あるもの探しの旅

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第二十八共徳丸に思う

 沖縄から南東北の日本海側に深い爪痕を残した台風8号。空模様を気にしながら、津波防災関連の仕事で岩手県陸前高田市と宮城県気仙沼市に出張した日は、震災から3年4ヶ月目の月命日でした。

rikutaka-2014.7.11.jpg【Photo】高台に移転した陸前高田の仮庁舎から旧市街地に戻ると、およそ10mの嵩上げを要する旧市街中心部に土砂を運搬する「希望の架け橋」と名付けられたベルトコンベアーの巨大プラントが、さらにスケールアップして稼働中〈click to enlarge

 県境を越えて気仙沼に入ると、台風の接近による時化(しけ)から避難したと思われるカツオ一本釣り漁船が、魚市場脇の桟橋に多数停泊中でした。魚市場に併設される観光施設「海の市」は、建物2階にあるフカヒレ生産高日本一の気仙沼ならではの「シャークミュージアム」がこの春先行OPEN。津波の直撃を受けて休業中だった1階の物販ゾーンが、来週19日に待望の再出発を果たします。

porto_kesennuma2014.7.11.jpg【Photo】気仙沼魚市場脇の桟橋には、漁期を迎えたものの、水揚げが遅れていたカツオ一本釣り漁船が、台風を避ける為に多数停泊していた〈click to enlarge

 地盤沈下と津波の猛威に晒された魚市場付近の岸壁は、海中のがれき撤去と補修がほぼ終わり、今では大型の漁船が接岸できるようになっています。港に停泊中は、思い思いの時間を過ごす船員たちの姿が見られます。こうした何気ない営みに海と生きる町・気仙沼の日常が、ほんの少しでも戻ってきていることを感じることができました。

28er-kyotoku-maru.jpg【Photo】見覚えのある名前、青と赤の配色。「二」の文字がなければ、昨年10月末に解体された「第十八共徳丸」の残像と出合ったかのよう〈click to enlarge

 宮崎や高知停泊中の漁船の中で、庄イタが船尾に書かれた船名に目が止まったのが「第二十八共徳丸」。

 そう、気仙沼市鹿折地区の海岸から750mも内陸側に打ち上げられ、保存か解体かで議論を呼んだ大型巻き網船「第十八共徳丸」(330トン)と同じ福島県いわき市の水産会社「儀助漁業」が所有する漁船です。

18er_kyotoku-2013.8.jpg【Photo】流出した燃料用の重油タンクに引火して焼け野原となり、気仙沼の中でも被害が著しかった鹿折地区に打ち上げられたまま、解体される間の2年半を陸で過ごした「第十八共徳丸」。現在、気仙沼市中心部の浸水域一帯では、大規模な嵩上げ工事が行われている〈click to enlarge 

 昨年夏に実施された気仙沼市民対象の意向アンケートでは、第十八共徳丸を保存すべきと考える人が16%に留まり、保存は必要ないとする意見が68%を占めました参考データ。被災地においてすら震災の記憶の風化は進んでいます。

 苦い経験を繰り返さぬよう、震災遺稿として船を残すべきだとする人々からの非難を承知で、「目にするのは苦痛だから撤去すべき」との声に配慮して解体という苦渋の選択に踏み切った船主の柳内克之社長(41)は、排水量375トンの同じ名前を付けた大型船を地元いわきで建造し、昨年1月に進水式を終えています。

18er-kyotoku_2013.8-2.jpg【Photo】3.11以降、打ち上げられた第十八共徳丸の船首部分には自動車が下敷きとなっていた〈another picture〉。紆余曲折を経て解体された後、気仙沼市全体でいまだに230人にのぼる行方不明者の捜索が行われたが、発見には至らなかった

 保存か解体かで物議をかもした船と同じ名前を新造船に付けた理由が、昨年末の河北新報に掲載された柳内社長のインタビュー記事で明かされていました。苦しい時に助けてもらった船が陸で朽ち果ててゆくのを見るのは忍びなかったこと。そして大海原に向けて出港した船は、大漁旗をなびかせて戻ってきたほうが、気仙沼が活気づき、気仙沼市民もまた嬉しいだろうこと。

2014.7-mercato_kesennuma.jpg【Photo】水揚げされたばかりのカツオ(写真手前)を手分けして保冷箱に詰める作業で活況を呈する復旧した気仙沼魚市場。隣接する海の市は7月19日(土)3年4か月ぶりの再OPENを果たす

 一方で、震災発生当時、チリ地震津波(1960年・昭和35)を体験した人の多くが存命し、昭和三陸津波(1933年・昭和8)や明治三陸地震津波(1896年・明治29)の教訓を刻んだ石碑が、三陸沿岸には317カ所も存在していたといいます。にもかかわらず、およそ2万人の人命が失われた事実を私たちは重く受け止めなければなりません。

 当初は後世のために船を保存すべきだと考えていた庄イタも、その船主の言葉に溜飲を下げました。かく申すものの、文字や映像などの記録だけでは、大津波の猛威を実感として感じることはできないと囁くもう一人の自分が、今も確かに存在します。

 理不尽にも突如として生命を絶たれた多くの犠牲を無にしないため、万が一への備えを怠ってはなりません。街の再生に欠かせない土地の嵩上げのため、第十八共徳丸を解体・撤去した気仙沼市民の選択に対する評価は、子や孫たちによって30年後・50年後になされることでしょう。

2014.7-mercato_kesennuma2.jpg【Photo】カメラのフラッシュ気付き、見学者デッキの庄イタに向かって高々と両手に持ったカツオを掲げて下さったサービス精神溢れる海の男が若干2名(笑)

 一回り船体が小さく、数字は異なっても先代と同じ青と赤の配色の第二十八共徳丸が、気仙沼に停泊する姿は、感慨深いものがありました。新造された共徳丸が、再び大漁旗を掲げて入港すること、そして一日も早い復興を願って第十八共徳丸の解体と新造を決めた船主と被災者の選択は正しかった、と後世まで言い伝えられるよう、切に願います。

 今回は自戒の念を込めて2000年前にユリウス・カエサルがガリア戦記第3巻18節に残した警句で締めくくりましょう。
   ・quod fere libenter homines id quod volunt credunt. 【ラテン語原文】
   ・えてして人は自らが欲する現実しか見ようとしない。【現代語意訳】

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