あるもの探しの旅

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平田の赤ねぎ

 江戸幕府の御用商人・河村瑞賢によって開かれた西回り航路の北の基点として、最上川交易の集積地であった湊町・酒田。1893年(明治26)の稼動以来、114年を経た今も庄内米を備蓄する山居倉庫の黒い板壁と、冬の季節風や西日を遮るため明治期に植えられた欅並木が、季節ごと美しいコントラストを見せます。井原西鶴の日本永代蔵で日本海側随一と称えられた酒田の繁栄を支えた商家「三十六人衆」のうち、現存する旧鐙屋(あぶみや)や本間家旧本邸の豪奢な佇まいに、活気に満ちた往時の面影が偲ばれます。

Sankyo_Souko.jpg【Photo】緑したたるケヤキ並木が美しい初夏の山居倉庫

 酒田のみならず、山形県を貫流する最上川沿いには北前船交易の遺産が残ります。小鵜飼舟や一回り大きい艜(ひらた)舟といった小舟で最上川河口の酒田まで運ばれた物資は、そこで大きな千石船に積み替えられ、海路上方へと運ばれてゆきました。江戸期より重要な交易品だった紅花の産地・山形内陸の河北町谷地(やち)には、享保雛や古今雛などの雛人形が、江戸期から明治にかけて紅花商人たちによって上方からもたらされました。これらの雛飾りは、旧暦のひな祭り(4月2日・3日)に公開されています。

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【Photo】享保10年に創業した庄内町の造り酒屋「鯉川酒造」所蔵の江戸末期の雛飾り二対。11代目当主佐藤一良社長のご好意で見せていただいた天保雛cliccca qui と古今雛clicca qui (一般非公開)

 近年では最上川沿いの山形県内各地で、今に残る雛飾りを公開するようになりました。最上川河口に位置する酒田や近郊の鶴岡など、庄内地方でも「庄内ひな街道」と称してその地に伝わる雛人形を春先に公開しています。商家や武家で母から娘へと大切に受け継がれてきた艶(あで)やかな雛人形は、洗練された上方文化の粋を物語る見事なものです。

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【Photo】同上所蔵 甲冑姿の神功皇后(右)と皇后の子・後の応神天皇を抱く武内宿禰(左)(一般非公開)

 江戸末期、酒田から最上川を遡った小鵜飼船が最初に立ち寄る宿場だったのが山形県飽海郡平田町(現 酒田市)飛鳥地区でした。この地で一夜を明かした船頭と商人らは、次の宿場となる川上にある戸沢村 草薙温泉を目指して最上川を再び上って行ったといいます。現在では護岸工事で堤防が築かれたために、当時の船着場の面影はありませんが、集落の名の由来となったと推察される飛鳥神社【注1】 がある現在の集落付近まで当時は最上川が蛇行していました。もとより日本三急流のひとつ最上川のこと。雨による増水はもちろんのこと、日照りによる渇水などで船の航行が困難となることも稀ではなかったはずです。地元の言い伝えによれば、上方よりこの地を訪れた商人が何らかの理由で飛鳥に足止めをくい、その際に美味しい湧き水でもてなされたお礼に、とあるネギの種を置いてゆきました。その種は、最上川北側の水捌けのよい砂を含む肥沃な堆積土壌の飛鳥の地で適応し、川下の砂越地区や西隣の楢橋地区でも代々伝えられてゆきます。

mtchokai.jpg【Photo】堆積土壌の飛鳥地区は水捌けが良く、栽培が難しい赤ねぎの栽培に適しており、休耕田を転用した赤ねぎの畑が広がる。地名の由来となった飛鳥神社は写真右手奥にある。彼方に聳えるのは鳥海山

 それが今回の物語の主役、在来野菜「平田赤ねぎ」です。茎が根本から枝分かれ(=分けつ)しない形状の一本葱で、土寄せをする土中の葉鞘部が鮮やかな赤紫色を呈するのが特徴。強い芳香を放つ平田赤ねぎは、そのまま刻むとシャキシャキとした強いネギ特有の辛味を伴います。加熱すると一転、糖度が 5.9度から 8.1度に上昇、まったりとした甘みが加わります。よって、薬味や鍋料理に使用すると素材の持ち味が活きるネギといえましょう。山形大学農学部 五十嵐 喜治教授の分析によって、赤色部分にアントシアニンやポリフェノールを含むことが判明しています。また、通常の長ネギに比べてビタミンCの含有量が多く、風邪の薬用としても重宝されてきました。

shouhin.jpg【Photo】豊富なアントシアニンによって、茎が赤紫色を呈する平田名産の赤ねぎ。平田赤ねぎ生産組合から出荷されるこの鮮度保持フィルムのパッケージには、赤ねぎの由来が記されている

 通常の長ネギは栽培に要する期間が 6ヵ月(180日間)なのに対し、この赤葱は、収穫までに倍以上の14ヵ月もの長い時間を要します。伝統的な栽培法では、8月から 9月かけて畑に播種(はしゅ)をした後、発芽後の仮植えを経て一年後の夏に分けつした個体を除いて土寄せをして定植。里に雪の便りが届き始める11月から 12月にかけてが収穫の最盛期となります。それだけ手間がかかる露地栽培の赤葱には天候によるリスクが伴うのです。赤葱が栽培される旧平田町の最上川沿いは冬季間、時として猛烈な北西の季節風が吹きつける地域。2005年12月25日に発生したJR羽越線の脱線事故現場は、赤葱の畑が広がる最上川の河川敷とすぐ目と鼻の先にあります。5人の尊い命が失われたあの痛ましい事故の原因は局地的な突風だったといわれている通り、遮蔽物の無い最上川沿いは季節風の通り道となります。この強烈な風に庄内地域特有の霰(あられ)が混じったり、冬場に多く発生する雷と共に雹(ひょう)が降ると、柔らかな葉の部分に黒班ができてしまい、商品価値が失われてしまいます。そのため、食味は優れているものの、ごく最近までは一部の農家の畑で自家用として細々と栽培されてきたに過ぎませんでした。

sig_goto.jpg【Photo】畑で赤葱の説明をして下さった後藤 博 平田赤ねぎ生産組合長

 そんな状況に変化をもたらしたのが、7年前に設立された農産物直売所「めんたま畑」の登場でした。厳冬期を除けば、四季おりおりに多彩な産物に恵まれた庄内地方は、地産地消が盛ん。いわば個性豊かな産直施設の激戦区です。当時、平田町地産地消推進協議会会長だった同町農林課長 前田 茂実 氏(55)が「特色ある農作物を商品化できないか」と相談したのが、県立庄内農業高校の 2年先輩で親しくしていた飛鳥地区の篤農家 後藤 博さん(57)でした。後藤さんはそれまでも河川敷に広がる田んぼの一角にある畑で自家用の赤葱を栽培していました。それまでは転作地で大豆の栽培もしてきましたが、連作障害が出やすく新たな転作作物を模索していた時期でもあったといいます。何とか伝統ある赤葱を特産化できないかと考えた後藤さんは、赤葱の特徴である鮮やかな赤色と太さを備えた葱の種を分けてくれるよう、周辺の農家を一軒ずつ回ったのです。庄内地方は自家採種が盛んな土地柄でしたが、もとより収量が少ない赤葱の種は思うように集まりませんでした。どうにか集まった種で10a ほどの作付けをし、特産化に向けた挑戦を始めました。

saishu.jpg【Photo】今年7月初旬に訪れた後藤さんの畑では、採種用の赤葱のネギ坊主が風に吹かれていた

 まず県の出先機関である庄内酒田農業技術普及課と共に取り組んだのが、およそ14ヶ月を要していた栽培期間の短縮でした。国内で他に赤葱が栽培されている生産地として知られているのは茨城と広島の 2ヶ所のみ。栽培法の研究のために、そのひとつ茨城県東茨城郡桂村(現 城里町)を訪れたりもしました。そこで実践していたのが育苗用のセルトレイに播種してハウス内で栽培する手法だったといいます。この栽培法を取り入れることによって、厳冬期の 2月から 3月にかけて播種した後、仮植えをせずに 4月から 5月にかけて定植。10月以降 12月末に畑が根雪で覆われるまで続く収穫期までの所要期間を およそ 9ヶ月に短縮することができました。しかし、栽培を始めた 2000年から 2002年にかけては、思うような太さに生育しない個体が多く、収量もごくわずか。地元の秋祭りなどで売り出すのがやっとだったといいます。赤葱の命とも言うべき赤の発色が悪く、全く色付かないものも全体の 1割ほど発生。そのため、苦労して育てたネギの大方をトラクターで潰さざるを得なかったのです。

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【Photo】定植後 間もない赤葱。丈は15cmから20cmほど

 そもそも平田の赤ねぎは、「仙台曲がり葱」同様、斜めにネギを定植させる栽培法だったため、湾曲した形状をしていました。めんたま畑では、そうした在来種の姿を伝える「曲がり赤ねぎ」を主に地元向けに扱っています。一方、首都圏などに赤葱を出荷しようとしていた後藤さんらは、大方の流通・小売サイドの「曲がったネギは扱えない」という要請に応えるため、畝(うね)を高く盛り上げて根から茎までを土で覆って、葱の形状をまっすぐにする工夫を加えたのです。更に個別に袋詰めをして、野菜の見栄えを気にする消費者心理に巧み訴えてゆきます。こうして試行錯誤を繰り返しながらも、徐々に手ごたえを感じ始めていた2003年春、赤葱の特産化に向けた町主催の説明会が行われました。後藤さんは、この日集まった平田町一円の農家 12戸と共に、栽培法や販路の確立に向けて「平田赤ねぎ生産組合」を発足させました。世話役だった後藤さんが組合長に推挙されます。それから、以前は大豆を育てていた圃場 30 aで赤葱栽培が本格稼動し始めたのです。そのころ開設 3年目を迎えていた「めんたま畑」組合加盟の生産者 10戸も赤葱栽培に本腰を入れて取り組み始めていました。

brushup.jpg【Photo】収穫の最盛期、畑の近くにある作業場では陽が落ちてもは作業続く。持ち込まれた赤ねぎは一本ずつタオルで磨き上げられた上で、鮮度保持フィルムに包まれ出荷される

 優良種の選抜による改良を加えるなど、関係者の熱意は徐々に実を結んでゆきます。出荷先の首都圏では、平田赤ねぎの優れた食味は市場関係者の高い評価を受けます。通常の長ネギの 3倍近い高値で取引されるにもかかわらず、一度口にした消費者は、必ずリピーターになってくれたといいます(何を隠そう、私もそんな平田赤ねぎファンの一人)。生産者たちにそうした確かな反響が届き始め、2004年に 1.5ha、翌年は 2.5ha、そして昨年は 3haと、作付け面積を徐々に広げてゆきます。柔らかな赤葱を傷付けないよう、収穫の際に必ず手で泥を落とした上で薄皮を風圧で吹き飛ばし、仕上げにタオルでやさしく磨き上げるなど、厳格な品質管理を徹底してきた生産者にとって、作付面積が増えるということは、栽培環境の多様化を意味します。平田赤ねぎの栽培には、地中深くまで水捌けが良い堆積土壌が向いていることが、これまでの経験から明らかになってきました。

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【Photo】更なる品質の向上を図るべく 2006年から組合で始めた交配用ハウス内での赤ねぎ栽培。その管理は組合員からの信頼が厚い後藤さんが任されている

 そのため平田赤ねぎ生産組合では、昨年から平田赤ねぎの特徴を備えた、いわば純血種の平田赤ねぎを再現・普及させようとする試みを始めました。露地栽培では避けられない受粉時の交雑を避けるため、外部と遮断した環境のビニールハウス内で採種用の赤ネギを栽培するのです。先日、実験中のハウスを後藤さんにご案内いただきました。2年目を迎えた今年は、栽培するサンプルの間隔を広げるなど、山形大学農学部 江頭 宏昌准教授の助言を仰ぎながら、葉鞘部の太さと鮮やかな発色を兼ね備えた個体を絞りつつあるとのことでした。そうして固体ごとの特徴を見極め、食味の良い優良種を厳しく選抜しようというのです。加えて強い季節風と地吹雪で飛ばされる霰(あられ)を遮るために、赤葱の栽培期間中、西側の畑に丈が高いトウモロコシを植えた区画を設け、更なる品質の向上を図るとのこと。 7年前、地域をあげて地元農業活性化の切り札にしようと歩み出した平田赤ねぎは、いまだ改良の道半ばにあるようです。

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【Photo】 ある日の我が家の平田赤ねぎ活用簡単メニュー「最強庄内産食材揃い踏み・無敵の豚しゃぶ」 
◆材料:平田産赤ねぎ適量 / 鶴岡市藤島地区 井上農場産 寒い時期が最高に美味しい噛むと畑の水が溢れ出す驚きの小松菜 適量 / 鶴岡市羽黒町産 上品な脂身とキメ細やかな肉質が魅力の山伏豚のバラ肉しゃぶ用薄切り(→しかもアクが出ない!) 適量 ◆つけダレ:しょうゆ / ゴマ油 / ダシ汁 / ニンニクとショウガのみじん切り各適量 ◆お湯 :庄内で汲んだ軟水系の湧き水 ⇒ これより美味しい豚しゃぶがあったら私までご一報を

 産直施設 めんたま畑では、今や赤葱は食味の良さから晩秋から冬場にかけての人気商品として定着しています。県外を含めた市場での高い評価を支える背景には、形状や傷の有無などについて組合が自主的に定めた厳しい出荷基準があります。その際にはじかれた赤葱を有効活用しようと、うどんや煎餅に練りこんだり、甘酢漬けなどの加工品として新たな需要の掘り起こしにも取り組んでいます。2004年から後藤さんが届ける赤葱を使った創作料理を提供している鶴岡市のイタリアンレストラン「アル・ケッチァーノ」のオーナーシェフ奥田 政行さん監修のもと、和洋問わず幅広い料理に活用可能な調味料「赤ねぎROSSO(ロッソ)」の本格販売にもこの秋から取り組むなど、生産者・県・地元自治体・学術研究者・料理人らが一体となって、消費拡大と一層のブランド化を後押ししています。
  
akanegirosso.jpg【Photo】この秋から本格的に販売される万能調味料「赤ねぎROSSO」。ROSSO ロッソ=伊語で「赤」の意。ラベルデザインは鶴岡出身の絵本作家土田義晴氏。平田赤ねぎの旬以外に上記「無敵の豚しゃぶ」をする場合のコク出しにも最適! 130g入り一個840円(税込)

 そんな平田の赤ねぎに心強い後継者が現れました。後藤さんの後輩に当たる庄内農業高校の農業専攻科を今年の春修了した高橋直希さん(21)が、平田赤ねぎ生産組合の仲間に加わったのです。農業後継者の不足は日本の農業生産現場が抱える共通の悩み。高橋さんは、在学中必須の実地研修を自宅のある飛鳥地区で赤葱作りに取り組む後藤さんのもとで12回にわたって受けたといいます。そこで意欲的に生産に取り組む後藤さんたちの姿を見て、自身その輪の中に入って勉強しながらこの道に進もうと思ったのだそう。組合が借りている転作田の一角、30aで高橋さんの赤ねぎ作りが始まっています。

hirataakanegi.jpg【Photo】どうです、この堂々とした千両役者ぶり。生産者や関係者の熱意と創意工夫によって、優良種の選抜が進み、特産化に向けた取り組みを始めて6年を経た昨シーズン。このように見事な赤ねぎが作られるまでになった。鮮やかな緑・白・赤からなるイタリア国旗を連想させるこの配色。前世イタリア人の私にとって非常に親しみが沸くのは当たり前!?

 陽が傾き始めた畑からの去り際、川沿いの堤防の上に立ってみました。背後には滔々(とうとう)とした最上川がキラキラと輝きながら流れてゆきます。目の前には赤葱の緑のじゅうたんが一面に広がります。紅花を積んだ船が往き来した最上川がもたらした一握りの種がこの地で芽吹いてから幾星霜。地元だけで愛されてきた紅差す葱は、今新たな輝きを放ち始めています。その葱が経てきた気の遠くなるような歩みと、厳しい自然の中で代々それを受け継いできた人たちの思いにしばし思いを馳せたのでした。
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【Photo】枯れススキが風に揺れる堤防の上で。左手には最上川が静かに流れてゆく。収穫を待つ赤ねぎの畑が乳白色の靄(もや)に霞んで見えた

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ひらた農産物直売所 めんたま畑 
  山形県酒田市飛鳥字堂之後83-3 TEL:0234-61-7200
  http://bananan.net/mentama/web/

ひらた悠々の杜 アイアイひらた 直売所 (※平田赤ねぎ生産組合 商品取り扱い)
  山形県酒田市山楯字南山32-4 TEL:0234-61-7520
  http://www.aiaihirata.co.jp/top.html
  
平田赤ねぎ生産組合
  【問い合わせ先】庄内みどり農業協同組合 酒田園芸センター TEL0234-23-4124
  http://ja.midorinet.or.jp/
  アドレス toshikazu@ja.midorinet.or.jp

【注1】大和国高市郡(現 奈良県高市郡明日香村大字飛鳥)の飛鳥坐(あすかにます)神社を分詞、8世紀に現在の社殿が建つ地に勧請したのが起源とされる。興味深いことに、奈良県明日香村には「平田」という地名が存在する。彼の地を訪れたことがある後藤さんによれば、飛鳥坐神社の四祭神のうち、三つまでが平田の飛鳥神社と同じだったという。また、奈良県明日香地方では明治初期までは赤葱が作られていたという資料が存在する。これは、当時から奈良と平田地区との間に何らかの交流があった証拠ではないか?というのだ。だとすれば、北前船の時代よりも遥か以前から平田地区で赤ねぎが育てられていた可能性も出てくる。 さて真相は?

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コメント

近所のみやぎ生協で売っていたので、こちらでおすすめの豚しゃぶに平田赤ねぎを使ってみました。すると――


お・お・お・おいしいすぎるではありませんか!!!
もうヤミツキです。

▼平田の赤豚さま
レスが遅れて申し訳ありませんでした。昨年までは見かけなかったみやぎ生協に置いてあるのですね。在来野菜の復活事例として、成功していると言われる平田赤ねぎだけに、着々と販路が広がっているようです。平田赤ねぎは加熱すると、ひときわ旨さが増します。ますます深みにハマリますよう、ご期待申し上げます。

おいしそう!

▼空想さま
ハイ、ご賢察のとおりです!

素晴らしい。
感激・感動・感謝です。
よくぞ赤葱を取り上げ、心温まる内容です。
植物が大好きで、
植物を切り口にして、
人生・生き方・生活スタイルを学習している小子です。
お気に入りは斑入り・シルバーの葉芸です。
最近知り得た、日野菜カブに劣らず、すばらしい。
先人達の苦労と智恵にも、頭下がります。
お体大切にして下さい。

合掌
小子 俊海、

▼小子俊海さま
コメントを頂き有難うございます。
平田赤葱に限らず、在来作物の魅力の大きな要素に、その種を守り伝える人の生き様があります。
後藤さんから直接購入するため、昨年12月にお会いしましたが、腰の具合を悪くされ外科手術を受けたため、「今年は何も仕事をしてないんだ」と仰っておられました。
それでもご子息が跡をしっかり継いでおいでなので、葱の出来栄えは例年と変わらぬものでした。出会いとご縁に感謝・感謝です。

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