あるもの探しの旅

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Il Paradiso in terra 春の楽園

【はじめに】
 サーバ容量がパンパンになり、保守作業を行う間、更新がままならぬ状況が続いておりました。現状では過去ログの一部画像が読み込めなくなっています。これまで夜なべの内職として取り組んできたブログ更新との二刀流で気長に補修作業を行います。どうかご容赦のほど願います。

 いずれにしてもネタの仕込みは怠っておりませんでした。あたかも雪解け水で満水となった黒部ダムの如く、ため込んだネタをいつでも放出できる状態です。

 2ヵ月の間、春眠をむさぼっていた「Viaggio al Mondo~あるもん探しの旅」再開第一弾は、とある桜の苗木に庄イタが呼ばれたとしか思えないお話から。

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2018 Ciliegi Giapponesi a Roma e Shukugawa

2018さくら絶景探訪「ローマ & 夙川」編

 咲き揃ったソメイヨシノのもとで、思い思いの時間を過ごす人々。さて、これはどこでしょう?

 東アジア地域を中心とするインバウンド急増に沸く大阪で、造幣局と並ぶ花見スポットである大阪城公園? それとも、見事さにおいて日本の、いや世界最高峰であろう青森・弘前公園の200万人と動員数で肩を並べる上野公園?

 いいえ、ここは永遠の都ローマ。

hanami@Lago dell'EUR Roma.jpg 1959年(昭和34)、当時の岸信介首相がイタリアやバチカン市国ほか英独仏など欧州各国を公式訪問した際、長年にわたる日伊友好の証として2本のソメイヨシノをイタリアに寄贈。自ら7月20日の植樹セレモニーに臨みました。

 作曲家レスピーギ(1879-1936)が交響詩*脚注参照の題材とした例を挙げるまでもなく、ローマで街路樹といえば、成木の形状がイチョウの葉に似た独特なフォルムのイタリアカサマツが定番。

 当時のイタリア政府が選んだ植樹先は、E.U.R(エウル)地区。ベニート・ムッソリーニ率いるファシスト党政権下の1942年にローマで開催予定だった万国博覧会会場として建設が始まるも、第二次大戦により頓挫。戦後にローマの新街区として整備が進みつつありました。

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【Photo】見ごろを迎えたローマのソメイヨシノ。背景に見える円蓋は、1938年に建設に着手し、第二次世界大戦による中断を経て1955年に完成したギリシャ十字型の「Basilica dei Santi Pietro e Paolo(=サン・ピエトロ・エ・パオロ聖堂)」。紀元前の遺構が随所に見られるローマでは最新の部類に入る

 岸総理の訪問後、追加で2,000本のソメイヨシノが人造湖Lago dell'EUR(エウル湖)を周回する散策路に植樹されます。異説を唱える向きもありますが、一般的にソメイヨシノの寿命は約60年といわれており、現在は代替わりした桜も増えています。

 ローマ在住の日本人が始めた〝Hanami〟は、やがてローマ市民にも知られるところとなり、ローマの表玄関テルミニ駅から地下鉄Met.Ro.B 線で9つ目のEUR Palasport 駅で下車、Parco Centrale del Lago(チェントラーレ・デル・ラーゴ公園)に整備された〝Passeggiata del Giappone〟(=日本の小路)でのお花見が、春先の新たな風物詩として浸透しつつあります。

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 ローマのみならず、ワシントンDC、ストックホルム、トロント、台湾など日本から海外に贈られたソメイヨシノは、例外なく江戸末期から明治初頭にかけて現在の東京都豊島区駒込で育成された原種のクローンのため、開花がシンクロするのだそう。


line-sacura.jpg 〝もののあはれ〟の象徴として、古来より日本人は儚く散る桜に特別な思いを託してきました。今年は史上最も早い開花が各地で観測され、桜前線があっという間に列島を駆け抜けました。

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【Photo】阪急電鉄神戸線で庄イタが利用する夙川駅で北へと枝分かれする甲陽線の次駅が苦楽園駅。夙川駅前を通る山手幹線の羽衣橋から夙川沿いに続く遊歩道を進み、苦楽園橋からの甲山を背景とする眺めは庄イタのお気に入り〈上画像〉。クロマツの濃緑と桜花の淡いピンクの間を縫って〝阪急マルーン〟と呼ばれるシックでノーブルな色合いの阪急電車が走る〈下画像〉

hankyu-kurakuen.jpg 文豪・谷崎潤一郎(1886-1965)は、1923年(大正12)に発生した関東大震災で被災し、同年、横浜から関西に移住。1954年(昭和29)まで、京都を皮切りに西宮・芦屋・神戸での12回にも及んだ転居を繰り返す間、痴人の愛・卍・陰翳礼讃・細雪など代表作を執筆しました。

 1958年(昭和33)に竣工した幅1.8m・欄干の高さが膝の丈までしかない「こほろぎ橋」は、拙宅から徒歩60秒と至近。アーチ形をした橋脚の石橋が完成した翌年に公開された大映映画「細雪」に登場します〈下画像〉

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 阪神地域きっての桜の名所として名を馳せる夙川公園は、1932年(昭和7)から整備に着手。昭和初期に植樹された松の古木と1949年(昭和24)から南北2.8kmの一帯で植樹がなされた1,660本の桜、そして初夏にはホタルが舞い飛ぶ清流が織りなす独特の美観を生みだします。

 引越し慣れしていた大谷崎とは違い、久方ぶりの引っ越しのバタバタで、昨春は関西の桜を愛でる余裕がほとんどありませんでした。今年は「日本さくらの名所100選」に選定されている夙川沿いに多くの花見客が繰り出す週末の日中を避け、地元の利を活かして早朝や夜桜を心ゆくまで堪能できました。

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【Photo】せっかくの美観を損なう屋台や無粋な提灯がない夙川公園とはいえ、日中は多くの人出でごった返す。昼の喧騒を避け、月明かりのもと夙川河川公園を羽衣橋から苦楽園橋までの0.8kmを散策。うららかな日中とは一変した大井手橋の上流域付近。水鏡と化した川面に映り込む今を盛りの夜桜をスローシャッターで撮影。闇に浮かび上がったのは、妖艶な夜桜が織りなす異界だった


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 戦後に桜が植えられた夙川公園に先立ち、上水道施設の完成を記念して1924年(大正13)、現在も衰えを知らず毎年花開くエドヒガンザクラなど、百本あまりの桜が植えられたのが、越水浄水場からからニテコ池にかけての満地谷(まんちだに)。そこでは、およそ500本のさまざまな品種の桜を見ることができます。

nettecoi_ebbesan.jpg 戎(えべっ)さんの名で親しまれる西宮神社の東南側を囲む堅牢な大練塀(国重文)〈上画像〉が南北朝時代末期から室町時代初期頃に造営された際、土塀造りに適した土を満地谷から運出。その窪地に雨水が溜まって出来た南北に連なる3つの貯水池の総称がニテコ池です。

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 一風変わったその名は、土木作業にあたった人足たちの掛け声「(土を)練って来い」に由来するのだといいます。浄水場の池を挟んだ西側は、鬱蒼とした緑に囲まれたパナソニック創業家一族の広大な邸宅や日本銀行大阪支店長の旧官舎などがある風光明媚な地〈上画像〉

 夙川の桜が見ごろを迎えた昨年の4月頭、引っ越し後の整理に倦み果て、気分転換をしようと苦楽園橋付近を散策しました。

 居合わせた地元の方に「ご一緒にいかが」とお誘い頂いて訪れたのが、桜の一般公開が行われていた越水浄水場〈下画像〉と、中部地方以西に自生するコバノミツバツツジの樹齢200年以上の古木もあるのだという県天然記念物に指定される2万株の群生が見事な廣田神社。地名の〝西宮〟とは、元来、京都から西方にあるお宮である廣田神社を指しており、由緒正しきお社なのです。

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 施設の性格上、越水浄水場は桜の時季だけ一般に公開されます。ヤマザクラほか日本固有種の桜研究に生涯を捧げ、桜博士と呼ばれた笹部新太郎(1887-1978)監修のもと、関西では珍しいエドヒガンザクラ、オオシマザクラ、仙台枝垂(センダイシダレ)の異名を持つシダレヤマザクラ、黄緑のギョイコウなど日本古来の桜が揃えられています。

parco-nishinomiya-irei.jpg 浄水場入口の左手には、公営の満池谷霊園があり、右手には1995年(平成7)1月の阪神淡路大震災で帰らぬ人となった6,454人のうち、西宮における犠牲者1,146名を悼む慰霊塔〈下画像右側〉が建つ西宮震災記念碑公園がありました。

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 社会インフラが整った大都市を襲った直下型地震の恐ろしさをまじまじと見せつけた阪神淡路大震災。64万棟にのぼった建物の倒壊や火災による人的被害が最も深刻だったのは神戸市内だけではありません。西隣の芦屋市では444人が亡くなり、全世帯の40%にあたる61,238世帯が全半壊した西宮市を含め、兵庫県南部地域に甚大な被害が及びました。

nishinomiya-ireihi.jpg 多くの人の人生を変えた震災から23年。犠牲となった方々の名前を刻んだ追悼之碑〈上画像〉には、残された遺族がお供えしたのでしょう、花束が供えられていました。新生活をスタートさせた地が、悲しい出来事を乗り越えてきた紛れもない事実を改めて思い知りました。

 誰もが知る通り〝ねかはくは 花のしたにて春しなん そのきさらきの もちつきのころ〟に世を去った西行法師(1118~1190.3.31)は、〝仏には さくらの花をたてまつれ わがのちの世を人とぶらはば(☞私が亡くなった後、弔ってくれる人がいるのなら、仏前には桜をお供えしてほしい)〟とも詠んでいます。

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【Photo】出家した西行が庵を結んだ奈良・吉野山。夜中に西宮を出発、上千本きっての眺望が開ける花矢倉を目指した。まだ明けやらぬ西の空を振り向くと、西行が愛してやまなかったヤマザクラが描く稜線の彼方に西行も愛でたであろう望月が淡く輝いていた

 大地が生気と色を失う冬が去り、芽吹きの季節に先んじて里山に彩りを添える桜の花は、最後まで色褪せることなく散ってゆきます。その儚さや潔さを人の一生に重ね、この花はいつの時代にあっても人々から愛されてきました。


line-sacura.jpg 1年前に訪れた桜のトンネルと化したなだらかな坂道を登り、越水浄水場の正門前に立つと、その先には今年も実に見事な春爛漫の桜の園が開けていました。〈下画像〉

koshimizu2018.3.31.jpg 樹齢94年のエドヒガンザクラなど、手入れが行き届いた20種類以上の里桜・ヤマザクラが咲き誇っています。昨年そこで庄イタは、どこかしら遠慮がちにあるような1本の幼木と出合っていました。

 それは昨年3月28日、まさに庄イタが西宮に引っ越してきた日、宮城県女川町から西宮市にやってきた「津波桜」という名のソメイヨシノの苗木なのでした。(下画像)

 蕾はおろか花芽すらない苗木の前には、郷里・女川町の再生に奔走する須田善明町長からの真新しいメッセージボードが設置され、苗木の由来が紹介されています。

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 その苗木は女川を壊滅させた津波で枝を無残にへし折られながら、震災の翌月、丈の1/3ほどが残った幹から3輪の花を咲かせた旧女川第二保育所にあったソメイヨシノの孫木にあたります。〈参考:女川桜守りの会サイト

 2011年3月の東日本大震災発生直後から、西宮市は応援職員を女川町に派遣しています。また、西宮神社で十日戎に行われる有名な開門神事(かいもんしんじ)に倣い、迅速な津波避難の大切さを行事として地域に残そうと、福男ならぬ〝復興男〟選びが神社公認行事として女川で実施されています〈参考:2018年3月27日河北新報

 津波が到達した地点に桜を植える活動をしている女川町に「西宮権現平桜」と「夙川舞桜」の幼木が西宮から贈られています。津波桜は、女川町から西宮市民への感謝の気持ちを示すものでした。

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 造成された高台に整備された災害公営住宅859戸は、今年3月末に最後の引き渡しが行われました。入居者の生活支援や販路を奪われた水産業の復興など、継続的な課題は山積したまま。西宮市からは今年度も女川町に応援の職員が派遣されています。

 ソメイヨシノの苗木は、移植してから花咲くまでに2年から3年を要すると昨年聞いていました。ゆえに今年は「津波桜はどのくらい成長しただろう?」と1年ぶりの再会を心待ちにしていたのです。


line-sacura.jpg 〝確かこのあたりに津波桜があったはず〟と記憶の糸をたどりながら歩みを進めると、昨年より丈が少し伸びた若木は、予想を裏切って10輪ほどの花を枝先につけていたのです!! (下画像)
 
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 越水浄水場を管理する西宮市上下水道局浄水課の坂井元雄課長によれば、一般公開が始まる直前に花開いたのだといいます。津波に襲われながら生き抜いたソメイヨシノの強靭なDNAを受け継いでいるのでしょう。

 造園業者によるメンテナンスだけでなく、浄水場の職員の皆さんも仕事の合間に水遣りなどの世話をしてきたのだそう。

tsunami-sakura2018-2.jpg 「咲いてくれてありがとう '·. o(;△;)o」

  奇しくも津波桜が浄水場に移植されたのと同じ日に西宮に引っ越してきた庄イタは、感動に打ち震えつつ津波桜に語り掛けていました。

 早くも花開いた津波桜に負けないよう、庄イタも関西でひと花咲かせなければなりませんね。


*注釈】1879年ボローニャ生まれ、ローマで活躍した作曲家オットリーノ・レスピーギ。サンタ・チェチーリア音楽院の校長に就任した1923年、交響詩「ローマの噴水」(1916)に続く〝ローマ三部作〟2作目となる「ローマの松」の作曲に着手。現在は公園となっているボルゲーゼ家の邸宅、初期キリスト教徒が眠るカタコンベ、英雄ガリバルディの騎馬像がローマ市街を見下ろすジャニコロの丘と、カサマツがある情景を描いた交響詩の第4曲「アッピア街道の松」は、隊列を組んだ歩兵や騎兵が松並木が続くアッピア街道を行軍するパクス・ロマーナ往時の様子が目に浮かぶ。今年3月、大阪フェスティバルホールでの大阪フィル定期演奏会で、ローマ三部作を指揮したヴェローナ出身の若き天才指揮者アンドレア・バッティストーニのドラマチックで色彩豊かな情景表現は鮮烈だった

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