あるもの探しの旅

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2008/09/28

結束を再確認

生産者の会、ふたたび。
@ il.ché-cciano

 昨年7月の「il.ché-cciano イル・ケッチァーノ」開店直後に行われた「生産者の会」が、今日9月28日(日)、再び行われました。この日は平年より11日、昨年と比べて15日も早く初冠雪を観測したという鳥海山が、八合目付近まで白い雪に覆われているのが遠望できました。もう山には冬の気配がひたひたと近付いている一方、すっかり黄金色に染まった庄内平野では、あちこちで稲刈りの真っ最中。深まる秋を実感させる爽やかな乾いた風に乗って、心地よい稲藁の香りが運ばれてきます。あ、実りの季節だな。この夜、鶴岡 al.ché-cciano と il.ché-cciano を支える庄内一円から集った生産者の数はおよそ40名ほど。「食の都・庄内」たるゆえんの多種多彩な農産物を手掛ける生産者の皆さんが、一年で最も忙しい農繁期にもかかわらず何を置いても一同に集ったのには理由があります。
20080928ilche1.jpg【photo】 生産者と料理人、小売店や食品加工業などの納入業者、研究者、間接的に恩恵に与る観光関連業者などが、食を軸とした稀有なコミュニティを形づくるアル・ケッチァーノの人脈。 本人の再三の固辞にもかかわらず、県から請われて決断したしばしの銀座進出に関する経緯をこの夜集った人々に報告する奥田シェフ

 地元の各メディアはもちろん、河北新報紙上【→会員登録(無料)の上、閲覧可能】でも報道されたとおり、先月まで東京港区虎ノ門にあった山形県のアンテナショップが来年3月、銀座に移転オープンするのにあわせ、その目玉として開店する県産食材を使ったレストランの運営を委託されたのが、「アル・ケッチァーノ」(以下、「アルケ」というファンお馴染みの共通語に略)のオーナーシェフ、奥田 政行氏です。2000年3月のアルケ開店以来、地道な相互扶助の関係作りを通して生産者や研究者、行政などからなるネットワークを築いてきました。そうして生まれた地元・庄内の食材を活かした数々の創作料理で、今では評判を聞き付けた人々が全国から訪れているのは周知の通り。事業案の選定に当たっては、公募という形を採ったものの、最終的な採択には「彼をおいて他にはあり得ない」という県の意向が強く働いたようです。県の行政の長は、対外的なアピールに欠かせないコンテンツとして、奥田シェフの抜群の知名度を放っておかなかったのでしょう。

 県のアンテナショップという性格上、庄内産のみならず、内陸産の米沢牛や蕎麦、ラ・フランスなど山形一円の食材を使った料理を提供することが求められるはずです。京阪や仙台などのプロの料理人に庄内産の食材を紹介し、彼らがその価値を認め、彼らの店で提供してもらい、一般の人々に認知を広めて販路拡大を図る「食の都庄内」事業で、奥田シェフは初年度の2004年からか親善大使を務めてきました。生産者を前にした挨拶の中で、有名店がひしめく銀座でも同様の活動を繰り広げたいという意欲と、レストランの監修と食材の販路を広げる目処が立った時点で地元に戻りたいという本人の意向が語られました。

 地元の顔として八面六臂の活躍をしてきたスタープレーヤーが、行政の意向で活動の場を東京に移すことが明らかになった以上、現在アルケの厨房を取り仕切るシェフの右腕、土田 学 料理長がシェフとして看板を引き継ぐことになります。その間留守宅を守るのは、今宵集まった生産者と地元に残る店のスタッフに他なりません。2003年5月、偶然店に立ち寄って以来、5年に渡って変幻自在で繊細極まりない奥田シェフの味に魅了された一人として、土田料理長には更なる奮起と一層の研鑽を望むところです。先月、およそ2年ぶりに(⇒負の影響が大きかった「情熱大陸」放映以前ということです)私を感動させる料理を出してくれたのは、il.ché-cciano をマンツーマンの貸切状態でお任せコースを出してくれた奥田シェフでした。
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【photo】 この夜の模様を収録するテレビ朝日系「素敵な宇宙船 地球号」の撮影クルー(写真右奥)

 シェフに対する餞(はなむけ)の言葉は、これまた庄内のスター生産者の皆さんが代わるがわるマイクを握りました。まもなく出回るまったりとした口どけが絶品のズイキ芋を植酸農法で水耕栽培する坪池 兵一さん、そろそろ本来の味が乗ってくる平田赤ねぎの後藤 博さん、樹熟トマトやスーパー小松菜の生産者 井上 馨さん、絶滅寸前だった藤沢カブを復活させた後藤 勝利さん、特有のクセが全くない肉質に仕上げるサフォーク羊で知られる綿羊飼養家・丸山 光平さんと、そのラム肉や山伏豚を扱う精肉店クックミートマルヤマのご主人・丸山 完さん、シェフの知恵袋役でもある山形大学農学部の江頭 宏昌准教授、魚介用のVino della Casa(=ハウスワイン)ともいうべき、アルケの水「イイデヴァの泉」で仕込んだ酒、「水酒蘭(みしゅらん)」を造る蔵元で、ご意見番としても頼れる存在、鯉川酒造の佐藤 一良社長などなど。
 この日出された料理には、ここに集った生産者が丹精込めた食材の数々が使われていたことは申し上げるまでもありません。

 遠来の友人としてスピーチを求められた私が、皆さんにお伝えしたのは、奥田シェフが不在となる来春以降も今まで通り店を支えてほしいこと、生産者や店を取り巻くさまざまな人々の関係性の上に成り立っている類い稀なこの店の良さを大切にしてほしいことでした。必ずしも生産者の皆さんは今回の決定を心の底から祝福しているのではないことは、どこか淋しげな皆さんの表情を見ていれば伝わってきました。だからこそ、地元では反対意見が渦巻く中で苦渋の決断をした奥田シェフと彼の家族、地元に残る店のスタッフをそこに集った人たちが今まで通りに応援しなくてはならないからです。私の訴えと同様の呼びかけをした鯉川酒造の佐藤社長にも賛同の拍手が巻き起こりました。

 そもそも、庄内の風土や生産者の顔を知らない東京の都市生活者が、そこでこそ光り輝くアルケの真価を見抜く慧眼を果たして持ち合わせているのか私には判りません。ましてや今回のシナリオを描いた県の思惑が、いかなる結果をもたらすのかも判りません。いずれにせよ「食の都・庄内」と言い始めた張本人が公務で地元を不在となる間、期待を胸に全国から集う人々をして、評判に違(たが)わぬ食の都だと舌を巻かせるか否か、真価を問われるのはこれからです。この夜の私にとっての収穫は、改めてそこに集った人々を結びつける絆の強さを再認識したこと。この日の模様は、取材スタッフが来ていたテレビ朝日系列で毎週日曜日午後11時から全国放送される「素敵な宇宙船地球号」で11月第一週に放映されるようです。Check it out!

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2008/09/27

今年も当たり年?

ボジョレー・ソードーは日本固有のお祭り

 恒例行事の観すらあるボジョレー・ヌーボー商戦がヒートアップする季節がそろそろやって来ます。Lyon リヨンの北方、ブルゴーニュ南部のボジョレー地区では、花崗岩土壌に適合したGamey ガメイというブドウの収穫が8月末から9月にかけて行われます。ヌーボーは通常のワインの仕込とは異なり、ブドウを破砕せず密閉したステンレスタンクに入れ、炭酸ガスの作用で促成醸造後、捕糖してアルコール度数を上げ、樽熟せずに瓶詰めする「マセラシオン・ カルボニック」、ないしは「マセラシオン・ボージョレ」という特殊な醸造法で造られます。何事につけイベント好きな日本人の国民性ゆえか、航空便で運ばれたヌーボーを解禁日の11月第三週木曜の午前零時に店を開けて売り捌くスーパーと酒販店、そして真夜中の解禁イベントの様子がニュースに登場したりします。

 ピーク時(2004年)に比べてボジョレー・ヌーボーが売り上げを減らしている近年においても、昨年は輸出総額のうち54%は日本向けでした。第2位の米国が10%強に過ぎませんので、ボジョレーの生産者にとって日本は圧倒的なシェアを占める上得意先です。明らかに日本を意識したサンリオのキャラクター、HELLO KITTY ラベルのヌーボーまで最近では登場しています。日本人にとって、ボジョレー・ヌーボーは季節の風物詩的な特別な酒として崇められてきました。

Beaujolais_Sendai_AP.jpg【photo】 2006年の解禁日を控え、パリから仙台空港にチャーター便で空輸されたボジョレー・ヌーボーを検査する空港の税関職員

 実は日本だけが熱心に輸入しているのに「世界中が待ち焦がれる」とか、毎年の「最高の出来!」はおろか、2、3年おきに「100年に一度の世紀のヴィンテージ!!」などと喧伝されるボジョレー・ヌーボー。私は一連の騒ぎを「またボジョレー・ソードー(騒動)の季節か...」と右から左へ受け流すことにしています() ??。流布される美辞麗句が額面通りとすれば、ボジョレーには天候に恵まれないオフヴィンテージなど存在しないかのようです。ボジョレーに限っては、ネガティブな情報は決して関係者から発信されません。

 しかるに実態は、より上質だとされる「ボジョレー・ヴィラージュ・ヌーボー」ですら、半年はおろか年越しすら叶わない酒質であることは、普通の作り方をした同価格帯ワインの味をご存知の方ならば容易にお分かりになる筈です。そもそも、ヌーボーは天候によって品質が劇的に向上する酒なのでしょうか? 私見では断じてNoです。かつて Mommessin モメサンというボジョレー地区の有力なネゴシアン(酒商)が、同地区にある10のクリュのひとつ、Fleurie フルリで1990年に収穫されたガメイをマセラシオン・ カルボニックではない通常の醸造法で醸した「クリュ・ボジョレー」を飲んだことがあります。瓶詰め後9年を経て、綺麗に熟成が進んだそのボジョレーは、深みのあるフローラルな芳香と程よい体躯を備え、充分に私を満足させるものでした。

 本国では対価を支払って飲むワインとしての需要が見込めないボジョレー地区の新酒を売り込む先として、したたかな政府機関と関係業界が白羽の矢を立てたのが、当時一人当たりの年間ワイン消費量が0.6本程度と、一部の愛好家を除いてまだワインに親しむ素地が無かった極東の島国 Japonでした。"11月第3木曜日以降に解禁すべし"という現在のルールが定められた1985年は、ボジョレー・ヌーボーが日本に本格的な攻勢をかけ始めた年です。「日本は世界で一番早くヌーボーが飲める!」というお馴染みの宣伝文句は、日付変更線のすぐ西側に位置し、日本よりも3時間一日が早く始まるオーストラリア東海岸とニュージーランドの存在を忘れた人々によって広められました。もっとも、20世紀初頭においては、真っ当なワインが世界のどこよりも市場に出回っていた英国からの移民が多いオーストラリアやニュージーランドでは、まともなワインの味を知らなかった日本とは違って、現地では2ユーロ(300円!)からせいぜい5ユーロほどのボジョレー・ヌーボーの解禁に飛び付く現象など起こりようがなかった筈ですが...。

 バナナフレーバーが漂うアセロラジュースのような大方のボジョレー・ヌーボーとは対極にある、長期熟成に耐えうる本格的な赤ワインだけが備える複雑味。その大切な構成要素のひとつである渋味成分の元となるのが良質なタンニンです。日本では、酸味を伴ったタンニンのあるワインは、「酸っぱい」「渋い」からと苦手にする方がおいでです。タンニンを感じさせないヌーボーは、ブドウ由来の甘味が残るスムーズな味が広く受け入れられたようです。世界で唯一ボジョレー・ヌーボーを競うかのように購入する日本人の多くは、ヌーボー以外の赤ワインを自家消費しておらず、年間一人当たりの赤ワイン消費量は、いまだに750mℓ瓶2本程度でしかありません。飲酒人口のおよそ2割は、ワインを日頃ほとんど口にしないにもかかわらず、ボジョレー・ヌーボーだけは買うのだとか。

 1970年代後半にブームとなった1,000円ワインや、その後登場した500円前後の低価格ワインと比べ、航空便ヌーボーの2,000円前後という価格設定は、「安酒ではない」という印象を抱かせるに充分だったでしょう。国名の前に「お」を付けて呼ばれるように、かつて日本に蔓延していた"おフランス"ないしは花の都パリへの漠とした憧れもボジョレーのイメージ向上に寄与したはずです。大方の日本人がワインといっても「赤玉スイートワイン」ぐらいしか飲んだことがなかったであろう1976年(昭和51)、日本にヌーボーを最初に輸入した業者は、"パリと同じ日に乾杯"というクサーいキャッチフレーズを使っていました。

Beaujolais_Aeon.jpg【photo】 午前零時の時報と共に販売が解禁されたヌーボーにおよそ500人もの客が群がった。2005年の解禁日となった11月17日(木)午前零時過ぎ、仙台市内のある大型店で

 今年も11月20日(木)の解禁日に向けてドル箱(⇒ここでは「ユーロ箱」か?)の日本にヌーボーが運ばれて来ることでしょう。流通の過程で倉庫保管料や中間マージンやらが付加され、3ユーロ前後の酒が2,500円以上の値段となって市場に出回ります。相変わらずのユーロ高と燃料代が高騰する今年は(9/27時点)、サーチャージも付加され、需要下落の傾向にあるヌーボーに価値を付加するキーワード、「ヴィラージュ・ヌーボー」や昨今流行の「自然派」の手になるヌーボーは、軽く3,000円を越える値が付いています。そこまで出せば、そこそこ上質なワインを探すことは容易なこと。元来は嗜好品であるワインの味の好みについて、とやかく申し上げる意図は毛頭ありませんが、肌寒さが加わる11月下旬ともなれば、しっかりとした味わいを持ったワインがより美味しく感じる季節です。一本750mℓのブドウジュースに3,000円を支払う余裕のある方はともかく、少しでも費用対効果を求めるのであれば、これまでのように付和雷同してヌーボーに飛びつかなくとも、選択の幅は広く持ったほうが納得の行く買い物ができるはずです。

bojyobojyo2009.jpg【Photo】ボジョレー・ヌーボー解禁日の深夜零時を待って発売された新酒を品定めする律儀かつお祭り好きな(?)ヌーボー愛好家。一方で完全に冷やかし客に過ぎない私は1本たりとも手を出さないのであった。仙台市内のとある大型店にて

 あまりに商業主義が目に付くボジョレー・ヌーボーを巡る日本の現状を見るにつけ、今回はぶっちゃけ本音トーク気味でした(笑)。" フランス・ボジョレー産の酒を口にしないイタリアワイン好きの前世イタリア人が贔屓目でグダグダ文句を付けているんじゃないの? (`-´) "とお感じになった方もおいでかもしれません。誤解の無いように申し上げておきますが、日本におけるボジョレーの成功に続けとばかりに近年出回るようになったイタリアの新酒Novello ノヴェッロとて私にとっては同じこと。多種多様なブドウが栽培されているイタリアワインの個性をあえて殺すようなマセラシオン・ カルボニックで造られるノヴェッロは、一部のワイン生産地で少量造られる程度で、イタリア人が発売を心待ちにするものではありません。伝統に培われた醸造法で仕込めば、ちゃんとしたヴィーノになるブドウのポテンシャルを引き出すことなく、特殊な製法でごく短期間にSucco di uva (ブドウジュース)を水で希釈したような味の飲み物に仕立ててしまうのですから、もったいない話です。

 かようにボジョレーの解禁には全く関心がない私ですが、今月15日に狩りが解禁された北イタリア産白トリュフは、今年質量共に最高の出来が期待される当たり年なのだとか(⇒ボジョレーの当たり年とは違ってこっちは本当ですよ)。重量当たりの値段が世界一高価な食材といわれるイタリア・アルバ産の白トリュフ狩り同行記については、またいずれ。

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2008/09/20

ピニンファリーナなミネラルウオーター

ガンベロ・ロッソがNo.1に選んだ水を名門カロッツェリアがプロデュース
イタリア史上最強の(?)ミネラルウオーター

 日本からイタリアへと向かうフライトが終盤に差し掛かる時、上空を越えるのがヨーロッパ・アルプスです。標高2,300m前後とされる森林限界を遥かに超える万年雪と氷河に覆われたそこには、4,000m級の山々が連なっています。欧州最高峰のMonte Bianco モンテビアンコ(=モンブラン・4810.9m)、Cervino チェルヴィーノ=マッターホルン・4478m)、Monte Rosa モンテローサ(4634m)...。世界のアルピニストを魅了するこれら名峰の威容は、決して見飽きることはありません。

 それは機上からの眺めに限ったことではなく、Lago di Misurina ミズリーナ湖や、10km 弱車で進むとたどり着く3つの巨大な切り立った岩山が奇観を呈するTre Cime di Lavaredo トレ・チーメ・ディ・ラヴァレードなど、ドロミテきっての景勝地であるオーストリア国境周辺やピエモンテ州とロンバルディア州に挟まれた小州、ヴァッレ・ダオスタからロンバルディアにかけてのイタリア北西部のスイス国境周辺には、峨々とした山並みと点在する湖が美しい景観を描き出すRegione dei Laghi (=湖水地方)と呼ばれる風光明媚な一帯が広がっています。

monterosa_lago_maggiore.jpg【photo】 マッジョーレ湖を取り囲む針葉樹と岩肌からなる山々の先に白い頂きをのぞかせるモンテローサ。奇想天外なバロック庭園があるIsola Bella ベッラ島を望む湖畔の町Stresaストレーザにはスノッブな高級ホテルが建つ

 アルプスの峰々に降った雪は、夏でも融けることのない万年雪が、やがて氷河となり、気の遠くなるような時間をかけて麓へとゆっくり移動します。その過程で、永久凍土と岩の隙間に水分が徐々にしみ込んでゆき、毛細管現象によって地下水脈となります。人類のCO2 排出量が飛躍的に増えた産業革命以降の100年で、アルプスの氷河は体積が半分に、表面積は2/3に減少したといわれています。近年、北極の氷やシベリアの永久凍土と同様に、アルプスでも氷河の消滅速度が加速しています。同時に地中の氷が溶け出すことによって、支えを失った岩肌が大規模な崩落現象を引き起こす事例がチェルヴィーノやスイスのアイガーで報告されています。その原因は地球温暖化の影響にほかなりません。温暖化防止の対策を怠れば、今世紀中にアルプスの氷河は消滅するだろうと研究者は警告を発しています。表向きは美しい山岳風景ですが、その実、こんな危機が迫っているのですね。うーむ・・・。

Monterosa_Novara-1.jpg【photo】 高速E64をミラノに向けて東に進むと、ピエモンテ州の東端にあたる Novaraのシンボル、サン・ガウデンツィオ聖堂の尖塔が見えてくる。 その周辺は緑の水田が広がるイタリアきっての穀倉地帯。彼方にはモンテローサの姿がくっきりと浮かび上がる

 話が4,000mの山頂並みにお寒く息苦しい展開になりました。気分を変えて今回はスタイリッシュなイタリアン・アルプスの水についてご紹介しましょう。大都市ミラノとトリノを結ぶ高速E64は、両市街地を離れると青々とした森林が広がる平原の北側にはアルプスの山並みが迫る快適なドライブルートとなります。その先には高級リゾート地として知られるLago Maggiore マッジョーレ湖やLago d'Orta オルタ湖が満々とした水面に周囲の山々を映し出して横たわります。特別自治州のヴァッレ・ダオスタ州は、手厚い国の補助金や税制面での優遇を受けており、豊かさではイタリア国内屈指とされる地域です。そんな背景があってか、ミラノ近郊のE64を走っていると、フェラーリ575M Maranello とマセラティGranSport が連なって疾走するイタリア国内でも稀な光景に出合ったりします。(⇒まるでバブル期の銀座みたいだっ!

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 スローフード協会が発行する月刊誌「Gambero Rosso ガンベロ・ロッソ」2002年10月号で200種類ものイタリア産ミネラルウオーターの品質ランキングが発表されました。その指針とされたのが蒸発残留物【注1】の数値。日本でも良く知られたブランドの水が1,074mg/l で183位に甘んじた一方で、最も低い13.9mg/lという数値で品質No.1に輝いたのが、ピエモンテ州北部 Biella ビエッラ県Graglia グラリアでボトリングされる「Lauretana ラウレターナ」(日本での商品名は「ローレターナ」)です。この水の特徴は、硬度が高くなりがちなヨーロッパ産の自然水にしては、メーカーの公表値で5.5と異例なほど硬度が低い万人向けの超軟水であること。さらにメーカー公表のph値が5.82(ガンベロ・ロッソの計測値では5.75)と弱酸性を示すため、人体への吸収効率に秀でているのだといいます。

 Ermenegildo Zegna エルメネジルド・ゼニアや Loro Piana ロロ・ピアーナなどの高級毛織物産業で知られるビエッラから5kmほど西の山沿いに向かったグラリアには、19世紀に整備されたTerme del Santuario di Graglia サントゥアリオ・ディ・グラリアというテルメ(温泉)施設が6月から9月のヴァカンスシーズンのみ稼動します。かつては、サヴォイア家のマルゲリータ王妃も保養のためにトリノの王宮からこの地を訪れたのだそう。テルメといっても、もっぱら泌尿器系の結石疾患や新陳代謝の促進を目的とする飲泉治療のための施設ゆえ、ひと風呂浴びて旅の疲れを癒そうと水着持参でそこを訪れても無駄足となりますので、念のため(笑)。集落の外れにはSerbatoio Acqua Potabile Graglia(=グラリア飲用水配水所)なる施設があり、水汲みに訪れる人の姿が見られました。

graglia.jpg【photo】モンバローネ山の中腹に建つSantuario di Graglia グラリア聖堂。イタリア中部 Marcheマルケ州Anconaアンコーナ県Loretoロレートには、13世紀に天使がナザレから移したとされるマリアの生家の壁を祀ったSanta Casa(聖なる家)があり、イタリア国内で重要な巡礼地となっている、そこに安置された黒マリア像から名前をとったMadonna di Loreto がビエッラ周辺の人々の信仰を集めている

 炭酸ガスを含まないNaturare(ナトゥラーレ)、ガス入りのFrizzante(フリッツァンテ)共に、ヨーロッパ・アルプス第二の高峰モンテローサの氷河水が、造山運動で生じた古生代の地層の中をおよそ40キロ南下し、標高2371mのColma di Mombarone モンバローネ山の中腹、海抜1,050m付近で地上に湧出した水(※画像はメーカーWebサイトより引用)をボトリングしたものです。その周辺には工場や人家などの施設が皆無なため、採水地としては非常に恵まれた環境なのだといいます。グラリアの集落の先には、17世紀に造られた聖堂がひっそりと佇んでいます。そこにはLauretana の名前の由来となった幼子イエスを抱く黒マリア「Madonna di Loreto ロレートの聖母」が安置されていました。これは6km北方にある世界遺産の「Sacri Monti サクリ・モンティ(複数形)」のひとつ、Oropa オローパのサクロ・モンテ(単数形)に祀られた黒マリア像と相通じるもの。この一帯はイタリアン・アルプス地方におけるマリア信仰の一大中心地でもあるのです。ゆえに Lauretana の優しい口当たりは、聖母がもたらした奇跡なのかもしれません。
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【photo】 Lauretana の名前の由来となった黒マリア「Madonna di Loreto ロレートの聖母」

 スローフード協会から品質上のお墨付きを得た格好のLauretanaが、注目を浴びる契機となったのは、その2年前の2000年にイタリアきっての名門カロッツェリア【注2】として名高い「Pininfarina ピニンファリーナ」の子会社「Pininfarina Extra ピニンファリーナ・エキストラ」がデザインしたボトルの製品を発表したことが大きく貢献しています。ヨーロッパで最も軽くクリアな味わいとされる Lauretana のイメージを具現化したという透明なガラス製のボトルには、ピニンファリーナのロゴが控えめに浮き彫りにされ、絶妙な曲線と直線からフォルムが構成されています。シンプルなラベルはLauretana のロゴがプリントされた素っ気ないもの。ボトルの背中側から局面ガラスを通して見えるラベルの裏側には、ラウレターナのロゴと共に pininfarina のロゴも記される心憎い演出が効いています。斬新でありながらどこかしらクラシカルな印象を与えるそのフォルムは、かつてピニンファリーナがデザインワークに関わった優美な曲線を身に纏った車たちと相通じるものを感じさせます。

lauretana_pininfarina.jpg【photo】ピニンファリーナがボトルのデザインをしたLauretana。王冠の色とラベル下部の白抜き文字のベースカラーが青=NATURALE(senza gas ガスなし)、赤=FRIZZANTE(con gas ガス入り)。容量は750mlのみ

 フェラーリやマセラティといった華がある高級スポーツカーのデザイナーとして名高いピニンファリーナ。この名前は車好きでなくとも耳にしたことがおありでしょう。トリノで1930年に創業して以降、ランチア、アルファロメオ、フィアットといったメーカーと実績を積み上げ、1952年にフェラーリと協働関係を結びます。西武ライオンズ在籍当時の清原 和博選手の愛車として勇名を馳せた(?)1984年発表のTestarossa、その3年後に登場したF40と後継のF50、そして山形県東根市出身の日本人、奥山 清行氏がチーフデザイナーとして在籍当時に手掛けたEnzoやP4/5 といったフェラーリのフラッグシップモデルにおいて、ピニンファリーナは最も光り輝くように思います。1947年から協力関係にあるマセラティでは、現行の Quattroporte や Grantourismo などにピニンファリーナならではのエレガントな造形感覚が遺憾なく発揮されています。アルファロメオ歴代のオープントップモデル Spider も忘れてはなりません。既存の車をベースにルーフを取り払った美しいコンパーチブルカーを作らせては、ピニンファリーナの右に出る者は見当たりません。

 確固とした実績と揺るがなき名声を得た今日では、プジョー(仏)、ジャガー(英)、フォード・GM(米)、ボルボ(スウェーデン)など、自動車における協力関係はイタリア国内のみならず、世界中のメーカーに及びます。日本においては、カロッツェリアとしてライバル関係にあるジョルジェット・ジウジアーロが、かつて乗用車を製造していた頃のいずヾと117クーペやピアッツァといった美しいクーペモデルを生んだ例があります。しかしながら、数少ないショーモデルを除いて、ピニンファリーナとのコラボによる国内向けの市販車を手掛けた日本のメーカーは存在しません。車が単なる移動手段の道具ではなく、ライフスタイルを反映する自己表現の手段のひとつと考える欧州のクルマ造りと、マッチ箱のようなミニバンの開発ばかりに力を注ぐ日本のメーカーの姿勢はいかにも対照的に映ります。
Lauretana_ back_pinin.jpg【photo】ガラス越しに見えるLauretana のラベルの裏側にはこの水の14mg/lという蒸発残留物の数値と「THE LIGHTEST WATER OF EUROPE」の表記と共にpininfarina の名が記される
 
 現在、企業体としてのピニンファリーナは、イタリア国内のほかに、仏・独・スウェーデンなど世界5カ国に現地法人を置き、グループ全体の従業員数は3,000人。2007年における6億7千40万ユーロに及ぶ売上のうち、8割が自動車関連業務によるもので、創業者のバッティスタ・ピニンファリーナ以来の伝統は、今日もしっかりと受け継がれています。中核となる自動車のデザインワークを行うのは、Pininfarina S.p.A.。かたや広く生活用品一般のプロダクトデザインまで手掛けるのが1987年に発足したPininfarina Extra S.r.l.です。誕生から20年で総売上の2割を占めるまでに成長したピニンファリーナ・エクストラが関わったのは、当然 Lauretana のミネラルウオーターに限りません。歯ブラシやフレグランスの瓶、家電製品、家具、システムキッチン、自家用ジェット航空機、クルーザー、ホテルやマンションの内外装、そして2年前に地元トリノで開催された冬季五輪の聖火台と聖火のトーチのデザインに至るまで、いままで関わった仕事は多岐に渡ります。

lauretana_pinin_ecching.jpg【photo】 ボトル底部の両側には pininfarina のロゴタイプが浮き彫りにされている

 両社のCEO(最高経営責任者)として、ここ数年指揮を執ってきたのは創業者の孫であるアンドレアとパオロのピニンファリーナ兄弟です。デザイナーとしてではなく、もっぱら経営面で手腕を発揮した兄のアンドレアが、先月7日に51歳で不慮の死を遂げました。Vespaブランドで知られる Piaggio 社創業60周年の記念限定モデル、グレーのVespa GT60に乗って自宅から出勤する途中に、78歳の男性が運転する Ford Fiesta にはねられたのです。昨年の売上高が1.000億円を越える自動車と縁が深い企業の会長兼最高経営責任者は、運転手付きの車ではなく、自らスクーターを運転して出勤していました。そうして不幸な事故に遭ったのも、皮肉な巡り合わせですが、これもおおらかなイタリアのお国柄ゆえの悲劇と言えなくもありません。ピニンファリーナ社は8月12日の取締役会において、エクストラ社の代表だった弟のパオロ氏のPininfarina S.p.A.会長兼最高経営責任者就任を決定しました。故アンドレア氏による経営下にあって、トリノ郊外のサン・ジョルジョ・カナヴェーゼにあるピニンファリーナの工場で生産を請け負ったalfa Breraのオーナーの一人として、故人のご冥福を心よりお祈りします。


 【注1】 水の中に浮遊・溶解しているカルシウム・マグネシウム・ナトリウムなど、土壌に由来する有機物(ミネラル)成分のこと。1 リットルの水を蒸発させて残る重量の数値で表される。純水に近い無機質な水が美味しく感じる訳ではなく、適度にミネラル成分を含んだほうが、コクとまろやかさが加わって飲用水としては美味しく感じる。この数値が多すぎると苦味を強く感じるため、飲用には適さない。一般に30~200mg/l程度が美味しい水の目安とされる

【注2】 Carozzeria カロッツェリアは、イタリアで特に自動車のボディワークを行う会社を指す。工房と呼ぶべき小規模なものから、ピニンファリーナのように国外にもグループ企業を抱える比較的大きな事業規模の場合もある。業務内容においても、原料や素材の調達から、設計・組み立てまでを一貫して手掛けるケースから、工程ごとに専業の場合もある。日本車では大手メーカーが開発から一環して生産までを行うのと対照的。ピニンファリーナの他にはイタルデザイン、ベルトーネ、ザガート、ミケロッティなどが有名どころ

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2008/09/06

瓢箪(ひょうたん)から沖田ナス

置賜の沖田さんのナスは庄内・沖田で沖田ナスとなった

 何故かナスに関する"あるもん探し"が多かった今年の夏。民田ナス萬吉ナスと続いた庄内在来丸ナス3部作(?)の最後は「沖田(おきた)ナス」の登場です。紛らわしいタイトルを付けてしまいましたが、瓢箪からナスが生る奇跡の突然変異がおきたナスの話ではありません(笑)。ややこしい副題の意味は、やがてお解かりいただけますので、しばしお付き合いのほど。

chikeiken_natsu_asa.jpg【photo】フウセンカズラが夏の陽射しを和らげる。喧騒と隔絶された「知憩軒」の朝

 イタリア人と結婚したペルージャで暮らす友人のお祝い食事会が催され、鶴岡市西荒屋の農家民宿兼レストラン知憩軒で一泊した翌7月21日。海の日にふさわしいギラギラとした真夏の太陽が顔を出し、早々に目が覚めました。柔らかな肌触りで全身を優しく包み込んでくれる名湯で朝風呂を浴びようと、朝一番で湯田川温泉に向かいました。いつにない早朝に訪問した馴染みの庄イタに、いつもの柔和な笑顔で「ウチで朝ごはんを食べていったら」と声を掛けて下さったのは、旅館「ますや」の大女将・忠鉢泰子さん。

 なれど知憩軒では朝食の準備ができているはず。せっかくの女将のご好意でしたが、後ろ髪を引かれながら、ますやを辞去したのでした。そうして頂いたのが、知憩軒の朝採り野菜中心の朝ごはん。それは、あわただしい日々を送る中で蓄積する体内毒素をさらりと洗い流してくれます。フウセンカズラが這う窓からは、風鈴の音と共にすがすがしい朝の新鮮な風がすだれ越しに入ってきます。いつも"足るを知るとはかくありなん"と教えてくれる朝食。

chikeiken_asagohan.jpg 大女将の長南光(みつ)さんと話をしていると、いつしか心まで満たされてゆきます。まだ8時過ぎだというのに、蝉たちはフォルテシモで鳴いています。ふぅー、今日も暑くなりそうだ。モバイルでチェックしたその日の仙台の天気は、最高気温22℃の曇り。どんよりと薄ら寒い仙台に急いで帰る気など毛頭ありませんでした。

【photo】 自家製の梅干、ばんけ(フキノトウ)味噌、青紫蘇の味噌汁...。ほとんどが自家製の素材を使った知憩軒の朝食。薄味の出汁加減が上品なナスの煮浸し、生姜醤油の風味が心地よいサヤインゲンのおひたし、月山筍とシイタケ・厚揚げの煮物、丸ナスとキュウリの浅漬、コシヒカリのおにぎりを鮮やかな手つきで握るのは娘のみゆきさん。「うちでは伝統的な庄内の田舎料理を出しているだけ」と謙遜する長南さんだが、洗練された味付けはいずれもハイレベル(上写真)

okita_keiko.jpg【photo】鶴岡市羽黒町狩谷野目の今野恵子さんが有機無農薬で栽培する「沖田ナス」。ご子息が沖田地区の知り合いから譲られた沖田ナスの苗を自家採種しているので、沖田ナスを名乗ることができる。ほかにも先に取り上げた「民田ナス」や「萬吉ナス」、置賜地方がルーツの「薄皮丸小ナス」「梵天丸ナス」など個性派揃い


 真夏の庄内グリーンツーリズムを満喫し、かつて一緒にイタリアに行った三浦琢也さんが鶴岡市馬場町で営むナポリピッツアの店「Gozaya」でマルゲリータを注文しました。香ばしい薪の香りが漂うカウンターでアツアツの一枚を平らげ、エスプレッソを引っ掛けてから、そろそろ引き上げようかと店を出たのが13時30分過ぎ。山形自動車道・庄内あさひICの手前で高速の道路状況を確認するためにカーナビのVICS画面に目をやりました。そこには「沖田」という地名が表示されています。詳細に地名表示をするようにカーナビの設定を変えるまでは、気付かずにいましたが、そこはいつも通りかかる場所でした。

 庄内の深遠なる魅力に開眼した2003年(平成15)、沖田ナスという丸ナスの存在を初めて知ったのは、鶴岡市羽黒町の産直「あねちゃの店」でのこと。「沖田ナスは朝日村で採れるナスなのよ」と、佐藤典子店長から聞いていたので、「ここが沖田ナスの産地だな」と、ピンときました。仙台へ直行しようとしていた予定は急遽変更、少し集落の中を歩いてみました。そこの地名は鶴岡市東岩本字沖田。畑でそれらしき少しひしゃげた巾着状の丸ナスを栽培しているokita1.jpgお宅を見かけたので、畑の持ち主と思しきお宅を訪ねましたが、残念ながら留守の様子。隣のお宅のご主人に伺うと、「すぐ近くに沖田ナスの生みの親の小野寺さんが住んでいるから訪ねてみたら」と教えてくれました。

【photo】 同じ丸ナスでも、沖田ナスは民田ナスよりも幾分丈が大きい。8月の最盛期には、うっかり見逃すと一晩で巨大化してしまう(右写真)

onodera_masakazu.jpg【photo】引きの強さが奏功し、庄内地方に沖田ナスを広めた小野寺政和さんとご対面(左写真)

 目指す目印は、小野寺さんが沖田ナスを初めて育てた手掛けたというビニールハウス。それと思しきハウスすぐに見つかりましたが、中を覗くと肥料袋に仮植えした普通の形状をしたナスの苗が10本ほど。「ん?ここでいいのかな」と半信半疑のまま、隣接する小野寺姓のお宅を訪ねると、荷台に農業用水タンクを載せた軽トラックが停まっています。敷地の奥からちょうど出てきた丸顔の男性は、なんとも沖田ナスにウリふたつ(まったくもって失礼ながら、そう思ってしまったのデス...m(。_。;))m)。  

「あの~ぅ、小野寺 太(ふとし)さんのお宅はこちらでしょうか?」
  軽トラに乗り込もうとする丸顔の男性に尋ねました。
「おぉ、そうだよ。今、太は留守にしているけどね」
 よく日焼けしたその方は、先ほどの隣家のご主人に教えて頂いた太さんのお父様、政和さんなのでした。
「突然で申し訳ありませんが、沖田ナスについてちょっと調べておりまして...」

onodera_mitsuko.jpg かくなる上は、名刺を差し出して氏素性を明かした上で、これ幸いと突撃インタビューの開始です。

「今から畑に行ってナスの水やりに行くんだ」と応じた政和さん。

 小野寺さんは一旦仕事の手を休めて陽射しを避けるように私を軒下へといざないます。時計を見るとちょうど14時。まだ日盛りの太陽がジリジリと照りつけています。小野寺さんは私と並んで長椅子に腰掛けながら、家の奥に「おーい浅漬け持ってきてー」と声を掛けました。ほどなく奥様のみつ子さんが、沖田ナスの浅漬のパッケージとガラス小鉢を手に登場しました。

okita_onodera.jpg【photo】小野寺みつ子さん(右写真)の手になる沖田ナスの浅漬け(左写真)。よく冷えたコロンとした小ナスを頬張ると、うまいんだ、これが。
 
 「ウチで漬けたんだけど、無添加だから食べてみて」と、小野寺さんは封を開けて小鉢に盛ったナスを勧めます。みずみずしい蒼さのナス漬けは、いかにも美味しそう。かくなる上は遠慮無用。一粒つまんでパクリ!! 口いっぱいに、すがすがしい夏の香りとほのかな塩味が広がります。

 いつも感じることですが、私がお会いする庄内の方たちには、敷居が低い独特の懐の深さと優しさがあります。突然訪ねてきた見ず知らずの私を、こうして受け入れてくれるのですから。よく冷えた浅漬けをもう一粒頂き、(「美味しいですね」を意味する庄内弁)「んめのぉー」と口走る私に、小野寺さんは沖田ナスの由来を語り始めました。
「このナスと出合ったのは、かれこれ30年ほど前のことかなぁ・・・」

kubota_nasu.jpg 昭和40年代末に小野寺さんが世話になっていた農業改良普及員【注】が、出身地の山形県置賜(おきたま)地方に伝わる食味が優れているという2種類のナスの種を「育ててみたら」と持ってきました。ひとつは「窪田ナス」。米沢市の北東部、最上川左岸の窪田地区を中心に上杉藩政時代に家老職を務めた重臣の色部一族によって栽培が奨励されてきた丸ナスです。もうひとつが「沖田ナス」。南陽市宮内地区の沖田与太郎(おきたよたろう)が、およそ50年前に新潟から訪れた行商人から仕入れた長岡の在来ナス「巾着ナス」の系統とも、窪田ナスから外皮が柔らかい個体を選抜したともいわれる丸ナスです。

【photo】偶然通りかかった米沢市窪田町家中地区の畑でやっと見つけた窪田ナス

 周囲の勧めから自分の名前を付けて銘々した沖田ナスとしては今ひとつ普及せず、特徴をストレートに描写した「薄皮丸小ナス」と改名したところ、人気が出ていったという経緯をもつ沖田ナス(=薄皮丸小ナス)。その経緯については、沖田 与太郎と交流があった米沢市窪田町家中(かちゅう)地区で今も窪田ナスを守り伝える生産者、石山 忠美さんにも詳しく教えて頂きました。置賜地方産の丸ナスのルーツとされる窪田ナスについては、機会を改めてレポートします。

【photo】7月から10月まで毎日収穫が続くという小野寺さんの沖田ナス畑で

 旧朝日村沖田集落で生まれ育った小野寺さんは、勧められた二つのナスのうち、どうせ育てるなら、たまたま郷里の地名「沖田」の名前がかつて付いていたナスを育てようと考えたのです。もらい受けた種を徐々に増やしていった最初の10年近くは、ほぼ自家消費のみ。小野寺さんはこの品種を選抜してゆく過程で、沖田集落の生産者の手で大切に育てていったのだそう。その若干寸詰まりの巾着袋のような形状の丸ナスは、皮が柔らかく浅漬けにぴったりで、歯が弱ったお年寄りでも美味しく食べられると評判を呼んでゆきます。2004年(平成16)にR112号沿いの旧朝日村下名川地区に開店した「産直あさひ・グー」では、春は山菜、秋はキノコやトチ餅など豊かな山の恵みを扱いますが、夏から初秋にかけては沖田地区の畑で採れた沖田ナスがふんだんに店頭に並びます。

 畑の様子を見に行くという小野寺さんの軽トラックで案内されたのは、古道六十里越街道の十王峠の分水嶺から流れ出る月山水系の岩本川の豊富な水を引いた畑でした。おおよそ7月から10月上旬まで毎日収穫が続くという沖田ナスには、毎朝の水遣りが欠かせません。そこには塩ビパイプとホースを使った自作の潅漑(かんがい)施設がありました。典型的なナスの害虫であるアブラムシやアザミウマのほか、土の中にいるコガネムシの幼虫が実に付くそうで、畑には足繁く通わなくてはなりません。

okita_mizu.jpg ご自身は塩漬した翌日の新鮮な浅漬けが好きだと語る小野寺さんの奥様、みつ子さんが漬けた沖田ナスは、鶴岡市内に多店舗展開するスーパー「主婦の店」およそ十店舗にご子息の太さんが直接届けて回ります。180g入り一袋268円の浅漬けは、売り切れ続出のため、10月まで出荷は毎日続きます。私が伺った時はご不在だった太さんも父の跡を継いで専業農家として頑張っているのだそう。

【photo】沖田ナス畑の下には月山水系岩本川の農業用水。良質の水とメリハリのきいた四季が稀に見る多彩な作物をもたらす

 米沢に転封となった越後の上杉氏が、会津経由で米沢に持ち込んだ窪田ナス。その変異種かもしれない外皮の柔らかなナスを広めようとした沖田さんは、沖田ナスと名付けるも地元の置賜(⇒「おきたま」 おっと、ここにも語呂合わせが・・・)地方では別の名・薄皮丸小ナスで一般化。たまたま沖田つながりで沖田地区から沖田ナスを庄内地方に広めた小野寺 政和さん。そのご本人に私は期せずして巡り会うことが出来ました。在来作物に詳しい山形大学農学部の江頭 宏昌准教授によれば、沖田ナスは、もはや庄内の在来野菜と呼んで何ら問題がない品種なのだそうです。沖田ナスが歩んだ歴史同様、瓢箪から駒、いえ"瓢箪からナス"な展開となった今回の突撃取材には後日談があります。

okita-nasu2014.jpg【photo】コロンとした形状の沖田ナス。ナス特有のエグさがない食味の良さが身上

 とびきり海の水が綺麗な新潟山北町の「笹川流れ」と越後村上を訪れた8月12日。米沢を経由して県道101号線「米沢浅川高畠線」を通って高畠町に抜ける仙台への帰路、奥羽本線 置賜駅の手前で「窪田」の地名標識を発見しました。「おおっ、ここは窪田ナスの産地に違いない!」と、車を左折。そんなデジャヴな展開の末、最上川に架かる置賜橋を渡って立ち寄ったところは、まさしく窪田ナスが生まれた米沢市窪田町家中地区でした。

 つい先日、家中地区のとある農家で1969年(昭和44)3月11日付の新聞に包まれた窪田ナスの種が見つかりました。その種を入手した石山さんは、現在伝わる窪田ナスと比較するため、その種の発芽試験を山大農学部の江頭准教授に依頼したのだそう。江頭先生によれば、作物の種が発芽するのは、通常は冷蔵状態で保存しても10年が限度。そのため、この種の発芽は、最後の手段ともいうべき試験管内での胚培養技術を用いて試みるのだそうです。

 さて、40年もの時間(とき)を経たその種は、果たして現代のバイテク技術をもってして芽吹くのでしょうか? また、いかなる実を結ぶのでしょうか? いずれにせよ沖田ナスのルーツ探しに端を発した"あるもん探しの旅"は、まだ続きそうです。


【注】 戦後の食糧難を打開すべく、食糧増産と農業支援を目的に1948年(昭和23)に施行された「農業改良助長法」によって設立された「農業改良普及所(後に「センター」と改称)」所属の地方公務員。各都道府県には同普及所を設立・運営する義務があり〈必置義務は2004年(平成16)に撤廃〉、栽培技術指導や新品種の紹介などの営農支援を行った。

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