あるもの探しの旅

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そしてトリノ

イタリアらしからぬ街・トリノ

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【Photo】トリノのシンボルMole Antonelliana モーレ・アントネッリアーナ

 Slow な国際イベント「テッラ・マードレ」と「サローネ・デル・グスト」に参加するため降り立った街トリノ。このイタリア第4の都市は95万の人口を擁します。人口が分散するヨーロッパの基準では、"大都市"の部類に入るでしょう。トリノ旧市街の中心にあるPiazza Castello カステッロ広場に面して建つ Duomo di San Giovanni Battista サン・ジョヴァンニ・バッティスタ大聖堂に磔死したキリストの遺骸を包んだと伝えられる聖骸布 Sindone が納められていることでも知られています。

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【Photo】屋上に周回テストコースがある巨大な FIAT の旧本社工場リンゴット。写真右の大きな建物がサローネ・デル・グストの会場となる「リンゴット・フィエーレ」。手前はリンゴット鉄道駅。巨大な赤いアーチの手前には、トリノ五輪で選手村となった施設 Villagio Olimpico ヴィラッジョ・オリンピコがある( Photo:Torino市webサイトより)

 自動車メーカー FIAT Autoフィアット・オートのほか、フェラーリ・アルファロメオ・マセラッティ・ランチアといった名門メーカーを傘下に納める FIAT フィアットLink to Websiteは、トリノに本部を構える自動車を中核とするイタリア最大の企業グループ。

 国内自動車生産台数の7割以上を占めるトリノは、イタリア自動車産業の中心都市というのが一般的なイメージかもしれません。FIAT の社名は Fabbrica Italiana Automobili Torino (トリノのイタリア自動車工場)の頭文字を並べたもの。Bayerische Motoren Werke (=バイエルンのエンジン工場)の頭文字を社名としたドイツ南部バイエルン州ミュンヘンが本社の BMW と同じですね。

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 長らく業績低迷が伝えられたFIATですが、ここにきて復活の兆しが。2005年に発売した Grane Punto グランデ・プントは、2006年の欧州27ヶ国での販売台数が対前年150%を記録して好調。創業100周年の'99年に導入した青地ベースの旧ロゴマークを赤地ベースに一新した2007年7月に往年の名車 500(チンクエチェント)を50年ぶりにリニューアルしました。最近ではBRICs諸国の自動車メーカーと積極的に業務提携するなど、攻勢に転じています。

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【Photo】2007年7月、トリノで発表された新型チンクエチェント。50年前に発売されて以降、これほど広くイタリアの人々に愛された車はないだろう。ノスタルジックな雰囲気をうまく融合させた新型は、グランデプントと並ぶ新生FIATの自信作(Photo:FIAT webサイトより)
FIAT・Alfa Romeo正規ディーラー「ideal 」サイトはこちら⇒ideal_hp.jpg 

 フェラーリやアルファロメオなどの車のデザイン・設計・生産を手掛ける「Pininfarina ピニンファリーナLink to WebSite、プロダクトデザインの巨匠ジウジアーロ率いる「Italdesign イタルデザインLink to Websiteなど自動車関連企業もトリノに本拠地を置きます。

 私たちが参加したサローネ・デル・グストの会場となった「Lingotto Fiere リンゴット・フィエーレ」は、FIAT の旧工場「Lingotto リンゴット」跡地を再開発した一角に作られた国際コンベンション施設です。1923年より稼動した FIAT の生産工場は、1階の部品加工から始まる流れ作業を各フロアで進め、螺旋状のスロープで完成ラインの5階まで上がってゆく画期的な構造で、屋上には全長1,100メートルに及ぶテスト走行コースを備えていました。1982年に閉鎖された旧工場跡は、現在1・2階が「8 Gallery オット・ギャラリー」という名の広大なショッピング・飲食(内容は...)・映画館などの複合施設に、3・4階はホテルに生まれ変わっています。

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【Photo】かつてはFIAT の生産ラインだったリンゴットのスロープ。複合商業施設「8 Gallely 」に生まれ変わった今は、ショッピングを楽しむ人々が行き交う。頭上を見上げると、ベルトコンベアを車の生産ラインに導入し、欧州で初めて流れ作業を実現させたスロープがらせん状に伸びていた

 2007年1月27日、オット・ギャラリー北側隣接地に欧州最大規模の食のテーマゾーンが誕生しました。その名も「Eataly Torino イータリ トリノ」。Eataly は、"Eat" と"Italy"の英語を掛け合わせた造語です。ここは質の高いイタリア食材を扱うオンラインショップ「Eatalyclicca quiが経営するイタリアを中心にEU各国の食品・飲料を取り揃えた食のテーマパークというべき施設です。スローフード協会もプランニングに参画したこの施設は、4年の準備期間を経て建設されました。ワイン醸造家によるセミナーや有名シェフによる調理講習会が定期的に行われて人気を博しているようです。その中には2007年3月に宮城・ローマ交流倶楽部が招聘して仙台でピエモンテ料理を紹介したステファーノ・パガニーニ氏も含まれています。

【Photo】2007年3月、仙台国際ホテルでピエモンテ料理を紹介した際のステファーノ・パガニーニ シェフ(下写真)。イタリア旅行情報で、信頼が高い「ツーリング・クラブ・イタリアーノ」2007年版が選ぶ「明日のトップシェフ四人」の一人に選ばれた26歳のパガニーニ氏は、ピエモンテ州クーネオ県Canaleカナーレにあるプチホテル兼リストランテ「Villa Tiboldi」で活躍中

stefanopaganini.jpg Eataly 一階には物販と飲食ゾーンに加え、ワイン製造について学んだり、食に関する数千冊の書籍を閲覧できるスペースなどもあります。物販ゾーンには野菜・果物・鮮魚・精肉などの生鮮品から、スローフード協会がプレジディオ指定しているものを含め、150種以上のイタリア各地の食肉加工品、200種のチーズなどの食材がずらり。

 二階はカクテル「マティーニ」のベースとなり、食前酒としても親しまれるリキュール Vermouth ヴェルモットの製造会社「CARPANO カルパーノ」の博物館になっています。Eataly の建つ場所は、もともとカルパーノ社の製造工場だったそうです。

 トリノの基幹産業である自動車の歴史を知りたければ、ポー川沿いの大通り Corso unità d'italia (=イタリア統一通り)に面して建つ Museo dell'Automobile Carlo Biscaretti di Ruffia トリノ自動車博物館へ。無機的な外観を持つ建物内部には約170台のイタリア国内外のレーシングカーや市販された美しいスタイリングを持つ新旧の名車が展示されています。イタリア自動車産業の歩みに触れられるそこには、巨匠ジウジアーロが、自身も傑作だと自負する Alfa Brera のコンセプトプロトタイプモデルが展示されていました。
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【Photo】市販モデルとは異なり、上に跳ね上がるガルウイングドアを装備した Alfa Brera のプロトタイプ

 私が一目惚れし、衝動買いしたこのアルファロメオのクーペBrera は、トリノ近郊4ヵ所に分散したピニンファリーナの施設のひとつトリノ北部のコムーネ San Giorgio Canavese サン・ジョルジョ・カナヴェーゼで生産されます。1960年に開館したトリノ自動車博物館は、展示内容をより充実させるため、私が訪れた翌'07年4月から改装のため約一年の休館に入るとのことでした。

 そのほか、トリノに拠点を持つ企業は、ベルモットの製造元「MARTINI e ROSSI マルティーニ・エ・ロッシLink to website〉(年齢確認の上閲覧可能)、スポーツウエアの「Kappa カッパLink to Website、詳しくは次回に譲りますが、チョコレートの老舗「Caffarel カファレルLink to Website〉など。

 Calcio (=サッカー)好きにとってトリノは、イタリア一部リーグセリエAで最多の27回、ヨーロッパ・チャンピオンズリーグ2回の優勝を果たした名門クラブ「Juventus ユベントス」の本拠地として知られます。日本でも大きく報道された審判買収スキャンダルのため、2006年シーズンは二部のセリエB に降格となり、同年 FIFA ワールドカップ・ドイツ大会でのアズーリ優勝の立役者、DFカンナバーロやDFザンブロッタが移籍してしまいました。一方でチームに残留した主力のFWデル・ピエーロやGKブッフォンらが格の違いを見せつけてシーズン優勝。来季セリエA への復帰を決めました。

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【Photo】トリノ中心部から北東の郊外、海抜670mの高台の頂きに建つスペルガ聖堂

 トリノにはもうひとつのクラブ「Torino F.C.」が存在します。前シーズン('06-'07)、4年ぶりにセリエAに復帰したこのチームには Tragedia di Superga (=スペルガの悲劇)として語り継がれる出来事がありました。5期連続の一部リーグ優勝という偉業達成を目前にした1949年5月4日、ポルトガル・リスボンで行われた親善試合からの帰途にあったトリノF.C.の選手を乗せた航空機が激しい雷雨に見舞われました。雨と霧で視界を遮られた飛行機は、17時05分、操縦を誤り、トリノ郊外の高台にあるスペルガ聖堂の外壁に墜落。選手18名と監督らスタッフ5名を含む乗員乗客31名全てが命を落としたのです。

 Grande Torino (=偉大なるトリノ)と呼ばれたチームは、控えとユース選手で何とかシーズン優勝を果たします。しかしイタリア代表アッズーリにも名を連ねる主力選手たちを失った痛手はあまりに大きく、その後はセリエB に転落、長い低迷の時代を経たのです。機上から雲間に浮かぶ姿を見せたスペルガ聖堂には、今も事故の犠牲者を悼む慰霊のモニュメント(下写真)が残ります。

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 興行用映画の撮影スタジオと「Itala Film イタラフィルム」などの映画制作会社が初めて作られたのもこの町。1930 年代、ムッソリーニが首都ローマに大規模な撮影施設 Cinecittà チネチッタを設立するまでは、トリノはイタリア映画産業の土台を支えていたそうです。現在はMuseo Nazionale del Cinema 国立映画博物館として使用されている「Mole Antonelliana モーレ・アントネッリアーナ」は、当初ユダヤ教の聖堂シナゴーグとして設計されました。尖塔は地上167mの高さに達し、1863年の建築開始当時は世界で最も高い建築物でした。高層建築物がないトリノでは、その特徴的な姿はひときわ目を引く町のシンボルとなっています。映画から派生した20世紀が生んだ映像メディア、テレビのイタリア国営放送RAIもトリノに本部を置きます。
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【Photo】老舗のカフェが軒を連ねるサンカルロ広場。取り囲む建物は一階がポルティーコ造りになっている

 もうひとつトリノの町並みで特徴的なのは Portico ポルティーコと呼ばれるアーケード。乾燥した晴天の日が多い地中海性気候のイタリアですが、アルプスが近いトリノ周辺は雲が発生しやすく、比較的雨が多いエリア。そのため、天候を気にせず街歩きができるよう、道路や広場に面した建物の一階部分が歩行者用のスペースとして確保されています。張り出し部分を支える柱状構造をもつ建物がトリノの旧市街に見かけられます。トリノ中央駅ポルタヌオーヴァ駅(下写真)から北に伸びるローマ通りや、その先のサンカルロ広場一帯は、ポルティーコで覆われたエリアです。

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 2006年2月には、第20回冬季五輪がトリノを主会場にピエモンテ各地で開催されたのは記憶に新しいところ。私たちが訪れた同年10月末でも、五輪のディスプレーが街角の随所に残されていました。心残りはテッラ・マードレの会場となったリンゴットから通りひとつを挟んだ至近距離にある Palavela パラヴェーラを時間がなくて訪れることができなかったこと。何故ならそこは、我が仙台で育った荒川静香選手が金メダルを獲得したフィギュアスケート競技の記念すべき舞台だったのですから。

"自動車の街トリノ"をメインにご紹介してきましたが、ここで一息。トリノのカフェに立ち寄りましょう。
と、いうことで次回はようやく食べ物の話題に戻ります。

「チョコレートの街 トリノ」へ続く
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