あるもの探しの旅

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種を受け継ぐ人

外内島キュウリ @ 鶴岡

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 鶴岡市外内島(とのじま)地区に伝わる在来野菜「外内島キュウリ」の存在を初めて知ったのは、2003年(平成15)夏のこと。春に赴任した山形営業所で、初めて庄内地方を訪れた5月初旬のある日、櫛引町(現・鶴岡市) の「地場イタリアン」なる看板が立つ店にふらっと昼食に寄ったのが、すべての始まりでした。〈Link to backnumber〉さもない店の外観とは裏腹に、訪れるたび出される料理の素晴らしさに驚愕、目まぐるしいほどに切り替わる旬の地元食材を使った料理の背景を探るため、週2 回ペースで庄内に通い始めていた頃のことです。

【photo】残雪の月山を望む畑に立つ外内島キュウリの生産者、上野 武さん(71歳・右写真)

tonojima_shoyunomi.jpg【photo】上野さんから頂いた朝採り外内島キュウリを、鶴岡・井上農場から頂き物の自家製の絶品「しょうゆの実」で頂く。みずみずしくもすがすがしい庄内の夏の味(左写真)

 鶴岡市内の書店で手にした庄内地方のタウン誌「庄内小僧」8月号の「在来野菜探訪記」というページに目が留まりました。金沢の在来野菜「加賀太キュウリ」のような瓜ざね型をしたキュウリが 3 カ面にわたって紹介されています。早くから地域ブランドとして確立した金沢の加賀野菜と同様、いえ、それ以上に数多くの在来作物が存在する庄内地方。在来種の存在意義が今ほどは地元でも理解されていなかったその頃、かけがえのない種が急速に数を減らしていました。

【photo】 庄内浜では口細ガレイと呼ぶマガレイの水分をわざと飛ばすよう火を通し、みずみずしい外内島キュウリをソースがわりにするアル・ケッチァーノ奥田シェフのスペチャリテ「口細ガレイと外内島キュウリ」2005年バージョン(下左)と、生と塩もみした二種類のキュウリを合わせる進化をした2006年バージョン(下右)
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 特集は在来作物の価値に目覚め、学術的なアプローチをその頃から始めた山形大学農学部の江頭 宏昌助教授(当時)と、地元でも忘れ去られようとしていた在来作物に光を当て、比類なき輝きを放っていたアル・ケッチァーノの厨房を取り仕切る奥田 政行シェフが生産者を訪問、それぞれの立場から作物の紹介を行うものでした。地元向けに在来作物の価値を紹介するこのシリーズは、2年後の春に地元紙で連載が始まった「やまがた在来作物」と、それを一冊にまとめた労作「どこかの畑の片すみで〈Link to backnumber 〉」、さらに今年出版された続編「おしゃべりな畑」として実を結んでゆきます。足元を見つめ直す一連の動きの先駆けとなった外内島キュウリを紹介する特集は、他愛のない記事が並ぶ庄内小僧の中で(笑)、唯一ココロに訴えるものがありました。

tonojima_2010.5gatsu.jpg【photo】5月中旬。定植したばかりの外内島キュウリ

 疲弊した農村を元気にしたいからと、国内外を問わず神輿に乗る現在の奥田シェフ。理由はどうあれ、店を不在にする時間が増えた中でメディアを通して発信される情報と、店の実像との乖離が当然の帰結として生じています。虚像が一人歩きをしている現在とは違って、料理に全力投球していた2003年。料理人の本分である厨房を離れる唯一の日だった定休の月曜にあたった6月23日は、日本海側を北上した台風6号がさほど大きな被害も出さずに去った暑い日でした。江頭先生と奥田シェフが連載1 回目の取材に訪れたのは、当時2 軒だけとなっていた鶴岡市外内島の栽培農家、上野 武さんのもと。

tonojima_2010.1.jpg【photo】収穫の最盛期を迎えた7月。今年はアブラムシにやられたという畑をご案内頂いた上野さん。特に小柄なわけではない上野さんと比較すれば、竹製の組み支柱に沿って伸びる蔓丈の大きさがお分かり頂けるかと

 残念なことに当時の画像データがPC のトラブルでもはや残っていないため、記録していた当時の料理の写真をお見せできませんが、こうして外内島キュウリの存在が初めて地元で紹介された時、毎年7月1日に解禁となる県下屈指の清流、温海川流域の天然鮎の塩焼とともに夏の香りを運ぶ生の外内島キュウリをアル・ケッチァーノで食していました。そこで奥田シェフが席まで持ってきた調理前の外内島キュウリを初めて目にしたのです。若草色の果頭部、特に蔓の付け根付近に顕著な苦味を感じ、白っぽい下半分が甘い外内島キュウリは、グリコのように一粒で二度美味しい個性的かつ不可思議なキュウリでした。
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【photo】上野さんの身の丈より高い場所にあるキュウリの収穫には自作した竹製の収穫棒が欠かせない。食べ頃を迎えたキュウリを下から持ち上げるようにすると・・・(左下写真へ)

 庄内と内陸を結び、山岳信仰の霊場・出羽三山への参詣路でもあった古道・六十里越街道は、現在の鶴岡城址公園付近から外内島地区を通り、十王峠から御神域となる月山越えの後、内陸地方へと続いていました。その道筋にあたる旧櫛引町東荒屋地区で赤川を渡った先は「弘法渡し」と呼ばれています。その名が示す通り、街道沿いの外内島には、弘法大師(空海)にまつわる言い伝えが残っています。

tonojima_2010.3.jpg 【photo】内側に返しがついた受け部分にはご覧の通り、見事キャッチされた外内島キュウリが入る(左写真)

 庄内小僧の取材が行われた日と同じく、遠い昔のとある暑い夏の陽盛り、一人の高僧が出羽三山に詣でる道すがら、のどの渇きを覚えて外内島の民家に立ち寄ります。想像するに家人から「これ食うかい? (^O^)_0 ...(-_- ;) 」とさりげなくギャグを交えて勧められたのが、その地で育つキュウリでした。それを食した高僧は忽ち元気を回復、月山へと向かったのだといいます。それが弘法大師であったと今日まで語り継がれてきました。

tonojima_hatsuko.jpg【photo】目のまわりを除いて顔を覆い隠す庄内地方伝統のハンコタンナ姿で収穫した外内島キュウリを手にする奥様の上野 初子さん(右写真)

 今年がそうだったようにアブラムシや葉ダニなどの害虫がつきやすく、天候不順のもとで発生するベト病への耐性が低いなど、栽培が難しい一面を持つ外内島キュウリ。着果するのが葉5枚間隔前後で、最近主流となっている保存がきく品種ブルームレスと比較して収量は決して多くありません。加えて外皮が薄いために収穫後の保存が利かないことから、地元消費が主で、流通経路に乗って対外的に知られることはありませんでした。味はそこそこながら生産効率が高いために普及したブルームレスのような新品種に押される形で個性的な外内島キュウリは次第に姿を消してゆきます。10年ほど前には種を守るのは上野 武さん・初子さんご夫妻だけとなっていました。

tonojima_seed01.jpg 【photo】 葉が枯れ始める7月末。出来の良さそうな個体は採種用にするため、蔓に目印をつけて収穫せずにおく

 3m 以上の丈になる外内島キュウリは、ハウス栽培ではなく露地栽培されます。育苗ポットから5月中旬に定植、収穫期間は 6月下旬から7月末までと長くありません。蔓を這わせるのは、市販の樹脂コーティングされた逆U字型のスチール支柱ではなく、自ら毎年X 状に組む竹製の支柱。これは多くの葉を付け旺盛な成長力が得られるよう芯止めをしないから。先端に受けを設けた長さ1.5 m ほどの手製の収穫棒を用いるなど、上野さんは手間と愛情をたっぷりと注ぎ込んで、生食や酢漬けなどで慣れ親しんだ味を守ってきました。

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 【photo】 完熟して表面に無数の亀裂が生じた翌年の種採り用となる外内島キュウリ(左写真) 中には種がビッシリと詰まっている(右写真)

 あらかじめ採種用に目をつけておいたキュウリが黄色から茶褐色に完熟して変色し、表面に無数のひび割れが生じるまで蔓に付けたままで採らずにおきます。葉がすっかり枯れる8月直前に収穫した後、一週間ほどそのまま置いておき、中から種を取り出して沈潜法により選別、翌春まで大切に種は保管されます。

 藤沢カブの商品化をいち早く手掛けた鶴岡市大山の漬物店「本長」の本間 光廣社長が、2002年にJA鶴岡の外内島地区担当者から、ただひとりで栽培を続けていた上野さんの存在を聞き、漬物として商品化することを打診します。それが自分もそろそろ生産をやめようかと限界を感じ始めていた上野さんの背中を押す格好になります。かつては外内島キュウリを作っていた近隣に住む上野 勇さん・幸子さん夫妻にも声を掛け、長い歴史を持つ種が守られます。以降、本長では毎年一定量を買い取って、味噌漬や洋風のピクルスとして加工、郷土の味を提供しています。

tonojima_picrus.jpg honcho_oyama.jpg tonojima_picrus2.jpg 【photo】 鶴岡の造り酒屋街・大山にある漬物処「本長」(中写真) によって洋風のピクルスとして生まれ変わった外内島キュウリ(右写真)。酸味のすっきりとしたその味は、スライスした完熟トマトと頂いてよし、カレーライスに添えてもよし。味噌漬ともに525円(税込)

 近年では、収量確保のため農業試験場が試験栽培を行って栽培方法の改良に向けた研究に取り組んだ行政の後押しや、上野さんのお孫さんが通う市立斎(いつき)小学校の子どもたちが学校で栽培を始めるなど、新たな動きがありました。tonojima_pomodoro.jpg2003年秋に発足した山形在来作物研究会の努力によって、在来野菜の価値が地元で広く認識されるようになった現在では、小真木・民田など近隣の地区でも栽培を始める農家が出てきました。これまでは収量が少ないために一般には流通しなかった外内島キュウリが地元の産直施設に今年初お目見えするなど、徐々に広がりが生まれています。

【photo】 樹熟ならではのたっぷりと詰まった感動モノの旨味は変わらぬものの、酷暑のため割れが多数発生した今年。商品化できないトマトをお土産にと頂いた鶴岡・井上農場産の桃太郎。外内島キュウリのピクルスをカット、さっとオイルをふれば、超・簡単夏バテ防止の一皿に

 ひときわ暑さが厳しかった7月中旬、体を冷やす効果がある外内島キュウリを譲って頂こうと、上野さん宅を訪ねました。作業小屋の中においでだった上野さんご夫妻から、鶴岡出身の映画監督・渡辺智史さんによる長編ドキュメンタリー映画「よみがえりのレシピ」の撮影が始まり、上野さんが撮影対象となったことを伺いました。
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 在来作物を守り伝える人にスポットライトを当てるこの映画には、ご縁を結んだ生産者が数多く取り上げられるようです。移り変わりの早い刹那的な時代にあって、揺るがぬ価値を持つ地域の宝物を守る心揺さぶる生き方をしておいでの方ばかり。あぁ、来年秋の公開が待ち遠しい。
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