あるもの探しの旅

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餅モチ ~ハレの食~

 米どころ宮城で育まれた餅文化を紹介する特別展「餅モチハレの食~」が、仙台市宮城野区五輪の榴岡(つつじがおか)公園にある「仙台市歴史民俗資料館」で開催されています(4月12日まで)。

 今回の企画展の特徴は、日本民俗学の祖である柳田國男が唱えるところの「ハレ」(=非日常)と「ケ」(=日常)の分類で、ハレの食べ物という視点で餅をとらえている点。

Mochi_mochi.jpg 会場の仙台市歴史民俗資料館は、1874年(明治7)9月に竣工した宮城県内に現存する最古の疑洋風木造建築物です。

 普仏戦争(1870~71)でプロイセン王国にナポレオン3世が惨敗を喫するまでは明治新政府が軍制の規範としたフランス兵法に倣った兵舎の遺構となります。同時期に竣工し、現在は名古屋の明治村に保存されている歩兵第6連隊兵舎(1783竣工)とほぼ外観が共通なのはそのため。

 瓦葺寄棟造りで、白漆喰仕上げの外壁には、四隅にコーナーストーンを配し、重厚さが増している点が第6連隊の兵舎とは異なります。前述の通り、造営当初の用途は、歩兵第4連隊所属の200名以上が訓練に明け暮れる兵舎でした。戦前の街並みが空襲により焼失した仙台にあっては、希少な歴史の生き証人でもあります。

hohei-4rentai.jpg【Photo】1895年(明治28)当時の旧日本陸軍歩兵第4連隊全景。現在は榴岡公園として市民憩いの場となっている11ヘクタールの敷地を囲むように建物が建っていた

 戦後は1956年(昭和31)まで米軍が駐留したのち、1975年(昭和50)まで東北管区警察学校として使用。市制88周年記念事業の一環で1977年(昭和52)に榴岡公園が整備された際、移築・補修され、2年後から資料館として公開されています。

 四季を彩る年中行事や祭礼、人生の節目といった特別な日を意味する〝ハレの日〟。御所に備えられていた三種の神器のひとつ、銅鏡をかたどった年神様にお供えする鏡餅に象徴されるように、日本人にとって餅は古来より特別な食べ物でした。

sendai-rekimin-muzeo.jpg【Photo】元禄年間に伊達家4代綱村公がツツジと京都から取り寄せた桜の苗1,000本を植えたことに端を発し、今では仙台屈指の桜の名所として知られる榴岡公園。その一角に建つ仙台市歴史民俗資料館。表裏同じ作りの建物の全体像が見やすい裏手側より撮影

 今日においても世界最大の小麦輸出国であり、生乳生産国はアメリカです。日本を統治した米国の意向により、戦後間もなく再開された学校給食では、米国産原料で製造されたパンとバターの副産物である脱脂粉乳(スキムミルク)が全国で導入されました。〈データ出典:米国農務省Foreign Agricultural Service/USDA 2015.4

 敗戦後しばらくは食糧難にあえいだ日本から見れば〝豊かさの象徴〟と映ったのが米国。生活習慣病や肥満の増加を招いた一因とされるファストフードやコーラ飲料に代表される食文化に限らず、アメリカ文化を日本人は積極的に取り入れました。挙句は慶大医学部教授による〝コメを食べると頭が悪くなる〟という「米食低脳論」なる極論まで登場し、それが広く庶民に受け入れられます。

 米国の資金を後ろ盾に、国は日本各地に米国の農産品を普及させる栄養指導車(通称:キッチンカー)を派遣。タンパク不足を訴える「栄養改善普及運動」によって、日本人の食の嗜好を変化させる素地が巧妙に形づくられました。

tamagami-kesenuma.jpg【Photo】前回ご紹介した気仙沼の元・網元宅の神棚。鏡開きを終えた2月末の撮影ゆえ鏡餅は見られない。海老と宝珠が描かれた「玉紙」が、鯛、扇などのおめでたい絵柄と開運福禄寿の文字を切り抜いた南三陸町周辺で見られる「切紙(きりこ)」〈拙稿:南三陸の新春を飾る「きりこ」(2011.1)参照〉と共に神棚に供えられている

osonae-tamagami.jpg 食生活に限らず、暮らしぶりの変化に伴い、日本古来の暮らしの中で受け継がれてきた年中行事もまた、核家族化が進む都市部を中心に簡略化の傾向が強いと思います。多世代が一つ屋根の下で暮らす旧家は別として、神棚がある家庭は、果たしてどのくらいあるでしょう。
 
 新年を迎えた年神様にお供えするのが鏡餅。庄イタの幼少期は亀ヶ岡八幡宮から授かった縁起物の宝珠と海老や昆布が描かれた「玉紙」とともに神棚や仏壇に鏡餅を大晦日の午後にお供えしました。これは宮城周辺だけの習慣のようですね(右写真)。

 仙台の年越しには欠かせない子持ちナメタガレイの煮付けを夕飯で頂き、除夜の鐘に交じって聞こえてくる亀ヶ岡八幡宮の宮司が打つ太鼓の音とともに新年を迎えていました。

omisoka-nameta.jpg【Photo】特別展「餅モチ~ハレの食~」の展示「年中行事とモチ」より。仙台の一般家庭の大晦日の食事を再現した子孫繁栄を願う子持ちのナメタガレイ、柿なます、漬け物、白米、お吸い物

 時効成立済みなので白状しますが、玉紙と鏡餅をお供えしてから、祖父の定番だった「極上黒松剣菱」をお神酒のお裾分けと称して舐めていたことが懐かしく思い起こされます(⇒8歳にして剣菱で酒の味を覚えた「こち亀」の両さんと相通じる幼少体験かと)

 自ら居を構えた現在、そこには神棚はなく、もっぱら餅は楽しみに頂くものとなりました。至高の食味を備え、もはや替えが利かないという意味では、禁断の実に等しい「本女鶴」〈拙稿:「酒田女鶴と本女鶴」(2012.10)参照〉を知ってしまったことが、その傾向に拍車をかけているように思います。

shogatsu-sendai-zouni.jpg【Photo】特別展「餅モチ~ハレの食~」の展示「年中行事とモチ」より。昭和30年代の仙台の商家の元旦膳を再現。きな粉餅、イクラのなます、大根・人参・伊達巻・凍豆腐・なると・セリなどの具と焼きハゼや芋がらで出汁をとったすまし汁の仙台雑煮、当主と神前に供える雑煮には、飾りで焼きハゼを載せることも

 今回の特別展「餅モチ~ハレの食~」では、紀元前3世紀には稲作が行われていた仙台平野で出土したクヌギの木で作った古代の竪杵(たてきね)や、脱穀や精米にも用いられた臼の残片など、糯米を餅にする道具の展示で始まります。

ceppi-zunda.jpg【Photo】仙台西部の上愛子(かみあやし)地区のある農家における1865(元治2)~68(慶応4)にかけての行事食の記録。旧暦7月7日には「七夕祝」として「さとう糯」と「ぢん(た)糯」を食し、同15日に「さとう小豆入糯」と「ぢんたもち」を食したと記されている(矢印部分)

 仙台の旧家における伝統的な正月膳が再現されているほか、多彩な餅の食べ方を食品サンプルで紹介する展示も。枝豆をすりつぶし少量の砂糖を加えて味を整え、餅にからめて食する宮城の郷土食「ずんだ餅」が、豆(zu)を打(da)つことから転じた呼称であり、その起源がいつ頃なのか?といった展示も目を引きます。

aramaha-zouni_hatsukine.jpg【Photo】2月19日に東北ろっけんパークで開催された「オモイデゴハン食堂」で、限定100食のみ振る舞われた希少な糯米「ハツキネモチ」の餅が入った荒浜地域の仙台雑煮

 いそべ餅、あんこ餅、きなこ餅、胡麻餅など、現在でもポピュラーな食べ方のほか、くるみ餅、生姜餅、納豆餅、大根おろしに醤油をたらしたおろし餅、縄文時代には食用にされていたとされる栃の実をアク抜きしてから糯米と混ぜて作る栃餅、鰹節でとった出汁に餅を入れて味わう汁餅、ヨモギやヤマゴボウの葉を摘んで糯米と和えた草餅(ヨモギ餅)、前述のずんだ餅などなど・・・。

 宮城で主力となる糯米は「ミヤコガネモチ」ですが、仙台市の沿岸部で東日本大震災の津波被害が最も深刻だった地域のひとつ若林区荒浜で農業を営んできた佐藤善男さんは、昭和30年代に紹介された「ハツキネモチ」という品種を、だた一人作り続けてきました。その理由は「餅にすると抜群においしいから」。

 種籾は津波で全て流されてしまいましたが、福井県農業試験場に少量だけ冷凍保管されていた種籾100gを入手。除塩を終えた圃場で栽培を再開したのが2013年。まとまった量が確保できたのは、昨年秋の収穫から。

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【Photo】東北ろっけんパークで開催された「オモイデゴハン食堂」(右上)。希少な糯米ハツキネモチを震災後に復活させた若林区荒浜で農業を営む佐藤善男さん(左上)。御年79歳にして堂々たるハツキネモチの餅つきを披露して下さった佐藤さん(下左右)。

 旧正月の2月19日、仙台市青葉区中央にある東北の観光や産業の復興をバックアップする「東北ろっけんパーク」には佐藤さんが駆け付け、作り手ご本人が杵で搗(つ)いたばかりのハツキネモチが入った荒浜風仙台雑煮が振る舞われました。

isshou-mochi.jpg【Photo】紅白の餅を満1歳の誕生日を迎えた子に背負わせる「一升餅」
 
 「人生儀礼とモチ」で紹介されるのは、紅白合わせて一升分の糯米を使った紅白の餅を満1歳を迎えた赤ちゃんに背負わせ、「一生食べることに不自由することがないように」と願いを込める「一升餅」や家の上棟式で餅や小銭を撒く「振る舞い餅」など。

 最近では珍しくなった上棟式の振る舞い餅ですが、家と同様、決して焼いてはならないため、うるち米の上新粉に砂糖を加えた「すあま」を用いることもあるそうです。

 〝餅は餅屋〟と申します。餅にまつわる興味深い展示を見た上は、無性に餅が食べたくなるのが人情というもの(笑)。そこで帰り足で青葉区北目町の「村上屋餅店(下左写真)に寄りました。村上家は仙台藩に菓子を納めた御用菓子司で、明治維新後の1877年(明治10)に創業した老舗です。

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 大正時代に先代が初めて商品として売り出し、今や押しも押されぬ仙台名物となった「づんだ餅」」(上右写真/ 3個入税込561円)は、一粒づつ枝豆の薄皮を除く手間を惜しまない製法ゆえのクリーミーな食感と風味が魅力。桜餅、すあま、健康大福など、いずれも朝から仕込みを行うご当主の丁寧な仕事ぶりが光ります。

 現在の業態としては4代目のご主人、村上康雄さんが気が向かないと作らないという、和洋折衷な「いちごショコラ大福」(下写真)が、幸運にも「いちごミルク大福」(各292円)とともに残っていました。

ichigo-chocola-daifuku.jpg その日がバレンタインデーで、少し多めに作ったのかもしれません。モチモチした求肥に包まれたふんわりとしたチョコレートクリームに1個丸ごと入った甘酸っぱい仙台イチゴ。それらの風味が混然一体となって絡む鉄板の組合せを味わえるのは、5月末まで。

 資料館を2月なかばに訪問しておきながら、多忙を極めた3月を挟んだため、ご紹介がすっかり遅れてしまいました(滝汗)。なれど、榴岡公園の桜が見頃を迎えるタイミングと重なったのは怪我の功名。残り6日を残すのみとなった「餅モチ ~ハレの食~」。〝花より団子〟は風流を解さない無粋を指しますが、この春の狙い目は、花と団子の一石二鳥。

 未訪の方は、榴岡の桜を愛でながら、ラストチャンスのこの機会にぜひ!!

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仙台市歴史民俗資料館 特別展「餅モチ~ハレの食~」 
●会期:2015年4月12日(日)まで 
●入館料:一般・大学生200円 高校生150円 小中学生100円 
 ・住:仙台市宮城野区五輪1-3-7(榴岡公園内)
 ・開館:9:00~16:45(入館は16:15まで)  ・休館日:毎週月曜日
 ・Phone:022-295-3956
 ・URL: http://www.city.sendai.jp/kyouiku/rekimin/
(※注:村上屋餅店やエンドー餅店(青葉区宮町)などの老舗では、「ずんだ餅」ではなく、旧仮名遣いの「づんだ餅」を使用。なお、特別展では餅の試食や販売は行いません)


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