あるもの探しの旅

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2009/06/28

初めてだけど「まだ来すた」

農家レストラン「まだ来すた」 @ 奥州市胆沢区


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【photo】農家レストラン「まだ来すた」の目印は、散居村の中を延びる道沿いに立つ大きなこの看板

 私の身の回りでは、ほとんど耳にすることが無くなった宮城のお国言葉で「また来たよ」を意味する「まだ来すた」という農家レストランを初めて訪れたのは、日本三大散居の胆沢を訪れた日のこと。明治生まれの私のNonna(祖母)が時折使っていたものの、今となっては懐かしい響きを持つ maddachista とイタリア語ならば表記されるであろう(?)このお店。食事を終えた先客も思わず顔をほころばせた「また来(ご)ざいね~」(→「また来てくださいね」の意)という元気なはじけた声で来店客を送り出す農家のマンマ7名が5年前に立ち上げた農事組合法人によって運営されているのでした。

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 薪を積み上げた大きな木妻(キヅマ)で仕切られた敷地には、明治期に建てられた旧家の作業場を改装したというレストランの建物を挟んで、手前には入母屋造りの民家を改修した市営の農業研修施設、奥には馬小屋と納屋を改装した野菜ソムリエのいる産直「おだづめ」と南部小麦を使った焼菓子を扱う「おやつ屋」が併設されています。

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【photo】農家のお母さんとの会話が楽しいカウンター席ほかテーブル席が配置された「まだ来すた」店内 (上写真)
産直「おだづめ」(左下写真)と菓子店「おやつ屋」
(右下写真)


 引き戸を開けて店内に足を踏み入れると、梁を渡した高い天井と木製のカウンターとテーブル、昔懐かしいダルマストーブや仙台箪笥などが配置された民芸調の空間が出迎えてくれます。壁には筆書きの和紙が張り出され、この店の食に関する三つのこだわり宣言が記されていました。胆沢のものを使うこと。胆沢の心を伝えること。真心を大切にすること。

kamado_madakista.jpg【photo】自家精米した籾殻をダルマストーブの燃料にして炊く香り高いごはんが人気。かまど炊きならではの香ばしい「おこげ」もお願いすれば混ぜてもらえる

 提供する料理に使用される素材は、ほとんどが地元産だといいます。お米はもみ殻を燃料に釜で炊き上げる天日干しした特別栽培米ひとめぼれ。うどんに使用する小麦はグルテンが柔軟で腰のある仕上がりになる南部小麦の玄麦。豆腐には全量胆沢産の大豆を使い、たっぷりの野菜とおからを和えたハンバーグなどの「豆太郎」と呼ばれる料理として提供されます。籾殻の強すぎない柔らかな火で炊いたお米は、えもいわれぬ柔らかな香りを漂わせます。

mametaro_madakista.jpg【photo】豆太郎セット(左)

 肉類も当然地元産にこだわり、地元の地鶏、胆沢黒毛和牛、ランドレース種×大ヨークシャー種×デュロック種の交配種「やまゆりポーク」などを使用しているのだそう。この日は店自慢の糠釜ごはんに、豆腐と野菜のハンバーグ、サラダと小鉢、具だくさんの味噌汁、デザートにコーヒーが付いた豆太郎セットと、柔らかく煮込んだ奥州牛すじ煮セット(ともに1,050円)を頂きました。つやのある粒が立った香りのよいご飯はお代わり自由だというので、もう一膳所望しました。

oushugyu_madakista.jpg【photo】奥州牛すじ煮セット(右)

 ご飯を待つ間に眺めた壁の張り出しには「古き良き時代に新しさを知る 忘れかけていたなつかしい味がここにある 手作りの良さを地元素材で伝えたい 安心安全を真心をこめて」と書かれています。その言葉通り、化学調味料を用いない自然な味付けを施された飾らない料理は、いずれも食べる人を思ったお母さんのぬくもりが伝わる家庭の味なのでした。

 「また来ざいね~」という天真爛漫な明るい声に見送られて店を後にしました。

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農家レストラン まだ来すた
住所:岩手県奥州市胆沢区若柳字大立目19
phone:0197-46-4241  月定休
営:11:00-16:00 (4月-12月)
  11:00-15:00 (1月-3月・金土日のみ)
◆食べログもチェック⇒農家レストラン まだ来すた (和食(その他) / 奥州市その他)
昼総合点★★★☆☆ 3.5

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2009/06/21

散居ふたたび

「日本三大散居」@岩手県奥州市胆沢区

 歌舞伎「桜門五三桐」で京都南禅寺の三門の上に立った石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな。春の眺めは価(あたい)千金とは、小せえ小せえ。この五右衛門の目から見れば、価万両、万々両」と見得を切る名ゼリフ。そして松島の絶景を前に言葉を失った松尾芭蕉が、やっと捻り出した句「松島や ああ松島や 松島や」。これらはいずれも後世の創作で、どうやら史実とは異なるようです。

 今を遡ること320年前に記された紀行文「奥の細道」には、旅の最大の目的地であった松島訪問を果たした芭蕉の句が残されていません。満開の桜を前に雄弁な大盗賊とは対照的に、さすがの俳聖も浮島が生み出す奇観を的確に表現する言葉が見つからなかったのでしょう。isawa_sinistra.jpg【photo】焼石岳(写真奥)から奥州市胆沢区へと延びる扇状地は、水に恵まれた穀倉地帯。そこに日本三大散居のひとつに数えられる散居風景が広がっている

 この春、富山県砺波平野の浮島【Link to back number】が織り成す散居風景を前にした私も「絶景かな、絶景かな。この庄内系の目から見れば価万€(エウロ)、万々€ 」と口走り、「浮島や ああ浮島や 浮島や」と呟いたとか、呟かなかったとか...。コメ作りを営む人々が作り出した農村風景の白眉ともいえる散居。その特徴が最も顕著に見られる砺波平野を一年で最も美しいであろう時期に訪れた上は、残る日本三大散居も見ておかなくては。そのひとつ島根県出雲平野は、いかにETC装着車の休日高速料金が1000円といえども、さすがに遠いっす┐(´~`;)┌ 。京都議定書で掲げた ‐6%のCO2削減目標達成に協力するためにも、遠方への移動は差し控えることにしました。

isawa_destra.jpg【photo】見分森公園展望台から眺めた上写真の風景から東側に連続して広がる散居。屋敷の北西側を覆うように茂る居久根

 そこで5月24日(日)に訪れたのが、岩手県奥州市胆沢区の散居です。奥羽山系の焼石岳(1548m)南麓から流れる胆沢川とその支流が北上川へと注ぐ扇状地に位置する奥州市は、2006年(平成18)に 水沢市・江刺市・胆沢郡前沢町・同胆沢町・同衣川村が合併して誕生しました。そこはかつて大和朝廷に反旗を翻し、坂上田村麻呂に滅ぼされた蝦夷の英雄アテルイの本拠地であり、平安末期の平泉に黄金文化を花開かせた奥州藤原氏の勢力下にありました。廃藩置県後は岩手県に編入されましたが、戦国末期から江戸期には伊達氏が治めた地方です。

 東北自動車道を平泉前沢ICで下車、その地勢を確認するために、散居の様子が地上から確認できる展望台が整備された見分森公園展望台へと向かいます。小高い丘に造られた展望台からは、360度のパノラマが一望のもと。低い雲が垂れ込めたこの日は北に聳える岩手山と早池峰山こそ確認できませんでしたが、西側の雲の合間に残雪を頂く焼石岳と田植えを終えて間もない田んぼに囲まれた散居の様子が間近かに眺められました。砺波の散居展望台がある夢の平地区は、庄川を挟んだ山の上にあるため、散居とはいささか距離がありますが、この見分森公園展望台は散居村との距離が近く、「居久根(エグネ)」と呼ばれる屋敷林を備えた散居の様子が手に取るよう。散居を仔細に観察できる点では、胆沢の散居もなかなかですが、散居村自体の規模の大きさと屋敷林「カイニョ」を備え、ヨーロッパの町並みに相通じる統一感すら感じさせる切妻の住まい「アズマダチ」が点在する景観の美しさでは砺波に軍配が上がるでしょうか。
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【photo】
大きな杉木立と軒先程度の背丈の竹垣(写真右側)、青々とした生垣(写真左側)、が組み合わされた居久根。その一部(真ん中部分)が木妻になっている胆沢における典型的な散居

 鳥の目線で散居風景をしばし堪能した後、地域内を車で回ってみました。冬の季節風を遮るため、胆沢の散居は北西側を杉木立の居久根で囲まれています。数が少ないため探すのに苦労しましたが、居久根の一角を丸太や流木などを縦横交互に積み上げて、本来は稲藁や麦藁の屋根を葺いて(最近はトタンで代用されるケースがほとんど)、塀状にする胆沢地域特有の木妻(キヅマ)が残る家もわずかながら認められました。木妻はかつて焚き木用の薪として、風除けとして、さらには塀の代わりとして大切にされたのだといいます。岩手県内屈指の穀倉地帯ならではの伝統的な散居様式の住まいが点在する一方で、残念ながら没個性な今風の住宅や店舗が徐々に散居の景観を侵食している印象は拭えませんでした。
isawa_kizuma.jpg【photo】 昼食に訪れた農家レストラン「まだ来(き)すた」には、長さ10mはあろうかという「木妻」が組まれていた。薪を背丈ほどの高さまで縦横交互に積み重ねてトタン葺きの屋根をのせたそれは、立派な塀の役割を果たす

 世界文化遺産に指定されて以降、テーマパークと見まごうばかりに観光地化が進む白川郷はいささか興醒めにしても、先月訪れた世界文化遺産、五箇山に残る合掌造りの家々は、養蚕が盛んであった雪深い山あいの暮らしから生まれたものです。その幾つかが本来の用途を離れて資料館や土産物店・民宿などの観光資源として命脈を保っていたとしても、屋根の葺き替えなどの保守管理に大変な労力を要する歴史的な町並みが今も保たれていること自体は、とても尊いことです。水が豊かな扇状地ゆえに発達した胆沢の散居は、コメ作りを続けてきた先人の知恵と工夫の結晶でもあります。そんなかけがえの無い散居を末永く守り伝えてほしいものですね。

 散策の合間に立ち寄ったのは、散居村からほど近い旬の地の物を食べさせてくれる一軒の農家レストランでした。そのレポートは次回「初めてだけど まだ来すた」【Link to next issue】」にて。

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2009/06/14

東北初「真のナポリピッツァ」誕生

Verde Ischia ヴェルデ・イスキア
穂波街道 緑のイスキア

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 またひとつ「食の都・庄内」に国内外から真価を認められる新たな魅力が加わりました。この春、鶴岡市羽黒町にあるピッツェリア「穂波街道 緑のイスキア」が、ピッツァ発祥の地、ナポリに本部を置く「Associazione Verace Pizza Napoletana アソチアツィオーネ・ヴェラーチェ・ピッツァ・ナポレターナ(以下、真のナポリピッツァ協会)」から、本場ナポリの味を伝える店として、東北初の認定を受けたのです。

【Photo】「真のナポリピッツァ協会」認定店の目印は、このプルチネッラの看板。店ごと登録順に通し番号が発行される。古参の認定店であることを示す登録番号10を掲げるナポリ湾に面したサンタルチア地区にある庶民的な老舗リストランテ・ピッツェリア「Marinoマリーノ」

 ピッツァ専門店 Pizzeria ピッツェリア(イタリア人は「ピッツェーア」と発音)にとって、栄誉な真のナポリピッツァ協会認定店となるには、同協会が定めた厳格な基準をクリアしなければなりません。世界共通の通し番号入りの認定証が交付される認定店には、噴煙を上げるヴェスヴィオ火山とピッツァを薪窯に出し入れする際に使う柄のついたヘラ状の道具「Pala パーラ」を手にした協会のシンボル、ナポリの古典劇に登場するsalita_s.anna_brandi.jpg黒マスクに白装束姿の道化「プルチネッラ」が描かれた VERA PIZZA Napoletana と記された看板を掲げることが許されます。穂波街道 緑のイスキアは、4月20日に大阪で行われた交付式で、世界で296番目、日本では30番目の認定証が贈られました。

【Photo】ピッツァ・マルゲリータを編み出した「Brandi ブランディ」(写真左の旗が掲げられた店)は、王宮前広場にあるエレガントなカフェ「Gambrinus ガンブリヌス」脇の路地を入ってすぐの場所にある。真のナポリピッツァ協会非加盟ながら、発祥店の誇りをかけた絶品との呼び声が高いマルゲリータ(下)を求めていつも客足が絶えない

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 一口にピッツァと言っても、地域ごと独自の文化が息づくイタリアでは、厚みのある四角いピッツァを切り分けて量り売りする Pizza al Taglio ピッツァ・アル・タッリオや生地を揚げた Pizzetta ピッツェッタなど、スタイルはさまざま。バジル・チーズ・ラルドを使ったMastunicola マストゥニコーラなるピッツァの原型が17世紀に、18世紀半ばにはトマトソースを載せた生地に火を通す現在のスタイルが登場したピッツァ発祥の地ナポリでは、生地の美味しさが際立つカリッとした外側と、モチッとした内側の食感が命です。ナポリと並ぶピッツァ文化の両雄と目される首都ローマでは、パリパリしたクリスピータイプの薄い生地が特徴のPizza Romana ピッツァ・ロマーナが主流となります。ことピッツァに関してローマvsナポリの好みを申せば、私は断然ナポリ支持派。ふっくら盛り上がった生地の外周部分「Cornicione コルニチョーネ」のモチモチした食感はナポリピッツァだけのものです。

di_matteo.jpg【Photo】ナポリ中心部ドゥオーモ近くのVia Tribunali トゥリブナーリ通りにある42号認定店「Di Matteo ディ・マッテーオ」のマルゲリータ。'94年のナポリサミットでビル・クリントン米大統領がお忍びで訪れた店として知られる。当時の村山富市首相は、歓迎夕食会の席上、急性胃腸炎でダウンし入院。ローマで酩酊騒動を引き起こした中川大臣といい、日本の閣僚にはイタリアの食事が鬼門?

 1984年、ナポリの名だたるPizzaiolo ピッツァイオーロ(ピッツァ職人)らが中心となって旗揚げした真のナポリピッツァ協会は、Pizza Napoletana ピッツァ・ナポレターナの伝統技術を守り、後世にそれを伝えるための綿密なDisciplinare(=規約)【pdf】を作成しました。2006年9月には日本支部【Link to Website】が設立され、第二次大戦後にBrandi_Napoli.jpgイタリア南部からの移民が伝えたピッツァを独自に変化させたアメリカ経由でもたらされたピザパイ文化が根強い日本において、ナポリ本来のピッツァの姿を伝える啓蒙活動を行っています。

【Photo】1989年、マルゲリータ誕生100周年を記念する大理石のプレートが発祥の店 Brandi 外壁に掲げられた。120周年にあたる今年、協会による記念事業が行われる

 宅配で届くピザには、テリヤキチキンやプルコギ(!)、コーンやパイナップル(!!)などの具がさまざまにトッピングされ、もやはそれは国籍不明のピザ風ミートパイ状態。極めつけはイタリア人が聞いたら卒倒しそうなマヨネーズソース(!!!)にお決まりのタバスコを振りかけ、あらかじめ切れ目の入ったそれを手でほおばるのが日本に定着しているピザの食べ方です。便利な宅配ピザを否定はしませんが、これらはナポリピッツァとはおよそかけ離れたもの。ゆえに前世イタリア人の私は、世間一般に使われる「ピザ」という和製英語にどうしても違和感を覚えます。近年、本場で修業した日本人ピッツァイオーロが作る薪窯の薫りが香ばしい生地を味わう「ナポリピッツァ」を提供する店が増え、ようやく本来のピッツァが市民権を得てきました。

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【Photo】真のナポリピッツァ協会は、電気やガスなどの熱源を窯に使用することを一切認めていない。薪や木屑を燃やして摂氏450℃~485℃に窯の内部を保つようピッツァイオーロに求めている。窯の床面で焼かれるピッツァは1分あまりで出来上がる。この穂波街道 緑のイスキアのピッツァ窯には、審査で店を訪れたガエターノ師匠の熱い心意気を示す「心の底から幸運を祈ってるよ」という意味のハート型メッセージ〈clicca qui〉が書き加えられた

 日本的なピザはさておき、まずは良質の水と食材の宝庫・庄内に誕生した東北初の協会認定店のピッツァがいかなるものか味わってみましょう。最初にお断りしておきますが、Brandi がそうであるように、認定店でなければ本格ナポリピッツァが味わえない訳では決してありません。認定を受けようとする店が協会に申請の上、対価を支払って審査・認定を受ける認定店ではありませんが、鶴岡市役所裏手の馬場町にある「pizzeria Gozaya (ゴザヤ)」でも、本場よりは幾分小さめなジャポネーゼ仕様ながら、オーナー兼ピッツァイオーロの三浦 琢也さんが薪窯で焼き上げる真っ当なナポリピッツァが頂けます。ピッツァ・ナポレターナお約束の"外パリ中モチ"な香ばしい生地は、紛れもないナポリピッツァそのもの。ナポリピッツァの代名詞ともいえるマルゲリータで500kcal、同じくマリナーラで350kcal ほどと意外に低カロリーなので、胃袋のキャパに自信がある方は、真のナポリピッツァのハシゴにチャレンジしてみては如何? ゲプッ...scusi.

verde_ischia.jpg【Photo】店で提供するお米や野菜は、27年以上に渡って無農薬で土を作ってきた庄司さんの田んぼや畑で採れる安全なもの。その田畑に囲まれて建つ「穂波街道 緑のイスキア」

 鶴岡市中心部から赤川に架かる三川橋を越えると、R345の両側には豊かな穀倉地帯が広がってきます。波打つ穂波の中にぽつんと浮かぶイタリア国旗を掲げる孤島のような白い総二階建ての店、穂波街道 緑のイスキアの原点は、東京から羽黒の農家に嫁いだ庄司 祐子さんが、ご主人の渡さんと農業法人「J・FARM」を立ち上げ、自家製の有機野菜とアイガモ農法で栽培するコメの直売所を開店させた1994年(平成6)に遡ります。 ほどなく始めたのが、まだその頃は東北はもちろん全国でも珍しかった農場直営のレストラン「穂波街道」でした。当時は畑で採れた野菜を使ったカレーなどの親しみやすい料理を提供していた穂波街道が、最初の転機を迎えたのが、2年後に鶴岡ワシントンホテル料理長を辞したばかりの現「アル・ケッチァーノ」オーナーシェフ、奥田 政行氏を料理長として迎え入れ、イタリア料理店としてメニューを一新したことでした。庄司さんが自家栽培したハーブやオーガニック野菜を取り入れたイタリアンはやがて評判を呼び、素材にこだわる本格イタリアンとして、観光ガイドブックで紹介されるようになります。

vista_aragonese.jpg【Photo】古代ローマが礎を築き、ゴート族・アラブ・ノルマン支配の後、15世紀半ばにナポリを支配していたアラゴン家のアルフォンソ王によって、陸地と通路が渡されて要塞化されたCastello d'Ischia イスキア城(下写真)より望む緑に覆われたイスキア島。手前の町はIschia Ponte イスキア・ポンテ。庄司建人さんが修行したピッツェリアDa Gaetano はここからすぐ近く

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 2000年(平成12)春に奥田氏が独立した後も農家イタリア料理店として営業を続けていた穂波街道に、私が最初に伺ったのが山形エリアを仕事で担当していた2003年(平成15)初夏のこと。レストランに隣接する庄司さんの田んぼでは、アイガモやフランスガモたちが雑草をついばんでいました。当時の穂波街道で印象的だったのは、風に揺れる稲穂がどこまでも続く豊かな庄内の原風景に惚れ込んだ庄司さんの想いを込めた店名にふさわしい無農薬の健全な土から生まれるコメの美味しさです。数十種のハーブを栽培する畑の前には、農家レストランの体験メニューとして用意されたピッツァを焼くための小さな手製の窯も作られていました。

kenji_gaetano_ischia.jpg【Photo】旧東欧圏バルカン半島の付け根にあたるアルバニア出身の青年二コーラとイスキア島のDa Gaetano で修行中の建人さん

 その頃、東京で学生生活を送っていた祐子さんのご子息 建人(けんじ)さんが、ナポリピッツァの美味しさと出合い、ピッツァイオーロを志します。本場で腕を磨こうと決意した建人さんは、真のナポリピッツァ協会で主任技術指導員を務めるガエターノ・ファツィオ氏の店、「Da Gaetano ダ・ガエターノ」【Link to Website】があるイスキア島へと旅立ちます。ガエターノ氏は、これまでも数多くのピッツァイオーロを志す日本人を迎え入れてきた親日家でもありました。その中には、2003年にナポリで開催された「ピッツァ世界選手権」の個人部門で初めてイタリア人以外で優勝した「ピッツァ サルヴァトーレ・クオモ」(東京)のプリモ・ピッツァイオーロ 大西 誠氏も含まれます。(同店は2006年にチームテクニカル部門でも最高賞を獲得した) 15人のスタッフ中10人がイタリア人以外という国際色豊かなダ・ガエターノで、飲み込みの早い建人さんは、師匠の技術をわずか2カ月で習得して日本へ帰郷、母が営む店にプリモ・ピッツァイオーロとして迎えられました。店の中心にイタリア製の薪窯を据え、南イタリア風の白を基調とした内装のピッツァがメインとなるピッツェリア「穂波街道 緑のイスキア」として2007年11月にリニューアルします。

shinsa_honamikaido.jpg【Photo】今年3月に行われた本審査の模様。手前の赤いセーターを着た恰幅の良い後姿の男性がガエターノ・ファツィオ氏。

 真のナポリピッツァ協会日本支部によって行われる事前の書類審査と実地審査を経て、イタリア本部が派遣する協会役員によって行われる本審査に臨んだのが今年3月12日。建人さんの師であり協会の主任技術指導員を務めるガエターノ・ファツィオ氏、同協会日本支部長で1997年に日本初となる92号認定店となった兵庫県赤穂市のピッツェリア「さくらぐみ」オーナー兼ピッツァイオーロ【Link to Website】西川 明男氏、同支部副支部長で東京広尾と恵比寿の店が日本で3番目・4番目の認定店指定を受けたピッツェリア「パルテノペ」総料理長【Link to Website】渡辺 陽一氏ら3名が審査に当たりました。師匠と弟子の関係とはいえ、協会が定める厳格な規定に沿ったピッツァであるかを厳しくチェックされるため、そこに私情を挟む余地などありません。前出のDisciplinareにある通り、ナポリ周辺のカンパーニア州産と定められたモッツァレラチーズほか原材料や海塩に限るとされる調味料の産地はどうか、厳密に規定されている生地の配合具合・発酵と成型具合など素材の管理はどうか、必ず薪を使わなければならない窯の温度管理は的確か、35cm以下とされるピッツァのサイズや火の通り具合は均一か、定められた道具を使っているか、などなど。審査の厳しい視線や取材のカメラを前に緊張したと語る建人さんですが、焼きあがった完成度の高いピッツァに、ガエターノ師匠ら3人の審査員は高い評価を与え、晴れて東北初の認定店として認められました。

mare_forio.jpg【Photo】イスキア島西部の港町Forioフォリオ郊外。切り立った緑の森と水辺で戯れる人々が集う小さな砂浜

 あふれんばかりに陽光が降り注ぐナポリ湾の沖合いに浮かぶ美しい島々で最も大きな Isola d'Ischia イスキア島。海沿いの町を除く島の中央部には手つかずの自然が残っています。そのため「l'isola del verde(伊語で「緑の島」の意)」ともそこは呼ばれています。船着場がある島の表玄関 Ischia portoイスキア・ポルトからは、映画「イル・ポスティーノ」の舞台となったプロチーダ島がすぐ目の前。その彼方にはヴェスヴィオ火山の稜線を見晴るかすことができるはず。目線を南東に転ずれば、紺碧のティレニア海の水平線上に切り立った岩肌が露出する高級リゾート地カプリ島を望むことができるでしょう。外国人観光客がほぼ一年中絶えることのないカプリ島に比べれば素朴な漁村の一面も垣間見せるイスキア島を訪れるのは、温泉目当てのドイツ人を除けば、イタリア国内からのケースが多いようです。
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【Photo】多くのヴィッラが並ぶチェルノッビオの船着場前に建つヴィッラ・エルバ・ヌオヴァ。中庭を挟んで建つヴィッラ・エルバ・ヴェッキアでヴィスコンティは4時間を越える畢生の大作「ルートヴィヒ」の編集を手掛けた

 そんな一人が映画監督のルキーノ・ヴィスコンティ(1906-1976)です。若き日のアラン・ドロンを起用した「若者のすべて(1960年作品)には、尖塔が立ち並ぶミラノのドゥオモ屋上で撮影された場面が登場します。14世紀、この後期ゴシック様式の聖堂建造に着手したのは、ルキーノの祖先であるミラノ公国の領主ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティでした。ダヴィンチが15世紀に要塞化したミラノのスフォルツァ城をかつて所有していたのもヴィスコンティ一族。そんなミラノきっての有力貴族の血を引く巨匠は、一族の寄進で造られた町エミリア・ロマーニャ州グラッツァーノ・ヴィスコンティにある城館や湖水地方コモ湖畔などに所有する別荘を仕事場としても使っていました。大作「Ludwig ルートヴィヒ(1972年作品)制作中に発症した脳血栓で半身不随となった体で編集作業を行ったのは、コモ湖畔の高級ホテルとして有名な「Villa d'Este ヴィッラ・デステ」がある街Cernobbio チェルノッビオに母方のエルバ家が所有していた二つの壮麗な別荘「Villa erba ヴィッラ・エルバ」でした。

IschiaLaColombaia.jpg 【photo】ヴィスコンティが愛したかつてのヴィッラ「La Colombaia」は、2006年に博物館として生まれ変わった

 オペラや舞台の演出にしろ、映画作りにしろ、決して妥協を知らぬ完全主義者だったヴィスコンティは、芸術家たちが集う場として、また仕事を離れてプライベートな時間を過ごす場として、イスキア島西部の港町Forioフォリオの町はずれに建つ別荘を購入します。地中海に面した高台にある館は「La Colonbaia ラ・コロンバイア(=伊語で「鳩小屋」の意)」と呼ばれ、ルキーノは夏だけでなく時間を見つけては足繁く緑に覆われた館に通ったのだといいます。1982年(昭和57)に初版が、そして一昨年復刻版が出版された篠山紀信の写真集「ヴィスコンティの遺香」には、撮影当時は生前そのままに保存されていた別荘の貴重な姿が収録されています。巨匠が揃えたアールデコ、アールヌーボーの内装で統一された建物は、生誕100年を迎えた2006年に政府の肝いりで設立された「Fondazione La Colombaia di Luchino Visconti ラ・コロンバイア財団」によって、撮影で使用された衣装などを展示するヴィスコンティ博物館として生まれ変わりました。その裏庭には、永遠の安息を得る地としてそこに葬られることを望んだヴィスコンティの華麗な足跡とは不釣合いなほど質素な墓がありました。

tomba_visconti.jpg【photo】イタリア屈指の名家の血を引くヴィスコンティが眠るのは、お気に入りだったイスキア島の別荘「La Colombaia」のひっそりとした裏庭だった

 イスキアといえば、全国から訪れる悩みを抱えた人々を迎え入れ、おむすびに象徴される心を込めた手料理で生きる力を取り戻す支えとなる宿泊施設を青森県弘前市で主宰する佐藤 初女さんを思い起こす方もおいででしょう。初女さんの自宅を改装して造った癒しの空間は、「森のイスキア」と名付けられました。命名の由来は、何不自由ない満ち足りた暮らしをしていながら、ある日突然何もかもが嫌になり、生きる意欲を失った一人のイタリア人青年の逸話に基づくのだといいます。生きる目的を失った無気力な日々を送るうち、青年はふと思い立ってナポリの富豪だった父親に少年の頃連れて行かれたイスキア島を訪れます。喧噪を離れた島の中心部にある廃墟となった教会に単身滞在した青年は、自身をじっくりと見つめ直します。美しい島の自然風景に癒された彼は再び生きる力を取り戻し、やがて日常生活に帰ってゆきました。初女さんは、折れそうになった人の心を癒やし、立ち直る力を得る糧として、ご自身の言葉をお借りすれば、"ごはんが息をできるように"今日も優しくおむすびを握ります。

 人の心を癒す初女さんの愛情が込もったおむすびは特別にせよ、おむすびは日本人のソウルフードともいえましょう。現世では日本人ながら、前世はイタリア人だった私にとっては、おむすび同様に郷愁をそそるソウルフードのひとつが、ピッツァ・ナポレターナです。東北初の真のナポリピッツァ協会認定店誕生!との情報を入手し、穂波街道を再び訪れたのは、かつてそこから巣立った奥田シェフプロデュースの銀座店「ヤマガタ サンダンデロ」旗揚げを祝う生産者による壮行会に参加を求められた4月11日(土)昼過ぎのことでした。年間通して温暖な気候に恵まれ、グランブルーの海に抱かれた南イタリアの理想郷、イスキア島のVillaヴィッラ(=別荘)を彷彿とさせる明るい内装のピッツェリアにそこは生まれ変わっていました。早口でまくしたてるイタリアのWebラジオ放送が流れる店内には、イスキアのゆったりとした時間が流れているかのよう。

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【photo】生地には大手製粉メーカーに籍を置くパルテノペ 渡辺 陽一氏が配合する国産小麦粉とナポリ産小麦粉を使い分け、ナポリ産トマトソース(左)とナポリ東方45kmのサレルノ近郊から毎週空輸されてくる新鮮な水牛乳モッツァレラ・チーズ(右)を使う

 私が注文したピッツァD.O.Cをカウンターの中で手際よく仕上げてゆく建人さんの手元を頼もしげに見つめるのは店長の祐子さん。その目線に温かさを感じるのは、お母様なるがゆえでしょう。こうした親子・兄弟など家族で店を営むスタイルは、イタリアでよく見かけます。建人さんはあれこれ話を聞き出そうとする私と会話しながらも、窯を何度かのぞき込んでは焼き加減を確認します。燃え盛る薪に近いほうが先に焼けるので、金属製のパーラでピッツァを半回転させ、全体がこんがりキツネ色になったところで、協会が定める鉄製のパーラで焼きあがったピッツァを窯から取り出しました。そして建人さんは私の前世がイタリア人だと言葉の端々から悟ったのか、さりげなく「切ってお出ししていいですか?」と私に問いかけたのです。お、そこまで本場流にこだわるのかっ!

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【photo】全てハンドメードで造られるナポリ窯の最高峰「Gianni Acunto ジャンニ・アクント」の窯にピッツァを入れるのは木製(左)、向きを変えて窯から取り出すのは鉄製のパーラ(右)

 前出の協会が定める規約には、La verace pizza napoletana va consumata appena sfornata(=真のピッツァ・ナポレターナは焼き立てのうちに食べるべき)と明文化されています。食べ方にまで注文を出す本場ナポリでは、窯に近いかぶりつきのテーブルに陣取った地元のナポレターノたちは、切らずに出されたアツアツのピッツァをナイフとフォークを使って食べてゆきます。ズボラな私は、厳しい審査員の目が無いことをいいことに、建人さんのご厚意に甘えて、Prego.(=どうぞ)と答えていました。いずれピッツァは熱いうちに頂くのが店に対する礼儀です。撮影も早々にナイフで食べやすい大きさにピッツァをさらに切り分けてほおばると、喧騒と活気に満ちたナポリ下町の香りが口腔いっぱいに広がるのでした。

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【photo】カウンター脇から建人さんの仕事ぶりを見つめる祐子さん(上左)ピッツァD.O.C(上右)協会から授与された296の通し番号入りサインボードを手にする建人さん(下)

numero_296.jpg ナポリから1万kmも離れた地で、ナポリ文化そのものであるピッツァの味をよくぞ再現した!と師匠を納得させたそのピッツァは、身も心も(→「mi」とは言ったものの、ここでは「i=胃」を指すニュアンスが強いです、ハイ満たしてくれる、一皿で完結する料理を意味するまさに「Piatto unico ピアット・ウニコ」でした。26歳にしてピッツァ職人としての腕を認められた建人さんは、鶴岡にある本格的なピッツェリア同士、Gozayaの三浦さんとコラボでナポリピッツァの魅力を多くの人に知ってもらえる何か面白い仕掛けをしたいと語ります。緑に囲まれたピッツェリア、穂波街道ヴェルデ・イスキアは、今後どんな展開を見せてくれるのでしょうか。まずはともかく、Complimenti (おめでとう) Kenji!

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「真のナポリピッツァ協会」認定店
ピッツェリア「穂波街道 緑のイスキア」
  住所)鶴岡市羽黒町押口字川端37
     Phone 0235-23-0303  Fax 0235-57-4185
  イートイン・デリバリー:平日11:00-14:00 L.O 17:30-20:30 L.O
       土日祝11:00-14:30 L.O 17:30-21:00 L.O 火曜定休
  URL:http://www.midorinoischiak.com/
  Menu:ピッツァ・マルゲリータ 1,785円 ピッツァD.O.C(ドック)2,310円  
       食の都・庄内ならではの食材を活かした南イタリア料理も充実!!

◆「l'Isola del Verde(=緑の島)」こと、イスキア島およびDa Gaetano‎ はこちら
               
    
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ピッツェリア 緑のイスキアピザ / 鶴岡駅
夜総合点★★★★ 4.0
昼総合点★★★★ 4.0

追記
 2009年6月11日(木)、ナポリでピッツァ・マルゲリータ生誕120周年の記念イベントが行われた。世界中で愛されるマルゲリータの名前の由来となったのは、イタリア国民から広く敬愛されたサヴォイア家のマルゲリータ王妃(1851-1926)。マルゲリータを最初に考案したBrandiには、この日120周年を記念するプレートが贈られた。王妃に扮した女性が馬車でうやうやしく登場、ピッツァにかぶりつくパフォーマンスも行われた。一歩間違えれば"共食い"に見えなくもないマルゲリータの感想を求められられた"なんちゃってマルゲリータ王妃"は「Buono(=おいしい)」「Ottimo(サイコー)」とわかりやすいコメント。仮面姿のプルチネッラが振る舞い餅ならぬ"振る舞いピッツァ"で盛り上げに一役買ったお祝いムードに沸く当日の模様はこちら
    


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