あるもの探しの旅

« オフヴィンテージ考 | メイン | io sono shozzurista ショッツリスト宣言 »

秋田の味「しょっつる」

「神の魚」復活にまつわる二つの神話

 
kanpuzan_22.11.09.jpg【photo】男鹿半島の中央に位置する寒風山頂から眺めた雲間から射す神々しい陽光に輝く日本海の南はるか彼方には鳥海山が遠望される(上写真)。標高355mの山頂からは、琵琶湖に次ぐ日本第二位の広さだった八郎潟の干拓事業で広大な耕作地が生まれた大潟村(下写真)がすぐ目の前。

1-villa_ogata22.11.09.jpg

北に目を転ずれば世界自然遺産白神山地の山並みも一望のもと

1-monti_shirakami22.11.09.jpg

 ♪ コラ 秋田名物 八森ハタハタ、男鹿で男鹿ブリコ、アーソレソレ・・・。大館の「曲げわっぱ」や能代の「春慶塗」など、秋田音頭の歌詞に登場する秋田名物の冒頭に出てくるのが、県最北の八森漁港に揚がる魚偏に神と書く魚「鰰(ハタハタ)」と、奇習ナマハゲで知られる男鹿半島一帯がおもな産卵場となるハタハタの卵「ブリコ」です。海藻に産み付けられたブリコが冬の日本海の荒波で引き離され、海岸線に打ち上げられて波打ち際が茶褐色に染まる光景は、津軽・秋田・北庄内にかけての冬の風物詩です。

namahage_22.11.09.jpg【photo】秋田市方面から男鹿半島へと向かう船川街道沿いの「男鹿総合観光案内所(通称:なまはげ案内所)」前にある巨大な二体のナマハゲ。大晦日の晩、「わりご(悪い子)はいねがー、泣く子はいねがー」という怒声を上げ、出刃包丁を手に登場するナマハゲが体長15mまで巨大化したド迫力に思わず腰がすくむ。デカッ...!!(゚ロ゚)

 普段は沖合いの水深250m 近辺の日本海に生息するハタハタの漁期は、産卵のために海岸線近くの浅瀬まで上がってくる10月~12月。秋田県沿岸の八森・男鹿・象潟周辺はハタハタが好んで産卵するホンダワラ類の海藻が多く、稚魚のエサとなるプランクトンが豊富な好条件が整っていたため、その一帯がハタハタの主な漁場となります。秋田の人々は、雷鳴が轟く冬場になると、産卵のために接岸してくる通称「季節ハタハタ」を心待ちにします。そのためハタハタは魚偏に雷と書く「鱩」という字で、カミナリウオという別名もあるほど。雷神は「ハタタガミ」とも呼ばれることから、ハタハタの名の由来とも考えられています。

hatahati.jpg 【photo】産卵期のメスは、透明な粘液で覆われた「ブリコ」を抱卵してているため、腹部が大きい(写真上列に並ぶ4匹の右から2番目)。旬の白身の美味しさはオスに軍配が上がる

 沖合いの底引き網漁と接岸する季節ハタハタを狙う定置網と刺し網による漁によって、漁獲高が最も多かった1966年(昭和41)には、県全体で年間2万トンを超える水揚げを記録。ところが沿岸整備による産卵環境の悪化や乱獲が影響し、次第に水揚げは減少。漁獲高が1万トンを割った翌年の1977年(昭和52)に4,500トンまで落ち込んだ水揚げは、1992年(平成4)には、わずか70トンまで激減しました。

 そこで秋田の漁師たちは、世界でも例を見ない3年間の全面禁漁を実施し、漁業資源保護に乗り出します。ハタハタ漁で生計を立ててきた漁師にとっては、苦渋の選択でしたが、事態はあわや絶滅かという局面まで逼迫していたのです。生息数が一定の回復を見せた1995年(平成7)10月の漁獲再開後は、県の予測に基づく推計生息数の半分は資源として保護するために漁獲枠を設けています。'96年以降、青森・秋田・山形・新潟の4県は、体長15cm未満のハタハタを漁獲禁止とする史上初の複数県による漁業資源保護協定を締結。2,600トンの漁獲枠が設定された今年は、11月24日に男鹿半島北側の北浦港に初水揚げがあり、今月8日には秋田全域に季節ハタハタが接岸し、いま漁の最盛期を迎えています。

shottsuru_nabe11.12.09.jpg【photo】霞ヶ関の農水官僚が6億もの税金を投入して始めた「マルシェ・ジャポン」。事業仕分けで来年度の廃止が宣告され、ドボン!と沈没したこの意味不明な根無し草イベントと対極の発想で仙台のNPO「朝市夕市ネットワーク」が毎月運営する合同市。そこで入手した宮城県名取市の専業農家・三浦 隆弘さん自慢のかぐわしい根付きセリが入るある日の庄内系流「しょっつる鍋」。定番の子持ちハタハタ・豆腐・ゴボウのほか、加熱によって旨味と甘さが増す酒田市「平田赤ねぎ生産組合」が出荷する「平田赤ねぎ」を加える。味付けはハタハタ100%の伝統製法で作られる「諸井醸造所」のしょっつる。同じく伝統的な杉樽仕込みの鶴岡市羽黒町 亀の井酒造「くどき上手 純米吟醸 桶仕込」との相性は完璧!!

kudoki_jyozu_oke.jpg

 ハタハタ漁の再開以降、秋田県水産振興センターの手で人工授精が行われ、毎年400万尾から500万尾の稚魚が放流されています。人工授精は隣接する青森・鰺ヶ沢や山形・鶴岡などでも実施しているほか、現在では山陰から北海道にかけて行われています。護岸工事によって藻場が減少している海岸には、人工的にブロックを整備して藻場の回復を図るとともに、漁師が海藻を巻きつけた使い古しの魚網を設置するなどして、資源の回復に取組んでいます。こうした栽培漁業へ転換した効果が表れ、2002年(平成14)に秋田県の「県の魚」となったハタハタの県内漁獲高は3,000トン前後まで回復しています。

hatahata_sushi.JPG【photo】男鹿の正月に欠かせないハタハタ寿司。麹をたっぷりと用いていており、フナを使う癖の強い熟れ寿司とは違って、はるかに上品で食べやすい

 ウロコが無く加熱すると骨と柔らかなクセのない白身が簡単に離れるハタハタ。新鮮ならば刺身。湯上げはおろし醤油で。そのほか塩焼き・煮込み・田楽など、さまざまな食べ方があります。師走を迎える頃、正月を迎えるために秋田の一般家庭で作られるのがハタハタ寿司。同じ発酵食品である日本酒と合う保存食としても親しまれてきたこの熟(な)れ寿司には、各世帯ごとの味があり、互いに交換して味自慢をするのだとか。

 同様に、かつて男鹿の各家庭で作られていたのが、ハタハタの生魚と塩を原料とする魚醤「しょっつる」でした。醤油がまだ高級品だった昭和初期まで、秋田・男鹿地方の家庭では日々の食卓で使う基本調味料、いわゆる「サ・シ・ス・セ・ソ」の醤油に代わる手前味噌ならぬ自家製の「手前しょっつる」を作っていました。しかしながら、今ではそうした自家製のしょっつるを作っているのは、男鹿市1万3千世帯のなかで把握される限りでは70歳代以上の高齢者がいる数十軒の家しかありません。多様なしょっつる文化は今や風前の灯火といわざるを得ないのです。

諸井醸造所-0302.jpg ハタハタの不漁による価格の高騰や3年に及んだ禁漁によって、男鹿のしょっつる製造業者は次々と廃業に追い込まれます。残った業者は安価に手に入る代替品のイワシやアジを使用したため、強い魚臭さが出るだけでなく、化学調味料を使用したり安価な東南アジアの魚醤や水を混入したしょっつるが出回るようになります。こうして塩とハタハタだけで作られる男鹿のしょっつるは、漁獲の減少とともに姿を消してゆきます。伝統的な本物の味が忘れ去られてしまうことに危機感を抱いた一人の男がいました。

【photo】諸井醸造所 3代目 諸井 秀樹 代表

 それが男鹿市船川港にある「諸井醸造所」を営む諸井 秀樹さんです。1930年(昭和5)に男鹿で創業した味噌しょうゆ醸造元の三代目は、1997年(平成9)、20年ほど途絶えていた男鹿伝統の味復活に向けて動き出します。諸井さんが43歳の時でした。

spaghetti_hatahata.jpg【photo】ある日の庄イタの夕食。淡白なハタハタを使ったスパゲティの味付けにも、ハタハタを湯上げした茹で汁にしょっつるを加え、仕上げに10年熟成のしょっつるで香り付け。繊細な素材の持ち味を削がぬよう、味付けは優しく仕上げた 
 
 ハタハタを原料とする男鹿に伝わるしょっつるの製法は、熟練者の勘によるものだったため、体系的にまとまった資料が存在しませんでした。諸井さんには、家業を継いで10年目の1983年(昭和58)に自己流でしょっつる作りを試みたものの、断念した経験がありました。

 そこで諸井さんはパン生地の発酵に使われる「白神こだま酵母」を開発するなど、食品加工業者に対する技術指導や情報提供などを行う「秋田県総合食品研究所」応用発酵部門の協力や、自家製しょっつるを作っていた漁師の助言を得て、わずかに残っていた文献をひもといて試験醸造に着手します。

 3年間の全面禁漁が明けた'95年当時の浜値はキロ3,000円を突破、'97年当時でもキロ1,000円以上もする高級魚と化したハタハタだけを使う諸井さんの取り組みは、採算をまったく度外視したものでした。

  hatahata-sale_shikomi.JPG moromi-08anno.jpg moromi-3anni.jpg
【photo】諸井さんが苦心の末に見出したのが「ハタハタ7:天日塩3」という黄金比率。1トンのハタハタから出来上がるしょっつるは500リットルに過ぎない(左写真) 前年に仕込んだばかりのタンクには、まだ原型を留めた発酵途中のハタハタがびっしり(中央写真) もろみは月に一度撹拌され、空気に触れることで発酵が促される。あとは時間が味を仕上げてくれる(右写真)

 無謀だという周囲の制止に耳を貸さず、伝統製法によるしょっつるの復活に没頭する諸井さんを突き動かしていたのは、本物だけがもつ美味しさと男鹿の風土に根ざした食文化を絶やしてはならないという使命感でした。

 新鮮な男鹿産のハタハタと男鹿の天日塩と混ぜ合わせて5トン容量のホーロータンクで漬け込み、月に一度だけ撹拌して熟成させること最低2年。気温や湿度などの気候条件が異なるもとで、なかなか思うような結果が得られず、雑菌が繁殖して腐敗させてしまい、泣く泣くタンク全量を廃棄処分した苦い経験もあります。

 幾度もの試行錯誤の末、ようやく完成をみたのは2000年(平成12)のこと。最初にしょっつる作りに挑んだ時から17年の歳月が経過していました。澄み切った琥珀色のかぐわしい液体を口にした昔のしょっつるを知る人は、「久しく忘れていた本物の味が記憶の底から蘇った」と諸井さんの労作を褒めたたえたといいます。

moroi_tank.jpg moromi-10anni.jpg shotsuru-moroi.jpg
【photo】諸井醸造所では8 基のタンクでしょっつるを仕込んでいる。熟成庫には一切生臭さはなく、理想的な発酵がなされていることが窺える(左写真) 限定品の「十年熟仙」用のもろみ。白身魚特有の上品な味わいに磨きが掛かったしょっつるは全て布で漉した後、通常のしょっつるに施す加熱処理を加えず、通し番号の入ったボトルに詰められて出荷される(中央写真) 最低2年の熟成期間中に、魚体のタンパク質はグルタミン酸やアミノ酸成分に変化して旨味の詰まった原液に変化する。布で漉した澄み切った琥珀色を呈するハタハタ100%のしょっつるは、不快な魚臭さを全く感じさせないばかりか、加熱すると甘みが加わって味に深みを与える(右写真)

 エスニックブームの恩恵でタイのナンプラーやベトナムのニョクマムといった魚醤は日本では入手しやすく、その料理を口にする機会が多いかもしれません。醤油が広く普及した日本では、江戸初期以来の伝統に培われた魚醤は秋田のしょっつると石川県能登地方のイカの腑を原料とする「いしる」が残る程度。

 かつて日本三大魚醤といわれたコウナゴ(小女子)の稚魚イカナゴの生魚と塩を原料とする香川の「イカナゴ醤油」が、一般家庭の食卓からほぼ途絶えて久しい昨今。

 300年前からイカの塩辛を仕込む際、「つゆ」と呼ばれる腑を仕込んだ魚醤を仕込みダレとして使っている酒田沖に浮かぶ飛島や、最近になって鮭を原料とする魚醤を作り始めた岩手県釜石市などの動きも注目に値します。

bottiglia-shottsuru.jpg ハタハタと海塩から作られる男鹿伝統のしょっつるは、四方を海に囲まれた日本が誇るべき天然素材のみを用いた希少な食文化の遺産です。2006年(平成18)、スローフード協会は漁師が資源を回復させたハタハタから作るしょっつるを、絶滅に直面した保護すべき伝統食品を選定対象とする「味の箱舟」に登録しました。

【photo】八森漁港のおかみさんで組織する秋田県漁協 北部総括支所 女性部ひより会が製品化した「鍋通亭しょっつる」と並んで希少なハタハタ100%を貫く諸井醸造所の「秋田しょっつる」(130g・写真左) 醸造家の情熱と10年の歳月が作り出した魂の一滴を味わいたい「十年熟仙」(200mℓ・写真右 ※今年販売された1999年製造分は完売)

 資源保護の取り組みが奏功し、漁獲量が復活しつつあるハタハタ。ところが、現在その浜値はキロ200円前後に低迷。諸井さんが漁師の生活維持を心配するほどに暴落しているのです。

 2009年11月22日(日)、秋田県男鹿市で「男鹿・イタリア魚醤フォーラム2009」が開催されました。今回の催しではギリシャ・古代ローマ時代の万能調味料「Garum ガルム」の流れをくんだ魚醤の生産者など、関係者が男鹿を訪れました。そのきっかけは、ノンフィクション作家の島村 菜津さんが南イタリア・アマルフィ海岸の小さな漁村Cetara チェターラを訪れた際に出合ったカタクチワシ(=alice アリーチェ/ 複数形:aliciを原料とする「Colatura di alici コラトゥーラ・ディ・アリーチ」の存在を諸井さんに伝えたことでした。

slowfish_07genova.jpg【photo】2007年にジェノヴァで開催された「Slow Fish」には、スローフード協会が特に保護すべき食品「プレジディオ」に認定する20の海産物がブース参加。コラトゥーラの生産者らで組織するカタクチイワシ協会のコーナーでは、日本と同じ形状の木樽で塩蔵されるイワシの展示、コラトゥーラの試食が行われたArchivio Slow Food / Egidio Nicora

 2007年5月4日から7日の4日間、イタリア・リグーリア州ジェノヴァでスローフード協会が開催した「Slow Fish スローフィッシュ」では、海の生物多様性と持続可能な漁業、伝統的な魚食文化の保護に向けた意見交換などが行われました。

 この催しに「スローフード秋田」の会員として参加した諸井さんは、今回男鹿を訪れたチェターラのコラトゥーラ生産者らと出会い、意気投合します。コラトゥーラが地域活性化に果たす役割がいかに大きいものかを知るにつけ、その後も交流を続けてきました。

 次回「 io sono shozzurista ショッツリスト宣言」では、男鹿地域の人々にとって示唆に富んだ提言がなされたフォーラムの模様をたっぷりとお伝えします。

************************************************************************
諸井醸造所
住:秋田県男鹿市船川港船川字化世沢176
Phone:0185-24-3597
F a x:0185-23-3161
URL:www.shottsuru.jp
E-mail:shottsuru@basil.ocn.ne.jp
baner_decobanner.gif

コメント

ゆうべはハタハタをしょっつる鍋でいただきました。見た目とは違って上品な味わいに毎回納得します。

数年前、食の勉強会で魚醤を集め、お書きになっているものはすべて食しましたが、入手するのにひと苦労しました。

使う魚の違いや醸造のしかたで、驚くほど違う。それで料理する食材など、風土と人の感性の差かなぁと。その多様さは、スーパーの棚に並ぶ大量生産の醤油の対極という気がします。

▼おこりんぼシーサー様

 こんばんは。魚醤を集めて味見をする勉強会。どんなラインナップだったのでしょうか?興味津々ですねぇ。

 秋田ではしょっつる鍋の旬になると、食品スーパーにさまざまなしょっつるが並ぶ専用コーナーができます。その中で白身魚ハタハタならではの上品なすっきりとした諸井さんのしょっつるは、料理を選ばない汎用性の高さも魅力。まして十年熟成の「熟仙」ともなれば、同じく琥珀色の上質なシングルモルトウイスキー同様、まろやかさな味に一層の磨きがかかります。来年リリースされる2000vinを大人買いしようかと目論んでいるところです。

 さて、今回のフォーラムでは、イタリアの魚醤を使った南イタリア料理の試食会もありました。東南アジアの魚醤は特有のクセが気になる場合が多いのですが、前世で食した経験を除いては(?)初体験のイタリア魚醤は、同じカタクチイワシを使っているにもかかわらず全く違和感なく受け入れる事ができました。

 今回の思わぬ収穫は、こうして自分の前世に確信を深めたコトです。ハイ。

しょっつるを使ったねりけもちの作り方と分量を教えてください。

▼菊池さやか様

 お問い合わせの「ねりけ餅」とは、わかりやすく言えば「そばがき」のことです。

 男鹿半島まるごと博物館協議会の山本次夫会長(76歳)の説明によれば、かつてお米が貴重品であった太平洋戦争後の男鹿地域では、コメの代用品としてソバ粉をお湯で練ったねりけ餅が一般的だったそうです。従って餅とはいうものの、もち米や小麦粉は入っておりません。

 大豆から作る醤油が贅沢品だった当時は、ふんだんに漁獲されるハタハタから造られるしょっつるで、ねりけ餅を味付けしていました。ソバ粉で出来た出し汁が少なく具の無い「すいとん」、あるいは宮城県北の「はっと」に近いものと考えればよろしいかと。しょっつるで味付けしたねりけ餅は男鹿地域で暮らす70歳以上の方にとっては、なじみの深いものだそうです。
 
 一般的なそばがきでは、蕎麦粉カップ 1 に対して、お湯が1.2~1.5 程度の割合ですので、お好みでどうぞ。

今年もしょっつるの催しを仕掛けられた諸井さんの普及版ともいうべき魚(とと)ミーもお手ごろで日常使いにはよいです。
もう召し上がりましたか?

▼Lacrima様
ありがとうございます。魚の幼児語トトを商品名に取り入れたネーミングのセンスもさすがですが、昆布ダシを加えることで、仰るように汎用性が高い味に仕上がっていますよね。

イワシを補助原料に使うことで、値段が手頃なことも日常使いには嬉しい限り。しょっつる鍋にはハタハタ100%の諸井さんのしょっつるがベターでしょうが、料理のコクを出すには魚ミーで十分かと。

Settembre 2018
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

archive.gif

Copyright © KAHOKU SHIMPO PUBLISHING CO.