あるもの探しの旅

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藤沢周平の故郷の味

藤沢カブ @鶴岡市湯田川

 作家・藤沢周平のペンネームの由来となった鶴岡市藤沢地区。信仰の山・金峰山(きんぼうさん)の西側、湯田川温泉のすぐ南東にある集落です。その周辺の山中で在来野菜「藤沢カブ」が作られています。鶴岡でも酒造りが盛んな大山地区にある漬物の老舗「本長」がこの藤沢カブを通年商品のたまり漬や季節限定の甘酢漬で売り出しています。
 
 鶴岡市(旧温海町)の一霞(ひとかすみ)地区周辺の山中で栽培される在来野菜「温海カブ」と比べて、幾分辛味が強い藤沢カブは、葉をつけたまま味噌と酒粕で味付けされて煮込む「蛸汁」(形状が名前の由来だろう)や漬物に加工されて、地元で食されてきました。その甘酢漬けは、発酵食品つながりでしっかりとした赤ワインと最高のアッビナメント(マリアージュ)をしてみせます。

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【PHOTO】イタリア・トスカーナ州Castellina in Chianti カステリーナ・イン・キアンティのCastello di Fonterutoli カステッロ・ディ・フォンテルートリの上質な赤ワイン「Siepi シエーピ」と見事な相性を発揮する藤沢カブの甘酢漬
 
 畑でもぎたてをかぶり付くと、すがすがしい辛味と微かな甘味が交差するこの細長いカブを現在栽培するのは、藤沢地区に暮らす後藤勝利(まさとし)さん(65歳)と清子さんご夫妻らのわずかな農家だけ。

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【Photo】2004年(平成16)の秋、鶴岡市の南東部に位置する金峰山の麓に切り開いた畑で、仙台からバスで見学に訪れた「ikuのイタリア料理教室」一行を出迎えた後藤さんご夫妻

 かつて羽黒町(現・鶴岡市羽黒町)手向(とうげ)地区でも同様のカブが栽培されていたため、「手向カブ」と呼ばれていたこのカブは、昭和30年代後半までは同地区で盛んに栽培されていました。ところが、ヒゲ根が増える連作障害が出やすいために、栽培地を毎年変えなくては商品価値が下がる上、急斜面での危険な作業となるため、地区の高齢化も手伝って年を追うごとに生産者が減っていったのです。そして昭和60年を過ぎる頃には渡会美代子さんただ一人が手がけるだけとなっていました。

 1988年(平成元年)、60代半ばを過ぎた渡会さんが " 先祖から受け継いできたこのタネを絶やさないで " と盃一杯分ほどの自家採種した種を後藤さんの奥様に託されたのだそう。以来後藤さんご夫妻は、温海カブを栽培する山の一角でこのカブを大切に育ててきたのです。もはや手向地区では絶滅したといわれる今、ご夫妻の努力で復活を遂げつつあるこの在来種は、地区の名前をつけた「藤沢カブ」と呼ばれています。

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【Photo】収穫したての「藤沢カブ」。カブとはいえ、形状は細長い。葉を含まない根の部分の長さは15cmほど。

 水捌けの良い山の斜面での栽培に向くため、森林維持のために計画伐採される山の区画探しから毎年作業は始まります。

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【Photo】2006年(平成18年)に藤沢カブの栽培をした区画の火入れ前日の様子。火を放たない山との境界は、延焼を防ぐために落ち葉を取り除き、下草を刈るなど丁寧な前処理がされる

 お盆前後の酷暑の時期、まだ薄暗いうちに火が放たれます。日の出を過ぎる頃まで、周囲の樹木に放水しながら付きっきりの作業は、深山の急斜面で火を扱うゆえ、細心の注意を要します。

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【Photo】一気に炎が燃え広がらぬよう、周囲の低木や枝が刈り取られた斜面の上部からまずは火が放たれる

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【Photo】まだ夜が明けきらぬうちに始まる焼畑作業。7~8人が分散して火勢を見守る中、徐々に炎が下方向に広がってくる

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【Photo】炎には後藤さんの目が常に注がれ、必要に応じて周辺の樹木に放水の指示がされる

 火がまだ燻っているうちに種が撒かれ、10月末から収穫が始まります。毎年区画を変えるため、急斜面ゆえの命綱張りや、年によっては収穫したカブの搬出に使うロープウェー作りなどのインフラ作りを、すべて最初からやり直さなくてはなりません。

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【Photo】山道脇にしつらえられた搬出用ロープウェー。深い谷を越えた向こうに見える木が伐採された小山は、アル・ケッチァーノ奥田シェフが初めて藤沢カブと出合った年の2003年(平成15)秋に、案内された焼畑だった場所。後藤さんが収穫後に植林した苗木と、自然の回復力によって緑が戻りつつある(撮影:2004年夏)

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【Photo】収穫したカブは空中を通って運ばれていく(撮影:2003年11月3日)

 まだ薄暗い早朝、親類縁者総出で斜面に火入れをする後藤さんに、傍目にも大変な手間をかけカブを受け継ぐ苦労話を伺おうとすると、「苦労だなんてとんでもない。楽しみでこの仕事をしております」と実に柔和な笑顔で応じられました。「このカブラがめごくての(「かわいくて」の庄内弁)」とも。そう語る後藤さんの傍らでは、孫のほのかちゃん(10歳)が「夏休みの自由研究にするんだ」と作業の様子を見守ります。

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【Photo】小学校4年生の夏休みの自由研究テーマはズバリ「藤沢カブ」だというお孫さんの後藤ほのかちゃん。ほのかちゃんと後藤さんは、後に絵本作家のつちだよしはる氏によって、絵本化された

 初めて後藤さんの畑を訪れたのは、私が山形を担当していた2003年(平成15年)の秋。山登りさながらの急斜面に張られたロープを伝って辿り着いた小山の頂きに開けたカブ畑で遊んでいたのが彼女でした。

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【Photo】谷を越え山道を徒歩10分弱。後藤さんのもとに案内してくれたアル・ケッチァーノの奥田シェフ一家と、カブが育つ急斜面に張られたロープを伝って畑へ向かう

 収穫したての藤沢カブに噛り付くほのかちゃんの姿は、私に強い印象を残しました。じいちゃん・ばあちゃんの仕事ぶりをこうして目にしながら、次の世代へとこの稀少なカブは受け継がれてゆくのだ。抜けるような青空の下、山中に広がる藤沢カブの畑で、象徴的な光景に出合った私はそう確信したのです。

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【Photo】服で土を2、3度ぬぐっただけの藤沢カブにかじりつく後藤ほのかちゃん(当時6歳)

 アブラナ科に属するカブは、4月末から5月にかけて、菜の花のような黄色い花を一斉に咲かせます。翌年に栽培するカブの採種のため、収穫しなかったカブたちが花をつけるのです。この時期に一霞地区を訪れると、山の斜面のところどころに黄色い温海カブの花が咲いているのを目にします。

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【Photo】眼下に庄内平野を望む金峰山中に突如開けた菜の花畑。深山での予期せぬ展開に息をのんだ

 2005年(平成17)の春、後藤さんに教えていただいた美味しい湧き水を汲むために金峰山中に車で分け入りました。そこで後藤さんの藤沢カブの畑が、一面の菜の花畑に化している光景と偶然に遭遇しました。うららかな春の日差しのもと、田園風景を背景に広がる菜の花畑の光景は、あたかも極楽浄土のよう。

 その感動を再び味わいたくて翌年春、栽培区画を移動した藤沢カブの畑を訪れました。記録的な豪雪だった冬と、春先の寒さの影響で開花が幾分遅れ気味のようでしたが、深山の急斜面で人知れず広がり始めた黄色い可憐な花々に心和んだのでした。

 食してよし、愛でてよし。ありがとう、後藤さん。

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【Photo】自家採種のために残したカブが黄色い花をつけ、厳しかった冬の終わりと春の訪れを告げていた
▼藤沢カブの漬物に関する問い合わせは・・・つけもの処「本長」 ☎0235(33)2023
http://www.k-honcho.co.jp


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