あるもの探しの旅

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白トリュフの魔力

 2006年秋のイタリア訪問のきっかけは、Slow Food協会が主催した「テッラ・マードレ2006」に料理人として招聘された山形県鶴岡市にある庄内ベジ・イタリアン「アル・ケッチァーノ」の奥田 政行シェフに「取材を兼ねてどうです、今回も一緒に? 」と誘われたから。というのは表向きで、アッシー君としての実績をシェフに見込まれたからに他なりません。

 詳細は機会を改めてご紹介しますが、2003年に奥田シェフがイタリア・マルケ州のオーガニックフェスティバルに招かれて料理を提供した際もイタリアに同行した私。宿泊先だった教会の神父が所有するワゴン車のキーを突然預けられ、食材の仕入れはもちろん、伝統食材の生産現場見学のために遥かモデナやパルマまで車で延べ数千キロを駆け回ったのですから。

 時として上がる同乗者の悲鳴をよそに、一向にスローにならない私の運転を評して「ジェットコースターみたいだ」と、つぶやいたのは同店の青柳マネージャー。(^0^;)お得意のスローとはいえない速さ(注1)で、スローフード協会の公式行事以外にも、ピエモンテ州ほかイタリア各地を今回も駆け巡りました。

◆「禁断の白トリュフ」

 2006年10月24日早朝4時過ぎのパリ・シャルル・ド・ゴール空港ターミナル。搭乗したエールフランスの空港職員の勘違いでトランジットの待ち時間に通されたのは、ビジネスクラス専用のサロンでした。そこに用意された飲み物やお菓子にあらかた手を付け、(「お土産~♪」と言ってマドレーヌを鷲づかみにしたのは、どこのシェフでしたっけ?)予期せず優雅なひとときを過ごしました。広大な空港をトリノまでの乗り継ぎ便の搭乗ゲートまで移動した後、朝7時30分とはいえ、まだ真っ暗なパリを離陸。朝焼けに染まるアルプス上空を越え、ほどなく霧の間に滑走路が垣間見えてきたトリノ空港に着陸したのが、定刻の8時45分でした。

Aeroporto.jpg.jpg【PHOTO】秋のトリノ周辺は霧が立ち込める事が多い。機上から垣間見たトリノ市街。万年雪を頂くアルプスがすぐ間近かに迫る

 そこで私たちを飛び切りの笑顔で出迎えてくれたのは、ピエモンテでの宿泊先となったアグリツーリズモ「Rupestr(ルペストゥル)」のオーナー、Giorgio Cirio ジョルジョ・チリオ氏。同年3月に奥田シェフの店で会って以来の再会です。いざ、予約していたレンタカーをピックアップして出発進行!と思ったものの、空港でローマから合流する予定だった私の友人が、機材故障のため到着が大幅に遅れるトラブルが発生。"ハプニングも旅の醍醐味"というプラス思考で空港を2時間あまり散策した後、巨大なFIATのワゴン車にスーツケースをぎゅうぎゅう詰めにして、ジョルジョが運転するプジョーの先導のもと、トリノ市内を経由してからモンフェラート丘陵の間を走る高速A21をスプマンテの産地として有名なアスティの手前まで疾走。アスティ県にある90キロほど南東にある町、カネッリに向かいました。

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【PHOTO】トリノからアスティへと向かう高速A21を激走するジョルジョの年季の入ったプジョー306。イタリアの高速道路における一番左側の車線は追越し車線である。定員一杯でスーツケースまで満載したジャッポネーゼが運転する車を先導しながらも、ジョルジョは終始ビュンビュン飛ばすのだった。(後部座席から青柳店長が激写)

 今回のツアーの同行メンバーは、奥田シェフほか青柳 孝フロアマネージャーと佳子夫人、同店の若手料理人・佐藤 渓治君と原田 健治君のアル・ケッチァーノ関係者5人。そしてRupestrの常連で仲介の労と通訳をお願いした盛岡在住の税理士・西川 温子さん、私と同じく奥田シェフに誘われて参加した料理雑誌「四季の味」の八巻 元子編集長と、私の友人を含めて車の定員いっぱいの総勢9名での移動となりました。

 スタートが遅れたため、途中で立ち寄る予定だったサレジオ会の創設者でカトリックの聖人ドン・ボスコゆかりの地、Castelnuovo Don Bosco カステルヌオーヴォ・ドン・ボスコへは後日立ち寄ることに変更。"まずは腹ごしらえ"と、メンバーが向かったのは、イタリアの各Guida(=レストラン評価本)での高評価はもちろん、イタリアのレストランには点が辛いといわれるミシュランのレッドガイドでも一つ星を獲得しているカネッリのリストランテ「SAN MARCO サン・マルコ」。奥様のマリウッチャさんがシェフ、ご主人のピエール・カルロさんがソムリエ兼フロアマネージャーというフェレッロ家による経営スタイルは、家族の結びつきが強いイタリアのリストランテではよくある形態です。人口一万人ほどのカネッリの町にあるこのリストランテでも、二人の日本人がその日は厨房で働いていました。ワインに目がない私が事前にWebサイトでチェックして「ココで食べたい!」と一目ぼれしたのは、地元ピエモンテ産ワインがズラリと並んだ地階のセラールーム「La Tavernetta」。その部屋を予約してもらうようジョルジョにお願いしてあったので、私たちが通されたのは、まさにその部屋の大きなテーブルでした。

      cuccina.jpg【PHOTO】この日SAN MARCO の厨房には、外国人のための教育研修機関「ICIF」でイタリア料理を学ぶ二人の日本人スタッフがいた

tavernetta.jpg【PHOTO】ピエモンテ州ランゲ地区の名醸ワインがズラリ。SAN MARCO のセラールーム「La Tavernetta」でゴキゲンなジョルジョと奥田シェフ

 テーブルには、一般的なスティック状のものと、薄く延ばした細長い形状の自家製だというグリシーニや大きなポルチーニ茸や野菜類が美しくセッティングされ食欲をそそります。

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【PHOTO】テーブル上のディスプレー。白い野菜がカルド・ゴッボ・ディ・ニッツァ・モンフェラート(上写真)自家製グリッシーニ2種類。グリッシーニ発祥の地はトリノだそうな(下写真)

 まずは、ジョルジョがチョイスしたカネッリにあるカンティーナ(=ワインの醸造元)CONTRATTOの辛口スプマンテで、彼の「カンパーイ」の流暢な日本語の発声のもと旅の無事を祈って乾杯。

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【PHOTO】CONTRATTOSPUMANTE'02は、長雨による厳しいヴィンテージを反映してか、残念ながら泡立ちや複雑味、奥行きがいまひとつ。かつてこのカンティーナの醸造責任者を務めた経歴のあるジョルジョも物足りなさ気だった

 予約したお任せコースは、フェンネル(=ういきょう)のクリームとフォアグラ、ジャガイモと自家製ソーセージ、豚の頬皮のサラミ・ポレンタ(注2)挟みフリットなどの5品のアンティパスト(前菜)で始まりました。

antipasti.jpg【PHOTO】動物性脂肪を多用するピエモンテ料理にしては比較的軽めの味付けから。アンティパストは大皿で登場

 そこに先ほどまで厨房にいた日本人スタッフの中村さんが、小学生の握りこぶし大ほどの大ぶりなタルトゥフォ・ビアンコ(=白トリュフ)を皿に6個ほど載せて登場。すると、えもいわれぬトリュフの芳香が部屋中に漂い始めました。いわく「グラム単位の計り売りになります。いかがされますか?」。

 野暮な質問はやめてくれ~。据え膳食わぬは何とやら。魅惑的な匂いをかがされたワンコ同然の私たちは、ピエモンテが誇る超・高級食材、白トリュフの産地に、しかも旬の真っ盛りに日本からわざわざ来ているのですから、頼まないはずがありません。きちんとグラム単価の説明を受けたかどうかは、視線がトリュフに集中するあまり記憶が定かではありません。それでも極めて高価な食材である事は充分知っているつもりで、メンバー相談の上オーダーしました。

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【PHOTO】トリュフを手に登場した日本人スタッフ中村君。私たちの視線は皿の上に釘付け

 テーブルにもディスプレーされている野菜「Cardo Gobbo di Nizza カルド・ゴッボ・ディ・ニッツァ」は、カネッリの北東8キロほどにあるNizza Monferratoニッツァ・モンフェラート周辺の砂の多い土壌で作られるアザミの一種。生育途中で一ヶ月ほど茎の部分を土中に埋めて白化させる伝統的な栽培法でスローフード協会からプレジディオ指定を受けています。

contartufo.jpg【PHOTO】ポルチーニのトルティーナ・フォンドュータソースと温製カルド・ゴッボ・ディ・ニッツァ

 そのカルド・ゴッボ・ディ・ニッツァを温製の付け合せにした「ポルチーニのトルティーナ・フォンデュータソース」には、シェフのマリウッチャさんが登場し、専用のおろし具で白トリュフをおろし始めました。その途端、先ほどまで部屋の中に漂っていた芳香が一段と強く立ちこめはじめたのです。

            mauriccia.jpg【PHOTO】あっけにとられている私たちにの脇に立ち、白トリュフをたっぷりとスライスするシェフのマウリッチャ・フェレッロさん

 白トリュフの最大の魅力である馥郁たる香りは、黒トリュフとは比べ物にならないほど強く、取引価格もイタリア産黒トリュフの3倍以上はします。その芳香は収穫された後、時間の経過と共に水分ともども失われてゆきます。日本に空輸された白トリュフをリゾットで食べたことがありますが、その時に感激した香りすら、比較にならないほど嗅覚を強く刺激する心地よい香りです。あわせるワインはジョルジョにお任せで、バローロやバルバレスコにも使われるピエモンテの代表的なブドウ品種、ネッビオーロをABBONAという作り手が仕込んだミディアムボディのNEBBIORO D'ALBA BRICCO BARONE'03

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【PHOTO】NEBBIORO D'ALBA BRICCO BARONE '03ネッビオーロ・ダルバ / ブリッコ・バローネ'03

 そこから、豪奢な白トリュフの饗宴が始まりました。まずは、持ち味の繊細極まりない肉質は地元で味わう生食でこそわかるという、これまたプレジディオ指定を受けたピエモンテ牛のタタキ料理「カルネ・クルーダ」。

carnecruda.jpg【PHOTO】ピエモンテ牛のタタキ「カルネ・クルーダ」

 次にピエモンテ州の伝統的パスタ、ピエモンテ訛りで「タヤリン」と呼ばれる小麦と卵黄で作る手打ち細麺パスタ「タリオリーニ」、肉やチーズ・野菜を詰め物にするキョウザのような形のラザニア「アニョロッティ・ダル・プリン」。

tayarin.jpg【PHOTO】タヤリンとアニョロッティ・ダル・プリン

 そしてピエモンテでもフランス国境に近い標高1,800メートルに位置するアルプス山中の村、クーネオ県カステルマーニョの澄んだ空気のもとで2年の熟成を経て作られる希少価値の高いチーズ「カステルマーニョ」をからめたニョッキ。

gnocci.jpg【PHOTO】 カステルマーニョチーズ風味のニョッキ

 これらの皿には、料理を覆いつくさんばかりのトリュフが贅沢にすりおろされました。料理自体の香りと味わいが、トリュフの放つフェロモンたっぷりの芳香によって増幅され、妙なる響きを口から鼻腔にかけて奏でるさまは、今でも鮮烈に記憶しています。かつては媚薬としても珍重され、今日でも世界の食通が鵜の目鷹の目で追い求めるアルバ産白トリュフ。料理の画像だけで、あの香りを皆さんにご紹介できないのが、返す返すも残念

 私たちが訪れた直後の2006年11月、アルバで行われたオークションで、香港の実業家が慈善団体へ寄付をするため自身が主催したチャリティディナー用に3個あわせて1.5キログラムになる大きな白トリュフを12万5千ユーロ(=約1,900万円)で落札したといいます。そんな白トリュフの魔力に魅入られた一行は、トリュフをすりおろすスライサーの手をせわしなく動かすカメリエーレ(=給仕)にSTOPをかける理性を、その時すでに失っていました。

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【PHOTO】仔ヒツジのリブロース・バローロソース

 メインディッシュ「仔ヒツジのリブロース・バローロソース」には、ピエモンテらしいしっかりとした味付けに負けないフルボディのワインが、ソムリエによってデキャンタージュされてサーブされました。バローロ・ボーイズ(注3)と呼ばれる優れた新世代の作り手PAOLO SCAVINOBAROLO'01は、'96年から6年間も連続したピエモンテのグレートヴィンテージ最後の年。さすがは秀逸な造り手の優良年だけあって、味わいの構成バランスが取れた良くできた印象のワインでした。

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【PHOTO】PAOLO SCAVINOパオロ・スカヴィーノのBAROLO'01。評価の高い畑指定のクリュものではないバローロでもさすがの味わい

 幸福な充足感に浸る私たちに、アスティ県の南端ランゲ地区ロッカヴェラーノで作られるプレシディオの山羊乳チーズ、「ロビオーラ・ディ・ロッカヴェラーノ」とアルバ産の「ロビオーラ・ディ・アルバ」が運ばれてきました。前者は熟成が進み山羊乳特有の酸味が薄れた香りが強いもの。後者は牛乳も混ぜたフレッシュなタイプで、熟成の度合いによって同じシェーブルチーズでも印象が全く異なりました。

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【PHOTO】(上写真/右側から)ロビオーラ・ディ・ ロッカベラーノとロビオーラ・ディ・アルバ(下写真)メレンゲほかピエモンテの焼き菓子数種

 この後に続いたドルチェは、ドライフルーツやナッツ類が入ったヌガー菓子「トローネ」とチョコレート、シチリアのマルサラ酒を使ったピエモンテ発祥のカスタード「ザバイオーネ」が添えられたクレームブリュレ、メレンゲと素朴な焼き菓子が美しく盛られた3皿。

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【PHOTO】(上写真)トローネとトリュフチョコ(下写真)クレームブリュレ・ザバイオーネソース

 強烈な芳香を放つ白トリュフを使ったフルコースをたっぷりと頂いたため、胃の物理的要因もさることながら、心因的な充足感から、ドルチェを口に運ぶのを躊躇するメンバーがほとんど。バローロの生産者として名高いMICHELE CHIARLOの食後酒「バローロ・キナート」(注4)で胃をすっきりさせ、何とかドルチェもほぼ完食しました。トリノまでの空路、2度提供された機内食の内容に閉口していた私たちは、イタリア到着早々、何とも贅沢極まりない食事よって、長いフライトの疲れを一気に回復したのでした。

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【PHOTO】MICHELE CHIARLOミケーレ・キアルロのBAROLO CHINATOバローロ・キナートは食後に楽しむDigestivoディジェスティーヴォ(食後酒)

 締めくくりのエスプレッソで豪奢なフルコースの余韻に浸っていると、食事の途中で用事のため中座していたジョルジョが戻ってきました。最初の見学先となる伝説のグラッパ職人ロマーノ・レヴィさんのもとを訪れる約束の時間が迫っていたのです。精算をお願いした伝票を見ると、料理代金が500エウロ(イタリアでは「ユーロ」を「エウロ」と発音します)、ワイン3種類5本で184エウロ、カフェ20エウロ、ミネラルウォーター18エウロ、タルトゥフォ218グラム×単価3.6エウロ=784.80エウロで、しめて1,506エウロ。出発時の為替レートは1エウロ=約153円だったので、23万円余りということになります。電卓をたたきながらも、にわかに一人当たり2万3千円という数字を信じられません。イタリア人が手書きした数字は独特のクセがあり、日本人には読みにくいため、ジョルジョに念のため確認しましたが、残念ながら間違いありません。ガ・ガ・ガーン ( ̄ロ ̄lll)・・・

 おいしい料理の後の幸福なマッタリモードに浸っていた私たちは、その時初めてトリュフの魔力に気付いたのです。西川さんには「到着早々のランチだから軽めに」とお願いし、ジョルジョもPiccolo Pranzo(=軽い昼食)と予約したのに、友人であるジョルジョの予約だったため、どうやら店側が品数をサービスしてくれたようです。☆付きリストランテの質の高い料理内容からして、料理の代金は安いくらいだったと、後にジョルジョは言っていたそう。想定外だったのは、事情通のジョルジョが不在にしている間、スライサーでトリュフを惜しげもなく振舞うカメリエーレに誰もストップをかけることなく、トリュフだけで12万円あまりが私たちのお腹にいつしか吸い込まれていったこと。(TT)/~~ 代金をクレジットカードでまとめて支払った私の友人は、到着初日の昼食で、早くも利用限度額を意識せざるを得なくなってしまい、なんとも気の毒でした。

 日本人が思い描くイタリア料理は、オリーブオイルやトマトソースで味付けされた魚介中心の南イタリアの食事かもしれません。しかし、フランスと地理的に近く、内陸に位置するピエモンテの料理は、肉食が中心で味付けに動物性の脂やバターを使用するため、ともすると重く感じられると聞いていました。SAN MARCOで出されたのは、まごう事なきピエモンテ料理。それでも女性シェフらしい細やかさと、サヴォイア王朝の都だった歴史を持つトリノの洗練された文化の影響からか、洗練された味付けが印象的でした。

リストランテ サン・マルコ
 * 住所:Via Alba 136 14053 CANELLI(AT)
 * URL:www.sanmarcoristorante.it

【注1】 イタリアの一般道における制限速度は、市街地が時速50キロ、郊外で90キロ、高速は130キロと法律で決められている。しかしその実態は・・・高齢ドライバーを除く大方のイタリア人は、市街地を出れば、そこはサーキット場と考えている。郊外の一般道における巡航速度は130キロを下回ることは稀。日本のように60キロほどで走ろうものならビュンビュン追い越されるはずだ。郊外の交差点は、ほとんどが合理的なロータリーになっており、信号機だらけの日本のように、ストップ&ゴーで燃費を悪化させる弊害はない。もっとも信号があってもローマ以南では、信号を守るドライバーのほうが珍しいかもしれない。それでいて暗黙のルールは存在し、運転の上手なドライバーも多いため、とてもスムーズに走れる(と、思う)。「WHEN IN ROME , DO AS THE ROMANS DO = 郷に入っては、郷に従え」が身上の私は、イタリア式の流儀にのっとって走っただけである。(・・・って開き直りだろうか?)

【注2】トウモロコシの粉を水で溶いて弱火にかけ、40分から1時間以上(事情通によれば、本人が納得するまでらしい)、ひたすらかき混ぜてトロトロになるまで煮込む北イタリアの伝統的な家庭料理。パイオーロと呼ばれるポレンタ専用の銅製の鍋もある。北イタリア各地で、さまざまに味付けがされ、特に小麦の栽培が困難な土地のやせた山間地でよく食べられる。最近は時間がかかる本来のものではなく、3分ほどで出来上がるインスタント製品も出回っている。
 
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2005年3月に庄内を訪れたイタリア・マルケ州アルチェヴィアのSindaco(=町長)シルヴィオ・プルガトーリ氏ら訪問団のメンバーの一人アルフィエーロ・ヴェルディーニ氏から贈られた年季もののパイオーロ

【注3】名醸地ピエモンテでは、1980年代初頭までは、大手の酒商がワインの販売権を独占しており、「ワインの王」バローロや「ワインの女王」バルバレスコにおいても、ブドウ生産者が栽培から醸造まで一貫して行う「生産者元詰め」は、ジャコモ・コンテルノやバルトロ・マスカレッロなどの20軒ほどの事例を除いて行われていなかった。酒商によって買い叩かれたブドウ生産者は、いきおい多産に走り、ブドウとワインの品質低下を招いた。そのような状況を打破するべく、'80年代中頃にブルゴーニュのような畑の区画指定「クリュ」の概念や、ブドウの少量生産、バリックによる熟成といった手法を導入した次世代が登場した。彼らが生み出したバローロやバルバレスコは、ブドウ生産地として本来恵まれた土地であったピエモンテの世界的名声を一気に回復させた。それら新たな手法でワイン元詰め生産を行ったピエモンテの生産者第二世代の総称が「バローロ・ボーイズ」

【注4】ほぼピエモンテ州内のみで食後酒として飲まれるほろ苦く甘い酒。南米アンデス原産のキナの木の樹皮に含まれるキニーネというマラリアの特効薬となる成分や数種類のハーブやスパイスをブドウ果汁由来のアルコールに溶かし込み、バローロを加え補糖したデザートワイン。作り手によって味はさまざま。

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