あるもの探しの旅

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会津の橙、「身不知柿」

terme_ashinomaki.jpg ぽつぽつと降りだした雨に急かされるように後にした大内宿。R118下野街道を大川ダムから大川(阿賀川)沿いに進むと、渓谷を見下ろす芦ノ牧温泉を通ります。「牛乳屋食堂」の看板を左折した先は会津鉄道芦ノ牧温泉駅。小さな木造の駅舎にいつの間にか住みついたのだという「バス」という名のメス猫が名誉駅長を務めています。どうやら"構内巡回"の名目で職場から姿をくらますことが多いらしく、空振りのリスクは避けることにしました。本能と欲求に忠実な仕事ぶりは動画とブログ「ネコ駅長『ばす』の日記」で。

【Photo】会津若松市街地と大内宿まで、ともに車でおよそ30分の中間地点にある芦ノ牧温泉郷

 大内宿近辺では目にすることすら稀だった人家が道沿いに増え、その庭先を飾る鮮やかな橙(だいだい)色に目を奪われるようになりました。登る日輪が照らす東の空、沈みゆく夕陽に燃える西の空、そして茶の間ではコタツの卓上に置かれたミカンの色である橙色の語源となった「橙(ダイダイ)」は"代々"につながる縁起物ゆえ、正月飾りに欠かせません。Bitter orange(英語:ビターオレンジ)、Arancio amaro(イタリア語:アランチョ・アマーロ)という名の通り、酸味と苦味が強く生食には適しません。地球温暖化が進む昨今、その栽培の北限は福島浜通りから宮城県南にまで達しようとしています。しかるに冬の冷え込みが厳しい会津での露地栽培は不可能。会津で橙色の果物といえば、「身不知(みしらず)」をおいて他にはありません。

mishirazu_cac hi2013.jpg【Photo】すっかり葉を落とした枝からこぼれんばかりに橙色の実をたわわに結んだ身不知柿が冬近しを告げる。会津若松市大戸町雨屋にて

 現在の二本松市小浜一帯を治めていた戦国武将・大内氏が、西念寺の僧侶夕安(せきあん)を中国に留学させ、帰朝時に中国から苗木を持ち帰ったため、「西念寺柿」という別称も存在する身不知柿。父・輝宗の弔い合戦に臨んだ伊達政宗に追われ、会津に逃れた大内・畠山ら二本松勢とともに16世紀末に会津へと持ち込まれたといわれます。

mishirazu2_cachi.jpg【Photo】晩秋の雨にしっとりと濡れ、より一層鮮やかさを増した身不知柿

 初代・朝宗が居城を構えた伊達氏発祥の地が福島県伊達市。同市北部の梁川町五十沢(いさざわ)地区から宮城県丸森町耕野(こうや)地区にかけては、寒風に晒して柿渋を抜き、うま味を凝縮させる「あんぽ柿」ないしは「ころ柿」と呼ばれる干し柿の一大産地です。そこで使われるのは同じ渋柿でも「蜂屋柿(はちやがき)」と「平核無(ひらたねなし)」。明治期には甘柿・渋柿あわせて1,000種類が存在したという日本では、現在およそ300種が栽培されているといいますから、ところ変われば品変わる、ですね。

 身不知柿という風変わりな名の由来には諸説あります。まずは重さで枝が折れるほど大量の実を結ぶ身のほど知らずの柿だからというもの。我を忘れて食べ過ぎてしまうから、という異説にも頷けます。さらには蘆名と伊達が領地争いを繰り広げた室町期、ときの足利将軍に献上したところ、「これほど美味しい柿を知ることがなかった」と賞賛を得たという伝承も存在します。当の柿は真相を黙して語りませんが、その真相やいかに。

mishirazu3_cachi2013.jpg 会津を訪れたのは11月半ば。現在では会津一円で栽培される身不知柿が色づく季節を迎えていました。そぼ降る雨の中、柿を収穫していた方がおいでだったので、千載一遇の機会と路肩に停めた車を降り、話しかけました。話が出来すぎですが、そこは会津若松市大戸町雨屋。南会津鉄道の無人駅「あまや」がある地区です。阿賀川扇状地の南端にあたるそこから3kmあまり北上すると、皇室に献上する身不知柿の樹が西向きの斜面を覆う一大産地、門田町御山(もんでんまちおやま)となります。

【Photo】見ず知らずの庄イタに、雨の中で収穫したばかりの身不知柿を分けて下さったのがこの方。重ねて謝意をお伝えして、ありがたく頂戴した

 「これが身不知柿ですか?」という庄イタの問いに脚立の上で柿もぎ作業中だった男性は、収穫の手を休めずに「そうですよ」と応じます。聞けば畑の持ち主から依頼され、一人で収穫を行っているところでした。10月下旬から11月いっぱいが収穫時期となる身不知柿も、近年では温暖化の影響で、色付きが遅れがちなのだそう。ムラなく色がつくよう育てるのが栽培農家の腕の見せ所なのだといいます。卒爾ながら声を掛けた私としばし言葉を交わし、「食べきれないから持って行って」と採ったばかりの身不知柿を「まだ渋抜きしていませんよ」と袋に入れて渡して下さいました。

mishirazu4_cachi.jpg【Photo】コロンとした丸みを帯びた形状の身不知柿。一大産地の会津若松市門田町御山に隣接する同市大戸町雨屋のR118沿いには、収穫期には直売所が開設される

 ドライアイスを使う炭酸ガスによる渋抜きでは、4~5日で柿渋を感じなくなるため、パリっとした固めの食感となります。酒造りが盛んな会津では、渋抜きには伝統的に日本酒の副産物としてできる焼酎を用いてきました。会津の花春酒造では柿渋抜き専用の甲乙混和焼酎を発売しているほど。ヘタの部分を焼酎に浸して袋で密封すると、柿渋が抜けるまでの目安は2週間。正月までは日持ちする肉質が固めの身不知柿も、その頃には食感に柔らかさが出てきます。

mishirazu5_cachi.jpg【Photo】収穫直後を頂き、焼酎でさわしてほぼ1カ月を経た身不知柿。甘さがより一層のって、目の詰まった果肉の食感には柔らかさが加わった

 期せずして鶴岡の知人が送ってきたフルーツタウン櫛引産の庄内柿との食べ比べとなった今年。さわして(=渋抜きして)から2週間目に、もう大丈夫かと袋から取り出した身不知柿は、すっきりとした上品な甘さの後に渋みがまだ幾分残りながらも、シャキシャキとした歯ごたえが感じられました。ならばと再度焼酎に浸して1週間ほど経過した身不知柿は、もはや完全に柿渋が抜けて味がより濃厚になり、まったりとした食感に変わっていました。

 う~ん、おいしい。

 丸森や庄内の柿より、遥か遠方の奈良や和歌山産が幅を利かせる仙台では、身不知柿を見かけることはまずありません。ならば会津を訪れて一粒で二度おいしい身不知柿を召し上がってください。どのタイミングで食するかはお好み次第。ただし、"ならぬことは、ならぬものです"という会津藩士としての規範を定めた「什の掟(じゅうのおきて)」にある通り、戸外で物を食べてはなりませぬ。こらんしょ、ふくしま会津。

 驚愕の後日談、「ことだまみしらず」につづく。
  to be continued.baner_decobanner.gif 

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