あるもの探しの旅

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2011/10/23

和ナシのルーツのハナシ

利府で長十郎を指名買い
番外編・ナシの原木「ヤマナシ」の古木は300歳!?

itounashi_2.jpg【Photo】利府町加瀬の伊藤恒雄さん宅で指名買いした「長十郎」とお土産に頂いた「二十世紀」。郷土資料館向かいの公園にある日野藤吉が初めて利府で栽培を始めた「真鍮梨」の古木の赤く色付いた葉が華を添える
 
 直売所で試食した刹那、その味に魅了された長十郎を生産する梨栽培農家・伊藤恒雄さん宅を訪れ、長十郎を指名買いした日、気になる情報を郷土資料館で入手しました。前回述べたとおり、利府における梨栽培は先駆者となった日野藤吉以来127年の歴史があります。資料館で手にした利府町誌には利府町大町の板橋繁春さん宅に推定樹齢300年の古木があるという記述があったのです。

 リンゴの古木を訪ねてつがる市を訪れるなど《Link to backnumber》、果樹の古木には目がない(笑)私の好奇心がムクムクと頭をもたげる情報ではありませんか! ここは仙人のような古木とお目にかからなくては、とリサーチ開始です。

nashikoboku_1.jpg【Photo】利府町大町の板橋繁春さん宅の敷地内にある梨の古木。一説には樹齢300年ほどだという自生種のヤマナシ ※Photoクリックで拡大

 郷土資料館の裏手には「十符の里農産物直売所 ふれあい館」があり、そこに居合わせた事情通の男性客から、250軒ほどの梨生産農家があるという利府でも伊藤さんが五本の指に入る梨農家であること、味の決め手はどれだけ手間と愛情をかけるかであることなどを伺いました。ところが梨の古木について話が及ぶと、その方はおろか、直売所の職員兼生産者の方たちでも、町誌に記述されていた梨の古木については、一様にご存知ないのでした。


 資料館の方から頂いた地図を手に徒歩で訪れたのが、そこからすぐ近くの板橋重春さん宅。ご高齢の板橋さんは体調が優れず、玄関先で応対して下さったのですが、裏手の畑にその樹があるとのこと。お許しを頂き伺った畑の片隅で、古木は突然の訪問者の私を出迎えてくれました。
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 二階の屋根を越える10mあまりの高さで幹が切られた古木は、町が立てた標柱によれば、梨の原種「ヤマナシ」という品種。地表から斜めに生えた周囲3mほどの幹の根元には大きなウロがあり、そこから真上にくの字に折れ曲がって緑の葉を茂らせています。下から見た限りでは、実をつけているようには見えませんでした。

 現在の栽培品種のような食感ではなく、小粒で硬いため、今では食用とされなくなったこの梨。かつては「石子梨」と呼ばれたのだとか。晩秋の霜が降りる頃になって甘味が出るため、その昔は多くの実を結ぶ石子梨は食用にもされたようです。

【Photo】訪れる人もない古木の片わらに利府町が立てた標柱

 その豊産ぶりを示す原種梨に通じる梨の古木の姿は、果樹栽培が盛んな福島で見たことがあります。福島市置賜町の東北電力福島営業所前には2本の梨の古木があります。さまざまな花々が色彩豊かに咲き揃う福島市郊外の花見山を訪れた昨年の4月24日(土)夕刻、福島駅前にある「山女」で名物の円盤餃子を食べに行く途中、白い花を咲かせた梨の古木を目にしました。

nashi3_fukushima.jpg【Photo】清楚な白い花を愛でるには、皮肉なことに縦横に走る電線が玉にキズ。東北電力福島営業所(写真右)前にある梨の古木

 それは大正期まで酒造業を営んでいた加賀屋総本家別邸に植えられたという樹齢100年~150年と推測される2本の梨。社屋の前を通る吾妻通りの慢性的な渋滞解消のため、道路拡張に伴う移植計画が浮上したこともありますが、枯死のリスクを避けるため、梨を愛する地元の強い要望を受ける形で、移植が実行に移されることはありませんでした。

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【Photo】地元の要望を受けて当初計画が変更となり、移植を免れた東北電力福島営業所の梨 ※Photoクリックで拡大

 溢れんばかりに花を咲かせた梨の樹は、中国唐代の詩人・白居易が長編漢詩「長恨歌」の一節で「梨花一枝春帯雨」と詠じた涙を流す楊貴妃の美しい姿を想起させました。遥か昔の故事に思いを馳せながら梨の花を愛でるのも結構ですが、やはり梨は美味しく食べてナンボ。

 放射線スクリーニング検査で安全性が担保されている福島産の梨生産農家の梨の作柄も利府梨同様に今年は良い出来だといいます。利府のように糖度の高い長十郎は栽培されていませんが、晩生の「新高」が間もなく旬を迎えます。寒暖差が大きく果樹栽培に適した福島盆地の梨も美味しいですよ。
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2011/10/16

利府長十郎、おぬしやるよの

※時代劇のセリフのようなタイトルですが、剣術遣いの達人に関する話でもなければ、伊達家の重臣・片倉小十郎の影武者・長十郎の存在を捏造するわけでもありません。

梨の里・利府町伝統の「長十郎」を見直すの巻

rifunashi_1.jpg【Photo】大型のショッピングセンターと住宅展示場に隣接して、豊かに実を付けた梨園が共存するのも、仙台のベッドタウンとして人口増が続く利府ならではの光景

 仙台市の北東部に位置する宮城郡利府町のこの季節の名産といえば、和梨が思い浮かびます。宮城では蔵王町と並ぶ梨の主力産地である利府町。三陸自動車道が開通する以前は、仙台と松島を結ぶ利府街道沿いには、秋ともなれば数多くのナシ直売所が軒を連ねていました。
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 現在の主力3品種、「幸水(早生)・「豊水(中生)・「新高(にいたか)」(晩生)といった和ナシは、我が国で独自に品種改良されたもの。耐冷性に優れた梨は、東北の寒冷な気候にも適合しました。

 塩釜との境界となる丘陵地帯の一角・森郷地区に初めて梨が植えられたのが1884年(明治17)のこと。石巻で栽培されていた梨の苗木150本を譲り受けた日野藤吉が、森郷仲町に所有していた水田を梨園に変えたのが利府梨の始まり。その跡地にある公園には、日野藤吉の頌徳碑と、今も小さな実を結ぶという樹齢127年を越える古い品種「真鍮」の古木とが残ります。

【Photo】茶色に色付き、収穫を待つ最晩生「新高」

 我が本拠地、庄内で梨の名産地として産地名がブランドとして確立している「刈屋梨」と同様、仙台では知らぬ者がない「利府梨」こと「長十郎」が偶発品種として登場したのがそれから11年後の1895年(明治28)、神奈川県川崎市の当麻梨園でのこと。病気が発生し、軒並み梨が枯れる中で一本だけ残ったというこの梨が、利府で栽培品種の主力として普及していった影には、1925年(大正14)に77歳で亡くなるまで、梨の品質向上に一生を捧げた藤吉ら先人のたゆまぬ努力がありました。

origin_rifunashi.jpg【Photo】JR利府駅近くにあった日野藤吉の住居跡は、現在公園として整備され、利府梨の礎となった「真鍮」の古木が残る。恩人の功績を称えるため、町の有志が1958年(昭和33)に建てた頌徳碑の脇にあるこのマザーツリーの世話をしている。石巻から苗木が移植されて127年を経た現在もなお、その樹勢に衰えは見られない  ※Photoクリックで拡大

 藤吉がそうだったように、塩釜から仕入れた魚粉で土作りを行うなど、手間を惜しまぬ栽培技術向上への努力が重ねられるなかで、利府梨の屋台骨を支えた主力品種の長十郎は、1980年代に入ると次第に育てやすい後発品種へと植え替えが進み、現在では栽培品種が10種類以上に多様化しています。春先の剪定に始まり、収穫期を迎える8月末から11月まで、幸水を皮切りに次世代の主力品種と期待される中晩生種「あきづき」から最晩生の新高まで、梨の出荷は続きます。

rifunashi_3.jpg【Photo】利府梨発祥の地・森郷地区に隣接した三陸自動車道 利府・塩釜IC近くの加瀬地区にも梨園を所有するという伊藤梨園。直売所奥の畑のすぐ隣りは歯科の駐車場。ほぼ収穫を終えた枝に袋がけされて残るのは、わずかに数えるばかりだけとなった「あきづき」。品種登録されてまだ10年ほどの新しい梨だが、利府でも作付けが増えている

 私が小さかった頃は、梨といえば千葉県松戸市二十世紀ヶ丘が原産地の水気と酸味が多い「二十世紀」と長十郎ぐらいしか、食べたことがありませんでした。それだけに、昭和60年ごろから市場の主役となった幸水のみずみずしく甘味があり柔らかな果肉と出合った時の驚きは鮮烈でした。以来、私にとっての梨の旬は、それまでの秋口から幸水が出回るお盆過ぎ前までに変わったように思います。

rifunashi_5.jpg【Photo】秋晴れの空のもとで本日訪れた利府町伊藤梨園での収穫。(写真左から)あばた顔でいびつな形がユニークな「新星」、コロンとした姿格好がカワイイ「あきづき」、利府梨の代名詞ともいえるこの「長十郎」の直径はなんと12cm!!

 本日、用事があって利府を訪れました。以前に担当していた頃は頻繁に足を運んでいた総合住宅展示場の隣りに直売所を構える「伊藤梨園」さんの直売所に立ち寄りました。当時は来場者プレゼントとして購入していたものの、自身では何故か食べる機会に恵まれなかったように思います。残留放射性物質の安全性をアピールする検査結果証明書が掲げられたそこで指名したのは食味の良いあきづき。今年は着色が良く味も良いとのことで、そろそろ最後の新高に切り変わる時期だとのこと。「畑に採りに行きましょう」と、ネットを潜り抜けて中でもぎ取りできるのは産地ならでは。

rifunashi_4.jpg【Photo】枝からもぎたてを試食させて頂き、味に納得して購入した伊藤農園の梨3種類。1カゴ分の対価である1,000円札と比較してみると、新星と長十郎の大きさがおわかりいただけるかと

 案内された梨園には、接ぎ木した樹齢15年ほどの比較的若木に大ぶりな新高がわたわわに実を付けています。1カゴ1,000円とのことで、味見させて頂いたのが、あきづきと「新星」。食感と味が幸水と近いあきづきはモチロン、いびつな外見ながら食味のよい新星も気に入りました。

 そこに試食用として出されたのが、一般的には固めの果肉と穏やかな甘さに酸味も伴うことから、国内でもわずか1%しか栽培されず、最近はほとんどお目にかかれなくなった長十郎です。伊藤農園さんでは、この品種にひときわ愛着を持っておいでのようでした。果肉がわずかに黄色みがかった特徴的な長十郎を一切れ口に入れた途端、それまで長十郎に対して抱いていた先入観が音をたてて崩れていったのです。

rifunashi_6.jpg 糖度の高さは、あきづきに勝るとも劣りません。他地区ではともすると、水分が少なくガリガリ感すらある果肉の食感も、ジューシーで心地よいもの。これぞ適地適作の利府梨ならではの美味しさであり、梨栽培を主力に専業で培われた栽培技術の賜物。そこで浮かんだのが、今回のタイトル「利府長十郎、おぬしやるよの。」長十郎の魅力を再発見したことを告げると、どう見ても1カゴから溢れるであろう新星とあきづきを袋詰めして頂いただけでなく、「ちょっと形は悪いけど、どうぞ」と、ずしりと重い大きな長十郎を4個もお土産に下さったのでした。

 結局、あきづき・新星・長十郎による利府梨3番勝負は、ハチミツのような甘さ充分の長十郎の圧勝となった次第。灯台下暗し。伊藤梨園さん、また行かなくちゃ。

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伊藤梨園直売所
住:宮城県宮城郡利府町八幡崎前
  ※イオン利府ショッピングセンター西側
    「河北・TBC利府ハウジングギャラリー」と「利府デンタルクリニック」の間
    直売所が閉まっている場合は、下記伊藤恒雄さん宅に問い合わせを
Phone:022-356-2233

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2011/10/09

Aroma classico アロマ・クラシコ

※タイトルからして、原田慎次シェフが手掛けた東京品川にある名高い同名のリストランテ「Aroma classico」実食レポートかと思われた方がおいでかもしれません。が、浮き沈みが激しい料飲業界の寵児とは全くもって関係のない話題ですので悪しからず。

トリノの獅子
 Pastiglie Leone パスティリ・レオーネ

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【Photo】イタリアのバールやタバッキのレジ脇にしばしば置いてあるのは、20世紀初頭にトリノで流行したリバティ様式(=アールヌーボー)のパッケージで売られる「Pastiglie Leone」(1箱2€~2.25€前後)

 砂糖菓子を「梅ぼ志飴」と名付けた洒脱な「榮太樓總本鋪」が江戸日本橋で創業した1857年(安政4)、遥かサルデーニャ王国(現イタリア・ピエモンテ州)の街 Alba アルバで、ルイージ・レオーネが小さな菓子工房を創業しました。それは4年後に成立する統一国家イタリア王国の国王となるサヴォイア家のヴィットリオ・エマヌエレ2世が統治していた時代です。

 高貴なヴィーノを生むブドウ「Nebbioro ネッビオーロ」と、いかなる黒トリュフも及びがつかない官能的な芳香を放つ「Tarufufo bianco 白トリュフ」を産する地上屈指の美食の地・ランゲ丘陵。そこに自生するハーブや各地の果物を加工したルイージの砂糖菓子は、初代イタリア王国首相となるカミッロ・カブールや貴顕たちに愛されます。

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 19世紀に豊かな菓子文化が華開いたTorino トリノへと移転、創業から150年以上の時を経た今も、当時のエレガントなトリノ気質を伝えるパッケージのドロップ菓子を、イタリア各地にあるBarバール《Link to back number》のバンコ(=カウンター)やイタリア版コンビニのような小売店Tabacchi タバッキのCassa(=レジ)脇で目にします。

 それが今回取り上げる「Pastiglie Leone パスティリ・レオーネ」というPastiglia パスティリア(=ドロップ飴)です。(上写真)

 デザインに惹かれてレオーネのパスティリアをジャケ買いしたのが、15年以上前にローマで立ち寄ったバールでのこと。創業者の名前に由来するライオン(Leone)背伸びをする男の子の後姿とがトレードマークであるレオーネのパスティリアは、ポップなパッケージデザインが多い菓子類の中で異彩を放っていました。19世紀末に流行したリバティ様式のピューター(錫)製の美しい金属ボックスには、熱心なコレクターもいるようです。

leone_tinbox.jpg【Photo】Leone Pastigleのコレクターズアイテム。左上より順に1880年製、1905年製、1924年製、下左より1940年製、1961年製、現在

 現在36種類が揃うラインナップ豊富なLeoneのパスティリアはパッケージともども色とりどり。フルーツ味のミックス「Miste Dissetanti ミステ・ディッセタンティ」のほか、「MENTA(=ハッカ)」、「LIMONE(=レモン)」「ARANCIA(=オレンジ)」、「FRAGOLA(=イチゴ)」、「LAMPONE(=ラズベリー)」などは察しがつきますが、「RABARBARO(=ルバーブがベースのリキュール)」、「PRINCIPE DI NAPOLI(=ナポリの王子)」、「LIQUILIZIA(=甘草・カンゾウ)」となると、味の想像すらつきません。
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 「Assenzio(=アブサンの伊名)」のパッケージは特に印象的。フィロキセラ(ブドウ根アブラムシ)禍でヨーロッパのブドウが壊滅、ワインが飲めなくなった時代、アブサン中毒者が続出します。この酒に溺れた挙句、耳を切り落としたのはゴッホ。幻覚を招くとされたアブサンを「The Green Fairy(緑の妖精)」と称したオスカー・ワイルドのほか、ボードレール、ロートレックらパリを舞台に活躍した19世紀末の芸術家をこの酒は虜にしました。アルコール中毒者を多数生むとして、1913年に禁制としたイタリアのみならず、大方の欧米諸国では20世紀末までアブサン愛好者は地下に潜伏したのです。

【Photo】国外向けには「ABSINTH(E)アブサン」、イタリア国内では「ASSENZIO」と表記されるElisir della Fata Verde(=緑の妖精のリキュール)風味のPastiglie Leone。幻覚作用でパッケージの表情のようにラリるかどうか、口にする勇気を持ち合わせているかが問われる(上写真) Pastiglie Leoneの錫製ボックス。味によって色分けされ、ANICEは涼しげな水色をまとう(下写真)

anice_leone.jpg 現在では向精神作用に疑問符が付けられ、危険性を疑われた成分を除いた製品がEU圏内で流通しています。1980年代後半から日の目を見たリキュール・アブサンと角砂糖を載せて水を垂らして飲む専用スプーン、上目遣いの表情が印象的な定番のパスティリアとチョコレートのアソートセット「Absinthium」がレオーネ創業150周年を記念して商品化されました。目移りするほど種類があるラインナップの中から迷った挙句に選んだのが、淡いブルーのパッケージ「ANICE アニス」。「ん?どこかで聞いたことがあるような、ないような。」未知の味に興味を覚えた私は、その小箱を手にCASSAへと向かいました。

pastiglie2_leone.jpg 包装紙の中はレトロなデザインの紙箱で、そこにゴツゴツとした小さな不揃いの円柱形をしたタブレットが入っています。一粒つまんで口に入れると、その香りには覚えがありました。イタリアで食前・食後に愛飲されるリキュール「Sambuca サンブーカ」と相通じる香りだったからです。サンブーカの主原料となるハーブのひとつがアニスの実。地中海東部地域が原産となるセリ科の植物で、その実であるアニスシードは古くからスパイスとして用いられてきました。良質の上白糖を用いたほどよい柔らかな甘さとアニスが奏でるそのデリケートなアロマは、メンソールや果汁系のキャンディーが多い日本では出合えないエキゾチックなもの。

【Photo】紙製ボックス入り「Miste Dissetantiミステ・ディッセタンティ」(下写真)は、イチゴ・ラズベリー・フサスグリといったフルーツ味のミックス(上写真)

 1861年のリソルジメント(国家統一)を遡ることはるか以前の1563年、フランスを追放したサヴォイア公エマヌエーレ・フィリベルトがトリノに居城を構えて以降、後にイタリア王国を統治するサヴォイア家の居城「Palazzo Realeパラッツォ・レアーレ」をはじめとするバロック様式の王宮群がこの街のシンボルでした。市街地が整備された20世紀初頭、一世を風靡したアールヌーボーは、この地で「Livertyリバティ」と名を変えて建築物の様式として流行します。反ファシスト運動の拠点でもあったトリノは、戦後発展した自動車産業とともに活況を呈し、同社の衰退を経て現在に至ります。150年以上に渡ってトリノの変遷を見つめてきたLeoneのパッケージには、今も誇らしげにサヴォイア家の紋章が記されます。

miste_dissetanti_leone.jpg 日本ではお目にかかれないと思っていたレオーネのパスティリアと再会したのが、「EATALYイータリー代官山」《Link to backnumber》でのこと。ARANCIA、FRAGOLA、LAMPONEといったイタリア語を解さずとも風味が分るイラスト入りパッケージのPastiglie Leone定番商品や紙ボックス入りチョコレートタブレット「Fondente」などが揃います。運営元が新横浜ラーメン博物館と同一であるためか、今さらながらのパリへの憧憬が強い印象を拭えない「新横浜ラントラクト」内にある「ブティック ラ メゾネ」でも'01欧州最優秀工房に輝いたピエモンテ州クーネオ県のチョコレート工房「Silvio Bessone シルヴィオ・ベッソーネ」と共にLeoneを取り扱います。

 サヴォイア家の都・トリノの"Aroma classico(=クラシックな遺香)"を、パッケージと共に味わってみてはいかがでしょう?

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Eatalyジャパン
URL:http://www.eataly.co.jp/top/welcom.html
オンラインストアURL:http://www.e-eataly.jp/
 ※Leoneはオンラインストア「お菓子」カテゴリーから購入可

ブティック ラ メゾネ
住:横浜市港北区新横浜2-15-4 新横浜ラントラクト1F (新横浜ラーメン博物館の隣り) 
Phone:045-474-3832
営:11:00~19:00 月曜定休
オンラインショップURL:http://shop.maisonnee.net/
 ※同上

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2011/10/02

アドリア海の恵み「ブロデット」

Piatto2011.10.jpgPiatto10月号こぼれ話 ver.2
「Invito al Piatto 一皿への誘い」
魚介類のブロデット アドリア海風

 月が改まった昨日、毎月第一土曜日に発行されるマンスリーマガジン「Piatto ピアット」10月号が発行されました。特集テーマは「女性目線のステキを見つける デザインのある暮らし」。パナソニック リビングショウルーム仙台で撮影が行われた表紙は、今月も高以亜希子さんにモデルを務めて頂きました。相変わらずおキレイな高以さんの次に私の目を引いたのは、Web Piattoこぼれ話で触れたALESSI社のレモンスクイーザーもそうですが、ディスプレーに使われていた1本のワインには驚かされました。

【Photo】Piatto10月号表紙(上写真) ※Web Piattoは http://piatto.kahoku.co.jp/piatto/

pesce_vineger.jpg そのイタリア・マルケ州産「Pescevino ペッシェヴィーノ」は1996年ヴィンテージ。本来は淡い若草色に輝くはずのヴィーノですが、室温に長期間置かれ、飲み頃をとうに過ぎているため、すっかり変色していました。中身は隣りに置いてある「Maille マイユ」のワインヴィネガーと同じような酢に変わっていることでしょう。エチケッタにはBianco delle Marche(=マルケ州の白)とあるので、間違いなく白ワインなのですが、ここまで激しく変色したワインを見ることはまずありません。

【Photo】一見Rosato(=ロゼ)かと思うようなPescevino。ショウルームのように特別な場合を除き、一般家庭では冷暗所でワインを保管し、飲み頃を過ぎる前に抜栓したいもの

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 さて、シェフとっておきの一皿をご紹介する「Invito al Piatto 一皿への誘い」連載第2回目は、東北No.1リストランテを目指す「リストランテ・パドリーノ・デル・ショーザン」矢島 広之料理長にご協力頂きました。出身地である栃木と東京都内で研鑽を積んだ矢島シェフが、2005年にイタリアへと渡った地が「イタリアの緑の心臓」と呼ばれる中部ウンブリア州の古都Perugia ペルージャ。ウンブリアは地中海に面したイタリア半島では数少ない海に面していない州です。

【Photo】料理への熱い思いを語るパドリーノ・デル・ショーザン料理長・矢島広之シェフ

 地域性が強いイタリアだけに、各地に特徴的な料理が存在し、いわゆるイタリア料理は存在しないとさえいわれます。狩猟が盛んなウンブリア州では、これからの季節、山鳩などのジビエや黒と白が共に採取されるトリュフをよく口にします。こうした内陸ならではの食生活が続くと、日本人なら魚介類が恋しくなるもの。アペニン山脈を越えれば、なだらかな丘陵地が続くマルケ州はすぐ隣。そこには輝くアドリア海の魚介を使った美味しい食事が待っています。

pesceria_senigallia.jpg【Photo】マルケ州アンコーナ県Senigalliaセニガッリアには、古代ローマ時代の円形劇場跡の建物に魚市場が立つ。目の前に広がるアドリア海の新鮮な魚がふんだんに並ぶ

 矢島シェフにお勧め頂いたのは、この地域を代表する魚介料理「Brodettoブロデット」。アドリア海沿岸のこの地域では、お馴染みの魚介スープ「ズッパ・ディ・ペッシェ」をこう呼びます。新鮮な魚介をたっぷりと使うこの料理は、異郷で暮らす矢島シェフの心をよほど捉えたのでしょう。この料理には私にも懐かしい思い出があります。

【Photo】ロレートの料理学校で講習を受けたのがブロデットの調理法だった(下写真)

loreto_scuola.jpg 2003年(平成15)10月にマルケ州アンコーナ県Loreto ロレートにある州立の料理学校を訪れました。有機農業を通じた民間交流を行うため、マルケ州を訪れた鶴岡アル・ケッチァーノ奥田シェフ一行に同行取材を行う中で、その日は同校の講師を務める地元のシェフからマルケ州の郷土料理を教えてもらったのです。

【Photo】同校の講師を務めるアンコーナ県Arcevia アルチェヴィアのリストランテ「Pinocchio ピノッキオ」のシェフ、ロモーロ・ディ・オルチァ氏(左)と有機農産物生産者組合「La Terra e il Cielo ラ・テッラ・エ・イル・チェッロ」代表のブルーノ・セバスチャネッリ氏(右)が講習の模様を見守る(下左写真)  ホテルマンの養成コースもある学校ゆえ、食事のテーブルセッティングも生徒たちが行ってくれた(下右写真)
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【Photo】ロレートの料理学校でご馳走になったブロデット・アンコーナ風(下写真)

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 講習後の食事で豚の丸焼き「Porchetta ポルケッタ」などと共に供されたのがブロデットでした。マルケ州でも地域ごとさまざまな味付けがなされるこの料理。ムール貝やスカンピ(=手長エビ)などの鮮魚だけでなく、タラの干物「Stoccafissoストッカフィッソ」も具材に使われています。魚介のブロードとトマトがコクのある風味を生むアンコーナ風の味付けがなされ、定番のabbinament アッビナメント(=組みあわせ)となるこの地域の白ワイン「Verdicchio castello di jesi ヴェルディッキオ・カステッロ・ディ・イエージ」とではなく、地元の力強い赤ワイン「Rosso Conero ロッソ・コーネロ」と十分に渡り合うのでした。

Brodetto_padrino.jpg 【Photo】火を通す時間を素材ごとに変え、理想的な食感を生むよう矢島シェフのアレンジが加わった一皿。2名から要予約のこの大皿盛りは2名分で6,000円

 矢島シェフは高級魚のキチジをメインにこの日のブロデットを仕上げて下さいました。撮影中に立ち込める芳醇な香りの素晴らしいこと。それだけでワインを頂けそうな勢いです(笑)。あくまでも取材のため、目の前に出された「甲州ワイン牛のビール煮込みソース自家製タリアテッレ」ともども料理には口をつけず、特別にご案内いただけるという1970年代から1990年代の稀少なワインが眠るワインセラーへと後ろ髪を引かれる思いで移動したのでした。

【Photo】暗証コードを知る限られた者だけが入ることが出来るパドリーノ・デル・ショーザンの壮麗なワインセラー(左写真) 私がこれまで飲んだワインの中で、鳥肌が立つほどの感動を覚えた数少ないワインのひとつCh. d'Yquem'83が更なる熟成を重ねるほか、20世紀屈指のグレートヴィンテージ1990年産のボルドー五大シャトーが揃い踏み(右写真)
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 世界的な潮流の中で、実績を築いてきたフレンチからイタリアンにリニューアルして2年あまり。今後はイタリアワインも充実させたいと成澤政道マネージャー兼シェフソムリエは語ります。
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Ristorante Padrino del Shozan
リストランテ・パドリーノ・デル・ショーザン

住:仙台市青葉区上杉2-1-50
Phone:022-222-7834
営:11:30~15:00(L.O.14:00)
  17:30~22:30(L.O.20:30) 月曜定休(祝日の場合は翌日休)
URL:http://www.shozankan.com/padrino-del-shozan/ 

2011/10/01

「気仙パン」は不滅です

郷愁をそそる菓子パンのマスターピース
 「クリームサンド」(通称:「気仙パン」)@気仙沼

kesen_pan1.jpg クリーム色のメラミン樹脂製ランチプレート、先割れスプーン、カワイの肝油ドロップ、カセイの耳輪印ジャム、三角テトラパックの牛乳、当番が終わると洗濯をするため家に持ってゆく白衣・・・。同世代の方にとっては懐かしいであろう小学校時代の給食にまつわる記憶の品々です。

 現在は国内外からのお見舞いや激励のメッセージで埋め尽くされる仙台市役所1Fロビーですが、3.11以前は各種展示を行う市民ギャラリーの役割を果たしていました。そこでは年に1度、時代ごとの給食を再現して当時の写真とともに変遷ぶりを展示しており、懐かしそうに足を止める市民の姿がありました。 コチラを参照)

【Photo】気仙沼永遠のローカルフード「クリームサンド」126円(フレッシュ製パン)

 1976年(昭和51)に米飯給食が始まる以前は、第二次大戦後に日本を統治した農業大国でもある米国の戦略もあり、給食の主食はパンばかり。当時は食パンよりもコッペパンが多かったように記憶していますが、現在は月1回程度しかコッペパンの出番はないようです。表面にこんがりと焼きが入ったコッペパンを横から割いて、透明なビニールの小袋に入ったカセイのチョコスプレッドやイチゴミックスジャムをサンドして食べていた頃が懐かしく思い起こされます。大手メーカーによる寡占化とベーカリーの選択肢が増えた平成の世になってからは、"唯一の例外"を除いてコッペパンの姿をめっきり見かけなくなりました。

kesen_pan3.jpg その唯一の例外が、気仙沼地域限定で不動の人気を誇る「クリームサンド」です。「気仙パン」とも呼ばれるクリームサンドは、今から50年ほど前に、気仙沼市新町にあった「奥玉屋」で産声を上げました。その発祥の地は、新鮮な三陸の酒肴、漁師町らしいぶっきらぼうな親方がカウンターの中からストライクで投げてくる!! おしぼり、瓶ビールは冷蔵ケースから客自身が持ってくるという独自のルール、帰りのお土産に頂くイカの切れ込み(塩辛)などで知られる名物居酒屋「いろり」の近くでした。

【Photo】オリジナルのクリームサンドに加え、21世紀を迎えて以降に登場した「黒糖クリームサンド」126円(フレッシュ製パン)

 クリームサンドは、横に切れ目が入ったコッペパンに、ピーナツクリームが挟まった素朴なパンで、気仙沼出身者であれば、誰もが一度は口にしているのだといいます。ピーナツクリームとはいえ、1960年(昭和35)に誕生した「SONTON(ソントン)」のピーナツクリームのように、ピーナツバターの風味が勝ったものではなく、ホイップクリームが程よく配合された秘伝の黄金比率がキモ。元祖の奥玉屋が店を畳んだ後、クリームサンドの製造を引き継いだのが、近くの古町にあった「気仙沼製パン」。気仙沼市本吉町出身の家人によれば、気仙沼周辺の小売店・スーパーの店頭にあまねく気仙パンは並び、広く浸透していたそうです。

kesen_pan2.jpg【Photo】生地に練りこんだ黒糖がピーナッツクリームと絶妙のハーモニーを生む(フレッシュ製パン)

 初めて私がこのパンと出合ったのは、学校給食を卒業して久しい'90年頃だったでしょうか。「懐かしい~」と言いながら気仙沼市内の大型店で家人が手にした白い包装のパンには、緑色のレトロな文字で商品名と乳牛のイラストが印刷されていました。仙台出身の私にとっては、初めてだけど何故か懐かしい印象を与えるそのパンは、味もまた郷愁をそそるのでした。以来、クリームサンドと後に登場する黒糖クリームサンドは気仙沼を訪れるたび、二度三度と( ̄皿 ̄;購入するマストアイテムとなりました。

 気仙沼製パンが1990年代半ばに倒産、職人がそのまま移る形でその味はJR気仙沼駅近くで1995年(平成7)11月に創業した「フレッシュ製パン」に引き継がれます。私が初めて気仙沼でこのパンと出合った頃のパッケージにはなかった「気仙沼発」という、気仙沼ローカルフードとしての明確な宣言が後にパッケージに追加されました。現在2名代表制を敷く同社の最高経営責任者のお母様、高橋まさ子さんによれば、区画整理のため住まいがあった桃生郡河北町(現・石巻市)飯野に移転したのが2001年(平成13)。

kesen_pan4.jpg それは同社が「コンセプトリンク(株)フレッシュ製パン」と社名変更した翌年のこと。プレーン生地と黒糖配合生地の2種類がある同社のクリームサンドは、気仙沼市内のイオン、マルホンカウボーイといった商業施設のほか、三陸道河北IC近くのR45沿いにある「道の駅 上品(じょうぼん)の郷」などで購入することができます。

【Photo】パッケージングはフレッシュ製パンと似ているものの、パン生地表面に皺が寄ったのが特徴の気仙沼パン工房のクリームサンド(右)と黒糖クリームサンド(左)ともに126円

hideko_suzuki.jpg クリームサンドには、もうひとつの製造元が存在します。書体は異なるものの、白地にグリーンの文字と乳牛のイラストというパッケージの基本デザインは共通の「気仙沼パン工房」製のものです。長年に渡ってクリームサンド作りに携わってきた熟練の職人が加わることで、「昔懐かしい味がする」と口コミが広がり、こちらも気仙沼市民の支持を得てゆきます。後発の気仙沼パン工房が、パッケージデザインを踏襲した事実からも、いかにクリームサンドが広く行き渡っていたかが分かります。

【Photo】今年のお盆時期に訪れた気仙沼パン工房の店頭に建つ鈴木秀子さん。地元の味を懐かしむ帰省客のため、休み返上で店を開けていると顔がほころぶ

kesen_pan5.jpg 「気仙沼の味として親しまれてきたクリームサンドを地元で復活させたかった」と語るのは、かつて気仙沼製パンで働いていたという気仙沼パン工房の鈴木秀子代表。定番のプレーン生地のほか、黒糖配合生地と黒ごまを加えた生地が後に加わり、最近ではコーヒークリーム・栗クリーム・くるみクリームといった独自のラインナップを増やしています。市内本郷の目抜き通り沿いにある店舗兼工場は津波で浸水しましたが、現在は営業を再開。地元資本のスーパー片浜屋のほか、(本来126円の商品が1個150円で売られているため私は手を出しませんが)仙台市青葉区のサンモール一番町で週末に開催されるマルシェジャポンでも販売されます。

【Photo】気仙沼パン工房のクリームサンド(右)と黒糖クリームサンド(左)

 ひとつひとつ職人がハンドメードする気仙沼発のクリームサンド。原材料にさまざまな添加物が加わるオートメーション化された大手のパンとは異なり、製造日から2日もすると、生地が硬くなりますが、そんな時はレンジで軽くチンすれOK。両社を食べ比べると、生地の見た目や食感がやはり異なります。B級なれど永久に気仙沼地域で愛されるであろうクリームサンド。お好みの味を探してみては?
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コンセプトリンク株式会社 フレッシュ製パン
住:石巻市飯野字大筒前東1番14-2
Phone:0225-62-0047
URL:http://www.cream-sand.com/
E-Mail:info@cream-sand.com

気仙沼パン工房
住:気仙沼市本郷9−3
Phone:0226-22-5121
URL:なし

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