あるもの探しの旅

« 海に湧く山の水 | メイン | ヴェネツィアン・グラス »

チョコレートの街 トリノ

MOLEANTO.jpg【Photo】テッラ・マードレ2006に集った世界の料理人たちをピエモンテの料理人がもてなす目的で開催されたレセプション会場で。トリノのシンボル「モーレ・アントネッリアーナ」をかたどった精巧な飴細工

 Cioccolato チョッコラート(=チョコレート)を抜きにしては語れない街、それがトリノです。トリノでは年間8万5千トンのチョコレートが生産され、8億5千万ユーロ(=約1,360億円)の歳入をこの街にもたらしています(2002年データ)。トリノがヨーロッパのチョコレート文化発展に果たしてきた役割は、とても大きなものでした。

 チョコレートの原料となるカカオ豆は南米大陸が原産地。インカやアステカでは、焙煎したカカオ豆をペースト状にして、バニラビーンズや唐辛子・香辛料を加えて飲料として飲んでいました。1528年、圧倒的な武力をもってアステカを征服したスペインのエルナン・コルテスは、さまざまな略奪品とともにカカオ豆を時のスペイン王カルロス一世に献上します。こうしてヨーロッパに初めてカカオ豆がもたらされました。

cioccolatacalda.jpg しかし、アステカで飲まれていた「ショコラトル(xocolatl )」というカカオ飲料は、インディオの言語ナワトル語で苦いを意味する「ショコク(xococ)」と、水を指す「アトル(atl )」が組み合わされた呼び名通り、カカオ豆由来の苦味が強いものでした。そのためスペイン人の口には合わなかったようです。間もなくカカオに砂糖を加えて口当たりをよくする工夫がなされ、一気にスペインの王族たちにホットチョコレートは広まってゆきました。

【Photo】「チョコラータ・カルダ」=温かいチョコレートの名前通り、この濃厚なホットチョコレートドリンクは冬場のトリノに欠かせない

 近世から19世紀初頭のヨーロッパでは、甘いものは贅沢品でした。よって、新大陸から伝わったこの飲み物は、王族や貴族などの特権階級だけが楽しんでいました。スペイン王室と婚姻関係を持ったハプスブルグ家やブルボン家にもホットチョコレートは伝わりましたが、製法は対外的には秘匿されていたのです。(脚注1参照)

tsunenaga-hasekura.jpg

【Photo】交易を目的にスペインと最終目的地ローマへの中継地となるメキシコ・アカプルコを目指し、大海原へ出帆した地・石巻市月の浦の高台より東方を向いて佇む支倉常長のブロンズ像

 ここに仙台藩祖・伊達政宗が派遣した慶長遣欧使節団が、スペインで日本人として初めてチョコレートを口にしたのではないか?という仮説が生まれます。石巻郊外「月の浦」を出港後、メキシコ経由で一年近くを要して1614年にスペインに上陸した使節団。一行に同行したスペイン人宣教師ルイス・ソテロの故郷セビリアで大歓迎を受けた彼らは、意気揚々と首都マドリッドに入ります。翌年早々に国王フェリペ3世との謁見も実現、一行を率いた支倉常長は、国王列席のもとそこで洗礼を受けています。

 残念ながら、常長が記した滞欧日記が今日では散逸してしまったため、あくまで推測の域を出ませんが、国王は表向き使節団を歓迎していたので、延々8カ月に及んだ使節のマドリッド滞在中、彼らがチョコレートドリンクを口にしたとしても不思議ではありません。進取の気性に富んだ政宗が遣わした伊達者にふさわしい逸話ですね。

filiberto_savoia_SanCarlo-TORINO.jpg【Photo】トリノ サン・カルロ広場の中央に建つサヴォイア公エマヌエーレ・フィリベルトのブロンズ像(上)と肖像画(下)

Emanuele_Filiberto_di_Savoia.jpg 話をトリノに戻しましょう。サヴォイア公エマヌエーレ・フィリベルトは、1550年前後に繰り広げられた対フランス領土戦争でスペイン軍を指揮します。その折にスペイン王カール5世からホットチョコレートを勧められて口にしたようです。

 美食家であったフィリベルト公は、そのエキゾチックな飲み物を気に入り、1563年、サヴォイア王国のトリノ遷都を祝って「cioccolata チョッコラータ」と今でも呼ばれ親しまれているホットチョコレートを市民たちに振舞いました。

 1587年、フィリベルト公の息子カルロ・エマヌエーレ一世と、スペイン王フェリペ二世の娘カテリーナ・ミカエーラの婚礼の席でも参列者たちにホット・チョコレートが出されたといいます。

 チョコレートの歴史において転換点となったのが1678年。夫カルロ・エマヌエーレ二世が亡くなった後、サヴォイア公国を摂政として統治していたマリーア・ジョヴァンナ・バッティスタ(下写真)が、ジオ・アントニオ・アッリという菓子職人にチョコレートの製造と一般向けに販売する権利を6年に限って認めたのです。これをきっかけに、多くのチョコレート職人がトリノへと集まりました。(脚注2参照)

madama.jpg それまで特権階級が独占していたチョコレートは、トリノからサヴォイア公国の領土だったスイス・フランス東部へと広まってゆきます。こうして大衆向けにチョコレートが作られるようになり、トリノで修行した職人たちによって、現在チョコレート産業が盛んなスイス・ベルギー・パリなどでチョコレート文化が花開いてゆくのです。

 18世紀、チョコレート文化の中心都市となったトリノからは、ヨーロッパ一円に毎日340キログラムものチョコレートが輸出されていました。

 ピエモンテ州ランゲ地方では「丸々と太った紳士」を意味するTonda Gentile とも呼ばれる特産の Nocciole ノッチオーレ(=へーゼルナッツ)

 そのペーストとチョコレートを混ぜたトリノ発祥のチョコレートとして、一個ずつ金銀の包装紙で被われた「Giandujotto ジャンドゥイオット」(複数形で Giandujotti ジャンドゥイオッティとも呼ばれる)を忘れてはなりません。このチョコレート菓子の誕生の経緯には、かのナポレオン・ボナパルトが絡んでいます。

    Cioccolato-e-nocciole.jpg

【Photo】ノッチオーレ(写真右)とジャンドゥイオッティ

 産業革命による経済成長が著しかった大英帝国の囲い込みのため、ナポレオン一世は1806年にヨーロッパ諸国に対し、英国とその植民地との交易を禁じる「大陸閉鎖令」を発令しました。イギリス側も対抗措置としてフランスに対する海上封鎖を実施。そのため大西洋を越えて新大陸から輸入される原料のカカオ豆が激減、わずかに確保された豆の価格も暴騰しました。それによって、当時フランスの支配下にあったサヴォイア王国の首都トリノでは、チョコレート産業が大きな打撃を受けたのです。

 とはいえ、甘美なチョコレートを渇望する声は衰えませんでした。やがてミケーレ・プロシェという菓子職人が、地元ピエモンテ・ランゲ地方の特産だったヘーゼルナッツを粉末にして、チョコレートに混ぜた代用品を生み出します。「必要は発明の母」を地でゆく滑らかな口どけを持つこの菓子は、1865年のカーニバルの際、CaffarelLink to Websiteによってカーニバルのキャラクターの名前に由来する Gianduiotti ジャンドゥィオッティという名で売り出されました。

 現在では DOC (=原産地統制呼称)で規定された25%以上のピエモンテ産ヘーゼルナッツやイタリア産アーモンドを材料に使用した製品だけにジャンドゥイオットの呼称が許されています。

GIANDUIOTTO-caffarel.jpg【Photo】Caffarel の「ジャンドゥィオ1865」のパッケージ(写真右)にはカーニバルのキャラクター Gianduiotti が描かれている。写真左はNocciolatoノッチョラートと呼ばれるヘーゼルナッツ入りのチョッコラート。リバティ様式のエレガントなパッケージが目を引く

nutella.jpg その組み合わせをペーストにした「Nutella ヌテッラ」はトリノの南、Alba アルバに本社がある菓子の多国籍企業「Ferrero フェッレロ」 Link to Website(伊語のみ)〉が1964年に売り出し、世界ブランドに成長しました。Dolce Vita ドルチェ・ヴィータ(=甘い生活)な朝に欠かせないヌテッラは、パンに塗って、あるいはビスコッティにつけて食べられ、ASローマのFWフランチェスコ・トッティなど、男女問わず熱烈なファンが多いといいます。

rocher.jpg 日本にはオーストラリア製のヌテッラが輸入されているので、豪州発祥だとお思いの方が多いのでは?同社は世界で最も売れているチョコレート菓子だというヘーゼルナッツを使用した丸い形の Rocher ロッシェをはじめとする多彩なチョコレート製品のラインナップを揃えます。

 老舗のPeyrano ペイラーノLink to Websiteや、日本では輸入元の明治屋の要らぬ配慮からか、ヴェンチと名乗っている Venchi ヴェンキLink to Websiteなどの大手から、イタリアにおけるアール・ヌーボー様式を指す Stile Liberty (=リバティ様式)の内装が見事な Baratti&Milano バラッティ&ミラノなどのカフェ、そして小規模な菓子工房に至るまで、数多くのチョコレートが今もトリノで作られています。

    Cioccolati.jpg

【Photo】チョコレートの街トリノでは、さまざまなCioccolato が作られている

 そんなチョコレートの街トリノが一層チョコレートの甘い香りに包まれるのが、毎年春先に開催されるチョコレートの祭典「CioccolaTÒ チョコラート」です。ネーミングの由来はCioccolato チョッコラートと Torino の語呂合わせですね。

 年々規模を拡大し2007年で5回目の開催を迎えたこのイベント。トリノにチョコレートをもたらした恩人エマヌエーレ・フィリベルト公の騎馬像が建つサンカルロ広場や、ヨーロッパ最長の1km にも及ぶポルティーコ〈2007.7拙稿「そしてトリノ」参照〉で囲まれたヴィットリオ広場や市内各所のPasticceria パスティチェリア(=菓子店)、カフェなどが参加して行われました。

CioccolaTò-cioccolato.jpg【Photo】Torineseトリネーゼ(=トリノっ子)は老若男女問わずドルチェには目がない。チョコレートドリンク「cioccolata チョッコラータ」にご満悦な女の子

 地元ピエモンテを始め、世界中のチョコレート職人が優れた菓子作りの技を披露したのはもちろん、プロの料理人が料理の素材としての可能性を案したり、子ども向けのワークショップや工場見学など、多彩なプログラムが組まれまます。2007年は10日間の会期中、およそ90万人がこの催しに参加して、5.2トンに及ぶチョコレートが売買され、1万杯のチョコレートドリンクが飲まれました。 こうした食に関するイタリア人の関心と意識の高さには、いつも感心させられます。

 当初は"飲むもの"だったチョコレートの原型を窺わせる飲み物が「Cioccolata calda チョッコラータ カルダ」(=温かいチョコレートの意)。1828年にオランダのバンホーテン社がカカオ豆の脂肪成分(カカオバター)を取り除いて製品化した現在のココアよりも、濃厚なトロトロのホットチョコレートと表現すればよいでしょうか。

cioccolata-calda.jpg 寒い時季にBarバールの定番メニューとして登場するのが「チョッコラータ」。使用するチョコレートの種類別(ビター・ミルク・ホワイトなど)はもちろん、グラッパ・ウイスキー入りのほか、ココナッツ、マロングラッセ・ミックスベリー・ザバイオーネ入りなどの豊富なメニューが目白押し。冬にイタリアを訪れたならば、ぜひお試しを。

 チョコレート好きにオススメしたいのがトリノ市内の観光案内所(9:30AM9:30PM)で扱っている「ChocoPassチョコパス」。このカードを提示すると、協賛パスティチェリアやクラシックなカフェでチョコレートやジャンドゥィオッティの試食ができます。一定額以上の買物をすると5%~10%の割引サービスが受けられる場合も。

chocopass2007.jpg 24時間有効の10回券(10エウロ)と48時間有効の15回券(15エウロ)の2種類があります。対象店舗が多い48時間券のほうがバリエーション豊かなトリノのチョコレート文化に触れることができますが、日曜日や午後の早い時間帯と6月末から9月にかけてのヴァカンスシーズンは、店に行っても閉まっていたなんてこともあるので要注意です。

 美しくディスプレーされたチョコレートの買いすぎと食べすぎにはくれぐれもご用心を。なぜなら燃料代が高騰する昨今、エアライン各社は重量制限にシビアになってきています。航空荷物が重量オーバーの場合、数万単位のけっこうな追加料金を支払わなければなりません。スーツケースの重量超過にはお気をつけ下さい。その点、食べ物が美味しい上に甘いもの天国のトリノは危険な街かもしれません。体重の超過で後々泣かないためにも、ご用心ご用心 (^_ ^)


【注1】おそらく最も名が通ったチョコレートケーキは「ザッハトルテ」だろう。ハプスブルグ家のお膝元・ウィーンで1832年に誕生したこのケーキ、現代の私たちの感覚ではかなり甘いと感じるはず。ウィーンに本店がある「DEMELデメル」が仙台の藤崎に出店している。地元ではサッハトルテと濁らずに発音されるこの濃厚なチョコトルテ。産みの親フランツ・ザッハーの味を受け継ぐのは「Hotel Sacherホテル・ザッハ 」。15年以上前にホテル・ザッハで味わったザッハトルテの甘さの記憶は今も強烈に残っている

【注2】カルロ・エマヌエーレ二世とマリーア・ジョヴァンナ・バッティスタの間に誕生したのがヴィットリーオ・アメデオ2世。世界遺産に登録されているトリノの王宮群を建て、サルデーニャ王国の国王となるなど、サヴォイア公国の基盤整備に尽力した人物だ。幼少のころ胃腸が弱かった息子のために、母は宮廷医と相談の上、パン職人に消化の良い食べ物を考案するよう命じる。職人 Antonio Brunero アントニオ・ブルネロは上質の小麦を極細挽きにして焼き上げるカリカリとした歯ごたえの細長いパンを生み出した。それが Grissini グリッシーニである。自らを"Madama Reale マーダマ・レアーレ(≒本当の夫人)"と称し、野心家でもあったこの王女は、チョコレート産業とグリッシーニの誕生にかかわり歴史に名を残したのである

baner_decobanner.gif

コメント

 日本でも最近はショコラティエという言葉が出て来て、それぞれの専門店や職人の味が楽しめるようになり、うれしい限りです。

チョコレートというお菓子の存在自体が、年代関係なくシアワセにしてくれますよね。
映画の「チャーリーとチョコレート工場」しかり……。
もちろん食べ過ぎにはご用心ですけど(汗

▼おっかぁ様
コメントを頂きありがとうございます。
日本酒の話題がたくさん登場するおっかぁ様のブログを拝見していて、てっきりバリバリの左党かと思っておりました。

やはりチョコレートの誘惑には私同様おっかぁ様もお弱そうでちょっと嬉しくなりました(^0^)

ビターなチョコレートにはコニャックやブランデー、ウイスキーなどの蒸留酒がよく合いますが、チョコレートと合う日本酒があったらご指南ください。燗をした芳醇な日本酒なんか合いそうだなぁ。…じゅるっ。

Gennaio 2019
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

archive.gif

Copyright © KAHOKU SHIMPO PUBLISHING CO.