io sono shozzurista ショッツリスト宣言

地域資源こそ活性化の切り札
男鹿・イタリア魚醤フォーラム2009
11月22日(日)、秋田県男鹿市で伝統的な魚醤「しょっつる」で男鹿地域に活力を与えようという催しが行われました。県内外はもちろんのこと、イタリアと韓国からのゲストを含めて150名以上が参加して行われたこの催しを主催した「男鹿半島まるごと博物館協議会」は、男鹿地域の活性化を目指して地元に光を当てようと圏域の観光・商工団体・NPOらで今年3月に組織された団体です。
同協議会では、内閣府が推進する「地方の元気再生事業」に採択された「男鹿半島『神の魚ハタハタ・地魚』復活プロジェクト」で、ハタハタをはじめとするアジ・イワシ・コウナゴなど男鹿の豊かな水産資源を起爆剤とした複合的な地域活性化に取り組んでいます。ここ一ヶ月間で彼らが仕掛けたハタハタとしょっつるに関する催しが立て続けに行われています。
「おら家(え)のしょっつる料理博覧会」が行われたのが12月13日(日)。一口にしょっつると言っても使う魚の種類やその部位など、製法や熟成期間によって、さまざまな味があることが協議会による調査で改めて浮き彫りになっています。会場となった男鹿市脇元公民館には、仕込まれて44年を経たヴィンテージものなど多種多様な自家製しょっつるが集められ、興味深げに味見する来場者の姿が見られました。ハタハタを使う代表的な秋田の郷土料理「しょっつる鍋」と、しょっつるを使った伝統的な家庭料理「しょっつるなます」
「ねりけもち」などに加え、新たな感覚を盛り込んだ創作料理、新旧あわせて15点ほどの紹介と試食も行われました。
12月12日(土)・15日(火)の両日、男鹿市船川港の産直施設「かねがわ畑」で開催された「ハタハタしょっつる講習会」には各日30名が参加。男鹿地域で最もハタハタ漁が盛んな同市北浦在住で、自家製しょっつるを作り続けて40年というベテラン鎌田 妙子さん(75)が、熟練の技でしょっつる作りの手順を指南しました。自家製のしょっつる作りは初めてという参加者たちは、3年後の出来上がりを楽しみに旬のハタハタ10kgを仕込んだ樽を自宅に持ち帰りました。
協議会がこうした一連の取り組みを仕掛ける背景には、かつて男鹿では当たり前のように見られた自家製のしょっつるを作る家庭が、現在確認されている限りにおいて、10世帯ほどしかなく、いずれも70歳以上の高齢者が作っているという現実があります。このままでは、伝統ある男鹿のしょっつる文化の多様性は数年後に失われてしまうに違いありません。
【photo】挨拶に立った男鹿半島まるごと博物館協議会 山本 次夫会長(左写真)とカンパーニャ州サレルノ県アンナ・フェラッツァーノ副知事(右写真)、冒頭の講演でショッツリスト宣言を発表する秋田県水産振興センター杉山 秀樹所長(中央写真)

こうした状況のもとで行われた「男鹿・イタリア魚醤フォーラム2009」のテーマは「魚醤文化の交流と、その利用法を探る」というもの。今や日本食はブームの域を超えて世界中へと広がりつつあり、もはや味付けのベースに醤油が欠かせない sushi、tempura、sukiyakiは世界共通語です。穀物から作られる現代の醤油のルーツと考えられる中国の醤(ひしお)は、魚や肉の動物タンパクから作られたもので、魚醤は醤油よりも歴史的には古いものです。中国で誕生した醤油を独自に発展させた醤油文化の本家を自認するニッポン人なら、そもそも魚醤が果たしてイタリアに存在するのか、いぶかしく思われる方もおいででしょう。
【photo】アンチョビやコラトゥーラに加工される地中海産カタクチイワシ。なかでもチェターラのイワシは形が小ぶりだという(右上写真)
【photo】渡部 幸男男鹿市長の講演「男鹿の地域づくりについて」(右写真)セコンド・スクイッツァート チェターラ町長による講演「チェターラ市と魚醤」(左写真)父が創業したIASA s.r.l.を兄と共同経営するルチア・ディ・マウロさんの講演「チェターラの魚醤・コラトゥーラ」(中央写真)
かつてイタリアには古代ローマ時代に広く使われた魚醤「Garum ガルム」が存在しました。帝政ローマ初期、初代皇帝アウグストゥスから二代ティベリウスの治世に美食家として鳴らしたApiciusアピキウスの料理本「De Re Coquinaria デ・レ・コンクイナリア」には、ギリシャ発祥とされる万能調味料ガルムに関する記述が残されています。紀元前8世紀から南部沿岸やシチリアを足がかりにイタリアへの入植を進めたギリシャ人は、カタクチイワシなどから作る魚醤の製造法をもたらしていたのです。ローマ帝国の滅亡とともに忘れ去られたガルムは、13世紀に「Colatura コラトゥーラ」と名前を変えて復活します。

【photo】講演を終え、男鹿・チェターラ相互に贈り物の交換。男鹿には海洋都市ならではのイルカがモチーフとなったチェターラの紋章入りプレートが、イタリア側にはナマハゲの面と写真集が贈られ、大喜びのチェターラ市長とサレルノ県副知事(左写真) 魚醤の町という共通点を生かして今後も交流を続けることを誓い、固い握手を交わす両首長
第二次大戦後、いち早く復興を遂げたイタリア北部・中部と比べて所得水準が低かった南イタリアの小さな漁村でも、1980年代以降はコラトゥーラを貧しさの象徴と考える風潮が広まり、16世紀まで遡るチェターラの魚醤を作る人がいなくなって、20年ほど前に一度は途絶えます。風前の灯火である男鹿の自家製しょっつると同じ状況が20年前にイタリアでも起こっていたのです。歴史ある魚醤コラトゥーラが人々の記憶から薄れかけた頃、21世紀に入って南イタリア・サレルノ県のアマルフィ海岸にある小さな漁村「Cetara チェターラ」で再び蘇ります。
【photo】今ではコラトゥーラの町としてイタリアで広く認知されるチェターラ。古代ローマ時代の魚醤ガルムの流れを汲むコラトゥーラと並ぶ町のシンボルは、アラブやノルマンなどの外敵から町を守ってきた写真中央の「Torre di Cetara チェターラ塔」
その推進役となったのが、現職に就任して3年目というセコンド・スクイッツァート町長や「Associazione Amici delle Alici di Cetara チェターラ・カタクチワシ協会」を2002年に立ち上げたピエトロ・ペッシェ(pesce=伊語で「魚」の意。名は体を表す!)会長、地元のリストランテ「San Pietro サン・ピエトロ」のフランチェスコ・タンマーロ シェフら、チェターラ人のアイデンティティーともいうべきコラトゥーラに誇りを持つ人々でした。伝統的な食文化の復興という共通命題のもと、彼らは各人各様の役割を果たしました。
【photo】谷口 吉光 秋田県立大教授がコーディネーターを務めた魚醤フォーラム「しょっつるで男鹿を元気に」。コラトゥーラを使った料理を目的にチェターラを訪れる観光客を増やすことで町に活力を与えた経験に基づき、伝統ある魚醤の復活に奔走したイタリアのメンバーから、しょっつるを地域おこしに役立てようと一歩を踏み出した男鹿の人々に向けて、力強いエールが送られた
2003年、スローフード協会はコラトゥーラを伝統的な製法で作られる保護すべき食材「Presidio プレジディオ」に指定します。これが契機となり、それまでは過去の遺物として忘れ去られていたコラトゥーラがメディアを通して広く知られるようになります。紺碧の地中海から切り立った断崖沿いにまばゆい太陽が織りなす絶景が続く世界遺産の「Costiera Amalfitana アマルフィ海岸」にあって、静かな漁村チェターラを観光客が訪れることなど、20年前まではあり得なかったのです。
【photo】チェターラ・カタクチワシ協会ピエトロ・ペッシェ会長
♪ Vide 'o mare quant'e bello! Spira tantu sentimento,...(美しい海!感傷を誘う...)と自分のもとを去った恋人に語りかけるカンツォーネの名曲「Torna a Surriento 帰れソレントへ」(⇒ルックス重視の男声グループ「IL DIVO」顔負けのイタリア人少年、Piero ピエロ 15歳・Gianluca ジャンルーカ 14歳・Ignazio イグナツィオ 14歳。将来の三大テノール(?)が国営放送Rai uno に登場、美声で魅了するTV番組「Ti lascio una canzone」は必見 )の舞台となったソレントとサレルノ50km間に点在するポジターノやアマルフィといった宝石のように美しい海辺の町の影に隠れていた人口2,400人の小さな漁村が、現在ではコラトゥーラを使った料理を目当てに足を運ぶ観光客で賑わっています。
【photo】2006年10月にスローフード協会が開催した食の国際イベント「サローネ・デル・グスト」。プレジディオ指定を受ける食品のコーナーにあった「チェーターラ・カタクチワシ協会」のブース。右から5人目が今回来日した現町長セコンド・スクイッツァート氏、4人目がコラトゥーラ料理を提供するリストランテ「サン・ピエトロ」のシェフ、フランチェスコ・タンマーロ氏
今回のフォーラムには、イタリアからコラトゥーラを通して地域おこしに成功したチェターラ町長と、サレルノ県アンナ・フェラッツァーノ副知事ら行政関係者、コラトゥーラ復活の仕掛け人であるチェターラ・カタクチワシ協会ピエトロ・ペッシェ会長、イタリア初の瓶入りツナのオイル漬を商品化する一方で、木樽による伝統的なコラトゥーラの製法を守る「IASA s.r.l.(=有限会社)」の女性生産者ルチア・ディ・マウロさん、コラトゥーラを積極的に取り入れたチェターラの郷土料理を提供して人気を集めるリストランテ「サン・ピエトロ」のフランチェスコ・タンマーロ シェフらが来日。「こんだに大勢のイタリアの人がんだが男鹿さ来てけで...(=こんな大勢のイタリアの人たちが男鹿に来てくれて...)」と地元は歓迎ムード。
【photo】日本の漬物と同じく重石で蓋をした木樽で塩漬けにして仕込まれる伝統的なコラトゥーラの製法。4ヶ月を経過するとこうして宙づりにされ、樽の底に穴をあけてコラトゥーラが一滴ずつ集められる
迎える日本側は、男鹿半島まるごと博物館協議会の山本 次夫会長、渡部 幸男男鹿市長、チェターラとの交流のきっかけを作り、ハタハタと塩だけで作る伝統的なしょっつるを復活させた「諸井醸造所」諸井 秀樹代表【Link to back number】、「地産地消を進める会」代表を務める谷口 吉光 秋田県立大教授、秋田で幅広く活躍する料理研究家・米本 かおりさん、試食会でフランチェスコとのコラボで料理を振舞った秋田市のイタリアンレストラン「Osteria Arca オステリア・アルカ」の作左部 史寿オーナーシェフら多彩な顔ぶれが揃いました。
【photo】IASA社製のコラトゥーラ・ディ・アリーチ
20世紀初頭にアンチョビの製造を始めたディ・マウロ家。漁師であった父が1969年に創業した現在の会社を兄と営むルチアさんによれば、チェターラがあるサレルノ湾近海では、3月から7月上旬にかけてカタクチイワシ漁が行われます。サレルノ湾のイワシは小型で、特有の味を醸しだします。気温の低い夜間に漁が行われ、生きたまま加工場に運ばれてくるイワシの頭と内臓を除いて塩漬けするアンチョビと基本的な製法は同じ。閉じ蓋に重石を乗せた「Terzigno テルツィーニョ」という名の木製の樽で熟成させると、次第に液体が遊離してきます。木樽を使うことで独特の香りがコラトゥーラに移り、複雑味が加わります。仕込んでおよそ5ヶ月を経過した10月末から11月にかけて、樽の底に「avrialeアヴリアーレ」と呼ばれる道具で穴をあけ、したたり落ちる濃い琥珀色の液体を一滴ずつビンに集めます。100kgのイワシから10ℓのコラトゥーラが作られます。
【コラトゥーラ作りの模様をまとめた動画↓ 】
このようにして作られる薫り高い調味料「Colatura di alici コラトゥーラ・ディ・アリーチ 」は、サラダや野菜の煮込みから魚料理、パスタ料理に至るまで、幅広く用いられてきました。カトリック教国イタリアでは、救世主の誕生を待ちわびる待降節の最後の晩には、伝統的に肉食を慎み、魚を食べる習慣があります。チェターラではクリスマスイブの晩餐に用いる特別な贈り物としてもコラトゥーラが珍重されてきました。午前中のフォーラムでは、一度は失われたコラトゥーラをいかにして地域活性化に結びつけたのか、自身の体験をもとにセコンド・スクイッツァート町長は成功のカギとして4つのポイントを挙げました。
● 原料となるイワシ漁に携わる漁師の暮らしを守ること
● コラトゥーラの製造者が品質にこだわった良いものを作ること
● 料飲店の協力を得てコラトゥーラを料理に取り入れ、人々に良さを理解してもらうこと
● マスメディアと連携して多くの人々にコラトゥーラの町チェターラを知らしめること
チェターラは世界的に知名度の高いアマルフィ海岸という絶好のロケーションにあります。加えて近くに人口15万人のサレルノ、105万人のナポリといった大きな都市があったため、多くの観光客を引き寄せることができました。一方でスクイッツァート町長は、共通の目標に向かって歩調を揃えるのが苦手なイタリアの国民性を克服する必要性を課題として挙げました。地域ごと独立した都市国家として競い合った歴史が長く、統一国家としては150年に満たないイタリア。やることがバラバラで好き勝手な立ち振る舞いはイタリア人の専売特許です。対照的に巧みなプロモーションを繰り広げ、日本で確固とした地位を築いたボルドーワインは別格にしても、イタリアにも1934年に発足し、ハードチーズの王様として世界に冠たる名声を得たパルミジャーノ・レッジャーノの生産者組合「Consorzio del Formaggio Parmigiano-Reggiano パルミジャーノ・レッジャーノチーズ協会」の例だってあるのですから。 Forza(=頑張れ) Cetara,forza colatura!
【photo】コラトゥーラを使った南イタリアらしい郷土料理とカンパーニャ州のヴィーノやリモンチェッロなどのリキュールが用意された試食会場
魚醤を使ったチェターラ料理が用意された試食会では、参加者が用意された料理に舌鼓を打ちました。作佐部シェフによれば、青魚を用いるコラトゥーラのほうが、ハタハタを使うしょっつると比べてパンチが利いた味だといいます。イワシと並ぶチェターラの重要な漁業資源であるマグロのオイル漬けとアンチョビが前菜に用意され、サン・ピエトロのシェフ、フランチェスコ・タンマーロさんが作った耳のような形状をしたパスタ「オレキエッテ」は松の実と一緒にコラトゥーラとオイルでシンプルに味付けしてあります。ハタハタやイカなどの魚介をオリーブオイルで素揚げしたフリットもコラトゥーラで味付けして頂きました。由利本荘市から参加した吉尾 聖子さんは、普段はしょっつる鍋でしか用いない魚醤の幅広い使い方が面白かったと感想を述べ、JR東日本の奥村 聡子観光開発課長は、土産品としてのしょっつるの可能性にも期待を寄せたいと語りました。
【photo】日伊のシェフによる料理が並んだ饗宴より。コラトゥーラ風味のオレキエッテ(左写真)IASA社製のオイル漬マグロとアンチョビ(中央写真)ハタハタほか魚介のフリット(右写真)
1969年から韓国の魚醤「ミョルチッチョ」を済州島で作る魚醤生産者でもあるジャーナリスト、キム・チン・ファ氏と同島のシーフードレストラン「真味名家」を営むカン・チャン・クン氏も会場に駆けつけ〈clicca qui〉、海と共にある三ヵ国の人々が、共通項である魚醤を通して活発な意見交換が行われたフォーラムの冒頭で、かつて県の水産技師当時にハタハタの全面禁漁の必要性を漁師たちに説いてまわった秋田県水産振興センター杉山 秀樹所長から発表されたのが「ショッツリスト宣言」でした。
今回のフォーラムは、秋田の人々にとって主なしょっつるの用途であるハタハタを用いたしょっつる鍋だけではない、調味料としての汎用性の高さを知ってもらう狙いがありました。宣言には、先人の知恵の結晶であるしょっつるを愛し、世界各地の食文化・歴史と深いかかわりを持ちながら存在する魚醤文化の普遍性を知り、新たな発想を取り入れることで美味しさを再認識し、行政・漁業者・生産者・料理人・消費者が結束して地域固有の食遺産を継承してゆこうという、高い志と強い決意が込められていました。
300名以上の申し込みがあったフォーラムの参加者150名には、催しを主催した男鹿半島まるごと博物館協議会から「Myしょっつる運動」への参加が呼びかけられました。諸井醸造所が製造する秋田県産ハタハタのみを使用し、通常の5倍にあたる10年熟成させた「十年熟仙」が入った携帯用の小瓶が希望者に配布されたのです。固定概念にとらわれず、自由な発想でさまざまな料理にしょっつるを使う事で、普及と利用拡大を目指すこの運動の趣旨に賛同して、私も一本バッグの中にしょっつるを忍ばせています。以来、さまざまな食事にシュッと吹きかけ、しょっつるとの相性を試したり、知り合いの手に吹きかけて本物の香りを体験してもらっています。
【photo】さまざまな食事に使って下さいと「Myしょっつる運動」への参加を呼びかけ、主催者から希望者に配布された携帯に便利な小型容器に入った諸井醸造所製の10年熟成しょっつる「十年熟仙」(手前中央)
チェターラの人々が成し遂げた"コラトゥーラ・ルネッサンス"とでも呼ぶべき取り組みは、忘れられていた郷土の味に新たな角度から光を当てたものです。諸井醸造所の諸井 秀樹代表は午後のフォーラムで、もっと地元の人々がしょっつるを使い、自信を持つことの大切さを訴え、アドバイザーとして参加した渡辺 幸男男鹿市長は、地元の人々が自由な発想で付加価値をつけて外に発信することの大切さを痛感したと述べました。ひとかたならぬ郷土愛に裏打ちされたお国自慢にかけてはイタリア人の右に出る民族は稀でしょう。
コラトゥーラを通して活力ある町作りに成功したチェターラのセコンド・スクイッツァート町長が「現在の男鹿を見ていると数年前の自分たちの姿を見ているようだ。成功を信じて頑張ってほしい」と会場に呼びかけると、会場を埋めるショッツリストたちは拍手で応え、実り多いフォーラムを締めくくりました。












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