あるもの探しの旅

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2009/05/31

期間限定 散居の浮島

庄内系 北陸路を行く vol.1
5月の砺波はまるで松島だった

 見渡す限りの散居。散居を構成する家々のこんもりとした屋敷林。田植えを待つ満々と水を湛えた田んぼ。それらが生み出す美しい景観は、紛れもなく人の手が築きあげたものです。日本有数の豪雪地帯である白山と飛騨高地に端を発し、富山湾へと流れる庄川と小矢部川。その複合扇状地にある富山県西部の砺波市と南側の南砺市では、田植えを控えた毎年5月上旬、とりわけ美しい田園風景を目にすることができます。それは富山湾に出現する蜃気楼が地上に現れたようであり、鏡の海原に浮かぶ奇跡の浮島のようでもあり、多くの散居が水に浮かぶさまは日本三景の松島clicca quiさながらでもありました。
tonami_maggio2009.jpg【photo】砺波市散居村展望台から望む砺波平野の散居

 「散居」とは、農村における集落の形態のひとつで、耕作地の中に家々が点在する様式を指します。東北では岩手県奥州市胆沢区や山形県飯豊町でも同様の屋敷林を備えた散居が見られますが、砺波市から南砺市にかけての220km²に及ぶ広範な地域には、およそ7,000戸の家々が碁盤の上に散りばめられた碁石のように散在しています。この国内最大規模の散居は、範囲の大きさだけでなく水田の中に農家が100m~150mの間隔をおいて点在しており、屋敷林を備えた切妻の屋敷の形状からして、最も典型的な散居集落といわれています。砺波平野は水の確保が容易だったことから、網の目のように用水路が張り巡らされた水田が近世までに整備されました。水田と住居が隣接していれば水田の保守管理を効率的に行える上、コメの栽培にも便利だったことから散居が発達したのです。
tonami_maggio3.jpg 【photo】砺波平野の5月。水を張った田んぼには、もうひとつのカイニョに覆われたアズマダチの田園風景が描き出される

 集落を構成する家々が一箇所に集中する一般的な農村とは異なり、独立した住居が点在する砺波平野の散居では、強い冬の季節風を遮る防風と避暑を目的とする杉や欅などの屋敷林「カイニョ」で屋敷が覆われています。風が強い砺波の気候風土に適した切妻屋根の家は、三角形の妻部分の白壁に太い梁(はり)・束(つか)・貫(ぬき)が升目状に組まれた「アズマダチ」と呼ばれる明治中期以降に取り入れられた様式で造られています。カイニョに覆われた母屋の手前に納屋と蔵が加わるこの地方特有の散居住居は、端正で美しい佇まいを見せています。時として発生するフェーン現象によって気温が上昇する夏の午後でも、カイニョがある家と無い家では4~5℃の温度差が生じるそうです。フィトンチッドによる森林浴効果に加え、多様な生物を育むビオトープとしての役割も果たすLOHASな屋敷林は、多くの恵みをもたらしてくれます。2002年(平成14)には「散居景観を活かした地域づくり協定」が砺波・南砺の各地域で発効し、屋敷林の維持費用の補助に行政が乗り出しました。
tonami_maggio1.jpg【photo】鎮守の森も水に浮かぶ浮島のよう

 砺波一帯は加賀藩の領地で、山林の樹木は「七木の制」で保護を受けていました。成長が早く家屋の材料や落ち葉が燃料にもなる杉は特に重宝され、「百姓垣根七木」として屋敷内の樹木を伐採しないよう定められていました。「高(=土地)を売ってもカイニョを売るな」という砺波地方に古くから伝わる言葉は、立派なカイニョを誇りに思い、屋敷林を大切に守ろうという意思が込められています。しかしカイニョの維持には枝打ちや落ち葉の掃除など多くの手間がかかるため、最近では減少傾向にあるのだといいます。2004年(平成16)10月の台風23号では、全体の1/4にあたる14,778本のカイニョが倒れ、住居の損壊や電線の切断などの被害が出ました。わずか一夜にして砺波の美しい景観は深刻な打撃を受けたのです。散居村の景観を取り戻そうと行政が実施した助成金や苗木の配布によって、およそ1万本の植栽が住民の手で行われました。これも先祖から受け継いだかけがえのない地域資産であるカイニョに対する地元の人々の深い愛情の表れなのでしょう。
tonami_maggio2.jpg【photo】見事なまでに上下対称のシンメトリーな世界が出現する散居風景にさまざまな形をしたカイニョがアクセントを与えている

 特徴的な散居の風景は、北陸道と東海北陸道が交わる小矢部砺波ジャンクションと城端(じょうはな)SA 間の盛土によって高い視点が得られる東海北陸道沿いで見ることができます。散居を俯瞰して見渡すには、熱気球かハングライダーが最適でしょうが、なかなかそうもいきません。砺波市南部の鉢伏山にある散居村展望台や南砺市井波の閑乗寺公園からは、扇状地に広がる散居の様子が一望のもと。日没時には鏡面と化した水田に夕陽が映り込むドラマチックな光景と出合えるかもしれません。
toyama_cam2004.jpg【photo】2004年に富山県が展開したイメージアップキャンペーン【Link to Website】のポスター(上)には、豊かに水を湛えた砺波平野の散居風景が採用された。ヘッドコピーは「水の恵みの、富山から」

 2年前の9月中旬、世界文化遺産に登録されている白川郷・五箇山地方の合掌集落と飛騨高山地方を訪れました。その際、砺波ICで北陸自動車道を下車、山あいに23戸の合掌造りの家が寄り添うように残る五箇山相倉集落Clicca qui に向かう途中で通りかかったのが、砺波の散居村でした。思わぬ収穫ともいえる特徴的な散居の風景は強く印象に残り、今年のGWに郡上八幡へ遠征した際に再訪を果たしました。
tonami_maggio4.jpg【photo】一家総出で田植えの準備にあたる南砺の農家

 夏の名残のうだるような暑さのもとでも稲穂が黄金色に色付き始めた前回の訪問時とは異なる「水の里」の風景がそこには待ち受けていました。砂や小石が堆積して形成される扇状地は、保水力が弱いため水田には不向きとされます。砺波平野では庄川と支流の豊かな水の恵みによって、地中へ浸透する以上の水が供給され、十分な農業用水が確保できたことから、稲作が盛んに行われてきました。今回訪れたのが、田植えを控えた時期であったことから、満々と水を張った水田に囲まれた浮島のような散居が随所に見られました。鏡面と化した水田には、カイニョとアズマダチがくっきりと映り込み、そこに現れた見事な上下対称のシンメトリーな光景に目を奪われたのでした。

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2009/05/26

郡上八幡で水づくし

庄内系 奥美濃路を行く vol.1

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【photo】緑したたる郡上八幡を流れる吉田川

 暦通りの休みがしばらくぶりに取れた今年のGW、土日祝日ETC装着車の高速道路料金1000円均一の恩恵を受けるべく、ここぞとばかりに遠征しました。午前2時30分に仙台宮城ICを出発。向かうは岐阜県郡上市です。東北道→磐越道→北陸道→東海北陸道を経由、途中3回の休憩をはさんで650kmを走破、郡上八幡ICのETCゲートを出たのが10時30分。

 庄内地方では決しては起こらず、滅多に行かない山形内陸をたまたま走行中に何故か頻発するマシントラブルの原因と思しきエンジン関連のハーネス(=機器配線)の全交換という荒療治を施したばかりのAlfa Breraは絶好調。MT車にもかかわらず装備されているオートクルーズコントロールを駆使して快適なロングドライブとなりました。料金所の電光板が1000円と表示されるのを見て、「こんなに走っても本当に1000円なんだ!」と感動しながら(笑)、ETCゲートを通り抜けて市営駐車場に車を停め、徒歩でじっくりと街を散策しました。

ETC_1000.jpg  【photo】仙台からの通行料金が1000円の表示を見た途端、そうと判っていても「シンジラレナーイ」と叫んでしまった郡上八幡ICの料金ゲートで

 1559(永禄2)年、戦国武将 遠藤盛数によって天然の要害となる八幡山(標高354m)の頂きに八幡城clicca qui が築かれます。そこに形成された城下町である旧岐阜県郡上郡八幡町は、夜を徹して踊りの輪が続く「孟蘭盆会(うらぼんえ・8/13~16)」に最高潮を迎える7月から9月にかけ、32夜にわたって踊りの輪が広がる「郡上おどりclicca qui」の舞台となります。2004年(平成16)3月に周辺7町村が合併し、郡上市となって以降も旧八幡町一帯は郡上八幡の名で通っています。市街を東西に流れる清流吉田川は奥美濃の山々に端を発し、小駄良川・乙姫川と合流しながら街の西側で鵜飼による鮎漁が行われる長良川へと注いでいます。せせらぎの音に彩られた郡上八幡は、四方を山に囲まれており、環境省が1985年(昭和60)に選定した名水百選で第1号の指定を受けたという「宗祇水」をはじめとする湧水や井戸が町の各所にあります。郡上市民4万7千人の上水道は、カルキ臭とは無縁の石灰岩土壌が広がる市南東部の犬啼谷(いんなきだに)で採水される湧水で賄われているそうで、なんとも羨ましい限り。そこは豊かな水の恵みを生活に活かす水場「水舟」や家並みに刻まれた水路が人々の暮らしを潤す"水の町"なのでした。

shinmachi_gujyou.jpg【photo】新町通の入口で3人の踊り手がお出迎え

 歴史を感じさせる格子窓の家々が建ち並ぶことから、別名"奥美濃の小京都"とも称される郡上八幡。どこかしらレトロな薫りが漂う大阪町から観光客で賑わう新町通へと移動し、8万個の玉石が敷き詰められた散策路と水飲み場や水路が1988年(昭和63)に整備された「やなか水のこみち」へと歩みを進めました。周囲の町屋と風に揺れる柳の木がフォトジェニックな空間を生み出すそこは、観光客にとっては絶好の撮影スポットでもあります。10時30分を回ったばかりでも、GW期間中とあって入れ替わり立ち代りでカメラを前にポーズをとる人たちで一杯でした。

【photo】風にそよぐ柳のもとで清水沿いのそぞろ歩きを楽しみたい「やなか水のこみち」(左下)清らかな水が流れ出るオブジェの脇にはコップが備えられ、湧水を味わうこともできる(右下)

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                                         別段「疲れた~ orz 」という自覚はありませんでしたが、そこは長時間の運転を終えたばかり。「疲れた時は甘いもの」と言うではありませんか。お約束の記念撮影を早々に切り上げて、やなか水のこみちと新町通りが交わる場所にある「やなか屋」に立ち寄りました。店頭に引いた伏流水と葛粉とで作る涼しげな水まんじゅうに強く惹かれたからです。こしあん・抹茶・いちご・柚子・さくら・黒糖の6種類すべて一個150円。柔らかく丸みがある水と溶け合うように程よい甘さの水まんじゅうは喉をプルンと通り過ぎてゆきます。

mizumanjyu_yanaka.jpgmizimanjyu_yanaka1.jpg【photo】「やなか屋」店頭には水槽に冷たい清水が流れ出ており、その中に色とりどりの水まんじゅうが並ぶ(左)ぐい飲みのような小振りな白い陶製の器に入った水まんじゅうを、ひんやりとした水と共にクイっと一飲み。ほのかな甘みが爽やかな余韻を残す。写真手前は淡いピンクのいちご風味(右)

【photo】「いがわ小径」西側の始点には、用水路の上に洗い場が設けられている(左) 用水沿いに延びる小径は、すれ違うのがやっとほどの幅しかない(中)小径の中ほどにある洗い場は大和ハウスのCMで終盤に登場。観光客にとっては鯉にエサを与える絶好のポイントでもある(右)
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 "力水"代わりの水まんじゅうでリフレッシュし、この町で最も水量が豊かな「島谷用水」が流れる水路沿いに整備された散策路「いがわ小径(こみち)」へと向かいました。民家の間を流れる用水沿いの狭い小径には、屋根が架かった3つの洗い場があり、今も利用者が組合を作って洗い場の清掃や管理を行っているそうです。水路には数百匹もの大きな真鯉やアマゴなどの川魚が群れをなしています。鯉に与えるエサが西側入り口に置いてあるので、観光客たちは一袋100円の顆粒状のエサを買い求めては大きく口を開けてエサに群がる鯉たちに歓声を上げるのでした。郡上鮎漁が解禁になると、篭に入れられたおとり鮎の姿もみられるのだといいます。小径の突き当たりでは、暗渠からコンクリート製の樋で吉田川の水を引いて生活用水として使っている様子が見て取れます。そこに近接して設けられた二つの洗い場は、食品や食器の洗浄用soba_heijin.jpgと下着やおむつの洗濯用とに用途が分かれており、後者の排水は用水にではなく、直接川へ流れるよう工夫されているのでした。かように水と共にあるこの地の人々の暮らしぶりは、2006年に制作された大和ハウス工業のTVCM 「共創共生 郡上八幡篇clicca qui」で紹介されました。

【photo】平甚の「もちもちざる蕎麦」(並盛・1300円)

 昼食は混雑が予想される時間帯は避けたほうが得策だろうと「そばの平甚」【Link to Website】へ。そこは多くの観光客が訪れる郡上八幡でも、最も賑わう界隈であろう宮ヶ瀬橋のたもとで、吉田川を眼下に望む絶好の位置にあります。11時を回ったばかりだというのに、でき始めた行列に並ぶこと5分。私は店の看板メニューである二八蕎麦「もちもちざる」を、家族は旬の筍を使った「若竹そば(並盛・1000円)と「とりそば(並盛・1100円)を頂きました。地元岐阜産のほか信州や北海道など国内産そば粉を八割、小麦粉を二割使用した更科系の蕎麦に欠かせないのが、冷たく清らかな水の存在です。わずかに甘めの付け汁で頂くモチモチした独特の食感の蕎麦にコシの強さを与えるのに欠かせないのが、茹で上げた蕎麦をたっぷりの冷水で締めることだとか。

【photo】軒に下がる杉玉ならぬ南天玉が目印の桜間見屋を折れると宗祇水への石畳の参道となる(左) 祠の中から湧き出す水は絹のように滑らか。室町時代の連歌師、飯尾宗祇が庵を結んだ故事にちなんで宗祇水と呼ばれる(右)
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 平甚と目と鼻の先にある昔懐かしいニッキ味の飴「肉桂玉」で知られる1887年(明治20)創業の「桜間見屋(おうまみや)」の角を折れた先の小駄良川沿いに、町随一の名水との誉れ高い湧水「宗祇水」があります。室町時代に形式が完成された連歌の宗匠、飯尾宗祇(1421-1502)は、各地を訪ね歩く中で、歌人として名高い郡上の領主・東常縁(とうのつねより)に古今和歌集の奥義を授かるため、郡上を訪れます。宗祇がおよそ3年の間草庵を構えたのが、この泉のほとりでした。応仁の乱以降、見直しの機運が高まった古典復興の動きの中で、伝統的な美意識を連歌に反映させた宗祇の作風は、konida_gawa.jpg後に松尾芭蕉にも影響を与えています。奉られた祠から音もなく湧き出す清水は、この地に留まった宗祇が愛飲したことから、歌人の名にちなんで「宗祇水」と呼ばれるようになったといいます。3年後の春、京に戻る宗祇は、古今伝授の師・東常縁との別れを惜しみ、この地で「三年ごし 心をつくす思ひ川 春立つ沢に湧き出づるかな」と詠みました。含んだ清水は歌人の明鏡止水な心情を表すかのように実に軟らかくまろやかな味でした。

photo】流れを間近かに清流のせせらぎに身を置くこともできる小駄良川。斜面に張り付くように狭小な敷地に建つ川沿いの人家は、3階建て・4階建ての特徴的な多重構造。裏手には川べりに降りる玉石積みの階段も備えている

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【photo】 旧越前街道沿いにある延命地蔵の右手には小さな水飲み場がある(左) 尾崎町にある水舟は住民の暮らしを支え、暮らしに潤いを与える(右)

 小駄良川に架かる朱塗りの清水橋を渡ると、鬱蒼とした雑木林に覆われた小高い山を取り囲むように旧越前街道沿いに家並みが延びる尾崎町となります。ふたつの川に挟まれた平場に寄り添うように立ち並ぶ家々の間に、清水が引かれた小さな水場を持つ延命地蔵尊と「尾崎の水舟」がひっそりとありました。街中にある水舟の多くが観光用に整備されている一方、こちら6ヶ所の水舟は生活に密着した本来の姿を留めるものです。郡上八幡の水舟は山形県遊佐町のkajimachi_gujyo.jpg湧水「神泉(かみこ)の水」などと同様に段差が設けられ、上段が飲用水、中段が食べ物の冷却用と洗浄用、下段が洗濯用となり、水と共に暮らす人々の知恵を窺い知ることができるのでした。

【photo】二階部分に斜めにせり出した防火壁「卯建」を備えた伝統的な郡上八幡の風情を漂わせる格子窓の屋並みが残る職人街、鍛冶屋町

 清水橋の上流にある洞泉橋を渡って本町を左に折れると、朱色ないしは黒格子の旧家が残る職人町・鍛冶屋町に至ります。隣家と軒を接する町屋造りの家々の二階には、防火のための袖状の白壁「宇立・卯建(うだつ)」が二階部分にせり出しています。こうした古い家並みが見られるもう一つの地区、柳町を経由したのち、濃厚な大豆の風味が味わえる「ざる豆腐」(たれ付450g500円/250g350円)が評判の「郡上豆腐」へ。昼食を済ませていたので、デザート代わりに杏仁豆腐(180円)を買い求め、宮ヶ瀬橋方向へ戻りながら食べましたが、これが美味しかった!! えてしてありがちな薬品っぽさを感じるゼラチン状の食感ではなく、まったりとした上品な甘さは癖になりそう。いっそ店に引き返そうかとも思いましたが、tirol_gujyo.jpg 子どもたちが夏場に勇気を試される吉田川への飛び込みを行うことで知られる新橋付近までその時点で戻っていたため、お替りは泣く泣く諦めたのでした。

 休憩に立ち寄った新町通の珈琲館「チロル」も、先ほどの郡上豆腐と同様、店先に清水が流れ出ています。自家焙煎したコーヒー豆をサイフォンで飲ませてくれるというので、通常の3倍の豆を使い、2/3の量しか抽出しない「ストロング」(450円)を注文しました。深いアロマに包まれたコーヒーが美味しかったのは勿論、何にもましてコップ一杯のひんやりした水の美味しさが際立っていたと言ってはお店に失礼でしょうか。

【photo】清水が流れ出す珈琲館「チロル」の店先(上) チロルの「ストロング」ブレンド(下)

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 「水の町」郡上八幡は、こうしてさまざまに水にまつわる表情を見せてくれました。「水の都」Veneziaヴェネツィアは世界的な観光地として俗化がいかに進もうと、それを補って余りある独特のオリエントの香りや地中海の覇者として君臨した栄華の遺香漂う魅力的な街ですが、奥美濃の水の町もなかなかに魅力的でした。水づくしがお題となったこの日の最終目的地、田植えを控え水を張った水田に散居集落の浮島が出現する奇跡の景観が広がる富山県砺波市へと東海北陸道を引き返す前に立ち寄らなくてはならない場所がありました。郡上市で産声を上げたという「食品サンプル」の製造現場レポートは次回「庄内系 奥美濃路を行く vol.2」でご報告!

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2009/05/18

お詫びとお知らせ

Viaggio al Mondo ~あるもん探しの旅~
ご愛読の皆様へ

 現在、新規コメントを頂戴する際にエラーとなり、書き込みができないケースが発生しています。 5/10にコメントを頂いた「虎」さま、何度か当方よりお返事を試みたのですが上記のような状況のため、コメントバックできずにおりました。大変失礼いたしました。

当方で原因の解明を試みたところ、コメントをご投稿頂く際に

  ◆名前:

  ◆メールアドレス:

  ◆URL:

の3項目とも入力して頂かないと、ご投稿頂いたコメントをブログソフトが受け付けない設定になっていることが判明しました。そのためブログソフト提供元に改善を申し入れました。ご面倒をおかけして誠に申し訳ございませんが、当面コメントを頂戴する場合は、事情をお汲みとり頂き、上記◆印の3項目とも入力下さいますようお願い致します。

今後ともご支援・ご愛読のほどお願い致します。  Miscusi. 庄内系イタリア人

2009/05/17

お雛さまは、いとをかし

naitou_hina.jpg【photo】新潟村上の村上市郷土資料館(おしゃぎり会館)に展示された村上藩主内藤家旧蔵の大名雛。村上藩7代藩主 内藤 信親公に輿入れした庄内藩8代目藩主 酒井 忠器公の娘おいよ様が持参したと伝えられる

庄内系お雛さまの愉しみ方

 食べ物・飲み物への執着ぶりからして、完全に"色気より食い気"派だろうと思われがちな私ですが、それは誤解です。健全な身体を維持するためには、真っ当な食事が欠かせないのは無論ですが、それだけでは前世イタリア人のラテンの血は納得しません。全土が美に溢れた「Bel Paese ベル・パエーゼ」(=「美しい国」を意味するイタリア人が好んで使う言い回し)で前世を過ごしたゆえ、息を呑むような風景や建造物、歴史の淘汰を受けてなお人を魅了するバロック音楽や美術品などに接してココロの栄養も摂取しないと心身に変調を来たします。

 無機的なモダンアートは苦手ですが、琴線に触れる花鳥風月の対象は世の東西を問わず、時にそれは調和の美を重んじるギリシア・ローマに端を発する西洋古典芸術であり、9世紀から11世紀にかけてシチリアを支配したアラブ様式でもあり、酒田出身の写真家、土門 拳が心血を注いだ連作「古寺巡礼」で写し取った深遠なる和の精神世界や、最上川にほど近い戸沢村津谷に生まれた画家、真下 慶治が幾度となくカンヴァスに表現した最上川の雪景だったりもします。

kasafuku_2009.jpg【photo】大正ロマンを代表する画家、竹久夢二が酒田へのスケッチ旅行の滞在先として愛用した元料亭、「山王くらぶ」。北前船が酒田にもたらした往時の活気と賑わいを彷彿とさせる1895年(明治28)に建てられた凝った造りの建物は、国の登録有形文化財の指定を受けている。106畳の2階大広間に展示された色とりどりの大きな傘福

 ラテンの血といえば、色気と食い気が高いレベルで同居するイタリア人の血がなせる業なのか、洞爺湖サミットで会場となったホテルの女性従業員に二度三度と投げキスを送ったベルルスコーニ伊首相をご記憶かと思います。各国首脳による恒例の記念撮影が終わり、手を振るサルコジ仏首相clicca quiをつかまえて「男子たる者かく振舞うべし」とばかりに、熱いBaci バチ(=kissの伊語)を投げかけました。(リンク先の写真はイタリアの新聞「La Repubblica」webサイトより) 共にハグ&キスが挨拶となるラテンの国同士ですが、さすがはイタリア男!というひと幕でした。72歳にしてなお女性をめぐるゴシップに事欠かないベルルスコーニ首相。愛想をつかした20歳年下のベロニカ夫人と離婚の危機にあることがつい先日La Repubblica 紙などで報じられました。そんな隙間風が吹くベルルスコーニ夫妻にもぜひ鑑賞頂きたいのが、柔和な笑みを浮かべて仲むつまじく並ぶ日本の時代雛です。

shugetsu_mitsuike.jpg【photo】鶴岡市中心部の各商店が参加する「鶴岡商店街雛めぐり」の白眉は三井家蔵座敷2階広間に並ぶ3代目原舟月作の古今雛。上段は太刀持ちを従えた雛と内裏。二段目は三人官女。三段目が女性の七人囃子。舟月特有の吊り目がちな瓜実顔が揃うものの表情は全て異なる。一体だけ目尻を下げ、エクボを浮かべて微笑む写実的な表情をしたお囃子の美女が特に印象深い

 ここ数年、新潟下越地方の村上と山形各地、秋田由利本荘地域にかけて、北前船交易で江戸から明治期に主に上方より伝わった見事な雛人形を春先に公開しています。ご存知の通り雛人形と一口にいっても作られた時代と作者によって千差万別で、意匠を凝らしたその優美な佇まいは決して見飽きることがありません。雛人形が段飾りとなる以前の様式のため、大ぶりで厳かな表情が気品を漂わせる「享保雛」は商家など町方のお雛様でした。宮中の儀式における装束などを史実に基づいて公家や大名がオーダーメードした「有職雛」、作風を確立した京都の人形師の名で呼ばれる丸顔の「次郎左衛門雛」、現在に伝わる雛人形の原型となった写実性の高い「古今雛」、小ぶりながら精緻な細工が施された雛道具と共に段飾りされる「芥子雛」など。時代は違えど女児の健やかな成長を願う心は同じ。母から娘へと大切に伝えられ、愛されてきたお人形たちは、見る人を雅(みやび)な時代絵巻へと誘います。

spaghetti_salmone_zuppa.jpg【photo】喜っ川の「鮭のクリームスープ」はパスタソースにも最高。試作段階から「期待して下さいね」と吉川専務が語っていた意欲作のクリームスープには、甲殻類と通じるようなコクのある鮭の旨みがぎっしりと凝縮。鮭の切り身と青菜を少量加え、スパゲッティを和えるだけでプロ仕様の和洋折衷なパスタ料理の出来上がり。コレはクセになりそう

 京友禅の朱色や口紅の原料となった紅花の産地、山形内陸の河北町谷地(やち)や大石田町といった最上川交易の拠点、および庄内米の集積地として繁栄した酒田周辺と隣接する鶴岡などにもたらされた雛人形を一般に公開する雛祭りは、まず谷地地区で「谷地のひなまつりLink to Website」としていち早く観光行事化されました。庄内藩の城下町鶴岡と隣接する湊町・酒田では鐙屋や本間家などの豪商「三十六人衆」による自治都市として江戸期に栄え、北前船が寄航した日本海側一帯でもとりわけ質の高いお雛様が伝えられました。それらには古今雛の創始者である江戸の人形師、原舟月(しゅうげつ)の人形も多く含まれます。お膝元の東京周辺では戦災によりあらかた失われた名工の手になる雛人形が庄内には数多く残されています。そのお雛様の素晴らしさは日本各地のお雛様をみてきた雛人形研究の第一人者である藤田 順子さんが質・数ともに認めるところです。

hinagashi_fujitani.jpg【photo】3月になると「タイ切身」と品名表示されたこの「藤谷菓子舗」製の練り切り菓子同様、庄内各地のスーパー店頭にはこうしてパック詰めされた色鮮やかな雛菓子が並ぶ

 今年で3シーズン目となる雛祭り時期の訪問が叶った越後村上で鮭の買出しを兼ねて「町屋の人形さま巡りLink to Website」から今年の雛街道めぐりはスタートしました。商家に眠っていた時代雛という地域資産(=私が言うところの「あるもん」ですね)を一般公開し、客足の途絶えていた商店街に多くの観光客を呼び込む起爆剤となった村上の人形さま巡り。その仕掛け人でもある「味匠 喜っ川」の吉川 真嗣専務の意欲作で、絶妙のパスタソースにもなる「鮭のクリームスープ」、新巻鮭や世間一般の製品とは比較にならないほど奥深い旨みがある塩引鮭酒びたしなどを喜っ川で調達した翌日は、怒涛が岩に砕け散る少し前までの厳しい冬の表情から穏やかな春のそれへと変わったキラキラと輝く日本海沿いを北上して酒田を訪れました。最初に足を運んだ先は、それぞれに娘の幸福を願う意味が込められた手作りの吊るし飾り「傘福」が今年は特に見応えがあるという酒田市日吉町の「山王くらぶLink to Website」から。折からの「おくりびと」ブームも手伝って、そこはたいへんな賑わいでした。雛飾りとしての傘福は庄内のほか伊豆稲取と福岡柳川に同様の事例が伝わるだけだといいます。

   【photo】住吉屋菓子舗4代目の本間三英さん作の牡丹菓子。薄く延ばした花弁用の紅白の生地と葉の生地を型紙にあてて針でくり抜く。成型のための接着剤を使用せずとも生地は互いに付着するという。思わず蜜蜂も寄ってきそうな生花かと見紛うばかりの黄色いおしべには花粉がリアルに表現され、大輪の花びらには縦の筋まで刻まれる (写真提供:致道博物館)

 食い気ばかりではないと冒頭で大見得を切ったものの、庄内の雛まつりで見逃せないのが、特徴ある雛菓子の存在です。雛菓子と言えば、緑・白・赤の三段重ねになった「菱餅」や「ひなあられ」が一般的ですが、庄内のお雛菓子は京菓子の流れをくみながらも、独自の発展を遂げたものです。今年で10年目を迎えた庄内雛街道の隆盛とともに全国的にも珍しい庄内の彩り豊かな雛菓子文化は注目を集めるようになりましたが、戦後の物不足が解消してもしばらくの間、伝統的な雛菓子作りが庄内地方の菓子店でも途絶えた時代がありました。大変な手間がかかる雛菓子作りは、とても採算が合う仕事ではなかったからです。1979年(昭和53)3月発行の鶴岡市の広報紙には、当時の庄内で落雁(らくがん)・有平糖(あるへいとう)・雲平(うんぺい)などの雛菓子作りをただ一人続けていた鶴岡の菓子店「門屋」の主人、青沢 金太郎(故人)が紹介されています。

sumiyoshiya_degansu.jpg【photo】鶴岡市役所向かいの物産館「でがんす」に飾られていた住吉屋菓子舗3代目の本間三雄さん作の雛菓子《拡大表示》。巻鯛を中心に口細カレイ・鮎・庄内柿・松茸・バナナ・桃・民田ナスなどの題材を子どもの目を楽しませるよう愛らしく仕上げる

 初めて目にする独特の雛菓子に「これは一体何だろう?」と思ったのは、"庄内デビュー"を果たして間もない2004年(平成16)春先のこと。酒田市内の食品スーパー店頭で鮮やかな色どりのパック詰めされた商品に目がとまりました。「タイ切身」と書かれたその商品(1パック900円)は、どう見ても鯛の切り身ではありません。テラテラとした照りのある外観のサクラマスとおぼしき切り身とキッチュな配色の尾頭つきの鯛をかたどった食品サンプルのような外観を呈しており、ラベルの記載によると酒田市松山地区の「藤谷菓子舗」が製造した生菓子であることだけは判りましたが、どのような意味がある菓子なのか全くもって謎でした。

【photo】酒田の老舗「御菓子司 小松屋」の雛菓子は木型で造形する片栗粉細工。先代店主の故・小松久雄さんが本間家の依頼を受けて店に残る木型をもとに戦前までの製法を復活させたのが平成4年のこと。その技を受け継いだご子息の9代目店主 尚さんによる繊細極まりない筆使いと細工の巧みさをほんの数センチという菓子の小ささがより一層引き立てる
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 翌年、雛街道の時期に訪れた酒田の本間家旧本邸Link to Websiteと鶴岡の致道博物館Link to Websiteには、それぞれに壮麗な雛人形はもちろんのこと、牡丹をかたどった50cm以上はあろうかという大きな飾り菓子と、野菜や鯛などを模した淡い色調の打ち菓子(落雁)や寒天と溶かし砂糖でコーティングして照りを出したポップな印象すら与える愛らしい練り切り菓子などが展示してありました。祝い事に欠かせない鯛が雛菓子になるのは合点がゆくのですが、サクラマスがどうして雛菓子になるのか最初は皆目見当がつきませんでした。

 サクラマスは別名「雪代鱒」とも呼ばれ、峰々の雪代水が赤川に注ぎ始める3月初旬に日本海での流し網漁が解禁となります。川魚のヤマメの一部が孵化後2年目に海へと下り、日本近海とサハリン周辺で体長70cmあまりに育ち、銀鱗化したサクラマスとなって3年目の春に生まれた川へ戻り、秋の産卵に備えます。山形県の魚に指定されているサクラマスが遡上のピークを迎えるのは4月。雪に覆われた厳しく長い冬の終わりを告げるかのように川を遡上してくる初物のサクラマスのかわりに、北国に暮らす人々はその切り身をかたどった菓子をお雛様に供えて、春の訪れを祝ってきたのです。

 直径2mの赤い天蓋から999個にも及ぶ細工物が下がる最大の傘福をはじめ、60もの「さがりもの」が色とりどりに飾られた山王くらぶと、観光スポットとして人気が高い舞娘茶屋・雛蔵畫廊 「相馬楼」Link to Websiteでお雛様に供えられていたのが、1832年(天保3)創業の御菓子司「小松屋」Link to Websiteの可愛らしい飾り菓子でした。

 片栗粉をベースに粉砂糖、上新粉、山芋粉を混ぜた生地を木型で成型して日本画用の刷毛などで優しい色合いにひとつひとつ彩色したものです。淡くぼかした柔らかな色彩といい、職人が手彫りする精緻な木型の技術といい、その匠の技にはBravo!(ブラーヴォの「ラ」は巻き舌で発音のこと)と舌を巻くほど。小松屋さんの雛菓子は食用にするのではなく、お雛様に供えるためのものだといいます。見る人を魅了して止まないこの飾り雛菓子は数多くのバックオーダーを抱えている上、全て手作業によるため、注文した菓子が仕上がるのは2年後のことだそう。

honma_mitsuo.jpg【photo】丙申堂で行われた雛菓子作り体験で指導にあたる住吉屋菓子舗の本間三雄さん

 鶴岡に移動して向かったのは、黒土三男監督の映画「蝉しぐれ」で藩主の側室となったふく(木村佳乃)が、藩主の死去に伴い出家を決意、密かに思いを寄せていた文四郎(市川染五郎)との今生の別れとなる20年ぶりの再会を果たす場面が撮影された旧風間家住宅「丙申堂」でした。庄内藩随一の御用商人で、のちに荘内銀行の母体の一つとなる貸金業に転身した風間家の邸宅跡では、雛飾りの展示とともに熟練の菓子職人の手ほどきを受けながら、雛菓子作り体験ができました。庄内ひな街道期間中には、傘福飾りや雛祭りにちなんだ絵ろうそくなどを制作する体験プログラムも用意されています。なかでも繊細で色鮮やかな庄内の雛菓子の数々を目にするにつけ、かねてより菓子作り体験にはぜひ参加したいと思っていました。
 
 そこに指南役としておいでだったのが、大正期に創業した鶴岡市の菓子店「住吉屋菓子舗」の三代目ご主人、本間 三雄さん(74歳)でした。住吉屋さんの名を初めて知ったのは、庄内藩主酒井家に輿入れした諸大名の姫君が持参した数々の雛飾りと、金地に典雅な絵が描かれた大名家ならではの貝合わせや豪華な蒔絵と精緻な細工の飾り金具が施された漆塗の家紋入り雛道具の名品が公開される致道博物館でのこと。会場内には、鶴岡の各菓子店が技を競うかのように意匠を凝らした雛菓子が展示されており、その中でも前出の住吉屋菓子舗によるひときわ大きな紅白の牡丹菓子が印象に残りました。「富貴草」と名付けられたその牡丹菓子は、三雄さんのご子息で4代目の三英さんが手掛けたものでした。

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【photo】雛菓子作り体験に用意された「巻き鯛」の練り切り材料(写真手前)。紅白の練り切り生地と赤餡(左) 手で紅白の生地をあわせて丸く成型する(中) 中に赤餡を詰めて再び丸く平らにする(右)

 18歳で菓子職人として修業を始め、家業を継いで半世紀あまり。本間さんは鶴岡伝統の練り切り雛菓子の技を伝えて来ました。大粒種が主流となった戦後はほとんど姿を消した希少な白インゲン、小手亡(こてぼう)豆を白餡用に、小豆を赤餡用に裏漉しして皮を除いた煮豆を生地とします。水で溶いた砂糖水を加え、火にかけながら一時間ほど練り上げ、ここからツヤ出しの水飴を加える赤餡とは違って、白玉粉と砂糖を溶いた求肥(きゅうひ)と和えると生地にコシが出るのだといいます。庄内柿・民田ナス・孟宗筍・口細カレイなどの地元の産物を成型する練り切りの用途に応じて食紅で着色すると生地が出来上がります。

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【photo】紅白の練り切り生地のつなぎ目を指でぼかす(左) 白地に黒い生地の目玉をつける(中) 全体のバランスをみながら竹べらでウロコやエラなどをつけて完成(右)

 菓子作り体験の参加者に用意されていたのは、練り切りの中に詰める赤餡のほか、鯛・桃・民田ナスなど作る題材別に着色された生地でした。下ごしらえに手間がかかる和菓子だけに、限られた時間内に成型過程だけを体験してもらおうという主催者側の配慮なのでしょう。まずは参加者を前に本間さんが「巻き鯛」の作り方を実演して下さいました。丸い形状の巻き鯛は釣り上げた活きの良い鯛が尾びれを巻き上げている姿を表現したもので、木型で作る標本のような鯛とは姿形が異なります。otehon_honma.jpgこの道50年以上の本間さんは竹ベラを使って手際よく姿の良い巻き鯛を形作ってゆきます。名人のお手本を目の当たりにした私は、家族が選んだ桃や柿ではなく、巻き鯛作りに挑戦することにしました。

【photo】本間さんのお手本作品。民田ナスの棘があるガクの部分は束にした爪楊枝と和バサミで形作る

 まず赤と白の生地を1/2づつ手のひらで合わせ、指先で継ぎ目の色をぼかします。手のひらを重ねて丸く平らにした中に赤餡を詰めて外側を紅白の生地で包み込みます。再び平たくしたところで目玉を付け、竹ベラで背びれのギザギザやウロコなどを表現してゆきます。makidai_7.jpgいわば粘土細工と同じ感覚ですが、実物に迫る再現性を求められるだけに、それなりの器用さも必要。私の隣で巻き鯛作りに挑んだ男性は、四苦八苦の末お手本とはおよそかけ離れた仕上がりに苦笑いを浮かべておいででしたが、初めての練り切り菓子作りだった私の作品の出来栄えはいかがでしょう? 食べてしまうのがもったいないようでしたが、結局食い気には勝てずに翌日には残さず程よい上品な甘さの菓子を美味しく頂いたのでした。
(→やっぱり色気より食い気じゃん!)

【photo】庄内系イタリア人作 「赤マンボウ」 「巻き鯛」


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