あるもの探しの旅

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鮭を極める哲人

「味匠 喜っ川」の深遠なる世界


 私が一年だけ山形エリアを担当した 2003年の夏。新潟県境の小国町から新潟県岩船郡関川村を経由し、庄内へと向かう途中で通りかかったのが、村上との最初の出逢いです。カーナビを頼りに迷い込んだのが、情緒ある店が点在する大町周辺と細い路地が続く寺町一帯でした。その風情ある黒塀の街並みに「へぇ~、いい町だなぁ」(寒っ! )と思ったことを今もありありと覚えています。その記憶をもとに村上を再訪したのは、本社勤務となって3年目の 2006年春のことでした。

romantei_tatetorou.jpg【photo】市民や有志のボランティアの手になる 5,000 本の竹灯籠が、黒塀の風情ある町並みに灯され、揺らめくロウソクの明かりが幽玄の世界へと誘う「宵の竹灯籠まつり」(毎年10月第二土曜・日曜に開催)。二日間の祭り期間中、この「浪漫亭」ほか市内数箇所で琴や尺八・大正琴などの市民手づくりの演奏会が催され、多くの観光客で街は賑わいをみせる

 三面川に面した「イヨボヤ会館」から国道345号線を越えて歩みを進めると、ほどなく落ち着いた寺町へと辿り着きます。特徴的な白壁土蔵造りの浄念寺の角を左折すると、そこは城下町らしい佇まいを見せる安善小路。かつて若旦那衆は、借金をしてまで料亭や置屋が点在する寺町周辺に通じる通称"親不孝坂"を行き来したのだとか。

 小路の由来となった安善寺の山門前を過ぎ、黒塀が続く通りを左に折れると、ひときわ大きなお屋敷「浪漫亭」が目に飛び込んできます。新潟の地銀「第四銀行」の支店長宅としてかつて使われていた総二階造りの屋敷の主こそ、鮭の町村上を代表する鮭の加工品を手掛ける老舗「味匠 喜っ川」の15代目 吉川 真嗣(きっかわ しんじ)専務その人です。村上の景観に重要な役割を果たしていた、この歴史的建造物が売りに出され、取り壊される可能性が強いと聞いて、自ら建物を買い取ったのが2002年。大正浪漫風の内装にリフォームして自らの住まいとする一方、後述する催し物の会場としても一般に公開。町の賑わい創出に一役買っています。

【photo】伝統文化に新たな価値を付加して見事に花開かせた"村上ルネッサンス"の仕掛け人・吉川 真嗣 専務

 大型複合商業施設誘致や旧市街の再開発に誰も異論を唱えなかった1998年。戦後にできたアーケードで覆われた大町など村上中心部の商店街は、郊外にできた大型店に客足を奪われ、すっかり活気を失っていました。持ち上がった旧市街地の道路拡張計画に対し、町屋・寺町・武家町・城址が揃って残る全国でも珍しい城下町村上の魅力を失ってはならないと、単身反旗をひるがえしたのが吉川氏でした。ここ数年で、日本の地方都市の郊外には至るところ同じような商業施設が並ぶ金太郎飴のような景観が広がるようになりました。

 かたや客足が遠のいた旧来の商店街中心部の活性化は、地方都市が抱える共通の課題です。村上には売り場と生活空間が通路で一体となった奥行きのある町屋造りの店が今もなお残っています。吉川氏は、表を素通りしただけでは判らない建物自体の魅力に着眼しました。そこで伝承されてきた雛飾りや屏風などを含め、"自らの足元にあるもの"を巧みに組み合わせて観光資源として公開し、町の活気を取り戻そうとしたのです。後に「町屋の人形さま巡り」や「屏風まつり」といった歴史ある城下町ならではの風情ある催しで、多くの人を呼び寄せることに成功します。この地域起こしの取り組みは、吉川氏が商店街を一軒ずつ説得して始まったものでした。

kikkawazashiki.jpg【photo】毎年 7月 7日・ 8日に開催される村上大祭に繰り出す「おしゃぎり(=山車)」の模型(写真右下)が飾られた「喜っ川」の茶の間。お仏壇と神棚が上下で組み合わされる村上の町屋造りの特徴を備えている。大きな一枚板の幅木が奢られた上がりかまちは来客が座敷に上がる際に使うもので、家人は一段低い右側の上がりかまちを使う点はいかにも商家らしい。写真下は毎年春に開催され、多くの観光客で町が賑わいをみせるようになった「人形さま巡り」開催中の喜っ川の茶の間。あでやかな段飾りの雛人形と全国各地から集めた素朴な土人形の数々が、落ち着いた小さな囲炉裏のある茶の間を賑やかな祝祭空間へと一変させる

kikkawa-hina.jpg【photo】"うちの人形さま"と呼び習わすほど大切に伝えられてきた村上の人形飾り。毎年 3月 1日~ 4月上旬に開催される「町屋の人形さま巡り」では、さまざまな時代の雛飾りに加え、三河から伝わった素朴な大浜人形(村上土人形)・武者人形・市松人形など 4,000体が 75軒もの町屋で公開される。一ヶ月間の人形さま巡り開催期間中に 3万人が訪れたという初年度 2000年、これといった特徴のない閑静な一地方都市であった村上市にもたらされた経済効果は1億円。それが現在では 5億円ともいわれる。まつり期間中、人口3万の村上を数多くの観光客が訪れる

 真嗣氏は現社長である父君と母上を説得し、江戸情緒溢れる瓦葺屋根と格子窓・障子戸を備えた店構えに改装します。それを皮切りに、市民基金による店舗の歴史的外観の再生と町に賑わいを取り戻すための新たな試みに着手したのです。出資者を募って黒塀を1枚1,000円で購入してもらい延伸する「黒塀プロジェクト」や、黒塀通りを5,000本の蝋燭の灯火が照らす「宵の竹灯籠まつり」、「十輪寺えんま堂の骨董市」など、城下町村上に新たな魅力を加える事業を次々と仕掛けてゆきます。その実績から、氏は2004年に国交省認定の観光カリスマ百選の一人に選定されています。今年43歳になる真嗣氏をして「まだ本業のモノ作りでは親父には敵(かな)わない」と言わしめるのが、14代目主人・吉川 哲鮭(てっしょう)氏です。来店客に気さくに話しかける哲鮭氏の語り草は、いかに村上の鮭文化が深遠なるものかを気付かせてくれることでしょう。

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【photo】鮭の町・村上の歴史と風土が生み出す塩引き鮭。現当主・吉川 哲鮭氏の手で風干しされ、旨みが凝縮した塩引き鮭の身と皮は、鮭に関する既成概念を覆して余りある

 今でこそ鮭の町として知られる村上でも、太平洋戦争を挟んで戦後間もない頃には、三面川の鮭は途絶えたといわれるほど漁獲高が激減しました。"先人が残した村上の鮭文化を絶やしてはならない"と立ち上がったのが一部の地元の人々でした。そんなひとり先代の豊蔵氏は、奥様と共に鮭料理の講習会を催し、忘れ去られようとしていた鮭料理の素晴らしさを地元の人々に伝える活動を始めたのです。そんな父の姿を目にしていた現社長の哲鮭氏は、稼業を鮭の加工一本に絞り、伝統の味に磨きをかけるべく研鑚を重ねます。やがて食料事情が豊かになり始めた高度成長期、地元でも鮭がないがしろにされた時代もあったのだそう。そんな時代に抗うように哲鮭氏は化学調味料や保存料などを一切使わずに、村上の風土に根ざした味を追求し続けてきたのです。

【photo】村上ならではの加工品「鮭の酒びたし」。喜っ川では漁期後半に汽水域で揚がった 5kg以上の赤い婚姻色が出た魚体のオス鮭のみ使用。漁期を通じて数匹しか揚がらない希少な10kgを越える個体も。遡上に備えて汽水域に留まる日数によって、鮭の顔つきが変わってくる。そこに長く留まっていた鮭ほど、オス同士の諍(いさか)いによって凄まじい形相になるという。漁期前半に多い早生(わせ)の鮭は、余分な脂肪で酸化が進むため酒びたしには不向き。卵に栄養を取られるメスも身に旨みが乗らないので使用しない。開け放たれた母屋の窓からは北西から吹く新鮮な風が出入りし、発酵という自然が織り成す神技の手助けをする

 墨痕鮮やかに「鮭」と記された「味匠 喜っ川」の暖簾をくぐると、店内には三面川の居繰網漁(いぐりあみりょう)で使われていた舟が置かれています。先代の豊蔵氏までは鮭製品だけではなく、造り酒屋も営んでいたという喜っ川。店頭には甕に入った冷たい井戸水が置かれ、かつての仕込み水を味わう事ができます。鮭を余すところなく使ったさまざまな鮭の加工品が並ぶ売り場の先は、登録有形文化財に指定された母屋と蔵になります。そこは村上の鮭文化を象徴する風情を湛(たた)えた空間でもあります。

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【photo】風乾干しされる「酒びたし」(写真右)の鮭が下がる母屋に立つ店の主人・哲鮭氏。町の北側にある下渡山や鷹取山が冷たい北風を遮り、瀬波温泉がある海岸線から 3~4キロ離れた村上の町場は、ゆっくりと熟成が進む発酵に適した湿度が保たれる。「村上の町場でなけばこの味は出せないのです」とは哲鮭氏の弁

【photo】鮭に粗塩を引く真嗣氏。一週間塩蔵した後、水洗いをして風乾干しする。梅雨時の高い湿度が塩分を身の奥まで行き渡らせ、夏の高温で発酵が進み、"仕上げの雨"こと秋雨の時期に味が落ち着く。この過程でタンパク質が旨みの成分である 20種以上ものアミノ酸に変化。一年がかりで深みのある旨みを帯びた酒びたしが生まれる。「"風味"とは風が作り出す味のことなのです」と哲鮭氏は語る
 
 鮭が銀鱗を躍らせるとは良く使われる表現ですが、燻し銀のように輝く魚体は鮭が海にいる間だけで、川へ遡上を始めた鮭は「薄ブナ色」と表現されるくすんだ色に変化します。水の臭いを頼りに生まれた川に戻った鮭が上流域に生えるブナと同じような色の魚体に変化するのは興味深い偶然といえましょう。村上では家々で男が仕込むのが習わしだという「塩引き鮭」。喜っ川では、10月下旬から11月にかけて村上の沖合いと汽水域周辺にいる鮭を使用します。塩引きに適した4.5kg以上の魚体を哲鮭氏が目利きします。一尾ずつ浸透圧が異なる鮭の状態に合わせて、塩を引く加減を変えるという哲鮭氏。塩を引いていると、鮭が「もういいよ」と手を伝って語りかけてくるのだとか。「のべつ同じ加減であれば、機械だって仕事はできるでしょう? 」もはや名人の域に達した哲人は、そう言って目を細めました。

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【photo】「簠(はんぼ)」と呼ばれる浅い楕円形の桶で4~5日寝かせた後、水洗い。その後一ヶ月弱店内に吊るされて発酵熟成される「塩引き鮭」。簠とは元来、神様への捧げ物を盛る器の名。これは鮭がいかに神聖視されていたかを物語っている。一般に流通する新巻鮭は、鮭に塩をした直後に冷凍されたもの。自然解凍によって塩を身に馴染ませるだけで、村上の塩引き鮭のように気候風土と発酵作用が味を作り上げるものではない。皮まで滋味深い塩引き鮭を一口含めばその香りと味の違いは歴然

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 2007年11月22日(木)に仙台で催される「宮城ブランド発信フェスティバル」(主催:河北新報社)の際に基調講演をしていただくべく、8月末に吉川専務のもとを訪れました。さらにイタリアから訪れたジョルジョ・チリオ氏らと「宵の竹灯籠まつり」にボランティア参加するため、再訪を果たしたのが10月14日。ちょうど今年の鮭漁が始まったばかりの時でした。その二度とも親子二代から身に余る厚遇をして頂きました。

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【photo】驚くほどの旨みを持つ村上茶を頂きながら、哲鮭氏の話を伺ううち、村上の伝統文化がいかに奥深いものかに気付くはず

 村上には「亭主の茶」という習慣が残っています。その家の主(あるじ)が、先祖伝来の茶器を使って客人をもてなすのです。お茶の栽培が奨励された江戸期においては、村上は北限の産地とされ、寒冷な気候で生育が遅い分、渋味が少なく甘さを感じる在来種のお茶が育つのです。専務には浪漫亭で、社長からは母屋の座敷で、薫り高くまろやかな村上茶でもてなしていただきました。様式美すら感じさせる澱みのない所作で淹れられた村上茶の味わいは、決して忘れ得ぬものです。

 もともとの家業であった味噌・醤油から造り酒屋を経てきた蔵に隣接して、大正期に作られたという糀室(こうじむろ)があります。江戸の創業当初から発酵食品を手掛けてきた吉川家。先祖伝来の昔ながらの完全手造りによる麹(こうじ)作りが、今もそこで行われています。麹の仕込みが行われるのは 1月~3月にかけての厳寒の時期。米を炊き上げるのは、樹齢500年の秋田杉を材料に能代の職人に特注で作ってもらったという、底板の中心に10cm弱の穴が開いた「甑(こしき)」(⇒樽型のせいろ)。厳密な温度管理を要求される麹室での麹菌の培養には、寝ずの番をしなければなりません。木目を通して余分な水分を飛ばしてくれる甑で炊き上げた米は、絶妙な具合に仕上がるといいます。村上では、正月に鮭の熟(な)れ寿司を食する習慣があります。塩引き鮭とハラコにご飯と麹を混ぜて室温に置き、発酵が進んだ一ヶ月を経過した頃が食べごろ。子どもの頃、真嗣氏はこれが大の苦手だったそうですが、今ではこの熟れ寿司を食べないと正月を迎えられないのだとか。熟れ寿司に使用する米麹を伏流水で仕込んだ天然甘酒「雪乃華」もまた絶品です。
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【photo】神棚が祀られた麹室の入口には「学を修め 技を極め 一(はじめ)に還る」という哲鮭氏の警句が貼られてあった(写真左) 良質な米麹ともち米に由来する柔らかな甘さは後を引く美味さ。天然甘酒「雪乃華」180cc 税込315円(写真右)

 作務衣姿で店に立つ哲鮭氏の頭の被り物には、魚偏に「生」と書いてサケと読む昔ながらの村上の当て字が染め抜かれています。平安期より、村上では自分たちを生かしてくれる鮭への感謝の気持ちを込めてこの字を使っていました。敢えてその字を用いて、日々鮭と向き合う哲鮭氏の姿に、鮭とともに生きてきた村上の伝統と、それを受け継ぐ者の気概を見たのでした。

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味匠 喜っ川(みしょう きっかわ)
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住所:新潟県村上市大町1-20 
TEL : 0254-53-2213    FAX : 0254-53-2213
URL : http://www.murakamisake.com/ 
※喜っ川の正式表記は「喜」の略字である「七」が三角形に組み合わされた字をあてる

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コメント

先日はお疲れ様でした。
吉川専務の講話…心に沁みるお話しばかりでした。
“めげない継続力”“カタチにして行く重要性”そして“考える努力”。
素晴らしい内容でした。

…いやいや「でした。」で終わらせていいけないんでしょうね。
吉川専務の行動力を見習い、宮城もガンバラないといけないですね。

▼おっかぁ早坂さま
 ぜひ3月に村上を訪れてみて下さい。普段は静かな町の通りに人形さま巡りマップを手にした観光客が溢れています。観光客の相手をする店のお年寄り達のイキイキとした様子。吉川さんが一人で始めた町おこしの取り組みが、いかに多くの人の心に明かりを灯したか、手に取るように分かります。

 今年3月の人形さま巡りでのこと。目当ての町屋を訪れようと、路地裏を移動中、一軒の民家の前に立っていたお婆ちゃんに「うちの人形も見て行って」と呼び止められました。こちらは家族三人でしたが、一人で家にいたお婆ちゃんは見ず知らずのよそ者である私たちを自宅に招き上げ、お雛様飾りを見せて下さいました。

 人形を飾っている町屋は商店ゆえに、人形さま目当ての観光客が来れば、そのうち何人かは買い物をしてくれる可能性があるわけです。でもお婆ちゃんのような一般家庭にとっては、人形さま巡りは何ら利害はないはず。でも私はその時「客人をもてなすって、こういうことなんだなぁ」と思ったのです。

 村上には喜っ川の甘酒だけでなく、〆張鶴や大洋盛といった地酒と、ユニークなご主人 工藤達朗氏 http://kudo-fan.hp.infoseek.co.jp/index.html がいる工藤酒店さんに加え、喜っ川ご主人が平安期の文献をもとに再現した「鮨葅(きそ)」や「めふん」「うるか」「鮭の酒びたし」といった肴もあります。辛党のおっかぁ様にはパラダイスに違いありませんよっ!!

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