あるもの探しの旅

  •  美味しいものって、私たちを幸せな気持ちにしてくれますよね。
  • ふだん私たちが何気なく口にしているもの。
  • それはどんな人が、いかなる風土のもとで、どんな思いで作っているのか。
  • そんなことを考えてみたことってありますか。
  •  自分の体に取り込むものだからこそ、もっと知りたい。
  • 大量生産品が持ち得ないモノたちが秘めた飛びっきりなストーリー。
  • どうやら東北に暮らす私の足元と、ハンドメイドな職人王国のイタリアには
  • そんな物語がたくさんあるようです。
  •  ご一緒に「あるもん探しの旅」にちょっと出てみませんか
  • 読んで美味しい知ってうれしいお話を、どうぞ召し上がれ。Buon appetito!

2018/07/16

祇園祭 2018 宵山、そしてナポリ。

【はじめに】

 西日本各地に甚大な被害をもたらした梅雨前線が日本海へと北上した7月9日(月)、九州北部・中国・近畿・東海・北陸地方は一斉に梅雨明けが宣言されました。
 平成になって最多となる200名以上の犠牲が西日本各地で生じた大雨が残した容赦のない爪痕を見るにつけ、猛威を振るうことなく梅雨明けしてくれれば良かったものを、と恨み節を漏らさずにはいられません。
 もはや日本全土が災害から無縁ではいられない現実から目をそむけることは許されません。〝自分は大丈夫だろう〟という「正常性バイアス」による油断は禁物。気象庁のHPなどから情報収集に務め、情報入手ツールが限られる高齢者世帯など近隣に声を掛け合い、迅速に避難行動を起こすことが身を守ります。
 気象庁が「平成30年7月豪雨」と命名した豪雨禍で犠牲となられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。


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Naginatahoko2018yoiyama.jpg【photo】巡行の順番が毎年くじ引きで入れ替わる山鉾巡行で、くじ取らずと呼ばれ、前祭(さきまつり)の先陣を切るのが長刀鉾(なぎなたほこ)。宵山を迎えた7月14日。最高気温が38.5℃に達した昼の余韻を残す京都・四条通に涼を呼ぶ祇園囃子が響く

 災害や疫病が全国各地で頻発した貞観年間の869年、当時の国の数に由来する66本の鉾を立て、厄疫退散を願う祭礼を京都・八坂神社で執り行った故事を起源とするのが、京都祇園祭です。室町期に始まった山鉾巡行は、15世紀中庸には現在と変わらぬ数の山鉾が繰り出し、真夏の都大路を彩ったといいます。

 日本人の繊細な感性が磨き上げた様式美の極みともいうべき祇園祭ですが、長い歴史の中で順風満帆な歩みをしてきたわけではありません。

tokuyasama2018yoiyama.jpg【photo】謡曲に題材をとった木賊山(とくさやま)の駒形提灯に明かりが灯る宵山初日。暮れなずむ京町屋の前を浴衣姿の人々が行き交う下京区仏光寺通西洞門院西入にて。

 15世紀、都を荒廃させた応仁の乱では、山鉾のほとんどが焼き尽くされます。宝永年間・天明年間に発生した2度の大火、そして幕末の動乱では、劫火が街並みを包み、山鉾の多くが灰塵に帰しています。こうした災禍が襲う都度、京の都人たちは、たゆまぬ熱意をもって復興を遂げてきました。 

【Movie】笹の葉で作り、山鉾ごとにご利益が異なる縁起物の厄除け粽(ちまき)売りの声と祇園囃子が祭りの風情を醸し出す。毎年、前祭の先陣を切る長刀鉾と同様、最後尾の殿(しんがり)を務めるくじ取らずの絢爛豪華な船鉾(ふねほこ)。下京区新町通綾小路下ルにて

 山鉾巡行を控え、提灯の明かりが灯る中、コンチキチンの祇園囃子が流れる宵山初日の京都、そして京都と大阪との境界に位置するジャパニーズウイスキーの故郷・山崎をこの3連休に訪れました。

 ウイスキー造りに適した山崎の地は、桂川・宇治川・木津川が合流して淀川となる地。水温が異なる川が交わるため、スコットランドと同じく霧が発生しやすい環境で湿度が高く、体感的にキツいのなんの。

 最高気温が摂氏39度に迫る勢いだったこの日の京都。熟成庫で眠りについていた原酒たち下画像からは、樽から揮発する濃密なアルコール成分が立ち込めており、深呼吸をするだけで、いい気持ちになれそう。

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 海外での評価が高まり、国産シングルモルト原酒が品薄になって久しい昨今。90分のサントリー山崎蒸溜所での見学・試飲では、ホワイトオーク樽原酒、ワイン樽原酒、シングルモルト山崎をテイスティング。

 有料テイスティングカウンターでは、この先数年は滅多にお目にかかることが出来ない山崎25年、白州25年、響21年(各15mℓ 2,900円)、山崎18年、白州18年(各15mℓ 600円)などをストレートで試飲下画像。シェリー樽原酒の個性が際立ち力強い山崎18年、白州の持ち味である爽快さに深みが加わる白州25年、そして時が磨き上げた円熟味が素晴らしい響21年が特に印象に残りました。

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 山﨑蒸留所の仕込み水と同じ水脈だという伏流水「離宮の水」が湧き出す「水無瀬神宮(みなせじんぐう)」へと向かって歩き出してからも、摂取したアルコール分が全身の汗腺から揮発してゆくかのよう。酔いは回らずとも、強烈な日差しと暑さで目の前が次第に白くなってきました。

 千年の都・京都とは姉妹都市であり、溶け出したアスファルトの路面にハイヒールが刺さるサウナ風呂のごとき8月のフィレンツェの熱気を彷彿とさせたその日。朦朧とした頭に蜃気楼のように浮かんできたのは、サンタルチア通り沿いにスイカ売りの屋台が並ぶ真夏のナポリの光景。

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 南イタリア特有の強烈な日差しを受けてキラキラと輝くナポリ湾。ソレント半島まで延びるヴェスヴィオ山のなだらかな稜線が果てる先は、皇帝アウグストゥスやティべリウス帝も愛してやまなかった楽園カプリ島上画像

 そんな幻影が瞼の奥に浮かんできたのも無理からぬこと。その日は〝海の日〟なのでした。

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 ナポリ方言で歌われるカンツォーネの中で、最もポピュラーな曲が、こんな歌い出しで始まる「'O sole mio オー・ソレ・ミオ」でしょう。

 Che bella cosa e' na jurnata 'e sole, 太陽が輝く日の何と美しいことか
 n'aria serena doppo na tempesta!   嵐は去り、空は澄みわたる
 Pe' ll'aria fresca pare già na festa   すがすがしい空気は祭りの日のよう
 Che bella cosa e' na jurnata 'e sole  晴れ渡った日の何と美しいことか

 Ma n'atu sole    しかし、もう一つの太陽は
 cchiù bello, oje ne'  さらに美しい。
 'o sole mio      私の太陽は
 sta nfronte a te!   君の顔で輝く

Vedi Napoli e poi muori (=ナポリを見て死ね)〟とまで称賛される風光明媚なナポリ愛を歌った曲かと思いきや、ちゃっかり女性の美しさを褒め称えるあたりは、さすがイタリア男。

【Movie】世紀の競演と前評判が高かったコンサートを締めくくったアンコール2曲目「Nessun dorma 誰も寝てはならぬ」に先立つ同1曲目が'O sole mio。イタリア中部モデナ出身パヴァロッティv.s.マドリード出身ドミンゴ&バルセロナ出身カレーラスの歌合戦。キングオブハイCが、演出過剰なビブラートを利かせた歌唱を披露すると、負けてはならじとスペイン無敵艦隊が応じる之図

 ナポリ生まれの詩人ジョヴァンニ・カプッロのロマンティックな詞にエドゥアルド・ディ・カプアが情熱的な旋律をつけ、1898年に世に出たこの曲を十八番とするルチアーノ・パヴァロッティ、プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラスの名テノール3人が、ローマ・カラカラ浴場跡で初共演したのが1990年。
 
 それは、FIFAサッカーワールドカップ・イタリア大会の前夜祭として企画され、6,000席が用意されたプレミアチケットは10分で完売。公演の模様を収録したCDはクラシック音楽としては空前のセールスを記録。'90年代の愛聴盤のひとつでもありました。

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 雨が降り出すたびに機嫌を損ね、その都度ピットインした正規ディーラーのメカニックでもトラブルの原因を特定しかねたミラノ・ピニンファリーナ工場製の先代Macchina Rossaに翻弄され続けた痛すぎるイタ車ライフも今は昔《2009.3拙稿「場の空気に関する一考察」参照》

 同じ赤のメタリックボディでも故障知らずで、ボディ形状も先代と似ていなくもない広島製アルファロメオこと、イタリアなど欧州ではMazda3と呼ばれるアクセラで兵庫県赤穂市を訪れたのは、梅雨の晴れ間の6月末のこと。

 その日、ジョルジャなどのイタリアンポップスとともに、パヴァロッティがアンコール前のメドレーでは至極真っ当に歌い上げた'O sole mio、そして20世紀初頭に活躍したナポリ出身のテノール歌手、エンリコ・カルーゾ(1873-1921)の晩年を描いたCarusoカルーソが車内には流れていました。

【Movie】音楽を通じた交流があったポピュラー音楽のアーティスト14人とパヴァロッティが1992年に共演したコンサート「Pavarotti & Friends」。病に倒れソレントで療養するエンリコ・カルーゾの魂の叫びを綴った曲Carusoを作曲者のルチオ・ダッラと熱唱した

 Qui dove il mare luccica, e dove tira forte il vento  海は輝き、強い潮風が吹き抜ける
 sulla vecchia terrazza davanti al golfo di Surriento   ソレント湾を望む古いテラスの上で
 Un uomo abbraccia una ragazza           男は若い女を抱きしめる
 dopo che aveva pianto                涙が乾ききらぬままで
 poi si schiarisce la voce e ricomincia il canto       声の調子を整え、再び歌い始める

 Te voglio bene assai                愛している
 Ma tanto tanto bene, sai               狂おしいほどに
 È una cantena ormai                 固い絆で
 che scioglie il sangue dint'e vene, sai         血潮は沸き立ちそうだ

sorrento-caruso.jpg【Photo】イタリア国内で成功を収めて渡米したエンリコ・カルーゾ(日米ではエンリコ・カルーソと発音)。テノール歌手としての円熟期に病に冒され、ここソレントで再起を期すも病状は回復せず、郷里ナポリで没した。享年48。不世出の歌劇王として名声を得たカルーゾは、ナポリ湾の彼方に沈みゆく夕陽に何を思ったのだろう

 47歳というキャリアの絶頂期にNYで病に倒れ、ナポリ湾に面した景勝地ソレントで療養生活を送る歌劇王。歌にかける情熱と諦念が入り混じった晩年の生きざまを、ボローニャ出身の歌手ルチオ・ダッラが情熱的な歌詞で表現しています。そんな曲でイメージトレーニングをしていたのには、れっきとした理由がありました。

 次回は、関西に居を移したからには、是非もので訪れたいと思っていた兵庫県赤穂市にあるピッツェリア&海鮮ナポリ料理の店「さくらぐみ」訪問レポをお届けします。

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投稿者 vam : 23:40 | カテゴリー : ITALIA/| カテゴリー : Libro e Cinema, Arti ,Musica 書籍と映画, 芸術, 音楽/| カテゴリー : イベント&催し/| カテゴリー : ・Fuori Tohoku 圏外遠征

2018/06/19

夕陽に燃え立つ萌える絶景@砺波

I've seen things you people wouldn't believe, reprise
2018 初夏。散居、ふたたび


 近畿・東海・関東甲信地方に梅雨入り宣言が発表されたのが6月6日。関西地方の平均的な梅雨入りは6月7日だそうで、ほぼ例年通りのタイミングです。

ajisai_shukugawa.jpg【Photo】夜半から降った雨が上がった夙川(しゅくがわ)公園アジサイ園の朝。野坂昭如の小説「火垂るの墓」の舞台となった満地谷にほど近い苦楽園口橋付近で蛍が舞う頃になると、公園の一角に設けられたアジサイ園が青や紫に色付き始める上画像

 10日に東北南部と北陸が、11日には東北北部が梅雨入りし、梅雨のない北海道を除いて日本列島は今年も雨の季節を迎えました。農作物にとっては欠かせない恵みの雨も度を越せば意味合いが違ってきます。

【Photo】1907年(明治40)、大阪で砂糖問屋を営む香野蔵治と櫨山慶次郎が開設した香櫨園(こうろえん)遊園地の唯一の名残が、ウオーターシュートが設けられていた夙川公民館に隣接した片鉾池。今年は陽性の梅雨だという6月の日曜日。気温が上がった梅雨の晴れ間、ウシガエルの合唱が鳴り響く池がある夙川河川緑地で涼を添える青のアジサイ下画像

IMG_3811.jpg 記憶に新しいところでは、梅雨真っ盛りの昨年6月30日から7月6日にかけて九州北部で断続的に発生した線状降水帯により、24時間雨量が600mmに達した九州北部豪雨では、福岡大分両県で40名が犠牲となりました。発生から間もなく1年となる現在も、1,100人以上が応急仮設住宅で不自由な避難生活を送ります。

 数年に一度あるかどうかという豪雨が予想される場合に出される記録的短時間大雨情報、ないしは災害発生の危機が迫っている事を意味する大雨特別警報の発令が、ここ数年全国各地で頻発しています。自助共助の精神で、大切ないのちを守る物心両面の備えを日頃からしておきたいものですね。

aKibitsu-Okayama.jpg【Photo】吉備津神社(岡山市)は、国内唯一の比翼入母屋造の拝殿・本殿が国宝。社伝によれば、祭神の吉備津彦命(きびつひこのみこと)は、備前國吉備地方の平定に際し、温羅(うら)という鬼を退治したとされ、これが桃太郎伝説のもととなった。カタツムリが木陰の葉の上でじっと雨降りを待つ梅雨の季節、咲き揃ったアジサイ2,000株が境内を彩る

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 旧暦の6月は水無月(みなづき)と呼びますが、何故に梅雨の季節が〝水が無い月〟なのか、悩んだことがありませんか?

 水無月は、中学校の国語で習った連体修飾語です。主語となる体言(月)を修飾する体言(水)が連なって意味を成す言葉なのですが、ここでキモとなるのが〝無(な)〟ですね。

 古語における〝な〟は、格助詞の〝の〟の役割。よって水無月は、水の月という意味です。謎は解けても〝な〟に〝無〟の字をあてているがゆえに、現代語では本来の意味が曖昧模糊とし、梅雨空のようにモヤモヤ感が残るのではないでしょうか。

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【Photo】多くの参詣客が訪れる出雲大社(いずもおおやしろ)に清冽な気が漲る朝一番の6時に訪れた5月某日。長さ13.5m・太さ8m・重さ4.5tの国内最大級だという大注連縄が下がる拝殿へ上画像。本殿内の神座は西向きのため、拝礼した八足門前から本殿を囲む瑞垣に沿って右回りで本殿脇へと移動し、大国主大神に一番近い場所で二礼四拍手一礼するのが出雲大社の作法。本殿を挟んで東西には19の部屋に分かれた「十九社(じゅうくしゃ)」と呼ばれる南北に長い社がある下画像。閉ざされた19の扉が開くのが旧暦10月11日から17日までの7日間。全国津々浦々から一堂に会する八百万の神の宿泊所となる

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 大国主(おおくにぬし)が日本各地に配した八百万の子神を出雲大社に呼び戻すため、出雲地方では神存月(かみありづき)と呼ぶ旧暦の10月の別称、神無月(かんなづき)も同じ文脈で、〝神の月〟ですが、日本中から神様が集う出雲地方以外では神不在の月なので、神無月という表記がしっくりきます。

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 イタリア語で6月はGiugno ジュンニョといいます。これはローマ神話の主神Jūpiter ユピテル(☞ラテン語)Giove ジョーヴェ(☞イタリア語)の妻、 Juno ユーノー(☞ラテン語)Giunone ジュノーネ(☞イタリア語)の名前に由来しています。

Volto_Galleria_Farnese.jpg【Photo】在伊フランス大使館として使われるローマ・ファルネーゼ宮殿1Fには、初期バロック絵画においてボローニャ派を牽引した画家アンニバーレ・カラッチ(1560-1609)の代表作とされる天井フレスコ画(1595-1602)がある上画像Web サイトからの事前申込制で、月・水・金曜日のみ仏・伊・英語ガイドによる内部見学が可能。中央の「バッカスとアリアドネの勝利」など、さまざまな神話の場面を描いた天井画の一部が、この「Giove e Giunone ジュピターとジューノ」下画像

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 梅雨のないイタリアでは6月の別名がMese del Sole(=太陽の月)。地中海性気候のイタリアでは、6月ともなれば日差しは強まり、ローマの最高気温は東京・大阪とさして変わりませんが、月間降雨量は40mmと東京の1/4程度。

 6月1日に発足したジュゼッペ・コンテ首相率いるポピュリスト連立政権の登場で、流入する難民受け入れを拒否するなど、EU域内から不安の目を向けられる昨今のイタリア。著作「イタリア紀行」における高揚ぶりが著しいゲーテの例を挙げるまでもなく、緯度が高いドイツ語圏などヨーロッパアルプス以北の人々が憧れる彼の国の青空には、輝く太陽が似合います。

risaia-vercelli.jpg【Photo】ヨーロッパアルプスの雪解け水が大地を潤す5月初旬の北イタリア。米作が盛んなミラノ南方のロンバルディア平原やピエモンテ州ヴェルチェッリ県では、ポー川の水利を活用し、日本の田園地帯とさして変わらぬこうした風景と出合える

 一昨年度の主食用米の作付け面積が138万haの日本に対し、21万5千haの水田面積を有するイタリア。ミラノ南部のロンバルディア平原やパヴィーア周辺地域とともにコメどころとして知られるのが、ピエモンテ州のヴェルチェッリ県。

 庄イタが前世において目にしたであろう、峩々とした白銀のアルプス山脈を映し出すヴェルチェッリの水田地帯を舞台にした映画が、1949年公開の「Riso Amaro(邦題:にがい米)」。

 主演のシルヴァーナ・マンガーノ(1930-1989)は、田植えの季節に現物支給で近郊からMondina(モンディーナ=田植え女)として駆り出される娘を演じており、機械化が進んだ1970年頃まではトリノ駅からヴェルチェッリまで鉄道が運んだ女性労働力が支えた1960年代までのイタリアの米づくりを今に伝えます。

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 ここ2年ほどの庄イタがそうであるように、瑞穂の国というと、最近では安倍明恵首相夫人が関与した「瑞穂の國記念小學院」、そして籠池泰典・諄子夫妻の夫婦漫談を(心ならずとも)思い起こしてしまうと仰る方がおいででは?

 日本国の別称である瑞穂の国は、奈良時代の編纂である日本書紀に「豊葦原瑞穂国(とよあしはらの みずほのくに)」との記載が認められます。8世紀初めに編纂された日本最古の史書である古事記では「水穂国」と記述されますが、同じ意味合いです。

kushimitama_izumo.jpg【Photo】出雲で共に国造りを行っていた少彦名(スクナヒコナ)が去り、途方に暮れる大国主のもとに三輪山の大物主(オオモノヌシ)が現れ、国づくりを手伝ったという記紀の記述を表す「ムスビの神像」が出雲大社の四之鳥居の前にある。大国主の前に「幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)」が波に乗った黄金の玉として出現。強固な神性を備えたムスビの大神となり、国づくりを完遂したという

 これら記紀が伝える神話の時代には弥生時代に日本へと伝来した稲作は伝わっていなかったはず。その出自がギリシャ・ローマにしろ、日本にしろ世の東西を問わず神話の世界は理屈では説明がつかないもの。野暮なことは言わずにおくとしましょう。

miwayama-ookamijinjya.jpg【Photo】三輪山がご神体となるため、拝殿写真中央の奥に本殿を持たない「大神(おおみわ)神社」(奈良県桜井市)は、日本最古の神社を自認。祭神である大物主が蛇神に姿を変えたという伝承にちなみ、木の洞(ほら)から白蛇が出入りする「巳の大杉」は樹齢400年写真左。地元特産の三輪素麺は、白蛇神となった大物主に由来する ... のではない

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 確かなことは、豊かに葦が生い茂り、瑞々しい稲穂が育つ国を支えるのは、雨や雪がもととなる水であり、作物を育む人の営みであるということ。

 そのいずれかが欠けても出合うことのない景観が形づくられているのが、飛騨高地を源流域とする庄川と石川県境に端を発する小矢部川とに挟まれた扇状地を形成する富山県西部の砺波平野です。

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 9年前の民主党政権時代、高速道路料金一律1,000円の恩恵に預かろうと、GWに仙台から東北道・磐越道・北陸道を経由して岐阜県郡上市を目指したことがありました。《2009.5拙稿「期間限定 散居の浮島」参照》

 そこで遭遇したのが、屋敷林「カイニョ」に囲まれた伝統的家屋「アズマダチ」で構成される国内最大規模の散居集落と水を湛えた水田とが織り成すシンメトリーな光景。田植えシーズン真っただ中に出現していた砺波の田園風景は、強い印象を残したのです下画像

 その時、加賀百万石を支えた一大穀倉地帯の砺波平野でDNAに刻まれたピエモンテの光景が蘇っていたのかもしれません。

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 関西に居を移し、前回の訪問時と比べればはるかに近くなった砺波への再訪は必須のミッションでありました。

b_simple_70_0L.jpg 朝を迎えた郡上八幡では、戊辰戦争で徳川の恩義に報いるため、江戸詰家老だった朝比奈藤兵衛の長男で弱冠17歳の朝比奈茂吉ら、薩長主導の討幕勢力についた郡上藩を脱藩し、会津藩と共に鶴ヶ城籠城戦を戦い抜いた凌霜隊45名の慰霊・顕彰碑がある郡上八幡城へ。

〝勝てば官軍〟は世の常。そんな明治の世にあって、(父である江戸家老の独断であったにせよ)藩命を受け忠義を貫いた朝比奈茂吉らは国賊として投獄・謹慎の身となります。2年4か月後に放免された後も郷里から離散するなど、苦難の人生を歩んだ凌霜隊士の遺徳を偲びました。
 
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 合掌造集落がある世界遺産・五箇村上画像を目指した東海北陸自動車道とR304を経て久方ぶりに訪れた砺波平野。今年のGW後半は全国的に好天に恵まれましたが、まさに狙い通りの展開が待ち受けていました。

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 日が傾く時間に向かったのは、9年前には午前中に訪れた散居村展望台と展望広場。そこで巡り合った息をのむ光景に、もはや多くを語る必要はないでしょう。

at Gotani Tonami-shi,Toyama 2018.5.4(FRI) 18:34
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 気がかりだったのは、9年前の訪問時と比べ、保守管理に手間がかかる屋敷林カイニョと木組みが美しい切妻屋敷のアズマダチ、田植えのために水を張った水田が目に見えて減っていたこと。生産農家の高齢化、消費者のコメ離れと米価低迷は、砺波伝統の美しい田園風景の維持を一層困難にしているようでした。

 それでも幸運なことに、八戸・三社大祭、京都・祇園祭、飛騨・高山祭などと共にユネスコ世界無形文化遺産に登録されている「山・鉾・屋台行事」のひとつ「城端(じょうはな)曳山祭」の宵祭りが砺波平野南端の南砺市城端地区でこの日行われていました。

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 町内6地区ごと「山宿」には恵比寿様や大黒様などの江戸期に製作された6体の御神像がおいでです。京都・祇園の一力茶屋や吉原の遊郭を模した6台の庵屋台に提灯が灯る頃、三味線と笛に江戸端唄の流れをくむ唄い手からなる袴姿の若連中が越中の小京都と呼ばれる城端の街を巡ります。

《若連中による庵唄:再生時に音が出ます》

 江戸情緒溢れる宵祭りに居合わせた翌朝は、絢爛豪華な曳山の巡行も心ゆくまで堪能できるという素敵なオマケまでついたのでした。

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投稿者 vam : 01:38 | カテゴリー : ・Fuori Tohoku 圏外遠征/| カテゴリー : 水はすべての始まり

2018/05/26

極楽浄土を垣間見てもうた...

2018 Ciliegi Giapponesi
a Patrimonio mondiale Sala della Fenice〝Byodoin〟
2018さくら絶景探訪 第二章 : 世界遺産「宇治平等院」編


 言葉を失う美しさ。光に包まれた浄土が、まさに出現していました。

 そこは2014年(平成26)に完了した平成の大修理で創建当初の色鮮やかさが蘇った京都宇治の世界遺産「平等院」。

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 鳥が翼を広げて飛び立つ優美な姿に似ており、江戸時代の初め頃、鳳凰堂と呼ばれるようになったもう一つの由来とされる中堂の屋根に対で頂く黄金に輝く青銅製の鳳凰は1万円札の裏側に、そして中堂を挟んで南北の翼廊からなる平等院の姿が10円硬貨の裏に刻まれています。

 分厚い札束にほくそ笑む拝金主義者は別にして、極楽浄土をそこから思い描くことは到底できないかと下画像

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 ブッダが入滅して1000年の時が経過すると、仏の教えが忘れられ、悟りを得ることのない混沌とした時代になるという末法思想が世に広まったのが平安末期。

 それは4~5年間隔で宇治川が干上がるほどの旱魃(かんばつ)が襲い、各地で飢饉や疫病が発生。平安京でも餓死者が出る時代でした。

gachizosi.jpg【Photo】国宝「餓鬼草紙」平安末期(12世紀・部分)東京国立博物館蔵 岡山の河本(こうもと)家に伝わる巻物。平安末期の六道思想は、生前の行いによって、成仏できずに餓鬼道・地獄道・修羅道・畜生道などに堕ち、6つの苦しみを味わうとした教え。この「塚間餓鬼」は、平安京の鳥野辺などの墳墓地において、身分が高いものは盛り土塚に埋葬され、庶民層は風葬が一般的だった当時の埋葬の様子を今に伝える

 末法を迎えるとされた1052年(永承7)、仏の世界を現世に出現させようと摂政・藤原道長の子頼通は、道長の別荘であった宇治殿(うじどの)を寺院に改装。阿地池(あじいけ)の中島に西方浄土を造り出すべく、翌年完成したのが、現在は平等院鳳凰堂と呼ばれる阿弥陀堂です下画像

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 ちょうどその頃、10万人以上が暮らし、平安京に次ぐ人口規模の都市だった岩手県平泉では、奥州藤原氏によって中尊寺金色堂や毛越寺、平等院を模した無量光院などの世界遺産群が造営されています。これは大和朝廷によって「征夷」の名のもとで繰り返された坂上田村麻呂の蝦夷征伐や前九年の役、さらには初代清衡は内紛で妻子を惨殺されており、多くの犠牲を生む争いのない浄土を再現しようとしたもの。

 そこでは官軍も蝦夷も関係なく、人が生きてゆく糧となったこの世に生きとし生けるもの全てが浄土に導かれるようにという願いが込められていました。そんな切なる願いも空しく、1189年(文治5)源頼朝によって奥州藤原氏は滅亡。全てが黄金に輝く極楽を再現した往時の姿を今に留めるのは中尊寺金色堂だけとなりました。有為転変は世の習い。あぁ無常。

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 昨年の紅葉シーズン、平等院では15年ぶりに夜間拝観が行われました。それに先立つ一昨年11月、庄イタは伊達政宗の嫡孫(ちゃくそん)で、19の若さで早逝した光宗の霊廟として1647年(正保4)に松島に開山した「円通院」を訪れていました。

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【Photo】円通院三慧殿(国指定重文)上画像には束帯姿で騎乗する伊達光宗像を収めた桃山様式の厨子が収められる。下画像伊達家の家紋のひとつ九曜紋とともに、慶長遣欧使節としてスペインやローマに渡った支倉六衛門常長が初めて日本に持ち込んだバラとスイセンが、ローマとフィレンツェの象徴として左右の扉に描かれる。交易を求めたローマ法王への謁見を成し遂げながら、禁教令のため帰国後は蟄居となった常長の無念も浄化されたのだろうか

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 その目的は夜間拝観。昼とは趣を異にする闇を照らすライトアップの光に照らされた円通院は強い印象を残しました。

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 仙台藩江戸屋敷にあった小堀遠州作の庭園と本堂・大悲亭を移築した円通院。本堂前の「心字の池」には、ライトアップされた紅葉がホログラムと化し、水面に幻想的なシンメトリーで映し出されていたのです上画像

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 桜の見頃に合わせ、平等院で夜間拝観が実施されることをニュースで知ったのは、吉野山を訪れた翌々日のこと。

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 仕事を終え、北浜駅から京阪電車で向かった宇治駅までは1時間弱。宇治川を渡り、茶どころ宇治ならではの店が並ぶ門前街を移動。駅から10分ほどで夜間拝観が始まる18:30過ぎには表門に到着しました。

 600円の夜間特別拝観料を支払い、古代の建造物に使われた丹土(につち)で落ち着いたベンガラ色に塗り直された表門から境内へ。その先は京都の名だたる観光スポットでは避けては通れない人また人の波。 

 真正面に鳳凰堂を見るビュースポットは入れ替え制になっており、人びとはそこを目指して5,6人ずつ横一線で並んでいます。

 それでも京都の有名な観光地には昨今つきものの古都の情緒を台無しにする中国語やハングルによる耳を突き刺す大声を張り上げての会話はあまり聞こえて来ません。何故ならば、阿地池を挟んで斜めからのアングルの鳳凰堂が、極めてフォトジェニックゆえ、行列をなす誰もがスマホやカメラでの撮影に余念がないのです(笑)。

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 死後の極楽浄土さながらに此岸(しがん)から蓮池を挟んだ彼岸の鳳凰堂は、正面が東に向いて建っています。つまりは見る者にとって、鳳凰堂は西方浄土そのものであるよう設計されているのです。

 創建当初の姿を蘇らせた平成の大修理に先立つ1950年(昭和25)の修復で使用された鉛を加熱した顔料・鉛丹が剥落したかつての外観は、侘び寂びを感じさせこそすれ、この世に極楽浄土を造り出すという創建に込められた願いは伝わりにくかったはず下画像

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 阿弥陀経の経典では、西方の彼方にある極楽浄土は黄金や七宝で出来ており、池には色とりどりのハスが咲き、良い香りがする。美しい鳥の鳴き声は説法となり、極楽に迎え入れられた者は念仏を唱えているとあります。

 落慶当時の彩色や金をふんだんに使う修復計画が発表されるや、異を唱える動きがありました。〝原典に忠実たれ〟は文化財修復の大原則。この世に浄土を顕現させようと創建された平等院に21世紀の価値観や尺度を持ち出すのはお門違いというものでしょう。

 そうは言ってみたものの、現代の照明テクノロジーにより、極楽浄土を彷彿とさせる鳳凰堂が目の前に出現しています。それは平等院を建立せしめた藤原頼道が決して目にすることがなかった到底この世のものとは思えぬ美しさでした。

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 そんなことを考えながら行列に並ぶこと35分。鳳凰堂正面に移動すると、中堂の本尊・阿弥陀如来像(国宝)と真向かいに対峙する形に上画像

 発掘調査の折、江戸時代の地層から見つかった種を発芽させたハスの葉が浮かぶ池の州浜は、1990年(平成2)に発掘された平安期の遺構や当時の文献に沿って、握り拳大の礫を敷き詰めて復元されています。

 寄木造技法を確立させた平安後期の仏師・定朝(じょうちょう)晩年の作による本尊・阿弥陀如来坐像がおいでになる中堂前には本尊を照らす開口部が大きく穿たれた石灯籠が置かれています。

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 阿弥陀如来坐像を覆い隠すように格子が設けられていますが、顔の部分のみ丸く空いています。カメラのファインダーから目を離し、しばし揺らめく燈籠の炎に浮かぶ阿弥陀如来の姿に思いを巡らせたのでした。

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 2001年(平成13)に開館したミュージアム「鳳翔館」は、中堂の屋根には金箔が蘇った複製上画像を頂く青銅製の鳳凰、天人や獅子の精緻な彫りが四面に隙間なく施された梵鐘下画像、雲上で古楽器を奏で、印を結び、舞い踊る雲中供養菩薩26体などの国宝をはじめとする平等院の所蔵品を1Fフロアに展示しており、必見です。

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miidera_bonsho.jpg【Photo】平等院の梵鐘は創建当時の鋳造。鐘楼には複製が下がるが、これほど精緻な装飾が全面になされた梵鐘は他に例を見ない。姿形が特に優れた平等院、当代きっての名手が序詞・銘文・揮毫を手がけ「三絶の鐘」の異名を持つ京都・神護寺、音色が美しい滋賀・園城寺(おんじょうじ・別名:三井寺みいでら・右画像とともに、天下の三名鐘に数えられる

 景観を損なわぬよう、半地下構造で造られたミュージアムには、臨終を迎えた者の生前の行いにより、極楽から迎えに来る仏様が異なるとする「観無量寿経」に基づく九品(くほん)来迎図など、中堂内陣の壁画や扉絵、螺鈿を嵌め込んだ天蓋(一部)などを創建当初の色鮮やかな姿で再現しています。

 極彩色で描かれたのは、阿弥陀如来が観音菩薩や勢至菩薩などの仏を伴って雲や蓮に乗って来迎する姿。そこには、混沌とした平安末期にあって、極楽浄土への往生を切望した関白・藤原頼通の思いが込められています。

 鳳翔館の1Fフロアには、中堂壁面の長押(なげし)上の壁面に本尊を囲むように配置された雲中供養菩薩52体のうち、26体を移設して展示しています。そこでは長い戦乱の世を経た11世紀の仏像群としては唯一現存する仏様を間近に見ることができます下画像4点

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 大理石の造型において卓越した才能を遺憾なく開花させ、バロック彫刻の頂点に輝く天才ジャン・ロレンツォ・ベルニーニのみならず、高い精神性を物語る日本の仏像彫刻も愛好する庄イタ。

 その原点は、わが心の故郷・山形県酒田市にある土門拳記念館で高校時代に出合った「古寺巡礼」のマスタープリントでした。リアリズム写真の巨匠は1964年(昭和39)に平等院を訪れ、阿弥陀如来坐像などを撮影。帰りしなに遭遇した〝走る風景〟と表現した刻一刻と表情を変える夕焼け空に飛び立つかのような鳳凰の姿を捉えた名作を残しています。

 2014年(平成26)、東日本大震災復興祈念特別展として仙台市博物館で開催された「奈良・国宝 室生寺の仏たち」では、室生寺で拝観するよりも遥かに間近な距離で、奈良では叶わない12体揃った十二神将像や十一面観音菩薩像とお会いすることができ、感激に浸ったものです。

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 ヒノキ一木彫りによる坐像・立像は、いずれも柔和な表情を浮かべ、美しい調べと共に天上から舞い踊りつつ降臨する姿を立体的に表現しています。本尊を囲んで漆地に華やかな彩色がなされてた当初の姿は、さぞや感動的だったことでしょう。
 
 黄金に輝く阿弥陀如来と雲中供養菩薩とに誘(いざな)われ、夢か現(うつつ)か判然とせぬまま、極楽浄土の入口に立っていたのかもしれません。

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 夜間拝観が終了する21時直前まで夢のような時を平等院で過ごした庄イタ。JR宇治駅に向かいながら、2019年のロサンゼルスを舞台とするSF映画の金字塔「ブレードランナー」のクライマックスシーンで語られるセリフを思い起こしていました。

 外見は人間と変わらずとも、知力は創造主である天才科学者タイレルに匹敵し、身体能力が極めて高い代わりに4年の寿命しか与えられていない人造人間レプリカント。その最新型ネクサス6型のロイ・バッティは、宇宙植民地で働く仲間3人と反乱を起こし、ロスに潜伏します。その目的は、残された寿命がどれほどか、延命は不可能なのかを知るため。

 ロイはハリソン・フォード演じるレプリカントを抹殺する任務を帯びた捜査官(通称:ブレードランナー)デッカードと死闘を繰り広げます。超人的な体力を備えたロイは仲間を殺した仇敵を死の淵まで追い詰めますが、自らの死が迫っていることを悟り、高層ビルの屋上から転落寸前で命を救ったデッカードを前にして語り始めます。

  I've seen things you people wouldn't believe.
  Attack ships on fire off the shoulder of Orion.
  I watched C-beams glitter in the dark near the Tannhäuser Gate.
 (and incridible mt.Yoshino full of cherry blossom, also Byodoin Temple illuminated.)

   【⇒ fabricated
  All those moments will be lost in time, ... like tears in rain.
  Time to die.

 【和訳】
  お前たち人間が信じられないような光景を俺は見てきた
  オリオンの肩(⇒「ベテルギウス星」の詩的な比喩?)を離れたところで炎に包まれた宇宙戦艦
  タンホイザーゲート近くの闇で輝きを放った閃光
  (目を疑うほどに桜が溢れんばかりの吉野山、そしてライトアップされた平等院も)
     【⇒ 書き換え 改ざん済】
  そうした瞬間瞬間も、やがて時の流れの中に消えてゆく ... 雨の中で流す涙のように
  最期の時がきたようだ

 限られた時間枠で生きる人間とて同じ宿命。人間の身勝手で造られたレプリカントの苦悩につい感情移入させてしまうロイを好演したルトガー・ハウアーは、台本にはなかった All those moments 以下のフレーズをアドリブで追加。撮影に臨んだといいます。

 吉野での感動が冷めやらぬまま平等院を訪れた庄イタも原作にはなかった〝and incridible mt.Yoshino full of cherry blossom, also Byodoin Temple illuminated..〟という一節をルトガー・ハウアーに語らせる白日夢に浸っていました。

 短い一生を終えたロイの手から空へ飛び立った白いハトは、酸性雨が降り続けるロサンゼルス上空からロイのもとへと来迎する阿弥陀如来や菩薩たちと必ずやすれ違ったことでしょう。 

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投稿者 vam : 06:00 | カテゴリー : ・Fuori Tohoku 圏外遠征

2018/05/06

太閤殿下、全山満開でござる!

2018 Ciliegi Giapponesi
a Patrimonio mondiale Monte Yoshino
2018さくら絶景探訪 第二章 : 世界遺産「吉野山」編

 あっぱれじゃ! 

 こんな感嘆の声を上げたであろう豊臣秀吉が目にした光景と同じ、いえ、恐らくはそれ以上に見事な絶景が庄イタの目の前に広がっています。

 天下を統一し、太閤として権勢の絶頂にあった豊臣秀吉が、1594年(文禄3)に諸国の大名・文人墨客ら総勢5,000名を引き連れ、奈良県吉野山で5日間にわたって催した花見の宴は、つとに有名。

yoshinohanamizu-byobu.jpg 【Photo】「豊公吉野花見図屏風」(部分・国重文・細見美術館蔵)織田信長の遺志を引き継ぐ形で戦乱の世に終止符を打った豊臣秀吉。我が世の春を謳歌する太閤が、吉野で催した花見の模様を江戸初期に描いた屏風絵。輿(こし)に乗った秀吉が、役行者が開基した「金峯山寺(きんぷせんじ)蔵王堂」に向かわんとしている。当時の風俗が描かれており、絢爛な桃山時代の雰囲気を今に伝える


  年月を 心にかけし 吉野山 花の盛りを 今日見つるかな 

 吉野入りして3日間降り続いた雨が止み、興に乗って舞も披露した花見の宴を催した喜びを上記のように三十一文字(みそひともじ)に残しています。

kimpsenji@nakasenbon2018.jpg【Photo】上千本から続く細道を上千本口バス停近くまで下り、左手に折れる脇道を入ると「大塔宮仰徳碑」と刻まれた大きな石碑がある。武芸に秀でた大塔宮護良(おおとうのみやもりよし)親王(1308-1335)は後醍醐天皇の皇子。建武の新政(1333)で、征夷大将軍の地位を巡って父と対立。太平記によれば、同じ官職を欲していた足利尊氏によって鎌倉で幽閉され、若くして非業の最期を遂げた。討幕のため大塔宮が吉野で挙兵した地に立つと、山の稜線を越えて斜めから射す朝日が、シロヤマザクラを鮮やかに照らし出した(上画像)。その彼方に望むは、木造軸組建築として世界最大の東大寺大仏殿に次いで大きい寺院建築で、2004年にユネスコ世界文化遺産に登録された「金峯山寺蔵王堂(きんぷせんじざおうどう)」の大屋根(下画像)

〝大名より身分が低い者の姿で参加すべし〟との秀吉のお達しで、金剛杖を手にした山伏に変装したのが伊達政宗。茶屋の下人に扮する秀吉を前に、配下の者にホラ貝を吹かせて斎料を所望。洒落っ気がある秀吉を大層悦ばせた事が、政宗の小姓であった木村宇右衛門の記録によって伝えられています。

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 花見が行われる4年前、秀吉による天下統一の総仕上げとして小田原攻めに踏み切った際、先代から盟友関係にあった北条氏包囲戦への参戦要請に応じなかった政宗。五奉行筆頭の浅野長政による説得を受け、重い腰を上げて怒り心頭だったであろう秀吉の陣に参じます。

 弱冠22歳だった政宗は、到着早々、千利休による茶の手ほどきを願い出ます。命が危うい状況にあっても物怖じしない度量の大きさに齢(よわい)50を過ぎていた秀吉は感嘆します。家康のとりなしで叶った秀吉への謁見には切腹覚悟の白装束で臨む一世一代の大芝居を打った政宗。その役者ぶりを気に入った秀吉の許しを首の皮一枚で得た逸話はご存知の方が多いかと。

 太閤秀吉・関白秀次親子ほか、徳川家康・前田利家ら年長で官位も高い戦国武将が居並ぶ中、従五位下の侍従としては唯一、政宗は花見への同席を許されます。戦国の世に遅れて生まれてきた稀代の若武者が詠んだのは、文武両道の才覚を示して余りある格調高く、そして、天下人となった秀吉を持ち上げるサラリーマン処世術的な内容でした。

  君がため 吉野の山の槇の葉の 常磐(ときは)に花も色やそはまし

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 吉野山の桜は、標高が低い順に海抜200mの下千本(しもせんぼん)から中千本(なかせんぼん)、上千本(かみせんぼん)、標高700mの奥千本(おくせんぼん)まで順番に見頃を迎えます。それぞれ一目千本桜と呼ばれ、ほとんどがシロヤマザクラを主体とする全体では3万本ある桜が、今年は見渡す限り一斉に満開となっているのです(下画像)

 急に気温が上昇した4月初旬、吉野山の桜が全山一斉に満開となっているとTVニュースで知りました。関西に居を移した庄イタにとって千載一遇に違いないこんな望外の好機を逃す手はありません。 

yoshimizu2018.4.3.jpg【Photo】豊臣秀吉が吉野山滞在の本陣としたのが、中千本の吉水院。秀吉が吉野で催した花見から424年を経た今年は、世界文化遺産・吉水神社の境内から下千本から上千本まで同時に満開となった稀有なシロヤマザクラを見ることができた

 吉野の達人からは、クルマで行くのなら日の出前に標高600m付近からの展望が開ける花矢倉(はなやぐら)に着き、中千本・下千本へと、大方の流れとは逆に動くのが鉄則だと昨年聞いていました。

 意を決して当日は深夜2時半に西宮を出発。襲い掛かる睡魔を払いのけ、頭の中ではフニクリ・フニクラの替え歌「♪ 行こう 行こう 花の山へ」がリピート。阪神高速神戸線から南阪奈道路を経由し、吉野山への玄関口となる近鉄吉野神宮駅付近に到着したのが早朝4時半。

 明治天皇妃が桜をご覧になった地点に標柱が立つ「昭憲皇太后 御野立跡」ほか、クルマのすれ違いが困難な細道に土産物屋や飲食店が並ぶ下千本と中千本を通過しても、まだ外はまだ真っ暗。

kamisenbon2018.4.3.jpg【Photo】夜が明けやらぬ花矢倉からは、明かりに浮かび上がる金峯山寺蔵王堂の大屋根がランドマークとなる中千本から下千本方面まで、一幅の布を敷き詰めたように見えることから「布引の桜」と称されるシロヤマザクラが手に取るよう

 やがて商店や人家が途絶え、上千本へと登ってゆくと、ヘッドライトに照らされて漆黒の闇から浮かび上がってきたのは、道端にカメラの三脚を立ててスタンバイする人びと。その数の多さには驚きました。

 2004年(平成16)にユネスコ世界文化遺産に登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」を構成する吉野水分(みくまり)神社を暗がりの中を訪れましたが、楼門は固く閉ざされたまま。都を追われて吉野に潜伏していた源義経が、兄・頼朝が差し向けた追手から逃れた地とされる花矢倉付近で日の出を待つことしばし。

 5時前になって東の空が白み始めると、祈りの山・吉野は清浄な朝の気配に包まれます。やがて去り切らぬ夜陰に溶け込む濃緑の山並みに、微妙に色合いが異なる青白い光を放つかのようなシロヤマザクラが、至る所で眼下の山肌を覆っているのが目に飛び込んできました。

hanayagura2018.4.3.jpg【Photo】ドラマチックな演出効果をもたらす朝日が差し込み始めた6時30分。真っ暗いうちから花矢倉でスタンバイしたご褒美は、吉野ならではの唯一無二の眺めだった

 吉野のシンボルともいえるシロヤマザクラは、吉野にほど近い大和国葛城上郡(現・奈良県御所市)に生まれた修験道の開祖・役小角(えんのおづの=役行者)が衆生救済のため、千日回峰行の果てに会得した蔵王権現をヤマザクラに刻み、山上ヶ岳の山上本堂と共に献堂した金峯山寺(きんぷせんじ)蔵王堂に由来します。

 山岳信仰の聖地でもある吉野山を埋めつくす桜は、蔵王権現への信仰の証として、平安期以降に全国の善男善女が寄進したもの。〝Roma non fu fatta in un giorno (ローマは一日にしてならず)〟というではありませんか。秀吉と家康の庇護を受けた摂津の豪商・末吉勘兵衛は、苗木1万本を寄進しています。先人は酔客で賑わう花見の名所を造ろうと意図したのではありません。

shokenkotaigo-nodachiato.jpg【Photo】明治天皇妃・昭憲皇太后は、1891年(明治24)吉野に行啓。後醍醐天皇陵墓に参詣した折の思いを「吉野山 陵(みささぎ)ちかくなりぬらん 散りくる花も うちしめりたる」という短歌に残している。桜をご覧になった場所には「昭憲皇太后 御野立跡」の石柱があり、七曲り周辺を指す下千本、金峯山寺周辺の中千本を間近にするビュースポットとなっている(上画像)

 江戸前期の儒学者貝原益軒の「和州巡覧記」には、現在の近鉄吉野駅付近から中千本まで続く坂道「七曲り」の登り口で〝童ども桜の木の高さ二尺ばかりなるを多く売る。(中略)往来の人、これを買いて、植えさせて通る〟との記述があります。蔵王権現に奉じるため植え続けられたシロヤマザクラは、このようにして山の斜面を覆う群生「一目千本桜」となったのです。

 ルーツが同じソメイヨシノとは違い、シロヤマザクラは微妙に色合いが異なるように一本ごとに先人の思いが込められている事実を知ると、移ろう季節の中で、ほんのひと時だけ目にすることができる浄土のごとき光景も、また見る目が変わってきます。

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 駐車場が満杯になる前に中千本の駐車場へと車を移動。早朝で係員が不在の場合、出庫時に代金を払うのが吉野のローカルルールです。

 元々、五郎平という人物が茶屋を営んでいた小高い丘は展望台になっています。そこから谷を挟んで10世紀初頭の延喜年間に創建された如意輪寺が桜の木々に囲まれていました(下画像)

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 寺の裏手には、1339年(延元4)、52歳で吉野に没した後醍醐天皇が永遠の眠りにつく塔尾陵があります。歴代天皇の陵墓では唯一、北側を向いているのは、帰還が叶わなかった京都が吉野からは北側に位置するがゆえ。

 宝物殿では、鎌倉期に慶派の仏師源慶によって造られた蔵王権現像(国重文)を拝観できます。この仏は、インドや中国には存在せず、山岳信仰と結びついて日本のみで信仰されてきました。過去・現在・未来を象徴する慈悲に満ちた釈迦・観音・弥勒菩薩が、猛々しい仮の姿で顕現した蔵王権現を所蔵する寺院が吉野には他にもあり、谷越えの険しい地勢を目の当たりにして如意輪寺は体力温存のためスル―。

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 そこで目指したのは、16世紀後半の天正年間に再建された修験道の根本道場・金峯山寺。蔵王堂(上画像)の本尊・金剛蔵王権現(国重文)は、通常は非公開の秘仏ですが、折しも修復中の国宝・仁王門勧進のための特別公開が、GW最終日の5月6日まで行われていました。

 大いなる慈悲を示す〝青黒(しょうこく)〟と呼ばれる深みのある蒼身で躍動する姿に魅了された金剛蔵王権現像を本尊とする世界遺産・金峯山寺蔵王堂には、かねてより公開時に訪れたいと思っていました。つづら折りの七曲りを散策してから、蔵王堂に参詣したのは公開が始まる朝8時30分ちょうど。

 果たせるかな、怒髪天を衝く憤怒の形相で仁王立ちする三体の金剛蔵王権現(撮影禁止のためリンク参照)は、迫力満点。〝こちらでご本尊と直接お話し頂けます〟と、障子で間仕切りされた「発露の間」から間近に見上げる高さ7mの秘仏を前に、日常の穢れを祓い落としたのでした。

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 足利尊氏が持明院統の光明天皇を擁立したことで京都を追われ、吉野で南朝を興した後醍醐天皇。後亀山天皇まで4代続いた大覚寺統の皇居跡に建つ「妙法殿」(上画像)の御所桜を愛でつつ、歩いて向かったのが、金峯山寺の塔頭(たっちゅう)のひとつ「脳天大神(のうてんおおかみ)」。

 首から上の病に霊験あらたかだという謳い文句に惹かれ、谷底へと続く急斜面に設けられた階段を下りました(下画像)。谷底へ続くつづら折りの階段の先に人の姿はなく、急斜面を進めど進めど、なかなか脳天大神は見えてきません。

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 どうやら途中で引き返す人が少なくないようで、2人だけ階段を登って来る人とすれ違いましたが、苦悶の表情を浮かべて息も絶え絶えになっています。それを見て「引き返そうよ」と同行者は不安顔。

 それなりの説得力がある提案でしたが、2011年(平成23)9月に「出羽三山神社」の石段2,446段を3日間の山伏体験修行で2往復している庄イタ。《2011.12拙稿「修験道体験@出羽三山 暮れゆく月山御縁年の大晦日に思うこと」参照》 初志貫徹あるのみと歩みを進めます。揺るがぬ固い意志の理由はズバリ!ボケ封じ(笑)。

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 蔵王権現の化身・脳天大神を祀った本殿に参拝(上画像)。石段が455段もあるとは知らなかったため、帰路はヘロヘロになりながら蔵王堂へと帰着。♪行きは良い良い帰りは怖い。危うく行き倒れになるところでした。

 疲れたときは甘いモノ。一息つこうと立ち寄ったカフェ「陽(ひなた)ぼっこ」でオーダーしたのが桜風味のジェラート。この日のジェラート、お味はともかく、眺めに関しては日本一だったに違いありません(下画像)

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 夜が明けやらぬうちに上千本で軽い朝食を済ませ、ジェラートで胃袋が覚醒したのか、午前11時にはお腹が空いてきました。中千本と下千本には土産物や吉野名物「柿の葉寿司」の店などが集中します。午後の吉野山探訪のために腹ごしらえ。

〝塩蔵した鯖が酢飯と馴染む夕方以降、できれば翌日召し上がって〟と勧められた「ひょうたろう」のみならず、郷土の味の食べ比べをしようと吉水神社鳥居脇の「醍予(だいよ)」で、柿の葉寿司を持ち帰りで購入。良質な葛の産地として名高い吉野での昼食は、黒門近くの「花屋」で食した吉野葛がけうどん(下画像)

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 エナジーチャージを済ませ、訪れたのが世界文化遺産「吉水神社」。鎌倉幕府滅亡後、建武の新政が破綻した後醍醐天皇は、足利尊氏が擁立した光明天皇に追われる形で吉野で南朝を興します。4代57年続いた南朝の皇居とされたのが、役小角が創建した吉水院でした。

 時代を遡れば、源義経が静御前と隠遁生活を送った当時の痕跡として、頼朝の追手を蹴散らすため、弁慶が親指で岩に押し込んだと言い伝えられる「力釘」が明治以降に吉水神社と改称された境内に残されています。そんなニッチな見物はさておき、上千本から下千本にかけてを一望する境内から一目千本のクライマックスともいうべき眺めを愛でることができました。

hitome-sennen.jpg【Photo】標柱の「名勝 吉水神社 別名 一目十年」とは、この素晴らしい風景を見ると十歳若返るという意味

 この世のものとは思えない美しい光景は、しかと目に焼きつけました。いかなる美辞麗句を書き連ねても筆舌に尽くしがたいその見事さを実感するには、吉野へ足を運ぶのが一番。そんな思いを強く抱いた庄イタ。

 早朝に上がってきた吉野神宮方面への車道は歩行者天国化されているため、駐車場を出たクルマは中千本と下千本を周回する観光車道へ。

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 上千本橋に差し掛かると、山肌を流れ下る奔流のごとき見事な「滝桜」に見送られて吉野を後にしました(上画像)
 
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投稿者 vam : 22:25 | カテゴリー : ・Fuori Tohoku 圏外遠征

2018/04/24

Il Paradiso in terra 春の楽園

【はじめに】
 サーバ容量がパンパンになり、保守作業を行う間、更新がままならぬ状況が続いておりました。現状では過去ログの一部画像が読み込めなくなっています。これまで夜なべの内職として取り組んできたブログ更新との二刀流で気長に補修作業を行います。どうかご容赦のほど願います。

 いずれにしてもネタの仕込みは怠っておりませんでした。あたかも雪解け水で満水となった黒部ダムの如く、ため込んだネタをいつでも放出できる状態です。

 2ヵ月の間、春眠をむさぼっていた「Viaggio al Mondo~あるもん探しの旅」再開第一弾は、とある桜の苗木に庄イタが呼ばれたとしか思えないお話から。

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2018 Ciliegi Giapponesi a Roma e Shukugawa

2018さくら絶景探訪「ローマ & 夙川」編

 咲き揃ったソメイヨシノのもとで、思い思いの時間を過ごす人々。さて、これはどこでしょう?

 東アジア地域を中心とするインバウンド急増に沸く大阪で、造幣局と並ぶ花見スポットである大阪城公園? それとも、見事さにおいて日本の、いや世界最高峰であろう青森・弘前公園の200万人と動員数で肩を並べる上野公園?

 いいえ、ここは永遠の都ローマ。

hanami@Lago dell'EUR Roma.jpg 1959年(昭和34)、当時の岸信介首相がイタリアやバチカン市国ほか英独仏など欧州各国を公式訪問した際、長年にわたる日伊友好の証として2本のソメイヨシノをイタリアに寄贈。自ら7月20日の植樹セレモニーに臨みました。

 作曲家レスピーギ(1879-1936)が交響詩*脚注参照の題材とした例を挙げるまでもなく、ローマで街路樹といえば、成木の形状がイチョウの葉に似た独特なフォルムのイタリアカサマツが定番。

 当時のイタリア政府が選んだ植樹先は、E.U.R(エウル)地区。ベニート・ムッソリーニ率いるファシスト党政権下の1942年にローマで開催予定だった万国博覧会会場として建設が始まるも、第二次大戦により頓挫。戦後にローマの新街区として整備が進みつつありました。

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【Photo】見ごろを迎えたローマのソメイヨシノ。背景に見える円蓋は、1938年に建設に着手し、第二次世界大戦による中断を経て1955年に完成したギリシャ十字型の「Basilica dei Santi Pietro e Paolo(=サン・ピエトロ・エ・パオロ聖堂)」。紀元前の遺構が随所に見られるローマでは最新の部類に入る

 岸総理の訪問後、追加で2,000本のソメイヨシノが人造湖Lago dell'EUR(エウル湖)を周回する散策路に植樹されます。異説を唱える向きもありますが、一般的にソメイヨシノの寿命は約60年といわれており、現在は代替わりした桜も増えています。

 ローマ在住の日本人が始めた〝Hanami〟は、やがてローマ市民にも知られるところとなり、ローマの表玄関テルミニ駅から地下鉄Met.Ro.B 線で9つ目のEUR Palasport 駅で下車、Parco Centrale del Lago(チェントラーレ・デル・ラーゴ公園)に整備された〝Passeggiata del Giappone〟(=日本の小路)でのお花見が、春先の新たな風物詩として浸透しつつあります。

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 ローマのみならず、ワシントンDC、ストックホルム、トロント、台湾など日本から海外に贈られたソメイヨシノは、例外なく江戸末期から明治初頭にかけて現在の東京都豊島区駒込で育成された原種のクローンのため、開花がシンクロするのだそう。


line-sacura.jpg 〝もののあはれ〟の象徴として、古来より日本人は儚く散る桜に特別な思いを託してきました。今年は史上最も早い開花が各地で観測され、桜前線があっという間に列島を駆け抜けました。

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【Photo】阪急電鉄神戸線で庄イタが利用する夙川駅で北へと枝分かれする甲陽線の次駅が苦楽園駅。夙川駅前を通る山手幹線の羽衣橋から夙川沿いに続く遊歩道を進み、苦楽園橋からの甲山を背景とする眺めは庄イタのお気に入り〈上画像〉。クロマツの濃緑と桜花の淡いピンクの間を縫って〝阪急マルーン〟と呼ばれるシックでノーブルな色合いの阪急電車が走る〈下画像〉

hankyu-kurakuen.jpg 文豪・谷崎潤一郎(1886-1965)は、1923年(大正12)に発生した関東大震災で被災し、同年、横浜から関西に移住。1954年(昭和29)まで、京都を皮切りに西宮・芦屋・神戸での12回にも及んだ転居を繰り返す間、痴人の愛・卍・陰翳礼讃・細雪など代表作を執筆しました。

 1958年(昭和33)に竣工した幅1.8m・欄干の高さが膝の丈までしかない「こほろぎ橋」は、拙宅から徒歩60秒と至近。アーチ形をした橋脚の石橋が完成した翌年に公開された大映映画「細雪」に登場します〈下画像〉

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 阪神地域きっての桜の名所として名を馳せる夙川公園は、1932年(昭和7)から整備に着手。昭和初期に植樹された松の古木と1949年(昭和24)から南北2.8kmの一帯で植樹がなされた1,660本の桜、そして初夏にはホタルが舞い飛ぶ清流が織りなす独特の美観を生みだします。

 引越し慣れしていた大谷崎とは違い、久方ぶりの引っ越しのバタバタで、昨春は関西の桜を愛でる余裕がほとんどありませんでした。今年は「日本さくらの名所100選」に選定されている夙川沿いに多くの花見客が繰り出す週末の日中を避け、地元の利を活かして早朝や夜桜を心ゆくまで堪能できました。

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【Photo】せっかくの美観を損なう屋台や無粋な提灯がない夙川公園とはいえ、日中は多くの人出でごった返す。昼の喧騒を避け、月明かりのもと夙川河川公園を羽衣橋から苦楽園橋までの0.8kmを散策。うららかな日中とは一変した大井手橋の上流域付近。水鏡と化した川面に映り込む今を盛りの夜桜をスローシャッターで撮影。闇に浮かび上がったのは、妖艶な夜桜が織りなす異界だった


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 戦後に桜が植えられた夙川公園に先立ち、上水道施設の完成を記念して1924年(大正13)、現在も衰えを知らず毎年花開くエドヒガンザクラなど、百本あまりの桜が植えられたのが、越水浄水場からからニテコ池にかけての満地谷(まんちだに)。そこでは、およそ500本のさまざまな品種の桜を見ることができます。

nettecoi_ebbesan.jpg 戎(えべっ)さんの名で親しまれる西宮神社の東南側を囲む堅牢な大練塀(国重文)〈上画像〉が南北朝時代末期から室町時代初期頃に造営された際、土塀造りに適した土を満地谷から運出。その窪地に雨水が溜まって出来た南北に連なる3つの貯水池の総称がニテコ池です。

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 一風変わったその名は、土木作業にあたった人足たちの掛け声「(土を)練って来い」に由来するのだといいます。浄水場の池を挟んだ西側は、鬱蒼とした緑に囲まれたパナソニック創業家一族の広大な邸宅や日本銀行大阪支店長の旧官舎などがある風光明媚な地〈上画像〉

 夙川の桜が見ごろを迎えた昨年の4月頭、引っ越し後の整理に倦み果て、気分転換をしようと苦楽園橋付近を散策しました。

 居合わせた地元の方に「ご一緒にいかが」とお誘い頂いて訪れたのが、桜の一般公開が行われていた越水浄水場〈下画像〉と、中部地方以西に自生するコバノミツバツツジの樹齢200年以上の古木もあるのだという県天然記念物に指定される2万株の群生が見事な廣田神社。地名の〝西宮〟とは、元来、京都から西方にあるお宮である廣田神社を指しており、由緒正しきお社なのです。

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 施設の性格上、越水浄水場は桜の時季だけ一般に公開されます。ヤマザクラほか日本固有種の桜研究に生涯を捧げ、桜博士と呼ばれた笹部新太郎(1887-1978)監修のもと、関西では珍しいエドヒガンザクラ、オオシマザクラ、仙台枝垂(センダイシダレ)の異名を持つシダレヤマザクラ、黄緑のギョイコウなど日本古来の桜が揃えられています。

parco-nishinomiya-irei.jpg 浄水場入口の左手には、公営の満池谷霊園があり、右手には1995年(平成7)1月の阪神淡路大震災で帰らぬ人となった6,454人のうち、西宮における犠牲者1,146名を悼む慰霊塔〈下画像右側〉が建つ西宮震災記念碑公園がありました。

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 社会インフラが整った大都市を襲った直下型地震の恐ろしさをまじまじと見せつけた阪神淡路大震災。64万棟にのぼった建物の倒壊や火災による人的被害が最も深刻だったのは神戸市内だけではありません。西隣の芦屋市では444人が亡くなり、全世帯の40%にあたる61,238世帯が全半壊した西宮市を含め、兵庫県南部地域に甚大な被害が及びました。

nishinomiya-ireihi.jpg 多くの人の人生を変えた震災から23年。犠牲となった方々の名前を刻んだ追悼之碑〈上画像〉には、残された遺族がお供えしたのでしょう、花束が供えられていました。新生活をスタートさせた地が、悲しい出来事を乗り越えてきた紛れもない事実を改めて思い知りました。

 誰もが知る通り〝ねかはくは 花のしたにて春しなん そのきさらきの もちつきのころ〟に世を去った西行法師(1118~1190.3.31)は、〝仏には さくらの花をたてまつれ わがのちの世を人とぶらはば(☞私が亡くなった後、弔ってくれる人がいるのなら、仏前には桜をお供えしてほしい)〟とも詠んでいます。

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【Photo】出家した西行が庵を結んだ奈良・吉野山。夜中に西宮を出発、上千本きっての眺望が開ける花矢倉を目指した。まだ明けやらぬ西の空を振り向くと、西行が愛してやまなかったヤマザクラが描く稜線の彼方に西行も愛でたであろう望月が淡く輝いていた

 大地が生気と色を失う冬が去り、芽吹きの季節に先んじて里山に彩りを添える桜の花は、最後まで色褪せることなく散ってゆきます。その儚さや潔さを人の一生に重ね、この花はいつの時代にあっても人々から愛されてきました。


line-sacura.jpg 1年前に訪れた桜のトンネルと化したなだらかな坂道を登り、越水浄水場の正門前に立つと、その先には今年も実に見事な春爛漫の桜の園が開けていました。〈下画像〉

koshimizu2018.3.31.jpg 樹齢94年のエドヒガンザクラなど、手入れが行き届いた20種類以上の里桜・ヤマザクラが咲き誇っています。昨年そこで庄イタは、どこかしら遠慮がちにあるような1本の幼木と出合っていました。

 それは昨年3月28日、まさに庄イタが西宮に引っ越してきた日、宮城県女川町から西宮市にやってきた「津波桜」という名のソメイヨシノの苗木なのでした。(下画像)

 蕾はおろか花芽すらない苗木の前には、郷里・女川町の再生に奔走する須田善明町長からの真新しいメッセージボードが設置され、苗木の由来が紹介されています。

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 その苗木は女川を壊滅させた津波で枝を無残にへし折られながら、震災の翌月、丈の1/3ほどが残った幹から3輪の花を咲かせた旧女川第二保育所にあったソメイヨシノの孫木にあたります。〈参考:女川桜守りの会サイト

 2011年3月の東日本大震災発生直後から、西宮市は応援職員を女川町に派遣しています。また、西宮神社で十日戎に行われる有名な開門神事(かいもんしんじ)に倣い、迅速な津波避難の大切さを行事として地域に残そうと、福男ならぬ〝復興男〟選びが神社公認行事として女川で実施されています〈参考:2018年3月27日河北新報

 津波が到達した地点に桜を植える活動をしている女川町に「西宮権現平桜」と「夙川舞桜」の幼木が西宮から贈られています。津波桜は、女川町から西宮市民への感謝の気持ちを示すものでした。

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 造成された高台に整備された災害公営住宅859戸は、今年3月末に最後の引き渡しが行われました。入居者の生活支援や販路を奪われた水産業の復興など、継続的な課題は山積したまま。西宮市からは今年度も女川町に応援の職員が派遣されています。

 ソメイヨシノの苗木は、移植してから花咲くまでに2年から3年を要すると昨年聞いていました。ゆえに今年は「津波桜はどのくらい成長しただろう?」と1年ぶりの再会を心待ちにしていたのです。


line-sacura.jpg 〝確かこのあたりに津波桜があったはず〟と記憶の糸をたどりながら歩みを進めると、昨年より丈が少し伸びた若木は、予想を裏切って10輪ほどの花を枝先につけていたのです!! (下画像)
 
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 越水浄水場を管理する西宮市上下水道局浄水課の坂井元雄課長によれば、一般公開が始まる直前に花開いたのだといいます。津波に襲われながら生き抜いたソメイヨシノの強靭なDNAを受け継いでいるのでしょう。

 造園業者によるメンテナンスだけでなく、浄水場の職員の皆さんも仕事の合間に水遣りなどの世話をしてきたのだそう。

tsunami-sakura2018-2.jpg 「咲いてくれてありがとう '·. o(;△;)o」

  奇しくも津波桜が浄水場に移植されたのと同じ日に西宮に引っ越してきた庄イタは、感動に打ち震えつつ津波桜に語り掛けていました。

 早くも花開いた津波桜に負けないよう、庄イタも関西でひと花咲かせなければなりませんね。


*注釈】1879年ボローニャ生まれ、ローマで活躍した作曲家オットリーノ・レスピーギ。サンタ・チェチーリア音楽院の校長に就任した1923年、交響詩「ローマの噴水」(1916)に続く〝ローマ三部作〟2作目となる「ローマの松」の作曲に着手。現在は公園となっているボルゲーゼ家の邸宅、初期キリスト教徒が眠るカタコンベ、英雄ガリバルディの騎馬像がローマ市街を見下ろすジャニコロの丘と、カサマツがある情景を描いた交響詩の第4曲「アッピア街道の松」は、隊列を組んだ歩兵や騎兵が松並木が続くアッピア街道を行軍するパクス・ロマーナ往時の様子が目に浮かぶ。今年3月、大阪フェスティバルホールでの大阪フィル定期演奏会で、ローマ三部作を指揮したヴェローナ出身の若き天才指揮者アンドレア・バッティストーニのドラマチックで色彩豊かな情景表現は鮮烈だった

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投稿者 vam : 15:17 | カテゴリー : ・Fuori Tohoku 圏外遠征/| カテゴリー : 再生へ 心ひとつに/| カテゴリー : 庄内系イタリア人の物語

2018/02/23

忽然と消えた●●●は神隠し?

そして浮上した被疑者 A・B・C・Dとは?


Quando sei a Roma, vivi come i romani.(伊語)(= When in Rome, do as the Romans do.)☞ 郷に入っては、郷に従え。〟これは、当サイトのカテゴリー内「Profilo プロフィール」にある通り、庄イタの行動規範です。

 今回は、このポイントを踏まえた上で話を進めます。なお、庄イタは、郷に入らずとも郷に従う(☞ イタリアに行かずともイタリア的)傾向が顕著でもあります。

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【Photo】ローマ出身の俳優・監督アルベルト・ソルディ(1920-2003)主演で1954年に公開されたコメディ映画「Un americano a Roma ローマのアメリカ人」のワンシーン。ハーレーダビッドソンを乗り回す生粋のローマっ子ナンドは、まだ見ぬアメリカへの憧れが度を越している青年。西部劇映画を見終え、ガンマン気取りで警官に怪しまれつつ帰宅。深夜の食事は、母親が用意したマカロニと菰被りボトルの赤ワインかと思いきや「俺はマカロニも赤ワインも喰わない。アメリカ人だからバゲットにジャムとヨーグルトとマスタードを塗って...」と言いつつ、バゲットに牛乳をかけて食するも、あまりに不味くて吐き出す(笑)。挙句の果て、悪態をつきながらマカロニを頬張り、「これは牛乳だ」と言いながら赤ワインをラッパ飲み。イタリアかぶれの庄イタが妙に親近感を感じるアメリカかぶれのお騒がせキャラ

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 季節の変わり目に生ずる邪気を払うべく、平安期に唐から伝来した習慣が宮中行事化した「追儺(ついな)」が、室町時代になって一般化したのが節分であるといわれています。
mamemachi_2009.jpg【Photo】ベズビオ火山に敷設された登山電車のCMソングとして世に出た「フニクリ・フニクラ(Funiculì funiculà)」。誰もが知るこの曲を全く関係ない内容に差し替えた「♪履こう履こう鬼のパンツ」という替え歌に乗せられて虎柄の丈夫なパンツは履かずとも、鬼の面をつけた父親が、子どもが撒く殻付き落花生の標的となって逃げ惑う。そんな仙台の一般家庭における節分風景の一例

 子どもが成長した近年は、豆まきすらしていなかった節分ですが、祖父母の存命中は、仙台では一般的だったと思われる勇ましい豆まきの掛け声「鬼は外 福は内 天打ち 地打ち 四方打ち 鬼の目ん玉ぶっ潰せ」とともに家の各部屋を回ったものです。

 天井・床・四方の壁に向けて撒くのは殻付きの落花生で、全ての部屋で豆まきをした後、撒いた落花生は回収。10代前半だった時分は、年齢の数の豆を食べました。

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【Photo】京都東山「青山豆十本舗」の豆まきセットの内容は、家長制度が無くなって久しい平成の世においてもお父さんが被るのがお約束であろう鬼の面、煎り大豆、そして仙台では見たことのない謎の丸干イワシ。種明かしは後ほど

 ところ変わって関西では、落花生ではなく煎り大豆が主流。行動規範に基づく異文化体験として、これまでは全く必要性を感じなかった恵方巻、そしてこちらに来て初めて知った節分イワシにも挑戦した今年。

蛇足ながら、庄イタが暮らすのは西宮市ですが、2月20日に辞職した今村岳司前市長宅では、私有地に侵入したオニに向かって「殺すぞ」と凄んでみせるのでしょうか 。よいこのみんな、こんなみっともない大人になっちゃダメだよ。

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 ここ20年ほどで急速に認知度が高まった恵方巻とは、今さらながらですが、歳徳神がいる方向を向いて無言で巻き寿司を丸かじりすると福を招くというもの。

 1980年代後半に大手コンビニのプロモーションで、それまで呼称が定まらなかった巻寿司が、恵方巻の名前で徐々に全国へと浸透します。

 恵方巻の発祥に関しては、大阪の繊維問屋街・船場の商人説ほか、遊郭起源説、戦国武将がゲン担ぎとして行った説など諸説ありますが、いずれも決め手となる文献・資料は存在せず、断定は不可能といわざるを得ません。真相が闇に包まれたままの由来について、想像が妄想の域にまで達したフェイク情報がネット上に氾濫しており、いささか辟易気味。

ehomachi_7&11-001.jpg【Photo】1998年(平成10)に初めて「恵方巻」という名前でプロモーションを仕掛け、全国区の認知度へと押し上げたのがセブン・イレブン。今年も熱い商戦を繰り広げた

 大阪鮨商組合の資料によると、節分に招運のため太巻き寿司を丸かぶりする習慣は、戦前から一部で存在していたようです。

 クリスマスのデコレーションケーキにしろ、バレンタインデーのチョコレートにしろ、お化けカボチャと仮装ゾンビが街に溢れるハロウィーンにしろ、年中行事にちなむモノが日本で広まったのには、必然性なり理由が存在したはず。

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【Photo】今年の節分2月3日恵方巻きの特設コーナーが設けられた西宮市の食品スーパー上・下画像。さまざまな具材の恵方巻に熱い視線を送る西宮市民

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 一部で過剰生産をした挙句、食物廃棄を増やしていると槍玉に上がる恵方巻。それでも西宮に引っ越して西宮市民の恵方巻購入率の高さを目の当たりにし、とやかく言うのは野暮というものと考えるようになりました。

 食卓のよき伴侶となるイタリアワインを愛する者として、あこぎな商業主義が目に余る低品質&高価格なボジョレー・ヌーボーは断じて認めるわけにはいきません。固い話は抜きにして恵方巻が家族間や社会の潤滑油だと思えば、存在価値は認めてもよろしいのでは ?

 恵方巻発祥の地とされる関西における節分事情を確かめるべく、自宅に近いikari 夙川店から、関西スーパー苦楽園店、そして阪急OASIS甲陽園店と、キャラが異なる3軒の食品スーパーを巡りました。

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 惣菜コーナーの一角は、幾種類もの恵方巻で溢れており、品定めに余念のない西宮市民の熱気が渦巻いています。バックヤードではフル回転で製造しているのでしょう、次々と恵方巻が売り場に補充され、売れ行きの良さを物語ります上画像

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pop_kansu.JPG人が群がる恵方巻もさることながら、さらに庄イタが気になったのが、特設コーナーが設けられたイワシ。関西では節分にイワシを食べる習慣があるのだといいます。

 更なる謎は関西スーパー苦楽園店のサービスカウンター前にありました。そこには1家族1本限定でお持ち帰りくださいと、ヒイラギの枝がわんさと置いてあるではありませんか。

 これは、葉付きのヒイラギの枝にイワシの頭を挿し、厄除けの「柊鰯(ヒイラギイワシ)」にするのだといいます。そこで発動したのが、冒頭で述べた行動規範 Quando sei a Roma, vivi come i romani.hiiragi_kansu.jpg

 脂が乗ったイワシを焼くと、結構な臭気を発しますよね。誰が言い出したのか不明ですが、鬼や厄はその匂いと突起状のヒイラギの葉を嫌うのだそう。これは〝ニワトリが先か卵が先か〟的な話で、イワシを食するのが先か、ヒイラギに挿す頭を得るため副次的にイワシを買うのか?


 謎は解けぬまま、恵方巻に加え、ほぼ訳もわからずに付和雷同して尾頭付きのイワシを購入。しっかりヒイラギの枝も頂いたのは申すまでもありません。

 塩焼きにしたイワシをおかずに南南東を向いて恵方巻を食した夜、厄除けの柊鰯を玄関先に掲げました下左画像

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 それから2日後。玄関先の柊鰯は、イワシの頭だけが神隠しに遭ったかのごとく忽然と消え、ただのヒイラギになってしまったのです!!!上右画像

IMG_2832.jpg アカン。追い払った厄が、また寄ってきてまう。(☜柊鰯を玄関先に掲げるメンタリティはもはや関西人ゆえ、モノローグも関西弁^^)

 氷点下の冷え込みとなった2月5日(月)の朝、出勤する時に柊鰯の無事は確認しています。イワシもろともヒイラギが吹き飛ばされる強風が吹き荒れたわけではなく、かといってイワシの頭だけが神隠しに遭ったとは到底思えません。

 床面から140cmほどの高さがあるドアホンの位置にヒイラギだけは残っているので、尾頭付きのイワシを入手すれば再生は可能です左画像

 しかし、柊鰯が復活したところで、イワシの頭が消えた理由が解明されなければ、同じことの繰り返しになるやも。

 所轄の西宮警察署に被害届を出しても窃盗事案として受理されるとは思えません。そこで対策を考えるうえで、ヒイラギには目もくれず、厄除けのイワシの頭を持ち逃げした可能性が高い不心得な容疑者を庄イタなりに炙り出してみました。

 捜査本部@庄イタ家の初動捜査線上に浮かびあがった土地勘がありそうな被疑者は4名。まずは音声のみですが、犯人の影を捉えた映像から。

 
 拙宅から徒歩30秒の距離にある夙川公園の松並木で騒ぎ立てる知能犯カラス。ヒトの8倍以上の視力とされるイヌワシなど猛禽類ほどではないにせよ、抜群の視力をもってして上空から侵入した嫌疑がかかる重要参考人(参考鳥?)A説。

 マンション2階の犯行現場へと階段から忍び込み、持ち前の身軽さでジャンプ一番、壁面タイルの目地に爪を立ててイワシの頭だけを咥えて逃亡した容疑の重要参考人(参考猫?)B・C・Dがコチラ。

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 いつも近所を徘徊している三毛猫上左画像による単独犯行説。同じく庄イタ宅と隣家の境界にある塀の上や屋根の上によく出没する左右の目の色が違うオッドアイの白猫コンビ上右画像による共犯説。

 節分から20日を経た現時点における捜査状況を皆さまにご報告しておきますと、今のところ犯人特定には至っておりません。なにせ各容疑者ともご覧の通り、なかなかシッポを出さないものですから。

 おあとがよろしいようで。

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投稿者 vam : 06:47 | カテゴリー : イベント&催し/| カテゴリー : ・Fuori Tohoku 圏外遠征

2018/02/04

フィレンツェ in キョウト

六 根 清 浄
サンタ・マリア・ノヴェッラ・ティサネリーア京都


 関西食レポの舞台は、大阪ミナミから京都・洛中へと移ります。

【Movie & Photo】昨年7月、都大路を絢爛豪華な歴史絵巻で彩る祇園祭のハイライト、鉦や笛が鳴らすコンチキチン...という祇園囃子とともに、この放下鉾を含む33基の山鉾が巡行する前祭(さきまつり)より〈上動画HD推奨)〉。 宵山の日、観光客でごった返す四条通から離れて訪れた頂法寺 六角堂は、生け花の聖地でもある〈下画像

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 財団法人 池坊華道会での仕事があり、阪急電車で京都へと趣いたのが1月25日(木)。最寄駅となる烏丸駅に到着したのは、ちょうど小腹が空いてくる頃合いでした。

 聖徳太子に登用された遣隋使から帰国後、出家して僧侶となった小野妹子が仏前に花を供えた故事を起源として、足利将軍義正の時代に生け花の原型が発祥した地とされるのが、池坊華道会の本部に隣接する「頂法寺 六角堂」です上画像

 大阪四天王寺建立のため、用材を求めて京都入りした聖徳太子により、582年(用明天皇2)に建立されたと伝わります。

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 仏教用語の六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)から生じる欲を捨て去り、修行によって功徳を積み、不浄なる物を遠ざけ、六根清浄(ろっこんしょうじょう)の境地に至らんとする願いを込めたとされるのが多重構造の六角形をした本堂上画像

 1,400年前に遡る創建以来、幾たびかの焼失を経て、現存する本堂は1877年(明治10年)に再建されています。

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 聞いてはいたものの、軽いカルチャーショックを覚えたご飯のおかずとしてのお好み焼き、必修科目のたこ焼き&明石焼、ソース二度漬け禁止の串カツ、薄口しょうゆとダシが利いたかけ汁に角とコシがない麺に甘いお揚げが定番の大阪おうどんなど、食い倒れの街ならではの味は体験済み。

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【Photo】50回以上に及んだ大阪空襲では、大阪府下で1.5万人が犠牲となった。まだ焦土が広がっていた大阪ミナミ千日前で1946年(昭和21)に創業した「おかる」では、マヨラーならずとも、マヨネーズは是非もので。ラテアートが脚光を浴びるずっと以前から、2代目女将安達佳代子さんが始めたお好み焼きマヨアートも味わいたい〈左画像〉 休日は電話予約不可で長蛇の行列ができる「味乃屋」。お好み焼き・ネギ焼き・焼きそばと何を食べても美味。+280円でご飯・汁物・漬物が付く〈右画像

 難読地名で知られる十三(じゅうそう)ほか、京橋、鶴橋、福島から地獄谷にかけてなどのディープなエリアも徘徊。ネタは貯め込んでいるものの、Viaggio al Mondoではここまでスルーしてきました。

 正攻法を避けてきた庄イタゆえ、初の京都ネタとしてご紹介するのは、昨年の夏、洛北・貴船で食した川床料理でも、北前船での往来があった庄内では馴染み深い南禅寺の豆腐料理でも、湯葉懐石でもありません。

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【Photo】祇園祭後祭(あとまつり)に繰り出す山鉾を1本の釘も使わずに縄で組み上げる伝統の鉾建てを見学後、街の喧騒を離れて洛北・奥貴船に移動。割烹旅館「兵衛」の川床料理は、涼しげな瀬音と緑に包まれる雰囲気こそが何よりのご馳走

 昨年4月、関西に居を移してから、オン・オフを問わず京都を訪れたのは25回ほどでしょうか。日本を代表する国際観光都市は、今や完全に売り手市場。関西の他都市との比較において、お世辞にもコストパフォーマンスが高いとは言えないため、京都での食事は慎重を期さねばなりません。

 一度だけ、鯛茶漬けとおばんざい数種を京都駅近くで頂きましたが、それは100年前に大政奉還が行われた二条城や西本願寺を訪れた昼に「Pizza Mercato Kyoto ピッツァ・メルカート・キョウト」で、発酵したピッツァ生地でできたビリケンさんを彷彿とさせるピッツァイオーロ東郷智宏氏下左のマリナーラ1枚下右と、連れが持て余したマルゲリータ1/3枚を食し、それが消化しきれていなかったが故。

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 冷蔵技術が発達する以前は、鮮度が良い魚介の確保が困難であったがゆえ、和の調理法が発達した京都においても、食指が伸びるのは、我が郷里ピエモンテのみならずイタリア各地の料理がメインで、そしてまれに肩ひじ張らないビストロ系フレンチといった具合です。

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 池坊華道会には13時に伺うことになっており、正午まで少し時間があったため、早めの腹ごしらえをすることに。そこで予定通り四条通に面した大丸京都店の脇道を入ってすぐ左手にある「サンタ・マリア・ノヴェッラ・ティサネリーア京都」を訪れました。

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【Photo】二階に虫籠窓を配し、一階の店舗部分は格子窓ではなくショーウイーンドーに改装された京町家造りのサンタ・マリア・ノヴェッラ・ティサネリーア京都。1612年にフィレンツェで創業した現存する世界最古の薬局「Officina profumo-farmaceutica di Santa Maria Novella サンタ・マリア・ノヴェッラ」のハンドペイントによるグロテスク文様を施したデルータ焼きの薬壺やクラシックな意匠の製品が京都の家並みと調和する

 フィレンツェ本店から正規代理店を介して届く自然由来の原料から抽出した高貴な香り漂う製品を扱うサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局 《2008.7拙稿「典雅なイタリアの遺香 ~ i profumi di antica Italia」参照》

 東京・大阪のみならず、札幌・仙台・福岡など日本各地で13店舗を展開します。2007年OPENのリストランテ「GIAG GIOLO GINZAジャッジョーロ銀座)」を除けば、サンタ・マリア・ノヴェッラ名古屋店のように店舗兼ハーブティーサロンではなく、店舗に本格的なリストランテが併設されるのは、世界中でも京都店のみ。2004年(平成16)12月にOPENした京都店の存在は、大阪転勤前から認識はしていました。

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【Photo】サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のクーポラを覆う葺き瓦としても使われた良質のテラコッタの産地で、フィレンツェの南方15kmほどにあるインプルネータ製の壺と花が出迎えるサンタ・マリア・ノヴェッラ・ティサネリーア京都のエントランス。右手がショップ。正面奥がリストランテ。ともに出入口がサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局では唯一と思われる引き戸であるのは京都ならでは

 祇園祭の期間中最大の呼び物、山鉾巡行を控えた宵山の日、幾つもの山鉾が並ぶ四条烏丸を訪れた折、巡行の先陣を切る長刀鉾が陣取る四つ辻近くで、六角堂まで歩いて10分とかからない店を確認。京都とは姉妹都市であるフィレンツェのエッセンスを盛り込んだイタリア料理にありつこうと目論んだのです。

 平日のため事前に予約はしていませんでしたが、その日一番乗りで案内されたのが、オープンキッチンに面したカウンター席。ほどなく埋まったテーブル席を含め、庄イタ以外は、はんなりした女性客ばかりでした。

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【Photo】テーブル席最大20席+カウンター6席に対し、柿谷修平シェフ以下、木曜昼に訪れたこの日の厨房スタッフは総勢4名。「あまり今日は時間がないので」と耳打ちした女性ホールスタッフ2名が心地よいサービスをしてくれた。泡立つフルートグラスの液体は、仕事中ゆえ、オーガニックの辛口スパークリングぶどうジュース(念のため付け加えるとノンアルコール)

 紅一点とは逆のこういったケースでも物怖じせず食事が喉を通るのは、こうしたシチュエーションの場数を踏んでいるからなのか、それとも単に面の皮が厚いからなのか。

 その判断は皆さまにお任せし、この日頂いたコース料理「Completeコンプリート」をおさらいしましょう。

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Santa_Maria_Novella_Tisaneria.jpg 素材を吟味し、食べることで健康になることがコンセプトだというサンタ・マリア・ノヴェッラ・ティサネリーア京都。

 これは、六根における鼻根と舌根(嗅覚と味覚)を研ぎ澄まし、力がみなぎる健全な食材の食感や店の落ち着いた雰囲気を感じること(触覚や感覚)を通し、六根清浄の境地へと至る体験が可能だということでしょう。

・1皿目「オニオングラタンスープ」
 フランス料理でもお馴染み。そのルーツはフィレンツェの郷土料理「Carabaccia カラバッチャ」。カテリーナ・ディ・メディチの嫁ぎ先であり、当時は手づかみで食事をしていたフランス王家に持ち込んだ一つが、ヴェジタリアンだったダ・ヴィンチも好物だったというこの料理と洗練されたテーブルマナー。玉ネギを甘辛く煮込み、バゲットと溶けるチーズを加える
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・2皿目「アサリのフラン 菜の花のソース」
 アサリの出汁に生クリームを加えた具なし洋風茶わん蒸し。ほろ苦い菜の花がアクセントに

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・3皿目「Tisana di insalata(25種類の野菜とハーブのインサラータ)」
 寒鰤カルパッチョ入り上賀茂・池西農園産のセルバチコ・西洋黒ダイコン・サラダからし菜・安納芋・カリフラワー・プチトマトなど彩り豊かな25種の野菜とハーブのサラダ

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・4皿目「畑菜とイタヤ貝のペペロンチーノ・カラスミ風味」
 乳化した塩味のオイルがスパゲッティと良く絡み、冬が旬の京野菜「畑菜」と暖流系の二枚貝「イタヤ貝」の旨味を増幅させるカラスミの香り

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・5皿目「養老豚とサルスィッチャのポトフ カルタファタ仕立て」
 岐阜・養老山麓で飼育された養老山麓豚の腿肉をホロホロと崩れるほどまで煮込み、自家製サルスィッチャと芽キャベツや根菜と煮込んだポトフ。料理が運ばれてきた時点では耐熱ラップで包んであり、鉄鍋の上でグツグツと沸き立つポトフをまずは視覚で楽しみ(☞六根でいうところの「眼根」の功徳!!)、封を解くと美味しそうな香りが一気に立ち込める仕掛け

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・6皿目「八ヶ岳天然水のかき氷 京都・和束町産抹茶とともに」
 材料は二つのみ。天然の冷気だけで2週間から20日を要し、不純物が入らぬよう手数をかけて製造する山梨「蔵元 八義」から仕入れる南アルプス八ヶ岳南麓の硬度が低い伏流水から作る天然氷。そして京都府の南端に位置する宇治茶最大の産地、相楽郡和束町(わづかちょう)で有機栽培された碾茶(てんちゃ)。頭がキーンとならないサックサク&フワフワの口当たりの天然氷と抹茶の甘味と香りが調和。見事な引き算のお手前。

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・〆「サンタ・マリア・ノヴェッラのハーブティー」
 通常はエスプレッソをお願いする〆。この日ばかりは、フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ教会で医療救済事業を行ったドミニコ会修道士たちが編み出した処方をルーツとする癒しのハーブティーを所望。玉ネギのスライスをトッピングして焼き上げた自家製丸型フォカッチャは、残ったペペロンチーノのオイルとポトフのスープを吸わせて完食

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 こうして〝花より団子〟な昼ご飯を終え、池坊華道会へ。


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 まだ手が出せる価格ゆえにリストランテ隣のショップで取り置きをお願いしていたのが、大ぶりなセラミックのカップ

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【Photo】フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局本店には、彩色テラコッタ製の薬壷や、歴代の修道士が書き記した処方など、400年の歴史を刻んできた品々を展示するスペースを併設。日本国内のサンタ・マリア・ノヴェッラでは、薬剤の保管に用いられた薬壷のレプリカを取り扱っている上画像。高さ32cmの小さい方でも、お値段はそれなり

 フィレンツェの西15kmほどにあり、13世紀まで起源が遡るマヨリカ陶器の街、モンテルーポ・フィオレンティーノ製です。

 陶器製の茶漉しと蓋付きでティーポットの役割も果たす優れモノ。ハンドペイントならではの伝統的な絵柄の装飾が施され、ワンアンドオンリーな魅力を放っています。

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 数量限定で入荷した京都店には色合いが微妙に異なる2個だけが残っていました。選んだのは色合いが淡い方上画像。花の都・芸術の都フィレンツェが誇る伝統工芸品コレクションがまた一つ、こうして庄イタの手中に収まったとさ。めでたしめでたし。

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サンタ・マリア・ノヴェッラ・ティサネリーア京都

・住:京都市中京区 東洞院通四条上ル 阪東屋町675
・Phone:リストランテ 075-254-8692  ショップ 075-254-8691
・営:昼 11:00~15:00(L.O. 14:00)
   夜 18:00~22:00(L.O. 21:00)月曜定休
・URL:http://www.smn-tisaneria-kyoto.jp
Pranzo ランチコース
  ・Rapide ラピード 1,800円(税別・以下同様)
     (アミューズ・パスタ・ジェラート)
  ・Complete コンプリート 4,000円
     (前菜3品・パスタ・メイン・ドルチェ・ドリンク)
  ・Degstazione デグスタツィオーネ 6,000円
     (前菜4品・パスタ2品・メイン・ドルチェ・ドリンク)
Cena ディナーコース
  ・Complete コンプリート 6,800円(税・サ別・以下同様)
     (小さな前菜・前菜2品・パスタ2品・メイン・ドルチェ・ドリンク)
  ・Degstazione デグスタツィオーネ 8,800円
     (前菜4品・パスタ・メイン2品・ドルチェ・ドリンク) *ほかアラカルト各種
 

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投稿者 vam : 23:59 | カテゴリー : Cuccina Italiana/| カテゴリー : Prodotto Italiano/| カテゴリー : ・Fuori Tohoku 圏外遠征

2018/01/12

伝統そして血統に耽溺するの巻 <後編>

またも白トリュフにむせぶ夜@ミナミ


 1月6日はベツレヘムで誕生したイエスのもとに東方より三賢者が祝福に訪れた日とされ、公現祭を祝うカトリック国イタリアではEpifania(エピファニア)ないしはBefana(ベファーナ)と呼ばれる祝日となります。〈2007.12拙稿「クリスマス ところ変われば」参照〉

 イタリアではこの日まで「Natare ナターレ(伊語:クリスマス)」扱いで休暇を取るため、年明け第一弾のネタもナターレの余韻を残しつつ、そろそろとスタートです。

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【Photo】難波橋から栴檀木橋までの中之島通は車両通行止めとなり、街路樹にシャンパングラスに泡が立ち上がる様子をかたどったイルミネーションが灯る ©大阪・光の饗宴実行委員会

 歳末の大阪・中之島周辺を光のアートで彩った「OSAKA 光のルネサンス2017」。職場のすぐ目の前を流れる土佐堀川の対岸、中之島にあるレンガ造りの大阪市中央公会堂では、ウォールタペストリーと称するプロジェクションマッピングが実施されました (下合成画像)

 仕事帰りに8分間の映像プログラムMovie con suonoを15分間の休憩を挟んで2回連続で鑑賞。

 阪急梅田駅へ歩いて移動する道すがら、西天満「Rosticceria da Babbo ロスティッチェリア・ダ・バッボ」で、冷え切ったカラダが欲したトスカーナ料理「Ribollita リッボリータ」を織り交ぜるコースアレンジを高島知之シェフにリクエストしたのでした。

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 そこまではよかったものの、中央公会堂前の人ごみでインフルエンザA型ウイルスを拾ったようで、翌々日の朝に39.6°まで発熱。大阪に出先がある新聞社の仲間内では発症第一号だったようで、15世紀イタリアで〝influenzaインフルエンツァ〟という病名が初めて用いられただけに、イタリアかぶれの庄イタに親近感を抱いてウイルスも寄ってきたのでしょう。

 冗談はさておき、特効薬イナビルでインフルエンザウイルスを封じ込めた蟄居を挟んだ年末は、不健康なノンアルコール生活を強いられました。

 年が明けても体調万全とはいかず、病み上がりの正月三が日は、ワインはおろか屠蘇すら口にしていません。そのため順調に過剰在庫を減らしてきた拙宅のワイン消費ペースがスローダウン。Orz

 多くの参詣客で賑わう西宮戎神社で迎えたCapodannno(=元旦)の瞬間もマスク姿。ちなみにMaschera(伊語:マスク)といえばカーニバルや道化の仮面しか思い浮かべないイタリア人は、即時入院を要する重篤な伝染病にでもならない限り、インフルエンザ(ごとき)では絶対にマスクをしません。〈2013.3拙稿「Le Maschere Veneziane ヴェネツィアの仮面」参照〉

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【Photo】白インゲンやレンズ豆ほか自家農園産カーボロネロなどの野菜に自家製トスカーナパンを加えて煮込んだRibollitaリッボリータは、トスカーナ人が愛してやまないマンマの味。カーゼ・バッセやモンテヴェルティーネを世に送り出した巨匠ジュリオ・ガンベッリが品質を一段と高めたキアンティ・クラシコ地域最南部の醸造所 Tenuta di Bibbiano テヌータ・ディ・ビッビアーノChianti Classico Riserva Montornello キアンティ・クラシコ・リゼルヴァ・モントルネッロ2013で、庄イタ好みのドンピシャ鉄板カップリング(左画像) 宮城栗原産漢方牛のタリアータ。相伴は高島シェフから店最後の1本を是非にとお薦め頂いた La Porta di Vertine ラ・ポルタ・ディ・ヴェルティーネのChianti Classico キアンティ・クラシコ2011。創業した2006年から2年間、エチケッタに直筆で造り手の名を記したジュリオ・ガンベッリが醸造コンサルタントを務めるも、米国人オーナーの破産により、創業から10年で終焉を迎えた。抜栓直後の40分ほどは、自然派の気難しさ炸裂でハズレと思いきや、半分ほどを残して持ち帰り、インフルを発症する前日に味わった3日目の晩には、つゆだくな旨味の塊へと大化けした (右画像)

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 蛭子神と福の神の総本山で厄を落とした2018年第一弾の投稿は、昨年末からお届けしている白トリュフまみれの3部作最終章となります。どうぞ今年もお付き合いのほどよろしくお願いします。

 大阪ミナミ東心斎橋の「PESCE ROSSO ペッシェ・ロッソ」恒例の催し「アルバ産白トリュフ祭り」。

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 アルバ直送の白トリュフ第二便が届く予定日である11月25日に予約を入れたのが、今季初の白トリュフが到着したての第一便で白トリュフまみれとなった14日夜。

 前々稿「アルド'95 vs ジャコモ'93 名門兄弟頂上対決」でご紹介したような非日常の愉しみを仕込んだ庄イタを、山中伸彦シェフは11日前とは一皿たりとも被ることのないお任せコース料理で楽しませてくれました。

 前回と同じくカウンター席に着いた庄イタに「今日の持ち込みワインは偉大過ぎます」と厨房の山中シェフは開口一番。(下画像)

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「アルバ産白トリュフへの敬意、そして今宵に対する期待感の表れだと思ってください」と返す庄イタ。

 今回のトリュフ祭りでは、'60年代~'90年までの熟成バローロ & 熟成バルバレスコを30%オフで提供したPESCE ROSSO。ガラス張りのオープンセラーには、庄イタが抱える膨大な在庫と共通アイテムが多いイタリアワインを中心とする壮麗なストックを抱えています。庄イタと山中シェフには、ワインに関する嗜好だけでなく共通する接点があるのでした。

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 それは超大型の台風21号が関西を直撃した昨年10月22日(日)のこと。

 イタリアワインの普及啓発を目的とするインポーター・小売店・飲食店らで構成される「Amici Vini Italiani アミーチ・ヴィニ・イタリアーニ(略称:AVI アヴィ)」の主催により、イタリアワインの祭典「Avinofesta アヴィノフェスタ」会場となった大阪市中央公会堂で、庄イタは山中シェフと遭遇していました。

 会場には南森町のシチリア料理店「Trattoria nico」塩田シェフ、靭公園近くのマルケ料理店「Osteria la Cicerchia オステリア ラ チチェルキア」連(むらじ)シェフ、シチリア発祥の帽子コポレッタとワインバーのハイブリッドバー「Coppoletta コッポレッタ」中村オーナー、モンテ物産のアンテナショップPiccoの面々など、知った顔ぶれが運営スタッフとしておいででした。

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〝イタリアワインと旅に出よう〟をテーマに、ここ最近では(旧)ヴェネツィア共和国・トスカーナ・シチリア&サルデーニャ・ピエモンテ・(旧)ナポリ王国と毎回旅先を変えて開催されるアヴィノフェスタ最新のお題は、ウンブリア・マルケ・アブルッツオ・モリーゼ各州。

 イタリアの緑の心臓ことウンブリア州とアドリア海に面した中南部3州から選りすぐったワインをチケット制のグラス売りで3時間の2部制で(浴びるほど)飲めるという趣向。2,800円の入場フィーには、持ち帰りOKのSPIEGEAU製ワイングラスSalute1脚と1,000円分の飲食チケット(追加購入可)が含まれます。

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【Photo】アヴィノフェスタでは撮影はせず、Vino Hayashi相模屋本店などインポーターとの情報交換と試飲に徹した。その戦利品がコレ。(左から)ドイツSPIEGEAU製ワイングラスSalute。サンジョヴェーゼを醸した赤ワインにサワーチェリーを漬け込んだデザートワインVino di Visciole ヴィーノ・ディ・ヴィショレは、マルケ州アンコーナ県アルチェヴィアのリストランテPinoccioで町長らとの会食の折に出されて以来14年ぶりの再会。ウフィッツィ美術館が所蔵する左向き横顔の肖像画で知られるウルビーノ公フェデリコ・ダ・モンテフェルトロも愛飲した。造り手のサイン入りボトルは、ペーザロ・エ・ウルビーノ県にあるTerracruda テッラクルーダの「 Visciola ヴィショーラ」。ヴェネト州で最も有名な D.O.C.G. ヴィーノ・ビアンコ Soave ソアーヴェの優れた作り手Inama イナマ当主のステファーノが、アブルッツオ州ペスカーラ近郊で1994年に旗揚げした醸造所La Valentina ラ・ヴァレンティーナのサバティーノと意気投合。1998年に共同プロジェクト「BINOMIO ビノミーオ」を始動。マジェッラ山北麓の海抜400mの南向き斜面に開墾した畑下画像で樹齢50年近いモンテプルチアーノ種のクローン「アフリカーノ」からD.O.C.モンテプルチアーノ・ダブルッツオを造る。成熟したタンニンでリリース直後からアプローチ可能なスタイルは各方面から高い評価を受けている

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 インポーターとして出店していたアルトリヴェッロのブースには、奥様のジョヴァンナさんが私にイタリア名Carloを授けて下さったローマカトリックで言うところの〝Madrina(=名付け親)〟である闘うワイン商こと川頭義之さんがいらっしゃいました。〈2007.11拙稿「一匹狼のイタリアワイン商」参照〉

 川頭さんとは仙台国分町の「ヴァン・エ・ボヌール」で実施された試飲会以来、2年ぶりの再会です。そこに見慣れたコックコートではない私服姿で奥様を伴って来場されたのが山中シェフでした。

 聞けば川頭さんが山中シェフにとってのワインの師匠なのだそう。素性が明らかな素材を使って手をかけた料理が、さまざまな人の縁を繋ぐことは体験上信じて疑わない庄イタですが、ワインに関してもこの定義は当てはまるようです。

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 そして話はいよいよ核心へ。シーズン2度目となる白トリュフまみれの晩餐の幕開けにワインリストからグラスで注文したのは、マルケ州産のD.O.C.G.白ワイン「Castelli di Jesi Verdicchio Classico Riserva カステッリ・ディ・イエージ・ヴェルディッキオ・クラシコ・リゼルヴァ」(下画像)

 このヴィーノ・ビアンコをご存じない方、長ったらしい名前を一度で覚えることができますか ?^0^

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 マルケ州の伝統品種ヴェルディッキオ・ビアンコから造られる後味にほのかな苦みが残る辛口の白ワインは、知っておいて損はありません。州都 Ancona アンコーナの西側に広がる丘陵地の街 Jesi イエージからアペニン山脈寄りの標高が高い内陸部Matelicaマテリカ周辺では同じブドウから、特徴的な柑橘系の香りよりはシャープな酸味が主調となる白ワインが産出されます。

 食事と合わせるなら、指名した Serra Fiorese セッラ・フィオレーゼ2013の造り手Galofoli ガロフォーリ以外にもFratelli Bucci フラテッリ・ブッチ、Fattoria Coroncino ファットリア・コロンチーノ、Marotti Campi マロッティ・カンピなど、Jesi 周辺地域のヴェルディッキオ(特にRiserva)は、探す価値ありです。

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「これは庄イタ様専用です」と、山中シェフが目の前に置いたのが、ガラスケースに入った白トリュフ(上画像)。そのマーモセットそっくりな〝人面トリュフ〟に気を取られ、1皿目のロンバルディア州産馬の生ハムなど3品がワンプレートで出たアンティパスティ・ミスティは不覚にも画像を押さえ忘れ。Orz
 
 2皿目 非加熱(⇒伊語:crudo)の牛肉のスライスが定番となるピエモンテ料理カルネクルードと卵黄抜きのタルタル風「リンゴと馬肉のカルパッチョ」には、今回も厨房から出てきたシェフが白トリュフをスライス、スライス、スライス・・・。

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 その結果が原形を留めないまでに白トリュフまみれとなったコチラ「リンゴと馬肉のカルパッチョ 白トリュフ大盤振る舞い」(下画像)

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 3皿目「レンコンをフリットでトッピングしたアナゴのスモーク カブのピューレと葉のグリーンンソース  パプリカのパウダー添え」(下画像)

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 4皿目「オマール海老のバター風味ロースト ジャガイモのピューレ」には再び白トリュフの洗礼が授けられ・・・(下画像)

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「オマール海老のバター風味ロースト ジャガイモのピューレ 白トリュフ版ノアの洪水風(⇒勝手に命名)」の完成。ここから持ち込んだ Giacomo Contero ジャコモ・コンテルノ「Barolo riserva Monfortino バローロ・リゼルヴァ・モンフォルティーノ'93」にお出まし願いました。(下画像)

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 5皿目「イノシシのラグーのパッパルデッレ」(下画像)

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 そしてクライマックスの6皿目「卵黄とチーズが入ったタヤリンの生地で作ったラビオリ 白トリュフてんこ盛り」(下画像)

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 ラビオリにナイフを入れ御開帳。中にはミルキーなチーズの上に卵黄が忍ばせてあり、急所と思しき卵黄にとどめのナイフをもう一太刀...。(下画像)

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 「卵黄とチーズが入ったタヤリンの生地で作ったラビオリ 白トリュフてんこ盛り アックア・アルタ風 (⇒勝手に命名)*注」の出来上がり(下画像)。その相伴はバローロの最高峰。なんともゴージャスなカップリングではありませんか。

 こうして聖夜の1ヵ月前、めでたく庄イタは昇天を遂げたのでした。アーメン。

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 白トリュフの余韻に浸りつつ、恍惚の面持ちで食した7皿目「茨城産アオクビとポルチーニのソテー 葉玉ねぎのローストとリンゴのピューレ添え」(下画像)

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 今シーズンのアルバ産白トリュフ祭り初日に参上した11月14日、コースの最後に出てきた白トリュフ入りチーズを再度リクエスト。選択制のドルチェは、連れが前回庄イタが食したトリュフフレーバー漂う蜂蜜で作ったプリンとリンゴのコンポートを、私は大きな栗がトッピングされたモンテビアンコを所望。(下画像)

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 締めのカッフェまで一気呵成に駆け抜け、我が郷里・晩秋の深い霧と白トリュフの香りに包まれるピエモンテの森から届いた恵みを満喫。トリュフシーズンはかくも豪勢に幕を閉じたのでした。

*注釈】アックア・アルタ(acqua alta):ヴェネツィア島対岸の工業地区における地下水くみ上げによる地盤沈下や季節風の影響により、沈みゆく水の都ヴェネツィアのサンマルコ広場など海抜が低いエリアで冬に頻発する高潮のこと〈参考リンク〉。対策として期待されたモーゼプロジェクトで浮沈式の防潮堤を潟の開口部3か所に設置したが、高潮を完全に防止するには至っていない。

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PESCE ROSSO ペッシェロッソ

・住:大阪市中央区東心斎橋1丁目3-18
・Phone:06-6241-0030
・営:17:00~00:30(22時以降はワインバーとしての利用も可)
・URL: http://pesce-rosso.com/
・アルバ産白トリュフ祭りメニュー
  15,000円(トリュフ料理2品)18,000円(同3品)20,000円(同4品) 

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投稿者 vam : 06:16 | カテゴリー : Cuccina Italiana

2017/12/23

伝統そして血統に耽溺するの巻 <中編>

白トリュフにむせぶ夜@ミナミ

 大阪ミナミ東心斎橋の「PESCE ROSSO ペッシェ・ロッソ」恒例の催し「アルバ産白トリュフ祭り」。

 その初日に伺った庄イタは、持ち込んだバローロ・リゼルヴァ・グランブッシア'95のみならず、気合いの入れ方が違っていました。その証がコレ

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【Photo】ドレスシャツに関しては、ブルー系とホワイトを7:3ぐらいの割合で着用する庄イタ。白トリュフ祭りにあわせて着用したのは、もちろん白いシャツ。襟元に選んだのは、白トリュフの故郷ピエモンテ州のビエッラ県トリヴェーロで創業したこのErmenegildo Zegnaのネクタイ。そのココロは〝白トリュフの色だから〟

 そんな小ネタを仕込んで出向いたPESCE ROSSO カウンター席。最初の一杯は、白トリュフシーズン到来を祝い、ドロミテアルプスの岩山が間近に迫るトレンティーノで高品質なスプマンテを造る「Ferrariフェッラーリ」の真珠を意味する「Perlé Millesime ペルレ・ミレジム'08」で乾杯です。

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【Photo】瓶内二次発酵による細やかな泡が持続するペルレ'08は、標高400~800mにある自社畑のミクロクリマを感じさせるシャルドネ100%から造られる。エレガントでシルキーな口当たり(左上) ボッタルガが香る白魚のブルスケッタ(右上) 剣先イカとカリフラワーのマリネ イカスミとオイルの香り(左下) 自家製バッカラ(タラの干物)と白子・ポレンタ紅玉のピューレ風味。秋獲れ黒トリュフをさっくり(右下)

 この3皿目まではプロローグ。4皿目の「バルバリー鴨のコルペットローネとフォアグラ」が登場するや、握り拳ほどの大きさの白トリュフとスライサーを手に山中信彦シェフが席に来てくれました(下画像)。

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 その結果がコレ(下画像)。運ばれてきた当初の原形をとどめないまでに白トリュフまみれとなった次第。産地ピエモンテで食べる朝採り白トリュフには及ばないものの、大阪に居ながらにして濃密なこの香りと再会できたことは得がたいこと。あー、幸せ~♪

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 食道楽3人で伺ったこの日の5皿目「北海道産生ウニとアサリ 小松菜の全粒粉タリオリーニ ボッタルガ風味」(下左画像)を挟んで、6皿目「ロビオラチーズの古代米リゾット卵黄載せ」にスライサーで白トリュフをこんもりとスリスリした時点でこんな感じに(下右画像)。

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 ピエモンテでもシンプルな卵料理と白トリュフは鉄板の組み合わせです。そのセオリーに沿った6皿目がコチラ(下画像2点)

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 この夜のメインとなるセコンドピアット、玉ねぎと共に牛肉がホロホロととろけるようになるまでコトコト煮込んだ「ストラコットとポルチーニ」が運ばれる頃には、持ち込んだバローロ・リゼルヴァ・グランブッシア'95が全開となり絶好調に(下画像)。

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 澱がほとんんど無かったボトルに残っていたグランブッシア'95は店に寄贈。締めにチーズを頂くことにして、山中シェフご推奨のAmarone della valpolicella アマローネ・デッラ・ヴァリポリッチェラを合わせてみました。アマローネはヴェネト州ヴェローナの北部地域原産のコルヴィーナなどの地ブドウ数種を100日以上陰干しして作る凝縮した味わいのワインです。

 造り手の「Corte Figaretto コルテ・フィガレット」は、D.O.C.G. アマローネ・デッラ・ヴァルポリチェッラ地域のパンテーナ渓谷で高品質のアマローネ2種類を造っており、このBrolo del Figarettoブローロ・デル・フィガレットは、力強く個性的ながら柔らかさも持ち合わせていました。

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 ウオッシュチーズと共に出てきたトリュフ入りチーズは、濃厚な白トリュフの風味そのもの。3名それぞれに違ったドルチェやカッフェ(下画像)の前に悶絶ものの締めで白トリュフを満喫したのでした。

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 こうして味をしめた庄イタは、アルバから二度目の白トリュフの入荷がある11日後にもカウンター席を予約。次回も白トリュフまみれの内容となります。

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PESCE ROSSO ペッシェロッソ

・住:大阪市中央区東心斎橋1丁目3-18
・Phone:06-6241-0030
・営:17:00~00:30(22時以降はワインバーとしての利用も可)
・URL: http://pesce-rosso.com/
・アルバ産白トリュフ祭りメニュー
  15,000円(トリュフ料理2品)18,000円(同3品)20,000円(同4品) 

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投稿者 vam : 00:00 | カテゴリー : Cuccina Italiana

2017/12/14

伝統そして血統に耽溺するの巻 <前編>

アルド'95 vs ジャコモ'93  名門兄弟頂上対決


 前稿を8月末にアップして以降、長らくご無沙汰しておりました。

 ムシムシした熱帯夜明けの早朝から、神経を逆なでするフォルテシモで合唱を始めるクマゼミの鳴き声にゲンナリしつつ、ひと夏を過ごした大阪。東北や関東では体感したことのない猛暑による夏バテを口実に、Viaggio al Mondo の更新をすっかり怠ってしまいました(猛省)。

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 4月からラテン気質な大阪での勤務となり、前世から受け継いだイタリアのDNAが覚醒。日々新鮮な新任地での仕事は別にして、ことブログ更新については、ジャポネーゼならではの勤勉さがすっかり影を潜めていたようです。

 気が付けば、御堂筋を黄色に彩るイチョウの葉をハラハラと舞わせる木枯らしが冷たさを増し、イルミネーションに輝く街路樹はもうすっかり冬の装い。遠く離れたココロの故郷・ピエモンテの山あいや庄内地方からは雪の便りが届く師走を迎えました。

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 そんな季節に疼(うず)き始めるのが、郷里ピエモンテ州ランゲ丘陵の晩秋から初冬には欠かせない「Tartufo Bianco(白トリュフ) 」の妙なる香りを求めてやまない庄イタの鼻なのです。

 およそ黒トリュフとは比較にならないクラクラするような芳香を四方八方に漂わせる白トリュフへの崇拝ぶりからして、前世は北イタリア人で、そのまた前世はトリュフ犬として幸福な一生を送ったに違いない庄イタ。

 重さあたりの単価が地球上で最も高価な食べ物といわれるアルバ産白トリュフ。毎年秋にピエモンテ州クーネオ県アルバで開催され、今年で87回目を数えた「Fiera Internazionale Tartufo Bianco d'Alba(トリュフ祭り) 」会場では、入場料€3.5ユーロを支払った上で、年によって差はありますが1gあたり€7ほどで近隣のトリュフハンターが持ち寄った白トリュフが直売されます。

【Movie】北イタリア・ピエモンテ州ランゲ地方。犬を従えたトリュフハンターたちは、人目を避けるように早朝からポプラなどの照葉樹が生い茂る森へと向かう。優秀なトリュフ犬が嗅ぎまわった木の根元から掘り出された白トリュフは、水分と共に香気成分が刻一刻と失なわれるため、鮮度が命。トリュフが一堂に会する「Fiera Internazionale del Tartufo Bianco d'Alba(アルバの白トリュフ祭)」10月7日から11月26日までの会期中、世界中から愛好家が訪れた

 昨シーズンは、同州アスティ県カネッリから白トリュフを携えて日本にやってきたアグリツーリズモ「Rupestr」オーナーのジョルジョ・チリオ氏主宰により、鎌倉と銀座で行われたトリュフの夕べに2回にわたって参加することができました。〈2017.1拙稿「Compagna di Piemonte = ピエモンテ同窓会 = 旧交を温め、白トリュフに耽溺す」、2017.2拙稿「聖ダンデロの被昇天(2)Assunzione di San-Dan-Deloseguito妙なる芳香で天にも昇る心持ち」参照〉

 昨年、幾度か庄イタの枕元に立った白トリュフの精ことジョルジョ。今シーズンも白トリュフを携えて日本に降臨するという情報は把握しているのですが、今年は関西で迎える初めての冬。

 深い霧に包まれた晩秋のピエモンテ州ランゲ地方の森でトリュフ犬の鋭敏な嗅覚が探り出したかぐわしい白いダイヤモンドを、今年は大阪に居ながらにして立て続けに口にする機会に恵まれたのです。留飲を下げた今年は、もはやジョルジョが枕元に立つことはないでしょう。

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 その舞台となったのは、東心斎橋のイタリアン「PESCE ROSSO ペッシェ・ロッソ」。ジャンルを問わず大阪の飲食店事情に詳しいH氏ご推奨のミナミらしからぬエレガントなリストランテです。

 職場にほど近い北浜「PONTE VECCHIO(ポンテヴェッキオ)」、南本町「GIOVANOTTO(ジョヴァノット)」といった大阪を代表するリストランテで腕を磨き、独立して7周年を迎えたオーナーシェフの山中伸彦さん(下画像)

 名店で鍛えた料理は、氏のがっしりとした体躯からは想像もつかない繊細なもの。目配り・気配りが行き届いた山中シェフの味付けの確かさは、過去2度の訪店で認識済みです。

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 活気溢れるオープンキッチンに面したカウンター席を予約したのは、鮮度が生命線を握る白トリュフがアルバから入荷した11月14日と第二便が届く25日。

 今シーズンは白トリュフが不作である上、観光の目玉にしたい地元の思惑と中国マネーの流入により、ただでさえ高値の白トリュフ価格が一段と高騰しているとのこと。

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 前々回の引っ越しレポートで披瀝した通り、仙台から西宮への引っ越しで大変な思いをしたワインの過剰在庫削減は最優先課題。

 大阪に赴任して以降、春と秋に開催された梅田・阪神百貨店の名物催事、およそ800本の試飲ができるワイン即売会ですら、購入した赤ワインはそれぞれ1本ずつに留め、強靭な意志を示したところです(笑)。

 暑い盛りにもかかわらず、セラーに収まりきらず、やむなく収納していた段ボール箱から、せっせと取り出しては下記にその一部をお目にかけるフルボディのヴィーノ・ロッソを空け続けたのでした。

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【Photo】中部イタリア・ウンブリア州ペルージャ在住のTomasから貰った〝悪魔祓い〟を意味する1884年創業のScacciadiavoli スカッチャディアヴォリの秀逸なD.O.C.G.Montefalco Sagrantino モンテファルコ・サグランティーノ'04」は、心地よいタンニンの陰に深みのあるベリー系の酸味や湿った土と落ち葉など表情豊かな味わいが長く持続する(右) カンパーニャ州アッヴェリーノ県で1983年に創業、'88年が初ヴィンテージの「Salvatore Molettieri サルヴァトーレ・モレッティエーリ」による銘醸地ピエモンテやトスカーナに引けを取らないD.O.C.G.Taurasi タウラージ」の素晴らしさを余すところなく表現した1本。寒暖差を生む標高500mにある南向きで5本のオークの樹があるブドウ畑に名前が由来する「Taurasi vigna Cinque Querce タウラージ・ヴィーニャ・チンクエ・クエルチェ'01」(左)

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【Photo】「Montevetrano モンテヴェトラーノ'00」。カンパーニャ州サレルノ県サン・チプリアーノ・ピチェンティーノでワイン醸造に挑戦、有能な醸造家リッカルド・コタレッラの助力を得て大きな成功を収めたのが、ワイン好きが高じた女性フォトグラファー、シルヴィア・インパラート。カベルネソーヴィニヨン90%に古代ローマ時代から続くギリシャ原産の土着品種アリアニコを混醸、'91年に初リリース。'93vinを著名なワイン評論家が〝南イタリアのサッシカイア〟と激賞。内省的なボルドー品種が南イタリアの風土で社交的に変化。独自の個性を備える(右) 良質なオリーブオイル産地として知られるトスカーナ州西部の古都Luccaルッカから彗星のごとく登場するや、センセーショナルを巻き起こした初ヴィンテージ「Tenuta di Valgiano テヌータ・ディ・ヴァルジャーノ'99」は、トスカーナ原産とされるブドウ品種サンジョヴェーゼにシラーとメルロを3割ほど混醸。絶妙のバランスを生む(左)

 壇蜜さんが「夏でも涼しいですよ~❤」と囁くまでもなく、今年は雨続きで肌寒かったという宮城・仙台ですら、昨年までは夏に手を出さなかったおよそ夏向きではない赤ワインを今夏は何本空けたことでしょう。

 かつてのように〝補給>消費〟という図式ではなく、最近は〝補給<消費〟なのですが、自制心を働かせつつも、お買い得な掘り出し物は確保してしまう習性が時おり頭をもたげてきます。

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【Photo】関西に居を移して9カ月。勤務先から徒歩圏にあるモンテ物産のアンテナショップ「Picco」やサントリー直営「Cave de Vin」、自宅からロードバイクで10分ほどの芦屋「Wine House CENTURY」など、特定のカテゴリー(●然派)に偏らない良質なイタリアワインを扱う生活圏にあるショップで、つい出来心で調達してしまったセラーストックアイテムの一例

 その歩みは、障がいの有無を問わず誰もがスポーツと文化を楽しもうという「スポーツ・オブ・ハート」の応援ソングで、昭和歌謡史を彩った自身最大のヒット曲をセルフカバーした水前寺清子さんの「365歩のマーチ2017」のよう。そう、ワインの在庫削減ペースは、♪1日1本 3日で3本。3本進んで2本さがる。(☚ アカンやろ!!)

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 そうして今年も訪れた白トリュフシーズン。PESCE ROSSOで濃密な白トリュフの芳香に溺れるにあたり、それぞれ料理に合わせたい気合いの入ったバローロ2種を拙宅のセラーから取り出し、事前に持ち込んだのです。

 高級食材白トリュフの相伴にふさわしいのは、偉大なバローロ。それも年産8,000本程度しか造られず、稀少性が高いものです。その日のために庄イタが設定した選択テーマは゛兄弟対決〟。

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 14日は Aldo Conterno アルド・コンテルノBarolo riserva Granbussia バローロ・リゼルヴァ・グランブッシア'95」(上)、25日には偉大なイタリアワインの筆頭格、Giacomo Contero ジャコモ・コンテルノBarolo riserva Monfortino バローロ・リゼルヴァ・モンフォルティーノ'93」(下)。

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 いずれもワインの品質管理に定評あるミラノの食品専門店「PECKペック」で手に入れたものの、長らく抜栓する機会がなかった名門の手になる2本です。下世話な話、購入時点ではグランブッシア€112、モンフォルティーノ€181でしたが、現在は地元のEnotecaエノテーカ(ワインショップの伊語)で前者€286、後者に至っては€901という高値で取引されています。

 コンテルノ家は、東京ドーム403個分にあたる1,886haもの広大なD.O.C.G.バローロのブドウ畑でも長期熟成に適した骨格がしっかりした男性的なバローロとなるネッビオーロを産するゾーンとして知られるSerralunga d'Albaセッラルンガ・ダルバで1700年代からワイン造りを続けてきた由緒正しい家柄。ジャコモは本家筋で、アルドは分家に当たります。

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【Photo】厳格さと優美さが同居するグランブッシア'95。ワインを空気に触れさせるデカンタージュをしなかったため、固さがほぐれて妖艶なニュアンスが前面に出るまでには時間を要したが、テイスティングした一口目から血統の良さは明らか

 父ジャコモのもとでブドウ栽培とワイン醸造を習得した長男ジョバンニと次男アルドは、長じて異なる道を選びます。祖父の時代と変わらぬ手法を貫く兄と基本は相通じるものの、新たな手法に挑戦したい弟が、堅牢でも優美さを兼ね備えたブドウが育つ地区Bussiaブッシアに新たな畑を購入し、1969年に自身の醸造所を立ち上げました。

 それでも両者に共通するのは、収穫したブドウを圧搾する際に圧力をかけずに余分なタンニンを抽出せず、改革派のバローロ・ボーイズがひと頃導入した225ℓ容量のフレンチ・バリック樽には見向きもせず、伝統的な縦長の楕円形をしたスラヴォニアン・オーク大樽で熟成させる点。高貴品種ネッビオーロにバイアスをかけることなく、晩熟でも長期保存に耐える高い熟成能力を備えています。

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【Photo】シニアソムリエの資格を有するPESCE ROSSO小田浩司フロアマネージャーにご用意頂いたグランクリュグラスで味わったモンフォルティーノ'93。透明感があるレンガ色の色調でエッジには長期熟成の証であるオレンジ色が混じる。なれど、この先長い寿命を有する証左である若々しさすら覚える溌溂とした果実味がある。まさに偉大なバローロ

 ブドウの作柄が良い年のみ造られるリゼルヴァは、グランブッシアで35カ月の大樽熟成と7年以上の瓶熟成、モンフォルティーノでは7年の大樽熟成を施すなど、尊敬を集める偉大な造り手の揺るがぬ意思そのままの傑出したバローロとなります。

 世代交代の波は、コンテルノ家も例外ではありません。2004年に他界した父ジョヴァンニの跡は息子ロベルトが継ぎ、2014年に亡くなったアルドが遺したフランコ・ステファーノ・ジャコモの3兄弟が、DNAを受け継いでいます。

 今回持ち込んだ2本は、どちらも先代の手になるもの。熟成したネッビオーロが持つ深みのある味わいがじっくりと開いてくるクラシックな造りのバローロ・リゼルヴァには軽佻浮薄な賛辞など不要。特筆すべきはモンフォルティーノ'93で、ほんの一握りのワインだけが有する類い稀な高貴さを意味するフィネスを感じさせてくれました。

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 キッチンとフロアマネージャー用にそれぞれグラス一杯分をお裾分けしたモンフォルティーノ'93は、枯れ感など皆無で、生き生きとした果実味も感じられました。偉大なバローロの空き瓶は、今頃PESCE ROSSOの店内を飾るディスプレー用になっているはず。 

 肝心の山中シェフによる白トリュフまみれの料理の数々は、次回ご紹介します。 Buonissimoooo!!!! 4_( º﹃º` )_ψ 乞うご期待

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投稿者 vam : 12:53 | カテゴリー : Cuccina Italiana/| カテゴリー : Vino ヴィーノ

2017/08/28

至福のデザートワイン

祝・Wine Adovocate 誌100点獲得 !
超レア。アヴィニョネージ ヴィンサント飲み比べ


 身も心もあま~くトロける「デザートワイン」はお好きでしょうか?

 北イタリアで過ごした前世を含めずとも、数限りなくワインとの出合いを経験してきた庄イタ。フィネス(⇒「洗練された高貴さ」といった意味のワインへの賛辞)を感じるヴィーノ・ロッソに負けず劣らず、いや、それ以上に色めき立つのが、甘美な夢見心地へと誘ってくれるデザートワインなのです。

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【Photo】前稿「イタリア瓶属 大移動 」で、日本国内には一握りのストックしか残っていないであろうQuorum Barbera d'Asti'99と並べてチラ見せした「BUKKURAM Passito di Pantelleria D.O.C. ブックラム・パッシート・ディ・パンテレッリア」。作り手は「Marco de Bartoli マルコ・デ・バルトリ」。グラスから立ち上がる濃密な香りを皆さまにお届けできないのが残念!!

 日本では、赤白問わずワインを飲み慣れた筋金入りのワインラヴァーでも、極甘口と聞くと及び腰になる向きが少なくないと思います。

 かたや、蜂蜜や香草を加えて葡萄酒を嗜んだ古代ローマから脈々と続く食文化を培ってきたイタリアにおいて、甘い苦いを問わずDigestivo ディジェスティーヴォ(食後酒)は欠かせない存在。

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【Photo】シチリア島の南東沖に浮かぶ火山島パンテレッリア島で造られるBUKKURAM Passito di Pantelleria 。強烈な日差しと強風が吹きすさぶもと、エジプト原産のブドウ「Zibibbo ジビッボ」を8月初旬に収穫後、4週間天日干し。マスカット由来の贅沢な香りが凝縮した庄イタが偏愛するデザートワインのひとつ(ロケ地:青森市長島「Al Centro」)

 イタリア語で男性名詞のdigestivoは、形容詞では〝消化を助ける〟という意味。元来は消化促進を目的に食事の最後に薬草入りの比較的アルコール度数が高いリキュールを少量クイッと飲むものでした。

 イタリア各地には、さまざまなリキュールが存在し、広く愛好されています。日本でもソーダ割が食前酒としてポピュラーな「CAMPARI カンパリ」のようなビター系リキュールの最右翼は、世界で最も苦い酒といわれる「Fernet Brancaフェルネット・ブランカ」。カンパリと同様ミラノが発祥です。

 形容詞では〝苦い〟を意味する「Amaroアマーロ」と呼ばれるジャンルの苦味が主体となるリキュールは、糖分抜きの薬用養命酒+煮詰めたソルマックのイタリア版カクテルといった風情です。(☜ どんな味やねん!)

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【参考】フェルネット・ブランカほどは苦み走ってはおらず、比較的アプローチしやすいアマーロがモンテネグロ。2014.5拙稿「Digestivo(=食後酒)は適量を。<後編> Tanti tanti digestivi.~5月X日はディジェスティーヴォの日~」参照

 アマーロではイタリア国内シェアNo.1の「Montenegro モンテネグロ」は、40種類の薬草・スパイスを調合。シチリア生まれの「Averna アヴェルナ」などを含め、酸いも甘いもくまなくリキュールを飲み尽くすなど、プロフェッショナルなバーテンダーといえども土台無理な話でしょう。

 例えば、アドリア海に面したマルケ州アンコーナ県を訪れた際、ジモティーとの会食の席でデザートと共に供されたのが、中部イタリアを代表する赤ワイン用ブドウ品種サンジョヴェーゼにサクランボの一種、サワーチェリーを砂糖と漬け込んだ「Vino di Visciole ヴィーノ・ディ・ヴィショレ」。存在すら知らず、初めて口にするその美味しさに魅了されました。

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 ユニークなところでは、フランチェスコ修道会が発祥とされる「Nocino ノチーノ」。熟す前の6月にクルミを収穫、ウロのまま純粋アルコールにシナモン・丁子・砂糖などと漬け込みます。

 ノチーノの本場とされるモデナと同じくオニグルミが自生する仙台では、無農薬栽培されたレモンを一定量確保できた時、レモンの果皮をアルコールに漬け込む「Crema di Limoncello クレマ・ディ・リモンチェッロ」と同様に自家製を楽しんでおりました。

【Photo】収穫したての青グルミをアルコールに漬け込んだ翌日の状態(右)と、前々年に自作したノチーノ(左)。そのうち仕込みの顛末をご紹介します 

 多種多様なイタリアン・リカーのみならず、先日、〝ジャパニーズ・ピザ〟を食べに行きましょうと某グルマン氏に誘われて伺った大阪ミナミのお好み焼き「おかる」の流れで、大人が集う隠れ家的な東心斎橋のバー「Old Course」で頂いた3年熟成した琥珀色のレアものアブサンもまた絶品なのでした。

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【Photo】大阪ミナミのバーOld Courseで頂いたアブサン「Vieux Pontarlier ヴィユー・ポンタリエ」2種。スイス国境にほど近いフランス・ポンタルリエで1915年のアブサン禁止法以前から続く蒸留所「Les Fils d'Emile Pernot エミール・ペルノ」製。厳選した地元のニガヨモギ、スペイン産アニスシード、プロヴァンス産フェンネルなどを調合。加水して飲まなかったため、美しいグリーンに変化する前のベースとなる65度のアブサン(左)を3年間オーク樽で熟成させた琥珀色の3ans(右)は、オーナー・バーテンダーの安岡啓介氏曰く「この先いつ入手できるか分からない」超限定品。馥郁たるその香りは、アブサンとは全くの別物

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 百花繚乱の食後酒の中から、一つだけ晩餐を締めくくる一杯を選ぶとすれば、とっておきのデザートワインを指名することでしょう。

 口に含んだ途端、押し寄せる百花蜜のごとき蜂蜜のさまざまなニュアンスや、完熟メロン・完熟白桃・ナッツ・カラメルソース・焦がしバター・カカオ成分70%のチョコレートなどの風味が渾然一体となって響きあいます。 

 有名どころは、仏ボルドー地方Sauternesソーテルヌ地区、ハンガリー・Tokaj トカイ地方、ドイツ・ライン河流域やモーゼル河流域のトロッケンベーレンアウスレーゼといった世界三大貴腐ワイン。

 ボトリティス・シネレア菌(貴腐菌)がブドウに付着すると、果皮には菌糸による極小な穴が無数に穿(うが)たれます。そこから水分が蒸発し、干しブドウ状態となった白ブドウを数回に分けて一粒ずつ選別しながら手摘みするのです。雨がちな年はブドウが腐敗し、作り手の努力が水泡に帰することも。貴腐ワインが高値を呼ぶ理由は、こうしたリスクと隣り合わせにある稀少性と、ブドウ畑に投下される膨大な労力とによります。
 
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【Photo】プリムール(⇒ 蔵出し前に予約購入すること)で入手したシャトー・ディケム'98。歳月を重ねることで、リリース当初の淡い飴色が次第に深みを増してゆくのは、いつの日かこのバースデーヴィンテージのボトルを開ける娘の人生に共通する(のかもしれない) 

 とは言っても、ソーテルヌの頂点に立つ「Château d'Yquemシャトー・ディケム」は、所有する東京ドーム24個分以上に匹敵する113haの広大なブドウ畑から、ブランド大好きな日本を上得意先とするLVMHLouis Vuitton Moët Hennessy)グループ傘下の潤沢な財力に物を言わせ、750mℓ容量ボトルで平均6万5千本程度、多産な年は10万本以上を生産します。

 アルプス以北の国々のように川沿いに立ち込める霧が成長を促す貴腐菌の力によるのではなく、太陽の国イタリアでは、デザートワインを造る場合、ごく一部の例外を除いて陰干ししたブドウから凝縮したワインを造る「Passitoパッシート」という手法が用いられてきました。

 トスカーナ州で陰干しブドウから造られるのが、聖なるワインという意味の「Vinsanto ヴィンサント」。なかでもVino Nobile di Montepulciano D.O.C.G. ヴィーノ・ノービレ・ディ・モンテプルチアーノの優良生産者として名高い 「Avignonesi アヴィニョネージ」は、極めつけの造り手です。

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 今回も過去ネタで恐縮ですが、話は9ヵ月前に遡ります。

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 横浜・馬車道のイタリアワイン専門店「il Calice イル・カリーチェ」で、アヴィニョネージの稀少なヴィンサントを2種類グラスで飲めるという、庄イタにとっては願ってもない機会がありました。

 用意されたのは、白ブドウ「マルヴァジア」と「トレッビアーノ・トスカーノ」を収穫後3~4ヵ月陰干ししてから除梗・圧搾し、密閉した50ℓ容量のオーク樽で10年の歳月をかけて造られる「Vin Santo di Montepluciano D.O.C ヴィンサント・ディ・モンテプルチアーノD.O.C 」(下画像左側)。

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 そして黒ブドウ「プルニョーロ・ジェンティーレ(≒ サンジョヴェーゼ)」を2月まで陰干ししてから同様の製法で作られ、高価かつ入手困難な「Occhio di Pernice Vin Santo di Montepluciano D.O.Cオッキオ・ディ・ペルニーチェ・ヴィンサント・ディ・モンテプルチアーノD.O.C 」(上画像右側)。

 いずれも圧搾した果汁を清澄し、幾度も使いまわしをする栗材の樽へと移す際、樽の底に残る代々受け継がれてきたMardeマードレと呼ばれる酵母の澱を混ぜてから密閉します。

 その酵母が神品と呼ぶにふさわしい琥珀色の濃密な液体へと10年の歳月をかけて昇華してゆく手助けをするのだといいます。

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【Photo】1999年ヴィンテージからエチケッタのデザインを一新するも、その造りは先人が培った伝統を忠実に受け継いでいるヴィンサント・ディ・モンテプルチアーノ2000 vin

 優良年に限り仕込みを行うアヴィニョネージのヴィンサントは、北米向けに2000年vinで1,500本が出荷された100mℓ瓶を除き、ハーフボトル(375mℓ)で年産1,000本前後しか市場に出回りません。ゆえに目にする機会が極めて限られる逸品です。

 日本における正規輸入元のモンテ物産が扱う2000vinのヴィンサントが参考価格41,990円、オッキオ・ディ・ペルニーチェは 54,510円。これはボルドー特別一級の栄誉に浴するシャトー・ディケムが市場に出回り始める価格の倍以上。世界一高価なワインといわれるエゴン・ミューラーのような優良生産者の手になるトロッケンベーレンアウスレーゼほどではありませんが、極甘口ワインの最高峰の一つに違いありません。

 妙なる香り。夢見心地へと誘う素晴らしい味わい。非のつけどころを見出すのが困難なこの1本の難をあえて言うなら、もう少し懐に優しい値段であってほしいことでしょうか(苦笑)。

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【Photo】収穫したブドウを6カ月陰干しすることで重量の90%を占める水分が揮発。外気に晒された屋根裏部屋での10年の樽熟成の間に50ℓ容量ギリギリに充填した液体は、わずか8ℓほどに目減りするという。これぞまさに神の雫!!

 同様の製法を6年熟成に置き換えた珠玉のヴィンサントを少量生産するのが「San Giusto a Rentennano サン・ジュスト・ア・レンテンナーノ」。キアンティ・クラシコゾーン南端の古都シエナにほど近いガイオーレ・イン・キアンティ地区にある醸造所をブドウの収穫を終えたばかりの10月に訪れた時、窓を開け放った醸造所の最上階に案内され、竹の簾に房ごと広げられたブドウや使いこまれた熟成樽を前にマードレの役割について説明を受けました。

 素晴らしい風味のヴィンサントをテイスティングしながら、熟成の鍵を握るマードレから連想したのが、代々注ぎ足しをする老舗うなぎ屋秘伝のタレ(笑)。真剣な表情で庄イタに説明を続けるルカ・マルティーニ・チガラ氏にそんなギャグが通じるわけもなく、言葉を飲み込んだのでした。

 その中でルカ氏が素晴らしいと絶賛していたのが、ほかならぬアヴィニョネージのオッキオ・ディ・ペルニーチェ・ヴィンサント・ディ・モンテプルチアーノだったのです。

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【Photo】黒ブドウから造られるヴィンサントは〝ヤマウズラの瞳〟という意味の「オッキオ・ディ・ペルニーチェ」という呼称で呼ばれる。庄イタが試飲した2000年ヴィンテージは、世界で最も影響力があるワイン評価本Wine Adovocate 誌において「イタリア国内外を問わずライバルなど存在しない」と絶賛され、98点を獲得。翌2001年vinは、1990年vin以来のパーフェクトスコア100点評価を受けた

 それはもはや液体にして液体にはあらず。濃密な琥珀色の飲む宝石と呼ぶにふさわしいトローリ高い粘性を備えています。

 きっちりグラスに15mℓずつ注がれた液体をグラスの中でスワリング(⇒ 空気に触れさせて香りを開かせるべくグラスを回すこと)すると、グラスの内側に張り付いた半液体の動きはスローモーションを見ているかのよう。

avignonesi-odp1.jpg 【Photo】白ブドウから造るヴィンサントよりも更に色合いの濃さが増すオッキオ・ディ・ペルニーチェ・ヴィン・サント・ディ・モンテプルチアーノ2000vin
 
 値段が値段だけに、なかなか手が届かない高嶺の花をグラス1杯2,000円と2,500円で味わうことができた貴重な機会。いずれも極甘口とはいえ、ただ甘ったるいのではなく、雑味のない純粋な甘味と酸味が共存しており、ベタつくことはありません。

 アヴィニョネージのヴィンサントは、観光ガイド本に紹介されている一般的なヴィンサントの飲み方であるヴィスコッティ類を浸して飲むシロモノではありません。

 サン・ジュスト・ア・レンテンナーノのヴィンサントもそうですが、もはや神秘体験に等しいアヴィニョネージのヴィンサントと巡り合う幸運に恵まれた時は、フルオーケストラの響きのように幾重にも押し寄せる万華鏡のごとき甘味とめくるめく香りに身を委ね、心ゆくまでワインと対話をするのが良ろしいかと。

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投稿者 vam : 06:50 | カテゴリー : Vino ヴィーノ/| カテゴリー : ・Fuori Tohoku 圏外遠征

2017/07/23

イタリア瓶属 大移動  

神様 仏様 モンテ物産様

 20世紀が生んだ天才物理学者アインシュタイン(1879‐1955)が唱えた相対性理論は、庄イタごときの頭脳では全くもって理解不能です。

elektrodynamik-bewegter.jpg【Photo】偉大な物理学者の業績に触れる知的冒険を目論んで購入するも、今のところ睡眠導入剤としての活用法しか見出していないアインシュタイン最初の論文「Zur Elektrodynamik bewegter Körper (動いている物体の電気力学)」の邦訳と解説からなる岩波文庫「相対性理論」内山龍雄訳・解説(1988年刊)

 1905年、ドイツの学術誌に発表された画期的な論文の概略をかいつまんで言えば、人間や物体が超高速で移動すると、時間の経過にズレが生じ、時計の進みが遅くなり、物体の長さが縮み、重量が増すと提起。前世紀までのニュートン力学から大転換を果たした学説(...のようです)。

 容易には理解しがたい相対性理論を庄イタが咀嚼(そしゃく)しうるか否かは置いておくとして、そういわれてみれば、身長自体が縮む変化は認められずとも、不慣れな新任地では常に物腰は低く低姿勢。食い倒れの街へと赴任して以来、ロードバイク通勤を封印しており、体重が微増傾向にあります。

 時間の経過が遅れる現象に関しては、居心地の良いリストランテで、美味しい料理とヴィーノ、さらにステキな女性が隣にいれば、時計の針が止まったかのように時間が過ぎるのを忘れてしまうことぐらいでしょうか。経験則からしてイメージ可能なのは、せいぜいこのレベル。トホホ...。

 ついでに白状すると、大阪から4回シリーズでお届けした「土佐日記風 会津日記」は、昨年12月23日~25日の連休に会津を訪れた内容。そしてお題が〝皆殺し〟と皆さまも中学校の歴史授業で暗記したはずの西暦375年に始まったゲルマン民族大移動を想起させる今回は、今年3月の出来事です。

Quanten-AlbertEinstein.jpg【Photo】ドイツ南部の都市ウルム出身の物理学者アルベルト・アインシュタインによる相対性理論発表から100年目を記念し、2005年に故国で発行された切手

 かくもViaggio al Mondoにおける時計の進みは遅れています。仙台空港から大阪・伊丹空港までの移動が、時間のズレが生じるほどの毎秒30万kmに迫る光速飛行であった感覚はないのですが。

(いや、待てよ。1時間20分を要したフライトの間、ANAの敏腕パイロット氏は、1周するのに4万kmを要する地球を14億4千万周したのやもしれぬ。ムムム...)

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 と、いうわけで話の舞台は再び仙台へ。

 かつては購入価格やヴィンテージの優劣を色分けしたExcelのワインリスト (下表・部分) を作成。飲み頃を迎えたワインを管理していたのも今は昔。凝り性でも大雑把なO型性格が災いし、ここ数年、リストの更新は停止し、ほぼ放置状態です。

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〝ワインとの出合いは、人の出会いと同じ。一期一会〟と自己弁護をしつつ衝動買いを重ねた結果、消費≦補給となった自宅セラーの在庫は最大時で400本ほどに達していました。

 ゆえに異動の内示を受け、身柄と共に関西へ移動させる家財の中で、ワインの棚卸し&梱包こそが、転勤にあたって最大の難関なのでした。

 セラー3台の在庫である合計約280本、階段下収納にストックしていた専用段ボールに入っていたワイン約150本の棚卸しに着手する前段として、まずは移動に耐える梱包材の確保が急務。春まだ浅い3月ゆえ、仙台では気温上昇による熱劣化の懸念はありませんが、破損のリスクを考えると梱包はしっかりとせねばなりません。

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【Photo】アンモニア気化熱で冷却するため、コンプレッサー方式のような作動音や熟成の妨げとなる振動が発生しないワインセラー3号(庄イタが親しみを込めて名付けたニックネームは、酒神バッカスと結ばれし女神「Ariadnē アリアドーネ」)。端正なルックスの身の丈は庄イタの身長と同一。ワインフルボトルを最大206本も受け入れてくれる包容力が魅力

 会社が指定する引っ越し業者から支給された梱包材は、段ボール箱と大きなバウムクーヘン状の緩衝エアセルマット(通称:プチプチ)。

 1本づつエアセルマットで梱包し、段ボール箱にワインを詰め込むだけでは、破損のリスクが高いことは明らか。試しに1箱分だけ梱包したところ、エアセルマットを適当な大きさに切り取って350本以上を梱包するのは、気が遠くなるような手間を必要とする作業であることを痛感したのです。

 そんな非効率極まりない荷造りでは、梱包作業の合間にエアセルマットをプチプチと指先で潰したくらいでは、蓄積し続ける膨大なストレスの発散には到底なり得ません。

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【Photo】引っ越し業者支給の緩衝エアセルマットで1本ごとワインを梱包、箱詰めを試みる之図(手前)。作業効率の悪さからこの方法は早々に断念した。荷造りが容易な中仕切りがあるモンテ物産のオリジナル段ボール箱(写真上部)ほか、断熱性が高い発泡スチロール製容器が6本分内蔵されたPECK Milanoなど、おもに通販で購入したワインが入ってきた箱には、長期保存に適したセラーに入りきらない在庫150本ほどを収容。室温変動が少ない階段下にストックしていた

 そこで方針転換。宮城県塩竃市が発祥で、酒販店では国内最大手のチェーン店舗をいくつか見てみましたが、ここ数年のイタリアワインの品揃えと同様、目ぼしい段ボールは皆無。

 次に某ワイン専門店から取り寄せたボトルが入っていた緑色の段ボール箱を実費で譲ってもらえないか、時折立ち寄っていた仙台店に出向きましたが、取り付く島もない対応なのでした。Mamma mia!

 それならばと電話したのが、明治屋仙台ストアで購入したワインが入っていた12本入り段ボールに社名が記載されていたイタリア食材の専門商社「モンテ物産」でデスク業務を担当するSさん。

trattoria-alpha2001_2.jpg【Photo】alpha情報館シリーズ企画「もっと知りたい!イタリアン Trattoria alpha」掲載例(2001年2月号)。モンテ物産さま協力のもと毎回一つのイタリア食材を掘り下げてご紹介。庄イタの趣味のページといわれていた

 モンテ物産㈱仙台支店さまには、仙台圏で発行していた月刊誌「alpha情報館」で長期連載したイタリア食材の紹介企画でお世話になったことがあります(上画像)

 サン・ミケーレ・アッピアーノで醸造責任者を務めるハンス・テルツァー氏が業務店向け講習会を仙台で行った際、当時のO仙台支店長からお誘いいただき、講習会にプレス特別枠で参加。〈2013.8 拙稿「ビアンキスタ、面目躍如」参照〉

 震災直後にイタリア在住のワインジャーナリスト中川原まゆみさんから被災店舗への義援金の申し出を頂いた折にも仲立ちの労をS同支店長にお願いしたことも。〈2011.6 拙稿「Colletta per Giappone (イタリアから届いた義援金)」参照〉

 そうした折々に窓口となって下さったのが、20年来の知り合いであるSさんでした。電話口で差し迫った事情をお話しし、資材費と送料を当方負担で段ボールを譲っていただけないか切々とお願いしたところ、配送部署に交渉してみますとのこと。

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【Photo】一度は隘路に陥ったワインの荷造り。事態打開の決め手となった救世主・モンテ物産さまから専用段ボール箱と中仕切り材20セットが届いた。最大36本を収容するセラー1号(ニックネーム「Romolo ロモロ」ラテン語読みでロムルス)と2号(ニックネーム:「Remoレモ」ラテン語読みでレムス。ともに永遠の都・ローマ建国伝説に登場する双生児)にストックしていた72本は、難なく6箱に収容。めでたし、めでたし

 その時、庄イタがストックする同社取り扱いのイタリアワイン、Bertani Amarone della Valpollicella classico'90 やら、Avignonesi Vin Santo'92 やら、La Spinetta Barbaresco vigneto Starderi'97など、移動対象のお宝ワイン名を挙げ、同社に対する個人的な貢献をアピールするのも忘れないのでした。

 そんな交渉術が奏功したか、12本(1ケース)用段ボール箱を中仕切り材と共に送料負担だけで配送センターから20セットを拙宅あてに直送しますとのありがたいお返事をいただいたのです。Complimentiiiiii!!!!!!!!

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 こうして届いた梱包材で作業効率は飛躍的に向上。ストックしていたことを忘れていた猿酒のごとき掘り出し物がセラーの奥底から出てくる中、トントン拍子で作業は捗ったのでした。

 とはいうものの、夜中まで続く膨大な量の荷造りで、段ボールとの摩擦により指先の指紋は消え、皮は剥けて荒れ放題に。ハンドクリームが手放せなくなり、寝不足が続く3月14日のホワイトデーには、Sさんに感謝の意を込めてピスタチオ風味のイタリア菓子「Waferini ワッフェリーニ」をお届けした義理堅い庄イタなのでした。

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 そして話の舞台は仙台から関西へ。

 モンテ物産さまのおかげで1本たりとも破損することなく、ワインたちは西宮の新居に無事到着。家一軒分の家財の荷ほどきとの並行作業で、新居から至近の桜の名所・夙川(しゅくがわ)沿いに咲き揃った桜が散ってしまった4月25日過ぎまでには、同じ造り手や産地を固めるなど、整然と体系だててセラーに収容しました。

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 当然のこと、そこには階段下収納にあったワイン150本が存在しているわけです(上画像)Ariadnēへの移し替えの際、誤ってボトルを割ってしまったことが悔やまれるArnaldo Caprai Montefalco Sagrantino 25 Anni '06はやむなしとして、関西では観測史上最も暑いことが予想される今年の夏を乗り切るには、なるべく早期に手持ち分を飲み切った方が得策。

 たとえ熱帯夜でも、まだ空けるには勿体ない'97vinなど、さらに熟成可能なヴィーノ・ロッソを抜栓しなくてはなりません。

 はなはだ不本意ながら、そうした扱いとなっている例が、Quorum クオルム'99(下画像)Braida, Michele Chiarlo, Coppo, Prunotto, Vietti,そして珠玉のグラッパを世に送り続けてきたBertaが手を携え、地ブドウであるバルベーラから至高のヴィーノ・ロッソを造る目的で立ち上げたコンソーシアムは、アスティ地域の古い呼称「Hastae ハスタエ」と名付けられます。

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 著名なワイン評論家、ロバート・パーカーをして、自身のキャリアにおける最良のバルベーラと言わしめた素晴らしい出来となったデビュー作、Barbera d'Asti Quorum '97を3本購入する幸運に恵まれるも、'05vinを最後に、売り上げを後進の育成に寄贈したコンソーシアムは解散。日本国内ではもはや流通していないと思っていた超レアもの '99vin(上画像)を昨年5月に2本確保して以降、ヴィーノ・ロッソの購入を極力控えていました。

 これはひとえに過剰在庫を減らすためですが、'93年にPet Shop Boysがカバーした Go West が頭の中でリフレイン。現状を上回る在庫を抱えた状況で西へと向かうことは避けるべきという、虫の知らせもあった気がします。

 在庫削減の例外として、イタリアワイン好きならば、ご存知の方が少なくないであろう「にしのよしたか」を運営する西野嘉高氏が店主を務める大阪市生野区「西野酒店」を再訪、ブルゴーニュに引けを取らない最高峰のシャルドネVie di Romans Chardonnay '15を購入がてら、セラー収容作業で割ってしまったArnaldo Caprai の代替とはならずとも、メルロ&カベルネソーヴィニョンを混醸したレアもののOutsider 2010で早逝した大器の穴埋めをしたのでした。

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 大阪着任後、支社から最寄の地下鉄淀屋橋駅に向かってわずか200mほどの土佐堀通り沿いに「Picco ピッコ」という店があるのに気づきました。

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 足を踏み入れた店内には、見覚えのあるイタリアワインがズラリと並んでいます。なんと!! そこは東京と大阪に1店舗ずつしかないモンテ物産の直営アンテナショップなのでした。広い広い大阪の街にあって、なんという巡りあわせでしょう。

 店頭価格から常時2割引(誕生月は3割引)となる会員証の発行を済ませ、日本では最も入手しやすいナポリスタイルのカッフェ、KIMBO エスプレッソ・ナポレターノとマルサラ酒の優秀な作り手Florioが、西方70kmの沖合にチュニジアを望み、シチリアから100kmの大西洋上の孤島パンテレッリア島で造る酒精強化デザートワインMorci di Luce '11 を購入(下画像)

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 強烈な太陽と強風に晒される過酷な条件下、パンテレッリア島では、2014年に世界無形文化遺産に登録された独特なブドウ栽培法vite ad alberello を伝統的に行っています。「Muscat of Alexandria (マスカット・オブ・アレキサンドリア)」という英語名が示す通り、古代ローマ帝国領だったエジプト原産のブドウ「Zibibbo ジビッボ」を収穫後、4週間日干しして水分を蒸発させ、エキスが凝縮したデザートワインが作られます。

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 その一つ、Marco de Bartoli が手掛ける重層的で甘美な長い余韻を残すBUKKURAM(上記Quorum'99の左)は、食事を締めくくる至高の一杯となるでしょう。

 Piccoには仕事帰りに時おり立ち寄っていますが、購入を手控えているヴィーノ・ロッソではなく、クマゼミの鳴き声が体感温度をヒートアップさせる大阪の夏に飲みたいフランチャコルタやヴィーノ・ビアンコ(下画像)だけを調達していました。

 同社扱いのイタリア食材やヴィーノが30%OFFのお買い得価格となる半期に一度のセールが先週21日(金)に行われました。パスタの聖地グラニャーノ産シャラテッリ〈2010.7拙稿「珠玉のパスタ、Gragnano グラニャーノ」参照〉KIMBO エスプレッソ・ナポレターノ3パック、フランチャコルタ1本、ヴィーノ・ビアンコ2本をゲット。

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 自らに課してきた〝産地を訪れた年のワインは入手すべし〟という鉄則に基づき、手を伸ばした禁断の果実が、限定特価7,000円+税で出ていたE. Pira e Figli Barolo Connubi'06

 銘醸地バローロでも、とりわけ素晴らしいワインを生む畑カンヌビ。仙台から持ってきたストック分では、明治屋仙台店で2本購入したグレートヴィンテージ'96vinのうちの1本が、今もセラー2号Remoの中で抜栓される日を待っています。

 前述の通り、更新停止状態のワインリストを紐解くと、2022年頃まで熟成を続ける偉大なこのヴィーノ・ロッソを、当時としてのセール価格4,500円で入手していたようです。

 ユーロ導入以降、銘醸地トスカーナやピエモンテ産で顕著なイタリアワインの高騰傾向から、現行ヴィンテージの実勢価格は10,000円前後。

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 それは伊達家家臣の末裔という設定で宮城県の観光PR動画に登場した「お蜜」こと壇蜜さんが、夏でも涼しいと囁いた仙台でさえ、この時季には食指が伸びなかったフルボディのヴィーノ・ロッソです。

 ですが、'96vin ほどの特値ではないにせよ、間違いなくこれはお買い得。逡巡したものの、再び禁制の品に手を出してしまいました。

 関西へ移動した段ボール内の精鋭たちが、体温に等しい36℃に迫る暑さで375(皆殺し)となっては元も子もありません。かといってエアコンを終日つけっぱなしにするのも抵抗があります。

 いよいよ夏本番。待ったなしの在庫削減の取り組みは、こうして一進一退を繰り返しているのです。

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Italian shop Picco イタリアンショップ ピッコ

 ・住:大阪市中央区北浜3丁目1-18 島ビル1階
 ・Phone e Fax:06-6209-0522
 ・営:11:00 ~ 18:00 土日祝休み
 ・URLhttp://www.montebussan.co.jp
 ・Mailpicco-osk@montebussan.co.jp

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投稿者 vam : 22:06 | カテゴリー : Vino ヴィーノ/| カテゴリー : 庄内系イタリア人の物語


「庄内系イタリア人」こと
木村 浩人

外見と所持するパスポートの国籍は日本人。なれど脳細胞はイタリア人。≫詳細

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