あるもの探しの旅

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伝説のグラッパ職人、ロマーノ・レヴィ

天使のグラッパ職人は生き仏だった

 昼食にたっぷりと摂取したタルトゥフォ・ビアンコの残り香を全身から発するお大名様一行。次に目指したのは、カネッリからアルバへと西に向かう道を20キロほど進んだクーネオ県ネイヴェ。そこには知る人ぞ知るグラッパ職人であり、イタリアらしいファンタジックでハンドメイドなモノ作りの極みともいえるRomano Levi ロマーノ・レヴィさんのグラッパ蒸留所兼自宅があるのです。

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【Photo】アルプスを遠望するNeive ネイヴェの町

 カネッリと至近距離にある蒸留所への訪問は、私のたっての希望で組み込んだもの。車に乗り込む同行メンバーは一様に「誰それ? 」「何しに行くの? 」といった雰囲気でしたが、行く先を操るドライバーは私。先導するジョルジョについて「ムフフ・・伝説の人に逢わせてやるぜぃ」と、約束の4時に間に合うよう、はやる気持ちをおさえつつ道を急ぎました。ただ、1928年生まれと高齢のレヴィさんは最近体調が思わしくなく、ご本人にお会いできるかどうか、行ってみないと判らないよ、と事前にジョルジョからはクギを刺されていました。

Ciabot_Canale_Cisterna.jpg【Photo】Neive ネイヴェ近郊のブドウ畑にはCiabòt と呼ばれる農作業の間に休憩や雨宿りのための作業小屋があるのを見かける。こうしたランゲの丘の風景は、レヴィさんが描くラベルのモチーフとなっている

 ピエモンテ州はワインの銘醸地として有名ですが、とりわけクーネオ県は世界的に名高いバローロ、バルバレスコといったワインの有名産地を抱えます。ワインの醸造のため除梗され果粒となったブドウは、仕込みの途中で果皮や種を除かれます。このワイン醸造過程で不要になる残り滓を発酵・蒸留して作られるワインの副産物として世界各国で作られてきました。

coretto.jpg【Photo】希少なキアーナ牛の産地、トスカーナ州キアーナ渓谷の近くの街モンテプルチアーノのリストランテ「Borgo Buio Officina del Gustoボルゴ・ブイオ」にて。庄イタ+女性2人の両手に花の組み合わせで、やっとの思いで巨大なキアーナ牛のビステッカ(=ステーキ)を平らげた後のカッフェは、グラッパと共に登場。消化を助けるグラッパを入れた Espresso Coretto は、ビステッカ・アッラ・フィオレンティーノを食した後の定番

 こうしたいわゆる「滓(かす)取りブランデー」は、イタリアではGrappaグラッパ、フランスではEau de Vie de Marc オー・ド・ヴィー・ド・マール(Marc マールと略して呼ばれる方が多い)、スペインではAguardiente アグアルディエンテ、あるいはOrujo オルッホと呼ばれます。原料が安価に入手できるので、どちらかと言えば庶民の酒として親しまれてきたものです。

 温暖な地中海性気候のイタリアでも、北部の冬の冷え込みは相当のもの。かつて貧しい労働者たちは寒さをしのぐ手段として、また強壮剤がわりに、40度前後ものアルコール度数のグラッパをあおっていたようです。北イタリアの一般家庭では、コレット(エスプレッソにグラッパを加えたアレンジカッフェ)や、グラッパをストレートで飲みながら家族や友人同士の語らいを楽しむのが食後の習慣でした。さらに気管支炎や便秘、消毒薬や歯痛などの薬としてもグラッパは使われていたようです。

 古代ギリシャ人がエノトリア・テルス(=ワインの大地)と呼んだほど、ワインの栽培に適したイタリア。現在イタリアの全20州でワインは作られていますが、グラッパは北部イタリア各州、特にヴェネト州やピエモンテ州、フリウリ・ヴェネツィア・ジューリア州などの主要なワイン生産地でワイン醸造の副産物として、10世紀前後から製造・消費されてきました。

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【Photo】バッサーノ・デル・グラッパの町を流れるブレンダ川と、屋根のかかった木製の橋「ポンテ・ヴェッキオ」

 ルネッサンス期に蒸留技術が発展し、アルプスの麓に位置するヴェネト州北西部のバッサーノ・デル・グラッパ(=グラッパのバッサーノ)という町では、1601年に蒸留酒組合が設立されています。町を流れるブレンダ川にかかる屋根付きの木造橋ポンテ・ヴェッキオ周辺には、グラッパを取り扱う店が現在も多数立ち並びます。バッサーノ・デル・グラッパ近くにある山、モンテ・グラッパ(=グラッパ山)は、グラッパという酒名の由来ではないかという説もあります (注5)

近年、イタリア料理人気も手伝って、日本でもグラッパの名前は食後酒として広く知られるようになりました。ヴェネト州の州都ヴェネツィア特産の凝った意匠のボトルに入ったグラッパは仙台の酒販店でも見かけます。Sassicaia サッシカイアや Luce ルーチェといったトスカーナ州産の有名ワイナリー銘柄のグラッパが、実は北イタリアの蒸留所に原料が運ばれて製造されていることはあまり知られていません。

grappadiLuce.jpg【Photo】トスカーナの名門 Frescobaldi フレスコバルディとカリフォルニアの雄 Robert Mondavi ロバート・モンダビのジョイントで生まれたスーパートスカーナ「ルーチェ」。日本に初めて正規で輸入されたファーストヴィンテージの'95とバッサーノ・デル・グラッパ近郊のJacopo Poli ヤーコポ・ポリ蒸留所で造られるルーチェブランドのグラッパ

 イタリアにおいてグラッパの名が全土に浸透したのは20世紀に入ってから。それ以前はフランスと地理的に近いピエモンテ州では、ブランダBranda (=ブランデー)という呼び名が一般的だったようですし、ヴェネト州においても Graspa グラスパと呼ばれたりしていました。

 現在の欧州連合(EU)発足以前の1989年、欧州共同体(EC)体制化において、グラッパという名称がイタリア産の滓取りブランデーにのみに認められると法制化されて以降、呼称の統一が図られました。

 グラッパの原料となるワイン醸造の残り滓をイタリアでは「ヴィナッチャ」といいます。一定のクオリティを持つ製品化されたワインを蒸留して造るコニャックやアルマニャックなどのいわゆるブランデーとは異なり、素材そのものであるヴィナッチャ、特に果皮にはブドウ本来の香りが凝縮しているため、それを蒸留するグラッパは、素材となるブドウの持ち味や品質がダイレクトに蒸留後の味わいに反映されます。

grappaBerta.jpg【Photo】ニッツァ・モンフェラートにある至高の蒸留所Berta (ベルタ)。これはモスカート(マスカット)種のヴィナッチャから抽出したアルコール成分を、8年間樽で熟成させてからリリースする限定品

 ブドウ生産農家の自家蒸留も含めて、イタリアにおけるヴィナッチャを材料とする蒸留所は、20世紀初頭には二千軒ほどあったといいます。そのため、圧搾後の保管の良し悪しによって酒質にバラつきが出がちで、'80年代半ばまで、グラッパは安酒というイメージが国内では浸透していました。現在のように人気ワイナリーの名を冠したグラッパが作られることも、まして一流のリストランテの食後酒としてオンリストすることなど、想像すらできない状況だったのです。

 風光明媚なリゾート地コモ湖の北方、スイス国境に程近い山中の町、ロンバルディア州最北部に位置するソンドリオ県カンポドルチーノから、西隣のピエモンテ州でもブドウ栽培が盛んなランゲ地方のネイヴェに移り住んだセラフィーノ・レヴィは、駅近くの Via 20 Settembre (=9月20日通り)に面した一角で1925年にレヴィ・セラフィーノ蒸留所を興しました。

 ところが、彼は8年後の1933年に若くして他界。その当時7歳だった娘リディアと5歳の息子ロマーノを抱えた母テレジーナは、女手ひとつで夫が興した蒸留所を引き継ぐ決意をしたのです。

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【Photo】ネイヴェの街中にある高齢のレヴィさんと姉のリディアさんが2階で暮らす自宅兼蒸留所のレヴィ・セラフィーの蒸留所の庭にて。写真右手奥に建物をまわり込んだ場所が直火式蒸留施設となっている。

 第二次世界大戦下の1945年。遡ること2年前の1943年にイタリアは降伏文書に調印していましたが、ナチスドイツの支援を受けたムッソリーニは、ドイツの傀儡(かいらい)政権というべきイタリア社会共和国をロンバルディア州ガルダ湖畔で樹立。ローマ以北を支配下に治め、連合国側が支配する南イタリア諸州との間でイタリアは内戦状態にありました。

 そんな混迷した状況下の3月30日の朝、ニッツァ・モンフェラートとアルバを結ぶ鉄道施設を数機の爆撃機が襲撃しました。その際、ネイヴェにある小さな駅も爆撃を受けたのです。このとき姉リディアは教会に、ロマーノは地下のセラーに逃れて難を逃れました。この爆撃で8名のネイヴェ市民の命が失われました。その中にロマーノの母テレジーナが含まれていたのです。それはムッソリーニがパルチザンに捕らえられて処刑され、その二日後にヒトラーがベルリンで自殺し、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線が収拾するちょうどひと月前のことでした。

【Photo】屋根の上ではレヴィさんファンにとって永遠のアイドル? ドンナ・セルヴァティカ(直訳すると「野生の女性」→お転婆娘・じゃじゃ馬といったニュアンス)が踊る

yaneselva.jpg こうして高校を卒業したばかりのリディアと、高校在学中だったロマーノの二人だけが残されました。その当時、まだ19歳と17歳であった二人が生きてゆくための成り行きとして、蒸留所の釜にロマーノ少年が初めて火入れをしたのが1945年の秋。最初にロマーノが仕込んだヴィナッチャは、母が不慮の死を遂げる前年に遺したものでした。

 それまでは誰もグラッパの蒸留法をロマーノに教えたことはなかったといいます。爾来60年以上にわたって、レヴィさんはひたすらグラッパを作り続けているのです。姉のリディアさんが庭で摘んだミントやセージなどのハーブが入ったグラッパも作られてきましたが、80歳を迎えたリディアさんは最近病気がちのため、ハーブ入りのグラッパを見かけることは少なくなりました。

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【Photo】壁にはレヴィさんが好きだというフクロウのオブジェや、来訪した著名人の写真が飾られている。創業当初から周辺のカンティーナから秋に持ち込まれるヴィナッチャは、庭に掘られた深さ6mの貯蔵庫で保管され、天然の冷蔵庫で一冬を越す

 現在、グラッパ作りで主流なのは、スチームによる加熱方式。そのほか二重構造になった釜の間に熱湯を通して加熱する方法を取り入れている蒸留所もあります。沸点が100℃の水を使用したほうが、加熱温度が高すぎるとアルデヒドなどの悪臭成分が発生するヴィナッチャから、79℃以下で沸点に達するエチルアルコールを気化させて抽出する蒸留作業の温度管理がしやすいからです。

 かたやレヴィ・セラフィーノ蒸留所では、加水したヴィナッチャを加熱してアルコール成分を抽出するのは、創業当初から80年以上を経過した直火式のカルダイアと呼ばれる銅釜を含む蒸留装置。この蒸留装置を総称してアランビッコといいます。近所に暮らすジョルジョ・トーソさんが親子二代に渡ってアランビッコのメンテナンスを担当しています。

vinaccia_revi.jpg 【Photo】建物奥のヴィナッチャ保管場所で。アンジェロ・ガヤなどの近郊のカンティーナから、圧搾後3日以内で持ち込まれるヴィナッチャは黒いビニール袋に入っている。手前がアルコール抽出を終えたヴィナッチャで、抽出の際の燃料にまわされる。燃料の灰は、畑に撒かれ土壌改良に使われる

 ブドウの搾り滓を直火で加熱して蒸留酒を造っているのは、今日のイタリアでは唯一レヴィさんだけとなりました。自家消費用を除けば、世界でも例を見ないかもしれません。釜の熱源を両親から受け継いだ炎に頼ってきたレヴィさん。元気だった頃は朝4時に釜に火を入れ、永年の勘で温度管理を自らしていたそうです。

caldaia_revi.jpg【Photo】フクロウの小物がたくさん置かれていた作業場内部。奥のアランビッコから手前の樽にアルコールが移される

 ワインラヴァーの私が初めてロマーノ・レヴィさんを知ったのは、'90年代半ばに目に触れた雑誌の記事を通して。そこには風変わりなヘタウマ風の絵が手書きされたラベルのグラッパと、いかにもクセ者というオーラを放つレヴィさんの写真が載っていました。いわく作り手のもとを訪れないとグラッパを入手できないこと。ラベルが一枚ずつ手書きされること。機嫌が悪い時は会ってもくれず、会えたとしても譲ってくれるとは限らないこと、そこには電話すらないこと・・・・などが記されており、強烈な印象を残したことを記憶しています。(注6)

 レヴィさんの代名詞といえる手書きのラベルはグラッパ造りを始めて18年後の1963年から登場しています。著名なイタリアのワインジャーナリスト、故ルイジ・ヴェロネッリが、レヴィさんを「Grappaio Angelico (=天使のようなグラッパ職人)」と形容し、さらに1971年12月にイタリアの週刊誌 Epoca で紹介して以来、レヴィさんは生ける伝説となったのです。

UomoSelvatico.jpg【Photo】筆者所有のレヴィさんのグラッパより。右が Donna Selvatica ドンナ・セルヴァティカ。左はレヴィさん自身の投影だという Uomo Selvatico ウォモ・セルヴァティコ(「野生の男」の意)

 日々の出来事や印象的な出逢いを絵や詩で紡ぎあげるため、同じものが存在しないレヴィさんの手書きラベルをまとったグラッパには、世界中にファンがおり、プレミア価格で取引されます。日本での実勢価格は、700ml入り一本およそ2万円前後。熟成期間の長いリゼルバや、とりわけマニアに人気の高いキャラクター「Donna Selvatica ドンナ・セルヴァティカ」がラベルに登場するものとなると、一ケタ跳ね上がることも珍しくありません。

 ドンナ・セルヴァティカが誰なのか、前出の蒸留釜のメンテナンスを担当するトーソさんによって明かされています。学校まで歩いてブドウ畑を越えて通っていたレヴィさん。本稿の冒頭でご紹介したブドウ畑に点在するCiabòt と呼ばれる避難小屋の前で、朝に出逢った美しい女性がモデルなのだといいます。

 傘をさしたウォモ・セルヴァティコが、生涯独身を貫くレヴィさんなのだと仮にすれば、ファム・ファタールとの邂逅が目に浮かぶようです。

 私たちが立ち寄ったネイヴェ中心部のエノテカ(注7)では、店内の目立つ場所に鎮座したレヴィさん手書きラベルのグラッパが100エウロだったのに対し、同程度の熟成期間を経た同じような中身のグラッパでも、印刷ラベルのものは、30エウロと3倍以上の価格差がありました。

printedaquqavite.jpg【Photo】レヴィ・セラフィーノ蒸留所製の印刷ラベルのグラッパ「Acquavite di Vinaccia」。中身は同じでもプレミア価格となる手書きラベルのグラッパよりかなり割安。蒸留所で試飲用に置いてあったグラッパはこれだった

 かくするうちに、ネイヴェの町に辿り着いた一行。街の中心部の道端でジョルジョが運転するプジョーが停車しました。通りの斜め向かいには、イタリアワイン界のリーダー的存在として著名なアンジェロ・ガヤ氏と並んでバルバレスコの巨人と称されるブルーノ・ジャコーザ氏のカンティーナ(=ワイン醸造所)が何気にあるではありませんか。「おお、スゲぇ~」。

 ネイヴェはバルバレスコ村とすぐ目と鼻の先。そのためブドウ畑が広がるランゲ地区を車で走っていると、こうして有名カンティーナと突然出くわすことがあるのです。車を降りたジョルジョは、広い庭のある一軒の家の中に入ってゆきます。さまざまな草木が生い茂った庭には猫が2匹。紛れもなくこの古びた建物がロマーノさんの自宅兼蒸留所なのでした。

 建物の奥にはアルコール抽出が終わった固形のヴィナッチャがうず高く積まれた一角が。そこからは再発酵作用のため、湯気が上がっていました。蒸留釜の燃料はすべてこの使用済みのヴィナッチャを活用しています。燃やしたヴィナッチャの灰は、ブドウ農家に引き取られ肥料として活用されるといいます。

Fornenryou.jpg【Photo】使用済みのヴィナッチャ。水分を除くために木製の圧搾機(下写真左の木製の器具)にかけられた際につく縦縞模様がついているのがわかる

 私たちが訪れた10月末は、赤ワイン用ブドウ品種としては収穫時期が早いバルベーラ種やドルチェット種が仕込みを終え、そのヴィナッチャが周辺のカンティーナから持ち込まれる時期でした。11月に入ると、収穫が最晩秋となるネッビオーロ種が持ち込まれてきます。それらは黒いビニール袋に詰められた上、ひと冬を6mの深さがある貯蔵庫に埋められてから上から砂で覆われ、天然の冷蔵庫でじっくりと寝かせてから蒸留されます。

 かつては、アルネイス種やモスカート種など、白ワイン用のブドウのヴィナッチャも使用したそうですが、蒸留前に一次発酵させる必要があるため、現在では主に赤ワイン用ブドウを使用しているそうです(注8)

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【Photo】(左写真)作業中のファブリッツィオさん(上)とブルーノさん(下)/(右写真)カルダイアで煮沸されるヴィナッチャ。アルコールを帯びた蒸気が銅製の管を伝って抽出される。抽出を終え、カルダイアから取り出されたばかりのヴィナッチャ(下写真)。水分を圧搾して乾燥後、燃料となる

 作業場ではレヴィさんのアシスタントを勤めるブルーノさんとファブリッツィオさんが働いていました。蒸留作業が終盤にさしかかり、蒸留釜の蓋が外されています。ファブリッツィオさんに促され、ハシゴに登って中を覗くと、釜の中でヴィナッチャがグツグツ沸騰しています。

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 ヴィナッチャに含まれる水分とアルコールの二つの揮発成分は加熱によって水蒸気となりますが、エチルアルコールの沸点のほうが水のそれよりも低いため、ヴィナッチャに含まれるアルコール成分の抽出という蒸留の目的は、煮沸工程の前半で果たされます。

 アルコールが気化した蒸気を再び純度の高いアルコールとして液化させるために、冷却装置である銅製のパイプと蒸留塔で液化し、そこから直接パイプで樽に移された後、2年間以上に渡って熟成されます。樽の素材がトネリコとクリ材の場合は透明に、アカシアとオーク材の場合はコハク色に、材質の成分が滲み出て仕上がるそうです。最終的にそれらは混ぜあわされてアルコール度数が50~60度になるよう加水の上、瓶詰めされます。

 「わしゃ、一種類のグラッパしか作っとらんよ」と煙に巻くレヴィさんですが、調合の度合いによって、味わいはさまざま。気の良さそうなブルーノさんに勧められて、ほのかに琥珀色を帯びたグラッパを試飲していると、ジョルジョが駆け足でやってきました。数名に分かれてレヴィさんと挨拶ができるそうです。やって来てよかった!その日は天気も良く、10月下旬の北イタリアとしては、暖かだったので、レヴィさんの体調が良かったのでしょう。

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【Photo】頸椎を痛めた首を持ち上げるレヴィさんと同じポーズで記念撮影に興じるアル・ケッチァーノ奥田政行シェフ。窓際に幾重にも張られたクモの巣は埃だらけ

 敷地に入ってすぐ左手にある木の扉を開けて、裸電球の照明がぶら下がった雑然とした部屋に通されました。そこはレヴィさんが天使と交信しながらラベルを描くアトリエなのでした。壁一面に世界中から訪れる訪問者と撮られた写真や、いろいろな絵が掛けられています。西洋では知恵のシンボルといわれ、レヴィさんも好きだというさまざまなフクロウの小物が部屋中に置かれています。ファンの間では有名な? 蚊が捕れるからとそのままにしている幾重にも張られたクモの巣は埃だらけ。そこには何やら虫が引っかかっています。

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【Photo】具合が悪いレヴィさんの首に気を送るエスパー奥田。気持ちよさげな表情を浮かべるレヴィさん。エスパーとしての手腕は未知数ながら、首に気を送る筆者。(たぶん)気持ちよさげな表情を浮かべるレヴィさん。

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 窓際の机の前で手を広げ、歓迎の意を表すように穏やかな笑みを浮かべたロマーノ・レヴィさんが私の目の前にいました。椅子に座った姿は、あたかも前ローマ法王・故ヨハネ・パウロ二世のよう。友人の醸造家、ロマーノ・ドリオッティ氏を通して訪問の仲介をしてくれたのだというジョルジョが、私達を順番に紹介します。

 レヴィさんは両手で頭を持ち上げる仕草をしながら、こんな格好で申し訳ないと開口一番。頚椎を傷めて首を固定するバンドを頭に巻いていないと、頭が上がらないそうで、そのような状態にもかかわらず面会の時間を割いてくれたレヴィさんの優しさに打たれました。

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【Photo】それぞれ頂いたオリジナルラベルのグラッパを手に。手前より筆者、奥田シェフ、西川さん、ジョルジョ。シェフからのお土産・アル・ケッチァーノの純米吟醸酒「水酒蘭(ミシュラン)」を手にするレヴィさん

 ささやかな御礼代わりになればと、「レヴィさんの首が楽になるよう、気を送ってあげて」と、実はエスパーな奥田シェフに耳打ちしました。シェフが左手をレヴィさんの首に当てると、「Bene, Bene(≒あ゙~、気持ちいい)」とつぶやき、気持ちよさげ。奥田シェフほどの超能力は持ち合わせていない私もレヴィさんの首に気を送っていると、おもむろにジョルジョが私にグラッパを一本差し出しました。

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 そのボトルには、震えた字でRomano Levi 2006と直筆サインがなされ、なんとKimura と私の苗字が書かれたドンナ・セルバティカのびっくり顔のラベルが貼られていたのです(上写真)。予期せぬ展開にその瞬間、ワーオ!と思わず声を上げてしまいました。世界で一つだけしか存在しないこのラベルに描かれたセルバティカちゃんと同じような顔だったことでしょう。

 奥田シェフと西川さんにも名前入りでドンナ・セルバティカの別バリエーションで用意されていました。最近は体調が悪くて、ほとんどラベルの絵が描けないと聞いていたのですが、事前にジョルジョが手を回してくれていたのです。ありがとうレヴィさん。ありがとうジョルジョ。アトリエを出がけにお土産にと、レヴィさんの絵の焼印が押されたコルクも頂きました。

okuda2.jpg 限られた時間での出会いでしたが、えもいわれぬ包容力をたたえたレヴィさんとのまさに一期一会の時間は、メンバー全員の胸に深く刻まれた様子でした。前述の理由で手書きのグラッパは非常に量が限られてきているため、ジョルジョが手配できたグラッパは、この日訪れたメンバーのうちでも3人分だけ。しかもその3本はプレミアなしの値段でした。

 後日談で、帰路のパリ空港で、荷物整理のために奥田シェフがスーツケースから取り出したラベルに OKUDA と描かれたグラッパを見咎めたのが、同行した雑誌「四季の味」八巻編集長。「何それ?OKUDA って書いてあるじゃない!! 」と八巻さんから詰問されたシェフは、答えに窮してその場を逃げ出したとか。

 それを知ったジョルジョが、改めて八巻マンマ用のグラッパを頼もうとしたものの、私たちの訪問から間もなくレヴィさんが体調を崩して入院してしまったことを西川さんから聞きました。一日も早い回復を祈っていたこちらの願いが通じたのか、年明けの2007年1月には退院し、八巻さんとジョルジョのグラッパのラベルも描いてもらえました。同年3月に日本を訪れたジョルジョによって、そのグラッパは八巻さんに手渡されたようです。家宝にせねば。ね、八巻さん。

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【Photo】レヴィさんから贈られたボトルのバックラベル。加水してアルコール度数を51%に調整しており、「アクアヴィーテ・ディ・ヴィナッチャ」(「ヴィナッチャの生命の水」の意)と表記される

 生産手段の工業化は一定の品質を、そして技術革新はめまぐるしいモデルチェンジをもたらします。目先の新しさを追い求めるモノは、えてしてすぐに忘れ去られてしまいがち。私たちの身の回りは、そんなモノで溢れかえっています。しかし、そこには作り手の思いや顔はなかなか見えてきません。かつて優れた品質で世界を席巻した MADE IN JAPAN 製品も、グローバル化の波を受け、海外に生産拠点を移さざるを得なくなり、もともとの「売り」だった品質の低下を招いているケースも見受けられます。

 そんなマスプロダクツの論理や目先の流行とは縁のないところで、レヴィさんは昔ながらのやり方で世界にひとつだけのグラッパを造り続けてきました。伝説の人と会うために今日もネイヴェの古びた屋敷を訪れる人たちは後を絶ちません。レヴィさんから頂いたグラッパの世界にひとつだけの味わい深いラベルを眺めながら、その作り手が歩んだ80年の人生と重ね合わせ、時流に流されないレヴィさんの飄々とした生き方が世界中のファンを惹きつけてやまないのだ。と納得したのでした。

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【Photo】「天使のようなグラッパ職人」と言われる伝説の人から頂いたコルクには、レヴィさんの楽しげな絵が刻印されていた

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【注5】ほかに Grappa グラッパの語源の説として、ブドウの房を意味する Grappolo グラッポロ、果梗を意味する Graspo グラスポなどがあるが、いずれも決め手に欠ける。

【注6】そうして近郊の酒販店や酒商もレヴィさんのグラッパを入手している。彼らが上乗せする転売差益を支払いさえすれば、家を訪問せずとも入手は可能。レヴィさんイコール手書きラベルと日本では短絡的に紹介されているが、実は Acquavite di vinaccia (アックアヴィテ・ディ・ヴィナッチャ)と印刷されたラベルの「レヴィ・セラフィーノ」ブランドのグラッパも一部市場に出回っている。高齢のレヴィさんがこなせる量は限られるので、手書きラベルのグラッパの希少性は増すばかりだ。そのため、2004年の12月からは、ラベル作成を年下の友人であるマウリッツィオさんが時々手伝っているという。二人が共同作業をしたボトルには、ROMANO E MAURIZIO と記されている

【注7】酒販店のこと。私たちが訪れた「エノテカ・デル・ボルゴ・ディ・ネイヴェ」は、ワインの聖地ランゲだけあり、ざっと見たところ商品構成は地元産の赤ワイン85%、同白ワイン10%、グラッパ3%、その他2%と著しく偏っていた。こうした「地元が一番!」という、いかにもイタリアらしいスタンスに好感が持てた。
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【Photo】NEIVEの町 Via 20 Settembre に面した Enoteca del Borgo di Neive。外壁のドンナ・セルヴァティカの絵(下写真)に惹かれて店に寄った。この通りの先にレヴィさんの蒸留所がある
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 それにしてもオーナーが店の奥から切り出してきた生ソーセージ「サルシッチャ」と共にワイン数本を早朝から試飲したが、バランスの取れた気高さを感じさせる自家製バルバレスコの美味しかったこと!日本には入ってきていない銘柄だったが、ピエモンテにはこうした規模の小さなつくり手が多い。ジョルジョに言わせると規模の大きなカンティーナよりも小さなところのほうがワインの品質がいいぞ!とのこと。確かに自分の目が届く範囲でブドウを手塩にかけて育て、自家醸造する作り手のほうが信頼は置けるので、真実の一面を突いている

【注8】白ワインは、醸造過程で果粒を破砕して圧力を加えて流れ出たモスト(果汁)がアルコール発酵する前に果皮や種が取り除かれるため、色素がモストに移らない。よって、取り除かれたばかりの白ワイン用ブドウの果皮や種はアルコール発酵していない状態にある。よって、白ワイン用ブドウ品種のヴィナッチャからアルコール抽出するためには、事前に発酵させる必要がある。一方、赤ワインは果皮や種を含んだ状態でモストをアルコール発酵させるため、果皮の色素がモストに移って赤ワイン特有の色合いを呈する。グラッパの蒸留所に持ち込まれたヴィナッチャは、カンティーナの管理下ですでに発酵過程を終えているのである。素材の状態が品質の鍵を握るグラッパゆえ、傷みやすい白ワイン用ブドウのヴィナッチャを使用する場合は、その発酵にも神経を払う必要がある。

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