あるもの探しの旅

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2007/08/21

ヴェネツィアン・グラス

涼やかなワイングラスで乾杯 

 この夏、仙台では観測史上最高の37.2℃を、そして日本の最高気温記録を74年ぶりに塗り替える40.9℃を埼玉と岐阜で記録しました。ふぅ~、毎日暑い日が続きますが、皆さん夏バテしていませんか? こんな酷暑の季節、ワインラヴァーの方は15℃~18℃が適温とされるタンニンが多いブルボディの赤ワインよりも、白ワインや泡もの(=スパークリングワインの別称)を楽しまれることでしょう。白ワインの場合は8℃~9℃、スパークリングワインなら4℃~8℃の適温まで氷水を入れたワインクーラーで冷すと、より美味しく感じられます。その際、発汗による涸渇感を癒そうと冷凍庫でキンキンに冷しすぎるのはブドウ由来のアロマ(=香り)を封じてしまうので禁物です。

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【Photo】イタリア・ヴェネト州ヴェローナからヴェネツィアに向かう途中にある Illasi イラージ地区clicca qui 産のシャルドネ100%で仕込まれたFrizzanteフリッツァンテ(弱発泡)「Le Vacanzeレ・ヴァカンツェ」(=ヴァカンス)。日本での売価は1,000円前後と非常に手頃なので、その名の通りリラックスしたシーンでよく冷して気軽に楽しみたい

 泡もの=シャンパンと日本では捉えられますが、この「シャンパン」の語源は明らかにフランス・Champagne シャンパーニュ地方産の同名のスパークリングワインの名前からきています。シャンパーニュ産以外の泡ものは Vin Mousseux ヴァン・ムスー(≒泡のワイン)とひと括りで語る誇り高きフランス人の前で混同は慎みましょうね(^ ^;。シャンパーニュがシャンパーニュたる所以(ゆえん)は、
1 : ピノ・ノワール、ピノ・ムニエ、シャルドネの三種のブドウを混醸または単独で使うこと
2 : タンク内で一次発酵を終えたワインを瓶詰めする際、酵母と糖分を加え、「瓶内ニ次発酵」により炭酸ガスとアルコールを発生させ最低15ヶ月熟成させること
3:フランス・シャンパーニュ地方産であること の三点です。

2:の工程で発生する澱を除くために、斜めにして寝かせている瓶を何度かに分けて回し、-20℃ほどの塩化ナトリウム水にボトルの先を浸して凍らせた澱を炭酸ガスの力で飛び出させる作業が伴います。もとよりフランスのブドウ産地としては条件が厳しい最北に位置するシャンパーニュは、こうした手間を要するという理由から、概して価格が高めに設定されるようです。(注1)
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【Photo】イタリア・ロンバルディア州のフランチャコルタでは、「Metodo Classico メトード・クラシコ」ないしは「Metodo Tradizionaleメトード・トラディツィオナーレ」という、シャンパーニュ地方の修道僧ドン・ペリニョンが編み出した瓶内二次発酵を経て、澱抜きをする生産方式と同じ造りをしている

 かたや北イタリア・ロンバルディア州産の「Franciacorta フランチャコルタ」は、ここ20年でイタリア最高の発泡性ワインとして急速に名声を上げています。この辛口の Spumante スプマンテ(=伊産スパークリングワインの総称)は、ピノ・ネロ(ピノ・ノワールの伊名)、ピノ・ビアンコ(仏名ピノ・ブラン)、シャルドネの3種を使い、シャンパーニュよりも長い最低25ヶ月(うち 2:の瓶内二次発酵期間が最低18ヶ月)に及ぶ醸造所での熟成を義務付けられています。にもかかわらず、シャンパーニュと比べて値段が手ごろなのは嬉しいところ。産地は州都ミラノの東方80キロにある Brescia ブレッシャから Lago d'Iseo イゼーオ湖にかけてのエリア。(注2) シャンパーニュと同様の製法(ただし最低熟成期間は9ヶ月以上)で作られる割には高いコストパフォーマンスが魅力のスペイン産 Cava カヴァともども、泡ものの選択肢に加えてみてはいかがでしょう。

brachetto.jpg【Photo】チンクエテッレを経由してたどり着いたポルトヴェーネレのバールでひと休み。そこで飲んだのがこのグスタフ・クリムトが描いたニンフたちが舞うエチケッタが秀逸な「Brachetto d'Acqqci ブラケット・ダックイ」。奥のグラスを見ての通り、濃い目のロゼといった方が正確な色調をしたこのフリッァンテの生産者は、Nizza Monferratoニッツァ・モンフェラートにある Scrimaglio スクリマリオ。同社は FIAT や Alfa Romeo ブランドとのタイアップワインcliccca qui も手掛ける

 手間がかかる瓶内二次発酵を行わなわず、タンク内で二次発酵を行う醸造法が「シャルマ方式」。量産が可能なこの方法で作られる Piemonte ピエモンテ州産の甘口の白 Asti アスティ、同赤 Brachetto d'Acqqci ブラケット・ダックイ、イタリア北東部 Veneto ヴェネト州産の辛口白 Prosecco プロセッコは、おおよそ1,000円台のリーズナブルな価格で売られ普段飲みにピッタリ。瓶内二次発酵をさせる良質なスパークリングワインが持つキメ細やかな持続性の強い泡立ちには及びませんが、適度なボディと細やかな泡立ちを兼ね備えたプロセッコは、食卓のオールラウンドプレーヤーといえましょう。スパークリングワインの炭酸ガスは、ブドウ由来の酸味をより鮮明に浮き出させる働きをすると同時に、キリリとした辛口感を強調してくれます。

 スプマンテはガス圧が3気圧以上と規定されていますが、実際の製品は6気圧前後。「食事中に泡の強いスパークリングはちょっと・・・」という方もおいででしょう。そんな方にはガス圧が1~2.5気圧の弱発泡性ワインを意味する"Frizzante"とエチケッタ(=ラベル)に表記された白ワインはいかがでしょう。きっと涼やかなアペリティーヴォ(=食前酒)代わりにもなってくれます。モスカート(=マスカット)種の繊細な香りを残すためにアルコール度数を低く抑え(約5%)た Moscato d'Asti モスカート・ダスティは、食後のフルーツやドルチェと楽しむのにピッタリ。最良のモスカート・ダスティは特別な食事の最後を締めくくるのにふさわしいものです。

caudorina.jpg【Photo】3代目の現オーナー、ロマーノ・ドリオッティ氏が家族で営むカンティーナ(=造り手)「Caudrina カウドリーナ」のモスカート・ダスティ「La Galeisa」(日本未輸入)。完熟したマスカットのピュアで繊細な甘さ、クリーミーな泡立ちを備えた秀逸なモスカート。甘口のデザートワインが苦手な方でも爽快なモスカート・ダスティは美味しく飲めるはず。ピエモンテ州アスティ県 Isola d'Asti イゾーラ・ダスティのエレガントな☆付きリストランテ兼ホテル「Il Cascinalenuovo イル・カッシナーレヌオヴォ」にて

 スパークリングワインの細やかな泡を目でも楽しむのならば、細長いフルートグラスが一番。指先でグラスの脚を回すと、グラスの底から立ち上る幾筋もの細かな泡が螺旋(らせん)状に立ち上ってきます。ワインの特徴を味わうための機能を追及したワイングラスとしては、オーストリア製の「RIEDEL リーデル」が有名です。ブドウの品種ごとに細分化された幅広いラインナップを揃える同社のグラスは、どれも機能性優先の無機的なフォルムをしています。ひとつのワインをフォルムの異なるグラスで飲んでみると、微妙に味わいが変わって感じられます。赤・白各2種類ずつベーシックな形(クリスタルガラスを使用した主力の「vinumヴィノム」シリーズ 赤ワイン用⇒ボルドー&ブルゴーニュ、白ワイン用⇒シャルドネまたはソービニョン・ブラン&モンラッシェ。泡もの好きの方は前者いずれかとシャンパーニュまたはキュヴェ・プレスティージュ)を揃えれば充分でしょう。ガラスに占める酸化鉛の割合が25%以上のクリスタルガラスは、高い透明度と光の屈折率によって、まばゆい輝きを放ちます。乾杯の際には澄んだ音色と長い余韻をもたらしてくれるでしょう。

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【Photo】ヴェネツィアの中央を逆S字に貫く大運河 Canal Grande カナルグランデに架かる Ponte dell'Accademia アカデミア橋の上からサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂方向を望むと、カンツォーネを熱唱する歌い手を乗せたゴンドラが数艇横並びで進む映画のワンシーンような光景と出合った。光と水が織り成す多彩な表情を見せる水の都は、このような非日常のドラマチックな場面がよく似合う

 前置きが長くなりましたが、まずはこうした基本を踏まえた上で、今回の主役は機能性を追及するグラスと対極にある装飾性の高いワイングラスです。爽やかな白ワインにぴったりの軽やかで涼しげなこのグラスにまつわる物語の舞台は水の都 Venezia ヴェネツィア。そこはアドリア海の上に築かれた唯一無二の街です。"●●のベニス"という表現をされる都市がほかにいくつかありますが、"アドリア海の真珠"とも称えられる水の都の本家はさすがに格が違います。"北のベニス"ことブルージュやサンクトペテルブルグ、あるいは"東洋のベニス"こと蘇州やバンコクなどのように、数多くの運河や水路が縦横に刻まれているのではなく、街自体が Laguna ラグーナと呼ばれる浅瀬の海の中に木杭を打ち込んだ基礎の上に造られています。つまり海の上に人間が築いた、いわば海から生まれた街なのです。今もヴェネツィア市長には海に指輪を投げ入れて海との結婚を宣言するという、かつては共和国のドージェと呼ばれる元首が行っていた重要な儀式を執り行う役割が課せられます。世界広しといえどもこのような街が他にあるでしょうか。

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【Photo】ガラスの島ムラーノ島で。熱したガラス種を自在に操り、さまざまな表情を持つ製品に仕上げるマエストロの技は見事の一言に尽きる

 外敵の侵入を拒む天然の要害ラグーナの中に築かれたこの街が手に入れたのは、828年にエジプトのアレキサンドリアから二人の商人が持ち帰ったとされる聖マルコの遺骸だけではありません。1498年にヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を発見するまでは、欧州で珍重されたシルクや香辛料などの東方交易を通じて莫大な富を手に入れます。東方商人が去来したヴェネツィアの街は、サン・マルコ寺院のファサードを見ても明らかな通り、ビザンチンと東洋の香りを色濃く漂わせています。

impossibile.jpg【PHOTO】ムラーノ島のガラス工房直営のショップ。レース模様が鮮やかな緑色と交差する脚付きボウル(上段中央)や最もヴェネツィアングラスらしい色といわれる真紅の作品(中段)が目を引いた。ガラス職人が得意な作風によってクラシックなデザインからモダンなものまで店の品揃えの傾向が分かれる。世界的な観光地でもあるヴェネツィアゆえに、ムラーノ島のガラス工房直営店といえども「ベニスの商人」たちの値付けは強気。ヴェネツィア本島の方が概して安かったりするが、ムラーノ製以外(→Made in China )のものもあるので要注意

 15世紀から17世紀にかけてヴェネツィア共和国が欧州で独占したのが、つながりが深かったビザンチンから10世紀頃に伝わったとされるガラス製造の技術。紀元前1世紀のローマ帝国時代に現在のシリアで編み出されたとされる宙吹きガラス製法は、水の都で独自の発展を遂げ、ヴェネツィア共和国の重要な交易品となってゆきます。ガラス職人の組合ができた13世紀にヴェネツィアのガラス工房は本島の北1.5キロにある Isola di Murano ムラーノ島へと集約されます。これによって、火災の危険が伴う火を使う工房を本島から隔離し、高度な技術の流出を免れようとしたのです。以来、ヴェネツィアのみならず、イタリア国内では「ムラーノグラス」と呼ばれるようになりました。15世紀に生まれたエナメルの絵付け装飾を施した彩色ムラーノグラスは、当時の王侯貴族たちから大いにもてはやされます。鉛を用いる技法が生み出されるまでは困難とされた透明のガラス Cristallo クリスタッロの製造にこぎつけたのもこの時代でした。

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【Photo】腕の良いマエストロの手にかかったガラスほど薄くて軽い。ソーダガラスは彩色ガラスに加工しやすい特性がある。最も難しいとされる真紅のグラスは金の溶液を混ぜて、銅とコバルトの化合物を混ぜると青いガラスになる。ワイングラスのステム(=脚)にアップリケ装飾や白鳥・イルカなどの繊細極まりない装飾が施されたワイングラスの数々。便乗値上げが相次ぐ結果を生んだユーロ導入前の今から13年前に一脚2万円以上したこれらのグラス。ワイングラスという実用品よりも、むしろ芸術品の域に達している。日本に持ち帰るには破損のリスクが大きいので、喉から手が出るほど欲しかったが泣く泣く断念した
 
 ムラーノグラスは16世紀に最盛期を迎えます。花や星形の模様が幾つも並ぶ Millefiori ミッレフィオーリcliccca qui という技法や、大理石状に色とりどりのガラスが流紋を描く Marmo マルモ(=マーブル)ガラスclicca qui 、細長い色ガラス(白であることが多い)棒をガラス玉に巻きつけて交差したレース状の文様を付ける Retticello レティチェッロclicca qui、氷の裂け目のような細かいヒビをつけるアイスクラックという技法や、表面にさざなみのような筋をつける技術、金箔をガラス種に付けたまま吹き竿で膨張させて細かな金模様を付ける従来からの技法に加え、金粉を使用する方法など、今日も受け継がれるヴェネツィアン・グラスの伝統技術があらかた出揃いました。

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【Photo】無機的なクリスタルガラスではなく、ソーダガラスを使用したムラーノグラスは口当たりが柔らかい。ワインの色調を目で確認するためには、透明のグラスが好都合。ということで、筆者がムラーノで選択したのはこのワイングラス

 富の独占を目論んだ共和国の為政者は、ガラス職人に高い地位を与えました。ガラス職人の娘が共和国の有力者の子息と結婚するケースもあったとか。しかし職人たちがムラーノ島から外に出ることを決して認めませんでした。そのため親から子へと技は受け継がれてゆきました。華麗なムラーノグラスに対する需要は多く、16世紀以降は密かに島を抜け出して共和国の手が届きにくい英国やオランダなどに渡る職人も増え始めました。そうした職人の手になる製品はフランス語で"ヴェネツィア風の"を意味する「Façon de Venise ファソン・ド・ヴニーズ」と呼ばれたとか。

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【Photo】ゴンドラの漕ぎ手ゴンドリエーレの巧みな櫂捌きによって水面に刻まれる渦巻きを彷彿とさせるムラーノグラス

 刻々と変わる光の具合でさまざまな表情をみせる水に囲まれたヴェネツィアに暮らす人々だからこそ、かくも繊細極まりない芸術品のようなガラス工芸を生み出したのではないでしょうか。光と影が交差する運河の水の面は、ゆらめく万華鏡のよう。海水に浸食され朽ちつつある建物の外壁には、光を写してゆらゆらとうごめく水紋が反射しています。この町に暮らす人たちは、水に囲まれた暮らしの中で、さまざまな表情を持つ水を映し取ったかのようなガラスを作り出したのです。

 さて、今夜のワインはCampania カンパーニャ州の傑出した白ワイン用土着品種 Fiano フィアーノ種を造らせたなら三本の指に入るとの呼び声高い「Guido Marsella グイド・マルセッラ」の手になる「Fiano di Avellino フィアーノ・ディ・アヴェリーノ'04」。カンパーニャ州でも内陸部に位置する街Avellino周辺は、南のバローロともいわれる偉大なワイン「Taurasi タウラージ」の産地でもあります。街の北西、山裾のSummonteスモンテ地区にカンティーナ兼アグリツーリズモ「Marsella」はあります。オーナーのグイド・マルセッラ氏が10ヘクタールの畑でワイン造りを始めたのが1997年から。海抜700mを越える畑で育てられるブドウは、昼夜の寒暖の差が大きな厳しい気候条件のもとで、通常の顆粒より小さく、凝縮した高い品質のブドウとなります。マルセッラ氏が造るのは、フィアーノ・ディ・アヴェリーノのみ。生産1,500ケースだけの希少なこのヴィーノは、ソレント湾を望む南イタリアきっての名リストランテ「Don Alfonso 1890」のワインリストにオンリストを果たしています。

    
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 このヴィーノのために私が選んだのは、金粉装飾が輝く愛用の白ワイン用のヴェネツィアングラスです。ドラマチックに表情を変える劇場都市ヴェネツィアならではの華やかな雰囲気を漂わせる軽やかなムラーノのワイングラス。一方でワインを味わうための機能を極限まで理詰めで追求し、究極の「器具」を目指すゲルマン系のRIEDEL。方向性が全く異なるふたつのグラスを眺めるうち、「こんなところにも国民性が表れるのだなぁ」と、愉快になるのでした。

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【注1】シャンパーニュは、ブドウの自家栽培・自家醸造を行う小規模な Maison メゾン(=生産者)の手になる「レコルタン・マニピュラン」(RMとエチケット〈=ラベル〉に記載)と、買い付けたブドウや原酒も使い生産量も多い大手の「ネゴシアン・マニピュラン」(NMと記載)、日本にはほとんど輸入されない生産者組合の製品「コーペラティブ・マニピュラン」(CMと記載)などに大別される。作り手の個性が直接表れるRMは約4,800軒。かたやNMは280軒ほどだが、ごく最近まではNMが圧倒的に市場を支配していた。生産量全体の8割を占めるノンヴィンテージ(NV)シャンパーニュは、自家栽培以外の複数の原料を混醸し、一定の味を作り上げる場合が多い。作柄の良い年に生産されるヴィンテージ・シャンパーニュで最低3年、大手のNMが造る高級シャンパーニュ(プレステージ・シャンパーニュ)は最低5年の瓶熟を行うが、その分価格も釣り上がる。私見では酒質が値段に見合ったものかどうか、ブランドだけで選ばない方が得策

【注2】ブレッシャはイタリアサッカーファンにとって、史上5人目のセリエA 200ゴールの記録を持ち「イタリアの至宝」といわれたファンタジスタ、ロベルト・バッジョ【click!】が現役最後に所属したクラブの本拠地として記憶されている。バッジョ自身は生まれ故郷のヴェネト産スプマンテProseccoがお気に入りだと言っている。やはりイタリア人の郷土愛は強いようだ

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2007/08/10

チョコレートの街 トリノ

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【Photo】テッラ・マードレに集った世界の料理人たちをピエモンテの料理人がもてなす目的で開催されたレセプション会場で。トリノのシンボル「モーレ・アントネッリアーナ」をかたどった精巧な飴細工

 Cioccolato チョッコラート(=チョコレート)を抜きにしては語れない街、それがトリノです。トリノでは年間8万5千トンのチョコレートが生産され、8億5千万ユーロ(=約1,360億円)の歳入をこの街にもたらしています(2002年データ)。トリノがヨーロッパのチョコレート文化発展に果たしてきた役割は、とても大きなものでした。

 チョコレートの原料となるカカオ豆は南米大陸が原産地。インカやアステカでは、焙煎したカカオ豆をペースト状にして、バニラビーンズや唐辛子・香辛料を加えて飲料として飲んでいました。1528年、圧倒的な武力をもってアステカを征服したスペインのエルナン・コルテスは、さまざまな略奪品とともにカカオ豆を時のスペイン王カルロス一世に献上します。こうしてヨーロッパに初めてカカオ豆がもたらされました。

cioccolatacalda.jpg しかし、アステカで飲まれていた「ショコラトル(xocolatl )」というカカオ飲料は、インディオの言語ナワトル語で苦いを意味する「ショコク(xococ)」と、水を指す「アトル(atl )」が組み合わされた呼び名通り、カカオ豆由来の苦味が強いものでした。そのためスペイン人の口には合わなかったようです。間もなくカカオに砂糖を加えて口当たりをよくする工夫がなされ、一気にスペインの王族たちにホットチョコレートは広まってゆきました。

【Photo】「チョコラータ・カルダ」=温かいチョコレートの名前通り、この濃厚なホットチョコレートドリンクは冬場のトリノに欠かせない

 近世から19世紀初頭のヨーロッパでは、甘いものは贅沢品でした。よって、新大陸から伝わったこの飲み物は、王族や貴族などの特権階級だけが楽しんでいました。スペイン王室と婚姻関係を持ったハプスブルグ家やブルボン家にもホットチョコレートは伝わりましたが、製法は対外的には秘匿されていたのです。(脚注1参照)

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【Photo】出帆の地・石巻市月の浦の高台より大海原を見つめて建つ支倉常長のブロンズ像

 ここに仙台藩祖・伊達政宗が派遣した慶長遣欧使節団が、スペインで日本人として初めてチョコレートを口にしたのではないか?という仮説が生まれます。石巻郊外「月の浦」を出港後、メキシコ経由で一年近くを要して1614年にスペインに上陸した使節団。一行に同行したスペイン人宣教師ルイス・ソテロの故郷セビリアで大歓迎を受けた彼らは、意気揚々と首都マドリッドに入ります。翌年早々に国王フェリペ3世との謁見も実現、一行を率いた支倉常長は、国王列席のもとそこで洗礼を受けています。

 残念ながら、常長が記した滞欧日記が今日では散逸してしまったため、あくまで推測の域を出ませんが、国王は表向き使節団を歓迎していたので、延々8カ月に及んだ使節のマドリッド滞在中、彼らがチョコレートドリンクを口にしたとしても不思議ではありません。進取の気性に富んだ政宗が遣わした伊達者にふさわしい逸話ですね。

filibertemanuele.jpg【Photo】トリノ サン・カルロ広場の中央に建つエマヌエーレ・フィリベルトのブロンズ像(上)と肖像画(下)

Emanuelo_Filiberto.jpg 話をトリノに戻しましょう。サヴォイア公エマヌエーレ・フィリベルトは、1550年前後に繰り広げられた対フランス領土戦争でスペイン軍を指揮します。その折にスペイン王カール5世からホットチョコレートを勧められて口にしたようです。美食家であったフィリベルト公は、そのエキゾチックな飲み物を気に入り、1563年、サヴォイア王国のトリノ遷都を祝って「cioccolata チョッコラータ」と今でも呼ばれ親しまれているホットチョコレートを市民たちに振舞いました。1587年、フィリベルト公の息子カルロ・エマヌエーレ一世と、スペイン王フェリペ二世の娘カテリーナ・ミカエーラの婚礼の席でも参列者たちにホット・チョコレートが出されたといいます。

 チョコレートの歴史において転換点となったのが1678年。夫カルロ・エマヌエーレ二世が亡くなった後、サヴォイア公国を摂政として統治していたマリーア・ジョヴァンナ・バッティスタ(下写真)が、ジオ・アントニオ・アッリという菓子職人にチョコレートの製造と一般向けに販売する権利を6年に限って認めたのです。これをきっかけに、多くのチョコレート職人がトリノへと集まりました。(脚注2参照)

madama.jpg それまで特権階級が独占していたチョコレートは、トリノからサヴォイア公国の領土だったスイス・フランス東部へと広まってゆきます。こうして大衆向けにチョコレートが作られるようになり、トリノで修行した職人たちによって、現在チョコレート産業が盛んなスイス・ベルギー・パリなどでチョコレート文化が花開いてゆくのです。

 18世紀、チョコレート文化の中心都市となったトリノからは、ヨーロッパ一円に毎日340キログラムものチョコレートが輸出されていました。

 ピエモンテ州ランゲ地方では「丸々と太った紳士」を意味するTonda Gentile とも呼ばれる特産の Nocciole ノッチオーレ(=へーゼルナッツ)

 そのペーストとチョコレートを混ぜたトリノ発祥のチョコレートとして、一個ずつ金銀の包装紙で被われた「Giandujotto ジャンドゥイオット」(複数形で Giandujotti ジャンドゥイオッティとも呼ばれる)を忘れてはなりません。このチョコレート菓子の誕生の経緯には、かのナポレオン・ボナパルトが絡んでいます。

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【Photo】ノッチオーレ(写真右)とジャンドゥイオッティ

 産業革命による経済成長が著しかった大英帝国の囲い込みのため、ナポレオン一世は1806年にヨーロッパ諸国に対し、英国とその植民地との交易を禁じる「大陸閉鎖令」を発令しました。イギリス側も対抗措置としてフランスに対する海上封鎖を実施。そのため大西洋を越えて新大陸から輸入される原料のカカオ豆が激減、わずかに確保された豆の価格も暴騰しました。それによって、当時フランスの支配下にあったサヴォイア王国の首都トリノでは、チョコレート産業が大きな打撃を受けたのです。

 とはいえ、甘美なチョコレートを渇望する声は衰えませんでした。やがてミケーレ・プロシェという菓子職人が、地元ピエモンテ・ランゲ地方の特産だったヘーゼルナッツを粉末にして、チョコレートに混ぜた代用品を生み出します。「必要は発明の母」を地でゆく滑らかな口どけを持つこの菓子は、1865年のカーニバルの際、CaffarelLink to Websiteによってカーニバルのキャラクターの名前に由来する Gianduiotti ジャンドゥィオッティという名で売り出されました。

 現在では DOC (=原産地統制呼称)で規定された25%以上のピエモンテ産ヘーゼルナッツやイタリア産アーモンドを材料に使用した製品だけにジャンドゥイオットの呼称が許されています。

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【Photo】Caffarel の「ジャンドゥィオ1865」のパッケージ(写真右)にはカーニバルのキャラクター Gianduiotti が描かれている。写真左はNocciolatoノッチョラートと呼ばれるヘーゼルナッツ入りのチョッコラート。リバティ様式のエレガントなパッケージが目を引く

nutella.jpg その組み合わせをペーストにした「Nutella ヌテッラ」はトリノの南、Alba アルバに本社がある菓子の多国籍企業「Ferrero フェッレロ」 Link to Website(伊語のみ)〉が1964年に売り出し、世界ブランドに成長しました。Dolce Vita ドルチェ・ヴィータ(=甘い生活)な朝に欠かせないヌテッラは、パンに塗って、あるいはビスコッティにつけて食べられ、ASローマのFWフランチェスコ・トッティなど、男女問わず熱烈なファンが多いといいます。

rocher.jpg 日本にはオーストラリア製のヌテッラが輸入されているので、豪州発祥だとお思いの方が多いのでは?同社は世界で最も売れているチョコレート菓子だというヘーゼルナッツを使用した丸い形の Rocher ロッシェをはじめとする多彩なチョコレート製品のラインナップを揃えます。

 老舗のPeyrano ペイラーノLink to Websiteや、日本では輸入元の明治屋の要らぬ配慮からか、ヴェンチと名乗っている Venchi ヴェンキLink to Websiteなどの大手から、イタリアにおけるアール・ヌーボー様式を指す Stile Liberty (=リバティ様式)の内装が見事な Baratti&Milano バラッティ&ミラノなどのカフェ、そして小規模な菓子工房に至るまで、数多くのチョコレートが今もトリノで作られています。

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【Photo】チョコレートの街トリノでは、さまざまなCioccolato が作られている

 そんなチョコレートの街トリノが一層チョコレートの甘い香りに包まれるのが、毎年春先に開催されるチョコレートの祭典「CioccolaTÒ チョコラート」です。ネーミングの由来はChiccolato チョッコラートと Torino の語呂合わせですね。

 年々規模を拡大し2007年で5回目の開催を迎えたこのイベント。トリノにチョコレートをもたらした恩人エマヌエーレ・フィリベルト公の騎馬像が建つサンカルロ広場や、ヨーロッパ最長の1km にも及ぶポルティーコ〈2007.7拙稿「そしてトリノ」参照〉で囲まれたヴィットリオ広場や市内各所のPasticceria パスティチェリア(=菓子店)、カフェなどが参加して行われました。
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【Photo】Torineseトリネーゼ(=トリノっ子)は老若男女問わずドルチェには目がない。パスティチェリアでは誰もが目を輝かせる

 地元ピエモンテを始め、世界中のチョコレート職人が優れた菓子作りの技を披露したのはもちろん、プロの料理人が料理の素材としての可能性を案したり、子ども向けのワークショップや工場見学など、多彩なプログラムが組まれまます。2007年は10日間の会期中、およそ90万人がこの催しに参加して、5.2トンに及ぶチョコレートが売買され、1万杯のチョコレートドリンクが飲まれました。 こうした食に関するイタリア人の関心と意識の高さには、いつも感心させられます。

 当初は"飲むもの"だったチョコレートの原型を窺わせる飲み物が「Cioccolata calda チョッコラータ カルダ」(=温かいチョコレートの意)。1828年にオランダのバンホーテン社がカカオ豆の脂肪成分(カカオバター)を取り除いて製品化した現在のココアよりも、濃厚なトロトロのホットチョコレートと表現すればよいでしょうか。

cioccolata-calda.jpg 寒い時季にBarバールの定番メニューとして登場するのが「チョッコラータ」。使用するチョコレートの種類別(ビター・ミルク・ホワイトなど)はもちろん、グラッパ・ウイスキー入りのほか、ココナッツ、マロングラッセ・ミックスベリー・ザバイオーネ入りなどの豊富なメニューが目白押し。冬にイタリアを訪れたならば、ぜひお試しを。

 チョコレート好きにオススメしたいのがトリノ市内の観光案内所(9:30AM9:30PM)で扱っている「ChocoPassチョコパス」。このカードを提示すると、協賛パスティチェリアやクラシックなカフェでチョコレートやジャンドゥィオッティの試食ができます。一定額以上の買物をすると5%~10%の割引サービスが受けられる場合も。

chocopass2007.jpg 24時間有効の10回券(10エウロ)と48時間有効の15回券(15エウロ)の2種類があります。対象店舗が多い48時間券のほうがバリエーション豊かなトリノのチョコレート文化に触れることができますが、日曜日や午後の早い時間帯と6月末から9月にかけてのヴァカンスシーズンは、店に行っても閉まっていたなんてこともあるので要注意です。

 美しくディスプレーされたチョコレートの買いすぎと食べすぎにはくれぐれもご用心を。なぜなら燃料代が高騰する昨今、エアライン各社は重量制限にシビアになってきています。航空荷物が重量オーバーの場合、数万単位のけっこうな追加料金を支払わなければなりません。スーツケースの重量超過にはお気をつけ下さい。その点、食べ物が美味しい上に甘いもの天国のトリノは危険な街かもしれません。体重の超過で後々泣かないためにも、ご用心ご用心 (^_ ^)


【注1】おそらく最も名が通ったチョコレートケーキは「ザッハトルテ」だろう。ハプスブルグ家のお膝元・ウィーンで1832年に誕生したこのケーキ、現代の私たちの感覚ではかなり甘いと感じるはず。ウィーンに本店がある「DEMELデメル」が仙台の藤崎に出店している。地元ではサッハトルテと濁らずに発音されるこの濃厚なチョコトルテ。産みの親フランツ・ザッハーの味を受け継ぐのは「Hotel Sacherホテル・ザッハ 」。15年以上前にホテル・ザッハで味わったザッハトルテの甘さの記憶は今も強烈に残っている

【注2】カルロ・エマヌエーレ二世とマリーア・ジョヴァンナ・バッティスタの間に誕生したのがヴィットリーオ・アメデオ2世。世界遺産に登録されているトリノの王宮群を建て、サルデーニャ王国の国王となるなど、サヴォイア公国の基盤整備に尽力した人物だ。幼少のころ胃腸が弱かった息子のために、母は宮廷医と相談の上、パン職人に消化の良い食べ物を考案するよう命じる。職人 Antonio Brunero アントニオ・ブルネロは上質の小麦を極細挽きにして焼き上げるカリカリとした歯ごたえの細長いパンを生み出した。それが Grissini グリッシーニである。自らを"Madama Reale マーダマ・レアーレ(≒本当の夫人)"と称し、野心家でもあったこの王女は、チョコレート産業とグリッシーニの誕生にかかわり歴史に名を残したのである

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2007/08/01

海に湧く山の水

大自然の水循環を目撃する海辺@遊佐町釜磯

 今日8月1日、東北地方もようやく梅雨明けしました。これからが夏本番です。週末は海へ繰り出す方もおいででしょう。そこで今回は、ちょっと珍しい浜辺へとご案内します。目的地は前回同様に鳥海山のお膝元です。

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【Photo】夏をクールダウンするならココが一番。ひんやりした鳥海の伏流水が海辺に湧出する遊佐町吹浦の釜磯海水浴場

 独立峰ながら東北で二番目の高さで聳える鳥海山は、山自体が海から吹く風の障壁となります。そのため山頂から中腹付近は雲に覆われることが多く、出羽富士といわれる秀麗な全容をなかなか人目にさらさない山でもあります。
 
 山麓に降り注ぐ大量の雨水は、腐葉土層のフィルターを通して地中に滲みこんでゆきます。その栄養分を含んだ伏流水は、コニーデ式の円錐型の形状をした鳥海山の裾野が広がる秋田・山形の各所に湧き出しています。漏斗(ろうと)を伏せたような形をした鳥海山は、山自体が水の"ろ過器"と言ってよいでしょう。

 鳥海山の伏流水は、比較的短い期間で地上に湧き出すのでは?と見る向きがあります。この山の岩石組成は、ほとんどが溶岩が冷えて固まった安山岩です。前回述べたとおり、鳥海山の局地的な降水量は熱帯雨林地帯並み。この豊富な水が地中に滲み込み、標高 2,236mの高みから急峻な火山性の土壌の中を通ってくるため、その水には、地中のカルシウムやマグネシウムなどのミネラル成分がじっくりと浸潤することはありません。そのため、鳥海山周辺の湧水はミネラル成分が比較的少ない硬度の低い軟水となります。
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【Photo】釜磯の砂浜には多くの湧水口があり、長い時間は手足を浸していられないほど水温が低い伏流水が湧きだしてくる

 日本海に面する鳥海山の西側では、その稜線が海岸線まで伸びているため、多くの湧水スポットが海沿いに存在します。その中でも秋田県にかほ市の長磯や山形県飽海郡遊佐町の釜磯では、砂浜に豊富な湧水が湧き出ています。その海域では、海中にも地下水が湧き出しているといいます。夏には海水浴場となる釜磯ですが、湧き水の温度は10℃あまりと冷たいため、湧水が海に直接流れ込む付近の海水はひんやりとしています。
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【Photo】 ひんやりとした湧水が砂浜に流れを作って海へと流れ込んでゆくさまは、大自然が営む水循環そのもの

 釜磯の湧水口は砂浜だけでも20箇所以上は認められます。湧き出す水量はそれぞれ異なりますが、水脈が固まっている大きな湧水口には近づかないほうが得策です。なぜなら絶えず砂を巻き上げているその窪みは思いのほか深く、うっかり足を入れようものなら、あっという間に膝のあたりまで沈み込んでゆきます。そうなると大人でも簡単には抜け出せません。ちょっとした"底なし沼"のようなそこは、小さなお子さんには危険を伴うかもしれません。

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【Photo】浅瀬の岩には食べられた形跡のある岩ガキも。密漁はご法度ですよ(^ ^;)

 さほど広くはない砂浜には、活火山・鳥海山の噴火によって吹き飛ばされた岩が点在しています。そうした岩と砂の間からも水がこんこんと湧いているのが見て取れます。湧水が流れ込む浅瀬にある岩の表面には、小さな岩ガキがびっしり。波打ち際からやや離れた砂浜に湧き出した水は、そのまま砂浜に水路を刻む小川となって海へと流れ込んでゆきます。その水路には湧出口から湧き出す水によって、地下から粒子の細かな砂鉄が吐き出されるため、黒い砂鉄が描き出す筋が幾つもできています。
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【Photo】水が滲み出してくる砂浜の一角には、砂鉄が黒い流紋を作る

 砂浜を挟んで両脇の岩場からも水が湧いており、場所によってはすくって飲むことも可能。すぐ目の前は海なのですが、岩の隙間から湧き出す水に塩辛さはありません。なぜか北側と南側の岩場では水の味が異なるように感じます。

 先日、釜磯海水浴場を訪れた際、湧水口に缶ビールやスイカを冷やしておく人を見かけました。確かにひんやりと冷たい湧き水は天然の冷蔵庫代わりになってくれます。ただし、水量が豊富な場所は避けたほうがよいでしょう。さもないと、せっかく冷した飲み物が泳いでいる間に流されていってしまいますので。(笑)

 車を運転していた私は、冷えたビールをおいしそうにあおる連れを横目に、この時とばかり岩場の湧き水を飲んでみました。砂浜の入り口(北側)に近い大きな岩裾から湧き出すひんやりと冷たい水は、まぶしい陽射しで火照った体をクールダウンするにはもってこい。しかも鳥海の湧水の例にもれず口当たりの柔らかな軟水で、なんとも贅沢な気分になりました。地元の事情通に言わせると、ほんの微量ながら海水が混じり込むといわれる釜磯の水は、ミネラル成分が増してカラダにも良いのだとか。
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【Photo】岩の隙間から流れ出す鳥海山の湧き水は冷たくまろやかな味がする

 こうして海辺に湧き出す釜磯の水は、直接目の前の海へと戻ってゆきます。その水はもともと日本海の水だったもの。太陽によって暖められた海水が蒸発して雲となり、雪や雨となって陸地に降り注いだ後、地中に滲み込んだ伏流水となって、地上に湧き出してきます。

 釜磯は水が循環する大自然のメカニズムを目のあたりにすることができる稀有な場所なのでした。


◆追記◆

 釜磯を訪れた際に立ち寄りたいのが、すぐ近くの名跡「十六羅漢」前にある「サンセット十六羅漢」。ココのイチオシは「夕日ラーメン」(650円)。味の決め手は酒田沖に浮かぶ飛島で捕れたトビウオのダシが効いた上品なスープ。縮れた細麺と澄んだ醤油系スープの相性はバッチリ。トッピングは加熱すると鮮やかな緑色を呈する地元吹浦産のアオサ。磯場に育つミネラルたっぷりのアオサが加わってすっきりとまとまる。仕込みに使うのは、すべて鳥海山の湧水だという。
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 対馬海流に乗って日本海を北上してくるトビウオは、庄内沖が北限。酒田の沖あいに浮かぶ飛島では、初夏が漁期となる。頭と内臓を除いたトビウオを浜で炭火焼にしてから一週間ほど天日干しにして作る「アゴ(⇒トビウオの別名)の焼き干し」は、庄内の食事に欠かせない食材。

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 加えて夏の庄内浜のオススメは岩ガキ。海中に伏流水が湧き出る吹浦産岩ガキは、庄内浜でもとりわけ美味とされる。滋養豊かな湧水が湧き出す付近に群生が見られる岩ガキは、低い水温のために、ゆっくりと成長して濃厚な旨みが凝縮してゆく。何を隠そう、カキ特有のヨード香が苦手な私は、三陸産の生ガキは残念ながらNG。しかし庄内浜の獲れたて新鮮な岩ガキは、カキの種類が違うためか、苦手な香りが全くせず、ミルキーな甘味すら感じさせ非常に美味。三陸のカキがダメでも岩ガキならいけるのは、「庄内系」なるがゆえか?(爆) 私同様、生ガキが食べられないという会社の後輩も岩ガキならば全然オッケーだという。優雅な一人暮らしの彼女は、夏に庄内を訪れると必ず殻付きの岩ガキを実家用と自分用にそれぞれ箱買いしてくるそうな。

 国道7号線沿いにある「道の駅 鳥海 ふらっと」では、旬の岩ガキを店頭で食することができる。ひときわ大きな「スーパージャンボ」は、およそ8年の間、海中で育ったものだという。目の前で殻を開け、サッと水洗いされたプリップリの岩ガキを口にほお張ると...。 おっと、ヨダレが。

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 ◆サンセット十六羅漢 :山形県飽海郡遊佐町大字吹浦字西楯7-30
  TEL 0234-77-3330 (元旦以外無休・P有り)

 ◆道の駅 鳥海 ふらっと :山形県飽海郡遊佐町大字菅里字菅野308-1
  TEL. 0234-71-7222 (元旦以外無休・P有り)
   URL. http://www2.ocn.ne.jp/~furatto/index.html

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