あるもの探しの旅

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2011/06/26

銀しゃりには「醤油の実」のみ!

大吟醸入り嘗め味噌を褒めちぎる、の巻

 今回は久しぶりに本拠地・庄内ネタを一席。

tanisada_2011.jpg【Photo】今年の孟宗筍は谷定孟宗で締めくくった。繊細な谷定孟宗を知らずして孟宗筍を語るなかれ。厚揚げ・椎茸・孟宗に白味噌と酒粕を同量加えて煮込み、トロミが加わった二日目が美味の極み

 鶴岡市谷定(たにさだ)にある佐久間 豊さんの竹林で採れた孟宗が届いたのが6月第2週。その特徴はキメ細かく繊細で柔らかな食感と繊細な香り。金峰山の北側にあり、赤土の粘土土壌の谷定が、いかに孟宗筍にとって理想的な環境にあるかは、食すればすぐに分かります。鶴岡市大山の酒蔵「出羽乃雪」の酒粕を加え、庄内の初夏を告げる味として定番の孟宗汁にして頂きました。

tsuyahime_shoyunomi.jpg【Photo】朝ガユの習慣が上方から北前船で庄内にもたらされ、相伴としての「醤油の実」(右写真)を進化させた

 その食卓に華を添えたのが「醤油の実」です。熊本・長野・新潟などでは昔から調味料としてではなく、そのまま食する「嘗め味噌」のひとつ「醤油の実」が作られてきました。米どころ庄内でも、醤油の実は庶民の味として長く親しまれてきたのです。名著「庄内の味」を著した伊藤珍太郎によれば、かつて醤油の実は、醤油を醸造する際、一番仕込みの醤油を絞ったモロミに食塩水と油を混ぜて二番醤油を作った後の捨てカスの副産物で、底辺の「貧しい味」(「改訂 庄内の味」昭和56・本の会刊)だったと記しています。

kaoru_etsu_inoue.jpg ところが、鶴岡市渡前(わたまえ)の井上 馨さん・悦さん夫妻の手になるそれは、大吟醸酒を惜しげもなく使う贅沢な逸品。お米だけでなく、冬はとりわけ葉の厚さとみずみずしさが生食で味わえる小松菜を、夏には溢れんばかりの旨みが詰まった樹熟トマトと茶豆をお世話になっている井上さん。入手困難な抗生物質不投与の発酵鶏糞を鹿児島から取り寄せて土作りに活用、防虫にはインドセンダンや木酢液を、活力剤には海藻・ハチミツ・サトウキビなど独自のエキス溶剤を用い、安全性と食味を追求しています。専業農家として、地域でもいち早く自前の大型精米施設と玄米低温貯蔵施設を導入、消費者との直取引による農業経営に取り組んできました。

【Photo】5月上旬、花を咲かせた小松菜のようにいつも明るい井上 馨さん・悦さん夫妻(上写真) 例年より2週間ほど遅れた今年の田植えは5月下旬。昨年30haの圃場の一部をハウス用地に転用したが、井上農場の屋台骨はコメ作り(下写真)

taue_inoue2011.jpg

 山形県内でも内陸とは全く異なる庄内が、いかに美味の宝庫かはこれまで何度も述べてきましたが、井上さんの手にかかると、そのいずれもが、一味もふた味も違ってきます。四季を通してお邪魔する特権として、ただでさえ美味しい旬の味を、もぎたて・取れたてで味わうことができるわけです。昨年<拙稿2010.6「孟宗尽くし」参照>に引き続き、今年も孟宗尽くしを堪能した湯田川温泉からの帰路に伺った今回は、昨年末に訪れて以来、震災のため、これまでで最も長い半年もの空白をおいての訪問となりました。

   acqua_gassan.jpg acqua2_gassan.jpg
【Photo】月山(左写真奥)のブナ原生林帯が水源となる赤川上流の梵字川から直接引いた滋養豊富な雪解け水(左写真)を井上農場では農業用水として使用。 健全で肥沃な井上農場の穀倉地を潤してゆく豊かな水・水・水・・・(右写真)

 その日は、井上さんが取り組む「消費者ふれあい交流レベルアッププロジェクト」が、山形県が一次産業者支援のために設けた「現場の創意工夫プロジェクト」に採択されたことを、地元紙「荘内日報」で報じられた翌日でした。専業農家として跡を継いだ長男の貴利さんや、手伝いの親類の方たちと井上さんは田植えの真っ最中でした。指定銘柄の「はえぬき」を購入した折に、今年も頂いたのが、今年は期待の新銘柄「つや姫」を用いたという自家製の「醤油の実」です。

inoue_tsuyahime.jpg【Photo】旧・藤島町で誕生した山形を代表する水稲「はえぬき」(左)と「つや姫」(右)

 例年4月から5月の農繁期に仕込むという門外不出・井上家秘伝の醤油の実は、ざっと以下の通りに作ります。

 1:大豆と小麦をそれぞれ炒り、大豆のカラをはねた後、コメを加えてふかし、手でほぐしてから麹菌を加える。

 2:もろみを一晩寝かせてから、米麹を加え、大吟醸酒(←酒の銘柄は毎年ご主人の馨さんの一存で決まる^0^)と醤油を各2升ずつ加える。

 3:15リットルの仕込み樽2つに分けて蔵で寝かせること2週間するとトロミが出てくる。その間、樽を毎日かき混ぜ続け、もろみを呼吸させる。

 醤油の実は、自家製が当たり前だという庄内では、醤油ではなく塩水を用いたり、酒を少なめにして味醂を用いるなど、各家庭の味があるのだといいます。 

gokaku_kiganmai.jpg【Photo】一昨年の12月末、中学受験を控えた娘に井上さんから贈られた「合格祈願米」は、地元の野田ノ目文殊堂でお祓いを受けた霊験あらたかなはえぬき。その甲斐あってか、志望校に合格。めでたしめでたし

 今回頂いた醤油の実は、1990年(平成2)、旧藤島町(現鶴岡市)山ノ前地区にある山形農業試験場庄内支場(現・山形県農業総合研究センター農業生産技術試験場庄内支場)で誕生し、現在は井上農場でも主力品種となる「はえぬき」ではなく、同支場で誕生した自家製「つや姫」を使用したものだといいます。

 大豆は旧藤島町で栽培するため、JA鶴岡が商標を持つ「だだちゃ豆」の名は語れないものの、私が昨年食した中では最も美味しいと感じたご長男の名に由来する「たかくんの茶豆」を晩秋まで畑に取りおいた大豆。

 加えた大吟醸酒は、2004年(平成16)春のお披露目に居合わす幸運に恵まれた「くどき上手」で知られる「亀の井酒造」が醸した純米大吟醸「藤島」と、酒田の「初孫 大吟醸」。醤油も鶴岡の造り醤油屋「増坂イチヤマ醤油店」の醤油と、地の材料を使ったのだそう。

 伊藤珍太郎が指摘する通り、庄内で愛されてきた醤油の実は「常住ふだんの食事の友(「改訂 庄内の味」)であるがゆえ、飽きが来ない味に当地において磨き上げられてきたものです。「庶民の手でろ過されて永く伝承されているうちに納得のゆく味に定着(同)」した醤油の実は、炊き立てのはえぬきの風味を倍増させ、立ち上る大吟醸の香りが一層食欲をそそるのでした。

pomodori_inoue.jpg

 「はえぬきで作った醤油の実を次に来る時まで取っておくからね」と今日電話で話した悦さん。真っ赤に熟れたもぎたてトマトを頂きに伺いながら、来月また鶴岡へと伺う楽しみができました。

【Photo】2003年(平成15)夏、トマトの美味しさに初めて目覚めたのが、赤く熟するまで収穫せず、酸味と甘味ではちきれそうな井上農場の樹熟トマト。ハウスでもぎたてをかぶりつくのが最高っ!!

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井上農場
住 : 鶴岡市渡前字白山前14
Phone & Fax : 0235-64-2805
URL : http://www11.ocn.ne.jp/~inoue-fm/index.html

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2011/06/18

Colletta per Giappone (イタリアから届いた義援金)

Gent.mi italiani
Come ben saprete abbiamo subito danni distruttivi a causa del terremoto e dello Tsunami: dove abito nella provincia di Miyaghi, nei paesi vicini all provincia di Iwate e nella stupenda costa della provincia di Fukushima.
Sono passati quasi 3 mesi ma la situazione è ancora molto critica in tutta la zona colpita.
Credo che sarà davvero molto difficile la situazione ancora per molto tempo anche solo per trovare le forze di riprendersi, nonostante molte persone cerchino di sollevare quelle persone che hanno perso un membro della famiglia o che hanno perso la casa e tutto il denaro, o che sono hanno dovuto trasferirsi lontano dalla propria città a causa del problema della centrale nucleare di Fukushima.
In questa situazione così critica, ho avuto la piacevole notizia dalla Sig.ra Mayumi Nakagawara (la quale da giornalista ha pubblicato 2 libri sui vini italiani che amo perchè riesce a comuncare bene il fascino dei vini) di questa intenzione di raccogliere fondi dalle cantine italiane, da giornalisti del settore e da associazioni italiane per cercare di sostenerci.
Come Voi italiani avete ricostruito il vostro Paese dopo la seconda guerra mondiale, anche Noi giapponesi non possiamo arrenderci a questa orribile calamità naturale come ci ricordano le generazioni dei nostri genitori che hanno saputo ricostruire miracolosamente a seguito dei numerosi incendi causati dalle bombe durante la seconda guerra mondiale, oltre alla terribile bomba atomica di Hiroshima, città che oggi si è popolata di 1.000.000 di persone e vanta della presenza della sede centrale dell'azienda di automobili MAZDA, famosa in tutto il mondo.
Noi siamo sicuri di rinascere anche grazie alla vostra cortesia.Mi auguro che potremo fare un brindisi con un calice di vino italiano e con il sorriso grazie a persone preziose che ci stanno aiutando in un periodo così doloroso.
9 Giugno,2011
Hiroto Carlo KIMURA
 

(日本語原文)
親愛なるイタリアの皆様へ
 東日本大震災では、イタリアでも皆さんがご覧になった通り、私が暮らす宮城県と隣接する岩手・福島の美しい沿岸地域は、津波によって壊滅的な被害を受けました。震災発生から3ヶ月を過ぎようとする今もなお、生活基盤の全てが打ち砕かれた被災地では、過酷な状況が続いています。
 津波によって愛する家族を奪われ、家と財産を失い、東京電力福島第一原子力発電所の事故によって住み慣れた故郷を追われた人々にとっては、「生きる希望を持って」と励まされても、再び立ち上がる気力すら持てないのが現実かもしれません。
 瓦礫と化した被災地の状況を前に、私たちが悲しみに打ちひしがれていたとき、私が愛してやまないイタリアワインの魅力を余すところなく伝える著作を2冊著した中川原まゆみさんから、中川原さんが呼びかけて下さったイタリア各地の生産者や生産組合、ジャーナリストの皆さんが義援金を寄せて頂いたことを知ったのです。
 中川原さんからのお申し出は、思いもかけないことでした。
 そう、第二次世界大戦で荒れ果てた国土を復興させたイタリア国民の皆さんと同じように、今回の無慈悲な天災に私たちは負けるわけにはいかないのです。私の父母の世代の日本人もまた、焦土と化した焼け跡から奇跡と言われた復興を成し遂げたのですから。
 エノラゲイによって原子爆弾を投下され広島は、皆さんの中にも乗っていらっしゃる方がおいでかもしれない日本が誇る自動車メーカーMAZDA 本社があり、100万人を超える人口を擁する大都市となりました。
 今回、皆さんからお寄せいただいたご厚意をバネに、私たちは必ずや復活することを皆様にお誓いします。苦しい時を支えてくれる大切な人と囲む食卓に、楽しい語らいと笑顔をくれるイタリアワインで、いつの日か復興の祝杯を挙げる日が来ることを信じています。
 2011年6月9日 木村浩人

イタリアワイン関係者からの義援金

m_nakagawara.jpg【photo】イタリア各地に広がる人脈を生かして義援金を募って下さった中川原まゆみさん〈撮影:渡邉 高士 氏〉

 中部イタリア、エミリア・ロマーニャ州Bologna ボローニャ在住のワインジャーナリスト中川原まゆみさんからメールが届いたのが4月21日。東日本大震災に関するニュースが、連日イタリア国内で報道されていた頃です。被災地の惨状に心を痛めた中川原さんが、ワイン生産者や生産組合、ジャーナリスト仲間らに声を掛けて集めたという総額11,515ユーロの義援金の送り先に関して情報がほしいという内容でした。以前、中川原さんの著作をご紹介したこともあり、何かお役に立つのなら、喜んでお引き受けする旨をお返事しました。

 日本円に換算して130万円ほどの募金を被災したレストランや酒販店に直接届けたいというのが中川原さんのお申し出でした。状況を探るため心当たりに直接打診したほか、被災地の支局に勤務経験のある同僚記者にも動いてもらいました。東北一円を営業エリアとしてカバーするイタリア食材専門のインポーター「モンテ物産」ほか、イタリアワインを多く扱う卸業者にも情報提供を求め、特に被害がひどかった岩手・宮城・福島の3県の候補から、最終的に下記5店に義援金を贈ることにしました。

◆ 「レストランまるみつ」 岩手県宮古市藤の川

 岩手短角牛を用いたハンバーグが人気の宮古湾に面した南欧風レストラン。被災状況はオーナーソムリエ古舘英樹さんのブログで。
 http://ariv.blog.so-net.ne.jp/2011-03-20 

◆ 「Ozio オッツィオ」  宮城県亘理郡山元町山寺

Ozio_yamamoto.jpg 石窯で焼くピザと旬の素材で作る創作パスタ&ドルチェの隠れ家的なイタリアン。海岸から1km と離れておらず、平坦な地形が災いして津波の直撃を受けた店が全壊。店のHPには、シュワルツェネッガー元カリフォルニア州知事のような石川オーナーのメッセージがひと言。「I'll be back ... 」


◆ 「ぱぴハウス2号店・3号店」 宮城県多賀城市および同山元町坂元

papi_house.jpg 社会福祉法人「臥牛三敬会」が、障害をもつ若者の就労支援施設として運営するイタリアンレストラン。両店舗とも津波により大きな被害を受けた。

◆ 「Al Fiore アル・フィオーレ仙台市太白区向山

alfiore_distribuito.jpg 斜め向かいに建っていた「鹿落旅館」の崩壊で店に通じる道路が封鎖され、インフラも戻らず4月末まで休業。その間、目黒浩敬シェフは被災3県の支援が行き渡らない避難所に連日出向き、炊き出しに奔走。店を再開した今も依頼が入るため、取引先から一部食材の提供を受けながら、数百名単位の炊き出しを毎週のように継続中。

◆「Est Est エスト・エスト福島県いわき市平字堂ノ前

 イタリア風居酒屋。建物には大きな被害はなかったが、什器類が損壊。現在は営業を再開。

 食器やワインが割れた、平常営業ができずに売り上げが激減した・・・といった震災の影響は、程度の差こそあれ、ほぼ例外なくあったかと思います。原発事故により立ち入り禁止区域に指定され、いつ店を再開できるのか見通しが全く立たない店舗があることも承知しています。

 ヴェロネリが発行する著名なワイン評価本「I VINI DI VERONELLI 」のテイスターとして知られるジジ・ブロッツォーニ氏など、イタリアワインに関わる方たちから寄せられた思いもかけぬ浄財。

 どこにどう渡るかも知れぬ赤十字経由ではなく、再起を期するイタリアワインのユーザーに直接お渡ししたいという中川原さんの真摯なお気持ちを生かすよう、中川原さんと相談の上で以上のような段取りをとった次第です。

514px-Michelangelo_Caravaggio_007.jpg 冒頭でご紹介した私からの感謝のメッセージに、被災状況を伝える写真を添えてイタリア語への翻訳をお願いした中川原さんにお送りし、今週ボローニャから義援金を送金して頂きました。

 津波による被害は、地震保険の対象外であり、現状では公的な保障もされません。

 そんな中で、自発的に動いてくださった中川原さんと、それに応えてくれた人たちに改めて御礼を申し上げたいと思います。

【photo】ウフィッツィ美術館所蔵のカラヴァッジョ作「Bacchus バッカス」。今回義援金を寄せてくれた「I Giusti & Zanza イ・ジュスティ・エ・ザンツァ」が自社のワイン「Nemorino」のエチケッタに使っている。再起の1杯に

 最後は善意を受け取られた皆さんへの私からのお願いで締めくくるとしましょう。店舗再開の暁には、募金に協力して下さった生産者のワインで祝杯をどうぞ上げて下さい。

 さらには再開した店のワインリストに下記の作り手のワインを加えて頂ければ、被災地で暮らす皆が心優しき生産者のワインを楽しむことができます。イタリアワインを愛する者として、また今回の橋渡し役として、これに勝る幸せはありません。

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募金に協力頂いた主な生産者(括弧は輸入業者)
I Giusti & Zanza / Toscana (中島董商店)
 イ・ジュスティ・エ・ザンツァ / トスカーナ州ピサ県ファウリア
   *URL:http://www.igiustiezanza.it/
Fratelli Serio e Battista Borgogno / Piemonte (中島董商店)
 フラテッリ・セリオ・エ・バッティスタ・ボルゴーニョ / ピエモンテ州クーネオ県バローロ
   *URL:http://www.borgognoseriobattista.it/
Capovilla / Veneto (スリー・リヴァーズ)
 カポヴィッラ蒸留所 / ヴェネト州ヴィチェンツァ県バッサーノ・デル・グラッパ
   *URL:http://www.capovilladistillati.it/
Azienda Vinicola Pietracupa / Campania (ウインターローズ)
 ピエトラクーパ / カンパーニャ州アヴェリーノ県モンテフレッダーネ
   *URL:なし 
Stefano Ferrucci / Emilia-Romagna (アビコ)
 ステファーノ・フェルッチ / エミリア・ロマーニャ州ラヴェンナ県カステル・ボロニェーゼ
   *URL: http://www.stefanoferrucci.it
Bisol / Veneto (パシフィック洋行)
 ビゾル / ヴェネト州トレヴィーゾ県ヴァルドッビアーデネ
   *URL:http://www.bisol.it/
Tenuta San Francesco / Campania (テラヴェール)
 テヌータ・サン・フランチェスコ / カンパーニャ州サレルノ県トラモンティ
   *URL:http://www.vinitenutasanfrancesco.it/
Josephus Mayr / Trentino-Alto Adige (アビコ)
 ジョセフ・マイアー
   / トレンティーノ=アルト・アディジェ州ボルツァーノ県コルネード・アッリザルコ
   *URL:http://www.mayr-unterganzner.it/welcome

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2011/06/12

海の男は不屈だった@気仙沼

絶品サンマ佃煮の復活を祈って

kesennuma_myojinmaru.jpg【Photo】津波によって陸上に打ち上げられ、5月23日にクレーン船でようやく海に戻された女川港船籍の遠洋マグロ延縄船「第3明神丸」(379トン・左)と、船首を除いて焼けただれた漁船(右)。写真奥が気仙沼市魚町周辺。4月9日撮影

 発生から3ヵ月が過ぎた東日本大震災。巨大津波が襲った三陸沿岸の被災地では、津波の爪痕と同様、心に受けた傷から必死に立ち直ろうとしています。23年分のゴミに相当するといわれる瓦礫の撤去は、2割ほどが仮置き場に移送されたに過ぎず、順次入居が始まった仮設住宅も、必要数の半分に過ぎない中で、被災者は生活再建に向けた長い道のりを歩み始めようとしています。

sakanamachi_2011.4.9.jpg【photo】被災後1ヵ月になろうとする4月9日、瓦礫と化した人の暮らしの痕跡や重油タンクが無残に散乱する気仙沼市魚町。この駐車場の右隣りにケイの建屋がある

 高濃度の放射能を含んだ冷却水が漏れ出して海洋汚染の懸念が高まる原子炉のメルトダウンという重大な事実を発表しなかった東京電力の姿勢には、怒りを通り越して呆れるばかり。国策として原発建設を推し進めた当事者である野党を含め、党内ですら政争に明け暮れる為政者たちは、復興の道筋すら示されず、焦燥感に駆られる被災者の声に耳を傾けるつもりはないのでしょうか。

 被災前、私が気仙沼を訪れると必ず買っていたものがあります。それは有限会社ケイの「網元逸品 さんまつくだ煮」。最初にその味を知ったのは、ご縁あって気仙沼市魚町に事務所を訪ねた5年ほど前。気仙沼湾に面した海岸沿い建つ加工場を備えた事務所兼住宅は、1897年(明治30創業)に創業した「菅長水産」時代のもの。

 かつて幾艘もの漁船を率いた網元の正月の神棚(下写真)。「開運福禄寿」や気仙地方特有の漁網をかたどった切り子が祀られる。今も海とともに生きる菅原啓さん、義子さん夫妻が営むケイの事務所でご馳走になったのがきっかけです。

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【Photo】遠洋マグロ漁船の一大拠点であった気仙沼港。燃料の高騰や漁獲量の減少などで往時の1/3以下に減船を強いられた。出港する大型サンマ船などを、乗組員の家族や市民が豊漁と航海の安全を祈って盛大に見送る「出船送り」の風習が昨年5月に復活。活気ある街を取り戻そうという試みが行われていた矢先、未曾有の災害が気仙沼を襲った(下写真:2011年1月撮影。被災2ヶ月前の気仙沼漁港)

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【Photo】魚を知り尽くした元・網元が作るさんまつくだ煮。絵心のある奥様の血を引く娘さんが描いた「あみもとあみちゃん」が美味しさと笑顔の輪を広げる(右写真)

kei_sanma1.jpg 国内有数の遠洋マグロ延縄漁業拠点として栄えた気仙沼の海で生きてきた人らしく、青地に白い漁船のイラストをあしらった詰め合わせ用の青い箱は、素朴な手作り感溢れるもの。

 「どうぞ召し上がってみて」という義子さん。商品化して間もない2005年(平成17)、毎年大阪で開催される「全国水産加工たべもの展」に出品したケイのさんまつくだ煮は、水産物佃煮部門で最高賞の農林水産大臣賞、次点の水産庁長官賞に続く大阪府知事賞を受賞しています。全国から選りすぐった約3,000点の中から認められた気仙沼の逸品を勧められて遠慮する手はありません。

kei_sanma2.jpg【Photo】手描きのパッケージと同様に素朴だけれど、たまらなく美味しいケイのさんまつくだ煮味付けは、醤油味と味噌味(写真)のほか醤油味ごぼう入が加わり全3種類。味付けに使う無添加の味噌・醤油を作っていた市内の老舗「平野本店」が、津波被害を免れたのが救い

 なるほど、それはそれまで食べた中では、間違いなくダントツに美味しく、それでいてどこか懐かしさを覚えるサンマの佃煮でした。天然素材だけを使う旨味が詰まった骨まで柔らかい佃煮は、常温でも温めても、最高のご飯のおかずとなります。そんな正直な感想をつい言ったものですから、同行した社の後輩ともども、温かいご飯まで奥様に持ってきていただき、すっかり恐縮したものです。

 漁場として世界でも稀な好条件が揃った三陸の海。気仙沼はリアス海岸特有の入り組んだ地形の湾口に気仙沼大島があるため、波静かな天然の良港です。毎年秋、滋養豊富な親潮に乗って養分をたっぷりと体内に蓄えながら三陸沖を南下してきたサンマを集魚灯で集め、魚体へのダメージが少ない棒受網漁ですくい上げるよう捕獲します。

kei_sugawara.jpg【Photo】気仙沼ならではのさんま佃煮の傑作は、こうして海の男が工房でじっくりと時間と手間をかけて作り出す。(上写真) 被災後初めて伺った当日はお会いできなかったものの、後日NHK仙台放送局の番組「被災地からの声」に登場、「あんまり頑張らずに頑張ります」と語った菅原 義子さん(右下写真・NHK番組画面より)yoshiko-sugawara.jpg

 ケイで用いるサンマは水揚げ後すぐに氷漬けされ、マイナス40度で冷蔵されます。こうして鮮度を保ったサンマに下処理を加え、「すぐそこで作ってもらっているのよ」という醤油・味噌をベースに、みりん・日本酒・生姜・唐辛子で味を整え、照りを出す水飴を加えてじっくりと愛情込めて煮込みます。

 私のお気に入りは味噌味。旨味の塊のような味付けは真似のできない美味しさです。すっかり入れ込み、気仙沼魚市場前の海鮮市場「海の市」や、同市八日町の「横田屋本店《Link to Website》 」で購入するだけでなく、時には事前に菅原さんにお願いして業務用の大容量パッケージを事務所で譲って頂いたりもしました。

sugacho_suisan.jpg【Photo】気仙沼湾の目の前に建つケイ本社兼住宅。津波は建物2階の天井部分まで押し寄せ、菅原さんご夫妻は従業員ともども3階に逃れ命拾いをした

 気仙沼大島が防潮堤の役割を果たしたとはいえ、今回の津波は気仙沼市街地では、海抜12mの地点まで達しました。もともと水産会社だったケイの事務所は、観光桟橋がある気仙沼湾の最深部に位置し、海に面した場所にあります。電気が復旧してからTVで目にしたのが、鳴り響く警告音と避難を呼びかける防災無線の中、台風で増水した濁流のように気仙沼湾内に流入する津波の模様でした。その衝撃的な映像に安否が気になったのが菅原さんご夫妻のことでした。

 県がまとめた避難者名簿には名前が見当たらず、電話回線が遮断して安否が分からないまま、不安な気持ちでいた3月中旬、建物の2階まで押し寄せた津波を3階に避難して難を逃れた気仙沼市魚町の菅原啓という76歳の人物のコメントが、新聞に掲載されていることをネットで知りました。魚町近辺で3階建ての建物で命拾いをした同姓同名のほかの人物がいるとは思えません。この小さな記事でご主人の無事を確信しました。

messagio_sugawara.jpg【Photo】ご夫妻の無事を知らせる走り書き

 震災発生から1ヵ月近くを経た4月9日(日)、避難所へ生活物資を届けるために被災後初めて気仙沼入りした足でケイの事務所を訪れました。ダンボール紙にご夫妻の無事を知らせる走り書きのメッセージがあるそこにご夫妻はお留守でしたが、家を流されて3階で一緒に暮らしているという親戚の方から、被災当時の模様と、あみもとあみちゃんのようにいつもお元気な奥様が、事業再開に向けて張り切っていることを伺って安心しました。

 被災見舞いに伺ったにもかかわらず、津波に浸からなかった佃煮を私に下さる始末で、お渡ししようとしたお代は、どうしても受け取って頂けませんでした。事務所の泥かきをしている所に伺って、なんとも申し訳ないことをしました。

 同社のさんま佃煮に惚れ込み、人気の駅弁「宮城まるごと弁当」の一品として扱っていた弁当製造業の「株式会社こばやし」(仙台市宮城野区)でも、動き出したケイの事業再開に合わせて絶品のさんまつくだ煮を具材に復帰させる予定とのこと。

 幾度となく荒海を乗り越えてきた網元ご夫妻のこと。再びあの味と出合える日がまた来ることでしょう。

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