロ。2014.5拙稿「Digestivo(=食後酒)は適量を。<後編> Tanti tanti digestivi.~5月X日はディジェスティーヴォの日~」参照

 アマーロではイタリア国内シェアNo.1の「Montenegro モンテネグロ」は、40種類の薬草・スパイスを調合。シチリア生まれの「Averna アヴェルナ」などを含め、酸いも甘いもくまなくリキュールを飲み尽くすなど、プロフェッショナルなバーテンダーといえども土台無理な話でしょう。

 例えば、アドリア海に面したマルケ州アンコーナ県を訪れた際、ジモティーとの会食の席でデザートと共に供されたのが、中部イタリアを代表する赤ワイン用ブドウ品種サンジョヴェーゼにサクランボの一種、サワーチェリーを砂糖と漬け込んだ「Vino di Visciole ヴィーノ・ディ・ヴィショレ」。存在すら知らず、初めて口にするその美味しさに魅了されました。

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 ユニークなところでは、フランチェスコ修道会が発祥とされる「Nocino ノチーノ」。熟す前の6月にクルミを収穫、ウロのまま純粋アルコールにシナモン・丁子・砂糖などと漬け込みます。

 ノチーノの本場とされるモデナと同じくオニグルミが自生する仙台では、無農薬栽培されたレモンを一定量確保できた時、レモンの果皮をアルコールに漬け込む「Crema di Limoncello クレマ・ディ・リモンチェッロ」と同様に自家製を楽しんでおりました。

【Photo】収穫したての青グルミをアルコールに漬け込んだ翌日の状態(右)と、前々年に自作したノチーノ(左)。そのうち仕込みの顛末をご紹介します 

 多種多様なイタリアン・リカーのみならず、先日、〝ジャパニーズ・ピザ〟を食べに行きましょうと某グルマン氏に誘われて伺った大阪ミナミのお好み焼き「おかる」の流れで、大人が集う隠れ家的な東心斎橋のバー「Old Course」で頂いた3年熟成した琥珀色のレアものアブサンもまた絶品なのでした。

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【Photo】大阪ミナミのバーOld Courseで頂いたアブサン「Vieux Pontarlier ヴィユー・ポンタリエ」2種。スイス国境にほど近いフランス・ポンタルリエで1915年のアブサン禁止法以前から続く蒸留所「Les Fils d'Emile Pernot エミール・ペルノ」製。厳選した地元のニガヨモギ、スペイン産アニスシード、プロヴァンス産フェンネルなどを調合。加水して飲まなかったため、美しいグリーンに変化する前のベースとなる65度のアブサン(左)を3年間オーク樽で熟成させた琥珀色の3ans(右)は、オーナー・バーテンダーの安岡啓介氏曰く「この先いつ入手できるか分からない」超限定品。馥郁たるその香りは、アブサンとは全くの別物

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 百花繚乱の食後酒の中から、一つだけ晩餐を締めくくる一杯を選ぶとすれば、とっておきのデザートワインを指名することでしょう。

 口に含んだ途端、押し寄せる百花蜜のごとき蜂蜜のさまざまなニュアンスや、完熟メロン・完熟白桃・ナッツ・カラメルソース・焦がしバター・カカオ成分70%のチョコレートなどの風味が渾然一体となって響きあいます。 

 有名どころは、仏ボルドー地方Sauternesソーテルヌ地区、ハンガリー・Tokaj トカイ地方、ドイツ・ライン河流域やモーゼル河流域のトロッケンベーレンアウスレーゼといった世界三大貴腐ワイン。

 ボトリティス・シネレア菌(貴腐菌)がブドウに付着すると、果皮には菌糸による極小な穴が無数に穿(うが)たれます。そこから水分が蒸発し、干しブドウ状態となった白ブドウを数回に分けて一粒ずつ選別しながら手摘みするのです。雨がちな年はブドウが腐敗し、作り手の努力が水泡に帰することも。貴腐ワインが高値を呼ぶ理由は、こうしたリスクと隣り合わせにある稀少性と、ブドウ畑に投下される膨大な労力とによります。
 
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【Photo】プリムール(⇒ 蔵出し前に予約購入すること)で入手したシャトー・ディケム'98。歳月を重ねることで、リリース当初の淡い飴色が次第に深みを増してゆくのは、いつの日かこのバースデーヴィンテージのボトルを開ける娘の人生に共通する(のかもしれない) 

 とは言っても、ソーテルヌの頂点に立つ「Château d'Yquemシャトー・ディケム」は、所有する東京ドーム24個分以上に匹敵する113haの広大なブドウ畑から、ブランド大好きな日本を上得意先とするLVMHLouis Vuitton Moët Hennessy)グループ傘下の潤沢な財力に物を言わせ、750mℓ容量ボトルで平均6万5千本程度、多産な年は10万本以上を生産します。

 アルプス以北の国々のように川沿いに立ち込める霧が成長を促す貴腐菌の力によるのではなく、太陽の国イタリアでは、デザートワインを造る場合、ごく一部の例外を除いて陰干ししたブドウから凝縮したワインを造る「Passitoパッシート」という手法が用いられてきました。

 トスカーナ州で陰干しブドウから造られるのが、聖なるワインという意味の「Vinsanto ヴィンサント」。なかでもVino Nobile di Montepulciano D.O.C.G. ヴィーノ・ノービレ・ディ・モンテプルチアーノの優良生産者として名高い 「Avignonesi アヴィニョネージ」は、極めつけの造り手です。

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 今回も過去ネタで恐縮ですが、話は9ヵ月前に遡ります。

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 横浜・馬車道のイタリアワイン専門店「il Calice イル・カリーチェ」で、アヴィニョネージの稀少なヴィンサントを2種類グラスで飲めるという、庄イタにとっては願ってもない機会がありました。

 用意されたのは、白ブドウ「マルヴァジア」と「トレッビアーノ・トスカーノ」を収穫後3~4ヵ月陰干ししてから除梗・圧搾し、密閉した50ℓ容量のオーク樽で10年の歳月をかけて造られる「Vin Santo di Montepluciano D.O.C ヴィンサント・ディ・モンテプルチアーノD.O.C 」(下画像左側)。

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 そして黒ブドウ「プルニョーロ・ジェンティーレ(≒ サンジョヴェーゼ)」を2月まで陰干ししてから同様の製法で作られ、高価かつ入手困難な「Occhio di Pernice Vin Santo di Montepluciano D.O.Cオッキオ・ディ・ペルニーチェ・ヴィンサント・ディ・モンテプルチアーノD.O.C 」(上画像右側)。

 いずれも圧搾した果汁を清澄し、幾度も使いまわしをする栗材の樽へと移す際、樽の底に残る代々受け継がれてきたMardeマードレと呼ばれる酵母の澱を混ぜてから密閉します。

 その酵母が神品と呼ぶにふさわしい琥珀色の濃密な液体へと10年の歳月をかけて昇華してゆく手助けをするのだといいます。

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【Photo】1999年ヴィンテージからエチケッタのデザインを一新するも、その造りは先人が培った伝統を忠実に受け継いでいるヴィンサント・ディ・モンテプルチアーノ2000 vin

 優良年に限り仕込みを行うアヴィニョネージのヴィンサントは、北米向けに2000年vinで1,500本が出荷された100mℓ瓶を除き、ハーフボトル(375mℓ)で年産1,000本前後しか市場に出回りません。ゆえに目にする機会が極めて限られる逸品です。

 日本における正規輸入元のモンテ物産が扱う2000vinのヴィンサントが参考価格41,990円、オッキオ・ディ・ペルニーチェは 54,510円。これはボルドー特別一級の栄誉に浴するシャトー・ディケムが市場に出回り始める価格の倍以上。世界一高価なワインといわれるエゴン・ミューラーのような優良生産者の手になるトロッケンベーレンアウスレーゼほどではありませんが、極甘口ワインの最高峰の一つに違いありません。

 妙なる香り。夢見心地へと誘う素晴らしい味わい。非のつけどころを見出すのが困難なこの1本の難をあえて言うなら、もう少し懐に優しい値段であってほしいことでしょうか(苦笑)。

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【Photo】収穫したブドウを6カ月陰干しすることで重量の90%を占める水分が揮発。外気に晒された屋根裏部屋での10年の樽熟成の間に50ℓ容量ギリギリに充填した液体は、わずか8ℓほどに目減りするという。これぞまさに神の雫!!

 同様の製法を6年熟成に置き換えた珠玉のヴィンサントを少量生産するのが「San Giusto a Rentennano サン・ジュスト・ア・レンテンナーノ」。キアンティ・クラシコゾーン南端の古都シエナにほど近いガイオーレ・イン・キアンティ地区にある醸造所をブドウの収穫を終えたばかりの10月に訪れた時、窓を開け放った醸造所の最上階に案内され、竹の簾に房ごと広げられたブドウや使いこまれた熟成樽を前にマードレの役割について説明を受けました。

 素晴らしい風味のヴィンサントをテイスティングしながら、熟成の鍵を握るマードレから連想したのが、代々注ぎ足しをする老舗うなぎ屋秘伝のタレ(笑)。真剣な表情で庄イタに説明を続けるルカ・マルティーニ・チガラ氏にそんなギャグが通じるわけもなく、言葉を飲み込んだのでした。

 その中でルカ氏が素晴らしいと絶賛していたのが、ほかならぬアヴィニョネージのオッキオ・ディ・ペルニーチェ・ヴィンサント・ディ・モンテプルチアーノだったのです。

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【Photo】黒ブドウから造られるヴィンサントは〝ヤマウズラの瞳〟という意味の「オッキオ・ディ・ペルニーチェ」という呼称で呼ばれる。庄イタが試飲した2000年ヴィンテージは、世界で最も影響力があるワイン評価本Wine Adovocate 誌において「イタリア国内外を問わずライバルなど存在しない」と絶賛され、98点を獲得。翌2001年vinは、1990年vin以来のパーフェクトスコア100点評価を受けた

 それはもはや液体にして液体にはあらず。濃密な琥珀色の飲む宝石と呼ぶにふさわしいトローリ高い粘性を備えています。

 きっちりグラスに15mℓずつ注がれた液体をグラスの中でスワリング(⇒ 空気に触れさせて香りを開かせるべくグラスを回すこと)すると、グラスの内側に張り付いた半液体の動きはスローモーションを見ているかのよう。

avignonesi-odp1.jpg 【Photo】白ブドウから造るヴィンサントよりも更に色合いの濃さが増すオッキオ・ディ・ペルニーチェ・ヴィン・サント・ディ・モンテプルチアーノ2000vin
 
 値段が値段だけに、なかなか手が届かない高嶺の花をグラス1杯2,000円と2,500円で味わうことができた貴重な機会。いずれも極甘口とはいえ、ただ甘ったるいのではなく、雑味のない純粋な甘味と酸味が共存しており、ベタつくことはありません。

 アヴィニョネージのヴィンサントは、観光ガイド本に紹介されている一般的なヴィンサントの飲み方であるヴィスコッティ類を浸して飲むシロモノではありません。

 サン・ジュスト・ア・レンテンナーノのヴィンサントもそうですが、もはや神秘体験に等しいアヴィニョネージのヴィンサントと巡り合う幸運に恵まれた時は、フルオーケストラの響きのように幾重にも押し寄せる万華鏡のごとき甘味とめくるめく香りに身を委ね、心ゆくまでワインと対話をするのが良ろしいかと。

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投稿者 vam : 06:50 | カテゴリー : Vino ヴィーノ/| カテゴリー : ・Fuori Tohoku 圏外遠征

2017/07/23

イタリア瓶属 大移動  

神様 仏様 モンテ物産様

 20世紀が生んだ天才物理学者アインシュタイン(1879‐1955)が唱えた相対性理論は、庄イタごときの頭脳では全くもって理解不能です。

elektrodynamik-bewegter.jpg【Photo】偉大な物理学者の業績に触れる知的冒険を目論んで購入するも、今のところ睡眠導入剤としての活用法しか見出していないアインシュタイン最初の論文「Zur Elektrodynamik bewegter Körper (動いている物体の電気力学)」の邦訳と解説からなる岩波文庫「相対性理論」内山龍雄訳・解説(1988年刊)

 1905年、ドイツの学術誌に発表された画期的な論文の概略をかいつまんで言えば、人間や物体が超高速で移動すると、時間の経過にズレが生じ、時計の進みが遅くなり、物体の長さが縮み、重量が増すと提起。前世紀までのニュートン力学から大転換を果たした学説(...のようです)。

 容易には理解しがたい相対性理論を庄イタが咀嚼(そしゃく)しうるか否かは置いておくとして、そういわれてみれば、身長自体が縮む変化は認められずとも、不慣れな新任地では常に物腰は低く低姿勢。食い倒れの街へと赴任して以来、ロードバイク通勤を封印しており、体重が微増傾向にあります。

 時間の経過が遅れる現象に関しては、居心地の良いリストランテで、美味しい料理とヴィーノ、さらにステキな女性が隣にいれば、時計の針が止まったかのように時間が過ぎるのを忘れてしまうことぐらいでしょうか。経験則からしてイメージ可能なのは、せいぜいこのレベル。トホホ...。

 ついでに白状すると、大阪から4回シリーズでお届けした「土佐日記風 会津日記」は、昨年12月23日~25日の連休に会津を訪れた内容。そしてお題が〝皆殺し〟と皆さまも中学校の歴史授業で暗記したはずの西暦375年に始まったゲルマン民族大移動を想起させる今回は、今年3月の出来事です。

Quanten-AlbertEinstein.jpg【Photo】ドイツ南部の都市ウルム出身の物理学者アルベルト・アインシュタインによる相対性理論発表から100年目を記念し、2005年に故国で発行された切手

 かくもViaggio al Mondoにおける時計の進みは遅れています。仙台空港から大阪・伊丹空港までの移動が、時間のズレが生じるほどの毎秒30万kmに迫る光速飛行であった感覚はないのですが。

(いや、待てよ。1時間20分を要したフライトの間、ANAの敏腕パイロット氏は、1周するのに4万kmを要する地球を14億4千万周したのやもしれぬ。ムムム...)

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 と、いうわけで話の舞台は再び仙台へ。

 かつては購入価格やヴィンテージの優劣を色分けしたExcelのワインリスト (下表・部分) を作成。飲み頃を迎えたワインを管理していたのも今は昔。凝り性でも大雑把なO型性格が災いし、ここ数年、リストの更新は停止し、ほぼ放置状態です。

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〝ワインとの出合いは、人の出会いと同じ。一期一会〟と自己弁護をしつつ衝動買いを重ねた結果、消費≦補給となった自宅セラーの在庫は最大時で400本ほどに達していました。

 ゆえに異動の内示を受け、身柄と共に関西へ移動させる家財の中で、ワインの棚卸し&梱包こそが、転勤にあたって最大の難関なのでした。

 セラー3台の在庫である合計約280本、階段下収納にストックしていた専用段ボールに入っていたワイン約150本の棚卸しに着手する前段として、まずは移動に耐える梱包材の確保が急務。春まだ浅い3月ゆえ、仙台では気温上昇による熱劣化の懸念はありませんが、破損のリスクを考えると梱包はしっかりとせねばなりません。

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【Photo】アンモニア気化熱で冷却するため、コンプレッサー方式のような作動音や熟成の妨げとなる振動が発生しないワインセラー3号(庄イタが親しみを込めて名付けたニックネームは、酒神バッカスと結ばれし女神「Ariadnē アリアドーネ」)。端正なルックスの身の丈は庄イタの身長と同一。ワインフルボトルを最大206本も受け入れてくれる包容力が魅力

 会社が指定する引っ越し業者から支給された梱包材は、段ボール箱と大きなバウムクーヘン状の緩衝エアセルマット(通称:プチプチ)。

 1本づつエアセルマットで梱包し、段ボール箱にワインを詰め込むだけでは、破損のリスクが高いことは明らか。試しに1箱分だけ梱包したところ、エアセルマットを適当な大きさに切り取って350本以上を梱包するのは、気が遠くなるような手間を必要とする作業であることを痛感したのです。

 そんな非効率極まりない荷造りでは、梱包作業の合間にエアセルマットをプチプチと指先で潰したくらいでは、蓄積し続ける膨大なストレスの発散には到底なり得ません。

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【Photo】引っ越し業者支給の緩衝エアセルマットで1本ごとワインを梱包、箱詰めを試みる之図(手前)。作業効率の悪さからこの方法は早々に断念した。荷造りが容易な中仕切りがあるモンテ物産のオリジナル段ボール箱(写真上部)ほか、断熱性が高い発泡スチロール製容器が6本分内蔵されたPECK Milanoなど、おもに通販で購入したワインが入ってきた箱には、長期保存に適したセラーに入りきらない在庫150本ほどを収容。室温変動が少ない階段下にストックしていた

 そこで方針転換。宮城県塩竃市が発祥で、酒販店では国内最大手のチェーン店舗をいくつか見てみましたが、ここ数年のイタリアワインの品揃えと同様、目ぼしい段ボールは皆無。

 次に某ワイン専門店から取り寄せたボトルが入っていた緑色の段ボール箱を実費で譲ってもらえないか、時折立ち寄っていた仙台店に出向きましたが、取り付く島もない対応なのでした。Mamma mia!

 それならばと電話したのが、明治屋仙台ストアで購入したワインが入っていた12本入り段ボールに社名が記載されていたイタリア食材の専門商社「モンテ物産」でデスク業務を担当するSさん。

trattoria-alpha2001.2.jpg【Photo】alpha情報館シリーズ企画「もっと知りたい!イタリアン Trattoria alpha」掲載例(2001年2月号)。モンテ物産さま協力のもと毎回一つのイタリア食材を掘り下げてご紹介。庄イタの趣味のページといわれていた

 モンテ物産㈱仙台支店さまには、仙台圏で発行していた月刊誌「alpha情報館」で長期連載したイタリア食材の紹介企画でお世話になったことがあります(上画像)

 サン・ミケーレ・アッピアーノで醸造責任者を務めるハンス・テルツァー氏が業務店向け講習会を仙台で行った際、当時のO仙台支店長からお誘いいただき、講習会にプレス特別枠で参加。〈2013.8 拙稿「ビアンキスタ、面目躍如」参照〉

 震災直後にイタリア在住のワインジャーナリスト中川原まゆみさんから被災店舗への義援金の申し出を頂いた折にも仲立ちの労をS同支店長にお願いしたことも。〈2011.6 拙稿「Colletta per Giappone (イタリアから届いた義援金)」参照〉

 そうした折々に窓口となって下さったのが、20年来の知り合いであるSさんでした。電話口で差し迫った事情をお話しし、資材費と送料を当方負担で段ボールを譲っていただけないか切々とお願いしたところ、配送部署に交渉してみますとのこと。

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【Photo】一度は隘路に陥ったワインの荷造り。事態打開の決め手となった救世主・モンテ物産さまから専用段ボール箱と中仕切り材20セットが届いた。最大36本を収容するセラー1号(ニックネーム「Romolo ロモロ」ラテン語読みでロムルス)と2号(ニックネーム:「Remoレモ」ラテン語読みでレムス。ともに永遠の都・ローマ建国伝説に登場する双生児)にストックしていた72本は、難なく6箱に収容。めでたし、めでたし

 その時、庄イタがストックする同社取り扱いのイタリアワイン、Bertani Amarone della Valpollicella classico'90 やら、Avignonesi Vin Santo'92 やら、La Spinetta Barbaresco vigneto Starderi'97など、移動対象のお宝ワイン名を挙げ、同社に対する個人的な貢献をアピールするのも忘れないのでした。

 そんな交渉術が奏功したか、12本(1ケース)用段ボール箱を中仕切り材と共に送料負担だけで配送センターから20セットを拙宅あてに直送しますとのありがたいお返事をいただいたのです。Complimentiiiiii!!!!!!!!

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 こうして届いた梱包材で作業効率は飛躍的に向上。ストックしていたことを忘れていた猿酒のごとき掘り出し物がセラーの奥底から出てくる中、トントン拍子で作業は捗ったのでした。

 とはいうものの、夜中まで続く膨大な量の荷造りで、段ボールとの摩擦により指先の指紋は消え、皮は剥けて荒れ放題に。ハンドクリームが手放せなくなり、寝不足が続く3月14日のホワイトデーには、Sさんに感謝の意を込めてピスタチオ風味のイタリア菓子「Waferini ワッフェリーニ」をお届けした義理堅い庄イタなのでした。

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 そして話の舞台は仙台から関西へ。

 モンテ物産さまのおかげで1本たりとも破損することなく、ワインたちは西宮の新居に無事到着。家一軒分の家財の荷ほどきとの並行作業で、新居から至近の桜の名所・夙川(しゅくがわ)沿いに咲き揃った桜が散ってしまった4月25日過ぎまでには、同じ造り手や産地を固めるなど、整然と体系だててセラーに収容しました。

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 当然のこと、そこには階段下収納にあったワイン150本が存在しているわけです(上画像)Ariadnēへの移し替えの際、誤ってボトルを割ってしまったことが悔やまれるArnaldo Caprai Montefalco Sagrantino 25 Anni '06はやむなしとして、関西では観測史上最も暑いことが予想される今年の夏を乗り切るには、なるべく早期に手持ち分を飲み切った方が得策。

 たとえ熱帯夜でも、まだ空けるには勿体ない'97vinなど、さらに熟成可能なヴィーノ・ロッソを抜栓しなくてはなりません。

 はなはだ不本意ながら、そうした扱いとなっている例が、Quorum クオルム'99(下画像)Braida, Michele Chiarlo, Coppo, Prunotto, Vietti,そして珠玉のグラッパを世に送り続けてきたBertaが手を携え、地ブドウであるバルベーラから至高のヴィーノ・ロッソを造る目的で立ち上げたコンソーシアムは、アスティ地域の古い呼称「Hastae ハスタエ」と名付けられます。

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 著名なワイン評論家、ロバート・パーカーをして、自身のキャリアにおける最良のバルベーラと言わしめた素晴らしい出来となったデビュー作、Barbera d'Asti Quorum '97を3本購入する幸運に恵まれるも、'05vinを最後に、売り上げを後進の育成に寄贈したコンソーシアムは解散。日本国内ではもはや流通していないと思っていた超レアもの '99vin(上画像)を昨年5月に2本確保して以降、ヴィーノ・ロッソの購入を極力控えていました。

 これはひとえに過剰在庫を減らすためですが、'93年にPet Shop Boysがカバーした Go West が頭の中でリフレイン。現状を上回る在庫を抱えた状況で西へと向かうことは避けるべきという、虫の知らせもあった気がします。

 在庫削減の例外として、イタリアワイン好きならば、ご存知の方が少なくないであろう「にしのよしたか」を運営する西野嘉高氏が店主を務める大阪市生野区「西野酒店」を再訪、ブルゴーニュに引けを取らない最高峰のシャルドネVie di Romans Chardonnay '15を購入がてら、セラー収容作業で割ってしまったArnaldo Caprai の代替とはならずとも、メルロ&カベルネソーヴィニョンを混醸したレアもののOutsider 2010で早逝した大器の穴埋めをしたのでした。

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 大阪着任後、支社から最寄の地下鉄淀屋橋駅に向かってわずか200mほどの土佐堀通り沿いに「Picco ピッコ」という店があるのに気づきました。

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 足を踏み入れた店内には、見覚えのあるイタリアワインがズラリと並んでいます。なんと!! そこは東京と大阪に1店舗ずつしかないモンテ物産の直営アンテナショップなのでした。広い広い大阪の街にあって、なんという巡りあわせでしょう。

 店頭価格から常時2割引(誕生月は3割引)となる会員証の発行を済ませ、日本では最も入手しやすいナポリスタイルのカッフェ、KIMBO エスプレッソ・ナポレターノとマルサラ酒の優秀な作り手Florioが、西方70kmの沖合にチュニジアを望み、シチリアから100kmの大西洋上の孤島パンテレッリア島で造る酒精強化デザートワインMorci di Luce '11 を購入(下画像)

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 強烈な太陽と強風に晒される過酷な条件下、パンテレッリア島では、2014年に世界無形文化遺産に登録された独特なブドウ栽培法vite ad alberello を伝統的に行っています。「Muscat of Alexandria (マスカット・オブ・アレキサンドリア)」という英語名が示す通り、古代ローマ帝国領だったエジプト原産のブドウ「Zibibbo ジビッボ」を収穫後、4週間日干しして水分を蒸発させ、エキスが凝縮したデザートワインが作られます。

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 その一つ、Marco de Bartoli が手掛ける重層的で甘美な長い余韻を残すBUKKURAM(上記Quorum'99の左)は、食事を締めくくる至高の一杯となるでしょう。

 Piccoには仕事帰りに時おり立ち寄っていますが、購入を手控えているヴィーノ・ロッソではなく、クマゼミの鳴き声が体感温度をヒートアップさせる大阪の夏に飲みたいフランチャコルタやヴィーノ・ビアンコ(下画像)だけを調達していました。

 同社扱いのイタリア食材やヴィーノが30%OFFのお買い得価格となる半期に一度のセールが先週21日(金)に行われました。パスタの聖地グラニャーノ産シャラテッリ〈2010.7拙稿「珠玉のパスタ、Gragnano グラニャーノ」参照〉KIMBO エスプレッソ・ナポレターノ3パック、フランチャコルタ1本、ヴィーノ・ビアンコ2本をゲット。

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 自らに課してきた〝産地を訪れた年のワインは入手すべし〟という鉄則に基づき、手を伸ばした禁断の果実が、限定特価7,000円+税で出ていたE. Pira e Figli Barolo Connubi'06

 銘醸地バローロでも、とりわけ素晴らしいワインを生む畑カンヌビ。仙台から持ってきたストック分では、明治屋仙台店で2本購入したグレートヴィンテージ'96vinのうちの1本が、今もセラー2号Remoの中で抜栓される日を待っています。

 前述の通り、更新停止状態のワインリストを紐解くと、2022年頃まで熟成を続ける偉大なこのヴィーノ・ロッソを、当時としてのセール価格4,500円で入手していたようです。

 ユーロ導入以降、銘醸地トスカーナやピエモンテ産で顕著なイタリアワインの高騰傾向から、現行ヴィンテージの実勢価格は10,000円前後。

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 それは伊達家家臣の末裔という設定で宮城県の観光PR動画に登場した「お蜜」こと壇蜜さんが、夏でも涼しいと囁いた仙台でさえ、この時季には食指が伸びなかったフルボディのヴィーノ・ロッソです。

 ですが、'96vin ほどの特値ではないにせよ、間違いなくこれはお買い得。逡巡したものの、再び禁制の品に手を出してしまいました。

 関西へ移動した段ボール内の精鋭たちが、体温に等しい36℃に迫る暑さで375(皆殺し)となっては元も子もありません。かといってエアコンを終日つけっぱなしにするのも抵抗があります。

 いよいよ夏本番。待ったなしの在庫削減の取り組みは、こうして一進一退を繰り返しているのです。

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Italian shop Picco イタリアンショップ ピッコ

 ・住:大阪市中央区北浜3丁目1-18 島ビル1階
 ・Phone e Fax:06-6209-0522
 ・営:11:00 ~ 18:00 土日祝休み
 ・URLhttp://www.montebussan.co.jp
 ・Mailpicco-osk@montebussan.co.jp

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投稿者 vam : 22:06 | カテゴリー : Vino ヴィーノ/| カテゴリー : 庄内系イタリア人の物語

2017/07/02

土佐日記風 会津日記 【喜多方編】

じもてぃもすなる あさらーといふものを
しょういたもしてみむとてするなり
【現代語 意訳】喜多方市民も食する 朝食ラーメンというものを庄イタも試みてみた


土佐日記風 会津日記 【大内宿編】続き

 会津で迎えた二日目の朝は、会津若松から喜多方へ移動するため、R121 会津縦貫北道路を20kmほど北上しました。そのココロは、ズバリ朝ラー〟。つまるところが、ラーメン屋で朝から食するラーメンです。

vista-kitakata.jpg【Photo】喜多方市街地を遠望。さすがはラーメンのまち。事業所からもうもうと立ち上がる水蒸気は、ラーメンを茹でる寸胴鍋から立ち上がる湯気と見まごうほど(笑)

 人口48,000人の喜多方市には、およそ120軒のラーメン店があります。これは人口一人当たりの軒数としては国内最多であろうといわれています。

 1987年(昭和62)、喜多方市内のラーメン店が参加して「蔵のまち 喜多方老麺会」が発足。互いに切磋琢磨し、今日では地域ブランドとして確固たる地位を築いています。2017年6月現在、老麺会には47店舗が加盟しています。

abeshokudo1-kitakata.jpg【Photo】蔵とともに福島県喜多方市の代名詞といえばラーメン。モチモチした太めの平打ち熟成多加水ちぢれ麵は各店共通。醤油・塩・味噌とバリエーションはあれど、店ごとに豚骨や鶏ガラをベースに煮干し出汁のコクがある醤油スープが多数派となる *ロケ地:あべ食堂

 全国平均が5,929円である一人当たりのラーメン年間消費額を県庁所在地別でみると、会津地方とは食文化が幾分異なる福島県中通り地方に位置する福島市(10,917円)は3位に食い込んでいます。ちなみに2位の新潟市(11,900円)を大きく引き離してダントツ1位は山形市(15,622円)。(データ出典:総務省統計局「家計調査結果」平成26年~28年平均)

 山形市周辺では蕎麦屋でもラーメンをメニューに入れている店が珍しくありません。客席がほぼ100%ジモティで占められる平日昼の光景は、完全にラーメン屋(笑)。畑仕事中にはラーメンを畑まで出前してもらい、時に氷を浮かべて麺をすする〝冷やしラーメン〟まで発明してしまう山形市民の並々ならぬラーメン愛に驚愕したのが、山形市で勤務した2003年(平成15)のこと。

abeshokudo2-kitakata.jpg【Photo】蔵の内部が客席として使われている土蔵が左手に建つ「あべ食堂」 ・住所:喜多方市緑町4506 ・電話:0241-22-2004 ・営業時間:朝 7:30~15:00(スープがなくなり次第終了)・水曜定休 ・Pあり ・喫煙可

 県庁所在地ではないため、この統計にはランクインしていない喜多方市民のラーメン好きも筋金入りです。

 そのルーツは、大正末期に中国浙江省(せっこうしょう)から日本へ渡ってきた藩欽星氏が、竹棒で延ばす中華麺を自己流で再現し、屋台で出した〝支那そば〟だというのが定説です。

 喜多方には朝食にラーメンを食べる独自の文化が根付いており、その昔訪れたことがある「坂内食堂」は、チャーシューが麺を覆い尽くす「肉そば」が有名で、なぁ~んと早朝7時に営業開始します。

abeshokudo3-kitakata.jpg【Photo】「あべ食堂」は1960年(昭和35)の創業。朝8時に到着した庄イタが通されたテーブル席と通路を挟んで左側は小上がりの座卓席。ほどなく向かいのテーブル席に一人の男性客が座ると、その次に来店した二人連れは蔵座敷席へと通じる店奥左手へと入って行った

 前稿で述べた通り、庄イタは名物よりも好物に食指を動かす傾向が顕著です。先月の福岡1泊出張では、博多ラーメンを替え玉付きで2回食べましたが、あくまでこれは例外。めったなことではラーメン店の暖簾をくぐることはありません。それでもジモティが集う早朝のラーメン店が、いかなる雰囲気なのか興味がわきました。

 観光客が列をなす昼食時間帯では、純血度が高い朝ラーを知ることはできないはず。そのため、朝食を摂らずに宿を出発。朝ラーを提供する15軒ほどの中から白羽の矢を立てた「あべ食堂」に到着したのが8時ちょうど。

 食べ終えた先客と入口ですれ違ったあべ食堂の客席は、開店後30分にして7割方埋まっています。男女比で7:3ほどの客層は、雰囲気から察するにジモティが8割。店に隣接する蔵は座敷になっており、テーブルと小上がりの客席が一杯になってからは、そちらに来店客を案内していました。

abeshokudo4-kitakata.jpg【Photo】あべ食堂で食した「中華そば」(650円)。ベースとなる豚骨と適度な背脂のコク、昆布出汁の旨味が混然一体となったジンワリ味わい深い醤油スープ。チャーシュー・メンマ・刻みネギがトッピングされ、多加水麺ならではのツルツル&モチモチのちぢれ太麵はスープの絡みが良い

 あべ食堂では、〝より朝食らしくご飯も食べたい〟ラーメンライス派向けに、ライス(大250円・小150円)も用意されます。栄養のバランス的には???な炭水化物×2ゆえ、ライスまでは控えましたが、会津は特Aランクの常連であるコメどころでもあります。健啖家を自認される方はお試し下さい。

〝名物に旨いものなし〟という意地の悪い言い習わしがありますが、あべ食堂の喜多方ラーメンには当たらないことは、この庄イタが保証します。

 こうして人生初の朝ラー体験を完遂。喜多方における次なるミッションは、そう、もちろん〝昼ラー〟(笑)。

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 昼に備え、お腹を空かすために蔵めぐりへと繰り出す前に向かったのが、郊外にある「新宮熊野神社」。晩秋には幹回りが8m近い推定樹齢800年のご神木・大イチョウが落葉し、境内が黄色一色に染まることで知られます。

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 本宮・新宮・那智の熊野三山を主祭神とする本殿への拝殿「長床」(国指定重要文化財)は、朝廷から奥州平定を命じられた源頼義が武運長久を願って1055年(天喜3)に勧請(かんじょう)したのが起源。現在の社殿は平安末期から鎌倉時代にかけての建立と推定され、藤原時代に遡る建築様式の寝殿造りを踏襲しています。

 屋根は寄棟造りの茅葺。幅27m×奥行12mの床面には、およそ3m間隔で直径45cmほどの円柱が等間隔で配されています。

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 壁のない空間に柱が並ぶ拝殿を前にして思い起こしたのが、シチリア・アグリジェント近郊「Valle dei Templi 神殿の谷」に建つ「Tempio della Concordia コンコルディア神殿」(下画像)

 ローマ神話に登場する民族融和を象徴する女神コンコルディアに捧げるため、紀元前5世紀に建立された当時の構造を今に留めるシチリア最大の神殿です。

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 13本のドーリス式円柱が42m幅に並び、19.7m幅のファサードには6本の円柱が配される遺構は、石と木の違いはあれど、庄イタの目には長床と二重写しに映りました。

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 喜多方観光のハイライトは蔵めぐり。1880年(明治13)、市街地中心部の300棟を焼き尽くした大火が契機となり、防火上の備えとして多くの蔵が建てられたのだといいます。もうひとつ〝男子たるもの40歳までに蔵を建てざるは甲斐性無し〟とする地域性が育まれた点も見逃せません。

 そうして競うように建てられた蔵が集中するのが、「ふれあい通り(中央通り)」沿い、そして小田付(おたづき)地区の「おだづき蔵通り」沿いです。

 蔵探訪には、JR喜多方駅前でレンタサイクルをピックアップするか、徒歩でじっくりと街並みを散策しましょう。ラクチン派にはガイド付きベロタクシー(定員大人2名+小人1名・1時間3,000円・要予約☎090-7323-3314)という選択肢もあります。

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 全国でも例を見ないのだという蔵造りの寺「安勝寺」(上画像)を参詣した後、南北に通じる900mほどのエリアに多くの蔵が集中するふれあい通り沿いから蔵めぐりのスタートです。

wakaki-kitakata.jpg【Photo】若喜商店レンガ蔵(国登録有形文化財)1755年(宝暦5)に創業した味噌・醤油醸造元「若喜商店」。昭和初期に建てられた洋風の店舗に接している喜多方では最初に建てられた総レンガ造りの蔵は1904年(明治34)竣工。柿渋による黒っぽい文様が特徴となる稀少な柿材を内装や調度類に使用した「縞柿の間」をガラス越しに見学することができる。・住:喜多方市字三丁目4786 ・Phone:0241-22-0010 ・開館:9:30~16:30(元日除き通年) ・見学無料 ・URL:http://www.wakaki-kura.jp/

kaihonke-kitakata.jpg【Photo】甲斐本家座敷蔵(国登録有形文化財)酒造業から味噌・醤油の醸造業に転じた甲斐家4代目吉五郎が、7年の歳月をかけて1923年(大正12)に完成させた喜多方では数少ない黒漆喰〈2016.11拙稿「Bianco e Nero~ Capitolo Nero ~クラシックな黒漆喰の内蔵」参照〉による重厚な外観。内外装の豪華さにおいて喜多方随一とされる ・住:喜多方市一丁目4611 ・Phone:0241-24-3900 ・開館:10:00~16:00(4月上旬~11月下旬)冬季閉館 ・入場料:大学生以上400円 小中高生150円
 
 若喜商店の蔵にも使用された赤銅色の釉薬レンガの材料となる良質の赤土が産出するのが郊外の三津谷地区。

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 そこは地元で大量に調達できる薪を燃料としてレンガや瓦を焼成するため、大正期に造られた10連房式の登り窯が国内で唯一現役で稼働しています(上画像)。経済産業省から2007年(平成19)に近代化産業遺産として指定を受けています。

mitsuya-kitakata.jpg【Photo】若菜家 農作業蔵 (写真左側)は1910年(明治43)築。1935年(大正10)築の味噌蔵(写真右側)ほか、三階蔵、座敷蔵など明治~大正期に建てられた4棟のレンガ蔵が残る。住:喜多方市岩月町宮津字勝耕作3819 ・Phone:0241-22-9459(若菜農園)・受付:8:00~17:00 ・入場料:中学生以上200円・小学生以下無料

 そうした土地柄だけに、三津谷集落の5軒全てにレンガ造りの蔵がある地区でもあります。

otazuki-kitakata.jpg【Photo】小原酒造 1717年(享保2)創業の醸造元。10代目の現当主が醪(もろみ)のタンクにスピーカーを取り付け、さまざまなジャンルの曲を流す試行錯誤の末、最も納得のゆく仕上がりとなったのがモーツァルトだったのだといいます。平成に元号が変わった年、初めて世に問うた意欲作が「蔵粋(クラシック)」シリーズ ・住:喜多方市南町2844 ・Phone:0241-22-0074 ・営業:9:00~17:00 ・URL:http://www.oharashuzo.co.jp/shop/

 おたづき蔵通りへ移動し、天保年間に創業した味噌蔵「金忠(カネチュウ)」と、趣ある江戸末期の店蔵(国登録文化財)に併設された「豆〇(マメマル)」に立ち寄りました。金忠で試食した旨味たっぷりの「にんにく味噌」を購入後、炭火でじっくり焼き上げた豆腐田楽 & 味噌おしるこで一休み。

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【Photo】金忠 田楽喫茶 豆〇 ・住:喜多方市字寺町2854 

kanechu-kitakata.jpg 喜多方市内のラーメン屋およそ40軒に醤油を卸していた金忠と豆○を訪れた半月後、金忠は廃業を突然発表した。原因は東京電力が200kmも離れた首都圏向けに電気を供給していた福島第一原子力発電所が引き起こした重大事故。事故から6年あまりが経過し、喜多方市と東京都が公表する空間線量の測定値には0.01μGy/h程度の開きしかない。にもかかわらず売り上げを7割も減少させた風評被害が、創業180年の老舗を廃業に追い込んだ。突如届いた不幸なニュースに心を痛めるとともに、安全神話にあぐらをかき、責任逃れに終始する東電の旧経営陣には怒りを禁じ得ない

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 山紫水明の里・会津は、東西を奥羽山脈と越後山脈に、南北は飯豊連峰と尾瀬へと至る帝釈山脈の山々に囲まれた水清き里。

 福島は酒どころ東北6県の中で酒蔵が最も多く、その半数を会津地方が占めています。清冽な水のもとでコメ作りが行われ、そこに人の技が加わることで芳醇旨口の銘酒が作られています。

yaemon-yamatogawa.jpg【Photo】1790年(寛政2)創業の大和川酒造店。酒人自ら自社田で酒造好適米「山田錦」と「夢の香」を減農薬栽培。寒造りの季節限定となるコメの旨味を存分に味わえる生酒「純米しぼりたて弥右衛門」(720mℓ 1,296円)を購入。会津若松訪問初日に鈴木屋利兵衛商店で購入した會津絵の酒器が、柔らかい口当たりの生酒を一層引き立てる

 近年、福島県産酒の品質向上は目覚ましいものがあります。全国新酒鑑評会における金賞受賞数は、最新の平成28年度まで5年連続日本一。人口比で日本一といわれるラーメン屋の数と同様、日本一との声も聞かれる9軒の酒蔵がある喜多方に来たからには、酒蔵訪問もクリア必須のミッションなのでした。

yamatogawashuzo1.jpg【Photo】大和川酒造店 ・住:喜多方市字寺町4761・Phone:0241-22-2233・営:9:00~17:00 元旦除き無休 P40台・URL:http://www.yauemon.co.jp/

 1990年(平成2)に醸造蔵を移転した後の旧仕込み蔵は、酒造り資料館「大和川酒造店 北方風土館」として無料公開されています。

yamatogawashuzo-degustazion.jpg【Photo】北方風土館 利き酒カウンター。この日は定番酒・季節限定品あわせて15本が並んでいた

 蔵の前と風土館の試飲・直売処には、移転前の仕込みで使われていた飯豊山系の優しい口当たりの伏流水が湧いており、20ℓ容量のポリタンクで持ち帰ったのでした。

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 蔵の町を散策しているうちに時刻は13時を回り、そろそろお腹が空いてきました。

 人生初の朝昼続けての2杯目ラーメンは、行列が絶えない有名店「満古登(まこと)食堂」で。日本が戦後の混乱からまだ立ち直っていなかった1947年(昭和22)に創業した古参の店です。

macotoshokudo1.jpg【Photo】満古登(まこと)食堂 ・住:喜多方市字小田付道下7116 ・Phone:0241-22-0232 ・営:7:30~15:00(スープなくなり次第終了)月曜定休・P6台・喫煙可

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 醤油系喜多方ラーメンの代表格とされる店だけあり、長い行列に40分ほど並んだでしょうか。店というよりは民家の座敷といった風情の部屋に通されました。非日常感が希薄な部屋で注文した中華そば(650円)を待つことさらに15分。その日2食目の中華そばが運ばれてきました。

 朝ラーを食べたあべ食堂よりも濃い口の醤油スープは、煮干しと豚骨がベース。ツルシコ系のちぢれ平麺との相性もバッチリ。まさにラーメン好きが好みそうな王道をゆく中華そばでした。

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 バリエーションが多彩なパスタ料理は、朝昼晩と3食続いても全く問題ない庄イタ。こう言っては元も子もありませんが、とりたててラーメン大好きということはありません。2食続けての醤油ラーメンは、正直どう頑張っても胃袋が喜ばない感じ。今回訪れた2店ともに分煙対策をしていない点も気になりました。

 こうして自身の嗜好と適性を再認識した庄イタ。再びラーメン屋を訪れるまでには、丸5ヵ月を要したのです。

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 迷宮のごとき天満で、①たこ焼き屋 → ②お好み焼き屋 → ③ショットバーと3軒ハシゴした5月末の某日。伸縮性に富む鋼鉄の胃袋を持つ事情通に「この足で大阪で一番おいしい焼き飯を食べに行きましょう」と案内されたのが「総大醤(そうだいしょう)

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 酒宴後の〆ラーは、2011年(平成23)10月に酒田でメンズ5名で食して以来。〆ラーを欲しなくなって久しい庄イタゆえ、目的はあくまでも大阪一の焼き飯。同僚とシェアした焼き飯(上画像・スープ付500円)とは別に酒の勢いで醤油ラーメン(下画像・700円)まで注文。肝心の焼き飯を味わう余裕などなく、食品廃棄を増やしてはならじと胃袋に押し込むのが精一杯なのでした。

 こうした経緯ゆえ、自らの意思でラーメン屋に行ったわけではない。そう自分では思っています。

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 序章・会津若松編・大内宿編・喜多方編と、4回にわたってお届けした土佐日記風 会津日記。紀貫之も「つとめての あさげらーめん いと旨し(現代語訳:早朝の朝ごはんラーメンは、とても旨い)」と感想を述べるであろう朝ラーで締めてみました。

 次回からは居を移した食い倒れの町を起点にイタリアを語り続けます。引き続きご贔屓のほどお願いします。

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投稿者 vam : 21:14 | カテゴリー : ごちそうさまでした/| カテゴリー : ・Pref.Fukushima 福島

2017/06/18

土佐日記風 会津日記 【大内宿編】

をとこもをむなもすなる たかとうそばといふものを
しょういたもしてみむとてするなり
【現代語訳】男も女も食する 高遠蕎麦というものを庄イタも試みてみた


土佐日記風 会津日記 【会津若松編】続き

 視座を会津に据えて戊辰戦争を語り、共謀罪法案の審議ひとつを見ても明らかな強権的かつ高飛車な姿勢ばかりが目立つ現内閣の政権運営と、その源流となった明治維新の虚像に斬り込む硬派な内容だった前稿【会津若松編】から一変、今回は食欲全開で突っ走ります。

 欠陥選挙制度の恩恵で棚ボタ的に権力の座に就かれた甚だ心もとない法相や防衛相は言わずもがな。このところ叩けば埃が出まくっている政権与党のセンセイ方に対し、攘夷派が暗殺する相手に向けて発した「天誅!!」などと不穏な言語を弄した前回。

 庄イタは間違っても無差別テロの計画などぜず、暴力的手段で政権転覆を狙うわけでもない〝一般市民〟です。共謀罪の定義が曖昧模糊としたまま、ゴリ押し成立させた共謀罪法案を盾に〝官邸の最高レベル〟のご意向を忖度(そんたく)した警察組織の捜査対象になるのでしょうか ?

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 二泊三日の日程で仙台から会津を訪れた初日の夕飯は、會津郷土食の店「鶴我・会津本店」に目星をつけていました。そのココロは、馬食文化が息づく会津ならではのさくら肉料理と地酒を堪能せんがため。

felice-aizu_2.jpg【Photo】Pizzeria Felice ピッツェリア フェリーチェ ・住所:会津若松市大町1‐2-55 ・電話:0242-36-7666 ・営業時間:昼 11:30~14:00 カフェ14:00~17:00 夜 17:00~22:00 火曜定休 ・URL: http://pizzeria-felice.jp/

 そのため昼は軽く済まそうと、信頼できる某ピッツェリアから、なかなかのナポリピッツァを会津若松で食すことができるとの情報を得ていた「Pizzeria Felice ピッツェリア・フェリーチェ 」に伺いました。好都合にもそこは会津漆器を買い求めた鈴木屋利兵衛商店から徒歩1分と至近。

 通りを挟んですぐ向かいには姉妹店となる「Ristorante Luce リストランテ・ルーチェ(現在一時休業中)がありましたが、夜のみの営業ということでスルー。漆器職人の卓越した技が光る会津絵で目の保養をした後は、美味しいナポリピッツァでお腹を満たそうという算段です。

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 表通りに面した明るく開放的な店内へ足を踏み入れると、ナポリ近郊に工房を構える「Stefano Ferrara Forni ステファノ・フェラーラ・フォルニ」製で、正面に「F」の刻印がなされたライトブルー系+茶系のイタリアンなカラーリングのタイル装飾が施された端正なピッツァ窯が目を引きます。

 店内はカジュアルな雰囲気ながら、調度類を含めてイタリア度が高く、明るく広々としています。オーセンティックなナポリピッツァだけでなく、会津の食材を組み合わせた創作料理も頂くことができるようでした。

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 戦国時代に苗木が中国から日本にもたらされ、会津には16世紀に広まったとされる身不知柿〈2013.12拙稿「会津の橙、身不知柿」参照〉を使った「会津みしらず柿と4種のチーズピッツァ」、会津地鶏+卵+モッツァレラチーズがトッピングされた「会津地鶏の親子丼ピッツァ」、しぜん村の季節野菜+バーニャカウダソース+モッツァレラチーズのトッピング「しぜん村ピッツァ」といった創作ピッツァが、この日はアラカルトでメニューに並んでいました。

 なれど、初めての店では、ナポリピッツァの生命線である生地の出来栄えを知るのに最適なマリナーラを食したいもの。

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 薪窯で焼き上げるバケット、サラダorアンティパスト、ピッツァorパスタ、ドルチェ、ドリンクがセットされるランチセットB(1,500円)で用意される4種類のピッツァにマリナーラは含まれておらず、悩んだ挙句に選んだのは最もベーシックなピッツァのひとつ、マルゲリータ(上)にアンチョヴィをトッピングし、オレガノを散らしたロマーナ(下)。

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 アンティパストのミネストローネに続き、薪の香ばしい香りを漂わせながら運ばれてきたロマーナは、中モチ外パリという生地の食感はお約束通り。

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 会津みしらず柿のジェラートなどのドルチェ3点盛り(上)の後、締めで所望したマシンメードのカッフェ(下)は、ナポリスタイルの王道「KIMBO キンボ」のラインナップで、庄イタがオフィスではエアロプレス〈2010.10拙稿「期待度高し、AeroPress」参照〉で淹れた一杯を愛飲している豆「ナポレターノ」とお見受けしました。

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 こうして会津色が極めて希薄な昼食だった訪問初日。夕食は対照的に会津にどっぷりとハマってみようという寸法です。

〝どこの馬の骨か?〟 などという野暮な質問はご無用。会津産の馬の骨でとった豚骨スープならぬ馬骨スープに馬肉チャーシューが入った「会津馬味噌馬力ラーメン」が売りのラーメン店「馬力本願(バリキホンガン)」ほか、馬肉料理専門店が数多いのが会津です。

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【Photo】鶴我・会津本店 ・住所:会津若松市東栄町4‐21 ・電話:0242-29-4829 ・営業時間:昼 11:30~14:00 夜 17:00~22:00 不定休 ・URL:http://www.turuga829.com/ 

 会津地方の馬食文化は、前回経緯をおさらいした戊辰戦争が発端でした。鶴ヶ城や天守閣の隣接地に建つ藩校「日新館」は、籠城戦における野戦病院としての機能も果たしました。

 長期戦覚悟の籠城に耐えるため、城内に残った5,000名分の兵糧を確保するべく、阿賀川の東側にあたる現在は会津鉄道の南若松駅がある一ノ堰周辺までの鶴ヶ城の南側城下は会津藩が死守。万策尽き白旗を掲げるまで、補給路は確保されていたのだといます。

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 日を追って増えてゆく傷病者に滋養食として奨励されたのが、武家や荷役用に飼育されていた馬だったのだそう。

 越後街道と下野街道が交差し、人馬が行き交う要衝の地だった会津に馬肉が食文化として根付いた背景には、そのような歴史があったのです。

 馬食が盛んな熊本や青森の馬肉は重種馬のため、サシが入ります。一方、会津は赤身肉の軽種馬を肥育。低カロリー&高蛋白で滋養豊富な分厚い赤身肉ヒレ(関西ではヘレ)と、稀少なコウネ(タテガミ)の刺身を辛子味噌を入れた醤油で頂きました(下画像)

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 筋張っておらず、あくまでも柔らかくトロけるような口当たりの赤身ヒレ肉は淡白な味わい。一方、白っぽい脂肪分の塊であるコウネは、まったりとした食感で薄切りでも食べ応えがあるのでした。

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 竹串に刺した焼き豆腐に山椒等の薬味を混ぜた味噌で風味付けした素朴な郷土料理「会津田楽」(上画像)に続いて出てきたのが、「饅頭(まんじゅう)の天ぷら」(下画像)

 柏屋「薄皮饅頭」は、かんのや「家伝ゆべし」、三万石「ままどおる」と並び称される福島土産の定番の一つですが、会津の天ぷら饅頭は、そうした饅頭を油で揚げ、皮がカリカリな和菓子の〝揚げ饅頭〟ではありません。

 会津では天ぷら饅頭をご飯のおかずとして醤油をつけて食するのです。

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 サクサクした衣の中は、こしあんが入った紛れもないお饅頭。醤油の香りが餡の上品な甘さを引き立てます。

 饅頭の天ぷらは、南信州・滋賀・島根にも伝わっていますが、その背景には近江生まれの蒲生氏郷や、信州・高遠藩で育った保科正之など、会津ゆかりの武将が無関係ではなさそうです。〈 ☛ 参考リンク

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【Photo】2013.12拙稿「晩秋の三原色、黄・朱・橙」に掲出した晩秋の氷玉峠を比較の意味で再掲 

 馬肉パワーで元気回復。前回は紅葉の季節に訪れた大内宿を目指して宿を出発したのが翌朝8時。会津若松からのルートは前回同様、会津と日光街道とを結ぶ旧下野街道(会津西街道)通称「大内宿こぶしライン」です。

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【Photo】半年近くお蔵入りしていた冬の氷玉峠。3年前と同アングルで撮影。峠越えをする間、通過する車と一度もすれ違わなかったそこは静寂が支配する氷の世界。間もなく夏至。梅雨だというのに連日のようにまばゆい太陽が照りつけ、明日の予想最高気温が30℃の大阪にいると、この朝の冷え込みが妙に懐かしい

 阿賀川を越え、陶芸の里・会津美里を過ぎる頃には、雪が本降りに。氷玉峠は除雪されておらず、車が通った轍(わだち)すらないヴァージンスノーで路面が覆われています。

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〝雪景色の大内宿を訪れてみたい〟という思いが天に通じたのか、難所の氷玉峠から大内ダムを通過する頃には、視界を遮る激しい吹雪となりました。

 奥会津の山々に囲まれた海抜665mの高地ゆえ、雪深い大内宿にあって、初めての本格的な積雪となったというこの朝。

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「昨日まではさっぱり雪がなかったんですよ。夜が明けたらこうなってました。この程度なら雪のうちには入らないんですけど」

 店頭で漬物を試食がてらお茶を振る舞って下さった開店して間もない「おみやげ処 本家叶屋」のお母さんが教えて下さいました。

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 会津産の花豆を購入後、向かいの土産物店「おみやげ処 本家 美濃屋」へ。代々、名主を務めた江戸末期には本陣に代わって大名行列の休憩宿となった特徴ある家の造りになっています。

 民謡「会津磐梯山」に登場する〝♪朝寝・朝酒・朝湯が大好きで身上(シンショウ)を潰した〟小原庄助も訪れたという東山温泉。会津若松の奥座敷と称されるこの温泉場で作られる素朴な土人形「中湯川土人形」と絵手紙が所狭しと並ぶ店先で気になったのが軒先に吊るされたヨシの束。それは果樹栽培に欠かせない受粉を担うマメコバチの巣なのでした。

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 日本ミツバチよりも一回り小さなマメコバチは働き者。ミツバチの4~5倍の花粉を集めます。よしずの節の空洞部分に産卵、孵化後は花粉団子をエサに成虫となり、春になると羽化します。

 1878年(明治11)、通訳を伴って東北・北海道を訪れ、紀行文「日本奥地紀行(原題:Unbeaten Tracks in Japan)」を著した英国人女性イザベラ・バードが、美濃屋で一夜を過ごしています。

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 2013年秋に大内宿を訪れた時は、当時は猪苗代町にあり、現在は郡山市に移転したイタリアンレストラン「Incontra インコントラ」 を予約していたため、大内宿名物の高遠そばをスルーしていました。

 名物よりも好物に食指が伸びる傾向が顕著な庄イタ。ゆえに今回も会津若松での滞在初日は、昼にナポリピッツァを選択した次第。

misawaya-ouchijyuku.jpg【Photo】大内宿・三澤屋 ・住所:福島県南会津郡下郷町大内字山本26‐1 ・電話:0241-68-2927 ・営業時間:10:00~16:30 年始休1/4~7 ・URL:http://www.misawaya.jp/ 

 信州・高遠(たかとお)藩に預けられ育った保科正之が、信州から出羽を経た会津転封に際し、信州と同じ盆地性気候の会津にもたらしたのが蕎麦。大内宿で長ネギを箸代わりに蕎麦切りを食するのが名物「高遠そば」です。

 会津を訪れた上は、特産の蕎麦を敢えて外す必要はありません。まして極めて特徴的な食べ方をすると聞けば、体験するのも一興かと。

takato-soba.jpg【Photo】鰹節を散らした大根おろしのつけ汁で食する三澤屋の「高遠そば」(1,080円)。インパクト十分な一本ネギは、箸代わりであり、薬味としてかじりながら食するのが会津の流儀。〝ならぬことは ならぬものです〟の一節で知られる会津藩「什(じゅう)の掟」では「戸外で物を食べてはなりませぬ」と戒めている。そこが赴きある古民家の座敷だからといって、また通常では小皿に盛られる薬味の刻みネギが、ド~ンと一本丸ごと大盤振る舞いされたからといって、蕎麦よりも先にネギを食べ尽くしてはなりませぬ

 庄イタの行動規範は〝Quando sei a Roma, vivi come i romani 〟(= When in Rome, do as the Romans do = 郷に入っては、郷に従え)です。

 この一本ネギを箸代わりに使う蕎麦の食べ方は、大内宿の伝統というよりは、観光客向けの感がなきにしもあらず(笑)。ま、固いことは言わずにおきましょう。

 宿で早い朝食は済ませていたのですが、散策する間に推奨の証言を複数得た「三澤屋」の開店時刻10時を待って別腹を発動させたのでした。

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 庄イタの理解として、前世と同じく現世においても、リゾットはフォークで食するもの。ピッツァはナイフとフォークでアツアツのうちに食べるもの。そして蕎麦屋では割り箸を使って食べるもの。果たしてネギ一本で蕎麦を食べることができるのか、実食するまで正直不安でした。

 案ずるより食するが安し。意外にも難なく高遠そばを長ネギ一本ですくいながら、美味しく完食することができたのです。

 注文した蕎麦を待つ間にサービスで運ばれてきたのが、ジャガイモの煮付けと漬物。念のために申し添えておきますが、そこには割りばしがちゃんと付いてきます。ご安心ください。

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 お待たせしました。土佐日記風 会津日記の最後を締めくくる次回は、満を持して〝あさらー〟が登場します。

土佐日記風 会津日記 【喜多方編】へ続く
To be continued.

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投稿者 vam : 19:57 | カテゴリー : ごちそうさまでした/| カテゴリー : ・Pref.Fukushima 福島

2017/06/05

土佐日記風 会津日記 【会津若松編】

じもてぃもすなる あさらーといふものをしょういたもしてみむとてするなり
 
現代語訳】地元の人たちも嗜む 朝ラーというものを 庄イタも試みてみる


 日々新鮮な大阪からお届けする庄イタの近況レポ「土佐日記風 会津日記 【序章】摂津国」 に続く本編は、(6ヵ月間の山形駐在を挟んで)20年以上に及んだ仙台在任中、奥州域内での最後の遠征となった福島・会津訪問記です。

 泊りがけで会津若松を訪れたのは、小学校の修学旅行、そして拙稿「晩秋の三原色、黄・朱・橙」および「会津の橙、身不知柿」としてまとめた2013年の秋以来3度目。

 1ヵ月に及ぶ籠城戦に耐えるも、鍋島藩所有のアームストロング砲など最新兵器を投入した物量に勝る官軍の猛攻を受けて無念の降伏。1874年(明治7)に基礎を残して解体され、1965年(昭和40)に天守閣がコンクリート造りで再建された鶴ヶ城と白虎隊が自刃して果てた飯森山を久方ぶりに訪れました。

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【Photo】歴史を感じさせる落ち着いた佇まいの城下町・会津若松のシンボル、鶴ヶ城こと若松城に夕闇が迫る。天守閣再建50周年にあたった2011年、国内に現存する城では唯一の赤瓦拭きとなった。頑固一徹な会津っぽの反骨精神を示すかのように、城が燃え立つ赤にライトアップされていた

 庄イタが小・中学校で学んだのは、勝者の視点で綴られた歴史観に基づく明治維新でした。今回の会津訪問では、無垢な小学生がこぞって買い求めた会津土産の定番・木刀を飯森山で買った当時とは全く異なる感慨を抱きました。

 大阪転勤に伴う引越しのドタバタを挟んだため、5月はブログ更新ができず、探訪から5か月の時間が経過してしまいました(汗)。そのため季節感に若干のタイムラグをお感じになるかもしれない点はご容赦願います。

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 改めて申し上げるまでもなく、庄イタは前世ではイタリア人でしたが、現世では父方が伊達者の血筋、母方が福島の血筋を引いています。そんな庄イタが、会津について語るとき、どうしても幕末から明治維新にかけての激動の時代を避けて通るわけにはいきません。

 260年の長きに及んだ徳川幕府体制にほころびが出始めた江戸時代末期。清国が大英帝国に惨敗し、香港を割譲したアヘン戦争(1840年~42年)、そして欧米列強諸国による東アジア植民地化の動きを受けて高まったのが、排外主義を掲げる尊王攘夷の機運です。

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【Photo】鶴ヶ城から2.8キロ北東方向にある飯盛山中腹の白虎隊自刃の地。陽が傾き始め、逆光に照らされた白虎隊士の石像が右手をかざして鶴ヶ城を見やる(画像左下)。白虎隊は猪苗代湖北西畔の戸ノ口原の戦いで士中二番隊の3名を失い敗走、31kmに及ぶ洞穴水路「戸ノ口堰」を抜けて飯森山へと落ち延びた。1868年(慶応4)旧暦8月23日(10月9日)午前、火の手が上がる城下の光景を前にして、もはやこれまでと覚悟を決める。そうして自刃した16歳~17歳の少年の中で、唯一、蘇生した飯島貞吉を除く隊士がこの地で短い生涯を終えた

 1853年(嘉永6)の黒船来航で、幕府は一気に開国・通商条約締結へと舵を切ります。薩摩が大英帝国に牙を剥いた薩英戦争(1863年)や、長州が英米仏蘭の連合艦隊との砲撃戦を繰り広げた下関戦争(1863年,64年)へと突き進んだ尊王攘夷派は鎖国の継続を主張。

 その急先鋒となったのが、吉田松陰の私塾「松下村塾」や、海防僧こと月性の私塾「海防僧」門下生ら、長州藩を軸とする討幕急進派です。血気盛んな志士による刃傷沙汰などで乱れた京都の治安維持のため、実働隊として剣豪を揃えた新選組を配下として新設された公職が京都守護職です。

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【Photo】戊辰戦争から150年。今も献花と紫煙が絶えることがない白虎隊十九士の墓。武道の心得がある女性で組織された私設の「娘子隊」を率い、長州・大垣藩兵に薙刀で立ち向かうも被弾し、壮絶な最期を遂げた中野竹子や、親類縁者21名が揃って自害した城代家老・西郷頼母家の婦女子など二百余名の御霊を弔うため、1928年(昭和3)に旧藩士の山川健次郎らが「会津藩殉難烈婦の碑」を白虎隊の墓前に建立した

 京都守護職は、本来、譜代大名筆頭格である彦根藩の役回り。ところが幕府が尊王攘夷派を弾圧した安政の大獄(1858~9年・安政5~6)を断行した大老・井伊直弼が水戸・薩摩の浪士に殺害された桜田門外の変(1860年・安政7)で状況が一変します。

 会津藩祖で名君の誉れ高い保科正之が残した〝徳川将軍家に忠勤すべし〟という遺訓を幕閣の松平春嶽に持ち出され、1862年(文久2)、固辞していた任にやむなく就いたのが第9代会津藩主・松平容保(かたもり)でした。

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【Photo】南北朝時代から江戸までの歴代天皇の住居兼執務所であり、昭和天皇までの即位の礼など公式行事を執り行ったのが京都御所。広大な京都御苑の敷地内にある仙洞御所の一角に土佐から帰還した紀貫之の居宅があった。そうした公家が暮らす区域と市中との境界となる外構に設けられた9カ所の出入り口の一つが蛤御門(上画像)。禁門の変における弾痕が門柱や門扉の各所に残る(下画像)

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 14代将軍・家重に嫁いだ皇女和宮の降嫁に象徴される公武合体による幕藩体制の立て直しを唱えたのが薩摩や会津。かたや急進的な尊皇攘夷を唱えた長州は、八月十八日の政変で京都を追われます。起死回生を図ろうと孝明天皇の拉致を狙い御所警護の任にあった会津藩兵が守りを固める蛤御門に向け発砲。京都市中を戦火に巻き込んだ禁門の変(1864年・元治1)で長州藩は朝敵となり、二度に及ぶ長州征伐がなされます。

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【Photo】会津松平家第3代正容(まさかた)が五穀豊穣を願って建立した「宇賀神堂」内部。1890年(明治23)に白虎隊の墓を改修した折、ここに十九士の霊像が安置された。額装された肖像写真は、隊士唯一の生き残りで、白虎隊の最期を後世に伝えた飯島貞吉翁(上画像)。
郁堂和尚の発願(ほつがん)により1796年(寛政8)に建立された「さざえ堂」(下画像・国指定重要文化財)。時計回りの昇り専用と反時計回りの下り専用の螺旋状二重スロープを有する高さ16m、三層構造の世界で唯一となる木造建築。当初は西国三十三観音を堂内に配置していた。その左手に宇賀神堂は建っている

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 策略家であった岩倉具視が主導して発せられた討幕の密勅(1867年・慶応3)を受け、討幕派に転じた薩摩藩は、幕府ご用達の商家を狙って浪士に略奪や放火を働かせます。浪士は悪化する江戸市中の治安を守るため警固役を担った庄内藩士や新徴組も襲撃。事態を看過するわけにはいかなかった庄内藩は、狼藉を働く浪士をかくまった薩摩藩邸を焼き討ちにします。

 大政奉還後、藩閥政府は(明らかに私怨から)征討令を発し、奥羽鎮撫総督の九条道孝は秋田藩に庄内討伐を、仙台藩に会津討伐を命じます。

 犠牲覚悟で自ら斬り込むのではなく、このように東北諸藩の同士討ちを目論んだ西軍(☚どうよ)。下参謀の大山格之助(薩摩藩)に宛てた〝奥羽皆敵〟と記した密書が発覚し、福島滞在中に仙台藩士に捕らえられて馘首された西軍下参謀・世良修蔵(長州藩)は、会津を討つ意図のない仙台・米沢など東北諸藩による会津救済嘆願を三度にわたって却下。

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【Photo】戦死四十人墓。1968年旧暦9月2日~3日(10月19日~20日)、下野街道から会津若松城下へと進軍する西軍と迎え討つ会津軍が会津美里町関山で激突。県道131号線・大内宿こぶしライン沿いにひっそりと立つ青龍足軽三番隊長・野村悌之助ほか会津藩士40名を弔う墓。官軍の非情な指示で墓標はおろか、遺骸の埋葬すら当初は許されなかった

 そのため、主戦派だった世良修蔵が和睦の道を断ち、戊辰戦争(1868~69)の端緒を開いたとされます。明治以降、薩長土肥から〝白河以北 一山百文(⇒白河の関から北の東北は、一山百文しか価値がない)〟と揶揄された東北、とりわけ苦難の道を歩んだ会津にとって、世良修蔵は紛れもなく不倶戴天の仇敵。こうした評価が定着した背景には、明治新政府が亡き世良一人に責任転嫁した側面もあるようです。

 もとより火中の栗を拾う形で京都守護職の務めを実直に果たす容保に宸翰(しんかん / 天皇自筆の手紙)を下賜するほど会津に篤い信頼を寄せ、長州を遠ざけた孝明天皇の(謀殺説が囁かれる)急逝こそが、会津にとっては痛手でした。権謀術数に長け、蟄居を命じた孝明天皇の死への関与が疑われる岩倉具視は9代有栖川宮と結託。錦の御旗を振りかざして東北を朝敵と称して侵攻しました。

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【Photo】難攻不落な鶴ヶ城は最後まで西軍の突入を許さなかったが、天守閣の東方1.6kmの小田山に据えた鍋島藩が所有するアームストロング砲ほか、50門あまりの四斤山砲から連日一千発以上の砲弾が撃ち込まれ、無残な姿となった降伏直後の鶴ヶ城。炊き出しや怪我人の介護にあたった婦女を含め、5,000名ほどが決死の籠城戦に臨んだ〈画像出典:「会津戊辰戦史」会津戊辰戦史編纂会 1933年刊〉

 台頭する討幕派と新選組ら佐幕派の二手に分かれ、京都・上野・長岡・東北・函館などで展開した内紛は1年半に及びました。12歳から17歳の少年が戦場の露と散った二本松少年隊や白虎隊の悲劇を生んだ旧会津藩領ほか、白河・二本松などの各地には、今も当時の痕跡が残ります。

 言いがかりをつけて殴った側は、拳の痛みなどすぐに消えてしまったのでしょう。郷里が戦火に巻き込まれた会津戦争で3千余名が犠牲となり、幕末時点での石高23万から、未開の地を開墾すれば3万石が見込めるとされた(実情は1/4程度だったといわれる)斗南藩へと移住を迫られただけに、殴られた側の痛みは容易に消し去ることはできないのは物事の道理です。

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【Photo】ファシスト政権下のイタリア王国首相ベニート・ムッソリーニが、1928年(昭和3)に寄贈、飯森山に建てられた白虎隊顕彰碑。ブロンズ製の翼を広げた鷲とポンペイ遺跡から発掘された古代ローマ時代の円柱を頂く台座には〝ALLO SPIRITO DEL BUSHIDO S.P.Q.R(武士道精神に捧ぐ 元老院ならびにローマ市民)〟と銘が刻まれる

 歴史の大転換期に身を置いた立場の違いから衝突し、勝者・敗者ともに毀誉褒貶の応酬がなされた感がある戊辰戦争。武家社会の終焉で(奥羽越列藩同盟発足からわずか2ヵ月で西軍に寝返った秋田・久保田藩を除き)東北諸藩は、いわれのない賊の汚名を着せられたまま、名誉回復の機会は失われました。

 1968年(昭和43)、同郷(山口〈=長州〉選出)の出身で大叔父にあたる佐藤栄作内閣のもとで挙行された明治百年記念式典を意識したか、安倍首相は慶応から明治へと元号が変わって150年目となる来年、政府主導で明治維新を礼賛する一連の記念行事を国費で執り行うのだそう。そのお膝元では平成の薩長土肥連合なる新たな錦の御旗を掲げ、観光誘客を目論む動きも。

 薩長土肥出身者の主導による藩閥政治のもと、列強に伍さんと富国強兵・一極集中型の国造りがなされたのが明治から昭和初期にかけての時代。アジア各国のように植民地化は免れたものの、日清・日露戦争を経て突入した太平洋戦争で都市は焦土と化し、邦人だけで310万人もの犠牲を出しています。手放しで明治維新を称賛するのは、いかがなものかと。

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【Photo】太平洋戦争終結後、GHQの指示で一度は撤去され、のちに修復されたムッソリーニ寄贈による白虎隊顕彰碑の台座に刻まれた碑文
・原文:S.P.Q.R. NEL SEGNO DEL LITTORIO ROMA MADRE DI CIVILTÀ CON LA MILLENARIA COLONNA TESTIMONE DI ETERNA GRANDEZZA TRIBUTA ONORE IMPERITURO ALLA MEMORIA DEGLI EROI DI BIACCO-TAI ANNO MCMXXVIII - VI ERA FASCISTA
・日本語訳:元老院ならびにローマ市民 文明の母なるローマは、白虎隊精神に不朽の敬意を捧げんがため、古代ローマの権威を表すファシスト党章の鉞(マサカリ)を頂く永遠に偉大な証となる千年の古石柱を贈る 1928年 ファシスト党 6年目

 民主党政権下、岩手・宮城両県知事への高飛車な言動が問題化して辞任した松本龍 元復興大臣(福岡選出)に続き、「震災が発生したのが東北の方でよかった」と本音を漏らした今村雅弘前復興大臣(佐賀〈=肥前〉選出)など、諸手当を含めて年間3000万円を超える議員報酬の原資は、当然、東北の納税者も負担しています。(⇒こんなお偉い先生方には討幕派が好んで使った言葉を捧げます。天誅っ!!

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【Photo】柔和な表情がかわいらしい会津の伝統的な郷土玩具「起き上がり小法師」。たとえ転んでも立ち直る七転び八起きの会津精神を投影している縁起物

 新安保法制やテロ対策特措置法など、現政権は国論を二分する議案を数の論理で成立させました。これは国政選挙の議席数が極端に振れる小選挙区制の弊害以外の何物でもありません。

 さらには2020年までに憲法改正を目指すと公言、主義主張のためには手段を選ばず、政見が異なる人々をぞんざいに扱う宰相の姿勢に〝勝てば官軍〟意識が影を落としている紛れもない現実を見た庄イタなのでした。

 閑話休題。

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 戊辰戦争の勝敗を決した母成峠(ぼなりとうげ)を突破し、会津若松城下へと進軍した参謀・板垣退助(土佐)と伊地知正治(薩摩)率いる西軍が進軍した磐梯山の東南麓から猪苗代湖畔に抜けるルートから会津若松入りした庄イタ。

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 城下町の歴史を感じさせる会津若松市内を散策しました。城郭界隈でとりわけ目を引いたのが、西郷頼母邸跡がある鶴ヶ城北側の追手門外濠に面して建つ重厚な蔵造りの和菓子店「上菓子司 会津葵本店(上画像)。老舗の呉服店に見られるような大福帳が似合う畳敷きの座売りで接客する「会津葵南蛮館」(下画像)も風情があります。

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 かつて楽市楽座が開かれた一之町で、安永年間(1772~80)に漆問屋として創業した老舗漆器店「鈴木屋利兵衛(下画像)。一階部分はなまこ壁、鶴ヶ城と同じような赤瓦を頂く二階部分に黒漆喰を配した店蔵造りの店構えです。応対頂いた女将の鈴木幹子さんに戊辰戦争で西軍の陣地となった際につけられた刀傷が柱に残る店舗2階へとご案内頂きました。

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 2階部分は会津民芸館「漆乃舎」となっており、鈴木さんの蒐集による色漆や金箔を用いて文様を描き出した蒔絵が施された江戸期を中心とする会津塗の名品が数多く展示されていました。

 会津漆器は、1590年(天正18)の秀吉による奥州仕置で伊勢松坂から会津に転封となった蒲生氏郷が、郷里の近江(滋賀)から漆器職人を伴って会津に伝えた漆器「日野椀」をルーツとします。江戸後期の家老・田中玄宰が京都から招いた職人によって完成の域に達したとされる会津独自の伝統手工芸品です。

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 朱や黒の漆器に色漆や錆漆、金箔を用いて蒔絵や沈金で構成される松・竹・梅・鶴・亀・破魔矢など縁起の良い絵柄が散りばめられます。桧垣と呼ぶ菱形や、養蚕が盛んだった会津ならではの糸巻を表すともいわれる矩形の図柄も。

 地元で「會津絵」と呼ばれるこうした図柄は、華やかでありながら武家使いならではの格式を備えています。手描きの装飾を施した会津塗の見事さに時間を忘れて見とれてしまいました。

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 誇り高き会津精神の精華ともいうべき会津漆器ですが、会津藩が歩んだ苦難の歴史と同様に、その歩みは順風満帆というわけではありません。

 戊辰戦争後、下北半島北部の斗南藩への転封により、蒔絵職人が四散し、一度は伝統の技が途絶えたのだといいます。

 時代の変遷とともに生活様式が変わり、幻となった技の結晶と鈴木さんが出合ったのは半世紀前。鈴木さんは旧家や一部の愛好家のもとに残るに過ぎなかった忘れられた技の復元に動きます。
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【Photo】鈴木屋利兵衛商店で購入したワインカップペア(中)は、高さ107mm×幅50mmというハンディな大きさ。平成28酒造年度全国新酒鑑評会での金賞受賞が22点で、5年連続日本一の栄誉に輝いた福島県産酒を頂くのにもピッタリ。會津絵ワインカップペア(中)税込み定価 21,600円・(小・高さ90mm×幅45mm)税込み定価16,200円

 物腰の柔らかさの中にも凛とした芯の強さが滲み出る会津女性そのものの印象だった鈴木さん。蒔絵師との二人三脚の作業で復元された技を用いたワインカップや椀物・箸・重箱など、新たな感覚も取り入れた會津絵の商品が店舗1階に並びます。

 匠の技が生み出す美しい工芸品を愛する庄イタが、そこで衝動買いに走ったのは申すまでもありません。

 副題〝じもてぃもすなる あさらー〟がさっぱり登場しないまま、次回は雪の大内宿へと移動します。(☚雪って、いつの話だよ

土佐日記風 会津日記 【大内宿編】へ続く
To be continued.

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投稿者 vam : 05:30 | カテゴリー : ・Pref.Fukushima 福島

2017/04/19

土佐日記風 会津日記 【序章】 @ 摂津国

じもてぃもすなる あさらーといふものを
しょういたもしてみむとてするなり


 代々官職に就く朝廷に仕える下級貴族で、平安時代中期に藤原公任(ふじわら の きんとう)が、万葉の時代からの優れた歌人として挙げた三十六人撰(三十六歌仙)の一人としても名高い紀貫之(868 or 872~945)。

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【Photo】現存する最古の三十六歌仙を描いた絵図の部類となる「佐竹本三十六歌仙絵」下巻より紀貫之(国重要文化財・13世紀・耕三寺博物館蔵)。913年(延喜13)、律令制における正六位 大内記に叙せられた紀貫之。4年後には従五位下となり加賀国・美濃国などの次官にあたる介や大監物などを歴任。930年(延長8)に土佐守(高知の国司)となり、高知に赴任した

 土佐守として赴任した4年の任期を終えて934(承平4)に京都へと帰還する間の出来事を、58の短歌と共に日記風に綴ったのが、本邦初の紀行文とされる「土佐日記」です。

 やんごとなき身分の男性が、公式に使う文章は漢文が通例であったこの時代。公人としては異例の女性が使用するカナ文字を使い、虚構や諧謔的な表現を織り交ぜながら家人や従者と小舟に分乗しての55日間の出来事が語られます。

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【Photo】土佐の国府が置かれた現在の高知県南国市比江を出立した紀貫之ら一行。当時は大津と呼ばれた同県船戸から小舟に乗り京都へ向かった。船戸から南西12kmほどの距離にあり、古くは浦戸と呼ばれ、現在は坂本龍馬像が立つここ桂浜付近に立ち寄り、阿波・淡路・和泉と海路を進み、難波から淀川を遡上。山城国へと入り山崎からは陸路を進み、桂川を渡って二月十六日(太陽暦で3月28日)に我が家に着くまで55日を要した

  をとこもすなるにきといふものを、をむなもしてみむとてするなり。 それのとしのしはすのはつかあまりひとひのひの、いぬのときにかどです。

 【現代語訳】男性が綴る日記というものを、女性である自分も試みてみる。とある年の十二月二十一日(太陽暦で2月2日)、午後8時に出立することとなった。

 醍醐天皇(885-930)の勅命による我が国初の勅撰和歌集が「古今和歌集」です。紀友則、凡河内躬恒、壬生忠岑ら4人の撰者の中で中心的な役割を果たした編纂の任に当たった当時、30歳代であった紀貫之は、宮中の文書管理を担う次官級の御書所預(ごしょどころあずかり)の職にありました。

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 奈良県櫻井市にある花の寺「長谷寺」を訪れた折、宿の主から「しばらく音沙汰がなかったですね」と言われた貫之の返歌として詠まれ、古今集に収められたこの和歌は、百人一首にも取り上げられています。

 人はいさ 心もしらず ふるさとは 花ぞむかしの かににおひける

 【現代語訳】さぁ、あなたはどうでしょうね。人の心もようは分からないけれども、馴染みの里に咲く梅の花は、昔と変わらず香っています。

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【Photo】紀貫之による自筆本の筆跡を再現した古写本「土左日記」(尊経閣文庫蔵)。現在は散逸した原本が残っていた平安時代末期から鎌倉時代初期にかけ、勅撰和歌集から秀作を選んだ小倉百人一首を成立させた藤原定家による写本

 貫之が和歌について論じた古今集の仮名序は、日本文学が漢詩の影響を脱し、源氏物語に代表される女流古典文学の確立に向けた指針を示したとされます。

  やまとうたは ひと(人)のこころをたね(種)として よろず(万)のことのは(言葉)とぞなれりける

 【現代語訳】和歌は人の心の機微を表現し、数え切れぬほどの言葉を編み出していった

 京都で生まれ、赴任先に伴ってきた可愛い盛りの女児を土佐を発つ直前に病で亡くす不運に見舞われた紀貫之。大津から浦戸に向かった12月27日に詠じたのは ー

 みやこへと おもふをもののかなしきは かへらぬひとのあればなりけり

 【現代語訳】いよいよ都へと帰還するのだけれど、どうしても悲しいのは、帰らぬ人がいるからなのだ

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【Photo】京都・嵐山付近を流れる桂川の流れを見守る松の古木とて、紀貫之が生きた時代など知るよすがもない平成の世。世界各国から訪れる観光客が行き交う渡月橋は、現在とは異なる位置にすでに架けられていた。天皇の内裏(皇居)であり、公務を執り行った京都御所近くの京都御苑の一角に紀貫之の居宅があったといわれる

 長旅を終え、貫之が京都の自宅に戻って詠んだのは、帰還の喜びではなく、人の命の儚さを憂うこの和歌でした。

 生まれしも帰らぬものを我がやどに小松のあるを見るがかなしさ

 【現代語訳】ここで生まれた我が子が帰らないというのに、元は無かった小さな松が庭に生えているのを見るのは辛い

 亡き娘を思う悲哀を込めた短歌は、時代を越えて庄イタの胸にも響いてくるのです。

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 紀貫之の生年である貞観年間は、天変地異が頻発した時代でした。

 861年(貞観3)、現在の福岡県中部の直方(おのがた)市にある須賀神社境内に記録が残る世界最古の隕石が落下。864年(貞観6)、当時は常に噴煙を上げていた富士山が大噴火を起こし、現在は青木ヶ原樹海となった膨大な溶岩を噴出。

 1000年に一度の規模といわれた東日本大震災と同規模の大津波が三陸沿岸を襲ったと推定される貞観地震の発生が869年(貞観11)。その2年後には鳥海山が噴火しています。

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【Photo】文献に残る噴火が537年から十数回を数える鳥海山。現在の頂上部が形成された1800年(寛政12)の噴火による死者は8人。直近では1974年(昭和49)に水蒸気爆発し、噴煙を上げた〈上画像〉

 マグニチュード7.4と推定される相模・武蔵地震の発生により、南関東地域に大きな被害が及んだのが878年(元慶2)。887年(仁和3)には南海トラフを震源とするマグニチュード8規模の仁和地震で近畿地方に甚大な被害が及ぶなど、大規模な地殻変動が各地で頻発します。

 794年(延暦13)、桓武天皇(737-806)により凶事が相次いだ長岡京から平安京に都が移され、1192年(建久3)に鎌倉幕府が成立するまでの平安時代の幕開けは、かくも平安ならざる天変地異が続いたのです。

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 昨年8月、天皇陛下が退位のご意向を色濃く滲ませた「お気持ち」を表明されたことで、平成の終わりが見えてきたこの春。2007年6月のブログ開設以来、Viaggio al Mondo~あるもん探しの旅は10年目を迎えます。

 10年目でひと区切り。

 私事ですが、4月の定期異動で大阪に赴任し、東北をフィールドに駆け巡ってきた庄イタにも転機が訪れました。

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【Photo】六甲山地の東端付近に源を発する夙川(しゅくがわ)。2.8kmの遊歩道が整備された公園緑地には枝ぶりが見事なクロマツと共に1,660本のソメイヨシノやオオシマザクラなどの桜並木が続く。5月から6月にかけて阪急甲陽線苦楽園駅の上流域ではホタルが見られる。そこは神戸出身の作家・野坂昭如の小説「火垂るの墓」の舞台となった

 プレ創刊100周年の1996年(平成8)、バブルの余韻に浸りつつ6年を過ごした東京支社から仙台本社に帰還。山形営業所の立ち上げに携わった2003年(平成15)に庄内系へと突然変異。創刊120周年の節目を迎えたこの春、摂津守として北前船で酒田湊から上方へと赴いた格好です。

 紀貫之が土佐から京の自邸に戻った日と同じ3月28日、かつては摂津国と呼ばれた関西に初めて居を構えました。

 そこは「さくら名所百選」に数えられる夙川(しゅくがわ)河川敷緑地・夙川公園まで徒歩30秒。天然記念物「コバノミツバツツジ群落」が見られ、参拝天照大神を祀り、阪神タイガースが必勝祈願に参詣する廣田神社も徒歩圏という風雅な地。

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【Photo】日本書紀に神功皇后の創建による記述がみられる由緒正しき廣田神社。16,000坪の境内には三本に分かれた小さな葉が特徴的なコバノミツバツツジ2万株の群落が見られ、樹齢300年を数える古木もある

 新任地は、京都へ向かう紀貫之が遡上した旧淀川の中之島を挟んで北の堂島川の南を流れる土佐掘川のほとり。対岸の中之島には日本赤煉瓦建築番付における西の横綱「大阪市中央公会堂」や、ギリシャ神殿に倣ったコリント式円柱を備えた重要文化財「中之島図書館」が、すぐ眼下にあるハイカラな土地柄でもあります。

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【Photo】ウォーターフロント中之島のシンボル的存在「大阪中央公会堂」は明治期に在阪の株式仲買人・岩本栄之助が大阪市に寄贈した現在の貨幣価値で数十億の浄財をもとに建造された

 久方ぶりに触れる外の空気は新鮮そのもの。着任早々、京都で桜を愛でる機会があったかと思えば、新世界にある串かつの名店や、迷宮のごとき天満やミナミで粉もん文化の洗礼も。どうやら新任地では、公私ともに数え切れぬほどの出会いと発見が待っているようです。

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【Photo】およそドボルザーク作曲の交響曲第9番「新世界より」が似つかわしくないエネルギッシュな喧騒に満ちた大阪・新世界。気分はガーシュイン作曲の交響詩「パリのアメリカ人」的な「ナニワの庄内系イタリア人」。通天閣を背景に筆者近況

 仙台から伊丹空港まで1時間20分の空路で着任した庄イタとは違い、紀貫之は荒ぶる海や海賊の脅威に晒されながら、家族や従者を伴い小舟に分乗して2か月近くを要して帰京しています。

 ひとまず距離を置くこととなる東北を題材とするネタとしては、一区切りとなる物語の舞台は、福島・会津です。

 今をさかのぼること1,000年以上前に書き記された土佐日記に敬意を表した今回のタイトル。我が国初の紀行文の名高い書き出しになぞらえた本編は、また次回。

To be continued.

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投稿者 vam : 07:39 | カテゴリー : Libro e Cinema, Arti 書籍と映画, 芸術/| カテゴリー : ・Fuori Tohoku 圏外遠征/| カテゴリー : 庄内系イタリア人の物語

2017/03/12

当選スマすたー

善因善果 あるいは 因果応報

 前触れもなく届いた小包の発送元は青森県観光国際戦略局誘客交流課。読んで字の通り、青森県庁でインバウンドを含む観光に関する業務を担当する部署のよう。観光情報サイトアプティネットにもその部署名が出ています。

 送り状の品名欄には「目指せ東北6県制覇!スマホスタンプラリー プレゼント」と記載してあります(下画像)

 その下に「青森県特産品詰め合わせセット」とプレゼント内容が明記されたスタンプラリーのタイトルには心当たりがありました。

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 昨年7月15日から2017年1月9日まで、東北各県とNEXCO東日本は、初の共同主催による「高速道路でつないで集めるスマートフォンスタンプラリー」を実施しました。

 これは東北の観光スポット・道の駅・高速道路のSA・PAなど各地に設定されたラリー対象地点で、スマホの専用サイトにアクセスすると、自動的にスタンプがもらえる仕組み。東北各県の観光スポット5カ所+高速道路SA・PA1カ所で合計6カ所のスタンプをゲットすると、県単位の制覇賞に応募でき、各県の特産品が抽選で当たるという内容です。

 東北をフィールドに駆ける庄イタは、紅葉シーズンを迎える頃には青森から福島まで6県全てを制覇していました。

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 応募から時間が経過していたため、キャンペーンの存在すら忘れかけていた今日この頃。届いた小包を開封すると、「プレゼント当選のお知らせ」と記された挨拶状が入っています(上画像)

 みごと当選したのは、合計360名に当たる「1県制覇賞」。地元宮城や隣接する4県に先駆け、東北6県の中では最初にコンプリートした青森の特産品セットなのでした。

 思い起こせば、このキャンペーンに応募したのは昨年8月初旬。本州最北の青森を目指して自宅を出発したのは草木も眠る丑三つ時を過ぎた頃。仙台から東北自動車道を北進。休憩を挟みながら八戸には早朝に到着し、三沢から十和田・青森、黒石・弘前・五所川原を経て深浦まで4日をかけて青森各地を巡りました。

tori-iwakisan.jpg【Photo】本州最北の最高峰が岩木山(標高1,625m)。奈良時代後期の780年(宝亀11)まで起源が遡る山頂付近に鎮座する奥宮と本殿(国重文)に向かって参道が続く岩木山神社。古事記に登場する初代神武天皇の即位から数えて2,600年目にあたるとされ、国主導により、さまざまな記念行事が催された1940(昭和15)に創建されたことを示す「奉献 紀元二千六百年八月一日」の銘が入った一之鳥居越しに象形文字のような形状の岩木山が、頂きをのぞかせる

romon-iwakisan-jinjya.jpg【Photo】1589年(天正17)の岩木山噴火で焼失後、徳川3代将軍家光の治世下だった1628年(寛永5)に再建された楼門(国重文)。丹(に)塗り一色に染められた二層の入母屋造り。上層までの通し円柱に渡された梁の幅を指す桁行(けたゆき)17.7m、高さは17.85m

comainu-iwaki-destra.jpg comainu-iwaki-sinistra.jpg【Photo】楼門を囲む玉垣の標柱と一体化した極めて特徴的な狛犬。楼門に向かって右側の阿形(あぎょう)は柱で爪を研ぐネコさながら。逆立ちしている左側の吽形(うんぎょう)に至っては、これまたポールダンスに興じるネコさながら

chozu^iwakisan.jpg【Photo】ギリシャ神話が起源で、映画ハリーポッターと賢者の石に登場する地獄の番犬ケルベロスや、ゴジラのライバル・キングギドラを思わせる三つ頭の龍から滔々と流れ出る岩木山神社の手水。岩木山を源流としており、お清めだけでなく、極めてパワフルな印象の水。京都・清水寺「音羽の滝」と同じような柄の長い柄杓から手に取ってご神水をゴクリ。内と外から穢れを落として体内浄化したのが、今回プレゼント当選の決め手となったかも

 その詳細は、仙台でアムさんメロンとの奇蹟的な遭遇を果たした一件を記した「フェロモンメロン 奇蹟の遭遇@道の駅フェスタ in 仙台」に続く五回シリーズの長編で既報の通りです。〈2016.8拙稿「Breakfast at Mutsuminato 陸奥湊で朝食を」~2016.10拙稿「カレー + 味噌 + 牛乳 +バター 青森発。華麗なる四位一体ラーメン」参照〉

wespa_tsubakiyama2016.8.jpg【Photo】種差海岸から日本海側まで青森を横断、JR五能線の駅がある西津軽郡深浦町の宿泊施設「WeSPa椿山」で迎えた朝。グループやファミリーで楽しめる施設内に湧出する天然温泉「鍋石温泉」は、日本海に面したドーム型露天風呂で、泉質はナトリウム塩化物強塩泉 (高張性中性高温泉)。4月~10月までの天候が良い日は、ドームが解放され、眼下に広がる日本海の素晴らしい眺望と、肌触りの良いかけ流しの温泉を満喫できる。コテージの宿泊客以外にも500円で日帰り入浴可

 二度目となる八戸三社大祭では、奇想天外な山車のスペクタクルと時代行列や法霊神楽を堪能。涼を呼ぶ奥入瀬から硫黄の香り漂う混浴の千人風呂で名高い酸ヶ湯温泉に浸かろうと八甲田を越えて青森市入り。熱気渦巻く青森ねぶたの余韻冷めやらぬ翌日は、田舎館村で芸術的な田んぼアートに接し、五所川原では立佞武多(たちねぷた)のド迫力に圧倒されました。

carpaccio-casa-del-cibo2016.jpg【Photo】瞬間燻製した朝獲れ八戸前沖サバのカルパッチョ仕立て ハーブと茄子のピューレ。昨年8月、八戸市湊高台「カーサ・デル・チーボ」プリフィックスのCコース(2,950円)で5つの選択肢から選んだアンティパスト。海水温が低い北緯40度近辺の八戸近海で、不飽和脂肪酸を含む脂肪を組成の3割近くまで蓄える「八戸前沖サバ」。朝に水揚げされたサバを燻製仕立てにした一品。一昨年11月、同市六日町「サバの駅」で食したジューシーで香ばしい脂を堪能できる「銀サバ串焼き」(下画像)や「船上活〆(じめ)陸凍サバ」とはまた違った八戸前沖サバの魅力を再認識

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 ヒラメ漬け丼@陸奥湊「みなと食堂」、八戸前沖サバ炙り焼きの朝ごはん@市営魚菜小売市場、八戸イタリアン@「カーサ・デル・チーボ」、マリナーラ&ラニチキン@三沢「Pizzeria Massimo」、青森イタリアン@「Al Centro アル・チェントロ」などは、7月から8月にかけて2度の青森遠征で再訪。

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【Photo】八戸で迎えた2日目の朝。腹ごしらえをしようと向かった先は、JR陸奥湊駅前の昭和感が色濃く漂う市営魚菜小売市場。半身を平らげるとお腹がいっぱいになるサイズの八戸前沖サバの炙り焼きをメインディッシュに、小川原湖産しじみの味噌汁、長芋の千切りなど、南部地域の味が揃ったオリジナル朝ごはん

 新機軸としては、味噌カレー牛乳ラーメン@青森「札幌館」、同「味の札幌 大西」を挙げなくてはなりません。しじみラーメンを目当てに津軽半島十三湖まで遠征するも、お気に入りだった民宿岩亮は知らぬ間に廃業。代役に訪れたのが正解だった「しじみ亭奈良屋」のしじみづくしなど、ご紹介しきれないほどの美味との出合いを青森で果たしました。

shijimi-zukushi-naraya.jpg【Photo】(右手前より順に)しじみチャウダー・しじみラーメン・しじみ汁・しじみバター炒め・豆腐のしじみ南蛮漬のせ・漬物・津軽りんごコンポート・しじみ味噌と佃煮・しじみ釜飯。産卵を控えて身が肥えた十三湖特産の大和しじみを一度に味わえた北津軽郡中泊町しじみ亭奈良屋「しじみづくし」(1,836円)。

 イタリアと庄内への偏向ぶりが著しいViaggio al Mondoとしては珍しく、ほぼ青森一色だった昨夏。〝狭くディープに〟のコンセプトはそのままに宗旨替えをした格好となりました。

 それゆえ5回シリーズの青森紀行レポートを通し、微力ながら青森の交流人口の押し上げに寄与できたかもしれません。青森遠征の折に参詣した八戸・蕪島神社、青森・善知鳥(うとう)神社、弘前・岩木山神社の神々が、庄イタの行いをご覧になっていたのでしょう。

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 香川がうどん県なら、りんご県と呼びたいのが青森。小包には津軽産のリンゴ加工品が3種類、同封されていました。1品目は上北農産加工農業協同組合の焼肉用たれ「スタミナ源」(下画像)

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 発売から半世紀年以上を経たロングセラー商品で、県内シェアは7割と圧倒的。仙台でも目にする機会が少なくありません。

 青森県産の醤油をベースに、生産量日本一のリンゴやニンニクなどの野菜類、隠し味にリンゴ酢などを加えたまろやかな風味。焼肉だけでなく、万能タレとして愛されています。

 長さ10mほどの陳列棚の両サイドをスルメなどの乾き物系が埋め尽くし、呑ん兵衛な県民性が垣間見えるなど、ディープな青森の魅力を凝縮した食品スーパー「カブセンター」で購入していたのが、同組合のピリ辛風味焼肉用たれ「辛味家(画像右)でした。

 こうして頂き物をするだけではなく、ここ数年、夏に欠かせない「アムさんメロン」の食味コンテスト出品作を大人買いしたことは言うに及ばず、イタリア国旗と同じ配色の看板が庄イタには極めて好印象な地元資本のカブセンターで、当選の祝杯となったキリン一番搾り「青森づくり」や青森産リンゴ果汁100%のシャイニーアップルジュース「赤のねぶた」をケース買いするなど、あまたの青森県産品を購入していました。

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【Photo】当選の祝杯は、カブセンター八戸長苗代店で購入したキリンビール北海道千歳工場製の「一番搾り青森づくり」。2杯目が青森紀行の流れで訪れた秋田市で入手した「秋田づくり」。コチラは副原料に「あきたこまち」を使用。3杯目は同じく酒田で購入した「山形づくり」。いずれも同社仙台工場製。「●●づくり」というネーミングに横槍を入れた某同業者のように固いことは言わず、まずは乾杯!! \(●^^●

 東日本大震災が起きた2011年の秋、「どうぞ召し上がって下さい」と収穫したリンゴを庄イタの拙宅に送って下さったのが、弘前市でリンゴを栽培する一戸清隆さん。一戸さんへの感謝の気持ちを忘れず、クリスタルのようにキラキラした透明度が高い味わいのみずみずしい蜜入りリンゴを、購入時期をずらして毎年2回購入してもいます。

 そんな律儀な庄イタを当選とするとは、青森県観光国際戦略局誘客交流課の皆さん、お目が高い

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 2品目と3品目は「青森りんごキャンディ」と「まるごとりんごパイ 気になるリンゴ」。自社のリンゴ園を弘前市郊外に所有する菓子メーカーラグノオささきの製品です。とりわけ同社の「パティシェのりんごスティック」は、仙台でも目にする機会が多く、弘前を代表する菓子メーカーとしての地位を築いています。

 青森りんごキャンディを一粒ほおばると、中にはトロ~リとした濃縮リンゴ果汁が詰まっています。爽やかな風味のキャンディに、甘酸っぱい青春の思い出が蘇ります。

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 津軽を訪れると、リンゴ畑が地の果てまで続く風景を目にします。国内生産のおよそ6割を占めるリンゴ王国・青森の主力品種が「ふじ」。

 ふじは青森県南津軽郡藤崎町で育成され、完熟の証である蜜入りが良く食味の良さから海外でも人気が高い品種。

 まるごとりんごパイ 気になるリンゴは、ふじをまるごと1個シロップ漬けにし、芯抜きした部分にはジューシーなスポンジがぎっしり。全体をパイ生地で覆って焼き上げたスイーツです。

 サックリ&しっとりしたパイ生地の中身に隠れているふじは、収穫後間もない蜜入りリンゴのシャキッとした食感が残っており、なかなかに美味。

 スタンプラリー事務局の皆様、どうもご馳走さまでした。

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 善き行いが善き結果に結び付いた善因善果なこの一件。このように青森で訪れた蕪嶋神社・善知鳥神社・岩木山神社の神々による霊力のほか、もう一つだけ、心当たりとなる要因があります。

 2度目の青森遠征の折、日本海側の深浦を朝に発って秋田を縦断、庄内まで南下していました。秋田竿灯まつり最終日と重なったその日。秋田市青柳町にある本格ナポリピッツァの店「COSI COSI コジコジ秋田山王店」を再訪するも臨時休業。代打の「オステリア ムーリベッキ」は特筆すべき収穫が無いまま初訪店を終了。

 口直しは、6月に続いて訪れた甘味処「広栄堂」で。伏流水を冷却した氷柱を丹念に手回しして削り出したパウダースノーのごときフワフワの食感が素晴らしい61種類が揃う当店のかき氷。看板メニューは、とぐろを巻いたソフトクリームがトッピングされたかき氷、生グレープフルーツソフト。通称「生グソ」(笑)。

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【Photo】店頭に「生グソ始めました」の貼り紙がある秋田市民が愛してやまない甘味処「広栄堂」にて。生グレープフルーツソフト(通称「生グソ」/手前・500円)と生イチゴソフト(奥・520円)。綿菓子のようにふわっふわの氷の中に果肉がふんだんに入っており、着色シロップ風味の一般的なかき氷の追従を許さない美味しさもてんこ盛り

iwagaki2016.jpg 秋田市の最高気温が31度を超す暑さだったこの日。激混みの店内で頂いた生グソで勢いづき、日本海沿岸東北自動車道を山形県境まで南下しました。

 見慣れた庄内側とは左右が逆の姿で鳥海山が「お帰り~」と出迎えてくれた秋田県にかほ市で、お盆前には必ず立ち寄る道の駅象潟「ねむの丘」へ。その目的は天然岩ガキです。

 産卵期を迎え、ぷっくりと膨らんだ大ぶりな乳白色の天然岩ガキは、酷暑を乗り切る滋養豊富な夏が旬の海の幸。昨夏食べ比べた中で最も身入りが良かったのが、新潟・笹川流れ産でした。その味をたとえるなら♪ ミルキーはママの味

 生グソと生岩ガキでロングドライブの疲れも吹き飛び、酒田花火ショーと重なった酒田に滞在した翌日は鶴岡まで南下。秋田で食べ損ねたナポリピッツァを「穂波街道 緑のイスキア」で食した昼過ぎには36度を超える猛暑の中、海の守り神・龍神信仰の寺で、かつて人面魚で一世を風靡した善寶寺にも詣でていました。

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【Photo】善寶寺境内(部分)。(手前より)釈迦三尊と十大弟子、羅漢様など個性豊かな表情の木像500体を配した五百羅漢堂は、1855年(安政2)に落慶法要が執り行われた。1867年(慶応3)に上棟した山門は、見事な透かし彫りが施された二層造り。魚の供養を願って創建された五重塔は、1893年(明治26)に完成。すべて登録有形文化財。zenpoji_omamori.jpg

 開祖妙達上人の生誕1150年に当たった昨年。7月中旬から10月末までの期間限定で、奥の院龍王殿所蔵の龍道大龍王と戒道大龍女のご尊体が開山以来初めて一般公開されていたのです。

【Photo】善寶寺参拝の折に頂戴した龍神様の守護札(右)が当選の手助けとなった。...のかも

 庄内系を名乗る以上、千載一遇の機会を逃すはずもありません。拝観後に足を運んだ善寶寺を守護する二体の龍神が棲むという貝喰(かいばみ)の池では、なかなか遭遇できないという人面魚が出迎えてくれたのでした(下画像)

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 こうしてプチ幸運が重なった挙句の今回のプレゼント当選で、終わりよければすべてよしとなった格好。

 めでたしめでたし。

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投稿者 vam : 20:29 | カテゴリー : ごちそうさまでした/| カテゴリー : ・Pref.Akita 秋田/| カテゴリー : ・Pref.Aomori 青森/| カテゴリー : ・Pref.Yamagata 山形

2017/03/05

善因善果 あるいは 因果応報

当選スマすたー

 サルデーニャ島とシチリア島が、紀元前8世紀から続いたカルタゴによる統治を離れ、イタリア半島を手中にしていた共和制ローマの領地となったのは、カルタゴに勝利した第一次ポエニ戦争(BC264~BC241)後のことです。

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【Photo】現在のチュニジア共和国の首都チュニス近郊の湖チュニス湖のほとりにあった都市国家カルタゴ(ラテン語:Carthāgō/イタリア語:Cartagine)。地図中では英語でCarthageと表記されているカルタゴが、紀元前3世紀初頭に勢力圏としていた地域が青の部分。北アフリカから西ヨーロッパの地中海沿岸地域にフェニキア人の入植都市を築いていた

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 西地中海一円に版図を広げつつあった共和制ローマの前に常に立ちふさがったのが、地中海交易で繫栄を謳歌したフェニキア人が築いた強国カルタゴでした。

 第二次ポエニ戦争(BC218~BC202)におけるトラシメヌス湖(現ウンブリア州トラジメーノ湖)の戦いやカンネの会戦で全軍殲滅の憂き目を見るなど、幾度となくローマ兵を苦しめたのが、人類史上屈指の天才戦略家ハンニバル。

【Photo】第二次ポエニ戦争でカルタゴ側についた古代都市カプア(カンパーニャ州カゼルタ県)で出土したハンニバル・バルカの胸像(ナポリ国立考古学博物館 Museo Archeologico Nazionale 蔵)

 難敵ハンニバル率いるカルタゴは、史上名高いザマの会戦で大スキピオことププリス・コルネリウス・スキピオ率いるローマに破れ、敗軍の将は命からがら逃亡。そして第三次ポエニ戦争(BC149~BC146)におけるカルタゴ包囲戦で陥落します。

 当時、カルタゴは少なくとも15万の人口を擁し、ローマとほぼ同規模の都市であったと推定されます。戦死や餓死をせずに生き残った女性や子どもを含む5万のカルタゴ人は、全て国を追われ奴隷として売り払われました。

Assaut_Carthago.jpg【Photo】紅蓮の炎に包まれて陥落するカルタゴ(19世紀の挿絵)

 700年にわたって栄華を誇った都市国家カルタゴは、積年の恨みを抱くローマ兵によって破壊の限りを尽くされます。小スキピオこと総司令官スキピオ・エミリアヌス指示のもと、ローマ兵によって火が放たれ、呪われた不毛の地とすべく大地に塩が撒かれます。

 その場に立ち会った歴史家ポリピウスによれば、小スキピオは燃え盛るカルタゴを前にして、地中海世界の覇者となったローマも、やがてはカルタゴと同じ道をたどる運命にあることに思いを馳せ、落涙したのだといいます。

Scipio_Carthage.jpg【Photo】3年に及んだ第三次ポエニ戦争の末、廃墟と化したカルタゴ。栄華を誇った強国の滅びを目撃したギリシャ人歴史家ポリピウス(右)は、38歳でカルタゴ包囲戦の総指揮を執ったスキピオ・エミリアヌス(左)が、いつか故国に訪れる同じ末路を思い、悲哀の涙にくれた史実を書き残した(19世紀の挿絵)

 第二次ポエニ戦争が勃発する3年前、遥か極東の地、中国に初の統一王朝が秦の国王・始皇帝により樹立されます(BC221)。乱世を平定した皇帝として権力を誇示した始皇帝の死後ほどなく、国家統一を成し遂げた秦は、漢の台頭により、わずか四半世紀で命脈を絶たれました。

 盛者必滅。
 
 春秋から戦国時代にかけての中国大陸は、秦・燕・趙・韓・魏・楚などの国が群雄割拠する混沌とした状況にありました。その時代に生きた儒学者・孟子(BC372~BC289)は、次の箴言を残しています。

 噫戯嘑出于爾者還于爾者也
 ああ、爾(なんじ)に出ずるものは爾に反る
 《意訳》自らの言行は、やがて自分に戻ってくる

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 歴史は繰り返すと申します。ゆえに賢明な為政者は歴史から多くを学びます。他国との軋轢を意に介さず海洋進出を推し進める現在の中国を率いる習近平国家主席、翻っては戦後レジュームからの脱却や憲法改正を目指す安倍晋三首相らは、孟子の教えをどう受け止めるのでしょうか?

【Photo】第三次ポエニ戦争でカルタゴを滅ぼした総司令官スキピオ・エミリアヌスの胸像。第二次ポエニ戦争で戦功を上げ、スキピオ・アフリカヌスの称号を与えられた大スキピオに対し、小スキピオと呼ばれる(ナポリ・カポディモンテ美術館Museo e Gallerie Nazionali di Capodimonte蔵)

 ポエニ戦争で明暗を分けた両雄がその後たどった道筋を本稿の最後にご紹介しておきます。

 ローマを不倶戴天の敵として戦いに明け暮れたハンニバルは、シリアからクレタ島を経て黒海沿岸のビテュニア王国まで逃亡。BC183、国王プルシアス1世に身柄引き渡しを求めたローマの追手が迫ると、自ら毒をあおり波乱に富んだ64年の生涯を閉じます。

 かたやカルタゴを滅亡させたスキピオ・エミリアヌス。第二次ポエニ戦争を勝利に導き、ハンニバルと相前後してBC183に没した偉大な養祖父・大スキピオと同様、アフリカを制した「アフリカヌス」の称号を得ます。さらにBC147とBC134には、共和制ローマの国家元首である任期1年のコンスルの座に就いています。

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【Photo】古代ローマ時代、政治の中枢であったForum Romanum(フォロ・ロマーノ)。権謀渦巻く政争の場となった元老院議場が置かれた往時から2000年の時を経た現在、フォロ・ロマーノの主役は世界中から訪れる観光客と野良猫にとって変わった

 二度目の最高権力者の座に就いて5年後のBC129、元老院で改革派として台頭してきたティべリウスとガイウスのグラックス兄弟による農地政策への反対演説を控えた前日、小スキピオは死亡しているのが発見されます。

 その首には絞められたような痕跡があったのだとか。死因は明らかではありませんが、義母コルネリアないしは妻センプロニアを含むグラックス一族による謀殺説が否定できないのだといいます。

 そのグラックス兄弟とて、元老院と対立した兄は改革の道半ばで暗殺され、退路を断たれた弟も自ら命を絶っています。金正男氏謀殺事件と同様、〝事実は小説よりも奇なり〟といったところでしょうか。

 怖いデスネ~、恐ろしいデスネ~。

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 クアラルンプール国際空港で事件が発生した日、一つの小包が自宅に届きました。それは一国家の存亡ほど劇的な出来事ではありませんが、孟子が残した人の営みは良くも悪くも因果応報であるという言葉を思い起こさせたのです。

 小包は、あるキャンペーンに当選した賞品なのでした。次回、その顛末を明らかにします。

To be continued...

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投稿者 vam : 06:55 | カテゴリー : ITALIA/| カテゴリー : 庄内系イタリア人の物語

2017/02/11

聖ダンデロの被昇天(2) Assunzione di San-Dan-Deloseguito

妙なる芳香で天にも昇る心持ち〈後編〉
@ヤマガタ サンダンデロ

 2016年シーズンは、解禁当初から不作が続いたアルバ産白トリュフ。12月の最終盤に至ってやっと産出量が持ち直しました。

 白トリュフを愛してやまない庄イタを、白トリュフ天国へと導く大天使ジョルジョが、堪能するのに十分なサイズの白トリュフを携え、年が改まってすぐ日本に再降臨してくれました。

 365分の1の確率で東京出張と重なった2017年(平成29)1月12日(金)の夜、銀座「ヤマガタ サンダンデロ」を会場に催されたピエモンテ料理の会で供されたメニュー(下画像)は以下の通り。

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 ジョルジョが音頭をとった乾杯の1杯は、ピエモンテ州クーネオ県ネイヴェに醸造所とブドウ畑を有する作り手Dante Rivetti ダンテ・リヴェッティの「Brut Metodo Classico Millesimato Ivan ブリュット・メトード・クラシコ・ミッレジマート・イヴァン(下画像)Metodo Classicoとは、読んで字のごとく伝統製法の意味。

 瓶詰めしたワインに酵母入りシロップを添加し、再発酵させることで発生する炭酸ガスを液体に溶け込ませる発泡性ワインの製法が瓶内二次発酵です。

 物騒かつ意味不明な「発砲」ともども、フランス産の発泡性ワインを指すCrémantクレマンとの誤用が散見されるシャンパーニュや、ミラノが州都となるロンバルディア州ブレシア県の風光明媚なイゼーオ湖の南畔地域で産出する高品質なD.O.C.GFranciacorta フランチャコルタ」は、手間の掛かるこの製法によるもの。

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 細やかな泡立ちが持続し、芳醇な香りが心地よいイヴァンは、高価なヴィンテージ・シャンパーニュと同じ36カ月を要する瓶内二次発酵後に澱引きし、コルクを打って6カ月の瓶熟成後にセラーから出荷されます。使われるブドウ品種はピノ・ネロ。ブルゴーニュ原産の高貴品種ピノ・ノアールは、イタリアではこう呼ばれます。

 白トリュフが主役となる豪奢なコース料理のプロローグを飾ったのが、ご覧の通り盛りだくさんなアンティパスト(下画像)

 ジョルジョが持参した生ソーセージ「Salsiccia サルシッチャ」2種、お手製バニェット・ヴェルデほか、ロビオラチーズと自家菜園ハーブのペースト、ズッキーニのブルスケッタ3種、リグーリア特産のオリーブ「タジャスカ」のオイル漬やヘーゼルナッツ。

antipasti2017.1-san-dan-delo.jpg ピエモンテ産D.O.P.(=保護指定原産地表示)チーズは、熟成期間が異なる牛乳製「Toma トーマ」や山羊乳製「Robiola di Roccaverano ロビオラ・ディ・ロッカベラーノ」など5種類。

 盛り合わせの中には、北海道大樹町で飼育する水牛の乳から、鮮度が命のフレッシュタイプのチーズ作りをしている竹島英俊さんの貴重なモッツァレラ・ディ・ブッファラとその製造過程で出るホエー(乳清)を原料とするリコッタ(上画像右上の2点)も。

 食肉としても美味な水牛の乳は栄養価が高く、カンパーニャ州ナポリ近郊のカゼルタやサレルノ周辺で飼育されます。その数は多くはなく、貴重な存在です。

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 日本では唯一の水牛乳によるフレッシュチーズ作りを宮崎県で行っていた竹島さん。2010年(平成22)に県内で発生した口蹄疫の影響で、やむなく全頭を殺処分し廃業を余儀なくされました。挫折を乗り越え、鶴岡での充電期間を経て今日に至っています。

 アスティ県モンフェラートで4代続く醸造所Tenuta Olim Bauda テヌータ・オリム・バウダは、ピエモンテで飲んだD.O.C.G 昇格前の「Barbera d'Asti superiore Le Rocchette バルベーラ・ダスティ・スーペリオーレ・レ・ロッケッテ」2004年ヴィンテージが印象に残り、ボトルからエチケッタ(上画像)を剝がして持ち帰った作り手。

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 今回、エレガントな「Chardonnay D.O.C. i Boschi 2013シャルドネ・イ・ボスキ」2013年とともに味わったアンティパストの中では、22年熟成のロビオラ・ディ・ロッカベラーノは特筆に値します。(下画像)

 22年の歳月を重ねた山羊乳チーズの色合いは、出来立ての純白から黄色に変化。固形からゲル状に変容したトロ~リとした食感。乳由来の甘味は消え、強い塩味・ほのかな酸味が入り混じった重層的な旨味へと変化。コクと強烈な香りが、口腔と鼻腔とを満たし、長~い余韻を残します。

vecchia-robiola22anni.jpg 2皿目「活ホタテのオーブン焼き」が運ばれてくると、トリュフとスライサーを手にしたジョルジョが、各テーブルを回り始めました。

 ジョルジョは庄イタの脇に立つや、遺留品の臭いを警察犬に嗅がせる捜査官さながらにスライスしたての白トリュフの塊を庄イタの鼻先に持ってくるスペシャルサービスをしてくれたのです。

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 それはまさに天にも昇る心持ち。現世で日本人として生を享けるおよそ1世紀前、祖国統一の気運が燃えさかったRisorgimento リソルジメント(=イタリア統一運動・1815-1871)末期、ガリバルディ率いるCamicie Rosse(赤シャツ隊)に身を投じ、前世で授かった命を捧げた(と、自身では信じて疑わない)庄イタ。

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【Photo】赤シャツ隊を率いて祖国統一を成し遂げた英雄ジュゼッペ・ガリバルディ()。イタリア国旗を手にしたViaggio al Mondoのプロフィール紹介写真と構図が似ているのは、単なる偶然か、あるいは必然か。オフに着用するアウターは、赤シャツ隊の制服と同じ配色(

 来世では、再び前世における郷里ピエモンテで、トリュフ犬に生まれ変わったとしても本望かも。(実際のトリュフ狩りでは、発見した白トリュフをトリュフ犬が食べてしまう寸前、トリュフハンターがエサを与えて犬の気をそらし、トリュフを横取りする)

 ただし、庄イタから輪廻転生したトリュフ犬は、白トリュフが地中から発する魅惑的な香りを探知すると、きっとマタタビに惚(ほう)けて喉をゴロゴロ鳴らすネコ気質な犬に突如変身。仕事そっちのけで白トリュフの法悦に浸るデクノボウなワンコに相違ありません。(下想像図)

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【Photo】ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ「Estasi di santa Teresa d'Avila 聖テレジアの法悦」(1647-1652 ローマ:サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会コルナロ礼拝堂)16世紀のスペインに実在した修道女テレジアが天使と遭遇した神秘体験を超絶技巧を駆使して大理石で具象化した盛期バロック期の傑作

 ご主人様と職務に忠実なトリュフ犬が掘り出し、トリュフハンターが手に入れた白トリュフは、時間が経過するにつれて水分と共に香り成分が揮発してしまいます。

 ジョルジョによれば、仕入れ時点の重さ185gが、会合当日には160gまで減っていたとのこと。イタリアで食するアルバ産白トリュフのクラクラするような香りを120%とすると、正直60%程度の印象だったのはやむなしでしょう。

 それでも採れたては嗅覚の針が振り切れるほどの強烈な香りを発する白トリュフ。たとえは悪いですが、腐っても鯛。前世の記憶を覚醒させるに十分なのでありました。

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 イタリア共和国全20州の中で、海に面していないのは5つ。中部ウンブリア州以外は、国境をスロベニア・オーストリア・スイス・フランスの各国と接する北部に集中し、その一つとなるのがピエモンテ州。

 この日4皿目に登場した卵を練り込んだ手打ち細麺「Tajarin al Tartufo タヤリン・アル・タルトゥフォ」ほか、「Fonduta チーズフォンデュ」、リゾット、肉を使った郷土料理に白トリュフを用いるのがピエモンテでは定番。ジョルジョのみならず庄イタにとっても海鮮系の具材は意表を突くカップリングでした。

 卓上のメニューを見た時、否応なく期待値が高まったこの創作料理。後日、土田シェフに確認したところ、全国を股に駆ける奥田シェフが、とある関西のフレンチレストランで出合った料理がベースとのこと。

 築地直送の新鮮なホタテのヒモで出汁をとり、白ワインを加えて煮込んだ生クリームソースが、生ウニがトッピングされた香ばしいホタテと白トリュフとの絶妙な一体感を生み出していたように感じました。

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【Photo】知らぬ人のないサンドロ・ボッティチェッリ「 La Nascita di Venere ヴィーナスの誕生」(1482-1485頃 フィレンツェ:ウフィッツィ美術館蔵)ギリシア神話によれば美の化身ヴィーナスは海の泡から生まれた。春の妖精ホーラが裸身を恥じる女神に淡い朱色のヴェールを掛けようとする場面を描いた人類の至宝

 土田シェフによって貝殻の中に出現していたのは、かぐわしい白トリュフと生ウニで装ったホタテが泡立つ乳の海に浮かぶ小宇宙。それは庄イタにサンドロ・ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」(上画像)を彷彿とさせたのでした。

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 妻フローラを伴った西風の神ゼフュロスのごとくホタテに新たな息吹を吹き込んだのは土田シェフ。さすれば春に咲く花が散りばめられたヴェールをヴィーナスにまとわせようとするニンフは、(ビジュアル的には違いますが)トリュフと愛嬌を振りまくジョルジョという寸法。

 郷里では魚介系の料理がほとんど食卓に登場しないピエモンテーゼ、ジョルジョを驚愕せしめた白トリュフ料理1皿目。産地でも高嶺の花である白トリュフを惜しげもなく使った2皿目は、典型的な白トリュフの食し方である「タヤリン・アル・タルトゥフォ」(下画像)。1皿目が革新ならば、2皿目は伝統への回帰といったところでしょうか。

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【Photo】タヤリン・アル・タルトゥフォ。卵黄を小麦粉に練り込み、幅2-3mmに切り分けた手打ちロングパスタ「Tagliolini タリオリーニ」をピエモンテ州では、「Tajarinタヤリン」と呼ぶ。秋を迎えたピエモンテで代表的な食べ方が、白トリュフをすりおろしたこの料理

 メニューに記載がなかった3皿目「Vitello Tonnato ヴィテッロ・トンナート」は、もともとアンティパストの一品として用意された料理です。(下画像左上)

 ところがチーズやブルスケッタなどが所狭しと並んだボリューミーな1皿目では盛り付る場所が確保できずに出番を失ったのです。こうして単品で供され、日の目を見たのでした。

 そこに「1杯お味見にどうぞ」とフロアを預かる久保副店長からテヌータ・オリム・バウダ「Nebbiolo d'Alba San Pietro ネッビオーロ・ダルバ・サン・ピエトロ」2012ヴィンテージがサービスで出てきました。

 蒸し焼きした庄内産仔牛の冷製にジョルジョが味付けしたツナをベースにタマネギやニンニクで味を整えたソースが加わったピエモンテ伝統の郷土料理とは、さすがの好相性。

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 典型的なピエモンテ料理であるイノシシの赤ワイン煮込み「Brasato ブラザート」(上画像右下)がセコンド・ピアットに控えていたため、相性を考えてオーダーしたのは、ダンテ・リヴェッティのD.O.C.G.Barbaresco Micca バルバレスコ・ミッカ2006」(上画像右上)。〝産地を訪れた年のワインは出来る限り飲んでみっか〟という自身の不文律に沿ったチョイスです。

 もう一つの選択肢だったのが、D.O.C.G.Baloro Léglise バローロ・レッリーゼ2007」(上画像左下)。相席となった新宿中村屋にお勤めというNさんのご厚意で一口グラスで味見させて頂き、より厳格で力強いバローロらしさを確かめた果報者なのでした。

 秋の収穫期にバルバレスコ村を訪れた2006年のような作柄に恵まれた年は、ネッビオーロの特徴となるタンニンが落ち着き、複雑味が増して飲み頃を迎えるまで時間を要する場合もあります。

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【Photo】2006年10月末。天使のようなグラッパ職人ロマーノ・レヴィとイタリアワイン界の巨人アンジェロ・ガヤの醸造所を訪れた鼻血が出そうなくらい中身が濃かった1日。世界で最も美しいブドウ畑の眺めだと地元の人々が胸を張る銘醸畑が広がるBarbarescoバルバレスコ村の景観は、2014年に世界文化遺産として登録された。Neive ネイヴェの市街地から2kmほど進むと、ネッビオーロが大半を占めるブドウ畑の中に浮かぶ浮舟のようなバルバレスコ村が見えてきた(画像右奥)

 しばしば〝イタリアワインの女王〟と形容されるD.O.C.G.バルバレスコ。伝統的な大樽による造りで、収穫から丸10年を経た2006年ヴィンテージは、熟成して角が取れてきたネッビオーロならではの深みのある味わいに魅了されました。

 翌日から日本橋人形町で開催される「山形・鶴岡の餅文化を味わう会」準備のため、鶴岡から出張しておいでだった「山菜屋.com」を運営する遠藤初子さん。旧知の間柄である遠藤さんと同じテーブルとなったこの日。

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【Photo】出てのお楽しみな〈Speciale piatto〉とだけメニューに記載された一皿がコレ。一味もふた味も違う山の幸を取り扱う山菜屋.comの遠藤さん手配による鶴岡朝日地区産の山栗のリゾット。一般に流通する燻蒸した栗の3倍近い糖度を有するのは、冷蔵保存するがゆえ。手作業による厳しい選別を行うことで無燻煙による栗本来の味を堪能できる

 風味が濃い山栗を鶴岡から送った当のご本人を目の前にして食するリゾット。それは数多くの生産者や食の匠とのご縁ができ、1皿の有難みを実感できた往時のアル・ケッチァーノ系列の店ならではの醍醐味でもありました。

 リグーリア州内陸部サヴォーナ県サッセロに本拠がある菓子メーカーAmaretti Virginia製の杏子風味のサックリした歯応えの伝統菓子「Amarettiアマレッティ」、鶴岡市羽黒産ブルーベリージャムとピエモンテ産ヘーゼルナッツのトルタ、そしてジョルジョが好きだという獺祭の酒粕ジェラートの3品がデザートで登場。

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 締めのカッフェを頂きながら、ジョルジョは思い出話に花を咲かせました。醸造所が1年で最も忙しい収穫期に訪れたバルバレスコの帝王こと、Anjelo Gaja アンジェロ・ガヤの醸造所訪問が、実はノーアポで、先方が困惑しながらも「ジョ、ジョルジョか...。」と、固く閉ざされた緑のゲートを開けて渋々会ってくれた件。

 そして新潟・村上経由で訪れたイル・ケッチァーノで、白トリュフを食べ損ねた件(前々回「Compagna di Piemonte = ピエモンテ同窓会 =」参照)。その珍道中ぶりとジョルジョの気さくな人柄に、テーブルでご一緒した女性たちからも笑いがこぼれます。

 鎌倉でのピエモンテ同窓会に続き、白トリュフの香りに包まれ、ひと時の昇天を果たした庄イタ。ココロの郷里ピエモンテと庄内への渇望感を癒された一夜となりました。

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投稿者 vam : 02:18 | カテゴリー : Cuccina Italiana/| カテゴリー : ごちそうさまでした/| カテゴリー : イベント&催し/| カテゴリー : ・Fuori Tohoku 圏外遠征


「庄内系イタリア人」こと
木村 浩人

外見と所持するパスポートの国籍は日本人。なれど脳細胞はイタリア人。≫詳細

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