あるもの探しの旅

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2008/10/27

「鳴子の米プロジェクト」稲刈り交流会【後編】

小昼(こびる)で頂く農家の味

【前編】 「作り手と食べ手を結ぶ収穫の喜び」 より続き

 食べ手である参加者が、生産者と心をひとつにして収穫作業を進めた「鳴子の米プロジェクト」稲刈り交流会。あらかた刈り取られて丸坊主となった田んぼの一角に、手付かずのまま 3列×4株=12株の稲穂が残され、その上に広げた新聞紙が置いてあるのが目に留まりました。稲刈り作業を終えたところで、この日ご一緒したNPO法人「鳴子の米プロジェクト」のメンバーで、「朝市・夕市ネットワーク」の理事でもある仙台在住のフリーライターで旧知の間柄の小山(こやま)厚子さんに「何ですか?これは」と質問しました。

2008.10.04kobiru1.jpg【photo】参加者が刈り取った田んぼの一角に残った12株の稲の意味を説明する小山 厚子さん(写真右)

 私の問いに小山さんは「これが私たちが一日に食べるご飯茶碗3杯分のコメです。一人の命を一日養うためには、ちょうど新聞紙を開いた大きさの田んぼのコメが必要なのです」と答えられました。なぁーるほど...。その日は九州で講演の仕事があって顔を見せなかった鳴子の米プロジェクトの総合プロデューサーで、民俗研究家の結城 登美雄氏に後日お会いする機会がありました。印象に残ったこのエピソードを切り出すと、どうやらこのシンボリックな演出は結城氏のアイデアだったことが窺えました。

2008.10.04kobiru4.jpg【photo】参加者全員を前にコメと耕作地の尊さを説くNPO法人「鳴子の米プロジェクト」の上野理事長

 食生活の多様化によってコメ離れが進む昨今、一人の日本人が年間に消費するお米はおよそ60kg(「宮城米コメナビweb」より)。鳴子の米プロジェクトでは、一俵(60kg)当たりの米価を24,000円に設定しています。プロジェクトのシンボル「ゆきむすび」の予約購入者が一日に支払う対価は、一年の日数365で割るとはじき出されますが、その額は65.75円でしかありません。ご飯茶碗に盛られるご飯は、相撲部屋でもない限りは60g前後ゆえに、一膳のご飯に要する支出はおよそ24円となります。

 昨年3月に鳴子温泉郷で400人もが参加して行われた「鳴子の米発表会」の席上、茶碗1杯のご飯と並んで、1/4大の笹かまぼこ一切れ・イチゴ1粒・グリコのポッキー4本を載せた3枚の皿が展示されました。これは、一膳のご飯と同じ24円相当の食べ物を並べて、米価下落を受けて青息吐息の米作農家が作るコメの価値を再認識してもらおうという結城氏の発案によるものでした。「稲刈り交流会の参加者に分かりやすい例えで自分の命をつなぐコメと農地の大切さを実感してほしかったのさ」と、結城氏は私に語りました。食卓で新聞に目を通しながら食事を摂ることがあったなら、あなたの一日の糧(かて)となるコメを作るのに、手にした新聞を見開いた広さの水田が必要で、そこで俗に言う"八十八の手間をかけて"コメを作る人がいることを、どうか思い起こして下さい。
2008.10.04kobiru3.jpg【photo】刈ったばかりの田んぼにビニールシートが敷かれた。作業が一段落したところで、そろそろ小昼の時間。おむすびをさまざまに味付けし、美しく盛り付けるのも、手際よく会場の準備を進めるのも、地元のお母さんたちだ

 落穂拾いを終える頃、農作業の合間に出される昼食、「小昼(こびる)」がお母さんたちの手で運ばれてきました。小昼を作って下さったのは、中川原地区のR108沿いにある産直「やまが旬の市」のお母さんたちです。朝方は雨よけに使われたビニールシートが刈り取った田んぼの中に敷き詰められました。手際よく小昼の準備が進む中で、残された12株の稲穂の前には、緋毛氈(ひもうせん)を敷いた台が設えられました。そこには昨年収穫された「ゆきむすび」を握ったおむすび三個と湯飲み茶碗に注がれたどぶろくが供えられました。交流会への参加者のみならず、駆けつけたお母さんたちにも集まるよう呼びかけた上野理事長が、残された稲穂の意味を説明し始めました。そこで私たちが稲刈りをした4アールの田んぼ一枚が、おおよそ一人の人間を一年間養うのに必要な広さであることが語られました。
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【photo】自ら握った彩り豊かなおむすび(下写真)を手に、屈託のない飛び切りの笑顔を見せてくれた鬼首地区の産直「やまが旬の市」のお母さんたち。皆さんの手の温もりが伝わるふっくらとしたおむすびと、おもてなしの心が伝わる郷土料理は、どれをとっても美味しかったです。皆さん、ごちそうさまでした。2008.10.04kobiru7.jpg

 小泉政権下、お題目のように唱えられた「改革」の号令のもと、"攻めの農業"への転換を図るために「経営所得安定対策等大綱」が定められました。大綱の三本柱のひとつ「品目横断的経営安定対策」では、山間地など地域条件による緩和措置はあるにしても、北海道を除く本州以南では耕作面積が4ヘクタールに満たない農家と20ヘクタール以下の営農組織は、国から補助金を受けることができる農業の「担い手」と見なされなくなりました。全ての農家、品目別に補償制度を設けていたため、バラマキとの批判もあった従来の農政から食料生産の現場に競争原理を導入する一大転換だと農水省はこの施策を自画自賛します。税金の使い道に関する議論はさておき、国は税収不足を背景に、大多数を占める中小の農家への補助を打ち切る道を選びました。ちなみに鳴子地域にある620軒の農家の中で、担い手農家に該当するのは全体の1%に満たない6 軒だけに過ぎません。

2008.10.04kobiru8.jpg【photo】自家製の漬物や野菜の煮しめなど、素朴な農家のおふくろの味が並ぶ

 耕土が限られる中山間地の農家は、もはや自活の道を探るしかありません。この日、稲刈り交流会が行われた後藤さんの圃場の周辺にも耕作放棄地が点在しているのを目にしました。地域住民の高齢化がこうした流れを加速させています。鳴子地域では、耕す人のいなくなった耕作放棄地がこの10年で4倍以上の70ヘクタールにも増えました。若い世代を含む参加者を迎えて行われた今回の交流会には、少しでも山間地におけるコメ作りに関心を持って欲しいという地域の切実な願いが込められています。寒冷な栽培環境にも適合し、用途が広く食味に優れた低アミロース米「ゆきむすび」は、鬼首地域の農家にとって、これからもコメ作りを続けていこうという希望の象徴でもあるのです。
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【photo】「よっ!待ってました!!」47銘柄が参加した全国コンテスト「濃醇(のうじゅん)」の部で、優秀賞(第二位)の栄誉に輝いたどぶろく名人、鬼首ロッジの奥山料理長が持参したどぶろく 

 お母さんたちが運んできたのは、プロジェクトの発足を受けて、"自分が出来る形でプロジェクトに関わりたいから"と地元の桶職人が自発的に作ったというおむすび専用桶に入った彩り豊かなおむすびと、地域に伝わる煮しめや漬物など心尽くしの手料理の数々。稲刈りが始まったばかりで脱穀が間に合わず、今年度産の新米で握ったおむすびが用意できなかったことを初代プロジェクト代表の曽根 清さんは詫びましたが、モチモチした粘りのある食感が特徴のゆきむすびのおむすびは、収穫後一年を経ても十分に美味しいものでした。太陽が顔を見せたかと思うと、時おり雨が落ちてくる変わりやすい空模様でしたが、田んぼの中で頂く家々で受け継がれてきた郷土の味は、どこか懐かしさを覚えるものでした。何を隠そう、私が2008.10.04kobiru9.jpgこの日の稲刈り交流会に参加する大きな要因となったゆきむすびで仕込んだどぶろくを持参されたのは、稲刈りにも参加された鬼首ロッジの奥山料理長ご本人。ついお代わりをしてしまい、白昼から茶碗で3杯も呑んでしまいました(●^^●)

【photo】気持ち良い秋晴れの空がようやく戻った。晴れがましい表情で挨拶に立ったお母さんの話を聞きながら、いつしかおむすび5個を平らげてしまった(右写真)。デスティネーション・キャンペーンのイメージビジュアルには、ゆきむすびのおにぎりが使われた。制作にまつわるエピソードを語る吉川 由美さん(下写真)
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 小昼では、自己紹介を兼ねて稲刈りの感想を参加者が述べ合いました。ゆきむすびの豆おむすびの写真がイメージポスターに使用された大型観光キャンペーン「仙台・宮城デスティネーション・キャンペーン」のポスター制作に関する裏話を披露されたのは、プロデューサー・演出家などのマルチな顔を持つ吉川 由美さん。昨年3月に現在の品種名が付くまでは、東北181号という系統名で呼ばれていたゆきむすび。その生みの親である古川農業試験場の総括研究員 永野 邦明氏は、この日小さな娘さんを連れて参加していました。永野氏は地域に希望を与え、多くの人の輪を生み出したコメの開発に携わった喜びを率直に語りました。今回の稲刈り交流会に先立ち、数日間を岩入地区の農家で過ごしたという大学生の参加者からは、山あいにある農家の暮らしを間近かに見ることができたことが大きな収穫だったとの声が聞かれました。鳴子の米プロジェクトがスタートから3年目にして、かくも2008.10.04kobiru11.jpg地元に深く根差した取り組みになっている背景には、この日もいつものように裏方として飛び回っていた大崎市鳴子総合支所 農業振興係の安部 祐輝さんの存在が大きいように私の目には映りました。

【photo】東北181号(ゆきむすび)生みの親、古川農業試験場の総括研究員 永野 邦明氏

 先祖から受け継いだ土を耕す人々の意欲を呼び起こし、都市部で暮らす若者の心も捉えた鳴子の米プロジェクト。総合プロデューサーの結城氏を含め、「こんなことができないか」「こうすればもっと良くなる」と、地域の人々の夢は広がります。そんな熱い人たちと繋がっていたい私は、今後もゆきむすびを予約することでしょう。稲刈りで動かした体をほぐそうと鬼首温泉郷に向かう途中、刈り取りを待つばかりとなった穂波が広がる鬼首の中心部にあたる田野地区を通りかかりました。西の空に傾き始めた太陽から放たれる光の粒子によって、萌え立つかのように黄金色に染まった鬼首の大地がキラキラと光り輝いていました。

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翌年の春に行われた交流会を含む田植えの模様はコチラをご参照願います。
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◆20年度産「ゆきむすび」の申し込み・問い合わせは-
 鳴子の米プロジェクト事務局(大崎市鳴子総合支所 観光農政課 内)へ
 TEL:0229-82-2026 FAX:0229-82-2533 
 e-mail:n-kanko@city.osaki.miyagi.jp
21年度産新米からは、受付窓口をNPO法人事務局へ移行の予定)

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2008/10/18

「鳴子の米プロジェクト」稲刈り交流会【前編】

作り手と食べ手を結ぶ収穫の喜び

 10月4日(土)、宮城県大崎市の鳴子温泉一帯の中山間地域で、新たな米作りのあり方を模索する「鳴子の米プロジェクト」の稲刈り交流会が行われました。稲刈りが行われたのは、鳴子の温泉街から車でおよそ30分かかる鬼首(おにこうべ)地区でも更に15分ほど栗駒の山あいに分け入った最深部にある岩入(がにゅう)地区の後藤 錦信(かねのぶ)さんの田んぼです。今回の稲刈り交流会は、鳴子の米プロジェクトで作られる今年度産の「ゆきむすび」を予約している人に対して案内されました。交流会が行われる田んぼを所有する後藤さんには「宮城・オニコウベやさしい木道(こみち)づくりキャンペーン」実行委メンバーとしてお世話になっています。5月の田植え交流会には参加できなかったものの、一も二もなく家族で参加を申し込みました。

2008.6.11ganyuu.jpg【photo】 後藤さんのお宅の前に広がる「ゆきむすび」の水田。栗駒山系の山々に囲まれた岩入地区の僅かな平場に水田が開墾されている。田植え後間もない6月(上)と収穫を控えた10月(下)の模様

  2008.10.11ganyuu.jpg 栗駒山系の荒雄岳山麓のブナ林の雪解け水が集まって、やがて一級河川「江合川」となる上流域「荒雄川」の清冽な水が流れ込む後藤さんの水田には、田植え後間もない6月11日に一度訪れていました。作付けされたばかりの早苗の間をおたまじゃくしが泳ぎ、カワトンボがヒラヒラと優雅に舞う光景に見とれたものです。その3日後にすぐ目と鼻の先を震源とする「岩手・宮城内陸地震」が発生し、岩入地区の水田では、畦が崩れたり、地割れで水が抜けるなどの被害が発生しました。8月の日照不足の影響で全国で唯一、米の作柄指数が「やや不良」だった宮城県でも、ひときわ耕作条件が厳しい山間地の鬼首の稲作農家にとって、災害を乗り越えて収穫の時を迎えたこの日は例年にも増して喜びもひとしおだったはずです。

2008.06.11kawatombow.jpg【photo】 後藤さんの田んぼの畦に咲くシロツメクサに舞い降りたカワトンボ

 集合予定時刻の午前10時30分に後藤さんの田んぼに集った一行。その顔ぶれは、私を含めて今年収穫される鳴子の米こと、ゆきむすびを予約している仙台や秋田・神奈川、遠くは山口・佐賀などから参加した面々。受け入れ側はプロジェクトに参加している鬼首地区の数軒の稲作農家と大崎市鳴子総合支所などの交流会実行委メンバーら総勢70名ほど。ウチのように子連れで参加した家族と宮城大学 食産業学部や宮城県農業実践大学校に在籍する学生など、昨年より若い世代の参加者が増えたことを実行委の方たちは喜んでいました。

 鳴子の米プロジェクトは、国が農家から買い取るコメの価格を指す生産者米価の下落が続く中で採算割れに陥り、生産意欲を失っている米作農家を消費者が事前予約制による適正価格で直接買い支えようという試みです。この挑戦は、農業の担い手の高齢化と後継者難、離農により増加する耕作放棄地と限界集落など、閉塞状況にある中山間地域に活路を見出そうという民俗研究家の結城 登美雄氏の提唱で始まりました。農家が安心してコメ作りを続けられるよう設定された購入希望者が支払う1俵(60kg)当たり2万4千円(玄米5kg 2,000円・白米同 2,100円)という対価は、農家の手取額として採算ラインの1万8千円を確保するための2008.6.11ganyuu2.jpgものです。5年間維持されるその価格の一部は、次世代を担う若者を鳴子地域に受け入れるための社会基盤整備に充てられます。

【photo】宮城内陸の最北部にある鬼首でも、秋田県境に近い最も奥部にあたる岩入地区。わずかに開けた平場の田んぼでコメ作りに希望を見出そうという試み「鳴子の米プロジェクト」が行われている

 山間地特有の寒冷な気候ゆえ、いかなる品種を試み、どんなに頑張っても美味しい米は出来ないと2年前までは言われてきた鬼首地区。実際に足をそこに運んでみると、山々に抱(いだ)かれた狭小な平場に水田が築かれていることが判ります。プロジェクト初年度から参画した「生産者の会」代表の曽根 清さんは「自分たちはこんなに美しい風景の中でコメ作りをしている」と語ります。清らかな荒雄川と青い山並み、丹念に手入れがされた田んぼが織り成す風景は、確かに美しいものです。しかし、そこには過酷な条件下で何世代にも渡って営々と続けられてきたコメ作りの労苦があったはずです。私にとって鬼首は、このような奥地でも米作りをしている人々がいることを忘れてはならないのだ、と胸に刻ませる場所となりました。
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【photo】 稲刈り交流会の冒頭、挨拶に立つプロジェクト会議代表 上野 健夫さん

 「ササニシキ」「ひとめぼれ」を生んだ宮城県古川農業試験場で、収穫が早く耐病性・耐冷性と食味に秀でた品種として2001年(平成13)に開発されながら、当初は奨励品種として認められていなかった低アミロース米「東北181号」。2006年(平成18)、この寒冷地に適した新品種を試験的に作付けしたことから物語は始まりました。地域慣行の半分までに使用する農薬を抑え、収穫後は棒がけによる天日干しで乾燥させるという取り決めのもと、鬼首地区の上流域から順に岩入集落の曽根 清さん、寒湯(ぬるゆ)集落の高橋繁俊さん、中川原集落の高橋正幸さんの3人が、10アールの水田に東北181号の苗を植えつけました。

 プロジェクトのプロデューサーとなった結城氏の意向もあり、地元の旅館関係者や購入希望者を招き、田植えや稲刈り時に生産者との交流会を実施しています。安全で美味しい米作りを続けようという作り手が、食べ手と共に手をたずさえて日本人の食を支えようとしているのです。昨年「ゆきむすび」と命名されたこのコメは、命をつなぐ米作りを人任せにしないという決意のもと、3年目を迎えた今年、35軒の農家が10ヘクタールの水田でゆきむびの栽培に挑戦しました。新たな人の輪を広げている鳴子の米プロジェクトは、今や全国から注目を集めています。今週末の19日(日)、NHK仙台放送局が鳴子の米プロジェクトをモデルに製作されたドラマお米のなみだ」が16:45から全国放映されます。この日も各メディアが交流会の取材のために訪れていました。

2008.10.11.sigsone.jpg【photo】 鎌の使い方を指南する曽根 清さん

 薄曇りの空模様が少し怪しくなってきたかと思う間もなく、にわか雨が降り出しました。大きなビニールシートで急場のテントをしつらえて、しばし雨宿り。四方を山に囲まれたそこは、変わりやすい山の天気なのでした。雨が小降りになったところでプロジェクトの世話役、大崎市鳴子総合支所の安部 祐輝さんの進行のもと、今年から鳴子の米プロジェクト会議の代表を務めている上野 健夫さんがご挨拶されました。そこで報告されたのが、従来は事務局を大崎市に置いていた鳴子の米プロジェクトが、10月1日にNPO法人として登録されたということ。今後は参加メンバーによる自主運営の道を探ってゆくのだそう。初年度から作付けをした3軒のうちの一人で前代表の曽根 清さんから鎌の扱いについて説明を受け、いよいよ稲刈りのスタートです。手刈りによる稲刈りは、私のホームグラウンド、鶴岡市を一望する櫛引地区の高台「たらのき代(だい)」で絵本作家の土田 義晴氏が10年来続けている「あーあー森 田んぼのお絵かき」で3年前の10月にやって以来。それでも体が覚えているのか、自分では手際良く刈れているつもりです。学校の実習で稲刈り体験をしたばかりの5年生の娘は、慣れた手つきで稲を刈ってゆきます。

2008.10.11inekari.jpg【photo】 頭を垂れたゆきむすびの稲穂を夢中になって刈り進むうち、およそ4アールの田んぼの稲刈りは、心をひとつにした参加者の働きによって驚くほどのスピードではかどった

 鎌での稲刈りよりも難しいのは、刈った稲穂を束にして藁で結わえる作業。こればかりはなかなか上手く出来ないので、専ら"刈る人"に徹しました。70名もの人海戦術によって予定された区画の稲刈りは順調に進み、予定より早めに終了しました。最初は一生懸命に鎌を使って稲を刈っていた小さな子どもたちは、途中から虫かごを手にカエル採りに夢中です。カエルが生育できる減農薬栽培による環境下にある後藤さんの田んぼの土は、水を抜いてしばらく経つものの柔らかく健全なものでした。刈り取った稲は、垂直に立てた高さ2mほどの棒を芯にして、通気性を確保するため螺旋状に積み上げてミノムシのような形状に仕上げます。これは旧伊達藩の内陸部で盛んだった「棒がけ」と呼ばれる天日干しの方法です。2008.10.11bougake.jpgおよそ1ヶ月間、こうして自然乾燥させることでコメの味が違ってきます。作業の最後に安部さんの呼びかけで、参加者全員で落穂拾いをして、最後の一本まで無駄にすることなく大切な稲を棒がけにしました。

【photo】 棒掛けによる自然乾燥は、鳴子の米プロジェクトに参加する農家全てが行う作業だ

 「この場所は稲を刈らずにそのままにしておいて下さい」との実行委からの指示で、田んぼの中に手付かずの一角が残されていました。そこには、鳴子の米プロジェクトと稲刈り交流会の実行委員のメンバーが、この日参加した人たちに伝えたい大切なメッセージが込められていたのです。
 それは次回【後編】「小昼(こびる)で頂く農家の味」にてご紹介します。

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