あるもの探しの旅

« 光と闇。二つの肖像 〈前編〉 | メイン | フェロモンメロン »

光と闇。二つの肖像 〈後編〉

二つのバッカス。そしてダヴィデとゴリアテ


 かの万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)と同様に、出身地の名で広く知られるミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(1571-1610)が本格的に創作を行ったのは、15年にも満たない歳月に過ぎません。

 存命中から1620年代にかけて登場した「カラヴァジェスキ」と呼ばれる多くの追従者を輩出するものの、没後は人々の記憶から急速に忘れ去られました。

Ottavio_Leoni,_Caravaggio.jpg【Photo】「ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョの肖像(部分)」(1621 フィレンツェ:マルチェリアーナ図書館蔵)ローマ出身の肖像画家オッタヴィオ・レオーニ(1578-1630)は、カラヴァッジョとは7歳差。両者はともにマーダマ邸に住まうフランチェスコ・マリア・デル・モンテ枢機卿の庇護下にあり、面識があった

 ごく一部の知識人を除けば、忘却の彼方に埋没していた画家に対する再評価がなされたのは20世紀半ば。バロックへの扉を開いた巨匠として復活を果たすまで、実に300年以上を要しました。

 謎多き生涯と作品についての新たな発見は、現在も続いています。

 2014年4月、フランス南西部トゥルーズで、民家の雨漏り補修のため、住民が鍵をこじ開けた屋根裏部屋に放置された1枚の油絵を見つけます。鑑定の結果、それがカラヴァッジョがローマで精力的に創作を行っていた1604~05年に描かれた真筆であるとセンセーショナルな発表がなされたのが今年4月。

 この鑑定が正しければ、1億2千万ユーロ(約150億)と評価された「ホロフェルネスの首を切るユディット」が、恐らくはナポレオンの配下によってイタリアから略奪された後、150年以上も人知れず屋根裏部屋で眠っていたのです。これぞ〝棚カラぼた餅、屋根裏カラヴァッジョ。〟(蛇足ながら、150億円を支払う財力が庄イタにあったとしても、発見された絵を部屋に飾ろうとは思いません)

bacchino-matrato.jpgBacchino malato 病めるバッカス(バッカスとしての自画像)(1593~1594 頃 ローマ:ボルゲーゼ美術館蔵)】鏡の前で酒神に扮してポーズをとる画家自身を描いたこの作品と対峙する時、バッカスが視線を向ける鑑賞者の位置にいた画家本人が仕掛けたアイロニカルな罠に慄然とする。皮肉にも酒乱だったミケランジェロ・メリージが引き起こした幾多の警察沙汰は、少なからず酒の勢いだったという。同時代を生きた伝記作家の証言や犯罪記録をまとめた「カラヴァッジョ伝記集」〈右下〉(石鍋真澄編・訳 / 平凡社ライブラリー2016.3刊)

 庄イタが信奉する酒神ディオニューソス(バッカス)を題材にカラヴァッジョが描いた二つの作品は、1917年から1940年代後半になって真筆として確認されています。

caravaggio_storia.jpg 寵愛を受けたクレメンス8世(1536-1605)からカヴァリエーレ・ダルピーノの名を拝命したローマ教皇庁ご用達の画家ジュゼッペ・チェーザリ〈左下〉(1568-1640)に師事していた1593年頃、ミケランジェロ・メリージは馬に蹴られて足に重傷を負います。

 モデルを雇う所持金がなかった画家自身を鏡像として描いたのが「病めるバッカスバッカスとしての自画像)」。困窮者に無償で医療行為を行うコンソラツィオーネ病院から退院した直後、青白い顔に笑みを浮かべる病み上がりの姿を投影したとされます。

 
Giuseppe_Cesari_Ottavio_Leoni.jpg 病的なバッカスが冠とするのはセオリー通りのブドウではなく、永遠性を示す常緑のセイヨウキヅタ。バッカスが手にする白ブドウは復活、黒ブドウはキリストの血と犠牲の象徴。解くことを促すかのように差し出された腰紐や、救済の果実モモは、一部の研究者が指摘する初期の作品における同性愛の傾向を読み解くことも無理ではなく、多様な解釈がなされてきました。

【Photo】ジュゼッペ・チェーザリ「カヴァリエーレ・ダルピーノの肖像(部分)」1621

 風変わりな酒神に自身を重ねたこの肖像は、師であるダルピーノの手元に当初ありました。粗末な藁の寝床しか与えず、静物画を主に描かせて厚遇したとはいえないダルピーノのもとをミケランジェロ・メリージが去った時、この油絵がダルピーノの工房に残されていたのでしょう。

Bernini_ScipioneBorghese-002.jpg

 現在は美術館としては最多の6点を所蔵するカラヴァッジョ作品ほか、ルネッサンス・バロック期の壮麗なコレクションを有するボルゲーゼ美術館の所蔵となっています。

 これはカラヴァッジョのみならず美術品の蒐集に情熱を傾けたシピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿〈右〉(1577-1633)が、1607年に銃の不法所持を理由に投獄したダルピーノから押収したもの。ボルゲーゼ家出身のローマ教皇パウルス5世(1552-1621)も、甥の強引なやり方を黙認しました。

【 Photo】プロテスタントに対抗するカトリックの威信を示すため、ローマ教皇庁は宗教的な題材の美術品や彫像を数多く発注した。大理石を自在に扱った造形の天才ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(1598-1680)作「シピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿の胸像」(部分・1632 ローマ:ボルゲーゼ美術館蔵 / 上画像)とディオニューソス的などんちゃん騒ぎで子どもに弄ばれる牧神ファウヌスの大理石像「バッカナールBacchanal: A Faun Teased by Children」(1616~1617 ニューヨーク:メトロポリタン美術館蔵 / 下画像)

baccanal-bernini.jpg

 枢機卿が美術品を収蔵するために造営したボルゲーゼ家の別荘は、1903年に国立ボルゲーゼ美術館として公開され今日に至ります。ローマ市民憩いの場となっている広大なボルゲーゼ公園ともども、シピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿は大いなる遺産を残してくれたのです。 

 ギリシャ神話に登場するブドウ酒と陶酔の神ディオニューソス(バッカス)。彫刻やモザイク画の題材ほか、古来多くの芸術家に創作の霊感を与えてきました。

Velazquez_Baco.jpgEl triunfo de Baco バッカスの勝利(1628~1629 マドリッド:プラド美術館蔵)】スペインバロックの黄金期を築いたディエゴ・ベラスケスが描いたバッカスを囲む酒宴。酒神の姿にはローマから欧州一円に広まったカラヴァッジョの影響が感じられる

 レオナルド・ダ・ヴィンチミケランジェロ・ブオナロッティ、バロック期のグイド・レーニ、ディエゴ・ベラスケス(上画像)、ピーター・パウル・ルーベンス、さらにはカラヴァッジョに扮したセルフポートレートを1990年に発表したシンディ・シャーマンに至るまで、芸術家がバッカスを題材とした例は枚挙に暇がありません。

nemorino.jpg

 5年前、イタリア在住のワインジャーナリスト中川原まゆみさんによる被災したイタリア料理店のための義援金の呼びかけに応じて下さった〈2011.6拙稿「Colletta per Giappone イタリアから届いた義援金)」参照〉トスカーナ州ピサ県ファウリアのカンティーナ「I Giusti & Zanza イ・ジュスティ・エ・ザンツァ」の「Nemorino ネモリーノ」のエチケッタ(上画像)を飾るのもバッカス。

 2作目となるバッカス(下画像)は、第3代トスカーナ大公フェルディナンド1世・デ・メディチに贈る目的で、ミケランジェロ・メリージのパトロンとなったフランチェスコ・マリア・デル・モンテ枢機卿がカラヴァッジョに描かせたもの。

caravaggio-baccos.jpgBacco バッカス(1596~1597 フィレンツェ:ウフィツィ美術館蔵)】酩酊しているのか、紅潮した顔で鑑賞者に気だるげな眼差しを向けつつ、ワインを注いだグラスを左手で差し出すバッカス。片肌を露わにして寝台に横たわりながら、右手は腰紐に手をかけており、なんとも官能的。熟れ切った果物は腐り始めており、透徹したリアリストぶりが発揮されている

 デル・モンテ枢機卿は、教皇庁内で対抗宗教改革を推し進めた親スペイン派に対し、近代化に寛容だった親フランス派に属する教養人でした。

 ユリウス2世(在位1503-1513)やレオ10世(同1513-1521)の庇護のもと、ラファエロ・サンティやミケランジェロ・ブオナローティがローマに遺した業績に接し、枢機卿から科学的知見に基づいた表現技法を授かった賜物として、ローマにおける画業初期に描かれた中性的な一連の半身像の完成形といえます。

Caravaggio_Bacco2.jpg

【 Photo】伝統的なヴェネツィアングラスのゴブレットにもみられる形状の酒杯に注がれたワインの表面には、波紋状にさざ波が立っており、グラスを差し出すバッカスの左腕の動きを表現している。グラスを持つ手の爪先には汚れが挟まっており、全能の神ゼウスの子であったバッカスの理想化を避け、あえて神性を奪おうという画家の意図が表れている

 1913年、美術研究家マッテオ・マランゴーニは、ウフィツィ美術館の倉庫で、額装すらされず埃にまみれた状態で捨て置かれたこの絵を見いだします。

Caravaggio-Bacco3.jpg カラヴァッジョ研究の第一人者ロべルト・ロンギによって真筆と確認され、修復を経てウフィツィで公開されたのが1922年。

 同じバッカスを主題としながら、自画像とされる1作目と、この2作目とでは、与える印象は随分と異なります。

 共通項は、デキャンターの液面に自身の顔を極めてさりげなく描き込む自我の強さを画家が持ち合わせている点でしょうか(左)

 感情の起伏が激しいメランコリー気質だった画家が、安定した環境で創作に向き合った作風の充実ぶりを示す作品「エジプトへの逃避途上の休息」を、ここで提示しておきましょう。

Caravaggio_Riposo d-fuga-Egitto.jpg

Riposo durante la fuga in Egitto エジプトへの逃避途上の休息(1596~1597 ローマ:ドーリア・パンフィーリ美術館蔵)】エジプトへと逃れる途上、疲れ果てて眠り込むの聖母子の前に現れた天使のため、聖処女マリアを称える雅歌の楽譜を掲げるヨセフ。平穏な安らぎに満ちた画風は、背景の風景描写と併せて異例だが、敬虔な祈りを込めた深い精神性を示す宗教画と同時に、斬首に代表される凄惨な場面も少なからず描いた画家の多面性を示す作品でもある

 1606年に犯した殺人による死刑宣告を受け、ローマ近郊からナポリ、マルタ島、シチリア、そしてかつて父が仕えたカラヴァッジョ侯の未亡人コスタンツァ・コロンナ・スフォルツァがナポリ・キアイア地区に所有する屋敷へと再び舞い戻る逃亡生活を送っていたカラヴァッジョ。

 1607年7月から翌年10月にかけてのマルタ滞在中、血の気が多いカラヴァッジョは、とある聖マルタ騎士に剣で怪我を負わせました。1609年10月24日、居酒屋「チェリーリオ」で騎士が復讐に差し向けた4人の暗殺者に襲撃されます。顔の傷は死亡説が流布されるほどで、翌春まで療養生活を余儀なくされます。

 現時点で明らかになっている資料に照らし合わせ、前回ご紹介した遺作とされる「聖ウルスラの殉教」(1610)の直前に描かれたと推定されるのが、こちらの「ゴリアテの首を持つダヴィデ」。

David_con_testa_Golia.jpg

David con la testa di Golia ゴリアテの首を持つダヴィデ(2010または2009~2010 ローマ:ボルゲーゼ美術館蔵)】旧約聖書サムエル記に登場する羊飼いの少年ダヴィデが、投石器で倒したペリシテの巨人兵ゴリアテの首を剣で刎ねた場面。殺人犯の汚名を晴らす恩赦への望みを抱きつつ、迫りくる暗殺者と死の恐怖に慄きながら描いた二重の自画像

 額の傷がチェリーリオでの襲撃事件を連想させる巨人の首。馘首(かくしゅ)されたゴリアテが、30代後半にさしかかった罪深き画家。勝ち誇るというよりは愁いを込めた表情で、落とした首を指し示すダヴィデが、若き日のミケランジェロ・メリージだと推測されます。

 1610年7月18日、画家はパウルス5世により恩赦が認められた朗報を知ることなく、トスカーナ南部の港町ポルト・エルコレで客死しました。享年38。

 ウフィツィで対面して以来の再会となった日本初公開「バッカス」を含む真筆11点と、影響を受けたカラヴァジェスキと呼ばれる画家の作品、そして興味深い〝アーティーチョーク事件〟の裁判記録などが国立西洋美術館で一堂に会した「カラヴァッジョ展」は、本日をもって会期を終了。

Caravaggio2016.3-6.jpg

 開催にあわせてミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョの光と闇に彩られた矛盾に満ちた生涯を2回にわたって追いかけてきました。

 日本では、まだ真価が理解されているとは言い難いカラヴァッジョ。Viaggio al Mondo 読者の皆さまにおかれましては、いつの日か謎多き画家の足跡を訪れ、逃れがたい魔力の実相を確かめてみられてはいかがでしょう。

baner_decobanner.gifブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

Luglio 2018
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

archive.gif

Copyright © KAHOKU SHIMPO PUBLISHING CO.