あるもの探しの旅

  •  美味しいものって、私たちを幸せな気持ちにしてくれますよね。
  • ふだん私たちが何気なく口にしているもの。
  • それはどんな人が、いかなる風土のもとで、どんな思いで作っているのか。
  • そんなことを考えてみたことってありますか。
  •  自分の体に取り込むものだからこそ、もっと知りたい。
  • 大量生産品が持ち得ないモノたちが秘めた飛びっきりなストーリー。
  • どうやら東北に暮らす私の足元と、ハンドメイドな職人王国のイタリアには
  • そんな物語がたくさんあるようです。
  •  ご一緒に「あるもん探しの旅」にちょっと出てみませんか
  • 読んで美味しい知ってうれしいお話を、どうぞ召し上がれ。Buon appetito!

2019/10/15

諸行無常、ああ無情。

セラー故障 & 修理(TT)覚え書き


● 諸行無常
 ☞ 全ての事象は泡沫(うたかた)であり、永久不滅のものは存在しない

 仏教の開祖ブッダ(釈迦 BC463頃?~BC383頃?)は、35歳にしてインド北東部ブッダガヤの菩提樹の下で悟りを開いたとされます。いい年をして煩悩を断ち切れない庄イタとは月とスッポンですね。

 ブッダが説法を行ったという古代インドに実在した寺院が「Jetavana-vihāra ジェタヴァナ・ヴィハーラ(祇園精舎)」。唐の成立初期に実在した高僧、西遊記で知られる玄奘(げんじょう・三蔵法師とも)が仏典を学ぶため、天竺(インド)を目指した7世紀前半にはブッダゆかりの菩提樹は仏教弾圧で切り倒され、聖地ジェタヴァナ・ヴィハーラはすっかり荒廃していたのだそう。

「善因善果 あるいは 因果応報」Marzo(3月)2017拙稿参照で取り上げたフェニキア人が築いた強国カルタゴが共和制ローマに滅ぼされた例を挙げるまでもなく、有史以来あらゆる文明や国家も栄枯盛衰を繰り返してきました。

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 地球上のみならず広大な宇宙空間でも星は誕生と滅亡のドラマを繰り広げています。

 今年7月24日、直径およそ130mの小惑星が地球に向かって時速7万2,000kmで急接近していることがブラジルの研究機関の探査によって明らかとなりました。

 小惑星群の衝突による人類滅亡の危機をいかにもアメリカ的な筋書きで能天気に描いた1998年公開のハリウッド映画「Armageddon アルマゲドン」上動画では、ブルース・ウィリスが自らの命と引き換えに小惑星を核爆弾で爆破、地球を救います。グローバルな視野を持たず、自国第一主義を標榜するトランプ大統領は、自ら犠牲となるヒーローの登場を決して望まないことでしょう。

 6,600万年前にユカタン半島付近に落下し、太陽光が遮断される気候変動が全地球規模で発生、恐竜など当時の全生物の7割以上を滅亡させたと推定される直径9.7kmの小惑星と比べれば遥かに小さくとも、映画「君の名は。」で描かれた架空の町「糸守(いともり)」を住民もろとも消滅させるような甚大な被害が予想されます。

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 「2019OK」と名付けられたこの小惑星を宇宙空間に絶えず目を光らせる世界の研究者があわや衝突寸前まで見落としていた理由は、地上からは針の先のようにしか見えない地球に直進する軌道だったため。差し迫った事態が発覚した翌25日午前、地球から月までの距離の1/5しかない72,400kmまで超ニアミスした小惑星は、地球をかすめて通り過ぎました。

 地球にとって危機一髪の事態であったことを世界が知ったのは2019OKが地球をかすめて通り過ぎた後だったのだといいます。 

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 今回は事なきを得た地球とて、温度上昇と膨張を続ける太陽の熱によって、10億~20億年後には生命の存続が不可能になると予測されています。

 さらに50億年後には現在の100倍ほどに巨大化する太陽が赤色巨星へと変貌し、太陽系では水星や金星が消滅。

 海洋が蒸発し死の星と化して久しい地球も表層の地殻が融解し、ジリジリと焦がされた挙句に蒸発するか太陽に飲み込まれる可能性もあるのだといいます。まさに諸行無常。

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● ああ無情
① 情け心のないこと。心のないこと。木や石などにいう(広辞苑第6版より抜粋)
② 切ない女心を歌ったアン・ルイスの名曲。表記は「あゝ無情 
③ ヴィクトル・ユーゴーの長編小説「Les Misérables レ・ミゼラブル」の翻訳児童書

※ 本稿では①の意味。「木や石などにいう」の〝など〟はワインセラーを指す

〝行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず〟の有名な書き出しで始まる鴨長明の「方丈記」序文は、こう続きます。

〝よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し〟

【現代語訳】 川の澱みに浮かぶ泡は、消えたかと思えば生じ、長く留まることはない。現世の人や住まいも同じだ。

 要するに〝有為転変は世の常。形あるものは滅びる〟ということ。

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 今年になって庄イタ的に最大の事件だったのが、206本収容可能なワインセラー「サイレントカーヴ」上画像の経年劣化による故障です。追い打ちをかけるかのように、賃貸用に供している仙台の拙宅2階のエアコンまでが故障。弱り目に祟り目とはまさにこのこと。

 不運な巡りあわせを呪いつつ、半ばヤケで1階リビングダイニング用の20畳タイプのハイパワーエアコンも消費増税前に買い替えたことを前々回「モヤモヤ さまぁ~ 2019」でサワリを述べました。

 その最後はこう結ばれていました。〝事の顛末は追って詳報。.....するかも〟

 と、いうことで、皆様のご要望にお応えし、今回は自虐ネタです。ワイン道楽が、いかに無駄金を使うかが良~く分かるはずです。以下、他山の石としてください。

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 バブルの余韻が残っていた東京支社勤務時代、欧州全土がグレートヴィンテージとなった1990年vinが市場に出回り始めると、徐々にワイン蒐集がエスカレート。

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【Photo】欧州の主要ワイン産地が大成功を収めた1990年をセラーからピックアップ。バローロ村のラ・モッラ地区の銘醸地コンテイーザとチェレクイオに畑を所有していた醸造所「GROMIS グロミス」を1995年に「GAJA ガヤ」が買収する以前のクリュ名付きバローロ。GAJAの眼鏡にかなった畑の'90ヴィンテージ(中央)。良作年のみ仕込まれるエドアルド・ヴァレンティーニの「モンテプルチアーノ・ダブルッツォ'90」は、ワインに造詣が深いイタリア文学者の大岡玲氏が他のヴィンテージとは次元が異なる〝神品〟と称えた(右から2本目)。2000年vinからは375mℓ瓶で年産2,000本程度がリリースされる「Vin San Giusto ヴィン・サン・ジュスト」と名前を変える前は500mℓ瓶で1,800本程度が作られていたサン・ジュスト・ア・レンテンナーノ「ヴィン・サント'90」(左端)。「ペルカルロ'90」(右端)ともども超レア物。産地に行った年のワインは確保する契機となった繊細で長命なリースリングの造り手エゴン・ミューラー「シャルツホーフベルガー・カビネット'90」(左から2番目

 そんな頃、仙台本社でお世話になっていた酒類卸小売業の取引先が新店をOPEN。お祝いに駆け付けました。そこでフォルスタージャパン社の36本収容タイプの加湿循環方式セラー「ロングフレッシュ」最新型ST-AF140G(定価22万円+消費税5%)が2割引の特価になっていました。

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【Photo】最大36本を収容するワインセラー「ロングフレッシュ」1号(永遠の都・ローマ建国伝説に登場する双生児にちなむ愛称「Romolo ロモロ」ラテン語読みでロムルス:)と2号(同「Remoレモ」ラテン語読みでレムス:)。購入時期はスウェーデン製サイレントカーヴで、酒神バッカスと結ばれた女神から授けた愛称「Ariadnē アリアドーネ」より1年遡るも、どちらも故障知らず。さすがは信頼の日本製!!

 それでも決して安くはない買い物への背中を押したのが「ワインへの『やさしさ』が『おいしさ』でかえってくる」というコマセ効果抜群の名コピー。

 その通り!

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 そこで扉の中央がUVカットの二重ガラス窓になったセラーを血迷ったか2台衝動買い。6ケース・72本分の器が整ったことでストックアイテムは加速度的に増えてゆきます下画像:「Remoレモ」内部

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 収穫前にイタリア国営放送Raiで特集番組が組まれるほどイタリアの主要ワイン産地が世紀のヴィンテージと騒がれたのが1997年。'97vinが市場に出回り始めた'99年当時は、導入後間もない統一通貨ユーロの対日本円レートが112円ほど。値ごろ感も手伝ってイタリア国内のサイトにも網を広げ、以前以上のペースで日本では入手困難なレア物を中心に'97vinを集めました。

 その中心となったのは、作り手のケアが十分に行き届く年産平均5,000本が極少量生産される庄イタ一押しの薫り高い「La Cerbaiola Giulio Salvioni ラ・チェルヴァイオーラ」や同8,000本の「Case Basse カーゼ・バッセ」、'97年vinの前評判が特に高かった「Casanova di Neri カサノヴァ・ディ・ネーリ」、「Siro Pacenti シーロ・パチェンティ」、「Antinori アンティノリ」などの〝Brunello di Montalcino ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ〟下画像左3本

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 ジメっとした辛気(しんき)臭さと青っぽさを感じるボルドーとは違い、同じブドウ品種でも陽光降り注ぐ風土が育んだ親しみやすく外交的な個性が際立つトスカーナ産カベルネ・ソーヴィニョン。

 1944年にボルドー五大シャトー筆頭格の「Ch.Rafite-Rothschild シャトー・ラフィット・ロトシルト」から苗木を譲り受け、接ぎ木したカベルネで一躍世界の頂点に躍り出た「Sassicaia サッシカイア」下画像、キアンティ地区産カベルネの実力を示すエレガントで香り高い「Solaia ソライア」、フィネス(高貴さ)を感じるメルロ主体の「Siepi シエピ」や「l'Apparita ラッパリータ」など、イタリア国外での評価が先行した国際品種で一世を風靡した有名どころの〝Super Toscana スーペル・トスカーナ〟も外せないところ上画像右4本

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【Photo】凱旋門賞連覇、16戦無敗記録などを打ち立てた伝説の名馬「Ribot リボー」の馬主で無類のボルドー好きだったマリオ・インチーザ・デッラ・ロケッタ伯爵が自己流で始めたブドウ栽培。そもそもは自家消費用だったワインが市場に出回り始めた1968年から4年後の'72年ヴィンテージが、11カ国33種のカベルネ・ソーヴィニョンを試飲した著名な評論家による1位評価を受け、全く無名だった地ボルゲリから伝説が生まれた。数多くの受賞歴に輝くサッシカイアでもとりわけ期待値が高い'97年、家族のバースデーヴィンテージで3本確保した優良年の'98年に加え、ワイン・アドヴォケイト誌で100点評価を受けたパーフェクトイヤー2016年がこの夏セラーに仲間入り

 こうしたイタリアワイン法に縛られない作り手の自由な発想の産物であるスーペル・トスカーナでは、トスカーナ原産のサンジョヴェーゼが到達しうる遥か高みを示す「Percarloペルカルロ」や「Flaccianello della Pieve フラッチャネロ・デッラ・ピエヴェ」「Le Pergore Torte レ・ペルゴーレ・トルテ」などもしっかり確保。

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 そして呼称は違えど実質的に「Baroloバローロ」である「Langhe Sperssスペルス'97」上画像中央に世界で最も影響力がある米国のワイン評論家ロバート・パーカーが99点を献上した「Angelo Gaja アンジェロ・ガヤ」ほか、我が郷里ピエモンテからは「Aldo Conterno アルド・コンテルノ」、「La Spinetta ラ・スピネッタ」、「Paolo Scavino パオロ・スカヴィーノ」、バリック樽の使用とベルルスコーニを毛嫌いした伝統主義者「Bartolo Mascarello バルトロ・マスカレッロ」といった銘醸蔵の〝バローロ〟と〝Barbaresco バルバレスコ〟。

 こうした飲み頃を迎えるまでに長い時間を要するワインが増えるとストックの把握が困難になってきます。忘れ去られたサル酒のようになっては元も子もありません。事態打開のため、ワインリストをExcel(エクセル)で自作しました。

 収蔵ピーク時の自作リストがコレ。
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【Photo】セラー故障騒動後の8月上旬、大阪市中央区谷町6丁目「Osteria Cavatappi オステリア・カヴァタッピ」で持ち寄りワイン会を催した。暑さのピークゆえ、庄イタが供出したのは珍しく白ワインのエドアルド・ヴァレンティーニ「Trebbiano d'Abruzzo トレッビアーノ・ダブルッツォ'97」。10日前に店に預けてセラーで保管してもらった抜栓直後は微発泡するほど若々しさを感じる口当たり。温度が上がりフローラルな香りが開くに従い、ナッツやライチなどのニュアンスに富んだ表情をみせた

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 翌1998年は、家族のバースデーヴィンテージという特殊事情を抱えた年。そのため'96年から3年連続の際立った優良年となったピエモンテの銘醸や天候に恵まれたトスカーナ州南部ボルゲリ地区産で、米国のワイン評価本Wine Spectator誌で年間No.1評価を受けたカベルネ主体の「Ornellaia オルネッライア'98」やメルロ100%「Masseto マッセト'98」下画像左2本は、それぞれ複数本を確保。

 2030年代後半まで飲み頃のピークが続くであろう「Ch.Lafite-Rothschild ラフィット・ロートシルト'98」やセカンド3本を含む「Ch.Haut Brionオー・ブリオン'98」、「Ch.Latour ラトゥール'98」などのボルドー五大シャトーもの下画像中央の3本、作柄に恵まれたジロンド川右岸のポムロールやサンテミリオン、そして貴腐ワインの最高峰「Ch.d'Yquem ディケム'98」下画像右から2番目なども市場に出回る前に複数本をオーダーする〝Primeurプリムール〟で調達。

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 南半球オーストラリアからはシラーズの名手「クラレンドンヒルズ」が450ケース限定で生産し、2025年までピークが続くと評したロバート・パーカーが95+ポイントを献上したカルトワイン「Astoralis アストラリス'98」上画像右端、ムートン・ロートシルトによる南米チリ版「オーパス・ワン」と呼ぶべきコンチャイトロとのジョイントで生産する「Almavia アルマヴィヴァ'98」にまで食指を伸ばしました。

 その受け皿のため、'97vinで飽和状態となったフォルスタージャパン製セラーに続いて今回故障した206本収蔵可能なスウェーデン Electrolux エレクトロラックス社製の「サイレントカーヴCS200」を購入。メーカー希望小売価格40万ほどのハイエンドモデルを実際にいくらで購入したか、はっきりとは記憶していません。

 長期熟成に耐える高価な赤ワイン、そして陶然たる夢心地に誘われる珠玉のデザートワイン類は、庫内温度を14℃に設定した3台のセラーに。一方、寝かせることなく開ける3,000円台以下の比較的カジュアルな赤ワインや白ワインは、温度変化が少ない階段下収納で二重構造の段ボール箱でスタンバイ。

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【Photo】サイレントカーヴCS200の引き出しは甘露の揺籃さながら。(右から)カンパーニャの雄マストロベラルディーノが、イルピニアで栽培するフィアーノに貴腐菌が付く10月下旬以降に収穫。60日間陰干し後に搾る極甘口ワイン「Melizie Irpinia Fiano Passito メリツィエ・イルピニア・フィアーノ・パッシート'13」。サン・ジュスト・ア・レンテンナーノがバリック樽を導入し「Percarloペルカルロ」のファーストヴィンテージとなった年の「Vin Santo ヴィンサント'83」。娘に贈るフルボトルより早熟が期待できる「d'Yquem ディケム'98」ハーフボトル。最後の晩餐はコレで〆る?「Vin San Giusto ヴィン・サン・ジュスト'97」。劣らず素晴らしいサン・ジェルヴァジオ「Recinaio レチナイオ'97」。極め付けはアヴィニョネジ「Vin Santo ヴィンサント'92」。イタリア最南端、絶海の孤島パンテレッリア島で8月中旬に収穫するジビッポ(マスカット・オブ・アレキサンドリア)を強烈な日差しの下で3~4週間の天日干し後、9月に収穫する第二陣と混醸する芳香の塊「Ben Ryé ベン・リエ'13」

 セラー内部の温度が最も低い最下段には娘に受け渡す想定ゆえ、庄イタお手付き厳禁の'98vinコレクション。その上段が最下段に収まらない'98や'97vin、中間の狭い引き出し部分に500mℓやハーフボトル主体のデザートワイン類、その上段が'01や'06などの2000年代、最上段は'60年代~のオールドヴィンテージと大まかに分類して収蔵していました。

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【Photo】ピエモンテ州クーネオ県ネイヴェは名高い銘醸地Barbarescoに隣接するコムーネ。小さな町のEnoteca(=酒販店)で購入した「Giacosa Leone & Figli ジャコーザ・レオーネ&フィリ」という作り手のバルバレスコ'64をセラー故障によるダメージ確認を兼ねて7月上旬に御開帳@庄イタ宅。収穫から55年を経てなお良作年のネッビオーロならではのエレガントな力強さと長い余韻を残す

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 記録的猛暑となった昨年、北側の部屋に設置している2台のロングフレッシュからは庫内温度を長期保管に適した14℃に保つための稼働音が絶えず聞こえていました。同様に冷却方法が異なり音が全くしないサイレントカーヴも背面のパイプが常に熱くなっており、同様のフル稼働だったはず。

 その無理が祟ったのでしょう。最高気温が30℃に迫る日もあった6月中旬、飲み頃を迎えた1本を取り出すために開けたセラーの庫内温度を示す表示が24℃になっているのに気づきました。これは室温と変わらず、さらに気温が上昇すれば熱劣化が懸念される温度です。

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【Photo】昨年の猛暑下でのオーバーワークが引き金で故障したエレクトロラックス製ワインセラーの冷却ユニット。お役御免で取り外されたセラーに面した側()とメーカーが派遣した修理クルーが持参した取り付け前の冷却ユニットの放熱ヒンジがついた外側(

 翌朝メーカーに電話連絡すると、冷却ユニット内のアンモニアを加熱し、気化熱で庫内を冷やす熱吸収式サイレントカーヴの耐用年数は10年が目安とのこと。

 購入して20年以上が経つ日本製セラーがバリバリ現役なのとは対照的に、19年が経過したスウェーデン製セラーの冷却ユニットとコントロールパネルを交換する必要があるとの説明を受け、一刻も早い出張修理を依頼したのは言うまでもありません。

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 背面の冷却板を取り外す修理には、あらかじめワイン全てを取り出さなければならないとのこと。2年前の引っ越しで大活躍したモンテ物産のワイン専用段ボール17箱を取り出し、せっせと夜中に移し替え。仙台から西宮に引っ越した際の悪戦苦闘〈Luglio(7月)2017拙稿「イタリア瓶属 大移動」参照〉の記憶が蘇りつつ、終日つけっぱなしのエアコンのある部屋に200本を移動させたのです。

 この棚卸しにより、現状の在庫確認ができた副次的な恩恵があったにせよ、セラーに再収容することを考慮して作り手やヴィンテージなど体系的に箱詰めしたため、再び睡眠不足を招き、腰にくる作業であったことは確か。

 2日後の修理は2時間半ほどで終了上画像。後日お宝「ソライア'97」や前述の「バルバレスコ'64」を抜栓し、完璧な熟成保管状態を確認。とにもかくにも熱劣化は免れたようです。

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【Photo】セラー故障後、お世話になった方の壮行会で抜栓したソライア'97の御開帳@東心斎橋「PESCE ROSSO」。お裾分けしたシニアソムリエの小田さんを唸らせたパーフェクトな保管状態を確認。ポテンシャルの高さを実感した残り2本のソライア'97もきっと魅了してくれるはず

 修理代15万あまりとエアコン2台の手痛い出費38.5万円との三重苦、そして今年2月の経済連携協定(EPA)発効によりEU諸国産ワインの関税が撤廃された恩恵を打ち消す消費増税が10月に実施されました。踏んだり蹴ったりとはこのこと。

 遠からず再び訪れるであろう引っ越しに備え、ワインの新規購入は厳に慎まなくてはならない緊縮令は継続中なのです(TT)。

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投稿者 vam : 02:18 | カテゴリー : Vino ヴィーノ

2019/09/06

残暑はメッシュで乗り切ろう

庄イタ的 伊達者変身㊙テクニック

COOLなメッシュ地ホワイトシャツ


 1979年(昭和53)のイラン革命が引き金となった第二次オイルショックで原油価格が高騰。当時の大平正芳首相は半袖スーツ「省エネルック」着用を率先垂範。開襟シャツに合わせる「ループタイ」も登場し、シニアのごく一部に受け入れられますが、広がりには欠けました。致命的と言える〝格好悪い〟という理由で省エネルックが普及せぬまま迎えた翌年の夏、旗振り役だった大平首相が急死します。

 平成の時代も着用を続け、2017年鬼籍に入った羽田孜元総理とオーバーラップする省エネルックがこの先復活することはないと思っていた矢先、映画「記憶にございません!」で記憶喪失になる黒田首相と「アノ件は、アレで...」とヒソヒソ話をする森崎財務大臣は、朝ドラ「なつぞら」の牛飼い戸村悠吉とは一変した半袖&半ズボンの省エネスーツで登場。驚愕したところです。

 一方、2005年(平成17)、第二次小泉内閣で環境大臣を務めた小池百合子現東京都知事の提唱により、地球環境に配慮する取り組みの一環で、夏の室温28℃設定と共にクールビズ(Cool Biz)は急速に普及しました。

 ムーブメントの仕掛け人としては凄腕の遣り手かもしれない小池知事。猛暑対策が喫緊の課題となる東京五輪・パラリンピック向けに試作品を発表した頭に被る奇怪な日傘スタイル。来年は大ブレイクの予感???

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 お堅いイメージの銀行でさえ、三井住友銀行が本店行員の服装を自由化したように、夏場のクールビズはすっかり定着。就業中はオフィシャルな改まった場以外、夏はノーネクタイ&上着なしで過ごす時間が増えました。

 先々週から急に秋の気配が漂い始めた大阪。今週は蒸し暑さがぶり返し、週間予報では週末から来週初めにかけて猛暑日が続きます。去り行く夏を惜しむ今の時季、まだまだ活躍するトップスがドレスシャツです。

(例外も少なからず存在しますが)欧州各国の中でも身だしなみに気を遣う人の比率が特に高く、歴史上多くの天才を輩出した天性の造形感覚に恵まれたイタリア人にとって、服装は自己表現の一環。〝seconda pelle(第二の皮膚)〟といわれるシャツの着こなしは大切なポイントとなります。

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【photo】1972年から毎年1月と6月にフィレンツェで開催されるメンズファッションの展示会「Pitti Immagine Uomo ピッティ・イマジネ・ウォモ」。世界各国からバイヤーが集う会場となる「Fortezza da Basso(バッソ要塞)」周辺は、最新トレンドを全身で表現する気合の入ったいかにもな業界関係者の姿が見られる。最近はダメージジーンズにスニーカーなど、カジュアル化の傾向が顕著だというが、コチラは応用可能なレベルでドレスアップした3人。「senza cravatta センツァ・クラヴァッタ」(=ノーネクタイ)では第2ボタンはおろか第3ボタンも外すのがイタリアンスタンダードな胸元、そして小物を含めた全体的な色調のコーディネート、下画像ソフト帽姿の男性の袖口に返しをチラ見せする小技を利かせたシャツの着こなしに注目

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 着心地の良い服を作らせては右に出る者のないのが、ナポリ伝統の〝Sartoria サルトリア(仕立て屋)〟の手技です。服に着せられるのではなく、たとえタイトなシルエットでも体の動きにフィットする感動的なまでの軽やかな着心地は、袖を一度通しただけでも違いは明白。

 寒冷で湿潤なロンドンの気候でもよれない芯地と堅牢な服地を用い、肩パットを強調する構築的なシルエットとなるのが「背広」の語源だという英国のサヴィル・ロウ

 労働力としてその生産現場をかつて支えた南イタリア出身の職人が技術をフィードバックし、暑く乾燥したナポリで薄く軽い服地を編み出し、体にフィットする美しいラインを描くよう独自の発展を遂げたイタリアンテーラードの精華がナポリスタイルです。

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 肩の可動部に余裕を持たせ、袖山からドレープが入る仕立て上がりとなる「Manica Camica マニカ・カミーチャ(雨降り袖)」上画像に象徴される魔法のような着心地をもたらす〝Sartoria Napoletana(ナポリ仕上げ)〟と称される手間を惜しまない服作りの一端を「Cesare Attolini チェーザレ・アットリーニ」を例に見てみましょう下動画

 型紙を使わずに服地に直接チャコで線を引き、腕の立つ〝Sarto サルト(=テーラー職人)〟がハサミで裁断することで知られるナポリ特有の直裁ちも冒頭箇所で紹介されます。

※再生時に音が出ます

 服地大国イタリアでもハイエンドな「Loro Piana ロロ・ピアーナ」のような芸術品に等しいカシミア混紡服地をローマを本拠とする名店「Brioni ブリオーニ」あたりで金に糸目をつけず、かつ後顧の憂いなく注文できるのは、世界的スターやアラブの富豪。一庶民の庄イタには夢のまた夢の高嶺の花ゆえ、ここでは範疇外。

 ナポリではトラウザーズ(ズボン)専門サルトとの上下分業制によるジャケット専門サルトによる採寸・生地選び・型取り・裁断・くせ取り・縫製(仮縫い・中縫い・本縫い)・肩入れ・衿付け・袖付けに至るまで数多くの手仕事が加わります。穿ったボタンホールは手縫い仕上げ。徹底した省力化によるコストカットが最優先されるファストファッションとは対極ですね。

 夏服・冬服それぞれ(イタリアンテーラードの両雄ミラノよりも格安な)ナポリの相場として一着€2,500~(約30万円~)が目安とされる〝Sartoriare サルトリアーレ〟(=フルオーダー。英語では「Bespoke ビスポーク」とも)。

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 服地選びと採寸に始まり、仮縫い段階での微調整を丹念に行うフルオーダーとは言わないまでも、パターンオーダーを指す〝su misura ス・ミズーラ〟でも理想的なシルエットの一着を手にすることができれば、体の動きに負荷がかからないナポリ仕立てならではの魅力を体感できるはずです。

 路地裏の家族経営による小さなテーラードとしてスタートし、幾世代に渡る顧客の信頼を得て成功したナポリ発のプレタポルテ(高級既製服)ブランドとして日本でも見かける機会があるのが前出のチェーザレ・アットリーニのほか「Kiton キートン」「Isaia イザイア」「Stile Latino スティレ・ラティーノ」など。

kiton-Osaka.jpg【photo】日本国内で6店舗ある直営店の中で西日本エリア唯一のメンズ「Kitonヒルトンプラザ店」・住:大阪市北区梅田1-8-16 ヒルトンプラザイースト2F・営:11:00~20:00

 完成までに膨大な時間と相応の財力を要するオーダーメードを諦め、いわゆる「吊るし」の既成服だったとしても、着るほどに体形に馴染んでくる冬物のツイードでさえ着ていることすら忘れてしまいそうな天女の衣のような軽やかさで着る人の心を捉えて離さないのがナポリ仕立て最大の魅力です。

 その着心地に魅了され、Giacca(ジャッカ=上着)だけならと勇気をふり絞って衝動買いしようものなら、たちまちにして財布の中身までもが果てしなく軽く、その後の足取りはとめどなく重くなるというトラップが待ち受けてはいるのですが...。

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 イタリア語でシャツやブラウスを指す単語が〝Camicia カミーチャ(単数形)ないしはCamicie カミーチェ(複数形)〟。シャツ専業の工房〝Camiceria カミチェリーア 〟としてナポリで創業。伝統的なハンドメイドの結晶ともいうべきドレスシャツを届けてくれる「Finamore フィナモレ」と「Barba バルバ」を今回はメインで取り上げます。

※再生時に音が出ます

 蒸し暑い大阪で初めて迎えた2年前の夏。仙台の本社勤務では無論のこと、'90年代に過ごした東京での6年間でも購入したことのないハーフスリーブの日本製ドレスシャツを仕事着として新調しました。イタリアでは夏の定番である純白やライトグレーなどの明るい色のトラウザーズに合わせる目的です。

 ノーネクタイを前提に選んだのが、襟の開き角度が180°以上のカッタウェイカラー2着とブルー地に白襟切り替えのクレリック1着。ここ数シーズン愛用してきたカッタウェイカラーは、第1ボタンを(時には第2ボタンまで)外した時に襟羽のシルエットが型崩れしないことを実感していました。

 カッタウェイ2着は1976年(昭和51)に東京青山で誕生した「Fairfax フェアファックス」製。アイビー世代の創業者が憧憬を抱いていたアメリカントラッドを素地として現代風なヨーロッパのエッセンスを巧みに取り入れたオーセンティックなネクタイとドレスシャツを中心に展開しています。

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 シャツ生地はミラノから北東60kmほどのベルガモ郊外にある紡績の街アルビーノで1876年に創業した「Cotonificio Albini コトニフィーチョ・アルビーニ」画像下や1992年に同社の傘下となった英国発祥の「THOMAS MASON トーマス・メーソン」画像上など発色の良い光沢のある細番手の糸を使用したイタリア製を確かなジャパンクオリティの縫製で仕上げています。

 コシのあるコットン100%生地で青いブロックチェック柄シャツをトップスとする夏らしい通勤スタイルはこんな感じ下画像。勤務時間中は必要に応じてブルー系のジャケットを着用すれば礼を欠かない組み合わせです。

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 バッグはヴェネト州Vicenza ヴィチェンツァで1976年に創業した「Zanellato ザネラート」の「Postina ポスティーナ」。デザインの原型となったのはイタリアで郵便配達員が1950年代に使用していた革製バッグ。1952年の南イタリアを舞台とする映画「イル・ポスティーノ」の主人公マリオも使っていました下画像

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 背抜き仕様の上着を収容する局面を考慮し、手提げ・肩掛け・ストラップと多彩な持ち方ができる定番モデルのLサイズを選択。耐水処理された柔軟性の高い牛革ストラップとコットンキャンバス地にPVCコーティング加工を施した耐水性の高い素材にBlandine ブランディーンと呼ばれる波形の文様が夏らしい雰囲気。

 足元はナポリのシューメーカー「Calpierre カルピエーレ」が、ヴェネト州ヴィチェンツァで創業した「Bottega Veneta ボッテガベネッタ」でお馴染みのイントレチャート(編み込み)を施した箇所にフランスの「Berluti ベルルッティ」が得意とするパティーヌ(ぼかし)の技法を駆使してハンドペイントした(☜ いささかややこしい?)サマーシューズ。夏に欠かせないメッシュのレザーベルトは鉄板の組み合わせかと。

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【photo】オリジナル(下画像)はイントレチャート部分だけに濃色系のパティーヌ処理が施されていたが、靴の色に合わせてメンテナンス用に購入した濃淡2色のクリームを活用、セルフでつま先にも濃色のぼかしを加えるアレンジを加えた(

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 帰省の大混雑で疲労困憊することが必至のお盆期間中は3年続きで関西に残留。県人会(☜ 前世出自のピエモンテ州クーネオ県人会にはあらず)から招集がかかった甲子園の応援以外は通常モードで過ごしました。通勤で利用する阪急電鉄神戸線や大阪メトロ御堂筋線の車内も空席が目立ち、淀屋橋から北浜にかけてのオフィス街は人影まばら。メールのやり取りや電話もまばらなそんな日の通勤着は、普段よりリラックスした組み合わせも許されます。

 汗をかく季節はいつにも増して清潔感が大切。爽やかなライトブルーで清涼感のあるコットンベース素材のボトムスと組み合わせるトップスは3択下画像

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 手堅い本命は「Guy Rover ギ・ローヴァ」のエッセンスと品質をお手頃プライスで提供する「Antonio Laverda アントニオ・ラヴェルダ」製のサックスブルーの4mm幅ロンドンストライプ柄のロングスリーブシャツ上画像・センター。質感がパンツとほぼ同じコットンとリネンの混紡で、第一ボタンのないワンピース仕立てのイタリアンカラーが夏らしさを演出します。

 対抗馬と大穴はFinamoreのスポーティラインを意味するグリーンタグの2枚。モデルごとボディ形状は地名、襟型は人名で細分化されるフィナモレは、シーズンごと豊富なバリエーション展開も魅力です。

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 2シーズン前に購入した淡いスカイブルーをベースにワッフル状の白い網目が覆うソフトなコットン製でホリゾンタルの襟羽の長さ90mm、35mmサイズ台襟の「Simone シモーネ」。スタンダードな着丈の「Tokyo」はIn & Out両方の着こなしが可能上画像・上。そして昨年購入したよりスリムなシルエットで製品洗いを施したヨレ感のあるブロード地にライトブルーのブロックチェック柄というカジュアルなテイストながら、3.8mmサイズのやや高めの台襟ゆえ、紺無地ジャケットとの相性が良い1枚上画像・下

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 タイアップスタイルが似合う襟型「Eduardo エドゥアルド」や「Luigi ルイージ」などドレッシーな商品も展開するフィナモレ。シェイプの入った全体的にスリムなシルエットで肩幅がタイトな造りは共通します。小さめのアームホールながら、袖の取り付け箇所を肩のカーブを描くよう「いせ込み」を十分に取ってあるため、動きに対するストレスは感じさせません。

 着心地を左右する袖付け上画像ほか、衿付け、肩と前身の切り替え部分「ヨーク」、前後の身頃の裾合わせ箇所に「F」のイニシャルが入る補強パーツ「ムーシェ(英語ではガジェット)」、ボタンホール、イタリアンハンドメードの目印でもある鳥足縫いによる貝ボタンの縫い付けに関しては全て手縫いされます下画像(手仕事ゆえにボタンがポロっと剥落しやすいのはご愛敬)

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 三択の中でワッフル地のプレーンなシャツでは上下の色調のメリハリがなさすぎます。ボトムスと色味が近いライトブルーが無難な選択となるロンドンストライプではなく、普段はもっぱら休日用だったチェック柄シャツをトップスに持ってきました下画像

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 昨年購入したスペイン王室御用達の「MAGNANNI マグナーニ」のローファー「Rolly ローリー」下画像奥は、英語で〝怠け者〟を意味する「Loafer ローファー」に由来するカジュアルな性格の靴。その日の通勤スタイル向きでしたが、コニャックと称される文字通り琥珀色の色合いは淡色系の服には濃すぎます。

 マグナーニは、オバンケ製法と呼ばれるソールの土踏まず部分がアッパーの両サイドにせり出す独特なデザインがアイコンとなるモデルを多く手掛けています。庄イタはこの意匠が好みではないため、今シーズン購入したオーソドックスなボローニャ製法のレースアップ「Leyton レイトン」下画像手前を選びました。一枚皮ホールカットに配したメダイヨン装飾と手染めのムラ感が程よいヴィンテージ感を醸し出します。

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 ちなみにレースアップの革靴を脱ぐ時は、紐穴を傷めないように靴紐を緩めてから解き、履く時のために靴ベラを携帯するのが紳士の常識。世の男性諸氏、粗野な立ち振る舞いは慎みましょう。

 3つ打ロープ状ストラップの紺色×生成りのマリンカラーとベルトの風合い&配色を合わせた夏季限定で使用する「Bonfanti ボンファンティ」の二代目トートバッグや黒の文字盤がロックアイス入りアイスコーヒーのグラデーションな色合いへと退色している1940年代製OMEGAシーマスターを含め、全体として海に呼ばれている感じでしょうか。

 いずれも王道の同系色を基調にイタリア人が好む〝Azzuro e Marrone アッズーロ・エ・マッローネ〟と称される青系と茶系の組み合わせとなります。

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 肌が汗ばむ季節、上着を着用するなら本来は長袖シャツが望ましいところ。この夏、前述したハーフスリーブ以外に登板回数が多かったのが、Barba製メッシュ地素材のドレスシャツ。

 シーズンごと顕著な流行があるレディースほどドラスティックではないにせよ、メンズにもトレンドは訪れます。〝俺はレギュラーカラーひと筋だっ!〟と仰る質実剛健を旨とする方には無関係ですが、ドレスシャツの襟型がカッタウェイやホリゾンタル全盛だったここ数年の流れに変化の兆しが出ているのだといいます。

 実際、Barbaでは最もドレッシーな「Classica クラシカ」とカジュアル仕様の「Dandy Life ダンディ・ライフ」の中間的なモデルで今シーズン購入した「Culto クルト」の襟型は、180°のホリゾンタルより開き角が狭いワイドカラー程度下画像

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 庄イタの勤務先は服装に関する縛りがさほど厳しい業界ではなくとも、上着を着用する局面が出先を預かる仕事柄ゼロではありません。よって、夏場は職場のハンガーには数着の上着を、ロッカーにはネクタイ数本を常備してあります。

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【photo】通気性が良いメッシュ生地のBarba Culto。空気が乾燥した地中海性気候で素肌にドレスシャツを着るイタリアとは違い、蒸し暑い大阪でこの結構な透け方では夏の必需品となる冷感素材アンダーシャツが丸見え? ところがどっこい、意外なことに視覚上の透けが気にならない優れもの。質感が良い白蝶貝のボタンは鳥足縫い

 5,6年前にも同様の夏季限定メッシュ素材のシャツを購入し、熱がこもらない通気性の良さを実感していました。柔らかなフラシ襟は身頃と1枚生地でワンピース仕立てされており、ノーネクタイで立ち上がる襟羽が美しい曲線を描きます。

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 ボディの後身頃には強めのバックダーツが入っており、ウエスト回りがシェイプされ、男性的なシルエットが自然に形作られるよう計算されています。

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 ホワイトシャツのトラウザーズは無彩色のカップリング。やや青みがかったこのグレーは青系の上着と組み合わせを考えての選択。シャツがメッシュ生地ゆえ、夏限定で使う細かいダイヤ型のメッシュが全体に配された「アルマーニ・エクスチェンジ」のトートバッグ(☜ 実はレディース!)で素材感を統一。
 
 スーツと同様、シューズも英国派とイタリア派が二大勢力。「John Lobb ジョン・ロブ」を頂点とするイギリス靴は武骨なフォルムが好みではなく、イタリア的な雰囲気のあるスペイン靴マグナーニに2回だけ浮気した以外、色気のあるイタリア靴をもっぱら愛用しています。

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 細身のロングノーズでスクエアトウのメダイヨン装飾がスマートな「Santoni サントーニ」の内羽根式レースアップシューズは、ご覧の通りザネラートのポスティーナとのカップリングも完璧(...のはず)。上画像 

 今日も明日も大阪市の予想最高気温は35℃の猛暑日。厳しい残暑が続くこの先しばらくはBarbaのメッシュ地シャツが活躍する日が続きそうです。
 
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投稿者 vam : 07:08 | カテゴリー : Prodotto Italiano

2019/08/25

モヤモヤ さまぁ~ 2019

夏のモヤモヤあれこれ


 テレビ東京系では日曜日のゴールデンタイムに放送中の「モヤモヤさまぁ~ず2」的な今回のタイトル。

 通称「モヤさま」は2007年に深夜帯で放送が始まった当初から、低予算を逆手に取った何もなさそうな地味な街に眠る地上の星を発掘すべく、三村・大竹のボケ&突っ込みを受けつつアシスタント役の女性アナの3人が面白おかしく街歩きをする内容です。

moyamoya-summers.jpg 2010年、ゴールデンタイムに進出。時間を30分拡大した翌年の2014年には初の欧州ロケでローマに遠征。順風満帆なモヤさまと同じ2007年に立ち上がったViaggio al Mondo~あるもん探しの旅は、ローマ弾丸ツアーすら果たせずにいます。

〝無いものねだりではなく、足元のあるものに光を当てる〟という、モヤさまと相通じるViaggio al Mondoの基本コンセプトは今後もブレずに参ります。

【photo】DVD「もやもやさま~ず2 世界ブラブラシリーズ 第1巻 ローマ編」2,800円(税別)©2018 TV TOKYO

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 残暑お見舞い申し上げます。

 二十四節気で厳しい暑さがひと段落する頃を指す「処暑」を過ぎ、夜の帳(とばり)が下りると秋の虫の囁きが聴かれるようになったとはいえ、日中は暑い日が続きます。1日中エアコンに頼らざるを得ない朝の最低気温が29℃、日盛りに体温はおろか40℃を越えてボディブローのように体力を消耗させた酷暑も先週からはひと段落の気配。

 8月上旬をピークとして、不順な天候となった先週をもってようやく鳴りを潜めたのがクマゼミの大合唱。つい先日まで玄関の扉を開けると耳に飛び込んできた夙川公園の松並木から響く「死ね 死ね 死ね...」と聞き取れる呪詛のごとき耳障りな鳴き声で不快指数は一気に上昇します。

※再生時に音が出ます

 熱帯夜明けの出勤を前に朝からゲンナリすること夥(おびただ)しい我が夏の天敵は、他のセミを駆逐し跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する西日本から10年ほどで南関東~北陸まで生息域を拡げています。

 ブナの原生林に輪唱がこだまするエゾハルゼミや哀感漂うアリアを詠唱するヒグラシほか、アブラゼミ、ミンミンゼミなど、いずれ劣らぬ美声の持ち主が共存する東北地方。情緒など微塵も感じないダミ声のクマゼミ軍団が東北を浸食せぬよう、早急に手を打たねばなりません。

 太平洋側「勿来の関」(福島県いわき市)から内陸の要衝「白河の関」(同白河市)を経て日本海側「鼠ヶ関」(山形県鶴岡市)までの奥羽越防衛線にメスが発するフェロモンでオスをおびき寄せる「クマゼミホイホイ」を大量設置し、クマゼミ浸入を食い止める大捕獲作戦に打って出なくては、と真剣に危惧している今日この頃。

※再生時に音が出ます

 クマゼミと同様、人間も環境に順応する生き物ゆえ、クマゼミと共生してきた大阪ネイティブの方に言わせれば、庄イタの耳にはただ耳障りなだけのクマゼミの蛮声も季節の風物詩にしか感じないと口を揃えます。

 災害級とさえいわれた昨夏を乗り切り、関西の蒸し暑さニモマケヌ〝心頭を滅却すれば火もまた涼し〟の極意は体得するも、〝心頭を滅却すれどクマゼミはただ鬱陶し〟の域から脱せていない令和最初の夏なのです。

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 日本のみならずアルプス以北の欧州でも40℃を超す熱波に襲われ、猛暑による犠牲者が出たこの夏。男女問わず小麦色に焼けた肌を自慢し合うイタリア人の目からすれば、過剰反応としか映らないであろう日傘を差す男性を少なからず大阪では目撃しました。

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【photo】不要不急の外出を控えるよう呼びかけがなされた7月某日、梅田地下街から地上に出た大阪市北区堂島。前方を歩く男性が強烈な大阪の日差しを避けるべく日傘を手に歩みを進める。昨年までは残っていた日傘男子の奇異感は薄れつつある中、東京都は2020東京五輪に向けて頭に被るタイプの日傘を発表。いっそ男性は日本伝統のフルフェイス虚無僧笠や時代劇に登場する浪人笠(京都「東映太秦映画村」のお土産で入手可)、女性はベトナム風編み笠+ボヘミアン調レースの涼しげなシースルーのアオザイに挑戦するのは攻めすぎだろうか

 盆地ゆえに暑さが頭一つ抜きん出る京都やフィレンツェの夏の猛烈な暑さを経験している庄イタ。関西で迎える3度目の夏は、昨年と比べればまだ過ごしやすく感じています。

 日中戦争から太平洋戦争における日本人だけで310万人に上った犠牲者を悼み、不戦の誓いを新たにする8月15日は、聖母マリアが帰天した聖母被昇天の祝日「Ferragostoフェッラゴスト」でカトリック国のイタリアでは祝日となります。日没が早まるこの頃を境に朝晩は秋の気配を少しづつ感じるようになるのが通例なのですが、今年はどうなのでしょうか。

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 ただでさえ高止まりする不快指数をより一層上昇させる出来事が、この夏2件ほどありました。

 まずは直接の実害があった話から。20年稼働した206本収納可能なワインセラーが耐用年数を超え、アンモニア熱吸収式の冷却機能が正常に働かなくなっていることに気付いたのが、6月16日の夜。14℃に設定していた庫内温度が実際には24℃ほどだったのです。

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【photo】記録的な猛暑となった昨年夏は3台のワインセラーがフル稼働。冷却ユニットに負荷がかかったためか、最も収容本数が多いセラー、名付けて「Ariadnē アリアドーネ」ちゃんに不具合が発生。設置してある部屋にはエアコンがないため、引っ越しで大活躍した後は保管していたモンテ物産の段ボール箱16箱に約200本を移し替えてエアコンのある部屋に移動《2017.7拙稿「イタリア瓶属大移動 神様 仏様 モンテ物産様」参照》。修理が完了し、設定温度に下がるの確認してから再び15mの距離を往復した。セラーに収まりきらない過剰²在庫は、中が発泡スチロールで断熱性が高いPeckの6本入ケースに収容。そうした2軍扱いは新規購入を抑えているため4箱分までに減った

 6月中旬の入梅前とはいえ最高気温が28℃に達する日もあり、時価総額にしてそれなりの額になるワインの熱劣化が懸念される非常事態でした。そこで翌日メーカーに急ぎの出張修理を依頼。背面の冷却ユニットと庫内のコントローラーを交換してもらいました。

 修理を待つ数日の間、庫内のワインは全て取り出して引っ越し時に大活躍した段ボール箱へと移し替え、24時間エアコンを稼働させた部屋に移動。睡眠不足を招いた真夜中の棚卸し作業により、過剰在庫の再確認ができたのは怪我の功名と言うべきでしょうか。

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 そうして冷却機能が復旧した後、中に入っていたBarolo'64やSolaia'97などを抜栓しました。いずれも状態は素晴らしく、'60年代ヴィンテージ以降の優良年をかき集め、熟成したお宝が劣化する最悪の展開は避けられたようです。

 それでも、修理クルーお2人による出張修理費用と部品交換代として、当然のこと出費として想定していなかった大枚が泡と消えたのです。

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(なぜか家電の不具合は重なるもので、現在は賃貸で人様にお住まい頂いている仙台の拙宅2階のエアコンまでが同時期に故障(TT)。ええぃ、こうなりゃ平成初期に購入した1階リビングのエアコンも増税前にまとめて消費電力が少ない最新型に買い替えだっ!!! こうして三重苦となった出費の憂さ晴らしのため、寝耳に水だった故障発覚から修理完了までの皆様にとってはどうでもいいであろう事の顛末は追って詳報。.....するかも)

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 そして2つ目が佐川宣寿(のぶひさ)元近畿財務局理財局長らが関与した森友学園への国有地売却にからむ財務省近畿財務局による背任や有印公文書変造・同行使に関し、嫌疑不十分だとして大阪地検特捜部が再び不起訴とした一件。

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【photo】学校法人森友学園に払い下げられた国有地に建設が進んでいた小学校「瑞穂の國記念小學院」(撮影:2019年8月)。不透明な国有地売却の経緯にまつわる疑惑が明るみとなった2017年2月から4月の開校を目前に校舎建設はストップ。工事代金の支払いや大阪府からの補助金返還を求められ16.5億の負債を抱えた森友学園は民事再生法による自主再建を目指す。財務省は原状復帰での土地の返還を学園に求めているが...
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 現政権がモリカケ問題の幕引きに躍起だったのは誰の目にも明らか。財務省関係者らが文書改ざんに手を染めた経緯が明らかにされるべき司法の場で、いわく付きの国有地だったにせよ国民共有の財産が8億2千万円も値引きされ、首相夫人が名誉校長を務めていた小学校「瑞穂の國記念小學院」の開校を準備していた森友学園側へ2016年6月に売却されました。その経緯をつまびらかにする機会を検察自らが放棄したのです。

 第二次安倍政権は「内閣府人事局」を2014年に新設。検察庁を含む官公庁の幹部職員人事に時の政権の意向が反映する弊害を危惧する声が聞かれます。日本国憲法15条2項には〝公務員はすべて国民全体の奉仕者であって一部の奉仕者ではない〟とあります。人事権者への忖度が働いたとしか思えない大阪地検は、法の番人としての存在意義を問われているのです。

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 2017年2月の衆院予算委員会に参考人招致された佐川氏は「交渉記録は全て廃棄した」と答弁。泥を一身にかぶった格好の佐川氏は、内閣府人事局のとりなしで財務官僚トップの事務次官に次ぐポストとされる国税庁長官に就任するも8カ月後に依願退官に追い込まれます。昨年3月、同氏は国会証人喚問の席上、刑事訴追の恐れがあることを理由に55回も質問への証言を拒んでいます。

 不起訴が確定し、訴追される可能性が消えた今だからこそ、近畿財務局の担当職員が自死に追い込まれ、それが労災だったと国が認定したほどの深い闇を抱えた重大な事案の経緯と真相を改めて国会の場で明らかにすべきだと考えます。

 良識ある国会議員諸氏(←とはいうものの、欠陥の多い小選挙区比例代表制の恩恵に胡坐をかく政権与党内は「魔の三回生議員」は言うに及ばず、大政翼賛会ばりの有象無象ばかり。確固たる対立軸の登場を期待するも、7月の参院選では組織票が有利となる相も変らぬ低投票率のもと、支離滅裂なN国党がまさかの議席を獲得。永田町では今や絶滅危惧種か?)、そして見識の高い有権者の皆さま、いかがでしょうか。

【Movie】森友学園前理事長、籠池泰典と諄子夫妻による補助金不正受給に関する裁判の第3回公判が8月26日に行われる大阪地裁。クマゼミが発する「死ね死ね...」と聞こえる呪詛の声には耳を貸さないであろう巨悪に屈した大阪地検は刑事被告人を追求する資格があるのだろうか

 3期までと定められている自民党総裁任期の延長を党の幹事長が公言してはばからない日本とは対照的にイタリアでは昨年6月に発足した連立政権を率いるコンテ首相が8月20日に辞任を表明しました。

 南部に支持基盤を有する反エスタブリッシュメント(既存勢力)政党の「五つ星運動」と北部が基盤となる右派「同盟」のハイブリッド型の大衆迎合連立政権は、成立当初から危うさを指摘されていましたが1年足らずで懸念が現実となった格好です。

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【Movie】反移民・反イスラム・反同性婚など保守的な主張を掲げ、北イタリア地域を中心に支持を広げてきた極右政党「同盟」。ルイージ・ディマイオ副首相率いる反既成勢力政党「五つ星運動」との連立によるジュゼッペ・コンテ内閣のもとで副首相兼内相に就任したマッテオ・サルヴィーニ同盟党首は、さらなる党勢拡大を目論み8月8日に内閣不信任案を提出。これを受けてコンテ首相は20日の上院議会で辞任を表明。不安定なイタリアの政局が一気に流動化した

 G7の中ではイタリア同様に日本も首相が頻繁に入れ替わっていた時期がありました。権限拡大に奔走する習近平率いる中国やプーチン体制のロシア両国の専制独裁は言うに及ばず、昨年9月の自民党総裁選で対抗馬となった石破茂氏が領袖の石破派所属議員への冷遇ぶりからも明らかな通り、権力の座に長く居座る政治にはマイナスの側面が少なからず出てくるもの。

 参院選で安倍首相が札幌で行った街頭演説に対してヤジを飛ばした複数の聴衆を警察権力が現場から排除したかと思えば、名古屋では政治がらみのデリケートな題材だけに賛否両論渦巻いた作品が含まれていたにせよ)政治が芸術に検閲という形で介入した戦前の日本やナチスドイツ時代を想起させる出来事も。そうして令和初の夏は終わろうとしています。

 日本は立憲主義に基づく国民主権を掲げる民主国家であるはず。法のもとで正義が貫かれ、多様な声が封殺されず、せめて言いたいことが言える風通しの良い世の中であってほしいものです。

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 世間では胡散臭い鬱陶しい出来事が目についた夏でしたが、次回「地球温暖化はメッシュ生地で乗り切るべし」では、限りなく不透明に近いグレーな闇と立ち込めたままのモヤモヤを吹き払うべく、真っ白でシースルーな話題に切り替えます。 

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投稿者 vam : 08:32 | カテゴリー : ・Fuori Tohoku 圏外遠征

2019/07/28

CiRO a Akashi チーロ @ 明石 〈後編〉

 プロローグ「局地風に関する一考察」、「Strada per CiRO a Akashi チーロ @ 明石への道」では魚の棚で寄り道。〈前編〉〈中編〉と刻んで今回の〈後編〉で「CiRO a Akashi チーロ @ 明石」は完結を見ます。

 唐突ながらゴルフに例えれば、最終ロングホールのドライバーショットを局地風にあおられて深い林に打ち込み、2打目は斜め後方フェアウェーに出すだけ。挽回せんと力んだ3番アイアンをダフって3打目をチョロ、かろうじてグリーンエッジに5オン。オーバーした6打目の返しはカップをなめて3パット。無念のトリプルボギーでホールアウトといったところでしょうか。

 吉幾三の「これが本当のゴルフだ!!」を地で行くこんな珍プレーとは無縁なのが日本プロゴルフ選手権大会。最終日の7月7日、プレーオフにもつれ込んだ激闘の末、石川遼選手は国内メジャーツアー3年ぶりとなる優勝を果たしました。カートにぶつけた1打目がフェアウエーに戻り、4mのイーグルパットを沈めて逆転優勝を決めるや歓喜の雄叫びを上げた石川遼プロのような劇的な幕切れを望むべくもないのがViaggio al Mondo

sign-CiRO.jpg 足を洗って久しいゴルフに熱を上げる訳もなく、観戦そっちのけの場違いな前世イタリア人ギャラリー若干1名。ティーグラウンド脇のCiROなる看板を掲げる茶屋に居座り、2本目のヴィーノ・ビアンコを飲み干しつつ、ピッツァ・ナポレターナと海鮮ナポリ料理、ナポリ菓子と〆のカッフェに舌鼓を打っていたことが明らかになります。

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 Trattoria Pizzeria CiROトラットリア・ピッツェリア・チーロを2度目に訪れたのは3月14日(木)。後ろめたさを覚えること無く昼飲みができるのは、その日が4日前の休日出勤の代休だったから。
 
 世界各地で栽培されるシャルドネやカベルネソーヴィニョン、メルローはいわずもがな。3000年に及ぶワイン醸造の歴史を有し、個性豊かな地方固有のブドウ品種が全土に存在するのが多様性の国イタリアです。

 コスパに優れ、日々の食事と合わせやすいイタリアワインの魅力を良く知る〝飲むリエ〟を自負する庄イタでも、今なお発見や驚きに満ちています。好みの一つの傾向として、北イタリア・チロル地方原産「トラミネール・アロマティコ(=ゲヴュルツトラミネール)」のような香りに特徴があるワインを挙げることができます。

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【photo】南北イタリアお薦め香り系白ワイン from 庄イタ's セラー。(左より)アルト・アディジェ州の小規模なブドウ農家300軒余りが加盟する協同組合Tramin トラミン。「Gewürztraminer ゲヴュルツトラミネール2017」とその上級版で15年は熟成を続ける「Nussbaumer ニュスバウマー2006」。心地よいライチの香りを主軸とするスタンダード版のゲヴュルツトラミネールでさえ原産地としての血筋の良さは明瞭。Viticoltori De Conciliis デ・コンチリス「Cilento Fiano Donnaluna チレント・フィアーノD.O.Cドンナルーナ2009」(2018.7拙稿「さくらぐみ @赤穂 そこは紛れもなくナポリだった」参照)、フィアーノなど絶滅の危機に瀕する土着ブドウ品種復活に中心的役割を果たしてきた1878年創業のMastroberardinoマストロベラルディーノが標高550m近辺の自社畑で栽培するフィアーノで醸した1クラス上の「Radici Fiano di Avellinoラディチ・フィーアノ・ディ・アヴェリーノD.O.C.G 2017」、前回ご紹介した1回目のCiRO訪問時に飲んだ「FiaGreフィアーグレ」の作り手Antonio Caggiano アントニオ・カッジャーノの醸造責任者ルイジ・モイオが、2001年に立ち上げた自身の醸造所Quintodecimoクイントデーチモ。バリック樽の嫌みがなく品種の個性が輝く至高の1本「Exultet Fiano di Avellino エクスルテト・フィアーノ・ディ・アヴェリーノD.O.C.G 2017」

 CiROのワインリストの中で、南イタリアの香り系白ワインでは最良の選択肢の一つと言ってよい「Fianoフィアーノ」100%のヴィーノ・ビアンコがあるのに目が留まりました。

 その最適地、カンパーニャ州Avellinoアヴェッリーノでも理想的な栽培条件に恵まれたLapioラピオに畑と醸造所がある「Rocca del Principe ロッカ・デル・プリンチペ下画像

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 イタリア国内で最も影響力があるワインの評価ガイド「Vini d'Italia(通称:ガンベロ・ロッソ)」で毎年1軒だけが選出される「Cantina emergente(=卓越した新進気鋭の醸造所)2009」に選出。ここ10年ほどで急速に頭角を表してきた注目の作り手です。

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 EU域内で生産される農水産加工品が厳格な規定をクリアしていることを示す最高ランクの品質保証が「D.O.PDenominazione di Origine Protetta デノミナツィオーネ・ディ・オリジネ・プロテッタの略)」保護原産地呼称。その認証を得ていることを示す赤いマークが記されたD.O.C.G.Fiano di Avellino フィアーノ・ディ・アヴェッリーノ」のバックラベル記載のVendemmiaヴェンデミア(=収穫年)は2016上画像

 山容を劇的に変えるほどの大火砕流でポンペイを噴石と火山灰で埋め尽くした西暦79年以外にも直近では1944年まで幾度となく噴火を繰り返してきたヴェスビオ山。

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【photo】紀元前2世紀に建造され、79年の噴火による噴石と火山灰とで1800年もの間封印され、1879年の発掘後に「Casa del Centenario」と名付けられたポンペイ屈指の裕福な家の壁画(一部)。ブドウの化身となったバッカス神(左)の背景として、山頂部が吹き飛ばされた現在とは異なるヴェスビオ山の姿を伝える

 その火山性土壌が広がる畑の500m~650mという標高の高さに由来する硬質なミネラル感と柔らかくも綺麗な酸味が、トロリとしたテクスチャーの中に蜂蜜や花の心地よい香りと重層的に重なり合い、長い余韻を残します。

 それは匂い立つような美しさが内面からも滲み出る女性とすれ違った時、去来する高揚感に相通じるとでも言いましょうか。(☜ 視線をロックオンしたまま、180°後方に頸椎ねん挫の寸前まで振り返るのが男子たるものの礼儀であるイタリア的表現)

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 この日も〝前菜+ピッツァ+パスタ+メイン(肉or魚)〟を組み合わせた「トラットリアコース」(昼夜とも3,850円)で、メインのセコンドピアットは店一番のオススメ「本日の魚料理」(単品1,600円~)。

 前回述べた通り、刺身は小鉢に3~4切れで充分ゆえ、鮮度で勝負!!的な生モノの船盛りにはゲンナリする庄イタ。火を通して調理する前提の大皿から溢れんばかりの真ダイやセイゴ、オマールエビなどを前に胃袋が臨戦態勢に下画像

 コチや地元では〝バケシタ(=化け舌)〟と呼ぶシタビラメといった前回の顔ぶれとは少し入れ替わっている選択肢の中で選んだのが、サワラの若魚サゴシ。

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 明石浦では脂が乗る産卵前の秋口から冬場のサワラを珍重するようですが、フロアスタッフの方と相談の上で窯焼きにしてもらうことに。

 突き出しはメニュー冒頭の店長オススメ季節のナポリ料理から、家人が所望した「播州赤穂産の殻付きカキ窯オーブン焼き」(単品230円/1個)のお裾分け下画像

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 兵庫県の瀬戸内側では相生と共にカキの養殖が盛んな赤穂坂越(さこし)。絶妙な火入れ加減により、シーズン最終盤といえど、お約束のミルキーさはしっかりと感じられます。繊細なエキストラヴァージンオイルのフレーバーが加わった焼きガキにレモンを3滴ほど搾り、フィアーノと共にペロリ。この一口&一杯でナポリ湾を望むポジリポの丘やソレントのテラス席を備えたレストランへとワープできそうな妄想に浸れます。

 前菜はグランドメニューから、新鮮なヤリイカ、サルエビ、イワシをカラっと揚げ、レモンを搾って頂く「明石産 海の幸のフリットミスト」(単品2人前940円,追加1名ごと+470円)下画像

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 その日は平日だったため、ピッツイヨーラの小谷紀三子さんが薪窯の前においででした。前回はマルゲリータとのハーフ&ハーフで頂いた明石ダコとケイパーをトッピングしたマリナーラをフルサイズにバージョンアップ。「マリナーラ・コン・ポリピ」(単品1,790円)下画像

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 ピッツァの縁コルニチョーネは綺麗なキツネ色に焼きが入っており、別嬪さんな仕上がり。香ばしい小麦とタコの甘味は相性が良く、トマトソースの甘酸っぱさをベースにオレガノとケイパーが心地よい香りを添えてくれます。

 焼き上がったばかりの薫り高い生地と具材の調和のとれた味わい、サックリ・モッチリな食感。う~む、コレは旨い。

 この2度目の訪問から4か月後の梅雨明け直前の某日、クルマで赤穂へ向かう道すがら、小谷夫妻がおいでのCiROに立ち寄りました。マリナーラの別アレンジで、シラスをトッピングした「チチニェリ」下画像をオーダー。雨混じりの蒸し暑い日でしたが、この日のピッツァは3月の訪問時と比べ、生地の印象が硬めでした。

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 中心部の生地のモッチリ感と仕上げのオリーブオイルのもう一振りが追加されると、より庄イタ好みだったかもしれません。あくまで個人的な好みではありますが。

 余談ながらその日は昼食はCiRO@明石、7月からお手頃なコースを追加してメニューを刷新した赤穂さくらぐみ、翌日の昼食はミオ・エ・テンプリーナ@赤穂という、さくらぐみファミリーを巡る2日間となったのでした。

 パスタはグランドメニューからナポリ名物のパスタ料理「frutti di mareフルッティ・ディ・マーレ」に該当する「いろんな貝とトマトのスパゲッティ」(単品1,530円)下画像を。ムール貝とアサリを殻付きで火にかけた白ワインと貝の旨味が凝縮したソースが乾燥パスタのニョッキに絡みます。

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 7月のCiRO再訪時、最も印象に残った料理が、仕入れによって手長エビやクルマエビを使い分ける「本日のエビとフレッシュトマトのリングイーネ」(1,680円)でした下画像。背開きした殻の中のふっくらとした身と濃厚なミソも味わえるScampiスカンピ(手長エビ)を丸ごと4尾使用。冷凍で輸入されるスカンピは身がパサパサであることが時にありますが、これは違いました。

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 特筆すべきは、口の中で炸裂するスカンピの旨味エキスが滲み出したソースの美味しさ。魚介系ソースによく合うリングイーネとの相性抜群で、病みつきになりそう。パンをお願いしてソースを皿からあらかた絡めとりたい衝動に駆られたのでした。

 ニョッキ・アッラ・フルッティ・ディ・マーレに続いて尾から頭まで40cmサイズの食べ応え充分なサゴシがドーンと登場。

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 ホロホロとした食感は若齢魚のサゴシならでは。春先に回遊してくる瀬戸内ではタイに負けず劣らず美味とされるのも頷ける旨さを堪能すべく、ほのかに甘い身の8割方は添えられたレモンを搾らずに頂きました。機会があれば、秋から冬場にかけて脂が乗ったこの出世魚も食べてみたいものです。

 この時点で物理的に胃袋の許容量を超えていましたが、ドルチェに限らず甘い誘惑には滅法弱いのがイタリア人男性の常。前世由来の〝あまから二刀流〟を標榜する庄イタ。消化器系は別腹が即座に発動するラテン仕様なのです。

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 前回訪問時に持ち帰りしたスフォリアテッラと同様、ナポリの定番ドルチェがスポンジ生地にラム酒をたっぷりと染み込ませた「Babà ババ」上画像 。フランス菓子のサバランと形状が異なるだけで基本的な風味は同じです。

 生クリームとイチゴが添えられたババのアレンジはベリー類を多用するナポリスタイルそのもの。

 〆の定番エスプレッソは、ナポリがハプスブルグ帝国支配からスペイン・ブルボン朝統治に移った1733年、ナポリ王カルロ7世を名乗ったカルロス3世に敬意を表した「Borboneボルボーネ」のカッフェ。

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 アラビカ種のみならず力強さをもたらすロブスタ種の豆を適度にブレンド、イタリア半島を北から南下するほど量が少なく濃厚になる傾向が顕著なのがエスプレッソ。ゆえにナポリ以南やシチリアのエスプレッソを味わってこそ、その真髄に触れることができるのです。風味がまとまるコーヒースプーン2杯以上の砂糖を入れて何十回もかき混ぜ、さっと飲み干すのが粋な飲み方。

 ババのカロリーを考慮して砂糖はスプーン1杯半、撹拌の回数はカップの底に砂糖が残る20回程度に留めて食事の仕上げとしました。

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 〈前編〉から〈後編〉までのシリーズを通して、CiROが、ナポリピッツァに限らず美味しいナポリを堪能できる店であることは充分にご理解いただけたと思います。

 ただでさえ競争率が高い予約の狭き門のハードルを更に上げることを承知の上で、皆様も是非一度、CiROを訪れることを強くお勧めします。

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トラットリア・ピッツェリア・チーロ

・住:兵庫県明石市本町1-17-3 ゑびや第2ビル1F
・Phone:078-912-9400
 ※予約は2週間前の9:30から電話で受付け(月曜除く)

・営:昼 11:30~L.O. 14:00
   夜 18:00~L.O. 21:00
   月曜定休(祝日の場合は翌日休)
・Pなし(近隣のコインパーキング利用)・禁煙
・URL: https://www.facebook.com/TrattoriaPizzeriaCiro/
 

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投稿者 vam : 10:24 | カテゴリー : Cuccina Italiana/| カテゴリー : ・Fuori Tohoku 圏外遠征

2019/07/07

CiRO a Akashi チーロ @ 明石 〈中編〉

 Viaggio al Mondo ~あるもん探しの旅」で飲食店を取り上げる場合、最低2回以上は店を訪れることを自らに課していることを前々回の中で述べました。

 2007年のブログ開設以降、墨守し続けているこの掟。対価を支払う客に対する背信行為に他ならないシェフの不在に起因する味のブレがないか、サービスは目配り心配りが行き届いているかを見定め、より確かな内容を皆様にお伝えするためにほかなりません。

 今回ご紹介する食レポは、昨年11月初旬の初回訪問時のランチ。今年3月に再訪した2回分を一挙公開すると当然ボリューミーとなります。皆様のお腹のキャパも考慮して〈中編〉〈後編〉の2回に分けてご紹介します。

 どうぞ心して召されますよう。

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 大阪府は自転車が引き起こす人身事故の発生件数が、より人口が多い東京都を抜いて全国一をここ数年独走しています。隣接する兵庫県内の自治体で自転車事故の発生件数が最多なのは、西宮市と大阪市に挟まれた尼崎市です。庄イタが暮らす西宮から勤務地の大阪市中央区北浜までの路上移動は、そんなエリアを通過せねばならないのです。

 ナポリさながらの信号無視をはじめ、一時停止義務不履行・車道の右側逆走・歩行者すれすれの暴走など、道交法で軽車両に位置付けられる自転車に乗る人の意識が低すぎる大阪に転勤して以降、夏の猛暑も手伝って勤務先まで片道20kmのロードバイク通勤+勤務中の足としての活用をやむなく封印してきました。

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【photo】明石浦で揚がる旬の魚が月ごとにイラストで紹介される昼夜共通CiRO チーロのグランドメニューの冒頭箇所より。魚料理か肉料理のいずれかを選ぶセコンドピアットでは、淡路産イノブタのサルシッチャ、牛肉の厚切りビステッカや薄切り炭火焼きタリアータ、イタリア版とんかつ・コトレッタなど、グリル系を中心に肉料理も選択可能。されど店とは目と鼻の先で午前11時30分から水揚げされたばかりの魚介を昼ぜりににかける光景を目の当たりにするCiROだけに、庄イタならずとも食指は魚料理にのびてしまうのが人情というもの

 食い倒れの街・大阪に移って2年3か月。アルコール発酵したブドウ果汁の割合が少なくないカロリー摂取量は横ばいでも、ロードバイクによるカロリー消費が激減しているため体重は増加傾向にあります。腰回りの余分なぜい肉を落とすべく腹8分目を心掛けよ、という理性の声は、手渡されたグランドメニューの字面を目で追うに従って心の片隅へと追いやられ、やがてかき消されてゆくのでした。

 つい胃袋の容量を忘れ、あれもこれもとヨダレを流しつつ選択に迷ってしまう。そんな食い道楽冥利に尽きる時間が「Trattoria Pizzaria CiRO トラットリア・ピッツェリア・チーロ」には流れていました。

 これまで訪れた2度とも、オーダーしたのは前菜+ピッツァ+パスタ+魚料理または肉料理の組み合わせで、料理を取り分けて頂く「トラットリアコース(昼夜とも3,850円/1名)」。基本4品をベースに、生ガキやドルチェを追加した内容になっています。

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 まずは昨年11月3日(土)文化の日にふさわしく、2017年にユネスコ無形文化遺産に指定された「ナポリピッツァ職人の技術と伝統」の精華、そしてピッツァだけにとどまらない南イタリア・ナポリの食文化に触れたご報告から。

 宮城県塩竃市「Pizzaria La Gita ピッツェリア・ラ・ジータ」佐沢桃子さんのように、今でこそ珍しくなくなった女性ピッツァイヨーラの草分けとなった小谷紀三子さん。小学生を含む3人のお子さんとの時間を大切にしているため、紀三子さんが店においでの平日昼以外、お弟子さんがピッツァを焼いていることは織り込み済みです。

 イタリアの権威ある食とワインに関する評価本「Gambero Rosso ガンベロ・ロッソ」は、2017・2018年と2年連続で西日本エリアNo.1のピッツェリアとしてCiROを選出。〝ピッツァを食べればナポリへと誘われ、活きの良い魚介料理はアマルフィ海岸と張り合う〟と評した店の魅力を探りたい。そんな思いで紀三子さんがたとえ不在であっても、二次発酵したピッツァ生地のごとく期待に胸を膨らませ、JR神戸線明石駅の改札口を出ました。

panetti_pizza-napoletana.jpg【photo】※以下は一般的な仕込みの流れで、画像を含めてCiROの作り方ではありません
生地の材料となる小麦粉・水・塩・酵母を混ぜ合わせた後、静置する一次発酵の所要時間は4時間ほど。正月のお供え餅に見えなくもない180g程度の球形に分割成形上画像後、さらに二次発酵として室温で1時間静置。気温や湿度により、材料の配合割合や時間を変える静置の間は湿らせた布巾などで生地の表面が乾かぬように覆っておく。すると発酵により発生する炭酸ガスの気泡を含んで生地が膨張し、含まれる水分が表面に出てきて照りが生じてくればスタンバイOK。ピッツァイオーロが生地を手で伸ばして成型する際、気泡は中心部から縁に向けて集められ、加熱によって縁が膨張したコルニチョーネが具材の壁の役割も果たす

 イタリア人が好む硬めなパスタの茹で加減〝al dente アル・デンテ〟を理解しようとはせず、フランス的価値観を振りかざす上から目線が鼻につく「Micheli● (ミシュラ●)」ごときより、自国(より正確に言えば郷里)の食に対する思い入れが強すぎるイタリア人が選定するガンベロ・ロッソこそが、庄イタにとっては共感でき、かつ信頼に値する評価なのです。

uontana.2018.11.3.15.08.jpg【photo】ランチタイムに明石駅から徒歩でCiROまで向かうなら、浜の旬を知る予習または食後の復習で立ち寄りたい商店街が「魚の棚(うぉんたな)」。すぐ近くで昼競りが11時30分から行われる明石漁港直送の鮮度抜群な旬の魚介が店頭に並ぶ。この日CiROで調理されて出てきたハリイカやガシラ(アカメバル)が超お手頃価格で店先にズラリ

 昼網で揚がったばかりの鮮魚が並ぶ「魚の棚(うぉんたな)商店街」を抜け、明石漁港に向かって徒歩3分。2週間前の9時半に電話予約が可能となる席の予約を幾度か試みるも玉砕が続き、やっとの思いで2回転目の席を予約できた13時少し前に店に到着。休日の昼時とあって席は先客で埋め尽くされていました。

 店内ではテーブル席の間をフロアスタッフが行き交い、薪窯の前や厨房には対応能力の高さを物語るスタッフ5,6名ほどの姿が見て取れ、活気あふれるナポリ下町のトラットリアそのままの雰囲気です。

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 魚の棚を移動中には9割方、さらにCiROでメニューを手にした時点で120%〝今日は魚の日!!!〟と気持ちが固まっていました。゛♪さかな、さかな、さかな~、魚を食べると、あたま、あたま、あたま~、頭が良くなる...(中略)... 魚がボクらを 待っている〟のでした。

 もとよりピッツァだけで済ませるつもりは毛頭ないため、良き相伴となるのはヴィーノ・イタリアーノ。ワインリストから選ぶ基準は゛地の料理には地のワイン〟という鉄則です。イタリアワイン法で最高位となるD.O.C.G.に南イタリアで最初に選定された長熟型のヴィーノ・ロッソ「Taurasiタウラージ」の申し分ない作り手が「Antonio Caggiano アントニオ・カッジャーノ」。

 料理との相性を考慮し、標高400mの粘土と石灰岩が混じる畑で育ったブドウを主体とする白ワイン「FiaGre フィアーグレ2014」下画像に白羽の矢を立てました。

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 ローマ・ミラノに次ぐイタリア国内で3番目となる95.5万(2018年)の人口を擁するナポリを州都とするカンパーニャ州を代表するワイン産地が、海岸部のサレルノから30kmほど離れたアペニン山脈南麓に位置する冷涼な「Avellino アヴェリーノ」から北の「Benevento ベネヴェント」にかけての内陸部。

 どちらもギリシャ人が持ち込んだ歴史の古いブドウで、19世紀中庸にヨーロッパ全域のブドウ栽培に壊滅的被害をもたらしたフィロキセラ(ブドウネアブラムシ)禍で一時は姿を消すも見事な復活を遂げた「Fiano フィアーノ」、温暖な南伊らしからぬ酸と厳格さを持ち合わせた「Greco グレコ」を7:3の割合で混醸した白ワインです。

 フィアーノの特徴となるハチミツや花の心地よい香りがグラスから立ち上がりますが、飲み口はあくまで辛口。グレコ特有の硬質な酸味が引き締めるアフターにかすかな苦味を伴います。

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 セコンドピアットは店一番のオススメという「本日の魚料理」(1,600円~)に。ほどなくスタッフがオマールエビ以外は明石浦の昼網で揚がった7種類の魚をテーブルに持参下画像。スタッフと客が調理法を相談して決めるという素敵なシステムなのです。

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 もはや生モノは食傷気味ゆえ、刺身の船盛りが登場するとゲンナリする庄イタ。「いかようにも調理しますよ」と言いつつ、こんなモノを目の前に持ってこられた日にはたまったもんじゃありません。ヒトの食欲を抑制する働きがある血中アドレナリンの濃度が測定下限値を下回り、食欲のリミッターを外すドーパミンが止めどなく脳内で駆け巡ってゆくのでした。

 アンティパストはこの日のお薦めで、積み重ねてきた食遍歴の経験則からほぼ味の想像がつく「明石産ハモのパン粉オーブン焼きレモン風味」「カツオとマヨネーズ、赤タマネギのブルスケッタ」「チーズ・サラミ・卵をタルト生地で焼いたナポリのキッシュ、ピッツァルスティカ」とは異なり、未知なる組み合わせの妙に期待感が高まった「明石産ハリイカとイタリア栗の柔らか煮込み」を下画像

 秋から冬場の柔らかく甘さが乗ったハリイカとイタリア栗のマロンペーストが出合った優しい味つけに一皿目から癒されます。

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 初見参の店では、トマトソース+オレガノ+ニンニクのシンプルな組合せの「マリナーラ」を食べるのを常とする庄イタ。なれどここはマダコで名高い明石。そこで選んだのが、マリナーラに明石ダコをトッピングした「Marinara con Polipi マリナーラ・コン・ポリピ」。家人が希望したマルゲリータと1枚ずつではお腹のキャパシティを越えること必至ゆえ、注文はMetà e Metà ないしは Mezzo e Mezzo(ハーフ&ハーフ)。庄イタの定番ルールでナポリ同様のノーカットを指定。下画像

 窯から出されたばかりの熱々で運ばれてきたピッツァはナイフとフォークでその都度食べやすい大きさの放射状にカットします。こうすればあらかじめ8等分する15秒程度をロスしている切れ目の入った生地より冷めにくく、右利きなら順繰り皿を時計回りに、左利きなら逆に回し、内側からコルニチョーネ側に生地を巻くように食べれば、スピーディに完食できます。手づかみのように手が汚れませんので是非お試しを。

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 グランドメニューに記載された心惹かれる30種類ものパスタ・リゾットからプリモピアットを絞り込むのは至難の業。そこでメニュー冒頭「本日の店長オススメ・季節のナポリ料理」にあった3品「手長エビとイカ・ポルチーニ茸のスーゴ風味のパッケリ」、「自家製サルシッチャとレンズ豆の手打ちチカテッリ」、「明石産生シラスのレモン風味スパゲッティ」の三択に。

 3種盛りを1人前の分量で注文できればベストでしたが、そんな虫のいい話は無理そうなので〝一番お腹に優しそう〟という理由から、生シラスのレモン風味スパゲッティに下画像。 

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 セコンドの魚は10月~12月が旬であり、何より選択肢の中で〝最も小ぶりである〟というプリモを選んだのと似たような理由からガシラ(アカメバル)を指名。大皿盛りで目の前に持ってこられたガシラは刺身でも十分イケる鮮度でしたが、地元では塩焼き、煮付け、唐揚げとオールマイティーな食べ方をするようです。

 アクアパッツァやシンプルなローストなど、お勧め頂いた調理法から、ハーブ焼をお願いしました下画像。パリッと火入れされた香ばしい皮、締まった上品な白身にはローズマリーやイタリアンパセリの香りがよく合います。

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 この時点で胃袋の許容量は105%まで達していましたが、ドルチェまで至らずにカッフェで〆るのは前世イタリア人としては悔いが残ります。店の入口脇にある冷蔵ケースを覗きに行くと、庄イタが大好きなナポリ菓子「スフォリアテッラ」が残っているではありませんか。そちらは持ち帰り用に確保して「モンテビアンコ(モンブラン)」をエスプレッソと共に店で頂くことに下画像

dolce-ciro2018.11.jpg dolce-ciro2.2018.11.jpg

 翌日、家で食べたのが、定番の貝殻型「Sfogliatella Ricciaスフォリアテッラ・リッチャ」ではなく、その原型とされる半円形の「Sfogliatella Frollaスフォリアテッラ・フロッラ」下画像。リコッタチーズ+αのフィリング(餡)にレモンピールがアクセントとなるアマルフィの修道女が編み出したといわれる美味極まりない焼き菓子です。

Sfogliatella-ciro1.jpg Sfogliatella-ciro-akashi.jpg

 2皿目のドルチェまで一気呵成に駆け抜けた〈中編〉はここまで。

 もうお腹いっぱいと顔に書いてあるそこのアナタ。まだ完食してはおりませんぞ。同じ分量のフルコース料理と〆のカッフェまで〈後編〉のネタを発酵中のピッツァ生地よろしく寝かせてご用意しております。

 後編もTanto mangiare! 

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トラットリア・ピッツェリア・チーロ

・住:兵庫県明石市本町1-17-3 ゑびや第2ビル1F
・Phone:078-912-9400
 ※予約は2週間前の9:30から電話で受付け(月曜除く)

・営:昼 11:30~L.O. 14:00
   夜 18:00~L.O. 21:00
   月曜定休(祝日の場合は翌日休)
・Pなし(近隣のコインパーキング利用)・禁煙
・URL: https://www.facebook.com/TrattoriaPizzeriaCiro/
 

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投稿者 vam : 22:46 | カテゴリー : Cuccina Italiana/| カテゴリー : ・Fuori Tohoku 圏外遠征

2019/06/24

CiRO a Akashi チーロ @ 明石 〈前編〉

赤穂さくらぐみファミリー第3弾
 

 一括りにイタリア料理というのではなく、リグーリア、トスカーナ、プーリア、シチリアなど、より実像に即した地域的な細分化と深化が進んだ平成の時代。今となっては隔世の感がありますが、昭和50年代までは日本で一般に西洋料理といえばフランス料理でした。

 今回の〈前編〉では旧約聖書風にナポリピッツア黎明期を回顧。〈中編〉&〈後編〉CiRO チーロ実食レポートへとつなげます。

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創世記・天地創造

Venezia-San-Marco-cupola.jpg【photo】現在は堂内撮影不可となったヴェネツィア、サン・マルコ聖堂。撮影可能だった1995年当時、入口すぐの柱廊ホール右端の天蓋モザイク「天地創造」(1220~1230年代)。万物の創造主である神が、光と闇を手始めに空と海、昼と夜、植物、命あるもの、アダムとイブなど7日間で世界を作り上げる旧約聖書冒頭の創世記の記述を文字が読めない信者のためにビザンティン様式で図像化。一説にはUFOも描かれているというが、空腹時にはモザイクの図像自体が「額縁」の意味がある盛り上がったcornicioneコルニチョーネ(→ピッツアの縁)にこんがりと焦げが入り、モッチリ柔らかな内側に黒オリーブ、プチトマト、シラス、チーズなどの具を散りばめたジェノヴェーゼ系創作ピッツァ(下・参考画像)にも見える... かも?

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 イタリア料理が日本で市民権を獲得して定着、隆盛をみる以前の1981年(昭和56)。播州赤穂の誇りである大石内蔵助ら赤穂義士を祭神とする赤穂大石神社近くのお城通りに面した一角でイタリア料理店「さくらぐみ」を開いたのが西川明男シェフ(当時21歳)

 いささかイタリアンとしては風変わりな店名の由来は、郷里である赤穂の市木がサクラであること。そして西川さんの実家には大きなサクラの古木があり、その下で毎年花見をするのが恒例行事だったからなのだそう。

 現在の王道ナポリスタイルとは全く異なり、創業してしばらくはアメリカ経由で日本に上陸したフカフカ生地のピザをガスオーブンで調理し、提供していたといいます。

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出エジプト、もとい、入ナポリ記

San Maurizio Monastero Maggiore.jpg【photo】1503年に建築が始まったミラノ「Chiesa di San Maurizioサン・マウリッツィオ教会」。大洪水からノアの家族と雌雄つがいで動物を救った旧約聖書・創世記の箱舟の逸話を描いたフレスコ画。ロンバルディア・ルネサンス様式の簡素な造りの外観だからと素通りするなかれ。内部は別世界。1554年に製作されたパイプオルガンの荘厳な調べやバロック音楽の演奏会がしばしば行われる礼拝堂、その奥のマッジョーレ修道院は必見の価値あり。ダ・ヴィンチ派やベルナルディーノとアウレリオのルイーニ親子による16世紀の保存状態が良いフレスコ画で壁面すべてが覆われた修道院は〝ミラノのシスティーナ礼拝堂〟とも称される。観光客だらけのバチカン・システィーナ礼拝堂よりも静謐な祈りの空間に浸れるこちらの方が、ミケランジェロの筋骨隆々としたマッチョな画風を好まない庄イタ的にはお勧め

 イタメシブームが巻き起こったバブル絶頂期の1990年(平成2)、西川さんは初めて訪れたナポリ下町の「Timpani & Tempura ティンパニ・エ・テンプラ」で伝統料理研究家としての顔を持つアントニオ・トゥベッリ氏に師事。本物との目からウロコの邂逅こそが、〝ナポリばか〟を自任するほどナポリ料理、とりわけピッツァにのめり込む今日へと至るコペルニクス的転回の契機となります。

 ちなみにアントニオ・トゥベッリ氏には、西川シェフ門下生のピッツァイヨーラ松岡佳代子さんも師事しており、同窓の柴田美緒さんとコンビを組む店「Mio & Temprina ミオ・エ・テンプリーナ」をご紹介した昨年8月に写真と共にご紹介済みなので、ご記憶の方もおいでかと。
 〈 ※ 2018.8拙稿「Mio & Tempurina ミオ・エ・テンプリーナ@赤穂」参照〉
  http://blog.kahoku.co.jp/shokuweb/vam/2018/08/mio_temprina.html

 足繁くナポリを訪れて食べ歩きを重ねる一方、毎年秋にナポリで開催され、プロの職人が参加し、各部門ごとに技能を競うピッツァの祭典「Nopoli Pizza Fest ナポリ・ピッツァ・フェスト」'97にSAKURAGUMIとして参加します。この催しは17世紀まで起源が遡るナポリピッツァの伝統を継承する目的で1984年に発足した「Associazione Verace Pizza Napoletana(AVPN)真のナポリピッツァ協会」が主催する秋の恒例行事です。

 その際、西川シェフに同行したのが、1988年(昭和63)にアルバイトとして働き始め、西川さんが料理のセンスを買っていた3番弟子にあたる船曳紀三子さん(当時27歳)でした。

 ところが西川さんらに主催者が用意したのは、名だたる名店のピッツァイオーロがしのぎを削り、来場者が群がる中心エリアから遠く離れた人影のない広大な会場の隅っこ。そんなアウェー状態の中、地元「IL MATTINO」紙の記者が東洋人チームの存在に目を留めます。

 船曳さんのピッツァを食べてその味に感激した記者は、翌日の紙面でナポリ人が忘れてしまったハートを日本人が持っていると称賛。遠く日本から参加した西川さんらを継子(ままこ)扱いする運営のあり方に疑問を投げかけます。すると翌日、会場入りしたチームさくらぐみメンバーには入口近くの条件が良い場所が用意されていたのだといいます。

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十戎を授かる「汝、コルニチョーネを食べ残すなかれ」

Ghiberti-Porta-Pradiso-10.jpg【photo】花の都フィレンツェのシンボル、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂付属のサン・ジョヴァンニ礼拝堂。後世、ミケランジェロがそう呼んで定着した東面を飾る「天国の門」(1452年,ロレンツォ・ギベルティ作)は、このモーセの十戒ほか、アダムとイブ、カインとアベル、ノアの洪水など、旧約聖書に記された物語を図像化した10の金箔を施したブロンズパネルで構成される。現在、礼拝堂を飾る天国の門は、銀座並木通りに本店があり、かつてPiacenzaのカシミアコート(2015.12拙稿「Principe di Salina サリーナ公爵~山猫の世界を体感するピュアカシミアコート」参照)やETROのネクタイなどを購入したセレクトショップ「サン・モトヤマ」創業者の故・茂登山長市郎氏が1990年(平成2)に寄贈したレプリカ。オリジナルはドゥオーモ付属博物館所蔵

 西川さん一行がナポリで出合ったピッツァは、生地の外側表面はカリッ・サクッとして中心部はモッチリ。独特な生地の食感を生み出す決め手が、薪火の輻射熱で炉内を450℃から485℃に保つナポリ製の薪窯であると知った西川さんは一つの決断をします。

 炉内の保温性能に優れ、60秒~90秒で焼き上げるナポリピッツァの焼成に理想的な炉床温度400~420℃を保持しやすく、堅牢で高性能な薪窯を日本のピッツェリアとしては初めてナポリからオーダーメードで取り寄せたのです。

 さらにグラニャーノ産パスタ《2010.7拙稿「珠玉のパスタ、Gragnano グラニャーノ」参照》や本場のピッツァ職人が厚い信頼を寄せるデュラム小麦、空輸による鮮度の高い水牛乳モッツァレラチーズなど、店で使用する素材を厳選してきました。

 ナポリ製の薪窯のごとく熱いハートと技が認められ、1997年(平成9)9月、さくらぐみはイタリア国外の店では初めて真のナポリピッツァ協会92番目の認定店となります。それはナポリ伝統の食文化に心からの敬意を抱く西川明男オーナーシェフにとって何よりの嬉しい勲章でした。

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バベルの塔「さあ、煉瓦を作ろう。火で焼こう」

stufa@regalo22.jpg【photo】色といい形といい、ピッツァを街頭で売り歩く際に使われ、内部が3枚程度を重ねる棚状の構造になった銅や錫の容器「Stufa Napoletana ストゥファ・ナポレターナ」(上画像中央/ロケ地:大阪市福島区福島1丁目「La Pizza Napoletana Regaloラ・ピッツァ・ナポレターナ・レガロ」)が絵のモデルと思いきや参考リンク、古代ローマの円形闘技場コロッセオに着想を得たのだというピーター・ブリューゲル「バベルの塔」(1563年,ウィーン美術史美術館蔵/ 下画像)。創世記によれば、東方からシンアルという地に至ったノアの子孫である人間たちは、町を造るにあたり「さあ、煉瓦を作ろう。火で焼こう」と声を掛け合いながら天まで届く塔を造ろうとした。これを見た神は意思の疎通が出来ないよう、互いの言葉を異なるものとし、塔の建造は頓挫。言語が多様化したという

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 日本人が作るナポリピッツァの実力を協会に認めさせたのは西川さんの情熱があってのこと。日本初の快挙を成し遂げるに際しての最大の功労者こそが、当時ピッツァ窯を任されていた船曳紀三子さんだったのです。

 紀三子さんは、現在も師と仰ぐ西川シェフから料理の腕を見込まれ、'97年にナポリ修行に送り出されます。ナポリ中心部から西に向かった近郊のBagnoli バニョーリ地区にあるAVPN認定店「O'Calamaro オ・カラマーロ」で名匠ガエターノ・エスポースィト師から本場の技と心を会得。協会の認定は、ピッツァイヨーラとして成長し、日本に帰国して間もなくのことでした。

※再生時に音がします

【Movie】AVPN技術委員やナポリピッツァ職人協会会長を務めたマエストロ、ガエターノ・エスポースィト氏が自身の歩みを語る。2001年、ナポリ市ヴォメロ地区に自身の店「L'Arte della Pizza」を開くまで所属した「O'Calamaro オ・カラマーロ」で、船曳紀三子さんにピッツァ作りを指導する様子を収めた写真が2分20秒付近で登場。パルテノペ総料理長、渡辺陽一氏の著作「生活人新書 至福のナポリピッツァ」(2002.6NHK出版刊)と共に、庄イタのナポリピッツァに関するニッチかつディープな知識の源泉となった雑誌BRUTUS「日本のピッツァはこれでいいのか⁉」(1996.9.15号)。日本のピッツァを食べ歩き、完膚なきまでにメッタ斬りした親日家のガエターノ・ファツィオ氏ら3名のナポリ・ピッツァ協会メンバーの一人がガエターノ・エスポースィト氏だった
 
 室町時代に起源が遡る船曳姓は兵庫県南西部から岡山県東部にかけて多く、船引という播磨地域の古い伝承に基づく地名に由来するとのこと参考リンク

 2003年(平成15)に紀三子さんが職場結婚したお相手で、後輩の小谷聡一郎さんは、ル・コルドン・ブルー東京校で習得したソース主体のフランス料理の濃い味付けに馴染めずイタリアンに転身。ナポリ出身のサルヴァトーレ、ラッファエーレ、ルイージのクオモ3兄弟が東京中目黒で営んでいた「サルヴァトーレ」勤務時代、店に食べに来た西川さんのもとに移籍、さくらぐみでナポリ料理の腕を磨きました。

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水牛の乳とオリーブの蜜が流れる地、カナン、もとい明石

presepio-napoletano.jpg【photo】ナポリの伝統工芸「プレセピオ」。Di Matteo, Da Michele など人気のピッツェリアからすぐ近くの「Spaccanapoli スパッカナポリ」地区の一角Via San Gregorio Armeno サン・グレゴリオ・アルメーノ通りは、プレセピオの職人街になっている。1年を通してこのようなキリスト生誕の場面を芸術性の高いジオラマで表現する聖家族ほか、ナポリピッツァを食べさせてくれる店の小道具として欠かせないナポリの仮面劇の道化プルチネッラほか、芸能人やサッカー選手などの人形が見られる

 結婚の翌年、お二人は海の幸に恵まれた明石での独立を果たします。そこは藩制時代は城下とは橋で結ばれた米蔵や茶屋(≒ 遊廓)があった浮島で、現在は錦江橋で繋がる明石市中崎。石造りの灯台としては日本最古の旧波門崎燈籠堂(国登録有形文化財)越しには淡路島と明石海峡大橋のパノラマが開けるビルの2階というロケーションでした。

 独り立ちする紀三子さんには、西川シェフからキラキラと海面が光り輝く瀬戸内海のようなウルトラマリンブルーの中に淡いパウダーブルーの丸タイルを散りばめた装飾が施された薪窯が嫁入り道具として贈られました。

 3か月後に出産を控えた紀三子さんと聡一郎さんが、夫婦二人三脚で歩み始めた「Trattoria Pizzeria CiROトラットリア・ピッツエリア・チーロ」は、たちまちにして予約困難な人気店となります。

 2016年9月、明石港に面した現在の場所に移転。遠方から訪れるピッツァ好きを含め、数多くのリピーターに支えられて今日に至っています。

 実のところ今回ご紹介しようと思っていた昨年11月と今年3月の食レポ2回分 @Ciro。黎明期とドッキングさせてしまうと、あまりに長文になります。申し訳ありませんが、次回に譲らせて下さい。Ci vediamo ~♪.


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投稿者 vam : 06:14 | カテゴリー : Cuccina Italiana/| カテゴリー : ・Fuori Tohoku 圏外遠征

2019/06/06

Strada per CiRO a Akashi チーロ @ 明石への道

「魚の棚」で寄り道タラタラ


 局地風をめぐる話題を取り上げた前回に続き、今回は心地よい地中海の風が吹きぬけてゆく兵庫県明石市が舞台となります。

stretto-Acasci.jpg【photo】日本標準時の東経135度の子午線が通る明石市立天文科学館から明石の市街地越しに明石海峡に架かる明石海峡大橋と対岸の淡路島を望む。安倍総理・麻生副総理の地元を結ぶ3本目のルートとなる下関北九州道路の忖度発言で引責辞任に追い込まれた塚田一郎国交副大臣は、かの田中角栄を輩出した新潟選挙区選出の2世議員。自民党伝統の利益誘導の最たる事例が、三木武夫(徳島)・大平正芳(高松)・宮澤喜一(広島)ら歴代総理大臣をはじめとする有力政治家の出身県同士に架かる本州四国連絡橋。3本の連絡道路が民営化された現在も当初計画の3.8倍、2兆8662億円の巨費を投じた債務の返済は、ずるずると先延ばしされ、35年後まで続く。四国が人口減に直面するなか、通行料収入は当初見込みを大きく下回っている

 全長3,911mで世界最長の吊り橋、明石海峡大橋が架かる淡路島を挟んで、大阪湾から播磨灘・周防灘にかけての瀬戸内海沿岸は、年間を通して温暖で穏やかな気候とされてきました。

ponte-grande-akashi.jpg【photo】神戸六甲アイランドを出航するフェリー「さんふらわあ号」デッキからの明石海峡大橋と明石方面の夜景。波静かな瀬戸内海を航行、大分港には翌早朝に到着するので、別府などマイカーでのおんせん県観光に至極便利。「ナポリを見て死ね」とまで言われ、落書きもゴミも遠目には目に入らない世界三大美港の街には一歩引けを取るも、神戸港から明石にかけての夜景はそこそこイケており、気分は地中海クルーズ??

 瀬戸内式気候は「晴れの国」を標榜する岡山など、特に夏場に雨が少ないのが特徴。ゆえに淡路島や讃岐平野など瀬戸内地域には耕作用としては日本一の大きさとなる周囲20kmに及ぶ広大な「満濃池」下画像をはじめ、人工のため池が数多く見られます。

Man-no-ike.jpg 国内のため池の7割近くを占めるのが四国・中国と近畿。特に瀬戸内海に面した岡山・広島・山口・香川の4県に中国・四国地域の8割以上が集中します。

 南北の季節風を遮る四国山地と中国山地に挟まれた瀬戸内海沿岸の地域の気候は、地中海性気候と似ているといわれます。

 雨が少ない地中海地域が原産とされるオリーブ。イタリアのサルデーニャ島には幹回りが13mにもなる推定樹齢3,800年という超ご長寿なオリーブがあります参考リンク

 香川県の小豆島ではオイルサーディン製造を目的に1908年(明治41)からアメリカから苗木を取り寄せたオリーブの樹が栽培されてきました下画像

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 三重と鹿児島でも試験栽培を行ったなかで唯一栽培に成功したのが小豆島だったのだそう。2年後に結実し、根付いた苗木を挿し木して初代と同じ場所に植えた2世木が原木として西村地区に現存します下画像

 小豆島では日本の風土に適した新品種「香オリ3号」「香オリ5号」の開発に成功しているほか、本場イタリアでも高い評価を受けるオイル製品が少なくありません。

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 現在では日本国内のオリーブ生産の9割を小豆島が占め、香川県全体で全国シェアの97%を占めるに至っています。

 またエジプトの地中海沿岸が原産とされ、地中海の交差点シチリアでは「Zibibboズィビッボ」と呼称が異なるブドウ品種「マスカット・オブ・アレキサンドリア」は岡山の特産として知られます。

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 温暖な地中海、とりわけ南イタリア・ナポリに似通った風を庄イタが感じるのが、昨年夏に申し分ないピッツリアを2軒ご紹介した兵庫県赤穂市です。《2018.7拙稿「さくらぐみ @赤穂 そこは紛れもなくナポリだった」、2018.8拙稿「Mio & Tempurina ミオ・エ・テンプリーナ@赤穂 そこにもナポリの風は吹いていた」参照》

 その局地風の吹き出し口の一つ、ナポリピッツァと海鮮ナポリ料理の店「さくらぐみ」がある赤穂市御崎(みさき)と同様、兵庫県内でナポリの局地風が吹くのは、さらにもう一カ所。そこは日本標準時の東経135度の子午線が通る明石(あかし)市。

 牛スジ入りのラヂオ焼きが進化した大阪名物たこ焼きの原型といわれるも、それとは似て非なる食べ物で、ジモティが玉子焼きと呼ぶのが明石焼き。そして明石海峡産のマダコや真鯛で有名ですね。

akashiyaki-funamachi.jpg【photo】いつも行列が絶えない明石焼の店「ふなまち」。一人前(税込600円)20個。地元っ子は「玉子焼き」と呼ぶマシュマロのごとき食感を生む溶き玉子が主体で、小麦からタンパク分を除いたデンプン主体のじん粉+小麦粉の三位一体からなる茹でダコを忍ばせたお出汁が利いた生地は、ふわ~っと軽い食感。食べ方は、アツアツトロトロをそのまま、冷たいつけ汁と共に、甘辛2種類のソースで、そしてソースをトッピングしてつけ汁で。七味・一味でもアレンジ自在な変化を楽しむうちに女性でもペロリと平らげてしまうはず

 明石港から淡路島の岩屋港を13分で結ぶ高速船を運行する会社は「淡路ジェノバライン」。わが郷里ピエモンテ州ランゲ丘陵を越えたリグーリアの港町Genovaジェノヴァへの優雅な地中海クルーズを連想させるネーミングではありませんか。

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 折しも今回の最終目的地、トラットリア・ピッツェリア「CiRO チーロ」にほど近い船着き場には、2年前に就航したばかりの高速双胴船「まりん・あわじ」が停泊中でした。そのあまりにベタなペイントが施された船体を一目見て、淡い期待は脆くも崩れ去ったのでした上画像

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 ジェノヴァ・ナポリなどイタリア本土とサルデーニャ島やコルシカ島などを結ぶ連絡船を運航するMoby社はトゥイティーやバッグス・バニーなどのキャラクターを船体にあしらったクルーズ船上画像を就航させています。

 ゆえに船体に明石ダコが躍り、鯛が跳ねる我らがまりん・あわじとて、船ゆえに海には浮かびますが、地中海で周囲から浮くことはないかもしれません。

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Akashi-uontana.jpg【photo】全長350mのアーケードに鮮魚店や飲食店を中心に100店が軒を連ねる商店街「魚の棚(うぉんたな)」。JR神戸線と山陽電鉄の明石駅南口の複合ビル「パピオスあかし」を経由し、国道2号線を跨ぐデッキ沿いに歩いてすぐ。丸ごと唐揚げが美味な川津エビ(サルエビ)は活きが良すぎて店先でピョンピョン飛び跳ねるなど、その日水揚げされたピチピチの地魚が昼過ぎには店頭に並ぶ。威勢の良い掛け声が飛び交う上を見上げると、アーケードの照明までが8本足のタコだった

 西宮から芦屋・神戸周辺の阪神地域で、春先に盛んに作られるのが「釘煮」です下画像ロケ地:魚の棚商店街。庄イタが暮らす夙川(しゅくがわ)近辺でも、醤油・ザラメ砂糖・みりん・ショウガなど家ごとのレシピで味付けする美味しそうなシンコを炊く甘辛い香りがご近所から漂ってくることが幾度かありました。

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 ところが、この春も材料となるイカナゴの稚魚シンコは3年続きの極端な不漁に見舞われたのです。地域によってコウナゴ、メロウドなどの別名で呼ばれるイカナゴに限らず、高度成長期に悪化した瀬戸内海の水質改善が進んだ近年、水揚げ高日本一を誇ってきたマダコなど特産の水産資源の枯渇が瀬戸内海で顕在化しています。

 3月に訪れた魚の棚でもイカナゴが1キロ2,800円の高値を付けていました下画像。それでも季節の味である釘煮に欠かせない春告魚を買い求める人々の姿が見られたのでした。

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 大量の魚介類を酸欠で死滅させる赤潮の原因となる工場排水や生活排水の排出基準が厳格化された結果、海水中の植物プランクトンや海藻の養分となる珪素・窒素・リンなどが減少。そのため動物プランクトンや小魚までが減っているというのです。

 こうした〝水清ければ魚棲まず〟状況を打開すべく、兵庫県は全国で初の窒素濃度0.2mg以上という下限値をこのほど設定しました。地元の味に欠かせない漁業資源の回復が待たれるところです。

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 話変わって今年1月、泉房穂明石市長が2年前に部下に発した暴言が露見し辞任したのは記憶に新しいところ。立候補した出直し選で信任されるという一連の紆余曲折が世間の耳目を集めました。

R2-Akashi-moyashitemae.jpg【photo】市長の引責辞任に発展、出直し選挙での再信任で決着を見た騒動の原因となった国道2号線の明石駅前交差点。当初計画に遅れること3年。最後まで残っていた角地の用地買収が進み、2019年度末には拡幅工事が完了予定(撮影:2019年3月中旬)

 イタリアでは口汚く相手を罵倒することを〝Parolaccia パロラッチャ〟と言います。本来の意味を離れて下卑た意味を持つ単語も豊富にあります。怒りが爆発する沸点が低いであろう明石市長は職務怠慢だと糾弾する部下に向けて「火つけてこい」「自分の家売れ」とパロラッチャを連発。

 吹き荒れる逆風の中、市長が辞職に追い込まれた時点では新たな風が吹くかと思われた出直し市長選。結果は皆さまご存知の通り〝大山鳴動して鼠一匹〟の結果に。

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 この選挙結果から垣間見えてきたのは、明石市政に関わるステークホルダーの以下のような構図です。

(役所や公共機関の無気力で横柄な対応に都度腹を立てない精神的タフネスを否応なく養成されるイタリア人とて、あまりの理不尽さに怒りを爆発させた時のように)感情の制御が利かない市長、そして(用地買収交渉が思うに任せず、市長の叱責を受けた担当部局の中間管理職は、仕事が捗らない自らの非を認めている点だけは異なるも)イタリアの公務員のような市職員、さらには(暴言が〝市民のため〟という熱い思いの表れだったにせよ、ハラスメント意識が高まった今どきの社会一般の常識からすれば、適性に難ありといわざるを得ない市長を大差で再び信任する)大きな度量を持つ有権者。

 清濁併せ呑み、多少のアラや細かいことは気にしない明石市民は心が広く、そして恐らく筋金入りのラテン気質のようです。

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 熱が去り、もはや冷めたピッツァのような前置きはこのくらいにして、話はいよいよ核心へ。

 ラテンな街・明石には「Pizzeria Beatrice ピッツェリア・ベアトリーチェ」ほか本格ナポリピッツァを提供する店が複数あります。そこでまず目指すべきは、赤穂さくらぐみOGのピッツアイヨーラ小谷紀三子さん、同OBで料理担当のご主人、聡一郎さんがおいでの「Trattoria Pizzeria CiRO トラットリア・ピッツエリア・チーロ」。

 関西のナポリピッツァ好きならば、その名を知らぬ人のない店と言ってよいでしょう。

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 正確を期するため、遠隔地でない限り「Viaggio al Mondo~あるもん探しの旅」では1度だけの訪店で飲食店を取り上げるのをタブーとしています。

 今回のCiroに関しても、世評の高さの理由を初訪店にして確認できた昨年秋、そして3月10日(日)に大阪ミナミで行われた関西宮城県人会の東日本大震災復興支援街頭募金の取材で出番となった代休で、出直し明石市長選挙の投票日直前で、駅前で対立候補が街頭演説に立っていた3月14日(木)の2度、店に伺った上でのレポートとなります。

 店先に並ぶ美味しそうな誘惑を振り払いつつ、魚の棚商店街を東端まで移動し右へ。騒動の原因となった明石駅前交差点からまっすぐ延びる明石銀座通りを進みます。

porto-akashi-Ciro.jpg【photo】明石港に面した茶色のビルの1階がCiRO。魚の棚で鮮魚店「林屋」を営む漁師の家に生まれ、大洋漁業(現マルハニチロ)の前身となった林兼商店を下関で創業した中部 幾次郎(1866-1946)が漁船団の母港としたのが明石港に隣接する林崎漁港。明石は大消費地の大阪・神戸に近く、急峻で複雑な海底地形と狭隘な海峡部で発生する変化に富む潮流があいまって、好漁場としての条件に恵まれている。9~12月に旬を迎えるモミジ鯛と呼ばれ珍重される真鯛や脂が乗った落ちハモ、ガシラ(アカメバル・カサゴ)、大型のアナゴを指すデンスケなど年間を通じた水揚げは100種類に及ぶ

 旧浜国道の交差点を渡ると、数多くの漁船が停泊する明石港のエリアとなります。錦江橋の手前を右に折れた先、魚の棚から歩いて5分ほどの場所にCiROはありました。

 そこは材木町にある行列の絶えない明石焼の名店「ふなまち」からも500mほどと至近。出汁の旨味が利いたフワトロの玉子焼きをアンティパストに、香ばしいナポリピッツァ+海鮮イタリアンなーんていうオツなダブルヘッダーを組むことも理論上は可能です。3Lサイズの強靭な胃袋を持つ方は挑戦されてみてはいかがでしょう^^。

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 店のすぐ目と鼻の先には水揚した魚をセリにかける明石市公設地方卸売市場の水産物分場があり上画像、更にその先が淡路ジェノバラインの発着場という港町の面影が色濃い一角です。

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 席の予約は2週間前の朝9時30分から電話のみで受け付けるため、電話が繋がらないことがしばしば。紛れもない人気店である点は小谷さんの古巣さくらぐみと同様です。

 予約開始時刻に電話が集中するため話中が多く、運よく電話が繋がっても週末はすでに満席だったりで、訪店を諦めること数度。

 意志あるところに道は開け、ヴィーノ・ビアンコと共に心ゆくまで海の幸とナポリピッツァを味わった顛末は機会を改めて。

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投稿者 vam : 05:25 | カテゴリー : Cuccina Italiana/| カテゴリー : ・Fuori Tohoku 圏外遠征

2019/05/24

局地風に関する一考察

Strada per CiRO a Akashi チーロ @ 明石への道


 局地風(きょくちふう。地方風とも)と称される風をご存知でしょうか。

 地球の地軸は23.4度傾いているため日射量は緯度ごと季節ごとに変化します。地球規模で常に循環する大気は、地球の自転により、恒常的に一定方向に吹く偏西風や貿易風となります。

 一方、地形的な要因や昼夜の寒暖差などの要因により、狭い地域で発生する風が局地風。

 イタリアからアルプス山脈を越えてスイス・フランス・ドイツ・オーストリアに向けて吹く南風は「フェーン(Foehn またはFöhn)」。山越えの風が高温をもたらすフェーン現象の語源となった局地風です。

piazza-S-pietro-VENTI.jpg【photo】暴徒化したスペイン王カール5世の軍勢によるローマ劫掠(1527)で破壊の限りを尽くされたローマ。これにより盛期ルネサンスが終焉を迎え、バロックの都へとローマが大きな変貌を遂げた記念碑ともいえるサンピエトロ寺院の内装も手掛けた天才ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(1598-1680)が1656年から20年以上を要して二重の円柱で囲まれた楕円形に改築したサン・ピエトロ広場。石畳には方角別に呼び名が異なる風の石板が埋め込まれている

 その他、北米大陸に猛吹雪をもたらす「ブリザード(Blizzard)」、アフリカ大陸から地中海を越えてイタリア半島に吹く熱風「シロッコ(Scirocco)」などがよく知られるところです。

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 日本に目を転ずれば「六甲おろし」は、おもに西高東低の気圧配置のもとで六甲山系を越えて神戸・芦屋・西宮地域にかけての表六甲地域に吹き降ろしてくる寒風が語源。おろしには「颪」という「下」と「風」を上下に組み合わせた字をあてています。風の性格がよく分かりますね。

 特A地区の三木市加東市など六甲山系の西側にあたる北播磨ほか兵庫県内で全国の8割を産出する酒造好適米が「山田錦」。西宮神社と目と鼻の先に湧出する良質な「宮水」と出合い銘酒が生まれます。

 神戸市東灘区から西宮にかけての灘五郷(なだごごう)地域は、寒造りの時季に吹く乾燥した六甲おろしの恩恵で酒造りに適した条件を備えています。

Dasai_Kato-shi.jpg【photo】1936年(昭和11)兵庫県明石市の県立農事試験場で誕生した酒造好適米「山田錦」。特に品質が良い特A地区の圃場が広がる三木市から加東市にかけての保湿力の高い粘土土壌の圃場には、明治以来の「村米制度」と呼ばれる大関・菊正宗など酒造メーカーとの契約栽培田を示すのぼり旗が林立する

 江戸時代の日本酒は、夏の暑さを挟んで秋風が吹き始める頃には味が落ちたそうです。ところが、水車で精米歩合を高める技法を編み出し、雑菌の繁殖を抑制する乾燥した六甲おろしのもと、宮水で仕込まれた灘酒は例外でした。

 花崗岩土壌で磨かれる六甲山系の伏流水は、神戸に寄港する外国航路の船員たちから赤道を通過しても水が腐らないため重宝されたそうです。西宮湊から海路江戸へと運ばれた灘の酒は評判を呼び、灘五郷地域に繁栄をもたらす一因となりました。

 よって、六甲おろしは地域に恩恵をもたらす局地風であると言えます。最も端的にそれを示すのは、ライトスタンドからレフト方向に吹く浜風が局地風となる甲子園球場でド派手な格好の猛虎ファンで盛り上がる阪神タイガースの応援歌としてかもしれません(笑)。

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 六甲おろしの他に地理的条件が要因となる局地風として庄イタ的になじみ深いのは冒頭に挙げた「シロッコ」と「清川だし」。

 シロッコは、春先と秋にアフリカ大陸からサハラの砂塵とともに地中海を越えてイタリア半島に吹き寄せる湿った南東風。風速40kmにも達する強風となることもあり、海が時化(しけ)るため、船の欠航が出たり、街路樹がなぎ倒されることも。

 シチリアやブーツのつま先からかかとに当たる南イタリア地域を中心に視界不良を引き起こし、アドリア海の海面上昇はヴェネツィアの異常潮位「Acqua altaアックアアルタ」下画像の原因となります。

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 かたや清川だしは、日本海に面した山形県庄内平野と四方を山に囲まれた新庄盆地とに生じる温度差により発生します。岡山県北東部の那岐山麓の「広戸風」、愛媛県四国中央市一帯に四国山地から吹く「やまじ風」と並ぶ〝日本三大悪風〟に数えられます。

 春から秋にかけての雪解けの季節、月山が水源となる立谷沢川と新庄盆地から最上峡を抜けてくる最上川が合流するのが庄内町清川地区。その下流部の狩川地区に向けて吹き抜けてくる冷風は風速20mにも達します。

Wind_Farm_Tachikawa.jpg【photo】清川だしを逆手にとり、風力発電の可能性に着目したのは平成の大合併前。旧余目町と合併して庄内町となった旧立川町は、1991年(平成3)、日本国内の自治体としてはいち早く米国製の100kw大型発電機3基を導入した

 そんな冷害の常襲地帯が深刻な凶作に見舞われた1893年(明治26)9月末、雪解け水を引く取水口近くに植えられる耐冷性がある冷立稲「惣兵衛早生」さえ青立ちする中、3本だけ稲穂を垂れた稲をもらい受けた阿部亀治が4年を要して育種したコメが「亀ノ尾」。

 耐冷性と食味を兼ね備えた亀ノ尾は戦前のコメ作りを支えた基幹品種となります。後世に誕生したコシヒカリ・つや姫・ササニシキなど数々の銘柄米のルーツとなった偉大な品種は、清川だしが吹きすさぶ過酷な環境のもとで誕生したのです。《2008.2拙稿「『亀の尾』の故郷の酒」参照》

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【photo】熊谷神社境内にある「亀之尾発祥乃地」記念碑(庄内町肝煎丑ノ沢)。徳川3代将軍家光の没後、由井正雪が首謀した討幕未遂事件「慶安の変」に参画した熊谷三郎兵衛を祀る。熊谷神社に参詣した阿部亀治が「亀ノ尾」を創出する契機となった3本の稲を発見した由来を記す

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 清川だしにせよ、シロッコにせよ、厄介者の局地風に違いありません。そしてさらに厄介な局地風がアメリカで吹き荒れています。それは世界を混乱の渦に巻き込んでいるトランプ旋風。

 大統領選挙中から支持基盤の保守層受けする極端な自国第一主義を標榜。2020年以降の気候変動対策を定めたパリ協定からの離脱を宣言し、地域経済が停滞する「Rust Beltラストベルト」(「錆びついた地域」の意)と呼ばれる五大湖周辺地域の衰退した製造業や石炭産業の復活を目論み、地球温暖化対策などどこ吹く風です。

 第二次世界大戦後、経済力と軍事力で世界の覇権を握ったアメリカは、台頭する二番手を「モグラたたき」よろしく叩き潰してきました。The nail that sticks up gets hammered down.(☞ 出る杭は打たれる。)

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【photo】1975年(昭和50)、日本のゲームセンターで産声を上げた「モグラ退治」は家庭用ゲーム機にも転用。モグラは国境を越えて海外にも進出。コチラは米国版「Whac-A-Mole」。映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の主役、マイケル・J・フォックス演じる青年ジョージ・マクフライを恫喝する自己中心的で攻撃的な性格の敵役ビフ・タネンのモデルとされるトランプ大統領なら、モグラを習近平首相の人形に入れ替えるに違いない

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 米国のエズラ・ヴォーゲル博士が1979年に発表した著作「Japan as Number One: Lessons for America(邦題:ジャパン・アズ・ナンバーワン)」は、太平洋戦争後の焦土から復興し、奇跡といわれた日本の高度経済成長の要因を緻密に分析しています。

 それから10年を経た1989年9月、ソニーがコロンビア・ピクチャーズを買収。翌10月には米国の富を象徴するマンハッタン5thアヴェニューの複合商業施設「ロックフェラー・センター」を三菱地所が買収します。このことが鉄鋼・半導体・自動車など1970年代からくすぶり続けた日米貿易摩擦で積もり積もった米国民の怒りの炎に油を注ぐ結果を招きます

 マネーゲームに浮かれて虎の尾を踏んだ格好になった日本は、不動産バブル崩壊によって急失速。1985年9月のプラザ合意による円高誘導を転機とする〝失われた30年〟と言われる平成の時代、デフレと実質所得の下落に見舞われた日本経済は長期低迷の隘路から抜け出せずにいます。

【Movie】国ごとの製品やサービスの生産総計額を指す国内総生産(GDP)。今後2100年までのGDP上位10か国の推定額をグラフ化。米国は2028年に首位の座を中国に明け渡し、少子高齢化が進む日本は2030年にインドに追い抜かれて第4位に後退。2059年に米国はインドに2位の座をも明け渡す。2072年以降は中国・インド・日本・インドネシア・フィリピンといったアジア諸国が世界経済をリードする

 2028年にはGDPが世界No.1に躍り出る可能性が中国への警戒を露わにする米国の対中貿易戦争は大国同士の覇権争いへと発展。両国のつばぜり合いは長期に及ぶことは避けられません。

 ウイグル民族に対する非人道的な抑圧政策に象徴される共産党一党独裁の習近平体制とメキシコ国境に壁を作り移民排斥を掲げるトランプ政権は、ある意味で表裏一体。互いに一歩も譲らぬ姿勢を見せており衝突は不可避です。

【Movie】冷戦構造下の1984年当時、軍拡競争に明け暮れ覇権を争ったアメリカ・レーガン大統領と(ドナルド・トランプ氏に似ている)ソ連のチェルネンコ書記長に扮した両者が取っ組み合いを繰り広げるMVが話題となった英国出身のバンドFrankie Goes to Hollywood 2枚目のシングル「Two Tribes」。〝When two tribes go to war, A point is all you can score.二つの民族が戦争を始めた時、得るものは多くない(中略)Giving you back the good times.良かった時代に戻してやろう〟。トランプ氏が演説で好んで使うMake America Great Again.(アメリカを再び偉大な国にしよう)とこの曲の一節とが妙に符合する

 トランプ旋風はアメリカ国内の局地風に留まらず、地球的スケールで乱気流を巻き起こしています。そのあおりを受け、日本の中国向け輸出に逆風が吹き景況感が急減速。

 景気がマイナス局面に入ったと内閣府が判断した3月の景気動向指数とは違い、輸出減による数字のマジックで今年1~3月期のGDPは0.5%のプラス成長。エッ、ホント~?

 株価は上がれど、諸物価の上昇に賃金が到底追いつかず、内需は冷え込む一方。選挙対策でぶち上げたアベノミクスによる景気回復を庶民は実感できないままです。

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【photo】風を受けて凧あげに興じる子ども。凧に書いてあるのは、米、砂糖、雑穀、酒、紙類、乾物、綿、太物など。そして酒樽や鰻の絵。世直し一揆や打ちこわしが各地で頻発し、政情不安に揺れた幕末期。その背景となった諸物価の値上がりを風刺する錦絵。アベノミクスの経済効果をアピールする政府発表とは裏腹に、実質所得が伸びない一方で値上げラッシュで国内消費が冷え込む現状と重なる。歌川芳虎「子供遊凧あげくらべ」1865年(慶応元年)

 巨額の対中貿易赤字を抱える米国主導のもとで実行された深圳に本拠を置く通信機器大手「ファーウェイ」製品の禁輸措置の発動が波紋を広げています。

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【photo】トランプ流の強権発動で新機種が発売延期に追い込まれたファーウェイ製スマートフォン。現行機種のファーウェイユーザーにオススメしたいスマホケース

 中国政府も認識しているように、これは長期戦となるであろう米中貿易戦争の序章に過ぎないでしょう。

 4年ごとの大統領選で選出される政権運営への有権者の評価を意味する今年11月の中間選挙。2期目を目指すトランプ大統領は、協調による世界秩序の維持には全く関心がないようです。

 その予測困難な言動により、先の読めない世界情勢は混迷の度を深めています。

 そんな中、令和初の国賓としてトランプ大統領が5月25日(土)から日本を訪問します。EU諸国など同盟国にあってすらトランプ政権とは一定の距離を置く首脳が多い中、蜜月ぶりをアピールしてきた安倍首相。これまでの強硬姿勢では進展を見なかった拉致問題の打開を含めて成果が期待されるところです。

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〝令和おじさん〟こと菅義偉官房長官は、20日、野党から内閣不信任案が提出されれば、衆議院を解散する大義となり、衆参同日選挙に打って出る構えを表明しました。

 野党の対立候補一本化態勢が整わない現状を受け、にわかに政権与党から強まってきたのが永田町周辺の局地風といえる「解散風」。秋に消費増税が予定される中、記録的な猛暑となった昨年に続いてこの夏は熱い政治の季節となるかもしれません。

 局地風がテーマだったはずが、気流の乱れが生じて話が二転三転しました。

 ガラリと風向きを変える次回は、局所的にナポリの風が吹く兵庫県明石市のトラットリア・ピッツェリア「CiRO チーロ」について語ります。 

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投稿者 vam : 06:02 | カテゴリー : ITALIA/| カテゴリー : ・Fuori Tohoku 圏外遠征

2019/05/03

世界 料理人気ランキング、栄えあるNo.1は?

Campione del Mondo, Cucina Italiana !


 英国の大手市場調査会社「YouGov ユーガブ」では、このほど世界24の国と地域の料理についての人気ランキングを発表しました。

【参考】https://yougov.co.uk/topics/food/articles-reports/2019/03/12/italian-cuisine-worlds-most-popular (英文)

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 ネットを活用したオンライン調査で多岐に渡る世論調査を頻繁に実施しているYouGovは、2000年の創業ながら、選挙における世論調査信頼性の高さで確固たる地位を確立。英語の日刊紙では世界最大の発行部数を有する「The Sun サン」と提携しています。

 先刻ご存知の通り、フィッシュ&チップス下画像やローストビーフに代表される伝統的なイギリス料理は、(常食している英国人を除き)評判が芳しくありません。

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 庄イタは某国大統領のような自国第一主義者でもなければ、ましてや人種差別主義者ではありません。ただし、経験則上、味覚音痴が疑われるアングロサクソンが対象の調査であれば、その信憑性に疑問符をつけたいところ。

 その点、当調査の抽出サンプル2万5千人は英国内のみならず、インターネットで結ばれた世界24の国と地域に及んでいます。ここは信頼に値する結果が得られたと考えて差し支えないでしょう。

 以下、興味深い結果が得られた調査内容をご紹介します。

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 今回、調査対象となったのは、イギリス・フィンランド・ノルウェー・スウェーデン・デンマーク・ドイツ・フランス・スペイン・イタリア・アラブ首長国連邦・サウジアラビア・インド・ベトナム・タイ・シンガポール・マレーシア・フィリピン・インドネシア・香港・台湾・中国・日本・オーストラリア・アメリカ合衆国。

 質問項目は
  ①自国の料理が好きか?
  ②好きな外国料理は?

 質問②の選択肢として挙げられたのが、調査対象である24の国と地域の料理にメキシコ・トルコ・韓国・ギリシャ・モロッコ・レバノン・カリブ・ブラジル・アルゼンチン・ペルーを加えた34の国と地域の料理。

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 まず①に対する回答を見ると、自国の料理を好きだと回答した割合が99%と最も高かったのが、わが祖国イタリア。郷土愛を意味するカンパリニズモの国・イタリアの面目躍如といった数字です。

Ribollita@osteria-antica-mescita-san-niccolo.jpg【photo】トスカーナの代表的な家庭料理「Ribollita リッボリータ」。ありあわせの野菜と豆を野菜の滋味が溶け込んだスープでくたくたに煮込み、硬くなったパンを浸して食べる。軽佻浮薄なインスタ映えなどとは無縁ながら、ほっぺが落ちそうなほど美味しい。観光客でごった返すフィレンツェ中心部を避けてアルノ川南岸へ。オルトラノ地区の隠れ家的なオステリア「Antica Mescita San Niccolò アンティカ・メッシタ・サン・ニッコロ」にて

〝イタリア各地に郷土料理はあれど、一括りに包含できるイタリア料理は存在しない〟というのが通説。これは北部・中部・南部・島しょ部ごとに地域性豊かな郷土料理が存在し、郷土の味が一番と考える傾向が顕著ということ。庄イタもその通りだと感じており、回答したイタリア人それぞれの地元料理といった方がより正確でしょう。

 2位の98%がタイとスペイン。インドネシア・マレーシア・フィリピンの東南アジア諸国が97%で同率3位。以下、96%:フランス・ベトナム・台湾・シンガポール、95%:中国、94%:日本・フィンランドと続きます。

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 逆に自国の料理に対する支持が最も低かったのが、81%のノルウェー。隣国のスウェーデンが92%、フィンランドは94%と健闘していますが、畜産が盛んなデンマークも85%に留まります。

 灰汁で戻してソテーなどで食する干ダラ下画像、トナカイなど地元食材が限られる寒冷な北欧2か国の低迷ぶりが目につきます。

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 次いで低いのが84%のアラブ首長国連邦。国際都市ドバイには世界中の料理が軒を連ねます。自国民は伝統料理には目もくれず潤沢なオイルマネーに物を言わせ、世界各国で美食の限りを尽くしているからなのでしょうか。ちなみにUAEで最も人気が高い料理は87%の支持を得たイタリア料理です。

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 自国の料理の支持率が9割を切ったのが、多彩なハム・ソーセージ類はまだしも、骨付き豚スネ肉の煮込みアイスバインと付け合わせにジャガイモ・酢漬けキャベツのザワークラウト上画像・レバークヌーデルスープ下画像など、洗練されたイメージとは程遠い料理が思い浮かぶドイツの85%、そして入植したイギリスの食文化の影響が色濃いオーストラリアの89%。

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 かろうじて9割を超える91%の自国民から支持されたのがイギリス。人口10万人当たりのマクドナルド店舗数が4.38と世界一のアメリカ合衆国も同率で並びます。高所得層でさえ半数以上のアメリカ人は週1回以上ファストフード店を利用しているのだといいます。(☜ 日本とて同店の店舗数は世界5位の2.9。他国のことを笑ってはいられない)

 EU諸国では関税の撤廃と物流網の発達により、統合以前と比べて遥かに食材のバリエーションは増えています。EUからの離脱に揺れるイギリスも恩恵に浴し、以前よりは料理が美味しくなったという声もチラホラ。

 誤解が無きよう申し添えますが、自国民の支持率が低かった国の料理を中傷する意図は全くありません。いのちを育む食べ物の価値に貴賤はありません。

 時間に追われ、空腹をただ満たすだけでは、あまりに人生は味気ないと考える庄イタ。少なくとも料理には魅力を感じない国々が下位に甘んじた事実をまずは確認しておきます。

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marinara-pizza-d'oro.jpg【photo】関西に居を移して2年あまり。梅田・西天満・天神橋筋・新町などで十指に余る食べ歩きした大阪市内で初めて納得できるナポリピッツァと出合ったのが、北区中崎町「Pizza d'Oro ピッツァ・ドーロ」のマリナーラ

 次に②好きな外国料理に関する結果をご紹介しましょう。

 集計に当たっては、調査対象となった国別の支持率をもとに平均値を求めたランキングになっています。

 平均84%の支持を獲得して第1位に選ばれたのもイタリア料理。①自国内の支持率ともども、②でも堂々の1位に輝いています。

 極東の国ジパングでガラパゴス的な突然変異で編み出されたケチャップ味の炒めスパゲッティ「ナポリタン」、某イタリアンレストランチェーンの看板メニュー「ミラノ風ドリア」、渋谷「壁の穴」で誕生したという「たらこスパゲッティ」をイタリア料理に含むかは微妙なところ(笑)。

 バブル期にイタ飯ブームを経た日本のイタリア料理は、ポピュラーなシチリア・ナポリ・トスカーナのみならず、ピエモンテ・ジェノヴァ・マルケ・プーリア、さらにはトスカーナ州最南部マレンマ地方など、地域的な細分化と深化を続けています。

napolitan-people-sendai.jpg【photo】令和の時代になっても紙ナプキンで先端を包んだフォークで頂く油で炒めたアルデンテではない昭和レトロな由緒正しいナポリタンを提供する仙台市若林区荒町の喫茶店「ぴーぷる」。喫煙に寛容なオーナーは平成の世に施行された健康増進法などどこ吹く風。時として隣席の副流煙の直撃に耐えなくてはならないのも昭和流。そんな時はスパゲッティを昭和流に「ズズズ...ッ」と大きな音を立ててすすって隣客に逆襲してはいかがだろう

 第2位が平均78%の中華料理。3位には同71%の日本料理が食い込みました。平均70%の同率4位がフランス料理とタイ料理、同68%の同率5位がスペイン料理とアメリカ料理と続きます。

 イタリアが他のG7加盟国の懸念をよそに先陣を切って覚書に署名した「一帯一路構想」を掲げ、全世界最多の人口14億人を擁する中国の影響力は世界を席巻。海外を旅していて中華料理店を目にしないことはありません。

 laCucinaItaliana-UEKI.jpg【photo】心斎橋の喧騒を離れ、シチリアの空気を吸いたくなったらここへ。当分の間ランチのみ営業する「la cucina italiana UEKI ラ・クチーナ・イタリアーナ・ウエキ」。丁寧な仕事ぶりが伝わるある日の「PRANZO B」(税込2,200円)より。アンティパスト、春キャベツのポタージュ、シチリア風レモンとピスタチオのリゾット、ナスを和えたトマトソースにリコッタチーズを削ったスパゲッティ・アッラ・ノルマ。その名はシチリア東部の街カターニャ出身の作曲家ベッリーニのオペラNormaに由来。+600円で人気のシチリア菓子「カンノーロ」とカッフェがセットに

 妥当な結果と言ってよいであろう1位・2位はともかく、3位に日本料理が入ったことは意外な結果でした。西欧や中華圏と比較して油脂やソース類を使う料理が少ない日本料理は、外国人には淡泊な印象を持たれることが多いからです。

 それでも2015年にミラノで食をテーマに開催されたミラノ万博では、日本食を紹介する日本館の入口に最長9時間待ちの長蛇の列が出来ました。そこに整然と並ぶイタリア人の姿に驚かされたものです。秩序立った行動や忍耐強さとは無縁の国民性だとばかり思っていたものですから(笑)。

 日本国外で増殖中の日本料理店は、日本人以外が経営するケースが少なからず存在し、実態が無国籍料理と化している場合も少なからずある点は目をつぶるとして、いまや Sushi, Tempuraは世界に名を馳せ、昆布や鰹のUmamiは西洋料理のグランシェフのイマジネーションを掻き立て、醤油・味噌は世界のグルマンを魅了する有名レストランの厨房で珍しいものではなくなりました。

 時代は変わっているのですね。

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 今回の調査によれば、日本人が好きだと回答した外国料理は、中華料理(88%)とイタリア料理(85%)が両雄。次点はポイントをずっと落としてフランス料理(68%)、韓国料理と台湾料理(66%)という結果に。

kobemotomachi-bekkanBotanen-2018.2.6.jpg【photo】かまびすしい呼び込みには耳を貸さず、神戸・南京街の表玄関・長安門からメリケンロード(鯉川筋)を少し山側へ。元町北通の一角で1952年(昭和27)に広東省出身の王熾炳さんが創業。作家陳舜臣はじめ神戸っ子に愛されてきた「別館牡丹園」。現在は2代目王泰康さんが本場の味を受け継ぐ。豆苗の炒め「炒豆苗」・冬季限定の伊勢産カキ広東風お好み焼き「煎生蠔」・海老の卵炒め「滑旦蝦仁」・特製海老の天ぷら「炸大蝦」など一品料理のほか、本格コース料理も

 東京や関西圏には今回の調査対象となった国々の料理店が出揃いますが、日本人は欧州やアジア圏の国々と比べて外国料理の許容範囲が狭いことが読み解けます。

 欧州的な視点からの覇権国家としての影響力が主たる選定の基準であったろう世界三大料理(☞ 大英帝国は資格充分ながら、前述の理由でイギリス料理は落選)。 

 言わずもがなの3国とは、東アジアから黒海を越え、東欧諸国まで及んだ広大な領地に飽き足らず二度にわたる元寇で日本にも食指を伸ばした元朝時代の歴史を繰り返すのか、経済協力を餌にアフリカ諸国に支配力を強め、東南アジアでは海洋進出を目論む中国。次にフィレンツェからアンリ2世に政略結婚で嫁いだカテリーナ・デ・メディチが食文化を洗練させたブルボン王朝や、遠くロシアまで欧州一円に版図拡大を目論んだナポレオン・ボナパルト時代の恩恵に浴するフランス。そしてその一角に名を連ねるのが強大なオスマン帝国の歴史に彩られたトルコです。

the-complete-book-terkish-cooking.jpg【photo】1453年に東ローマ帝国が滅亡した後も、シルクロードの要衝であったコンスタンティノープルには西洋と東洋の食文化が出合い、権勢を誇った歴代スルタンの食卓を飾った宮廷料理が編み出された。その流れをくむ150のトルコ料理を豊富な画像と共に紹介する「The Complete Book of Turkish Cooking」Ghillie Basan著(2013刊)

 大英帝国の礎を築いた女王エリザベス1世統治時代のオスマン帝国の都コンスタンティノープルに交易のため着任した英国大使は、スルタンが催した晩餐会で100種類の宮廷料理で歓待されたといいます。オスマン帝国時代に体系化されたトルコ料理が好きと答えた日本人は、調査対象となった24か国中23番目の39%に過ぎません。

 古(いにしえ)より東西の文化が往来したシルクロードの東端にあたる日本は、諸外国の文化を巧みに取り入れてきました。食文化もしかり。明確な根拠はありませんが、日本人は繊細な味覚を持つといわれます。島国なるが故の傾向なのか性急にその理由を求めることはできません。

 何故なら同様の傾向は中国にも見て取れるのです。平均84%の支持を受けたイタリア料理が好きだと答えた中国人は69%。同様に71%の支持を得た日本料理が好きだと答えた中国人は54%に留まります。

 香港や台湾にはこうした傾向は読み取れないので、自国の文化を至上のものと考える中華思想が中国の人々に根強く残っているのでしょうか。う~む。

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 最後に精神構造がイタリア人である庄イタの当該調査に対する回答を述べておきましょう。

  質問①「Si. スィー。☞ Yes.」(自国の料理とはイタリア料理を指す)
  質問②「スペイン料理・フランス料理・インド料理・メキシコ料理」

kasimir-curry.jpg【photo】大阪のカレー愛好者を唸らせる北浜「カシミール」。一人で店を切り盛りする店主が納得ゆくまでは定刻の12時になっても開店しないため、通常の昼休み時間に食事にありつけることはまず不可能。13時前後の場合が多い手書きによる開店見込み時間の貼り紙を信じて並ぶか、即刻または待ち時間の長さにしびれを切らしてその場を立ち去るかは客の熱意次第。
調整可能な辛さは3辛がスタンダードというものの相当手ごわい。これはある日の「マトンカレー(具だくさんな)ミックスA」(1,100円)10辛(+数百円)。その色あいは、血の池地獄さながら。無謀な挑戦は控えよう

 例外はありますが、スペイン料理は南イタリア料理と、フランス料理は北イタリア料理に相通じます。数多くの香辛料が複雑に響き合うインド料理、サルサソースと唐辛子を多用するメキシコ料理については、辛味に対する耐性が常軌を逸している庄イタにとっては好ましい味つけと感じられます。

 この結果を国別の回答内容と照らし合わせると、な・な・なぁ~んと、①自国(99%)に次いで②好きな外国料理でスペイン料理(87%)、メキシコ料理(77%)がトップ3を占め、庄イタが好きな外国料理として挙げたフランス料理(60%)とインド料理(57%)が10位圏内に入っているイタリア人の回答内容に酷似していたという、さもありなんなオチで締めたいと思います。

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投稿者 vam : 02:57 | カテゴリー : Cuccina Italiana

2019/03/17

必見!「Il Gattopardo 山猫 4K修復版」

CGもARもひれ伏す精緻な実写のリアリティ
4Kで蘇った絢爛たる歴史絵巻〈後編〉


 リソルジメント(イタリア統一運動)が大詰めを迎えていた1860年5月。ポー川以北のヴェネトやチロル地域を領地としていたオーストリア帝国支配からの脱却、そして立憲君主制を志向するブルジョア革命のうねりは、スペインブルボン家の流れをくむ王政のもと、貴族支配による封建的な土地所有制が保たれていたシチリアにも及びます。

 ナポレオン支配を脱した後、サルデーニャ王国を盟主とする統一国家「イタリア王国」が1861年3月に成立する直前時点で、イタリア半島は紆余曲折を経て4つの国家に分かれていました。

Risorgimento.gif【Animation】イタリア統一運動が巻き起こった1829年から1871年までの時代変遷。ガリバルディがシチリアに上陸する1860年5月までにサルデーニャ王国(Regno di Sardegna:グレー)、オーストリア帝国(Impero Austoriaco)領ロンバルド=ヴェネト王国(Regno Lombardo-Veneto:レモンイエロー)は、ロンバルディア地域がサルデーニャ王国に編入、ローマ教皇領(Stato Pontificio:パープル)、両シチリア王国(Regno delle Due Sicilie:ベージュ)の4か国に統合されてゆく。その過程でフランス帝国ナポレオン3世とイタリア統一後初代首相となるサルデーニャ王国宰相カミッロ・カヴールとの密約により、オーストリア排除のためフランスが介入する見返りにガリバルディの生まれ故郷ニースやモナコ、サヴォア地域がフランスに割譲。オーストリアとの単独講和を結んだナポレオン3世の裏切りにより、イタリア統一の機運が高まる。1860年に実施された投票でトスカーナ大公国(オリーブ)やパルマ公国(ブラウン)とモデナ公国(ライトブラウン)がサルデーニャ王国に編入されるなど、複雑な経過を経る

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 祖国統一を目指すジュゼッペ・ガリバルディ上画像率いる私設軍「La Spedizione dei Mille(千人隊、ないしは赤シャツ隊)」の兵士約1,000名余は、2隻の船に分乗し、1860年5月シチリア西部のマルサラ付近に上陸。同年初めにパレルモやメッシーナなどで武力蜂起した農民と合流して王党軍と戦闘を繰り広げます。

 ガリバルディは反動的な治政を敷いたフェルディナント2世が実権を握るナポリ・シチリア王国打倒を旗印に掲げます。シチリアがノルマン人の支配下に入る11世紀末を起源とし、13世紀には確立していた封建的な土地制度を支えた農民や市民らの歓迎と加勢を受け、同年7月末までにパレルモから東部メッシーナまでを制圧。

 当初の2.5倍の規模に膨れ上がったガリバルディ軍は、シチリアを開放後、王朝軍が制海権を握るメッシーナ海峡を渡り、イタリア半島のつま先にあたるカラブリアから王国の首都ナポリへと進撃を続けます。

incontro-Garibaldi -Vittorio-Emanuele-II.jpg【photo】1860年10月26日。ピエモンテから南進したヴィットリオ・エマヌエーレ2世とシチリアから北上したガリバルディがナポリ近郊のテアーノで会見。共和派のガリバルディが解放した領土を王党派の領袖たるサルデーニャ国王に献上。戊辰戦争のような内乱を経ることなく統一運動が進展する。ピエトロ・アルディがトスカーナ州の古都シエナ市庁舎に1886年に描いたフレスコ画「テアーノの会見」

 1860年10月、サルデーニャ王国軍を率いてナポリに侵攻したヴィットリーオ・エマヌエーレ2世に対し、ガリバルディは制圧した全ての領地を献上。武力によるブルボン支配からの脱却を推し進めたガリバルディが身を引く形で、サルデーニャ王国主導のもとイタリア統一に向けた動きが加速します。

 映画「Il Gattopardo (邦題:山猫)」の主人公、サリーナ侯ドン・ファブリツィオ・コルベーラは、幾代にもわたって広大な領地を所有、その権益を享受してきた名門貴族ファブリッツィオ家の当主。その家族下画像も、そうした時代の一大変革期の渦に巻き込まれてゆきます。

Il-Gattopardo-salina-famiglia.jpg【photo】映画の冒頭、日課であるロザリオの祈祷を終えたサリーナ公爵家の家族にガリバルディ軍のシチリア上陸の一報が届く。新しい風がシチリアに吹き始めたかのようにレースのカーテンが風に揺らめく演出が心憎い。革命軍上陸に動揺して取り乱すマリア・ステッラ公爵夫人(右から3人目)や家族に対し、名門貴族の長であるサリーナ侯ドン・ファブリツィオ・コルベーラ(左から3人目)は落ち着き払った態度で接する Reporters Associati s.r.l

 映画のおさらいとして、〈前編〉の最後でお願いした通り、右記アーカイブよりDicembre 2015(2015年12月)の拙稿「Principe di Salina サリーナ公爵 ~ 山猫の世界を体感するピュアカシミアコート」をご覧いただいているという前提で話を進めます。

※ダイレクトリンク不可につき、お手数でも下記URLをコピペ頂けますようお願いします。
  http://blog.kahoku.co.jp/shokuweb/vam/2015/12/principe_di_salina.html

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 第二次世界大戦でイタリアが連合国に降伏した後、ナチスドイツの占領下にあったローマで対独レジスタンス活動を繰り広げた市民に降りかかる厄難をドラマチックに描いたロベルト・ロッセリーニ「Roma città aperta(邦題:無防備都市)」(1945)、大戦後の貧困にあえぐ父と息子の悲哀が心を打つヴィットリオ・デ・シーカ「Ladri di Biciclette(邦題:自転車泥棒)」(1948)、粗野な旅芸人ザンパノの助手となったジェルソミーナを身勝手から見捨て、数年後に無垢な彼女の末路を知って嗚咽するラストが胸に迫るフェデリコ・フェリーニ「La strada(邦題:道)」(1954)。

 こうしたイタリア映画の金字塔を打ち立てた作品は、有無を言わせず個人を力で抑圧するファシズムへの反動として、1940年代から1950年代にかけて黄金期を迎えるイタリアン・ネオレアリズモの本流を生み出し、映画や文学に新風を吹き込みます。

 ファシズム後の混乱した社会の不条理と貧困に立ち向かう人々の哀感をありのままに描くネオレアリズモの先駆的作品とされるのが、ミラノの名門貴族の出身であるルキーノ・ヴィスコンティ・ディ・モドローネ(1906-1976)の長編処女作「Ossessione(邦題:郵便配達は二度ベルを鳴らす)」(1943)です。

 イタリア語で妄想や悪夢を意味するOssessioneは、ファシスト一党独裁のベニート・ムッソリーニ政権末期にイタリア国内で公開されています。吹き荒れるファシズムへの反動として巻き起こったレジスタンス活動にヴィスコンティが身を投じた当時の処女作でしたが、上映後わずか数日で上映禁止処分を受けています。

 その理由として〝原作者ジェームズ・M・ケインの許諾を得ることなく映画化されたため〟と紹介されることが日本では少なくありません。しかしながら、この安直な解釈には疑問をさし挟む余地が残ります。

Ossessione.jpg【photo】映画「Ossessione(邦題:郵便配達は二度ベルを鳴らす)」より ©1943 I.C.I. Industrie Cinematografiche Italiane. © 1987 Marzi Vincenzo; © 2004 MARZI Srl. All rights reserved. International Sales VIGGO S.r.l.

 Ossessione の撮影が始まったのは第二次世界大戦の真っただ中の1942年6月。枢軸側のイタリア王国は、英米仏ら連合国と戦争状態にあり、許諾を取ろうにも困難な状況でした。ゆえに許諾を得ることなく映画製作が進んだことは事実です。

 独裁者ベニート・ムッソリーニの次男ヴィットリオは、映画批評誌「Cinema」編集長を務めており、同誌の編集同人だったヴィスコンティを含む下層社会に生きる人々への共感を示す左派ネオレアリズモ運動の旗手を担ってゆく映画人と交友がありました。独裁者の後ろ盾とヴィットリオの後押しを受け、脚本に若干の手直しを入れるだけで検閲をパスしたのは、イタリアが伝統的なコネ社会ゆえでしょう。

 翌1943年5月、ローマやミラノなどで劇場公開されるも、国家ファシスト党からは完成した映画に登場する非都市部の描写が貧相だと横槍が入り、保守的なカトリック教会からは内容が非道徳的だと糾弾され、封切り数日にして上映中止。官憲の手でフィルムは廃棄処分されます。アフリカ戦線からの撤退など戦況の悪化と連合国のイタリア本土上陸が現実味を増した同年7月25日、ムッソリーニは失脚、9月8日にイタリア王国は無条件降伏します。

making-ossessione.jpg【photo】初監督作Ossessione 撮影中の貴重なスナップ。1954年公開のヴィスコンティ作品「Senso(邦題:夏の嵐)」ほか、ベルナルド・ベルトルッチ監督作「Ultimo tango a Parigi(邦題:ラスト・タンゴ・イン・パリ)」(1972)にも出演する足掛かりとなったマッシモ・ジロッティ(1918-2003・中央)と共演のエリオ・マルクッツオ(1917-1945・)に演技指導するルキーノ・ヴィスコンティ()。エリオ・マルクッツオは、対ナチスドイツ破壊工作活動を行ったパルチザン組織「ガリバルディ旅団」に所属。ナチスドイツ降伏後間もない1945年7月、パルチザンに対する徹底した弾圧を行った秘密警察の残党により28歳で処刑された ©Osvaldo Civirani (attr.), 1942. Coll. Museo Nazionale del Cinema

 ナチスドイツによるイタリア占領下において、アルフレード・グイーディという偽名を名乗ってローマでレジスタンス活動中に身柄を拘束されるも、40日後の1944年6月4日、連合軍によるローマ解放の日に救出されます。

 第二次大戦終結後、ヴィスコンティが保管していたネガフィルムをもとに映画を復元、米国で劇場公開しようとするも、大手配給会社MGMは、いかにもハリウッド的なラナ・ターナーを主役に起用した「The Postman Always Rings Twice(邦題:郵便配達は二度ベルを鳴らす)」を制作しており、版権がネックとなってお蔵入りとなったというのが真相のようです。

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 イタリア国外では1976年まで公開できなかった初監督作「Ossessione」の完成後は、舞台演出家としての活動に重きを置きます。さらに1954年12月にはオペラの演出にも進出。ミラノスカラ座の歌劇「ヴェスタの巫女」全3幕公演にデビュー間もないマリア・カラスを起用し成功を収めます。翌年もカラスはヴィスコンティのもとでジュゼッペ・ヴェルディ「椿姫」ヴィオレッタなどの大役にも挑戦、演技に磨きをかけ、20世紀を代表する世界のプリマ・ドンナとして成長してゆくのです。

maria_callas_scala.jpg【photo】スカラ座には1950年にヴェルディ「アイーダ」で初舞台を踏んだマリア・カラス。ヴィスコンティの初演出によるガスパール・スポンティーニ「ヴェスタの巫女」('54)、ヴィンチェンツォ・ベッリーニ「夢遊病の女」('55)、ルイージ・ケルビーニ「メデア」('62)からのアリア集CD「スカラ座のマリア・カラス」(全6曲・42分)・演奏:ミラノスカラ座管弦楽団 ・指揮:トゥリオ・セラフィン  ・レーベル: ワーナーミュージック・ジャパン ℗ 1958 Warner Classics, Warner Music UK. Digital remastering (p) 2014 Warner Classics, Warner Music UK Ltd, A Warner Music Group Company

 選挙キャンペーン用に南部の貧困をドキュメンタリータッチで撮ってほしいというイタリア共産党の依頼を受け、出演者全員が地元の漁民や素人・オールロケによる撮影に着手。当初計画では短編映画の予定が、シチリア滞在は6カ月に及び、党の援助資金が途絶します。

 そのため、1939年に59歳で亡くなった母カルラの形見である宝石類をやむなく売却。165分の大作となった傑作「La Terra Trema - episodio del mare(邦題:揺れる大地-海の挿話」(1948)は、こうして完成します。

terra_trema_visconti.jpg【photo】ルキーノ・ヴィスコンティ監督作品「揺れる大地~海の挿話 デジタル修復版」 (Blu-ray)本体価格:5,800円(税別)販売元: KADOKAWA / 角川書店

 その後の「Bellisima(ベリッシマ)」(1951)、オムニバス映画「Siamo Donne(邦題:われら女性)」第5話「Anna Magnani(アンナ・マニャーニ)」(1953)、「Senso(邦題:夏の嵐)」(1954)、「Le Notti Bianche(邦題:白夜)」(1957)まで続くネオレアリズモ路線の展開と深化の集大成となったのが、「Rocco e i suoi fratelli (邦題:若者のすべて)」(1960)。

 遺作となった「L'innocente(イノセント)」(1976)撮影中の1975年、フランス「Cine Revue」誌による生前最後のインタビューが行われ、同年12月25日号に掲載されました。そこで自分にとって特権的な地位を占める最も好きな作品だと語っているのが、ミラノを舞台とするRocco e i suoi fratelli です。

rocco-suoi-fratelli@Duomo.jpg【photo】「若者のすべて」で、ロッコ(アラン・ドロン)が恋仲になったナディア(アニー・ジラルド)に別れを告げるシーン。ルキーノ・ヴィスコンティの血筋を14世紀末まで遡ったジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティが建造に着手したミラノのドゥオーモ屋上で撮影された

 映画作品としては唯一、ドゥオーモなどミラノの街並みが映し出されるだけでなく、経済発展著しいミラノで働く長兄を頼り、父を亡くして生活が困窮する南部バジリカータ州から移住した母ロザリアと息子たちパロンディ一家の崩壊を通し、南北格差というイタリアが抱える病理も浮き彫りにしたことをその理由として挙げています。

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 前回取り上げた「Ludwig(邦題:ルートヴィヒ)」(1972)など、後半生で追及してゆく「滅び」と向き合う人間の姿を描く転換点となったのが「Il Gattopardo (邦題:山猫)」(1963)。原作は統一前の両シチリア王国で歴代の宰相を務めた家柄の貴族パルマ公の末裔5代目ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサ(1896-1957)。曾祖父ジューリオ・ファブリツィオ公爵や祖父4代目ジュゼッペ公爵をモデルとして死の直前に執筆、死の翌年1958年に出版されるや、イタリア国内でベストセラーとなった長編小説です。

 映画と小説の違いはあれど、「Il Gattopardo 山猫」は幼少期から貴族文化の中で育ち、本物だけが持つ輝きを知り尽くした2人だからこそ生み出せた一期一会の作品なのだといえます。

 それゆえ、贅沢の極みといえる山猫のような映画はもう二度と作ることが出来ないといわれてきました。

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 時代の転換点を生きたシチリア貴族の姿を描いた不朽の名作「山猫」が、かつてない精緻な4K 画像で蘇り、1976年にヴィスコンティがこの世を去った3月17日(日)から東京恵比寿の東京都写真美術館を皮切りに、日本における配給元「クレストインターナショナル」の版権が切れる関係で国内では最後となる上映が順次行われることになりました。

 ◎現時点で判明している主な上映スケジュールは以下の通り。
 ・3月17日~ 東京 東京都写真美術館ホール
 ・4月 6日~ 名古屋 名演小劇場
 ・4月19日~ 福島 フォーラム福島
 ・4月20日~ 京都 京都シネマ
 ・4月27日~ 茨城県那珂 あまや座
 ・5月 4日~ 新潟 新潟シネウインド
 ・5月31日~ 大阪 シネリーブル梅田
 ・期日未定  盛岡 フォーラム盛岡

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【photo】サリーナ公爵の日課である家族揃っての夕祷が続く中、使用人たちの騒然とした声が階下から聞こえてくる。広大な庭園の一角で王党軍の若い兵士が息絶えた状態で発見されたのだ。原作では嫌悪感を催す毀損著しい状態で発見された設定になっているが、ヴィスコンティの手にかかったそれはギリシャ彫刻さながら

 かたちあるものは全て滅びる。 ― 生きとし生けるものの命しかり、繁栄を謳歌したカルタゴやローマ帝国しかり。過去の名作映画もフィルムの退色など経年劣化を免れることはできません。

 「Taxi Driver(タクシードライバー)」(1976)、「GoodFellas)(グッドフェローズ)」(1990)、遠藤周作の原作による「Silence(邦題:沈黙-サイレンス)」(2016)などで知られる映画監督のマーティン・スコセッシ氏が1990年に設立した非営利団体「The film foundation ザ・フィルム・ファンデーション」は、過去の名作の保存修復に取り組んでいます。

 その発起人にはウッディ・アレン、フランシスフォード・コッポラ、クリント・イーストウッド、スタンリー・キューブリック、ジョージ・ルーカス、シドニー・ポラック、ロバート・レッドフォード、スティーブン・スピルバーグといった著名な映画人が名を連ねます。

【Movie】 1866年春。オーストリア帝国支配下のヴェネツィア。ジュゼッペ・ヴェルデヴィの歌劇「イル・トロヴァトーレ」を上演中のラ・フェニーチェ歌劇場。流浪の騎士マンリーコが仇敵ルーナ伯爵に母親を捕縛されたと聞き、怒りに燃え配下の兵と共に救出に向かう第3幕から映画は始まる。マンリーコがアリア「Di quella pira(見よ、恐ろしい火を)」を歌い終わると、天井桟敷席から最前列に陣取るオーストリア士官に「外国はヴェネツィアから出て行け、イタリア万歳!」の叫びと共にイタリア三色旗を表す赤白緑の花が投げつけられる。騒然となる劇場内にはオーストリア支配を脱却し独立を訴える3色のビラが舞い上演は中止。長編の監督作としては4作目となる「Senso(邦題:夏の嵐)」は、GUCCIの資金提供を受けたフィルムファンデーションによって修復された

 ◎同団体がこれまでに修復した主な作品は以下の通り。
 ・羅生門(黒沢 明 1950)
 ・夏の嵐(ルキーノ・ヴィスコンティ 1954)
 ・理由なき反抗(ニコラス・レイ 1955)
 ・甘い生活(フェデリコ・フェリーニ 1960)
 ・若者のすべて(ルキーノ・ヴィスコンティ 1960)
 ・ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ(セルジオ・レオーネ 1984)

 2010年、フィルムファンデーションの活動に賛同し、それまで「夏の嵐」や「若者のすべて」などイタリア映画の修復に1,500万ドルを資金援助していたGUCCIによる90万ドルの新たな提供を受け、山猫の修復がフェリーニの「La Dolce Vita(甘い生活)」と並行してなされたのです。

 山猫は、現在パリに本部を置く多国籍企業テクニカラー社が1957年に開発した通常の2倍の解像度を有する「Techinirama テクニラマ」方式で収録されており、マスターフィルムの退色・変色を4K画質で修復。ソニーピクチャーズの修復部門とイタリア・ボローニャのプロフェッショナルの協働作業は12,000時間に及んだといいます。

 映画用35mmフィルムの解像度は、2Kハイビジョンとほぼ同等。4Kはハイビジョンの4倍の情報量ゆえ、映像の鮮明度は格段に向上するわけです。技術革新により臨場感が尋常ではない8Kテレビまで登場した現在、デジタル化の波は映画館にも急速に広がっています。

 (一社)日本映画製作者連盟の統計(2018年12月末)では、日本国内の映画館のスクリーン数3,561のうち、デジタル設備は3,494を数えます。4Kプロジェクターの普及も徐々にではありますが進んでいます。

 フィルム映写機で1秒に24コマ送りの映像を映し出していた「ニューシネマパラダイス」で描かれた時代とは隔世の感があります。映画館からフィルムがほぼ消滅し、デジタルの時代となった今。映写技師アルフレードがトトに遺した贈り物の中身が明かされる感動的なラストシーンは、昔々のお伽話になってゆくのでしょうか。

 予告編を見る限りにおいて、1964年に日本で初公開されたデラックス・カラープリントによる英語国際版、そして1981年公開のテクニカラープリントのイタリア語版の画質は無論のこと、名作「ひまわり」ほか数々のフェリーニ作品、ヴィスコンティ作品では「山猫」や「若者のすべて」で撮影監督を務めたジュゼッペ・ロトゥンノ氏監修のもと1991年からオリジナルネガの捜索と修復が行われ、2004年に日本で公開された庄イタがDVDを所有する「イタリア語・完全復元版」でさえ太刀打ちできない画質の精細さに目をみはります。

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 「山猫」はヴィスコンティ映画では初めて米国の大手配給会社「20th Century Fox」が配給元となり、当時としては破格の製作費200万ドルが用意されました。完全主義者ヴィスコンティは、Techiniramaの長所である四隅まで焦点が定まったクリアな映像が収録できる高性能カメラを使い、スタジオセットでは再現が困難な時代の空気感まで細部にわたって表現しようとします。

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 名門貴族の次代を担う野心家の甥タンクレディ伯爵(アラン・ドロン /上画像右と新興ブルジョア成金ドン・カロージェロの娘アンジェリカ(クラウディア・カルディナーレ /上画像左の婚姻を認めることで、新たな時代を受け入れるサリーナ公爵(バート・ランカスター /上画像中

 「時代が変わっても旧態然としたシチリアは変わらない。」状況を見極める冷徹な目と時代感覚の持ち主であるサリーナ公爵がそう言い放ったように、1861年3月のイタリア王国成立後も映画ではサリーナ公爵家がモデルとなった貴族層が大土地所有者の座に第二次世界大戦の終結まで居残りました。

 原作は1860年5月のガリバルディ上陸から1883年7月の公爵の死を挟み、3年前にタンクレディも世を去った1910年5月、60歳代となったサリーナ公爵家の娘たちとアンジェリカの後日談までが示されます。映画では統一イタリア王国成立後1年半を経た1862年11月に催された舞踏会までが描かれます。

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 コンピュータグラフィクスなどのVFX技術が登場する以前の映画ゆえ、物語の舞台となる1860年には存在しなかった電柱やTVアンテナなどはカメラからフレームアウト。150名の建設スタッフにより屋外広告物や建造物の前には煉瓦積みの壁を作り、植物を植え替え、舗装路のアスファルトを剥がすなどして1860年当時のシチリアを再現しています。

 1961年の秋から1年以上を要した綿密なロケハンを経て撮影は1962年3月中旬から12月末まで行われます。原作者ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサの父祖が暮らしたランペドゥーサ宮は、1943年4月の連合国による爆撃で廃墟化しており、映画に登場するサリーナ侯爵邸はパレルモ近郊の「Villa Boscogrande ヴィッラ・ボスコグランデ」に差し替え、全編の1/3を占める舞踏会が催されるポンテレオーネ公爵邸は「Palazzo Valguarnera-Gangi ヴァルグァルネーラ・ガンジ宮」で収録が行われます。

 映画で使用されたサリーナ公爵邸の家具・什器、晩餐会や舞踏会に用いた燭台や食器類は、多くがランペドゥーサと遠い縁戚関係にあり、小説の版権を有する養子となったジョアキーノ・ランツァ・トマージ公爵とランツァ家の提供によるもの。

cena-il-gattopardo.jpg【Photo】サリーナ公爵家がドンナフガータ村に所有する別荘での晩餐の席に招かれた村長ドン・カロージェロ・セダーラは、不似合いな燕尾服で登場し公爵家の失笑を買うが、同伴した娘アンジェリカが登場するや、誰もがその美貌に目を見張る。タンクレディの下卑た内緒話に隣席のアンジェリカは大声をあげて笑い出し、高笑いが止まらなくなる。タンクレディに思いを寄せる長女コンチェッタは、場にふさわしくない彼女の品を欠く振る舞いに怒って席を立ち、座が白けてしまう

 前述の建築要員ほか、美術・衣裳・照明など総勢500名を超えたスタッフに加え、メインキャスト20名ほか、最大の見どころとなる舞踏会に招待される華やかな衣装に身を包んだ男女240名のうち80名は本物のシチリア貴族が出演しています。空前絶後のスケールとなった山猫のシチリアロケは、50年以上を経た今もパレルモやドンナフガータ村の語り草となっています。

 ヴァルグァルネーラ・ガンジ宮での舞踏会のシーンは、ロウソクの炎が冷房の風で揺らめくのを嫌ったヴィスコンティの意向により、夏の昼間の暑さを避けて夜8時から撮影を開始。翌朝の4時まで続くロケは連日36日に及びました。

【photo】米国の配給元「20th Century Fox」制作による映画「The Leopard(山猫英語版)」予告編。映画ではヴィスコンティの演出により威厳をたたえたシチリア貴族になり切っていたバート・ランカスターがナレーションで登場。ヴィスコンティの手を離れたバート・ランカスターは、どう見ても西部劇の方が似合う印象を受ける

 <前編>で写真をご紹介したミラノの生家で催された舞踏会に招かれた20世紀初頭の貴族女性の衣装を忠実に再現するべく、ヴィスコンティは色柄や風合い、ヘアスタイルなどのディテールに関して事細かに指示を出します。レベルの高い要求に応えるべく、衣裳・ヘアメイクを統括するピエロ・トージ氏は総勢120名体制で舞踏会の収録に臨みました。

 何百本というロウソクに火が灯された屋内の暑さに耐えかねたキャストが撮影の合間にドレスを脱いでしまうため、メイクアップ・衣裳などスタッフが現場を右往左往。そんな熱気渦巻く撮影現場は、灼熱の熱帯夜状態。コルセットで体を締め付けた女性キャストの失神者が相次いだといいます。

 サリーナ公爵とて、原作には記述のない「暑くてたまらん」というセリフを吐いたように、しきりに男性陣も汗をぬぐう姿が収録されています。

 完全主義者ヴィスコンティの一端を示す逸話を最後にご紹介しておきましょう。初のカラー作品「夏の嵐」冒頭フェニーチェ劇場での収録現場には監督が指定した黒ではなくグレーのシルクハットしか用意がありませんでした。機転を利かせたつもりのスタッフが帽子を黒く塗って撮影に臨もうとします。

 その様子を見ていたヴィスコンティは「ぶざまだ」と烈火の如く怒り、撮影が中断することも厭わず、スタッフをヴェネツィアからローマまで黒いシルクハットを買いに走らせたといいます。

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 ミラノの貴族社会で生まれ育ったヴィスコンティだからこそ、実写で再現できた滅びゆくシチリア貴族の栄華。過去にこの作品をご覧になっておいでの方でも、ディテールまで鮮明な4K修復版から新たな発見が得られるはずです。

 臨場感あふれる4K映像なればこそ、観る人は時空を超えてジュゼッペ・ヴェルディのワルツ曲やニーノ・ロータ作曲のマズルカが流れる舞踏会に迷い込んだかのような感覚を抱くやもしれません。

 日本では最後の上映機会となる4K修復版では、ヴィスコンティが細部にまで目を行き届かせた絢爛たる一大歴史絵巻に酔いしれたいものです。

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投稿者 vam : 10:25 | カテゴリー : Libro e Cinema, Arti ,Musica 書籍と映画, 芸術, 音楽

2019/02/24

4Kで蘇った絢爛たる歴史絵巻〈中編〉

続「Il Gattopardo 山猫 4K修復版」上映によせて
偉大なる敗北者。王の夢・ルートヴィヒⅡ世

 東京都写真美術館を皮切りに3月17日(日)から順次各地で上映される映画「山猫4K修復版」に関しては〈後編〉に回し、今回の〈中編〉ではヴィスコンティと庄イタの馴れ初めについて回顧します。

 ヴィスコンティ作品との初めての出合いは学生時代に観た映画「Ludwig(邦題:ルートヴィヒ ~ 神々の黄昏」4時間完全版。バイエルン王ルートヴィヒⅡ世(1845-1886)が18歳で即位してのち、今も真相が謎に包まれたままの最期を迎えるまでを描いた長編巨編です。

ludwig-visconti.jpg【photo】DVD「ルードヴィヒ」復元完全版デジタル・ニューマスター/237分/税別6,000円/販売元:紀伊国屋書店©1972MegaFilm-Cinetel-Dieter Geissler Filmproduktion-Divina Film

 作曲家リヒャルト・ワーグナー(1813-1883)のパトロンで、幼少期に愛読した中世騎士伝説を体現した3つの城を19世紀末に築城、40歳で謎の死を遂げた孤高の国王。

 映画をきっかけに不遜にも〝狂王〟などと称されるルートヴィヒⅡ世の生涯に強い関心を抱き、王が遺した3つの城とミュンヘンなど南ドイツからオーストリア湖水地方までワーグナーをBGMに旅をした記憶は、今も色褪せることがありません。

Ludwig_II_Bayern.jpg 1864年3月、バイエルン王国第3代国王の父マクシミリアン2世が急逝、神父への告解を終えたヘルムート・バーガー演じる18歳の新国王が、緊張した面持ちで臨んだ戴冠式の場面で映画は幕を開けます。

 ドイツ統一を目論むビスマルク率いるプロイセン王国と対峙する困難な局面にあったバイエルン王国の政務は二の次。191cmの長身でギリシャ彫刻にたとえられるほど当時の王族では目立って美しい容貌の持ち主だった若き王は、15歳で楽劇「ローエングリン」を観てからというもの、ワーグナーに心酔していました。

【photo】29歳のルートヴィヒⅡ世(1874年)

 1864年5月、潜伏先のシュツットガルトに宮中秘書官を遣わし、パトロンとなることを申し出ます。浪費癖から多額の債務を抱えて債権者から追われ、各地を転々とする流浪の身であったワーグナーの借金を肩代わりして身柄を保護します。
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【photo】16歳でオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に嫁いだエリーザベト皇后(1837-1898)。皇后に淡い思いを寄せるルートヴィヒは8歳年少の従弟にあたり、孤独な王の数少ない理解者だった。皇太子ルドルフが情死して以降、無政府主義のイタリア人に暗殺されるまで黒の服装で通した

 傲慢で金銭感覚が欠如していた上、指揮者ハンス・フォン・ビューロー夫人コジマとの内縁関係が表面化するに及び、王との蜜月は1年半で終わります。ワーグナーはミュンヘン追放後もルートヴィヒに資金援助を乞い、相互の文通はワーグナーがヴェネツィアで客死するまで続きました。

 1865年6月、台本の完成から6年を経てなお上演できずにいた楽劇「トリスタンとイゾルデ」が国費で初演にこぎつけます。台本を執筆中だった楽劇「ニーベルングの指輪」上演に向け、1873年にバイロイト祝祭劇場の建造に着手。

 第1部「ラインの黄金」から第4部「神々の黄昏」まで全4作からなる長大なニーベルングの指輪や楽劇「パルジファル」は、ルートヴィヒⅡ世の庇護なくしては完成を見なかったでしょう。

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 閣僚など王の周囲から不興を買ったワーグナーの庇護にも増してルートヴィヒⅡ世が情熱を傾けたのは、ノイシュヴァンシュタインだけで当初見積もりの倍近い620万マルクの資金を注ぎ込んだ築城でした。

 ローエングリンやタンホイザーに登場するゲルマン英雄伝説を具現化した耽美世界を現出せしめんと、ノイシュヴァンシュタイン上画像 1869年着工)を皮切りに、リンダーホーフ中画像 1870年着工)、ヘーレンキームゼー下画像 1878年着工)の3つの城を築城する莫大な費用で王室の財政は逼迫。

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 ノイシュヴァンシュタインやヘーレンキームゼー建設費用捻出のため、すでに1,400万マルクの債務を負っていた1886年初頭、ルートヴィヒⅡ世は4箇所目となるファルケンシュタイン築城を夢想していました。そこで600万マルクの新たな歳出を諮るも議会で否決されてしまいます。王の生前に建設が唯一完了したのは、規模が小さなリンダーホーフだけでした。

 バブル期に日本語の標識が立った観光ルート「Romantische Straße ロマンチック街道」の終着地で、TDLシンデレラ城のモデルとして日本でも有名なノイシュヴァンシュタインは居城としての機能は整うも一部未完となります。

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 ルートヴィヒⅡ世が1874年にヴェルサイユ宮殿を訪れた4年後に着工、王の存命中に完成した「鏡の回廊」ほか、世界最大のマイセン製シャンデリアや昇降格納式テーブルを備えたダイニングルーム、ルイ14世のそれより遥かに豪華な寝室、ヴェルサイユ宮殿「大使の階段」を規範としつつも、色大理石と採光目的のガラス屋根の恩恵で明るい印象を受ける大階段室など、計画の1/4ほどが完成したに過ぎないヘーレンキームゼーは、王の没後間もなく国有化されました。

 王の隠遁の場となったノイシュヴァンシュタインで昼夜逆転の生活を送り、政治に関与せず国の舵取りを放棄したとして、老獪なビスマルクと通じた臣下ホルンシュタイン伯爵らの企てでパラノイア(偏執病)による精神錯乱の烙印を押されます。逆臣たちの手を逃れるべくチロル亡命の段取りをつけた忠臣デュルクハイム侍従武官の助言にも耳を貸そうとはせず、毒薬を用立てるよう命じるのでした。

kutsche-ludwig-nahat.jpg【photo】1880年に描かれた月夜に興じるルートヴィヒⅡ世。王が生まれたニンフェンブルグ城「馬車博物館」の展示より。王は夜陰に紛れて外出する姿をしばしば村人に目撃された。映画Ludwigでは、乗馬を好んだ王妃エリーザベトと月の光が照らす山野を巡り、リンダーホーフに招待した俳優ヨーゼフ・カインツにヴィクトル・ユーゴーやシラーの戯曲を朗唱させて悦に入り豪華な褒美を与える。カインツを伴って馬橇(そり)で雪原を駆け、(☞ タンホイザー第3幕「夕星(ゆうずつ)の歌」に乗せ、スローモーションで馬が雪原を駆ける場面の美しさといったら!!)、小型蒸気船トリスタン船上でも演じ続けるよう命じる王の機嫌取りに倦み果てたカインツは、際限のない王の要求を拒否。落胆した王はカインツと訣別する ©München, Bayerische Verwaltung der Staatlichen Schlösser, Gärten und Seen Bildquelle: Kunsthistorisches Museum

 身に迫る危険を察知していたルートヴィヒでしたが、1886年6月12日、ノイシュヴァンシュタインの塔に籠城しようとした矢先に拘束されます。王位を剥奪されたルートヴィヒは、王家の夏の離宮として使われていたミュンヘンに近いベルク城へと移送。監視下に置かれた翌13日の夜、散策に出たまま戻らず、精神科医グッデン博士とともにシュタルンベルク湖で溺死体で発見されます。

venusgrotta-Linderhof_lohengrin.jpg【photo】小編成による楽団がワーグナーの楽劇ローエングリンの一節を繰り返し奏でる中、少年期に憧れた白鳥の騎士ローエングリンの銀色に輝く衣装に身を包んだ21歳のルートヴィヒⅡ世を乗せたトリガイを象った金色の小舟がリンダーホーフの人工池に漂う。当時、プロイセンとオーストリア主導による連合軍が衝突した普墺戦争(1866)が勃発。バイエルン王国はオーストリア側について参戦。4年後の普仏戦争(1870)でもルートヴィヒの弟オットー皇子は最前線で闘った後遺症で精神に異常を来たした。オーストリア連合側の敗戦による賠償責任をバイエルンが軽減されたのは、国王が戦いに全く加担しなかったことが、結果としてメッテルニヒの温情的な処置につながったといわれる

 映画では、雨の中を夜の散策に出るルートヴィヒがグッデン博士に夜や月の神秘性こそが理性の証であると話し掛けた後、こう言葉を締めくくります。

「私は謎なのだ。謎のままでいたい。永遠に。他人のみならず自分自身にとっても。」

Herrenchimsee-ball-room.jpg【photo】ミュンヘンからザルツブルグに向かって南東約60km。湖水地方のキーム湖に浮かぶ島に造営されるも、王の死により建造が中止された3つ目の城ヘーレンキームゼー。ブルボン王朝の絶頂期に君臨した太陽王ルイ14世が建造したヴェルサイユ宮殿を手本にフランス式庭園と城郭を目指して1878年に着工。宮殿1階西側全てを占める「Spiegelgalerie鏡の回廊」は全長98mでヴェルサイユの73mを上回る。壁面の鏡17枚に映し出されるのは、44台の燭台とシャンデリア33基に灯される1848本のローソクの明かり。映画ルートヴィヒでは、ロミー・シュナイダーが演じたオーストリア皇妃エリーザベトが侍女役のフェレンツィ伯爵夫人を伴ってリンダーホーフとヘーレンキームゼーを優雅な身のこなしで見て回り、鏡の回廊の桁外れなスケールに呆れて笑い出す声がホールに響き渡るシーン(下動画 6:10過ぎ)がここで撮影された

 王は生前、3つの城は死後取り壊すよう側近に命じていましたが、その願いが実現することはありませんでした。

 独創的なトリスタン和音に象徴される官能に訴える響きを有するワーグナーの楽劇が上演される音楽祭が毎年開催されるバイロイト祝祭劇場を含め、ルートヴィヒⅡ世が遺した遺産は、20世紀以降のバイエルン州にとっては、莫大な歳入をもたらす大切な観光資源となっています。

 そんな皮肉な事実をルートヴィヒⅡ世は知る由もありません。

starnbergsee_ludwig_foundedpoint.jpg【photo】ルートヴィヒⅡ世と精神科医フォン・グッデン博士が遺体で発見された地点に立つ十字架。映画ルートヴィヒのシナリオは、王が何者かによって銃で暗殺され、シュタルンベルク湖に遺棄されたのが真相だとする従僕の会話で終わっている。そこで王が着用していた上着やシャツなどの証拠隠滅から漏れた外套に銃弾が残した穴が示される。断定的な表現を避けた映画では、湖から引き揚げられた遺骸の前に駆け付けたホルンシュタイン伯爵が「王が博士を殺害した後、自害した」と告げ、城に遺体を運ぶよう指示。横たわる王の横顔のアップで結ばれる

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 国王を籠絡したとしてミュンヘンを1865年12月に追放されたワーグナーが、1858年頃に作曲した原曲をシチリア・パレルモで死の前年に完成させたピアノ曲「Elegy エレジー(悲歌)WWV93。ルキーノ・ヴィスコンティの祖父グイードが才能を見出したアルトゥーロ・トスカニーニが1931年にバイロイトで楽劇パルジファルを指揮した際、ワーグナーの娘エヴァからトスカニーニに譜面が贈られます。

 世に出ることなく未刊行のまま眠っていた13小節からなるワーグナー最晩年に完成したピアノ曲の楽譜を入手したヴィスコンティは、自らの映画や舞台で音楽を担当してきたフランコ・マンニーノにオーケストラ用の編曲を依頼します。

 オリジナルのピアノ曲とマンニーノ指揮によるサンタ・チチェリア国立音楽院管弦楽団の哀感漂う演奏が映画ルートヴィヒで使用されました。それが世界初演であったことがエンドロールの直前、降りしきる雨の中、瞼を閉じ、口を半開きで横たわる遺骸となったルートヴィヒの横顔が大写しで静止するラストで紹介され、静かな感動を呼びました。

 現実に圧し潰されてゆくルートヴィヒⅡ世への共感と哀惜の情を抱いていたに相違ないヴィスコンティ。ラストシーンで流れるエレジーには非業の最期を遂げた王の鎮魂を祈る葬送曲としての意味合いが賦与されているように思えてなりません。

 後期ロマン派の楽曲を多用したヴィスコンティ後半生の作品の中でも、映画ルートヴィヒは、夢の世界に生きた孤独なルートヴィヒⅡ世の心象風景をワーグナーの楽曲と融合させ見事に描き切っています。

 美食家で甘い食べ物を好んだ王は30代半ばから太り始め、虫歯が進行。その痛みに苛まれていました。ヘルムート・バーガーは鬼気迫る演技で変貌著しいルートヴィヒを演じ切り、米国のアカデミー賞にあたるイタリア映画界で最高の栄誉である1973年度「David di Donatello ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞」特別賞の栄に浴しています。

josef_kainz-ludwig.jpg【photo】夕食を終えたテーブルに着いたまま、リンダーホーフに招いた俳優ヨーゼフ・カインツが朗唱するシラーの戯曲「ヴィルヘルム・テル」に恍惚として聞き入るルートヴィヒ。「お前が演じるヴィルヘルム・テルの足跡を辿ってスイスへ行こう。そしてイタリアに。そう、イタリアには是非」と王は夢見心地。忠節な真の友人をやっと見出したとして、「朝日に輝く山々、穢れのない真の王国を見せよう」と疲労が滲むカインツに馬橇への同行を求める

 オールロケによる舞台装置の素晴らしさは言うに及ばず、「ベニスに死す」で前年の英国アカデミー衣裳デザイン賞を受賞するなど、多くのヴィスコンティ映画で衣裳デザインを担当したピエロ・トージの素晴らしい仕事も見逃せません。特に撮影当時34歳で美貌のエリーザベト皇后を演じたロミー・シュナイダー下画像右の気品に満ちた香り立つような美しさが際立ちますが、それは衣裳に負うところが少なくありません。

 1955年に「Ludwig Ⅱ- Glanz und Elend eines Königs(邦題:ルートヴィヒⅡ世-ある王の栄光と没落)」が、2012年には「Ludwig(邦題:ルートヴィヒ)」がドイツで製作・公開されています。

 60年以上前の映画ゆえ、ストーリー展開が古色蒼然としているのは致し方ないにしても、故・加藤剛似の主演オットー・ウィルヘルム・フィッシャーの演技は悲劇性が希薄で、むしろ映画「パリ・テキサス」や「テス」に出演したナスターシャ・キンスキーの父クラウス・キンスキー演じる弟オットー王子が精神に異常をきたす怪演ぶりに目が奪われがち。エリーザベト皇妃など女性陣の衣装が全体に垢抜けしないのは、ドイツらしいかも(笑)。

 リヒャルト・ワーグナー生誕200年の'12年に公開された後者に至っては、ルートヴィヒ役の新人俳優は線がか細く、バイエルン王としての品格に欠け、役者としての力量不足は明らか。物語の舞台や登場人物が同じだけに余計に粗が目立ちます。芸術性が高いヴィスコンティとの落差の大きさは如何ともしがたいのでした。

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 1972年1月31日、氷点下7℃のバート・イシュイルでクランクイン。4月14日ミュンヘン王宮まで続く厳冬期から春先まで行われたロケ撮影の3か月後、脳血栓の発作を起こし入院。一命はとりとめるも左半身の麻痺が後遺症で残り、母方が所有するコモ湖畔チェルノッビオの別荘で療養します。歩行訓練などリハビリの傍ら、編集作業に自ら当たり4時間半の長尺に仕上げます。

 文字通りヴィスコンティが心血を注いだ大作でしたが、伊・仏・西独3国からなる製作会社と配給元MGMの契約では上映時間が3時間以内とされていました。やむなくヴィスコンティ監修のもと3時間5分に再編集。劇場初公開時は第三者によって2時間に短縮されたのです。

Romy-Schneider_neuschvin.jpg【photo】前触れもなくノイシュヴァンシュタイン城を訪れたエリザベート皇妃に対し、居室の窓から様子を窺っていたルートヴィヒは病気を理由に会わないことを取り乱した様子で従僕に告げる。滞在中は城を自由に使って構わないという王からの伝言を従僕から伝えられるも皇妃は入城することなく帰路に就く。ヴェール姿のエリーザベトが馬車に揺られて物思いに沈む憂いを帯びた横顔にオーバーラップして皇妃の名を繰り返すルートヴィヒの悲痛なむせび泣きが空虚に響く

 半身不随の体を押して取り組んだのが、ローマで一人暮らしをする老教授と上階を借りた家族に降りかかる悲劇を描いた「家族の肖像」(1974年)、そして妻と愛人との間で揺れ動くエゴイストの貴族が嬰児殺しに手を染めて破滅してゆく「イノセント」(1976年)撮影中に右足を骨折。次第に体力が衰えてゆく中、車椅子で仕事を続けます。
 
 イノセントの編集作業が続いていた1976年3月17日の夕刻、ヴィスコンティはブラームス交響曲2番を繰り返し聞いていました。ヴィスコンティが手掛けた映画や舞台で音楽を担当し、パレルモ貴族の血を引くフランコ・マンニーノに嫁いだ妹ウベルタに「もう十分だ」告げると、やがて静かに息を引き取りました。 

 映画ルートヴィヒは、21億5千万リラ(当時の為替レート換算で11億2千万円)に膨らんだ巨額の製作費が負担となった製作会社の倒産で散逸したフィルムを第二次大戦終結直後から「無防備都市」や「自転車泥棒」ほかヴィスコンティ作品で脚本を担当したスーゾ・チェッキ・ダミーコが中心になり復元。庄イタが初めて観たバージョンはヴィスコンティの意図に沿って再構築されたものでした。

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 映画Ludwigで初めてヴィスコンティ作品に接した頃、小学館からルートヴィヒⅡ世やヴィスコンティの足跡を追った篠山紀信氏の写真集が立て続けに発売されました。

 没後6年を経た1982年には当時まだ健在だったヴィスコンティと接した人々の貴重な証言や秘蔵資料を織り交ぜた「ヴィスコンティの遺香」が、その翌年にはルートヴィヒが遺した城を映画と同じ冬に撮影した写真集「王の夢・ルートヴィヒ Ⅱ世」が刊行されています。

 この2冊は、ヴィスコンティ自身の手で3時間に編集された「ルートヴィヒ 神々の黄昏」が日本で初めて1980年に劇場公開されるや巻き起こったヴィスコンティブームの中で企画・出版されたものです。

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 さらに写真集の刊行に合わせ、ラフォーレミュージアム赤坂を会場に、3枚の巨大スクリーン「Shinorama(シノラマ)」を使用した音楽と映像の複合によるインスタレーション展示が行われました。

 縁あって大学のサークルメンバーで会場運営のアルバイトとして連日携わったのが、篠山紀信劇場「ヴィスコンティの遺香~王の夢・ルードヴィッヒⅡ世」だったのです。

 高貴で(幼児性と紙一重なほど)純粋なルートヴィヒの精神性を示す3つの城とバイエルンの山並みを映画と同じ冬に撮影し、2冊の写真集に収められた映像がワーグナーの楽曲や映画「家族の肖像」の挿入歌イヴァ・ザニッキ「Testarda io (邦題:心遥かに)」などに乗せ、会場の幅いっぱいに映し出されます。
 

 楽劇ワルキューレ第3幕のラストで神々の長ヴォータンが朗々とバリトンで歌い上げる一節(上動画)とともに、スクリーンの前にバイエルン公国の国旗が掲揚されると巨大なファンが回り、風を受けて白地に菱形スカイブルー柄の旗がたなびき、エンディングを迎えるという趣向でした。

 生誕100年にあたった2007年、「ヴィスコンティの遺香」が復刊した折にイタリア文化会館で収録作品の写真展が開催されました。庄イタがラフォーレミュージアム赤坂に連日通い詰め、オープニングから終了まで張り付いたプログラムは大判の3連スクリーンで音楽と映像がシンクロ。ほとんど映画を観る感覚に近かったように思います。

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 当時、都内各所のラフォーレミュージアムでは企画会社「ツルモトルーム」がプロデュースする意欲的なアート関連イベントを開催していました。学業よりも優先して携わった催事から主だったものを列記すると...。

 前年公開の映画「ブレードランナー」でアートディレクターに抜擢されたシド・ミード「21世紀のカー・デザイン展」、米国の女性写真家シンディ・シャーマンのセルフポートレート展(原宿)、ロキシー・ミュージックのオリジナルメンバーでアンビエントミュージックの祖といわれたブライアン・イーノ「ビデオアートと環境音楽の世界」、ローリー・アンダーソン 「Mister Hartbrake」パフォーマンスライブ(赤坂)、ISSEI MIYAKE Spectacle Body Works(飯倉)などなど。

 いずれも先鋭的な催事ばかり。高低差をつけた薄暗い会場各所に縦置きされた36台のモニターに映し出されるスローモーション映像の一部は、Thursday afternoonと題して後に発売されました。ゆったりと薄闇にたゆとう調べや虫の鳴き声が流れるビデオインスタレーションの会期中、赤坂に毎日顔を見せていた初来日のブライアン・イーノに頂いたサイン入りのリーフレットは家宝となりました。

 何体ものマネキンが立体的に配置された会場に大都会の夜景やフィリップ・グラスのコヤニスカッティなどのBGMが流れるISSEI MIYAKE Spectacle Body Worksには、三宅一生氏は当然のこと山本寛斎氏、YMOの3人、トーキング・ヘッズのデヴィッド・バーンも来場。ブライアン・イーノをプロデューサーに迎え、アフリカンビートとロックを融合した傑作「Remain in Light」を発表していたバーン氏の手荷物を受付にいた庄イタが預かり、言葉を交わしたのは忘れえぬ思い出です。

 「ヴィスコンティの遺香~王の夢・ルードヴィヒⅡ世」会期中には篠山紀信氏が奥様と連れ立って来場。芸能界を引退後に篠山氏とご結婚されて以降は、当時メディアに出ることがなかった南沙織さんとお目にかかることが出来たのは、得がたい経験でした。

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 ミーハー路線に転落した話を本筋に戻すべく〈後編〉では版権の関係から日本国内では最後となる上映が行われる映画「山猫4K修復版」について語ります。

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投稿者 vam : 22:57 | カテゴリー : Libro e Cinema, Arti ,Musica 書籍と映画, 芸術, 音楽

2019/02/11

4Kで蘇った絢爛たる歴史絵巻 〈前編〉

Il Gattopardo 山猫 4K修復版」上映によせて
ミラノ公国の礎を築いたヴィスコンティ家


 首都ローマに次ぐ国内では2番目にあたる130万の人口を擁する北イタリア最大の都市ミラノ。市内各所で新作の展示会やショーが行われる「ミラノファッションウィーク」、世界最大級の国際家具見本市「ミラノサローネ」など世界を牽引するデザイン分野をはじめ、商工業や金融の中心でもあります。

 (蛇足ながら)相互に商工業が栄え、長い歴史を有し、独自の文化を築いた都市同士という共通点から、大阪市とミラノ市は1981年に姉妹都市となっています。

donna_roiya-g.lombardi.jpg【Photo】゛G. Lombardi 1957〟のサインが入ったミラノのドゥオーモの尖塔群を描いた絵画。イタリア商船や進駐軍キャンプのコックから身を転じ、旧外国人居留地で1952年に創業した神戸で最も歴史あるイタリア料理店「ドンナロイヤ」創業者のジュゼッペ・ドンナロイヤが購入。阪神淡路大震災で被災し加納町に店舗を移転した現在も壁を飾る。伝統の味を伝える厨房を預かる渡辺シェフと接客担当のマダムと共に、時流に流されない店の変遷を見守ってきた

 インパクト重視な大阪のおばちゃんのヒョウ柄ファッションは、世界をリードするモード発信地の街を行き交うミラネーゼとは大きく違います。同じヒョウ柄使いでも神戸元町旧居留地近辺で目にするそれとは雲泥の差。...ま、姉妹都市の縁に免じ、細かいことは不問に付しましょう。

 その発祥は紀元前600年頃。アルプス以北からロンバルディア平原へと移住したケルト人によって築かれた居留地で〝平原の真ん中〟を意味するMediolanumという呼称が簡略化、Milanoとなったようです。

Milano_castello_sforzesco_natale.jpg【Photo】電飾がダンテ通りを彩るクリスマスシーズンのミラノ。14世紀半ばにミラノ僭主ガレアッツォ2世・ヴィスコンティが居城として着工し、ヴィスコンティ家の傭兵だったスフォルツァ家に権力の座が移って後に要塞化された「Castello Sforzesco スフォルツェスコ城」前のロータリーに建つ祖国統一を成し遂げた英雄ガリバルディ像

 第二次ポエニ戦争(BC219~BC201)直前に共和制ローマの支配下となってからは、アルプス越えの通商拠点として発展。フン族による破壊と再興を経て13世紀後半から15世紀中葉にかけて公国となった自治都市ミラノを統治する僭主を14代に渡って輩出した貴族がヴィスコンティ(Visconti)家です。

biscione-castello-sforza&alfaromeo.jpg【Photo】スフォルツェスコ城中庭壁面に残るヴィスコンティ家の紋章であるサラセン人を飲み込む大蛇「Biscioneビショーネ」とミラノ公国のシンボル聖ゲオルギウス赤十字が組み合わされた意匠はミラノ発祥の自動車メーカー「アルファロメオ」に受け継がれている

 家名は12世紀半ばに授かった副伯(vis-conte)に由来し、ラテン語でvice comitisは伯爵の代理人を意味するので、代官的な地位にあったことが推測されます。僭主(Signore シニョーレ)とは、王族の出ではなくとも行政権や裁判権を行使する座に就いた者を指し、覇権を競うコムーネ(都市国家)との闘いや他国との婚姻政策により権力を確固たるものとしました。

 580年の時を要して1965年に完成したミラノのシンボルといえる世界最大のゴシック建築ドゥオーモ下画像の建造に1386年に着手したのが、ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ(1351-1402)。

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 当時、ボヘミア・ドイツ・オーストリア・スイス・フランドル・イタリア北部・フランス東部までの広大な地域に領土を広げた神聖ローマ帝国皇帝から1395年にミラノ公の爵位を授かります。

 親兄弟間ですら骨肉相食み、ボルジア家の例を挙げるまでもなく権謀術数渦巻くこの時代。ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティは他の都市国家との戦いに明け暮れ、急速に領地を拡大。自らを〝カエサルの再来〟と称したほど権勢の絶頂期を迎えます。

Massima_espansione_Viscontea.jpg【Photo】ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティが版図を広げたミラノ公国最盛期の領地(1402年・グリーン)。現在はスイス領のクール司教領と神聖ローマ帝国邦領のトレント司教領(薄黄)、ヴェネツィア共和国(水色)、ジェノヴァ共和国(薄緑)、サヴォイア王国(青)やモンフェラート侯国(グレー)と境を接し、南はローマ法王領(黄)近くに及んだ。侵攻したピサ・シエナ・ボローニャを手中に収め、寡頭政下のフィレンツェ共和国を脅かしたが、ジャン・ガレアッツォがペストで没した後は縮小した

 ジャン・ガレアッツォの次男フィリッポ・マリーア・ヴィスコンティは直系の嫡子を残さずに没し、直系のミラノ公はそこで途絶えます。フィリッポ・マリーア庶出の娘ビアンカの夫として傭兵隊長フランチェスコ・スフォルツァが代わってミラノ公となって以降、フランス、スペイン、オーストリア、ナポレオン支配の時代を経てもミラノ屈指の名家の血筋は絶えることがありませんでした。

 ミラノ領主マッテオ1世(1250-1322)の弟ウベルトを始祖とする分家筋にあたる一族は、18世紀にミラノ郊外のVimodorone ヴィモドローネを侯爵領として獲得。イタリアに侵攻した皇帝ナポレオン・ボナパルト軍に兵站を提供した功績から1813年にモドローネ侯爵の爵位を与えられています。

guido visconti di modrone.jpg【Photo】1910年頃に撮影されたヴィスコンティ伯爵一家。(左から)長男グイード、父ジュゼッペ、長女アンナ、母カルラ、四男エドアルド、三男ルキーノ、次男ルイージ。当時の貴族は6歳ごろまで男児も女児のような恰好をしていた

 1898年、地方の歌劇場でのキャリアしかなかった弱冠31歳のトスカニーニをスカラ座の芸術監督に抜擢、20世紀前半を代表する世界的指揮者となるきっかけを作ったのは、繊維業で成功して財を成し、上院議員から身を転じて1898年からスカラ座の運営を任されたグイード・ヴィスコンティ・ディ・モドローネ伯爵(1838-1902)。

 その息子ジュゼッペ・ヴィスコンティ・ディ・モドローネ(1879-1941)は、ミラノを本拠地とする名門クラブ「F.C.インテルナツィオナーレ・ミラノ」の旗揚げを後押し、後に会長に就任するなどした起業家・慈善事業家で、超高級ホテルVilla d'Esteがあるコモ湖畔の街チェルノッビオで製薬会社を営むエルバ家の令嬢カルラと1900年に結ばれます。

 その三男として生まれたのが、映画監督、演劇・オペラなどの舞台芸術家として輝かしい足跡を残し、庄イタが畏敬の念を抱く巨匠ルキーノ・ヴィスコンティ・ディ・モドローネ(1906-1976)です。

Palazzo-Visconti-Milano.jpg【Photo】ルキーノ・ヴィスコンティの生家であるPalazzoBolagnosVisconti di Modroneは、ミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァの依頼により「最後の晩餐」を残したレオナルド・ダ・ヴィンチ像が立つスカラ座広場から徒歩10分。Cino del Duca 通りに面した正面入口からエレガントな曲線を描くリバティ様式の鉄製ゲートを入った中庭。1959年にルキーノの弟である四男エドアルドが不動産管理会社に売却したが、内部はヴィスコンティ家の人々が暮らした当時そのままに保たれている

 日曜日の午後、子供たちを伴って出かけたヴィスコンティ家専用の桟敷席(オーケストラボックス左側4番)があったスカラ座からほど近いCino del Duca通りに面して建つのが、PalazzoBolagnosVisconti di Modrone。17世紀初頭にジュゼッペ・ボラニョス伯爵の邸宅として建造され、幾度か所有者が変わった後、1840年からヴィスコンティ一族が暮らしました。

 モドローネ公ジュゼッペ・ヴィスコンティ伯爵は1907年から名家にふさわしい間取りと内外装の増改築に取り掛かります。

Palazzo-Visconti_modrone.jpg【Photo】現在は人手に渡ったPalazzoBolagnosVisconti di Modroneの床にモザイクが残るヴィスコンティ家の紋章Biscioneビショーネ。広くイスラム教徒を指すサラセン人を飲み込む大蛇を図柄としたことから、遠い祖先は十字軍に参加した騎士であったことが推測される

 中庭を有する三層の邸宅で最も印象的なのがバロック様式の凝った装飾が施されたボールルーム下画像。そこでは毎週のように映画「山猫」を地で行くような舞踏会や、演劇好きの伯爵が主宰する演劇鑑賞会、さらにはチェロの練習を登校前2時間の日課にしていたルキーノを含め、ヴィスコンティ家の子どもたちの楽器演奏会が催されていたのだといいます。

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 家族一人ごと専属で食事の世話をするメイドやウエイター、お抱えの料理人・服飾係・庭師ほか、広大な屋敷の窓の開閉専門の従僕など、常時20人は下らない使用人に囲まれた屋敷と夏と冬に過ごすコモ湖畔やイスキア島などに所有する別荘とを行き来する環境でルキーノは育ちしました。

ballo-bolagnos-1901.jpg【Photo】ルキーノが3歳になった1909年、PalazzoBolagnosVisconti di Modroneのボールルームで催された舞踏会の様子を収めた貴重な写真。映画の撮影当時、50代半ばに差し掛かっていたルキーノ・ヴィスコンティが、自己を作中の登場人物(サリーナ侯爵)に投影した唯一の映画といわれる「山猫」を見直すと、映画のクライマックスとなる舞踏会の華やかな雰囲気そのものであることに改めて気づかされる

 10代半ばを過ぎ、青年期に差し掛かると反骨精神が目覚めたのか、一度ならず家出を経験。この頃から芝居好きの父が旗揚げした劇団の手伝いで舞台に興味を持つ一方、1926年から兵役に就き、ピエモンテ州Scuola di Cavalleria di Pinerolo ピネローロ乗馬学校で騎兵訓練を受けた経験から情熱を注いだのが、ミラノ郊外サン・シーロに所有する厩舎「Scuderia Luchino Visconti」所属の合計20頭の競走馬の飼育。1942年に厩舎を手放すまで幾多のレースで勝利を重ねました。

luchino-cavallo.jpg【Photo】サンシーロ競馬場で開催されるイタリア春競馬の総決算Gran Premio di Milano(ミラノ大賞典)優勝馬となったSanzioサンツィオほか、1932年に出走した81レース中28勝の強さを誇ったのが、ルキーノ・ヴィスコンティ厩舎。サンツィオと若き日のルキーノ・ヴィスコンティ(写真右

 1936年、旅行先のパリで出入りしたサロンで詩人ジャン・コクトーやココ・シャネルらと知己を得ます。シャネルの紹介で映画監督ジャン・ルノワールの「トニ」を端緒に「ピクニック(原題:Une Partie de Campagne )」(1936)で助監督として参画したのが、天職となる映画人としての出発点となります。

 詩的な映像が秀逸なこの映画は、モーパッサンの短編小説「野遊び」を原作に、思想家ジョルジュ・バタイユの妻シルヴィア・バタイユ演じるヒロインが、婚約中に家族で出かけたピクニックで出逢った青年に感情の赴くまま惹かれてゆくというストーリー。

 道徳や理性では制御がきかない人間性の謳歌とでもいうべきルノアール作品から少なからず影響を受けたことは、後年ヴィスコンティが語っています。

 ルノアールから仏語訳版を託されたジェームズ・M・ケインの同名小説に着想を得た抗(あらが)いがたい男女の業(ごう)を描いた初監督作「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(1942)から、搾取される貧しいシチリア漁民の悲哀への共感を滲ませた「揺れる大地」(1948)、南イタリアからミラノに移住した家族の崩壊を通して南北格差を浮き彫りにした「若者のすべて」(1960)までは、不条理な社会の実相を描くネオレアリズモ運動と軌を一にする作風でした。

Rocco&i-suoi_fraterri-Duomo.jpg【Photo】ミラノのドゥオーモ屋上における映画「若者のすべて」撮影の模様。次男ロッコ役のアラン・ドロン(右から2番目)と恋人ナディア役アニー・ジラルド(同3番目)とカメラの隣で手ぶりを交えて指示を出すヴィスコンティ(左端)

 後半生においては、抗いがたい時代のうねりや運命、甘美な官能の極致としての死など退廃的なテーマを追求してゆく転機となったのが、シチリア貴族の末裔ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサ晩年の著作を映画化した「Il Gattopardo 山猫」(1963)です。

 山猫は、ヴィスコンティ映画の中でも、庄イタが偏愛する作品のひとつゆえ「Principe di Salina サリーナ公爵 ~ 山猫の世界を体感するピュアカシミアコート(2015.12拙稿参照)の中で詳しく取り上げています。

【Movie】ヴィスコンティとの共同作業を30年以上も携わったフランコ・マンニーノ(1924-2005)作曲の遺作「イノセント」のテーマ曲に乗せ、ヴィスコンティ本人、兄ルイジの息子ジャンマリア、姉アンナの娘メラルダといった血縁者に加え、助監督を務めた映画監督のフランコ・ゼフィレッリらが登場。名家に生まれ育った生い立ちが紹介されるほか、ミラノのドゥオーモ屋上でのシーンが印象的な「若者のすべて」ほか、「地獄に堕ちた勇者ども」「ベニスに死す」「ルートヴィヒ」などの映像を織り交ぜ、英語かつ約60分の長尺ながら興味深い内容

 生前から語り尽くされた感がある巨匠ヴィスコンティ、そして第16回カンヌ国際映画祭でパルム・ドール賞に輝いた山猫ではありますが、新たな発見が必ずや得られるはずの鮮明で精細な4K修復版が3月から日本国内では最後となる上映が行われることになりました。

 本稿〈後編〉のアップ前にアーカイブ・Dicembre 2015「Principe di Salina サリーナ公爵 ~ 山猫の世界を体感するピュアカシミアコート」を再読され、バート・ランカスターの名演が光る山猫について予習・復習を怠りなきよう願います。

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投稿者 vam : 06:43 | カテゴリー : Libro e Cinema, Arti ,Musica 書籍と映画, 芸術, 音楽


「庄内系イタリア人」こと
木村 浩人

外見と所持するパスポートの国籍は日本人。なれど脳細胞はイタリア人。≫詳細

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