あるもの探しの旅

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2015/09/27

L'anima d'Italia イタリア魂

Faliero Sarti ファリエロ・サルティに垣間見る庄イタの精神構造


 秋分の日を過ぎ、めっきり秋めいてきましたね。季節の変わり目を迎え、ノーネクタイの夏場はイタリア人のたしなみとして、庄イタも第二ボタンまで外しているシャツの首元から、朝夕は冷たい風が吹き込むことも。そろそろワードローブから取り出すのが、今年で3シーズン目を迎える薄手なFaliero Sarti ファリエロ・サルティのストールと、長年愛用しているErmenegildo Zegna エルメネジルド・ゼニアのスカーフです。

Zegna-scalf2.jpg【Photo】シックで精緻なカシミール文様がプリントされたシルク特有の輝きを放つエルメネジルド・ゼニアの軽やかなスカーフ

 このスカーフは、ミラノ・モンテナポレオーネ通りの一角にあるセレクトショップで購入したもの。美しいカシミール模様に魅了されてバブリーだった時代にネクタイを常用していたETRO エトロと思いきや、1910年に創業した紳士服ファクトリーブランド、ゼニアの製品だったので意表を突かれた記憶があります。250年培ったアザミの実を使ってカシミアを起毛させる伝統の技が、服地の美しい光沢を生むPIACENZA ピアチェンツァの濃紺と茄子紺のコートを羽織るオンタイムの首元に巻いています。

 かたや今回メインで取り上げるのは、オフタイムにより顕著に表れる傾向があるイタリア魂みなぎる庄イタの嗜好が色濃く反映されたファリエロ・サルティの肌触りの良いストール。

sarti-sawl.jpg【Photo】さまざまな色彩の組み合わせがストールの巻き方によって表現される庄イタ愛用のファリエロ・サルティ。大判のストールを広げると現れる絵柄は、イタリアの偉大な作曲家が描かれた旧リラ紙幣がモチーフ

 メディチ家の繁栄と共に発展した絹織物の伝統を紡ぎ出してきたフィレンツェで、第二次大戦後間もない1949年にファリエロ・サルティが〝Lanificio Faliero Sarti e figli s.r.l ラニフィッチョ・ファリエロ・サルティ・エ・フィッリ〟を創業。Lanificio(=服地工場)と称するだけに、ジョルジオ・アルマーニ、シャネル、ジャンフランコ・フェレ、ダナ・キャラン、ジャン・ポール・ゴルチェなど名だたるメゾンのオートクチュールやプレタポルテに服地を提供してきました。

sarti-italia-logo.jpg【Photo】ファリエロ・サルティの国旗をモチーフにしたストール・コレクションより。地中海を舞台に覇権を競った海洋立国、ヴェネツィア・ジェノヴァ・アマルフィ・ピサの各国旗を組み合わせたイタリア共和国海軍旗

 現オーナーは創業者の息子であるロベルト。その娘でカルバン・クラインやダナ・キャランらを輩出したニューヨーク州立ファッション工科大学で造形を専攻後、美術史も学んだモニカがデザイナーとして1992年に就任。国外へも展開を図って以降、日本ではストールが広く知られるようになりました。自社ブランドのアパレルを含めて現在では売り上げの85%が米国や日本などイタリア国外におけるものといいます。

 欧州の有名ブランドが、人件費対策として生産拠点をアジアに移すことは珍しくありません。そんな中でファリエロ・サルティは、ファブリックの9割をイタリア国内で、その半数は自社生産しています。高品質のシルク、カシミア、ウール、コットンなどの天然素材に加え、モダール、ナイロン66、ヴィスコースといった新素材を巧みに取り入れた使い心地のよい生地作りは定評あるところ。

metro_sarti.jpg【Photo】ファリエロ・サルティの地下鉄路線図をモチーフにしたストール・コレクションより。これさえ身に着けていれば、フランス語が全くヒアリング不能な庄イタが、まかり間違ってこの画像のロケ地であるパリを訪れ、メトロの乗り継ぎに迷ってもダイジョーブ?

 中間色の落ち着いた色遣いを基調としながらも、バリエーションのひとつとして今年タイアップしているのが、ディズニーとのコラボシリーズ。時にはポップアート的な遊び心のあるモチーフもストールのデザインに取り入れるのは、チーフディレクターを務めるモニカの女性らしい美的センスと言えるでしょう。

sarti-mappa.jpg【Photo】〝150 anni Unita d'Italia (=イタリア統一150周年)〟と記された2011年発表のストール。1861年のイタリア王国建国による国家統一150周年を記念したこちらのデザインは、建国当時首都が置かれたトリノがある北イタリアから俯瞰したイタリア半島の地図。とはいうものの、上下どちらに向けて巻くかはご自由に

 東京支社勤務時代は浦安からほど近い社宅で6年間を過ごしながら、当時は2回ほどしかディズニーランドを訪れていない庄イタ。イタリア人は概してアメリカ文化に関して食を除けば寛容ですが、庄イタはミッキーマウスやドナルドダックに心惹かれるキャラではありません。カプリ島発祥のフレグランス「Carthusia カルトゥージア」〈2010.11拙稿「I Profumi di Capri 」参照〉を置く仙台市青葉区大町のセレクトショップ「antelope アンテロープ」で、イタリア魂を呼び覚まされ、さらにハートを鷲づかみされたのが、コチラ。

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 19世紀イタリアが生んだ偉大な作曲家の1人、ジュゼッペ・ヴェルディ(1813-1901)の肖像が描かれた旧1,000リラ紙幣(下写真)表面の図柄がモチーフとなる肌触りの良いモダール(レーヨン)85%・シルク15%のふんわりと軽やかでボリューミーな大判(200cm×130cm)のストールです。

 18世紀末のナポレオン侵攻や19世紀中葉にかけてオーストリア・ハプスブルグ帝国の支配下にあった現在のイタリアで、リソルジメントと呼ばれる国家統一に向けた機運が急速に高まったのが1848年。その精神的な支えとなったと目されるのが、紀元前6世紀に実在したバビロン王を主人公としたG・ヴェルディのオペラ「Nabucco ナブッコ」。

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 ナブッコ第3幕第2場では、ユーフラテス河畔の地で捕囚の身となった民衆による祖国愛を込めた合唱曲「Va Pensiero(邦題:行け、我が思いよ、黄金の翼に乗って)」が歌われます。ヴェルディが祖国統一に向けた願いを込めたとされるこの作品は、1843年にミラノ・スカラ座で初演されるや、民衆の熱狂的な支持をもって迎え入れられました。

 「椿姫」、「アイーダ」、「リゴレット」などの作品を残し、英雄として敬愛されていたヴェルディは、1901年1月27日の夜半過ぎに滞在先のミラノで家族や知人に看取られながら亡くなります。翌朝その柩を乗せた馬車を見送ったのは、トスカニーニ指揮の800名を超す合唱隊と、偉大な作曲家の死を悼んで沿道に集った人々が口ずさむVa Pensiero でした。それは作曲家自身が創作した歌劇以上にさぞや感動的な光景だったことでしょう。

sarti_1dollar.jpg このシリーズには、アメリカ合衆国初代大統領ジョージ・ワシントンが登場する1ドル紙幣(上写真)や、若き日のエリザベス2世がほほ笑むポンド紙幣と並んで、千円札もラインナップ。しかし絵柄には現行の野口英世でも、先代の夏目漱石でもなく、千円札の裏側に描かれる富士山だけしか描かれていないのには、Fujiyama と比較した人物の世界的な知名度が影響しているのでしょうか? 肖像を取り入れなかった理由をモニカに訊ねてみたいものです。

 現世において庄イタがイタリアの地を初めて踏んだ1990年代前半は、ユーロの導入前。やたら桁が多くとも日本からの旅行者にとって、当時の通貨イタリア・リラは、ドイツ・マルクやフランス・フランなどと比べ、円交換レートが有利でした。当時の日本はまさにバブル。対日本円レートが最も有利だった'95年夏の訪伊時に至っては、物欲を激しく刺激するMade in Italy の数々に、つい財布の紐が緩む誘引効果が大きかったっけ。(...と、遠い目をしてみる)

sarti-cassa.jpg【Photo】ファリエロ・サルティの紙幣をモチーフにしたストール・コレクションより。(左から)日本円、イギリス・ポンド、イタリア・リラ、米ドル

 イタリア統一150周年で、さまざまな記念行事が行われた2011年。翌年のコレクションとして発表された紙幣シリーズで、モニカ・サルティが故国代表に選んだのは、イタリア国民がイメージする祖国を代表する偉大な作曲家G・ヴェルディの肖像が使用された旧1,000リラ紙幣でした。これと別の肖像画では1962年から1,000リラ札に登場していたヴェルディですが、この図柄を使用した1,000リラ紙幣が発行されたのは、1969年から1981年まで。

 ユーロ導入のため、2001年12月末を持って姿を消したイタリア・リラ。「♪ そんな時代があったねと...」という中島みゆきのデビュー作の一節が、過ぎ去った時代への感傷と共に蘇る庄イタなのです。

1000Lire_Montessori.jpg 当時のアルバムを紐解いて思い出したのが、ユーロ導入前最後の1,000リラ紙幣は、モンテッソーリ教育の創始者として後世に名を残したマリア・モンテッソーリ博士だったということ(上写真)

 蛇足ながら、庄イタ的に最も印象に残っているのが、ナポリ生まれの彫刻家であり建築家のジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(1598-1680)が描かれた最後の50,000リラ紙幣(下写真)。

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 バチカンのサン・ピエトロ寺院の大改修、ナヴォ―ナ広場の四大河の噴水、サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会前のオベリスクを背負う象の彫刻、テヴェレ川に架かるサン・タンジェロ橋の天使像、50,000リラ紙幣にも描かれていたバルベリーニ広場のトリトーネの噴水などの偉大な足跡を残した天才芸術家です。

 ローマ市街に残した数々のモニュメントや彫刻作品と同様、50,000リラ札のベルニーニの風貌もまた、極めてバロック的だと思えるのですが、いかがでしょうか。

 教皇ウルバヌス8世の意向を受け、ローマを華麗な劇場都市へと変貌させた造形の天才ベルニーニが残した舞台装置ともいうべき作例のごく一部を最後にご紹介しておきます。

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【Photo】サン・ピエトロ大聖堂は全ての教会の母にあたるゆえ、両腕を広げて全てを受け入れる姿を表現したというサン・ピエトロ広場で140体の聖人像が参詣者を迎える二重構造の円形列柱や、この聖堂内の巨大な祭壇天蓋など、内外装の多くはベルニーニの設計による(上写真)

Ponte_Sant_Angelo_superscription.jpg Ponte_Sant_Angelo_crown_thorns.jpg

【Photo】ローマ教皇グレゴリウス1世は、590年に教皇の要塞上空に出現した天使から当時ローマで猛威をふるっていたペスト禍の終焉を告げられた。その故事から「Castel Sant'Angelo サン・タンジェロ城」と呼ばれるようになった。もともと自身の霊廟としてこの要塞建設を命じたハドリアヌス帝が、西暦138年に架けた橋には、ベルニーニ作の2体(上写真)を含め、弟子が制作した天使像が並ぶ。スペイン広場に近い「Basilica di Sant'Andrea delle Fratte サンタンドレア・デル・フラッテ教会」に原作が移されたため、レプリカが設置されている 

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【Photo】壁面に新たな窓を穿(うが)つことでドラマチックな陰影効果が得られた「Chiesa di San Francesco a Ripa サン・フランチェスコ・ア・リーパ教会」アルベルトーニ礼拝堂の「福者ルドヴィカ・アルベルトーニ」(上写真)。死の淵で神と邂逅し、恍惚とした表情を浮かべながら天に召される劇的な瞬間を表現している

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【Photo】4頭のイルカが支えるのが、女性の多産や聖ヤコブを象徴するホタテガイ。その貝殻の上にはヴィーナスではなく、半人半魚の海神トリトンが吹き鳴らすホラ貝から水が噴き出すという奇想天外な「トリトーネの噴水」。同じくベルニーニ作の「蜂の噴水」とバルベリーニ広場ですぐ隣り合う。(上写真)

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【Photo】ひとつの白大理石から人の手だけで造形したとは到底思えない超絶技巧を若くしてベルニーニが確立していたことを示して余りあるベルニーニ芸術の真骨頂。ダフネに恋をしたアポロから逃れようと、ダフネが月桂樹に姿を変えるというギリシャ神話が題材となった「アポロンとダフネ(上写真)は「プロセルピナの略奪」と並び称されるボルゲーゼ美術館所蔵の傑作

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【Photo】古代ギリシャ・ヘレニズム時代に製作されたヘルマプロディートス像が横たわるドレープが美しい褥(しとね)部分をベルニーニが制作したボルゲーゼ美術館所蔵「ボルゲーゼのヘルマプロディートス」(上写真)。15歳で泉に棲む妖精サルマキスに無理やり童貞を奪われた上、神によって官能的な両性具有とされた。眠れるヘルマプロディートスを題材とするベルニーニが携わった同様の作例は、ルーブル美術館国立ローマ博物館などにもみられる

 ドラマチックな肉体の動きと肌の質感を大理石で見事に表現したベルニーニの彫刻作品は、時に石造りであること忘れさせてしまうほど。動きを封じる魔法をベルニーニによってかけられたかのような白亜の石像に、ファリエロ・サルティのストールを纏(まと)わせても、恐らくは全く違和感を感じさせないはずです。


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2015/09/13

Italian Film Noir di Persol

フィルム・ノワールの世界へと誘うサングラス


 男性は無論のこと、紫外線対策に余念がない女性でも、つい見落としがちなのが瞳へのダメージではないでしょうか。紫外線によって水晶体に濁りが生じ、視力を失う恐れがある白内障は、40代から発症するケースもあるといいますから、気を抜けません。

 瞳孔の周辺を縁取る虹彩(こうさい)は、その模様と色あいは人によって異なり、二つとして同じパターンは存在しません。なかには左右で瞳の色が異なるオッドアイ(虹彩異色)の持ち主であるデヴィッド・ボウイや奥菜恵さんのような珍しい事例も。

odd-occhio-gatto.jpg【Photo】一般に「金目銀目」とも呼ばれる左右で瞳の色が異なる先天性オッドアイ(虹彩異色)のネコちゃん。飼い主がカラーコンタクトのマニアにはあらず

 濃褐色の瞳の持ち主が多いアジア系やアフリカ系、そしてシチリア人は、眩しさや紫外線に対する耐性が、淡い色より強い傾向にあります。一方で北イタリアに見られる淡褐色やグリーン系、そして北欧に多い碧眼は、生まれつき眩しさを感じやすいといいます。  

 8月上旬までは、ジリジリとした太陽の季節だった今年の夏。自転車や車で外出する際に大活躍したのが、ハンドメードによる質感の高さで知られるイタリアン・ハイエンドアイウエア・ブランド「Persol ペルソール」のサングラスです。

Persol_PO0714.jpg【Photo】スティーブ・マックイーンが着用した折り畳み式サングラスを忠実に再現したPersol の限定モデル「714SM」(Color:Light Havana

 カメラマンをしていたオダルド(1886-1942)とジュゼッペ(1890-1965)のラッティ兄弟が、北イタリア・ピエモンテ州トリノのカステッロ広場から延びるローマ通りの一角で1875年から営業していたOttica Berry (ベリー眼鏡店)を買収したのが1910年。

Protector-Persol.jpg【Photo】複葉機が空の主役だった時代に登場した風圧に耐えるよう伸縮バンドで固定し、スモークガラスを装着したラッティ眼鏡店のゴーグル「Protector(左写真)

 写真家としてのラッティ兄弟が、おもに第一次大戦中に撮影した写真は、トリノのランドマーク「Mole Antonelliana モーレ・アントネリアーナ」内の国立映画博物館のアーカイブに収蔵されています。

 ジュゼッペが第一次世界大戦のさなか撮影に訪れたトリノ空港で、パイロット達から操縦中に眩しさを感じるという話を耳にします。ジュゼッペが光学に対する知識を生かし、自ら開発した飛行用の防眩ゴーグルを発売したのが1917年。

 1903年にライト兄弟が人類初の有人動力飛行に成功して以降、飛行技術の進歩は急速に進みます。14の国際特許を取得したProtector は、1924年にイタリア空軍に、3年後にはスイス空軍に、のちにアメリカ空軍にも採用されます。そのシンボルマークは、幸運をもたらす鳥とされるLa Cicogna(=コウノトリ)でした。

1000-Miglia-1930-Alfa.jpg【Photo】1930年のミッレ・ミリアで優勝したAlfa Romeo 6C 1750GS Spyder Zagato。土埃が舞うダートを猛スピードで疾走するドライバーにとって、ゴーグルは必需品だった

 ラッティのゴーグルは、モータースポーツの分野でも活躍します。時まさに1927年に始まったカーレース「Mille Miglia ミッレ・ミリア」の草創期。ブレシア-ローマ間およそ1,000マイルを2日間で往復するこの伝説の自動車レースは、初回こそOfficine Meccaniche が上位を独占しますが、2年目以降は1500cc6気筒エンジンで最高時速140kmに達した6C や、世界初のアルミ製8気筒エンジン8C で参戦したAlfa Romeo が、第二次世界大戦による中断を挟んで以降はFerrari が輝かしい戦績を残します。

Persol-logo.jpg 1938年に立ち上げた独自ブランド「Persol ペルソール」は、イタリア語で〝Per il Sole〟(英語〝For the Sun〟)に由来するもの。その名が示す通り、Persol を語るとき、防眩のためのサングラスは欠かせない存在なのです。

【Photo】Persol のロゴ(右)は、その原点であるProtector のロゴ(上写真)を踏襲している

Quality-Technology-Persol.jpg 顔の形状に合わせてテンプル(フレームで耳に掛ける部分)の角度が変化し、側頭部への圧迫を軽減するパーツを左右2カ所ずつ組み込んだ特許技術「Meflecto」のほか、厳選した純度の高い石英を用いた強化クリスタルガラスや、4層構造のイエロー・ブラウンと称されるUVカットガラスを1920年代に世界で初めて開発。

【Photo & Movie】ステンレス製の芯に円柱状シリンダーを左右のテンプル2カ所ずつ組み込み、可動性を確保したPersol 独自の機能〝Meflecto〟が、かけ心地の良さを約束する



 こうした優れた技術が認められ、アメリカ空軍、NASA アメリカ航空宇宙局、ヒマラヤに挑む登山家、パリ・ダカールラリーなど、過酷な使用環境のもとで確かな実績を今日まで積み上げてきました。

Lenses-Persol.jpg【Photo】Persol が誇る高純度シリカを使用した強化ガラスレンズ。目に有害な紫外線をシャットアウトする効果が特に高いのが、そのイメージカラーとも言えるイエローブラウンと呼ばれる茶系

 サングラスのレンズにプラスチックではなく、表面にキズがつかない強化ガラスを使っているのは、Persol 以外にはRey-Ban だけ。流行のサイクルごと毎年のようにサングラスを買い替えるファッショニスタは別として、オーセンティックなスタイルを長く愛用したい向きには嬉しい仕様です。 

freccia-persol.jpg【Photo】左右一対の腎臓をモチーフにしたBMW のキドニーグリルと同様、Persol のアイコンとなるのが、古代ローマ兵が使った剣からインスピレーションを得たヒンジのデザイン

 古代ローマ兵が使用した短剣「グラディウス」をかたどった「Freccia(=「矢」を意味する伊語)」と呼ばれる特徴的なヒンジ(蝶番)の形状には、30種以上のバリエーションが生み出されました。これがデザイン上でのPersol のアイデンティティを担っています。

mastroyanni-persol.jpg 1961年公開の映画「Divorzio all'italiana(邦題:イタリア式離婚協奏曲)」でマルチェロ・マストロヤンニが着用したモデルが「649(上写真)。スティーブ・マックイーンが「The Thomas Crown Affair(邦題:華麗なる賭け)」で着用した折り畳み式モデルは「714」。007シリーズ、ミッション・インポッシブル、ターミネーター2 など数多くの映画にPersol は登場します。

 昨年、ジョージ・クルーニーが挙式のため訪れたヴェネツィアでは「3074S」を着用。アレッサンドロ・デル・ピエロやフィリッポ・インザーギ、ジュリア・ロバーツ、トム・クルーズなど世界のセレブに愛されるハイエンド・アイウェアとしての高い評価と揺るがぬ名声を得ています。

persol_a_mano.jpg【Photo】たゆまぬ技術革新とイタリア伝統の手技とが融合するPersol 。直接身につけるアイテムだけに、その使い勝手の良さや質感の高さを実感すると、もはや手放せなくなる

 1995年4月、Persol は世界シェアの8割を占める眼鏡メーカー「Luxottica ルックスオッティカ」グループの傘下となります。ミラノを拠点とするLuxotticaは、Rey-BanOakleyVogue などの商標権を有し、BVLGARI, PRADA, ARMANI, CHANEL といったスーパーブランドからライセンス生産を委託されています。

【Movie】Persol のブランドイメージを築いた名作モデル「714」復刻版の製造工程。手作業による組み立てと丹念な仕上げの一端を紹介する3分の動画

 綿花とパルプを材料とするアセテート繊維から作られるセルロイドフレームは、体温に近い触感で肌触りの優しいアレルギーフリーな素材です。手仕事で磨きあげられるフレームや蝶番の滑らかな艶と触感の良さはフルハンドメードならでは。先進技術を取り入れながら、時にクラシックな雰囲気も漂わせる質感の高い仕上がりは定評あるところです。

1-Vintage-Persol-Bahia.jpg【Photo】Persol Luxotticaの傘下となった翌月の1995年5月、庄イタが水の都ヴェネツィアで購入した〝Persol Ratti 〟の刻印入りBahia バイーア

 庄イタとPersol との出合いは、レンズとフレームからなる現在の眼鏡が13世紀に発明されたヴェネツィアで1995年に買い求めたゴールドフレームの「Bahia バイーア」でした。Persol が現在の名声を築く礎となった軽量の複層ガラスレンズが、ボートやゴンドラで水の都を移動する際、水面に乱反射する5月のまばゆい陽光を和らげてくれました。

bahia-persol&PO7034.jpg【Photo】Persol を代表するレンズカラーといえばイエローブラウンと称される茶系。弾力性のあるテンプルが顔にフィットするBahia バイーア(上左手前)の後継として選んだのがFilm Noir Edition フィルム・ノワール・エディションの3074S(上右奥・下写真)

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 ヴィンテージ市場で現在も熱烈な崇拝者がいる創業の地トリノで作られていた証である〝Persol Ratti〟の刻印が入ったBahia を随分と愛用しましたが、昨年登場したモデル「Film Noir Edition フィルム・ノワール・エディション」がお気に入りに加わりました。

persol-filmnoir3.jpg【Photo】Film Noir Edition のデザイン上での最大の特徴は、Persol のアイデンティティとなる蝶番の形状が、Persol Ratti の時代に存在した「Phoenix フェニックス」(下写真)をリバイバルで取り入れている点

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 Film Noir は、ハンフリー・ボガート主演「The Maltese Falcon(邦題:マルタの鷹)」など1940年代から1950年代にかけてのハリウッド製モノクロ犯罪映画の総称。光と影の陰影を誇張した映像、身の破滅を招くファム・ファタール(=運命の女)の存在、虚無的な雰囲気といった共通点が挙げられます。

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 庄イタ的にフィルム・ノワールといえば、いささか時代がかったハリウッド映画ではなく、フレンチ・フィルム・ノワールの代表格ジャン・ピエール・メルヴィル監督作品。なかでも1967年制作の仏伊合作による映画ながら、今なおいぶし銀の輝きが色褪せぬ「Le Samouraï サムライ」を挙げずにはおけません。その全編を覆い尽くすトーンは、ひんやりとした金属的な青みがかったダークグレー。

 パリの殺風景なアパルトマンの一室で、籠飼いする一羽の小鳥と暮らす殺し屋ジェフ・コステロ。Borsalino ボルサリーノと思しきソフト帽、Aquascutum アクアスキュータムのダブルトレンチコートがよく似合う殺しのプロを演じた当時32歳のアラン・ドロンにとっても、よほどお気に入りの役だったのか、香水など自身のブランドをSamouraï と名付けています。

【Movie】ハリウッド製フィルム・ノワールにありがちなB級映画の雰囲気を醸し出しているのはご愛嬌。まぎれもなく仕上がりはS級なFilm Noir Edition のイメージムービー

 2013年にモスクワで開催されたG20(20カ国・地域財務相・中央銀行総裁会議)に参加した麻生太郎 副総理・財務大臣の服装をご記憶でしょうか。斜めに被ったボルサリーノであろう黒のソフト帽に白いロングマフラーをあしらったファー襟の黒いコート姿は強烈でした。

 〝外遊〟気分だったためか、いささか気合いが入りすぎた感が否めず、「マフィアもどき」とまで一部でいわれた麻生氏のファッションを、ウォールストリート・ジャーナルは、〝Gangster-style(ギャングスター・スタイル)〟と報じました^ ^;)。

 かたや時計は黒革のBaume & Mercier ボーム&メルシエ、目深に被ったボルサリーノ、律儀にボタンとベルトをキリリと締め、襟を立てたベージュのトレンチや、フォーマルなチェスターフィールドコートに身を包んだ殺し屋ジェフのほうが、はるかに端正で趣味が良い着こなしだと庄イタも思います。

samourai-metro.jpg【Photo】依頼主の裏切りで銃で右腕を狙撃されたトレンチコートに代わってLe Samouraï 後半で、ジェフはシックな黒のチェスターフィールドを着用

 極端にセリフが少なく、感情を表に出さないジェフ。ジタンの紫煙をくゆらす寡黙な殺し屋の人物像を語る時、いつもどこか遠くを見ているようで、凍りつくようなジェフの目は口ほどに物を言います。ましてそこは低い雲が垂れこめ、雨がそぼ降るパリが舞台。Le Samouraï では、サングラスは一切登場しません。

 殺しに赴く折には、必ず路上駐車中のCitroën DS21を狙います。おもむろに合鍵100本ほどの束を懐から取り出し、慌てず騒がず1本ずつシリンダーに差し込んでゆくシーンが非常に印象に残ります。馴染みのオヤジが闇で営むガレージに車を持ち込み、偽造ナンバープレートに付け替え、そこで拳銃も調達。

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 とはいえジェフは無法の限りを尽くす極悪非道の輩ではなく、まして生活が破綻している訳でもありません。サムライさながらの禁欲的な行動規範を貫く姿が描かれます。たとえば、信号待ちでシトロエンの隣に並んだファセル・ヴェガ・カブリオレのキュートな女性が運転席から送る視線に気づいていながら、そ知らぬ顔で車を発進(上写真)。(⇒女性へのサービス心旺盛なイタリア男なら絶対にありえない!!

 ナイトクラブの経営者マルテを殺害し、現場から立ち去るところに偶然通りかかったピアニスト・ヴァレリー(カティ・ロジェ)に顔を見られてしまうジェフ(下写真)。〝コート姿の若い男〟という従業員らの目撃証言をもとに警察が拘束した容疑者の面通しで、ピアニストはジェフを犯人ではないと証言します。

le-samourai-valerie.jpg 愛人のジャーヌ(ナタリー・ドロン)にジェフが依頼したアリバイ工作の証言に疑いを抱く刑事。容疑を捨てきれない警察がジェフを徹底して監視する中、前金で新たな殺しを依頼されたジェフは、再び単身ナイトクラブに赴く。

 ステージに歩み寄り、演奏中のヴァレリーを無言でじっと見つめるジェフ。しばしの間を置いて右ポケットから6連式のリボルバーを取り出し、銃口を向ける。
 「Pourquoi, Jef ? (=どうして、ジェフ ? )」
事態を飲み込めず、少し困惑したような表情を浮かべるヴァレリー。
 「On m'a payé pour ça. (=仕事なんだ。)」
4発の銃声が鳴り響き、そして待ち受ける予想だにしない結末...。

valerie.jpg

 生き方を全うせんがため、隠忍の恋に殉じたジェフにとって、ヴァレリーはまさにファム・ファタールにほかなりません。銃を構えるジェフを見つめるヴァレリーの表情(上写真)に、庄イタまでが胸をズッキューンと撃ち抜かれてしまうのです。

 残念ながら日本ではDVDが絶版となっており、アラン・ドロンの最高傑作との評価すらあるこの作品を容易に観ることはできません。YoutubeLe Samouraï と検索すると、ヒットします。雨降る秋の夜長はフレンチ・フィルム・ノワールの巨匠が遺したブルーグレーな武士道の美学に浸ってみてはいかが?

persol-filmnoir2.jpg【Photo】不死鳥が羽ばたくFilm Noir Edition 。そのイメージカラーともいえるブラックフレームのDETECTIV 3074S も捨てがたい。迷った挙句、最後に選んだのはソフトな印象を与えるHAVANAカラー

 PersolFilm Noir Edition のサングラスでは「GANGSTER ギャングスター」と「DETECTIV ディテクティブ(=探偵)」の2つのラインからレンズとフレームの色を選択できます。メガネ用のフレームは「Femme fatale ファム・ファタール」と「Reporter レポーター(=事件記者)」という映画の配役さながらのネーミング。

film-noir-edition.jpg

 庄イタが選んだのは、ハードボイルドな印象のブラックフレームではなく、HAVANAと呼ばれるハバナ・ブラウン。Film Noir Editionと記されたスクエアなウェリントン型セルフレームに、自然な色再現が期待できる茶系のレンズを組み合わせたDETECTIVモデル「3074S(下写真)

detectiv3074S.jpg 購入後に気づいたのですが、これはジョージ・クルーニー @ Veneziaと全くのお揃いだったよう。そんなオチはさておき、太陽光の乱反射を軽減するPersol 独自の偏光レンズPolar を通して見る影射す光景は、フィルム・ノワールの世界そのものなのかもしれません。


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2015/09/05

SPAM, SPAM, SPAM・・・

コメント機能閉鎖のお知らせ


 〝Viaggio al Mondo~あるもん探しの旅~〟をいつもご愛読いただきありがとうございます。

 昨年の夏以降、ロボットプログラムによる大量のスパムコメントの攻撃にさらされる事が増えました。(/;°ロ°)/

 そこで思ったのが、「うーむ。これはきっと米国製ランチョンミートの缶詰『SPAM®』の祟りに違いない。」

spams.jpg【Photo】アメリカン・ポップアートの雄、アンディ・ウォーホル風の画像処理を加えた「SPAM®」。スパムコメントに関する本文と画像は一切関係ありません

 東日本大震災の発生直後、物流が寸断した被災地仙台では、あらゆる食料が、またたく間に店頭から姿を消しました。そんな状況下にあって全国からお送り頂いた支援物資に含まれていたのが、SPAM®。スライスして加熱したSPAM®を載せたご飯が、職場で兵糧として配給されたことがありました。

 どうもアメリカの食文化には馴染めない庄イタ。その存在は知っていましたが、食べるのは初めて。人工的な脂っぽさが残るSPAM®が全く口にあわず、空腹でも食べるのに難儀しました。それがトラウマとなり、SPAM®からは遠ざかっていたのです。

 何かを避ければ避けるほど、それに追いかけられることってありませんか?

 冗談はさておき、対抗手段として用いられる画像認証をかいくぐるスパムコメントや、無作為にスパムメールを第三者に送信する性質の悪いケースもあるとのこと。

spam.jpg【Photo】我が家でデッドストックと化している一缶。第二次世界大戦中、英国では前線の兵士だけでなく一般家庭にも広く配給されたのが、米国で大量生産されたコレ。繰り返しでうんざりする食傷モノの例えとしてBBCのコメディ「空飛ぶモンティ・パイソン」で1970年12月に放送されたSPAM®の連呼が、メールやコメントにおける迷惑極まりない「スパム」の語源となったというのが定説。繰り返しでくどいようですが(笑)、本文と画像は一切関係ありません

 頻繁に書き込まれるスパムコメントを、その都度削除するのも対応には限界があります。現状では攻撃側と防御側のいたちごっこが続いているようです。

 社のデジタル担当部署からは、プラットフォームの変更を含むスパム対策を講じるよう、助言を受けました。

 そこでやむなく、このほどコメント機能を無効とすることとしました。

 Viaggio al Mondoでは、記述内容に誤りがないよう、慎重を期しているつもりです。それでもうっかりミスをコメントでご指摘頂いたことも過去にはあります。双方向の機能を捨てることは本意ではありませんが、ここは致し方ないと判断しました。

 やむなく閉鎖したコメント機能とともに、残念ながら過去にお寄せいただいたコメントの数々や、最近では活用されることが少なくなったトラックバック機能も同時消滅。相変わらず更新の頻度はなかなか上がりませんが、これからもViaggio al Mondo~あるもん探しの旅~をよろしくお願いします。


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