あるもの探しの旅

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2008/12/31

今年も当たり年!

 いつぞや槍玉に上げた某新酒の項目で見かけたタイトルですが、今回は「?」ではなく、「! 」ですから紛れも無い事実をお伝えします。「当たった!」とは言っても今日抽選が行われた年末ジャンボ宝くじが当たった\(^o^)/という夢物語ではありません(涙)。

【photo】キジとダイコンのコンソメ風味ズッパZuppa alla fagiano e ravanello08.12.28.jpg

 見事「当たり」に出くわしたのは、6年連続で恒例の年末食べ納めに訪れた鶴岡「アル・ケッチァーノ」でのこと。この夜は奥田シェフも「イル・ケッチァーノ」ではなくアルケの厨房に入っていました。微量の塩と軽いナッツ系フレーバーのオイルで繊細な味付けがされたプリプリ新鮮で上品な脂が乗った白身魚「オオイヨ(イシナギ)の冷製カッペリーニ」で幕を開けたお任せコースも、12品目の「Zuppa alla fagiano e ravanello giapponese キジとダイコンのコンソメ風味ズッパ」で締めとなりました【注】。猟師が酒田市黒森地区で獲ってきたというキジの骨をベースに色付けのため少量加えた庄内牛から取ったコンソメを、更にキジの肉をベースに旨みを凝縮さる贅沢なダブルコンソメ風味のZuppaズッパ(=スープ)には、鶴岡市東堀越にある毛呂農場「楽土苑」産のオーガニックなダイコンとキジの骨付き腿肉が入っていました。土田料理長が抜いてくるダイコンは、さほど煮込んでいないのか歯応え充分。ダイコンは加熱した後に一旦冷めないと味を吸い込まないため、キジのコンソメ味を沁み込ませるために一度冷ましたものだそう。

chizuo-fumiko-moro.jpg

 鶴岡市内で歯科医院を営む毛呂千鶴夫さん・富美子さんご夫妻が農作業の楽しさを知ったのは今から45年前。週末の家族の楽しみのため、酒田市南端の庄内砂丘が広がる浜中地区で3,000坪ほどの農地を手に入れます。そこでご夫妻は収穫の喜びと、多くの素晴らしい人々との出会いを得たといいます。四半世紀に渡って徐々に作付けを増やし、9,000坪まで拡げた農地が庄内空港の用地として接収されることになったのは、時代が昭和から平成に変わる頃でした。それから間もなく旧藤島町東堀越の小高い丘にあった県立庄内農業高校の実習農場35,000坪あまりが農地集団化事業によって民間に払い下げられることになります。毛呂ご夫妻は1991年(平成2)から、その地をさまざまな人々が集う営利を目的としない毛呂農場「楽土苑」と名付け、理想の農園作りに着手します。

moronojyo1.jpg【photo】毛呂農場「楽土苑」

 歯科はご子息に任せ、ご夫妻は市内のお住まいから農場へ通う毎日。ご自身が食べたいものを揃えたという農場は現在45,000坪に達します。広大な農場で育つコメや多種多彩な野菜、果物は、一般の流通には乗せずに全て開苑以来ずっと無農薬で栽培されています。ご夫妻と専従職員のほか、ボランティアの人々によって運営される農場では、地域の高齢者や子どもたちのため、そして外国からの留学生や障害を持った人たちにも定期的に収穫した作物を提供しています。45年前、家族のために始めた農作業は、今では大きな人の輪を生み出しています。

 かたや最上川河口の南側にあたる酒田市黒森地区は、山形自動車道を挟んで海側には庄内砂丘に植林された黒松林が、内陸側には一面の水田が広がっており、狩猟期にはキジや越冬のためにシベリアから最上川河口付近にやって来る真ガモや小ガモなどの猟場となっています。スープに入っていたキジは、この付近では良く見かける野禽です。骨を取り除いて引き締まった肉をコンソメスープと共に噛み締めていると、奥歯にガリッと当たるものが。
fagiano_sandan.jpg【photo】キジから出てきた今年最後の大当たりこと散弾

 おぉ、これぞジビエシーズンならではの「当たり」こと、猟師が放った散弾が肉の中に残っていたのでした。それも一つだけではありません。2粒までは口から出したのですが、最後に口の中に残った大きめの弾の塊と思われる部分は、不覚にも口から出す際にこぼれて見失ってしまいました。狩猟文化が発達したヨーロッパでは、獲物に残った散弾を幸運の証として、料理に紛れ込んだ人を祝福する伝統が残っています。哀れズドン!とやられたキジ君にとっては"Mamma mia !"な巡り合せかもしれませんが、食べ納めで当たりが出るとは縁起が良いので、弾を持ち帰ることにしました。スープに入ったキジ君は弾と骨を取り除いて残さず頂きました。 (⇒だから成仏してね)

 一年間お付き合いいただいた皆さん、縁起物の散弾の画像に良い年となるよう願掛けをして下さいね。それでは、良い年をお迎えください。Buon Natale e Felice Anno Nuovo!

▲12月末まで行われた「仙台・宮城デスティネーション・キャンペーン」と同時進行で年内一杯展開中だった「新潟・庄内プレ・デスティネーション・キャンペーン」期間中に「ごっつぉだの もっけだの」シリーズを年内フィニッシュできなかった・・・。ん~残念! 何故なら当キャンペーンのテーマは「ごっつぉだの もっけだの 食の都庄内」だったから。→ (実は非公認の"便乗シリーズ企画"だったのです。アハハ...^ ^) でもキャンペーン本番は2009年の秋だから、ま、いいか.。
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【注】2008年食べ納めお任せメニュー@アル・ケッチァーノ
 ※Clickで画像が出ます
 1:オオイヨ(イシナギ)の冷製カッペリーニ
 2:岩魚と寒鱈のスモーク ミルフィユ仕立てヒロッコ(=アサツキ)の香り
 3:タタキ風メジマグロと井上農場のスーパー小松菜
 4:カリフラワーのペーストと鮑の酒蒸し炙り
 5:栗のリゾットと庄内牛のタルタル
 6:アンコウの柚子オイルフォンデュ
 7:ズワイガニのキタッラ
 8:バルサミコ風味の山芋とノドグロのソテー石川産黒塩味で
 9:庄内牛のタンとフォアグラ ボイルしたキャベツ 黒トリュフの香り
10:柿しぐれ 萱の実とフェンネルのインサラータ
11:羽黒羊のローストとスパイシーなフライドポテト
12:キジとダイコンのコンソメ風味ズッパ
13:お好みドルチェ(→ 時間が遅かったため残り物から選択)
  ババとラムレーズンのジェラート
   ズコット
   わんぱく卵のカスタードプリン

   濃厚カスタード シュークリーム

※Bevandi
 1:Vina del casa 「水酒蘭 / 鯉川酒造」
 2:Vino rosso 「Brunello di Montalcino Campogiovanni '97/ San Felice
         ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ・カンポジョヴァンニ'97年/ サン・フェリーチェ」
  → Felice Anno Nuovo(新年)を迎えるにあたり、Felice(幸福)を祈って店にもちょっぴり寄進


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2008/12/23

新・ごっつぉだの もっけだの

≪地の恵みに癒された濃密な一日≫
「もっけだの」中篇 @月山パイロットファーム

 食を介した人との絆で結ばれた庄内での一日ついてご紹介してきた「ごっつぉだの篇」「もっけだの」前篇と続いてきた「ごっつぉだの もっけだの」シリーズ。実りの季節の頂き物で溢れ返った私の休日もいよいよ佳境に差し掛かってきました。

keiko_kazu_08.10.jpg【photo】今年の「Wa!わぁ祭り」に参加した相馬さんご夫妻

 旧朝日村越中山の進藤さんのもとを発ち、左手に庄内平野を一望する高台を進む「庄内こばえちゃライン」を北上、次なる目的地「月山パイロットファーム」に向かいました。それでいて実はそこに立ち寄るかどうか途中まで迷っていたのです。何故なら月山パイロットファームの相馬 一廣さん・恵子さんご夫妻は、5日後の10月26日(日)に開催される「あいコープみやぎ」恒例の「Wa!わぁ祭り」に毎年鶴岡から参加され、甘みがある身が詰まった男爵イモの煮転がしや自然な味付けの無添加漬物などを試食できるブースを出されているからです。私もそこでお二人にお会いするのを楽しみにしています。あいコープみやぎでは「安全なものを食べたい」「子供に本物の味を伝えたい」という思いから、厳しい取り扱い基準を設けています。その方針に賛同した生産者や食品加工業者からなる「共生会」の会員が消費者と直接触れ合う場であるWa!わぁ祭りは、自宅から自転車ですぐの距離にある台原森林公園を会場として毎年秋に行われています。

【photo】多くの来場者で賑わった今年の「Wa!わぁ祭り」wa!wa_festa08.jpg

 相馬さんは、1947年(昭和22)、稲作が盛んな旧藤島町の三和地区で米作農家の長男に生まれます。山形大学農学部卒業後、ご両親から受け継いだ3.8haほどの水田で、その頃急速に進んだ機械化と肥料・農薬を投入して増産と省力を目指す"近代的な"コメ作りを始めます。そのかたわら数頭の乳牛飼育を手掛け、稲作と畜産の複合による当時もてはやされた営農スタイルを取り入れます。就農7年目の1977年(昭和52)、月山山麓の旧羽黒町川代(かわだい)地区の未開地を農地に転用する国営開拓事業への入植募集が行われます。当時は機械化によって農業の効率化が進む反面、その2年前に出版されベストセラーとなった「複合汚染」で作者の有吉 佐和子が問題提起した通り、生態系が近代農法を支える農薬によって破壊されていることが広く認知され始めていました。
keiko-kazu2.jpg【photo】無農薬栽培した男爵イモを煮っ転がしにしてWa!わぁ祭りで振舞う相馬 一廣さん

 除草剤の普及によって重労働だった田の草取りからは解放されたものの、ドジョウやオタマジャクシが駆逐された生気のない無機的な水田でコメを作る慣行農法のあり方に疑問を感じていた相馬さんは、環境破壊を引き起こさずに食糧供給を行う手段として「有機農業」という言葉を我が国に広めた先駆者である一楽 照雄(1906-1994)が1971年(昭和46)に結成した「日本有機農業研究会」に知人の紹介で入会します。そこでは食糧生産に携わる生産者こそが消費者の意識を変える立場にあることや、両者が直接手を携える関係の上に成り立つ協同組合組織の可能性などが語られていました。会を通じて知り合った「生活クラブ連合会」から無農薬のバレイショ栽培を打診された相馬さんは、その巡り合せに自らの進むべき道を見出します。戦後の食糧難の時代を経て、生産効率を上げることが重んじられた当時、今でこそ環境保全型農業が普及する庄内地方でも、その言葉すら認識されていなかった有機農業に無農薬で取り組む生産者は存在していなかったといいます。

 30歳を迎えたばかりだった相馬さんは、一楽 照雄の勧めもあって処女地ゆえに土壌汚染を免れていた川代の開拓地 6haを借り受け、その実験農場(=パイロットファーム)を舞台に理想とする農と食のあり方を恵子夫人と共に模索しようと決意します。ところが入植地は砂礫や岩がゴロゴロする火山性の赤土で、加えて植物にとっての三大栄養素であるチッソ・リン酸・カリウムの含有量が検査の結果ゼロ!!という厳しいものでした。家畜の糞や稲藁・落ち葉・おが屑などの有機堆肥や米ぬかを発酵させたボカシ堆肥を使って土作りを文字通り一から始めなくてはなりませんでした。

patata_soma.jpg【photo】相馬さんの出発点となったのは、直径4cmほどのゴルフボール大の小さな男爵イモだった

 生活クラブの求めに応じて20トン分の収穫が見込める量の男爵イモと、痩せた土地でも栽培しやすいソバと少量の大豆も作付けしますが、そうたやすく荒れ地から収穫を得ることはできません。種芋を植え付けしながらも、「これは無収穫に終わるかもしれない」という思いがよぎったそうです。何とか発芽はしたもののバレイショには褐色の斑点が付く「そうか病」が発生、初年度に収穫できたのはピンポン玉程度の小さなもの10トン程度がやっとでした。通常40g以下のジャガイモは一般には流通しない規格外とされます。小さいながら試食してみた味には自信があったので、サンプルを送った生活クラブ側から、「美味しい男爵なので取り扱いましょう」との連絡が相馬さんのもとに入ります。「来年はどの程度作付けを増やして頂けますか?」という嬉しい問いかけにそれまでの苦労が報われた思いがしたそうです。以来、生活クラブとは30年以上の関係が続いています。仙台圏から石巻・一部宮城県南地域在住の方が利用できる「あいコープみやぎ」以外では、「大地を守る会」といった直販組織でも月山パイロットファームの食品を扱っています。

 相馬さんが一貫して追い求めてきたのは、「人間が口にするのに値する食べ物を、永続可能な方法で生産する」ことでした。収量効率を上げる化学肥料や農薬に依存せずに、土地の気候に合致した植物が本来持っている生命力を引き出し、連作障害を出さずに地力を上げるために、50品目にも及ぶ作物を手掛けてゆくなかで、およそ10年の歳月をかけて独自の輪作体系を編み出しました。簡単に説明すると、夏にナス科に属するバレイショや民田ナスの収穫を終えた畑では、秋冬野菜の赤カブやダイコン・青菜・カラシ菜などアブラナ科の作物を育てます。翌年は土中のリン酸の吸収効率を高める働きをする緑肥としてひまわりやイネ科の飼料作物であるソルゴーを、3年目は特産のだだちゃ豆や青大豆といったマメ科の植物を、4年目はユリ科のネギ・アサツキを、5年目はセリ科のニンジンを、6年目はイネ科の大麦・ビール麦を、という具合に異なる6科目の作物を育てることで、土壌消毒をせずに病害虫の発生を抑えるのです。

prodotti_soma.jpg【photo】月山パイロットファーム製の地方色豊かな漬物各種。左より民田ナスの辛子漬特別仕様、食用菊「もってのほか」甘酢漬、ハリハリ大根。いずれも素材の味を活かした自然な味付けがなされている

 栽培した作物を漬物に自家加工する施設では、防腐剤や着色料などの添加物を一切加えません。理想とする資源低投入型の生産手法を推し進めるため、従来から豚糞を加工した堆肥を仕入れていた㈱平田牧場の新田 嘉七社長と模索していた取り組みを4年前から実践しています。酒田と鶴岡にある平田牧場直営のとんかつ店【注】には、かねてより漬物を納めていました。その際、店から使用済みの廃植物油を安価に譲り受け、バイオディーゼル燃料(BDF)に転用して農機の動力に活用しているのです。一定量の確保と安定稼動が可能なBDF精製プラントの建設には350万ほどの投資が必要とされます。しかし月山パイロットファームでは、目と手が届く範囲の耕作に必要な最小限の量を確保するだけでいいのです。自宅敷地内の納屋でメタノールとアルカリ触媒となる水酸化カリウムを家庭用ミキサーで調合後、廃油に混ぜるという独自の加工法でBDFの精製に成功、トラクターなどの農機や農耕用小型トラックの燃料として使っています。植物油から精製したBDFは、植物が生育段階で大気中のCO2を固定するため、地球を取り巻くCO2総量に影響を与えないと見なされます。

pilotfarm-jyosou.jpg【photo】 夏の庄内特有の強い日差しのもと、トラクターでジャガイモの除草作業が続く

 8年前に跡を継いだ長男の大(はじめ)氏が法人としての月山パイロットファーム代表を引き継いだ現在でも、ほぼ目処がつきつつある独自の資源低投入型循環農法をより理想形に近付けるための挑戦は続いています。作物の収穫によって分け前を得た土の力を蘇えらせるため、単に堆肥を投入するのではなく、大気中の窒素を固定化させる機能がある大豆などマメ科の作物の作付けによって窒素系肥料の使用を抑えるといった、植物が本来持っている力を借りる農業を実践しているのです。一貫して反対の意思を明確に打ち出している遺伝子組み換え技術に頼ることなく、土に極力負担を与えずに永続的な収穫を得ること、次の世代のために地球資源を浪費せず、究極的には作物の種を撒くだけで収穫が持続できる術(すべ)を見出すことが自らの使命なのだと考えておいでです。アジア・アフリカ地域の農村開発従事者を留学生として招き、自立を目指す指導者として養成するNGO団体「アジア学院」の学生受け入れにも18年前から積極的に関わってきました。どこか飄々としながらも飾らないお人柄と遥かな地平を見据えたその姿勢にはいつも畏敬の念を禁じえません。

Tramonto_haguro_08_10_21.jpg 秋の日はつるべ落としの喩え通り、金峰山の稜線に赤く染まった太陽が沈みゆく光景に車を停めてしばし見とれました。旧羽黒町を縦断する庄内こばえちゃラインから眺める庄内の美しい田園風景には、いつも心が癒されます。週末のWa!わぁ祭りでお会いする際に買わせて頂く漬物の予約をしようと事務所を訪れた私をいつものように柔和な笑顔で迎えて下さったさった相馬さん。9月末に収穫した有機無農薬栽培のササニシキ新米5kgを「食べてみて」と持たせて下さいました。平田牧場の堆肥を10aにつき1t 投入、菜種油粕と魚粕を主原料とする有機アグレットという肥料を使用し、除草機と手作業で3度の草取りを実施して育てる相馬さんのササニシキ。かつては庄内地方で最も栽培が盛んだった宮城生まれのこの品種が最も美味しいコメだからと、周囲では後発の品種「はえぬき」がササニシキに取って代わってゆく中で、今も栽培を続けています。普段はササニシキを食べない我が家ですが、10aに200万匹の生息が確認されるイトミミズやカブトエビの幼生など、多彩な生態系の存在が確認されている相馬さんの田んぼで育ったササニシキは話が違います。圧力釜で炊いたツヤツヤしたご飯には、コシと粘りがあって甘さと香りもまた格別。宮城が生んだササニシキの実力を庄内産の米で見直すという、なんとも妙ちくりんな宮城県人なのでした。

riso_patata_soma.jpg  【photo】この日相馬さんに頂いた有機無農薬栽培したササニシキとバレイショ

 Alfa Brera のトランクにササニシキを積み込む私に「ちょっと転がしてみる?」と、還暦祝いで昨年手に入れた愛車Alfa 147 GTAのキーをちらつかせる相馬さん。迷わず誘い水に応じた私はまず助手席へ。農場前に伸びる直線道路で250馬力を発生する3.2 リッターDOHC4バルブV6エンジンの実力を体感させて頂きました。排気口からトンカツの香りがほのかに漂うBDFのトラクターで大地を耕すエコファーマーが一転、官能的な音を奏でながら強烈な加速Gを体感させてくれるギャップがまた愉快ではありませんか。相馬さんは旧藤島町の助役を務めておられた2003年(平成15)秋、有機農業を通したイタリア・マルケ州アンコーナ県にある町Arcevia アルチェヴィアsoma_prugatori@arcevia.jpgとの交流を図る目的でイタリアを訪れます。同町のオペラハウスで行われた有機農業の意義と可能性に関する報告会の席上、突如求められたスピーチを壇上で堂々とされたお姿が思い起こされます。両町の交流の橋渡しをしたアル・ケッチァーノ奥田シェフらと共にイタリアにご一緒し、伝統的バルサミコ酢と生ハムの加工現場見学のためにモデナとパルマを訪れた際、すぐ目と鼻の先にある車好きにとっての聖地、Maranello マラネロにあるフェラーリ本社工場とGalleria Ferrari フェラーリ博物館に行きたいと、しきりに仰っておられたのが相馬さんでした。日帰りで往復700kmを走破する超・強行スケジュールだったため、結局マラネロ行きは断念。非力なFIAT製ワゴン車のアクセルをベタ踏みし続けた私の右足が攣(つ)るという稀有な体験をさせて頂きました(^_^;)

【photo】シルヴィオ・プルガトーリ町長列席のもと、アルチェヴィア庁舎で行われた旧藤島町との友好都市協定の調印に凛々しい紋付袴姿で望んだ相馬さん

patata_del_casa.jpg

 去り際に「これも持って行って」と箱一杯に詰めたジャガイモまで相馬さんから頂いてしまいました。いやはや、もっけですぅ。その週末に仙台で催されるWa!わぁ祭りで、引き締まった身に甘辛い醤油タレの味が染み込んだジャガイモの煮っ転がしを頂くつもりでいました。これで自宅でもたっぷりと煮っ転がしを味わえます。作り手にとってはとりわけ思い入れが深いであろう小さな男爵には、その人が追い求めてきた飛び切り大きな食をめぐる夢がたっぷりと詰まっているのでした。

【photo】相馬さんから頂いた男爵で作った自家製の煮っ転がし

 そこから訪れようと思っていた目的地はまだ7箇所が残っていました。ラストスパートをかける前にロングドライブの疲れを取ろうと向かった先は、温まりの湯として抜群の泉質を誇る鶴岡市北端に位置する長沼温泉「ぽっぽの湯」です。150km以上離れた仙台で暮らすにもかかわらず、石油系の残り香が翌日まで持続する個性的な褐色のお湯がすっかり気に入ってしまい、地元以外では持つことが稀であろう入浴回数券すら持っています(笑)。いつものように体の芯まで温まったところで、平田赤ネギ調達のため、片道15kmは優に離れている酒田市飛鳥地区まで北上するにはちょっと遠いなぁ、と内心思いつつ、風呂上りに電話を掛けた平田赤ねぎ生産組合の組合長、後藤 博さんが居た場所とは・・・。


最後の ごっつぉだの もっけだの この展開はやっぱり「猿の惑星」シリーズだ...)
≪地の恵みに癒された濃密な一日≫
「もっけだの」後篇「最後のごっつぉだの もっけだの ~人の恵みに感謝。」へ続く

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<相馬家特製・ホクホクで香ばしい芋の煮っ転がし>

【材料】
(できれば月山パイロットファーム産の)男爵  適量

【調味料】
醤油 1.5 : みりん 1.5 : 砂糖1.5
酒 0.5
水 4

①ジャガイモを水洗いして熱湯で10分間下茹でする(無農薬なら皮は剥かずともOK)
②水分を飛ばした後で10分間油で揚げる
③水4に対して醤油・みりん・砂糖は1.5ずつ同量の割合で加え、酒少量(0.5相当)でコクを出す
④上記調味料を煮立たせてコトコト20分間イモを煮る
  →→→んめの~!

(有)月山パイロットファーム
  鶴岡市三和字堂地60
  TEL:0235-64-4791


【注】平田牧場では、地元と東京以外では初となる直営店を仙台市青葉区の複合ビル「仙台ファーストタワー」商業棟に出店を計画していることを先日明らかにした。これで仙台市民も、同社が日本の食料自給率向上のために取り組んでいる庄内産「こめ育ち豚」プロジェクトと、ブランドポークとして名高い「平牧三元豚」、トドメは「金華ハム」に使われる中国原産で異次元の肉質に昇華する「平牧金華豚」(→ホント旨いんだ、コレ)を通して、食の都・庄内の実力のほどと新たな魅力を知るはずである。ムフフフ・・・・

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2008/12/13

皮から作るギョウザ教室

「仙台友の会」が伝える料理の心

 せんだい男女共同参画財団が主催する「エル・パークフォーラム2008」の一環として、11月29日(土)に「パパと一緒にランチ作り~皮から作るギョウザ教室」が行われました。有機リン系殺虫剤が混入した中国製冷凍ギョウザによる健康被害が発生、改めて食の安全に警鐘が鳴らされた2008年。比較的簡単に入手できる既製品の皮を使うのではなく、小麦粉から皮を作るところからギョウザ作りを教えて頂けるというので、娘と一緒に参加してみました。gyouza1.jpgデュラム・セモリナの生地に詰め物をしたパスタ、「Ravioli ラヴィオリ」や「Agnolotti アニョロッティ」「Tortellini トルテッリーニ」などに近しいギョウザには、ついシンパシーを感じてしまう前世イタリア人なのです。

 講習会の企画・運営に当たったのは、雑誌「婦人之友」の読者を中心に組織された「全国友の会」の仙台における地域組織「仙台友の会」の女性たち。青森県八戸市出身で日本初の女性ジャーナリストとなり、のちに婦人之友を創刊、学校法人「自由学園」を創設した羽仁 もと子の思想に賛同する約190名の会員によって、心豊かな暮らしを目指す会員相互の学習会や一般向けの講習会などが定期的に開かれています。当日会場となった仙台市青葉区一番町にあるエルパーク仙台「食のアトリエ」には、8組の親子が参加しました。そのうち父親が参加したのは3組。土曜日の催しだけに、主催者側はもっと多くの父親の参加を期待したはずです。土日でも仕事に追われるご同輩も少なくないとは思いますが、世代を超えて分かり合える食を通して子どもさんと触れ合う時間を持つことは、世の男性諸氏にとっても新鮮な発見があると思うだけに、ちょっと残念に思いました。

gyouza2.jpg【photo】会場となったエルパーク仙台「食のアトリエ」での講習の模様

 冷凍ギョウザに高濃度のメタミホドスが混入した事例以外にも、安さを売り物に市場を席巻する勢いだった中国産野菜で頻発した残留農薬や中国産乳製品と加工食品への化学物質メラミンの混入、三笠フーズによる事故米の不正転売、相次いだ食品への異物混入、廃業に追いやられた船場吉兆による使用済み食材の使い回しや産地偽装など、今年は食に関連するスキャンダルがイヤと言うほど頻発しました。昨年発覚したミートホープや不二家、赤福などによる不祥事に続いて食への不信が一層募った年だったという印象をお持ちの方が多いと思います。ずさんな衛生管理や悪質な偽装表示などで消費者が被害を受けた以上、食をあずかる自らの重責を忘れ、モラルが低下した企業の行いは糾弾されて然るべきです。これら一連の耳を疑う出来事からは、私たちの窺い知らぬところで命を支える食を取り巻く環境が、危うい不安だらけの状況に陥っている構図が浮かび上がってきます。

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【photo】講師の水野 幸さん

 「価格破壊」が、消費者から諸手を上げて歓迎された観のあるここ数年。地元スーパーの新聞折込チラシは勿論のこと、他地区の折込チラシまでもパソコン上でチェック可能な電子チラシにも入念に目を通す方が増えつつあるようです。"一円でも安いものを"とPCに向かう主婦(ときに主夫)の皆さんが、毎週のように目にしたのが、冷凍食品全品4割引というセールの見出しだったと思います。共働きの家庭が増える中、忙しい時間と家計をやりくりする上で、「レンジでチン」の手軽さと冷凍技術の進歩による商品ラインナップの充実が相まって、冷凍食品は年々消費を伸ばしてきました。

 「少しでも安いものを」という消費者ニーズの高まりに対し、原材料費など調達コストの効率化を迫られた供給側は、豊富で安い労働力に支えられた中国やタイなどアジア諸国に生産拠点を移すことで、低価格を実現させました。輸入量が最も多い中国製の冷凍食品は、過去10年で4万トンから20万トン余りと増加の一途を辿っています。昨年末から年初にかけて健康被害を引き起こした中国河北省にある「天洋食品」製のCO・OPブランド手作り餃子は、40個入り一袋の実勢価格が300円そこそこという低価格で店頭に並んでいたようです。天洋食品は最新鋭の生産設備を備えており、安全管理上の不備は認められないと中国側は事件発生当初から強調してきました。日本国内で農薬が混入された可能性を示唆するその主張は、中国国内でも同社製のギョウザで健康被害が出ていたことが8月に判明、脆くも崩れ去りました。過失による事故よりも、故意に混入させた可能性が強いとされる耳目を集めた事件の原因究明が待たれるところです。

【photo】力をかけずに軽く転がすだけの見事な手つきで娘に生地作りを指南する水野さん

gyouza4.jpg 問題となった冷凍ギョウザの国内への侵入を招いた水際での検疫体制に不備は無かったのでしょうか。全国の港湾・空港などに設置された31箇所の検疫所で働く食品衛生監視員は総勢330人あまり。食品衛生法の安全基準に沿って添付書類を審査の上、サンプル採取した食品について発ガン性物質の有無や基準値以上の農薬が残留していないかなどを検査します。平成19年度に検査を受けたのは20万件弱。通関の届出がなされた180万件に及ぶ輸入食品のうちの11%程度に過ぎません。法令違反が見つかり積み戻しや廃棄処分の措置がとられた事例は1,150件、届出件数全体の0.1%だといいます。全体の3割と届出件数が最も多く、違反も最多の376件と全体の32.7%に相当するのが中国産でした。

 供給は需要の上に成り立つ市場原理からすれば、ギョウザ事件は一概に中国側の非ばかりを責めるわけにはいきません。たとえ生産設備は最新鋭だとしても、農村部から低賃金で駆り出された中国人労働者には食べる人を思う気持ちなどないはず。BSEの不安が拭いきれないまま政治決断で輸入再開に踏み切った後も、危険部位の混入が幾度か報告されている米国産牛肉しかりで、海外に依存した価格の安い輸入食品ばかりを消費者が支持すれば、コストと手間をかけて確かな品質を維持しようとする国内の生産者は、ただ痩せ細ってゆくばかりです。本来私たちの食卓を支えてくれる善き隣人であるはずの国内の生産者や良心的な業者は、消費の減退と極端な価格下落傾向の中で喘いでいるのが実情です。食品スキャンダルが頻発する背景には、大切な家族の命を支える食べ物すら、作り手と食べ手が互いに顔の見えない関係にある輸入品に頼らざるを得ない日本の現実があります。悪徳業者がつけ入ったのは、食べ物をないがしろにし、目先の安さばかりに目を向けてきた消費者が増えた風潮にも一因があり、私たちはそのツケを払わされている気がしてなりません。

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 【photo】 麺棒を使って、いともたやすく生地ダマから丸く揃った皮を作る水野さん熟練の技

 皮肉な現象ですが、中国産冷凍ギョウザによる中毒事件の発生により、国内最大のニンニク生産地である青森産ニンニクの需要が業務用を中心に急増しています。卸値ベースで昨年比3割から5割高と価格が急騰、ニンニクの町として知られる田子町(たっこまち)では、収穫を間近かに控えたニンニクの盗難まで発生しました。価格の安さを武器に市場を席巻してきた中国産に押される形で、年々作付けを減らしている国内の農作物の例に漏れず、田子町でもニンニクの作付けは減少傾向にあります。昨年より作付け面積が減っていたため、逼迫する需要に応えられないジレンマにあるのだともいいます。40%に届かない食料自給率の向上の必要性は頭で理解していても、値段が安い輸入品を選んできた消費者が実際に国内製品を買い支えなければ、旱魃や病害虫の発生などの原因で輸入がストップした場合でも、放置された畑で急に自家調達に切り替えるわけにはゆかないのですから。

【photo】水野さんが講習会場に持参した馬遅伯昌さんが最初に著した「中国の家庭料理」(写真左・昭和32年刊)と昨年発行された最新刊の「馬家の家常菜譜」(写真右)

gyouza7.jpg 今回、手作りギョウザ教室の講師を務められたのは、83歳になる水野 幸(ゆき)さん。レシピのベースは、水野さんが長年に渡って愛用しているという中国料理研究家の馬遅伯昌(マーチーハクショウ)さんが1957年(昭和32)に著した「中国の家庭料理」で紹介した蒸餃子の調理法<前半click!><後半click!>です。馬遅伯昌さんは1917年(大正6)、中国ハルビンで実業家の家庭に生まれ、自由学園への留学を経て帰国後に結婚、1948年(昭和23)に再来日を果たします。戦中・戦後の激動の時代、不幸にして中国と日本の国交が途絶えた間も、両国の橋渡しをしようと、今日に至るまで20冊以上に及ぶ著作や講習などを通じて、中国家庭料理の普及に尽くされました。90歳を超えた今も次女の馬(マー)へれんさん、へれんさんの長女である馬衣真(マーイマ)さんの親子三代で料理研究家として活動を続けています。三人の共著として昨年発行された「馬家の家常菜譜」(婦人之友社刊)では、母から娘、娘から孫へと伝えられた家族を思う愛情に満ちた料理の心がそれぞれの言葉で語られています。

gyouza8.jpg【photo】無駄のない動きで生地を仕上げる水野さんには伊藤さん親子も見とれるばかり

 強力粉に熱湯を加えて、生地の表面が滑らかになるまで手ごねする水野さんの実演でいよいよ調理がスタートです。親子2組でひとつの調理台を使い、そこに一人ずつ仙台友の会の会員の方がサポートに付いて下さいました。ご一緒したのは、小学2年生の伊藤 杏樹ちゃんとお母さんの千春さん。最初は熱くないかと恐る恐るだった子どもたちも、粘土遊び感覚の作業に楽しそうに取り組みます。およそ5分も手ごねすると、もっちりとした触感に生地が仕上がります。濡れ布巾で包んで30分ほど生地を休ませる間に、中に詰める餡作りをしてしまいます。包丁を手に白菜やニラを刻み、調味料を加えて手で挽肉と練り合わせてゆきます。コツは「美味しくなーれ、美味しくなーれ」と念じることだそう。食べる人を思う愛情こそが、一番大切で欠かせない家庭料理の味付けになるのですね。

gyouza9.jpg

 と、ここまで順調だったギョウザ作りの山場はそこから。細長く伸ばして直径4cm×厚さ3cmほどの大きさに刻んだ生地から、水野さんが麺棒を使って形の揃ったギョウザの皮を鮮やかな手つきで作り出すさまは、まるで魔法を見せられているかのよう。見よう見まねで生地の内側から外側に向けて麺棒を転がすものの、出来るのは不揃いないびつな形のものばかり。無理に形を整えようとすれば、皮が薄くなって破れてしまいます。ふぅ~、どうにもこうにも水野名人のようにはいきません。そりゃそうですよ、年季が全く違いますから・・・。

【photo】見よ、この見事なまでに形が不揃いな我ら大雑把なO型血液親子の迷作ギョウザ!!(笑)

 馬遅伯昌さんが馬へれんさんと馬衣真さんに伝えたのは、単に馬家に伝わる家庭料理の技術だけではありません。かつて自分がそう育てられたように、次世代にとって善き模範であるよう、たっぷりと愛情を込めて手作りした家庭の味を母から子へと受け継いでゆくこと。小さな頃から家庭で本物の味に親しんできた娘のへれんさんは、自ずと食の大切さを理解し、母を手本に研鑽を積んで身に付けたものを再び娘の衣真さんに伝えてゆきました。「人」を「良」くすると書く「食」という文字の意味を実践するかのように、悪戦苦闘しながらも和気藹々と皮作りに励む親子のもとを回りながら、お手本を披露する水野さん。その姿は、食べることを大切にしてきた馬家三世代の思いのように、尊いものであるように映りました。伊藤さん親子に寄り添って生地作りをしてみせる水野さんは、あたかも血の繋がった実のおばあちゃんのようですらありました。

 同じく手作りしたワカメスープが出来上がり、こんがりとギョウザがキツネ色に焼き上がったところで、お待ちかねの試食です。たとえ形はいびつでも、手のぬくもりが伝わるモチモチした香ばしいギョウザの味はまた格別です。伊藤さんとはお互いが作ったギョウザを交換して「美味しいですねー」と健闘を称え合いました。「ここで教わった手作りのギョウザをぜひ家庭でも作って下さいね」と仰られた水野さんの言葉を胸に家路に着いたのでした。

【photo】水野さんが作ったギョウザも試食。当然のことながらこちらも美味しかったぁ。

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【もちもち焼きギョウザ(30~40個分) 材料と分量】

①ボウルに粉を入れ熱湯を加え、箸で混ぜる。まとまってきたら滑らかになるまで良くこねる。濡れ布巾に包んで30分以上寝かせる。
②白菜をみじん切りにして、分量比1%の塩を振り、しばらく置いて水気をしぼる。(キャベツを使う場合は茹でる)
③挽肉、野菜、調味料をあわせて充分に練り混ぜる
④寝かせておいた生地を棒状にし、30~40個に切り分ける。
⑤打ち粉をした台の上で、手のひらで平らにつぶし、麺棒で7~8cm大の円形にする。
⑥皮が出来たら、具を載せてひだを取りながら包む。 ※閉じる際の水は不要
⑦熱した鍋に油を入れ、焦げ目がつくまで焼く
⑧熱湯をギョウザの半分くらい(1cm程度)まで注ぎ、蓋をして水分がなくなるまで蒸し焼きにする。
  タレは酢醤油、ごま油、七味唐辛子などを加え、お好みで
  水ギョウザ、蒸ギョウザの場合は、熱湯ではなく、水で練る

〈皮〉

  • 強力粉   2カップ(220g)

  • 熱湯  3/4カップ(150cc)

  • 打ち粉   薄力粉を適宜使用
  • 〈具〉

  • 豚挽肉  200g

  • 白菜   400g → キャベツでも可

  • ニラ  1/2把

  • 長ネギ   1/2本

  • ニンニク  小1ケ

  • ショウガ  小1ケ
  • 〈調味料〉

  • 酒  大さじ1 

  • 醤油  大さじ1

  • ごま油  大さじ1

  • 砂糖  小さじ1

  • 塩   小さじ 1/2弱


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    2008/12/06

    続・ごっつぉだの もっけだの

    ≪地の恵みに癒された濃密な一日≫
    「もっけだの」前篇 @佐久間ファーム

    「ごっつぉだの」篇 より続き

     ぶどう狩りのノボリ旗を立て、一般客を受け入れるようになった今シーズンから、「佐久間ファーム」という名前が付きましたが、5年前から畑を見てきた私にとっては「佐久間さんのブドウ畑」と呼んだほうがしっくり来ます。鶴岡市西荒屋にお住まいの佐久間 良一さん・みつさんご夫妻は、三箇所に分散した合計50アールの畑でブドウを育てておいでです。左手に朝日山塊の最北端に位置する母狩山(ほかりさん)、前方の彼方に鳥海山を望むR112号西荒屋地区周辺では、ブドウ棚をよく目にします。佐久間さんのご自宅からすぐ近くにある河内神社には、そこがブドウと深い縁で結ばれた地であることを窺わせる1926年(大正15)8月に建てられた「葡萄圃復興之記碑」なる石碑があります。碑文には明治期に主力品種となった甲州種が、明治中期に導入された米国種の影響で病気が蔓延、ほぼ壊滅状態に陥るものの、大正期に関係者の努力で復興を遂げた経緯が記されています。
    uva_koshu.JPG【photo】櫛引地区特産の甲州ブドウ

     庄内地方は、対馬海流の恩恵で比較的温暖な気候であること、良質で豊富な水と肥沃な土壌に恵まれていること、夏季の日照量が全国屈指であることなどが幸いして、平野部を中心に一大穀倉地帯となっています。その上、野菜類を中心に現在60品目以上の存在が確認されている中からごく一部を「『足もと』のこと」の中でご紹介してきた個性豊かな在来作物に加えて、庄内柿などの果樹栽培も盛んに行われています。その中には酒田刈屋地区のナシ、庄内砂丘のメロン、羽黒地区松ヶ岡のモモなど、すでに特産化されたものも少なくありません。特に鶴岡市櫛引地域では「フルーツタウン」と称されるほどに果樹類が数多く栽培されています。初夏のサクランボ【注1】に始まり、夏から秋にかけてはモモ・和ナシ・ブドウが。晩秋には洋ナシ・リンゴ・庄内柿など、季節ごと旬の果物で溢れます。一地域でこれだけ多くの種類の果樹が多品種に渡って栽培される例は全国でも稀だといいます。旬が異なる果樹をさまざまに栽培することは、病害虫による壊滅のリスクを避けるうえで、非常に理にかなったことでもあります。生物多様性はそんな意味からも有効なのですね。

    hannkotanna.jpg【photo】 すわブドウ畑に覆面姿の果物泥棒登場かっ!? いえいえ違います(笑)。今年の5月末、庄内の伝統的な農作業服である「ハンコタンナ」姿でブドウの摘果作業にあたる佐久間みつさん。お顔は後ほど・・・

     櫛引地域で果樹栽培が盛んなのは、海に面した庄内でも山あいに近く、昼と夜で海から吹く風と山からの風が入れ替わることで大気が新鮮な状態に保たれ、寒暖の差が大きいため、果樹栽培に適したミクロクリマ(=局地気候)であることが要因として挙げられます。傾斜が急な山間地を流れる赤川上流域の大鳥川と梵字川が出合う旧朝日村落合から下流の西片屋・東荒屋・西荒屋など赤川左岸の一部地域は、もともと水田に不向きな保水性の悪い砂利が多い土壌でした。現在R112櫛引バイパスが通る一帯は、かつて毎年のように発生する赤川の氾濫によって上流から運ばれる砂礫が表土として堆積する荒れた土地だったのです。耕地への被害を伴う大規模な洪水は、近年になって以降も昭和15年・28年・44年・46年・62年に発生しています。洪水の影響を受けない川向かいの月山から延びる河岸段丘上段の黒川地区【注2】では、肥沃な土壌と良質な水を活かして安定したコメ作りが行われてきました。
    stuben_sig.sakuma.jpg
    【photo】 収穫間近かとなったスチューベンと佐久間良一さん 

     このように豊饒の地・庄内にも地の利に恵まれない地域があったことを私に教えて下さったのは、西荒屋で農家民宿兼レストラン「知憩軒」を営む長南 光さんです。赤川の洪水に長い間悩まされてきた地域の人々が待ち焦がれた堤防や護岸の整備、放水路の拡幅、治水ダムの建設などがなされた後、1970年代に行われた圃場基盤整備と同時に地区の人々が参加して大規模な土壌改良事業が実行に移されます。その方法とは、砂礫が多い荒れた表土の上を養分豊富な山の腐葉土や微生物が多い赤土で覆うという一大プロジェクトでした。

     (ここからはぜひ中島みゆきの「地上の星」をBGMに、田口トモロヲのナレーションのような語り口でお読み下さい)・・・挑戦者たちは山から長いパイプを引き、川の水に山の土を混ぜた泥を作り出して田や畑に流し込む困難な事業に立ち向かった。山土を引いては、家畜の糞や稲藁を入れ、また山土を引くという過酷な仕事に皆が本気になって取り組んだ。1980年代に入る頃には、豊かな実りに恵まれる赤川右岸地域と遜色ない収量と作柄をコメや野菜で得られるようになった。10年にも及ぶ地道な取り組みに汗を流した人々は、皆手を取り合って収穫の喜びを分かち合い、感涙にむせんだ・・・(T-T)(フェードインで流れ始める「ヘッドライト・テールライト」のBGMと共に、もとい!

    akiqueen_sig.sakuma.jpg【photo】 昨年の9月下旬、佐久間さんが丹精込めて育てたた安芸クイーン。収穫までおよそ半月を待つブドウに色が乗ってくるのはこれから

     大工を代々の家業としていた佐久間さんが、国の減反政策の強化もあって副業のコメ作りからの転作でブドウ栽培を始めたのが12年前のこと。さまざまな果樹が育つ西荒屋でも、ブドウは今も栽培が最も盛んな果物です。地区内のR112沿いにある産直あぐりを9月中旬から10月半ばにかけて訪れてみてください。大玉種を主力に所狭しと並ぶブドウの品種の多彩さに驚かれることでしょう。シーズン中に60品種以上のブドウを取り扱うという産直あぐりでは、店頭設置のPCで消毒回数などの栽培履歴がわかるトレーサビリティシステムを平成17年度から導入しています。店舗に隣接する加工場では組合員が栽培した果物のジュースやジャムも製造、86人の加盟生産者の多くが県からエコ・ファーマーの認定を受けています。佐久間さんもブドウをご主人の名であぐりに出荷しており、生産者の名前が記された安全で美味しいもぎたての果物や野菜類を安心して購入することができます。
    sna.sakuma.jpg 【photo】 ブドウ畑に佇む小柄な佐久間みつさん。いつも笑顔が素敵な方です

     江戸時代中期の宝暦年間、甲斐(現在の山梨)から甲州ブドウが庄内藩にもたらされます。ところがブドウの房が垂れ下がるさまは、武家にとって「武道が下がる」からと19世紀初頭の文化年間に西荒屋地区の肝煎(=庄屋)であった佐久間九兵衛が苗木を貰い受けたのだとか。西荒屋は前述の通り、砂利交じりの土壌が広がるブドウ栽培に適した土地。村役人だった九兵衛は甲州ブドウの栽培を村民に奨励、以来長いブドウ栽培の歴史を刻む土地柄なのです。ゆえにブドウ作りに関しては一家言持つ栽培農家には事欠きません。ブドウ農家としては新参者だった佐久間さんは、農業改良普及員や周囲の助言に真摯に耳を傾けます。現在ブドウが育つ畑は水田からの転作だったため、暗渠排水によって乾田化を図り、粘土質の土壌改良は、元来樹勢が旺盛なブドウの剪定した枝や、防虫のために剥ぎ取る樹皮をチップや炭にして撒き、ブドウが好む排水性の良い土壌に改良したといいます。内陸部に比べて積雪量が比較的少ない庄内でも山あいに近いため、1m以上に及ぶ雪に覆われる冬を除いて、雨よけのビニールテントを上に掛けるものの、四方は防虫ネットで囲むだけで通気性を確保します。雨が多い日本では避けることが困難な消毒回数も慣行栽培の半分ほどに留めています。

    uva_takao.jpg 【photo】 佐久間さんが育てる「高尾」。房の中から顔を出したままじっと動かないアオガエルが一匹

     8月中旬には収穫されるデラウエアとスチューベンといった収穫時期が早い米国原産のブドウに始まり、ワイン醸造用欧州品種のメルローとシャルドネ、9月に最盛期を迎える生食用大玉種の巨峰、高尾、ピオーネ、ハニーブラックなどの黒系品種、安芸クイーン、赤嶺、ゴルビー、信濃スマイルといった赤系品種、ピッテロ・ビアンコ、ゴールドフィンガーなどのイタリア原産種や白峰、ハニーシードレスといった白系品種まで、佐久間さんが栽培するブドウは現在20品種以上にのぼります。樹齢が上がってき近年では、ブドウの品質向上に確かな手ごたえを感じているご夫妻は、新品種の栽培にも意欲的です。みつさんが友人の女性グループと共に昨年イタリア北西部ピエモンテ州を訪問した折、滞在したアグリツーリズモ「Rupestr」のオーナー、ジョルジョ・チリオ氏の勧めがあった「Cortese コルテーゼ」種の栽培にも挑戦します。コルテーゼは、著名なDOCG白ワイン「Gavi ガーヴィ」の原料となるブドウ。ぜひ将来は作付けを増やして頂き、月山ワイン研究所に製造を委託する「Gavi di Shonai」でいつの日か乾杯しましょうね"( ^0^)Y*Y(^0^ )"。
    uva_mokke.jpg【photo】 この日佐久間さんの畑で採らせて頂いたブドウの一部。上から時計回りにハニーシードレス、安芸クイーン、高尾

     10月も下旬に差し掛かり、前回お邪魔した9月下旬の大玉ブドウがたわわに実る畑とは一見して様相が変わっているのが分かります。「もう終わりが近いから、いい房が無いでしょう」と佐久間さん。「(商品にならない)小さな房はいくら採って食べてもいいから、良さそうなのを持って行って」と仰るので、いつものように色付きのよいブドウを見定めて味見しながら、これぞという房を剪定ハサミで採ってゆきます。先ほどアル・ケッチァーノで食べてきたドルチェ「Uva Ciocco ウヴァ・チョコ」に使われていたハニーシードレスは、まだ粒にみずみずしい張りがあり、蜂蜜のような甘さも充分。5年前の夏、当時から佐久間さんと栽培契約を結んでいたアルケの奥田シェフに案内されたこの畑で味見したブドウの中でも、特に高貴さをたたえた甘味に魅せられたのが安芸クイーンでした。いずれ劣らぬ佐久間さんが育てるブドウでも私が最も好きな品種です。ここ数年、地球温暖化による高温障害で着色不良が見られるという安芸クイーン。この日収穫した高尾と同じく、旬の盛りを過ぎて果皮が幾分硬くなってはいるものの、枝から派生した孫枝に実を付けた"末成り(うらなり)"のブドウですら、甘さの乗りに全く不足はありません。しかし「もう出荷出来ないブドウだから」と、佐久間さんはハニーシードレスの代金しか受け取ろうとしません。「食べてもらえば、ブドウも喜ぶからね」とも。いやー、もっけです~。そんなブドウを慈(いつく)しむ作り手の素敵な気持ちも頂いて「じゃ、また来シーズン」と畑を後にしました。
    uva_ciocco.jpg
    【photo】秋のスペチャリテ「Uva Ciocco ウヴァ・チョコ」

     次に向かったのは、佐久間さんの友人でもある長南 光さんのもとでした。昼食前、ヤマブドウ畑に立ち寄った進藤 亨さんの山に青ミズの実を採りに行くというアルケの土田料理長とそこで待ち合わせをしていたのです。知憩軒の玄関先に足を踏み入れた私に声を掛けてきたのは、主人の長南さんではなく、アルケの魅力を綴った「奇蹟のテーブル」の撮影でお世話になったカメラマン高橋 知政氏でした。山形在来作物研究会の監修で来春早々に発行を予定しているという、庄内の代表的な在来作物の調理法を紹介するレシピ本の取材で知憩軒においでだったようです。庄内地方の伝統野菜「ズイキ芋」を使った光さんとみゆきさん親子が作る和洋それぞれの料理の撮影がひと段落したところに、私がひょっこり登場した次第。取材に立会っておられた山形大学農学部の平 智教授ともども、チョコレートとクリームチーズがミックスされた「マーブルチーズケーキ」(200円)と有機栽培コーヒー(350円)をちゃっかりご馳走になってしまいました。これまたもっけですぅ~。もともと長南さんには昨年冬から産直あぐりの店頭に並ぶようになった知憩軒の美味しいアップルパイに関して取材申し入れをしようと思っていました。棚ボタで頂いたケーキとコーヒーのお礼はアップルパイのご紹介ということで手を打って頂けませんか...(;^_^A

    2008.10.21monte_shindou.jpg【photo】進藤さんの山でミズの実を採るアル・ケッチァーノの土田料理長(右)

     間もなく現れた土田さんの車を何故か先導する形で(逆だろ、普通...)向かった進藤さんの山。土田さんに続いて杉林に足を踏み入れると、小豆のような実をつけた青ミズが一面に生えています。そこは「山菜の道」として奥田シェフがさまざまな雑誌などに紹介してきた場所です。初夏から秋にかけて、鬱蒼とした杉林の根元は青ミズのじゅうたんで覆いつくされます。初夏には鈴なりの天然木イチゴだって食べ放題。その山の豊かさには、ほとほと感心させられます。この日も10分もすると片手に持ちきれないほどの実が採れました。そこへ「ほぅ、採れたね」とミズの実に一瞥を投じながら真如海上人の末裔こと進藤亨さんが外出先から戻って来られました。ディナーの準備のため慌しく店に戻った土田料理長がいなくなった後も、気になる今年収穫したヤマブドウを使うバルサミコの仕込みのことや、現在熟成中のバルサミコの様子、更にはヤマブドウとカベルネソーヴィニヨンを掛け合わせた交配種「山ソーヴィニヨン」の生育状況などを伺い、「今度は木イチゴ好きの野生児私の娘のこと)を連れていらっしゃい」と仰る進藤さんとお別れしました。

     この後訪れる月山パイロットファーム、あねちゃの店、井上農場など、いつも飛び切りの食材をご提供いただいている先々と、期せずしてお会いした馴染みの方々から頂く「ごっつぉ」で溢れ返る「もっけだの」な展開の佳境は、また次回!!

    ◆ブドウ狩りに関する問合せは
     佐久間ファーム : TEL 0235‐57-3188 へ

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    新・ごっつぉだの もっけだの
    ≪地の恵みに癒された濃密な一日≫
    「もっけだの」中篇へ続く

             
    なんだか映画「猿の惑星」シリーズみたいになってきた・・・(爆)


    【注1】 互いに日本一のサクランボ産地であることを譲らない東根市と寒河江市。櫛引地域では見当たらないものの、山形内陸地域で散見されるサクランボのハウス栽培。寒中にも拘らず、重油を燃やしてハウスの中を初夏の陽気に暖めるだけでなく、CO2の排出によりハウスの外(⇒地球環境)も温暖化させている。求められる環境保全型農業に逆行するunsusteinable アンサステナブル(=持続不可能)な発想といい、燃料代+αを転嫁した1箱ウン万円というunbelievable アンビリーバボーな値段といい、あまり感心できる所作ではないのでは? 旬に食べる果物のほうが、自然の摂理に適っているし、かえって有難みを感じると思うのですが...。
     赤川に面した西片屋地区のサクランボは、昭和30年頃に発生した灰星病で全滅する被害を受けている。その痛手からおよそ10年を経た頃、数軒の農家が再びサクランボの栽培に取り組み現在に至っている。今では県内生産高の2%と収量こそ少ないものの、高い糖度と酸が調和したメリハリある味のサクランボが雨避けテントで覆った露地栽培で生産されている


    【注2】 黒川地区は国の重要無形民俗文化財の指定を受ける「黒川能」の里として全国に知られる。地区の鎮守、春日神社では旧正月の毎年2月1日から2日にかけて、凍て付く夜を徹して氏子の住民たちが演じ手となる能や狂言が上演される「王祇祭」(おうぎさい)が蝋燭の明かりのもと古式ゆかしく奉納される。祭りに先立って1月下旬の土日には、特設の巨大囲炉裏で串刺しにした1万本もの豆腐を地区を挙げ昼夜通して炭火焼きする。その後、一旦凍らせた「凍み豆腐」が二番汁と呼ばれる味噌煮味や醤油ベースの味付けで観客に振舞われる。29日の降神祭、30日の酒くらべ、31日の掛餅かけなど、当日まで数々の神事・行事が行われ、王祇祭本番を迎える。凍み豆腐は「豆腐まつり」とも呼ばれる黒川能のもうひとつの顔ともいえる

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