あるもの探しの旅

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2011/09/25

仙台初「真のナポリピッツァ協会」認定店が誕生

Complimenti !! Pizzeria Padrino
 おめでとう!! ピッツェリア・パドリーノ

atessaAVPN.jpg【Photo】9月21日にピッツェリア・パドリーノで行われた「真のナポリピッツァ協会」認定審査の模様。 いつも通りの鮮やかな手さばきでAcunto のピッツァ窯を扱う千葉 壮彦ピッツァイオーロ

 昨年の実食レポート Link to backnumberで、仙台圏で唯一「Verace Pizza Napoletana =真のナポリピッツァ」を味わえる店であることを確認、今年7月に「アクロバットもスゴイんです」Link to backnumberで予見した通り、仙台市青葉区の「Pizzeria Padrino ピッツェリア・パドリーノ」が、宮城初の「Associazione Vera Pizza Napoletana アソチアツィオーネ・ヴェラーチェ・ピッツァ・ナポレターナ(以下、真のナポリピッツァ協会)」認定店として登録されました。Bravissimo!!
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【Photo】千葉さんが焼き上げたピッツァを前に仕上がりをチェックするガエターノ・ファツィオ氏(中央)、西川 明男氏(左)、渡辺 陽一氏(右)

 真のナポリピッツァ協会による本審査が行われたのは、9月21日(水)。9月16日~18日に東京汐留のイタリア街で開催された「ナポリピッツァフェスタ2011」のため、ナポリの協会本部から来日したマッシモ・ディ・ポルツィオ会長代行ら4名の役員のうち、主任技術指導員を務めるガエターノ・ファツィオ氏と、同協会日本支部長で日本第1号認定店である兵庫県明石市のピッツェリア・リストランテ「さくらぐみ」西川 明男氏、副支部長で東京広尾にあるピッツェリア「パルテノペ」の渡辺 陽一氏の3名が審査に当りました。

atessa2_AVPN.jpg【Photo】審査する側、審査される側ともに真剣な表情。脇から審査の成り行きを見守るのは、オーナーである仙台勝山館の伊澤 泰平社長

 EUが伝統的な製法による食品に対して与える統一規格「Specialità Tradizionale Garantita 伝統的特産品保証」に認定されるナポリピッツァ。イタリアではシチリアの伝統的な操り人形劇「Pupi プーピ」や男声4名によるサルデーニャの牧羊歌「Canto a tenore カント・ア・テノール」が、日本からは能楽や歌舞伎が登録されているユネスコの「無形文化遺産」への登録を目指す動きもあります。現在世界20カ国で370店以上が認定を受ける真のナポリピッツァ協会認定店への登録に際しては、厳格な国際規約に沿って審査が行われます。

atessa4_AVPN.jpg 【Photo】3代続くイスキア島のリストランテ・ピッツェリア「Da Gaetano ダ・ガエターノ」のオーナー・ピッツァイオーロ、ガエターノ・ファツィオ氏。この道50年以上、真のナポリピッツァ協会では主任技術指導員を務めるマエストロが焼き上げたばかりのピッツァの仕上がり具合を実食して確認

 これまで東北ブロックでは唯一の登録店だった鶴岡「穂波街道 緑のイスキア」Link to Backnumberに続く登録店を目指してこのほど審査を受けたのは、事前審査をパスしていた岩手県盛岡市の「Piace ピアーチェ」と ピッツェリア・パドリーノの2店。20日に審査が先行して行われたピアーチェが、東北で2番目の認定店と認められた翌21日、台風15号が仙台に最接近する荒れ模様の中で審査が行われました。

 東日本大震災の影響で、春に予定していた来日を急遽取り止めたガエターノ氏。これまで数多くのピッツァイオーロ(Pizzaiolo=ピッツァ職人)を志す日本人をイスキア島にある自身の店「Da Gaetano ダ・ガエターノ」で受け入れてきた親日家でもあるガエターノ氏は、多くの命が失われた今回の震災に話が及ぶと、ポロポロと涙を流しました。2004年に認定店となった広島の「Pizza Riva ピッツァ・リーヴァ」の審査終了後、本人のたっての希望で原爆ドームを訪れた際も、目を真っ赤に泣き腫らしていたといいます。マエストロはイタリア人らしく情に厚い方なのですね。

Complimenti_ciba.jpg【Photo】審査対象の9項目中、最高得点のOttimoが8つというハイスコアを達成。通常は後日送られて来る真のナポリピッツァ協会認定店としての証しであるプルチネッラの看板が事前に用意された。世界で374番目の認定店であることを示す遠し番号が入った看板がマエストロ・ガエターノから即日交付された

 私の事前リサーチでは、控えめな言葉ながら、自信のほどをのぞかせていた千葉 壮彦(たけひこ)ピッツァイオーロ。審査員の矢継ぎ早の質問が飛び、射るような視線を浴びる中で行われた本審査では、9項目中8項目で最高点の「Ottimo オッティモ」、修正が容易な具材の分量に関してのみ次点の「Buono ブォーノ」というほぼ満点の結果で見事合格。晴れて世界で374番目となる真のナポリピッツァ認定店の称号を得たのです。

atessa5_AVPN.jpg【Photo】真のナポリピッツァ協会が認定店に対して発行する認定証

 審査に当たったガエターノ氏は、「世界中どこに行っても、これだけの高い評価を与えることは、そうあることではない。この結果は、彼が真剣にピッツァと向き合っていることの証しである」と千葉さんを褒めたたえました。

 ピッツェリア・パドリーノのオーナー企業「仙台 勝山館」Link to Websiteのグループには、「宮城調理製菓専門学校」Link to Websiteがあります。その研修施設カフェ・ピッツェリア「IL VIALE イル・ヴィアーレ」は、ピッツエリア・パドリーノと同じく、ナポリのピッツァイオーロから信頼の厚い「Gianni Acunto ジャンニ・アクント」製の石窯を備えています。今後同校には、真のナポリピッツァ協会本部から派遣されたピッツァイオーロが、生徒への技術指導に定期的に訪れるのだそう。そうして本場の空気を感じる機会は、得がたい経験となるはずです。

marinara_2011.9.21.jpg【Photo】認定後初のオーダーは、念願が叶ったオーナーの伊澤 泰平社長にお譲りし、2番目の客として注文した私の定番であるナポリ伝統の香ばしいピッツァ「マリナーラ」

 まずは当面の目標を達成した千葉さん。今回の認定を機に、宮城調理製菓専門学校で学ぶ後進の指導に当たりたいと抱負を語ります。この夏、仙台駅前に進出したナポリピッツアを標榜する店の残念な出来に落胆させられるなど、本場ナポリの味を忠実に再現するピッツェリアの空白地域だった宮城。(私のような?)一部のマニアだけでなく、広く一般の人にナポリピッツァに親しんでもらえるよう頑張りたいと次なるステップに向けて意欲を見せます。

 薪の香りが香ばしいモチっとしたナポリ直伝の生地の美味しさを味わって頂きたいこの店。新たなる目印は、認定店の証しであるピッツァを窯に入れる木製の道具パーラを手にしたナポリの道化プルチネッラの看板。そこには世界共通の通し番号374が記されています。千葉さんは、その番号にピッツァを食べてくれた皆(37)が幸せ(4)になってほしいという願いを込めながら、これからも窯の前に立ち続けます。
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atessa6_AVPN.jpg「真のナポリピッツァ協会」認定店
Pizzeria Padrino ピッツェリア・パドリーノ
 住:仙台市青葉区上杉2-1-50 勝山館1F
 Phone:022-222-7834
 営:昼11:30~15:30 夜17:30~20:30
   月曜定休(祝日の場合は翌日休)
 メニューはコチラ
 URL:http://www.shozankan.com
 

2011/09/17

女川再生への第一歩

がんばっぺ女川
蒲鉾本舗 高政 女川本店「万石の里」開店

 昨日の河北新報朝刊TV面には、黒地を背景にうっすらキツネ色に焼きあがった美味しそうな笹かまぼこの写真が掲載されました。それは宮城県牡鹿郡女川町の蒲鉾店「高政」(高橋正典社長)が、9月1日に稼動した新工場内に昨日開店させた本店「万石の里」誕生を告げる広告です。 ※(クリックで拡大)

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 一見、何気ない新店OPENの広告ですが、そこには震災で町の8割が壊滅した地元・女川の再生にかける高政の決意が込められています。その熱き思いを示すかのように湯気がうっすらと立ち上る蒲鉾の写真に魅せられた私は、自宅近くのスーパーにある高政の売り場に直行、笹かまぼこと揚げかまぼこがお買い得価格でセットされた「開店記念セット」をゲットしたのでした。うー、広告効果抜群!?


大きな地図で見る

 高政の本社工場がある万石浦は、石巻市渡波から女川へと向かうJR石巻線沿いに広がる内海です。外海に面した開口部が250mほどしかなく、津波による被害が甚だしかった石巻と女川の境界にありながら、宮城県内では唯一ほとんど津波被害を受けませんでした。そのため、カキやホタテの養殖いかだが無傷で残っています。

mangokuura_2011.9.1.jpg【Photo】全国屈指のヒラメ釣りのメッカでもある万石浦は、宮城県内では唯一、津波による被害を受けなかった。2011年9月、船上でカキ養殖棚の手入れをする万石浦の漁師

 とはいえ、入り江が深く切れ込んだ女川湾に面して建っていたマリンパル女川の外壁だけを残して町の中心部を壊滅させた津波は、R398沿いでは最も高台となった同町旭ヶ丘付近をも越えて万石浦方向へと抜けて行きました。高政の本社工場がある女川町浦宿浜は、万石浦の最深部にあたり、標高が比較的高い場所だったため、建物が浸水被害を受けることはありませんでしたが、自宅にいた高橋政一会長ほか、従業員が津波の犠牲となりました。

takamasa_kaitenkinenset.jpg【Photo】高政「開店記念セット」笹かまぼこ(吉次2枚・石持2枚)揚げかま(上からプレーン「たかまさ」具だくさんの「海老」「五目」「貝柱」)一口サイズの「ぷちあげ」で1,000円のお買い得価格

 被災前はおよそ40軒の水産加工業者が町を支えていた水産の町・女川にあって、元々は新鮮な魚のすり身を製造するのを本業としていた高政。現社長の祖父で創業者の高橋政助氏が鮮魚商を始めたのが1937年(昭和12)。自社ブランドの蒲鉾で市場に参入したのは1994年(平成6)からと、県内の大手かまぼこ製造業者の中では後発組と言ってよいでしょう。

 それでも素材を扱ってきた長い経験を活かし、すり身を加工する段階で魚肉の純度を上げるために通常は3回繰り返す「水晒し」工程を多くても2回までに留め、噛めば噛むほど原料の吉次やイシモチなどの風味が味わえる独自の製法を編み出しました。仙台市内の老舗百貨店に直営店を構えて以降、贈答用としても全国の百貨店・大手スーパーとの取引を開始、順調に業績を伸ばしています。

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【Photo】高級白身魚の代名詞「吉次」を使った高政の肉厚な笹かまぼこ。上品でふんわりとした素材の持ち味を生かすため、焼きは弱めに入れるのだという。そのままガブリ!

 「会社は地域の皆んなによって生かされている」が口ぐせだった政一会長の遺志を受け、正典社長を先頭に応急修理で復活させた製造ライン1系統で、冷蔵していたすり身から揚げかまぼこの製造を再開したのが3月28日。揚げたてのかまぼこ延べ10万食以上を避難所で配布しました。冷たいおにぎりしか口にできなかった当時、通常の5割増の厚さに仕上げた善意のかまぼこは、笑顔を忘れていた被災地に温かな心も届けていたのです。

takamasa_shinkoujyou.jpg 【Photo】笹かまぼこ製造ラインが2セット、揚げかまぼこが3セットの新工場は従来の4倍の製造能力を備える

 3.11と4.7に起きた震度6の揺れで製造設備に被害が出たため、4月18日に直営店舗での販売を再開したものの、製造ラインの一部だけで操業を強いられてきました。当初計画から3ヶ月遅れで新工場の「火入れ式」が行われたのが9月1日のこと。その日、石巻を経由して訪れた女川は、廃墟となった町が折からの猛烈な雨に打たれて一層くすんで見えました。その日私が女川を訪れたのは、事業再開に向けて歩みだした企業の食品を使ったお弁当の製品化しようという仙台のお弁当製造会社の取材に同行したため。

 ご対応いただいたのは社長のご子息で取締役企画部長の高橋正樹さん。製造工程でCO2を排出しない業界初となるオール電化工場は、旧工場の4倍の製造能力を備えています。食べる人の安心のため、スクリーニング放射線測定器を導入して原料の安全性を確認しています。この測定器は、一部で水揚げが再開した地元の漁師にも貸し出されるのだといいます。

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 地域復興のために取り組んだのが、新工場稼動によって使わなくなった隣接する旧工場と300tの収容能力を備えた冷蔵施設を被災した地元の同業者に無償で提供すること。あわせて今回の新工場・新本店の稼動によって、高政では52名を新規採用しました。町の中心部が建築制限区域に指定され、復興へのロードマップが見えてこない中、人口流出を少しでも食い止めるため、年度内に新卒者の採用を予定するなど、生き残った企業としての責務を果たすのだと正樹さんは力強く語りました。

【Photo】キツネ色になるまで焼き目を付ける「石持」笹かまぼこ。使う素材によって、焼き加減を変えるのも高政のこだわり

 最新鋭の製造ラインの見学コースが設けられた工場に併設される本店には、笹かまぼこの手焼き体験コーナーと揚げたてのかまぼこを頂ける一角を設置。数量限定「御膳蒲鉾」は本店でしか入手できない職人こだわりの逸品です。再起を目指す地元同業者の製品や「がんばっぺ女川! おだつなよ(=石巻地方で「いい気になるな」を意味する方言)津波」とプリントされたTシャツなども販売しています。

 16日から19日(祝)までの4日間はグランドオープンフェアを開催。毎日先着200名に工場で焼きたての笹かまぼこと「笹かませんべい」各1枚づつがプレゼントされるようです。この連休は石巻・女川へGo!!
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takamasa_mangoku.jpg高政 女川本店「万石の里」
住:宮城県牡鹿郡女川町浦宿浜字浜田21
Phone:0225-53-5411
営:8:30~18:30 不定休
駐車場:大型バス4台・乗用車20台
URL:http://www.takamasa.net/.
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2011/09/11

2011年・世界チャンプバリスタが来仙

念力で呼ばれてしまいました(笑)
 @ La Casa del Caffe Bal Musette

 スペシャルティコーヒーの持ち味を存分に、かつ手軽に味わうことができる唯一のツール「Aeropress エアロプレス《Link to backnumber 》」を昨年10月に入手した「La Casa del Caffe Bal Musette ラ・カーサ・デル・カッフェ・バル・ミュゼット」を訪れた今日の午後。仙台市の北部郊外に店があるため、平日は行く機会に恵まれない店の赤い扉を開いたのは久しぶりのことでした。

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 オーナーの川口バリスタには内緒ですが、ほんの5分前までは水を汲みに行くつもりで泉IC付近のR4を北に向かって走行中だったのです。それが何故か突如として気が変わり、隠し味の塩が味の幅を広げるバニラアイスにエスプレッソを加えたアッフォガート・サーレを注文していました。

 「こちらからご連絡しようと思っていたところに、先ほどお見えになったので、驚いてしまいました」と川口さん。マカロンに限らず最近続いている言霊現象が逆の形で表れたのでしょう。エスプレッソマシンの使い手として超一流の川口さん。最近はテレパシーの遣い手としても修行を積んでいるのかも。

 念力を使って川口さんが私に伝えたかった内容は下記を参照願います。
 http://balmusette.exblog.jp/14516734/

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 今年6月、南米コロンビアの首都ボゴタで開催されたワールド・バリスタ・チャンピオンシップ(以下WBCと略)で優勝したのは、中米エル・サルバドル出身のアレハンドロ・メンデス氏(当時23歳)。2000年の第1回モナコ大会以降、コーヒー生産国で初開催されたWBCで初めて消費国以外から優勝者が出たのです。

 通常、WBCの優勝者を招くには高額なギャランティが必要となります。アレハンドロは2001年にエル・サルバドルで死者1,149名・負傷者8,000名、150万人以上が被災した大地震が2度に渡って起きた際、日本から被災地に対して救援活動が行われた恩返しをする意味で、現在の勤務先である故国のカフェ「Viva Espresso」 の理解を得て報酬を求めずに来日するのだといいます。

 川口さんが念力で私だけではなく、世界チャンプまでも呼んだのかもしれない今回のチャリティイベントには、「コーヒー好きは皆友だち」を合言葉に集ったコーヒーショップの従業員、カフェオーナーから一般のコーヒー好きのメンバーが、東日本大震災の被災地に温かいコーヒーを届ける活動を展開した団体「Coffee Amigos (コーヒー・アミーゴス)」もサポートにあたります。

 Coffee Amigos にも参加し、大手コーヒー会社勤務時代に世界のコーヒー生産地を巡り、独立後の2008年には「Grand Cru Cafe グラン・クリュ・カフェ」なる新たなコンセプトの優れたコーヒー豆を発掘し続けるコーヒーハンター、Jose(ホセ)こと川島 良彰氏のセミナーも同日開催。WBCバリスタ世界チャンプの技とパフォーマンスにライブで触れることができるまたとないチャンス。プロフェッショナルのみならず、コーヒーを愛する方ならどなたでも歓迎とのこと。 Don't miss it!!
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アレハンドロ&ホセ川島ジャムセッション
日時:2011年9月27日(火)17:00~
会場:仙台コミュニケーションアート専門学校 第2校舎
    仙台市宮城野区榴ヶ岡4-11-20《JR仙台駅 東口より徒歩15分》
会費:5,000円 (収益はあしなが育英会の東北レインボーハウス建設資金に役立てられます)
定員:先着100名

◆お問合わせ・申し込みは
 musette@bal-musette.com に空メールを送信。送られてくるエントリーシートに必要事項を記入、再度返信でエントリー完了
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2011/09/10

ココロもトロけるソフトクリーム

あったかい気持ちをありがとう。
ソフトクリーム被災地キャラバン presented by 日世

okashi_1hourou.jpg【Photo】追波湾に流れ着く北上川河口域には、ベッコウシジミや十三浜のワカメなどを育む豊かな生態系を生む広大な葦原があった。津波でこの風景が一変する5ヶ月前の2010年10月11日、石巻ロケが行われた映画「エクレール・お菓子放浪記」より。74名もの児童が命を落とす痛ましい悲劇の舞台となった大川小学校はこのロケ地の対岸にある
©2011「エクレール・お菓子放浪記」製作委員会

 西村滋の自伝的小説を映画化した「エクレール・お菓子放浪記」《Link to Website 》のキャッチフレーズは「お菓子はやさしさを運んでくる。」エキストラとして出演した石巻市民の2/3が津波で命を落とし、跡形もなく全壊した映画館「岡田劇場」など、映画の随所に登場するメーンロケ地・宮城県石巻市の原風景の記憶は、今となっては映像の中に刻まれるだけとなりました。

hashiura_ishinomaki2011.9.jpg【Photo】石巻市北上町橋浦と釜谷地区を結ぶ新北上大橋は津波で一部が流出。橋が架かる東北最大の大河・北上川河口部の流域面積が日本一だった葦原も被災直後は壊滅と伝えられたが、再生が進みつつあり、ベッコウシジミ漁も残された船で再開した ※Photoクリックで拡大

 幼くして両親を亡くした主人公アキオ少年が、孤児院を脱走するも、空腹に耐えきれず菓子を盗んだところを刑事の遠山に見つかります。事情を察した遠山の取り計らいでアキオは少年院ではなく感化院に入所することになります。そんなアキオに遠山が差し出したのは二つの菓子パン。

okashi_2hourou.jpg 生まれて初めて心ゆくまで味わう甘味にアキオは魅了されます。大好きなお菓子に生きる希望を託し、さまざまな人との出会いと別れを繰り返しながら、戦中戦後の混乱した時代を生き抜いてゆくアキオ。その健気な姿に被災地の明日を担う子どもたちをつい重ねて見てしまうのは、私だけではないでしょう。
©2011「エクレール・お菓子放浪記」製作委員会

 エクレア(Éclair=フランス語読みでエクレール)が歌詞に出てくる童謡「お菓子と娘」をアキオに教える感化院の教師・陽子は、「あなたがお菓子になって、みんなの心を優しい気持ちにしてあげて」と諭します。思わず顔をしかめる辛さ、苦さ、酸っぱさとは違って、甘いお菓子は人を幸せな気持ちで満たしてくれるもの。

 今、被災地にお菓子を通した支援の輪が広がっています。

 江陽グランドホテル(仙台市青葉区)で9月4日(日)に催されたキリンビバレッジ主催「紅茶で笑顔を、ティーパーティー」には、避難生活を送る石巻市や女川町などの子ども243名と保護者220名が招待されました。同社の「午後の紅茶」とともに振舞われたのは、被災地から参加した45人の宮城県洋菓子協会加盟のパティシェが作る県産イチゴやブドウ・バナナなどを使ったフルーツケーキ。何かと不自由を強いられる避難生活を送る子どもたちは、顔を輝かせながら一心にケーキを食べていました。

nikkun_seichan.jpg ニックン・セイチャンのキャラクターでもお馴染みのソフトクリーム総合メーカー「日世(本社:大阪府茨木市)は、切迫した被災地の状況が報道されていた3月下旬、社業を通じて復興を応援するという方針を打ち出します。ソフトクリームを製造するフリーザーを積み込んだ車で被災地に赴き、美味しいソフトクリームを無償で提供、避難生活を送る人々に笑顔を取り戻してもらおうという「日世ソフトクリームキャラバン」はこうしてスタートします。(※ 詳しくはコチラ⇒ http://www.nissei-com.co.jp/dreamcar.jsp

 ソフトクリームが日本に初めて上陸したのは、戦後の厳しい食糧事情が続いていた1951年(昭和26)7月3日に神宮外苑で催された進駐軍主催のカーニバルだったとされます。アキオがお菓子に夢を託した時代、ソフトクリームを広く日本中に紹介したのが、日世です。朝鮮戦争の特需に沸く日本各地には、進駐軍からフリーザーが払い下げられてゆきました。百貨店の食堂やカフェで提供された甘くひんやりトロけるソフトクリームは、焦土と化した国土の再建に向けて走り出した日本人の心を捉えたのです。

dreamcar_nissei.jpg【photo】つい目尻が下がる美味しい北海道ソフトクリームを仕事の合間に頂けるという思わぬプレゼントに時ならぬ長蛇の列ができた河北新報社本社1階の旧新聞用紙搬入ゲート

 車両の改造を行うにも物資調達がままならない当時の状況を打開し、6月末に完成したのが特注の「日世ソフトドリームカー」です。津波で107名が犠牲となった宮城県七ヶ浜町の仮設住宅で500食を提供した6月29日(水)以降、太平洋側の東北3県にある学校・幼稚園・保育所・避難所などでたくさんの笑顔を届けてきたキャラバンご一行が、石巻での支援活動を終えた9月2日(金)の夕刻、被災地の報道機関として奔走する河北新報社員にも心和むひと時を贈りたいと、勤務先を慰問に訪れて下さいました。

nissei_freezer.jpg【photo】一時は製造が追いつかなくなるほどの盛況ぶりに、スタッフの方たちはフル回転

 「あの極限状況にあって新聞が届くとは思っていなかった」という声が多く寄せられた被災翌日。襲いかかる幾多の困難を乗り越えて被災実態を伝える朝刊をお届けできた要因のひとつが、市内泉区にある免震構造の印刷工場です。2003年(平成15)末に新工場が稼動する以前に輪転機が据え付けられていた本社社屋1階は、現在倉庫として使われています。17時過ぎ、社内アナウンスで、かつての新聞用紙搬入ゲートに日世ソフトドリームカーが到着したことが告げられると、あっという間に長い行列が。
 
 白と小麦色のソフトクリームのようなツートンカラーの車体に積み込まれたのは、毎時240個の製造能力を備えたサーバー2基。フル稼働する日世スタッフの方にご提供頂いたのは、業界のリーディングカンパニー日世が誇るプレミアムソフトの最高峰「ソフォーレ」と双璧をなす「北海道ソフトクリーム」。北海道の大自然が育んだ厳選された生乳と生クリームのみを原料に使用しているのだといいます。

hokkaidou_soft.jpg【Photo】贅沢な風味はまさにプレミアム。滑らかでコクのあるリッチな味わいの北海道ソフトクリーム

 上質なシルクのような滑らかな口どけとともに乳脂肪分8%、無脂乳固形分10%の濃厚なミルクの甘さが口腔を満たしてゆきます。プレミアムというだけあって、コクのあるまったりとした味わいは感動もの。現在の「伊達なソフトクリーム」になる以前、大崎市岩出山「あ・ら・伊達な道の駅」で出していた忘れがたいROYCEソフトクリームをも凌駕する贅沢な味わいを楽しみました。

 思いもかけぬプレゼントに大喜びの女性社員はもちろん、日頃は時間に追われ眉間に皺をよせた男性の同僚たちも、ソフトクリームを手にすると自然と笑みがこぼれてきます。翌日は仙台市内の被災地域にある保育所や公園でソフトクリームの提供活動を行う予定だという日世ソフトクリームキャラバンのスタッフの方たちの優しさと、思えば震災発生後は初めて口にするソフトクリームの際立った美味しさに感激もひとしおでした。

 たくさんのやさしい気持ちを運んで下さった日世ソフトクリームキャラバンの皆さん、本当にありがとうございました。
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2011/09/03

Piatto 本日リニューアル!!

お久しぶりの高以さん
 & 熱演が光った修造さん

 本日9月3日(土)、内容を刷新した「Piatto ピアット9月号」をお届けしました。タブロイド判にサイズアップしweb Piattomobile Piattoを除く)、記事内容も一新したリニューアル号はいかがでしたか? 装いを新たにしたPiattoへの皆さんのご意見・ご感想をお寄せ頂けると今月から新たに稼働した編集スタッフ一同、張り合いが出るというもの。プレゼントへご応募頂く際に一言添えて下さいね。

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 巻頭特集「泉ウェルネス生活」のメインビジュアルでご登場願ったのは、TBC東北放送テレビのスポーツ情報番組「EVER SPORTS」でキャスターとして活躍中の高以亜希子さん。高以さんにはPiattoの前身となった月刊誌「alpha」の表紙で1997年6月号と1998年1月号にそれぞれ表紙モデルを務めていただいています。

 「この仕事を始めたばかりの撮影で、とても緊張しました」と当時を振り返る高以さん。この後、'98カネボウ水着イメージモデルに抜擢され、東京を拠点にモデルや女優としてCM・ドラマなどにも活動の場を拡げます。現在は郷里の仙台に戻って2年前にモデルの仕事を再開されました。

tacaco-urabe2.jpg【Photo】今月リニューアルしたPiattoのルーツともいうべき河北新報社発行の月刊誌「alpha アルファ」。1997年6月号(上写真)と1998年1月号(左写真)の表紙では、仙台駅前でプリクラを撮っていたところをスカウトされ、モデルの仕事を始めた頃の高以さんを起用

 Piattoは、確かな目を持つ大人の女性に向けた仙台発の情報メディアとして生まれ変わりました。高以さんも14年前に初めてご登場いただいた時とは一味違う大人の表情を見せてくれたように思います。毎月第1土曜日に発行されるPiattoに今後もご登場頂くので、スポーツキャスターとしての高以さんのファンとなられた男性の皆さんも、どうぞご期待下さい。

piatto011.9_2.jpg【Photo】強い日差しのもとで行われた撮影のひとこま

 さて、快晴に恵まれた8月11日(木)、泉パークタウンテニスクラブ前で行われた撮影では、テニスクラブ内でも別カットをおさえてありました。その際、エキストラとしてご協力いただいたのが、テニススクールのレッスンコーチ、三浦 純一さん

 誌面では、高以さんの背景としてクラブハウス前に佇む姿がぼんやりと写っていますが、それだけではもったいない爽やかな印象のスポーツマンです。それぞれのレベルにあわせ、ときに優しく、ときに熱く指導にあたるという三浦さんは、撮影にも全力で臨まれました。

piatto011.9_1.jpg 高以さんがポーズを変えながらシャッターを何度も切ってゆくのですが、三浦さんは、最高気温が33.8℃に達した炎天下のコートに一人立ち続け、素振りをずっと続けられました。その熱演ぶりに、熱血漢として知られる元プロテニスプレーヤーに姿を重ねた撮影クルーの誰もが、いつしか三浦さんをこうお呼びしていたのでした。

 「修造さーん♥」

 1975年(昭和50)に放送が始まったフジテレビの関東ローカル番組「くいしん坊! 万才」の11代目レポーターとして活躍中の松岡 修造氏。郷土の味を求めて全国津々浦々を巡るこの長寿番組には、ワイン好き・イタリア好きという嗜好が同じ私が一方的にライバル視している辰巳 琢郎氏も8代目レポーターで過去に登場しています。

shuzou_banzai.jpg 昨年6月には、この番組の収録のため、松岡 修造氏が食の都・庄内を訪れました。遊佐町では船上で岩ガキをほおばりながら、背景の山(⇒鳥海山)を指差し、福島・会津の宝の山こと磐梯山と言ってみたり、喉ごしのよい夏の庄内の味「麦切り」を、切り裂きジャックでもあるまいに「喉切り」と口走ってしまうなど天然系のキャラを炸裂させています。その様子は⇒ コチラ

(※リンク画面の「このコンテンツを新しいウィンドウで開く」をクリックしてご覧下さい)

 12代目の座を狙っているくいしん坊がここにおりますが、くいしん坊! 万才製作スタッフの皆さん、どんなもんでしょう?? それが無理でもTBC東北放送さん、あるもん探しの旅~Viaggio al Mondo とのニッチでディープなタイアップ番組なんていかが???

 熱いハートでご連絡をお待ちしています(*^-^*)

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