あるもの探しの旅

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無機と有機のカタチ

1a94646752251c584e497a57a7ba1bfb.pngニュートンも驚愕!! 
庄イタ、万有引力を発見せり? @陸前高田

 
 昨年12月、所用で大船渡に向かう移動の折、震災前は高田松原として知られた陸前高田の海岸線に沿って遥か彼方へと延びる建設中の架橋に目を奪われました。何故なら、それは横浜ベイブリッジはおろか、世界最長の吊り橋である全長3,900mの明石海峡大橋を彷彿とさせる巨大スケールゆえのこと。「命の道」として急ピッチで整備が進む復興道路こと三陸縦貫自動車道の唐桑高田道路区間が広田湾を跨ぐ雄姿かと思いきや・・・。

ponte1kibou.jpg【Photo】復元された奇跡の一本松を背景に車両が往来するR45の頭上を跨ぐ巨大な吊り橋。その正体は...。(別アングル拡大表示

 それは、旧市街南側にある標高120mの山を海抜40mの高さまで切り崩し、高台移転を果たすための宅地造成工事によって発生する土砂を、かさ上げを要する旧市街地域まで運搬する空中ベルトコンベヤー・プラント設備なのでした。3年前のあの日、出張先の青森から仙台へ移動するバスのカーラジオから繰り返し聞こえたのは「陸前高田の街が津波で壊滅した」という耳を疑うようなフレーズ。

ponte2kibou.jpg【Photo】高台移転用地となる背後の山から掘削した土砂を、かさ上げを要する高田地区などに運搬する架橋に設けられるベルトコンベヤーの出発点

 名取市閖上や女川などと同じく、原形をとどめないほどに根こそぎにされた陸前高田の惨状は、不足していたガソリンの供給が安定し、仙台の情況が少し落ち着いた同年6月、しっかりと目に焼き付けてきました。もはや枝先が枯れ始めていた奇跡の一本松近くのアスファルトの裂け目で懸命に咲く野の花に心救われたものです。

ipponmatsu_miracolo.jpg【Photo】猛威をふるう津波によって、ことごとくなぎ倒された高田松原のクロマツ林。唯一残った樹齢260年のこの巨木自身も、恐らくは予想だにしない形で、被災した陸前高田市民の心のよりどころとなった。塩害によって枯死し、根元から切り出される前、2011年6月に訪れた奇跡の一本松

 今は土煙が舞う茫漠とした更地となった旧市街地で、ひときわ目を引くこの吊り橋。支柱の高さ42.6m、橋脚の主塔間隔が220mあり、全長は3kmに及びます。ダンプカーによる搬出では10年以上を要する膨大な土砂を、3年で処理する能力を備えているといいます。大きな痛手を受けた陸前高田の将来を担う市内の小学生を対象に名前が公募され、応募総数236件から「希望のかけ橋」と名付けられました。稼働開始は3月24日(月)。架橋の名付け親となった9名と「ゆめちゃん橋」「がんばっぺし!ブリッジ」など、佳作に入選した児童も土砂搬送投入式典に招待されるそうです。

ponte3kibou.jpg 政府が最重要課題として掲げる「復興加速化」のシンボルとして陸前高田の人々が期待を寄せる竣工間近い希望のかけ橋を、日曜日に訪れました。コンベヤーは途中で枝分かれしており、高層の建物がない現在の旧市街地域で、圧倒的な存在感があります。それは郷土復活にかける陸前高田の人々の鋼(はがね)の意思を表すかのように、大地にしっかりと橋脚を据えています。陸前高田を新たに再生させる担い手となる子どもたちには、この吊り橋のように陸前高田にどっしりと根を下ろして、震災の記憶を末代まで語り継いでほしいものです。

ponte4kibou.jpg【Photo】陸前高田再生の足取りが加速することを期待される「希望のかけ橋」。左右に分岐した終点(上2点)からは、土砂を採掘する始点は遥か遠方(別アングル拡大表示

 震災犠牲者を悼み、教訓を後世に伝えるため、国は被害が著しかった東北3県に国営の「復興祈念施設」を設置する方針を打ち出しています。避難者の生活再建をまずは優先する福島は立地にまで話が及んでいませんが、国内最多の犠牲者・行方不明者3,961名が出た石巻が有力な候補地となっている宮城と同様、岩手県内最多の1,814名が犠牲または行方不明となった陸前高田が候補地に挙げられています。

ponte5kibou.jpg 奇跡の一本松と同じく震災遺構として市が保存を検討しているのが、建物内部の損傷が著しい道の駅「高田松原タピック45」。祈りの場としての復興祈念公園の整備もさることながら、そこで起こった想像を絶する出来事を何より雄弁に物語る震災遺構の保存は、焦眉の急だと考える庄イタ。慰霊碑と祭壇が設けられたそこには、盛岡中学(現・盛岡一高)の修学旅行で高田松原を訪れたことがある石川啄木の歌集「一握の砂」に収められた一節を刻んだ歌碑がありました。

 頬につたふ
 なみだのごはず
 一握の砂を示しし人を忘れず

意訳:「頬を流れる涙を拭おうともせず、浜辺から一握りの砂を手に取って差し示し、限りある人生を懸命に生きなさいと諭したあなたを私は忘れない」

 啄木の曾孫が揮毫したというこの碑によって、26歳で夭折した歌人が詠んだこの歌は、新たな意味を得て気仙地方の人々の癒しとなることでしょう。

muscat_cider.jpg 慰霊碑に立ち寄り、改めて震災犠牲者の冥福を祈ったのち、一部が先行して通行可能な三陸自動車道で、今月23日から供用開始となる陸前高田ICの先にあたる通岡IC近くの米崎(よねさき)を訪れました。そこは背後に緑豊かな北上山地が広がり、気仙川が鉄分などの養分を広田湾に運ぶため、カキ・ホタテ・ワカメなどの養殖が盛んで、定置網にかかる海産物にも事欠かない陸前高田にあって、リンゴやブドウの産地としての歴史を積み上げてきた地区です。

 1970年(昭和45)発売のロングセラー「マスカットサイダー」製造元である「神田葡萄園」をのちに創業する熊谷福松が、宮城県利府町から持ち込んだ和梨に次いでリンゴ栽培を米崎で始めたのが明治の中ごろ。これが岩手県におけるリンゴ栽培の嚆矢となりました。

 岩手は全国第3位のリンゴ産地で、その主産地は県南部から挙げると奥州市江差区、花巻および盛岡周辺、二戸など。そうした内陸部と比べて年間日照時間が長く、平均気温が高い陸前高田では、収穫の最盛期となる11月末でも比較的温暖ゆえ、糖度の高い蜜入りリンゴが収穫できるといいます。岩手でのリンゴ栽培の特徴は、脚立を使った高所作業を極力減らし、作業効率を上げるため、果樹の高さを低く抑制する矮化(わいか)栽培が普及している点。

pom_yonesaki.jpg【Photo】「奇跡のリンゴ」で知られる木村秋則さんの自然農法を実践するリンゴ畑ほか、日本一のリンゴ産地である弘前のリンゴ畑では見たこともないほど、枝が極端に下を向くよう剪定されたリンゴ果樹が見られる陸前高田市米崎町(写真上・下とも)

 米崎地区の高台では、150軒近くのリンゴ生産者が、およそ70haの栽培面積で、「ふじ」「ジョナゴールド」「王林」などの品種を栽培しています。高齢化が進むリンゴ農家にとって、矮化栽培は作業負荷を軽減するため歓迎されます。桜前線を追いかけるように北上するリンゴの芽吹きと開花に向け、訪れたリンゴ畑では枝の剪定と有機質肥料の施肥を終えていました。葉を落としたリンゴの果樹は、四半世紀前から導入された矮化栽培が徹底され、ほとんど全てが特異な姿格好をしています。

pom_yonesaki2.jpg 枝から落下するリンゴをもとに「全ての物体は互いに引き合い、その力は物体の質量の積に比例し、距離の2乗に反比例する」という万有引力の数式(banyuuinnryoku.jpg)につながる発想を得たのが、近代物理学への扉を開いた天才アイザック・ニュートンです。

 あたかも大地に引き寄せられるかのように、まるで稲妻のごとく下向きに枝を伸ばす米崎のリンゴ。ニュートンが米崎リンゴの極端に矮化した樹形を目のあたりにしたら、これも地球の引力のなせる業なのかと目を皿のように丸くして、「驚き桃の木リンゴの木!!!」と叫んだかもしれませんね。

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