あるもの探しの旅

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散居ふたたび

「日本三大散居」@岩手県奥州市胆沢区

 歌舞伎「桜門五三桐」で京都南禅寺の三門の上に立った石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな。春の眺めは価(あたい)千金とは、小せえ小せえ。この五右衛門の目から見れば、価万両、万々両」と見得を切る名ゼリフ。そして松島の絶景を前に言葉を失った松尾芭蕉が、やっと捻り出した句「松島や ああ松島や 松島や」。これらはいずれも後世の創作で、どうやら史実とは異なるようです。

 今を遡ること320年前に記された紀行文「奥の細道」には、旅の最大の目的地であった松島訪問を果たした芭蕉の句が残されていません。満開の桜を前に雄弁な大盗賊とは対照的に、さすがの俳聖も浮島が生み出す奇観を的確に表現する言葉が見つからなかったのでしょう。isawa_sinistra.jpg【photo】焼石岳(写真奥)から奥州市胆沢区へと延びる扇状地は、水に恵まれた穀倉地帯。そこに日本三大散居のひとつに数えられる散居風景が広がっている

 この春、富山県砺波平野の浮島【Link to back number】が織り成す散居風景を前にした私も「絶景かな、絶景かな。この庄内系の目から見れば価万€(エウロ)、万々€ 」と口走り、「浮島や ああ浮島や 浮島や」と呟いたとか、呟かなかったとか...。コメ作りを営む人々が作り出した農村風景の白眉ともいえる散居。その特徴が最も顕著に見られる砺波平野を一年で最も美しいであろう時期に訪れた上は、残る日本三大散居も見ておかなくては。そのひとつ島根県出雲平野は、いかにETC装着車の休日高速料金が1000円といえども、さすがに遠いっす┐(´~`;)┌ 。京都議定書で掲げた ‐6%のCO2削減目標達成に協力するためにも、遠方への移動は差し控えることにしました。

isawa_destra.jpg【photo】見分森公園展望台から眺めた上写真の風景から東側に連続して広がる散居。屋敷の北西側を覆うように茂る居久根

 そこで5月24日(日)に訪れたのが、岩手県奥州市胆沢区の散居です。奥羽山系の焼石岳(1548m)南麓から流れる胆沢川とその支流が北上川へと注ぐ扇状地に位置する奥州市は、2006年(平成18)に 水沢市・江刺市・胆沢郡前沢町・同胆沢町・同衣川村が合併して誕生しました。そこはかつて大和朝廷に反旗を翻し、坂上田村麻呂に滅ぼされた蝦夷の英雄アテルイの本拠地であり、平安末期の平泉に黄金文化を花開かせた奥州藤原氏の勢力下にありました。廃藩置県後は岩手県に編入されましたが、戦国末期から江戸期には伊達氏が治めた地方です。

 東北自動車道を平泉前沢ICで下車、その地勢を確認するために、散居の様子が地上から確認できる展望台が整備された見分森公園展望台へと向かいます。小高い丘に造られた展望台からは、360度のパノラマが一望のもと。低い雲が垂れ込めたこの日は北に聳える岩手山と早池峰山こそ確認できませんでしたが、西側の雲の合間に残雪を頂く焼石岳と田植えを終えて間もない田んぼに囲まれた散居の様子が間近かに眺められました。砺波の散居展望台がある夢の平地区は、庄川を挟んだ山の上にあるため、散居とはいささか距離がありますが、この見分森公園展望台は散居村との距離が近く、「居久根(エグネ)」と呼ばれる屋敷林を備えた散居の様子が手に取るよう。散居を仔細に観察できる点では、胆沢の散居もなかなかですが、散居村自体の規模の大きさと屋敷林「カイニョ」を備え、ヨーロッパの町並みに相通じる統一感すら感じさせる切妻の住まい「アズマダチ」が点在する景観の美しさでは砺波に軍配が上がるでしょうか。
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【photo】
大きな杉木立と軒先程度の背丈の竹垣(写真右側)、青々とした生垣(写真左側)、が組み合わされた居久根。その一部(真ん中部分)が木妻になっている胆沢における典型的な散居

 鳥の目線で散居風景をしばし堪能した後、地域内を車で回ってみました。冬の季節風を遮るため、胆沢の散居は北西側を杉木立の居久根で囲まれています。数が少ないため探すのに苦労しましたが、居久根の一角を丸太や流木などを縦横交互に積み上げて、本来は稲藁や麦藁の屋根を葺いて(最近はトタンで代用されるケースがほとんど)、塀状にする胆沢地域特有の木妻(キヅマ)が残る家もわずかながら認められました。木妻はかつて焚き木用の薪として、風除けとして、さらには塀の代わりとして大切にされたのだといいます。岩手県内屈指の穀倉地帯ならではの伝統的な散居様式の住まいが点在する一方で、残念ながら没個性な今風の住宅や店舗が徐々に散居の景観を侵食している印象は拭えませんでした。
isawa_kizuma.jpg【photo】 昼食に訪れた農家レストラン「まだ来(き)すた」には、長さ10mはあろうかという「木妻」が組まれていた。薪を背丈ほどの高さまで縦横交互に積み重ねてトタン葺きの屋根をのせたそれは、立派な塀の役割を果たす

 世界文化遺産に指定されて以降、テーマパークと見まごうばかりに観光地化が進む白川郷はいささか興醒めにしても、先月訪れた世界文化遺産、五箇山に残る合掌造りの家々は、養蚕が盛んであった雪深い山あいの暮らしから生まれたものです。その幾つかが本来の用途を離れて資料館や土産物店・民宿などの観光資源として命脈を保っていたとしても、屋根の葺き替えなどの保守管理に大変な労力を要する歴史的な町並みが今も保たれていること自体は、とても尊いことです。水が豊かな扇状地ゆえに発達した胆沢の散居は、コメ作りを続けてきた先人の知恵と工夫の結晶でもあります。そんなかけがえの無い散居を末永く守り伝えてほしいものですね。

 散策の合間に立ち寄ったのは、散居村からほど近い旬の地の物を食べさせてくれる一軒の農家レストランでした。そのレポートは次回「初めてだけど まだ来すた」【Link to next issue】」にて。

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