あるもの探しの旅

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庄内系転生伝説 第二章 

アル・ケッチァーノ、そして庄内発見伝
河北ALPHA取材の舞台裏

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【Photo】日本海に没する夕陽。鶴岡市由良海岸にて

 私が仙台から山形へ"通勤"していた2003年(平成15年)、東北の太平洋側は記録的な冷害に見舞われました。7月から8月にかけてオホーツク海高気圧が優勢であったこの年、「やませ」と呼ばれる北東の海風が東北の太平洋側に吹き付けました。この湿気を帯びた冷たい風が、障壁となる奥羽山脈に遮られると、山の東側に雨雲が発生します。その雨雲は、そぼ降るシトシト雨と深刻な日照不足に起因する肌寒さを東北の太平洋側にもたらします。
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【Photo】「やませ」が吹いた7月のある日、宮城県側には雨雲がどんよりと垂れ込み、冷たい霧雨が降り続く。山形自動車道・笹谷ICから庄内へと向かう途中地点で撮影
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【Photo】宮城-山形県境の山形自動車道 笹谷トンネル。山形側出口からは眩しい陽光がこぼれ、劇的に天気が変わる

 この年、7月の仙台の日照時間は平年の1/3以下、平均気温は18.4度と観測史上最低を記録。気象庁は8月初旬にいったん発表した東北の梅雨明けを、その後も続いた天候不順のため、結局9月になって「梅雨明けを特定し得なかった」と訂正しました。

 東北の太平洋側は、この年、夏を忘れてしまったのです。

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【Photo】夏の日差しが降り注ぐ山形自動車道 山形蔵王ICからみた宮城県との県境の山には、北東の冷たい風によって雨雲が発生している
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【Photo】山形自動車道 寒河江SA付近から。奥羽山脈には延々と雨雲のヴェールがかかる。上記4枚の写真は、やませの影響で一変する天候を宮城~山形を車で移動しながら撮影したもの

 そんな中、私は宮城・山形県境を越えて山形へと通勤していました。太陽が全く顔を見せない太平洋側と違って、奥羽山脈によって雨雲が遮られる山形県側には、まぶしい夏の太陽が照りつけていました。かたや、冷たい雨に濡れる青立ちの穂波が続く宮城県側の惨状は目を覆いたくなるほど。そのように笹谷峠・関山峠・鍋越峠・二井宿峠など、県境を越えると、天候が劇的に変化するさまを、毎日のように目の当たりにしていました。山をひとつ隔てるだけで、かくも天候が変わるものかと私は驚きを禁じえませんでした。かの川端康成であれば、そのありさまを「県境の長い笹谷トンネルを抜けると南国であった。昼の空が青くなった。」とでも表現したのでしょうか。【注1】

Puglia otranto.jpg【photo】日がな一日をダラダラと海辺で過ごすイタリア式極楽ヴァカンス。海が美しい南イタリアPuglia プーリア州otrantoオートラントにて

 イタリア人は夏のバカンスシーズンになると、こぞって陽光溢れる海辺を目指します。DNAに残る前世の記憶がそうさせるのか、深刻な日光欠乏症に陥っていた私は、ギラギラした夏の日差しと、輝く海辺に飢えていました。そのため、週末もおのずとまばゆい太陽のもと、青い海が広がる庄内へと足が向くのでした。その名の通り、山形県は起伏の多い地形によって、最上・村山・置賜・庄内の四つのエリアに分かれます。四方を山々に囲まれた風光明媚な内陸各地の変化に富んだ風景も魅力的でしたが、日本海に向けて開かれた庄内の風土と、そこに暮らすラテン気質のおおらかな人々に、より惹かれたのは必然の結果だったのかもしれません。

 抜けるような青空のもとに広がるのは、連山を従えてどっしりと構える霊峰・月山と、すらりとした姿が対照的な秀峰・鳥海山を背景に、青く輝く田んぼが広がる瑞穂の国の原風景。そして、澄み切った青空を一面の茜色から深紅に変えてゆきながら日本海に沈みゆく夕陽の表情豊かな様相でした。ゆったりとした時間が流れ、優しい空気感が漂う庄内の魅力と、肥沃な大地と日本海がもたらす生命力に満ちた旬の恵みから、私は元気と活力をもらっていました。

 こうして庄内への距離感は一気に短縮していったのです。

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【Photo】庄内での仕事を終え「仙台に戻る前に、軽く腹ごしらえでも」と立ち寄ったアル・ケッチァーノ前で。車を降りると西の空が茜色と亜麻色が入り混じる残照に輝いていた。夏の庄内の夕焼けは息を呑むほど美しい。長距離運転で疲れたカラダを生き返らせる食事の後、再び 140キロ以上離れた自宅へ戻った。そんなタフな日々を送っていた翌年の冬、この看板は庄内特有の猛烈な季節風で倒壊してしまった

 5月にたまたま立ち寄って以来、アル・ケッチァーノで口にする庄内産の食材は、どれも生命力に溢れ、不思議な活力を与えてくれるものでした。3枚の黒板に列記される多彩な食材。それを提供する生産者と奥田シェフの人的ネットワークは、いかに作られているのか? それらは、どんな人たちが、どんなところで作っているのか? という興味が店に通いつめるうち、だんだんと湧いてきました。

 懐が深いその地の魅力に触れた私は、その年の9月末に発行予定だった月刊情報誌「河北ALPHA」の特集「秋色小旅行」《Link to PDF 》で取り上げる山形エリアの情報を庄内に的を絞りました。前述の通り山形内陸地方から仙台に向けて発信される情報は、仙台の百貨店が催す山形物産展を見ても明らかなように、蕎麦・果物・玉こんにゃく・漬物ばかり。変わりダネといっても、モノは試しと一度だけ食べて以降、二度と口にしていない氷が浮いた「冷やしラーメン」や鶏モツが入った「とりもつラーメン」程度。そういったパターン化された情報に私は食傷気味でした。それと比べて、遥かに多種多彩ぶりが窺える庄内の食事情は、いかにも魅力的に映ったのです。ましてや仙台人はその事実をほとんど知りません。日本海と豊かな山々に挟まれたそこには、未知の食材が埋もれているようでした。

tasogareseibei.jpg【photo】山田洋二監督の映画「たそがれ清兵衛」〈予告編〉より

 酒井家が治めた城下町鶴岡の落ち着いた佇まい、北前船交易で栄えた湊町酒田の粋、出羽三山の山岳信仰が遺した独自の文化。この土地には人を包み込むような優しさと、奥ゆかしい魅力があるのに、仙台の人々はそれをほとんど知らない。山形県と一口に言うもののも、山形県下をくまなく回るうちに、庄内と内陸では全く人々の気質や培われてきた文化が違うことを、肌で感じていました。今でこそ鶴岡出身の作家・藤沢周平の再評価で衆目を集める庄内ですが、その頃は映画「たそがれ清兵衛」が前年末に公開されたばかり。相変わらず仙台からは月山の手前しか視野に入っていなかったのです。

 万人をあまねく惹きつけるのは美味しい食べ物。そこで「豊饒なる食の里・庄内」をテーマにした取材を "庄内の食の語り部" として最適任であろうアル・ケッチァーノの奥田シェフに申し入れました。

 8月初旬の爽やかに晴れ渡った朝、店の前で待ち合わせをした奥田シェフと合流しました。そこからは、シェフの自家用車に乗り換えての移動です。ふと後部座席に目をやると、泥だらけの長靴やら、野菜の切れ端が入ったダンボールなどが雑然と転がっています。その様子に一瞬たじろいだものの、そこは見て見ぬフリ。カメラを手に助手席に潜り込みました。

 すぐに「仕入れをしながらご案内します」というシェフの話が始まりました。「ボクは月山と心が通うんです。念を送れば雨雲だって晴らしてもらえるんですよ」。うーむ。霊峰月山と交信するとは、修験道の徳を積んだ聖者か天狗の仕業。にわかには信じ難い話を真顔で語る運転席の天狗シェフは、鼻高々どころか至って低姿勢でした。その言葉通り、シェフに取材の段取りを取ってもらった訪問先では、たとえ小雨混じりの天気でも、そこに到着すると何故か雨が上がり、薄日すら射すことが続いたのです。それに味をしめた私もすっかり増長して、「私がそちらに行く時は、月山にお願いして晴らしておいて下さい」などと、電話でお願いするようになっていました。するとシェフは、その都度いつもの脱力系な鼻に抜ける声で一言、「やっときまーす」。(⇒「晴れるよう月山に念を送っておきます」という意味だと思われるが、定かではない)

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【Photo】開店当初からの固い信頼関係で結ばれていた奥田シェフと今野恵子さん(撮影:2003年8月)

 まず案内された先は羽黒町(現鶴岡市羽黒町)黒瀬の契約農家、今野恵子さんの畑でした。今野さんは、奥田シェフが独立した平成12年当初から、毎月定額を支払い、無農薬で野菜の生産を委託している生産者です。今野さんの畑は土壌や水分が異なるという四箇所に分散していました。空のダンボール箱を手に畑に入ってゆくシェフが、朝露に濡れた雑草をかき分けるたびにバッタや蛙がピョンピョン。シェフは摘んだ野菜をそのまま口に含みながら、無造作に私にも差し出します。仙台育ちの私は、畑から採ったばかりの野菜を洗いもせずに食べたことなど、それまでありませんでした。「天候によって味が変わるので、毎朝こうやって味見しています」。雨降りの日には優しい味に、好天続きだと、やんちゃな強い味になるのだそう。いくら無農薬栽培とはいえ、赤ん坊のように何でも口に運ぶシェフには驚きを禁じえません。見よう見まねでモグモグする私の隣で、彼は的確に野菜の味の微妙なニュアンスを言い当ててみせました。・・・驚くべき味覚能力。これなら料理人としては鬼に金棒。いや、天狗に金棒か? 

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【Photo】仕入れ(?)中の奥田シェフの真剣な表情。今野さんの畑の脇にある草むらで何やら物色中。近寄ってみると自生するアサツキ(⇒当然仕入れ原価ゼロ!)を採っていた(撮影:2003年8月)

 「オンエアを見てね」という電話が本人からくる以上、番組の感想を伝えるためにチェックせざるをえない奥田シェフを紹介する後発のテレビ番組では、多くの場合、いかにもテレビ受けしそうなモグモグシーンを取り上げているのには笑ってしまいます。最初にに私が驚いたのと同様、取材クルーにとっては、よほどインパクトがあるのでしょう。そうしたテレビや雑誌の取材要請が増えた最近は、当時は何もなかった今野さんの畑のひとつに al.chè-cciano の看板が立つまでになりました。
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 今野さんの畑で野菜を味見しながら組み立ててゆくその日のメニューで、確保できなかった野菜や山菜などを補充するという産直「あねちゃの店」は、同町狩谷野目にある四つ目の畑から車でわずか25秒の至近距離にありました。羽黒山に向かって車で走っている場合は、手書きのヘタウマな看板が掲げられたトタン張り外装というこの店は、ともすると見過ごしてしまいそう。店内に足を踏み入れると、そこは近郊の農家が持ち寄る農薬や化学肥料の力に頼らない露地もの夏野菜であふれ返っています。朝採りの新鮮な葉物が一袋80円、庄内砂丘で栽培されるマスクメロンのなかで、曲がっている、ちょっとしたキズが付いているというだけの一方的な流通・小売サイドの論理で「規格外」という烙印を押された形が不揃いなマスクメロンが4~5個入って一袋800円などなど。
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【Photo】あねちゃの店。野菜の調理法など、判らないことは、何でも店番の"あねちゃ"に聞いてみよう

 民田ナス・沖田ナス・だだちゃ豆などの個性的な夏野菜が所狭しと置かれた店内を物色していると、今野恵子さんの名が付いた野菜も並んでいます。それを買い求めようとすると、先ほど畑でお別れしたばかりのご本人が野菜を手に登場したではありませんか。これぞ産直!!「お代は要らないから持っていって」と仰る今野さん。「(すぐ生えてくる)雑草とのイタチごっこなのよ、今の時期は」と、つい先ほど畑で語られた今野さんの誠実で手間のかかるお仕事振りを見てきた以上、対価をお支払いしないわけにはゆきません。固辞する欲の無い今野さんを傍らに支払った飛びっきり新鮮な葉物二把の代金は160円。申し訳ないような値段でした。

 現在では、仙台在住の私でも「いつもどーもー」と声を掛けられる常連となったこの店。旬には、栽培ものだけでなく、周辺の山が豊かな証(あかし)といえる山採りのさまざまな山菜やキノコが持ち込まれます。山アスパラとも呼ばれる「しおで」【注2】や、天然ものの珍しいキノコも店頭に並ぶこの店のオーナー佐藤典子さんは、シェフにとって知恵袋のような存在です。「あねちゃ」から教えてもらう素材の使い方と、伝統的な調理法も彼の創作イタリアンのヒントになっているようでした。

 店で野菜・山菜類の仕入れを終えて向かったのは、赤い大鳥居が道路を跨いで建つ羽黒山神社へと伸びる道。そこを運転しながらも、シェフの人を煙に巻くような話が続きました。

「(ご神域との境界に建つ)この大鳥居を越えると、土壌が柔らかくガラッと良くなって、作物の出来が違うんですよ」 ⇒〈以下、私の心の声〉ふ~ん、そうなのかぁ。
「この近くの名勝『玉川寺』の庭には、夜な夜な源氏蛍と平家蛍が交互に集まる木があります」 ⇒へぇ~。(眉に唾をつけながら)
「庄内にはミズの道や、野いちごの壁、野カンゾウの沢など、いろんな食材の秘境があるんです」 ⇒どんな秘境だか想像つかんわ!
「なんちゃってトスカーナの丘、なんちゃってアマルフィ海岸、なんちゃってロンバルディア平原だってあります」 ⇒(地名から風景の想像はつくものの)なんのことやら???
などなど。

 そんな奥田節が炸裂するなか、次はいかなる深みへと誘(いざな)われるのか判らぬまま、私は車に揺られていました。感覚をつかさどる右脳を全開にしてもなお???なシェフの話。その整理がつかないまま、霊験あらたかな月山へと車窓から視線を泳がせていました。この後に起こる奇跡のことなど露知らずに・・・。この後に起こったえっ~!!っというミラクルな展開は、いずれご披露します。


【注1】申すまでもなく川端康成の名作、「雪国」の「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった」という書き出しを意識している

【注2】イタリア・ヴェネト州では、「Bruscandoliブルスカンドリ」の名で呼ばれ、リゾットで食べられることが多いが、作付け数を減らしており、幻の野菜となりつつある。写真は旧・朝日村(現・鶴岡市)越中山の進藤 亨さんが栽培するシオデ。進藤さんは奥田シェフから依頼されて、特産のヤマブドウを仕込んだ恐らくは日本で唯一の「アチェート・バルサミコ・トラディツィオナーレ」造りに協力している
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