あるもの探しの旅

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桔梗が花開く日を信じて

Pasqua パスクア(復活祭)の日に

TorinoUmi.jpg【photo】阿武隈川河口(写真下)と汽水湖「鳥の海」。南側の浜堤部に平坦な防潮林が続く先に見える牛橋河口近くで、宮城県唯一の自家詰めワインが造られていた

 那須岳と連なる旭岳北側に端を発し、福島・宮城を北上した東北第二の大河、阿武隈川が太平洋へと注ぐ海沿いにあるのが、亘理(わたり)郡です。阿武隈山地が北西風を遮り、海洋性の温暖な気候に恵まれ、東北の湘南と形容される山元町も、3月11日の東日本大震災で発生した15mもの高さに達する大津波の惨禍から逃れることはできませんでした。

thedayafter20110311.jpg【photo】海岸線(写真右)から800mほどしか離れていない平坦な地にある「桔梗長兵衛商店」の醸造所(赤いピンマーク)とブドウ畑は、襲い掛かった津波にのみ込まれてしまった

 亘理町から山元町にかけては、ビニールハウスによるイチゴ栽培が盛んで、「仙台いちご」の一大産地として知られています。国道6号線をはさんで海沿いを走る県道38号線には、観光農園が点在し、別名「ストロベリーライン」と呼ばれます。それに対して内陸部を南北に走る道は「アップルライン」と言われる通り、海抜50m~60m前後の亘理丘陵一帯には、リンゴ畑が広がっています。

vini_kikyoya.jpg【photo】店頭で津波にのまれたものの、割れずに残り、汚れを流したエチケット(ラベル)が擦り切れている「桔梗長兵衛ワイン 赤・白」、山元町産のリンゴ紅玉を用いたアップルワイン「紅玉」。松島町「むとう屋」にて

 海浜部ゆえの茫漠たる砂地と沼沢地で、かつては不毛の土地といわれた亘理町浜吉田南部から山元町山下地区にかけて、痩せた土地でも育つブドウ栽培が始まったのが、今を遡ること109年前の1902年(明治35)。昭和30年代までは、県内随一のブドウ産地でしたが、よりブドウ栽培に適した他県の産地に押される形で、ブドウ畑はイチゴのビニールハウスへと姿を変えていったのだといいます。

nama_mutouya.jpg【photo】デラウエアのピュアで爽やかな凝縮した透明感の高い甘味が心地よい「むとう屋生詰めワイン」

 宮城県内唯一のワイナリーが、創業者の名を屋号とする「桔梗長兵衛商店」。醸造免許を取得した1910年(明治43)以降、大正期にはアルコール発酵させない「ぶどう液」の製品化にも成功、ワインと並ぶ特産品として親しまれてきました。見学や試飲ができる施設を造るでもなく、畑仕事に精を出し、ワイン醸造職人に徹した当主の桔梗 幸博さんもまた、花好きだったお母様のよし子さん共々、醸造所を壊滅させた津波で帰らぬ人となりました。享年54歳。心からご冥福をお祈りいたします。

watari_wine.jpg 【photo】桔梗長兵衛商店の「わたり」は、主に生食されるブドウ「キャンベル」を使用した可憐でソフトなワイン。造り手が亡くなった今、エチケットの「わたり」の文字が、哀しみを表すかのように薄墨で書かれている偶然に胸が痛む

 ブドウの個性がストレートに味わえる非加熱・無濾過の酵母入り生詰めワインの製造を持ちかけ、1998年(平成10)から「むとう屋生詰めワイン」として商品化したのが、松島町の酒販店「むとう屋」の佐々木繁社長。東京農大で醸造を学んだ根っからの職人気質の幸博さんに惚れ込み、宮城県唯一の生詰めワインを生むきっかけを作った佐々木社長も道半ばにして逝った醸造家を悼みます。

 むとう屋の佐々木社長は、多くのファンがいた生詰めワインをこうした形で途絶えさせるのは無念だし、かといって他の醸造所に製造を委託するのも忍びないと胸の内を語ります。

 朴訥で飾らない人柄を物語るような"その土地ならではの味がするワイン"を造り続けた幸博さんが情熱を注いだ醸造所は、建屋の残骸が残るのみとなりました。幸博さんと奥様の間には、現在大学で醸造学を学んでいる娘さんがおいでです。

 非業の最期を遂げた家族の後を継いだ女性が素晴らしいワインを造り続けている醸造所は、今日がPasqua パスクア(= イースター・復活祭)にあたるイタリアを例に挙げると、病で急逝した夫の遺志をチンツィア夫人が継いだ「Le Macchiole レ・マッキオレ〈Link to website〉」や、耕作中の事故で命を落とした夫が夢なかばにした醸造所をオルネッラ夫人が継承した「Matteo Correggia マッテオ・コレッジャ〈Link to website〉」があります。

 桔梗の花言葉は「変わらぬ愛」「気品」「誠実」「従順」「変わらぬ心」だそう。全てを失った今は悲しみに打ちひしがれているであろうご家族も、いつの日か、また新たな一歩を踏み出すことを切に願っています。
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■ 桔梗長兵衛商店
宮城県亘理郡山元町山寺字牛橋19

■ むとう屋
宮城県宮城郡松島町松島字普賢堂23
Phone:022-354-3155(代) FAX:022-354-3156
URL: http://www.mutouya.jp
※ 現在店舗2階で仮営業中

コメント

ストロベリーライン・アップルライン、共に一時期よく使った道です。気持ちのいい道でしたが..
桃農園もあって、時期にはよく買ったし、鳥の海ブルワリーも...
桔梗長兵衛商店のワインは、"おおくまふれあいセンター"においてありましたね...
残念です。
今はただ、ご冥福をお祈りするのみです。

私も宮城県内唯一のワイナリーがある事を「むとう屋」さんで知り、
オリジナルの生詰めワインも買った事あります。

ご当主は津波で。。そうなのですか。。。
ご冥福をお祈り致します。

▼親分てーへんだ様

 コメントをお寄せ頂きありがとうございます。

 仰るとおり、亘理から山元にかけては、「東北の湘南」といわれるだけあって、入り組んだ地形の三陸とは違った開放的な雰囲気がありました。

 ワインラヴァーの端くれとしては、県内唯一のワイン醸造所を津波に持っていかれた事実が悔しくてなりません。桔梗さんが残して下さった形見のワインを大切に頂きたいと思います。そうすることが供養なのだと信じて。

 

▼おっかぁ早坂さま

コメントありがとうございます。

 お店に入ってすぐ右手の冷蔵ケースに試飲用の生詰めワインをいつもご用意されておられたむとう屋さんのご主人も、桔梗さんがお亡くなりになられたことが残念でならないと仰っていました。

 ワイン造りの名人だったおばさん、先代の奥様、そしてご当主までがお亡くなりになりました。取り返しがつかないとは、まさにこのこと。改めて今回の津波がもたらした損失の大きさと無念さを噛み締めています。

木村様、お久しぶりです。
ご無事で何よりでした。
桔梗長兵衛商店のご当主、お亡くなりになられたのですね。
まだまだお若いのに。どんなにか無念だったことでしょう。
山元町には取材で何度かお伺いさせていただいたことがあります。
ささやかな出会いでしたがお話を聞かせていただいた方々がどうかご無事でいてくださるよう、祈らずにはいられません。
あの美しい田園風景もいつかきっと甦るはず。
復興半ばですが、少しずつ歩いていくことが生き残った者の務めと思っています。

▼はやさか様

 コメントをお寄せ頂き有難うございます。恙なくお過ごしのようで安心しました。
 
 お仕事柄、熱い思いを持ったさまざまな人との出会いに恵まれるかと思います。桔梗屋長兵衛さんのようにハンドメイドな製品には、造り手の「思い」が色濃く滲み出るものです。

 飲み干したピュアな生詰めワインのボトルの内側には、ぽろぽろと頬を流れる涙のようにキラキラした酒石が一筋残っているのでした。

新聞の死亡欄で桔梗という名字を見て不安に思っていましたが、現実のことと知り、残念です。私はワインより素朴なブドウ液のファンでした。約40年まえぐらいから、山元町に行き来していて、一升瓶入りのブドウ液を購入していましたが、もう飲めないのですね。津波は残酷です。人命も財産も思い出も流し、不毛な土地しか残さない!時間がかかるかもしれませんが、桔梗屋さんの復興をひたすら願っています。

▼どこにでもさとう様
お立ち寄りいただき有難うございます。先代の頃から長年桔梗さんのブドウ液を愛飲されておいでだったのですね。震災は文字通り取り返しのつかない多くの爪痕を残しました。

それでも被災地の方たちは内なる万感の思いをバネにして再び立ちあがろうとしています。長い道のりを歩き始めた人たちを、私たちはずっとずっと応援してゆきましょう。

長女さんの無事は思いがけずネット上で知りましたが奥さんは無事かご存知でしょうか。大恋愛のすえ遠く幸博さんのもとに嫁いだ彼女を祝福した高校時代の友人ですが彼女の消息をつかめずにいます。

▼ nodama 様

それはご心配でしたね。
直接話ができたわけではありませんが、桔梗長兵衛商店の営業担当をされておられた方の情報では、奥様は娘さんともどもご無事だったとのことです。

申し訳ありませんが、今どちらにお二人がおいでかまでは、存じ上げておりません。

教えていただきありがとうございました。高校時代の友人たちとともに、彼女のために、そして幸博さんと育ててきたこれまでの歴史や三人の娘さんたちのために、できることを考えていきたいと思います。

▼ nodama様

そうですね。かつてのお仲間の力が合わされば、残されたご家族の支えとなるはずです。

100カ日を過ぎ、昨夜は1本だけ残っていた最後の生詰めワインを半分だけ空けて造り手を偲びました。

その後、何か微力を尽くして差し上げられるような情報は得られましたでしょうか?
あれば何でも御紹介下さりたく謹んで御願い申し上げます。

▼まさむね殿
奥様は亘理町内のアパートで娘さんと暮らしておいでだそうです。第三者から桔梗屋再興に向けた助力の申し出があったようですが、現状では廃業の意思を固めておいでとのこと。

8月に催された山元町主催の合同慰霊祭で遺族代表としてご挨拶に立たれた奥様は、これから前を向いて歩んでゆく決意を気丈に述べておられました。
http://blog.kahoku.co.jp/shokuweb/vam/2011/08/post_147.html

廃業の御決心、及ばずながら御胸の中に想いを致し申し上げるのみ…です。

美味しいワイン云々という舌先だけの関心ではなく、津波からの復興の象徴として何らかの方式で歴史が紡ぎ継がれていくことを願うばかりです。

津波の再来に備えが立ち直っていない現状、元の場所で、という訳にはいかないだろう、とは思われていました。

全く行き届きませんが、誰もが応援している、という気持ちが別の形であれ再出発に寄与することあれば、との寸志を添えたく存じます。

お返事ありがとうございました。

まさむね殿

根っからの職人であった幸博さんにしても、お母様のよし子さんや数年前に亡くなられた先代の長蔵さんにしても、遺されたご家族が、津波が襲った創業の地で家業を継ぐことを望まれないのかもしれません。

仰られる通り、苦渋の選択されたのであろうご遺族のこれからを何らかの形で支えられるのであれば、桔梗屋長兵衛に思い入れがある人たちで支えあいましょう!!

今日、このようなページがあることを初めて知りました。桔梗屋長兵衛商店が津波で流されて、ご主人が亡くなられたことを、「ワイナート」Jul 2011の記事で知っていたのですが、それ以外は本日まで何も知り得ていませんでした。ご主人とご家族の皆さんのことを考えると言葉もありません。
娘さんは今も大学で醸造学を学んでおられるのでしょうか。ご存知の方がおられたらお知らせいただければ幸いです。 ワイン工房あいづ 本田

▼ ワイン工房あいづ 本田様
コメントを頂きありがとうございます。昨年8月、町主催の合同慰霊祭の日に被災後初めて訪れた桔梗長兵衛商店跡地でのエピソード「不死鳥のごときブドウ」はこちらです。http://blog.kahoku.co.jp/shokuweb/vam/2011/08/post_147.html
今となっては醸造所再建への道は閉ざされましたが、ご当主の大学時代のお仲間であれば、事情をご存知かと思います。
http://nodai.net/vball/?page_id=717

▼庄内系イタリア人 様
お知らせありがとうございます。
その後、山元町役場の方の計らいにより、奥様と電話で話をして種々お聞きすることができました。やはり、再建を断念ということでした。ご当主と技術者、施設と設備すべてを流されてしまい、なすすべを失ってしまったということだと思います。まったく残念としか言いようがありません。
本田

残念です…。
けれども、一つ思い付きですが御提案。
被災された葡萄畑の近傍における鎮守の森復興事業の紹介記事を、まずは御覧下さい。

東日本大震災:「鎮守の森」復活を 山元の八重垣神社で、500人が21種3300本植樹 /宮城
毎日6月25日
東日本大震災の津波で神社本殿と境内の森が流失した高瀬笠野の八重垣神社(藤波祥子宮司)で24日、住民や全国の学生ボランティアら約500人が参加した「みんなの鎮守の森」植樹祭が開かれた。参加者は植物生態学者の宮脇昭・横浜国立大名誉教授の指導の下、タブノキやシラカシなど21種類の苗木3300本を植えていった。
 日本財団が被災3県の30神社を対象にした「鎮守の森復活プロジェクト」の第1弾。植樹に先立つ開会式で、藤波宮司が「境内にあるすべてのものが流され、何本かのマツだけ残った。明るい将来を信じ、気持ちを込めて一本一本植樹してほしい」とあいさつ。その後、宮脇名誉教授が「鎮守の森はやすらぎ、心のふるさとだ。危機をチャンスにし、命を守る森づくりを全国に世界に発信したい」と語り、苗木を手にしながら植樹を指導した。
 県神社庁によると、県内約930の神社のうち21社が津波で流失したという。

鎮守の森復活へ 苗木3300本を植樹 朝日6月25日
東日本大震災の津波で被災した山元町の八重垣神社で24日、鎮守の森を復活させようと苗木の植樹式が開かれ、地元の住人など約500人が参加した。
被災した神社の復旧を支援する日本財団(東京)のプロジェクト。広葉樹を使った防潮堤造りで知られる横浜国立大学の宮脇昭名誉教授が植樹を指導した。
神社は1200年の歴史があるとされるが、津波で本殿や境内にあったマツなどの森が流失。参加者らは津波にも耐えられるよう、神社の周囲約750平方メートルの敷地につくられた高さ1メートル50センチほどの盛り土に、タブノキやシイなど広葉樹の苗木約3300本を2時間ほどかけて丁寧に植えた。

引用ここまで。

かかる事業に協賛申上げる趣旨で、一部にでも葡萄の樹を移植、篤志で栽培を支援し、後に葡萄が採取されたならば食用あるいは「むつみ屋」様など何れかワイナリー様の篤志を仰いで醸造して頒布する、という試み、ご一考いただけないものでしょうか?

どなたか采配下さって、神社等しかるべき方が管理運営に責任を持って下さるのであれば、義捐を惜しまない方は多数に渡るのではないでしょうか。

桔梗屋長兵衛サンの想いと、御遺族による慰霊への何よりの協力方法と愚考いたしましたので、長々と御無礼仕りましたが、敢て提案いたしました。


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