あるもの探しの旅

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2009/12/23

io sono shozzurista ショッツリスト宣言

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地域資源こそ活性化の切り札
 男鹿・イタリア魚醤フォーラム2009

 11月22日(日)、秋田県男鹿市で伝統的な魚醤「しょっつる」で男鹿地域に活力を与えようという催しが行われました。県内外はもちろんのこと、イタリアと韓国からのゲストを含めて150名以上が参加して行われたこの催しを主催した「男鹿半島まるごと博物館協議会」は、男鹿地域の活性化を目指して地元に光を当てようと圏域の観光・商工団体・NPOらで今年3月に組織された団体です。

 同協議会では、内閣府が推進する「地方の元気再生事業」に採択された「男鹿半島『神の魚ハタハタ・地魚』復活プロジェクト」で、ハタハタをはじめとするアジ・イワシ・コウナゴなど男鹿の豊かな水産資源を起爆剤とした複合的な地域活性化に取り組んでいます。ここ一ヶ月間で彼らが仕掛けたハタハタとしょっつるに関する催しが立て続けに行われています。

 「おら家(え)のしょっつる料理博覧会」が行われたのが12月13日(日)。一口にしょっつると言っても使う魚の種類やその部位など、製法や熟成期間によって、さまざまな味があることが協議会による調査で改めて浮き彫りになっています。会場となった男鹿市脇元公民館には、仕込まれて44年を経たヴィンテージものなど多種多様な自家製しょっつるが集められ、興味深げに味見する来場者の姿が見られました。ハタハタを使う代表的な秋田の郷土料理「しょっつる鍋」と、しょっつるを使った伝統的な家庭料理「しょっつるなます」koushu_shotturu.jpg「ねりけもち」などに加え、新たな感覚を盛り込んだ創作料理、新旧あわせて15点ほどの紹介と試食も行われました。

 12月12日(土)・15日(火)の両日、男鹿市船川港の産直施設「かねがわ畑」で開催された「ハタハタしょっつる講習会」には各日30名が参加。男鹿地域で最もハタハタ漁が盛んな同市北浦在住で、自家製しょっつるを作り続けて40年というベテラン鎌田 妙子さん(75)が、熟練の技でしょっつる作りの手順を指南しました。自家製のしょっつる作りは初めてという参加者たちは、3年後の出来上がりを楽しみに旬のハタハタ10kgを仕込んだ樽を自宅に持ち帰りました。

 協議会がこうした一連の取り組みを仕掛ける背景には、かつて男鹿では当たり前のように見られた自家製のしょっつるを作る家庭が、現在確認されている限りにおいて、10世帯ほどしかなく、いずれも70歳以上の高齢者が作っているという現実があります。このままでは、伝統ある男鹿のしょっつる文化の多様性は数年後に失われてしまうに違いありません。

 tsugio_yamamoto.jpg hideki_sugiyama.jpg anna_ferrazzano.jpg 【photo】挨拶に立った男鹿半島まるごと博物館協議会 山本 次夫会長(左写真)とカンパーニャ州サレルノ県アンナ・フェラッツァーノ副知事(右写真)、冒頭の講演でショッツリスト宣言を発表する秋田県水産振興センター杉山 秀樹所長(中央写真)

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 こうした状況のもとで行われた「男鹿・イタリア魚醤フォーラム2009」のテーマは「魚醤文化の交流と、その利用法を探る」というもの。今や日本食はブームの域を超えて世界中へと広がりつつあり、もはや味付けのベースに醤油が欠かせない sushi、tempura、sukiyakiは世界共通語です。穀物から作られる現代の醤油のルーツと考えられる中国の醤(ひしお)は、魚や肉の動物タンパクから作られたもので、魚醤は醤油よりも歴史的には古いものです。中国で誕生した醤油を独自に発展させた醤油文化の本家を自認するニッポン人なら、そもそも魚醤が果たしてイタリアに存在するのか、いぶかしく思われる方もおいででしょう。

【photo】アンチョビやコラトゥーラに加工される地中海産カタクチイワシ。なかでもチェターラのイワシは形が小ぶりだという(右上写真)

secondo_squizzano.jpg rucia_di_mauro.jpg yukio_watanabe.jpg【photo】渡部 幸男男鹿市長の講演「男鹿の地域づくりについて」(右写真)セコンド・スクイッツァート チェターラ町長による講演「チェターラ市と魚醤」(左写真)父が創業したIASA s.r.l.を兄と共同経営するルチア・ディ・マウロさんの講演「チェターラの魚醤・コラトゥーラ」(中央写真)

 かつてイタリアには古代ローマ時代に広く使われた魚醤「Garum ガルム」が存在しました。帝政ローマ初期、初代皇帝アウグストゥスから二代ティベリウスの治世に美食家として鳴らしたApiciusアピキウスの料理本「De Re Coquinaria デ・レ・コンクイナリア」には、ギリシャ発祥とされる万能調味料ガルムに関する記述が残されています。紀元前8世紀から南部沿岸やシチリアを足がかりにイタリアへの入植を進めたギリシャ人は、カタクチイワシなどから作る魚醤の製造法をもたらしていたのです。ローマ帝国の滅亡とともに忘れ去られたガルムは、13世紀に「Colatura コラトゥーラ」と名前を変えて復活します。

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【photo】講演を終え、男鹿・チェターラ相互に贈り物の交換。男鹿には海洋都市ならではのイルカがモチーフとなったチェターラの紋章入りプレートが、イタリア側にはナマハゲの面と写真集が贈られ、大喜びのチェターラ市長とサレルノ県副知事(左写真) 魚醤の町という共通点を生かして今後も交流を続けることを誓い、固い握手を交わす両首長

 第二次大戦後、いち早く復興を遂げたイタリア北部・中部と比べて所得水準が低かった南イタリアの小さな漁村でも、1980年代以降はコラトゥーラを貧しさの象徴と考える風潮が広まり、16世紀まで遡るチェターラの魚醤を作る人がいなくなって、20年ほど前に一度は途絶えます。風前の灯火である男鹿の自家製しょっつると同じ状況が20年前にイタリアでも起こっていたのです。歴史ある魚醤コラトゥーラが人々の記憶から薄れかけた頃、21世紀に入って南イタリア・サレルノ県のアマルフィ海岸にある小さな漁村「Cetara チェターラ」で再び蘇ります。

Cetaramare.jpg【photo】今ではコラトゥーラの町としてイタリアで広く認知されるチェターラ。古代ローマ時代の魚醤ガルムの流れを汲むコラトゥーラと並ぶ町のシンボルは、アラブやノルマンなどの外敵から町を守ってきた写真中央の「Torre di Cetara チェターラ塔」

 その推進役となったのが、現職に就任して3年目というセコンド・スクイッツァート町長や「Associazione Amici delle Alici di Cetara チェターラ・カタクチワシ協会」を2002年に立ち上げたピエトロ・ペッシェ(pesce=伊語で「魚」の意。名は体を表す!会長、地元のリストランテ「San Pietro サン・ピエトロ」のフランチェスコ・タンマーロ シェフら、チェターラ人のアイデンティティーともいうべきコラトゥーラに誇りを持つ人々でした。伝統的な食文化の復興という共通命題のもと、彼らは各人各様の役割を果たしました。

forum_gyosho.jpg【photo】秋田県立大谷口吉光教授がコーディネーターを務めた魚醤フォーラム「しょっつるで男鹿を元気に」。コラトゥーラを使った料理で観光客増に結び付け、町の活力を得た経験に基づき、魚醤復活に奔走したイタリア側メンバーから、しょっつるを地域おこしに役立てようと一歩を踏み出した男鹿の人々に向けて、力強いエールが送られた

 2003年、スローフード協会はコラトゥーラを伝統的な製法で作られる保護すべき食材「Presidio プレジディオ」に指定します。これが契機となり、それまでは過去の遺物として忘れ去られていたコラトゥーラがメディアを通して広く知られるようになります。紺碧の地中海から切り立った断崖沿いにまばゆい太陽が織りなす絶景が続く世界遺産の「Costiera Amalfitana アマルフィ海岸」にあって、静かな漁村チェターラを観光客が訪れることなど、20年前まではあり得なかったのです。

pietro_pesce.jpg【photo】チェターラ・カタクチワシ協会ピエトロ・ペッシェ会長

 ♪ Vide 'o mare quant'e bello! Spira tantu sentimento,...(美しい海よ! 私の感傷を誘う...)と自分のもとを去った恋人に切なく語りかけるカンツォーネの名曲「帰れソレントへ」。その舞台となった港町ソレントからサレルノまでのおよそ50kmは、切り立った断崖が続きます。その間に点在するポジターノやアマルフィといった宝石のように美しい海辺の町の影に隠れていた人口2,400人の小さな漁村が、現在ではコラトゥーラを使った料理を目当てに足を運ぶ観光客で賑わっています。

amici_cetara@terra_madre.jpg【photo】2006年10月に開催されたスローフード協会主催の「サローネ・デル・グスト」。プレジディオの一角にあった「チェーターラ・カタクチワシ協会」のブース。右から5人目が今回来日した現町長セコンド・スクイッツァート氏、4人目がコラトゥーラ料理を提供するリストランテ「サン・ピエトロ」シェフ、フランチェスコ・タンマーロ氏

 今回のフォーラムには、イタリアからコラトゥーラを通して地域おこしに成功したチェターラ町長と、サレルノ県アンナ・フェラッツァーノ副知事ら行政関係者、コラトゥーラ復活の仕掛け人であるチェターラ・カタクチワシ協会ピエトロ・ペッシェ会長、イタリア初の瓶入りツナのオイル漬を商品化する一方で、木樽による伝統的なコラトゥーラの製法を守る「IASA s.r.l.(=有限会社)」の女性生産者ルチア・ディ・マウロさん、コラトゥーラを積極的に取り入れたチェターラの郷土料理を提供して人気を集めるリストランテ「サン・ピエトロ」のフランチェスコ・タンマーロ シェフらが来日。「こんだに大勢のイタリアの人がんだが男鹿さ来てけで...(=こんな大勢のイタリアの人たちが男鹿に来てくれて...)」と地元は歓迎ムード。

prodcut_colatura.jpg【photo】日本の漬物と同じく重石で蓋をした木樽で塩漬けにして仕込まれる伝統的なコラトゥーラの製法。4ヶ月を経過するとこうして宙づりにされ、樽の底に穴をあけてコラトゥーラが一滴ずつ集められる

 迎える日本側は、男鹿半島まるごと博物館協議会の山本次夫会長、渡部幸男男鹿市長、チェターラとの交流のきっかけを作り、ハタハタと塩だけで作る伝統的なしょっつるを復活させた「諸井醸造所」諸井秀樹代表、「地産地消を進める会」代表を務める谷口吉光 秋田県立大教授、秋田で幅広く活躍する料理研究家・米本かおりさん、試食会でフランチェスコとのコラボで料理を振舞った秋田市のイタリアンレストラン「Osteria Arca オステリア・アルカ」の作左部史寿オーナーシェフら多彩な顔ぶれが揃いました。

colatura_cetara.jpg【photo】IASA社製のコラトゥーラ・ディ・アリーチ

 20世紀初頭にアンチョビの製造を始めたディ・マウロ家。漁師であった父が1969年に創業した現在の会社を兄と営むルチアさんによれば、チェターラがあるサレルノ湾近海では、3月から7月上旬にかけてカタクチイワシ漁が行われます。サレルノ湾のイワシは小型で、特有の味を醸しだします。気温の低い夜間に漁が行われ、生きたまま加工場に運ばれてくるイワシの頭と内臓を除いて塩漬けするアンチョビと基本的な製法は同じ。閉じ蓋に重石を乗せた「Terzigno テルツィーニョ」という名の木製の樽で熟成させると、次第に液体が遊離してきます。木樽を使うことで独特の香りがコラトゥーラに移り、複雑味が加わります。仕込んでおよそ5ヶ月を経過した10月末から11月にかけて、樽の底に「avrialeアヴリアーレ」と呼ばれる道具で穴をあけ、したたり落ちる濃い琥珀色の液体を一滴ずつビンに集めます。100kgのイワシから10ℓのコラトゥーラが作られます。

    【コラトゥーラ作りの模様をまとめた動画
    

 このようにして作られる薫り高い調味料「Colatura di alici コラトゥーラ・ディ・アリーチ 」は、サラダや野菜の煮込みから魚料理、パスタ料理に至るまで、幅広く用いられてきました。カトリック教国イタリアでは、救世主の誕生を待ちわびる待降節の最後の晩には、伝統的に肉食を慎み、魚を食べる習慣があります。チェターラではクリスマスイブの晩餐に用いる特別な贈り物としてもコラトゥーラが珍重されてきました。午前中のフォーラムでは、一度は失われたコラトゥーラをいかにして地域活性化に結びつけたのか、自身の体験をもとにセコンド・スクイッツァート町長は成功のカギとして4つのポイントを挙げました。

● 原料となるイワシ漁に携わる漁師の暮らしを守ること
● コラトゥーラの製造者が品質にこだわった良いものを作ること
● 料飲店の協力を得てコラトゥーラを料理に取り入れ、人々に良さを理解してもらうこと
● マスメディアと連携して多くの人々にコラトゥーラの町チェターラを知らしめること


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 チェターラは世界的に知名度の高いアマルフィ海岸という絶好のロケーションにあります。加えて近くに人口15万人のサレルノ、105万人のナポリといった大きな都市があったため、多くの観光客を引き寄せることができました。一方でスクイッツァート町長は、共通の目標に向かって歩調を揃えるのが苦手なイタリアの国民性を克服する必要性を課題として挙げました。地域ごと独立した都市国家として競い合った歴史が長く、統一国家としては150年に満たないイタリア。やることがバラバラで好き勝手な立ち振る舞いはイタリア人の専売特許です。対照的に巧みなプロモーションを繰り広げ、日本で確固とした地位を築いたボルドーワインは別格にしても、イタリアにも1934年に発足し、ハードチーズの王様として世界に冠たる名声を得たパルミジャーノ・レッジャーノの生産者組合「Consorzio del Formaggio Parmigiano-Reggiano パルミジャーノ・レッジャーノチーズ協会」の例だってあるのですから。 Forza(=頑張れ) Cetara,forza colatura!

mangiare_cucina.jpg 【photo】コラトゥーラを使った南イタリアらしい郷土料理とカンパーニャ州のヴィーノやリモンチェッロなどのリキュールが用意された試食会場

 魚醤を使ったチェターラ料理が用意された試食会では、参加者が用意された料理に舌鼓を打ちました。作佐部シェフによれば、青魚を用いるコラトゥーラのほうが、ハタハタを使うしょっつると比べてパンチが利いた味だといいます。イワシと並ぶチェターラの重要な漁業資源であるマグロのオイル漬けとアンチョビが前菜に用意され、サン・ピエトロのシェフ、フランチェスコ・タンマーロさんが作った耳のような形状をしたパスタ「オレキエッテ」は松の実と一緒にコラトゥーラとオイルでシンプルに味付けしてあります。ハタハタやイカなどの魚介をオリーブオイルで素揚げしたフリットもコラトゥーラで味付けして頂きました。由利本荘市から参加した吉尾 聖子さんは、普段はしょっつる鍋でしか用いない魚醤の幅広い使い方が面白かったと感想を述べ、JR東日本の奥村 聡子観光開発課長は、土産品としてのしょっつるの可能性にも期待を寄せたいと語りました。

orecchiette_colatura.jpg antipasti_iasa.jpg fritti_al_mare.jpg 【photo】日伊のシェフによる料理が並んだ饗宴より。コラトゥーラ風味のオレキエッテ(左写真)IASA社製のオイル漬マグロとアンチョビ(中央写真)ハタハタほか魚介のフリット(右写真)

 1969年から韓国の魚醤「ミョルチッチョ」を済州島で作る魚醤生産者でもあるジャーナリスト、キム・チン・ファ氏と同島のシーフードレストラン「真味名家」を営むカン・チャン・クン氏も会場に駆けつけ〈clicca qui〉、海と共にある三ヵ国の人々が、共通項である魚醤を通して活発な意見交換が行われたフォーラムの冒頭で、かつて県の水産技師当時にハタハタの全面禁漁の必要性を漁師たちに説いてまわった秋田県水産振興センター杉山 秀樹所長から発表されたのが「ショッツリスト宣言」でした。

 今回のフォーラムは、秋田の人々にとって主なしょっつるの用途であるハタハタを用いたしょっつる鍋だけではない、調味料としての汎用性の高さを知ってもらう狙いがありました。宣言には、先人の知恵の結晶であるしょっつるを愛し、世界各地の食文化・歴史と深いかかわりを持ちながら存在する魚醤文化の普遍性を知り、新たな発想を取り入れることで美味しさを再認識し、行政・漁業者・生産者・料理人・消費者が結束して地域固有の食遺産を継承してゆこうという、高い志と強い決意が込められていました。

moroi_compact (187x250).JPG 300名以上の申し込みがあったフォーラムの参加者150名には、催しを主催した男鹿半島まるごと博物館協議会から「Myしょっつる運動」への参加が呼びかけられました。諸井醸造所が製造する秋田県産ハタハタのみを使用し、通常の5倍にあたる10年熟成させた「十年熟仙」が入った携帯用の小瓶が希望者に配布されたのです。固定概念にとらわれず、自由な発想でさまざまな料理にしょっつるを使う事で、普及と利用拡大を目指すこの運動の趣旨に賛同して、私も一本バッグの中にしょっつるを忍ばせています。以来、さまざまな食事にシュッと吹きかけ、しょっつるとの相性を試したり、知り合いの手に吹きかけて本物の香りを体験してもらっています。

【photo】さまざまな食事に使って下さいと「Myしょっつる運動」への参加を呼びかけ、主催者から希望者に配布された携帯に便利な小型容器に入った諸井醸造所製の10年熟成しょっつる「十年熟仙」(手前中央)

 チェターラの人々が成し遂げた"コラトゥーラ・ルネッサンス"とでも呼ぶべき取り組みは、忘れられていた郷土の味に新たな角度から光を当てたものです。諸井醸造所の諸井 秀樹代表は午後のフォーラムで、もっと地元の人々がしょっつるを使い、自信を持つことの大切さを訴え、アドバイザーとして参加した渡辺 幸男男鹿市長は、地元の人々が自由な発想で付加価値をつけて外に発信することの大切さを痛感したと述べました。ひとかたならぬ郷土愛に裏打ちされたお国自慢にかけてはイタリア人の右に出る民族は稀でしょう。

 コラトゥーラを通して活力ある町作りに成功したチェターラのセコンド・スクイッツァート町長が「現在の男鹿を見ていると数年前の自分たちの姿を見ているようだ。成功を信じて頑張ってほしい」と会場に呼びかけると、会場を埋めるショッツリストたちは拍手で応え、実り多いフォーラムを締めくくりました。
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2009/12/13

秋田の味「しょっつる」

「神の魚」
 復活にまつわる二つの神話

 
kanpuzan_22.11.09.jpg【photo】男鹿半島の中央に位置する寒風山頂から眺めた雲間から射す神々しい陽光に輝く日本海の南はるか彼方には鳥海山が遠望される(上写真)。標高355mの山頂からは、琵琶湖に次ぐ日本第二位の広さだった八郎潟の干拓事業で広大な耕作地が生まれた大潟村(下写真)がすぐ目の前。

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北に目を転ずれば世界自然遺産白神山地の山並みも一望のもと
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 ♪ コラ 秋田名物 八森ハタハタ、男鹿で男鹿ブリコ、アーソレソレ・・・。大館の「曲げわっぱ」や能代の「春慶塗」など、秋田音頭の歌詞に登場する秋田名物の冒頭に出てくるのが、県最北の八森漁港に揚がる魚偏に神と書く魚「鰰(ハタハタ)」と、奇習ナマハゲで知られる男鹿半島一帯がおもな産卵場となるハタハタの卵「ブリコ」です。海藻に産み付けられたブリコが冬の日本海の荒波で引き離され、海岸線に打ち上げられて波打ち際が茶褐色に染まる光景は、津軽・秋田・北庄内にかけての冬の風物詩です。

namahage_22.11.09.jpg【photo】秋田市方面から男鹿半島へと向かう船川街道沿いの「男鹿総合観光案内所(通称:なまはげ案内所)」前にある巨大な二体のナマハゲ。大晦日の晩、「わりご(悪い子)はいねがー、泣く子はいねがー」という怒声を上げ、出刃包丁を手に登場するナマハゲが体長15mまで巨大化したド迫力に思わず腰がすくむ。デカッ...!!(゚ロ゚)

 普段は沖合いの水深250m 近辺の日本海に生息するハタハタの漁期は、産卵のために海岸線近くの浅瀬まで上がってくる10月~12月。秋田県沿岸の八森・男鹿・象潟周辺はハタハタが好んで産卵するホンダワラ類の海藻が多く、稚魚のエサとなるプランクトンが豊富な好条件が整っていたため、その一帯がハタハタの主な漁場となります。秋田の人々は、雷鳴が轟く冬場になると、産卵のために接岸してくる通称「季節ハタハタ」を心待ちにします。そのためハタハタは魚偏に雷と書く「鱩」という字で、カミナリウオという別名もあるほど。雷神は「ハタタガミ」とも呼ばれることから、ハタハタの名の由来とも考えられています。

hatahati.jpg 【photo】産卵を控えた季節ハタハタのメスは、独特のぬめりを伴ったプチプチした食感のブリコを抱えているために腹部が大きい(写真上列に並ぶ4匹の右から2番目)。旬の白身の美味しさはオスに軍配が上がる

 沖合いの底引き網漁と接岸する季節ハタハタを狙う定置網と刺し網による漁によって、漁獲高が最も多かった1966年(昭和41)には、県全体で年間2万トンを超える水揚げを記録しましたが、沿岸整備による産卵環境の悪化や乱獲が影響して次第に水揚げが減少してゆきます。漁獲高が1万トンを割った翌年の1977年(昭和52)に4,500トンまで落ち込んだ水揚げは、1992年(平成4)には、わずか70トンに激減しました。

 そこで秋田の漁師たちは、世界でも例を見ない3年間の全面禁漁を実施し、漁業資源保護に乗り出します。ハタハタ漁で生計を立ててきた漁師にとっては、苦渋の選択でしたが、事態はあわや絶滅かという局面まで逼迫していたのです。生息数が一定の回復を見せた1995年(平成7)10月の漁獲再開後は、県の予測に基づく推計生息数の半分は資源として保護するために漁獲枠を設けています。'96年以降、青森・秋田・山形・新潟の4県は、体長15cm未満のハタハタを漁獲禁止とする史上初の複数県による漁業資源保護協定を締結。2,600トンの漁獲枠が設定された今年は、11月24日に男鹿半島北側の北浦港に初水揚げがあり、今月8日には秋田全域に季節ハタハタが接岸し、いま漁の最盛期を迎えています。

shottsuru_nabe11.12.09.jpg【photo】霞ヶ関の農水官僚が6億もの税金を投入して始めた「マルシェ・ジャポン」。事業仕分けで来年度の廃止が宣告され、ドボン!と沈没したこの意味不明な根無し草イベントと対極の発想で仙台のNPO「朝市夕市ネットワーク」が毎月運営する合同市。そこで入手した宮城県名取市の専業農家・三浦 隆弘さん自慢のかぐわしい根付きセリが入るある日の庄内系流「しょっつる鍋」。定番の子持ちハタハタ・豆腐・ゴボウのほか、加熱によって旨味と甘さが増す酒田市「平田赤ねぎ生産組合」が出荷する「平田赤ねぎ」を加える。味付けはハタハタ100%の伝統製法で作られる「諸井醸造所」のしょっつる。同じく伝統的な杉樽仕込みの鶴岡市羽黒町 亀の井酒造「くどき上手 純米吟醸 桶仕込」との相性は完璧!!

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 ハタハタ漁の再開以降、秋田県水産振興センターの手で人工授精が行われ、毎年400万尾から500万尾の稚魚が放流されています。人工授精は隣接する青森・鰺ヶ沢や山形・鶴岡などでも実施しているほか、現在では山陰から北海道にかけて行われています。護岸工事によって藻場が減少している海岸には、人工的にブロックを整備して藻場の回復を図るとともに、漁師が海藻を巻きつけた使い古しの魚網を設置するなどして、資源の回復に取組んでいます。こうした栽培漁業へ転換した効果が表れ、2002年(平成14)に秋田県の「県の魚」となったハタハタの県内漁獲高は3,000トン前後まで回復しています。

hatahata_sushi.jpg【photo】男鹿の正月に欠かせないハタハタ寿司。麹をたっぷりと用いていており、フナを使う癖の強い熟れ寿司とは違って、はるかに上品で食べやすい

 ウロコが無く加熱すると骨と柔らかなクセのない白身が簡単に離れるハタハタは、新鮮なら刺身でよし、おろし醤油で頂く湯上げでよし、塩焼きでよし、煮てよし、田楽でよしと、さまざまな味付けで食されます。師走を迎える頃から、正月を迎えるために秋田の一般家庭で作られるのがハタハタ寿司です。同じ発酵食品である日本酒と合う保存食としても親しまれてきたこの熟(な)れ寿司には、各世帯ごとの味があり、互いに交換して味自慢をするのだとか。

 同様に、かつて男鹿の各家庭で作られていたのが、ハタハタの生魚と塩を原料とする魚醤「しょっつる」でした。醤油がまだ高級品だった昭和初期まで、秋田・男鹿地方の家庭では日々の食卓で使う基本調味料、いわゆる「サ・シ・ス・セ・ソ」の醤油に代わる手前味噌ならぬ自家製の「手前しょっつる」を作っていました。しかしながら、今ではそうした自家製のしょっつるを作っているのは、男鹿市1万3千世帯のなかで把握される限りでは70歳代以上の高齢者がいる数十軒の家しかありません。多様なしょっつる文化は今や風前の灯火といわざるを得ないのです。

hideki_moroi.jpg【photo】諸井醸造所 3代目 諸井 秀樹 代表

 ハタハタの不漁による価格の高騰や3年に及んだ禁漁によって、男鹿のしょっつる製造業者は次々と廃業に追い込まれます。残った業者は安価に手に入る代替品のイワシやアジを使用したため、強い魚臭さが出るだけでなく、化学調味料を使用したり安価な東南アジアの魚醤や水を混入したしょっつるが出回るようになります。こうして塩とハタハタだけで作られる男鹿のしょっつるは、漁獲の減少とともに姿を消してゆきます。伝統的な本物の味が忘れ去られてしまうことに危機感を抱いたのが、男鹿市船川港にある「諸井醸造所」を営む諸井 秀樹さんです。1930年(昭和5)に創業した味噌・しょうゆ醸造元の三代目は、20年ほど途絶えていた男鹿伝統の味復活に向けて動き出します。それは1997年(平成9)、諸井さんが43歳の時でした。

spaghetti_hatahata.jpg【photo】淡白なハタハタを使ったスパゲティの味付けにも、ハタハタをの湯上げした茹で汁にしょっつるを加え、仕上げに10年熟成のしょっつるで香り付け 
 
 ハタハタを原料とする男鹿に伝わるしょっつるの製法は、熟練者の勘によるものだったため、体系的にまとまった資料が存在しませんでした。諸井さんには、家業を継いで10年目の1983年(昭和58)に自己流でしょっつる作りを試みたものの、断念した経験がありました。そこで諸井さんはパン生地の発酵に使われる「白神こだま酵母」を開発するなど、食品加工業者に対する技術指導や情報提供などを行う「秋田県総合食品研究所」応用発酵部門の協力や、自家製しょっつるを作っていた漁師の助言を得て、わずかに残っていた文献をひもといて試験醸造に着手します。ハタハタの浜値は現在キロ200円前後に低迷しており、諸井さんが漁師の生活維持を心配するほど暴落しています。'95年の禁漁明け直後の浜値はキロ3,000円を突破、'97年当時でもキロ1,000円以上もする高級魚と化したハタハタだけを使う諸井さんの取り組みは、採算をまったく度外視したものでした。

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【photo】諸井さんが苦心の末に見出したのが「ハタハタ7:天日塩3」という黄金比率。1トンのハタハタから出来上がるしょっつるは500リットルに過ぎない(左写真) 前年に仕込んだばかりのタンクには、まだ原型を留めた発酵途中のハタハタがびっしり(中央写真) もろみは月に一度撹拌され、空気に触れることで発酵が促される。あとは時間が味を仕上げてくれる(右写真)

 無謀だという周囲の制止に耳を貸さず、伝統製法によるしょっつるの復活に没頭する諸井さんを突き動かしていたのは、本物だけがもつ美味しさと男鹿の風土に根ざした食文化を絶やしてはならないという使命感でした。新鮮な男鹿産のハタハタと男鹿の天日塩と混ぜ合わせて5トン容量のホーロータンクで漬け込み、月に一度だけ撹拌して熟成させること最低2年。気温や湿度などの気候条件が異なるもとで、なかなか思うような結果が得られず、雑菌が繁殖して腐敗させてしまい、泣く泣くタンク全量を廃棄処分した苦い経験もあります。幾度もの試行錯誤の末、ようやく完成をみたのは2000年(平成12)のこと。最初にしょっつる作りに挑んだ時から17年の歳月が経過していました。澄み切った琥珀色のかぐわしい液体を口にした昔のしょっつるを知る人は、「久しく忘れていた本物の味が記憶の底から蘇った」と諸井さんの労作を褒めたたえたといいます。

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【photo】諸井醸造所では8 基のタンクでしょっつるを仕込んでいる。熟成庫には一切生臭さはなく、理想的な発酵がなされていることが窺える(左写真) 限定品の「十年熟仙」用のもろみ。白身魚特有の上品な味わいに磨きが掛かったしょっつるは全て布で漉した後、通常のしょっつるに施す加熱処理を加えず、通し番号の入ったボトルに詰められて出荷される(中央写真) 最低2年の熟成期間中に、魚体のタンパク質はグルタミン酸やアミノ酸成分に変化して旨味の詰まった原液に変化する。布で漉した澄み切った琥珀色を呈するハタハタ100%のしょっつるは、不快な魚臭さを全く感じさせないばかりか、加熱すると甘みが加わって味に深みを与える(右写真)

 近年のエスニックブームで、魚醤としてはタイのナンプラーやベトナムのニョクマムのほうが、むしろ日本では入手しやすく、その料理を口にする機会が多いかもしれません。醤油が広く普及した日本では、江戸初期以来の伝統に培われた魚醤は秋田のしょっつると石川県能登地方のイカの腑を原料とする「いしる」が残る程度。かつて日本三大魚醤といわれたコウナゴ(小女子)の稚魚イカナゴの生魚と塩を原料とする香川の「イカナゴ醤油」が、一般家庭の食卓からほぼ途絶えて久しい今、300年前からイカの塩辛を仕込む際に、「つゆ」と呼ばれる腑を仕込んだ魚醤を仕込みダレとして使っている酒田沖に浮かぶ飛島や、最近になって鮭を原料とする魚醤を作り始めた岩手県釜石市などの動きはあるにせよ、bottiglia-shottsuru.jpgハタハタと海塩から作られる男鹿伝統のしょっつるは、四方を海に囲まれた日本が誇るべき天然素材のみを用いた希少な食文化の遺産です。2006年(平成18)、スローフード協会は漁師が資源を回復させたハタハタから作るしょっつるを、絶滅に直面した保護すべき伝統食品を選定対象とする「味の箱舟」に登録しました。

【photo】八森漁港のおかみさんで組織する秋田県漁協 北部総括支所 女性部ひより会が製品化した「鍋通亭しょっつる」と並んで希少なハタハタ100%を貫く諸井醸造所の「秋田しょっつる」(130g・写真左) 醸造家の情熱と10年の歳月が作り出した魂の一滴を味わいたい「十年熟仙」(200mℓ・写真右 ※今年販売された1999年製造分は完売)

 去る11月22日(日)、秋田県男鹿市で「男鹿・イタリア魚醤フォーラム2009」が開催されました。今回の催しではギリシャ・古代ローマ時代の万能調味料「Garum ガルム」の流れをくんだ魚醤の生産者など関係者一行が男鹿を訪れました。そのきっかけは、ノンフィクション作家の島村 菜津さんが南イタリア・アマルフィ海岸の小さな漁村Cetara チェターラを訪れた際に出合ったカタクチワシ(=alice アリーチェ/ 複数形:alici)を原料とする「Colatura di alici コラトゥーラ・ディ・アリーチ」の存在を諸井さんに伝えたことでした。

slowfish_07genova.jpg【photo】2007年にジェノヴァで開催された「Slow Fish」には、スローフード協会が特に保護すべき食品「プレジディオ」に認定する20の海産物がブース参加。コラトゥーラの生産者らで組織するカタクチイワシ協会のコーナーでは、日本と同じ形状の木樽で塩蔵されるイワシの展示、コラトゥーラの試食が行われたArchivio Slow Food / Egidio Nicora

 2007年5月4日から7日の4日間、イタリア・リグーリア州ジェノヴァでスローフード協会が開催した「Slow Fish スローフィッシュ【Link to website】」では、海の生物多様性と持続可能な漁業、伝統的な魚食文化の保護に向けた意見交換などが行われました。この催しに「スローフード秋田」の会員として参加した諸井さんは、今回男鹿を訪れたチェターラのコラトゥーラ生産者らと出会い、意気投合します。コラトゥーラが地域活性化に果たす役割がいかに大きいものかを知るにつけ、その後も交流を続けてきました。次回 io sono shozzurista ショッツリスト宣言では、男鹿地域の人々にとって示唆に富んだ提言がなされたフォーラムの模様をお伝えします。

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諸井醸造所
住:秋田県男鹿市船川港船川字化世沢176
Phone:0185-24-3597
F a x:0185-23-3161
URL:www.shottsuru.jp
E-mail:shottsuru@basil.ocn.ne.jp
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