あるもの探しの旅

« Giugno 2008 | メイン | Agosto 2008 »

2008/07/27

スピンオフな民田ナスのパスタ

Spagetti alla ragù bolognese melanzane Minden
@al.chè-cciano

 在来野菜「民田ナス」の食べ方は漬物ばかりではありません。

 ナスは組成の9割以上が水分で食物繊維が豊富。糖質がほとんどですが、「茄子紺」と表現される外皮にはアントシアニンが含まれており、抗酸化効果がある野菜でもあります。ナスは体を冷やすとされ、暑い夏を乗り切るにはぴったりの野菜でもあります。
caponata.jpg

【Photo】 野菜たっぷりな南イタリア発祥の料理「カポナータ」は、Autostrada アウトストラーダにあるオアシス、Autogrill アウトグリルなど作り置きの軽い食事をとれる店やRosticceria ロスティッチェリア(=惣菜屋)の定番メニュー

 ナスは油との相性が良い野菜です。オリーブオイルでさっと素揚げし、炒めたパプリカや玉ネギ、セロリ、トマト、ズッキーニなどの夏野菜と合わせて軽く煮込んだ「Caponata カポナータ」は南イタリアを中心に夏の食卓に欠かせない料理です。西リヴィエラのフランス国境を越えてプロヴァンスに入ると「Ratatouille ラタトゥイユ」と名前が変わり、これまたポピュラーな料理となります。イタリアでは年産376,000トンあまりのMelanzana メランツァーナ(ナスの伊語)が生産されており、日本の395,000トンに次いで世界6位のナス食い民族でもあるのです。

 さて、皮が硬めでナス特有のアクがある実が詰まった民田ナスは、私も大好きなカポナータ向きのナスとはいえません。かといって和風の漬物ばかりじゃ・・・と仰る向きに、自宅でもコピー可能な民田ナスを使ったプロのイタリア料理をひとつご紹介しておきます。それが今年の7月上旬に鶴岡の「al.chè-cciano」で土田学料理長が出してくれた「Spagetti alla ragù bolognese melanzane Minden(≒民田ナスのラグーソーススパゲッティ)」です。

 2004年(平成16)、アル・ケッチァーノの奥田シェフが、当時まだ黒板メニューにオンリストしておらず、ぜひ攻略したい庄内産伝統作物として挙げていたのが民田ナスでした。その後、「笑貝と民田ナスのエゲシスープ」や「羽黒仔羊の腎臓と民田ナスのぺペロンチーノ」などのスペチャリテが誕生し、特徴的な民田ナスのエグミを活かした料理を店で実験台として(笑)味わってきました。庄内浜のムール貝こと「笑貝」は別にしても、トウモロコシのヒゲのような海藻の「エゲシ」や「花沢ファーム産の羊の内臓」などは、なかなか入手が難しい食材でもあります。いざ自宅で挑戦しようにも限界があろうというもの。

 昨年7月に al.chè-cciano の隣にオープンしたカフェ「il.chè-cciano イル・ケッチァーノ」で先月からランチタイムに出すようになったシンプルなパスタ料理と夜のお任せコースを奥田シェフが担当し、土田料理長がアル・ケッチァーノのほとんどを任されるようになった今、それぞれのメニューに変化が生まれています。夕方までに仙台に戻らなくてはならなかったある日、「民田ナスを使った料理を」という私の唐突なリクエストに応えて土田さんが用意してくれた初見参のパスタは、山伏豚をミンチにして、唐辛子を加えた深みとコクのあるラグーソースのスパゲッティでした。鶴岡市渡前の井上農場産樹熟トマトと赤ワイン風味のしっかりとしたラグーのピリッとした辛味が、軽く塩をしてさっとソテーした今野 惠子さんの畑から土田さんが朝に採ってくるオーガニックな民田ナスとうまくマッチしています。

ragubolognesemelanzaneminden.jpg
 【Photo】 民田ナスのラグーソーススパゲッティ @al.chè-cciano 2008年7月

 ゴロンとしたしっかりした食感が特徴的な民田ナスの存在を主張しますが、口の中では重過ぎないラグーのコクと唐辛子の辛味が太めのパスタと絡んでゆきます。そうそう、この一体感。山伏の里・羽黒で実を結んだ鶴岡の在来野菜が、山伏豚のラグーとあいまって見事なイタリアンにメタモルフォーゼしていました。こうした独自の世界観こそ、アル・ケッチァーノの真骨頂ともいうべきもの。とはいえ、これならもぎたての民田ナスを手に入れたどなたでもコピーが可能なパスタ料理に挑戦できそうです。私のように山伏豚を鶴岡市みどり町の「クックミートマルヤマ」に買いに行かない方は、豚と牛の合い挽き肉を使ったしっかりしたラグーソースをご用意ください。ポイントは唐辛子の辛味が民田ナスのエグミとうまくマッチすること。ラグーソースに使った Vino rosso をグラスに注げば、一層パスタが引き立つことでしょう。

それでは、Buon appetito!!  

baner_decobanner.gif

2008/07/26

めづらしや山をいで羽の初茄子

松尾 芭蕉も愛でた丸小ナス「民田ナス」

 今からちょうど319年前の今日、1689年(元禄2)7月26日(陰暦6月10日)、奥の細道を訪ねる旅の途中で、松尾 芭蕉は出羽三山を詣でた後に鶴岡を訪れました。そこで芭蕉は城下の山王町、現在も長山小路と呼ばれる細い路地の一角に居を構えていた庄内藩士 長山 重行の屋敷に招かれます。俳句を嗜む重行は、江戸勤めをしていた折に深川に暮らす芭蕉と交友がありました。同行した曾良ら芭蕉の門人が集ってその夜催された句会で芭蕉が詠んだのがこの一句です。

 めづらしや山をいで羽の初茄子

【Photo】 芭蕉が滞在した長山重行邸跡(鶴岡市山王町)
《備考》 蛇足ながら現在そこにはなぜか「バナナハウス」という名のアパートが建っている。
せめて「ナスビハウス」にしてほしかった・・・?(笑)

mindenynagayama.jpg この句に登場する「初茄子(はつなすび)」が今回のお題、「民田(みんでん)ナス」です。山頂まで登った月山をはじめとする酷暑の中の山歩きよる疲れで、鶴岡滞在中の3日間は体調が優れなかったという芭蕉。俳聖をもてなす食膳に粥とと共に供された民田ナスは、旬真っ盛りならではの軽く塩で漬けた浅漬けだったに違いありません。初めて目にする民田ナスの小ぶりでコロンとした丸い形状と、パキッとした歯ごたえが、よほど芭蕉の心をとらえたのでしょう。在来作物の宝庫・庄内地方産の伝統野菜でも、だだちゃ豆と並んで有名なのが、この可愛らしい丸ナスかもしれません。

 昨年出版された「どこかの畑の片すみで」(山形在来作物研究会編)によれば、1908年(明治41)、東京で開催された蔬菜(そさい=「野菜」の意)展覧会に出品された民田ナスが表彰を受けたことで、全国の研究者から注目され、大正・昭和と多くの園芸書に登場したことで広く名が知られるようになったのだといいます。藤沢 周平の原作では「茄子」とだけ記され名前が登場しないものの、黒土 三男監督の映画「蝉しぐれ」では、緒方 拳が演じた牧助左衛門が組屋敷の菜園で育てていた丸小ナスは民田ナスの設定でした。2005年の封切りに先立って前年の9月に訪れた同市羽黒町松ヶ岡のオープンセットの庭に植えてあったのも、民田ナスのように見受けました。【注】
mindenvista.jpg

【Photo】 民田地区の外れにある畑の2畝(うね)で栽培されていた民田ナス越に望む金峰山

 鶴岡を流れる赤川の分流「青龍寺川」と「内川」に挟まれた地区が「民田」です。鶴岡南バイパスから水田が広がる民田地区の平坦な地勢を車窓越しに眺めることができます。この一帯は、かつては暴れ川だった赤川の左岸にあたるため、砂利が多い土壌で、地下水が地中の浅い位置にあるのだといいます。隣接する「外内島(とのじま)」や「小真木(こまぎ)」を中心に鶴岡周辺で今も栽培が行われる民田ナスの由来は定かではありません。一説では「茄子太夫」なる神職が伝えたものとも、京都から流れてきた宮大工がこの地に種を持ち込んだものともいわれます。民田地区から青龍寺川を渡った目と鼻の先の西側には、古来より山岳信仰の山として知られる「金峰山(きんぼうさん)」の参道へと続いています。

 京都の伝統野菜では、大柄な丸ナス「賀茂ナス」が有名ですが、ヘタとの境界の実が白くなる小ぶりな形状や硬い外皮と締まった果肉などの特徴を備えている「椀(も)ぎナス」は、民田ナスとの類似性が認められます。ひょとすると、慶応年間から明治初期にかけて京都聖護院で選抜された「椀ぎナス」の原種が、民田ナスのルーツなのかもしれませんが、DNA鑑定でもしない限り、今となっては知る由もありません。
mindennasi.jpg

【Photo】 さまざまな大きさで並んだ民田ナス。鶴岡市羽黒町狩谷野目の今野 惠子さんが害虫忌避剤として唐辛子の希釈液を撒くなど、手間のかかる有機無農薬栽培で育てたもの。ここで一句「ありがたや羽黒いで羽の丸茄子」・・・お粗末。「あねちゃの店」で取り扱う

 民田ナスの特徴である硬い外皮と締まった肉質を愛でるには、もぎたてを浅漬けで頂くのが一番。漬物に向くのは、せいぜい長さ3~4センチ、重さ15グラム程度の小さなものです。まだ小さいからといって、未熟なわけではありません。夏の庄内特有の強い日差しを浴びて育つ民田ナスは、わずか1日収穫時期を逃すだけで、ひとまわりもふたまわりも大きくなって、香りが飛んでしまうのだとか。主な用途となる加工用の需要は小ぶりなナスに限られるため、大きくなった民田ナスは、流通サイドの論理で「規格外」という理不尽なレッテルを貼られたにせよ、煮物や素揚げとして美味しく頂けます。組成の94%が水分からなるナスの栽培には、こまめな水遣りが欠かせません。米沢の在来種「窪田ナス」を選抜して後世登場した「梵天丸小ナス」や「薄皮丸小ナス」の系統とされる旧朝日村産の「沖田ナス」などと比べて虫がつきやすいため、現在では民田ナスから他の品種に切り替える農家が多くなっています。

 仙台市青葉区の勾当台公園市民広場を会場に、ほぼ毎月第3木曜日に合同定期市を開催しているのが、NPO法人「朝市夕市ネットワーク」です。安全な農産物・加工品を届けようという意識が高い生産者が集う、この青空市に鶴岡市民田から軽トラックでやってくるのが五十嵐 正谷さん・京子さんご夫妻。会話の中で庄内ローカルな単語(地名・食べ物etc)を連発する私とはすっかり顔なじみです。「旬菜畑」ブランドの豆餅や赤カブ漬けなど、旬の庄内の味をいつも届けてくれる五十嵐さんによれば、民田の農家では、稲作のかたわら、近隣の農家向けに販売する民田ナスの苗作りが盛んだったのだそう。しかしながら、実際に民田を訪れても、集落内ではほとんど民田ナスを栽培している畑を見かけません。
 mindenkanban.jpg

【Photo】鶴岡協同ファームの民田ナス畑。「日本一!」の看板はご愛嬌

 民田の西隣、高坂地区には山形大学農学部の演習農場があり、その通り向かいに"日本一!「民田なす」の栽培面積"という看板が立つ鶴岡協同ファームのナス畑があります。地域特有の作物である在来野菜の作付け面積が日本一と言われても苦笑するしかないのですが、その志は立派なもの。なぜなら畑の持ち主、鶴岡協同ファームの代表、五十嵐 一雄さんは、自分が生まれた集落の名前が付いた伝統ある民田ナスが、お膝元でほとんど作られていない状況に疑問を感じ、2003年(平成15)から地元で栽培を始めました。連作障害が出やすく、害虫にも弱いため、高度経済成長が始まった頃から、徐々に安価な中国や韓国で生産された丸小ナスが漬物の加工用として用いられるようになっていたのです。こうした経緯は、仙台名産の「仙台長ナス漬け」でも起きたこと。最近は日本の食料自給率の低さとフードマイレージのズバ抜けた高さがやっと問題視されるようになりました。仙台の味として名高い牛タン焼きもそうですが、原料のほとんどを輸入に依存する名産品って、「なんだかなー」と感じてしまいます。仕入れ原価を抑えて利益を上げようという経済効率を重んずる価値観が跋扈し始めたこの時代以降、日本中でこうしたことが平然と行われてきました。
mindenhanami.jpg

【Photo】 収穫期真っ盛りの7月、民田ナスは次々と花を咲かせては実をつける
 
 6月、地植えして間もない民田ナスの茄子紺色の根元を見ると、接木がされているのがわかります。これは連作障害を避けるための処理。収穫期を迎えるころに咲き始める薄紫の花の黄色い花粉が付いた雄しべには、蜜蜂が飛んできます。その八角形の花の蕾は、茎から枝分かれした長いヘタが始めから下向きに付くのが面白いところ。はにかむようにうつむき加減で下を向いて咲く淡い紫の花の姿には、いじらしさを感じませんか? やがて結実する黒光りする実がリリー・フランキーの漫画「おでんくん」に登場する「ガングロたまごちゃん」にどこか似ている(「つみれちゃん」とも似ているかも・・・)ように思うのは私だけでしょうか。(「ガングロ・・・」が思い浮かばない方はコチラをどうぞ)

 民田ナスが、おでん鍋の中ですっかり煮染まったガングロたまごちゃんと違うのは、夏の庄内の食卓に欠かせない人気者である点。民田に最も近い鶴岡市外内島にある「産直もえん」や、同市西荒屋の「産直あぐり」、量り売りをしてくれる同市羽黒町狩谷野目「あねちゃの店」などで、まずはプリプリの民田ナスを入手しましょう。塩とミョウバンを加えて手揉みした採れたての民田ナスに水を加えて加圧すれば、半日から一日で浅漬けが出来上がります。鮮やかな青みが加わった浅漬けは、新鮮さが命ゆえ、召し上がるのはよく冷やしてお早めに。保存食としても活躍する民田ナスは、庄内町(旧余目町)特産のカラシ菜を使って加工される辛子漬けや、藩政時代以来の酒どころ鶴岡市大山地区で造られる酒粕漬け、味噌付けやたまり漬けなどとして、地元以外でも広く知られるようになりました。

mindenasazuke.jpg

【Photo】 今野さんの民田ナスを仕込んだ自家製の浅漬け

 最もポピュラーな辛子漬けは、鶴岡で130年の暖簾を守る老舗「佐徳」の創業者、佐藤 徳次郎が1877年(明治10)に商品化したもの。1908年(明治41)に創業し、今年で創業100周年を迎える鶴岡市大山の「本長」の粕漬けは、仙台などの主要百貨店でもよくみかけます。観光で鶴岡を訪れた際には、都市間バスのターミナルにもなっている鶴岡IC近くの「庄内観光物産館」を訪れて下さい。試食サンプルをつまみながら、好みの製品を選ぶことができます。
mindenpfarm.jpg

【Photo】月山パイロットファームの民田茄子からし漬け特別仕様

 個人的に最も美味しいと思う民田ナスの漬物は、以前も登場した鶴岡市三和の農事法人「月山パイロットファーム」製の「民田茄子のからし漬け特別仕様」です。私が敬愛するエコファーマー相馬 一廣さんは、1977年(昭和52)に月山山麓の未開地の開墾に着手、永年に渡る試行錯誤と研究の結果、輪作と緑肥の活用による独自の無農薬栽培法を確立しました。ご子息の大(はじめ)さんと共に栽培サイクルの中で自家栽培する民田ナスを塩蔵後、同じく自作するカラシ菜とササニシキを「竹の露酒造」に委託醸造してもらう吟醸酒(残念ながら(笑)非売品。うまいんだ、これがっ!!の酒粕を塩抜きのために加えたもの。添加物を全く使わないために日持ちはしませんが、それが自然の摂理。Non-GMO(「非遺伝子組み換え食品」)ゾーンを示すヘタウマな手書き看板が立つ雑草だらけの畑から採れる野菜は、どれも安全で美味しいものばかり。発酵によって旨みを増した素材の持ち味を活かした自然な味を知ってしまうと、蛍光色に近い色をした漬物など、到底食べられなくなってしまいます。一部の生協や特定消費者団体との直販システムのため、簡単には入手ができないのが唯一玉にキズですが、かつてイタリアにご一緒したご縁もあり、顔を出すたびに買わせていただいています。(いつもオマケして頂いてもっけです~
今年も間もなく赤川花火大会とだだちゃ豆の季節がやってきます。また伺いますね、相馬さん。

※「スピンオフな民田ナスのパスタ」に続く

【注】 藤沢 周平の生家は、東田川郡黄金村大字高坂(現在の鶴岡市高坂)にあった。すでにその家は取り壊されて現在は空き地になっている。唯一の名残りは「藤沢周平 生誕之地」と刻まれた石碑のみ。今は山形自動車道によって分断されているものの、民田とは青龍寺川を挟んで目と鼻の先。農家に生まれ育った藤沢 周平にとって、民田ナスは馴染み深い郷里の味だった

baner_decobanner.gif

2008/07/20

典雅なイタリアの遺香 ~ i profumi di antica Italia

現存する世界最古の薬局、サンタ・マリア・ノヴェッラ @仙台

SMNlogo_nero.jpg

 かつて伊達藩の御譜代町だった仙台市青葉区大町。その一角に前を通るたびに気になっていた小さなショップがあります。マンションの一階にあるその店のエントランス脇には、白地に黒で描かれた見覚えのあるクラシックな書体と紋章の看板が。現存するなかでは世界最古の薬局としてガイドブックに登場するほどフィレンツェの観光スポットとしても有名な「あの『Officina Profumo-farmaceutica di Santa Maria Novella (サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局)』の製品を扱う店が仙台にもあるのかしらん?? 」と思いつつも、立ち寄る機会がないまま半年以上が過ぎました。

antelope.jpg

【Photo】 antelope 外観

 先日ようやくその店「antelope アンテロープ」を訪れると、アロマキャンドルやリネン類などと共に、一目見てそれと分かる優雅なオーラを放つクラシックなパッケージをまとったポプリやローションが置いてありました。

 かつてフィレンツェを支配したメディチ家や欧州各国の王侯貴族のみならず、近代に至るまで世界のセレブリティを魅了してきたFarmacia(=薬局)、サンタ・マリア・ノヴェッラ。

 薬局といっても、ニッポン各地に増殖中のド派手でギンギンなドラッグストアとは月とスッポン。あくまで格調高く慇懃な雰囲気は、某ツキヨや某イコクとは全くの別物です。イタリア貴族が暮らすパラッツオさながらのサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局は、イタリア国内においても特別な存在となります。

 米国の作家トマス・ハリスの小説を映画化した「羊たちの沈黙」の続編「ハンニバル」には、殺人罪で投獄されるものの逃亡した精神科医レクター博士(アンソニー・ホプキンス)が、FBI 特別捜査官クラリス(ジュリアン・ムーア)に手紙を送る場面が登場します。バルト三国のひとつ、リトアニア生まれながら、ミラノの名家ヴィスコンティ家の末裔で、貴族趣味のレクターは、驚異的なまでに鋭敏な嗅覚の持ち主とされ、サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局の常連でもあるという設定が原作ではなされています。手紙に残されたほのかな香りを鑑識で分析させたクラリスは、それがサンタ・マリア・ノヴェッラの製品のものだと割り出します。

facciataSMNovella.jpg【Photo】 薬局の母体となったドメニコ会のサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂

 フィレンツェ中央駅に降り立つと、駅と薬局の名前の由来になっている「Basilica di Santa Maria Novella サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂」の後陣部分が駅前広場の先に見えています。 novellaは英語にするとnovel。従ってこの美しい響きを持った聖堂の名前を直訳すると「聖母マリア物語」の意味となります。

 フィレンツェゴシック様式の典型とされるこの聖堂は、1216年創設のドメニコ修道士会のフィレンツェにおける拠点として、ドメニコ会の威信をかけて1246年に建設が始まりました。同じ時代に興ったフランチェスコ会同様、ドメニコ会は清貧を重んじ、学究と救済に活動の重きをおきます。ドメニコ会修道士が聖堂の前身となった「Santa Maria fra le Vigne サンタ・マリア・フラ・レ・ヴィーネ修道院」で病人救済の一環で薬作りを始めたのが1221年。教義の実践として使われた薬は、彼らが修道院の敷地で栽培した薬草やハーブ・花などの天然成分を用いて調合されたものでした。

Centro チェントロ(=旧市街の中心)の巨大なドゥオーモと同じ配色の白・緑・薄紅色からなる大理石がシンメトリーな幾何学模様を描き出すサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂。なで肩の聖母マリアのような優しげな印象を与えるファサードを背にして、2本のオベリスクが建つ「Piazza Santa Maria Novella サンタ・マリア・ノヴェッラ広場」を抜けて「Via della Scala スカラ通り」方向に右折します。

【Photo】このガラス扉を開いた先に外の喧騒と別世界の香りの空間が広がる

SMN_porta_destra.jpgSMN_porta_sinistra.jpg

 100mほど通りの右を進むと、さして間口が広くない石造りのアーチの奥にドメニコ修道士会の紋章とOfficina Profumo-farmaceutica di S.Maria Novella の名がエッチングされたガラスの扉が目に入ることでしょう。スカラ通り16番地のそこが、目指すオフィチーナ・プロフーモ・ファルマチュウティカ・ディ・サンタ・マリア・ノヴェッラ(=サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局)です。

SMN_negozio1.jpg

 両開きの重い扉を開けてエントランスホールに足を踏み入れると、うっとりするような香りが鼻腔を満たします。トマス・ハリスが「この世でもっとも香(かぐわ)しい場所のひとつ」と著作ハンニバルの中で描写しているそこに漂う高貴な香りは、フィレンツェ近郊の野に咲く花やハーブ類などの自然素材のポプリが発するもの。

 金糸の刺繍が施されたシルクの飾り袋に詰められたアンテロープでも人気が高いというこのポプリで特筆すべきは、えもいわれる香りが少なくとも1年は続く高い持続性にあります。

【Photo】簡素なエントランススペースを進んだ先が、もともと修道士たちの礼拝堂だったボールト天井にフレスコ画が描かれた販売ルーム

SMN_oficcina_negozia.jpg


 材料に秘伝のエッセンシャルオイルを加え、大きなテラコッタの壷で6ヶ月以上に渡って発酵・熟成させる製法が、この比類なき香り立ちに寄与しているのだといいます。永年に渡って使い込まれた素焼きの壷は、フィレンツェを南へ10キロほど下った良質の粘土が産出する陶器の町 Impruneta インプルネータ産。ヴィッラの庭園に配置された優美なフォルムのプランターが有名ですが、ブルネッレスキが設計したフィレンツェのドゥオーモの円蓋の屋根を覆う茶褐色な瓦も耐久性が高いインプルネータ窯によるものです。

 中世の面影を色濃く残すこの薬局を訪れた人の印象に残るのは、一体何でしょう?

 精緻な装飾が施された重厚なウォールナット(=クルミ材)のショーケースに並ぶ優雅なフォルムの香水やリキュール、石鹸などの商品でしょうか。

 あるいはボールトのアーチが交差する高い天井に描かれたミラノの「Galleria Vittorio Emanuele II(=ヴィットリオ・エマヌエーレ2世アーケード)」を彷彿とさせる四大陸に馳せる薬局の名声を寓意化したパオリノ・サルティの手にかかるフレスコ画かもしれません。

 レオナルド・ダ・ヴィンチが設計した器具やアルコール精製に用いたアランビッコ式蒸留器などの製薬道具類も伝統の証しとして見逃せません。

 さらにはウフィッツィ美術館の天井にも登場するグロテスク文様【注】が施された工芸品としても価値が高いAlbarello アルバレッロ(=薬壷)や、かつて売られていた商品のクラシックなパッケージも興味深いものです。

SMNpopuri.jpg

 それらはいずれも強い印象を残しますが、記憶中枢のもっとも深いところに留まるのは、店内に漂う世にも麗しい香りに違いありません。それは、信仰に生きた修道士が残してくれた中世の典雅な遺香ともいうべきものです。

【Photo】 気高く香り立つサンタ・マリア・ノヴェッラのポプリ(左)。紺・緑・赤・茶などこの美しいシルクの飾り袋に入ったものだけでなく、小分けにできるタイプも人気。ジャケ買いしてしまいそうなイタリアの伝統的な美意識が反映されたラベルのアックア・ディ・ローゼ(下)。ナチュラルで優しいバラの香りは時を超えて愛されてきた

SMN_acqua_rosa.jpg

 修道士たちが薬作りを始めてから800年近くを経た今日に伝わる最古の処方は1381年のものです。アンテロープで扱う「Aqua di Rose アックア・ディ・ローゼ(=薔薇水)」も当時の製法をもとに作られています。これはフィレンツェ周辺に咲くオーガニックな環境で栽培されたバラの花弁を精製した天然水で蒸留し、抽出されるオイル成分を除いたハーブウォーターです。現代のアロマテラピーではバラの花には沈静効果があることが知られていますが、ペスト(黒死病)がヨーロッパ全域で猛威をふるった14世紀半ば当時は、バラには殺菌作用があると信じられていました。そのため、このアックア・ディ・ローゼは住居の消毒用として、また薬を飲む際の水代わりに、さらには点眼薬としても用いられたそうです。 (⇒現在ではローションとしての用途のみ)

SMN_negozio3.jpg
【Photo】一人ひとりの症状に応じて薬を処方してくれる「Erboristeria エルボリステリア」のカウンター。「Farmaciaファルマチア」が一般薬を扱うのに対し、薬草・ハーブ・自然食品などを扱うのがエルボリステア。このイタリア式漢方薬局(?)がサンタ・マリア・ノヴェッラの奥まった一角にある

 1612年、トスカーナ大公フェルディナント2世から「Fonderia di Sua Altezza Reale フォンデリア・ディ・スッア・アルテッツァ・レアーレ(≒王家御用達高等製錬所)」の称号を授けられたファルマチュウティカは、一般向けの薬局として新たなスタートを切ります。Fonderia とは、本来「鋳造所」を意味するイタリア語ですから、当時の最先端化学であった薬作りが、L'alchimia(錬金術)と結びついていたことが伺えます。現代では胡散臭いイメージが伴う錬金術ですが、科学の発展に錬金術が大きな役割を果たしたことは、紛れもない事実。ナポレオン支配下における一時閉鎖や、1871年に経営権や商標をドメニコ会から譲渡された Stefani ステファニー一族の手で法人化されて以降も、心地よい香りを放つサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局の石鹸やクリーム、ローションの多くは、21世紀を迎えた今も当時の製法をベースに作られています。
antelopearmenia.jpg
【Photo】オリエンタルな雰囲気の香りのアルメニア・ペーパー(写真手前)は、そのまま香り付けとして使えるほか、燃やすと部屋のにおい消しにもなる。antelopeにて

 今日では、本店のほかミラノ・ローマ・ヴィネツィア・ボローニャ・ルッカ・パレルモといったイタリア国内の都市のみならず、ロンドン・パリ・バルセロナ・ニューヨークといった世界の主要都市に支店を展開するサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局。代理店契約を結んだ日本の業者が2001年にアジア初となるショップを東京青山に開店させるや否や、仙台から喜び勇んで偵察に向かったものです。現在は東京都内数ヶ所と大阪・名古屋に複数のショップが存在しています。確かにそこには心地よい香りが立ち込め、紛れもないサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局の製品が並んでいます。しかしフィレンツェ本店には確かに存在する "何か" がそこには決定的に欠落している気がしてなりません。それは伝統を重んずるイタリアならではの決して色褪せない濃密な時間が醸し出すイタリアという国の魅力の本質なのかも。フィレンツェと姉妹都市になっている京都には、未訪ながら初のリストランテ併設ショップ「サンタ・マリア・ノヴェッラ・ティサネーリア京都」が2004年に出来ました。京都らしい町屋造りの空間にイタリアの美意識が凝縮した製品が違和感なく融和した伊和のコラボショップと、京野菜とハーブを使ったイタリアンとのこと。その土地らしさ、ローカリティに魅力を感じるイタリア人的思考回路を持つ庄内系イタリア人としては、この上方系イタリアンも気になるところ。
SMN_liquori.jpg

【Photo】門外不出とされるサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局伝統の製法で作られるリキュール各種。500mlと土産用にぴったりな100mlの2種類のボトルは、使い切って捨ててしまうにはあまりにもったいない美しさ

 Citta del Fiori (花の都)フィレンツェの街を歩いていると、建物の壁面などの至るところで六つの丸薬を配したメディチ家の紋章を目にします。金融業で巨万の財を成したメディチ家の Medici とは、もともと "薬" や "医者" (複数形)を指すことから、確証はないものの祖先は薬商か医師だったといわれています。ルネッサンス芸術のパトロンとして歴史に誉れ高き名を残したメディチ家は、サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局が長い歴史のなかで作り出した4種類の薬用リキュールのひとつ、消化促進効果があるとされるカモミール・フェンネルといったハーブ10種類あまりを配合した「Liquore Mediceo リクォーレ・メディーチェオ(写真右)」にも名を残すことになりました。

 飲用にも用いられたベルガモットやシトラスなどのハーブや花から抽出したエッセンシャルオイルは香水へと発展し、華やかな香水文化がサンタ・マリア・ノヴェッラから花開いてゆきます。なかでも「Acqua colonia Santa Maria Novella アックア・コロニア・サンタ・マリア・ノヴェッラ」は、「王妃の水」として500年にわたって女性たちに愛されてきた名品。ヴァロワ王朝下の10代フランス国王アンリ2世との婚姻(1533年)によって、王侯貴族といえども手づかみで食事をしていた当時のフランスにナイフとフォークを用いて食事をする習慣を持ち込んだことで名高いメディチ家出身のカテリーナ・ディ・メディチは、とりわけこの香りを愛用していました。smnovella 009.jpgカテリーナは、お抱えの調香士をパリに伴ってゆきます。入浴の習慣がなかったため、体臭を覆い隠すための強い香りを用いていたフランス王朝の女性たちの間で、それまにで無かった上品で軽やかななこの香りはセンセーションを巻き起こしました。この香水の調合法をドイツ・ライン河のほとりの町ケルンに伝えた イタリア人旅商人によって、Acqua di colonia(ケルンの水)=仏語名「Eau de Cologneオー・デ・コロン」が一般化したのだといいます。

【Photo】 くちなしとローズフレーバーのボディーミルク「Latte per il Corpo ラッテ・ペル・イル・コルポ」。アボカドオイルやカカオバターなどの配合植物成分が、肌にうるおいを与えるという。antelopeにて

 かくも雅びやかな香りにまつわるnovella(物語)を刻んだサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局。レクター博士ではありませんが、私にとっても何度でも訪れたい場所のひとつです。ところが悲しいかなそうはいかないのが我が現実。ここでご紹介した香水やリキュールは現状 antelope で取り扱いはありませんが、その代わりに紺碧のナポリ湾に浮かぶ美しい島、カプリ島にある小さなフレグランスショップ「Carthusia カルトゥージア」の優雅な香りに浸れるこの店で、ひと時の現実逃避ヴァカンツァに走るしかなさそうです。Mamma mia !!

*************************************************************************
antelope アンテロープ
仙台市青葉区大町1-2-17-103
営:12:00-19:30 不定休
phone:022-724-1023

【追記】日本での正規代理店経由の商品を取り扱う「サンタ・マリア・ノヴェッラ仙台」が、2011年春に仙台市青葉区一番町4丁目にOPENしたため、現在、antelopeでサンタ・マリア・ノヴェッラの商品は扱っておりません。

Officina Profumo-farmaceutica di Santa Maria Novella
Via della Scala 16 - Firenze
phone: +39 055 216276 / +39 055 4368315

【注】 悪名高き帝政ローマ五代皇帝ネロがローマ大火(西暦64)の後に築いた想像を絶する規模の離宮「Domus Aurea ドムス・アウレア」。その一部がパンテオンに隣接する廃墟から発見されたのが15世紀末。そこの壁を飾っていたのが、グリフィンなどの空想上の動物や異形の人間の顔、曲線的な植物などが連続して描かれた壁画だった。バチカン宮殿の天井装飾を任されたラファエロがこの文様を取り入れ、16世紀にかけて広く欧州で流行した装飾様式。ドムス・アウレアの崩れ果てた廃墟は当時「Grotta グロッタ(=洞窟)」と呼ばれていたため、その文様が発見された場所の呼称が転じて「Grotesque グロテスク」⇒奇怪なもの、さらには醜悪なものを意味するグロテスクの語源となった

baner_decobanner.gif

 

2008/07/03

こっちの塩は甘いぞ

太陽と職人の手仕事の結晶、チェルヴィアの海塩

 税収確保のため20世紀初頭に導入された塩の専売制が撤廃されて10年あまり。輸入が自由化された2005年(平成17)以降は、スーパーの塩売り場で世界中のさまざまな塩を目にするようになりました。

salina_camillone.jpg【Photo】伝統的な塩作りを今に伝えるCervia チェルヴィアの塩田(チェルヴィア塩田組合Webサイトより)

 石巻・万石浦の海水を煮詰めて作る「伊達の旨塩」、沖縄の海塩、ボリビア・アンデスの岩塩、フランス・ゲランドの海塩、テキサスの岩塩、パキスタンの岩塩・・・。これだけ揃えば塩だけで世界一周ができそうですね。一口に塩といっても、産地と製法など種類はさまざま。選択の幅が広がることは歓迎する反面、用途に適した塩を選ぶのは容易なことではありません。

Cervia_Magazzini_del_Sale.jpg

【Photo】現在は塩博物館として使われているチェルヴィアの巨大な塩蔵倉庫Darsena は1712年の建造。塔は1691年に完成

 1962年(昭和37)に旭化成が開発したイオン交換膜と蒸発結晶缶を組み合わせた製塩プラントによって海水から塩を精製する世界初の技術を実用化したのは、福島県小名浜にあった新日本化学工業(現・日本海水)でした。日本の塩作りで主流となったこの電気透析による東北発祥の製塩法は、海水に含まれるナトリウムやマグネシウムなどを電気的に分離し、加熱・蒸発させて純度の高い塩化ナトリウムを精製するものです。(詳しくは財団法人「塩事業センター」のWebサイトを参照願います)

 地殻変動によって太古の海が隆起して生成される岩塩が存在しない日本。四方を海に囲まれた我が国では、製塩が盛んだった瀬戸内地域のみならず、かつては各地に塩田が存在していました。1971年(昭和46)に施行された「塩業の整備及び近代化の促進に関する臨時措置法」という国策によって、イオン交換膜法による製塩への移行を進める「近代化」の名のもとに国内の塩田はすべて閉鎖されます。藩制時代に宮城県石巻市渡波(わたのは)地域に整備された入浜式塩田が1960年(昭和35)まで稼動していたのだといいます。

camillonel'insieme.jpg 「おっ、珍しや! 」という塩と出合ったのは、仙台市青葉区役所裏手にあるチーズ専門店「Fromageri & Café Au Bons Ferments フロマージュリー&カフェ オー・ボン・フェルマン」でのこと。

 豊富なラインナップのチーズとデイリーユース向けワインに加え、アンチョヴィや塩蔵ケイパー、アチェート・バルサミコ、martelli マルテッリのパスタなどお馴染みのイタリア産食材もちらほら。

【Photo】 古来の塩作りを再現した製法で作られる「Riserva Camillone リセルヴァ・カミローネ」

 そこにさりげなく置いてあったのが、アドリア海に面した北部イタリア、エミリア・ロマーニャ州ラヴェンナ県Cervia チェルヴィア産の塩、「Sale di Cervia サーレ・ディ・チェルヴィア」でした。

 何が珍しいのかといえば、イタリアでも天日製塩が盛んなシチリアの海塩は日本でもよく見かけますが、この塩はヴェネツィアまで直線距離にして130キロしか離れていない北部イタリアの塩田で造られた塩なのです。加えてスローフード協会の「味の箱舟」プロジェクトで絶滅の危機に瀕している文化的価値の高い食品を意味する「プレジディオ」指定まで受けているというではありませんか。たかが塩、Sale do Sio (=されど塩)。この塩はいかなる塩なのか ・・・?

ViewSant'ApollinareinClasse.jpg

 人口2万ほどのチェルヴィアへは、息を飲むほど美しいビザンティン様式のモザイクに彩られた世界遺産の街Ravenna ラヴェンナから 賑やかなビーチリゾートの町Rimini リミニへ伸びるSS16号線を南東に向かいます。

 すると平坦な地平の前方にレンガ造りの「Basilica di Sant'Apollinare in Classe サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂」(上写真)が見えてきます。質素な外観とは対照的に、かつて総督府として栄華を誇った6世紀の創建当時そのままの輝きを放つ半円形の後陣部に散りばめられたモザイク(下写真)は、必見の価値があります。

stapollitnainclasse.jpg

 後ろ髪を引かれる思いで聖堂を通り過ぎ、10キロほど南下すると、もうそこは小さなコムーネCerviaです。ラヴェンナで没した詩人ダンテ・アリギエーリ(1265-1321)の代表作「神曲」の地獄篇にも、その町の名前は登場しています。北側ポー川河口のデルタ地帯からチェルヴィアにかけての低湿地帯は、ラムサール条約に登録された水鳥の楽園でもあります。

 アドリア海に面したビーチ「Riviera del Sole リヴィエラ・デル・ソーレ(=「太陽の海岸」の意)」には、毎年夏になると Bologna ボローニャや Modena モデナ、Ferrara フェラーラといった近場の都市だけでなく、ブレンナー峠を越えてやって来るドイツ・オーストリアからの多くの海水浴客で賑わいます。

 海からは水路が引かれ、1.6キロほど内陸側に入った市街地の先に827ヘクタールの塩田(衛星写真右下の黒っぽい箇所)が広がっています。

     
衛星写真を拡大
 
 この地における天日製塩の歴史は古く、歴史書に Cervia の塩に関する記述が登場するのは5世紀にまで遡ります。町の Centro チェントロ(=中心)には古代ローマ治世下の塩田跡や貯蔵庫が残されています。その起源はギリシャ人による入植の頃とも、先住民族エトルリア人以来ともいわれています。

 中世期、ローマ法王領であったチェルヴィアからは、ヴァチカンに塩が献上されていました。刺激的な苦味を感じさせないチェルヴィアならではの「Sale dolce サーレ・ドルチェ(=甘い塩)」と形容される優しい味は、日射しが強く降雨量が少ない南イタリアでは結晶化の進行が早いため、決して生み出せないのだそう。

guida_camillona.jpg【Photo】チェルヴィア「Salina Camillone カミローネ塩田」では、epoca etrusca=エトルリア時代以来の長い歴史を持つ塩作りのガイドツアーを毎年6月1日から9月15日まで実施している。これは塩田近郊に立っている告知看板

 ポー川流域で作られる名高いプロシュット・ディ・パルマや「幻」といわれるジベッロ村のクラテッロ、ハードチーズの最高峰とされるパルミジャーノ・レッジャーノといったエミリア・ロマーニャ州が誇る塩蔵食品の加工には、イタリア国内で産出する岩塩ではなく、強烈な日差しが降り注ぐシチリアやプーリアなど南イタリア産の海塩でもなく、「Oro bianco オロ・ビアンコ(=白い黄金)」とも称えられるチェルヴィアの塩が欠かせないとする頑固な職人が多いのだそう。

salinaio_camillone.jpg

【Photo】カミローネ塩田では、チェルヴィアの伝統に沿った人力で塩作りを行なう。シチリアほどではないにせよ、炎天下では照り返しも強烈な重労働だ

 第二次大戦による中断を経て、塩の専売制のもとで1959年に国有化されたチェルヴィア塩田。機械化の導入によって生産効率を上げますが、1976年に塩の販売が自由化されて以降、世界最大の塩産出国アメリカや欧州で最も製塩が盛んなドイツなどからの輸入品や、国内最大の1,600ヘクタールもの塩田を擁するシチリア西端に位置する塩の町Trapani トラパニ産の塩などに押されてゆきます。

 衰退に拍車をかけたのが、1981年と1995年に襲った二度の大雨。壊滅的な被害を受けた国営チェルヴィア塩田は1998年に閉鎖されました。すると一部のチェルヴィア市民が、伝統ある塩作りの再開に向けて準備を開始します。1999年に「Parco della Salina di Cervia (チェルヴィア塩田組合)」を発足、5年の休止期間を経て2003年5月に塩の生産が復活しました。

monte_camillone.jpg

【Photo】9月末頃に精製を終えたカミローネ塩田の海塩は、秋から冬にかけておよそ6 ヶ月間天日干しされる

 その希少性ゆえ、チーズ専門店オー・ボン・フェルマンで扱うさまざまなチーズには脇目も振らず、一点買いで買い求めた「Riserva Camillone リセルヴァ・カミローネ」は、チェルヴィアのSalinaio サリナイオ (=塩職人)によって受け継がれた手作業による伝統的な製塩法で少量のみ作られる海塩です。

 標準品にあたるサーレ・ディ・チェルヴィアが現地価格でキロ当たり1エウロ10チェントのところ、サリナイオが文字通り "手塩にかけて" 作るリセルヴァ・カミローネはキロ当たり3エウロと3倍近くの価格差がつきます。風土の賜物ともいうべきデリケートな味覚を備え、一度は閉鎖の憂き目を見たチェルヴィアのカミローネ塩田区画で古来からの手法によって作られる「Sale marino artigianale di Cervia (=チェルヴィアの職人が作る海塩)」は、2004年にスローフード協会から次代に伝えるべき「プレジディオ」指定を受けました。

          Saledicervia.jpg Salfiore.jpg
【Photo】 赤いパッケージは法王の塩「Salfiore di Romagna - Il Sale dei Papi サルフィオーレ・ディ・ロマーニャ - イル・サーレ・デイ・パピ」(左写真)。青のパッケージが「Sale di Cervia サーレ・ディ・チェルヴィア」(右写真)

 冬季は海水を抜いていた塩田に4月初旬に水を張り、区画ごとに仕切られた塩田外周部から、中心部へと移動させながら天日にさらして水分を蒸発させてゆきます。気温が上昇する6月には塩分濃度が30%前後まで高まり、結晶化した塩が 2cm 近くまで堆積してゆきます。

 天日塩の収穫は最も気温が高い夏から9月にかけて。日差しを遮るものがない炎天下での収穫は、肉体的負担が大きい作業となります。その過程で、水面に浮いてくる結晶をサリナイオが手で掬い取った一番塩は、今も「法王の塩」と彼らが呼ぶ「Salfiore di Romagna - Il Sale dei Papi サルフィオーレ・ディ・ロマーニャ - イル・サーレ・デイ・パピ(=「ロマーニャ地方の塩の花 - 法王の塩」の意)。特に優しい味が特徴となります。


 
 甲子園のグラウンド整備で使う木製のトンボに似た道具を使って縁(へり)に集められた塩は5日後に人力で蒸発槽から地上に移され、大きな塩盛りの状態でおよそ6 ヶ月間にわたり、秋から冬にかけての柔らかな陽光と風にさらされます。表面に付着した汚れを高濃度の海水で洗い落として遠心分離機を使用して脱湿後、(リセルヴァはさらに貯蔵庫で一定期間熟成される)組合の手で袋詰めされて出荷されます。

 可能な限り古来から伝わる製法を踏襲したリセルヴァには、塩化ナトリウム(NaCl)のほか、海水に含まれる硫化マグネシウム・硫化カリウム・硫化カルシウム・塩化マグネシウムといった天然の微量成分が豊富に含まれます。そのため、結晶は薄く茶色を帯びたものとなります。

 近年の研究によって、これらの微量成分が、官能上かすかな苦味を生みだし、塩自体の甘味と食材の甘味をも際立たせる働きをすることが判ってきました。塩が素材の旨味を引き出す隠し味となるのです。現代の科学がSale dolce のメカニズムを解き明かした今も、チェルヴィアでは遥か昔と変わらぬ職人の目と経験則による塩作りが行われています。精製に際しては、廃棄物を一切出さないという方針のもと、塩分を含んだ泥は入浴用や美容用に製品化されています。

salihandi.jpg

【Photo】 古来より伝わる製法を受け継ぐ職人が手塩にかけて作る Camillone 塩田の塩は、エミリア・ロマーニャの適度な陽射しとアドリア海から吹く風が生み出す甘さが特徴の「風味」が際立つ

 無機的で鋭角な塩味ではなく、後味に甘味を残す有機的な丸みを帯びたチェルヴィアの塩は、パスタを茹でる下味用に使うにはもったいないかもしれません。Sale dolce の本領発揮には、食肉の加工技術にかけてはイタリア随一の地元エミリア・ロマーニャと同じく、肉の旨味を引き出す下処理にはもってこいでしょう。旨みを増した肉はソテーして良し、じっくりと煮込んで良し。 淡白な白身魚をグリルする際に軽くふったり、オリーブオイルと共にサラダの味付けに使っても良さそうです。

gallapracidia.jpg

 遥か昔、ローマ・ギリシャ時代はおろか、先住民族のエトルリア時代までさかのぼるともいわれるアドリア海の恵み、チェルヴィアの塩。その結晶は後世に残る数々のモザイク芸術を生み出した東ローマ帝国の栄華を物語るラヴェンナ最古(424-450 建造)のモザイク画のひとつ「Mausoleo Galla Placidia ガッラ・プラチディア廟堂」の天井を飾るモザイク(上写真)を思わせます。

 輝かしい神の国を再現しようとした初期キリスト教芸術の黎明期を担った職人の手業によるモザイク画は、1,600年の時を経ても全く色褪せることなく瑞々しい輝きを放って今も多くの人を惹きつけてやみません。チェルヴィアの塩は人の手によって小さな断片が組み合わされ、変幻自在な万華鏡のような輝きが編み出されるモザイク画のような神がかり的な奇跡の味なのかもしれません。

BattisteroAriani.jpg

【Photo】ラヴェンナ「Chiesa dello Spirito Santo スピリト・サント教会」南側にある小規模ながら世界遺産の「Battistero degli Ariani アリアーニ洗礼堂」(5世紀末)の天蓋を覆う「キリストの洗礼」)

*************************************************************************
◆チェルヴィアの海塩に関する問い合わせは―
輸入元 : 株式会社 アーク
東京都新宿区早稲田鶴巻町518 第一石川ビル301
Phone : 03-5287-3870    FAX : 03-5287-3871
E-mail : info1@ark-co.jp

取り扱い店
フロマージュリー&カフェ 「オー・ボン・フェルマン」
仙台市青葉区上杉1丁目4-10 庄建上杉ビル1F
Phone : 022-217-2202
営) PM0:00~PM10:00 月曜定休
 ◎Riserva Camillone リセルヴァ・カミローネ 750グラム 735円(税込)

※足立オーナー様へ「チーズ専門店なのに塩の話ばかりでゴメンナサイ・・・」m(_ _)m

baner_decobanner.gif

Giugno 2016
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
Copyright © KAHOKU SHIMPO PUBLISHING CO.