あるもの探しの旅

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Principe di Salina サリーナ公爵

山猫の世界を体感するピュアカシミアコート


 路面に積雪や凍結がなく、雨が降らない限りは、真冬でも自転車を仕事中の移動や通勤の手段としている庄イタ。暖冬予想が出ている今年。現在のところは、あまり出番がないイタリア製のピュアカシミアコートについて今回は語ります。

 4.5万人の住民の多くが繊維産業に従事するBiella ビエッラなど、ピエモンテ州北西部のヴァッレ・ダオスタ州にほど近い風光明媚な地域は、羊毛を服地に洗浄加工する際に欠かせないアルプスの良質な伏流水が豊富。そのため高級服地ブランドの生産拠点が集中することで知られます。

【Movie】イタリア繊維産業の心臓部がピエモンテ州ビエッラ県。自然豊かな環境に恵まれた町Pollone ポッローネにある「Fratelli Piacenza S.P.A.」本社工場では、膨大な生地見本のストックを抱える

 アルプスの山懐に抱かれたコムーネのひとつ、Pollone ポッローネで、ピエトロとジョヴァンニのフランチェスコ親子が毛織物工場を創業したのが1733年。

 1799年にはトリノで服地店を開店。1814年にはLanificio Fratelli Piacenza と改称。産業革命が起きた19世紀に編み出された最先端の紡績技術をいち早く取り入れた進取の気性は、創業から250年の伝統を積み重ねた今日もFratelli Piacenza S.P.A. の企業精神として受け継がれています。

【Movie】ゴビ砂漠北方の外モンゴル地域産カシミア山羊の胸の部分から刈った柔らかな産毛を厳選。手間を惜しまぬ伝統技法を受け継ぐ「Fratelli Piacenza S.P.A. 」の珠玉のカシミア生地は、触れた途端に魅了されるような繊維の宝石と呼ぶにふさわしい心地良い質感を有する

 Piacenza ブランドが、1990年から特に注力しているのが高級カシミア生地です。普及品で用いる金属針ではなく、伝統的なCardo dei lanaioli (オニナベナ)の実を人の手で組み込んだローラーで生地の表面を梳(す)くことで生まれるのが、逸品の証となるシルクのような光沢と独特の文様。その手触りは特有のヌメリ感があり、肌を包み込むような柔らかさがあります。

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 鈎状の突起が密集するオニナベナで起毛加工を施した上質なピュアカシミアは、妖艶なまでの輝きを放ち、しなやかで保温性と吸湿性に優れ、着心地はあくまでも軽やか。天女が羽織る羽衣は、きっとこんな着心地なのでしょう。

 希少性の高い美しい光沢を放つPiacenza のピュアカシミアに魅了され、一生ものとして濃紺のロングコートと淡い茄子紺のハーフコートの2着を愛用しています。着用後のブラッシングを怠らなければ、高い質感が損なわれることはありません。

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 今回、取り上げるロングコート(上写真)は、東京支社勤務時代に銀座・並木通りのセレクトショップ「サンモトヤマ」のメンバーセール「サンフェア」で購入した「Principe di Salina プリンチペ・ディ・サリーナ」のブランドタグが付いた一着。

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 その名を聞いてピンと来る方は、筋金入りのイタリア映画通とお見受けします。1963年に劇場公開された巨匠ルキーノ・ヴィスコンティ(1906-1976)の映画「Il Gattopardo (邦題「山猫」)」の主人公、Don Fabrizio Corbera , Principe di Salina (ドン・ファブリツィオ・コルベーラ,サリーナ公爵)を連想させるからです。

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【Photo】当初はマーロン・ブランドを主役として想定していたというサリーナ公爵。ハリウッド製フィルムノワールや西部劇への出演が多かったバート・ランカスターは、時代の荒波にのみ込まれてゆく威厳と憂いを湛えたシチリア貴族を演じ、新境地を開いた

 Il Gattopardo は、祖国統一運動でイタリアが混乱のさなかにあった1860年の物語。5月にガリバルディ率いる赤シャツ隊が上陸したシチリア島が舞台となります。18世紀からシチリアを支配していたスペイン・ブルボン王朝のもとでは、不在地主として体制側に属したサリーナ公爵家。山猫を紋章とする名門シチリア貴族の目線を通して、民衆が台頭する歴史の転換点の中で、滅びゆく貴族階級の姿が描き出されます。

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 ヴィスコンティが遺した17本の監督作品のうち12作の脚本を担当したスーゾ・チェッキ・ダミーコ(1914-2010)によれば、サリーナ公爵は、貴族社会で育ったヴィスコンティ自身を投影した役柄だったといいます。公爵を演じたのは、米国ニューヨーク出身ながら見事なまでにシチリア貴族を演じきったバート・ランカスター(1913-1994)

 サリーナ公爵家の当主たるバート・ランカスターは、185cmの身長以上に大きく感じる存在感を示しています。威厳に満ちた立ち振る舞い。伝統ある名門貴族の領袖たる気品。その一方で、抗いがたい時代のうねりに飲み込まれ、世代交代を迫られる者の諦念。やがて迫りくる死への怖れ...。

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【Photo】サリーナ公爵にとっては華やかな舞踏会に身の置き場がなかった。疲れを覚えた公爵は裏部屋へと逃れる。死の床にある老人を描いたグルーズの絵画「義人の死」を前に物思いに耽るサリーナ公爵。胸に去来するのは自らに迫りくる滅びの予感

libro_il-gattopardo_iwanami.jpg 人生経験を積み、酸いも甘いも知り尽くす年齢に差し掛かる50歳を目前にしていたバート・ランカスターの好演と、それを引き出した監督の眼力と手腕は、さすがというべきでしょう。

 原作は同じシチリア出身の貴族ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサ(1896-1957)の同名小説。ミラノを拠点とする貴族出身だったヴィスコンティが1963年に映画化した山猫は、同年のカンヌ国際映画祭で、最高賞のパルム・ドールに輝きました。

【Photo】 フランス語版を元に日本語訳した河出文庫版の山猫(2004年刊)に続き、2008年には待望のイタリア語の原作から翻訳された岩波文庫版(右写真)が刊行された

il-Gatopardo-walz.jpg 数え切れぬほどのロウソクが灯る大きなシャンデリアのもと、着飾った実際のシチリア貴族80名を含むエキストラ240名と出演者が優雅に舞い踊る絢爛豪華な舞踏会シーン(上写真)は圧巻の一言!!

 サリーナ公爵が目をかけている甥タンクレディ(アラン・ドロン)の婚約者アンジェリカ(クラウディア・カルディナーレ)から、是非にとせがまれてワルツの相手をする侯爵。衆目を集める2人にジェラシーを感じつつ見つめるタンクレディならずとも、庄イタから見ても堂々とした公爵のエスコートぶりには惚れ惚れするほど。

gattopardo-walz3.jpg 名家の誇りを表現するのに欠かせない舞台装置のひとつが、丹念に作り込まれた衣装です。1951年公開の「ベリッシマ」以降、ヴィスコンティが手掛けた舞台や映画で、衣装デザインを担当したのが、1927年フィレンツェ生まれのピエロ・トージ氏。

 その証言によれば、ヴィスコンティは、幼少期から慣れ親しんだ貴族文化と時代考証をもとに、登場人物の衣装や帽子の微妙な色合いやデザインに関して事細かに指示を出したといいます。ハイレベルな監督の要求に応えるべく、舞踏会シーンのヘアメイク・裁縫師は総勢120名にも及びました。

 完全主義者として知られたヴィスコンティは、舞踏会の撮影だけで36日を費やしました。未明まで舞踏会が行われた広間の床には、ドレスから抜け落ちた鳥の羽根が舞います。幼少期の体験に基づくこうしたディテール描写には、ファシズムの反動から生まれたネオレアリズモ運動の旗手として〝赤い貴族〟と呼ばれた第二次大戦終結後間もない初期の作品にみられた徹底したリアリズムを見ることができます。

 オープニングから全編を通して一幅の絵画のようなシーンが連続する山猫。VFX (特殊視覚効果)を多用する今日では、もはや再現不可能といわれるこの作品の日本における劇場初公開は1964年のこと。

dvd_il-gattopardo.jpg 当初は作品の価値を理解できない文化レベルのハリウッドが、この映画を語る時に欠かせない舞踏会の場面を25分もカットした英語版でした。現在は、舞踏会の場面が全編のおよそ1/3を占める186分に及ぶイタリア語完全版DVD(左写真)が紀伊國屋書店から発売されています。

 冒頭に登場するサリーナ公爵邸は、パレルモ郊外に1768年に建てられた「Villa Boscogrande ヴィッラ・ボスコグランデ」。クライマックスの舞踏会が催されたドン・ディエゴ ポンテレオーネ公爵邸は、パレルモ市内に現存する「Palazzo Valguarnera-Gangi ガンジ宮」。そこに登場するシチリア貴族の衣装を観賞するだけでも見応え十分。

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 山猫は、「揺れる大地」(1948)や「若者のすべて」(1960)などの社会的弱者を取り上げた初期の作品から、「ベニスに死す」(1971)、「ルートヴィヒ」(1972)、「家族の肖像」(1974)、遺作「イノセント」(1976)など、晩年においては〝滅びの美学〟を追求してゆくヴィスコンティの転機となった作品です。

 日本においても、戊辰戦争と西南戦争を経て武家社会が終焉し、明治維新を迎えて近世から近代への一大転換点となったのが1860年代。その時代に第4代バイエルン国王となり、作曲家ワーグナーと築城に莫大な国庫を費やした挙句、精神を病んでいるとして王位を剥奪、40歳で謎の死を遂げたルートヴィヒ2世。

 映画「ルートヴィヒ」について〝私は敗北を語り、孤独な魂、現実に押しつぶされた運命を描くことが好きだ〟とヴィスコンティは語っています。〝偉大なる敗北者〟という、巨匠が後半生を通して追求したテーマは、山猫にその萌芽をみることができるのです。

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【Photo】夜の帳が明けきらぬ日の出前。白み始めた東の地平線からは太陽に先駆けて金星が昇ってくる。夜の名残りともいうべき明けの明星の美しさは古来より人の心をとらえ、ラテン語で金星を指すVenus は女性美や愛の象徴とされた

 明け方に舞踏会が終わり、馬車に乗ってサリーナ邸へと戻る家族と離れ、ひとり歩いて帰ると告げるサリーナ公爵。東の空が白み始めても消え残る金星に、公爵はこう語りかけます。

  おお星よ 変わらざる星よ
  儚きうつし世を遠く離れ 
  汝の永遠の時間に我を迎えるのはいつの日か

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 ラストシーンは遠くに聞こえる晩鐘が響く路地裏へ消えてゆくコート姿のサリーナ公爵。その後ろ姿には、時代の表舞台から去りゆく者の哀愁と、ひとつの時代の終焉とが重なって見えてきます。

 言葉巧みなイタリア人とて、大人の男は背中で語るのですよ。

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