修験道体験@出羽三山
暮れゆく月山御縁年の大晦日に思うこと
【Photo】霊場羽黒山の鬱蒼とした杉木立の中、国宝五重塔に参詣後、歩みを進める羽黒修験道の最高位である松聖の星野尚文大先達と修験道体験者
冬籠りに入って久しい月山ですが、平成23年は12年に一度巡ってくる月山卯年御縁年でした。ウサギは月山権現の使いとされています。その佳き年だったはずの3月11日、死者・行方不明者19,500名以上を出し、生かされた人の心の奥底にも深い爪痕を残した東日本大震災が発生しました。
震災で尊い命を落とした多くの御霊の供養のため、亡者の魂が集うとされる月山詣でをしなければ、という思いが自分の中で募ってゆきました。震災発生から100日を経た「卒哭忌」の6月18日、羽黒修験道最高位の山伏、星野尚文松聖(まつひじり)が津波と原発事故で被災した福島県相馬市を訪れ、被災地の復興と犠牲者の慰霊のために祈りを捧げたという記事が翌日の河北新報朝刊に載ったのです。
【Photo】修行の場となった鶴岡市羽黒町手向の宿坊「大聖坊」。高齢化による講の減少によって、近年は廃業する宿坊も多いという
鶴岡市羽黒町手向(とうげ)は、関東・東北一円から出羽三山を参詣する講の参加者が宿泊する宿坊町です。江戸時代には336を数えたという宿坊には、それぞれ受け持つ地域が定められており、星野尚文松聖のご実家である宿坊「大聖坊(だいしょうぼう)」は、福島県相馬の参詣者を代々受け入れてきました。
Facebookを通して知己を得た鶴岡在住の山伏・加藤丈晴氏から、星野尚文大先達の指導のもと、2泊3日で羽黒修験道の奥義に触れる修行体験「修験道X(エックス)~3.11後に求められる場「修験」~」の案内がFacebook〈Link to website〉であったのが6月末。羽黒修験道に魅せられて東京から今年鶴岡に移住してきたという加藤氏とは、彼の前職時代に私が東京勤務をしていた15年以上前に名刺交換をしており、不思議なご縁を感じました。
【Photo】死者が集う山とされる月山への「抖(と)そう行」。地下足袋を履いて岩場を進むゆえ、足の置き場に集中しないと足元をすくわれかねない
修験道Xの内容は、なまじ半端ではありません。物見遊山の観光とは異質の濃ゆ~い日程の概略はコチラ。出羽三山へは、これまでも何度か訪れてきましたが、その目的は俗人としての参詣や観光にすぎません。死と再生の山・出羽三山での修験道体験に震災を経験した私が心惹かれるのは、もはや必然でした。
7月9日(土)~11日(月)に催行される修験道Xは、最終日が平日だったため参加を見送りましたが、9月17日(土)~19日(祝)の3連休に開催される第2回目の修験道Xについては、早々に参加を表明。雨交じりの天候となった初日、羽黒山への参道に架かる朱塗りの大鳥居を抜けると、ほどなく手向の宿坊街となります。案内された大聖坊に着くや否や、秋の峰入りを終えたばかりで案内役を務めて頂いた加藤さんの手ほどきを受け、修行着である白装束に身を包みました。修行着は死に装束でもあり、参加者が揃ったところで執り行う「峯中式(峰入り式)」をもって俗界を離れ、修行の身となります。
【Photo】修行ではこの石段を3日間で2往復。日頃の鍛錬を物語る健脚著しい星野尚文大先達に修行中は遅れを取ることなく走破したものの、仙台に戻ってから1週間は経験したことのない足の筋肉痛に悩まされた
杖を手に随神門から参道に入り、国宝五重塔前でまず祈祷、2,446段の石段を1段ずつ登って三神合祭殿のある羽黒山を目指します。途中の茶屋で休憩後、開祖である蜂子皇子を祀る蜂子神社と墓所を詣でました。修行に入ったばかりの私たちは三神合祭殿に参詣せず、いつもは車で往復する下りも当然徒歩で階段を下りました。大聖坊に戻ると、「床固め(座禅)」と「壇張(食事)」の時間。精進料理であることは予想していましたが、茶碗半分ほどのご飯と漬物3切れ、僅かな具が入った味噌汁だけという質素な食事でした。「山伏は早飯!」という大先達に倣って大急ぎで口にしたのは、毎回こうした内容。それでも空腹を覚えたことは一度たりともありませんでした。
【Photo】食べるというよりも、胃に流し込むだけといった感の壇張(だんばり)。間違っても「おかわり」などと言わぬこと
夜の「抖(と)そう行」は、初日こそ宿坊周辺の神社に詣で、町内を40分ほど歩く内容でしたが、月山から湯殿山へと縦走した2日目の夜は、深い夜の闇が支配する鬱蒼とした森の中に分け入り、ロウソクの明りだけを灯してお社に参詣した後に町外れで月山に向かって祈祷を捧げました。「雨が降りそうなので戻ろう」という大先達の言葉に促されて大聖坊へ戻り、勤行を始めようとした途端、激しい雨が降り出したのには参加者一同、さすがは修験の道を極めた最高位の山伏!と驚いたものです。
その頃、星野大先達が中心となって広く写経を呼びかけ、般若心経1万巻を目標に月山山頂に設ける経塚に納めて震災犠牲者を慰霊しようという動きがありました。修験道Xの参加者もまた、その時点でほぼ集まっていた1万巻の般若心経を1巻ずつ長時間に渡って読経する勤行に取り組みました。大先達は震災犠牲者の冥福と被災地の1日も早い復興を祈る言葉を必ず祈祷の中に織り交ぜて下さったのが印象に残っています。我々も事あるごとに唱えた般若心経の読経を続ける夜の勤行の後は、1日を締めくくる秘儀「南蛮いぶし」が待っていました。

別棟の4畳半ほどの薄暗い部屋に入ると、星野大先達が火鉢で炭火を起こしていました。正座した我々の背後に陣取った大先達が「たっぷり吸わっしゃい...」と言いながら、火鉢をウチワであおぐ気配がしたかと思うと、部屋中に煙が立ち込め始めました。場数を踏んでいる先達の加藤さん以外は、何が起きているのか理解できない私たち。やがてゲホゲホとむせかえる声が響き始めます。目を開けることすら辛い異様に長く感じられた15分ほどが過ぎた頃でしょうか、大先達の「もうよし」の一言で、襖を開けて一目散に飛び出したのでした。
【Photo】この日は水量が多かったので、湯殿山神社ご神体前で下帯姿となり片道100mを移動、含満ノ滝での滝行となった
初日の修行終了後、大先達を囲んで語らいの場がありました。ネタばらしは野暮でしょうが、星野大先達によれば、ドクダミ・米ぬか・唐辛子を粉末にしてそれぞれに火を点けるのだそう。山中に身を置く修行中は、人ではなく、畜生行であるために入浴はおろか洗顔や化粧、歯を磨くことすら許されません。古式に倣って三神合祭殿への参道に架かる神橋の下を流れる祓川で行う「水垢離(みずごり)」と、湯殿山山中の御滝や含満ノ滝(かんまんのたき)で滝に打たれる「滝行」で身を清めるだけですので、臭い消しや虫よけの意味もあるのでしょう。
【Photo】月山山頂の山小屋で頂いた「やまぶし弁当」とキノコ汁が修行中に口にした中では、もっとも豪勢な食事だった
2日目は4時起床で月山8合目の弥陀ガ原レストハウスまで車で移動、月山・湯殿山への抖そう行と滝行を行いました。月山中之宮と9合目仏生池での読経をしながら、3時間あまりで到着した標高1,984mの山頂で本宮を参詣。震災で亡くなった人々の無念を想い、鎮魂の祈りを捧げました。山ブームの浸透を物語る多くの登山者に交じって10時過ぎに山頂の山小屋で摂ったのが、修行期間中に口にした一番食事らしい食事でした。大聖坊から持参したのは、3種類のおにぎりと漬物からなる「やまぶし弁当」。山小屋にご用意頂いたもだしの入ったキノコ汁が、冷え切った体に再び英気を蘇らせたのでした。
【Photo】死者の山・月山から再生の山・湯殿山へと縦走、滝での禊を終えて。常人は外から入る鳥居を中から通り抜け、生まれ変わったかのような晴れ晴れとした表情の庄イタ
湯殿山での滝行の後、大聖坊に戻ってからは初日と同じ行を行い、最終日の3日目は早朝から随神門より参道へと向かいました。祓川で水垢離を行ってから石段を再び登って羽黒山頂を目指します。星野大先達の導きのもとで主峰月山・羽黒山・湯殿山への抖そう行を始めとする数々の行を済ませた6名の参加者は、初日には行わなかった三神合祭殿への昇殿参拝を許されました。参加者を代表して不肖庄イタが玉串を上げた後、神職による祈祷がなされる間、正座したままで低頭拝礼します。

そこでえもいわれぬ不思議な感覚に捉われました。人智を超えた大いなるものが降臨したような、畏怖すべき神々しい存在を肌身で感じたのです。不可思議な感情の高まりは、震災で亡くなった多くの御霊に迎えられたような気がした月山中之宮でも感じていました。昇殿参拝が初めてではない先達役の加藤さんも、その時私と同じように感極まったことを修行後に語っていたので、あながち思い込みではないのかもしれません。修験道Xに参加したことで、自分の中で何がどのように変わったのか、簡単に答えは見つかりません。ただ、修行中に許された唯一の言葉「承けたもう」の精神は脈々と生きているように感じています。何事にも予断を持たないこと。大いなる自然の中に身を置いて感覚を研ぎ澄ますこと。慢心せずに謙虚に物事を受け入れること。それが羽黒修験の精神であり、山伏への第一歩なのだと思っています。
【Photo】参詣した月山・羽黒山・湯殿山それぞれの本宮からお札を頂き、月山神社では卯年御縁年の登拝認定証も頂いた。霊験あらたかなこのお札、どうぞ拝礼ください
修験道体験という得難い機会を頂いたことに感謝しつつ迎えた大晦日。今頃は夜を徹して羽黒山で天下泰平・五穀豊穣を祈る恒例の松例祭が執り行われています。新たな年が、安寧で心穏やかな1年でありますように。それでは皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。




【Photo】缶を数回シェイクして強引に泡立てたものの、性能のよいエスプレッソマシンが作りだすキメ細やかでとろけるようなクレマの足元に及ぶはずもなく...(,,-_-)。 少しでも気分を出すため、ジノリのデミカップに移して味見した「午後の紅茶 エスプレッソティー」(写真左上)と「午後の紅茶 エスプレッソティー・冬のほろにがラテ」(写真右下)
コーヒーの飲み方としてニッポンでもすっかり市民権を得たエスプレッソではありますが、英国人やインド人が聞いたなら、さぞ驚くであろう紅茶のエスプレッソという大胆な発想が受け入れられるのかどうか、私には正直??です。
サントリーGreen ESPRESSOは、ほかの伊右衛門シリーズとは違って、ペットボトル入りは存在せず、400g容量のボトル缶のみ。これにはちゃんと理由があるのでした。
エスプレッソを名乗る以上、エスプレッソのようなトロリと濃厚で甘さすら感じる緑茶の風味を優先し、お茶自体の見た目にはこだわらなかったのでしょう。実際、香り高いお茶のうま味は十分に感じられます。パッケージングはマットな艶消しのブラックと鮮やかなグリーンを基調とする高級感あるデザインでまとめられており、なかなかのセンスを感じさせます。
プリンチペからは、料理のみならず生き方についても多くを学んだと語る広瀬さん。2009年3月に人生の師と仰いだプリンチぺが急逝した後、郷里の仙台に戻りました。その年の12月、せんだいメディアテーク・オープンスクエアを会場に開催されたインテリア・空間デザイナーである尾形欣一氏のエキシビジョンのレセプションで、イタリア好きの私に是非にと尾形さんからご紹介されたのが廣瀬さんご夫妻でした。


【Photo】Salone del Piatto当日は、プラス2,000円で料理とのアッビナメント(=組み合わせ・マリアージュ)を意識したワイン4種をグラスでサービス。注ぎ足しでは物足りない方は、別途料金でボトルオーダーも可(※写真のVino Toscanoはありません)
【Photo】ケイの「さんまつくだ煮」の詰め合わせ用パッケージには、代表の菅原義子さんの手になる大海原を行くサンマ漁船が描かれている
【Photo】お弁当に添付されるリーフレットには、支援に対する被災地からのありがとうの気持ちを綴った最優秀作5点のいずれかが収録される。悲しみの淵にあっても、人をおもんばかる投稿者の優しさに胸が熱くなること必至。幕の内弁当「ありがとうの詩」1,000円(税込)12月9日よりJR仙台駅売店・首都圏主要駅売店・こばやし本社ショールームで販売するほか、宮城県内での各種会合・会議にお届け可


【Photo】地盤沈下のため、気仙沼市魚町に建つケイの社屋前は、大潮の時期ということもあり冠水被害が著しかった
【Photo】気仙沼湾に係留されたサンマ漁船を前に「5年以内に後継者も見つけなきゃ」と語る菅原義子さん。御歳72とは思えないパワーにはいつも圧倒される