あるもの探しの旅

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2007/11/30

コーヒーの新たな地平へ

 新たな世界を予感させるコーヒーが仙台で味わえる。今回はそんなお話です。

 世界のトップバリスタたちが熱い視線を向けるマシンが今年日本に上陸しました。コーヒー本来の旨みを理想的な状態で抽出できる「Vacuum-Press バキューム・プレス」という世界初のメカニズムを取り入れたマシン「Clover 1s」。この米国シアトルにある「Clover Equipment クローバー・イクイップメント社」製のコーヒーマシンは、2007年11月現在、日本に3台しかありません。福岡と名古屋にあるコーヒー豆の焙煎業者(ロースター)に続き、仙台市泉区桂にあるカフェ「Bal Musette バル ミュゼット」のオーナーバリスタ・川口 千秋氏が、日本のカフェでは初めてこのマシンを導入しました。

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【PHOTO】全く新しい抽出法を採用した Clover 1s

 川口バリスタによれば、これまで一般ユーザーが家庭でコーヒーを楽しむ場合、最も忠実にコーヒーの持ち味を引き出す抽出法は「フレンチプレス」だったといいます。デンマークの「bodum ボダム」社の製品でお馴染みのフレンチプレスは、コーヒー豆に含まれる油脂成分が抽出時お湯に溶け出してきます。そのため、コーヒー特有のアロマ(香り)や味に深みが生まれるのです。私が愛用するナポリ生まれのCaffettiera (=コーヒーポット)、次回ご紹介する Napoletana ナポレターナも同様の抽出が可能です。かつては主流だったペーパーフィルターやネルドリップの場合、香りを構成する油脂成分がフィルターに漉されてしまうため、そうはいきません。それでも、フレンチプレスの4分前後という抽出時間と、直火にかける間の蒸らし時間が長くなるナポレターナの場合、劣化のリスクから逃れることはできませんでした。

 「理想的なコーヒーマシンが登場した」と川口氏が語るこの新兵器。蒸らしから抽出にわずか25秒~40秒ほどしか要しないため、コーヒー豆が加熱によって受けるダメージや、抽出時間が長引くことによって、雑味が出る危険を極力無くした画期的な設計だといいます。9月末にセッティングをした新世代マシンの実力を確かめに、先日バル ミュゼットを訪れました。

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【PHOTO】マシン上部はお湯でカップを温める機能があるラ・マルゾッコの「GB-5-3」はオールステンレス製。(写真左)背面には La Marzocco のロゴが誇らしげに刻印される(写真右)

 川口氏に促されカウンターの中を覗いて、まず驚いたのがその大きさ。業務用のマシンとして開発されたこの Clover 1s は、設置場所を選ばない幅285mm×奥行き551mm×高さ577mm というコンパクト設計なのです。その向かいで Made in Italy 特有の色気を放って存在を主張するエスプレッソマシン「LA MARZOCCO ラ・マルゾッコ社」の上級機種「GB-5-3 」(幅950mm×奥行き620mm×高さ475mm)と比べると幅の小ささが際立ちます。エスプレッソマシンの最高峰として、0.5℃単位で温度設定が可能なラ・マルゾッコ「GB-5」シリーズ。カプチーノを立て続けにサービスしなければならないハードな状況下でも、温度を一定に保つ独立した加熱装置「ツインボイラー」を備えた同社の製品は、プロフェッショナルなバリスタの愛用者が多いといいます。制限時間内にエスプレッソやカプチーノを提供する実地技能と創作飲料の完成度を競う世界バリスタチャンピオンシップ(WBC)で使用されるのもラ・マルゾッコのマシンです。扱いが難しそうなボタンやレバーがズラリと並ぶフィレンツェ製のこのハンドメイドマシン。アルファロメオのプレミアムコンパクトカー「alfa147 1.6ツインスパーク」【click!】のメーカー希望小売価格(259万円)とほぼ同じ価格設定がされています。

 こちらと比べると、湯温・湯量・抽出時間などを設定するダイヤルとスタートボタンがひとつずつしかない Clover 1s は家庭用の廉価版エスプレッソマシンと見まごうほどのシンプルさ。それでも、川口氏によればラ・マルゾッコほどでないにせよ、この最新鋭マシンもそれなりの価格なのだとか。

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【PHOTO】高地に位置するブラジル・ダテーラ農場のコーヒー・プランテーション

 ロースターとして自家焙煎も手がけるバル ミュゼット。「まずはこの豆から試して下さい」と川口氏がチョイスしたのは、WBC 2006年度の優勝者 Klaus Thomsen クラウス・トムゼン氏(デンマーク)が使用したブラジル Daterra ダテーラ農園の「ブラジル」中煎りでした。酸味と苦味のバランスが取れた豆でマシンの特徴を掴んでほしいというのでしょう。ちなみにこの農場では、加熱や酸化による油脂成分の劣化や水分の散逸を防ぐため、アラビカ種の生豆を真空パックにして低温輸送する細心の配慮をしています。同農場はサンパウロにあるカンピナース農学研究所やイタリアのエスプレッソ・メーカー「illy イリー」などと共同研究により、環境に配慮した生産法をいち早く導入、ISO14001や米国に本部を置くNGO団体「Rainforest Alliance レインフォレスト・アライアンス」の認証(RA認証)を受けています。RA認証は、厳格なガイドラインに則った営農管理(栽培手法、環境保全、労働者の保護)を行う農場にのみ与えられるもの。ほかにも 「IBD (Instituto Biodinâmico Certification Association)ブラジル有機認証協会」の認証など四つの国際機関によって、持続可能な生産体制にあることを認められています。
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【PHOTO】12年以上の研究を経て、non-GMO(非遺伝子操作)でカフェインを1%以下しか含まないアラビカ種のコーヒー豆「Opus 1 Exotic」の開発に成功したというニュースが先月末、ダテーラ農園より伝えられた

【PHOTO】中米 エル・サルバドルのコーヒープランテーションで働く女性

 世界中で飲まれるコーヒーの1/3~1/4を生産するブラジルをはじめ、地球上では、およそ2,500万人がコーヒー栽培に従事しているといわれます。コロンビア・ベトナム・インドネシアといった熱帯地域の途上国では、コーヒーの樹は、熱帯雨林を切り開いて栽培されています。高温多湿な気候ゆえ、病害虫の発生を未然に防ごうと大量の農薬が散布されたり、生産効率を上げようと化学肥料が多用される場合も多いのです。こうした地域では深刻な環境汚染が起きています。コーヒーの生産には、地球温暖化が招いた異常気象による干ばつや大雨などのリスクを伴います。コーヒー豆は、石油に次いで取引額が多い産物。そのため相場変動によるリスクを回避するため、仲買人は末端の買取り価格を恒常的に低く抑えようとします。この構図が、コーヒー生産の現場に貧困を生み出しています。生きてゆくために最低限の対価を得ることなく過酷な単純労働を強いられる人々は、満足な教育の機会もなく、無知ゆえに農薬による自身の健康被害に苦しんでいるケースもあるといいます。最近は日本でも欧州で誕生した「Fairtrade フェアトレード」の考え方に基づくコーヒーや紅茶・バナナ・衣類などを見受けるようになりました。適正価格で継続的に商品を購入することを通じて、立場の弱い第三世界の生産者の支援と自立を目指すこの運動。あなたが口にする一杯のコーヒーから参画できるのです。


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【PHOTO】キメ細かなメッシュ構造になっているマシン上部の投入口にグラインダーで挽いた豆を投入(写真左) 正面上部左のブリューボタンを押すと注湯口からお湯が出てくる。(写真右)

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【PHOTO】湯と粉を攪拌し「蒸らし」を数秒。マシンのコンパクトさがお分かり頂けるかと(写真左) 水分を含んだ豆が膨らんだところでバキューム・プレスによる抽出へと移行(写真右)

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【PHOTO】シリンダー内でコーヒーの粒子内部までお湯が浸透し、余すところなく旨みを抽出する(写真左) メッシュフィルターを通してカップにコーヒーが出てくるまでおよそ50秒(写真右)

 1杯のコーヒーを淹れる川口バリスタの作業は、マシン正面右のダイヤルで抽出時間や湯量を設定してから、スタートボタンを押すだけで、後はマシンがほぼ全てやってくれます。抽出が終わったコーヒーダストを排出口に掻き出して、サッと乾拭きすればOK。その一連の作業は、いかにもあっけないものです。しかし、このマシンがもたらすコーヒの美味しさには舌を巻きました。口に含むとまず甘さとクリーミーな食感が広がり、エグミや雑味は皆無。アフターテイストにも不快な重さが残りません。それでも川口氏は「このマシンはコーヒーを美味しくするものではありません」とそっけないもの。マシン自体はコーヒー豆のポテンシャルを余すところなく引き出す能力を持つだけで、鮮度や焙煎の優劣などの豆の持ち味がコーヒーにストレートに反映されるということでもあるわけです。とどのつまり、変質した油脂に由来するエグミをペーパーフィルターが漉すという副次効果が無いため、高い品質を備えたコーヒー豆を選別するバリスタの見識とその豆の特徴を活かすバリスタの技能が問われるマシンでもあるのですね。

 いずれにせよ、スペシャルティコーヒーの新たな可能性はこのマシンが切り開くのかもしれません。Don't miss it !

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la casa del caffè Bal Musette カフェ バル ミュゼット
住所:仙台市泉区桂4-5-2
TEL / FAX:022-371-7888
営 : 11:00~22:00 (日祝~19:00) 木曜休
URL http://www.bal-musette.com

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2007/11/21

鮭を極める哲人

「味匠 喜っ川」の深遠なる世界

「鮭のまち村上」より続き

 私が一年だけ山形エリアを担当した 2003年の夏。新潟県境の小国町から新潟県岩船郡関川村を経由し、庄内へと向かう途中で通りかかったのが、村上との最初の出逢いです。カーナビを頼りに迷い込んだのが、情緒ある店が点在する大町周辺と細い路地が続く寺町一帯でした。その風情ある黒塀の街並みに「へぇ~、いい町だなぁ」(寒っ! )と思ったことを今もありありと覚えています。その記憶をもとに村上を再訪したのは、本社勤務となって3年目の 2006年春のことでした。

【photo】
市民の手になる 5,000 本の竹灯籠が、黒塀の風情ある町並みに灯され、揺らめくロウソクの明かりが幽玄の世界へと誘う「宵の竹灯籠まつり」(10月第二土曜・日曜に開催)。二日間の祭り期間中、この「浪漫亭」ほか市内数箇所で琴や尺八・大正琴などの市民手づくりの演奏会が催される


 三面川に面した「イヨボヤ会館」から国道345号線を越えて歩みを進めると、ほどなく落ち着いた寺町へと辿り着きます。特徴的な白壁土蔵造りの浄念寺の角を左折すると、そこは城下町らしい佇まいを見せる安善小路。かつて若旦那衆は、借金をしてまで料亭や置屋が点在する寺町周辺に通じる通称"親不孝坂"を行き来したのだとか。小路の由来となった安善寺の山門前を過ぎ、黒塀が続く通りを左に折れると、ひときわ大きなお屋敷「浪漫亭」が目に飛び込んできます。新潟の地銀「第四銀行」の支店長宅としてかつて使われていた総二階造りの屋敷の主こそ、鮭の町村上を代表する鮭の加工品を手掛ける老舗「味匠 喜っ川」の15代目 吉川 真嗣(きっかわ しんじ)専務その人です。村上の景観に重要な役割を果たしていた、この歴史的建造物が売りに出され、取り壊される可能性が強いと聞いて、自ら建物を買い取ったのが2002年。大正浪漫風の内装にリフォームして自らの住まいとする一方、後述する催し物の会場としても一般に公開。町の賑わい創出に一役買っています。

【photo】伝統文化に新たな価値を付加して見事に花開かせた"村上ルネッサンス"の仕掛け人・吉川 真嗣 専務

 大型複合商業施設誘致や旧市街の再開発に誰も異論を唱えなかった1998年。戦後にできたアーケードで覆われた大町など村上中心部の商店街は、郊外にできた大型店に客足を奪われ、すっかり活気を失っていました。持ち上がった旧市街地の道路拡張計画に対し、町屋・寺町・武家町・城址が揃って残る全国でも珍しい城下町村上の魅力を失ってはならないと、単身反旗をひるがえしたのが吉川氏でした。ここ数年で、日本の地方都市の郊外には至るところ同じような商業施設が並ぶ金太郎飴のような景観が広がるようになりました。

 かたや客足が遠のいた旧来の商店街中心部の活性化は、地方都市が抱える共通の課題です。村上には売り場と生活空間が通路で一体となった奥行きのある町屋造りの店が今もなお残っています。吉川氏は、表を素通りしただけでは判らない建物自体の魅力に着眼しました。そこで伝承されてきた雛飾りや屏風などを含め、"自らの足元にあるもの"を巧みに組み合わせて観光資源として公開し、町の活気を取り戻そうとしたのです。後に「町屋の人形さま巡り」や「屏風まつり」clicca qui といった歴史ある城下町ならではの風情ある催しで、多くの人を呼び寄せることに成功します。この地域起こしの取り組みは、吉川氏が商店街を一軒ずつ説得して始まったものでした。

kikkawazashiki.jpg【photo】毎年 7月 7日・ 8日に開催される村上大祭に繰り出す「おしゃぎり(=山車)」の模型(写真右下)が飾られた「喜っ川」の茶の間。お仏壇と神棚が上下で組み合わされる村上の町屋造りの特徴を備えている。大きな一枚板の幅木が奢られた上がりかまちは来客が座敷に上がる際に使うもので、家人は一段低い右側の上がりかまちを使う点はいかにも商家らしい。写真下は毎年春に開催され、多くの観光客で町が賑わいをみせるようになった「人形さま巡り」開催中の喜っ川の茶の間。あでやかな段飾りの雛人形と全国各地から集めた素朴な土人形の数々が、落ち着いた小さな囲炉裏のある茶の間を賑やかな祝祭空間へと一変させる

kikkawahina.jpg【photo】"うちの人形さま"と呼び習わすほど大切に伝えられてきた村上の人形飾り。毎年 3月 1日~ 4月上旬に開催される「町屋の人形さま巡り」では、さまざまな時代の雛飾りに加え、三河から伝わった素朴な大浜人形(村上土人形)・武者人形・市松人形など 4,000体が 75軒もの町屋で公開される。一ヶ月間の人形さま巡り開催期間中に 3万人が訪れたという初年度 2000年、これといった特徴のない閑静な一地方都市であった村上市にもたらされた経済効果は1億円。それが現在では 5億円ともいわれる。まつり期間中、人口3万のこの町は、たいへんな賑わいをみせる

 真嗣氏は現社長である父君と母上を説得し、江戸情緒溢れる瓦葺屋根と格子窓・障子戸を備えた店構えに改装します。それを皮切りに、市民基金による店舗の歴史的外観の再生と町に賑わいを取り戻すための新たな試みに着手したのです。出資者を募って黒塀を1枚1,000円で購入してもらい延伸する「黒塀プロジェクト」や、黒塀通りを5,000本の蝋燭の灯火が照らす「宵の竹灯籠まつり」、「十輪寺えんま堂の骨董市」など、城下町村上に新たな魅力を加える事業を次々と仕掛けてゆきます。その実績から、氏は2004年に国交省認定の観光カリスマ百選の一人に選定されています。今年43歳になる真嗣氏をして「まだ本業のモノ作りでは親父には敵(かな)わない」と言わしめるのが、14代目主人・吉川 哲鮭(てっしょう)氏です。来店客に気さくに話しかける哲鮭氏の語り草は、いかに村上の鮭文化が深遠なるものかを気付かせてくれることでしょう。

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【photo】鮭の町・村上の歴史と風土が生み出す塩引き鮭。現当主・吉川 哲鮭氏の手で風干しされ、旨みが凝縮した塩引き鮭の身と皮は、鮭に関する既成概念を覆して余りある

 今でこそ鮭の町として知られる村上でも、太平洋戦争を挟んで戦後間もない頃には、三面川の鮭は途絶えたといわれるほど漁獲高が激減しました。"先人が残した村上の鮭文化を絶やしてはならない"と立ち上がったのが一部の地元の人々でした。そんなひとり先代の豊蔵氏は、奥様と共に鮭料理の講習会を催し、忘れ去られようとしていた鮭料理の素晴らしさを地元の人々に伝える活動を始めたのです。そんな父の姿を目にしていた現社長の哲鮭氏は、稼業を鮭の加工一本に絞り、伝統の味に磨きをかけるべく研鑚を重ねます。やがて食料事情が豊かになり始めた高度成長期、地元でも鮭がないがしろにされた時代もあったのだそう。そんな時代に抗うように哲鮭氏は化学調味料や保存料などを一切使わずに、村上の風土に根ざした味を追求し続けてきたのです。

【photo】村上ならではの加工品「鮭の酒びたし」。喜っ川では漁期後半に汽水域で揚がった 5kg以上の赤い婚姻色が出た魚体のオス鮭のみ使用。漁期を通じて数匹しか揚がらない希少な10kgを越える個体も。遡上に備えて汽水域に留まる日数によって、鮭の顔つきが変わってくる。そこに長く留まっていた鮭ほど、オス同士の諍(いさか)いによって凄まじい形相になるという。漁期前半に多い早生(わせ)の鮭は、余分な脂肪で酸化が進むため酒びたしには不向き。卵に栄養を取られるメスも身に旨みが乗らないので使用しない。開け放たれた母屋の窓からは北西から吹く新鮮な風が出入りし、発酵という自然が織り成す神技の手助けをする

 墨痕鮮やかに「鮭」と記された「味匠 喜っ川」の暖簾をくぐると、店内には三面川の居繰網漁(いぐりあみりょう)で使われていた舟が置かれています。先代の豊蔵氏までは鮭製品だけではなく、造り酒屋も営んでいたという喜っ川。店頭には甕に入った冷たい井戸水が置かれ、かつての仕込み水を味わう事ができます。鮭を余すところなく使ったさまざまな鮭の加工品が並ぶ売り場の先は、登録有形文化財に指定された母屋と蔵になります。そこは村上の鮭文化を象徴する風情を湛(たた)えた空間でもあります。

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【photo】風乾干しされる「酒びたし」(写真右)の鮭が下がる母屋に立つ店の主人・哲鮭氏。町の北側にある下渡山や鷹取山が冷たい北風を遮り、瀬波温泉がある海岸線から 3~4キロ離れた村上の町場は、ゆっくりと熟成が進む発酵に適した湿度が保たれる。「村上の町場でなけばこの味は出せないのです」とは哲鮭氏の弁

【photo】鮭に粗塩を引く真嗣氏。一週間塩蔵した後、水洗いをして風乾干しする。梅雨時の高い湿度が塩分を身の奥まで行き渡らせ、夏の高温で発酵が進み、"仕上げの雨"こと秋雨の時期に味が落ち着く。この過程でタンパク質が旨みの成分である 20種以上ものアミノ酸に変化。一年がかりで深みのある旨みを帯びた酒びたしが生まれる。「"風味"とは風が作り出す味のことなのです」と哲鮭氏は語る
 
 鮭が銀鱗を躍らせるとは良く使われる表現ですが、燻し銀のように輝く魚体は鮭が海にいる間だけで、川へ遡上を始めた鮭は「薄ブナ色」と表現されるくすんだ色に変化します。水の臭いを頼りに生まれた川に戻った鮭が上流域に生えるブナと同じような色の魚体に変化するのは興味深い偶然といえましょう。村上では家々で男が仕込むのが習わしだという「塩引き鮭」。喜っ川では、10月下旬から11月にかけて村上の沖合いと汽水域周辺にいる鮭を使用します。塩引きに適した4.5kg以上の魚体を哲鮭氏が目利きします。一尾ずつ浸透圧が異なる鮭の状態に合わせて、塩を引く加減を変えるという哲鮭氏。塩を引いていると、鮭が「もういいよ」と手を伝って語りかけてくるのだとか。「のべつ同じ加減であれば、機械だって仕事はできるでしょう? 」もはや名人の域に達した哲人は、そう言って目を細めました。

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【photo】「簠(はんぼ)」と呼ばれる浅い楕円形の桶で4~5日寝かせた後、水洗い。その後一ヶ月弱店内に吊るされて発酵熟成される「塩引き鮭」。簠とは元来、神様への捧げ物を盛る器の名。これは鮭がいかに神聖視されていたかを物語っている。一般に流通する新巻鮭は、鮭に塩をした直後に冷凍されたもの。自然解凍によって塩を身に馴染ませるだけで、村上の塩引き鮭のように気候風土と発酵作用が味を作り上げるものではない。皮まで滋味深い塩引き鮭を一口含めばその香りと味の違いは歴然

 2007年11月22日(木)に仙台で催される「宮城ブランド発信フェスティバル」(主催:河北新報社)の際に基調講演をしていただくべく、8月末に吉川専務のもとを訪れました。さらにイタリアから訪れたジョルジョ・チリオ氏らと「宵の竹灯籠まつり」にボランティア参加するため、再訪を果たしたのが10月14日。ちょうど今年の鮭漁が始まったばかりの時でした。その二度とも親子二代から身に余る厚遇をして頂きました。

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【photo】驚くほどの旨みを持つ村上茶を頂きながら、哲鮭氏の話を伺ううち、村上の伝統文化がいかに奥深いものかに気付くはず

 村上には「亭主の茶」という習慣が残っています。その家の主(あるじ)が、先祖伝来の茶器を使って客人をもてなすのです。お茶の栽培が奨励された江戸期においては、村上は北限の産地とされ、寒冷な気候で生育が遅い分、渋味が少なく甘さを感じる在来種のお茶が育つのです。専務には浪漫亭で、社長からは母屋の座敷で、薫り高くまろやかな村上茶でもてなしていただきました。様式美すら感じさせる澱みのない所作で淹れられた村上茶の味わいは、決して忘れ得ぬものです。

 もともとの家業であった味噌・醤油から造り酒屋を経てきた蔵に隣接して、大正期に作られたという糀室(こうじむろ)があります。江戸の創業当初から発酵食品を手掛けてきた吉川家。先祖伝来の昔ながらの完全手造りによる麹(こうじ)作りが、今もそこで行われています。麹の仕込みが行われるのは 1月~3月にかけての厳寒の時期。米を炊き上げるのは、樹齢500年の秋田杉を材料に能代の職人に特注で作ってもらったという、底板の中心に10cm弱の穴が開いた「甑(こしき)」(⇒樽型のせいろ) 【clicca qui】。厳密な温度管理を要求される麹室での麹菌の培養には、寝ずの番をしなければなりません。木目を通して余分な水分を飛ばしてくれる甑で炊き上げた米は、絶妙な具合に仕上がるといいます。村上では、正月に鮭の熟(な)れ寿司を食する習慣があります。塩引き鮭とハラコにご飯と麹を混ぜて室温に置き、発酵が進んだ一ヶ月を経過した頃が食べごろ。子どもの頃、真嗣氏はこれが大の苦手だったそうですが、今ではこの熟れ寿司を食べないと正月を迎えられないのだとか。熟れ寿司に使用する米麹を伏流水で仕込んだ天然甘酒「雪乃華」もまた絶品です。
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【photo】神棚が祀られた麹室の入口には「学を修め 技を極め 一(はじめ)に還る」という哲鮭氏の警句が貼られてあった(写真左) 良質な米麹ともち米に由来する柔らかな甘さは後を引く美味さ。天然甘酒「雪乃華」180cc 税込315円(写真右)

 作務衣姿で店に立つ哲鮭氏の頭の被り物には、魚偏に「生」と書いてサケと読む昔ながらの村上の当て字が染め抜かれています。平安期より、村上では自分たちを生かしてくれる鮭への感謝の気持ちを込めてこの字を使っていました。敢えてその字を用いて、日々鮭と向き合う哲鮭氏の姿に、鮭とともに生きてきた村上の伝統と、それを受け継ぐ者の気概を見たのでした。

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味匠 喜っ川(みしょう きっかわ)
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住所:新潟県村上市大町1-20 
TEL : 0254-53-2213    FAX : 0254-53-2213
URL : http://www.murakamisake.com/ 
※喜っ川の正式表記は「喜」の略字である「七」が三角形に組み合わされた字をあてる

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2007/11/18

鮭のまち村上

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【photo】村上城址から見た村上。正面には下渡山と日本海へと注ぐ三面川が望める

 越後村上藩15万石の城下町として栄えた新潟県村上市。
鬱蒼とした木々に覆われた臥牛山(がぎゅうざん)山頂の村上城跡からは、人口3万人あまりの村上市街と下渡山(げどやま)を巻き込むようにして日本海へと流れ着く三面川(みおもてがわ)が望めます。落ち着いた佇まいの旧市街には、昔ながらの武家屋敷や印象的な黒塀が続く寺町、町屋造りの商家の家並みが残ります。

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【photo】かつて地方銀行の支店長宅として使われていた「浪漫亭」(写真左)
趣ある金看板が目印の和菓子店「早撰堂」(写真右)
 

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【photo】名産の村上牛を食せる風情ある店構えの「江戸庄」(写真左)
〆張鶴・大洋盛など村上の銘酒は櫓が目印の「田村酒店」へ(写真右)

細工町・塩町・鍛冶町・肴町などの町名からは、町人・職人が住まったかつての名残りが伺えます。伊達藩制時代に推奨されながらも一度は途絶えた仙台堆朱の伝統を明治末期に復活させたのは、仙台に招かれた村上の堆朱職人・川崎栄之丞でした。今ではウレタン塗装が当たり前になってしまった仙台堆朱とは異なり、今も木彫りと漆塗りの匠の技を受け継ぐ村上木彫堆朱は、経産省指定の伝統的工芸品に指定されています。
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【photo】木地師・彫師・塗師らが伝統の匠の技を発揮して精緻な文様を施す村上堆朱(写真左)。かつては栽培の北限と言われた名産の「村上茶」の産地にふさわしく、茶器の種類が豊富。村上には、茶碗の欠けたところ(写真右:金色の箇所)を見事に修理する腕を持った漆職人と金細工職人がいる。鮭加工製品の老舗・喜っ川の吉川社長によれば、こうした茶碗は「景色が変わった」と言って愛でるという

 仙台の市街地を流れる広瀬川など、鮭が遡上する川は日本各地にあります。新潟と山形の県境に連なるブナ林が広がる大自然を湛えた朝日連峰に端を発する清流・三面川は、鮭の川として知られています。わけても村上の人々が営々と築いてきた鮭の食文化は特筆すべきものです。頭から尾に至るまで捨てるところなく加工・調理される村上の鮭料理は、優に100種類以上にのぼります。毎年秋になると産卵のために三面川に戻ってくる鮭は、たとえ飢饉の年でも人々の貴重なタンパク源となったことでしょう。晩秋から春にかけてこの町を訪れると、家々の軒先に下がる鮭を目にします。特徴的なのは、腹を真一文字に割くのではなく、腹びれのあたりを一箇所を残して切る「止め腹」と呼ばれる仕込み方。豊かな恵みをもたらす鮭に切腹させることを忌み嫌った城下町村上ならではの慣わしです。村上で鮭を指す言葉「イヨボヤ」の「イヨ」とは、平安時代に編纂された辞書「和名抄」によれば、魚(ウオ)から転じて魚を指す言葉です。そして「ボヤ」は魚を指す村上の方言。つまりイヨボヤとは、鮭に対する親しみと敬いの気持ちを込めた"魚の中の魚"を意味する呼び名なのです。

【photo】家々の軒先に下がる「止め腹」をした塩引き鮭は、村上の晩秋から冬にかけての風物詩

 平安中期の律令細目を記した延喜式(927年)には、村上の鮭が京都まで運ばれていたことを示す記載があります。そこには「鮭楚割(さけそわり)」⇒塩引き、干物 ・「背腸(せわた)」⇒血合いの塩辛、めふん ・「鮭内子(こごもり)」⇒子をもった雌鮭 ・「氷頭(ひず)」⇒頭部の軟骨 ・「鮭鮨(さけずし)」⇒内臓を除いた鮭に米と酒を詰めて発酵させた熟(な)れ寿司 ・「鮭子(さけこ)」⇒スジコなどの表記が見られ、当時から鮭をさまざまに加工・調理していたことが窺えます。漁業権の入札制度が導入された江戸時代、資源保護の観点から稚魚の捕獲が禁じられます。同時に鮭の成育環境保持に森が果たす役割に気付いていた村上藩は、町の対岸にあたる下渡山から河口近くにある多伎神社(たきじんじゃ)周辺のタブノキなどの照葉樹林の保護に乗り出します。現在でこそ漁業資源と森林資源が密接に関係している事は周知の事実ですが、「魚つき保安林」の先駆けともいうべき村上藩の「御留山(おとめやま)」制度によって無用の入山や、許可無く木を伐採することが制限されました。鮭の成育に果たす樹木の役割に気付いていた村上の先人の知恵には驚きを禁じえません。こうした保護政策によって、鮭がもたらす税収は村上藩の財政を支える重要な柱になってゆきます。

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【photo】白雪に覆われた朝日連峰に端を発する「三面川」。豊かな鮭文化を村上の地に育んできたのは、この母なる川にほかならない

 当時は漁獲高に応じて漁師が納める租税額が決められていました。しかし、江戸中期になると、乱獲のため鮭の漁獲量が激減します。それは漁業者と藩にとって大きな痛手となります。この状況を打開したのが、川役人をしていた下級藩士・青砥 武平治(あおと ぶへいじ・1713-1786)でした。武平治は鮭の母川回帰性を世界で最初に発見した人物として今も語り継がれています。ことによると武平治は三面川流域の人々から、鮭が生まれた川に産卵のため戻ってくるのではないかという話を耳にしていたのかもしれません。治水の専門家だった武平治は、鮭の産卵環境整備の必要性を藩に具申します。それを受けた藩は、鮭の産卵に適した流速が穏やかで清冽な湧水が湧き出る場所に産卵床が設けます。

 1763年からはおよそ30年の歳月をかけて鮭の産卵に適した水深に設計された支流(種川)が、三面川と枝分かれして造られます。武平治が考案したこの世界初の自然孵化(ふか)施設の成果は目覚しいものでした。乱獲によって漁獲高が減少する以前は、豊漁時でも200~300両ほどだった税収が、この「種川の制」が導入されるやいなや1,300両あまりに、幕末期にはおよそ2,000両へと増えたといいます。明治17年に三面川で確認された73万7千匹という遡上数は、我が国における最高記録です。

 漁業資源の枯渇が叫ばれる今、その必要性が増す "捕る漁業"から"育む漁業" への転換は、世界に先駆けて村上から始まったのでした。

【photo】鮭公園に建つ 青砥 武平治 の像

 廃藩置県後の1878年、米国で編み出された鮭の人工孵化技術を導入した日本初の人工孵化場が村上に設けられます。漁業資源保護のための鮭の捕獲は、遡上の時期に川幅いっぱいに設けられる堰(せき)「ウライ」で行われています。最盛期には1日に1,000匹あまりの鮭がかかることもあるといいます。ウライの下流域では、引き網による捕獲に加え、今日では村上だけに伝わる伝統漁法「居繰網漁(いぐりあみりょう)」が行われています。二人乗りの小さな木舟が組になって鮭を追い込むこの漁法や、針に鮭を引っかけて竿で釣り上げるダイナミックな「テンカラ漁」も晩秋から冬場にかけての村上ならではの光景です。

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【photo】三面川の居繰網漁。二人乗りの木舟が 3~4艘で一組となり、鮭を追い込んだ上で網で捕獲する

 村上と鮭の関係を知りたければ、まずは種川の堤防を挟んで隣接する鮭公園内にある「イヨボヤ会館」を訪れてみましょう。この日本で最初の鮭に関する博物館では、この地の人々がいかに鮭と深く関わってきたかを知ることができます。三面川の四季の移ろいや青砥 武平治の功績を映像で紹介しているほか、漁具の展示・子ども向けの学習コーナーなども。館内には孵化場が設けられ、漁が始まる10月中旬から4月にかけては鮭の孵化・飼育を行っています。地階は種川の川底へとつながっており、遡上シーズンには、ガラス越しに鮭が群遊する様子や、運が良ければ感動的な産卵シーンを間近かに見ることができるでしょう。

 「イヨボヤ会館」で村上と鮭に関する理解を深めたところで、ぜひとも訪れていただきたい鮭の町村上の心と技を伝える一軒の老舗へ次回「鮭を極める哲人」にてご案内します。

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イヨボヤ会館
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新潟県村上市塩町13-34  TEL 0254-52-7117 FAX 0254-53-4300
URL http://www.iwafune.ne.jp/~iyoboya/
開館時間 / 9:00 ~16:30 休館日 / 12月28日~1月4日 
入館料 : 大人600円 小中高生300円 団体料金(20名以上)大人500円 小中高生250円

村上市へのアクセス】
JR利用の場合 / JR羽越本線 村上駅下車
自動車の場合 / 磐越自動車道⇒日本海東北自動車道・中条IC下車⇒国道7号線経由 または 東北道 福島飯坂IC下車⇒国道13号線⇒米沢⇒国道287号線・国道113号線経由(※3年連続水質日本一の清流「荒川」が流れる関川村周辺の美景が楽しめるルート) または 鶴岡方面からは国道7号線⇒国道345号線経由(※周辺きっての美しさを誇る名勝「笹川流れ」を経て日本海沿いを南下するルート)


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2007/11/09

Cafè カフェ文化

       
【photo】パリを代表する老舗カフェ「レ・ドゥ・マゴ」。観光客に占拠されたそこに往時の文化サロンの面影を求めるのは難しい

 イタリア人たちが日常生活でコーヒーを楽しむ情報交換の場として欠かせないのは、気取りのない Bar バールであることはすでにご紹介しました。一方で、かつて芸術家や文化人らが集い芸術論を交わすサロンとして、あるいは人々が天下国家を論じ、政治談議に花を咲かせるジャーナリズム発祥の揺籃としての役割も担っていたカフェが、今も欧州各国に残っています。
 パリ・サンジェルマンの「Les Deux Magots レ・ドゥ・マゴ」(1813年創業)や「Café de Flore カフェ・ド・フロール」(1887年頃創業)など、通りに張り出したテラス席で薄めのエスプレッソをすする観光客と慇懃な態度のギャルソンは、おフランスに憧れたかつての日本人が思い浮かべるカフェのイメージそのものかもしれません。

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【photo】モーツァルトの生家や映画サウンド・オブ・ミュージックが撮影されたミラベル庭園、飾り看板が見事なゲトライデガッセなど、ザルツブルグの旧市街巡りに立ち寄りたい「カフェ・トマッセリ」。店内の時計は、どれほどの時を刻んできたのだろうか

 文献によるとコーヒーを客に提供するコーヒーハウス(英語)・カフェ(仏語)の原型の業態は、1554年にコンスタンチノープル(現イスタンブール)で開業したとか。アドリア海の制海権を手中に収め、東方交易でコンスタンティノープルと関係が深かったイタリア・ヴェネツィアには1645年に、1652年にはロンドンにもカフェが店開きしました。ヨーロッパ最古参といえるこれらの店は、時の流れの中でやがて消えてゆきます。1683年、包囲戦に失敗して引き揚げたオスマントルコが残したコーヒー豆を商売に転用したのがルーツといわれるウイーンのカフェ。地元では Kaffeehaus カフェハウスと呼ばれ、居心地の良い居間のような感覚で新聞を広げて長居する市民の姿を目にします。映画「第三の男」が撮影された現在の「Cafè Mozart モーツァルト」の前身 Café Katzmayr カッツマイヤーは1794年にオープンしています。それに先立つ1705年には、オーストリア・ザルツブルグのアルター・マルクト広場に「Cafè Tomaselli トマセリ」が開業。今も2階テラス席からは、メンヒスベルグ山に築かれたこの美しいこの町のシンボル、ホーエンザルツブルグ城が遠望されます。水が有料である場合が多い他の欧州諸国とは異なり、アルプスの水に恵まれたオーストリアのカフェでは、コーヒーとセットで水が入ったグラスに銀のスプーンが載せられて出てきます。現存するパリ最古のカフェ「Le Procope プロコープ」は、シチリア貴族コルテッリ家出身のフランチェスコ・プロコッピオによって1686年に創業しました。現在の Le Procope は軽食堂を意味するブラッセリー・ビストロとなり、創業当初のカフェとは異なる業態をとっています。

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【photo】暗くなっても人通りが絶えないサン・マルコ広場に面した「カフェ・フローリアン」。入り組んだカッレ(通路)を彷徨った疲れを癒すには、申し分のない場所といえる。しかし、この店が発祥とされるカッフェ・ラッテ(エスプレッソ+ミルク)を味わうには、相応の覚悟が必要。店頭で甘美な旋律を奏でるお抱え楽団のギャラや、華やかな歴史を今に伝える空間の維持費が、この店のカッフェの値段にはしっかり上乗せされているのだから

 かつてゲーテ、ワーグナー、オスカー・ワイルド、バイロン、ルソーなど歴史に名を留める各国の賓客を迎えたクラシックなカフェは、ヨーロッパ文化の源泉となったイタリアにも存在します。有名どころでは、ドゥ・マゴやフロール同様にそれなりの出費を覚悟した上で訪れたいヴェネツィアのサン・マルコ広場にある「Caffé Florian カフェ・フローリアン」(1720年創業)が筆頭格でしょう。このイタリア最古のカフェは、広場を挟んで向かいに位置する「Gran Caffè Quadri グラン・カフェ・クワドリ」 (1775年創業)とともに、ナポレオンが"世界で最も美しい広場"と称えた劇場都市の顔ともいえる空間の演出に一役買っています。ローマのスペイン広場から高級店が建ち並ぶコンドッティ通りに入ってすぐ右手の「Antico Caffé Greco アンティコ・カフェ・グレコ」(1760年創業)も、数多くの芸術家に愛されてきた老舗カフェです。今年の8月、UCC上島珈琲が日本におけるカフェ・グレコの商標権を獲得しました。1860年の創業と若干時代は下りますが、ナポリ最古のカフェ「Gran Caffè Gambrinus グラン・カフェ・ガンブリヌス」は、19世紀の絵画40点以上を収蔵する美術館さながら。町の喧騒から一歩足を踏み入れたそこは、あくまでも格調高く雰囲気も抜群です。今年の秋、東京の某百貨店のイタリアフェアに出店したガンブリヌスは、実物と似ても似つかないものだったと、そこを訪れた友人が語っていました(^^;)
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【photo】精巧な浮き彫りが施されたストゥッコ仕上げの漆喰とエレガントなリバティ様式の装飾。ナポリの「ガンブリヌス」では、濃厚なナポリスタイルのカッフェと共に Sfogliatella スフォリアテッラや Babà ババなどのナポリ菓子も味わいたい

SANCARLOSalone.jpg【photo】バロック様式の内装が見事なトリノの Caffè San Carlo サン・カルロ

 トリノには、歴史的なつながりが深いフランスやオーストリアと相通じるクラシックな香りが漂うカフェ文化が残っています。昨年のTerra Madre テッラ・マードレ会期中に、トリノ市内にある歴史的カフェ巡りツアーがトリノ市の主催でプレス向けに催されました。統一イタリア初代首相 Cavour カヴールが公務の合間を縫って通い詰めたという「Caffè al Bicerin カフェ・アル・ビチェリン」(1763年創業)。そこでカヴール首相のために考案されたのが、秘伝のレシピで作られる自家製チョコレートにエスプレッソを混ぜ、ホイップミルクをのせた二重構造を持つトリノ名物の飲み物「Bicerin ビチェリン」です。今ではトリノにあるカフェの定番となった脚付きのグラス(⇒伊語では Bicchieri ビッキエリ。共通性を感じますね)と銀のスプーンが添えられ、うやうやしく出されます。 【注1】

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【photo】現在のオーナーによって2004年に一部改装されたが、Ferdinando Baratti と Edoardo Milano の二人の菓子店オーナーが合同で創業した当時のエレガントな雰囲気はそのまま。ウインドーから垣間見える Baratti e Milano の店内は道行く人の目を引く

 内装の豪華さではトリノ随一との評価を得ている「Baratti e Milano バラッティ・エ・ミラノ」(1875年創業)や、その名もずばり「Torino トリノ」(1903年創業)は、創業当時流行したリバティ(=アール・ヌーボー)様式の装飾がふんだんに施され、華やかでスノッブな雰囲気が漂います。ホールに下がる大きなヴェネツィアングラスのシャンデリアがまばゆい「Caffè San Carlo サン・カルロ」(1822年創業)は、典型的なバロック様式の内装。「Caffè Mulassano ムラッサーノ」(1907年創業)のまばゆい金装飾が施された内装も見逃せません。いずれのカフェも折り目正しいカメリエーレが気持ちの良いサービスをしてくれます。Bar バール文化が主流のイタリアでは、こうしたカフェは珍しい存在といえます。こうした歴史あるカフェを訪れたならば、ぜひその雰囲気も味わいたいもの。

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【photo】カッフェや美味しいドルチェもさることながら、見事な装飾もご馳走のうち。「バラッティ・エ・ミラノ」(写真左)
トリノ発祥のアレンジカッフェ「ビチェリン」が生まれた店「カフェ・アル・ビチェリン」。小さな店内で売られているチョコレートも美味(写真右)

 プロコプの名を冠した老舗のカフェが仙台にあります。パリにあるその店のように、文化の発信拠点となるカフェたらんとその店「カフェ・プロコプ」が開店したのが1968年。開業当初から仙台でいち早く自家焙煎に取り組み、コーヒーと共に歩んできたマスターの熊谷 徳人さん。オーナー自ら厳しく選別した豆を使った定番のプロコプブレンドやカフェノワール、コハクの女王といったアレンジコーヒーなど、来年で開店40周年を迎えるマスターが淹れる薫り高いコーヒーに親しんだファンは数知れません。

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【photo】ビルの階段を上ると、ドアのガラス越しにカウンターに立つ熊谷さんが迎えてくれる(左写真)歴史を感じさせる店内。一人でも、あるいは大切な人とのとっておきの時間を過ごせる(右写真)

アール・デコ様式のガラス張りの木製ドアの先には、ゆったりとした時間が流れる心地よい空間が広がっています。ほの暗い店内は全てアール・デコで統一され、照明器具やさりげなく置かれた小物類にも趣味のよさが感じられます。
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【photo】照明・小物に至るまでアール・デコで統一された店内(左写真) 生クリームと深煎りのコーヒーが絶妙な調べを奏でる「コハクの女王」500円(写真中) 置物?いえ、現役の電話機です(写真右)

グランドピアノが置かれた店内では、第一線で活躍する長谷川 きよし氏や榊原 光裕氏らのライブ演奏会が不定期で催されてきました。そして今、そうしたミュージシャンと触れ合えるプロコプを遊び場として育ったという熊谷さんのご長男・和徳さんが、タップダンサーとして世界を舞台に活躍しています。プロコプを文化発信の拠点にしたいという40年前に熊谷さんが抱いた夢は、こうして実現しつつあるのです。

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カフェ・プロコプ
住所:仙台市青葉区一番町4丁目5-2 
TEL:022-227-2045 
営)平日:11:00-19:30 土日祝12:00-19:00 不定休

bicherin.jpg【注1】仙台でトリノ名物のビチェリンを飲ませてくれるお店がある。仙台市太白区のイタリアン「Al Fiore アル・フィオーレ」では、本場より若干甘みをおさえたビチェリン(600円)を提供してくれる。ここの存在感たっぷりなエスプレッソマシンは、フィレンツェの La Victoia 社製のレバー式。レバーの微妙な加減で抽出具合が変わってくるので、バリスタの個性が出るマシン。

Al Fiore アル・フィオーレ 仙台市太白区向山2丁目2-1-1F
TEL:022-263-7835 営)12:00-14:00 (土日月火のみ)18:00-23:30 水曜休


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2007/11/01

一匹狼のイタリアワイン商

「イタリアワイン最強ガイド」の著者でワイン商の川頭 義之氏とワイン談義に花を咲かせたEnoteca il Circoloでの一夜。いわゆるラテン系の「はじけた」お人柄ではないものの、ワインへの愛情と情熱の持ち主であることが氏の言葉の端々から伺えました。頂いた名刺に記された社名は「LupoSolitario」。伊語で「一匹狼」を意味するその気概や善し。なんとCOOLで素敵な社名でしょう。

 著書に記載されていた著者プロフィールで、大学の同窓であることは事前に知っていました。そこで大学時代の学籍番号を告げたところ、学部違いで同じ年に入学していた事が判明。あ~ら偶然。Il mondo è piccolo(=世界は狭い)。おまけに川頭氏が名刺を取り出した名刺入れは、私が愛用するショルダーバッグと同じPiero Guidiでした。日本では見かけないものの、イタリアでは人気のブランドのユーザー同士とは、これまた偶然。"Il mondo è molt piccolo(=世界はとっても狭い)"。

 川頭氏は'92年にイギリスで現在の奥様であるジョヴァンナさんと出会い、イタリアワインに本格的に目覚めたといいます。やがて「自分が口にするワインは、どんな場所でどうやって造られているのか」という興味が湧いてきたのだそう。そのため、生産者のもとを訪ね、根掘り葉掘り質問をぶつけたのだそうです。こういった行動に出る思考回路を私も持ち合わせていることを、当ブログの読者の皆様は既にご存知かと。口にするワインのほとんどがイタリアワインであること以外にも、いろいろとシロガネーゼな(?)両者には共通点があるのでした。

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【Photo】シロガネーゼな大学時代はラグビー部に所属、FWとして活躍した川頭 義之氏と奥様のジョヴァンナさん、同校の広告研究会に所属、ただのチャランポランだった筆者。数年を経た今の差は歴然...il||li _| ̄|○ il||li(写真左より)

 陰干ししたブドウで仕込む偉大な赤ワインのひとつにAmarone della Valpolicellaアマローネ・デッラ・ヴェルポリッチェラが挙げられます。川頭氏の奥様ジョヴァンナさんは、その産地に近いイタリア北東部ヴェネト州のVicenzaヴィチェンツァ出身。ヴェネト州はイタリアで3番目の生産量とDOC【注】ワイン生産量全体のおよそ25%を生産する一大ワイン産地です。願ってもない伴侶を得た川頭氏は、さまざまな地方の印象に残ったワインのCantina カンティーナ(=ワイナリー)を訪ね、ブドウ畑や醸造の過程を目にしてきたといいます。そこで実際のワイン造りに関与するEnologoエノロゴ(=醸造家・醸造コンサルタント)やAgronomoアグロノモ(=ブドウ栽培に関する責任者・栽培コンサルタント)の話を聞くうち、ワインは自然風土と密接に結びついた農産物であり、ブドウの世話をする生産者やカンティーナでワイン造りに関わる人々の努力の結晶以外の何物でもないという事実に思い至ったのです。

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【Photo】Enoteca il Circoloでこの夜飲んだヴィーノ。川頭氏が自宅で最も飲む機会が多いと語るシチリアのGulfiという造り手によるRossoibleo、 ピエモンテで最も親しまれているブドウBarberaバルベーラの特徴である酸がキレイなMonchiero CarbonePelisa、白ワイン産地として高い評価を得るフリウリでは、国際品種Merlotも高い品質を備えたものがある。Vie di RomansMaurus もそんなひとつ。Redigaffiで一躍ワイン産地として世界に名を轟かせたトスカーナの南端、スヴェレートのTua Ritaを立ち上げた伝説は余りに有名。天才と呼ばれる醸造コンサルタント、ルカ・ダットマが立ち上げた自身のカンティーナからビオディナミコ農法で栽培したブドウから造られるAltrovino(写真左より)

 出逢った翌年の'93年に結婚したお二人は、川頭氏の実家がある神奈川県藤沢市に居を構えます。イタリア育ちのジョヴァンナさんは、飲みなれたイタリアのヴィーノを地元で探したものの、当時日本に輸入されていたイタリアワインは種類が限られ、あったとしても品質が伴わないものが大方でした。そのため、わざわざ電車で青山や広尾まで出向いてヴィーノを買い求めていたといいます。"日本になければ自分たちで道筋を切り開けば良いではないか"。そうした思いから、それまで勤務していた商社を退職し、生産者とインポーターとの仲介をするフランス語で「Coutier クルティエ」と呼ばれる輸出斡旋を業務とするワイン商として'96年に独立した川頭氏。

 宮城県には駆け出し時代の苦い思い出があるそうです。とある知人の紹介で、宮城に本社があるワイン輸入会社を単身訪問した時のこと。東京を早朝に出発、仙台近郊にあったその会社の事務所で待たされること 1時間。肝心の商談はわずか15分で打ち切られ、何の成果を得ることなく神奈川の自宅へ戻ったとか。これまでも川頭氏が日本に紹介したワインを数種類愛飲してきた私ゆえ、その時の商談相手が私だったら、即・商談成立だったはず。運が悪かったのですよ、川頭さん(笑)。

 川頭ご夫妻は、トスカーナ州のワイン生産地として急速に名声を上げているMaremmaマレンマ地区にある町Montescudàioモンテスクダイオにも家を持っています。そのため日本での事務所兼住居がある東京とイタリアを行き来する生活を送っています。リグーリア海沿いのCècinaチェチナからVolterraヴォルテッラに向かって10キロほど内陸にあるこの町の南、Bolgheriボルゲリには優れたワインを生産するカンティーナが数多く存在します。イタリアワイン界の巨人アンジェロ・ガヤ氏が地元ピエモンテ州以外で新たなワイン造りの可能性を追い求めて畑をボルゲリに購入したのは、1996年のこと。現在のイタリアワイン界で最も注目を集めるエリアと言って差し支えないでしょう。

scriomessorio.jpg【Photo】Enoteca il Circolo吉田シェフ秘蔵のMessorio(右)とScrio(左)イタリアワインファン垂涎のこの二本。セラーの肥やしにせずに、そのうち開ける時は忘れずに声を掛けて下さい。お願いしまーす(^0 ^)

 カベルネ・フランから造られるPaleo,メルロ100%のMessorio,シラーのScrio といったイタリアワインラヴァーなら知らぬ者はいないカルトワインを生産するカンティーナLe Macchioleレ・マッキオレ。その3代目当主エウジェニオ・カンポルミとの出会いが、川頭氏をして「イタリアワイン最強ガイド」を世に問うきっかけになったといいます。2002年に癌のため40歳の若さで夭逝したエウジェニオは、川頭氏の表現を借りれば「勤勉で寡黙」な職人気質の人物だったのだそう。その人柄に惚れ込んだ氏は、私生活でもカンポルミ夫妻と交友を深めていったといいます。販売の手伝いのため藤崎でワイン売り場に立たれた川頭氏の脇には、エウジェニオの遺志を継いで現在ワイン造りに取り組む妻のチンツィアさんの写真が飾られていました。

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【Photo】ジャンフランコ・ガッロ渾身の一本、Vie di Romans Chardonnay。バリックを使用しながらも厚化粧な嫌味がなく、「これがシャルドネ100%のワイン?」と良い意味で先入観を覆してくれる。高価なブルゴーニュの白がお好きな方には目からウロコなはず。果実由来の甘味に続いて上品な香りが鼻腔を心地よくくすぐる。大き目のグラスで冷やしすぎずに香りを楽しみたい

 「ワイン造りの鍵は畑におけるブドウの手入れが全て」と断言するエウジェニオのほか、川頭氏が出会ったエノロゴやアグロノモが本書には登場します。たとえばLe Macchioleのエノロゴを現在も務め、自身のカンティーナDuemaniドゥエマーニをモンテスクダイオの北隣にあるRiparbellaリパルベッラで2000年に興したルカ・ダットマ氏。そしてブルゴーニュの名だたる白ワイン産地にも比肩しうると川頭氏が語る北イタリアのアルトアディジェと並ぶフリウリ・ヴェネツィア・ジュリア州からはVie di Romansヴィエ・ディ・ロマンスのオーナー、ジャンフランコ・ガッロ氏。そしてピエモンテ州バルバレスコの北、Roeroロエロ地区Canale カナーレにあるMonchiero Carboneのオーナーで、川頭氏が非常に個性的で印象に残る人物と評するマルコ・モンキエロ氏、Poliziano・Lupicaia・Fonterutoli・Brancaia・Brolio などで醸造コンサルタントとしての輝かしい実績を築き、庄イタも愛飲するカルロ・フェッリーニ氏など。

 品質と価格のバランスが取れたイタリアワイン選びに実践的に役立つガイドとしての役割もさることながら、足掛け5年をかけてまとめ上げたこの本の狙いは、ワインを造る人たちにスポットライトを当てることにあったといいます。彼らが本の中で語ったワイン造りにかける情熱の発露ともいえる言葉は説得力に溢れています。そんな作り手が丹精込めて造ったワインは、雄弁に作り手の思いを伝え、造られた地の風土すら窺えると川頭氏は本の中で語っています。

 私が体験したそんな事例をご紹介しましょう。私が好きなヴィーノのひとつにSan Giusto a Rentennanoサン・ジュスト・ア・レンテンナーノのPercarlo ペルカルロがあります。イタリアを代表する赤ワイン用ブドウ品種Sangioveseサンンジョヴェーゼから造られるトスカーナ産の中では最も優れていると川頭氏も太鼓判を押すこのヴィーノ。

 2003年秋にトスカーナ州Sienaシエナを訪れた際、近郊にあるガイオーレ・イン・キアンティ地区にあるカンティーナを訪問し、オーナーであるマルティーニ・ディ・チガラ兄弟の弟、ルカ・マルティーニ・ディ・チガラ氏に畑と醸造施設を案内して頂きました。突然の訪問だったにも係わらず、彼は快く私を受け入れ、熟成中の樽からサンプルを取り出して試飲させては、感想を求めるのでした。最後にセラーで購入したPercarloとメルロから造られるLa Ricorma、そして私がこの日最も感動したデザートワインVin San Giustoに私の名入れでサインをしてくれました。

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【Photo】作柄に恵まれた2001年産Percarlo のバレルサンプルをテイスティング用グラスに注ぐルカ・マルティーニ・ディ・チガラ氏。翌2002年産のバレルサンプルは、厳しかった天候を反映してエレガントな印象。私の反応を見てルカ氏も苦笑い。結局この年はPercarlo ではなくChianti Classico Riserva Le Balòncole として、いわば格下げしてリリースされた

 昨年イタリアを訪れた際は、事前にルカ氏にアポを取って再訪を申し出ていました。その日はLucca ルッカ郊外のエレガントなリストランテ「La Morra ラ・モッラ」での豪奢な昼食に思いのほか時間を割いてしまいました。11月ともなると緯度が高いイタリアは陽が落ちるのが早くなります。「ルッカからルカのもとへ~♪」などと同行した二人の友人とお気楽なギャグを飛ばしていたのも束の間、約束の時間に遅れそうな旨をルカ氏の携帯に入れて道を急ぎました。しかし、夜に別な用事があるため、もはや待てない旨を4回目の電話でルカ氏から告げられたのです。

boccadama.jpg【PHOTO】カンティーナ訪問を果たせなかった日の夜、フィレンツェのワインバーで選んだのは4年前に訪問した際にステンレスタンクで発酵中のモスト(果汁)clicca quiを口にしていたサンジョヴェーセで醸されたPercarlo'03。再会を果たせずに失意に沈む心を穏やかに解きほぐしてくれた。遅れを取り戻そうとブンブン車を飛ばす私の運転も災いしたのか、疲れた表情を浮かべていた友人二人も初めて口にするこのワインによって力が漲ってくるのを感じたという。「凄いワイン。逃した魚は大きかったんだね」の問いに「その通り」と笑うしかなかった

 ステアリングを操る私に代わって電話でルカ氏と連絡を取ってくれたのは、中部イタリアPerugia ペルージャに暮らす私の友人Kissyでした。彼女によれば、電話の向こうでルカ氏は幾度も「Mi dispiace(=残念だけど)」と言っていたのだそう。この表現は、相手の気持ちに同調して自分も残念に思う場合に使うのです。楽しみにしていた訪問が叶わず、失意のうちに急遽予定を変更、フィレンツェに宿泊する事に。「昼をたっぷりと堪能したし、夕食は軽く」とホテルのフロントにいた男性に勧められたサンタ・クローチェ広場に面した「Boccadama ボッカダーマ(=「貴婦人の口」の意)」というワインバーに入りました。

 訪れた年のその産地のワインを入手するのを慣わしにしている私は、ワインリストから前回カンティーナを訪れた年、2003年ヴィンテージのPercarloを迷わずチョイスしました。お店でポテンシャルが高いワインを若いうちに開ける場合は、時間をかけて飲むと時の経過と共にさまざまな表情を見せてくれます。大ぶりなグラスをゆっくりとスワリングしながら、30分ほど経過すると次第に香りが開き、Percarloが秘める高貴さが片鱗を見せ始めてきました。口に含んで瞑目すると、3年前に目に焼き付けたブドウ畑の風景や、思慮深い口調の太い声でヴィーノの説明をしてくれたルカ氏の顔が浮かぶのでした。

 目的を果たせなかった"残念会"の趣で始まったその夜。カメリエーレのお兄さんのサービスで出てきた生ハムやチーズと共にPercarloをボトル半分ほど飲み進めると、先ほどまでドロドロに疲れていた心と体が嘘のようにほぐれてゆくのでした。それは、私に限った事ではなく、初めてこのワインを口にした友人二人も同じだったのです。まるで「今回会えなかったのはMi dispiaceだったけど、またチャンスはあるさ。あなたに会った年に収穫したブドウで仕込んだボクのヴィーノで、せめて今夜は楽しんでほしい」とルカが語りかけてくるかのような不思議な体験でした。

autograph.jpg【PHOTO】" La vita è breve,beviamo solo buon vino"(=人生は短い。美味しいワインだけを飲もう)という警句とともに、著書の表紙裏に川頭夫妻から頂いたサイン。若くして逝ったエウジェニオ・カンポルミのことを想起させる

 Enoteca il Circoloでの楽しい語らいの時間を共に過ごした翌日。藤崎のワインセミナー会場で再会した川頭氏の奥様ジョヴァンナさんから思わぬ素敵なプレゼントを頂きました。私のいでたちを見て「まるでイタリア人みたいですねぇ」とジョヴァンナさん。「いいえ、庄内系イタリア人です」と笑って切り返す私。ヴィーノを中心にイタリアの話で盛り上がった私には、ふさわしいイタリア名が必要だ、ということになったのです。

 そうしてジョヴァンナさんが命名して下さった名前が「Carlo カルロ」でした。大好きなワインPercarlo (「Per」= For の意の伊語+Carlo)とも繋がる素敵な名前ではありませんか。Grazie mille signora Kawazu !
これからは私を「庄内系イタリア人・カルロ」と呼んで下さいね。

【注】1963年に施行された現行のイタリアワイン法では、格付け順にDOCG(統制保証原産地呼称)、DOC(統制原産地呼称)、IGT(典型的生産地表示付・'92から導入)、VDT(テーブルワイン)の四種に大別される。生産エリア・ブドウ品種(混醸の場合は比率も)・栽培法・収穫量・醸造方法・熟成期間・アルコール度数・残糖分・酸度・エキス分などを事細かに規定。加えて国が委嘱する専門試飲委員会による官能検査も義務付けられる。格付け上の頂点にあたるDOCGに最初に指定されたのは、Baroloバローロ,Barbarescoバルバレスコ,Brunello di Montalcinoブルネッロ・ディ・モンタルチーノ,Vino Nobile di Montepulcianoヴィーノ・ノヴィーレ・ディ・モンテプルチアーノの4種。
 品質を追求する生産者は、規定に縛られないブドウ品種を使用したり醸造法を取り入れ、独自の名前を付けたワインを生産し、国際市場から高い評価を受けるようになる。Sassicaiaサッシカイアがその端緒とされる('94年にBolgheriボルゲリDOCへと昇格)。Tignanelloティニャネッロ,Ornellaiaオルネッライアなど、後に「スーパートスカーナ」ともてはやされる銘柄が後に続いた。こうして実際には、IGT・VDTクラスに傑出したワインが数多く存在する。これが大方のワイン愛好家にとってイタリアワインを判りにくくしている要因といえる


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