あるもの探しの旅

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2008/02/25

桶仕込み醪の味わい

隠し蔵「金龍蔵」訪問記

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 2月16日(土)、「みやぎの酒女性応援団」の催しが行われました。"宮城の郷土料理には宮城の地酒を"という、食と酒の地産地消の推進を目的に昨年6月に発足したこの会。Cucina(=食)とVino(=ワイン)が一心同体のイタリアでは共通言語となる「Cucina locale(=地方料理)」の素晴らしさを知る者の一人として、emblem_kinryuu.jpg旗揚げの会【Link to back number】に参加して以来、不本意ながら幽霊会員と化していました。今回は一般に開放していない酒蔵「金龍蔵」を訪れるというので、風邪気味の体をおしてマスク姿で参加しました。

【PHOTO】金龍蔵 純米吟醸のタグに描かれた仕込蔵(右)壁面には「金龍」の印がくっきり(左)軒先に下がる青々とした酒琳が新酒の仕上がりを告げる金龍蔵の門構え(下)。中央奥が仕込蔵、右手奥に土蔵

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 前身となる「糀屋酒造店」の創業が1862年(文久2年)。146年の歴史をもつこの小さな蔵は、岩手・秋田県境とほど近い宮城県内陸北部の栗原市一迫(いちはざま)にあります。栗駒山系の良質な地下水脈に恵まれ、「金龍」銘柄の佳酒を代々生み出してきました。後継者難のために縁戚関係にあった一ノ蔵の傘下となり、「金龍蔵」として再出発したのが1991年(平成3年)9月。2005年(平成17年)からは伊達藩の御用酒蔵だった仙台の勝山酒造で46年間杜氏を勤め、幾多の受賞歴を持つ南部杜氏 照井 丸實(てるいまるみ)氏を迎えて現在に至っています。ちなみにご主人を亡くされた後、4年間蔵を守った佐藤 洋子さんは、姉が嫁いだ一ノ蔵に託した蔵の真向かいで金龍蔵の小売部、糀屋酒造店として現在も金龍蔵の酒を扱っています。

【PHOTO】なまこ壁が見事な土蔵は貯蔵庫として使われている(下)

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 金龍蔵を訪ねたのは、時折にごり酒のように目の前が真っ白になる地吹雪が襲う寒さの厳しい日でした。ご案内頂いた ㈱一ノ蔵の三浦 博光取締役が運転する車は、東北自動車道を築館ICで下車。白銀の世界と化した田園風景の中を流れる一迫川を右手に見ながら走ることしばし、新酒が出来たばかりであることを示す青々とした酒琳(さかばやし/ 杉玉)が下がる門構えの金龍蔵に到着しました。雪が舞う鬱蒼とした杉林に覆われた山を背景に建つ蔵の佇まいは一幅の絵画のよう。

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 かつての文庫蔵で、現在は貯蔵庫として使われている土蔵の破風に描かれた優美な白鶴となまこ壁。切妻の大屋根の仕込蔵の漆喰の軒には黒丸に白抜きで「金龍」の筆文字。平成5年に稼動した近代的な一ノ蔵の本社蔵とは対照的に、金龍蔵は昔ながらの造り酒屋の面影を今に伝えています。

【PHOTO】寒仕込みの時期に訪れた金龍蔵の仕込蔵。およそ二日間、蔵人が寝ずの番をする麹作りに用いる麹蓋が右側に山積みされている。煉瓦の煙突はいまだ現役。すぐ背後には山が迫る

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 農閑期となる毎年11月から4月にかけて南部流の老練な蔵人6人が一つ屋根の下で同じ釜の飯を食べながら酒造りに取り組む金龍蔵。門の右手には、蔵人たちが寝泊りする木造の宿舎が建っています。そこに架かる看板には「伝統の技と心 手づくりの酒」と書かれていました。柔和な笑顔で私たち一行を出迎えて下さったのは、1941年生まれの今年で67歳になる照井杜氏でした。仙台市内の勝山から金龍蔵に移って3年目の杜氏は、「ここは寒いところで・・・」と切り出しました。なんでも仕込蔵の中で氷が張ることもあるのだとか。南西方向を山に囲まれた仕込蔵の内部に下がる温度計は摂氏5度を示していました。

【PHOTO】仕込んで2日目の醪は「蔵の華」の米粒がびっしり(上)隣りあうタンクで同じ精米度合の「美山錦」でも、10日目(左)と12日目(右)では、発酵の進み具合が明らかに異なる

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 居並ぶ仕込みタンクには木製の足場が組まれ、発酵中の醪(もろみ)を上から目にすることができました。盛んに炭酸ガスを発生させる醪からは、呑ん兵衛には堪らない芳香が立ち上ってきます。仕込み作業の経過日数によって、醪の状態が明らかに異なるのが判ります。ササニシキを生んだ宮城県古川農業試験場による初の酒造好適米「蔵の華」の醪は仕込んで2日目。発酵作用によるボコボコとした泡で波立った表面には、55%まで磨かれた米粒の存在がはっきりと確認できます。精米率50%の「美山錦」を仕込んで10日目の醪の表面は、発生する旺盛な泡で凹凸に波打っています。同じ酒米を使って2日仕込が早いタンクの醪は、表面が滑らかに変化し、既に「どぶろく」の趣を湛えていました。「山田錦」を35%まで磨き上げた大吟醸「玄昌」の醪の旨さといったら! その醪が入ったホーロー製のタンクは、この日ご一緒した会の座長を務める外崎 浩子県議と同年齢の私とも同い年。同期生(?)として「Good job!」とエールを送りました。

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【PHOTO】仕込み木桶と醪を見つめる照井杜氏

 伝統的な日本酒造りの現場で使われてきた木桶に替わって、ホーロー製のタンクが日本中の造り酒屋に普及したのは昭和30年代のこと。現在では、ホーローに起こりがちな割れや欠けのリスクが無いエポキシ樹脂やガラス繊維で表面をコーティング(=ライニング)した仕込みタンクやステンレス製が主流になりつつあります。そんな時流の変化のなかで、異彩を放つひとつのタンク、いえ仕込み桶が私の目に留まりました。それはかつて酒造りで使われていた木製の桶でした。無機質のタンクが席巻した今日、酒造用の木桶造りを手掛ける職人は我が国でも数えるほどになりました。そんな希少な木製の仕込み桶が、この山あいにある小さな蔵で使われていました。

【PHOTO】足場が組まれた仕込蔵の内部。ここから美酒が生まれる

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 味噌・醤油・日本酒など、日本の伝統的な発酵食品文化を醸成した立役者は木桶に他なりません。さまざまな微生物が発酵に及ぼす働き。米のデンプン質を糖に変える麹。糖をアルコールに変える酵母。先人は自然界に存在するこうした微生物を上手に活用する術(すべ)を長い歴史の中で見出してきたのです。素材自体が呼吸する木製の桶の内部には、麹や酵母のほかにさまざまな微生物が棲み着きます。その存在が、年ごとに異なる気候や産地の気候風土による微妙な味わいの差異を生んできました。現在も熟成にオーク樽を用いるワイン造りにおける「ヴィンテージ」の概念に近いものだといえば理解しやすいでしょう。こうした人智を超えた発酵の神秘を知るからこそ、日本酒造りの現場では、古来より神を祀ってきたのです。

【PHOTO】日本の発酵食文化を支えてきた木桶。忘れ去られようとしていた木桶に新たな価値を吹き込んだセーラ・マリ・カミングスさん

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 ここ数年、造り手の個性が反映された木桶仕込みの日本酒の良さが見直され、一部の蔵元で桶仕込みの酒が再び作られるようになりました。扱いやすいホーロータンクの登場で駆逐された木桶を使った酒造りの復活には、一人の米国人女性が関わっていました。セーラ・マリ・カミングス。1968年、アメリカ東部ペンシルバニア州生まれの彼女は、1991年からの1年間を交換留学生として関西で過ごします。そこで日本の伝統文化に触れた彼女は、'94年に長野県小布施市の栗菓子製造会社「(株)小布施堂」に就職します。当時、同社の関連会社「桝一市村酒造場」はジリ貧状態にあったといいます。'96年に日本人以外で初の利酒師の資格を取得した彼女が取り組んだのが、伝統的な日本酒造りの原点、木桶仕込みによる酒造りだったのです。古来より木の文化を大切にしてきた日本で途絶えて久しい木桶仕込み。半世紀前に木桶仕込みの経験があった杜氏 遠山 隆吉氏(当時78歳)に働きかけ、'98年から酒造りに取り掛かります。

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 仕込用の木桶は地元で調達ができなかったため、2000年に新潟の桶職人 清水 作治氏(当時70歳)に発注。その酒「白金」を2000年10月に2,000本限定で売り出したところ、たちまち評判を呼び完売。傾きかけていた250年の歴史を持つ蔵は再興への足掛かりを得たのです。セーラさんの情熱に打たれた清水さんは、2000年から一年に一つずつ木桶を仕上げますが、5年後に帰らぬ人となりました。

【PHOTO】職人の手仕事で造られるウッドワーク社の木桶は、近年その需要が高まっている(右)手前が木桶仕込みの醪、奥が「玄昌」の醪。あまりの旨さに一同感激(下)

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 '98年に同社の取締役となったセーラさんは、伝統的な木桶仕込みの酒の復興のため、'02年に「桶仕込み保存会」を立ち上げます。現在では一ノ蔵と「浦霞」銘柄で知られる宮城の「佐浦」を含む全国14都県20の蔵元と食品関連企業、桶屋などが法人会員として参加しています。46年のキャリアを持つ照井杜氏をしても、勝山酒造で醸造責任者を永年務めた父・圓五郎氏の跡を継いだ駆け出しの頃に仕込みの仕上げ段階で木桶を扱ったことがある程度だったといいます。桶仕込み保存会に加盟する酒どころ灘・伏見のお膝元、大阪府堺市にある「(株)ウッドワーク」社製の桶を使って照井杜氏が醸す醪は、ほのかな木の香りが漂い、ほんのりとした酸味と柔らかな甘さが響きあうふくよかな厚みを備えています。円熟の技が冴える造り手の名前通り、"丸み"のある味わい。桶仕込みに挑戦して3回目の醸造年度を迎えたこの冬、既に充分美味しいこの醪がどんな仕上がりになるのか新たな楽しみができました。

【PHOTO】金龍蔵の伏流水は硬度が高いため、タンクで三重にろ過して仕込みに使う

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 "杜氏が好きな食べ物を聞けば、その酒に合う肴がわかるから"と、一行を引率された「仙台の酒屋 浅野」店主・浅野 康城氏が照井杜氏に尋ねると、「刺身」がお好きだとのこと。刺身の薬味にする山葵(ワサビ)が春になると採れるという近場の沢のことや、山菜採りで遭遇した熊を撃退した武勇伝など、お人柄を偲ばせる楽しい話を伺いました。蔵の仕込み水で淹れた日本茶を頂いた後で、その仕込み水を分けてもらえることに。ウッシッシ・・・、これぞ期待通りの展開。硬度が高い強い水ゆえに、仕込み用には、3段階のろ過をかけた上で使用するのだといいます。

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 私を含めペットボトルを持参しなかったメンバーは、洗浄済みの一升瓶に水を詰めて車に積み込みました。風邪気味だったため、仕込み水で打った蕎麦を肴に金龍蔵の酒を楽しもうという夜の部の懇親会は残念ながら不参加。再び三浦取締役の車でJR仙台駅前まで送って頂きましたが、水の入った「一ノ蔵無鑑査」の一升瓶を片手に抱えて地下鉄に乗るハメとなり、呑ん兵衛オヤジさながらの風体で肩身の狭い思いをしなくてはならなかったのでした。
あ~ぁ。

【PHOTO】蔵人によって「一ノ蔵無鑑査」の一升瓶に注がれる仕込み水。口に含むと豊富なミネラルを感じる(右上)

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【PHOTO】佐藤 洋子さんが暖簾を守る「糀屋酒造店」で買い求めた「金龍蔵 純米吟醸」(左上)には照井杜氏の手書きメッセージのタグ(右上)が掛かり、バックラベルでは杜氏がにこやかに笑いかける。

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 糀屋酒造店では、地元栗原市だけで売られ、かつ新酒を仕込むこの時期限定だという「金龍 しぼりたて原酒」も入手しました。「限定」という売り文句には弱い呑ん兵衛心理を見透かされた格好ですね(笑)。照井杜氏が柄杓(ひしゃく)ですくって飲ませてくれた醪のように微量の炭酸ガスを含むこのにごり酒を味わっているうち、不思議と照井杜氏の顔が浮かんでくるのでした。
 また遊びに行きますよ、おんつぁん。
◆糀屋酒造店 : 宮城県栗原市一迫川口字中町5 営:8:30~17:30 不定休 TEL:0228-54-2262 

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2008/02/19

カフェ・マキネッタ

お気軽エスプレッソの必需品

 最近ではイタリアン・スタイルのCaffè カッフェ、Espresso エスプレッソを自宅で楽しむ方も多いかと思います。以前ここで述べた通り、イタリアでは厚いクレマに覆われたマシンメイドのカッフェは、Bar バールで飲むもの。そんなイタリア人が自宅で手軽にエスプレッソを淹れる Caffettiera カッフェティエッラ(=コーヒーポット)は、直火式エスプレッソメーカー Macchinetta マキネッタです。その代名詞ともいえるのが、天を指差す口ひげを蓄えた山高帽の紳士でお馴染みの Bialetti ビアレッティs-bialetti_logo.jpg のMoka Express モカ・エクスプレスでしょう。1933年にAlfonso Bialetti アルフォンソ・ビアレッティが生み出したこの八角形をしたカッフェティエッラは、模造品を含めるとイタリアの家庭の90%以上で使われているともいわれます。1カップ用から、2・3・4・6・9・12・18カップ用まで、用途ごとにサイズが異なる Moka Express が作られているのは、抽出に必要な適正な蒸気圧を得るため。一気にコーヒーの旨みを抽出するエスプレッソは蒸気圧が命。直火式エスプレッソメーカーの場合、"大は小を兼ねる"は当てはまらないのです。
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【PHOTO】Bialetti のMoka Express

 ボイラー部分(写真左下/ 図A)の安全弁の下までが水の適量。本場の味にこだわりたいなら、細身な淡いブルーのボトルがイタリアらしさを醸し出す「Filette フィレッテ」(硬度198)や、カモメのラベルが目印の「SAN BENEDETTO サン・ベネデット」 (硬度235)、「ACQUA PANNA アックア・パンナ」(硬度108)など、イタリア産のAcqua Minerale(=ミネラルウオーター)をお試しあれ。硬度が高いヨーロッパの水のほうが、コーヒーには向いていると言われますが、私は庄内系ゆえ、庄内各地の美味しい湧水を汲んで来て沸かして飲んでいます。「さんゆう」や「胴腹滝」「神泉の水」「岩清水神社」「竹の露仕込み水」など、とっておきの採水ポイントのご紹介は機会を改めて。

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 水を入れたなら、メッシュ・フィルター(写真右中/ 図B)に細挽き~極細挽きにしたコーヒー豆をお好みの濃さになるよう適量セット。上部サーバー(写真左上/ 図C)をしっかりと閉めて火にかけます。この際、ハンドルを焦がさぬよう火力に注意。マキネッタでは細挽きが、エスプレッソマシンをお持ちの方は極細挽きが向いています。豆のローストは深煎りが良いでしょう。コーヒーは嗜好品ゆえに味の好みはそれぞれですが、深煎りローストが主流のイタリアでは、酸味は少な目の傾向にあります。いずれにせよ、信頼のおけるロースターから豆を買い求め、飲む直前に挽いた方が、香り高いs-Musetti_espresso.jpgカッフェを楽しめます。相談に乗ってくれるお店が見つかればしめたもの。自家焙煎を手掛けるカフェでもよし、専門店ならば選択の幅も広がるはず。意外なところでは、スターバックスが扱うコーヒー豆も悪くない選択です。同社が仕入れる生豆の品質は世界でもトップクラス。「う~ん、エスプレッソの豆がシアトル系じゃ・・・┐(ー。ー;)┌ 」と、イタリア人のようなことを仰る御仁には、真空パックや缶でイタリアから輸入される中でも入手しやすい「illyイリー」や「KIMBO キンボ」「LAVAZZA ラヴァッツァ」「Musetti ムセッティ」を。さらに極めたいならば、「CAFFEN カッフェン」や「TRUCILLO トゥルチッロ」「Passalacqua パッサラックア」などナポリブランドのコーヒー豆を調達してみては? いずれコーヒー豆は「生もの」だけに、焙煎日や賞味期限はしっかりチェックです。

 ボイラー部で加熱されたお湯は、メッシュ・フィルターにセットした豆を蒸らし始めます。やがて沸点に達すると体積が膨張してフィルターを通過し、上部サーバーの中心にある噴出口からカッフェが出てきます。mio_cupola.jpgパンツェッタ・ジローラモ氏の著書「極楽イタリア人になる方法」の中では、最初はサーバーの蓋を開けておき、カフェが出てきたら閉めること。カッフェが出終わったら火を止め、少し待つこと。するとキレイな薄茶色の泡が立ったエスプレッソが楽しめると書かれています。しかし、指示通りにやっても、マシンとは違ってマキネッタではなかなかきれいな泡は立ちません。かつて取材でジローラモ氏にお会いした際、最初は蓋を開けておく理由を尋ねましたが、著書に出てくるカッフェ好きの祖父がそうしていたからという以外、明確な答えは得られませんでした(笑)。

【PHOTO】Aldo Rossi がデザインしたALESSI 「LA CUPOLA」(右写真)。使用歴15年ほどの私のLA CUPOLA のボイラー部分内側には黒い油膜がびっしり(右上写真)

 カッフェを淹れた後の処理で大切なのが、ジローラモ氏も指摘している通り、決して洗剤では洗わないこと。使い込んだマキネッタ内部には、コーヒーの油脂成分が付着して、カッフェをより薫り高くしてくれます。使うたびに加熱消毒するわけですから、さっと水洗いすればOKです。家族で味の好みが分かれる場合は、香りが混じるのを避けるために自分専用のマキネッタを持つのがイタリア人の流儀。

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【PHOTO】Richard Sapper デザインのマキネッタ(左)

 Bialetti 以外には、著名なデザイナーや建築家とのコラボレーションによる造形美溢れるキッチン製品を生み出すALESSI アレッシもオススメです。1979年にドイツ人デザイナーRichard Sapper リチャード・サパーの設計で発売されたマキネッタは、イタリアで最も歴史と権威あるプロダクトデザインに贈られる「Compasso d'Oro コンパッソ・ドーロ賞」を同社に初めてもたらしました。 現在、このモデルはニューヨーク近代美術館(MoMA)に収蔵されています。

【PHOTO】Aldo Rossi の「LA CONICA」(下)

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 戦災で焼失したジェノバのカルロ・フェリーチェ劇場の再建や北九州の門司港ホテルなどの設計で20世紀の建築史に足跡を残した建築家 Aldo Rossi アルド・ロッシが生み出した ALESSI のラインもヨーロッパの伝統に根ざした建築家らしい造型で知られます。1982年に発表した「円錐」を意味する「LA CONICA」や、ルネッサンス期の教会建築に見られる円蓋ドームを彷彿とさせる1988年発表の「LA CUPOLA」は、いずれもイタリアの風景に溶け込む教会の尖塔を見ているかのよう。このマキネッタが置いてあるだけで、キッチンの空気が変わります。

 二十四節季では、雪が雨に変わる頃とされる「雨水」にあたる今日2月19日。まだまだ今年は寒い日が続きます。そこで次回は、陽光溢れる南イタリアへと誘ってくれる味わい深いカッフェティエッラ、私が愛用しているナポリ生まれの「Napoletana ナポレターナ」が登場します。

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2008/02/16

燗酒と寒鱈で乾杯

庄内の美味を堪能する会 《後編》
in 「al.chè-cciano アル・ケッチァーノ」

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 アイスバーンをそろりそろりと走るバスは、およそ30分遅れで鶴岡市アル・ケッチァーノに着きました。私たちを見送った後、自らの車で合流願った鯉川酒造の佐藤社長は、すでに到着済み。総勢22名での会食とあって、私たちのテーブルは昨年7月にアル・ケッチァーノの隣にオープンしたカフェ「il.chè-cciano イル・ケッチァーノ」を貸し切る形で用意してもらいました。そこには、四里四方の並外れた素材と稀代の料理人 奥田 政行の感性が共鳴しあって現出する唯一無二の世界を五感で味わってもらおうという仕掛けが用意されています。

 およそ一年前、がらんとした改装前の空間で、新しい店のコンセプトを2度ほど奥田シェフと語りあったことがあります。実現したアイデアのひとつが、"料理の背景を学べるレストラン"。そのため、変化に富んだ庄内の地勢を丹念に描いた俯瞰図や映像スクリーンが設えられました。そこに映し出されるのは、移ろいがはっきりとした庄内の四季、豊かな山海の産物、生産者たちの姿・・・。カウンターキッチンで調理をしながら映像や料理の説明がされるという趣向です。そう、「大人の食育」。この店では、運ばれてくるお皿の中だけでなく、皿の外にも素敵なストーリーが隠れているのです。

seisan_greenseat.jpg【Photo】イル・ケッチァーノに用意された生産者優先席

 逆立ちしても都市部のレストランには真似ができない素材が生産される場と物心両面で一体となったアル・ケッチァーノの厨房。この店のもう一方の主役は厨房を支える生産者にほかなりません。素晴らしい食材を提供してくれる生産者のために、店の一角には"生産者優先席"が用意されています。プロの技で生まれ変わった素材は、生産者に新鮮な驚きと持続する意欲をもたらすはず。"品質が優れていても販路が開けない"という生産者支援のために、首都圏の料飲店へ庄内産食材を紹介する取り組みは、奥田シェフがかねてより個人的にしてきたことでした。2004年4月からは山形県が委嘱する「食の都庄内親善大使」として、対外的な広報活動は県の事業となり、その範囲も仙台・東京・関西へと広がり今日に至っています。

haracucina-2.jpg【Photo】食の都庄内食材マップ・ハラクチーナ(表紙)イラストは鶴岡出身の絵本作家・土田義晴氏

 さまざまなマスメディアに登場する機会が増えた昨今、当の本人も予想だにしない速さで「食の都 庄内」に対する人々の認知は進みました。しかし、現状ではシェフ個人と店の名前が一人歩きしている感が強く、本来は長い時間をかけて取り組むべき広範な底支えのための体制づくりは、道半ばの状況にあります。タレントなるがゆえ舞い込む依頼に時間を割かれ、料理人の本分を離れることが増えた過去1年半。料理がかつての輝きを失って毀誉褒貶にさらされた時期もあります。友人として奥田シェフにはあれこれ言ってきましたが、稀有な才能を活かすも殺すも本人の自覚と周囲の環境作りあってのこと。人々の目が庄内に向いている今だからこそ、「ご利用は計画的に」ですぞ!

 今回のツアー参加者には、「食の都 庄内食材マップ・ハラクチーナ」を事前にお渡ししておきました。JR東日本が山形県の出先機関である庄内総合支庁や奥田シェフ・山形大学農学部江頭准教授らの監修・協力のもと作成したこのマップ、庄内産食材の解説が写真やイラストと共にびっしりと記載してあります。最もその食材が美味しい旬や各地で切磋琢磨しあう産地直売所の特徴も紹介。良質な穀倉地帯でありながら、米だけでなく多種多様な産物に恵まれた食の都庄内の魅力を余すところなく伝えてくれるなかなかのスグレモノです。

 夏の日照の多さと厳しい冬の気候は食材に個性を与え、照葉樹林に覆われた山々は豊かな山の恵みだけでなく、糧(かて)を生み出す大地を潤す水をもたらし、沖合いでは寒流の親潮と暖流の黒潮が出合って南と北で潮目が異なる庄内浜には、持ち味の異なる豊富な海の幸が年間を通して揚がります。北前船交易や出羽三山信仰によって、さまざまな種が持ち込まれたそこは、民間育種が盛んな土地柄。独自の進化を遂げた個性豊かな在来作物が60種以上も残る稀有な地域でもあります。恵まれた飼育環境のもとで盛んな畜産を含め、年間通して旬の食材に恵まれた地域を自己プレゼンテーションする媒体としては一通りの情報が網羅してあります。

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【Photo】アル・ケッチァーノのオリジナル純米吟醸「水酒蘭」はイイデヴァの泉を仕込み水として鯉川酒造で醸される。「蔵元封緘」のブルーボトルを飲み干した後は一輪挿しに
 
  いまは雪に覆われたこの地が、いかに豊かな食の大地であるのか、日帰りツアーの限られた時間の中で果たして皆さんにどれだけ実感として感じて頂けたかは判りませんが、このマップを手に再びこの地を訪れて頂きたい。そう思ってのことでした。今回、皆さんをご案内したツアーのいわばメインディッシュが寒鱈を使った奥田シェフお任せフルコースとあって、日本酒と寒鱈の相性、なかでも「燗酒と寒鱈のマリアージュ」を試したいと思っていました。ワインアドバイザーの資格をお持ちで、ぬる燗にした純米酒の食中酒としての守備範囲の広さを語れる鯉川酒造の佐藤社長は、皆さんのガイド役として最適任でした。酸味ベースの白ワインよりは、旨みベースの日本酒のほうが、それも脂が乗った寒鱈には、燗酒が合うであろうことはおよそ察しがつきました。過去5年、優に100回以上にわたって、奥田シェフの手になる料理を食べてきた私の経験では、食材としての汎用性が広いタラ料理には、何といっても日本酒がドンぴしゃで合いそうでした。スプマンテで乾杯した後、アンティパストの食中酒としてお願いしたのはアル・ケッチァーノの入口脇に湧く「イイデヴァの泉(Fontana ii-de-va フォンターナ・イイデヴァ)」の伏流水で仕込んだ純米吟醸「水酒蘭(みしゅらん)」。

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 店のVino del casa(=ハウスワイン)にあたるこの酒は、庄内産の酒造好適米・美山錦を使って鯉川酒造で仕込まれます。かつて奥田シェフは地下150mから湧くこの月山水系の伏流水の存在が、店を現在の地で開く大切なファクターだったと語っていました。「ほったな(=そんな)金など要らないから、汲んでっていいでば」という庄内弁が命名の由来だというこの泉。水酒蘭のラベルには「月の山の水」と「郷のお米」で仕込んだ酒であること。そして、その水の由来が記されています。そこに曰く ― "月の山で生まれた清らかな水は 豊かな清流となって大地に潤いをもたらし 海の恵みとなって再び山へと帰ります "


 幾度も蔵人がアル・ケッチァーノの料理を口にして味が決められていったという水酒蘭。そのなりたちを佐藤社長にご説明いただいているところに、お待ちかねの料理が登場しました。

cappellini.jpg【寒鱈の胃袋とカラフル野菜の冷たいカッペリーニ燻製の胃袋をちらして】
 コリコリとした鱈の胃袋の歯ごたえと、シャキシャキしたパプリカを、オイルとほのかな塩味でまとめたシンプルな冷製パスタ。スモークした香ばしい鱈の胃袋が、ナッツィーな芳香のオリーブオイルと絡みます。澄んだ香りのハーモニーが楽しめるスプマンテとの相性がいい一皿。

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【寒鱈と遊佐の燻製ニジマスをサンドしたミルフォーリエ】
 鳥海山の裾野、庄内最北に位置する清水の里、遊佐町。その清流に暮らすニジマスをスモークし、昆布〆した寒鱈とサンドにしたミルフォーリエ。一見、一切れの肉のようにも見て取れますが、正体は淡水魚と海の魚のミルフィーユです。散りばめられたニジマスの卵が、プチプチとした歯ごたえを。ボイルしてダイスにカットしたブロッコリーの茎がコリコリした食感を残し、フェンネルの香りが心地よく響きます。ひと手間加えた素材が奏でる調和と一体感を楽しみたい奥田シェフらしい一品。

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【寒鱈の白子とカリフラワーの温製フォンデュータ】
 さっと湯煎したぷりっぷりの白子。今も蘇るトローリとろける口どけ。付け合せのマッシュド・カリフラワーともども、お口の中一杯に広がる人肌なトロトロ感が堪りましぇん。うーん、シアワセ・・・。口で感じる食材の温度が絶妙。まったりとした隠微さすら感じさせる食感は病み付きになりそう。白子とマッシュド・カリフラワーの相性もバッチリ。見事な奥田式掛け算の料理。

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【寒鱈のタラの子とエリンギのスパゲッティ 柚子の香り】
 2003年、イタリア・マルケ州アルチェヴィアを舞台に行われたオーガニックの祭典「Biologica」に出店した際にもイタリア人から好評を博したアル・ケッチァーノ流タラコ・スパゲッティ。この時期ならではの寒鱈の鱈の子を使ったアレンジバージョンでこの夜は登場。パスタに和える時間がどんぴしゃなのでしょう、獲れたての鱈の子には、たっぷりと半生の鱈の子が絡んでいます。プチプチと口の中で弾けてロングパスタとの一体感もバッチリ。バターがもたらす深いコク、ほのかな柚子の香りと弾力あるエリンギが食感にアクセントを与えていました。

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【寒鱈とタラレバー(アブラ腑)のロッシーニ風】
 「セヴィーリャの理髪師」や「ウイリアム・テル」で知られるイタリアの音楽家ロッシーニは、たいへんな美食家として知られました。トリュフとフォアグラをこよなく愛した音楽家は、料理に専念するため37歳で本格的な音楽活動から身を引いてしまいます。そんなロッシーニが編み出したといわれるのが牛フィレ肉とソテーしたフォアグラとトリュフをあわせ、マデラ酒と肉汁のソースを掛けた料理「トゥルヌド・ロッシーニ」。これは牛フィレの代わりに脂が乗った寒鱈の白身のソテーを使い、フォアグラの代わりに鱈の肝臓(あぶらワタ)を使った香ばしくも濃厚な一皿。

JYUNDAIH15BY.jpg この重量級の料理には、佐藤社長の秘蔵の一本「鯉川 純米大吟醸15BY」をマッチング。社長が持参された錫製の燗付け器で43℃の適温に温められた古酒は、ふくよかなボディと複雑さを増した味の広がりを遺憾なく発揮してくれました。イタリアの世界的ギタリスト、オスカー・ギリア氏や日本のトップギタリスト福田 進一氏らを招いて2005年8月に開催された「庄内国際ギターフェスティバル」のレセプションディナーでも、鯉川の3年熟成純米大吟醸を燗で頂きましたが、フルボディの上質な赤ワインの役割を見事に果たすことに舌を巻きました。「もうこの平成15年の純米大吟醸は蔵にも在庫はないんです」と佐藤社長。

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 平成15年は、私が山形全域を担当し、庄内の魅力と出逢うきっかけとなった年。太平洋側のコメが深刻な冷害で不作となり、平年通りの作柄に恵まれた庄内米の美味しさに目覚めた年でもあります。蔵で丸4年を経た出羽燦々の昇華した味わいは、またひとしおでした。非売品だという希少な一本をご提供頂いた佐藤社長に感謝。レア物マニアの皆さーん、このレポートを読んで社長に泣きついても無駄ですよー。

hamaguri.jpg【寒鱈とハマグリのクリームスープ雪(岩)海苔で!】
 平たく言うと、アル・ケッチァーノ風の寒鱈汁。この鱈のブイヤベース22人前を作るのに、4尾の寒鱈を投入したという原価率が高い一皿。こうした郷土料理をベースにした創作料理は奥田シェフの真骨頂。浮き身はわけぎとグリシーニ。庄内浜の岩海苔が磯の香りを運んできます。

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【寒鱈の骨身とジャガイモのサラダ】
 寒鱈の中落ちをボイルして、一旦パサパサに。マッシュポテトを泡立てた生クリームと混ぜて爽やかな味でまとめた口の中をさっぱりさせるワンポイントの一皿。トッピングはアンディーブ。オリーブオイルとピンクペッパーはお好みで。


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【寒鱈の尻尾の身とキャベツ・カラスミのスパゲッティーニ】
 アル・ケッチァーノでは、庄内浜に揚がるフグとの組み合わせで出されることが多い薄い塩味のパスタ料理。運動量が多い尻尾に近い部分を使い、身の締まった寒鱈の美味さを実感。甘みが乗った柔らかなキャベツとの相性は、フグも寒鱈も共に良好。自家製のカラスミは鶴岡市内にある美味しい某寿司店「H」の親方に頼んで作ってもらっていると、かつてシェフが語っていましたっけ。

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【伝統野菜「宝谷カブ」のピッツァ】
 鶴岡市の高台、庄内平野を一望する宝谷地区に伝わる在来野菜「宝谷カブ」。同地区で唯一この細長い青首のカブを守ってきたのが畑山丑之助さん。水田の畦の斜面を焼畑として使って栽培します。持ち味の幾分もっさりした辛味が、加熱することによって甘みへと変化、オイルもチーズも使わないピッツァ生地とのシンプルな組み合わせ。

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【羽黒産仔羊のモモ肉ローストと藤島産糸カボチャ】
 鶴岡市羽黒町で肥育農家の丸山光平さんが手がける絶品のサフォーク羊。夏の間、月山の麓で放牧された羊たちは、畜舎に戻ると鶴岡特産のだだちゃ豆の鞘や穀類・藁などを与えられ、そんじょそこいらの羊とは一味もふた味も違う肉質に仕上がります。この夜は生後10ヶ月ほどの仔羊のモモを絶妙の火加減でローストして頂きました。鶴岡市藤島地区に伝わる糸カボチャのシャキシャキした食感も印象的。

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【笹川流れの新月の塩入りチョコムースと新月の塩のジェラート(左)イタリア伝統焼き菓子とマタタビチョコラータ(右)】
 地球に及ぼす月の引力が最大となる新月の夜、海水中のミネラル成分が高まるのだといいます。新潟県山北町の名勝「笹川流れ」の透き通った海水を汲み上げ、薪火で15時間煮沸。浮き上がったキラキラの結晶を集めたピュアソルト。好評の満月の夜に汲み上げた「月の雫の塩(Sale de-sio サーレドシオ)」に続く新たなオリジナルの塩「新月の塩」が隠し味になったチョコレートムースとジェラート。北イタリアピエモンテ伝統の焼菓子とマタタビ入りの濃厚なチョコ菓子

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【Photo】 豪華フルコースを完食後、お世話になった奥田シェフと佐藤社長を囲んでこの日の参加メンバー一同でハイ、チーズ。

 あ~あ、食べた(*^¬^*)。 かくして、大寒の前日に決行された「庄内の美味を堪能する会」の締めを飾った寒鱈尽くしのたらふくフルコースは、大食漢の寒鱈さながらにぺロリとメンバーの胃袋へと収まったのでした。朝早くからご一緒させて頂いた皆さん。よくぞ食べたり。伝え聞くところでは、帰宅後に胃痙攣を起こして難渋した方もおいでとか。体を張った当ツアーにご参加頂いた皆さん、おつかれさまでした。

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2008/02/08

「亀の尾」の故郷の酒

庄内の美味を堪能する会 《中編》

庄内の美味を堪能する会 《前編》 寒中に寒鱈で乾杯 より続き

 大寒の前日1月20日(日)に決行された「庄内の美味を堪能する会」もいよいよ佳境。次なる目的地は、私が密かに仕込んだツアーの隠しテーマ「燗酒と寒鱈のマリアージュ」に向けた伏線となる「鯉川酒造」です。目指すは、田園風景が広がる庄内平野のほぼ中央、山形県東田川郡庄内町。sigkameji.jpg 2005年7月に旧余目町と旧立川町が合併して誕生した町です。そこは私たちが日頃食べているササニシキ・ひとめぼれ・コシヒカリといった優良銘柄米のルーツとなった米「亀ノ尾」の生みの親、阿部 亀治(1868~1928)が生まれた地でもあります。亀治の生家がある同町小出新田から目と鼻の先では、8基の風力発電用の巨大な風車が「日本三大悪風」に数えられる強い局地風「清川ダシ」を受けて回っていました。この一帯は春から秋にかけて、新庄盆地から最上峡を抜けて吹き抜ける寒冷な強風のために、たびたび稲作への深刻な被害を受けてきました。冬場には地吹雪に見舞われるこの地に暮らす人々は、過酷な自然と向き合わねばならなかったのです。

swan.jpg【Photo】近代のコメ作りに偉大な足跡を残した阿部亀治(上写真)一面の雪原と化した庄内平野。この旧藤島地区から旧余目地区にかけては、地吹雪が頻発する地帯。最上川河口から飛来して羽根を休めるオオハクチョウ(下写真)

 その地が冷害に襲われた1893年(明治26年)、青立ちの穂波の中で黄金色の実をつける3本の稲穂をたまたま目にした亀治は、「耐冷性に優れた個体ではないか」と直感し、その稲をもらい受けます。試行錯誤の育種を重ねた4年後に再び襲った冷害の中、亀治の稲は見事に実を結びました。その米は育種に成功した発見者の名をとって亀ノ尾と名付けられます。亀治は評判を聞きつけて籾を求める人々に無償で種籾を分け与えたといいます。

 1905年(明治38年)、東北の太平洋側は天保飢饉以来の大凶作となり、大量の種籾の注文が亀治のもとに寄せられました。亀治は、厳選した種籾一斗分(約18ℓ)を宮城県庁あてに寄贈したのです。優れた耐寒性と早収性、食味から亀ノ尾は東北の主力品種として広く普及してゆきます。現在では日本の穀倉地帯としての役割を担う東北地方も、明治・大正期には、単位あたり収量で16位の山形、20位台後半の宮城・福島以外、青森・秋田・岩手の北東北三県は全国でも最低レベル。凶作時には口減らしをせざるを得なかった東北のコメ作りの歴史は、ひとえに寒さとの闘いであったのです。

KiichiAbe.jpg【Photo】風ぬるむ5月中旬。残雪を頂く鳥海山(右奥)を望む先祖伝来の田に亀の尾を手植えする亀治の曾孫、阿部 喜一さん(左)と奥様のひろ子さん(右)

 その構図を劇的に変えたのが、耐冷性に秀でた亀ノ尾でした。このコメは大正末期の1920年代には19万haあまりに作付け面積を増やし、大正期から昭和十年代にかけて、東北・北陸はおろか、朝鮮半島や台湾にまで普及してゆきます。やがて戦後生まれの耐病性に優れ収量も多い品種に押されて飯米としての作付けが減り、一時は幻の米と言われた亀ノ尾。 漫画「夏子の酒」のモデルとなり、近年では酒米として復権しつつあります。

 その発祥の地・庄内町で1725年(享保10年)に創業した鯉川酒造は、現在も自ら所有する水田で亀の尾(※注)を育て、地元の米にこだわった酒造りを続ける蔵です。年産850石(=153,000ℓ)を醸すこの蔵の11代目となる佐藤 一良社長が目指すのは、米の旨みが凝縮し、適度に熟成した純米の酒。アルコール添加の本醸造酒も需要があるために若干は造るものの、主力はあくまで純米酒。冷やで香りが立つ淡麗な生酒ではなく、理想は複雑な味わいが楽しめる「ぬる燗」で食事を通して楽しめる酒だといいます。 (※注:現在では「亀の尾」と表記する)
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【Photo】鯉川酒造では、蔵に隣接する水田に井戸水を引いて亀の尾を育てている。無農薬栽培のため雑草に覆われた畦に立つ佐藤社長

 鯉川酒造の先代、佐藤 淳一氏が亀治の曾孫にあたる阿部 喜一氏から亀の尾の原種籾を譲り受けたのが1979年(昭和54年)の冬。"亀治爺さんの遺言だから"と、喜一氏は毎年水田の10平米ほどの狭い一角で亀の尾を細々と造り続けてきたのです。その場には後に稼業を継ぐ長男の一良氏も立ち会ったのだそう。蔵の近隣で米作りをしていた当時の杜氏 佐藤 隆氏とともに栽培を始めたのが翌1980年春のこと。初年度の秋は全て種籾用に収穫されました。穂丈が長く倒伏しやすいうえ、化学肥料や農薬が導入される以前の品種だけに、現代の一般的なコメ造りとは異なる亀の尾の栽培には、苦心を重ねたようです。

 無農薬による栽培を軌道に乗せた1981年の翌年2月には亀の尾を混醸した純米酒を世に出します。その年の秋に収穫した亀の尾だけで仕込んだ純米酒が作られたのは、翌1982年春のことでした。その歩みには亀の尾を生んだ郷土の蔵元として、忘れられた米・亀の尾復活にかけた淳一氏の使命感と矜持があったように思えます。こうして地域の伝統に根ざした特色ある酒造りをしていた淳一氏が1993年に急逝します。落胆する間もなく蔵を継いだのが一良氏です。それは氏が前年7月にそれまで11年間勤めた協和発酵工業㈱から実家に戻った矢先のことでした。

2006.7.1attico.jpg【Photo】梅雨期に訪れた鯉川酒造の亀の尾栽培田。冷立稲の中から亀治が発見した3本の稲のDNAを受け継ぐ直系の稲が育つ。「無農薬田の土の色を覚えておいてください」とは社長の弁

 協和発酵在職中にワインアドバイザーの資格を取った一良氏は、ワインの買い付けと営業を担当しました。商談で訪れた欧州のワイナリーで目にしたのが、土壌や気候といった産地のテロワール(≒風土)を反映した結晶ともいうべきブドウへの徹底したこだわりでした。s-2006.7.1jyunmaidaiginjyou.jpg Enologist エノロジスト・Enologo エノロゴ(=醸造家)の技量もさることながら、常に畑でブドウと向き合う Agronomo アグロノモ(=栽培家)の存在が、醸造酒であるワインの品質を決めるのです。いかに腕の良い醸造家でも、品質が悪いブドウから良いワインは造れないのが道理。それは氏が酒造りと表裏一体になった農業の大切さを認識する契機となりました。造り酒屋の跡取りとして、原料となる米に及ぼす土や水の力、いわばテロワールの重要性を肌で感じたのです。かつて清川ダシに苦しめられた農民たちを救ったコメ発祥の地で酒造りをする以上、亀の尾は避けて通れない道筋。契約農家を含め蔵に隣接した自家所有の水田で無農薬で亀の尾を栽培する佐藤社長は、将来的には原料米も全て地元産にしたいと夢を語ります。

【Photo】亀の尾を40%まで磨く贅沢な造りをする「純米大吟醸生原酒 阿部亀治」。繊細な香りを活かすため、中硬度の自家井戸水ではなく鳥海山系の軟水を仕込み水に用いる。郷土の偉人、阿部 亀治に捧げた酒。墨痕鮮やかな揮毫は亀治の曾孫、阿部 喜一氏の手になるもの

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【Photo】仕込みを待つ米は、ほとんどが地元産。庄内町に4町歩以上の契約栽培田がある。中央にうずたかく積まれたのが亀の尾。手前は蒸した米を平らに伸ばした上に麹種をかけた状態。この後、麹室に入れられる

 
 バスで一面雪に覆われた庄内町を走ることしばし。ほどなく黒塀とこんもりとした木立に囲まれた鯉川酒造に到着しました。佐藤社長には、冷たい風のなか、わざわざ蔵の外で迎えて頂きました。築100有余年の歴史と風格を漂わせるお屋敷の座敷で社長のお話を伺いながら、奥様に蔵の仕込み水となる井戸水で点(た)てた抹茶とお茶菓子でおもてなし頂きました。こちらの蔵では、いつもこうして仕込み水の味を確認してもらおうと抹茶とお茶菓子でおもてなし頂きます。凛とした空気が漂う仕込み蔵に移り、契約農家から納められる酒米の90%以上が地元産という米蔵を見せていただきました。酒造好適米として広く高い評価を受ける「山田錦」や、kamijikoujitsu.jpg熟成に耐えるバランスの良さで近年注目を集める秋田生まれの「美郷錦」に加え、特Aランクの優れた食味を持つ「はえぬき」や高級酒用に開発された「出羽燦々」、そして「亀の尾」など地元山形ならではのコメが仕込みを待ち受けています。この冬から杜氏を勤めるという高松 誠吾 製造部長の解説のもと、亀の尾で仕込んだ純米吟醸「亀治好日」を試飲させていただきました。通常は火入れをして味を落ち着かせてから出荷される酒ですが、このしぼりたての生酒は亀の尾特有のほのかな酸味と甘味が入り混じり、炊き立てのご飯のような米の香りが含み香として残ります。燗をつけた食中酒としての旨さをかつて私に知らしめてくれたこの酒、ぜひぬる燗でお試し下さい。

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【Photo】火入れ前のしぼりたて「亀治好日」を試飲。「まだ味が落ち着いていませんが・・」というものの、精米歩合55%の活き活きとした亀の尾の香りが後を引く(上写真)      裸電球の熱で発酵を促すと語る杜氏の高松 誠吾 製造部長。櫂棒(かいぼう)で醪(もろみ)を攪拌すると底に溜まった炭酸ガスがボコボコと抜けてくる(左写真)

 温度管理に細心の注意を払うという発酵中の大吟醸の酒母からは、すでに良い香りが立ち上がってきます。発酵を均一に進めるため、日に2~3回の攪拌は欠かせないといいます。蔵限定の火入れ前の亀治好日を味わえただけでなく、手をかけた造りをする日本酒の奥深い世界を窺い知ることができ、一同感激した面持ちでした。大吟醸特有の華やかな吟醸香を楽しむだけではなく、数年寝かせてから燗にして複雑な味わいを楽しんでほしいというこの蔵では、純米大吟醸のバックヴィンテージをいくつか抱えているようです。この日の夜、食卓を共にした佐藤社長が持参されたのは、まさにそんな秘蔵の一本でした。

 仕込み蔵から再び座敷に戻った私たちを待っていたのは、ぬる燗をつけた「鉄人うすにごり」なる純米吟醸でした。2005年3月に劇場公開された映画、実写版「鉄人28号」の監督、冨樫 森 氏は佐藤社長の高校時代の同級生。1960年代にアニメ放映された横山 光輝原作の「鉄人28号」tetsujinusunigori.jpgのリメイク映画を友人が手掛けるとあって、佐藤社長が一肌脱いで造った酒です。通常は庄内町の契約農家が栽培する酒米「五百万石」から造る酒ですが、私たちが頂いた平成18BYの酒は、五百万石が不作だったため、「出羽燦々」で醸したのだそう。かつて社長も胸躍らせたであろう鉄人の名を冠した酒は無敵の旨さ。淡い粉雪のような濁りはさほど強くはなく、43度の適温に燗をつけた酒は、さらりとした飲み心地。佐藤社長によれば、人間の体温に近いぬる燗の酒は、アルコール吸収のストレスがなく、肝臓が効率的に働くのだそう。仕込み水をチェイサーにすれば、二日酔いなど決してしないのが純米酒の良さでもあるとも断言。世の呑ん兵衛諸氏、純米酒を愛飲しましょうね。(笑)

【Photo】細やかなもろみの粒子が溶け込んだ「鉄人うすにごり」。和風モダンなラベルともども、音楽を愛し、自作した「出羽燦々」のPRソングを持ち前の美声で歌い上げる蔵元の遊び心ある一本

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 蔵元が座敷の障子を開くと、雪に埋もれたお屋敷の庭が目に入ります。重ねる盃は淡い白雪のような「うすにごり」。飲み心地の良さも手伝って、つい長居をしてしまいそうでしたが、ツアーの仕上げとなる「燗酒と寒鱈のマリアージュ」を皆さんに体感いただく時間が迫っていました。とっぷりと日が暮れ、ツルツルのアイスバーンと化した「庄内こばえちゃライン」を時速30キロで向かった先は、鶴岡市のアル・ケッチァーノ。奥田シェフには「寒鱈尽くしで一行を昇天させてね」と頼んでありました。佐藤社長を交えて始まった寒鱈と燗酒の宴はいかなるものだったか? "細工は流々、仕上げを御覧じろ" ということで、詳報は次回庄内の美味を堪能する会 《後編》 「燗酒と寒鱈で乾杯」! (引っ張るなぁ、今回は・・・)  つづく

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