あるもの探しの旅

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土佐日記風 会津日記 【序章】 @ 摂津国

じもてぃもすなる あさらーといふものを
しょういたもしてみむとてするなり


 代々官職に就く朝廷に仕える下級貴族で、平安時代中期に藤原公任(ふじわら の きんとう)が、万葉の時代からの優れた歌人として挙げた三十六人撰(三十六歌仙)の一人としても名高い紀貫之(868 or 872~945)。

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【Photo】現存する最古の三十六歌仙を描いた絵図の部類となる「佐竹本三十六歌仙絵」下巻より紀貫之(国重要文化財・13世紀・耕三寺博物館蔵)。913年(延喜13)、律令制における正六位 大内記に叙せられた紀貫之。4年後には従五位下となり加賀国・美濃国などの次官にあたる介や大監物などを歴任。930年(延長8)に土佐守(高知の国司)となり、高知に赴任した

 土佐守として赴任した4年の任期を終えて934(承平4)に京都へと帰還する間の出来事を、58の短歌と共に日記風に綴ったのが、本邦初の紀行文とされる「土佐日記」です。

 やんごとなき身分の男性が、公式に使う文章は漢文が通例であったこの時代。公人としては異例の女性が使用するカナ文字を使い、虚構や諧謔的な表現を織り交ぜながら家人や従者と小舟に分乗しての55日間の出来事が語られます。

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【Photo】土佐の国府が置かれた現在の高知県南国市比江を出立した紀貫之ら一行。当時は大津と呼ばれた同県船戸から小舟に乗り京都へ向かった。船戸から南西12kmほどの距離にあり、古くは浦戸と呼ばれ、現在は坂本龍馬像が立つここ桂浜付近に立ち寄り、阿波・淡路・和泉と海路を進み、難波から淀川を遡上。山城国へと入り山崎からは陸路を進み、桂川を渡って二月十六日(太陽暦で3月28日)に我が家に着くまで55日を要した

  をとこもすなるにきといふものを、をむなもしてみむとてするなり。 それのとしのしはすのはつかあまりひとひのひの、いぬのときにかどです。

 【現代語訳】男性が綴る日記というものを、女性である自分も試みてみる。とある年の十二月二十一日(太陽暦で2月2日)、午後8時に出立することとなった。

 醍醐天皇(885-930)の勅命による我が国初の勅撰和歌集が「古今和歌集」です。紀友則、凡河内躬恒、壬生忠岑ら4人の撰者の中で中心的な役割を果たした編纂の任に当たった当時、30歳代であった紀貫之は、宮中の文書管理を担う次官級の御書所預(ごしょどころあずかり)の職にありました。

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 奈良県櫻井市にある花の寺「長谷寺」を訪れた折、宿の主から「しばらく音沙汰がなかったですね」と言われた貫之の返歌として詠まれ、古今集に収められたこの和歌は、百人一首にも取り上げられています。

 人はいさ 心もしらず ふるさとは 花ぞむかしの かににおひける

 【現代語訳】さぁ、あなたはどうでしょうね。人の心もようは分からないけれども、馴染みの里に咲く梅の花は、昔と変わらず香っています。

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【Photo】紀貫之による自筆本の筆跡を再現した古写本「土左日記」(尊経閣文庫蔵)。現在は散逸した原本が残っていた平安時代末期から鎌倉時代初期にかけ、勅撰和歌集から秀作を選んだ小倉百人一首を成立させた藤原定家による写本

 貫之が和歌について論じた古今集の仮名序は、日本文学が漢詩の影響を脱し、源氏物語に代表される女流古典文学の確立に向けた指針を示したとされます。

  やまとうたは ひと(人)のこころをたね(種)として よろず(万)のことのは(言葉)とぞなれりける

 【現代語訳】和歌は人の心の機微を表現し、数え切れぬほどの言葉を編み出していった

 京都で生まれ、赴任先に伴ってきた可愛い盛りの女児を土佐を発つ直前に病で亡くす不運に見舞われた紀貫之。大津から浦戸に向かった12月27日に詠じたのは ー

 みやこへと おもふをもののかなしきは かへらぬひとのあればなりけり

 【現代語訳】いよいよ都へと帰還するのだけれど、どうしても悲しいのは、帰らぬ人がいるからなのだ

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【Photo】京都・嵐山付近を流れる桂川の流れを見守る松の古木とて、紀貫之が生きた時代など知るよすがもない平成の世。世界各国から訪れる観光客が行き交う渡月橋は、現在とは異なる位置にすでに架けられていた。天皇の内裏(皇居)であり、公務を執り行った京都御所近くの京都御苑の一角に紀貫之の居宅があったといわれる

 長旅を終え、貫之が京都の自宅に戻って詠んだのは、帰還の喜びではなく、人の命の儚さを憂うこの和歌でした。

 生まれしも帰らぬものを我がやどに小松のあるを見るがかなしさ

 【現代語訳】ここで生まれた我が子が帰らないというのに、元は無かった小さな松が庭に生えているのを見るのは辛い

 亡き娘を思う悲哀を込めた短歌は、時代を越えて庄イタの胸にも響いてくるのです。

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 紀貫之の生年である貞観年間は、天変地異が頻発した時代でした。

 861年(貞観3)、現在の福岡県中部の直方(おのがた)市にある須賀神社境内に記録が残る世界最古の隕石が落下。864年(貞観6)、当時は常に噴煙を上げていた富士山が大噴火を起こし、現在は青木ヶ原樹海となった膨大な溶岩を噴出。

 1000年に一度の規模といわれた東日本大震災と同規模の大津波が三陸沿岸を襲ったと推定される貞観地震の発生が869年(貞観11)。その2年後には鳥海山が噴火しています。

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【Photo】文献に残る噴火が537年から十数回を数える鳥海山。現在の頂上部が形成された1800年(寛政12)の噴火による死者は8人。直近では1974年(昭和49)に水蒸気爆発し、噴煙を上げた〈上画像〉

 マグニチュード7.4と推定される相模・武蔵地震の発生により、南関東地域に大きな被害が及んだのが878年(元慶2)。887年(仁和3)には南海トラフを震源とするマグニチュード8規模の仁和地震で近畿地方に甚大な被害が及ぶなど、大規模な地殻変動が各地で頻発します。

 794年(延暦13)、桓武天皇(737-806)により凶事が相次いだ長岡京から平安京に都が移され、1192年(建久3)に鎌倉幕府が成立するまでの平安時代の幕開けは、かくも平安ならざる天変地異が続いたのです。

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 昨年8月、天皇陛下が退位のご意向を色濃く滲ませた「お気持ち」を表明されたことで、平成の終わりが見えてきたこの春。2007年6月のブログ開設以来、Viaggio al Mondo~あるもん探しの旅は10年目を迎えます。

 10年目でひと区切り。

 私事ですが、4月の定期異動で大阪に赴任し、東北をフィールドに駆け巡ってきた庄イタにも転機が訪れました。

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【Photo】六甲山地の東端付近に源を発する夙川(しゅくがわ)。2.8kmの遊歩道が整備された公園緑地には枝ぶりが見事なクロマツと共に1,660本のソメイヨシノやオオシマザクラなどの桜並木が続く。5月から6月にかけて阪急甲陽線苦楽園駅の上流域ではホタルが見られる。そこは神戸出身の作家・野坂昭如の小説「火垂るの墓」の舞台となった

 プレ創刊100周年の1996年(平成8)、バブルの余韻に浸りつつ6年を過ごした東京支社から仙台本社に帰還。山形営業所の立ち上げに携わった2003年(平成15)に庄内系へと突然変異。創刊120周年の節目を迎えたこの春、摂津守として北前船で酒田湊から上方へと赴いた格好です。

 紀貫之が土佐から京の自邸に戻った日と同じ3月28日、かつては摂津国と呼ばれた関西に初めて居を構えました。

 そこは「さくら名所百選」に数えられる夙川(しゅくがわ)河川敷緑地・夙川公園まで徒歩30秒。天然記念物「コバノミツバツツジ群落」が見られ、参拝天照大神を祀り、阪神タイガースが必勝祈願に参詣する廣田神社も徒歩圏という風雅な地。

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【Photo】日本書紀に神功皇后の創建による記述がみられる由緒正しき廣田神社。16,000坪の境内には三本に分かれた小さな葉が特徴的なコバノミツバツツジ2万株の群落が見られ、樹齢300年を数える古木もある

 新任地は、京都へ向かう紀貫之が遡上した旧淀川の中之島を挟んで北の堂島川の南を流れる土佐掘川のほとり。対岸の中之島には日本赤煉瓦建築番付における西の横綱「大阪市中央公会堂」や、ギリシャ神殿に倣ったコリント式円柱を備えた重要文化財「中之島図書館」が、すぐ眼下にあるハイカラな土地柄でもあります。

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【Photo】ウォーターフロント中之島のシンボル的存在「大阪中央公会堂」は明治期に在阪の株式仲買人・岩本栄之助が大阪市に寄贈した現在の貨幣価値で数十億の浄財をもとに建造された

 久方ぶりに触れる外の空気は新鮮そのもの。着任早々、京都で桜を愛でる機会があったかと思えば、新世界にある串かつの名店や、迷宮のごとき天満やミナミで粉もん文化の洗礼も。どうやら新任地では、公私ともに数え切れぬほどの出会いと発見が待っているようです。

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【Photo】およそドボルザーク作曲の交響曲第9番「新世界より」が似つかわしくないエネルギッシュな喧騒に満ちた大阪・新世界。気分はガーシュイン作曲の交響詩「パリのアメリカ人」的な「ナニワの庄内系イタリア人」。通天閣を背景に筆者近況

 仙台から伊丹空港まで1時間20分の空路で着任した庄イタとは違い、紀貫之は荒ぶる海や海賊の脅威に晒されながら、家族や従者を伴い小舟に分乗して2か月近くを要して帰京しています。

 ひとまず距離を置くこととなる東北を題材とするネタとしては、一区切りとなる物語の舞台は、福島・会津です。

 今をさかのぼること1,000年以上前に書き記された土佐日記に敬意を表した今回のタイトル。我が国初の紀行文の名高い書き出しになぞらえた本編は、また次回。

To be continued.

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