あるもの探しの旅

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2009/03/22

スローフードフェスティバルin 庄内

【フェスティバル初日】
09年 スローフード全国大会
食の都庄内フェスタ

slow_food_festa.jpg 【photo】大会初日の会場となった庄内町響ホールでのパネルディスカッション

 去る3月7日(土)・8日(日)の二日間、山形県飽海郡庄内町と鶴岡市を会場に「スローフードフェスティバルin庄内」と銘打ち、「'09年スローフード全国大会 食の都庄内フェスタ」が行われました。主催はスローフードジャパンの国内47コンヴィヴィウム(=地方組織)のひとつスローフード山形と、山形在来作物研究会、庄内総合支庁、庄内地域2市3町と各農協、県漁協らで組織された食の都庄内フェスタ実行委員会。「待ってるからねー」を意味する庄内弁「待ってっさげのー『食の都庄内』スローフードの郷(さと)・発見!」をキャッチフレーズに催されたプログラムに参加しました。

Arcevia@alche06.JPG 【photo】2006年3月に開催された「地産地消とスローフードの祭典」の歓迎ディナーで。イタリア・マルケ州から訪れた食に関するプロフェッショナルからなる訪問団も絶賛したアル・ケッチァーノでの食事を終え、すっかり打ち解けたメンバー。美味しい料理と美酒は、いとも容易に国境を超える。左から4人目が若生会長

 スローフード運動発祥の地イタリアから数えて6番目の各国組織として、各地方組織の認証・調整役となる「スローフードジャパン」が2004年に発足して5年。同協会が特定非営利活動(NPO)法人化された昨年、宮崎で初の全国大会が開催されたのに続き、今年は大会の舞台を山形県庄内地方へと移しました。仙台に本部があるスローフードジャパンの若生裕俊会長とは、3年前に旧藤島町が主催した「地産地消とスローフードの祭典」で行われたトークショーで、コメンテーターとコーディネーター役としてご一緒しています。有機農業を通じた交流を行っているイタリアからの訪問団8名を交えて、全量を賄う精米や大豆加工品、およそ半数が地元産だという野菜類を使用した地産地消型の給食調理施設や生産現場を訪ねた後、アル・ケッチァーノで催された歓迎ディナーの席上、若生氏は「庄内にはスローフード運動が理想とする姿がすでに出来上がっている」とコメント。四季を通じて山海の素晴らしい食材に恵まれ、それぞれにストーリーがある在来種が数多く存在し、官民学さまざまな立ち位置の人が手を携えて質の高い地域の食文化を守り伝えているその地の魅力に圧倒されているようでした。日本のスローフード運動にとって、庄内は一度は訪れるべき「約束の地」でもあったのです。

Natsu_Shimamura@hibiki.jpg【photo】島村菜津さんの基調講演

 庄内町文化創造館「響ホール」が会場となった初日、ノンフィクション作家の島村菜津さんによる基調講演でフェスティバルは幕を開けました。著作「スローフードな人生」(新潮社刊)で日本に「スローフード」という言葉を紹介し、失われつつある特徴ある食材と生産者を守り、人同士の繋がりの大切さを普遍的な食を介して見直そうという運動の概念を根付かせる契機を作った島村さんの演題は「スローシティーで地域の活性化~食の都庄内への提言~」。私と同様、庄内の魅力に惹かれて何度もこの地を訪れているという島村さんは、毎年数ヶ月をイタリア各地で過ごしています。会場を埋めた230人あまりの聴衆を前にした講演では、1999年にイタリア・ウンブリア州Orvieto オルヴィエートから始まった「Cittàslow チッタスロー(=Slowcity スローシティ)」という運動が地域活性化の成功事例として紹介されました。

positano_al_mare.jpg【photo】絶景に見とれていると海にダイブしかねない高所恐怖症のドライバーには絶好のキモ試しにもなるサレルノ湾沿いのドライブ。岩肌にカラフルな住宅が張り付いたポジターノの町

 
 「スローなcittá (=「町」の伊語)」を意味するこの運動を提唱したパオロ・サトゥルニーニ氏は、トスカーナ州Greve in Chianti グレーヴェ・イン・キアンティ町長時代に、伝統的なワイン産地であるキアンティ地域の食文化を柱に、歴史遺産、景観、生活様式などの地域資産を対外的に発信することで、域外からの交流人口を増やし、地域の活性化に結び付けます。サトゥルニーニ氏は、彼の取り組みに賛同したスローフード協会のカルロ・ペトリーニ会長と共に、協会本部があるピエモンテ州Bra ブラと紺碧のサレルノ湾から立ち上がる急斜面の岩肌に営々と人々が切り拓いてきたレモン畑が点在するカンパーニア州logo_slowcity.jpgPositano ポジターノ、中部イタリアの先住民族エトルリア人の時代まで遡る気の遠くなるような歴史に彩られた崖上都市オルヴィエート、グレーヴェ・イン・キアンティの4つの街をCittàslowとして旗揚げしました。現在イタリア国内では50都市以上が登録するCittàslowスローシティのムーブメントは、イタリアのみならず、英国やドイツなど欧州14ヶ国と、豪州と韓国に広がりつつあります。

panelisti@hibiki.jpg
【photo】パネルディスカッション「スローフードで地域に活力を」パネリスト(写真右より)宇生氏、齋藤 武氏、斎藤篤子氏、奥田氏 

 島村さんもアドバイザーとして加わった「スローフードで地域に活力を」と題するパネルディスカッションには、庄内の稲作農家・旅館業・飲食店・映画制作者という立場のパネリストが登場、山形大学農学部教授で山形在来作物研究会世話人の平 智氏のコーディネートのもとで、地域の魅力を発信するアプローチを探りました。冒頭、庄内映画村㈱代表取締役社長の宇生 雅明氏は、プロデュースした映画「おくりびと」のアカデミー賞受賞を祝う会場から喝采を浴びます。同賞にノミネートされた「たそがれ清兵衛」以降、庄内を舞台とする映画が立て続けに制作されていることを、宇生氏は人々の暮らしぶりを含めて、失われつつある日本の原風景が残る庄内が多くの映画人を惹き付けている点を指摘。松ヶ岡映画村資料館などにロケ地マップを手にした観光客が訪れている庄内には、今年、藤沢周平記念館が完成、新たな魅力が加わります。温海温泉の旅館つたや長兵衛の女将、斎藤 篤子さんは四季それぞれ食材に恵まれた庄内の郷土料理を宿泊客に提供し好評だといいます。鳥海山の裾野にあたる遊佐町白井新田の藤井地区にある棚田でコメ作りを行う鳥海山麓 齋藤農場の齋藤 武氏は、若い農業後継者らで有限責任事業組合「ままくぅ」を結成、在来の餅米「彦太郎糯(ひこたろうもち)」の復活に取り組んでいます。齋藤氏は都市生活者がお抱えの農家を持つことで、食べ物を身近かに感じ、相互に強い絆が生まれるよう提言しました。「食の都・庄内」の提唱者でもあるアル・ケッチァーノ奥田 政行シェフは、saitounoujyou@yuza.jpg 自身が実践してきた生産者の人となりを考えた物々交換に近い独自の食材調達法が、新たな人の輪を生み出していることを披瀝。2000年(平成12)の独立当初こそ素材集めに苦労したものの、店で使う食材の中で地元調達が不可能なパスタ用のデュラム小麦やオリーブオイルを除けば、庄内産の食材が9割に達していることを明かすと、会場からどよめきが起こりました。

【photo】鳥海山麓齋藤農場の棚田からは日本海が一望される。そこから海に沈む夕陽を眺めるのが好きだと語る齋藤氏

paolo_di_croce.jpg【photo】挨拶に立つスローフードインターナショナル国際事務局長パオロ・ディ・クローチェ氏

 会場にはかつて稲作に使用された農機具の展示コーナーのほか、米粉を使用した菓子や麺類の 試食コーナー 、地酒の販売ブースなど「庄内米ミュージアム」が設けられ、休憩時間には参加者が品定めする姿も見受けられました。午後はスローフード全国大会のプログラムが組まれ、スローフードインターナショナル国際事務局長パオロ・ディ・クローチェ氏の挨拶などの後、各地のコンヴィヴィウム代表による活動報告が行われました。「スローフードすぎなみTOKYO」と「スローフード横浜」の代表が食育に関する都市型スローフード運動の活動を紹介。昨年の全国大会が行われた宮崎のコンヴィヴィウムは、オリエンテーリング形式でさまざまな地元の食材を味わうスローフード祭りについて述べ、長崎のコンヴィヴィウムは日本で初めてプレジディオ認証を受けた「雲仙こぶ高菜」を取り巻く動きについて報告しました。活動事例報告の最後は、県下に130品目以上の存在が確認されている在来作物の研究と保護に取り組む山形在来作物研究会(略称:在作研)を代表して、在作研の江頭 宏昌准教授が登壇しました。在来作物は、特徴ある種の存在自体が貴重であるだけでなく、固有の調理法や栽培技術が受け継がれてきた知的財産そのもので、世代を超えて受け継がれてゆくべきであると訴えました。

 奥田シェフとは友人で、私とも知己の関係である江頭先生は、島村 菜津さんが初めてアル・ケッチァーノを訪れた時に偶然店に居合わせ、ご自身が研究テーマにしている温海カブの焼畑へと島村さんを案内して、山中に広がる庄内の焼畑文化について滔々と説明したのだそう。その出来事は、島村さんに強烈な印象を残したそうです。私もとあるご縁で島村さんと食卓を囲んだ経験があり、ミーハー根性丸出しで持参した「スローフードな人生」の初版本にしっかりサインを頂きました。食をめぐって数多くの出会いを経てきた私には、島村さんが基調講演の中で述べた「思いがけない人と人を繋ぐ超能力が食べ物にはある」という言葉に強く共感した初日となりました。

フェスティバル2日目レポートにつづく

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2009/03/15

手前味噌なハナシ

手作り味噌仕込み@我が家

 「手前味噌」・・・自分のことを誇ること。自慢。(出典「広辞苑」)

 あまり褒められたものではない意味合いで使われる手前味噌ですが、今回は、先月仕込みを行った我が家の定番「手前味噌」作りについて、あくまで謙虚にどこまでも低姿勢でレポートします。

kamehyou70s.jpg【photo】 1970年代初めごろの亀兵商店。煙突の右側の黒い屋根の建物が私の遊び場でもあった仕込み蔵。現在はビルが建つ広瀬通に面した敷地の裏手に当時の建物が一部残っており、今なお伝統の味噌・醤油造りを行っている
(写真提供:亀兵商店)

 
 仙台城のお膝元にある立町小学校に通っていた私の同級生に、1861年(文久元年)に創業した味噌・醤油醸造元「亀兵商店」【Link to Website】の6代目跡取り息子K 君がおりました。現在も暖簾を守り、専務取締役として味噌・醤油造りに取り組む彼の実家は、今でこそ表通りに面した部分がビルになっているものの、当時は木造の仕込み蔵があり、時々そこへ遊びに行っていました。kamehyou09s.jpg人間の五感の中で、最も記憶に深く刻まれるのは香りだといいます。蔵の中には大きな木桶やタンクがいくつもあり、仕込み中の味噌と麹、香ばしいもろみの香りが色濃く立ち込めていたのを鮮明に記憶しています。

【photo】現在も続く亀兵商店の味噌造り。スチーム暖房で室温30度ほどに設定された熟成庫で、FRP樹脂製の熟成箱で眠る味噌の上下を入れ替え、呼吸を促す「返し」の作業。仙台の市街地中心部にあるこの蔵でこうして4ヶ月近くを経たものが製品として出荷される

 藩政時代より、仙台の特産品として知られるのが仙台味噌。大友 克弘と共に宮城県登米市迫町出身である偉大な漫画家、石ノ森 章太郎原作の仮面ライダーでライダー1号を演じた「藤岡 弘、」同様、名前に句読点が入る数少ないタレント「ウィリーささき。」氏(プロフィールはコチラ)によって、「ミソ・ミソ・みそ汁」なる歌が作られるほど、地元では馴染みのある食品です。この歌、イントロとサビ部分の「♪ミソ・ミソ・仙台味噌・・・」の「味」と「噌」は、ちゃんと「♪ミ」と「♪ソ」で始まるのがミソ(笑)。「石ノ森漫画館」がある石巻出身のウィリー氏は、他にも「仙台牛たん音頭」も手掛けており、次作に登場する仙台名物は「笹かまぼこ」なのか「ずんだ餅」なのか、目が離せません。
Let's sing 「ミソ・ミソ・みそ汁」!
                  

 仙台味噌は、仙台藩祖伊達 政宗が、貯蔵の利く味噌を兵糧として重視し、仙台城内に「御塩噌蔵(おえんそぐら)」という味噌蔵を作らせたのが始まりとされています。開府400年以上を経た今も、お膝元の仙台市内と県内各地には、味噌造りを行う店が数多くあります(参考:宮城県味噌醤油工業協同組合【Link to Website】)。政宗公が生誕地の山形県米沢から仙台に居城を移す前の12年間統治し、後に嫡子である伊達 宗泰が領主となった宮城県北の岩出山にも、数軒の麹屋と味噌屋があります。食に関する造詣が深かった政宗が、その地に残した遺産のひとつ、岩出山納豆や凍み豆腐と共に、滋味深い味噌文化醸成の基礎を作った政宗公は、発酵食品にゆかりの深い武将だったようです。

ginjyou_konnno.jpg 【photo】イタリア人がオリーブオイルの味にこだわり、マンマが手作りするトマトソースの味を忘れないのと同様、ニッポン人なら、本物の醤油の味を忘れちゃイケマセン。まろやかな旨みに溢れた今野醸造の「吟醸」は、食材王国宮城が誇るべき逸品。化学調味料入りのだしの素や味噌は確かに便利かもしれませんが、味覚の形成途中にある子どもたちにこそ、醤油や味噌本来の味と、煮干しや昆布からとった出汁だけが持つ「旨み」をきちんと伝えたいもの

 倹約と謙虚さの大切さを説いている伊達 政宗の遺訓には、朝夕の食事が美味しくなくとも、褒めて食べるべし。人間は元来、この世の客の身ゆえ、好き嫌いは言わざること。とのくだりがあります。天下泰平の世になってからは、食通としても知られた政宗は、客人をもてなすには、料理が最も重要だと考えていました。政宗の含蓄ある名言を収集した命期集(めいごしゅう)には、旬の食材を自ら料理して振舞うべし、との言葉が残されています。我が家ではここ数年、伊達者ならば、味噌ぐらいは自ら仕込むべしと、自宅で使う味噌は自家製の手前味噌を使っています。その仕込み用の大豆と麹は、旧伊達藩・宮城県加美郡加美町の「今野醸造【Link to Website】」から調達しています。

taue_konnojyouzou.jpg【photo】 船形山の雪どけ水もぬるむ春。原料第一主義を貫く今野醸造が、味噌と醤油造りに欠かせない麹の原料となるコメ、ひとめぼれを自家栽培する田植え風景。今野さんの畑と水田で収穫される農産物は、県の農薬・化学肥料節減栽培認証を得ている


 明治期に創業した今野醸造が、醤油本来の味を作り出そうと1996年(平成8)から造り始めた濃口本醸造醤油「吟醸」は、ここ8年ほど我が家の定番調味料として活躍してくれています。「親戚が原料からこだわって造っているから」という知人の薦めで使い始めたその醤油は、やがて全国醤油品評会で濃口醤油部門の最高賞である農林水産大臣賞を受賞します。1ℓ入りが504円と、決して高価な醤油ではない吟醸。農業生産法人でもある同社は、自家製の原材料で製品を造っています。つい先日、国が "安全性に問題はない" との問題ある見解を発表した「遺伝子組み換えではない」ことぐらいしか明記されないアメリカやブラジル・中国・カナダ産などの輸入大豆。特定の除草剤(⇒製造元が遺伝子組み換えを行う米国資本の某多国籍企業であるという事実!)に対する耐性を高めるよう遺伝子操作を行った大豆の用途の大半は製油用などの加工用で、日本人が消費する大豆の国内自給率はわずか4%に過ぎません。外国産と比較して生産コストが10倍ともいわれる国産の食用大豆は、自給率が18%前後と幾分持ち直すものの、いずれにせよ調達が困難な状況です。納得のゆく原料を調達するbaodo_konnojyouzou.jpgには、高い品質の原料を自家栽培するしかないと、今野醸造の今野 昭夫(てるお)社長は大豆と麹の原料米を自らの手で減農薬有機栽培しています。味噌・醤油の醸造元自身が主原料の大豆やコメを共に栽培している例は、私が知る限りでは新潟や宮崎にある程度で、今野醸造の取り組みは得がたい希少なものです。


【photo】 今野醸造が所有する広大な大豆畑。トラクターで土を大豆茎の根本に寄せて成長を促すと共に、畝の間に生えてくる雑草を機械的に取り除く「培土」の作業が続く。夏場は人手のかかる草取り作業に追われるが、それも「あなたのために」という食べる人の健康を願ってゆえ

 今野さんが育てるコメは主力が「ひとめぼれ」と「まなむすめ」。大豆は「タンレイ」という品種です。吟醸の原料に使う大豆と小麦に種麹を加えた麹と、2年の歳月をかけて自然乾燥で作る天日塩の塩水からなるもろみは、一般的な製造法より塩水の割合を減らしているのだそう。原料から見直して丹念に仕込んだ吟醸は、3年連続で農水大臣賞を受賞するという過去に前例のない快挙を成し遂げました。毎年4本(濃口3・薄口1)が選出される同賞の濃口部門には、昨年181品が出品され、石巻の高砂長寿味噌本舗の「長寿醤油」も最高賞の栄冠に輝いています。日本食の味付けのベースとなる宮城の醤油が、こうして品質の高さが全国から認められ、頂点を極めたことを、かつて天下制覇を夢見た政宗公もさぞ喜んでいることでしょう。

tanrei_konnojyouzou.jpgkouji_konnojyouzou.jpg【photo】 《左写真》 今年の手前味噌の原材料。水洗いした大豆タンレイ(右)と一晩水に浸けて肥大化したタンレイ(左) / 《右写真》 種麹2種。今野醸造が自家栽培したひとめぼれから作る米麹(右)と静岡の麹屋から調達した麦麹(左)

 今野醸造から斡旋して頂いた手前味噌の原材料は、同社製の無添加味噌「あなたのために」でも使用する大豆品種タンレイと、ひとめぼれに酵母「まろい」を自家培養した種麹です。微生物の発酵作用によって仕上げる味噌の仕込には、雑菌が繁殖しにくい季節が適しています。よって正月明けから2月にかけての味噌の寒仕込みが我が家の恒例行事となっています。ただし風邪気味の場合は仕込みを控えましょう。麹菌が風邪のウイルスに感染してはいけませんので。仕込みに使う塩は、工業的に生産された鋭角的な塩味のものではなく、まろやかな自然塩がお勧め。今年の手前味噌には、新潟県村上市山北(さんぽく)地域の名勝天然記念物に指定される「笹川流れ」の日本海の澄み切った海水を汲み上げて薪火で煮詰める伝統製法で作る「笹川流れ塩工房」製の「海の磯塩」を使いました。

【手前味噌の製法は以下の通り】

◆分量: 大豆 1.2kg  米麹 1.2kg  塩 550g
◆用意するもの: 肉挽用機器(無い場合はフードプロセッサーや摺り鉢でも可)
            熟成用の容器(陶器製の甕や蓋付きのタッパーウエアなど)

◆作り方 (▼写真は製法が同じ「麦味噌」の仕込み)
1:大豆を一晩水に浸ける。
2:指先で潰れるくらいの柔らかさになるまで大豆を水煮する。煮汁を少量とっておく。
3:麹を揉みほぐし、塩とあわせる。
4:煮豆をザルに上げ、暖かいうちに挽肉機器などですり潰す。【photo1】 【photo2】
5:塩と合わせた麹と、挽いた大豆をよく混ぜる【photo】。その際、煮汁を1~2カップ加えて混ぜる
【photo】

6:手ですくったソフトボール大の塊【photo】を空気が抜けるように容器の底に叩き付けてゆく  
  【photo】。空気が入らないよう上にラップをして、カビ防止のため別途用意した塩2kg(一般的
  な食塩で可。ビニール袋に入れる)で塩蓋をして、冷暗所に置く。(我が家ではあまり実施しないが)
  夏場に熟成中の味噌の天地をかき混ぜて入れ替える「返し」を行うこともある。
7:およそ8ヵ月後には、美味しい味噌の出来上がり。 

2er_temae_miso.jpg【photo】熟成を経た2年目の手前味噌。黒ずんだ表面をかき混ぜると、内側はきれいな味噌色に仕上がっており、心地良い香りが漂う

 祝日の2月11日に仕込みを行い、ワインセラーが設置してある北東向きの部屋で只今発酵中の手前味噌。今年の10月頃には馥郁たる香りを放つ味噌となることでしょう。2年前からは、国産丸麦を使った麦麹1kgを静岡の麹屋から入手して、麦味噌造りも行っています。現在我が家の調理用に使っているのは、3年前に仕込んだ味噌がメイン。こちらは八丁味噌のような黒味の加わった色合いに変化しています。仕込みたては煮豆色だった味噌生地が赤みがかる頃には、香りの深みが増して、味わいに一段とまろやかさが加わります。気温によって発酵速度が変わってきますが、半年も経てば、自家製味噌として美味しく頂くことができます。年によって微妙に仕上がりが違うのも、かえって楽しいものです。3er_temae_miso.jpg味噌造りというと、大げさに聞こえるかもしれませんが、意外と簡単ですよね。我が家の味を大切にしたいとお考えの皆さん、手前味噌造りに挑戦してみてはいかがでしょう。

【photo】黒光りする3年目の手前味噌。さ、あなたも作ってミソ。...(゚・゚*)

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2009/03/01

場の空気に関する一考察

これぞイタリアン・ハイテクノロジー?

 偶然も積み重なれば、必然と考えるのが自然です。一定の状況下で、正規ディーラーにも原因を特定しえない「ある現象」が度重なって発生する我が Macchina Rossa マッキナ・ロッサ(= 赤いイタ車)の、摩訶不思議な現象がどうして起こるのか、原因を検証してみます。

 人間にとって欠かせないもの故に、当「あるもん探しの旅」では、たびたび水について取り上げています。体の組成の8割が水分の状態で生まれてくる人間は、産湯をつかって生まれ育った故郷の水に、おのずと体が順応してゆきます。小さな子どもは旅先で水が変わるとお腹をこわすなど、体の変調を訴えることがあります。そうしたことを「水が合わない」と言いますよね。これは人間だけに限った現象でなく、どうやら車においても起こることがあるようです。Alfa Brera が新車登録後2年半をもって、走行2万kmに達した日のこと。仙台から本州を横断して、んめものの里・庄内まで頻繁に往復するものの、意外と走行距離が伸びていない理由は、納車当初たびたび発生した現象によって、ディーラーへの入院を繰り返し、代車での移動を強いられてきたからです。

modello_concept_brera.jpg【photo】プロダクツデザインの巨匠、ジョルジェット・ジウジァーロのデザインを忠実に再現したAlfa Brera のコンセプトモデル

 いつでも里帰りが出来るよう、マニュアル車が主流となるイタリアのレンタカー事情を考慮して、左ハンドル6速マニュアルシフトのBrera 2.2 JTS Sky Window をチョイスしました。見通しの良い田舎道を走る際には、時々道路の右寄りを走り、そこがトスカーナの田園地帯であるかのような感覚を喚起して、イメージトレーニングにぬかりはないつもりでした。ところが、乾燥した地中海性気候の国で造られた車は、雨が降り出すと、時に異常を来たすのでした。通常のアイドリング時は9giri(giro=「回転」を意味するイタリア語の複数形)×100=900rpm(rpm=一分間当たりのエンジン回転数の単位) 程度のエンジンの回転数が、信号待ちなどでギアがニュートラル状態にある時でも、40giri×100(=4000回転)を超えるまで、徐々に上がってゆくのです。
alfa_brera_lucca.jpg【photo】 造形の天才たちが中世期より営々と創り上げてきたトスカーナの町並み。美しいランドスケープに溶け込むダイナミックでモダンなフォルムのAlfa Brera

 「おBrava!、アイドリング時でも4000回転を超えるとは、さすがラテンの車は熱いぜぃ!!」などと自虐的なボケを飛ばす間もなく、エンジンの異常を告げるエンジン警告灯が点灯するシャレでは済まされない状況でした。6800giri以上のレッドゾーンまで上昇を続けようとするタコメーターの動きに恐れをなし、エンジンを停止させなければ、エンジンの燃焼室が焼き付いてしまうかもしれません。クラッチを繋いで走り出せば回転数は落ちますが、警告灯が点いている状態では、安心できません。当然メーカーとしても、エンジンに致命的なダメージを与えることのないようにフェールセーフ機能を備えており、エンジン警告灯が点くと、コンピュータが自動的にエンジンの回転数を抑えるようになっています。そうなるといかにアクセルを踏み込もうと、トルクが得られず、上り坂では極端に速度が落ちてしまいます。

 雨が降ると必ず異常が発生するわけではなく、その現象が起こるのが、なぜか山形県内陸の村山地域をウロついている時にほぼ集中しているという事実に気付くまで、時間を要しませんでした。10km先の交差点で右折する車が、ず~っと右側の追越車線を時速50km以下で走り続けるため、山形市内を南北に貫く片側二車線のバイパスが、同じような速度で並走する車両で占められる特異な光景が常態化しているR13でのこと。降り出した雨の中で信号待ちをしていた際、ギアをニュートラルに戻していたエンジンが、突如回転を上げ、エンジン警告灯が点灯したのが最初でした。たまたま近くにあったAlfa Romeo のディーラーでエラー解除の措置を施してもらったところ、何らかの理由でエンジンを制御するコンピュータが異常を表す信号を感知したのだといいます。2度目は久々に車で行った東京からの帰路、東北自動車道川口料金所の手前で猛烈な雨に見舞われた時に同じ症状が。次は時折にわか雨が降る寒河江市内を走行中に。4度目は鍋越峠の手前で2009.1.24brera.jpg 雨が降り出した尾花沢市内で。5回目は再び雨の山形市内で。太陽の国イタリア生まれのグラマラスな曲線で構成されたMacchinaちゃん(→イタリア語で車は女性名詞。扱いが難しいからか?)は、雨降りがよほどお気に召さないようです。念のために申し上げておきますが、仙台は別として、その次に走る機会が多い庄内地方では、いかに大雨が降ろうと、猛吹雪に見舞われようと、車は元気ハツラツぅ?! なのだから不思議です。


【photo】 今年の「酒田寒鱈まつり」(1/24・25開催)は、大雪警報が発令される厳しい天候となった。会場のひとつ「酒田海鮮いちば」を目指す私が選んだのは、最上川沿いを進むR47。今季初のどんがら汁(=寒鱈汁)にありつこうというPassione(=熱意)を察知したのか、すぐ隣を流れる最上川が猛吹雪によるホワイトアウトで見えないほど過酷な状況下でも、安定感の高い走りで無事目的地に到着したAlfa Breraを降りると、精悍な顔つきのフロントグリルには分厚い氷がびっしり(【click】で拡大表示)

 異常が起こるたびに、ディーラーに持ち込んで、異常の原因と思われる電気信号が流れるケーブルやコネクターなど、国内在庫がある汎用部品のみならず、個々の車に応じてセッティングされるコンピュータ基盤をわざわざトリノのピニンファリーナ工場から取り寄せて交換してもらいました。それでも気難しいイタリアン・ビューティーさながらに扱いに手を焼くマッキナちゃんの異常は一向に収まりません。3回目の異常が起こる頃には、天候が悪い湿度が高い環境のもとでご機嫌を損ねることに気付いていたため、ディーラーのメカニックとも一考を案じ、5度目の入院に際しては、電気信号が伝わるコネクターとケーブルを絶縁性の高いグリースでコーティングするという、物理的な作戦に打って出ました。

brera4000rpm.jpg【photo】湿度が高い日に山形内陸地方を走ると、ギアがニュートラルにあっても、突如エンジンが荒々しい咆哮を上げ、タコメーターの針が4000rpmを超える

attenzione_brera.jpg【photo】アクセルを踏み込まずとも4000rpmを超えるエンジン。まもなく点灯するエンジン警告灯。同じ県内にありながらも、庄内系にとっては異郷に他ならない村山地方でエンジンの不調をしばしば訴える我がMacchina Rossaは、もはやラテン系ではなく筋金入りの庄内系に変身を遂げつつあるようだ

 これが見事に効を奏して、ここ一年ほどは鳴りを潜めていたMacchina Rossa が久しぶりに異常をきたしたのは、先にレポートした驚愕の看板が立つ「延命水【Link to back number】」と出くわした2月15日(日)のこと。庄内エリアとは違い、日ごろは近くを通り過ぎるだけで、立ち寄ることのない山形市の北部にある「シベールの杜 北店」を初めて訪れ、コッパとナスをトマトソースで和えたスパゲッティを頂きました。あまりに強烈な看板に驚き、そこが異郷であることに戸惑いを感じていたためか、料理の画像を写真に収めることなく、いかなるパスタであったかも詳細を忘れてしまいました。

 泉質の良い日帰り温泉施設がある大江町まで足を伸ばす頃には、それまで晴れていた空模様が次第に怪しくなって、シトシト雨が降り出しました。最上川に架かる柏陵大橋の上で走行2万kmを達成した後に、「道の駅おおえ」の駐車場で停車中、アイドリング中のエンジンが唸りを上げ、タコメーターの針が上昇を始めたではありませんか。もはや鬼門とも言うべき山形内陸・村山地方で、またもや「キターーーーッ !!!」 

brera20000km.jpg【photo】 遅ればせながら走行2万キロを達成した道の駅おおえの駐車場で。この直後、Breraはアイドリングの異常をきたした

 雨が苦手な"ラテン系気まぐれマシン"なのかとばかり思っていたマッキナ・ロッサちゃん。実体は「どうも内陸はしっくりこないのぅ」という庄内系ドライバーの心理状態や、そこが異文化の地であることを察知する場の空気に敏感に反応するセンサーを備えた"庄内系ハイテクマシン"として進化中なのかも...。Macchina Rossaに乗り換える前に乗っていた南ドイツ・バイエルン州ミュンヘンに本拠地を構えるBMWのクールで律儀な先代のクーペモデルE46には、そのような人間臭さは無かったなぁ。これも使う人の官能に訴え、人と共鳴することで輝きを放つイタリア製品ならではの奥深い神秘なのでしょう。そう自分に言い聞かせ、やれやれと溜息をつくのでした。

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