あるもの探しの旅

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作り手死すとも、ワインは死せず

急逝したアブルッツォの巨星、ジャンニ・マシャレッリが遺したもの

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 来る10月23日から27日にかけての5日間、イタリア・トリノでスローフード協会主催の「Salone del Gusto サローネ・デル・グスト」が行われます。世界中から特色ある優れた食品の生産者と料理人、ジャーナリストが集った前回の開催は今から2年前の2006年。そこでアブルッツォ州の手打ちパスタとワインを紹介するセミナーでお会いしたのが、イタリアワイン界の重鎮、Gianni Masciarelli ジャンニ・マシャレッリ氏でした。《Link to back number
セミナーの席上、自身のワイン造りについて熱弁をふるったマシャレリ氏が、7月31日に滞在先のミュンヘンで脳梗塞のため亡くなりました。スローフード協会が運営するWEBサイト「Sloweb」には、「Addio Gianni(=さようなら、ジャンニ)」と題する8月1日付の記事が掲載されています。

【Photo】2006年10月、サローネ・デル・グストのセミナー会場で。愛妻Marina Cveticの名を付けたワインを手にするジャンニ・マシャレッリ

 もはや神格化されたエドアルド・ヴァレンティーニの例を除いて、かつては、さほど注目されていなかった「Montepulciano モンテプルチアーノ」種という中部イタリア・アドリア海沿い原産の赤ワイン用の固有ブドウ品種を世界レベルのワインに仕立て上げた立役者の一人がマシャレッリ氏でした。1956年生まれで50代に差しかかったばかり。まだまだ醸造家として前途を嘱望されていた彼の突然の死は、地元アブルッツォ州だけでなく、イタリアワイン界全体にとっても大きな損失として捉えられています。今年5月1日に世界中のファンから惜しまれつつ亡くなってしまったグラッパ職人、ロマーノ・レヴィさんに続いて、イタリアでお会いした私の憧れの人が相次いでこの世を去ってしまいました。 あぁ、寂しいなぁ...(TT)


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【photo】比較的穏やかな山並みが続くアペニン山脈でも、海抜2,912mと標高が高いアマーロ山

 Abruzzo アブルッツォ州は、全体の2/3をアペニン山脈の最高峰Gran Sasso グラン・サッソ山(2,912m)をはじめとする山岳地帯が占め、129kmの海岸線が続くアドリア海沿岸域との狭間に人々が暮らす地方です。ジャンニ・マシャレッリが生まれたChietiキエーティ県San Martino sulla Marrucina サン・マルティーノ・スッラ・マッルチーナは、グラン・サッソ・ディ・イタリア(「イタリアの大きな石」の意)山塊の南側に位置する「Maiella マイエッラ国立公園」の主峰、Monte Amaro アマーロ山(2,793m)の裾野で標高400m、アドリア海から20kmほど内陸にあります。1,000人あまりの住民が暮らすこの地域は、昼夜の寒暖の差が大きく、温度差によって生じる風によってもたらされる乾燥した気候は、ブドウ栽培に適した風土を生んでいます。ジャンニ・マシャレッリは、この土地を世界のワイン生産地でもベスト50に入る理想的な環境だと語り、地元を深く愛していました。
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【photo】丘陵地にあるサン・マルティーノ・スッラ・マッルチーナの町を遠望。アマーロ山などアペニンの山並みが迫る


 日本では生食を主目的としたブドウの枝を棚に這わせ、房を下に垂らす棚式ブドウ栽培が盛んです。シチリア、プーリア、ヴェネト、エミリア・ロマーニャ各州に次ぐイタリア全土で第5位のワイン生産量を生み出すアブルッツォ州では、日本の棚式栽培と基本的な構造は同じ「Tendone テンドーネ式」と呼ばれるブドウの栽培法が伝統的に行われてきました。収量効率が高いアブルッツォのワインは、ワイン生産地の全域がDOC指定を受けています。しかしながら、その大方は廉価ながら、まずまず優れた品質ゆえ、ブレンド用にフランスやドイツにバレル(樽)売りされてきました。

 1978年、ワイン醸造を大学で学んだ23歳のジャンニ青年は、両親からブドウ畑を受け継ぎます。そこにはラッツィオ州南部やシチリア州の一部などを除けば、イタリア国内では珍しいテンドーネ式で育つ白ワイン用のブドウ品種Trebbiano トレッビアーノ種とモンテプルチアーノ種が植えられていました。中でも、樹齢50年を越えるトレッビアーノは、祖父のジョヴァンニが植えたブドウ。後にジャンニが地元キエーティだけでなく、州内のテーラモ県とぺスカーラ県に畑を合計150haにまで拡げ、生産本数が9,000本まで増えた後も、「自分の原点はここにある」とジャンニが語っていた畑です。その畑から1981年に生まれたのが、700本のMontepulciano d'Abruzzoと1,300本のTrebbiano d'Abruzzoでした。
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【photo】マシャレリのブドウ畑

 近年では、ワイン醸造に関するコンサルタントを雇うカンティーナが少なくありません。国内のみならず、国際市場を意識したヴィーノ造りをしている場合はなおさらそうでしょう。イタリアワインがお好きな方ならご存知のカルロ・フェリーニやフランコ・ベルナベーイ、ジャコモ・タキス、ルカ・ダットーマといった優秀なコンサルタントは、各カンティーナから引く手あまたで、いくつもの著名なカンティーナと契約しています。

 かたやマシャレッリでは、醸造責任者にロメーオ・タラボレッリ氏を迎えた後も、ジャンニが畑に立ち、ブドウの栽培から醸造に至るまで、彼が全ての指示を出してきました。自社畑のブドウ以外は使用しないベーシックラインのMasciarelli Classicoの納得がゆく品質もさることながら、マシャレッリの名を一躍有名にした「Montepulciano d'Abruzzo Villa Gemma (ヴィッラ・ジェンマ)」を忘れるわけにはいきません。1984年ヴィンテージから所有する畑から採れる中で最高のモンテプルチアーノを選抜して造った稀代の醸造家渾身の一本は、スローフード協会が運営するワイン評価本「Gambero rossoガンベロ・ロッソ」で最高評価となるTre bicchierri トレ・ヴィッキェーリの常連となります。2001年、ガンベロ・ロッソが最も優れたイタリアワインとして選んだのが、1997年のヴィッラ・ジェンマでした。イタリアの高級ワインを生み出すブドウとして知られるネッビオーロやサンジョヴェーゼ、ましてや国際品種のカベルネ・ソーヴィニョンやメルローでもなく、故郷の風土と伝統が生んだモンテプルチアーノが、イタリアワインの頂点を極めたのです。その特別な一本は、私のセラーで今も眠りについています。
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【photo】イタリアワインの最高峰に輝いたMontepulciano d'Abruzzo Villa Gemma '97

 1991年ヴィンテージから登場したのが、彼の妻であるMarina Cuvetic マリーナ・チベティックの名を付けたヴィーノ。1987年に訪問先のクロアチアの醸造所で化学の研究生だったマリーナと出会ったジャンニは、2年後に結婚し、ミリアム、キアラ、リッカルドの3児に恵まれました。当初から手掛けたトレッビアーノに続き、現在はシャルドネ、モンテプルチアーノ、カベルネ・ソーヴィニョンの4種のラインナップが揃います。ヴィーノ・ビアンコ(白ワイン)では国際品種としての地位を確立しているシャルドネよりも、イタリアでは最もポピュラーな白ワイン用のブドウであるトレッビアーノの完成度に私は強く惹かれます。トロトロの高い粘性を備えた濃い黄金色の液体は、トロピカルフルーツと花や蜂蜜、焦がしバターなどの複雑な香りを立ち上らせながら、高い次元で見事な調和をみせてくれます。口に含むと柔らかな口当たりながら、すぐに只者ではないことを伺わせるこのヴィーノ。イタリア各地でさまざまなクローン(亜種)が存在するとされるトレッビアーノですが、アブルッツォの固有品種Trebbiano d'Abruzzoをかかる高みにまで引き上げたジャンニの情熱の結晶には脱帽せざるを得ません。

 ミュンヘンで急逝したジャンニの葬儀は8月3日に地元サン・マルティーノ・スッラ・マッルチーナの教会で執り行われました。残された家族は、次代の醸造家育成のための基金「Fondazione Gianni Masciarelli」を創設することを発表しました。いつもジャンニがそうだったように、情熱に溢れた未来の醸造家に道半ばにして神のもとに召された彼がワインにかけた夢を託したのです。昨年誕生したばかりの長男リッカルドはまだ8ヶ月。成長した彼がいつの日か父の跡を継ぐ日が来てくれたら・・・。そんな淡い夢をつい抱いてしまうのでした。


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