あるもの探しの旅

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2007/12/24

プレゼーピオで迎えるNatale

 今回は、ほんの僅かしか食べ物は登場しませんので、食いしん坊の皆さんはあしからず。

s-christkindlmarkt-mercatino_di_natale.jpg【Photo】南ティロル、アルト・アディジェ地方の都市 Bolzano ボルツァーノのクリスマス市。11月末からナターレ直前まで毎日、町のCentroチェントロ(=中心)にある Piazza Walther ヴァルター広場に80もの屋台が並ぶ

 キリスト生誕の場面をジオラマで表現する「Presepio(Presepe)プレゼーピオ(プレゼーペ)」は、イタリアだけのものではありません。日本でもカトリック教会によってはプレゼーピオを飾ることがあります。北ヨーロッパや北米など、プロテスタントが多い国では、クリスマスツリーが主流。 Trentinonatale.jpgシュバルツバルト(黒い森)の針葉樹林が広がるゲルマン文化の影響が強い北イタリア、トレテンティーノ・アルト・アディジェ州では、「Mercatini di Natale メルカティーニ・ディ・ナターレ(クリスマス市)」の雰囲気も白木のマリア像やピューター(錫)製のオーナメント類が多くなり、ぐっと北方の様相が濃くなります。ことに1918年のイタリア編入以前はオーストリア領だったため、ドイツ系住民が多い北部アルト・アディジェには、ほとんどイタリアらしさがありません。クリスマスの時期に焼かれるこの地方の伝統的なタルト菓子「Zelten ツェルテン」の甘い香りが漂う周りから聞こえてくる会話は、clicca qui多数派のドイツ語と少数派のイタリア語が入り混じったもの。"北に来た~"という実感が湧くことでしょう。この時期欧州各地で行われるクリスマス市は、「Weihnachtsmarkt ヴァイナハツマルクト」と称されるドイツが発祥とされます。

 【Photo】ボルツァーノのメルカティーニの屋台で。白木のマリア像・キリスト像やオーナメント類が多く、プレセピオは少数派。そこがドロミテの山懐にある南ティロル地方であることを改めて感じさせる。オーストリアはもう目と鼻の先

 そのほか規模の大小はありますが、トリノやミラノ・ヴェネツィアなど各地でナターレのメルカティーニが立ちます。そこにはクリスマス用品のみならず、アンティークや食料品なども並び、市民の活気で溢れます。クリスマス用品をメインで扱う有名どころのメルカティーニは、ヴェローナやフィレンツェ・ローマといったところでしょうか。ヴェローナではPiazza Brà ブラ広場とVia Roma ローマ通りで。フィレンツェではPiazza Santa Croce サンタ・クローチェ広場で。ローマではPiazza Navona ナヴォーナ広場で大規模なメルカティーニが開かれます。
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【Photo】1世紀に造られたヴェローナのArena アリーナから、メルカティーニが立つブラ広場へと流れるベツレヘムの星を形どった巨大な輝くオブジェ

 11月末の「Avvento 待降節」からナターレを経て、1月6日の「Epifania 公現節」にかけてイタリアの街を歩いていると、教会や広場・駅などにキリスト降誕の場面をジオラマで再現したプレセピオが飾られているのを目にします。敬虔なカトリック教徒が多い南イタリアでは、今も各家庭でプレセピオが手作りされることもあるようです。街中のTabacchi タバッキ(=キオスク)で売られる卓上用の小さなものから、s-bambinello.jpg実物大の人形が当時のベツレヘムを再現した洞窟や馬小屋に配置される大掛かりなものまでさまざま。前回写真でご紹介したバチカン・サンピエトロ広場に作られるプレセピオが規模や精巧さにおいては一番かもしれません。 そのプレセピオ、今日12月24日の夜中に少しだけ様相が変わります。そう、マリアとヨゼフの間にある飼い馬桶は、24日までは空っぽなのですが、25日に日付が変わる夜中に幼子イエスの人形が加わるのです。こうして主イエスの誕生を皆で祝福するのですね。

【Photo】24日Viglia ヴィジリアの深夜、プレセピオに加えられるBambinello 幼子イエスの人形

s-giotto_percorsi.jpg このプレセピオ、アッシジの聖フランチェスコ(1181?~1226)が13世紀に始めたものと伝えられています。アッシジの裕福な織物商人の家庭に生まれながら、出家して清貧の生涯を貫いたフランチェスコは、今も人々から最も慕われる聖人と言ってよいでしょう。12世紀末ごろはラテン語による説教が一般的で、意味を解せない信者が大方でした。フランチェスコは当時の封建的な聖職者の位階制度と距離を置き、一部の特権階級にではなく、各地を回って貧しい人々と向き合って教えを説きました。s-francescogreccio.jpg

【Photo】フランチェスコが世を去って800年近くを経た今も、グレッチオでは村民によるフランチェスコのプレセピオ劇が毎年クリスマス休暇が始まる12月24日の22時45分と、12月26日(聖ステファノの祝日)・1月1日(カポダンノの祝日)・1月6日(公現節の祝日)の17:45に演じられる


 1223年12月25日にフランチェスコはウンブリアとの境に近いラッツイオ州の小村Greccio グレッチオを訪れます。その際、崖の中腹にある洞窟にキリスト降誕を再現した人形を飾って主イエスの誕生を人々と共に祝ったといいます。文字が読めない人々にとって、キリスト教の教えを理解する近道は、モザイクやフレスコによる宗教画や磔刑像などの彫像でした。その模様は後に画家Giotto ジョットによって、アッシジのサン・フランチェスコ聖堂の壁に描かれた28の連作フレスコ画「聖フランチェスコの生涯」で広く知られるようになります。聖堂の建設が始まったのはフランチェスコの死から2年を経た1228年のこと。フレスコ画がある聖堂上部の着工は1230年。フランチェスコと同時代の人々が生きている中でフレスコ画が描かれただけに、その信憑性は高いと考えられます。

s-spaccanapoli.jpg 【Photo】12月の Via San Gregorio Armeno サン・グレゴリオ・アルメーノ通り。所狭しとプレセピオをはじめとする人形が並ぶそこでは、一年中ナターレ気分に浸れる


 メルカティーニ・ディ・ナターレは、通常11月末頃からイタリア各地で立ち始めますが、例外もあります。それはナポリの下町「Spaccanapoli スパッカナポリ」のほぼ中心にある「Via San Gregorio Armeno サン・グレゴリオ・アルメーノ通り」のこと。ここは芸術性の高さで名高いプレセピオ・ナポレターノの職人街になっており、路地の両側には、プレセピオを扱う店が一年中開いているのです。夏場は開いている店が若干少なくなるものの、11月末ともなれば、プレセピオを求める人や観光客で細い路地はごった返します。ナポリの治安の悪さがとやかく言われたのは過去の話。1994年のナポリサミット以降、ナポリ市が本腰を入れて治安の回復に取り組んだ成果は着実に現れています。
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【Photo】人でごった返す12月のサン・グレゴリオ・アルメーノ通り

 スパッカナポリ地区では徒歩での移動となります。見事な体躯の肝っ玉母さん同士の会話や、頭上にはためく洗濯物に目を奪われるよりは、爆音を上げてすり抜けるスクーターにひるまず、"身の回りの物に注意を払っているぞ"というオーラを放ちながら歩みを進めましょう。そこはかつてスリの本場(?)といわれたナポリの下町。用心に越したことはありません。「Via Benedetto Croce ベネデット・クローチェ通り」を「Piazza San Domenico Maggiore サン・ドメニコ・マッジョーレ広場」まで来ると、真っすぐな通りの名が「Via San Biagio dei Librai サン・ビアジオ・デイ・リブライ通り」へと変わります。そこから300mほど進むと1800年に創業した「Ospedale delle Bambole オスペダーレ・デッレ・バンボーレ(=人形の病院)」という店があります。世界中から送られてくる傷んだ古い人形の修理をするのは、今年71歳になるルイジ・グラッシさん。人形修理専門店はナポリでもここだけです。
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【Photo】シルクハットを頭におどけてみせるルイジ・グラッシさん。71歳にしてこのやんちゃぶり(左)すわ! 猟奇事件発生か? いえいえ、修理を待つ人形の頭部です(右)
 
 ナターレが近くなると、サン・グレゴリオ・アルメーノ通りの店先には、ありとあらゆる人形が並びます。Natività 聖家族、Bambinello 幼子イエス、乳香を献ずるBalthasar バルタサール・黄金を献ずるMelchior メルキオール・没薬を献ずるCaspaer カスパールの三人からなる東方三博士、大天使ガブリエル。こうしたプレセピオの中核をなす人形はもちろんのこと、天使・羊飼い・生き生きとした表情の民衆の人形、周辺の風景や羊や馬・牛などの動物の人形など、あるわあるわ。そこではさまざまなジオラマのパーツが売られています。星が輝くもの・建物の窓に明かりが灯るもの・川が流れるものなどの細工をされたプレセピオがある上、店のディスプレーにも工夫を凝らしており、店頭で絵付けをする職人の姿を目にすることも。店めぐりをしているだけで、結構楽しむことができるはず。イタリア人の家庭では、毎年少しずつ買い足して、見事なジオラマを完成させるのです。

s-sacrafamiglia.jpg【Photo】丹念に手縫いされた衣装をまとった聖家族のプレセピオ・ナポレターノ。バロック絵画のようなドラマチックな構図と精緻な人形の表情は見るものの心を捉えて離さない
 
ほかにも、ナポリの伝統的な即興仮面劇に出てくる道化役「Pulcinella プルチネラ」【click!】はよく見かけます。プラスチックでできた土産用のもの(⇒ここでもMade in China は大活躍)は別にして、豪奢な生地を丹念に縫い合わせた表情豊かなガラスの目を持つ陶製の頭部にハンドペイントを施されたナポリの職人の手になる人形はお値段もそれなり。一体1,000エウロ以上もする芸術品のようなプレセピオ・ナポレターノもあります。近年では、イタリアでもクリスマスツリーを飾る家庭が増えてきたといいますが、敬虔なカトリック教徒が多い南イタリアでは、プレセピオがまだまだ健在のよう。
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【Photo】東方三博士。別売りの馬に跨れるよう、関節が動くように造られている(左)キリストが生まれた馬小屋にいたという牛と羊飼い(右)

 あまねく人々と神の子イエスが生まれた喜びを分かち合いたいと、山中の洞窟に聖家族の人形を供えた聖フランチェスコ。その無垢な心が生み出したといえるイタリアの素晴らしい習慣を絶やしてほしくない。そう願わずにはいられません。
 最後になりましたが、Buon Natale! Merry Christmas!

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2007/12/22

クリスマス ところ変われば

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 【Photo】高級ブランドが並ぶMilano のMonte Napoleone 通りへと抜ける Vittorio Emanuelle Ⅱ通りの12月。ライトアップされたDuomo ドゥオーモを背景に、いくつものStelle(=星々)のイルミネーションが北風に吹かれて舞い飛ぶかのように輝く


 ホームセンターで手に入れた色とりどりの電飾で飾り立てた一軒家。ラスベガスのカジノと見まごうきらびやかなその家の主は、救世主イエス・キリストの降誕によって、地上に光がもたらされ、神の造形物の姿が蘇ったことへの真摯な喜びを表すイルミネーション本来の意味を知っているのでしょうか。西部開拓時代のアメリカで始まった七面鳥をクリスマスにローストにして食べる習慣は、米国資本の大手チェーン店によって、日本ではフライドチキンを食べる日へと化けてしまいました。竹内まりやの「♪ 今年もクリスマスがやってくる~」というその企業のCMソングはお馴染みなのでは? そういえば、ご主人の山下達郎も「♪ 雨は夜更け過ぎに~」というクリスマス・イブの名曲を歌っていましたね。20年ほど前は、東海地方の鉄道会社のCMで、今年は英語バージョンが自動車メーカーのCMで使われています。 つくづくクリスマスで稼ぐ夫婦だなぁ。 閑話休題
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 北米大陸の南部には野生の七面鳥が数多く棲息しており、開拓者たちのタンパク源として重宝されたといいます。日本ではあまり見かけない淡白な食味を持つこの鳥が、実は私はビジュアル的に苦手なのです。有名なバーボンウイスキーの「WILD TURKEY」は文字通り "野生の七面鳥"。そのラベルにも姿が描かれています。これでも姿が思い浮かばない方は、こちらを 【click!】 どうです、インパクト充分ですよね。エヘヘ・・・

 華やいだ町がクライマックスを迎える24日、お約束のシャンパンでクリスマスディナーを楽しむ若いカップル。クリスマスホームパーティには、今や寿司や宅配ピザまで登場。家でプレゼントを待ちわびる子どもたちのためにサンタクロースへと変身する前に、デコレーションケーキを買って家路を急ぐお父さん。
 八百万(やおよろず)の神がいる日本では、キリスト教の宗教的祭日であるクリスマスが、商業色の強いイベントとして定着しています。さぞ預言者キリストも目を白黒させていることでしょう。

castellosforzanatale.jpg【Photo】ミラノ領主ヴィスコンティ家の居城「Castello Sforzesco スフォルツェスコ城」。ミケランジェロ未完の遺作「Pietà Rondanini ロンダニーニのピエタclicca qui」は、ここのMuseo d'Arte Antica にある。15世紀にフランチェスコ・スフォルツァが、レオナルド・ダ・ヴィンチに設計を依頼した威容を誇る要塞にもナターレのイルミネーションが輝く

 カトリック教徒が全国民の97%を占めるイタリアの「Natale ナターレ」(=クリスマス)は、家族や親戚と過ごす静かなものです。普段は離れて暮らす家族も、日本の正月同様、ナターレには顔をあわせます。聖書にはなんら記述のないキリストの生まれた日が、12月25日とされたのは、4世紀のコンスタンティヌス帝政下のローマでのこと。当時、ローマで兵士を中心に広く信仰を集めたミトラ教の教義では、ユリウス暦で冬至の3日後にあたる12月25日は、ひとたび太陽神ミトラが滅びた後で、また新たに生まれ変わる日とされていました。ゴルゴダの丘で磔刑により落命したイエス・キリストが復活したのは3日後のこと。313年に皇帝コンスタンティヌスがミラノ勅令でそれまで迫害していたキリスト教を公認したばかりの初期キリスト教においては、異教の教えやゲルマンの土着信仰までも取り込んで、教義が作られていったのでしょう。いずれにせよ、救世主イエス・キリストの降誕は、その受難と復活(4月8日のPasqua パスクア)と並ぶ意味深いものと捉えられます。

s-gubbioalbero.jpg 【Photo】中部イタリア ウンブリア州 Gubbio グッビオでは、インジーノ山の斜面に200個の電球で形つくられた高さ650mの巨大なAlbero di Natale (=クリスマスツリー)」が出現。1991年には世界一大きなツリーとしてギネスブックにも載った。今年は12月7日から年明け1月10日まで点灯。 ©città di Gubbio

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【Photo】中部イタリアの古都 Bologna ボローニャの「Le Due Torri ドゥエ・トッリ」と呼ばれるシンボル、アシネッリ(右)とガリゼンダ(左)のふたつの傾いた塔。天上から降り注ぐかのような光の粒子が神の国へと導く階(きざはし)のように見えた。ナターレの時期には、東方三博士を導いたベツレヘムの星をかたどった星型の電飾が用いられる。けばけばしいネオンがないイタリアの都市では、シンプルな装飾が美しさを際立たせる

 全世界で10億人以上の信者がいるカトリックの総本山バチカンがあるイタリアでは、12月25日から数えて四週前の日曜日から、救世主の誕生を待ち望む「Avvento アッヴェント・待降節」に入ります。近世になるまでは待降節に入ると、肉食は禁じられていたといいます。今日ではそのようなことはありませんが、Viglia ヴィジリア(=クリスマスイヴ)の12月24日は、現在でも肉を控え、魚を食べる習慣が守られています。日本食ブームのヨーロッパですが、食に関しては保守的な面の強いイタリアゆえ、日本のホームパーティーのように Sushi で Buon Natale! (=メリー・クリスマス)とはいきません。ナターレから Capodanno カポダンノ(=正月)にかけてよく食べられるのが Anguille (=ウナギ)。ブツ切りにしてフリット(=フライ)やトマトソース煮で食されます。ローストビーフやラビオリ・トルテリーニなどのパスタにして食卓に肉が登場するのは、翌日の25日。この規律は今もほぼ厳格に守られています。

s-pandoro.jpgs-panettonemilanesecut.jpg【Photo】背が高く、横断面が★型になるパンドーロ(左)と上面や中身にさまざまなドライフルーツやアーモンドなどが入るパネットーネ(右)は、ともにナターレに欠かせない  

 イタリアのクリスマス菓子といえば、最近は日本にも輸入されている「Panettone パネットーネ」を思い浮かべます。これは ロンバルディア州ミラノが発祥。東隣のヴェネト州ヴェローナ生まれの「Pandoroパンドーロ」も捨てがたいところ。安価な材料を用いた粗悪品に業を煮やしたイタリア政府は、2005年に天然酵母と良質なバター・鶏卵などを使用することを求めた製法と材料及びその使用割合に関する法令を定めました。オレンジピールやレーズンなどのドライフルーツやチョコレートを生地に加えて味のバリエーションを演出したのがパネットーネ。かたやプレーンな生地にバニラフレーバーの粉砂糖をかけていただくパンドーロ。イタリア人でも両方食べる派とどちらか一方だけ派のふた手にに分かれます。日本の店頭では保存がきくドイツのクリスマス菓子「シュトレーン」と並んで、パネットーネを目にする機会のほうが多いかもしれませんね。

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 11月になる頃から、店先にはこれらナターレの菓子がディスプレーされるようになります。Bauli などのマシンメイドの大手のメーカー品から、Pasticceria パスティッチェリア(=菓子店)でハンドメイドされるものまで、大きさにもよりますが、ものによって価格差は三倍程度。伝統的な味を求めるのなら、多少お高くても、シットリとした生地が美味しいパスティチェリアのものをオススメします。スーパーに山積みされていたパネットーネ・パンドーロも、25日を過ぎると日本と同じくバーゲンプライスになるのは、ところ変われど同じです。

         san_pietro_presepio.jpg©APT Roma
【Photo】クリスマスを控え、世界中から信者が訪れるバチカン サンピエトロ広場に設けられた等身大の巨大な「Presepio プレセピオ」。キリスト誕生の場面を再現したプレセピオは、待降節の頃からイタリアでは街角や家庭で飾られる。プレセピオについては次回詳しく。

 アッヴェントから、東方三博士が神の子の誕生を祝いに訪問した1月6日の「Epifania エピファーニア・公現祭」までが、ナターレの期間。プレセピオやツリーなどクリスマス飾りが片付けられるのもこの時です。イタリアの子どもたちはこのエピファーニアを心待ちにします。なぜなら、この前夜に魔女さながらの風貌をした「Befana ベファーナ」がやってきて、窓辺に下げた靴下の中にお菓子などのプレゼントをくれるから。この箒に乗った老婆は、心掛けの良くない子には木炭を入れてゆくのだとか。ベツレヘムでs-benana.jpgキリストが生まれた厩への道を尋ねた三博士を門前で一度は追い払った一人の老婆がいました。神の子が生まれたという噂を伝え聞いていた老婆は、すぐに改心して三人の後を追うのです。その道すがら、子どもたちに施しをしたという伝説がもとになったとされるベファーナ。アメリカから"輸入"された「Babbo Natale バッボ・ナターレ(⇒直訳すれば "クリスマス父ちゃん"。サンタクロースのこと)」がイタリアで浸透してきたのは最近のこと。「バッボ・ナターレとベファーナ両方からプレゼントがもらえるイタリアの子どもになりたーい!」 なんて言っている子はいませんか? そんな子は炭しかもらえませんよ~ (笑)

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【Photo】ローマ・ナヴォーナ広場のクリスマス市で売られていたBefana ベファーナの人形    【左】「Quest'anno... solo carbone (=今年は... 炭だけだよ)」魔女のような姿でも、どこかユーモラスなベファーナ

★次回「プレセピオで迎える Natale」に続く

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2007/12/15

どこかの畑の片すみで

 だだちゃ豆、温海カブ、民田ナス、佐藤錦、もってのほか・・・。皆さんも一度は耳にしたことがあるであろう農作物の名前。これらは山形県に伝わる在来作物です。すでに商品化され名が知られたこうした例だけでなく、山形各地には個性豊かな伝統野菜に代表される在来作物が数多く残されています。

 在来作物に詳しい山形大学農学部 江頭 宏昌准教授によれば、現在山形県内で確認されている在来作物は133 品目。ひとつの県単位でこれだけの在来作物の存在が確認されている例は全国でも珍しいといいます。山形県下四地域における在来種の分布数は以下の通り― 新庄市周辺の最上地域20 品目、山形市周辺の村山地域34 品目、米沢市周辺の置賜地域22 品目、酒田市・鶴岡市周辺の庄内地域64 品目。この中には、複数地域で栽培されるケースも含まれますが、他地区の2倍~3倍の在来作物が伝わる庄内地域の突出ぶりが目につきます。

【Photo】鶴岡市白山地区に広がるだだちゃ豆の畑。収穫時期が異なる品種を栽培するため、丈が異なるのがお判りいただけるかと

 鶴岡市在来の枝豆「だだちゃ豆」にしても、極早生種「舞台(ぶで)」から最晩生種「彼岸青(ひがんあお)」に至るまで、系統を大別すると20 種以上。収穫時期にも二ヶ月もの開きがあるのです。地元の食味コンテストでトップクラスの評価を受ける無農薬のだだちゃ豆を生産する「月山パイロットファーム」の相馬一廣氏【下の集合写真・前から3列目右から2番目 】によれば、細分化すると40 種は存在するはずだといいます。64 品目という庄内地方における在来作物の数では、だだちゃ豆はあくまで1品目としてカウントしているのだそう。いやはや恐れ入りました。

 鶴岡市外内島(とのじま)地区に伝わる在来野菜「外内島キュウリ」を、ごく最近まではただ一人で栽培してきた上野 武さん【集合写真・前列から3列目右から4番目】の畑を8月上旬に訪れた時のこと。もはや旬を過ぎた畑には褐色に変色した採種用のキュウリがわずかに残るだけです。その畑の片すみに育つ枝豆を指差し、「あの甘露(かんろ)という品種は8月中旬、そっちの外内島だだちゃは8月下旬が旬。」と仰っていました。鶴岡市近辺に点在する産直施設を7月末から9月の夏場に訪れてみて下さい。時期ごと、場所ごとに多種多様なだだちゃ豆が試食用に出ており、系統ごとの形状と味わい・香りの違いを実感することができるでしょう。

mousou.jpg【Photo】朝採りプリップリの谷定孟宗。真っ白な断面の形状が楕円形の地中で圧力をうけた平孟宗(ひらもうそう)は美味しさの証

 桜前線が通り過ぎた後、まだかまだかと私がその到着を待ち焦がれるのが"筍(タケノコ)前線"です。鹿児島・福岡・京都・静岡・・・と北上する筍のなかでも食味に優れる孟宗(もうそう)の北限とされるのが南庄内。柔らかでエグミが無く、アク抜きの必要すらない庄内産孟宗。鼠ヶ関に近い海沿いの鶴岡市早田(わさだ)地区と、湯田川周辺から信仰の山・金峯山(きんぼうざん)北東側斜面の鉄分が多い粘土質土壌が広がる集落、滝沢・谷定(たにさだ)へと産地が東へ移動すると、姿は同じでも微妙に味が異なってきます。鮮度が命の孟宗ゆえ、何を差し置いても地元へ赴いて食べるのが一番。庄内は孟宗に関して一人当たりの消費量が日本一だといわれる土地柄です。酒粕と味噌仕立てで頂く庄内の郷土料理「孟宗汁」 【click!】は、春から初夏への季節の移ろいを旨みたっぷりに感じさせてくれます。金峯山南東斜面や修験道の里・羽黒町高寺(たかでら)に広がる孟宗竹林は、京都からこの地を訪れた修験者が植えたものが広まったのだとされます。
 
 ちなみに鶴岡市早田地区には、在来のマクワウリ「早田ウリ」も残っています。1950年代に登場した甘味が強く日持ちするアンデスメロンに押され、現在では10軒ほどの農家によって細々と栽培される早田ウリ。キュウリのような味にメロン特有のほのかな甘みが交差する早田ウリは、大正期に北海道松前町へと出稼ぎに出向いた早田地区の男性が持ち帰ったものだとか。そのためか、「松前ウリ」とも呼ばれているようです。私を魅了して止まない庄内の食文化は、こうしたさまざまな物語を持つ個性豊かな在来作物を受け継ぐ人々の存在と、四季折々の山の幸と庄内浜の海の幸の恵みがもたらすものです。

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【Photo】在来作物を伝える生産者が、行政・研究者・料理人と結束して地域の宝を守ろうとしている庄内。今年7月、al.chè-cciano の隣に開店したカフェ il.chè-cciano のオープニングパーティに集った「藤沢カブLink to back Number」「平田赤葱Link to back Number」「カラドリイモ」「ヤマブドウ」などの生産者・研究者と店のスタッフ。彼らは固い信頼で繋がっている
 
 2003年11月には「山形在来作物研究会(略称:在作研)」が発足しました。在作研には、研究者・行政・料理人・生産者・一般消費者など、県内外のさまざまな立場の人々からなる360人ほどの会員が現在参加しています。在作研の母体となった山形大学農学部は、1947年に前身の山形県立農林専門学校が設立されて以来、ずっと鶴岡の地に置かれています。当初、実習に欠かせない演習用地探しが内陸の村山地域で難航していたところに、1945年に当時の加藤精三 鶴岡市長(加藤紘一衆院議員の父)が周辺町村に呼びかけて用地提供を含めて誘致に乗り出した経緯があります。

 1949年から山形県立農林専門学校で教鞭をとり、山大農学部の教授を1976年まで務めた青葉 高氏(1916~1999)は、著書「北国の野菜風土誌」(東北出版企画 1976)や「野菜-在来品種の系譜」(法政大学出版局 1981)の中で、かけがえのない在来作物の価値を指摘、わが国でいち早く保護の必要性を訴えた研究者です。日本が飽食の時代を迎えた1980年代中盤以降、京野菜や加賀野菜が脚光を浴びる以前から、山形には在来種の価値を見抜いていた先人がいるのです。在作研では、現在年1回の公開行事と会員向けの会報「SEED」を発行しています。青葉氏が撒いた種は、教え子や遺志を受け継ぐ人々によって芽吹き、在来研を通して実を結びつつあるのです。

dokokanohatake.jpg【Photo】表紙は温海カブ。かけがえのない地域の固有の遺産である在来作物が数多く残る山形の底力を知るには最適の一冊「どこかの畑の片すみで」

 今年(2007年)8月末、山形大学出版会から在作研が編纂した「どこかの畑の片すみで」が出版されました。研究者向けの専門的な内容ではなく、身近かにある宝物の価値を一般消費者に認識してもらうための、平易な読み物となっています。冒頭では、生物多様性が必要な理由や、在来作物の保護の必要性が解りやすく解説されています。在来研の幹事を発足以来務める江頭准教授と在来研のメンバーに名を連ねるアル・ケッチァーノ奥田シェフによる対談を挟んで、地元・山形新聞夕刊に連載中の「やまがた在来作物」で紹介された45 種の在来作物の物語が写真入りで紹介されています。そこでは足掛け5年にわたる綿密なフィールドワークを通して、在作研が確認した個性豊かな在来作物とともに風土が生み出した貴重な種を受け継ぐ人々の声が紹介されています。

【Photo】2006年3月に鶴岡を訪れたイタリア・マルケ州アンコーナ県 Arceviaアルチェヴィアのシルビオ・プルガトーリ町長(中央)から、地元の在来作物を守る取り組みに対し、表彰状を贈られた江頭准教授(右)と奥田シェフ(左)

 しかし現実に立ち返ってみると、人の手による品種改良が加わった商業品種と比べれば、生産効率が悪く、個体間のばらつきが出やすい在来作物は、種を受け継ぐ人たちの高齢化も手伝って、急激に数を減らしています。山形県内各地の畑を精力的に回る江頭先生は、「去年までは作っていた」「数年前までは見かけた」という言葉とよく出くわすといいます。現代のバイオテクノロジーをもってしても、一度途絶えた種は、もう永遠に甦らせることはできません。まさに覆水盆に帰らず。在来種が途絶えることは、単にひとつの品種の滅びと、先人が残した生産技術の消失を意味するのではありません。それは特徴ある食べ物や生産物にまつわる暮らしぶりや調理法など、営々と受け継がれてきた地域の記憶とかけがえの無い財産の消失にほかならないからです。

 あなたもそんな畑の片すみに目を凝らしてみませんか?

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どこかの畑の片すみで =在来作物はやまがたの文化財=
山形在来作物研究会 編  発行:山形大学出版会
A5判 167ページ  本体定価1,429円+税

山形在来作物研究会
URL:http://zaisakuken.jp/

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2007/12/13

Vino Azzurro 青ワイン

 「青ワイン」って飲んだことありますか? 赤ワインでもなければ、白ワインでもありません。今回は私がつい最近出合った青ワインの話です。したたか酔っ払って赤ワインが青く見えたのだろうって? いえいえ、そうではありません。ワインラヴァーにはお馴染みの「Terroir テロワール」というフランス語は、特にワインに関して産地の土壌や標高の違いによる気候風土などブドウの生育環境を意味しますが、青ワインは、まさにテロワールの賜物でした。

 仙台の百貨店「藤崎」で、恒例のワールドリカーフェアが12月12日(水)まで催されているというので、出掛けてみました。時節柄、スパークリングワインの出品が多かったのですが、冬場はフルボディの赤ワインが美味しい季節。掘り出し物の赤ワインを狙って、あれもこれもと試飲していると、顔見知りのインポーターさんたちが「やっぱり来たの」と声を掛けてくるし、売り場をうろつく知り合い数人ともバッタリ。いわく「いると思ったよ」。うーむ、行動パターンを読まれているぞ |||(-_-;)|||||| 。

capanelle_03vista_ottobre.jpg 【photo】緩やかに起伏を繰り返す緑豊かなガイオーレ・イン・キアンティ。照葉樹林帯の中にブドウとオリーブの畑が点在する。Capannelle カパンネッレ付近にて

 "タダ酒の試飲ばかりではフードライターの名折れ"とばかりに、会場内にあったENOTECA のワインバーにも立ち寄りました。そこでは、ボルドーのオールド・ヴィンテージや希少なブルゴーニュなどをグラスで有料試飲できるのです。脇目も振らず私が選んだ2本は、イタリア・トスカーナ州キアンティ・クラシコのエリアでは最も南に位置するGaiole in Chianti ガイオーレ・イン・キアンティ地区に畑を所有する優良生産者「Capannelle カパンネッレ《Link to website 》」が、かの有名リストランテ「エノテカ・ピンキオリ」向けに造ったのが始まりだという「Solare ソラーレ'99」。

MAIPOVALLEY.jpg【Photo】カベルネ・ソーヴィニョンにとって理想的な栽培環境とされるチリのマイポヴァレーは、世界の注目を集めるプレミアムワインを生みだすテロワールに恵まれている

 もう1本はチリの「Concha y Toro コンチャイトロ」社とボルドー一級格付けの「Chateau Mouton Rothschild シャトー・ムートン・ロトシルド」がジョイント事業としてサンティエゴ南東部のMaipo Valley マイポ・ヴァレーで造るプレミアムワイン「Almaviva アルマヴィーヴァ'01」。マイポ河が運んだ土砂交じりのPuente Alto プエンテ・アルトの畑は、Cabernet Sauvignon カベルネ・ソーヴィニョンの耕作に適した土壌といわれます。加えて内陸特有の激しい気温差とアンデスの清涼な風が健全なブドウを育てるのです。

 グラスの中で最初は閉じていたSangiovese サンジョヴェーゼが、徐々に開いて複雑さを増してぐんぐん良くなってくるソラーレ。最初からパワー全開、バランスも良く完成度が高いアルマヴィーヴァと、個性が異なるワインを2杯頂いたところで、再び無料試飲へandiamo!(=レッツ ゴー)。

kikusuisetsugorou.jpg【Photo】二番目に印象的だったのは、元禄期の清酒(すみさけ)を再現した越後・菊水の「節五郎元禄酒」

 口直しに新潟新発田市にある菊水酒造のコーナーへ寄り道してみました。創業125周年にあたる昨年、同社が設立した「日本酒文化研究所」が江戸元禄期に飲まれていた清酒(すみさけ)を再現したという「節五郎元禄酒」に興味を持ったからです。安政期に生まれた蔵の創業者・高澤節五郎の名を付けたこの酒。淡い黄金色を呈し、アルコール度数17度のトロリとした濃醇な味わい。90%の精米歩合といいますから、私たちが普通に頂く白米と同じ磨きに留め、お米自体の旨みを感じさせます。同研究所所蔵の浮世絵をもとにデザインしたという江戸情緒溢れるパッケージもあいまって、時代劇に出てくる呑み屋の風情を味わえました。

MANCINI_MARE_CERRO-1.jpg【Photo】アドリア海に面した崖の上に切り開かれたFattoria Mancini のブドウ畑

 そうして古今東西、試飲した中で特に面白かったのが、中部イタリア・マルケ州ペーザロ・ウルビーノ県の県庁所在地、Pesaroペーザロの近郊で造られた「BLU ブル(ー)(=伊語で「青・紺色」の意)」という名の赤ワインでした。「なぁ~んだ、青ワインって単に名前がBLUというワインなのか」と早合点しないで下さいね。おもに北隣りのエミリア・ロマーニャ州で混醸用に栽培される「Ancellotta アンチェロッタ」というブドウと、「Pino Nero ピノ・ネロ」を50%ずつ混醸した珍しいセパージュ(=ブドウの品種構成のこと)のこのワイン。確認されているだけで400種以上のブドウ品種が存在するため、個性的なワインが数多く存在するイタリアですが、このBLU は印象的な特徴を持ちあわせていました。

 原産地のブルゴーニュ地方では「Pinot Noir ピノ・ノワール」種として知られるこのブドウ。イタリアワインにほぼ占拠された我がワインセラーには、ピノ・ノワールのワインは一本もありません。寒冷な気候と乾燥して痩せた土壌に向くピノノワールは、栽培環境の影響を受けやすいブドウ品種です。よって産地のテロワールが明確にワインに現れるブドウといえます。過去にブルゴーニュやカリフォルニアなどのピノ・ノワールから造られたワインをいくつか試してみましたが、エレガントと個性を形容されるこのブドウから造られるワインは、要するに自分の好みではないのです。概して生産量が少ない一方で知名度が高いため、"需要≧供給" な図式にあるブルゴーニュワイン。法外な値段が付くロマネ・コンティは極端にしても、私にはいかんせん割高感が拭いきれません。

MANCINI_VINICLIFF.jpg【Photo】珪藻質の石灰岩でできた崖が続くペーザロ北方のアドリア海沿岸の一角にあるマンチーニ家のブドウ畑。目がくらむような崖っぷちの畑の眼下には、海が広がる

 栽培環境を選ぶ気難しい品種ゆえ、同様に偉大なブドウ品種といわれるピエモンテ原産の「Nebbioloネッビオーロ」ほどでないにせよ、"旅ができないブドウ"といわれるピノ・ノワール。ピノ・ネロからは、中部イタリア以北で優れた赤ワインが造られます。北部イタリアLombardia ロンバルディア州 Franciacorta フランチャコルタでは、フランスのブドウ生産地としては最北部のChampagne シャンパーニュ同様に優秀な発泡ワイン生み出します。オーストリア国境に接するイタリア最北部のAlto Adige アルト・アディジェ地方では、ドイツ語も話される南チロル地方らしく「Blaubrugunder ブラウブルグンダー」とドイツ風の名前で栽培されます。マルケ州へは、19世紀初頭のナポレオン統治時代、ブルゴーニュからペーザロへとピノ・ノワールがもたらされました。

0960.jpgEttore%20Mancini.jpg【Photo】先代・4代目のエットーレ・マンチーニ(左)と現在醸造所を切り盛りする息子のルイージ・マンチーニ(右)

 アドリア海に面したペーザロから世界遺産の街 Urbino ウルビーノにかけては、DOC 「Colli Pesaresi コッリ・ペサレージ」の赤ワインと白ワインが生産されます。海抜201mのサン・バルトロ山周辺は、渡り鳥の楽園としても自然環境が保たれた州立自然公園に指定されています。このエリアで唯一ピノ・ネロを栽培するのは、19世紀中頃からカンティーナ「Fattoria Mancini ファットリア・マンチーニ」を所有するMancini 家です。このカンティーナの主力は、独自の遺伝子を持つクローンのピノ・ネロだけで造られる「IMPERO インペロ」(=帝国・王国、特にナポレオンの第一帝政時代の形容詞でも使われる)という名の赤ワインと白ワイン。先代のエットーレ・マンチーニ氏の努力によって、2000年には単独のDOC「Colli Pesaresi Focara Pinot Nero コッリ・ペサレージ・フォカーラ・ピノ・ネロ」が認められました。現在は高齢のエットーレ氏に代わって息子のLuigi ルイージがカンティーナを運営しています。

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【Photo】この2000年ヴィンテージまでは、アンチェロッタとピノ・ネロが 50%ずつ使用されていた。翌年からはピノ・ネロの割合を減らし、代わってマルケ州で優良な赤ワインを生み出すMontepulciano モンテプルチアーノ種を40%混醸するようになった「BLU」。ノンフィルターでボトリングしているため、澱(オリ)が出ている旨がバックラベルに記載されている

 私が試飲したBLUは、2000年ヴィンテージのものでした。7年を経過しているにもかかわらず、ワインの色調は明らかに色調の淡いピノ・ネロ由来のそれではなく、色の濃いワインに仕上がるアンチェロッタによる黒っぽさを湛(たた)えたものです。1998年に初めてこのワインを仕込もうとした際に、醸造所の床にこぼれた果汁による青いシミが出来たのだそう。それで、このワインはBLUと名付けられたといいます。ちなみに2001年からは、Ancellotta 50%+Montepulciano 40%+Pinot Nero 10% にセパージュが変更されています。
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【Photo】マンチーニ家が受け継いできたピノ・ネロはミラノ大学の分析によって、独自の遺伝子構造を持つクローン(=突然変異)種であることが判った

 ペーザロ旧市街の北側、海岸線から陸地へ500m~1,500m入った海抜100~170mにある珪藻質の石灰岩土壌の畑で栽培されるピノ・ネロとアンチェロッタを手摘みで収穫後、フランス・アリエ産のバリック樽(新樽を50%・一年落ちの樽を50%ずつ使用)で14ヶ月熟成。瓶詰め後、セラーの熟成庫で18ヶ月寝かされた後、リリースされます。しっかりとしたボディを持つこのワインの特徴は、アフターになんと海の香りが残ること。マルケ州の海沿いにある地域特有の風によってアドリア海の潮の香りがブドウの個性となるのでしょう。これぞBLUなアドリア海のTerritorio テリトーリオ(=テロワールの伊語)。

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 興味深いことに、栽培環境の影響を受けやすいピノ・ネロ100%で造られるIMPEROよりも、BLU はよりテロワールを反映したワインに仕上がると5代目を継いだルイジは語ります。BLU は名前だけでなく、青い海のアロマ(=本来は「ブドウに由来する香り」を指す)を感じさせてくれる"青ワイン"なのでした。

【Photo】サン・バルトロ山自然公園は、野鳥と花々の楽園。アドリア海に面して変化に富んだ地形が続く

 こうして、晴れて我がセラーで唯一、Pinot Nero が使われたヴィーノが一本仲間入りしました。ご参考まで、購入価格は4,725円。極端なユーロ高の昨今。酒質からすれば、納得のゆく買物ができました。

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