あるもの探しの旅

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太閤殿下、全山満開でござる!

2018 Ciliegi Giapponesi
a Patrimonio mondiale Monte Yoshino
2018さくら絶景探訪 第二章 : 世界遺産「吉野山」編

 あっぱれじゃ! 

 こんな感嘆の声を上げたであろう豊臣秀吉が目にした光景と同じ、いえ、恐らくはそれ以上に見事な絶景が庄イタの目の前に広がっています。

 天下を統一し、太閤として権勢の絶頂にあった豊臣秀吉が、1594年(文禄3)に諸国の大名・文人墨客ら総勢5,000名を引き連れ、奈良県吉野山で5日間にわたって催した花見の宴は、つとに有名。

yoshinohanamizu-byobu.jpg 【Photo】「豊公吉野花見図屏風」(部分・国重文・細見美術館蔵)織田信長の遺志を引き継ぐ形で戦乱の世に終止符を打った豊臣秀吉。我が世の春を謳歌する太閤が、吉野で催した花見の模様を江戸初期に描いた屏風絵。輿(こし)に乗った秀吉が、役行者が開基した「金峯山寺(きんぷせんじ)蔵王堂」に向かわんとしている。当時の風俗が描かれており、絢爛な桃山時代の雰囲気を今に伝える


  年月を 心にかけし 吉野山 花の盛りを 今日見つるかな 

 吉野入りして3日間降り続いた雨が止み、興に乗って舞も披露した花見の宴を催した喜びを上記のように三十一文字(みそひともじ)に残しています。

kimpsenji@nakasenbon2018.jpg【Photo】上千本から続く細道を上千本口バス停近くまで下り、左手に折れる脇道を入ると「大塔宮仰徳碑」と刻まれた大きな石碑がある。武芸に秀でた大塔宮護良(おおとうのみやもりよし)親王(1308-1335)は後醍醐天皇の皇子。建武の新政(1333)で、征夷大将軍の地位を巡って父と対立。太平記によれば、同じ官職を欲していた足利尊氏によって鎌倉で幽閉され、若くして非業の最期を遂げた。討幕のため大塔宮が吉野で挙兵した地に立つと、山の稜線を越えて斜めから射す朝日が、シロヤマザクラを鮮やかに照らし出した(上画像)。その彼方に望むは、木造軸組建築として世界最大の東大寺大仏殿に次いで大きい寺院建築で、2004年にユネスコ世界文化遺産に登録された「金峯山寺蔵王堂(きんぷせんじざおうどう)」の大屋根(下画像)

〝大名より身分が低い者の姿で参加すべし〟との秀吉のお達しで、金剛杖を手にした山伏に変装したのが伊達政宗。茶屋の下人に扮する秀吉を前に、配下の者にホラ貝を吹かせて斎料を所望。洒落っ気がある秀吉を大層悦ばせた事が、政宗の小姓であった木村宇右衛門の記録によって伝えられています。

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 花見が行われる4年前、秀吉による天下統一の総仕上げとして小田原攻めに踏み切った際、先代から盟友関係にあった北条氏包囲戦への参戦要請に応じなかった政宗。五奉行筆頭の浅野長政による説得を受け、重い腰を上げて怒り心頭だったであろう秀吉の陣に参じます。

 弱冠22歳だった政宗は、到着早々、千利休による茶の手ほどきを願い出ます。命が危うい状況にあっても物怖じしない度量の大きさに齢(よわい)50を過ぎていた秀吉は感嘆します。家康のとりなしで叶った秀吉への謁見には切腹覚悟の白装束で臨む一世一代の大芝居を打った政宗。その役者ぶりを気に入った秀吉の許しを首の皮一枚で得た逸話はご存知の方が多いかと。

 太閤秀吉・関白秀次親子ほか、徳川家康・前田利家ら年長で官位も高い戦国武将が居並ぶ中、従五位下の侍従としては唯一、政宗は花見への同席を許されます。戦国の世に遅れて生まれてきた稀代の若武者が詠んだのは、文武両道の才覚を示して余りある格調高く、そして、天下人となった秀吉を持ち上げるサラリーマン処世術的な内容でした。

  君がため 吉野の山の槇の葉の 常磐(ときは)に花も色やそはまし

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 吉野山の桜は、標高が低い順に海抜200mの下千本(しもせんぼん)から中千本(なかせんぼん)、上千本(かみせんぼん)、標高700mの奥千本(おくせんぼん)まで順番に見頃を迎えます。それぞれ一目千本桜と呼ばれ、ほとんどがシロヤマザクラを主体とする全体では3万本ある桜が、今年は見渡す限り一斉に満開となっているのです(下画像)

 急に気温が上昇した4月初旬、吉野山の桜が全山一斉に満開となっているとTVニュースで知りました。関西に居を移した庄イタにとって千載一遇に違いないこんな望外の好機を逃す手はありません。 

yoshimizu2018.4.3.jpg【Photo】豊臣秀吉が吉野山滞在の本陣としたのが、中千本の吉水院。秀吉が吉野で催した花見から424年を経た今年は、世界文化遺産・吉水神社の境内から下千本から上千本まで同時に満開となった稀有なシロヤマザクラを見ることができた

 吉野の達人からは、クルマで行くのなら日の出前に標高600m付近からの展望が開ける花矢倉(はなやぐら)に着き、中千本・下千本へと、大方の流れとは逆に動くのが鉄則だと昨年聞いていました。

 意を決して当日は深夜2時半に西宮を出発。襲い掛かる睡魔を払いのけ、頭の中ではフニクリ・フニクラの替え歌「♪ 行こう 行こう 花の山へ」がリピート。阪神高速神戸線から南阪奈道路を経由し、吉野山への玄関口となる近鉄吉野神宮駅付近に到着したのが早朝4時半。

 明治天皇妃が桜をご覧になった地点に標柱が立つ「昭憲皇太后 御野立跡」ほか、クルマのすれ違いが困難な細道に土産物屋や飲食店が並ぶ下千本と中千本を通過しても、まだ外はまだ真っ暗。

kamisenbon2018.4.3.jpg【Photo】夜が明けやらぬ花矢倉からは、明かりに浮かび上がる金峯山寺蔵王堂の大屋根がランドマークとなる中千本から下千本方面まで、一幅の布を敷き詰めたように見えることから「布引の桜」と称されるシロヤマザクラが手に取るよう

 やがて商店や人家が途絶え、上千本へと登ってゆくと、ヘッドライトに照らされて漆黒の闇から浮かび上がってきたのは、道端にカメラの三脚を立ててスタンバイする人びと。その数の多さには驚きました。

 2004年(平成16)にユネスコ世界文化遺産に登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」を構成する吉野水分(みくまり)神社を暗がりの中を訪れましたが、楼門は固く閉ざされたまま。都を追われて吉野に潜伏していた源義経が、兄・頼朝が差し向けた追手から逃れた地とされる花矢倉付近で日の出を待つことしばし。

 5時前になって東の空が白み始めると、祈りの山・吉野は清浄な朝の気配に包まれます。やがて去り切らぬ夜陰に溶け込む濃緑の山並みに、微妙に色合いが異なる青白い光を放つかのようなシロヤマザクラが、至る所で眼下の山肌を覆っているのが目に飛び込んできました。

hanayagura2018.4.3.jpg【Photo】ドラマチックな演出効果をもたらす朝日が差し込み始めた6時30分。真っ暗いうちから花矢倉でスタンバイしたご褒美は、吉野ならではの唯一無二の眺めだった

 吉野のシンボルともいえるシロヤマザクラは、吉野にほど近い大和国葛城上郡(現・奈良県御所市)に生まれた修験道の開祖・役小角(えんのおづの=役行者)が衆生救済のため、千日回峰行の果てに会得した蔵王権現をヤマザクラに刻み、山上ヶ岳の山上本堂と共に献堂した金峯山寺(きんぷせんじ)蔵王堂に由来します。

 山岳信仰の聖地でもある吉野山を埋めつくす桜は、蔵王権現への信仰の証として、平安期以降に全国の善男善女が寄進したもの。〝Roma non fu fatta in un giorno (ローマは一日にしてならず)〟というではありませんか。秀吉と家康の庇護を受けた摂津の豪商・末吉勘兵衛は、苗木1万本を寄進しています。先人は酔客で賑わう花見の名所を造ろうと意図したのではありません。

shokenkotaigo-nodachiato.jpg【Photo】明治天皇妃・昭憲皇太后は、1891年(明治24)吉野に行啓。後醍醐天皇陵墓に参詣した折の思いを「吉野山 陵(みささぎ)ちかくなりぬらん 散りくる花も うちしめりたる」という短歌に残している。桜をご覧になった場所には「昭憲皇太后 御野立跡」の石柱があり、七曲り周辺を指す下千本、金峯山寺周辺の中千本を間近にするビュースポットとなっている(上画像)

 江戸前期の儒学者貝原益軒の「和州巡覧記」には、現在の近鉄吉野駅付近から中千本まで続く坂道「七曲り」の登り口で〝童ども桜の木の高さ二尺ばかりなるを多く売る。(中略)往来の人、これを買いて、植えさせて通る〟との記述があります。蔵王権現に奉じるため植え続けられたシロヤマザクラは、このようにして山の斜面を覆う群生「一目千本桜」となったのです。

 ルーツが同じソメイヨシノとは違い、シロヤマザクラは微妙に色合いが異なるように一本ごとに先人の思いが込められている事実を知ると、移ろう季節の中で、ほんのひと時だけ目にすることができる浄土のごとき光景も、また見る目が変わってきます。

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 駐車場が満杯になる前に中千本の駐車場へと車を移動。早朝で係員が不在の場合、出庫時に代金を払うのが吉野のローカルルールです。

 元々、五郎平という人物が茶屋を営んでいた小高い丘は展望台になっています。そこから谷を挟んで10世紀初頭の延喜年間に創建された如意輪寺が桜の木々に囲まれていました(下画像)

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 寺の裏手には、1339年(延元4)、52歳で吉野に没した後醍醐天皇が永遠の眠りにつく塔尾陵があります。歴代天皇の陵墓では唯一、北側を向いているのは、帰還が叶わなかった京都が吉野からは北側に位置するがゆえ。

 宝物殿では、鎌倉期に慶派の仏師源慶によって造られた蔵王権現像(国重文)を拝観できます。この仏は、インドや中国には存在せず、山岳信仰と結びついて日本のみで信仰されてきました。過去・現在・未来を象徴する慈悲に満ちた釈迦・観音・弥勒菩薩が、猛々しい仮の姿で顕現した蔵王権現を所蔵する寺院が吉野には他にもあり、谷越えの険しい地勢を目の当たりにして如意輪寺は体力温存のためスル―。

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 そこで目指したのは、16世紀後半の天正年間に再建された修験道の根本道場・金峯山寺。蔵王堂(上画像)の本尊・金剛蔵王権現(国重文)は、通常は非公開の秘仏ですが、折しも修復中の国宝・仁王門勧進のための特別公開が、GW最終日の5月6日まで行われていました。

 大いなる慈悲を示す〝青黒(しょうこく)〟と呼ばれる深みのある蒼身で躍動する姿に魅了された金剛蔵王権現像を本尊とする世界遺産・金峯山寺蔵王堂には、かねてより公開時に訪れたいと思っていました。つづら折りの七曲りを散策してから、蔵王堂に参詣したのは公開が始まる朝8時30分ちょうど。

 果たせるかな、怒髪天を衝く憤怒の形相で仁王立ちする三体の金剛蔵王権現(撮影禁止のためリンク参照)は、迫力満点。〝こちらでご本尊と直接お話し頂けます〟と、障子で間仕切りされた「発露の間」から間近に見上げる高さ7mの秘仏を前に、日常の穢れを祓い落としたのでした。

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 足利尊氏が持明院統の光明天皇を擁立したことで京都を追われ、吉野で南朝を興した後醍醐天皇。後亀山天皇まで4代続いた大覚寺統の皇居跡に建つ「妙法殿」(上画像)の御所桜を愛でつつ、歩いて向かったのが、金峯山寺の塔頭(たっちゅう)のひとつ「脳天大神(のうてんおおかみ)」。

 首から上の病に霊験あらたかだという謳い文句に惹かれ、谷底へと続く急斜面に設けられた階段を下りました(下画像)。谷底へ続くつづら折りの階段の先に人の姿はなく、急斜面を進めど進めど、なかなか脳天大神は見えてきません。

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 どうやら途中で引き返す人が少なくないようで、2人だけ階段を登って来る人とすれ違いましたが、苦悶の表情を浮かべて息も絶え絶えになっています。それを見て「引き返そうよ」と同行者は不安顔。

 それなりの説得力がある提案でしたが、2011年(平成23)9月に「出羽三山神社」の石段2,446段を3日間の山伏体験修行で2往復している庄イタ。《2011.12拙稿「修験道体験@出羽三山 暮れゆく月山御縁年の大晦日に思うこと」参照》 初志貫徹あるのみと歩みを進めます。揺るがぬ固い意志の理由はズバリ!ボケ封じ(笑)。

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 蔵王権現の化身・脳天大神を祀った本殿に参拝(上画像)。石段が455段もあるとは知らなかったため、帰路はヘロヘロになりながら蔵王堂へと帰着。♪行きは良い良い帰りは怖い。危うく行き倒れになるところでした。

 疲れたときは甘いモノ。一息つこうと立ち寄ったカフェ「陽(ひなた)ぼっこ」でオーダーしたのが桜風味のジェラート。この日のジェラート、お味はともかく、眺めに関しては日本一だったに違いありません(下画像)

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 夜が明けやらぬうちに上千本で軽い朝食を済ませ、ジェラートで胃袋が覚醒したのか、午前11時にはお腹が空いてきました。中千本と下千本には土産物や吉野名物「柿の葉寿司」の店などが集中します。午後の吉野山探訪のために腹ごしらえ。

〝塩蔵した鯖が酢飯と馴染む夕方以降、できれば翌日召し上がって〟と勧められた「ひょうたろう」のみならず、郷土の味の食べ比べをしようと吉水神社鳥居脇の「醍予(だいよ)」で、柿の葉寿司を持ち帰りで購入。良質な葛の産地として名高い吉野での昼食は、黒門近くの「花屋」で食した吉野葛がけうどん(下画像)

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 エナジーチャージを済ませ、訪れたのが世界文化遺産「吉水神社」。鎌倉幕府滅亡後、建武の新政が破綻した後醍醐天皇は、足利尊氏が擁立した光明天皇に追われる形で吉野で南朝を興します。4代57年続いた南朝の皇居とされたのが、役小角が創建した吉水院でした。

 時代を遡れば、源義経が静御前と隠遁生活を送った当時の痕跡として、頼朝の追手を蹴散らすため、弁慶が親指で岩に押し込んだと言い伝えられる「力釘」が明治以降に吉水神社と改称された境内に残されています。そんなニッチな見物はさておき、上千本から下千本にかけてを一望する境内から一目千本のクライマックスともいうべき眺めを愛でることができました。

hitome-sennen.jpg【Photo】標柱の「名勝 吉水神社 別名 一目十年」とは、この素晴らしい風景を見ると十歳若返るという意味

 この世のものとは思えない美しい光景は、しかと目に焼きつけました。いかなる美辞麗句を書き連ねても筆舌に尽くしがたいその見事さを実感するには、吉野へ足を運ぶのが一番。そんな思いを強く抱いた庄イタ。

 早朝に上がってきた吉野神宮方面への車道は歩行者天国化されているため、駐車場を出たクルマは中千本と下千本を周回する観光車道へ。

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 上千本橋に差し掛かると、山肌を流れ下る奔流のごとき見事な「滝桜」に見送られて吉野を後にしました(上画像)
 
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